「自分らしく最期まで」は本当に救いか スピリチュアルケア師・玉置妙憂が語る、夫の看取りと死にゆく人の心

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概要

玉置妙憂氏は看護師で、僧侶でもある。現在は病院で「スピリチュアルケア師」として、余命を告げられた人の話を聞いている。玉置氏がこの道に進んだのは、がんの治療をやめて自宅で亡くなった夫を看取ったことがきっかけだった。インタビューでは、死にゆく人の心で何が起きているのか、家族はなぜ揺れるのか、余命告知は誰のためにあるのかが語られた。玉置氏は経験を重ねるほど「難しい」と感じており、答えが出ていない問いもそのまま話している。

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スピリチュアルケアとは「話を聞くこと」

玉置氏によれば、「スピリチュアル」という言葉は誤解されやすい。水晶玉を擦るようなことを想像されがちだが、実際にしているのは「平たく言うと話を聞いている」ことだ。対象は、余命がおおむね3か月ほどと分かっている人たちである。

こうした人たちの多くは、死ぬこと自体はしょうがないと考えていて、特に怖がってはいない。怖いのは、死ぬまでに何が起こるかだという。痛みが出る、呼吸が苦しくなる、家族と別れる、心が乱れる。玉置氏がよく聞くのは、このプロセスへの恐れである。

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「自分らしさ」にこだわると苦しくなる

玉置氏は、医療や介護の現場で好まれる「最期まで自分らしく」という言葉に疑問を持っている。自分らしさと簡単に言うが、自分とは何かを人はどれだけ分かっているのか。しかも自分は、出会いや仕事の変化とともに変わっていく。どの時点を切り取って「自分らしい」と呼ぶのか、という問いである。

死にゆく過程は、玉置氏の言い方では「全部を捨てていく」過程だ。最初に健康を失い、次に人付き合いや仕事を手放し、最後には家族とも離れる。そのたびに自分は変わる。だから「自分らしさを最後まで」にこだわると、どんどん自分でなくなっていくプロセスにしか見えず、つらくなる。玉置氏は、自分を固定して考えず「これが今の自分」と受け止められる方が楽だと、多くの人の話を聞いて感じている。

これを玉置氏は「立っている土台を変える」と表現した。自分の足で歩き、自分で判断し、自分で食べられることを自分らしさだと思っていた人は、歩けなくなったとき、かつての自分らしさの上に立ち続ける限り「失った自分」でしかいられない。食べられなくても、歩けなくても、何もできなくても、それが今の自分だと思えるように土台を作り替える。ただ、これは簡単ではないし、作り替えられるのは本人だけで、玉置氏が代わりにやることはできない。本人が思いを話すうちに少しずつ変わっていくが、途中で諦めれば苦しいまま終わってしまう。玉置氏は自分の役割を、その作業を続けるための「周りにあるちょっとしたエネルギー」のようなものだと説明した。

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WHOの「4つの苦痛」とスピリチュアルペイン

体ではなく心をケアするという考え方は昔からあったが、医療の世界がはっきり言い出したのは、玉置氏の説明では1998年、WHO(世界保健機関)が緩和ケアを進めようとしたときだった。人の痛みは体の痛みだけではないとして、4つの苦痛が示された。身体的苦痛、心の苦痛、お金がないといった社会的苦痛、そして4つ目がスピリチュアルペインである。ここから医療は、体を治して痛みを取るだけでなく、その人の存在そのものを支えるケアを目指すようになった、と玉置氏は話す。20年あまり前のことだという。

実際の会話は世間話から始まる。違うのは返し方だ。たとえば相手が「今日はいい天気だね。子どもの頃の夏休みを思い出すわ」と言ったとき、「本当に暑いですね」と表面に返せば会話はそこで止まる。相手が短い言葉に込めた、記憶の階段を降りようとしている部分、つまり「子どもの頃の夏休み」にすかさず焦点を当てる。そうするうちに、話がその人の深いところまで及ぶことがある。ただし玉置氏は、深いところまで行かなくてもよいとも言い添えた。

夫が選んだ「自由」

夫はがんで62歳で亡くなった。玉置氏とは16歳離れていて、当時玉置氏は45歳か46歳、すでに看護師だった。がんは一度手術で収まったが、その後再発した。

夫は酒が好きで、入院すると飲めないため病院から帰ってきてしまった。病院からは事実上出入り禁止のような形になり、自宅で看ることになった。最初はまだ歩き回れるほど元気で、体も思い通りに動いた。本人は強気で、治療はしない、抗がん剤は絶対に嫌だと言っていた。

