夕張の「医療崩壊」で何が起きたのか:プライマリ・ケア医・森田洋之が語る、病院に頼りすぎない医療
街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜プライマリ・ケア医の森田洋之は、財政破綻で病院が大幅に縮小した北海道夕張市に自ら赴き、医療が減った町で住民の暮らしと健康がどう変わるかを見てきた。その経験から森田は、日本の高齢者医療には過剰な入院や延命的な処置が多く、病院や医療に頼りすぎない地域ケアのほうが人を幸福にすると主張する。本記事では、インタビューで語られた夕張での観察、医師になるまでの経緯、医療業界との対立、そしてコロナ禍で抱いた疑問を順にたどる。
「何でも診る医者」としてのプライマリ・ケア
森田は医師になって20年あまりになる。専門を尋ねられると「ない」と答えるが、正確には内科の認定医と、総合診療領域のプライマリ・ケア認定医の資格を持っている。森田の説明では、内科は内科一般を指すのに対し、プライマリ・ケアや総合診療は外科、小児科、眼科、精神科まで含めた全体を診る領域である。
昔の町医者には「内科・小児科」と掲げ、精神科や産婦人科まで診る人も少なくなかった。今でも離島や田舎では専門医がなかなかいないため、医師がすべてを診なければならない。森田によれば、世界では医師の半分ほどがプライマリ・ケアに従事しており、日本のように専門医中心が強固なのはごく一部の国だけだという。現在、森田は自分で開業している。
「再生させた」のではなく「観察していた」
インタビュアーは、森田が財政破綻した夕張市の医療崩壊を「再生させた」と紹介した。森田はこれをはっきり否定し、自分はそこで観察していたにすぎないと語る。
森田は横浜出身で、夕張とはもともと縁がない。夕張行きはすべて本人の希望だった。医師になったのが31〜32歳で、研修を終えた5〜6年後なので、36〜37歳ごろのことだという。
夕張市が財政破綻した当時、昼も夕方もワイドショーが1か月ほど報じ続ける大ニュースになった。森田の説明によると、夕張はもともと炭鉱の町だった。九州の炭鉱には元からある町で石炭が採れた例もあるが、夕張は山奥にあり、ほとんど人が住んでいなかった場所に石炭が出たため、最大で12万人ほどが移り住んだ。住民の大半は炭鉱労働者だった。エネルギーの主役が石油に移って炭鉱が閉じると人口は急減し、現在は1万人を切って5,000人ほどになっている。
市は「炭鉱から観光へ」と観光に力を入れたが、それもうまくいかなかった。人口が減れば税収も減るが、支出を減らすスピードが急激な人口減少に追いつかなかった。産業がなくなり、人口が急減し、市は破綻した。借金の半分は国が肩代わりし、残りの半分は時間をかけて返済しており、今も返し続けているという。
171床の病院が19床になった町
森田が夕張に関心を持ったのは、医師になる前に経済学部で学んでいたからだ。財政破綻した町を見てみたくなった。夕張には171床の、そこそこ大きな総合病院的な市立病院があった。しかし運営できなくなり、19床の診療所に格下げされた。市内に病院は1つしかなく、その病床がほぼ10分の1になったのである。財政破綻と医療崩壊が重なり、しかも高齢化率は日本一。この町が今後どうなるのかに、森田は医療と経済の両面から強い興味を持った。
では、夕張で入院が必要な人はどれくらいいたのか。森田はこの問いを「微妙」と表現し、ここに医療の「闇」的な部分があると言う。大けがをした人は夕張では対応できず、札幌に送る。大きな手術もできないので、救急は夕張の守備範囲ではない。寝たきりの高齢者は、病院でなく施設でもよい。そう考えると、171床から19床に減って本当に困るのかが問題になる。
当時の森田のボスは村上先生だった。夕張の医療崩壊を救った人物と言われる医師である。村上先生は、高齢者の多い町に本当に必要なのは病院医療よりも「生活を支える医療」だと打ち出した。森田の説明では、認知症、骨粗しょう症、脳梗塞の後遺症といった老化現象は、医療で対処しても治らない。薬を出して治すふりはできるが、ほとんど治らない。だからといって突き放すのではなく、気持ちを聞いて寄り添い、在宅で過ごしてもらう。何かあればすぐ駆けつけ、訪問看護や在宅医療を入れる。そういう方針だった。
病床はほとんど埋まらず、死亡率も大きくは変わらなかった
普通に考えれば、19床では入院できない人があふれそうに思える。ところが、高齢者や家族と腹を割って話し合うと、病院でも施設でも家でもいいと言われた人たちの多くが「できれば家がいい」と答えたという。そこで、家で過ごしてもらう代わりに訪問看護を入れ、医師が月1回ほど訪問して生活環境を確認し、必要なら薬を出す。そうしていくと、19床の病床はほとんど埋まらなくなった。森田が赴任したときには、19床のうち多くても5床ほどしか使われていなかった。入院していたのは、がんの人、家族が介護できない人、容体の本当に悪い人、骨折した人などである。
医療が撤退したことで健康被害が出たのではないか。森田もそれが気になり、財政破綻・医療崩壊の前5年と後5年で死亡率を比べた。すると、ほとんどの病気で大きな差はなかったという。健康になったというより、病院で管理されずに家に帰れたことで、気持ちの面で健康になった人は多いだろう、と森田は見る。一方ではっきり表れたのは医療費の大幅な低下だった。入院費は高いので、入院しなければ医療費は下がる。
森田はこの点を強調する。村上先生は、経営だけを考えれば19床を満床にしたうえで在宅医療も行えばよかった。しかし満床を決して目指さず、本人と家族がどう暮らしたいかを聞き、在宅なら在宅、施設なら施設、病院なら病院を選んでいった。
なぜ病床は埋まってしまうのか
必要以上に入院させていたのか、という問いに対し、森田は、これは日本だけでなく医療の世界でよく起こることだと答えた。日本は人口あたりの病床数がアメリカやイギリスの5倍あるという。5倍も病人がいるはずはないのに、その病床はほぼ埋まっている。これは夕張と同じ構図だというのが森田の見方である。
入院させる側と入院したがる側の両方に理由がある。病院は満床のほうが利益が出る。スタッフを雇い給料を払っている以上、経営上は満床が有利になる。一方、高齢者の側には、少しでも体調が悪ければ入院したほうがいいという思い込みがある。
森田は、入院は特に高齢者にとって「安心ではない」と言う。コロナやインフルエンザなどの感染症が流行すると、面会制限や外出制限がかかり、人に会えなくなる。転倒してけがをしないよう歩行も禁止され、ベッドで座っているか寝ているよう生活を管理・制限される。歩けないことは高齢者にとって大きなストレスで、安全・安心のつもりで半年入院すると、みんな歩けなくなるという。
在宅でもできる医療、あえてしない点滴
森田によれば、今どき高齢者に入院で行う治療の多くは在宅でも行える。点滴もエコーもできるし、がんの人に麻薬を使うこともできる。ただ、森田自身は在宅で点滴をほとんどしない。治療のための点滴、たとえば抗生剤の投与は必要なら使うが、飲み薬で対処できるなら飲み薬を選ぶ。点滴は管や針のせいでトイレにも行きにくく、生活が制限されるからだ。飲み薬より点滴で一気に入れたほうがよいと判断するのは、年に1回ほどだという。
もう1つが水分補給のための点滴である。老衰で寝たきりになり、食事も水もとれなくなると、家族も医療者も「水分ぐらい足してあげたほうがいい」と考えがちだ。森田は、これは「あまり良くない」と言う。人間は、おそらく動物もすべて、亡くなるときには苦痛がないよう、食べられなく、飲まなくなるようにうまくプログラムされている。食べられないから死ぬのではなく、老衰の過程に食べられなくなるプロセスが組み込まれている、というのが森田の説明である。
そこへ余計な点滴を入れると、足やお腹に水がたまってむくみ、肺にもたまって痰が大量に出る。痰の吸引では鼻から管を気管の下まで入れて吸い取るため、とても痛い。それでも病院では日常的に行われている。組み込まれたプログラムどおりに見守れば、ほとんど医療的な介入をしなくても、苦しまずに、子どもたちに囲まれて笑顔を見せながら亡くなっていく。言葉は少ししか出なくても、聞こえているので会話も少しできる。森田はこれを「本当の老衰」「穏やかな看取り」と呼び、人為的に介入しないほうが絶対によいと言い切る。ただし、これは病院の医師もほとんど知らないことで、自分も知らなかったと認めている。
病院でこれが主流にならない理由として、森田は、患者は病院を安全・安心だと思っており、病院側も入院しているのに何もしないという選択がとりにくいことを挙げた。何もしないなら病院にいる意味がない、という発想になる。もっとも、病院が意図してそう考えているわけではなく、点滴をするのが当たり前になっているのだろうとも付け加えている。普段の医療介入はできるだけ抑え、いざというときにはしっかり対応する在宅医療を行うと、人々の満足度が大きく上がる。それが森田の気づきだという。
「スイッチ」で動いてきた少年時代
森田は現在54歳で、横浜の金沢文庫や金沢八景のあたりで生まれた。父は早稲田を出て日産に勤め、52歳ごろに退職して書道の先生になった。母は専業主婦で、50歳で亡くなっている。3人兄弟の真ん中で、両親、兄弟、祖父母、親戚にも医師は1人もいない。看護師もいない。医者になろうとはまったく思っていなかったという。
子どものころはテストの点が極端だった。算数は何もしなくてもできたが、覚える必要がある理科や社会はだめだった。興味のない話はまったく聞けず、授業も聞けなかった。本人は、今なら発達障害と言われるだろうと振り返る。小学2年生のときにはパンツ一丁で廊下に立たされたという。
