南海トラフで想定死者30万人、どうすれば減らせるのか 平田直氏に聞く臨時情報・津波避難・耐震基準・ライフライン

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概要

ReHacQのこの回では、俳優の東出昌大さんが聞き手を務め、政府地震調査委員会の前委員長で東京大学名誉教授の平田直氏に、南海トラフ地震と防災について話を聞いた。問いの中心は、南海トラフ地震が起きたらどれほどの被害が想定されるのか、そして一人ひとりが何をすれば命を守れるのかである。平田氏の立場ははっきりしている。地震の発生を日時まで予知することはできない。しかし津波からは逃げることで、揺れからは建物の耐震化で、被害を大きく減らせる。本稿では平田氏の説明を論点ごとに整理する。

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地震・地震動・震災を分けて考える

平田氏は被害想定の話に入る前に、「地震とは何か」から説明を始めた。日本では古くから地震が歴史の記録に残されてきた。昔の人は地下の魔物が暴れて地面が揺れ、家が壊れて被害が出るという現象全体を「地震(なゐふる)」と呼んでいた。「なゐ」は土地、「ふる」は震えることを指す。これに対して現在の地震学では、地下の岩石に強い力が加わって破壊される物理現象を「地震」と呼ぶ。

岩石がずれるように動くと周囲に力が加わり、地震の波が発生する。その波が遠くまで伝わって地面を揺らす。建物がその揺れに耐える力を持っていなければ壊れ、中にいる人がけがをしたり亡くなったりする。平田氏は、地下の物理現象である「地震」、それによる地面の揺れである「地震動」、そこから生じる社会経済的な被害である「震災」の三つを分けて考える必要があると述べた。

地震学が考えるべきことは二つあるという。一つは岩石を壊す力がどこから来るのか。もう一つは、同じ力がかかっても壊れる場所と壊れない場所があるので、弱い場所がどこにあるのかである。力の大元は地球の重力だが、重力は全方向から均等にかかっているので、それだけでは岩石は壊れない。バランスを崩す水平方向の力が強くなったときに破壊が起きる。

その水平方向の力を生むのがプレートである。厚さ100km程度のプレートが地球を覆っている。日本の東側には地球上で最大の太平洋プレート、南側にはフィリピン海プレートという海のプレートがある。東北日本はカナダやアメリカにつながる北米プレート、西南日本はユーラシアにつながるユーラシアプレートの上にある。この4枚が違う方向に違う速さで動いているため力が加わり、それが地震の源になる。15年前の東北地方太平洋沖地震は、太平洋プレートが日本の下に沈み込むことで起きた。南海トラフ地震は、フィリピン海プレートが南海トラフから西南日本の下に沈み込むことで起きる巨大地震である。平田氏によれば、東北で起きたマグニチュード9のような巨大地震は南海トラフでも過去に繰り返し起きてきたことが分かっている。そして、それが今日や明日にでも起きる可能性があるという。

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想定死者約30万人、その7割は津波による

東出さんは、阪神・淡路大震災で倒壊した建物の間を原付で走る若者の映像や、倒れた高速道路の橋脚、東日本大震災の津波で何もなくなった街の映像が記憶に刻まれていると話した。そのうえで、東海道新幹線が通る地域全体に揺れや津波が及ぶとされる南海トラフ地震の被害規模を尋ねた。

平田氏によれば、被害想定をまとめているのは現在は内閣府の防災担当と中央防災会議で、間もなくできる防災庁が今後は評価を担うことになる。最新の被害想定では、最悪の場合に29万8000人、約30万人が亡くなる。そのおよそ4分の3、7割程度が津波による死者で、後の説明では21万5000人という数字が示された。平田氏は、東日本大震災の死者・行方不明者の10倍の人が津波で亡くなる可能性があると国は考え、対策を取ろうとしていると説明した。

残りの約4分の1は少なく見えるが、全体が30万人なので、揺れによる建物倒壊で亡くなる人は7万人以上になる。平田氏は、これは東日本大震災全体の死者の2倍、3倍にあたると述べた。

