杉村太蔵が語る「社会人偏差値」と、言語化しきれない人生
トマホークTomahawk高田ふーみんが聞き手を務めるこのインタビューは、ゲストの人生を幼少期から順にたどる形式で始まった。ところが杉村太蔵は途中から、何度も語ってきた経歴をなぞる質問そのものに異を唱える。国体優勝から筑波大学中退、清掃員を経て外資系証券会社へ、そして国会議員を経てテレビへという経歴よりも、杉村が語ろうとしたのは「学歴より社会人偏差値」「過去は簡単に言語化できない」という考えだった。本稿では、話題の順序をおおむね保ちながら、その内容を整理する。
テニスと「いい子」だった少年時代
杉村の父もテニスをしており、インターハイにも出場していたという。杉村自身は子どもの頃からテニスに触れ、本格的に始めたのは小学4年生ごろだった。どんな子どもだったかと聞かれると、「めちゃくちゃ優秀だった」「めちゃくちゃいい子だった」と答え、勉強もスポーツもでき、明るく、児童会長も務めた「いわゆるいい子」だったと振り返る。
テニスの実績として杉村がまず挙げたのは国体での優勝である。テニスは夏のスポーツで、北海道では半年ほど屋外でプレーできない。その北海道からテニスで国体を制したのは自分だけだと杉村は語る。国体優勝は高校3年生のときだった。
中学時代には、テニスの名門である九州の柳川高校からスカウトを受けた。全国中学選手権の会場で、柳川高校を何連覇にも導いた元デビスカップ監督の坂本監督から声をかけられたという。杉村は「北海道の高校で柳川を倒すことが夢なんです」と断り、監督は嬉しそうに「全国大会で待ってるぞ」と応じた。高田が「スポーツ漫画のワンシーン」と評したこのやりとりを、杉村は中学時代の大切な思い出として語った。
さらに、毎日新聞社が主催する毎日選手権の一般の部では、実業団選手も出る中で15歳10か月、高校1年生で優勝したという。この最年少記録はいまも破られていないと杉村は話す。
公立高校を選んだ理由と、体育館をめぐる思い出
進学先は札幌市立藻岩高校である。テニスがしたくてこの高校を選んだと杉村は言い、公立高校からの国体優勝は珍しいのではないかと付け加えた。旭川出身の杉村にとって札幌の市立高校は学区外からの受験で、市内から通う生徒より高い得点が必要だったという。学力の水準を問われると、旭川でいえば旭川北や旭川西くらいではないかとしつつ、その「賢さ」は自分の中で基準ではなかったと答えている。
在学中の思い出として杉村が「初出し」だと語ったのが、体育館をめぐる話である。冬の間、テニス部は体育館を使わせてもらう。本来は学校のルールでテニス部も使えることになっていたが、なぜか毎年テニス部が女子バスケットボール部に頭を下げに行く慣習があった。バレー部もバスケ部もそこそこ強かったが、せいぜいベスト4程度だった。全国レベルのテニス部から見て「まだ全国大会に行けないでしょう」という空気が出ていたかもしれないと、杉村は笑いながら認める。
当時の女子バスケ部のキャプテンからは、練習後に拾い忘れたテニスボールを「踏んだら怪我するから」と注意され、それが腹立たしかったという。一方で、バスケ部が使ったゴールは上げてから帰る約束だったのに、上げずに帰ることがあった。ゴールを上げないとテニスのサーブが打てず、しかもゴールを上げるレバーは彼女しか持っていない。杉村は学校中を探し回ったという。
聞き手から「何の話?」と突っ込まれつつ、杉村はこのキャプテンがいまはある自治体の議員になっていて、今でもよく会って話すと明かした。同じ高校の同期から政治家が2人出たことについて、「人間わからない」と語っている。
「学歴」をめぐる応酬
高田は自らを「学歴にうるさい」と言い、学歴は大事だと考えている。兵庫県出身で京都大学経済学部に進んだ理由を問われ、「ほんまに学歴が欲しかった」と答えた。
これに杉村は真っ向から反論する。学歴よりも「社会人偏差値」の方がよほど大事だというのが杉村の立場である。学歴が立派でなくても年収2億円ほどの人の方がいいのではないかと問い、京都大学も世界ランキングでは30〜50位程度だろう、学歴にこだわるならもっと上を目指せばいいと畳みかけた。高田が「日本で2番目なんで許してください」と返すと、杉村は「日本の2番のどこに価値があるよ」と応じている。
ただし杉村は、学ぶ力そのものの価値は否定しない。10代・20代の学ぶ力の結晶が大学や高校だとすれば、重要なのは社会に出てからも学び続けることだという。東大などを出た人は周りに大勢いるが、30代・40代になって学ぶ力を持ち続けている人と手放した人とでは、人生のレースで一気に逆転が起きると杉村は見る。学歴は学ぶ力を一つの形で証明できるが、社会に出てからの学ぶ力は証明できない。その「証明できない強さ」こそが重要だというのである。
「わけのわからない勇気」と稼ぐ力
杉村は手元のペットボトルを例に取った。これを人に売ってどれだけ利益を上げられるか。安く仕入れて高く売るのが商売の基本だが、どう安く仕入れ、どう付加価値をつけるかは、学生時代に勉強したかどうかに関係なく、社会に出てから同じスタートラインで学び続けるしかないと語る。
そのうえで杉村は、これから勝つのは「多分ダメだろう、でもとりあえずやってみる」という「わけのわからない勇気」を持つ人間だと主張する。実際にやってみると、やはりダメなことが多い。そこでなぜダメだったのか、何が悪かったのかを考えるのが学ぶ力であり、改善してもう一度挑戦する。それもまたダメかもしれないが、それでもやってみる。この勇気を持ち続けられるかどうかで30代以降に差が出ると、46歳の杉村は語った。自身も失敗の連続で、トライを繰り返す中で過去の失敗から教訓を得てきたという。
杉村は社会人偏差値を一言で言えば「年収」、つまり稼ぐ力だと定義する。学歴には「入って卒業する」というゴールがあるが、社会人にはゴールがない。だからこそ挑戦と学びをずっと続けられるモチベーションが重要になると杉村は考えている。