転機は小学3、4年生のころだった。みんな野球をしていて、2つ上の兄はエース級にうまかった。自分はレギュラーにもなれずつまらないと感じていたとき、勉強なら兄に勝てるかもしれないと思い、突然「スイッチ」が入った。自分から塾に行くと言い出すと、塾の先生は話がうまく、話を聞けた。成績が上がるのがゲームのようで猛勉強し、渋谷の中高一貫校・駒場東邦に合格した。兄も弟も地元の中学に進んだなかで、自分だけ横浜から渋谷に通った。
合格するとゲームは終わった。中学ではゲームばかりし、中学3年でギターを始めて高校時代はずっとバンドをやった。駒場東邦ではずっと最下位だった。浪人して、同級生たちが東大などに進むのを見て「あいつらが行けるなら」ともう一度スイッチを入れ、一橋大学経済学部に入った。そこでもまたゲーム終了で、まったく勉強しなかった。
「やりたくないことをやらない」努力
大学時代にも、なりたいものはなかった。1つだけあったのは、就職したくないという思いだった。人の話が聞けないので、組織に入って上司の命令を聞くことができない。自分で納得して決めたことは一気にやるが、納得しないで言われたことは一切やらない。
「やりたいことをやれていいね」と言われることについて、森田は、やりたいことをやっているのは確かだが、それ以上に、やりたくないことを断って一切やらないほうに努力してきたと語る。まずマイナスを回避するところから入ったのだという。同級生が銀行、商社、官僚へと就職していくなか、森田は就職活動をまったくせず、学生のほうが何かと有利だからと、最後の単位だけ残して2回留年した。両親は勉強しろとも就職しろとも一度も言わなかったという。
2回目の留年中に阪神・淡路大震災が起きた。暇だった森田は、テレビでは分からない現場を見たいと思い、まずボランティアに行った。ボランティアは1〜2週間で帰されてしまうため、大学に貼ってあった仮設住宅の建設現場のアルバイトに応募し、半年ほど働いた。そこで出会った医師が、医学部という選択肢を示してくれた。一橋を出たのにぶらぶらして肉体労働をしている若者に、医者にでもなれと軽く勧めた程度だったのだろう、と森田は言う。
しかし森田は、医学部ならさらに6年就職しなくて済み、資格があれば組織の論理に縛られず将来独立できると考えた。医者は自分に向いているかもしれないと気づき、また半年ほどスイッチを入れて勉強し、宮崎医科大学(現・宮崎大学)に合格した。このときは父親に「ふざけるな」と言われたという。
インディーズデビューと挫折
医学部に入っても、医師になりたいという気持ちは強くなく、今度はバンドに打ち込んだ。バンド名は「ピッチャーゴロ」。ギターポップや渋谷系の音楽で、大学5、6年生のころにインディーズデビューし、アルバム2枚とシングル1枚を出した。
森田自身は、研修医は一応やりつつ、GReeeeNのように歯科医をしながら音楽を続けるような形ができればと漠然と考えていた。しかしメンバーは全員医学部生で、将来をかけるところまではいかなかった。バンドは大して売れず、3枚目のアルバムも出せなかった。研修が忙しく挫折している暇もなかったが、気持ちとしては「もうダメかな」と思っていたという。
夕張へ行くと決めた理由
研修は初期研修2年のあと内科の研修に進み、その3年目の途中で夕張が財政破綻した。音楽は売れず、医者として生きていくなら何か面白いことはないかと思っていたところだった。病院が潰れて医療が10分の1に縮小した町で、これからは生活を支える医療でやっていくという村上先生が現れた。森田は村上先生の本を読んで大いに盛り上がり、行くことを決めた。
入院や点滴が当然という風潮への疑問は当時からあったのか。森田によると、点滴についての問題意識はまだほとんどなかった。ただ、まったく食べられない人に鼻から管を入れて栄養を入れ、何年も天井を見たままほとんど反応もない。そういう人が6人部屋を全部埋め、それが何部屋もある。こうした医療が本当に人の幸福に役立っているのかという疑問は、研修のころからあったという。
経済学部出身ということもあり、森田には全体を一度把握しないと気が済まない性分がある。イギリスやフランスなどの先進国では専門医療とプライマリ・ケアがはっきり分かれていることも知っていた。大病院の研修で専門医療の世界は5年ほどかけて一通り見たので、次はプライマリ・ケアの世界を見学したい。本人にとっては軽い気持ちだった。当時、上の子は2歳、下の子は生後3か月ほどで、周囲から強く反対されたが、「最終的には1人でも行く」と押し切った。
愛人刺傷事件と突然の院長就任
森田が着任したのは、病院が19床になって1年ほど後だった。医師は多いときで4人ほどで、森田は研修明けのいちばん下だった。在宅医療はすでに始まっていたが、まだ浸透していなかった。大きな病院がなくなった不安は住民にとって大きく、村上先生は夕張市民から激しく攻撃された。森田は「本当にかわいそうだった」と振り返る。
赴任から数年たったころ(森田は4年目だったかと言いつつ、はっきり覚えていないとしている)、村上先生が突然辞めることになる。村上先生は妻子を置いて単身赴任しており、夕張の一軒家に1人で住んでいた。その隣の家に森田一家が住んでいた。村上先生が地方講演で出張している間に、その家で、村上先生の愛人が別の愛人を包丁で刺す事件が起きた。刺された人は命を取り留め、未遂に終わった。NHKや民放各局が押し寄せて森田の家も囲まれ、警察が来て、ドクターヘリも飛んだ。村上先生は責任を取る形で病院を去った。
2番手の医師もすでに辞めていたため、研修明けからまだ年数の浅い森田がいきなり院長になった。そもそも組織が嫌いで、トップになどなりたくなかったが、ほかに選択肢はなかった。さらに院長就任後、警察から、刺した側の女性がこの病院で看護師として働いていたが、免許を確認していたかと問われた。結局、免許は偽造されていたらしい。偽看護師を雇って注射などの医療行為をさせていたことになるため、森田は院長として保健所へ謝罪に行き、反省文のような書類や各種手続きに追われた。刺された人には菓子折りを持ってお詫びに行った。体重は10キロほど減り、妻は夜逃げしようと言うほど心配したという。
そのうえ、隣町で新たに医療機関を始めた村上先生の一派と、夕張に残った森田の一派とで、派閥のようなにらみ合いが始まった。森田は村上先生を嫌いになったわけではないが、周囲からはそう見られた。派閥の具体的な中身は「生々しすぎて言えない」として語らなかった。財政破綻前後のデータを村上先生と一緒に研究するつもりだったが、それもかなわなかった。森田は院長として1年務めたところで限界を感じて辞めた。いちばんきつかったのは仕事ではなく派閥だったという。
在宅医療がどう住民に受け入れられたのかについて、森田は、時間がたてば浸透していったと語る。腹を割って話し、信頼関係を築き、家でも病院でも施設でも最後まで寄り添う。そうした医療は口コミで広まっていったという。
TEDx「医療崩壊のすすめ」と医師会からの反発
夕張を出た森田は九州に戻り、集めたデータを分析して本やレポートにまとめた。最も反響が大きかったのは、夕張を出て2年目ごろに登壇したTEDx鹿児島でのプレゼンテーションだった。タイトルは「医療崩壊のすすめ」。患者や住民の個別事例を示しながら、医療費は下がったが健康度は下がらなかったことを伝えた。
プレゼンの論旨は次のようなものだった。夕張は医療崩壊した特殊な町の事例だが、日本全体も世界一病床が多い。その病床は幸せにつながっているのか。日本は高齢化の先進地であり、これから世界が高齢化していくなかで、病院や医療が減っても医療費を減らせ、健康度は変わらないという高齢化の未来の姿を、夕張は最もよい形で示したのではないか。
反響は大きかったが、医療業界からは「とんでもないやつ」と言われ、特に日本医師会からは強く嫌われていると森田は言う。森田の説明では、医師会は開業医が中心の医師側の代表団体で、政治にも圧力をかけられ、さまざまな利権を持つ。病院がなくても大丈夫だという主張は、その根本を突き崩しかねない。極端に言えば、少なくとも今ある病院の2〜3割はいらないのではないかという話になり、病院が潰されるという議論にもなりかねない。もっとも、ほとんどが民間なので実際に潰されることはないだろうとも森田は言う。具体的な圧力は受けていない。どの組織にも属しておらず、医師会にも入っていないので、圧力のかけようがないからだという。
医師がほとんど介入しない地域ケアへ
九州に戻ってしばらく、森田はフリーの医師として精神科病院や小児の病院など、あらゆる現場を把握するために週1回ずつアルバイトをして生計を立てた。そのなかで、鹿児島の田舎のある地区で、介護のレベルが非常に高い人たちに出会った。夕張では村上先生のもとに訪問看護と介護があったが、そこでは医師はたまに来る程度で、介護施設が地域の人たちと非常に密な関係をつくり、ほぼ介護だけで完結していた。
この人たちと組めば、夕張よりさらに医療のいらない世界ができるのではないか。そう考えた森田は、5〜6年前にその地域で開業した。ほとんど医療が介入せず、家族と地域の人たちと介護職で看取る。江戸時代や明治時代まで、人間はそうして家族と地域で看取ってきた、病院などなかったのだから、と森田は言う。