能登半島地震でも、直後の犠牲者の多くは家の倒壊によるものだった

平田氏は、家が潰れることの危険を最近の地震の例で説明した。能登半島地震、10年前の熊本地震、そして平田氏が言及した今年4月28日の熊本の地震でも、多くの家が潰れて大勢が亡くなったという。

能登半島地震では、災害関連死を含めて700人近くが犠牲になっている。そのうち地震の直後に直接亡くなったのは約200人である。輪島の朝市周辺で火災が起き、その様子は広く報道された。しかし平田氏によれば、地震から数時間、あるいは15分ほどの間に家が潰れて亡くなった人が約200人いて、直後の犠牲者のほとんどは家の倒壊によるものだった。火災で亡くなった人もゼロではないが、多くは倒壊によるものだと分かっているという。

東出さんが災害関連死の意味を尋ねると、平田氏は「地震がなければ失われなかった命すべて」と答えた。たとえば持病があって医療や介護を受けていた高齢者が、地震のために適切な医療や介護を受けられなくなって亡くなる場合である。遺族が自治体に届け出ると、直接死と同じように行政的に扱われる。統計上は直接死と特に区別せず、合わせて何人亡くなったかが集計されるという。

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「巨大地震注意」は何を意味していたのか

東出さんは次に、昨年8月に国が南海トラフ地震の発生確率が高まったと発表し、買いだめに走る人も出た件について、その発表の意図を尋ねた。

平田氏はまず、現在の地震学では「3日後」「1週間後」のように時間を指定して地震の発生を予知することはできないと述べた。平田氏自身はかつて予知の研究をしていた。実験室で岩石に力を加え、あと10秒後、あと5分後に壊れると予測することはできる。しかし実際に地震が起きる野外は構造も力のかかり方も岩石の硬さも複雑なので、防災に役立つ予測は出せないという。

それでも南海トラフで特別な情報が出されるのは、マグニチュード8級の巨大地震が起きる場所で事前にマグニチュード7程度の地震が起きると、その後に巨大地震が起きる可能性が高まる例が多いからである。平田氏が最も重要な例として挙げたのが2011年だ。3月11日のマグニチュード9の地震の2日前、3月9日に宮城県沖でマグニチュード7.3の地震が起きていた。その後、ほぼ同じ場所で破壊が始まってマグニチュード9の地震になった。

3月9日の時点では、平田氏自身を含むほとんどの地震学者が、2日後にマグニチュード9が来るとは思えなかったという。平田氏は、そう予想していた人がいた可能性は否定しなかった。ただ、少なくとも公にそうした情報はなく、気象庁や中央防災会議、県の防災担当からも出なかった。理由として平田氏は二点を挙げた。気象庁が約150年前に観測を始めて以来、日本でマグニチュード9の地震は一度も観測されていなかったこと。そして東北の太平洋側ではマグニチュード7や8を超える地震がときどき起きていたので、7.3の地震は普段よく起きる地震だと受け止められたことである。

しかし今はそれが起こり得ると知っているので、無視するわけにはいかない。世界中の似た環境、つまりマグニチュード8級が起きると考えられる場所でマグニチュード7級が先に起き、その後1週間以内に8級が起きた例を調べると、およそ100回に1回だった。これが「1週間以内に1%の確率で巨大地震が起きる」という、科学的なエビデンスに基づく評価である。

平田氏は、この1%の扱いが難しいと述べた。雨の確率が1%なら傘は持っていかない。しかし卒業式や入学式に一張羅を着ていくなら持っていくかもしれない。一方で「この飛行機は1%の確率で落ちるが、今日は安くしておく」と言われて切符を買う人はほとんどいないだろう。気象庁はまず事実として1%という評価を示し、それを受けて内閣府が「日頃からの地震への備えを再確認してください」と呼びかけた。平田氏によれば、備えが何かを知っている人は頭の中で再確認するだけでよかった。しかし分かっていない人が、慌ててコンビニに水やおにぎりを買いに行ったのだという。