台本通りのインタビューへの異議
この時点で杉村は、インタビューの進め方そのものに注文をつけ始める。聞かれたことだけに答えるのはどうなのか、台本通りに進むわけがない、と。高田が大学、証券会社、小泉チルドレン時代の話を聞きたいと言うと、杉村は「もう飽きた」「その話何万回してると思ってんの」と返した。テニス部時代の体育館の話は初出しなのだから、そちらこそ価値があるという主張である。
それでも聞き手の質問に応じる形で、話は大学時代へと進んでいく。
筑波大学体育専門学群という進路
杉村はテニスで筑波大学体育専門学群に進んだ。スポーツの名門で、杉村によれば卒業後の進路は幅広い。アディダス、ウィルソン、ヨネックス、ダンロップ、ナイキといったスポーツ用品メーカー、コカ・コーラや味の素などの飲料・食品メーカー、プロ野球やJリーグの球団、オリンピック競技ごとにある競技団体、スポーツ新聞などのマスコミがある。前身が東京教育大学であることから、最も王道の進路は学校の先生だったかもしれないという。
証券会社の「底辺中の底辺」から
では、なぜ外資系証券会社に入れたのか。高田の問いに対し、杉村は筑波大学から入ったのではないと答える。大学を中退し、その会社で清掃員をしていたところ「うちで使ってやる」と声をかけられたのだという。
入社後の立場について杉村は、組織の中で「底辺中の底辺」だったと繰り返す。ほかの社員が資料作成といえばパワーポイントやエクセルで作るところを、杉村の仕事は分厚いレポートを正確にホチキス止めすることだった。30部を作るとき、いかに美しく仕上げるかにはそれなりにテクニックがいるという。学歴も資格もなく、少しでも役に立って首にならないよう必死だったと振り返る。
カフェラテの逸話
その必死さを示す例として杉村が語ったのが、カフェラテの話である。当時の調査部長は、その人の評価でソニー株が大きく上下するほど市場に影響力のあるアナリストだった。その部長のアシスタントがよくカフェラテを頼まれていたが、買ってくるのがとても遅い。オフィスは20階、タリーズは19階にあった。
ある日、アシスタントが戻る前に部長は会議に出てしまった。戻ってきたアシスタントは、行き場のなくなったカフェラテを自分で飲み始めた。そこへ部長が戻って「カフェラテは?」と聞くと、「飲んじゃいました」と答えたという。
杉村はこの部長に、今度から自分に買いに行かせてほしいと申し出た。そしてタリーズのアルバイトと仲良くなり、「自分が電話して『カフェラテ』とだけ言ったら、ほかを止めてでも真っ先に作ってほしい。自分が飲むのではなく部長が飲むものだから、誰も文句は言わない」と頼んだ。頼まれるとすぐ電話し、1階分をエレベーターではなく階段で駆け下りると、行列ができていてもカフェラテはもう出来上がっている。すぐに戻って「お待たせしました」と差し出すと、部長は早さに驚いたという。この部長は今でも杉村にアドバイスをくれ、さまざまな事業でも助けてくれていると杉村は話す。
上司に可愛がられるということ
杉村が自分の人生で自慢できることとして挙げたのは、上司に恵まれたことだ。証券会社では優秀な社員たちに可愛がられ、多くを教わった。その期間が人生で最も成長させてもらい、勉強させてもらった時期だと杉村は語る。政治の世界でも小泉純一郎や竹中平蔵らに、現在はテレビ番組のプロデューサーに、自分の息子のように育ててもらっているという。
可愛がられることの一つの定義として、杉村は「チャンスをくれた」ことを挙げる。ホチキス止めの清掃員出身の男に、「東京ガスが新しくつくった施設の説明会に、俺の代わりに宇都宮まで行ってきてくれ」と任せてくれた。これが杉村の人生初の出張で、今でも忘れていないという。
なぜ可愛がられたのかについて、杉村はライバル視されていなかったからではないかと推測する。高田が「雑魚臭」と言い換えると、それとも少し違うと否定しつつ、本当に末端の人間だったから育てがいがあったのではないかと話した。そのうえで杉村は、今の時代は学歴よりも愛嬌が重要だと言う。IQも重要だが、IQと愛嬌の組み合わせで考えると、IQが高くても愛嬌がない人より、IQがそこそこでも愛嬌のある人の方が結局チャンスが来るのではないか、というのが杉村の見立てである。
6年かけての中退と、80歳からの夢
筑波大学は6年かけて中退した。杉村は、中退したことを今でも人生の後悔として抱えていると明かす。「なんでもう少し頑張れなかったのか」と。同じく京都大学経済学部を6年生で中退した高田も、後悔していると応じた。
なぜ中退したのかとよく聞かれ、その場では何かしら答えるものの、どれも自分の中でしっくりくる理由ではないと杉村は言う。当時は就職氷河期で、大卒の内定率が6割に届かない状況だった。卒業まではあと10数単位ほどだったという。
杉村には人生最後の夢がある。やるべきことを一通り終えたら、80歳を過ぎてもう一度筑波大学体育専門学群に入り、80歳の体で体育を学び、「人生100年時代にどういう社会にしたらいいか」を卒業論文にして卒業すること。学歴にこだわっているわけではないが、中退のままでは死ねない、できるなら卒業してから死にたいと語り、自分の人生のこの部分は失敗したと本当に悔やんでいると述べた。
迷っていた時期もあったかと問われると、杉村は大いにあったと答える。今の自分がこの先に待っていると分かっていたら、あの頃のような不安や苦しさはなかっただろうという。明るく元気に映っているかもしれないが、自分の人生も悔しいことの連続だったと話し、ここで「そう簡単に言語化できると思ったら大間違いだ」と繰り返した。
テレビへの転身と「バッシング」の受け止め方