鼻からのチューブは一切使わず、最期にも点滴をほぼしないので、痰の吸引もほぼない。きれいに枯れていき、最後まで穏やかに、少し会話もしながら亡くなっていく。それで十分に成り立っており、もしかしたら病院より寿命が延びているかもしれない。ただし同じ人で比べることはできないので、比較はできないとも断っている。
森田が描く看取りの場面では、遠くの家族も集まり、妻はずっと声をかけ続け、夫はビールを飲みながら見守り、ときどき声をかけに行く。手でさすり、孫がその辺をわちゃわちゃ走り回っている。外出も面会もできない病院では、こうした看取りはできない。こちらのほうが圧倒的に人間的で幸福度が高いことは「断言します」と森田は述べた。
悪意のない「ビジネス」が生む過剰医療
では、なぜ医療は逆の方向に進んだのか。森田は「医療信仰」だろうと言う。病院のほうが「なんとなく」安心だと思ってしまう。インタビュアー自身も、話を聞く前はそう思っていた。森田も以前はそうだったという。
森田自身は、医師として金を稼ぎたいという気持ちは一切なく、生活できればよいと言う。これに対し、医師のほとんどは「医者なんだから儲けて何が悪い」と思っている、というのが森田の見方である。どの医師も、自分は患者第一で、医療を使っているだけだと思っている。しかし結果を見ればビジネスが入っている。鹿児島県などが静岡県の2倍も病人を抱えているはずがないのに、病床が埋まっている、と森田は指摘する。
ただし、そこに悪意はまったくないとも言う。医師は本当に入院が必要だと思っており、患者も入院したほうが安心だと思っている。だから両者が噛み合っている。ある意味では幸せだが、実際には生活が制限され、高齢者の幸福は損なわれる。この問題はミクロで見るかマクロで見るかでまったく変わる。森田には経済学の素養があるので分かるが、その素養のない医師には一切話が通じないという。
変えるための3つの道
この状況をどう変えるか。森田は3つの方法を挙げた。
1つ目は、若手を育てるなどして医療業界の意識を内側から変えること。しかし森田は、これは厳しいと見る。ビジネス感覚で金銭にモチベーションが向く医師が多く、時代的に仕方ない面もあるが、ビジネスを捨てろと言っても無理だろうという。
2つ目は、国や行政が診療報酬や病床の制度を変えること。これもあまり期待できないと森田は言う。行政は医師会や製薬業界、医療業界と「ズブズブ」で、「マッチポンプ」であり「回転ドア」だからだという。森田の言う回転ドアとは、行政と医療業界のトップが天下りなどで入れ替わり、交流していることを指す。そのため行政は業界に忖度しまくる、と森田は見ている。
3つ目は、市民や患者の意識が変わること。高齢者に限らず、医療にかかれば安心、入院すれば安心というイメージががらりと変わること。これも難しいが、3つの中では最も近道だと森田は考えており、そのために毎日YouTubeを更新し、本を書いているという。
コロナワクチンへの疑問
森田は、行政と業界の癒着の典型がコロナワクチンだと言う。森田はワクチンに反対の立場で、患者に接種せず、自分も接種していない。現場の患者の話というミクロの視点とは別に、データというマクロの視点も見ないと気が済まない、という姿勢から語られた内容は、以下のようなものだった。
まず、当初は接種部位にとどまって全身には回らないと言われていた。しかし森田によれば、ファイザーのレポートに載っているラットの実験では、微量ながら筋肉、目、脳、皮膚などさまざまな臓器にワクチン成分が検出された。なかでも卵巣への集積が突出しており、ほかの臓器が0.いくつという値なのに、卵巣は10を超えていたという。ワクチンがどこに回るかは種類によるが、ファイザーのワクチンは接種部位で抗体をつくるので全身の副作用はほぼないと理論的に言われていた。それにもかかわらず全身に回り、卵巣に多く集まっていた、というのが森田の説明である。
当初、森田はネズミの話であり微量だから大した影響はないと考えていた。しかし2021〜2022年ごろから卵巣がんや死産率が急に増えていると森田は言う。それまで徐々に下がっていた死産率が上がったという。さらに、ワクチン接種が始まってから日本人の死亡数が10万人、15万人と増えているとも述べた。森田はこれらについて、ワクチンとの因果関係ははっきりせず断定はできないが、「かなり怪しい」というのがワクチンに反対する人たちの主な主張だと説明する。国は重大な懸念は認められないと国会で答弁し続けているが、疑わしいなら調べるのが筋だと森田は言う。国が調べない理由については、製薬会社との契約や癒着があるのだろうと推測している。
見切り発車だったかという問いに、森田は「間違いない」と答えた。緊急承認であり、病気が出て1年でワクチンができることは普通ありえない、というのがその理由である。森田は、医学は大きく進歩しているイメージがあるが、次々に出る新薬のほとんどは「ポンコツ」で、統計をとると少し成績がよいという程度のものが多く、個人が実感できるほどの薬はほぼないと言う。新薬は基本的に使わないのが医学の鉄則であり、後からどんな副作用が出るか分からないからだという。例として、薬害エイズや、普通の薬局で売られていたのちに胎児への危険が分かって世界的に禁止されたサリドマイドを挙げた。
森田は、余命が短い高齢者や、免疫力が下がってコロナで亡くなりやすい人がリスクをとって接種するなら、百歩譲って分かると言う。しかし若者まで全員に打たせ、最終的には生後6か月の赤ちゃんまで対象にしたことには強い疑問を示した。そうした声を上げると、国、医師会、製薬会社の「ズブズブ」の仕組みの中で叩かれるのだという。
「目に見えない恐怖」に支配されないために
現在もワクチンは希望すれば接種できるが、ほとんど打たれていないと森田は言う。一方でコロナは今も流行しており、収束したのではなく「ただの風邪になっただけ」だという。森田に言わせれば、最初からただの風邪だった。かつても高齢者は、風邪をこじらせて肺炎になり、毎年10万人以上亡くなっていた。コロナ以降は肺炎が7万人に減り、コロナが3万人増えた。だから何も変わっていないのではないか、というのが森田の見方である。
インタビュアーが、実績とデータに基づいて発言する医師が増えなければ陰謀論として片付けられてしまうのではないかと問うと、森田も同意した。コロナが本当に怖かったのか、ワクチンが本当に効いたのかをきちんと検証しなければ、次に同じことが起きたときに繰り返してしまう。本当に危険なウイルスなら徹底的に対処すべきだが、大したことのないウイルスに過剰に怖がり、過剰に反応してしまうおそれもある、と森田は言う。
森田が強調したのは恐怖の力である。恐怖は人の心を支配し、冷静に考えられなくさせる。もし誰かが国を思いどおりに動かそうとするなら、恐怖で支配すれば簡単に動く。そのことがコロナでよく分かった、と森田は語る。ミサイルや核兵器は目に見えるが、感染症は目に見えないので最も恐怖を与えやすい。目に見えない恐怖がどれほど世界を変えられるかを体験した以上、それをもう一度やりたくなる人が出てきてもおかしくない、と森田は懸念を示した。
孤立と、草の根への期待
夕張の医療崩壊とコロナ騒動を、医師と経済学の両方の視点で見られたことは有意義だったかと問われると、森田はそうだと認めつつ、「逆に孤立しました」と答えた。両方をやった人はほとんどおらず、自分にしか見えていない世界だからだという。医療業界では完全に孤立している一方、理解してくれる少数の医師たちからの支持は非常に熱いとも語る。自分の側が本質だという確信は揺らいでいない。
そのうえで森田は、医療業界や行政に多くは期待できず、草の根から市民の意識を変えることに、せめてもの望みをかけていると述べて話を締めくくった。
すいません。よろしくお願いします。はい、よろしくお願いします。
今回の動画は安さの提供でお送りしています。ご支援いただきありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
森田先生は医者自体は何年やられてるんですか?20年ちょいぐらい。専門で言うとあるんですか?専門はないです。ないというか、一応あるんですよ。一応内科の認定医っていうのもあるし、総合診療っていう領域のプライマリ・ケア指導医っていうのも、よくわかんないだろうけど。
つまり内科って言ったら内科一般でしょ。内科の他には外科もあるし皮膚科もあるし眼科もあるし、耳鼻科もある。プライマリ・ケア、総合診療ってのはそれ全部含むんですよ。精神科まで。
昔の町のお医者さんって何でも診てくれたんですよね。内科小児科って書いてある病院も結構あったでしょ。昔は内科も小児科も、精神科も、もっとすごい人は産婦人科まで全部見れた人が結構いて、実は今でも離島とか田舎とか行くと、そんな専門医、田舎になかなかいないですから。なるほど。全部見なきゃいけないんですよ。
そういうのがプライマリ・ケアって言って、実は世界ではお医者さんの半分ぐらいはプライマリーなんです。あ、そうなんですね。結構じゃ日本ぐらいなんですか?そういう結構ガチガチに。ガチガチの専門主流になってんのは日本とか、ごく一部の国ですね。
今じゃあご自身で開業されてやられて。はい、そうですね。なるほど。でも頂いたように、財政破綻した夕張市の医療崩壊の状態っていうんですか?それを再生させたっていうことなんですよ。
再生させたっていうのは全く違って。あ、そうなんですか。そこで観察をしていたっていうぐらいのもので。観察。
元々夕張でやられてたんですか?全然関係ないです。出身は横浜ですし。横浜で、なんで夕張に行くことになってるんですか?まず。えっと、全部自分の希望で。あ、希望で。それ一つですか?
