富士の樹海に入ると何が起きるのか:青木ヶ原樹海の成り立ちと、人が迷う理由

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概要

青木ヶ原樹海には、コンパスも携帯電話も役に立たず、一度入ると二度と出られないという、呪われた場所のようなイメージがつきまとう。この動画は、実際に青木ヶ原樹海へ足を踏み入れると何を経験するのか、生きて外に戻れるのかを問う。語り手の答えは、遊歩道を歩くだけなら危険はほとんどないというものだ。ただし道を外れた途端に、人間の方向感覚の弱さと恐怖による判断の乱れがはっきり表れる場所でもある、と説明する。

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溶岩の上に生まれた森

青木ヶ原樹海は富士山の北西に位置し、およそ30平方キロメートルにわたって広がる森林である。「樹海」という名の由来には複数の説があるが、一般的には上から見下ろした姿に由来すると考えられているという。青々と生い茂る木々が絨毯のように広がり、風が吹くと森が揺れて、海が波打っているように見える。そこから樹海と名付けられたとされる。

この森の誕生には富士山の噴火が深く関わっている。もともとこの場所には「剗の海(せのうみ)」と呼ばれる大きな湖があった。864年に始まった貞観の大噴火で溶岩流が流れ込み、湖は溶岩に覆い尽くされた。剗の海の名残は、現在の精進湖と西湖に見ることができる。

溶岩に埋まった大地にも、やがて生命が戻ってくる。最初に広がったのは、厳しい環境でも生き延びられる「パイオニア植物」で、その後に樹木が育つようになったと考えられている。ただし硬い溶岩には根を張れない。そのため1000年以上が経った現在でも、ヒノキやツガなどの根が地表に露出している。場所によっては、根が波のようにうねる光景も見られるという。

「自殺の名所」というイメージの由来

幻想的な空間である一方、多くの人は青木ヶ原樹海に良い印象を持っていない、と語り手は言う。自らの人生を終わらせるためにこの地を訪れる人が後を絶たないからだ。そのきっかけは、1960年頃に発表された松本清張の小説『波の塔』だとされる。主人公が最終的に樹海で命を絶つという結末が大きな反響を呼び、それ以降、同じことをしようとする人が増えたという。

近年は、後を追う人をこれ以上増やさないために、青木ヶ原で遭難したり自ら命を絶ったりした人の正確な人数を公式には発表していない。また地域の自治体は、悲惨な結末を防ぐために、訪れる人への声かけや聞き取りを行っている。動画によれば、2020年度には346人に声かけを行い、保護された人もいたようだ。

遊歩道を歩くだけなら危険はない

では、樹海に一度入ったら二度と出られないのか。語り手の答えは「全くそんなことはない」である。樹海の一部には観光客向けの遊歩道が整備されており、近くまで車やバスで行くことができる。日常的に人の往来があり、恐ろしさとは無縁だという。

遊歩道から見えるのは、苔やシダが生い茂る地面と、頭上を覆う木々のあいだから差し込むわずかな木漏れ日である。語り手はこれを幻想的な空間と表現する。「幽霊」とも呼ばれるギンリョウソウなどの動植物に出会えるかもしれない、とも紹介している。

樹海は溶岩洞穴でも知られる。かつての噴火で流れ出た粘り気の少ない溶岩は、流れる途中で表面から先に冷えて固まる。一方で内部の溶岩はそのまま流れ続け、中の溶岩だけが流れ去ると空洞が残る。これが洞穴になることがある。その中でも最大級とされるのが富岳風穴だ。総延長201メートルで、夏でもひんやりと涼しく、平均気温は3度。富士山周辺を代表する観光地として多くの観光客が訪れている。観光で訪れるだけなら危険なことは特になく、大自然の営みを感じられる場所だというのが語り手の説明である。

遊歩道を外れると見える、もう一つの顔

しかし遊歩道から外れて道なき道を歩き始めると、樹海は別の顔を見せる。木々が鬱蒼と茂り、地上にはわずかな光しか届かない。地面は苔やシダに覆われ、足の踏み場もないほどの溶岩の上を、木の根がのたうち回るように伸びている。凹凸の激しい地面では急に歩きにくくなり、少しの距離を進むだけでも四苦八苦することになる。

遊歩道から少し離れただけで、森に囲まれたように感じる。360度見渡す限り同じような森が広がり、太陽を手がかりにしようとしても木々に遮られて正確な方向をつかめない。引き返そうとしても、自分がどちらから来たのか分からなくなる。実際に2025年には、キノコ狩りをしていた男性がわずか10分ほどで樹海の中で道に迷い、警察に救助される事案が起きている。

