ホメロスの「ワイン色の海」は何を意味していたのか:色彩語を季語として読む
ゆる言語学ラジオ古代ギリシャの詩人ホメロスは、海も牛も「ワイン色」と表現した。この奇妙な色の使い方から、19世紀には「古代人は現代人と同じように色が見えていなかった」という説が真剣に唱えられた。ゆる言語学ラジオでは、水野太貴さんがこの問題を紹介し、堀元見さんが聞き手として加わる。今回から始まる「色シリーズ」の第1回にあたる回である。水野さんは、ホメロスの色彩語は視覚情報だけを伝えるものではなく、日本の俳句における季語に近い働きをしていたという見方を示す。そして、ホメロスの色彩感覚に似たものは現代日本にも存在すると結論づける。
海も牛も「ワイン色」、蜂蜜は「緑」
水野さんは、ホメロスの作品に出てくる色の表現を順番に挙げていく。まず海は「ワイン色」と形容される。夕焼けの海ならそう見えなくもない、と堀元さんはいったん擁護を試みる。しかし同じワイン色は牛にも使われている。
ほかにも例は多い。「すみれ色」は海に使われるほか、羊が「美しくて大きくて厚いすみれ色の毛に覆われた」と表現される。緑を表す語は、恐怖で青ざめた顔、折ったばかりの小枝、一つ目の巨人キュクロプスが持つオリーブの木の棍棒、さらに蜂蜜にまで使われる。鉄はすみれ色や灰色とされるほか、「燃えるような」という意味の「アイトーン」でも形容される。水野さんによれば、アイトーンは現代日本語の特定の色に置き換えにくい。灰色っぽいものにも、赤っぽいものにも、オレンジっぽいものにも使われ、馬やライオン、牛の毛色を表すこともある。水野さんは、この「一語が現代の複数の色にまたがる」点を古代ギリシャ語の色彩語全体の特徴として挙げ、後の議論につなげている。
白と黒ばかりで、青がない
色彩語の使用頻度にも偏りがある。水野さんの紹介では、黒がおよそ170回、白がおよそ100回使われるのに対し、赤は13回、黄色は10回そこそこ、すみれ色は6回で、その他の色はそれ以下である。オレンジやピンクは出てこないとされ、青にあたる語も見当たらない。後の時代に青を意味するようになる語はあるものの、ホメロスにとってその語は「暗い」「黒っぽい」という意味しか持っていなかったとされる。
堀元さんは、ハチには人間と違う色の世界が見えているという話を引き合いに出し、古代ギリシャ人も見えている色が違ったのではないかと感じると述べる。水野さんも、これほどの使い方をされれば目がおかしかったと疑うのも無理はないと応じる。
ホメロス一人の癖では片付かない
水野さんはさらに、これがホメロス個人の問題ではない点を強調する。ホメロスだけが例外的な色の使い方をしていたなら、聞き手にとって耳障りな描写として訂正されていたはずだと考えられる。
加えて、ホメロスは現代でいう「バンクシー」のような存在だったという説もあると水野さんは紹介する。つまり一人の実在の人物ではなく、『イリアス』や『オデュッセイア』は大勢の詩人が各地で歌い継ぎ、付け加えてきた結果できたものだという見方である(バンクシーが複数人だという話については、水野さん自身が不正確かもしれないと断っている)。堀元さんは、葛飾北斎にも同様の説があると付け加えた。もし多くの人が関わっていたのなら、誰も色の語彙を直さなかったことはなおさら不自然になる。さらに、ホメロスより数世紀後の古代ギリシャの作品にも同じ特徴が残っていたという。ここから水野さんは、少なくとも当時の人々にとって、海をワイン色と呼び、それを牛にも使うことに違和感はなかったと言えそうだ、とまとめる。
グラッドストンの説:色覚は最近になって獲得された能力
この問題に目をつけたのが、イギリスの首相を務めたウィリアム・グラッドストン(1809〜1898年)である。水野さんによれば、グラッドストンは野党時代にホメロスを熱心に研究し、1858年に『ホメロスおよびホメロスの時代研究』を出版した。全体で1700ページに及ぶ大著で、その第3巻が「ホメロスの色彩感覚と色の使い方」にあてられている。
グラッドストンの主張を簡単に言えば、古代ギリシャ人は全体として、現在では多数派ではないとされる色覚特性を持っていた、というものだ。色への感受性は歴史的に見れば比較的最近になって得た能力であり、最初は明るいか暗いかしか見分けられなかったのではないか、と彼は示唆した。そう考えれば、白と黒を多用し、赤などをあまり使わないことも説明できる。
では、なぜホメロス以前に色の知覚能力が発達しなかったのか。グラッドストンは、絵の具や染料の発明によって人間が色を人工的に操作できるようになったことを重視したという。ホメロスの時代は染色技術が登場したばかりで、青い人工物を見ないまま一生を終える人も多かったはずだ。青い染料は人工的に作るのが難しく、青い花も稀だった。そのため、青を知覚できなくても困らなかったのではないか、とグラッドストンは述べた。堀元さんは、色を見分けることは先天的な感覚ではなく技術だという主張だと整理し、かなり説得力があると感じたと話す。面白いのでこの説で決着にしようとまで言い出し、水野さんに止められる場面もあった。
「シンバルの響き」と酷評された大著