僕医者になったのが31か32ぐらいだったから、それの5年、6年後、研修終わった後だから、36、37ぐらいじゃないですかね。
で、まずじゃあなんで夕張がそういう医療危機と言いますか、っていうのを知るんですか?カトウさんちょっと若いからあんま知らないかもしれないけど、夕張って財政破綻したんですよ。夕張市が。もう市が破産しちゃったね。当時は日本中の大ニュースで、毎日お昼のワイドショーも夕方のワイドショーも、1ヶ月ぐらいずっとやってた。
なんで財政破綻しちゃったんですか?それは元々炭鉱の町だったんですね。炭鉱の町だったんだけど、石炭取れなくなるでしょ。取れなくなるっていうか、石油に時代が移っていくから石炭の時代じゃなくなるわけですよ。そうすると石炭取れる街っていうのはどんどん廃れていくわけですよ。
しかもそもそもね、九州の炭鉱なんかは平地だったりさ、元々街があったところで石炭が取れるっていうとこもあるんだけど、夕張ってのはすごい山奥なんですよ。山の上にあるんですよ。ほとんど人住んでなかったところに石炭が取れたから、みんな10万人その山の上に移住して、ほとんど炭鉱労働者なんです、そこ。
で、そこがなくなっちゃったから人口が一気に急減して、マックス10万人以上、12万人ぐらいいたのが、今1万人切って5000人ぐらいなんですよ。急に人口が減っていった。
石炭取れなくなって産業もなくなった。「炭鉱から観光へ」って言って市が色々観光に力を入れたんだけど、それもポシャっちゃって。財政としても人口が減ると税収も減るでしょ。だけど支出を下げるっていうことがなかなかできずに、スピード感が追いつかない。急に減るからね。それで財政がうまくいかなくなって、産業もなくなる、人口も減る、しかも急激に。だから市が破産しちゃったんですね。
それって破綻した市町村って何かしら国からの援助とかって受けられる?財政破綻してしまった市町村ってもうほぼないんですよ。結局半分は借金を国が持ってくれて、残りの半分は時間をかけてゆっくり返していこうねっていう。今でも返してますよ。
それで森田先生は自主的に行こうってなるんですか?そう、そう。そもそもね、僕、医者になる前は経済学部だったんですよ。あ、そうなんですか。大して医者になりたいと思って医者になったわけじゃないんですもん。なんとなく流れでなっちゃっただけで。経済学部の素養があって医者になってるから、見に行きたくなっちゃったんですよ。財政破綻した町で病院もなくなっちゃった。
市立病院があったんですよ、その前はね。171床の、そこそこ大きな総合病院的なものがあったんだけど、それが運営できなくなっちゃって潰れたわけね。で、小さな19床の診療所に格下げになったわけですよ。しかも市内に1個しかないんですよ、病院は。そこがほぼ1/10になっちゃった。
町も財政破綻した、医療崩壊した、高齢化率なんと日本一、高齢者がめちゃめちゃ多い、っていう街が一体今後どうなるのかっていうのを、医療的な視点でも経済的な視点でもすごく興味が出てきて、見に行きたくなっちゃったんですね。勝手に。
へえ。医療的な視点で言うと、まず行った時は19床に対して、医療必要とされてる方って何名ぐらいいたんですか?それはね、微妙ですね。微妙っていうのはどういう?
つまりこれね、本当に医療的な闇的な部分なんだけど、医療が必要な人って例えばどういう人だと思います?怪我した人?大怪我した人は夕張では何もできません。札幌に送ります。そういう救急的な処置はできないんです。大きな手術とかできないんです。だからそれは夕張の守備ではない。
なるほど。となると他は、植物状態の人とか。高齢者の寝たきりの人。でもそれって別に病院じゃなくて施設でもいいんですよ。つまり僕が今何を言いたいかっていうのは、入院が必要な人はどれぐらいかね。171から19になっちゃったので大丈夫だったのかっていうことですよね。
僕のボスだった村上先生っていう先生はすごい人で、医療崩壊した病院を再生したというか、夕張の医療崩壊を救った人物と言われてるすごい人なんだけど、171床あった病院が19床になった。でもその先生は、高齢者の多い町に本当に必要なのは病院医療以上に生活を支える医療だ、ということをダーンと打ち出して。
生活を支えるね。つまり、老化現象って、認知症でも骨粗鬆症でも脳梗塞の後遺症でも、医療で対処しても治らないんですよ。治らない。でも治すふりぐらいはできますよ。薬出すとかね。だけどほとんど治んないんです。
治んないんだったら、治んないからもう来るなって突き放すんではなくて、ちゃんと気持ちを聞いたり寄り添ったりして、在宅で過ごして、何かあった時にはすぐ駆けつけるとか、訪問看護も入れるとか在宅医療入れるとかね。在宅で過ごして、在宅医療を導入しようというようなことを言って。
171床の病院が19床になった。普通だったら、そこに入院できない人がいっぱいいると思うじゃないですか。それがね、なんとね、ちゃんと腹を割って膝を突き合わせて、じいちゃんばあちゃんとかご家族たちとお話をしていくと、やっぱり家がいいってみんな言うんですよ。
病院でも施設でも家でもいいよ、どこがいいって言ったら、やっぱ家がいいな、できればって言うんですね。じゃあ家で過ごしていい。その代わり訪問看護が入るとかね。在宅医療で僕らが月に1回とか行って、生活環境を見て、これなら大丈夫だねみたいなね。それで薬を出すとかさ。そういうことをやってくと、なんと19床の病床がほとんど埋まらなくなったんですよ。
へえ。それによって、例えば死亡率とか健康的な弊害みたいなの。まさにそれですよ。つまり、病院がなくなった、医療がちょっと撤退したみたいな印象ですよね。それで健康被害が出るかもしれないじゃないですか。それで僕も気になったから、財政破綻、医療崩壊前の5年と後の5年で死亡率測ってみたら、ほとんどの病気で大して変わんなかったんです。
じゃあそれだけ必要以上に入院とかさせてたっていうことなんですか?これは日本だけじゃなくて、医療の世界ではよく起こることです。だって日本って、アメリカとかイギリスと比べると人口あたりで5倍も病床持ってんですよ。5倍も病人いるわけないでしょ。いないのに、その病床を全て埋めようとしてる。つまりほぼ埋まってるんですよ。これってまあ、おかしな話ですよね。
これって全く夕張の例と同じパターンなんです。入院したら安心だと思うじゃないですか。安心じゃないんですよ、特に高齢者は。安心、それは精神的なことですか?精神的なこともあるし、例えばコロナが流行ってた時期もあったし、インフルエンザが流行ってるとか、いろんな感染症で面会制限とか外出制限とか、入院してるとほとんどそういう状態になります。人と会えないわけでしょ。
しかも特に高齢者なんかは、歩いたら転んで怪我しちゃうかもしれないから歩行も禁止。ベッドで座ってるか寝てなさい。生活を管理されるんですよ。生活を制限されるんです。そうすると高齢者の人って特に、歩かないっていうことがすごくストレスだし、安全安心だと思って入院、半年も入院したらみんな歩けなくなります。
そういう意味では、管理されたところから解放されて健康になられたっていう印象ですか?その町の高齢者は。健康になったっていうか、気持ち的には健康になった人は多いでしょうね。病院で管理されるんじゃなくて家に帰るから。でも健康度的に言うと死亡率はあんま変わんなかった。数字で言うと変わんないけど、気持ちは数字に出ないから。
でも1つだけ端的に表れたのは、医療費がめっちゃ下がりました。病院を使わないと。そう、病院で入院しないから。入院医療費の方が高いですからね、在宅医療より。
それってやっぱ病院側が入院させようとしてたのか、高齢者側の人たちなのか。両方。病院も満床にした方が儲かりますから。利益が出るっていうか、スタッフも雇ってるから給料払わなきゃいけないし、やっぱ満床にしておくのが経営上は有利というかね。そりゃそうですよ。
で、高齢者側の視点で言うと、ちょっとでも体調悪かったら入院した方がいいんじゃないかっていう思い込みじゃないけど。そう。今日本中でもまだそうでしょ。
僕のボスだった村上先生が何がすごかったっていうのは、本当に経営だけを考えれば、病院19床を満床にしてでも在宅医療も行くっていうのがいいんだけど、そこじゃなくて、満床を決して目指さずに、本当に本人、高齢者さんとご家族と話し合って、あなたはどういう風に生活をしたいのかっていうのをちゃんと聞いて、在宅なら在宅、施設なら施設、病院なら病院でやってたら、本当19床なんで、僕が行った時にマックス5床ぐらいしか埋まってなかったです。
あ、そうなんですね。その時の5床の人たちってどういう人たちなんですか?ちなみに。がんの人とか、本当家族がちょっと介護ができずにとか、本当に悪い人とかね、骨折した人とかさ、そういう人は入院。
実は今時、高齢者に対して入院で行うような治療っていうのは在宅でもほとんどできます。点滴もできるし、エコーもできるし、もちろん麻薬を使うことだってできるし、がんの人とかにいろんなことができますから。在宅でもほとんど変わりないんですよ。ただ、じゃあ僕らが在宅で点滴しまくってるかっていうとほとんどしないです。僕が点滴するのは年に1回ぐらいしかないですよ。
点滴って、水分を補給するって意味の点滴と、その中に薬剤を入れる、治療に使うっていう点滴とあって。治療に使う方の点滴っていうのは使います。抗生剤を入れるとかね。だけどそれ飲み薬もあるから。
やっぱ点滴だと生活が制限されちゃうから。管が入るでしょ。で、針抜かなきゃいけないとか、トイレにも行きにくいじゃないですか。だから飲み薬の方が圧倒的に生活に便利なんですよ。だから飲み薬で対処できるんだったら飲み薬で対処する。それでも、飲み薬より点滴ガツンといった方がいいなと思うんだったら点滴使うけど、そういうことは年に1回ぐらいしかないかなっていう感じですね。
で、水分を補給する方の点滴ってのはあって、例えば老衰で寝たきりになって、だんだん看取りに近くなってご飯が食べられない、水も飲まなくなってきた。水分が足りないんじゃないか、水分補給のために点滴をしなきゃいけないって大体皆さん考えるんですよ。ご家族も、全然ご飯も食べてないから水分ぐらい足してあげた方がいいんじゃないか。これね、あんまり良くないんです。
