遺体は何を語るのか:法医学者・岩瀬博太郎が語る死後の変化、見逃される死因、死因究明制度の限界

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概要

人は死ぬと体に何が起こるのか。遺体に残るわずかな痕跡から、何が分かり、何が見逃されてきたのか。千葉大学大学院医学研究院法医学教室の教授で、30年以上遺体の解剖に携わってきた岩瀬博太郎が、死後変化の実際、印象に残る事件、地下鉄サリン事件と東日本大震災での経験、そして日本の死因究明制度への強い問題意識を語った。

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死の瞬間は厳密には決めにくい

医学的には、瞳孔散大、心停止、呼吸停止の3つがそろったことをもって死亡を宣告する。ただし岩瀬によれば、人が「どの瞬間に」亡くなったのかを厳密に決めるのは実は難しい。心臓は止まるといっても一度に止まりきるわけではなく、痙攣するようにしばらくピクピクと動き続けることがあるからだ。

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死後、体に現れる変化

死後の体には時間の経過に応じた変化が現れる。岩瀬の説明では、1時間ほどで死斑が出始める。血液が重力に引かれて下側に集まるため、仰向けであれば背中側が赤みを帯びる。体温も1時間でおおよそ0.5〜1度下がる。12時間ほど経つと死後の変化がかなりそろってくる。体が硬くなって動かなくなる死体硬直や、黒目の部分が白っぽくなる角膜の混濁が見られるようになる。

1日ほど経つと硬直は全身に及ぶ。岩瀬はその硬さについて、頭と足をそれぞれ椅子に載せても体が曲がらず、まっすぐな状態のまま支えられるほどだと表現する。

硬直と並行して、腐敗は死亡直後から始まっている。水中でも土中でもない、家の中などで見つかる「地上死体」の場合、腐敗臭は相当きつく、岩瀬はそれを強烈なブルーチーズのような匂いだと言う。体中に腐敗ガスがたまり、腹部に溜まればパンパンに膨れる。尿は膀胱から押し出され、血管内にもガスがたまって水分が外へ染み出し、拡散していく。そのため腐敗した遺体には血液や尿が残っていないのが普通だという。夏なら1日ほどで血液や尿がなくなっている遺体もあるが、秋なら2〜3日は血液が残っていることが多いと岩瀬は話す。

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溺死、焼死、そして放射線による死

水中で亡くなった遺体について、岩瀬は、多くは水を吸って肺の空気が減るため最初は沈み、その後腐敗してガスがたまると浮いてくることが多いと説明する。最初から浮いている場合もなくはない。水が喉から気道に入り、むせる反射を起こしながら意識を失っていくため、溺死は相当苦しい死に方だろうと岩瀬は考えている。一方で焼死も嫌な死に方であり、どれも嫌な死に方だと語る。

岩瀬は放射線で亡くなった人の遺体を遠目に見たこともある。1999年、茨城県東海村のウラン加工施設で起きたJCO臨界事故では、作業員3人が大量の放射線を浴び、うち2人が亡くなった。茨城県の事案なので本来は筑波大学で解剖すべきところを、なぜか東大の病理解剖室で筑波大の教授と東大の病理の医師が共同で解剖するという異例の形になり、当時東大法医学教室にいた岩瀬はそれを遠巻きに見たという。皮膚はかなりただれたような状態だった。火傷なら最初から火傷の状態になっているが、放射線障害は最初は何の変化もないところから、あちこちに障害が広がっていく。その意味で不気味だと岩瀬は述べた。

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約3000体を解剖してきた経験

岩瀬が自ら解剖した遺体は、法医学に携わった30年以上でおそらく3000体ほど、同僚を指導する立場で関わったものを含めると9000体ほどになるという。解剖台の上の遺体に対しては、見たことのない人に比べれば冷静でいられるという意味で慣れている。

ただし、その慣れは解剖台の上に限られるという。解剖台に載っていれば仕事モードに入れるが、飛び降り自殺した人が転がっていたり、トイレで首を吊っていたりと、それ以外の場所で遺体に出くわすと自分も素人に戻り、強い不気味さを感じると岩瀬は話す。

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体に残る生前の痕跡

遺体からは、その人がどう生きてきたかが読み取れることもある。単純な例では入れ墨だ。フルカラーで最後まで彫り上げている人もいれば、色を入れていない人も多い。後者を見ると、途中でお金がなくなったのか、何かして組から追い出されたのかと想像することがあると岩瀬は言う。

臓器にも生活は表れる。血管がツルツルしていて腎臓が大きめなら、よく酒を飲む人かと考える。肺がきれいなら田舎に住んでいた人かと思う。喫煙者や東京など都会に住んでいた人の肺はたいてい黒いという。岩瀬は東京で法医学を始めてから千葉に移ったが、そのとき千葉県の人の肺は東京よりきれいだと感じたと振り返る。ただし最近は車の性能も上がっているので分からない、とも付け加えた。肝硬変は、表面がデコボコになる形で明らかに分かり、アルコール性のものはやや黄色みを帯びるという。