しかしグラッドストンの説は厳しく批判された。水野さんが紹介したのは、色彩の説に限らず著作全体に向けて『タイムズ』紙に載った書評である。書評はグラッドストンを「極端なまでに賢い」としつつ、極端な賢さは両極相接するという格言の最適な実例を示していると評した。最後は、これほどの力が効果を発揮せず、これほどの天賦の才が均衡を欠き、これほどの肥沃さが雑草ばかりを茂らせ、これほどの雄弁がシンバルと鐘の響きにしか聞こえない、という趣旨の文で締めくくられていたという。二人はこの言い回しを気に入り、以後の回では「口シンバル」が互いをからかう言葉として何度も使われる。
ただ、批判を受けた後も同様の主張をする学者は少なくなかった。水野さんによれば、西洋古典学界でこの説が馬鹿げていると広く見なされるようになったのは20世紀半ばごろである。現代ではグラッドストン説を信じる研究者はほとんどいない。
別の仮説:牛の品種、信号の「青」
水野さんは答えを示す前に、堀元さんに理由を考えさせる。堀元さんはまず冗談半分に、当時の牛や海が本当にワイン色だったのではないかと答えた。水野さんは、そのアプローチも一度は確かめるべきだと認め、実際に検証もされたようだが、海の色などは現代とそれほど変わっていないようだと説明した。
次に堀元さんは、日本語で緑色の信号を「青」と呼ぶように、歴史的な経緯で色彩語の指す範囲がずれたのではないかと推測する。水野さんは、古代ギリシャ語以前の段階について色と語彙の対応がとれないという話はあるものの、今回のホメロスの件ではそれが主な理由ではないと答えた。日本語で「緑」が青を指したり、「青」が緑を指したりする混乱は実在すると認めたうえでの返答である。
「緑の黒髪」がヒントになる
ここで水野さんは「緑の黒髪」という表現を持ち出す。黒い髪をなぜ緑と呼ぶのか。植物が緑色をしているのは、成長していて元気な時である。そこから、つやめいた若々しい黒髪を「緑の黒髪」と呼ぶのだという。
堀元さんはこれを聞いて、植物が緑で元気であるのと同じくらいあなたの黒髪には活力がある、というように、色に比喩のイメージが乗っているのではないかと推測した。水野さんは、大筋ではそれで合っていて、もっと整理した説明ができると応じる。その説明が、ホメロスの色彩語は現代日本人にとっての「季語」だった、という考え方である。
季語の役割は「圧縮」にある
水野さんは堀元さんに、俳句になぜ季語が必要なのかと尋ねる。堀元さんは季節がわかりやすくなるためだと答え、季節を示すだけなら「春」「秋」と書けばいいのに回りくどいと思っていたと話す。
これに対して水野さんは、自分が読んだ本に基づく理解として、季語の存在意義の一つは「コスパ」だと説明した。参照したのは、AI研究者の川村秀憲先生と俳人の大塚凱さんの対談本『AI研究者と俳人』である。大塚さんは季語の働きを「効率性」と表現しているという。例えば秋の季語「鰯雲」は、小魚のイワシの群れのような細かい雲という気象現象を指すだけではない。秋の爽やかさと同時に、物思いを誘うような風情を帯びたアンビバレントな語であり、そこが季語の本質的な部分だと大塚さんは述べているという。
例として挙げられたのが「丸善にノートを買って鰯雲」という句である。前提知識がなければ、丸善でノートを買って雲を見ただけの句に見える。しかし鰯雲の含意を知っていれば、新しく何かを書き始める気持ちの良い秋でありながら、どこか物思いにふける状況が見えてくる、と堀元さんは読んだ。水野さんは台本を確認してもらうため、俳人の岡田一実さんに解釈を尋ねていた。岡田さんの読みでは、ノートにはこれから使われる未来があり、空の下の私たちにも未来が感じられる。丸善を出るとイワシの群れのような小さな雲が見え、解放感と切なさを覚える。さらに「丸善」という語が梶井基次郎の『檸檬』を想起させ、檸檬を置かずにノートを買って出てきた、という解放感と切なさは読者も知っている景色でしょう、という使い方になっているという。堀元さんも『檸檬』を連想していた。
歳時記はインデックス、鑑賞はデコード
ただし季語の解釈を作者の感覚だけに任せると、意味が揺らいで曖昧になる。その共通認識を固めるために俳人が使っているのが歳時記だと水野さんは説明する。歳時記には季語の意味だけでなく、歴史的背景や本意も書かれている。大塚さんの表現では、季語は俳句という短い詩を膨らませる季節のキーワードであり、歳時記はそのインデックスだという。例えば鰯雲は、ひたすら晴れやかな恋の喜びを詠む言葉ではない、というように解釈の幅が定められている。
歳時記には過去の例句も載っていて、鑑賞者は先行句を参照しながら句を読むことがある。『AI研究者と俳人』では、ある秋の句について、別の俳人の先行句の名残を感じ取った鑑賞例が紹介されている。二つの句で共通するのはごく一部の語と「秋」だけだが、それでも鑑賞者は先行句を呼び出して比べながら読むのだという。
水野さんはここから、俳句はZIPファイルのようなもので、季語は体験の圧縮だとたとえる。同書ではこれをエンコードとデコードと表現しており、ある体験をエンコードすると俳句になり、鑑賞はそれを追体験するためにデコードすることだという。情報工学を専攻していた堀元さんは、それならコーデックは何か、規則に基づく符号化でなければエンコードとは言いにくいのではないか、といったんは引っかかりを見せる。しかしこの表現が北海道大学の教授で、俳句を詠むAI「AI一茶くん」の開発にも関わる川村先生のものだと知ると、「俳句というコーデック」で符号化と復号をしているのだと納得してみせた。
