140kgと18歳の糖尿病、半年で70kg減量、そして繰り返したリバウンド。やせるくんが5年かけて見つけた「無理をしないダイエット」

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概要

TikTokでダイエットのウォーキング配信をしている「やせるくん」は、最大で体重140kgあり、18歳で糖尿病と診断された。その後、半年で70kgを落としたが、うつ状態とリバウンドを何度も繰り返した。インタビュー時点で25歳、もうすぐ26歳になる。身長165cmで体重は78kgだという。街録chのインタビューで語ったのは、幼少期から止まらなかった食欲、極端な減量とその反動、後に双極性障害と診断されるまでの経緯である。そして、ダイエットの目的そのものを考え直すまでにかかった時間についても話している。

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現在は78kg、急がずに70kg台前半を目指す

やせるくんが165cmの適正体重として挙げたのは59kgである。当面の目標は70kg前後で、本人は「正直、73kgくらいで細マッチョになれると思う」と話している。以前は無理なダイエットで半年に70kg落とし、その後リバウンドを繰り返して体を痛めつけた。その経験があるので、今はゆっくり急がずに目標を目指しているという。筋トレと有酸素運動を並行し、筋肉をつけながら体重を落としてきた。

仕事は発信活動だけで、収入の柱はTikTokのライブ配信である。動画の収益は現状ゼロで、これから動画でも収益を得られるようにしたいと語っている。

母の再婚と、祖母のハムマヨ食パン

生まれは兵庫県三田市。幼稚園の頃に両親が離婚した。理由は実の父親の浮気で、本人も知っており配信でも話しているという。母親は、このままでは自分と2歳上の姉がしっかり育たないと考え、2人を連れてひとり親家庭で育てると決めた。

小学4年生の頃、温泉で働いていた母親が、同じく温泉で働く男性と出会って同居を始め、のちに再婚した。母親はいきなり「新しいお父さん」として紹介しなかった。最初は「仲いい人」として一緒に温泉や食事に行き、警戒心がほどけた頃に、実は付き合っていると正直に打ち明けた。そのおかげで抵抗なく父親として受け入れられたという。両親は自分たちの欲しいものを買わず、子どもたちの習い事や学費、やりたいことにお金を使ってくれた。やせるくんは2人から十分な愛情を注がれたと振り返る。

体重が増え始めたのは幼稚園の頃で、小学1年生の時点で身長130cmほど、体重は50kgあった。本人が「食の目覚め」として覚えているのは、2〜3歳の頃に祖母が作ってくれた、食パンにマヨネーズを大量にかけてハムをのせたものだ。家族はおかわりしたり残さず食べたりすると褒めてくれた。そこから太っていったという。

母親は体重を止めようとしていた。病院の医師から、扁桃腺の関係で喉が狭くなっていて、50kgを超えたら手術だと言われたこともある。やせるくんは、それが事実だったのか脅しだったのかは分からないと話す。実際には50kgを超えても手術はなく、脅しでも食欲は抑えられなかった。低学年のうちは出されたものをおかわりする程度だったが、小学校中学年になると引き出しを開けて隠れて食べるようになった。小学6年生で80kg。ただ、自覚できるような健康被害はまだなかった。

ガキ大将、愛されキャラ、そして肉割れ

体が大きく力も強かったので、小学校ではガキ大将のようなリーダー的存在だった。いじめられたことはない。ただ、他校の子に「デブ」と笑われる嫌な経験はあった。野球は10年間続け、チームでは「ぷにぷにや」といじられる愛されキャラだった。小学校では外野を守った。体の大きい子はキャッチャーを任されがちだが、防具の紐が止まらず断念した。足はとても遅かったという。

中学でも3年間野球部に入った。周りから「中学に上がったら部活で痩せるよ」と言われ、それなら食べても気にしなくていいと受け止めた。給食は何度もおかわりし、友達の分ももらった。結果、痩せないまま中1で80kg、部活をやめた中3で120kgになった。家での食事も「進化」した。休みの日は朝から冷蔵庫の肉を勝手に焼いて焼肉にし、ラーメン、菓子、アイスを食べて寝る。両親から「痩せた方がいいよ」と言われることはあったが、食べられないと不機嫌になり、仕事中の母親に電話して空腹で泣いたこともあった。家は裕福ではなかった。食費がどれほどかかるかは大人になってようやく分かり、それでも習い事を続けさせ、勝手に食べた分を補充してくれた母親に感謝していると語る。