覚醒剤については、日本ではなぜか昔から安定して使われているという印象を岩瀬は持っている。検死時の体温がかなり高い、錯乱状態で暴れて体中が傷だらけになっている、痩せていることが多い、といった特徴があるという。

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ネット時代の死と「迷惑な死に方」

昔と比べて、若い人がオーバードーズで亡くなるケースが増えたと岩瀬は感じている。インターネットで知り合って「一緒に死にましょう」と、2〜3人が同じ部屋でオーバードーズや一酸化炭素中毒で亡くなる例も、今の時代らしい死に方だと話す。自殺者の解剖は多く、そのたびに何とかできなかったのかと思うという。

岩瀬は、人に迷惑をかける死に方も多いと指摘する。硫化水素自殺が流行した際、風呂場の入り口に「危険」と表示してマニュアル通りに行う人は多かった。しかし硫化水素は空気より重く下へ流れるため、下の階の住人は大丈夫なのかと岩瀬は問う。若い命を絶つのはやめてほしいと常々思っていると語った。

首のない焼死体と、警察の「首絞め」への先入観

遺体の痕跡は、事件の真相を明らかにすることもある。岩瀬がかつて解剖したのは、江戸川のほとりで黒焦げに焼かれ、首から上をのこぎりで切断された女性の遺体だった。証拠隠滅のために焼かれたことは明らかだった。解剖すると気管の中にすすが入っていなかったため、生きたまま焼かれたのではなく死後に焼かれたと分かった。さらに切断面が焦げていなかったことから、焼いた後に首を切ったと判断できた。

警察は殺人事件として動き始め、当初は首を絞めて殺したのではないかと疑った。岩瀬は「首絞めじゃないんですか」と繰り返し問われ、強いストレスを感じたという。最終的に1〜2か月後に頭部が見つかり、頭蓋骨が割れていた。犯人も逮捕され、バットのようなもので頭を殴って殺害したことが分かった。

岩瀬によれば、刺し傷など致死的な外傷がない場合、警察は首絞めにしたがる傾向がある。傷を残さない殺し方として一番手っ取り早いのが首絞めだからだ。死因が特定できないとき、捜査上の都合と法医学の判断が合わないことが時々ある。岩瀬は、先入観で動くと後で取り返しのつかない事態になりうると警告する。

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解剖の手順と所要時間

解剖では、まず遺体の外表の所見を記録する。身長、体重、栄養状態に加え、死斑、死体硬直、直腸温を記録し、全身の傷やあざを一つずつ確認する。その後、頭部、胸部、腹部を開いて臓器を取り出し、重さを測って病気や損傷を調べる。

岩瀬によれば、腐敗していない遺体でも少なくとも2時間はかかる。傷が多いと時間はさらに延び、交通事故なら5時間、めった刺しなら12時間かかることもある。刺し傷の長さを一つずつ測って写真を撮り、それぞれの傷がどの方向に刺さり、どの臓器を傷つけているかを追いかけるためだ。

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「イノシシに殺された」とされた遺体

丹念な解剖が現場の見立てを覆した例として、岩瀬は千葉県内の山中で見つかった遺体を挙げた。千葉大学から最も遠い警察署の管内の事案だった。岩瀬は、解剖する場所から遠いほど解剖率が下がることが国際的に言われていると説明し、遺体を運ぶのが大変なことがその背景にあると話す。

家族が帰ってこないため森を捜索したところ、高齢女性の遺体が見つかった。腕にはイノシシがかじったような穴が開いており、所轄はイノシシに噛まれて死んだと本部に報告した。しかし、イノシシがどうやって人を殺せるのか理解できないとして、本部の検視官が現場に向かったが死因が分からず、解剖することになった。すると頭から散弾が出てきた。捜査の結果、イノシシの駆除に来ていた猟師が物音に反応して振り向きざまに発砲し、女性を撃っていたことが分かった。相手が人だと気づいた猟師は、その場から逃げていた。

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病院の診断で見逃される殺人

逆に、病死と思われた遺体に事件が隠れていることもある。歩道で人が倒れていると救急隊が呼ばれ、搬送中に心肺停止となった。病院でCTを撮るとくも膜下出血が見つかり、医師は病死と判断した。しかしこのケースでは一部始終を見ていた人がいて、救急隊に「この人は顔を殴られた後、ずっと倒れている」と伝えた。救急隊から警察に通報が行ったため、見逃しは起きなかった。