ホメロスの色彩語は「総合得点」で選ばれていた
ここで話はホメロスに戻る。水野さんによれば、ホメロスたちは色彩語を季語のように使い、そこにさまざまな意味を込めていた。つまり色の語彙を視覚情報のためだけには使っていなかったのではないか、という見方である。実際の色が赤でなくても、赤という色が持つ心情や文脈が合えば、それを赤と形容した。堀元さんは、文学作品で何か良いことがあった後や何かに燃えている場面に「真っ赤な夕焼け」を描くのと同じで、その極端な形が「ワイン色の海」なのだと理解を示した。
水野さんは、日本語で読める研究として『ホメロスと色彩』を紹介する。著者の西塔先生は、地中海を目の前にすれば海は確かにさまざまなワインの色のように濃淡があり鮮やかで、燦々と輝くこともあれば嵐や雷とともに暗く沈むこともある、と述べているという。何色というラベルを貼るのではなく、ワインの色のように移り変わる海の複雑さをそのまま「ワイン色」と表現したのではないか、という読みである。水野さんは、赤ワインも実際には単純な赤ではなく、私たちは「赤」というラベルをはめることで色の多様性を見失っているとも言える、と付け加えた。堀元さんは、初めて白ワインを飲んだとき白くないと思ったと話し、「透明薄黄ワイン」と呼ぶべきだと冗談を言っている。
さらに、番組のリスナーでホメロスの色彩語を研究しているアガバビアン先生から、たまたま連絡があったという。先生は台本の確認や文献の紹介にも協力した。アガバビアン先生の見解では、「ワイン色」と言われた聞き手は、ワインにまつわる匂いや味、触覚などの五感の体験を思い浮かべる。詩を聴きながらホメロスのワインを味わうような体験をしたのではないか、というのである。ワインを飲んで酔ったときの、体が揺れて思うように制御できない感覚は、大きく予測できない動きをする叙事詩の海のイメージとも合う、とも述べていたという。堀元さんは、上手な悪口の比喩も同じだと話す。「弱い犬ほどよく吠える」は相手を犬扱いするニュアンスまで含んでいるから効く、という例である。
水野さんは、海をワインにたとえるのは総合得点の勝負であり、色が多少ずれていても代わりに呼び起こされるイメージが豊富なら構わないのだと説明する。現代人は色彩語を視覚情報にしか使ってはいけないと思い込んでいたにすぎない。ある時代からこの戦略が取られなくなったために、ホメロスの時代の人々の色覚がおかしかったという結論になってしまった。つまり、現代人の感覚で古代ギリシャ人を捉えようとしたから失敗したのだ、と水野さんは述べる。堀元さんがグラッドストンを「口シンバル」と切り捨てると、水野さんは、それもまた現代人の感覚で過去を裁いていることになる、とたしなめた。
失われたのは現代人の側の感覚
水野さんによれば、「古代ギリシャ人には青がなかった」という言説が今でも見られるが、西塔先生はこれを誤りだとしている。むしろ、現代人は古代ギリシャ人と同じような感覚で青を感じ取れなくなっている、と見なすべきではないか。古代ギリシャ人は、太陽なら赤、海なら青といった一対一の対応で考えていなかったというのが水野さんの説明である。
堀元さんは、現代の例として藤井風さんの歌詞「青春はどどめ色」を挙げた。「どどめ色」を調べると、クワの実のような黒っぽい紫だった。青い春と書く青春を、あえてどどめ色と言う先入観の壊し方がすごいと感じたという。水野さんも、それはホメロス的な使い方かもしれないと応じた。
水野さんは再びZIPファイルのたとえを使い、ホメロスの時代の人々は「ワイン色」にさまざまな情報をエンコードしていたが、古代ギリシャ語や古代ギリシャ文化に通じていない現代人にはそれをデコードできない、とまとめる。西塔先生やアガバビアン先生の研究は、古代ギリシャ語や文化を学ぶことでそのファイルを解読し、当時の人々が体感していた世界にたどり着こうとする試みだという。堀元さんは、自分たちも普段から色彩語に比喩を乗せて話していれば、ギリシャの感覚を理解しやすくなるのではないかと提案した。例えば「今日の海は抹茶色だ」と言ってみる、というものである。水野さんも、抹茶を飲むときの体験や感覚と海を結びつけることを意識すれば、より豊かな表現にたどり着けるだろうと応じた。
異文化を「そのまま」受け取る負荷
水野さんは『ホメロスと色彩』について、色に対する認識への挑戦のような本だと評する。この本は、ある古代ギリシャ語の単語が日本語のどの色にあたるかをまったく言ってくれない。一対一で対応していないのだから当然だが、読む負荷は大きい。とはいえ水野さんは、その理解の大変さこそ、古代ギリシャの文化を古代ギリシャのまま受け取るときに必要なものであり、異文化理解の大変さそのものだと言う。インスタントに理解しようとすれば、異文化を日本の文化に当てはめて消費することになってしまう。