さらに一段強い「巨大地震警戒」と事前避難対象地域

昨年出たのは「巨大地震注意」だったが、それより一段強い「巨大地震警戒」という情報もある。まだ一度も出たことはない。これは南海トラフの想定震源域でマグニチュード8以上の地震がすでに起きたときに出る。たとえば東海側でマグニチュード8.5の地震が起きて家屋倒壊や津波の被害が出ている状況で、四国側でも8.5の地震が起きる可能性があると知らせる情報である。

平田氏はその根拠として過去の事例を挙げた。南海トラフではこれまでに9回の大地震が分かっている。昭和には、第二次世界大戦が終わる前年の1944年と、終わった翌年の1946年に、2年をおいて巨大地震が2回起きた。その前の安政の時代には、東側で安政東海地震が起き、32時間後に安政南海地震が起きた。平田氏によれば、9回のうち1回か2回は1週間以内に続発しており、2年や5年といった間隔まで含めると半分以上で続発が起きていた。

巨大地震警戒が出た場合も、一般の人への呼びかけは巨大地震注意と同じ「日頃からの備えの再確認」だという。ただし、すぐに逃げられない人には直ちに避難するよう呼びかける。平田氏が象徴的な例として挙げたのは、津波が来る海岸沿いの介護施設や老人ホームである。行政的には「事前避難対象地域」があらかじめ決められている。これには一般住民を対象とする地域と、高齢者や車いすでないと移動できない人などを対象とする「高齢者等事前避難対象地域」の2種類がある。どこが該当するかは市町村が決め、ハザードマップに書かれ、市役所にも資料がある。平田氏は、原理的には住民はそれを知っているはずだが、必ずしも皆が知っているわけではないことが問題だと付け加えた。

日頃の備えで最も重要なのは「どこへ、どの経路で逃げるか」

では「日頃からの備え」とは何か。国や自治体はさまざまな項目を挙げているが、平田氏によれば一番上に書いてある最も重要なことは、津波が来たときにどこへ、どの経路で逃げるかである。

どこまで浸水するかはハザードマップで知らされており、津波の来ない高台が緊急避難場所に指定され、看板も立っている。海水浴場に行けば最寄りの避難場所が書いてある。ところが昨年の情報が出たとき、高台の避難場所への道が草ぼうぼうで通れない場所が実際にあり、市役所の職員が急いで草刈りをしたという。また34mの津波が想定されている高知県黒潮町では避難所を開設し、実際に避難した住民もいた。平田氏はこれをやりすぎではないとした。そのうえで、実際に歩いて本当に通れるか確かめることが備えを再確認する一番よい方法だと述べた。

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津波警報は2〜3分で出る、あとは逃げるしかない

平田氏がこれを重視するのは、予知はできなくても、海域で大きな地震が起きれば気象庁は2〜3分で津波警報を出す力を持っているからである。気象庁は約150年前にでき、当初から気象だけでなく地震と津波も観測してきた。最初のころは地震から警報まで20分ほどかかり、住民に届くまでには30分ほどかかっていた。その後も津波で亡くなる人が出るたびに改善され、日本海中部地震や北海道南西沖地震のあった1980年代から90年代初めには5〜10分かかっていた。それでも亡くなる人がいた。今は2〜3分で出せるようになり、能登半島地震でも津波警報は約2分で出たという。

南海トラフで津波により亡くなると想定される21万5000人を救うには、逃げるしかないと平田氏は言う。高い堤防を造ればよいように思えるが、限界がある。東京湾ではお台場や葛西臨海公園などにスーパー堤防があり、津波が入らないように造られている。東日本大震災の被災地には高い堤防が実際に造られ、原子力発電所などの重要施設には20mを超える堤防がある。しかし日本中の海岸すべてに堤防を造るのは、費用も時間もかかる。仮にできたとしても、普通の海水浴場や漁港でそれをやれば生活が成り立たない。東北では堤防に小さな窓をつくって、わざわざ海が見えるようにしている場所もあるという。