ええ、そうなんですか。そうなんですよ。食べられなくなるっていうのはね、人間って、動物全てそうだと思うんだけど、亡くなる時って上手にプログラムされていて、苦痛がないように食べられなくなる、飲まなくなる。これって自然に体が細くなっていって、上手に亡くなるまでのプロセスなんですよ。だから食べられないから死ぬんじゃないんです。老衰の過程の中で、だんだん食べられなくなるっていうプロセスが組み込まれているんです。
なのでそこで余計な点滴入れちゃうと体中に水が溜まって、足とかお腹とかに水がぶよんぶよんに溜まるとか。しかも肺の中にも溜まるからね。痰がめちゃめちゃ出てくるとか。で、痰の吸引とかするんですよ。鼻から入れて、溜まった痰をジュルジュルって吸って戻すんだけど、それめちゃめちゃ痛いんですよ。痰の吸引って、気管まで管入れるんですよ。ここまで。それ痛いでしょ。でも病院ではしょっちゅうやってます。
だから組み込まれたプログラム通りに上手に見守っていくっていうことをやっていくと、ほとんど医療的介入をせずに、苦しまずに、本当にみんな笑ってますよ。子供たちに囲まれて。会話もちょっとできるしね。聞こえてるから。言葉はちょっとしか出ないけども、ニコって笑ったり。すごい穏やかな。
まさに、なんて言うかな、本当の老衰ですね、こういうのはね。穏やかな看取りです。体は小さくなっていきますけど、これはプログラムされたものであって、人的な介入をしない方が絶対にいいです。これは病院の先生でもほとんど知らない。僕も知らなかったもん。
でも、それがメジャーになっちゃってる理由は、さっき言ったようなビジネス的な観点の病院と患者さんの。病院は安全安心だと思ってるでしょ、患者さんは。でも病院にしてみたら、病院に入院してんのに何もしないっていう手段はちょっと取りにくいんですよ。点滴ぐらいはとかさ。何にもしないんだったら病院にいる意味ないじゃん。確かに。だから病院としても、ちょっと点滴ぐらいはねとかね。まあ、そこまで思ってないと思います。点滴やるのが当たり前になっちゃってるから、病院は。
そうじゃなくて在宅医療だったり、医療的介入をできるだけ抑えて、いざ的にはガンと行くんだけど、普段はあまりやらない。そういう在宅医療をやってると、人々の満足度が圧倒的に上がるというのが気づきかな。
先生は今年齢何歳ですか?今54歳。54歳で、生まれはどこですか?生まれはね、横浜の金沢文庫とか、あの辺。金沢八景とか。
ご両親は何やられてたんですか?うちの親父は今は習字の先生、書道の先生やってますが、若い頃は52歳ぐらいまではサラリーマンでした。日産だったかな?早稲田出て日産入って、50過ぎでリタイアして習字の、書道の先生になるっていう。
お母さんは普通の専業主婦?専業主婦だけど、50で死んじゃったんですけどね。あ、そうなんですか。亡くなる前10年、20年ぐらいは公文の先生をずっとやってましたね。
ご兄弟はいたんですか?兄弟は3人兄弟で、僕は真ん中で、男ばっかり3人で。だから誰も医者なんか1人もいないんですよ。父親も母親も兄弟も、じいちゃんばあちゃんも、親戚になっても誰もいない。看護師さんもいねえな。だから僕だって、医者になろうなんて本当全然何にも思ってなかったですから。たまたまなんですよ。
でも勉強はできましたか?子供の頃。子供の頃ね、テストの点は極端でした。算数なんかは何にもしなくてもできたけど、理科とか社会って覚えなきゃだめじゃん。全く人の話聞けないので、僕。授業とか一切聞けないんですよ。先生の話を、興味ないことは一切聞けないんですよね。多分そういう障害、発達障害ですよね、今だったら。だって僕、小学校2年生の時にパンツ一丁で廊下に立たされたことあります。今だったら大問題だけど、それだけは覚えてる。よっぽど多動だったんだと。
一橋入られるんですよね。そう、最初はね。その前に中学受験もあったんですよ。あ、中学受験してるんですか。中学高校が駒場東邦っていう渋谷の学校だったのね。そこに入るのが、そもそも多動で全く勉強してないから全然できないわけ。しかも兄弟ね、上の兄ちゃんも下の弟も普通の地元の中学行ってるわけ。僕だけ横浜から渋谷のエリート中学高校に通ってたんですよ。
え、なんでそこに入りたかった?なんで入りたかったかって言うと、小学校の低学年の時って、ザリガニ釣りに行ったりね、川で遊んだり、泥んこ遊びしたり、ゴムボールで野球やってたり、なんかすごい楽しいじゃないですか。でも3、4年生になるとそこからちょっと違う風になりますよね。みんな野球やってたんですよ。
で、兄貴も野球すっごいうまくて、チームでエースみたいなね。自分は兄貴みたいには、まだ2つ離れてるからレギュラーにもなれないし、なんか面白くねえなって思ってたら、あ、でも俺もしかして勉強だったら兄貴に勝てるかもなみたいな。やってみてもいいかもなって言って、突然スイッチ入っちゃったんですよ。
で、塾に行くって勝手に言い出して、塾に行ったら塾の先生のめっちゃ面白い話が聞けるでしょ?学校の先生と違って塾の先生って話がうまいからめっちゃ聞けるわけ。しかも勉強もどんどん成績上がるから、ゲーム感覚で点数を上げることがゲームみたいになっていって、めちゃめちゃ勉強して、中学受かるわけですよ。
中高一貫ですよね。そう。その時は何になりたいとかあったんですか?ない、ない。だって中学高校行ったってさ、ただゲーム感覚で勉強して受かっちゃっただけだから、中学高校は一切勉強しないわけですよ。中学生の時はゲームばっかりやってた。で、中3ぐらいからギター始めたから、高校時代ずっとギター、バンドやってたよ。で、一切勉強しない。だから駒場東邦ではずっとビリ。
でも一橋行くじゃないですか?それはまたスイッチ入れたんですよ。浪人時代にもう1回スイッチ入れたの。一浪するんですね。そう。さすがに同級生みんな東大とか行くでしょ。あいつらアホなのに東大とか行ったら、じゃあ俺も行けるだろうなと思って。じゃ、もう1回スイッチ入れるかなと思って。で、一橋じゃん。そしたらまたゲーム終了だから、一橋でも全く勉強しないわけ。
じゃあ大学時代も別に特にこうなりたいなとか。ない、ない。ただ1つあったのは、就職したくなかった。就職は絶対にしたくなかった。俺、人の話聞けないから、人の言うことも聞けないわけ。だから組織に入ったら上司の話とか、命令とか聞かなきゃいけないでしょ。自分で納得しないこと全然できないんですよ。自分で納得して自分で決めたら一気にやるんだけど、自分で納得しないで人から言われたことは一切やらないんですよね。
だから今思うと、やりたいことやれていいよねみたいなことを言われるんですけど、やりたいことをやってるっていうのは確かにそうなんだけど、逆にやりたくないことを断る、一切やらないっていう、そっちの方が努力したと僕は思いますね。やりたくないことやらない。だから就職もしない。絶対にしない。まずマイナス回避から入ったんです。
でもさ、一橋の経済学部でしょ。同級生たちはさ、銀行とか商社とか、官僚になったりね、みんな就職してくわけですよ。でも僕全くやる気ないから就活も全くしないで、でも大学生の方がなんとなく有利だから留年を繰り返すわけ。
それご両親的にはオッケーだったんですか?両親はね、僕に対して何かを言ったこと1度もないです。勉強しろも言われたことないし、就職しろも言われたことないし、何かをしろとか何かをするなとか言われたことが1回もない。勝手に何でも自分で決めて、自分で決めたことは全部やる。強制されたとか、やれって言われたことは一切やらないから。もしかしたら俺が覚えてないだけかもしんないけど。
大学はね、2回留年します。だから高校卒業して1年浪人して、さらに大学も2年留年してるから、6年行ってるわけですよ。6年目では24、25ぐらい。でもその2回は計画留年ですよね。自分で留年したいからしてたって。そう。最後の単位だけ取らないで。この単位はいつでも取れるってやつだけ残して。
へえ。なんで2回で止めたんですか?2回目の留年の時に阪神の震災がありまして、でも僕暇じゃないですか。就職もしない、授業も全部取ってる、単位もほぼ取ってる。テレビで崩れてる現場とかいっぱい見るじゃないですか。でも本当の現場って見ないとわかんないから、見に行きたいなと思ったんで、まずボランティアで行ったんですね。
そしたらボランティアって1週間とか2週間で返されちゃうんですよ。また次のボランティアに応募すればいけるんだけど、めんどくさいじゃん、いちいちすんの。仮設住宅いっぱい建てる工事現場のバイトが、たまたま大学の掲示板に貼ってあって、あそこ行ったらとりあえず何ヶ月か働けるなと思って。結局半年ぐらい行ってましたね。
そこですごいいい経験はしたんだけど、そこで医学部に行くっていう選択肢をちょっと提示してくれた人がいて。お医者さんがね。一橋だけどブラブラして肉体労働やってるから、お前は医者にでもなれみたいなこと、軽く提案になったんだろうと思うんだけど。それで、医学部に入ったらさらに6年間就職を。そこもありますもんね。
しかも資格も取れるでしょ。資格取れれば、就職しないで組織の論理に縛られずに独立することってできるじゃないですか、将来的には。あ、医者って俺めっちゃ向いてるかもしれないって、そこで気づいて。そこから半年ぐらいまたスイッチをガーっと入れて勉強して、半年ぐらいで受かるんですよ。
マジすか?半年で受かったんですか?そうそう。すごいっすね。何大学ですか?今は宮崎大学。当時は宮崎医科大学。まあどっちでもいいんだけどさ。国立の医学部ね。卒業と同時に、って言ってもほぼ2年間は何もやってないんだけどね。でもさすがにその時に親父に、ふざけんなって言われましたけど。
ただ医学部入ったらまた勉強しないわけですよ。一切勉強しないの。だってそもそも医者になりたいっていう気持ちはあんまないから、今度はね、バンドばっかりやるんですよ。宮崎で。バンドをやって、これは本気でやってて、インディーズデビューをするんです。学生中にインディーズデビューして、アルバム2枚とシングル1枚出すんですけど。