高田が楽しみにしていたという小泉チルドレン時代の話を切り出すと、杉村は「知ってるのにまた聞くのが嫌なのよ」と返した。若い2人なのだから新しいことを聞いてくれると思っていた、その話はほかの動画にいくらでも出ている、と。今日この動画で言いたいことは「自分の人生はそう簡単に言語化できない」ということだという。事前にこのチャンネルの動画を見て、Wikipediaをなぞるような質問が来るだろう、つまらなそうだと思ったので、違うことを伝えたかったと杉村は明かした。
それでも高田は、国会議員を辞めた後にテレビで引っ張りだこになった経緯を尋ねた。杉村によれば、声をかけてくれたのは『サンデー・ジャポン』だった。世間からバッシングされた政治家から、どう気持ちを切り替えたのかという問いに、杉村は「本当に申し訳ないけど、そうでもない」と前提を否定する。本当にバッシングされていたなら、テレビはそんなに使わないはずだという理屈である。
議員を辞めたときの不安については、元いた証券会社の人たちが「大丈夫だぞ」と支えてくれたと語る。そして、派遣社員で雑用から始めた自分だが、あのまま会社にいたら間違いなくトップになっていた、今ごろCEOだと「断言」した。杉村はここで「言い切る力が重要」だと付け加えている。
硬い本と格闘する訓練
杉村が自分の強みとして挙げたのは、健康で体力があったこと、そして文章を読んで理解する力があったことだ。視聴者にも勧めたい訓練として、硬い本を読み、歯を食いしばって自分なりに理解できるまで文章と格闘することを挙げる。これを証券会社に入ったときに叩き込まれ、今の自分にとても役立っているという。
メディアでは「ちゃらんぽらん」なイメージもあるが、実は日々勉強しているのかと問われると、杉村は「もし僕がちゃらんぽらんだったら」なかなか今のようにはならないのではないかと答えた。当選回数を重ねる政治家も、長く活躍するスポーツ選手も、陰で努力しているという。
その流れで杉村は、YouTubeを7年続けている2人に水を向ける。7年間、努力し、いろいろなことを試し、苦しい時期もあったはずで、それは学歴よりはるかに価値のある力だと杉村は言う。「京都大学の何とか学部」よりも、この7年間の方を社会は評価する、何をやってきたかが問われるのだと。
収録後に語られた「型」の話
杉村はこの後『TVタックル』の収録があると言い、高田は「難しすぎる回になってしまった」と戸惑いを見せる。杉村は締めの言葉として「言語化できないから人生は表にできない」と返した。
カメラが回り続けた延長戦で、高田は、いつもはゲストについて調べてくるのが礼儀だと考えていると話した。杉村は、それは正しいのではないかと応じている。今の課題を問われると、高田はYouTubeで過去に伸びた企画を繰り返すうちにマンネリ化し、新鮮さがなくなっていることを挙げ、もっと変化球のある企画をやりたいと語った。杉村は、過去の成功体験でやろうとするとそうなるのではないかと思ったから、今日はあえてまったく違うやり方をしたのだと明かす。高田は、ずっと時間を気にしながら型にはまっていたと振り返り、今日で課題が見えたかもしれないと答えた。
杉村は最後に、自分は「カレーを頼んだらミートソースが出てきて、それを美味しく食べる人生」がいいと語った。予定通りに進まない展開をどう受け止めるかという問いを残したまま、杉村は2人に「心から応援してます」と声をかけて収録を終えた。
バントンとくと高学歴になって両亭に行ってみてえな。どうも若手TVの高田ふーみんです。ということで自己紹介お願いいたします。
どうも杉村でございます。よろしくお願いします。よろしくお願いします。はい。元気いっぱいで。お忙しい中ありがとうございます。とんでもない。
ということでこのチャンネルはその人生を言語化するというチャンネルでして、ちょっと幼少期からお聞きしていきたいんですけども。幼少期から。幼少期から。おお。
テニスのイメージがありまして、テニスはいくつぐらいからされてました?私の父もテニスやってまして、インターハイとかも出てましたね。はい。だから父の座って。うん。だから子供の頃からでも本格的にやり始めたら小学校4年生ぐらいからですかね。あ、はいはい。
小さい頃からどういうことされてたんですか?どういう子だったか。どういう子だったか?えっとね、めちゃくちゃ優秀だったと思う。めちゃくちゃいい子だった。あ、勉強もできる。勉強もできるし、スポーツもできるし。はいはいはい。明るいし児童会長だし生徒会長だし。はい。いわゆるいい子。いや、これもう本当そう思う。
テニスの実績とかってお聞きしていいですか?国体で優勝してんだ僕。そう。すごい。しかもそこらの国体優勝じゃなくて、テニスってほら夏のスポーツじゃないですか。で、我々北海道出身で、半年間ぐらいできないわけですよね。うん。確かに。で、東京北でテニスで国体制覇したの僕だけですから。え、すごい。
そうなんです。めちゃめちゃすごい。ただ名門に柳川高校ってあったんですよ。九州。はいはいはい。あのそこからもね、中学校の時にスカウトあったんです。え、はい。柳川に来ないかと。元デビスカップ監督で、坂本真一さんていう方が、もうテニス界で誰もが知る名プレイヤー、名監督で、柳川高校を何連覇にも導いたその名将から、全国中学選手権で名古屋の会場だったんですけどね。杉村君、柳川来ないかみたいなことで言っていただいて。僕はその坂本監督に、大変恐縮ですが僕は北海道の高校で柳川を倒すことが夢なんです、と。そう言ったら坂本監督はすっごい嬉しそうな顔して、そうかと、じゃあ全国大会で待ってるぞと言っていただいたという感じですね。
スポーツ漫画のワンシーンみたいな。そうそう。すごい。僕の中学校時代の本当思い出の。へえ。
なんかポケロ大会とかでもなんかもう最年少優勝とかで。そうよ。そう、あの、毎日選手権って毎日新聞社さんが主催していただいてる大会があるんですけど、それの一般の部、実業団とかもね。それがね、えっと、15歳と10ヶ月で優勝。未だにその記録破られてませんから。え。そう。高校1年生で優勝した。すごいでしょ?
