アメリカ人はなぜ三島由紀夫を読むのか:『憂国』『潮騒』から死生観と愛国心を考える

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概要

アメリカ出身のニックさんとタントリスさんが、岸谷蘭丸さんと三島由紀夫について語った対談の後編である。1970年に亡くなった三島の作品は、いまも世界中で読まれているという。二人はどこに惹かれているのか。そのうえで、日本人とアメリカ人では三島の受け止め方がどう違うのか。これが対談の軸になった。

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ニックさんは大学院時代に日本語で三島を読み、現在は英語で読んでいる。三島という人物よりも作品を好むと言い、特に『潮騒』と短編『憂国』を推す。タントリスさんは『午後の曳航』と『太陽と鉄』を読み、アメリカ人と日本人の三島観の違いを扱った動画を半年ほど前に自分のチャンネルで公開している。岸谷さんは三島を読んだことがなく、過激な愛国者というイメージしか持っていない立場で聞き手を務めた。

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「日本を理解していないから好き」という逆説

アメリカで三島がどう読まれているかについて、ニックさんは、日本学の教員や日本好きのアメリカ人は必ず読み、それは右派か左派かに関係ないと説明する。そのうえで、言い方は悪いと断りながら、アメリカ人が三島を好むのは日本を理解しているからではなく、理解していないからだと述べた。日本をロマン化している人が多く、三島は武士や切腹を題材にするので、そのイメージに合うという。

ニックさんがもう一つの魅力として挙げたのは、三島の矛盾の多さである。伝統的な日本を守りたいと言いながら欧米の影響を強く受け、反欧米でありながら欧米のセレブのような生活を送り、男らしさを重んじながら同性愛的な面も持っていた。ニックさんによれば、同性愛的な面は昔の武士にも見られ、近松などの古典には侍とその弟子の関係を描いた話があるが、欧米人にはこれが理解しにくい。三島は「安全な日本」ではなく「極端な日本」の象徴としてアメリカ人に受け取られているのではないか、というのがニックさんの見方だ。

岸谷さんはこれを受けて、アメリカには人をカテゴリーで分けて理解する文化があるので、どのカテゴリーにも収まらない三島の矛盾が面白く映るのかもしれないと応じた。

ニーチェ、言葉への疑い、抑圧された男らしさ

タントリスさんは三島を「日本のニーチェ」のような存在だと言い、実際にニーチェの影響を受けていたはずだと述べた。三島の友人が、三島はニーチェの本を多く持っていたと語ったことがあるという。

タントリスさんが三島の最も重要な点として挙げたのは、言葉そのものを疑う姿勢である。タントリスさんによれば、アメリカ人はイデオロギーに支配されており、イデオロギーはアイデアや言葉で組み立てられている。そのため、三島の言葉への疑いに初めて触れた人は、イデオロギーを超えて人生そのものを経験し始められるように感じ、強い魅力を覚えるという。

もう一つは、抑圧された男らしさである。タントリスさんは、現代の若い男性は親に頼り、女性からは必要とされないと感じ、男とは何者なのかと疑っていると見る。三島は戦争に参加できなかったことに罪悪感を抱き、自分の人生や運命を経験できなかったと言い続けた。アメリカの若者も自分の人生を生きていないと感じているので、三島の本が響くのだとタントリスさんは説明した。ニックさんも、三島は病弱な子どもで、強くなりたくてもできないことが多かったと補足し、その感覚は『憂国』にも通じると話した。

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『憂国』と「美しい死」という発想

ニックさんが繰り返し取り上げたのが『憂国』である。この作品の面白さは、美しい死が命に意味を与えるという考え方にあるという。生きていて無意味さを感じる人も、死によって意味を作れる。ニックさんはこの考え方をとても日本的だと見ており、『平家物語』など日本の古典は死や切腹の描写に満ちていて、非常にグロテスクだと指摘する。キリスト教の伝統があるアメリカでは、死が美しいという考え方はあり得ず、むしろ穢れに近い。そのため欧米人には、自分たちには理解できない深い思想に見えるのだという。

ニックさんは作品の筋も紹介した。ハンサムな軍人が美しい妻と暮らしている。軍人の友人たちが政府に対して反乱を起こし、自分はやがて友人を討てと命じられるだろうと軍人は悟る。国も友人も愛しているのでどちらも選べず、死を選ぶ。夫は切腹し、妻も後を追う。血や内臓の描写は極めてグロテスクだが、死は格好よく英雄的に描かれ、悲劇としては描かれていない。これは欧米人には想像できない感覚だとニックさんは言う。一方で、三島自身の現実の死には悲劇的な面があり、そこにも作品との矛盾があると付け加えた。