何ていうバンドですか?ピッチャーゴロ。ピッチャーゴロっていう。どういう系のバンドだったんですか?ギターポップとか渋谷系とか、そっちですね。それ大学何年生の時?大学5年生、6年生ぐらい。
じゃあ卒業したらこのままメジャーデビュー目指そうぜみたいな気持ちだったんですか?自分的にはそうでした。ただメンバー全員医学部生だから、奴らは将来をかけるまではいかないですよね。僕はこのまま音楽で、とりあえず研修医は一応やるけど、ほらGReeeeNみたいなね。歯医者さんやりながら音楽もやるみたいなことができたらいいなと漠然と思ってたけど。
でもぶっちゃけ、このピッチャーゴロは大して売れなかったんですよ。インディーズデビューこそしたけど大して売れなかった。結局3枚目のアルバムは出せなかったし。大きな挫折かな。その頃は研修が忙しかったから挫折してる暇もなかったぐらいだけど、気持ち的にはやっぱり、次もうダメかなって思ってましたね。音楽も鳴かず飛ばずで、どうすっかなと思った時に夕張が財政破綻したわけ。
研修5年目ぐらいの時。研修は最初、初期研修が2年で、その後僕は内科の研修っていうのをやったんですよ。内科医として3年の途中ぐらいで夕張が財政破綻して。音楽も売れないし、医者として生きてくんだったらなんか面白いことないかなと思ってたら、夕張が財政破綻して病院が潰れちゃって、医療がすごい1/10に縮小したけど、これから生活を支える医療でやっていくんだっていう村上先生がそこで出てきたから、これめちゃめちゃ見に行きたいって。勝手に。村上先生の本を読んで超盛り上がって、よし、これ面白そうだから行くぞ。
入院するのが当然だよねとか、点滴やるのが当然だよねみたいな風潮への疑問みたいなのもあったんすか?その時すでに。その時は点滴まではほぼなかったです。ただ、全然食べられないのに鼻から管入れて栄養入れて、天井見たまま、ほとんど反応もないまま何年も、っていう人がね、6人部屋の6人を全部埋めてるのが何部屋もあるみたいな。そういう医療は本当に果たして人の幸福のために役立っているのかな、っていう疑問はありました。研修の頃から。
元々経済学部だったっていうのもあって、1回全体を把握しないと気が済まないようなタチがあるんですよ。だから研修医の時に大きな病院で、専門医療の端っこの研修をしたと。で、今度は田舎のプライマリ・ケア的なものをちゃんと勉強したいなと。
その頃から、イギリスとかフランスとか先進国の医療は、専門医療とプライマリ・ケアは全く2つに分かれていて違うものだっていうのは分かってたから、専門医療の世界は4、5年でなんとか一応垣間見たと。で、次はこっちのプライマリ・ケアの世界もちょっと垣間見たいなと、見学したいなというような軽い意味で。僕にとってはすごい最先端なんです。自分で決めたら絶対行くから。
で、その時にね、子供が上の子が2歳で、真ん中の子が3ヶ月ぐらいだったかな。当時もすごい反対されまして。どうやって説得したんですか?最終的には、俺1人でも行くから。行くって決めたらもう止まらないんですよ。
その時点で19床の病院に勤めるんですか?19床にもうなってました。なって1年後ぐらいかな。だから昔の病院はないわけですよ。その19床の病院はお医者さん何人いたんですか?多い時は4人ぐらいいましたね。でも僕1番下なわけ。だって研修上がりだから。小さな病院っていうか診療所ですよね。有床診療所になっていて、在宅医療もやっていて、その状態で行ったので。
もう在宅医療ある程度浸透して?いや、浸透はまだしてなかったですね。じゃ、患者さんからの反発とかもありましたか?ありましたよ。やっぱり大きな病院がないっていう不安はすごく大きかったんで、村上先生なんかは夕張市民からすごく攻撃されましたね。それは本当かわいそうでしたよ。
僕は夕張行ってから4年目だったかな?ちょっと忘れましたけど、その時に僕のボスだった村上先生がいきなりやめちゃうんですよ。いきなりやめて、その間にも先生がいるんだけど、その人ももういなくなってて、僕がいきなり院長にさせられた。え、じゃあ1人だけになっちゃうんですか?その下にまたちょっと先生がぼちぼちいたんだけど。
なんで急にやめちゃったんですか?それがですね、村上先生が地方講演かなんかで出張してる間に。村上先生は奥さんも子供もいるんだけど、夕張には単身赴任で来てたから夕張の家があるんですよ。ちなみにその一軒家が村上先生で、その隣の一軒家が僕。医師住宅みたいなのがいくつかあったんですよ。その1つに村上先生が1人で住んでいて、うちの家族は隣に住んでいたんですよ。
で、村上先生が出張してるその間に、村上先生の愛人が村上先生の別の愛人を包丁でお腹を刺すっていう事件があった。愛人が愛人を刺すっていう。その夕張の自宅で。え、それ亡くなられたんですか?いや、未遂で終わりました。刺された方の人も命は助かりました。
本当にね、NHKのニュースとか、テレビ朝日、テレビ東京、フジテレビ、TBS、日本テレビとかわーっと、うちも囲まれるんですよ。警察も来て、救急、ドクターヘリでそこから運ばれるし、大変なことになったんです。で、村上先生はそれで結局病院を去ることになったんですね。責任を取るって形で。
まあ、しょうがないっちゃしょうがないんですけど、こっちとしてはまだ研修上がりで大した年数も経ってないのに、いきなり院長にさせられるわけですよ。そもそも組織が嫌いで、そんな組織のトップなんかなりたくないわけですよ。だけどもうしょうがないじゃないですか。
しかもその後に判明するんですけど、僕が院長になってから警察の人が来て、刺した方の愛人の方は病院で看護師として働いてましたよね、でも看護師免許、先生確認されましたって言われて。いや、そもそも俺院長じゃなかったし、知りませんけどって。どうも偽看護師みたいですって。結局免許を偽造してたらしいんです。
すごいっすね。すごい事件なんですよ。だから結局、僕は何にも知らんで院長になったけど、その後保健所にも謝りに行ってね。だって院長だから。偽看護師雇っちゃったから。それで医療行為してたんですよ。注射させたりとか。反省文っていうか、いろんな手続きがあったり、刺されちゃった人には菓子折り持ってお詫びに行くとか、全部ひっくり返して。その時僕は体重10kgぐらい痩せましたよ。嫁さんが心配して、もう夜逃げするって言ったぐらい。
その村上先生からは、任せたぞ的な感じで言われるから仕方なくみたいな。そう、そう。だってもう他に行っちゃって、他でまた医療機関やっちゃってるから。しかも夕張は森田に任せたってことだけど、また夕張派と村上派で派閥みたいなのが始まっちゃってですね。
え、どういうことですか?それ。よくわかんないんですよ、本当に。何なんすか?派閥。外に出た村上先生の一派と夕張に残った一派。こっちは森田派で、こっちは村上派で、なんかいがみ合うみたいな。何かあるんですか?でも。いや、まあ隣町だからね。
とにかく夕張の財政破綻の前のデータと後のデータを比較して、経済学的分析をその時も始めてたからね。そのデータを一緒に村上先生と研究しようと思ってたけど、村上先生もいなくなっちゃったし、しかも派閥みたいになっちゃったし。派閥って、どんな足の引っ張り合いしてるんですか?これね、ちょっと生々しすぎて、そこまでは言えません。
なるほど。そんなこともやりながら。データはある程度集めて、1年で僕はやめました。もうちょっと限界だっつって。嫁さんももうそろそろ。何が1番限界だったってこと?やっぱ派閥が一番きつかったですね。仕事は大したことなかった。僕は別に村上先生のこと嫌いになってないけど、なんか嫌いみたいな感じになってるし。
在宅医療とかは、どうやって患者の人たちが納得する形で浸透していけたんですか?夕張ですか?それはね、時間が経てば浸透していきます。村上先生がやってた医療って、腹を割って膝を突き合わせて信頼関係を築いていって、その中で家がいいだったり、病院がいい、施設がいい、どこでもいいけど、その信頼関係をベースに最後まで寄り添っていくっていう医療だから、それは口コミで広まっていくんですよ。
データが揃ったんで、夕張を出てから結局九州に戻るんですけど、九州に戻ってから色々データ分析して、世の中に本を書いたりとか、レポート出したりとか、そういう風なことをやって。
そこの医療費とか下がってて、でも健康度は横ばいっていう。それってやっぱ、すごいぞみたいになるんですか?その界隈とか業界。1番バズったのは、夕張を出て2年目ぐらいにTEDに出たんですよ。TEDxKagoshimaっていう、プレゼンをするYouTubeの。へえ。それ医療じゃないな。
それこそ大統領も出てるし、有名な人、孫吉さんだったり、すごい人も出てれば、町の大学の先生とかさ、そういうレベルの人まで。それに僕出たんですよ。それが1番バズりましたね。それのタイトルが「医療崩壊のすすめ」っていう。
夕張でやってた医療を、患者さんの話とかいろんな住民の話とかを、個別の事例を出しながら、最後に医療費も下がったし、健康は下がってなかったよ。で、実はこれは夕張という特殊な町、医療崩壊した町の事例なんだけど、実は日本全体も今、世界から見たら病床はめちゃめちゃ多い、世界一多いし、でもその世界一多い病床が幸せに繋がってるのかっていうことにもなる。しかも日本は世界の高齢化先進地なんで、世界がこれから
どんどん高齢化していく中で、その最先端の日本が、病院とか医療が減っても医療費が減らせるし健康度は変わらないっていう、すごい高齢化の未来の姿を一番いい形で示してくれたんじゃないかっていうことをプレゼンしたわけです。そしたら、まあ、いいバズり方ですね。
へえ。それでも医療業界からしたら……
医療業界からはとんでもないやつだって言われましたよ。
ですよね。
もう本当、医師会なんかからはものすごい嫌われてます。だって病院がなくても大丈夫だよって言っちゃったんだから。
そっか。医師会っていうのはどういう団体なんでしょうか?