いや、すごい。すごすぎる。すごすぎる。ちょ、プロテニスプレイヤーのインタビューみたいになってるから。後に国会議員になる人の幼少期じゃない。へえ。
え、じゃ、そのテニスで高校に行かれるって感じですか?テニスがしたくてその高校に行ったんですよ。テニスの強豪校みたいな。強豪校。ただ公立高校なの。札幌市立藻岩高等学校って言って。うん。はいはいはい。そう、そう、そう。だから市立高校での優勝も珍しいんじゃないかな。あ、なるほど。
我々、夏は外で一応コートあったんですけど、冬は体育館を使わせてもらいますよね。はい。へえ。でもね、その時に元々体育館ってバレー部、バスケ部が使ってるわけよ。はい。バレー部、バスケ部がまあまあ強豪なのよ。うちの学校は。いやいや、で、まあまあ強豪なんだけど、せいぜいベスト4ぐらいなのよ。はい。はい。
私から、我々テニス部からすると、いや、我々はほら、全国の強豪のテニス部で、あんた方がまだ全国大会行けないでしょうみたいな空気が出ちゃってたのかどうかわからない。なるべく出さないようにしたんだけど出ちゃってたらごめんなさい。1年生の時の見切り方が。いやいや、出ちゃってたらごめんなさいなんだけど、とはいえやっぱり体育館って、バレー部バスケ部の一応画なわけですよ。うん。そんな簡単には。
特にね、そこの女バスのね、んですよ。はい。名前出していいと思うんですけど、さんっていうね。僕が冬になると体育館を使わせてくださいと、こうお願いに行くわけ。別に私がお願いするまでもなく、ちゃんと冬はテニス部も使うっていう学校のルールなんだけど、なぜかテニス部が毎年女バスに頭を下げに行くっていう慣習があったわけよ。うん。
それがまたね、この追い方でね。要はさ、練習終わったら、ちょっと練習終わったらボール片付けてって。はい。うん。ちゃんと拾ってと。うん。で、拾うんだよ。うん。拾うんだけども、バスケットのボールと違ってさ、テニスボールちっちゃいから、100球ぐらい使うと1球か2球はさ、取り忘れみたいなのあるじゃないですか。それがね、これ踏んだら怪我するから、って言われるわけ。はい。それがむかついてね。
それからね、あのバスケットのゴールでしょ?はい。はい。これがさ、終わったらバスケチームがちゃんと上げて帰ってくんないと、はいはい、テニスのこのサーブが打てないわけよ。はいはい。ああ、確かに。分かる。わかるんです。で、それを上げてから帰ってねっていう約束をしてるんですけど、上げないで帰る時あるわけ。はい。はい。そうするとこの学校で探せってなるわけ。はい。あいつしかこのレバーを持ってないわけ。確かにあれちょっとむずい。もうこれがないともう上がんないよ。これ自動じゃないから。で、俺はこの学校中をはい、って。
っていうことがあって、で、何の話?ただその方は本当に今は素晴らしい、ある自治体の議員になってんですよ。はい。ええ。いや、今でもよく会って色々話するんですけどね。うん。人間わかんないなと。同じ高校の同期で政治家が2人ってことですもんね。そうそうそうそう。
ちなみにその、勉強もできてたって話やったと思うんですけど、本当はこういう高校とかも行こうと思ったら行けたよみたいな。なんか札幌とかだったら東西南北が賢いとか言われてるじゃない。あ、でも僕あんまりそこはあんまり考えなくて、僕旭川出身だったんですよ。あ、はいはいはい。で、旭川から札幌。そっか。だったので、これ入学じゃないですか?はいはいはい。だから普通に市内から通うよりも高得点出さないと入れないみたいな感じだったんですよね。
の場合、僕が模試を受ける。はい。だから旭川で言うと旭川北とか西とか、そのくらいだったんじゃないですかね。うん。まあまあそこそこ賢いよみたいな。うん。賢い。賢いっていうか、あんまりそこの賢さっていうのは僕の中で基準はなかったです。あ、そうなんです。あ、失礼しました。ちょっと僕学歴にうるさくて。あ、そう。すいません。珍しいね、今時。ええ、学歴でなんかいい、そんなにいいかい?