堀元さんはここで、ReHacQのプロデューサー高橋さんの発言を紹介する。高橋さんは動画で、外国人が何を考えているのか本当にわからない、朝起きてから寝るまでの彼らの全容を理解できる気がしない、と話していたという。排外主義にも聞こえかねない発言だが、堀元さんはこれを素朴な実感として受け止めた。人は文化の枠組みを通して景色を見ているので、見えている景色がすべて違うのではないか、という仮説だと解釈している。水野さんも、その実感自体は問題ではないと言う。怖いから排除しようとするのではなく、複雑でも理解しようとする姿勢があればよく、その体験をデザインしたのがこの本だとも言える、と語った。
グラッドストンは本当に間違っていたのか
最後に水野さんは、ここまでの結論を自ら揺さぶる。文献学者のラザルス・ガイガーはグラッドストンの発見に興味を持ち、ほかの言語を調べた。その結果、ヴェーダでも空は青と表現されておらず、旧約聖書も同様だった。聖書では馬や雌牛が赤と呼ばれ、預言者エレミヤは人々の顔が恐怖で緑色に変わったと述べている。ホメロスの色彩描写に見られる特徴は、ヴェーダや聖書、アイスランドのサガなど、時代も地域も異なる文献に共通していたのである。
そこから、まったく違う時代や地域に住む人々は色を私たちとは違うように認知し、違う世界を見ているのではないかという論争が生まれた。堀元さんはこれを「クオリアのレベルで違う」という話だと言い換えている。この論争に決着をつけるため、研究者たちは自分たちの文化に染まっていない地域に住む人々に目を向けた。そしてその過程で、グラッドストンの主張が部分的には真理をついていたという話も出てくる、と水野さんは予告する。人間の認知を色彩語から探るこの話は次回に持ち越され、今回はグラッドストンが本当に間違っていたのかという問いを残して終わっている。
ゆる言語学ラジオ。昔の人類って現代人と同じ色覚を持ってたと思います? そりゃそうでしょ。 実は疑われてたこととかあったんですよ。 ほう。 で、その原因、主犯は何かっていうとね、ホメロスですね。 え、ホメロスのせいで? 古代ギリシャの詩人。 はい。 あいつのせいで色彩、昔と今と違ったっていう説が出てきたってこと? やばい。 っていう話を今回していきたいと思います。 はい。
ゆる言語学ラジオ。ここからですね、数回にわたって色シリーズに入りたいと思います。 はい。はい。 ずっと僕がやるやるって言ってたね、先延ばしにしてたものなんですが、実はですね、この言語学の歴史を作ってそして発展させたのって色なんですよ。 そうなん? 色の語彙によって画期的な研究が生まれたので。 え、全くピンとこないね。 はい。このシリーズでまさにその言語学を彩った色について話していきたいと思います。 ちょっとおしゃれですね。
はい。で、先ほどそのホメロスのせいで古代人の色覚ってのが現代人と異なるって説が生まれたという話をしましたけど、なんでかっていうとですね、 あれじゃない?ホメロスの詩で「青、青に塗った肉美味しそう」みたいな詩書いてたせいで、え、こいつセンスやばってなった。 そういうことですね。 え、そういうことじゃないでしょ。絶対違うでしょ。 いや、そういうことなんですよ。 え、ボケたつもりだったんだけど俺。そういうことなの? ホメロスの色覚むちゃくちゃなんですよ。 ホメロス大丈夫か? え、あんな偉人みたいなやつがもうめちゃくちゃ心配されてますよね。
はい。まあじゃあちょっと一応ね、そんなさすがに変なことホメロス言わないと思いますんで聞いてみましょうね。 ホメロスですね。例えば海。 はい。 これあのホメロスに出てくるんですけど、何色です? うん。当然青ですよ。 青色ですよね。ホメロス何色と形容してるかというとですね、ワイン色。 はい。だいぶ変だな。まあでもギリギリあの夕焼けとかに見えたのかな。 ああ、でもね、このワイン色の形容、他のものにもね、使ってるんですよ。あの、牛。 はい。 あ、ちょっと弁護できないぞ。牛は無理よ。海はまだ百歩譲ってね。 牛といえばやっぱりワイン。 ワイン色って思ったこと1回もないよ。 え、ないの? 牛ワイン色じゃないもん。 これだから非古代ギリシャ人は困るぜ。 お前古代ギリシャ人なのかよ。
あ、でも他にもね色々あるんですよ。ホメロス、色彩色とりどりに使ってますよ。やっぱ詩人でね。 それ詩人だからね。 すみれ色。 ほうほうほう。 堀元さんのメンバーカラーみたいなね、あの紫っぽい色ですね。 はい。紫だよね。 はい。これもですね、あの海に使ってきたりだとか。 すみれ色を? はい。それからですね、羊を「美しくて大きくて厚いすみれ色の毛に覆われ」と形容してますね。 なんかめちゃくちゃだ、ホメロス。 え、やばいな、だいぶ。
あ、でもね、すみれ色ってさ、そんな頻繁に使う色じゃないじゃないですか。ワイン色もそうですけど。緑。 はい。はい。 クロースっていうんですけど、これですね、恐怖で青ざめた時の顔色に緑を使ったりとか。 あ、青だな。青ざめた時の色。 折ったばかりの小枝。 あ、 なんか枝って茶色いの多いですけどね。 うん。枝緑じゃないよね。 はい。それからですね、キュクロプスっていうあの一つ目の怪人みたいなね、あれが持つオリーブの木の棍棒。 うーん。茶色いな。 え、そして蜂蜜。 全然緑じゃないよ、蜂蜜は。 蜂蜜は黄色とかね、オレンジとかそっちの系統の気しますけどね。 あ、そうすか。だから古代な… なんでお前古代ギリシャ人に肩入れしてんの? 古代ギリシャ人じゃないでしょ、あんた。 僕はもうばっちり現代日本人だよ。 あんた蜂蜜って緑だなって思うんで? 友達やめて。