医師会ってのは医師の団体です。まあ主に開業医が多いんだけど、つまり医者側の代表ですよね。政治にも圧力かけられるし、いろんな利権を持っているところなんだけど、そこの根本を突き崩しちゃうことになるので。
そっか、もうそのビジネス的な視点で言うと。
そう、そう。だから今ある病院全部いらないんじゃないみたいなことになりかねないわけですよ。まあ全部はないですよ。まあ、極端に言うとそうです。極端に言うと、少なくとも2〜3割はいらないんじゃないみたいな話になって、そしたら、じゃあ潰れる病院、潰される病院が出てくるんだみたいなことになりかねないじゃないですか。
へえ。
まあ、潰されることはないですけどね。だってほとんど民間だから。え、それ医師会から圧力とか来たんですか?
圧力は、具体的な圧力はないです。
ない。
ないっていうのも、用がないから。僕、組織に入ってないから。医師会にも入ってないし、あの、病院にも所属してないし。
そっか。じゃ、帰ってきてからどういうことをされて?
えっとね、しばらくはフリーターしてました。フリーで、それこそ精神科病院から、えっと、小児科の病院から、全て把握したいから、いろんなところに週1回とかでアルバイトに入って、それで食いつないでいて。その後、ちょっとね、介護のレベルがすっごい高い、とんでもない……つまり、あの、夕張でやってたようなことを。夕張でやってたのって、村上先生がいて、訪問看護があって、介護があってっていう、そういう世界だったけど、それを九州の鹿児島の田舎のある地区で、介護施設だけでやってた人たちがいて。
ええ、医者なしで?
ほぼ医者なしだったみたいです。でも地域の人たちとの関係性をめちゃめちゃ密に作って。
ほう。
あの、もちろん医者もあれですよ、ちょっとは来るんだけど、基本はもうほぼほぼ介護だけで完結する。そういう夕張と同じようなことを介護だけでやってるような世界があって、そこに触れてしまったので、あ、こいつらと一緒にやったら、多分また夕張のさらにちょっと上のレベルの、もっと医療がいらない世界ができるんじゃないかと思って、そこでその山奥のとこで開業したんです。川辺町って、山奥って言ったらみんなに怒られるけど。
そっか、もう別に、最悪医療いらなくねって思ってるんですか?
そうそう。ほとんど医療が介入せずに、地域の人たち、家族の人たち、そして介護の人たちだけで。昔、江戸時代まで、明治時代まではそうやって地域で看取ってたんですよ、人間って。家族と地域の人たちとで看取って。だって病院なんかなかったんだからね、江戸時代。で、5〜6年前に開業して今に至ると。
へえ。
だからさっきも言った通り、あの、ほら、鼻からのチューブだったりとか一切なしで、最期にも点滴もほぼしないから痰もほぼ出ない。綺麗に枯れていって、最期までにこやかに、ちょっと会話とかも少ししながらお亡くなりになってくっていう世界を。いいでしょ。ほとんど医者が介入しないんですよ。
全然それで成立してる。
成立してるんです。逆にね、あの、寿命はもしかしたら延びてるかもしんないです、病院より。まあ、それ比較することはできないからね。同じ人でできないでしょ。まあ、感覚として。
制限された生活から解放されてるっていうのが一番でかい。
そう、そう。家族にも会えるし、密に関われるしね。
本来、元々そういう感じだったのに、そうじゃない方にこうシフトしていった原因って何なんですか?
やっぱり医療信仰でしょうね。だってさっきも言ったけど、あの、言われたけど、病院の方が安心じゃないですか?なんとなく安心でしょ?なんとなくです。
確かに、なんとなく。
今の僕の話聞いたら、え、そっちの方がいいじゃんって思ったけど、その話聞く前は病院の方が安心だと普通に思ってたでしょ。ね。みんなそうなんですよ。ちなみに僕もそうでした。さっきも言った通り、外出もできない、面会もできない。ね、そういう中で看取りって本当にできます?
家族ね、遠くの家族も来て、みんなで酒飲みながらね、見守っていて、声かけてさ、ずっと声かけてさ。奥さんはずっと声かけてる。もう旦那さんはこっちでビール飲みながらそれを見守ってる。で、旦那さんもまた声かけに行くみたいなね。ずっとこう手でさすりながらとかね。孫もその辺でわちゃわちゃ走ってるみたいな。そういう世界の方が圧倒的に人間的だし、幸福度が圧倒的に高いです。
なるほど。
はい。それはもう断言します。
じゃあもう先生個人で、その医者でお金稼ぎたいとかってもう一切ないですか?
一切ないですね。もう生活ができれば全然いいです。
お医者さんの中では、こうビジネス感覚の人とか多い……
医者なんだから儲けて何が悪いんだって、ほぼ全員思ってます。僕の感覚とは一切違います、それは。
なるほど。まあ患者第一っていう考えに基づけば、やっぱそれはあんまよくない。
みんなね、俺は患者第一で、それに医療を利用、あの、使っているだけで患者第一なんだって、みんな思ってます、どの医者も。思ってるけど、結果を見ればやっぱビジネスが入ってんですよ。だって鹿児島県と高知県が静岡県の2倍も病人いるわけないのに、埋まってんですから。
確かに。
それはミクロで見るのかマクロで見るのかで全然変わってくる話。これは僕はもう経済学の素養があるからそれが分かる話なんだけど、医者にはそういう素養がないから、一切話が通じないです。
じゃあ、あんま悪意ないって感じですか?
もう全く悪意ないですよ。医者は本当に必要だと思ってるし、本当にこう入院した方がいいと思ってるし。そして、あの、患者側も入院した方が安心、安心と思っている。だからWin-Winなんですよ。
そっか。ある意味幸せなんすね。
ある意味幸せなんだけど、でも実際にそこに行ってみると生活を制限されてしまうので、高齢者の幸福は阻害されると。
なるほど。どうやって変わっていくと思いますか?その状況から。
えっとね、これね、あのやり方ね、3つぐらいあると思うんです。1つは医療業界から変えていく。例えば若手を育てるとかね。で、医療業界の意識を変えていくっていうのが1つなんだけど、まあこれはちょっと厳しいかな。
あ、厳しい。
厳しいでしょうね。医者はね、変わらないですよ。ビジネス感覚で、あの、お金目的で、モチベーションがそっちに行っちゃう人が結構多いので。まあ時代的にしょうがないかもしれないですけどね。医療側から変わるのはちょっと無理でしょうね。ビジネスを捨てろなんて、まあ無理でしょう。
そうですか。
ね。で、2つ目の方法として、国とか行政とか、そっちの方から制度を変えたりすることをしていくっていう。あの、診療報酬をいじるとかね、病床の制度を変えるとか、そういうやり方もあるっちゃあるでしょう。なんだけど、これもいまいち期待薄かな。
おお。何ですかそれは?
えっとね、医師会とズブズブだ。あと製薬業界、医療業界と結構ズブズブなんで。マッチポンプだし、回転ドアだし。回転ドアって知ってます?
え、どういうことですか?