看護師として、玉置氏は「一生懸命治療した方がいい」とはあまり思わなかった。玉置氏の説明では、抗がん剤には効く確率があり、非常によく効く場合でも30%ほど。夫に残された抗がん剤の効果は1〜3%程度だった。治療というより、薬を使ってどれだけ長くこの世にいられるかという段階に入ったと分かった。夫が1分1秒でも長く生きたいと望むなら治療すべきだったと思うが、抗がん剤の副作用はつらく、大好きな晩酌もできない。夫は自由を優先したいと考え、2人で話し合った末に治療をやめた。

治療をやめてから、夫は「すっごく楽しそう」で、途中までは満足していたと玉置氏は振り返る。玉置氏もこれでいいのだと思っていた。この時点では玉置氏は仕事を休職していた。

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「病院で治してほしい」と言われたとき

ところが症状が進み、腹水でお腹が大きく腫れ、本人がしんどくなると、夫の考えが変わった。治療はしないと聞いて覚悟を決めていたのに、だいぶ経ってから「そろそろ病院に行って治してもらおうか」と言い出した。玉置氏によれば、最初に医師が示した選択肢はいつまでも残っているわけではなく、時間とともに減っていく。夫がそう言ったとき、治療の道はもう残っていなかった。

玉置氏は絶望し、「どうすんのこれ」と思った。後悔というより「八方ふさがり」の感覚だった。もう少し早ければやりようもあったのに、という気持ちもあった。それでも怒っても仕方がないので、その選択肢はもうないのだと一つずつ夫と話した。玉置氏は、医師から十分に話を聞いて分かっていたはずでも、人は治ると思ってしまうものだと言う。自分で症状をコントロールできていた間は強気でいられたが、それができなくなると誰かに頼りたくなったのだろう、と夫の心境を推し量った。

このとき玉置氏自身も苦しかったが、それを話す先がなかった。すべてが片付いた後、なぜあんなにつらかったのかを振り返り、あれが自分のスピリチュアルペインだったと気づいた。それが勉強を始めるきっかけになったという。結局、夫は腹水を抜くための一時的な入院はあったものの、最期まで自宅で過ごした。

体は人生をしまう準備をする

亡くなる半年ほど前から、人は外に出なくなり、世の中への関心が薄れて自分のことを考えるようになる、と玉置氏は話す。3か月ほど前からは食欲がなくなる。それは食べられないのではなく、食べたくないのだと思う、と玉置氏は言う。夫も食べられないことを苦にしていないようだった。

夫がほとんど食べなくなったとき、玉置氏は家族で食卓を囲むのをやめようと考えた。食べられない人の前で家族がバクバク食べるのはよくないと思い、夫には少しの食事を渡し、家族は別の場所で食べようとした。すると夫の方から、一緒に食べてほしいと言われた。家族が食べているのを見るのは面白いし楽しい。人が食べているのを見ると、自分も一口食べてみようかという気になる。だから気にせず目の前で食べてほしい、と。

玉置氏はこうした変化を、体が人生を「しまう準備」をしていると表現した。意識もそれに合わせて準備していると思う、という。

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心は順調には枯れてくれない

ただ、体と心は同じではない、と玉置氏は続ける。体の変化はほとんどの人で同じだが、心は人それぞれで、「私たちが思うほど順調に枯れてってはくれない」。

夫も最後まで生きたかったのではないか、と玉置氏は考えている。夫の中には相反するものが同時にあった。一方では外への関心をなくし、自分の人生を振り返って語る「ライフレビュー」のようなことをよくしていた。もう一方で、同じくらいの強さで外にも開いていた。来年は車を買い替えようと言い、海外旅行に行ってみたいと話す。玉置氏は話についていくのが大変で、来年があると思っているのか、この人は何を考えているのかと、そのたびに心をかき回されるように感じた。

聞き手が、それは脳の衰えなのかと尋ねると、玉置氏は、人間はみんなこういうものを持っているのだと思うと答えた。死ぬと分かっていても、それを100%受け入れられるほど人は単純な生き物ではない、というのが玉置氏の見方だ。患者の話を聞いていても、「死ぬのはまったく怖くない」と話して達観しているように見えた人が、2日後には夜中にどうにか生き残る方法はないかと考えていたりする。周りからは錯乱したのかと思える差だが、玉置氏は、これが本当に普通なのだと言う。あちらへ行ったりこちらへ行ったりしながら、だんだん振れ幅が狭まっていく。周りが驚くのは、生きていく側の人間が生きる方向でしか物事を考えていないからで、本人にとってはまったく普通のことなのだろう、と玉置氏は推測している。