学歴めっちゃ大事やなと思って。北海道やったらやっぱり。そんなこと言ったらさ、学歴なんかよりもさ、社会人偏差値の方がよっぽどじゃない。東大や、いや人に聞いてみい。そんなに学歴が立派じゃなくても年収2億ぐらいの人の方が良くない?まあ、そうでもポッと出というか、そんな額稼ぐ人って多分つかの間だと思ってるんですね、僕は。ああ。こういう学校出たっていう歴史が大事、大好きですね。
なるほどね。確かにそういうのも大事なのかもしれないけど、やっぱ学力が重要だよね。あ、はい。はい。どこのブランドじゃなくて中身というか。あ、10代、20代の学ぶ力の結晶が例えば大学とか高校とかだとすると、やっぱり社会出てからも学び続ける。うんうん。もちろん僕の周りの東大出た、どこどこ出たって人いっぱいいるけども、30代40代になって学ぶ力を持ち続けてる人と、学ぶ力をそこで放棄してしまった人では、人生のレースで一気に逆転するよね。うわあ。
だから社会人偏差値ってすごく大事だなと思いますよね。社会に出てから特に30代40代になってからの学ぶ力っていうかね。学び続ける。だからそれは学歴だったら1つ証明できるじゃない。うん。この証明できない価値、証明できない強さがすごく重要だと思いますね。
僕ちょっと京大出たんすよ。京都大学の経済学部出て、ちょっと今うだつの上がらないYouTuberやってるんで、ちょっと燃え尽きたかもしれないです。僕もうだ、それ、それはだからすごく昨日どこだと思いますよ。何のために京大行ったんですか?いや、ちょっとあの、ほんまに学歴が欲しかったんすよ。おお。僕兵庫県。
じゃあだったら諦めない。もっともっとつければいいじゃない。あ、そう、そうす。もっともっと上。京大なんて世界ランキング30なんぼでしょ。50ぐらいでしょ。はい。そうす。まだまだ上あるじゃない。そんなに学歴だったら。いや、日本で2番目なんで許してください。日本の2番のどこに価値があるよ、そんなもの。あれ、杉村さん。そんなもののさ、そんなものでさ、飯が食えたら世の中苦労しないだろう。そう。
例えばよ、このペットボトルでも、これじゃあ人に売ってどのくらいの利益を上げれるかと。はいはいはい。安く仕入れて高く売るのが基本的な商売なんで、じゃあこれをどうやって安く仕入れるか、そしてどうやって高く、付加価値をつけてくかなんていうのは、どんなに一生懸命勉強しようが勉強しなかろうが、やっぱそこは社会出てから同じスタートラインで勉強し続けないとなかなか難しい。学校でビジネスは学ばないですからね。うん。
これからね、こういうやつが成功するってのがあるんだよ。おお。はいはいはい。多分ダメだろうと。でもとりあえずやってみるという。うん。ああ。そういうわけのわからない勇気を持ってるやつが勝つね、これから。はあ。なるほど。うん。で、そうすると結局やっぱりダメなわけ。うん。結局ダメなんだけども、なんでダメなんだろうか、何が悪かったんだろうか。これが学ぶ力ですよね。うん。
そして学んで、よし、じゃ今度こういう風に改善しようと。そしてもう1回挑戦しようと。でもきっとそれも多分ダメだろうと。でもとりあえずやってみる。このわけのわからない勇気を持ち続けられてるやつって、やっぱ30代、僕今46なんですけど、はい、え、差が出てくんなと。だから僕なんかもう失敗失敗失敗だけど、トライしてトライしてトライして、でそのトライする中に過去の失敗に対して色々学ぶことあるんですよ。教訓を。それを繰り返すことがやっぱりその社会人偏差値になってくのかな。
だから社会人偏差値は一言で言うと、僕は年収だと思ってるわけ。稼ぐ。年収市場。やっぱり稼ぐ力がやっぱり社会人偏差値。さらっと。はい。だということであるならば、やっぱ稼ぐ力をつけたかったら、多分ダメだろう、でもとりあえずやってみるというわけのわからない勇気を持つっていうことが、やっぱ社会人偏差値を高めていくことになるんじゃないかなと。
だからゴールがないんだよね。学歴にはゴールがあるじゃない。これに入って卒業したが1つのゴールだけど。うん。社会人の場合はそのゴールがないっていうのが、ずっとこれを続けられるかっていう、そのモチベーションみたいなのが結構重要になってくんじゃないかなと思いますけどね。なるほど。
ちょっと、ま、ちょっと多分もうちょっと巻きの方が、多分時間折り時間あれす。まあとでも30分ぐらい。すいません。でも僕本当そう思うね。うん。で、これなんかもさ、はい、やっぱりさ、聞かれたことだけを言うっちゅうのもさ、どうなの?なるほど。いいインタビューで。
確かにこれ。いや、本当はこの後大学の話とか色々聞きたいですよ。政治家になるまで。そうだもん。全然さ、枠組み、もう何にも面白くないじゃない、そんな話。チャンネル、さっきからずっとタイミング伺ってるんすよ。なんか壮大な話。そ、それも甘いんだよ。聞かれたこと何でも答えると思ったら大間違いなんだよな、本当。初めてだよ、そんなゲスト。すごい。そう、台本通り行くわけないじゃない。
証券会社の話とか、小泉チルドレン時代の話とか。もう飽きた。そんな話飽きた。こっち怒られた話。いや、だから今のさ、テニス部時代のあの、との思い出は本邦初出しだから。ちょ、興味ないのよ。興味があのバスケットボールのゴールのこれを探してたことか。全国の高校であるわ、そんな話。いや、それがね、僕にとってはね、いい思い出なんですよ。思い出ね。はい。頑張れ、頑張れ。
え、こ、国体は、高校何年生の話ですか?国体の優勝は。3年生?あ、3年生?最後。そのテニスで大学にも行かれるってこと?そう、そう、そう、そう。筑波大学の体育専門学群というところから。こう桜田の悠仁様がご入学いただいて、ちょっと有名にさせてもらったんですけど、いや、スポーツの超名門というか。三笘選手、三笘選手も後輩で。ああ、そうですね。
え、結構スポーツのメーカーって多くて、それこそアディダスとかロットとかウィルソンとかヨネックスとかダンロップとかいっぱいあるでしょ。はい。はい。ナイキもそうだし、それからスポーツ飲料メーカーもでしょ。それこそコカ・コーラとか味の素とかもいっぱいあるし。うん。だから、そういったスポーツ関連メーカーって結構世の中にいっぱいあるんですよ。だからそういったところも就職先だし。ああ。