岩瀬は、本来は病院が気づくべきことだが、病院はくも膜下出血を見つけると病死にしてしまいがちだと話す。そのため、病院の診断で見逃されている殺人も結構あるのではないかと推測する。薬物を盛られた場合も病院には分からない。死因が分からないものは警察が解剖する方向に変えていかなければ、犯罪が見逃されうる。そのためには、法医学者が解剖できる環境を国が整える必要があると岩瀬は主張した。

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地下鉄サリン事件:薬物を何も検査できなかった現場

1995年3月20日の地下鉄サリン事件のとき、岩瀬は28歳で、東大法医学教室に所属する法医学者になって数年目だった。事件は出勤の最中か直前に起き、職場に着くと教室員がテレビをつけて大騒ぎしていた。当初は爆破テロのような報道だったが、やがてサリン検出の報道が出て、翌日には遺体が運び込まれ解剖することになった。岩瀬はサリンという毒ガスの存在すら知らず、そこから調べたという。

解剖室には大勢の警察官がいて、臓器からサリンを検出するためと思われる科学警察研究所の職員や東京地検の検事も待ち構えていた。現場で遺体に近づいた警察官が目の前が真っ暗になって倒れたという情報も事前に入っていた。遺体の服は脱がせてあったものの、肺の中にサリンが大量に残っていたら危ないのではないかと思いながらの解剖だった。当時の恩師である高取教授が執刀し、岩瀬は補助に入った。教授が肺につながる気管のあたりを開けたときは、何か出てきたらどうしようとかなり緊張したと振り返る。

ただ、解剖所見だけではサリン中毒と断定できない。警察はサリンによる死と言ってほしい。そんな中、ある大学の教授が「自分ならサリンと診断できる」と話しているらしいと聞こえてきた。その方法は顕微鏡で神経を見るというものだったが、岩瀬によれば、サリンによる急性期の死ではそのような診断は絶対にできないという。高取教授はそれ以外の方法で意地を見せなければと考えたのだろう、と岩瀬は推測する。そして、物質としてのサリンやその代謝物を実際に検出する方法の開発から始めた。その後、被害者の組織からサリンの代謝物を検出し、死因を結びつける科学的証拠を示した。

しかし当時の東大には、薬物検査の装置がアルコール検査用のガスクロマトグラフしかなく、ほかの薬物は何も検出できなかったという。高取教授の熱意はすごいと思った一方で、国に対しては「何だここは」という思いをこの頃から非常に強く抱くようになったと岩瀬は語る。今振り返ると、昔は薬物による死を相当見逃していたはずだと考えている。

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東日本大震災:身元確認と「本当に溺死なのか」

2011年の東日本大震災の数週間前、岩瀬はニュージーランドで犠牲になった日本人の身元確認をめぐり、当時岩手医科大学の法医学講座の教授だった医師とメールをやり取りしていた。ある新聞が、ニュージーランドのやり方が遅れているために遺体がなかなか日本の遺族に返されない、という趣旨の記事を出していたからだ。

岩瀬によれば、慎重に身元を特定するのは当然のことだ。他国では指紋、DNA、歯の3つのうち少なくとも1つを照合しなければならないとしている。一方、日本は遺族が顔を見て「この人です」と言えば遺体を返してしまう。しかし顔だけでは間違えることがあり、間違えれば後のショックの方が大きい。やり取りの中で、岩手医科大の教授は「いずれまた三陸沖地震のようなものが起きるだろうから、そのときはきちんと身元確認をしなければならない。千葉大の人もぜひ助けてほしい」と書いていた。その直後に震災が起きた。

死者があまりに多かったため、法医学会と警察庁が連携し、法医学者を派遣して警察の検視とともに検案を行うことになった。千葉も被災していたが、東北に比較的近く人手もある大学として、岩瀬がまず岩手に派遣された。チームは医師3人、歯科医師3人、警察官4人の計10人で、震災翌日の夜に出発した。東北道はガタガタで、高速で走っては急ブレーキをかけて段差をゆっくり越えることを繰り返した。サービスエリアはほぼ無人で、止まっているのは消防と警察の車両だけ。売れ残った商品が大量に並ぶ中でおにぎりを買い、翌朝現地に着いた。

体育館にはすでに遺体が安置されていた。卓球台を並べて遺体を見るその反対側では、遺族が本人かどうかを探しに来ていた。泣き声が聞こえる中での作業は非常につらかったという。赤ちゃんや高校生の男女も含まれていて、心理的なストレスは相当なものだった。

岩瀬が作業しながら考えていたのは、本当にみな溺死でよいのか、ということだった。溺死だとしても、助けられた溺死があったのではないか。車の中で亡くなった人も多かったが、体に傷はなく、車が水に浸かっていく中で亡くなっている。窓ガラスを割って外に出れば助かった人もいたかもしれないし、外に出たことでがれきに潰された人もいたかもしれない。それでも、何か生かせる方策を作れないのかと考えた。低体温症による死であれば、対策は大きく変わる。