この前週末にあのワイン色の海見てきたんすよ。 本当に? ワイン色だった。 はい。そう。でそこに牛いたんですけどワイン色でした。 え、羊は? 羊すみれ色でしたね。 そんな。 厚いすみれ色の毛に覆われてましたね。 白いよ、羊。 この前あのすみれ色の毛のセーターとかないなって思いましたからね。 感覚おかしいね。
はい。あと鉄。 うん。 鉄なんかもですね、すみれ色だったり灰色かと思いきや、アイトーンっていう「燃えるような」っていうような意味の形容されるんです。 それは何すか?赤? これがね、何色を指すって現代日本語でいうのがちょっとこう難しくて。 わかんないんだ。 これは古代ギリシャの語彙に言える特徴なんでちょっと後で詳しく話しますけど、灰っぽい時に言うこともあれば赤っぽい時に言うこともあればオレンジっぽい時に言うこともあるという。 うん。それ束ねちゃまずそうだけどな。 ですので、そのアイトーンとかは馬とかライオンとか牛の色の形容に使うこともあるという。 もう大混乱す。違う色だし。 それそれ違い… 一緒の色ですよ、アイトーンで。 アイトーンじゃないけどな。 そうですか。 難しいな。
で、さらにまたややこしいのがですね、色の語彙をこう見ていくと黒と白が圧倒的に使われるんですね。 うん。 それはまあいいとして、黒がまあ170回、白が100回ぐらいだとした時に、赤色はね、13回しか出てこないし、黄色も10回そこそこで、すみれ色6回。 うん。 で、後の色はもう6回にも満たないぐらいしか出てこなくて。 はい。じゃ、白と黒だけ圧倒的なんだ。 そう。だから青なんて一切見当たらないんですよね。 え、不思議。 はい。 青ないんだ。 後の時代に青を意味する語ってのは登場するんですけど、ホメロスにとってはその語は暗いとか黒っぽいっていう意味しかなかったとされているみたいで。 確かにそれ聞いたらさ、古代ギリシャ人俺たちと目違ったんじゃねって気してくるね。 ね。オレンジとかピンクも出てこないらしいし。
うわ。だからほらよく言うじゃん。蜂とかってさ、世界が白黒で見えてるみたいな。 うん。 その我々と見える領域が違うから、俺らの見えてる色は蜂にとっては白黒にしか見えないみたいな話よく聞くけど、古代ギリシャ人もそうだった感じするね。 ね。こんなむちゃくちゃなさ、色の使い方されてると目がおかしかったんじゃないかって思うのも無理はないですよね。
で、しかもポイントもう1個あって、ホメロス個人に特有の問題じゃないっていうのがあって、もしホメロスだけがその例外的な色の使い方をしてるんだったら、ホメロスのその独特の描写って耳障りでおそらく訂正されていたのではないかっていう風にも考えられると。 あ、ホメロスの色彩感覚おかしくねみたいな、まあクソリプというか、著作が書かれそうだよね。
うん。そうですね。で、しかもホメロスって実は現代で言うところのバンクシーみたいな存在だったんじゃないかっていうような説もあるみたいで。 あ、え、いたずら書きしてたってこと? あ、ってことじゃなくて、バンクシーって1人じゃないっていうのですかね。 そうか。複数人いるのか、バンクシー。 そう、バンクシーさんっていう1人の人がいるんじゃなくて、言うたら工房みたいなとか編集プロダクションみたいに、複数の人間がそのバンクシーっていう肩書きでまあこうアーティスト活動し… あれバンクシーって結局それで決まったんだっけ? なんか複数人いる説みたいなの読んだことある気するけど。 僕バンクシー展行った時に確かそれ書いてあった覚えがありますけどね。ちょっとごめんなさい、もし不正確だったら申し訳ないです。 葛飾北斎もそうだったって言うよね。作品が多すぎるから。
聞いたことありますね。そう。ホメロスもそういう感じで実は実在した人じゃなかったんじゃないかと。そう。ホメロスの場合はイリアスとかオデュッセイアっていうね詩を残したとされてますけど、その大勢の詩人が各地で歌って色々と付け加えたりしていった結果できたものであって、ホメロスという1人の人間が作ったものじゃなくて、ギリシャ語話者によってみんなで作られてきたものなんじゃないかっていうような説もあるみたいなんですよ。
で、もしそうだとしたらなおさら、その大人数の人が関わっているのにその色の語彙を直してないってのは余計に変。 うんうん。だって絶対直すもんね、誰かが。海ワイン色なの変じゃねってなって青にしちゃおうってなるもんな。 はい。そうですね。 またさらにホメロスより数世紀後の古代ギリシャ人の作ったものとかにも同じ特徴が残っていたらしくて。 うん。 ここから言えるのは、少なくともその時代の人たちにとっては海がワイン色と形容されたり、それが牛にも適用されたりすることは全く違和感のあることではなかったということは言えそう。 そうですね。 ここまで分かりましたかね。 完全に分かりました。