あとはスポーツ球団、プロ野球とかJリーグとか。あとはほぼほぼのオリンピック競技の種目には必ずなんとか協会ってあるから、バレーボール協会とかバドミントン協会とか、そういった協会に就職するとか。へえ。あとはもちろんマスコミ。うん。はい。あのスポーツ新聞とかいっぱいありますよね。もちろん1番の王道は、元東京教育大学だったんで学校の先生。うん。はいはいはいはい。は多かったかもしれないですね。はい。はい。
え、その中で外資じゃないですか?外資っていうのは?外、あ、ドイツ銀行。いや、いえ、あの、ドイツ証券、証券会社の方ね。はい。はい。はい。ただ全然よ。もうその組織の中の1番もう底辺中の底辺。そ、そんな大声で。底辺だもん。言わなかったらわかんない。いやいやいやいやいや。
本当、だから国体で優勝したのも嘘じゃないし、その証券会社に勤務してたのも嘘じゃないけど、もう皆さんはさ、資料作ってくれって言うと、なんとなくパワポとかエクセルとかね。ただ僕の場合はこんな分厚いレポートを正確にホチキス止めするっていうのが僕の仕事だったから。ああ。これ結構大変なのよ。脳みそ使わず。もう、脳みそ使わないって言ったら語弊があるけど、例えば30部を作ってくれと、はいはいはい、言われた時にいかに美しくやるかっていうのは、結構テクニックがいるんだよね。はい。はい。
だから僕なんか何の学もないし、資格もあるわけじゃなかったし、もうなんとかその会社に入って、もう少しでもお役に立てるように、首にならないようにってことで必死でしたよね。だからね、僕が証券会社に行った時ね、今でも実はお世話になってんですけど、調査部長が、はい、その方がとにかくめちゃくちゃ偉いわけ。はい。うん。その方が例えばソニーが上がるとバーンって株上がるし、下がるとドーンと下がるし、非常にマーケットに影響力のあるアナリストの方だったんですけど、その方がね、元々その方のお付きだった、秘書みたいな仕事をされてるアシスタントの方がよくね、カフェラテ買ってきてって言われてた。うん。はい。はい。
で、そのカフェラテがめちゃくちゃ遅かったの。買ってくるの。はい。はい。我々がいたの20階で、19階にタリーズが入ってたの。うん。はいはいはい。で、君、ちょっとカフェラテ買ってきてくれ。分かりました。待てど暮らせど帰ってこないの。だんだん部長もイライラしてるけど、そしたら時間がなくなったみたいで、部長はもう会議に行っちゃったの。うん。うん。で、ちょうど行かれた後にそいつがカフェラテ買ってきたの。あれ、部長は、とか言って。もう行かれましたよ。遅いじゃないですか。え、どうしよっかな、このカフェラテ、とか言って。
もうって僕は言った。何をしたか。そのカフェラテをチューチュー飲み始めたの。あっと思って。で、そしたらすぐ部長が戻ってきて、カフェラテは、と。すいません、飲んじゃいました、みたいな感じで。そういう感じのがいたの。うん。はい。ほう。
それでその部長に言ったわけ。今度から私にカフェラテを買いに行かしてくださいと。うん。あ。もう速攻買いに行きますから。はい。で、タリーズのアルバイトの子、その子と仲良くなって、はい。はい。もし俺がカフェラテ買いに来たら、他の社員のやつはその場ですぐ停止して、真っ先に俺のカフェラテだけを作ってくれと。うん。って言ったわけ。それなんでって、これ俺が飲むカフェラテじゃなくて部長が飲むカフェラテだからと。はいはいはいはい。だから誰も文句言わないからと。はいはいはい。で、俺電話するからと。電話してカフェラテってしか言わないから、そしたら速攻作っといてくれと。うん。
はい。はい。で、行ったら並んでるけど、もう出来上がってるわけ。うわ。はい。で、しかもやつはエレベーター使って、たった1階なのに。はい。てか、俺階段で行ったから。だからカフェラテ買ってきてって言われたらバーっと1階で、もうすぐ出来上がってる。そしてバーっと行って、お待たせしましたと。はええなみたいになる。はい。すごい。だからできるサラリーマン。そう。
で、その部長は今に私のことを色々アドバイスしてくれたり、いろんな事業でも助けてくれたりはしてる、そういう方だから。へえ。なんていうのかな。僕自身はどうやったら使ってもらえるか、どうやったらお役に立てるかみたいなことはもうずっと考えてましたよね。とにかく僕がラッキーだったなと思うのは、その会社に入れてもらって、そしていろんな優秀な社員の方がいっぱいらっしゃったわけですよ。うん。で、その方にね、本当に可愛がってもらったの。はい。で、いろんなこと教えてくれたの。で、それが僕にとって今までで1番成長させていただいたっていうか、勉強させていただいたっていう、その期間だなあ。
で、僕の人生ですごく自慢できるのは、僕は今テレビに出させてもらってますけど、政治の時も、とにかく上司に恵まれたと思う。うん。もう上司に可愛がってもらった。今の番組のプロデューサーにすっごく僕は育ててもらってるし、議員時代もそれこそ小泉さんとか竹中さんとか与謝野さんとか。まあ僕はね、上司が自分の息子のようにね、育ててくれて。で、可愛がってもらうね、1つのね定義は何かって言ったら、チャンスをくれたよね。
色々チャンス。だからホチキス止めの男ね。清掃員の男だったのに、今度東京ガスの新しくできた施設、俺の代わりに宇都宮まで出張行って説明会聞いてきてくれみたいな。僕人生初めての出張が宇都宮出張なの。それはもう今でも忘れてないし。で、多分なんで僕が皆さんに可愛がってもらえたのかって言ったら、ライバル視されてなかったと思うんだよね。なるほど。あの全くじゃなかったと思う。
ま、言い方悪いですけど、その雑魚臭が出てたというか。もう本当に末端の人間だし、だから育て甲斐があるっていうか、それはやっぱ結構重要なことかもしれないな。はい。隙を見せるというか。うん。うん。ま、隙だ。ま、うん。隙っていうのとまたちょっと違うし、おっしゃった雑魚っていうのもまたちょっと違う。ごめんなさい。全然。なんて言ったらいいんだろうな。最強というか。
