毎朝9000m泳ぐ田中渓と、コムドットやまとが語る「命を燃やす習慣」と美意識の守り方

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概要

ゴールドマン・サックスに17年勤めた投資家の田中渓さんと、YouTuberグループ・コムドットのやまとさんの対談である。やまとさんは著書『命の燃やし方』を出したばかりで、今回の対談は田中さんと話したいというやまとさんの希望で実現した。テーマは「常にトップを走り続けるための、命を燃やす習慣の作り方」。前半は田中さんの早朝の運動習慣とその再現性、後半は成功論がSNSで簡単に消費される時代の危うさ、お金と信頼と美意識の関係、心を健全に保つための「戦略的依存」へと話が広がった。

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毎朝9000mを泳ぐ習慣と「不純な動機」

やまとさんがまず聞いたのは、田中さんの「鉄人すぎる」朝の習慣だった。この日も田中さんは9000mを泳いできたという。高校時代に水泳部だったやまとさんは、9000mは試合でひどい負け方をしたときに罰として泳がされるような距離で、それを毎日続けるのは想像がつかないと驚いた。

田中さんによれば、動機は「すごい不純」である。体を鍛えたい、大会で勝ちたいといった目的ではなく、好きなだけ食べて好きなだけ酒を飲み、それを「なかったことにしたい」。そこから逆算して距離と強度が決まった。これ以上の距離を泳いだこともあるが、日中の仕事に影響が出るうえ、早朝に4時間も運動するわけにはいかない。足し算と引き算でちょうどいいところに落ち着いたので、距離はもう増やさず、変えるとしても中身の強度くらいだという。

起床は3時45分で、運動は2時間から2時間半。やりたくない日にも行くのかと聞かれると、田中さんは、すごくやりたいと思った日はほとんど1日もないので、ほぼ毎日嫌だと答えた。ベッドから出るのも動き出すのも嫌だという。

体調を崩せないから、体調管理がうまくなった

体調が悪い日にもやるのかという質問に、田中さんは「逆」だと答えた。体調を悪くしてはいけない、という方向に習慣が働くのだという。

始めた頃は1km走る、15分歩く程度の軽い負荷だった。負荷と時間を少しずつ増やしていく途中で、調子に乗ってひどい二日酔いのまま行ったり、体調を崩したまま行ったりしたことがあった。やることは決めているのでやるが、非常につらい。そこから得たものは2つあると田中さんは話す。ひとつは、最悪の状況でもできたのだから次もできる、というベンチマークが積み重なっていくこと。もうひとつは、あんな状態でやるのが嫌すぎて、酒の量や睡眠をきちんとコントロールし、体調にも気をつけるようになったことだ。

約6年続けているこの習慣の間、「すごい嘘っぽい」が本当に、コロナにもインフルエンザにもかかっていないという。危ないと感じたらすぐに漢方などを飲んで喉をケアし、12時間ほど寝てしまえば治る、というのが田中さんの経験である。

優先しているのは運動ではなく「残りの時間」

やまとさんが、それだけこの習慣の優先度が高いということかと確かめると、田中さんは少しややこしい話だと前置きして否定した。本当に優先度が高いのは残りの時間の方だという。早起きして運動し、学習し、いくつかの仕事のルーティンをこなすのは1日のうち5〜6時間の話にすぎない。残りの20時間弱は好きにやりたいし、非日常的なこと、非連続なことをやっていたい。朝の部分をきちんと固めておけば残りを自由に使える。そのためにやっている、というのが田中さんの説明である。

「再現性はある」――習慣化と量を分けて考える

とはいえ他の人には真似できないのでは、というやまとさんの指摘に、田中さんは「再現性がある」とずっと言い続けていると返した。ただし、習慣化そのものと量の話は分けるべきだという。田中さんと同じことをいきなりやると、数日か1週間でつらくなり、最悪の場合は田中さんごと嫌いになってしまう。まずは小学生でもできるような小さなことで、習慣化の技術を一度身につける。量の調整はそこから始めればいい。田中さん自身も、最初からこの距離を10年続けると決めて始めたわけではない。小さく始め、習慣が歯磨きのようになってから負荷を上げてきた。この意味で再現性がある、というのが田中さんの立場である。