家族がスピリチュアルケアを担う難しさ

玉置氏は、家族がスピリチュアルケアをするのは難しいと言う。家族には長い歴史があり、損得や利害もある。一家の大黒柱が死ぬことは、その人がいなくなるだけでなく、子どもをどう育てるのか、どう食べていくのかという問題を生む。周りから見て、本人ももう頑張らない方がいいと思っていても、身内にとっては簡単に死なれては困ることがある。「お父さん頑張って」と言いたくなるとき、それはお父さんのためだけではなく自分のためでもある。自分のためが入ると、スピリチュアルケアは難しくなる。

玉置氏自身も、看護師の目と家族の目の間で揺れた。看護師として見れば、夫は明らかに「着地態勢」に入っていて、長くないと分かった。しかし家の中で夫と2人きりでいると家族の目になり、この介護が10年後も15年後も続くのではないかと感じた。そのことを思うと、続けたい気持ちが半分、たまらないという気持ちが半分で、自分の方が持たなくなると思った。本人の近くにいると気持ちが一緒に揺れてしまう。だからスピリチュアルケアは、一緒に揺れない第三者がやった方がいいかもしれない、と玉置氏は言う。

聞き手は、20代半ばで祖父をがんで亡くした経験を話した。時々実家に帰ると、家族に祖父を治すモチベーションがないように見え、残酷だ、殺すつもりなのかとまで感じた。今は、これ以上無理に生かしても、という気持ちだったのかもしれないと思うという。これに対し玉置氏は、離れている遠い親戚ほど「まだ何かやれるはず」と言うが、そばでじっと見ている人には、もう着地態勢に入っていて、もう一度飛び立つことはないと分かるのだと答えた。

必要だったのは、ただ聞いてくれる人

当時、そうした第三者がいたら良かったと思うかと聞かれ、玉置氏は「すっごく思った」と答えた。訪問看護師、医師、ケアマネジャー、介護職など多くの人が関わってくれて、ものすごく助けられていた。それでも「もうやってらんない」と愚痴をこぼすと、ショートステイを使いましょうか、ではこうしましょうか、と解決策の話になってしまう。玉置氏は、どこかに預けたいわけでも看病をやめたいわけでもなく、ただ愚痴を言いたかった。親に言えば「あんたがそんなこと言ってどうするの、しっかりしなさい」と言われるし、友人にはそこまでの話はできない。指導も提案もいらず、ただ「あ、そうか」と言ってもらえたら良かった、と振り返る。

休職したことについては、今誰かに助言するなら、仕事は辞めない方がいいかもしれないと言うだろうと話した。仕事は気分転換になるからだ。一方で自分を振り返ると、夫が着地していくまでの時間に24時間どっぷり一緒にいた、その隔絶された時間は人生の中でとても大事だった。仕事をしながらだったら、あのようにいられたかは分からないという。

謎の足音と、境目の分からない死

最後に言葉を交わしたのは亡くなる2日ほど前で、それも「食べる」「いらない」や頷く程度だったが、意思の疎通はできていた。1週間ほど前まで、夫はトイレに行こうとしてよろよろと歩いていた。危ないから呼んでと言っても一人で動き、何度も転んだ。

ある夜、隣の部屋で寝ていた玉置氏は、ガタッという音と足音を聞いた。疲れ果てていたので、一度転んで痛い目に遭ってもらわないと止まらないと思い、そのまま待った。ところがドサッと転ぶ音がしない。見に行くと、夫は寝かしつけたときのままの姿勢で眠っていた。翌日たまたま母と電話でこの話をすると、母は「それもう魂抜けちゃってるわよ」と言った。それから3日ほどで夫は亡くなった。玉置氏は、あのとき本当に魂が抜けたのかもしれないと話す。魂があるのかどうかは分からないが、肉体は動かなくても「彼」は動いたのではないか、という。亡くなった後も、夫の部屋だった2階から足音がしたことがあった。玉置氏は、霊感があって何かが見えるわけではないが、このときはリアルに聞こえたと述べている。

亡くなったのは夜中だった。数時間前から、死が近い人に特有の呼吸(下顎呼吸)が始まり、もう少しだと分かった。ずっとそばにいたが、眠くなり、風呂にも入りたかったので、入浴して1時間ほど仮眠して戻ると、呼吸は止まっていた。最期の瞬間にそばにいられなかったことを悔やむ人もいるが、玉置氏はそれはあまり関係ないと考えている。