ま、そういう意味では僕は学歴よりも愛嬌がすごい重要だと思う。今の時代。人生きてくれ。だからIQも重要。うん。IQと愛嬌は本当で、あのIQ50、愛嬌0は50点だよね。うん。だけどIQ40、ああ、IQが例えば30、愛嬌30だったらまで、やっぱ結局こっちの方がチャンス来るんじゃないかなとしますよね。うん。
ちなみにちょっと戻っちゃうんですけど、証券会社に筑波から入れた理由とか。筑波、筑波じゃないって。え。もうずっとその清掃員だったから、そこでうちで使ってやるって。あ、え、筑波から清掃員になった。だから僕中退してるから、大学。あ、はいはいはい。そう、そう、そう。大学中退だから。え、何年ぐらい通ってる?6年かけて中退です。お。それ理由はあったんですか?うん。
だから、正直言って僕自身は未だにこの大学を中退してしまったっていうことに、すごく人生後悔してるんですよ。ほ。ええ。なんでもう少し頑張れんかったのかなって。うん。うん。僕もあの京都大学経済学部6年生で中退しまして。うん。ちょっと僕も後悔してます。うん。
うん。でもなんで中退してしまったんですかってよく聞かれるんだけど、それなりに、その場では言葉を出すけど、どれもこれも自分の中でしっくりした理由じゃないんだよね。うん。だから、なんていうのかな。ま、ちょっとそうっすね。確かに中退って色々ありますよね。ま、確か。色々あるよね。なんかやりたいことが見つかったでもなく。本当思うんだけどね。
そんな人の人生ね、そう簡単に言語化ができると思ったら大間違いだぞ。いや、そういうチャンネルなんすよ。いやいや、だからそう、そういうチャンネルなのかもしれないけど、皆さんだっていろんな過去あるでしょ、人生。その過去をね、簡単に言語化ができると思ったら大間違いだから。誰に怒って?いや、怒ってんじゃないんだけど。何言いたいことがとりあえずなんか。わかる、わかる?はい。いや、わかんない。でも分かります。わかります。分かるよね。そうでしょ?いや、そんね。ああ、なんつったよ。
ま、多分大学でも挫折もあったでしょうし、ただその挫折をちょっとなんかうまいこと消化しようと思って。やっぱり当時は超就職氷河期だったし、大卒の内定率は6割いかないっていう状況の中で。うん。なんて言うのかな。ま、あとちょっとだったんですよ。あ。あと10何単位ぐらいだったんだよな。
だから僕のね、人生の夢があって、それは全部一通り終わった後に、もうすることがなくなったら、もう1回80過ぎてから筑波大学の体育専門学群にもう1回入りたいと思って。そして80になった体で体育を学んで、人生100年時代どういう社会にしたらいいかっていうのを卒論にして。はい。はい。自分の人生が終わるまでには、筑波大学体育専門学群をちゃんと卒業して死ぬっていうのがある。おお。僕の最後の夢かな。
だからそれまではちょっとね、色々なことやるけど、もう中退のままでは死ねないと。中退のままでは死ねないっていうか、できることならば卒業してから死にたいなあって。なんか学歴にこだわってるっていうことでもないんだけど、自分の人生失敗したなと思ってますよ。へえ。本当に悔やんでる。
人生結構迷われてた期間でもあるんですか?あるあるあるある。もう本当に今の自分が待ってるよってなってたら、うん、こんな、あの時あんな不安やね、苦しい思いはしなかったと思いますけどね。人生がわかんないなと思いますよ。本当にそういう意味では。はい。はい。だからなんとなくこう明るく元気よく楽しく映ってるかもしれないですけど、私自身も自分の人生、後悔の連続で。はい。はい。悔しいことも山ほどあり。はい。そう簡単に言語化ができると思ったら大間違いだ。
あの、ちょ、今日楽しみにしてたのが、あの、やっぱ小泉チルドレンとして自民党で国会議員1年生だって出現もあり、幹事長にも怒られ、みたいな。知ってんじゃん。なんかね、それが嫌なのよ。あ、されてるみたい。下手なんだよ。なんかね、知ってるのにね、また。俺その話何万回してると思ってんの。今日はダメ。いやいやいや、ダメってことはないけどさ、若い2人なんだから、なんかさ、新しいことを聞いてくれるかなと思ってさ。あ、そういうことですね。
あ、すいません。いやいやいや、別にいいけど。いや、いっぱいあるから。そういうのいっぱい出てるじゃん、動画。だってそれを知ってるからよ。ま、それはもう本当にその通りなんで、どっか違う動画を見てもらいたい。僕は今日トマホークさんの動画に出させてもらって、何が言いたいかったら、自分の人生そう簡単に言語化はできないもんですよと。
いや、話してる途中で思いついてた感じしましたけど、今日来る前からそれは言おうって決めてたんですか?いや、でもちょっと見てきたのよ。ああ、ありがとうございます。あ、なんかこんなこと聞かれるんだろうなと。つまんなそうだなと思って。いやいやいやいや。え、そうなの?つまんなそうなあれだなと思って。Wikiなぞるかのように。そう。なぞるかのように。今日でもほら、あの、せっかくね、若い2人から声をかけていただいたんだったら、違うことを僕が伝えたいなと。そんな知ってるようなことをさ、聞くんじゃなく。
反省ですね。確かに。多分ね、聞いたことみんな喋ってると思うんだよね。はい。はい。でもね、あの人全然聞きたいこと喋って帰らなかったっていうのもね、ありですよ。あり。ま、確かに初めてではあります。うん。
じゃ、ちゃんと聞きたいこと聞いていいですか?あの、国会議員をやめるじゃないですか。で、その後そのネクストブレイクというか、テレビで引っ張りだこになるじゃないですか。うん。それ、どういう流れでそのテレビで注目されるようになったんですか?サンジャポが。サンジャポって分かりますか?が声かけてくれて。そう。ま、だから16年ね。
ああ、そういう意味では世間からバッシングされた政治家やったわけじゃないですか。うん。で、そっからこうなんか自分の中でポジティブに生きようとか、なんか気持ちの整理はどっかであった?ただね、世間からバッシングされたって言いますけど、いや、本当に申し訳ないけど、そうでもないよね。はい。ああ、そう、そうなんすか。もし本当にバッシングされてたらさ、テレビってそんなに使わないと思いません?はい。