もともと体力があったのかという問いには、田中さんは、以前は自分を普通だと思っていたと答えた。体力は「中の中」くらいだったという。しかし発信を続けるなかで、体が弱いので無理だという人がたくさんいることを知り、自分は体が強い方なのだと考えるようにした。本当に無理な人がいることも分かっているので、個人差はあると認めている。自分はそこそこ負荷をかけても大丈夫で、免疫力も人並み以上にあるのだろう、と田中さんは見ている。それでも、食事と睡眠と運動の習慣を整えれば体の弱い人も必ず改善はするので、それは勧めているという。

体力は根性で広がるのか――生存者バイアスと「別解」

やまとさんは最近考えていることとして、体力は根性、つまり置かれた環境にかなり左右されるのではないかと問いかけた。田中さんは著書で、ゴールドマン・サックス時代にほとんど気絶するまで働き、酒も飲んでいた生活を書いている。やまとさんは、その時期に体力のキャパシティが強制的に広げられ、根性によって元の体力を大きく超えていけるのではないかと考えているという。

田中さんは、自分の中でも揺れている考えだと答えた。20代はがむしゃらに働け、意味が分からなくても限界までやれば突き抜けられる、質を求めずに圧倒的な量をこなせば後から質がついてきて、それがネットワークになり人生の財産になる。強い経営者たち、特に年配の人たちはよくそう言う。自分もそこを通ってきたので、それもひとつの正解なのだろうと田中さんは認める。一方で、そこには生存者バイアスがあり、生き残れない人や体力がなくて倒れる人もいる。そういう人に成功の目がないかといえば、田中さんはそうは思わない。過剰な体力で命の限り燃やし続けなくても、今は仕組みやテクノロジーがたくさんあるので、それを誠実に使えば道はあるという。

その例として田中さんが挙げたのがエンジニアの世界である。エンジニアにとって楽をすることは美学であり、それはサボることではない。できるだけ手を動かさず、体を動かさずに仕組みを作ることこそ美しいとする世界がある。そういうあり方もいいと思えないと、若い人たちにとって世界がつらくなってしまう、と田中さんは話した。

田中さんはやまとさんの本について、自分の書いたことと8割ほど重なると評価した。冒頭の章では、自分を種にたとえ、まず自分を見つめ直して見つけ、育てるように試し、土壌や環境を見つけて栄養を与える、という4段階ほどの流れが書かれている。自分をよく知れば何ができるかが分かり、試して育てたら、いい環境や人のネットワークに身を置いてさらに成長する。田中さんは、自分の本もお金の本に見えて実は半分ほどはそちら側の話を書いており、とても共感したと述べた。

完成品だけが届く時代に、あえて「量」を押し出す

やまとさんは、習慣や効率化は心から大切だと思うとしたうえで、今は成功者バイアスや生存者バイアスがかかりやすい時代だという問題意識を語った。SNSの発達で、視聴者には完成品がまず届く。未完成の段階の人は数字を持っていないので、その部分は見られない。完成したものは簡単に説明されてしまうので、こうすれば自分もお金持ちになれる、成功できると安易に受け取りやすい。その結果、実際にやってみたときの挫折が今の若い人たちにとってかなりきついのではないか、とやまとさんは考えている。

だからこそ、やまとさんはあえてハードな方を提示したいという。コムドットはYouTubeで数字を積み上げてきた結果だけを語るのではなく、その過程を全部動画に残し、きつさもセットで見せることを意識してきた。効率や習慣がかっこよくスタイリッシュに見えるのは分かるが、まず一度量をぶち込んでみないと見えてこないのではないか。やまとさんは、自分は凡人で、量をこなしてここまでたどり着いたと話す。世の中の大半は凡人であり、その凡人に必要なものとして、圧倒的に全力で物事に取り組むことをあえて押し出しているという。