地震の2〜3分後に気象庁が警報を出し、それを受けて自治体が避難指示を出す。平田氏は、地震から5分ほどできちんと逃げれば、21万人という想定を半分以下、3分の1や4分の1程度に減らせる可能性があると述べた。

さらに、何を持って逃げるか、誰と逃げるかも重要だという。家にいる高齢者や子どもを誰が連れていくのか、祖父を誰が背負うのか、車で運ぶのかは、本来あらかじめ相談しておく必要がある。昔相談していても忘れていることもある。「津波てんでんこ」と言って各自が勝手に逃げればよいとも言われるが、平田氏はそういうわけにはいかないと述べた。取り残された人がいれば、消防団や消防署、警察、自衛隊が最後まで助けに行くため、救助する側も被害に遭うことがあるからだ。それでも、まず一人ひとりが自分はどこへ逃げるかを再確認することが最も重要だとした。

1%、10%、そして平時の0.1%

平田氏は確率を改めて整理した。マグニチュード7程度の地震が先に起きた場合、1週間以内に巨大地震が起きる確率は1%。マグニチュード8の地震が起きた場合は10%になる。平田氏は10%を「かなり高い」と表現した。10回に1回は巨大地震が来るということだが、それでも一般の人がすぐに逃げるという対応ではないと説明した。

東出さんが、よく言われる「30年以内に80%」を日割りにすると今はどのくらいかと尋ねると、平田氏は0.1%と答えた。東出さんは、以前平田氏が出演したラジオで聞いた比較を紹介した。30年以内に交通事故でけがをする確率が12%、交通事故で亡くなる確率が1%未満、火災に遭う確率が1%弱であり、それでも人々は自動車保険や火災保険に入っている。そう考えると南海トラフは非常に身近な災害だという指摘である。平田氏は、日本に住む以上は仕方がないと述べ、少なくとも交通事故や火災と同じ程度に普通に起きるものだと応じた。

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揺れには耐震基準で対応できる

津波には逃げるしかないが、揺れについて平田氏は工学的なハードで対応できると強調した。震度6弱程度の揺れで、耐震化されていない家は潰れてしまう。しかし現行の建築基準法の耐震基準を満たしている家は、命が失われるような壊れ方はしないという。

平田氏によれば、能登半島地震や熊本地震で建物の被害を建築年別に調べると、1981年より前、1981〜2000年、2000年以降の三つで差が歴然としている。2000年は木造住宅の耐震基準が大きく変わった年である。2000年基準を満たす建物の全壊率は極めて限定的で、ゼロとは言わないがごくわずかだった。一方、1981年より前のいわゆる旧耐震基準の建物は半分以上が壊れていたという。

平田氏は基準の変遷も説明した。日本中どこでも強い揺れは必ず起きるので、家を建てて売買する際には強い揺れでも壊れないことが法律で求められている。しかし100年前の1923年の関東大震災の時点では住宅の耐震基準がなく、多くの家が壊れた。このときは火災で焼けたものも多かった。1925年に初めて耐震基準ができたが、法律で強制するものなので最低限のギリギリの基準であり、その後も地震のたびに壊れる家があって基準が厳しくされていった。1978年の宮城県沖地震で家屋被害が出たことを受けて1981年に基準が強化された。その基準で建てた建物も1995年の阪神・淡路大震災で壊れたため、2000年にさらに厳しくなった。今の木造住宅は2000年基準を満たしているので、震度7でも直ちに人が亡くなるような壊れ方はしないという。

ただし、住み続けられるかどうかは別の問題である。平田氏は車の例を挙げた。正面衝突すればボンネットはぐちゃぐちゃに潰れるが、人のいる空間だけは残るように設計されている。建物も、たとえ倒れても命が失われないようにうまく壊れるのが腕の見せどころだと、建築の友人が冗談交じりに言っていたという。

阪神・淡路大震災で倒れた高速道路も、当時は橋の耐震基準が弱かったためで、現在は大きく強化されている。東出さんが首都高も大丈夫かと尋ねると、平田氏は大丈夫だと答えた。今年の熊本の地震では高速道路がずれたが、落ちても倒れてもおらず、引き上げてすぐに復旧できたという。何も対策していなければ倒れるか落ちていただろうと平田氏は述べた。ただし、1981年より前に建てられた「既存不適格」の建物は、建てた当時の法律に合格していれば売買できるため、今も数多く残っている。平田氏はそこが問題だと指摘した。