タイトルについての指摘もあった。英語題は「Patriotism」、つまり愛国心だが、「憂国」には自国がどうなるかを気にかけ、不安に思うという意味がある。ニックさんは、この言葉が今の右派の人々によく響くはずだと見る。「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」も、純粋な愛国心というより、かつてのアメリカが失われつつあるという不安の表れであり、日本にも外国人問題などこれからの課題がある。だからこそ今『憂国』を読むべきだ、というのがニックさんの主張である。作品は、自分の命よりも理想を貫くことを選んだとき何が起きるかを描いた話なので、単なる愛国心の物語ではないとも強調した。

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自殺をどう見るか:日米の死生観の違い

岸谷さんが自殺はアメリカ人にとってどういうものかと尋ねると、ニックさんは「地獄に落ちる」と即答した。ただし日本には、消えゆくものが消える瞬間に最も美しくなるという「もののあはれ」があり、桜もその例である。ニックさんは、三島にとって人間の最も素敵な部分は死にあり、そこには昔からの日本人の考え方が入っていると述べ、アメリカの宗教観とはまったく違うと語った。

タントリスさんによれば、アメリカでは自殺した人について「生きる勇気がなかった」と言われ、残された家族もひどく傷つく。その一方で、今の日本人の考え方もアメリカ人とあまり変わらないのではないかと問いかけた。岸谷さんも、友人が切腹したら衝撃を受けるだろうと答えた。ニックさんは、三島が心配していたことがまさに起きた、つまり欧米の影響がそれだけ強くなったのだと受け止めた。そのうえで、自分自身もアメリカ人で現代の人間なので絶対に死にたくないと述べた。自殺した友人がいたが、そのときは怒りしか感じず、家族もいたのにと思ったという。今の日本人もおそらく同じように感じるのではないか、とニックさんは視聴者に問いを投げた。

右派も左派も読む理由と「作者と作品の分離」

岸谷さんは、三島には切腹や東大での討論のような過激派のイメージがあると率直に述べた。タントリスさんはこれを受けて、三島が欧米人だったらアメリカでここまで人気にはならなかったと考える。白人がファシズムを思わせる発言をすれば、すぐにそうした人物だと見なされる。三島は日本人であり、アメリカ人が日本をロマン化しているからこそ、右寄りで極端な部分も許されているのではないか、というのがタントリスさんの見方だ。

ニックさんの見方は逆だった。日本では、有名な俳優や歌手が特定の政党の支持を表明すると、ファンが離れることが多い。アメリカにもそういう面はあるが、作者と作品を分けて考える傾向はアメリカのほうが強いとニックさんは言う。自身も三島と同じように大江健三郎を好み、思想がまったく合わないと感じるビリー・アイリッシュも好きだという。アメリカでは左派も三島が大好きで、日本を学ぶなら右も左も必ず読まなければならない、いわばシェイクスピアのような位置にある。マルクス主義者の多いアメリカの大学教員が熱心に三島を読んでいるのが面白い、とニックさんは話した。その理由については、異国の文化という面もあるが、三島が文章の天才であることは否定できず、作品として圧倒的に優れているからだと述べた。

キャンセルされた大学時代と、三島の二つの顔

タントリスさんが三島に出会った経緯は個人的なものだった。大学4年生のとき、公の場で「白人だからといって謝る必要はない」という趣旨の発言をし、多くの人から嫌われたという。当時はポリティカル・コレクトネスにうんざりしていたと振り返る。そのとき一人だけ残った本当の友人が哲学好きで、励ましのために三島の哲学を教えてくれた。ただしその時点では著作は読んでおらず、主に三島が英語で話す映像を見て、非常に知的な人だと感じた。肉体を鍛えて人生を経験するという哲学の魅力に、初めて気づいたのもこのときだという。

タントリスさんは、日本についても、過去のことを謝り続けるより、自分の国を好きになる、少なくとも尊重するほうがコミュニティにとって健全だと個人的に考えていると述べた。

アメリカでは三島はほとんど英雄のように受け止められていて、タントリスさんは日本でも同じだと思っていた。ところが歴史に詳しい日本人の友人に三島の話をすると、「空っぽな人間だった」と言われた。日本ではむしろ悲劇的なイメージがあると知って面白いと感じ、それを題材に文章を書いたという。