玉置氏には、どこで夫が亡くなったのか、その境目が分からなかった。病院では医師が兆候を確認して「何時何分ご臨終です」と区切りをつけざるを得ない。しかし家で看ていると、生きていた人がいつの間にか遺体になっていた。事故や災害なら違うだろうが、徐々に低空飛行になり、すれすれを飛んで、そのまま着地したような感じだったという。

「美しい」と感じた死と、点滴をめぐる家族の思い

玉置氏がインタビューなどで夫の死にざまを「美しかった」と表現してきた理由も語られた。病院では最後まで点滴をして、むくんだ状態で亡くなる人が多い。夫は食べなくなり、飲まなくなって、「枯れるように死ぬ」とはこういうことかと感じた。看護師として対照的な亡くなり方をたくさん見てきたから、そう思えたのだという。

病院でも病棟によって違い、玉置氏が今いる緩和ケア病棟では考え方がそちらに寄っているので、枯れるように亡くなる人も多い。一般病棟ではどうだろうか、と玉置氏は言う。聞き手が、自分も枯れるように死にたいと思ったと言うと、玉置氏は家族の思いもあると付け加えた。家族は「せめて点滴だけでも」と望むことがある。残された家族が「あのときやれることがあったはず」と思いながら生きていくのは大変なので、本人の苦痛にならない程度に、家族のために点滴をすることもある。

シルクロードの記憶から出家へ

出家の理由は一つではなく複合的だという。一つは20歳か21歳の頃、語学留学を建前に中国へ行き、バックパッカーとしてシルクロードをカシュガルまで旅した経験である。三蔵法師が経を求めて歩いた道だ。タクラマカン砂漠を越えているとき、この景色は初めて見たものではない、前世で見ていたと感じ、自分は中国の修行僧だったに違いないと確信した。玉置氏はこれを「若気の至り」と笑う。帰国後は普通に大学に戻り、仕事をし、結婚した。

夫を看取り、納骨を済ませた後、その思いが急によみがえった。今回の人生でやることは全部済んだから戻ろう、と思ったのだという。当時子どもは小学2年生くらいだったが、玉置氏は子どもを産んだ時点で、あんな宝物をこの世に生み出したという大きな達成感があり、その後も大事にはしているが、あとは子ども自身の人生だと考えていた。もう一つの理由は、一周忌や三回忌、七回忌を自分で執り行いたいと思ったことだ。ただ、実際には身内の法要は自分ではできないと後で分かったという。

出家には面倒を見てくれる師僧が必要だが、玉置氏は縁がつながり比較的スムーズに出家できた。まず仏の教えに帰依すると宣言する「得度」があり、次に戒を受ける「受戒」、そして1年ほどの修行「四度加行」がある。剃髪したのはこの修行のときで、必須ではないという。修行中は高野山にこもるため、子どもは親に預けた。坊主頭を見せても子どもは何も言わず、ペシペシと叩いただけだった。後で聞くと、何を言ってもどうせやるから、という気持ちだったらしい。玉置氏は「申し訳ない」と振り返った。

寺を持たない僧侶として病院へ

僧侶がみな死にゆく人の心のケアをしているわけではない。ほとんどの僧侶は自分の寺と檀家を守る役割があり、玉置氏のように寺を持たない僧侶は少数派だという。玉置氏は出家と同時にスピリチュアルケアの勉強を始め、高野山にあった講座にも通った。

看護師業務には戻っていない。修行を終えた後、52〜53歳ごろに病院に再就職したが、スピリチュアルケア師として雇われている。それまでの6年ほどは生活のために訪問看護のアルバイトなどをしていたが、重点は修行と勉強に置いていたという。

病院に僧侶がいるのは普通ではなく、追い払われることもある。「あんたが来ると葬られそう」「縁起が悪い」と言う患者もいる。僧侶は死んでから出てくるという葬式仏教のイメージがあるからだろうと玉置氏は受け止めている。

患者が話したがるのは、昔話や後悔である。その後悔は大きなものではなく、家族とのやり取りで「あのときあんなふうに言ってしまったのを今も悪かったと思っている」といった、人生の何千ページのうちの1ページのさらに一部のような話だという。残していく家族への心配や、死んだらこの意識はどうなるのかという問いもある。玉置氏は法話はしない。元気なときに聞けば役に立つかもしれないが、死にゆく人の役に立つような話は自分にはできない、と話す。