ということでですね、いや、これ変じゃねと言って目をつける人がね、現れたんですよ。これ実は高校で世界史やった人だったら習ったことある人なんですけれども、ウィリアム・グラッドストンという。 うん。あれ聞いたことあるぞ。 1809年から1898年を生きた。 あれイギリスの政治家じゃない? はい。イギリスの首相です。 首相。 はい。で、その彼は野党時代にめっちゃホメロスの研究してた。 え、政治家やりながら? 忙しい。 はい。あの1700ページの書物を残します。 やべえ。忙しいな。
彼はそのホメロスの叙事詩を研究していて、『ホメロスおよびホメロスの時代研究』っていう本を1858年に出しているんですけれども、この超大作のうちの第3巻が「ホメロスの色彩感覚と色の使い方」っていう章なんですね。で、このグラッドストンが言ってることをむちゃくちゃシンプルに言うと、古代ギリシャ人は全体的に、まあ色弱、今はもう色弱って言葉使わないですけれども、多数派ではない色覚特性を持っていたということですね。
なるほど。まあだからこそ海はワイン色だって書いちゃうんだ。 はい。 彼はその色への感受性ってのは歴史でみると比較的最近になってから得た能力なんじゃないかって示唆してるんです。 なんかめっちゃ説得力あるぞ。 うん。で、彼の理屈としては、最初はだから明るいか暗いかみたいなものしか見えてなかったんじゃないかと。で、そうすると白と黒をやたら使って赤とかをあんまり使わないのって説明できるじゃないですか。 そうだ。え、その説おもろ。それで行きましょう。 え、 面白いから。古代ギリシャ人は色がほとんど分かってなかった。 え、でもそれはその議論をした上で正しいかどうかを判定するので、面白いかどうかで判定したらまずいじゃないですか。 でもほら面白い説の方がさ、喋った時みんなからへえって言われて人気者になれるからさ、面白い説が真実ってことにした方がよくない? はい。え、ここから僕話しますって聞いてくれますか? 大丈夫ですか? ここで終わりにするっていうのはどうでしょう? いや、だめです。 一考の余地があるのではないでしょうか? でももしかしたらグラッドストンさん合ってるかもしれないです。その別にまだ間違ってるとも合ってるとも言ってないんで、ドキドキしながら聞いてください。
なんでじゃあホメロスの時代よりもっと前に色彩の知覚能力上がらなかったのかってことも考えてるんですね。つまりホメロスよりさらに昔の段階で別に現代人と同じような色の感覚を持っていてもいいじゃないですか。グラッドストンの説明だと、絵の具とか染料の発明によって人は人工的に色を操作することができるようになったと。 ああ、面白いね。 実際ホメロスの時代って染色技術が登場したばっかりで、青い人工物を目にしないまま死ぬホメロスの時代の人たちっていっぱいいただろうと。実際その青の染料って人工的に作るの困難なので、青い花ってのも稀だったし、考えれば青っていうのを知覚できなくても別にそんなに困らなかったんじゃないかっていうことを言ってる。 めちゃくちゃ面白いな。だから色を見分けるというのは先天的な感覚ではなく技術なんだということをグラッドストンは言ったわけですね。 うん。そうですね。じゃあこれ合ってるんだろうかっていうところですよね。 うん。なんか説得力はそれなりにありましたけど。
ありましたよね。例えばこのグラッドストンに対してついたのがですね、「妄想」。 かわいそう。 こういったことが言われたみたいですね。 まあ、まあ、さすがにね、直感と外れすぎてるからね。 そうですね。クソミソに罵倒したレビューとかも結構あったみたいで、これあの色彩の説だけじゃなくて著作全体への批判として、タイムズっていうね、あの有名な新聞に載ったレビューですね。「グラッドストン氏は極端なまでに賢い。 うん。 しかし不運なことに、極端なまでの賢さは、両極は相通ずというこの最適な実例を呈している」。 なるほどね。賢すぎてあいつバカになっちゃってるよと。 はい。 このレビューの最後の文読みますと、「これほどの力が効果を発揮せず、これほどの天賦の才が均衡を欠き、これほどの肥沃さが雑草ばかりを茂らせ、これほどの雄弁がシンバルの響きにしか聞こえない」と、え、いう風に評価されています。
もう何喋ってもシンバルだと。楽器なんだとお前は。 あの、いくらなんでも言い過ぎじゃないですか? これは。そう、頑張って1700ページも書いたわけでしょ。一生懸命ホメロス勉強して。 こんなに言っていいの? それに対してシンバルと楽器の響きにしか聞こえないって言われ。 そう。「これほどまでの肥沃さが雑草ばかりを茂らせ」。これぜひ使っていってください。 あ、でもいいっすね。これインテリ悪口としていい気がしますね。
はい。で、ただ批判は受けたんですけど、同じような主張する学者はその後も多数いたと。 うん。 で、西洋古典学界で完全にこの説がこう馬鹿げてるっていう風に全員が同意するようになったのは、20世紀半ばぐらいのことみたいですね。 うん。だから信じる人もそれなりにいたと。 はい。 と、まあクソミソに叩かれ、そして現代ではこのグラッドストン説を信じているような研究者はほとんどいないという結論でしたけど。 うん。残念。面白い仮説だったのにな。 そうですよね。でもなんでじゃあホメロスはこんなむちゃくちゃな語彙を使ったんでしょうね。 意味わかんないね。