思春期に入ると女子の目も気になった。一番気にしていたのは腹の肉割れで、太るにつれて上へ広がり、中2でへその上まで達した。プールの授業が憂うつだったという。肉割れは皮膚が伸びに耐えきれずにひび割れたもので、やせるくんは撮影中に腕や腹の跡を見せた。痩せた今も伸びた皮膚が余ってたるんでおり、一生消えないと話す。

これを周りから馬鹿にされたことはなく、友達には恵まれていた。一方で、本来は人と話すのが得意なタイプではなかったとも振り返る。静かなキャラだといじめられる可能性があるので、ガキ大将のように振る舞い、太っていることを自分からネタにして明るく見せていたのではないか。今あらためてそう思うという。

120kgの中学生活と「たぶん病気だった」食欲

120kgになると日常生活に支障が出た。しゃがむと制服の股が破れることが何度もあり、汗の臭い、冬に体から立つ湯気、足の臭いにも悩んだ。学校に冷房がなく、汗でテストの用紙が破れることもあった。

それでも食べるのをやめられなかった。やせるくんは「多分病気だと思う」と言い、過食症という言葉を使って説明する。満腹になっても、気持ち悪くなるまでとにかく詰め込んでしまう。後に20歳を過ぎて半年で70kg落とした頃からは過食嘔吐もするようになり、それが最近まで続いていたという。

高校で140kg、マヨネーズをかけ続けた日々

高校ではアルバイトを始め、自分のお金でコンビニやラーメン屋、焼肉屋に通うようになった。朝から焼きそばや唐揚げにマヨネーズをかけ、マヨネーズご飯に醤油をかけて食べた。とにかく何にでもマヨネーズをかけていたという。母親は朝のうちに弁当と夕食を作り置きしてくれていたが、それを夕方には食べてしまう。さらに外食もし、帰宅後にまた夕食を食べた。

野球部には好きだから残っていたが、100kgを超えると体が動かなかった。朝練をサボり、走るメニューにはついていけず外周を歩き、足が痛いと言って筋トレに回った。腹筋はきつかったが、ベンチプレスやダンベルなど器具を使う種目では部内で一番力が強かったという。試合にはほとんど出られず、結局高校で退部した。空いた時間でアルバイトと買い食いが加速し、120kgから140kgへ増えた。140kgに達したのは高3の頃である。

体重で物も壊れた。実家のトイレの便座は今もひびが入ったままで、ベッドの板は真っ二つに折れた。自転車のパンクは50回ほど。ただ、自転車はむしろ誰よりも速かったという。下り坂だけでなく平地や上りでも速く、本人は筋肉のおかげだろうと話す。授業中に椅子を後ろに傾けたら脚が曲がって転倒し、口を切って保健室に行ったこともある。

高校でもいじめはなく、愛されキャラだった。聞き手に「それに甘えていた面もあるか」と問われると、やせるくんはあったと思うと答えた。周りの人が良かったから太っていてもいいと思えた。もし遠ざけられたりいじめられたりしていたら、学生時代に痩せていたかもしれない、と自分で分析している。

高1で出会った好きな子とはLINEを続けていたが、好意は一切見せなかった。自分なんかとは付き合えないと思い込み、自信がないと本音を言えなくなるという。親はこの頃にはほぼ放置で、諦められていた。本人は中学で肉割れが出た頃から「やばい」と感じ、おそらく何百回もダイエットに挑戦した。しかし三日坊主どころか一日坊主で終わり、「自分に甘くて弱かった」と振り返る。

「140kgで止まる」という無敵感と、18歳の糖尿病宣告

高校卒業時にやりたいことはなく、太っていて暑いのがつらかったので、涼しくて楽そうな屋内の仕事がいいと考えた。そこでドラッグストアで薬を販売できる登録販売者の資格を取るため、専門学校に2年間通った。

体重は140kgのまま止まっていた。どれだけ食べてもそれ以上は増えず、本人はそこが自分の限界で、人間はみんなそのあたりが上限なのではないかと思っていた。知っている有名な太った人たちも140kg前後が最大だったからだ。その時の気持ちを聞かれると「無敵です」と答えている。何を食べても太らない無敵状態が来たと思い、食べては寝る生活を続けた。