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余命告知は誰のためか

スピリチュアルケア師になって6年ほど。やればやるほど難しいと玉置氏は言う。死んだことがないので、その人の気持ちは想像するしかない。

その中で今、玉置氏が考えているのは、余命を本人に告げることの意味である。余命3か月と告げられた人たちからよく聞くのは、「どうせあと3か月で死ぬのに、今日痛いのを我慢する意味が分からない」という言葉だ。世の中では「今に感謝しよう」「今を大事にしよう」と言うが、今を大事にするのは、今がつながる未来があるからではないか。未来につながらない場合に、今を大事にできる考え方を私たちは持っているのだろうか、と玉置氏は問う。

玉置氏が対比として挙げたのが認知症の人である。自分が病気であることも、余命3か月であることも忘れてしまうが、とても穏やかで、毎日楽しそうにしている。それは、自分があと少しだということを知らないからだと思う、と玉置氏は言う。

余命を知らせたいのは、限られた時間にやり残しがないよう、後悔なく生きてほしいという周りの思いからだ。玉置氏は夫の例を引いた。余命3か月の人が「来年車を買い替えよう」と言うと自分がざわざわし、来年はないのだから3か月のうちに買った方がいいのでは、と思ってしまう。それは「こっちの欲望な気がする」という。

余命3か月の人にも、やり残したことをする体力はある程度あるが、世界一周はできない。よく「家に帰りたい」と言われるので、周りは車椅子やストレッチャーで家に連れて行き、家のベッドで3時間寝て戻り、「帰れてよかったね」と思う。しかし話を聞くと、本人は家に帰って庭の手入れをしたい、本棚を整理したいのであって、帰ること自体が目的ではない。体が動かないので、実際にはそれはできない。周りの「よかったね」と本人の思いには乖離がある、と玉置氏は指摘する。

死に際に正解はない

多くの人と出会い、さまざまな場面を見るたびに、玉置氏自身の考えは変わったり戻ったりするという。死に際に正解はないのかと聞かれ、玉置氏は「本当ない」と答え、さらに正解を求めてはいけないのだと思うと述べた。どこかに正解があるのではなく、その人が命をしまった、その形が正解なのだと思う、という。

最後まで信じられるもの

宗教の力を借りた方が折り合いをつけやすいのかという問いに、玉置氏は、宗教とは限らないが、最後まで信じていられるものを持っている人は強いと答えた。死にゆく過程では全部を捨てなければならない。仕事もお金も役に立たなくなり、友人もいなくなり、最後は家族とも離れる。家族と一緒に死ぬわけにはいかないからだ。ベッドの上で何もなくし、一人で白い天井を見上げたとき、それでも信じていられるものがあれば強い。

玉置氏が見てきた例では、先に亡くなった父母が必ず迎えに来てくれる、あちらで待っていてくれるという確信を持つ人は安定していた。長年飼っていた犬が先に亡くなり、あの子が待っていて、苦しくなったら助けてくれると固く信じている人もいた。自分の中にある絶対的に信じるものは、何が起こっても奪われない。意識がある限り持っていられる。

そうしたものを準備しておくべきかと聞かれ、玉置氏は、持てるかどうかは分からないと前置きしたうえで、人は生きてきた年月をかけてその準備をしているのだと思う、と答えた。玉置氏自身も62年かけて準備しているという。今は死がリアルではないので考えないが、目の前に来たとき、何十年分の蓄積が形になる、と玉置氏は「信じたい」と語った。

神仏を信じる人も安定していると玉置氏は言う。それぞれが心の中に置く神や仏は、お布施を求めるわけでも財産を差し出せと言うわけでもなく、悪いことはしないと思う、という。一方で面白い人もいた。死んだら無で何もないと言いながら、妻には七回忌までは必ずやってほしいと頼んでいた。玉置氏は、そういうものがちゃんと共存するのだと感じたという。

砂漠で枯れていきたい

臨終に立ち会うこともあるが、やはり何が変わるのか分からない、と玉置氏は言う。1秒前には息をしていて、1秒後には止まっている。体も急に死ぬわけではなく、呼吸が止まった後も体の細胞はしばらく生きていて、だから死後硬直が起こる。不思議なものだという。

自分はどう死にたいかと聞かれ、玉置氏は「砂漠で枯れていきたい」と答えた。三蔵法師が砂漠で枯れたかどうかは分からないが、誰もいない、何もないところで、風に吹かれ、満天の星空を見ながら枯れていきたい。家族からすれば失踪のようだし、遺体も見つからないのでは、と聞き手が言うと、砂にまみれて、そんな感じがいい、と玉置氏は答えた。