田中さんは強く共感した。SNSは結果だけを切り取っており、なかでもInstagramはその象徴だという。田中さんが以前にも話したという例では、フェラーリに乗り、シャンパンはサロンを飲み、エルメスでいつでも何でも手に入れているところだけを見せている人がいた。しかし実態は全部赤字で、お金は火の車だった。新しい物を買ってはすぐ売り、キャッシュフローは回っていない。それでも動き続けないとブランド側に認知してもらえないという、涙ぐましい努力がある。見せられるのはきらきらした部分だけなので、それを羨ましく思った人が怪しい情報商材を買ったり騙されたりする。田中さんはそれを本当に不幸だと言い、プロセスエコノミーやファンエコノミーの時代になった今、コムドットのように裏側と努力の過程を見せるコンテンツがもっと発信されるべきだと述べた。

やまとさんは、この人は何のために情報を発信しているのかを視聴者が考えないと簡単に騙されると続けた。例に挙げたのは「1週間で英語を喋れるようになる」「1カ月でAIを完全マスターして副業で30万円稼げる」といった広告文句である。自分は分かっているが、学生の頃にそう言われたら魅力的に見えたはずで、頑張って貯めたバイト代を使いたくなったかもしれない。実際には、結果が出るまでに能力がまったく伸びない「絶望の谷」がある。そうした知識を、立場があったり成功を収めたりした人が伝えていかないと、若い人たちがタイパやコスパばかりに惹かれて結局何も得られないことが、この先どんどん起きるだろうとやまとさんは考えている。27歳のやまとさんは、若い学生にどういう目線で何を伝えたいかを田中さんに尋ねた。

収入を得ない発信と、「信頼」という次の時代のお金

田中さんはまず、やまとさんのような志で発信する人はとても少なく、本来それは大人の責任だと思っていると述べた。発信者の多くは、スポンサーから収益を得る、自分の持っているものを売る、何かを作って販売するなど、発信を生業にしている。田中さん自身はかなり特殊で、会社員としてそれなりに財を築いたうえで、まったく関係なくメディア発信をしている。自分が正しいと思うことを誰のバイアスも受けずに言いたいので、メディア活動では収入を得ないようにしている。スポンサーは是々非々で、物がいいと思えば受けるが、そうでない限りお金は受け取らないという。だから自分は正しいと思うことを言えばいいが、売らなければならないものがある多くの人にとっては難しいだろう、と田中さんは認める。

それでも中長期で見たらどうか、と田中さんは続けた。不思議なことに、昔のテレビではタレントや芸能人がCMに出ても嫌らしくは見えず、1本で何億円というお金が入る。一方、YouTubeなどのニューメディアで案件らしいことをやるとうさんくさく思われる。この構図は変えられない。そのなかでコムドットがすごいと田中さんが思うのは、ずっと長尺でやってきた点だという。他のメディアも少しずつ長尺化しており、インスタントなものに頼らない方が長期的にフォロワーがついてくる。お金はインスタントでテレビ的なものだが、売りたいものをその場で売りつけることをしないで得られるもの、つまり信頼のようなものが「次の時代のお金」になっている。それを作っているから今の登録者数があるのだろう、というのが田中さんの見方である。

やまとさんは、コムドットは実際に案件をほとんどやらないと明かした。2025年にYouTubeで受けた案件はおそらく1本で、自分たちがいいと思った映画をみんなに届けるものだった。スポンサーも、昨年はイベントについてもらった1件だけ。InstagramとTikTokでは案件を一度もやったことがない。いいと思っていないものをいいと言えば信頼が削れ、長期的に見て表現者として致命的だと考えているからだという。

最初に案件を断ったときのことを、やまとさんは鮮明に覚えている。もらった仕事がシンプルにダサかった。やれば100万円もらえたが、メンバーに「ダサいのに100万いらなくない?」と話して蹴った。それができたのは、自分たちの仕事で財を築いていてお金があったからだとやまとさんは言う。表に立つ人が信念をぶらさずに仕事を選ぶには、お金を稼ぐことが必要で、最もいい形は信頼を蓄積しながら稼ぐことだ。それをやっている人は圧倒的に少ない。スポンサーからお金をもらって発言する人は、意味の分からない商品でもいいと言わなければならないことがある。お金を稼いでいないと仕事を選べず、自らの命を削ることになる。やまとさんはずっとそう思ってきたという。