人は目印がなければまっすぐ歩けない

なぜこうしたことが起きるのか。語り手は、人間は基準となる目印がなければ、思っているほどまっすぐ歩けないのだと説明し、2009年に発表された研究を紹介する。この研究では、ドイツの森やサハラ砂漠で被験者を歩かせた。太陽や月が見えている場合、被験者は比較的まっすぐ進むことができた。ところが曇りの日や目隠しをした条件では、本人は直進しているつもりでも、実際には同じ場所をぐるぐる回り始めた。

その軌道はきれいな円になるわけでもなかったという。多くの場合、被験者は直径20メートルにも満たない範囲で不規則に進路を変えた。外部の手がかりが全くない状況では、出発点から平均して100メートルも離れられなかった。つまり人間の感覚運動の仕組みは、目印なしで正確に直進できるようにはできていない、というのが研究から導かれる結論として紹介されている。

語り手によれば、青木ヶ原樹海はこの弱点がとりわけ出やすい環境である。茂った木々が太陽の位置を隠し、遠くの建物も見えにくく、場所によっては富士山さえ簡単には確認できない。さらに木の根や溶岩の凹凸を越えるたびに体のバランスがわずかに崩れ、方向感覚も少しずつずれていく。遊歩道から離れるほど、自分がどこから来たのか分からなくなっていくのだという。

コンパスが狂う、電波が届かない、は誇張

一方で語り手は、よく語られる話の中には誤解もあると指摘する。その代表が「樹海ではコンパスがぐるぐる回って使い物にならない」という話だ。実際には、コンパスを正しく持てば方角は十分に確認できるという。地面をつくる溶岩には磁鉄鉱のような磁性を持つ鉱物が含まれているため、溶岩にコンパスを近づければ針が影響を受けることはある。とはいえ、樹海全体で常にコンパスが狂い続けるわけではない。「コンパスが全く使えない」というのは迷信だ、と語り手は述べる。

携帯電話の電波やGPSについても、同じように誇張されたイメージがあるという。過去には電波の届きにくい場所もあったようだが、近年は基地局の整備が進み、以前ほど深刻ではない。適切な準備をしていれば、樹海に入った瞬間に完全に孤立するわけではない、というのが動画の説明である。

本当に怖いのはパニックによる判断の乱れ

それでも遭難が危険なのは、人間が冷静さを失うからだと語り手は言う。パニックに陥った人は、普段なら考えられない行動を取ることがある。森林での遭難では、救助隊のすぐ近くを通っても気づかなかったり、ひどい場合には救助を避けるような動きを見せたりすることさえあるという。理屈では不合理に見えても、恐怖に支配された人間はそれほど簡単に正常な判断を保てない。語り手は、樹海の怖さの本質はこの心理状態にあるとまとめる。

遺体より現実的なリスクは野生動物

樹海で他に恐れるべきものとして、多くの人がまず思い浮かべるのは遺体を見つけてしまうことかもしれない。語り手はその可能性をゼロではないとしつつ、一度入っただけで遭遇するほど頻繁なものでもないと述べる。前述のように継続的な声かけや捜索も行われており、樹海全体がそうした場所で埋め尽くされているわけではないという。

むしろ現実的に注意すべきなのは野生動物だと語り手は指摘する。周辺ではツキノワグマの出没が確認されており、シカが猛スピードで森を駆け抜けることもあるという。これらは超常現象ではなく、自然の中に踏み込んだ人間が向き合うべき現実的なリスクだと位置づけている。

結論:樹海が突きつけるのは人間の弱さ

動画の結論は、青木ヶ原樹海は遊歩道を外れず、適切な準備をしていれば自然を楽しめる場所だということだ。ただし一歩道を誤れば、人間がいかに簡単に方向感覚を失い、恐怖に支配されるのかを思い知らされる場所でもある。語り手は、樹海の恐ろしさは得体の知れない何かではなく、自然の中で人間の弱さがむき出しになることだと述べる。

さらに語り手は、青木ヶ原樹海が恐怖の対象としてセンセーショナルに語られてきた面もあると認める。そのうえで、本来この場所は噴火による溶岩流がすべてを覆ったあと、長い時間をかけて再び生命が根付いた、生命力の象徴ともいえる場所だと語る。1000年以上にわたって命を育んできた静かな森を訪れるなら、遊歩道から外れず、足元に積み重なった長い命の歴史に少しだけ思いを向けてほしい、と締めくくっている。