三島の英語と「すべてを最大化する」生き方

岸谷さんが三島の英語について尋ねると、タントリスさんは「ほぼ完璧」と答えた。イギリスでもアメリカでもない、昔の映画で聞かれるトランスアトランティック・アクセントで、知的な人しか話さない発音だという。当時のネイティブよりもうまく話しているように聞こえ、ひたすら練習したのではないかとタントリスさんは推測する。ニックさんも、日本人の心を英語で説明するのは非常に難しいのに、三島はそれをきちんと説明していると評価した。ただし欧米人から見ると、昔の日本が失われることを恐れながら英語圏の視聴者に向けて英語で語るという点も、一つの矛盾に映るという。

タントリスさんは、三島の魅力は英語も人生も死も含めて、やることすべてを最大化した点にあると言う。極端ではあるが、自分の哲学を本当に信じていた人だった、という評価である。

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『午後の曳航』と『ファイト・クラブ』

タントリスさんは、読んだことのある『午後の曳航』の筋を詳しく紹介した。船乗りの竜二は、少年・登の母である房子と恋愛関係になる。登は初め、理想的な人生を生きる男として竜二に憧れ、自分も船乗りになりたいと思う。しかし竜二は房子と過ごすうちに夢を諦め、サラリーマンのような父親になっていく。普通なら、夢を叶えたあとに落ち着くのは悪くないと考えるところだが、登は夢を捨てた竜二を許せない。最後は仲間とともに竜二を誘い出し、昔の話を聞かせてほしいと言って殺してしまう。偉大さを保つための殺人である。タントリスさんはここから、三島の思想は「すべて全力でやらなければならない」というものだと読み取っている。

タントリスさんはこの物語を映画『ファイト・クラブ』と重ねた。主人公はアメリカのサラリーマンで、IKEAの家具集めにはまり、欲しいものはすべて持っているのに心が虚しい。アメリカ人はこの映画を見て、自分の運命や男らしさがきちんと表に出ていないことに気づくので、三島と『ファイト・クラブ』は一緒に響くのだという。物質的なものではなく、自分の運命を実際に生きることこそ道徳的な美徳だ、という感覚である。

岸谷さんは、前回の動画ではアメリカ人が諦めてしまっているという話が出たと指摘し、それと矛盾しないのかと尋ねた。タントリスさんは、自分にとって人生の意味は人とのつながりだと答えた。現代人は孤立してコミュニティを失い、実家でずっとDiscordやゲームをして過ごしている。諦めた人の中から、映画『マトリックス』のようにレッドピルを飲み、一人で理想の人生を送れるようになる人がまれに出てくる。三島や『ファイト・クラブ』を象徴的に深く読む人にとって、それらは、ニヒリズムや虚無主義に陥りがちな現代でも自分の偉大さや理想の人生を追えるのだと感じさせるものだ、というのがタントリスさんの説明である。

切腹がなくても三島は残ったか:『潮騒』とニルバーナ

岸谷さんが『仮面の告白』の極端さに触れると、ニックさんは『潮騒』はまったく普通のラブストーリーだと答えた。ニックさんは、ニルバーナのカート・コバーンのように自殺したアーティストについて、死ななければここまで有名になったのかと考えることがあるという。三島についても、切腹がなかったらどうなっていたかと思う人は多いだろう。しかし『潮騒』を読むと、切腹は関係なく、この人の文章力は大したものだと本当に思える、とニックさんは言う。ニルバーナも曲がいいので残ったはずだと付け加えた。

岸谷さんはニルバーナが一番好きだと明かし、相手の期待に合わせて好かれるくらいなら嫌われたほうがいいというカート・コバーンの言葉に触れて、ニルバーナのおかげで自分のアイデンティティを見つけたかもしれないと話した。タントリスさんは別の見方を示し、コバーンがもし生きていれば、ニルバーナはサウンドガーデンなど90年代の他の大きなバンドと同じような位置づけだったかもしれず、ピークでの死が伝説を作ったと述べた。ニックさんは、日本には歴史的に若くして死ぬことを重んじる面があり、特攻隊も桜にたとえられ、20歳前後の大学生たちが出撃していったと話した。

作家と作品の距離:村上春樹との比較

ニックさんは村上春樹も好きだが、村上は作品から離れている感じがすると言う。登場人物に自分を投影してはいても、三島のように作品と一体ではない。三島は「クレイジーな人について書いている」のではなく「自分がクレイジーだからクレイジーな人を書いている」のであり、悪口ではなく、それほどリアルだということだという。岸谷さんが、村上作品には「村上春樹はこうなりたかったんだな」と感じる部分があると言うと、ニックさんは「三島は最終的に本当にそうなった」と応じた。当時の日本人が三島の死をどう受け止めたのかをとても知りたいとも話し、おそらく「すごい」ではなく「怖い」という反応だったのではないかと推測した。