うん。まあまあ、そうですけど。今はもう太蔵さんってキャラは作ったと思うんですけど、1回議員をやめられた時って、この先の人生不安になったりとか、嫌われてる自分がとかって考えちゃいそうな。そうね。ただ、そっか。そっか。そういう意味ではやっぱりその元々いた証券会社の人たちがすごく支えてくれましたよね。はい。うん。ああ、大丈夫だぞ。うん。
で、僕はね、入った時はもう派遣社員で雑用であれでしたけど、僕あのままあの証券会社にいたら、間違いなくあの会社のトップになってた。今頃あの会社のCEOだよ。え。もう断言するわ。島耕作張りの出世。いやいや、今頃。言ってたのすごい。もうどの社員よりも俺は優秀だったと思う。へえ。で、断言できるで。はい。やっぱりね、言い切る力が重要ですよ。ああ。これはこうなってたなと。今はこうだけどと。
だから当時から健康だったしね。僕は健康だし、体力もあるし、ラッキーだったなと思うのは、文章を読んで理解できる能力はあったのは大きいよね。うん。うん。だからここは皆さんやっぱ訓練した方がいいなと思うのは、なんでもいいけどちょっと硬い本を読んでもらって、やっぱり歯を食い縛って自分なりに理解できるように文章と格闘するっていうのを、やっぱりその証券会社に入った時に叩き込まれたんですよね。うん。すごくそれは今の僕に役に立ってますよね。はい。
結構メディアのイメージでチャランポランみたいなイメージってあると思うんすけど、結構もう日々勉強の時間はしっかり取って、こう知識はインプットしようみたいな、そういう真面目な一面も結構あるんですか?ま、人生経験がほぼゼロだから、そういう質問だと思うんですけど、もし僕がチャランポランだったら、政権0。え、なかなかそうはならないんじゃないですか。ええ、そ、ま、そりゃそうっすね。はい。なかなか。結構理なことは。0です。そうです。
だからやっぱりさ、政治家もそうだけど、ずっと当選回数重ねてる人ってやっぱすごいよね。あー。まあ。やっぱそこで長く活躍してる人って、うん、やっぱり陰でさ、努力してるよね。スポーツ選手でも何でもそうだけどさ。だからお2人は、長く今YouTubeやって何年目?7年目ですね。7年でしょ?はい。相当努力されたんじゃないですか。あげてくんだ。あげてく。まだまだだよって言われて。
いやいや、そう。努力をされて、いろんなこともやられてね、苦しい時期もあって、ま、今も大変かもしれないけど、やっぱそれって学歴よりもはるかに価値のある力だと思いますよ、僕は。その京都大学のなんとか部なんかよりも、この7年間の方がやっぱり社会は評価するよね。うん。何をやってきたかって。うん。その中でいろんな人でね、人がいるなということじゃないですかね。はい。うん。
帰っていいすか?この後テレ朝でTVタックルの収録があって。いい。え、これどうしよう。どうしよう。難しすぎる回になってしまった。どういうことですか?どういうこと?面白かった。どういう回にしようかという。いや、今日のゲストは杉村太蔵さんでした、でいいんじゃないですか?あ。じゃあもう締めてよ。ゲスト杉村太蔵さんでした。どうもありがとうございました。
面白い。面白いけどな。なんか不満ですか?不満はないです。言語化できない。え?言語化できない?できない。言語化できないから人生は、これもう表にできないんだ。私の人生は。かっこいいだわ。そういうことですよ。あ、よろしくお願いします。ありがとうございました。ま、なんだったらカットしてもらっていいんで。全部。ありがとうございました。ありがとうございました。いやいやいやいやいやいや。めっちゃ面白かったです。喋り喋りまくって。いや、めちゃめちゃ面白かった。ありがとうございます。
え、本の宣伝とか大丈夫ですか?あ、しといてください。え、概要欄とか。いや、いいです。いいです。いいです。ま、なんか適当にやってくれたら嬉しいな。でもいや、でも素晴らしいですね。7年もやってんだもんね。あ、ありがとうございます。はい。まだ時間ありました。あ、どうぞ。それあれ、延長戦。まだ時間で。ちょっと脳みそ空っぽになりました。
ちょっとやっぱいつも通りではないので。いつも通りじゃなかったですか?はい。全然違いますね。あ、そう。想定してなかった。あ、全然想定。結構やっぱ調べてくるのが礼儀かなって思ってる部分があって。ああ。あ、いや、たまに怒られたりすることあったので。だから多分あれじゃないですか?それは正しいんじゃないですか?調べてくるの。はい。でもあれですね。さすがですね。立派ですね。お2人は。本当ですか?大したもんだわ。人生経験ゼロとかあったけど。
今何が1番課題なんですか?2人は。マンネリ化してしまってるとかですかね。YouTubeだとやっぱり今まで伸びた動画をやり続けるんですけど、うん、ちょっと新鮮さがないなとか。ま、本当に今回のインタビューを象徴するような、なんかもうちょっと変化球ある企画とか僕はやりたいんですけど。うん。だから過去の成功体験で。あ、そうそうそうそう。やろうとすると。はい。確かに。うん。だからなんとなくそうなのかなと思って、だから今日とかは全然違う風にやろうって思った。ああ。教えていただきありがとうございます。
本当に今日課題ができたかもしれないです。僕は今日課題ができたかもしれないです。もうこの回で。何もできなかった。何もできなかった。とんでもねえやつだったなっていう。時間大丈夫かなみたいな、ずっと時間を気にしちゃってて。やっぱ型にはまってたなっていうのは。やっぱり型にはまんない方がよくないですか?うん。変に。確かに。
だから僕はやっぱりカレー頼んだらミートソースが出てきて、それを美味しく食べる人生がいいなと思うね。うわ、カレー食べたかったけど、もっと食べたいやつが出てきたみたい。
なんかもしお役に立てることあったらまた言ってください。本当ですか?ありがとうございます。ありがとうございます。あの、応援してますんで。ありがとうございます。もう本当心から応援してますし。あ、ありがとうございます。頑張ってください。ありがとうございます。じゃあ、ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございます。すいません。
なのにこの町の空につませこ代のそばに変わりもいなくてアキりでお
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