答えはある程度の意外さを持って受け入れてくれると思うし、僕はこの結論としては、ホメロスの色彩感覚っていうのは実は現代日本にも存在してるんだっていう結論を思っているんですけど、せっかくなんでちょっと答え合わせをする前に堀元さんに聞いてみましょうか。 なんか分かりましたよ。ホメロスの方の色彩感覚はめちゃくちゃ我々と一緒で同じように色見えてたんだけど、当時の牛と海は全部ワインと同じ色をしていたんですよ。これなら何の問題もなく説明できますよね。 そうすね。その説はシンバルの響きにしか聞こえないですけれども。 い、俺もしかして雑草茂らせてた? 今。 そうですね。 肥沃な土壌に。 これほどの力が効果を発揮せず、これほどの天賦の才が均衡を欠いてもいましたね。 そこまで言わなくていいじゃん。ちょっとボケただけなのに。
でもそのアプローチでも1回やっぱ確かめてみないといけないですよね。その牛の色って本当に現代と一緒だったのかとか、海の色が現代と一緒だったのかってのはもちろん考えるべきことであると思います。 牛の品種とかがね、もしかしたらマジでワイン色の品種が大量にギリシャで飼われてた可能性もあるわけだもんね。 はい。そうですね。まあだからそれも多分検証したんですけど、海の色とか別に現代とはそんなに変わっていないっぽいですね。
そうじゃない。え、これさ、俺当てちゃうかもしんないんだけど、もう1個仮説言うと、俺ら信号の色のことさ、緑なのに青って言うじゃん。 うん。はい。 だからそれって結構乱暴な、多分歴史的な経緯もあってやたら広いものを青とくくってるんだと思うんですけど、それと同じことが古代ギリシャのワイン色とかにも起きてたって話なのかね。 なるほど。 つまり古代ギリシャ語の歴史的な経緯を見ると色と色の語彙の対応がはっきりしていて、それが時代を経るにつれて違うものを指したりとかっていうことが起きた結果、 そうそうそうそう、より広く指すようになったみたいなことじゃないですか。 その結果だから歴史的な副産物としてホメロスの詩がちぐはぐな言葉遣いに見えたっていう説ってことですね。
その話もあるんだけど、つまりその古代ギリシャ語よりも前の印欧祖語と色の対応が取れないみたいな話もちょいちょいあるんだけど、今回のそのホメロスの色彩感覚に関して言うとそれが主ではない。 ああ、違う。 ですね。ただ確かにありますよね、そういう。日本語の色の語彙で緑って言うと青色を指す時と緑色を指す時の2種類あるっていう。で、逆に青が緑を指すこともありますね。 ね。あるよね。青と緑の混乱あるなみたいなの子供の頃よく不思議に思ってましたけど。 うん。うん。 それじゃない理由があるってこと? そうですね。 うーん。わからんな。
そういうさ、お前その色指してないじゃんみたいなやつさ、結構やっぱあってさ、緑の黒髪っていう表現知ってます? ああ、聞いたことあるわ。文学とかで出てくるな。 はい。 めっちゃ黒い髪ってことだね。 そうですね。なんで緑なんですか? 不思議だね。ミステリーホリモト。 黒すぎて逆に緑みたいなね。 そのギャルの感性みたいな。 え、黒、黒すぎて逆に緑じゃねっていう感じで。 逆になってないですね。色相環的にも全然色相環外にあるし。 ギャルは色相環とか気にしないから、逆に緑じゃね。色相環のこと分かってないから、ギャルは。 え、 ギャルのね目って我々の目と違うんすよ。 あ、あ、あ、あ。 まだ進化してないんすよ、ギャルの目。 あ、あ、これは良くないよ。炎上、これよくない。間違います。違、そんなことないす。同じ色を見てます。同じ景色見てます。 このシンバルだ。 俺のことシンバルって呼ぶな。
緑の黒髪の緑ってのは、植物がこう緑色になってる時ってさ、 うん。 すごくこう成長していて元気な時。 あ、そうだね。 だからその緑なんですよね。 あ、だから髪がまるで植物のように元気だみたいなこと。 そう、そう。だからこうつやめいていたりとか若々しい綺麗な黒髪のことを緑の黒髪って言うんですよね。 あ、それで言うと緑の黒髪はホメロスを読み解く上でのヒントっす。 あ、そうなの? はい。 あ、だから比喩ってこと? というのは? え、だって植物に髪が例えられてるわけじゃん。 はい。はい。 植物が緑で元気みたいなぐらいあなたの黒髪には活力がありますよっていう、色に比喩のイメージが乗っかってるよね。 うん。うん。 そういう感じってことかな。 そうだね。もっと綺麗な説明ができるというか、もっとより深い話ではあるんだけど、大筋としては合ってます。 なるほど。整った説明を聞かせてください。
はい。僕はこのホメロスの研究調べてみたんですけど、そこで思ったのはですね、ホメロスの時代の色を表す言葉って、我々現代の日本人からしたら季語だったんだっていう考え方ですね。 どういうこと? どういうこと? ちょっとじゃあホメロスの色彩語の話をする前に季語についてちょっとおさらいというかレクチャーしていくんですけれども、堀元さん、なんで俳句には季語が求められるのだと思いますか? だってなくても別にいいじゃん。 ああ。 え、でも俳句ってあれでしょ? 四季を詠むためのもんだから。 うん。 そりゃお前何の季節詠んでるか分かる言葉ぐらい入れろよっていうことじゃない? なんで四季を詠まなきゃいけないんですか? そういうもんだからじゃない? 俳句協会の偉い人が俳句は四季を詠むものですって決めたからじゃないですか?