18歳のとき、専門学校の健康診断の尿検査で数値がすべて真っ赤になった。太っているから仕方ないと思っていたが、すぐ病院で再検査するよう求める書類が届き、再検査で一発で糖尿病と診断された。思い返すと前兆はあった。アルバイト中に立っているだけでひどく喉が渇いて何度もトイレに行き、頭痛が毎日あり、食べるとすぐ眠くなった。高校までは片道10km、往復20kmを自転車で通学していたが、専門学校では電車通学になり、歩く距離も短かった。動かずに食べ続けたことで健康に響いたのだろうと本人は考えている。

告知は軽い調子の「糖尿病ですね」だった。しかし、若くしてなる病気ではないうえ、足が腐る、目が見えなくなるといったイメージが強く、聞いた瞬間は絶望したという。実はその少し前、たくさん食べているのに体重が10kgほど減っていた。本人はそれも「無敵状態」だと思っていた。

診断後は一度生活を変えた。味噌汁と野菜を多くし、ご飯とおかずを減らして、2か月ほどで10kg痩せた。しかし当時はまっていた二郎系ラーメンがおいしすぎて食欲に勝てず、また太った。挫折すると通院をやめ、薬も自己判断でやめた。「命どうなってもいいや」という自暴自棄の状態になり、ストレスがたまると食べた。業務用スーパーの弁当箱のような大きなアイスやケーキを次々食べたが、おいしいのは最初だけで、胃袋を満たすためだけに食べていた。そんな時期が専門学校の2年間ずっと続き、出席日数はぎりぎりで卒業した。両親はとても心配したが、痩せるかどうかは結局本人次第だった、と本人は言う。

うつ、引きこもり、そしてインク工場

卒業後は就職する予定だったが、うつ状態になった。家でゲームをして引きこもり、また食べる。やりたいことが何もなく、自分には何もできないと思っていた。ベッドから起き上がるだけで息切れし、生きていること自体がしんどかったという。

母親は家にいさせてくれ、「信じてる」と声をかけ、求人チラシに印をつけてくれた。その愛情を感じて何とか働きたいと思い、約半年のニート期間を経て、母親が見つけた近所の工場に就職した。働きながら痩せられてお金ももらえるのがいいと考えたのも理由だった。

インクを製造する工場で、防毒マスクを着けてインクを撹拌し、重いドラム缶やビーカーを運ぶ重労働だった。熱中症になり、太った人が立ち仕事をすると起きやすいという足底筋膜炎にもなった。痛みで四つんばいになり、「しんどいです」と泣いたこともある。それでも仕事を覚えるのに必死で、ダイエットどころではなかった。帰っては食べる日々で、体重は5kg減の135kg程度にとどまり、これまでと同じパターンだった。

「痩せたら付き合ってほしい」で入ったスイッチ

転機は「運命の恋」だった。相手は高1で出会い、卒業後もLINEで仲良くしてくれていた、あの好きな子である。やせるくんはその子に「痩せたら付き合ってほしい」と伝え、「いいよ」と返事をもらった。見た目をあまり気にしない子だからこそ卒業後も仲良くしてくれていたのだろうと思い、思い切って言えたという。

なぜそのタイミングで伝えたのかは、本人にも分からない。ずっと動けなかった自分に急に仕事へのやる気が湧き、ダイエットにも火がついた。ずっと痩せたいと思っていた気持ちと、大好きな子への気持ちが重なり、痩せる理由ができた。付き合ったときに彼女が太った人と歩いていると思われたくない、という思いもあった。聞き手の「自分のためだけに頑張るのは限界があるのか」という問いには本当にそう思うと答え、その子のために痩せることは自分のためでもあったと付け加えた。

半年で140kgから70kgへ、その代償

減量は最初から全開だった。食事は1日おにぎり2個、約800kcal。本人の見立てでは、当時の運動量なら2,500〜3,000kcal食べても痩せられたはずだという。朝1時間歩いてから出社し、8時間歩きっぱなしの工場勤務をこなし、帰宅後に1時間筋トレをする。この生活を半年続け、140kgから70kgになった。最も食べていた時期の摂取量は1日2万kcalほどだったと本人は推測する。一度カロリーを計算しながらドカ食いしたときに、1万kcalは余裕で超えたからだ。

最初の月は最高で16kg、翌月も10kg以上落ちた。見た目が変わっていくのが楽しかったという。一方で睡眠は1日2〜3時間しか取れなかった。空腹になると生存本能で睡眠より食べることを体が優先するからだ、と本人は説明する。食べたくなると好きな子とのLINEを見返し、無理やり眠った。