実際、低体温で亡くなった人も含まれていたらしい。後の新聞記事で、陸前高田の市民会館で夜中の間に亡くなった人がいたと報じられた。その遺体も岩瀬たちが検案していたはずだが、みな溺死として処理してしまったため、どの人がそうだったのか分からなかった。岩瀬は「反省しかない」と語る。ただし個人が反省しても解決しない。災害時に全員は解剖できなくても、一部を抽出して調べれば、低体温がどの程度の割合で含まれていたのかが分かる。それが分かれば対策を立てられたし、車内での溺死なら別の方策で救えたかもしれない、と岩瀬は考えている。

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研究費250万円をすべてつぎ込んだ死後CT

岩瀬が制度の不備を感じていたのは、法医学を始めた直後からだった。岩瀬は内科で1年近く研修してから法医学に来た。内科なら血液検査もCTも当たり前なのに、なぜこの業界ではできないのかと疑問に思い、新人の頃から、いずれ遺体をCTで診断してから解剖する時代にしなければと考えていた。しかしお金がなく、CTも買えない。先述の頭部のない焼死体では、後で見つかった頭部を病院のMRIを借りて撮影したことがあったが、あくまで例外で、ルーチンでCTやMRIを撮ることはなかった。

法医学10年目で千葉大学に教授として赴任すると、設備は東大よりはるかに悲惨だった。大学には解剖経費がまったく支払われておらず、すべて0円で解剖していた。しかも翌年に国立大学の法人化が迫っていた。法人化されればますますお金がなくなる一方、警察から費用を取れるのではないかとも考え、法人化後は費用を払ってほしいと要望書を出した。しかし前例主義の役所からは、今まで無料でやってきたのに今さら何を言うのか、という扱いで無視された。そのとき、ある役人が「国民が死因究明に関心がないから、財務省が予算をつけるわけがない」と言った。

そこで岩瀬は、法人化前に各教室に配られていた研究費250万円をすべて使い、5日間で250万円の移動式CT車を借りた。警察の検視に同行して回れば、心不全と診断されているものの中から脳出血を見つけ、日本の「変死体」や「異状死体」の死因が実際とは全然違うことを示せるのではないかと考えたからだ。当時、何も検査できないまま学生に法医学の面白さを教えなければならない立場に疑問を感じ、続ける意味を見失いかけていた。辞める前に一矢報いてやろう、これでダメなら本当に辞めようという覚悟だったと岩瀬は語る。

結果、2週間で4〜5例の死因が違っていた。これをきっかけにメディアが問題に気づき、その後の改善につながった。さらに時津風部屋事件という相撲部屋での犯罪見逃しが起き、国技である相撲での不祥事だったことから、国会でも死因究明制度が議論されるようになった。費用も支払われるようになり、多少の改善につながったという。現在は薬物検査もできるようになった。ただしDNA検査は、警察庁が費用を払いたくないとして途中で取り上げてしまったと岩瀬は話し、そうしたストレスを抱えながら続けているという。

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CTだけでは死因は決まらない

こうした経緯を経て、死後CTは死因究明の現場に広がった。しかし岩瀬によれば、CTで診断がつくのは2〜3割にすぎず、結局は解剖が必要になる。

さらに法医学の死因の考え方は、他の医師とは異なるという。死因には直接死因と原死因がある。例えば最終的には脳出血で死亡していても、その原因が覚醒剤中毒であれば、原死因は覚醒剤中毒となり、中毒死、場合によっては覚醒剤による殺人になる。CTで脳出血を見つけて終わりではない。そのため、CTをスクリーニングに使えばよいという考えは、法医学的には実現しづらいと岩瀬は説明する。

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人は簡単に死ぬのか、そして死とは何か

番組のナレーションによれば、日本では亡くなった人のおよそ8人に1人が、死因や事件性を調べるため警察の調査対象になっている。人は簡単に死んでしまうものなのか、という問いに、岩瀬は、争いごとで殺された人を多く見てきたし、事故も多いと答えた。水深数十センチで溺れる人もいれば、ほぼ無傷なのに首が折れて亡くなる人もいて、こんなに傷がないのになぜ、と思うこともある。一方で、車にはねられても死なない人もいる。それでも、危ない場所をあまり歩かない、喧嘩に巻き込まれないようにする、といったことで死ぬリスクはかなり減らせるだろうと話す。

死とは何か、という最後の問いに、岩瀬は、みな必ず死ぬのは間違いないと答えた。ただ、自殺でない限り、自分がいつどこでどう死ぬかを予測できる人はほとんどいない。だからこそ、生きている間はみんなと楽しく仲良く過ごすのがよいのではないか、と語った。