あの、行政の人と、医療業界の人が、結構トップがね、くるくるくるくる人交代したりしてんですよ。
あ、天下りで。
そう。天下りだったりとか。結構交流してるんで、もう忖度しまくるんですよね、行政の方も、業界に。
そっか。じゃ、さっき言ったような状況を、こう製薬とか国とかも絡んでこう回してるみたいな現状。
そう、そう。だから、今日全然話出なくて、まあちょうどよかったかもしんないけど、コロナワクチンがそれの典型ですから。
先生だから、コロナワクチンに、反対じゃないですけど……っていう立場なんですよね。
反対ですね。もうデータ見れば。僕、ほら、さっきも言った通りね、経済学的な視点で、まあデータを見るっていうのが、もちろん患者さんの現場の話も大事だけど、それとは別に、ミクロの視点とは別にマクロの視点で見るっていうのを、両方見ないと気持ち悪いんですよ。
で、じゃあコロナワクチンって、まあミクロで見てね、皆さんに打って――僕は打ってないですよ――あの、皆さん、国民の7〜8割が打ったんでしょ?ちなみに僕が打ってないってのは、患者さんに打つこともしなかったし、自分にも打ってないです、僕は。そういう意味で両方でね。
なんだけど、まずミクロで見るとね、ネズミの、ラットの試験あるじゃない?ラットでコロナワクチン打つと、昔言われてたのはさ、接種部位にとどまるから全身には回りませんよみたいなこと言ってたでしょ。で、ネズミに実験したらね、めっちゃ全身に回ってんですよ。
うーん。
それファイザーのレポートに全部書いてあるんです。微量ですよ。微量で、あの、筋肉とか目とか脳みそとか皮膚とか、いろんなネズミの臓器測ったら、ワクチン成分が微量に出てくるんですよね。で、その臓器を測ったら、なんとね、卵巣にめちゃめちゃ集積してんですよ。卵巣とか、まあ生殖機能のところじゃないですか。だから他の臓器は0いくつなのに、卵巣って10超えてるよみたいなのが出てて、これ大丈夫かなって。
え、大前提として、ワクチンっていうのは打ったら、こう全身の臓器に行ったらダメっていうことですか?
あのね、ワクチン自体は別に全身に行ってもいいっていうか、まあ物によるんだけど、ファイザーのワクチンはここにとどまって、ここで免疫の、あの、抗体を作るって言ってたんです。
なるほど。はい。
だから全身に回ることがないから、全身の副作用はまあほぼないでしょうっていう風に理論的には言われてたんだけど、でも実際は結構回ってたし、その中でも卵巣が特別多く集積していたと。で、まあ、でもそれはネズミの話だしね。集積してたって言っても、まあ卵巣でもそれでも微量だから大して影響ないなと思ってたんですけど、今あれですから、卵巣が2022年から突然増えてんですよ。卵巣の数が。卵巣のがんもそうだし、あの、死産率もめっちゃ増えてんですよ。
2022年か21年から始まってから。それまで死産率って徐々に徐々に低下してたんだけど、2021年、22年からグッと上がってるんですよ。それがワクチンのせいなのかどうかは因果関係はっきりしませんが、なんか気持ち悪いよねっていう。
で、しかもトータルで言うと、日本人の死亡数がワクチン始まってから10万人とか15万人とか増えてんですよ。すっごいとんでもない数の日本人が、それまで以上に増えちゃってる。これって何なんですか?しかも突然ですよ。
怪しいでしょ。因果関係わかんないんですよ。因果関係わかんないけど。
断定はできないけど、怪しい。かなり怪しいって言ってるのが、今、あの、そのワクチンに反対する人たちの主な主張で。だけど確たる証拠はないから、国の方は重大な懸念は認められませんって言って、ずっと国会で答弁してます。でも疑わしかったら調べるのが筋じゃないですか?調べようとしないんですよ、国は。おそらくそれは製薬会社とかとの、なんか契約だったり癒着だったりがあるんだと思います。
で、それってやっぱ、こうワクチンの治験が満足じゃない状態で見切り発車しちゃったっていう……
間違いないんです。だって緊急承認な……。もう病気が出てきて1年でワクチンができるなんてことは、普通絶対ありえないんですよ。
そっか。
だから、あの、医学ってすっごい進歩してるようなイメージあるじゃないですか。なんだけど、すごいいっぱい新薬出るうちのほとんどはポンコツです。
へえ。
大した効き目ないです。効き目があるんだかないんだかよくわからないけど、統計を取ってみたら、その薬飲んでた人の方がちょっと成績いいよっていうぐらいのだね。個人に実感できるような特別すごい薬ってほぼないです。新薬は基本使わないっていうのが医学の鉄則なんです。なんでかって言うと、後からどんな副作用が出るかわかんないんです。過去の薬害なんて全部それですから。HIVの薬害エイズもそうだしさ、サリドマイドだってそうだし。サリドマイドなんて普通の薬局で売ってた薬ですからね。それが後から胎児に奇形が出るって分かって、もう世界的に禁止になったんですよ。
まだね、高齢者とかね、あの、まあ先の人生が短かったり、あと、まあ免疫力が下がってコロナで死にやすいとかね、そういうリスクを取っても、そういうワクチンを打った方がいいって言ってんなら、まあ百歩譲ってそれぐらいは分かりますけど、若者まで全部打てとか、もう最終的には赤ちゃんから打ってましたからね。生後6ヶ月から全員対象になりましたからね。
確かにその話聞くと、もうゾッとしますね。
ゾッとしますよ。
でもそういう声上げても、さっきのようなこの国、医師会、製薬会社ズブズブシステムで叩かれるんですか?
そう。叩かれるんですよ。だからそうやって、まあ2つ目のね、行政とかも、まあちょっと期待できない。で、3つ目のやり方ってやっぱね、市民、患者側、市民側の意識が変わっていくこと、これが一番早いと思いますね。
つまり、みんなですよ。みんな、高齢者だけじゃなくて。医療にかかれば安心とか、病院に入院すれば安心とかいう、そのイメージがゴロっと変わっていく。そういう方が、今のこの医療を変えるには早いんじゃないかな。一番近道なんじゃないかなと僕は思ってますね。まあ、でもそれも難しいんですよ。それも難しいんだけど、その3つの中だったら一番近いかなと思って。だから、まあ毎日YouTubeもやってるし、本も書いてるし。
コロナワクチンで言うと、現在って今どんな感じなんですか?引き続き……
一応、あの、接種できる状態ではあります、希望すれば。ただ、あの、もうほとんど打たないです。ほとんど打ってないです。聞いたことないでしょ、打ってる人。
そうすね。
コロナ、ちなみに流行ってんですよ。
ああ。そこもなんかよくわかんないですね。ふわっとこう収束してったじゃないですか。
そう。収束してないんですよ、実は。コロナは、感染は結構みんなしてんですよ。ただの風邪になっただけで。でも最初からただの風邪だったんですけどね、僕に言わせると。だってただの風邪でも、あの、高齢者は亡くなってたんですよ、昔は。だって肺炎で10万人亡くなってたって、みんな知らないでしょ。僕らそれを見ていたんですよ。肺炎って、風邪をこじらして肺炎になるっていうような、まあ大雑把な意味でそうですよ。高齢者になると免疫が弱まって体力が落ちてきて、風邪引いても、あの、肺炎になって死んでしまう。残念ながら命を落としてしまうっていうことが、毎年10万人以上いたんですよ、そういう方たちが。でもそれがコロナになって、肺炎は7万人に減ったけど、コロナが3万人増えましたって、こうやって何も変わってないんじゃないかって。
ね。お医者さんで、こうちゃんと実績があってデータに基づいて発言してる人が増えないと、変な陰謀論とかになりそうすよね、そういうことがあると。
陰謀論で済まされちゃうとかでね。
ある意味だから、変に乗っかられても困るっていうか。
そうですね。だからね、これをちゃんと検証しないと。振り返って本当はどうだったのか、コロナが本当に怖かったのか、ワクチンが本当に効いたのかってのを、実際どうだったのかってのをちゃんと検証しないと、もし次来た時に同じことを繰り返しちゃうんですよ。
そうですよ。本当に怖いウイルスだったら、それはこうあれですよ、本当にがっつり対処しなきゃいけないけど、大したことないウイルスでも、過剰に怖がって過剰に反応したことが、もしかしたら出てきちゃうかもしれない。
へえ。
やっぱね、心理的なところで影響しちゃうんですよね。だから恐怖って、あの、人々の心を支配しちゃうので、何も冷静に考えられなくなっちゃいます。だから恐怖……逆に言うと、あの、もし誰かがこの国を、なんかこう自分のいいように動かそうと思ったら、恐怖で支配すれば簡単に動いちゃうんですよ。
なるほど。
それが今回のコロナでよくわかった。だから感染症の恐怖って……感染症って目に見えないじゃないですか。ミサイルとかだと目に見えるけどね。核兵器とか目に見えるけど、感染症って目に見えないから、一番恐怖を与えやすいんですよ。だから今回これ、コロナで目に見えない恐怖っていうのがどれだけ、あの、世界を変えられるかっていうのを体験しちゃったので、それをもう1回やりたくなる人が出てきてもおかしくないですよね。
そうか。夕張の医療崩壊を見れたことと、今回のコロナ騒動を、やっぱ医師でもあり、あの、経済学的な視点も持ってるっていう立場で見れたのは、まあ自分にとっては非常にこう、まあ有意義だった。その経済っていう経歴が有利に働いたっていうのはあるけど、逆に孤立しましたね。自分しか見えてない世界なんで、これって。両方やった人なんてほとんどいないんですよ。
そっか。しかもこう、悪意なく金儲けに走るっていうこともできないみたいな。
そう、そう、そうなんです。医療業界ではもう完全に孤立しているし。
してるんですか?
でも、あの、それを理解してくれる少数の医師たちからの支持はめちゃめちゃ熱いですけどね。間違いなくこっちが本質なんで。草の根から、市民の意識から変えられたら。せめてそこぐらいしか期待ができないかなと。というとこですね。
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