お金は美意識を守るためにある

田中さんは、それを20代後半で考えられているのはすごいと評した。自分は40歳を過ぎてそうしたことを考えなければと思うようになった。20代は激務すぎてその余裕がなかったので、かえってよかったという。

そのうえで田中さんは、「お前らは稼いでいるから正しいと思ったことだけ発信できるのだ」という反応は出るだろうと認めつつ、話の本質は美意識だと整理した。哲学と呼んでも、自分の尊厳やプライドと呼んでもいい。それを守るために一定のお金はきちんと稼がなければならず、それは誰も否定していない。自分たち2人とも稼ぎたくないとは思っておらず、稼ぐのは美意識を守るためだ。美意識を守っていると発信を本当に信じてくれる人がいて、信頼が保たれる。ところが順番を間違え、最初にお金の方へ魂と美意識を売ってしまうと、よくて2〜3年で大体みんな潰えていく、と田中さんは語った。

考えたことをねじ曲げずに出す――Xで「暴れた」理由

司会は、美意識を維持するためにお金以外で意識している習慣はあるかとやまとさんに尋ねた。やまとさんの答えは、自分が感じたことや考えたことを、ねじ曲げずに外へアウトプットすることだった。こう言った方が大人に見える、こう言った方が嫌われないと分かっていても、そのフィルターを通して出したものは自分の考えではなく、長期的な信頼にもつながらないと考えている。

最近もXで「ちょっと暴れた」という。自分は何も悪いことをしていないのにぼろくそに言われ、強く反撃した。フォロワーの多い影響力のある人間がそうすると、「小さいところに構うな」「そういうことをするから好きになれない」と言われる。やまとさんはそれを非常に短期的な目線のコメントだと考えている。自分はもっと長期的な美学のために発信しており、誰もやらないからこそ自分が動くという明確な筋がある。影響力がつき年齢を重ねても、それを続けたいという。ただ、スポンサーがついたり応援してくれる人が増えたりして、さまざまな目線が増えていくと、気持ちがねじ曲がっていくことはあると思う、とも付け加えた。

田中さんは、それがとても羨ましく、自分はまったくできていないと話した。自分のスタンスは、思っていないことは絶対に言わないが、思っていることを全部言うわけでもない、というものだ。言うことにもある程度の忖度や言い方の工夫をしている。そうすると敵を作りにくく、オブラートに包まれるので不要な揉め事も起きない。一方、やまとさんや、年上の世代でいえば田端信太郎さんのような人は、思ったことを何もねじ曲げずに直球で放つ。多くの人はそれを正論だと思い、熱量高く応援してくれる人もいる。ただ、小さな石でも当たるたびに痛いはずで、田中さんはその痛さを知っているので、勇気があると感じるという。

やまとさんによれば、実際に痛いので工夫もしている。反論したらその後何時間もXを見ない。石は勝手に投げられているので、返したら面白そうなものだけを、ちゃんと読まずに斜めに見て選んで返す。7年間活動してきて、全部見ていたら自信家の自分でもさすがに気分が落ちる。落ちている自分も嫌なので、キャラクターと筋を通すことで気持ちを固め、斜めに見ながら「これは返してもいいかな」と判断しているという。

田中さんはこれに、格闘ゲームのたとえで応じた。どんなに防御していても必殺技を受ければダメージゲージは少し減り、最後の1つまで行けば本当に倒れる。だから石を投げるな、それがその人にとって最後の一撃かもしれない、と思うことがあるという。パートナーとの別れ際の喧嘩でよく言われる「そんな小さなことで怒るな」も同じで、コップの水が表面張力ぎりぎりまで来ているところに最後の一滴を注げばこぼれる。最後の一言だけを切り取って些細なことだと言うのはフェアではない。SNSの人たちは、相手のコップがすでにいっぱいかどうかを知らないまま、カジュアルに水を注ぎ石を投げる。自分は器が小さいので、コップをなるべく空にしておきたい。だから最初から石を投げられないよう忖度してしまう、と田中さんは話した。