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生き延びた後の都市はどうなるのか

後半、東出さんは率直な疑問を投げかけた。東京、大阪、名古屋に住む若者は、体が元気で津波も来ないし、新しいデパートにいれば潰されないだろうと考えがちだ。平田氏の著書『地震を知って震災に備える』には、公的な救助は行方不明者の捜索にあたるため、最初の72時間は自力で命を確保せよと書かれている。しかしその後、水道や電気が止まったら、生き残った人はどうするのか。

平田氏はまず、南海トラフで大きな被害が出るのは関東なら神奈川県西部あたりから西、鹿児島までの範囲だと整理した。日本列島の西半分で、関東はちょうど境目にあたる。東京は15年前の東日本大震災で震度5強程度だったが、基本的に被災はしておらず、家は壊れなかった。例外的に壊れた建物もあったが、それは耐震化されていなかったものだという。それでも地下鉄や山手線などの公共交通が止まり、道路に人があふれた。

一方、名古屋や大阪は実際に被災し、電気や水などのライフラインが途絶する可能性がある。都市の暮らしは電気がないと成り立たない。水については飲み水とトイレが問題になる。都市のトイレはすべて水洗なので、上下水道が壊れていなくても、マンションの上層階では停電すると水をくみ上げられず、水洗トイレが使えなくなる。耐震化された新しい高層ビルや高層マンションでも、建物自体は無事でも電気が止まればエレベーターは動かない。

東出さんが電気はかなりの確率で止まるのかと聞くと、平田氏は止まると答えた。電柱が倒れて電線が切れることと、発電所が被災して電力を供給できなくなることの両方によって、必要量の半分ほどしか供給できなくなる。家庭も事業所も半分程度が停電し、最悪で1週間近く続くという。病院や警察は電気がないと困るため、自家発電を使うか、電力会社が最優先で供給しようとするだろう。その分、一般のマンションは後回しにされる可能性が高い。結果として、エレベーターも水もトイレも使えなくなる事態があり得ると平田氏は述べた。

断水は水道管の耐震化率しだい

断水の可能性について、平田氏は場所によって大きく異なると答えた。水道管は古いものが多い。能登半島や熊本では、水道管の耐震化率が5%程度しかない町がいくつかあったという。一方、東日本大震災当時の仙台市の水道の耐震化率は7〜8割と非常に高かった。宮城県沖でマグニチュード7.5程度の地震が近いうちに起きる可能性が高いという評価が出ていたため、仙台市はライフラインの強化を進めていたのだという。特に人口の少ない地方の自治体では古い水道管が残り、使えなくなってしまう。

平田氏は、上水道がだめでも井戸水が使えればよいと述べた。熊本は地下水が豊富で、上水道と地下水の両方を使い、ろ過して衛生的に問題のない水をつくっている病院もある。一般の場所でも上水道だけでなく地下水を使うのはよいことだと平田氏は考えている。ただ、大阪、名古屋、東京でも水道がすぐ使えるとは限らず、生き残ったとしても暮らしは非常に難しくなるという。

72時間と「帰宅しない」ことの意味

最後に平田氏は72時間の話に戻った。家の下敷きになった人の生存率は、72時間を超えると急速に下がる。だから3日以内に助け出すことが非常に重要で、そのためには緊急車両が道路を通れなければならない。東京都は首都直下地震などの際、大規模事業所や学校に対して、その場にとどまるよう求めている。

ところが2011年3月11日には、皆が家に帰ろうとし、千葉から東京へ向かう京葉道路などが大渋滞した。なぜ皆が家に帰ろうとするのか。平田氏の答えは、自宅にいる子どもや高齢者が心配だからというものだった。収録された字幕はこの説明の途中で終わっており、その先の議論はここでは確認できない。