聞き手が健康面を尋ねると、やせるくんは「健康的に絶対良くない」と即答した。この時期は「ハイ」になっていたという。後に双極性障害と診断され、太っていた時期がうつ状態、一気に痩せた時期が躁状態で、その両極端を行き来していたと本人は理解している。躁状態だったので、減量中はそれほどきついと感じなかった。

ただ最後には体力が尽きて倒れた。睡眠不足のうえ、免疫が落ちていたのか、鶏刺しを食べて全身に発疹が出た。救急車を呼んだが意識があったので自力で病院へ行くよう言われ、会社に迷惑をかけたまま休職し、退職した。半年で70kg痩せたことには命の危険もあった、と本人は語る。21歳頃のことだ。

その後、同窓会に出ると、同級生から「めっちゃ痩せたな」と驚かれ、先生たちも寄ってきた。これはとても嬉しかったという。ただ、好きだった子は東京で夢を追っており、兵庫にいるやせるくんとは結局付き合わなかった。痩せたら付き合おうという約束だけで、その先のことは何も考えていなかった。恋愛経験がなく、毎日会いたいタイプの自分に遠距離は無理だと判断したという。

車の営業とパワハラ、2度目の転落

痩せて自信がついたやせるくんは、やりたかった営業職を選び、稼げるという理由で家の近くの自動車販売会社に入った。入社してすぐ、その会社の不正が大きなニュースになった。社内のパワハラもひどかった。同期は新卒2人と本人の3人で、「生きてる意味ない」「死んだ方がいいんちゃう」といった言葉を浴びせられた。本人がいた頃は手を出されることはなく、以前よりは「だいぶマシ」だったという。それ以前には、後輩を裏に連れて行って下半身を脱がせ、ホースで水をかけることもあったと聞いた。社内ではコンプライアンスを厳しくする方向に変わりつつあったが、暴言は直らなかった。

同期の2人が辞めると、残ったやせるくんが標的になった。営業成績は3人の中で最も良く、10件中2件ほどの契約のうち1件で大きな利益が出た。本人はたまたまだとしつつ、若い頃に身につけた「嫌われないように明るく振る舞う」ことが成約につながったのかもしれないと話す。それでも雑務を押しつけられ、こなしきれずに責められた。約半年でうつと診断されて退職し、ここでもリバウンドした。

再び半年ほど引きこもり、手当を受けながらゲームに没頭して過食し、死んだ方がいいと思うほど自暴自棄になった。この頃にはすでに躁うつと診断されていた。本人は流れをこう整理する。学生時代はずっと太っていて、一気に70kg痩せて躁状態になり、その勢いで働いてパワハラを受け、またうつ状態になる。その繰り返しだった。体重は70kgから100kgまで、30kg増えた。

失意の中で始めた配信が「たまたま」刺さった

手当を受けながら何かできないかと考え、やせるくんは動画投稿を始めた。YouTuberへの憧れは高校時代からあった。友達に「太ってるし面白いしダイエット系でいけるやん」と言われたこともあり、自分もYouTubeが好きでよく見ていた。当時は自信がなく人目も気になって踏み出せなかったが、大人になって友達が減り、付き合う相手が絞られてきたことで挑戦できたという。始めたときはうつ状態で元気はなく、何かしないといけないという気持ちだった。

動画は再生数100回程度で反響はなく、本人によれば今も伸び悩んでいる。ただ、ビフォーアフターのショート動画は一気に600万回ほど再生された。動画は1日1本程度しか上げられず時間が余ったので、たまたまライブ配信をしてみたところ、多くの人が見に来て「ダイエット頑張れ」「応援してるよ」と声をかけてくれた。ウォーキング配信を続けるうちに投げ銭がもらえるようになり、これで生活できると分かって本格的に移行し、手当も打ち切った。

本人の見立てでは、ダイエット動画はライバルの多いレッドオーシャンだが、TikTokでダイエットのウォーキング配信をしている人はいなかった。そこにダイエットしたい人が集まってきたのは運が良かったと話す。視聴者には「一緒に頑張っています」「やせるくんを見て痩せました」と言ってくれる温かい人が多く、その人たちに救われたという。