岸谷さんは、レディオヘッドは恋人に振られた瞬間に、村上春樹は14歳ではわからず20歳ごろに理解できたという自身の経験を挙げ、三島は一読でわかるものかと尋ねた。タントリスさんは、最初に読んだ『太陽と鉄』は三島が自分の哲学を直接書いているので、最初のページからわかったと答えた。ただし他の作品は難しいという。ニックさんは、三島は紛らわしい書き方をせず、『憂国』も深い意味を考える必要はあるが、筋は最初から最後までわかりやすいと述べた。

アメリカで読まれている日本文学

アメリカで今読まれている日本の作家として、村上春樹のほかに柚木麻子の『BUTTER』の名前が挙がった。ニックさんはこれをフェミニズム的な話だと説明した。タントリスさんは英語版を半分ほど読んだところで、三島を学び直したくなって中断したという。英語版はよく書かれていて、読者はこれが現代日本なのだと自然に受け取るだろうとタントリスさんは見る。アメリカではフェミニズムやリベラルな話は普通なので、向こうのほうがかえって読みやすいかもしれない、とも話した。

ニックさんが強く薦めたのは安部公房の『砂の女』である。ユーモアがありながら非常にブラックで、日本社会に鋭く切り込んでおり、読み終えると腹が立つところもあれば笑ってしまうところもある、深い作品だという。映画版も名作だと付け加えた。『女面』も面白いと挙げ、上智大学に留学した最初の秋に、こうした不気味な日本文学を初めて読んだのがいい思い出だと語った。

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三島の懸念は現実になったのか

最後に岸谷さんは、三島から現代人は何を学ぶべきかと問うた。ニックさんは、三島が心配した伝統的な日本の消失は本当に起きたと答えた。欧米の影響は非常に大きく、今は観光客向けにロマン化した日本文化を日本人自身が提供している。「日本っぽい」ものではあっても伝統的ではなく、侍バーのような観光客向けの店を見ると切なくなるという。京都は日本人より外国人のほうが多いように感じるとも話した。日本人の考え方も欧米化し、個人主義的になったと見ている。

タントリスさんも、英会話学校で教えていたころ、生徒たちから「今の若者は個人主義だが、昔はみんなお互いのことをもっと考えていた」とよく聞いたと振り返り、それが日本人にとって一番の変化かもしれないと述べた。ただし、まだアメリカのようにはなっていないとも付け加えた。

それが良くない方向なのかと問われると、ニックさんは、良いか悪いかはわからないと答えた。そのうえで、今戦争になって特攻隊を作ると言っても日本は絶対にそうならないし、「行きます」と言う人もいないだろうと述べた。最も単純に言えば武士のマインドがなくなった、というのがニックさんの表現である。昔の日本人は怖いほど強く、小さな島国で内戦を続け、ロシアに勝ち、第二次世界大戦では世界を相手に戦った。自分でもロマン化していると認めつつ、今では考えられないことだと語った。さらに、日本はアメリカに頼りすぎではないかと問題提起した。岸谷さんが「それはあなたたちがしたことでは」と返すと、ニックさんはそれを認めたうえで、アメリカ人が日本でこう言うのは珍しいだろうと話した。

タントリスさんは、昔は男らしさがもっと強く、現代人はそれが欠けていると感じているので、文学を通じて取り戻せるのではないかと見る。岸谷さんは、武士道のイメージに対して、働き方やハラスメント、リベラルといった考え方、個人主義は欧米的なものだと整理し、三島のような作品を通じて日本古来の考え方を学べるのかもしれないとまとめた。

ニーチェから入るか、『潮騒』から入るか

タントリスさんは、自分は日本人のレンズで三島を見てこなかったと述べたうえで、初めて読む人は、三島にとってのヒーローだったニーチェを先に読み、盤石な土台を作ってから三島に入ると哲学がわかりやすいと勧めた。ニックさんは、ニーチェは「運命愛(アモール・ファティ)」として生に集中したのに対し、三島は死に集中した、その違いについて文学の専門家の意見を聞いてみたいと話した。この問いは対談の中では答えが出ないまま残った。

ニックさんは、今のメディアのコンテンツはゴミだと思っており、知識を得られる媒体はまだ本だけだと語る。三島は日本にとって重要な人物なので読む価値があり、特に『潮騒』を読めば日本を好きになるはずだという。ニックさん自身、あれを読んで日本に住んでよかったと思ったそうだ。愛国心についての本ではなく、ただのラブストーリーだが、日本が美しく描かれているという。読む順番として、『潮騒』、次に『午後の曳航』、最後に『太陽と鉄』という流れも提案され、岸谷さんは三島を読んでおけばよかったと述べて対談を締めくくった。