戦略的依存――人間関係と興味を分散させる

話題は、やまとさんの本にある「戦略的依存」の章に移った。田中さんも似た考えを持っているという。学校のような大きなコミュニティで心をこじらせると行き場がなくなり、人生の大半をつらい思いで過ごすことになりかねない。逃げ場というわけではないが、セカンドプレイスやサードプレイスを持っておく。田中さんの場合は、自分の人生の「ハッシュタグ」をたくさん持ち、それぞれにコミュニティを持っておく。そうすれば、たとえば仕事が嫌になって職場の人間関係が壊れても、それ以外は関係ないのだからいい、と考えられるという。

やまとさんもまったく同じ考えだと答えた。小学生の頃から習い事をたくさんさせてもらい、学校外にも友達や先輩、後輩がいた。ボーイスカウトなど、さまざまな年齢の人と関わる機会もあった。学校で嫌なことがあっても習い事があるから楽しい、と小学生ながら思った経験があるという。

高校生のときには、恋愛に没頭しすぎて人間関係をすべて壊した友人を見た。彼女が好きすぎて男友達の誘いを全部断り、部活もやめてしまった。結局彼女がいなくなったとき、その友人には何も残っていなかった。やまとさんはそれを人間として危うく、不健全だと感じ、人間関係を分散させておくことを以前から意識してきた。さらに、興味も分散させておくといいのではないかと考えるようになった。興味の数だけ楽しいことや学べることがあり、人生の選択肢が増える。それをメンタルを健康に保つコツとして本に書いたという。

田中さんは、メンタルを健康に保つことを主目的にしてもいいとしたうえで、副次的な効果もあると述べた。ひとつの道を極め続けるスペシャリストもいいが、よほどのところまで行かないと、飽きてしまうか、埋もれて「俺の行けるところはこんなものか」となりがちだ。ハッシュタグや興味の幅を広げると物事の視力がよくなり、世の中の見え方が広がって面白い。人からも面白がられ、いろいろな分野に興味がある面白いやつだから呼んでおこう、と雑に呼んでもらえるようになる。だから広げられるだけ広げた方がいい、と田中さんは言う。

やまとさんは、自分の軸足は地元の友達というチームに置いていると話した。軸足でない方の足は縦横無尽に動かしており、それがかえって軸足の側の大切さに気づかせてくれる。必要ないと思ったコミュニティには、ひどい言い方だが行かなければいいだけなので、軸足でない足は積極的にいろいろなところへ突っ込んでいくのがいい、という考えである。

5人で居続けるために――企画は「おまけ」

最後に田中さんは、コムドットを見て不思議に思っていることを尋ねた。田中さんは友達がいないわけではないが社交的ではなく、5人で必ず一緒に出るような関係を保てばきっと人間関係に疲れてしまうという。グループ活動では、ネタ切れの頃に「音楽性の違い」のようなものが出て亀裂が入ることが多いが、コムドットはどうしているのか。

やまとさんは、企画は基本的に全部自分が考えているが、企画自体は「おまけ」だと答えた。企画で人を引っ張ってきたら、いつか必ず終わると考えてきたからだという。

この後の字幕は途切れがちで、話の流れを正確にはたどれない。聞き取れる範囲では、「魔法の杖はない」「明日なんとかなります、は全部嘘だ」という趣旨の発言や、努力しなくても得られる成果がとんでもないことになっており、それが人間がもともと持っている能力を奪ったのではないか、という問題意識が語られている。続いて、自分に期待することがあれば聞きたいという問いかけがあり、これに対して、何をやればいいかは1人なのか5人なのかを含めて自分たちで考えればいい、ただこれだけの影響力を持っているのだから――と答えかけたところで、この回の字幕は終わっている。