応援してくれる人に当たってしまった減量企画

配信を始めた頃も無茶なやり方をしていた。いかにもYouTuberがやりそうな「3か月で15kg痩せる」というチャレンジ企画を立て、実際に達成した。食事を大きく減らし、運動と筋トレを重ねた。この時も躁状態だった。終盤は何も食べずにウォーキングし、低血糖でイライラしながら配信した。リスナーが「無理しないで」と心配してくれても、「やるって言ってるから」と突っぱねてしまった。本人は「ほんまに申し訳ないことした」と振り返る。当時は痩せることが正義だと思い込んでいた。聞き手が「極端な話、1日0kcalで延々と筋トレするような状態か」と聞くと、そんな感じだったと認め、低血糖になれば飴をなめてしのいだという。

この経験から学んだのは、余裕をなくして大切な応援者に当たってしまえば人は離れていく、ということだった。痩せることより先に、家族や視聴者を大切にできなければ人として良くない。本人はそう痛感したと話す。

実際にファンは離れ、自分も過食し、視聴者も減るという悪循環に入った。配信や投稿のモチベーションが下がり、またうつ状態になって1か月で20kgほど戻り、90kgになった。2か月後には90kg以上が続いていた。聞き手は140kg、70kg、90kgと変遷する写真を見比べて驚いた。うつの期間は何もできず、動けずに食べて太った。それでも「このままじゃいけない」という抵抗もあり、もがくうちにまたダイエット企画を始めた。新しいファンがつき、配信がうまく回り始め、ダイエットも成功した。ただ躁うつはまだ治っておらず、1日20〜30km歩く配信をするなど、再び無理を重ねていた。

配信を休んで気づいたこと

この「無理をする」サイクルは約5年続いた。やせるくん自身は、治ったのは2か月ほど前で、躁うつも完全に治ったのではないかと思っていると話す。

気づいたのは次のことだった。無理して痩せても、応援してくれる人や家族に心配をかけ、がっかりさせてしまう。無理をしても誰も喜ばず、自分が達成感に浸っているだけの自己満足だった。応援してくれる人が喜ぶのは、無理に痩せることではなく、健康で幸せで精神的に安定している姿だ。

5年の間にも気づけそうな機会は何度もあった。それでも今回気づけた理由を、本人は焦りの有無で説明する。それまでは配信をやめると収益がゼロになって生きていけないと考え、精神状態がおかしくても配信を続けて生活費を稼いでいた。今回は1か月ほど配信を休み、自分が本当は何をしたいのかという声を聞いた。20〜30km歩いたり断食したりするダイエットは本当にしんどく、それを隠して笑顔で配信するのもしんどい。そう気づいて、ようやく自分を大切にしようと思えたという。

無理なダイエットをしていたこの時期、過食嘔吐もしていた。精神状態について躁うつの診断を受けたのは4か月ほど前だという。過食嘔吐について、やせるくんは「痩せれるのは痩せれる」としながら、「絶対にしたらいけない」と強調する。お腹がパンパンになるまで食べても吐けば太らない、という快感を覚えてしまったが、精神的におかしくなり、生きる意味が分からなくなった。ダイエットの目的は心と体の健康、幸せになることのはずなのに、真逆の行為をしていたと話す。

マンジャロのような薬や胃を小さくするバイパス手術も何度も考えた。しかし注射も手術も副作用も怖く、「多分結構ビビリなんやと思う」と言って試していない。

今のダイエットと、これから

現在は1日2,000〜2,500kcalをとり、ご飯などの炭水化物もしっかり食べるローファットダイエットをしている。健康を中心に据えたことで体重も食欲も安定し、本人は「今が超幸せ」と言う。何よりメンタルを最優先にし、食べたいものは食べすぎない範囲でちゃんと食べ、食欲も感情も無理に抑え込まない。ストレスのかからない生活を心がけているという。

恋人は人生で一度もいない。以前はモテたい、彼女が欲しいと思ったこともあったが、今はそうした気持ちはない。ただ、夢や目標を支えてくれるパートナー、結婚相手はいつか欲しいと話す。今の夢は、しんどい思いやつらい思いをしている人に「こうやって変われるんだよ」と希望を届けることだ。無理をしすぎず、楽しみながら細マッチョになれることを広めたいという。

目標の体型に届いたら、次はそれを維持しながら、余った腹の皮膚を切除する手術を考えている。美容系の企業からDMでモニターの依頼が来ているが、納得のいく体型を無理なく維持できるようになり、知名度も上がってから頼もうと考えているという。発信は今後も続けたいと話す。両親は「やりたいことをやり」と背中を押してくれている。やせるくんは両親に恩返しがしたいという気持ちが強く、そのためにもっと成功して家族の大黒柱になりたい、と語ってインタビューを終えた。