うん。なるほど。あの、まあもちろんそういう歴史的な経緯で四季を詠むようになったってのもあるから、四季を詠むものなので四季を表す言葉を入れる。それはそうなんだけど。 進次郎が出てきてしまった。 四季を詠むものなので四季を表す言葉を入れないといけないと思っているんですよね。 そうですよ。俳句ってのはセクシーでなければならない。 それ進次郎すぎますね。それは進次郎すぎますけど。それはそうなんだけどそれ歴史的な説明じゃないですか。 あ、じゃあこう聞こうかな。季語ってどういう機能が期待されて俳句に盛り込まれているのだろう。 これ季節が分かりやすくなるためじゃないの? 季節が分かる以外に。 え、それ以外にあんの? え、 え、それ以外にあんの? ないと思ってた。 ないと思ってた。季節表すんだったら春とか入れればいいなって思ってた、本当。 思ってた思ってた。ただ春とか夏とか秋とか冬とか入れりゃいいのに回りくどいことするなって思ってた。 ややこしいなって。
逆で、季語の存在意義の1つは、僕が読んだ本を元にした理解だとコスパなんですよ。 え、そうなの? コスパいいの? はい。コスパいい。 あ、だから春とか言わずに春を表せるからってこと? 違いますね。そういう意味じゃないですね。例えばこの『AI研究者と俳人』っていう本、これあのAI研究してる川村秀憲先生と俳人の大塚凱さんの対談本なんですけど、大塚さんはこれ効性って言ってるんですよね、季語のことを。どういうことかって言うと、例えばいわし雲っていう季語、これ秋の季語で、ちっちゃい魚のイワシですよね、あれの群れみたいな細かな雲ですけど、これは気象現象を単に意味してるわけじゃなくて、秋の爽やかさってのがある一方で、アンビバレントに物思いを誘うような風情があると言ってる。 だいぶ複雑な心情すね。 そうなんですよ。で、それがこの季語の、まあ本質的な部分なんだとおっしゃってたんですよ。 ああ、なんかコスパいいってそういうことか。このいわし雲っていう5文字だけを折り込んでおけば、爽やかな秋なのに物思いにふけっているアンビバレントっていう句ですよ、これは、っていう説明ができるんだ。
はい。で、例えばこんな句がありまして、「丸善にノートを買ってイワシ雲」。 おお。 っていう。 すごい今の前提情報なしだと何のこっちゃってなるわ。お前丸善でノート買って雲見ただけじゃねえかって。そんなもんわざわざ詠むなってなる。 え、なんて? そんなもんわざわざ詠むなってなりますよね、間違いなく。 ならないです。季語を理解できればならないですけど。 でも今の話聞くと、丸善でノート買うっていう、なんか新生活かわかんないけど、ちょっと心機一転で新しく書くぞっていう時に、秋で気持ちがいいんだけどちょっと物思いに耽るなみたいな、もしかしたら失恋した後なのかなとか、いろんなこと考えさせられるね。 はい。そうなんですよ。
実は今回の台本、その僕の季語の解説が間違ってないか不安だったんで、現役の俳人の方、岡田一実先生っていう、我々が著書の『言語沼』で引用させていただいて以降ちょっとこう付き合いのある… ありがたいすね。 はい。岡田さんに見ていただいたんですけど、岡田さんの解釈だと、ノートって使われる未来があって、で、この空の私たちにも未来が感じられると。 うん。うんうん。 で、丸善から出た時にはそのイワシの群れのような小さな雲が見えて解放感と切なさを感じる。で、また丸善って詠んでいるので、これはその『檸檬』。 うん。俺も思った。梶井基次郎のね、名作ですね。 はい。檸檬を置かず、ノートを買って出ることにしましたよっていう、その解放感、切なさは読者のあなたも知ってる景色ですよねっていう使い方なんだと。 おしゃれだね。 って言ってて。
つまり季語って少ない5文字に複雑な感情とかも同時に載せられる、むちゃくちゃ便利なツールなんですね。 そうだわ。 ただこれを作者の感覚だけに頼りすぎると、季語って解釈が揺らいでしまって曖昧さを増してしまうと。 うん。うん。うん。 で、その共通認識を固めるために俳人が使ってるのが歳時記っていうことですね。 はい。季語がまとまった、まあ辞典みたいなもの。 やりましたね。マイニールラジオでも歳時記を読む会ってやつね。 はい。そうですね。で、この歳時記には季語の意味以外に歴史的背景とか本意っていうものも解説されているんですよね。だから大塚さんが言うには、まず季語ってのは俳句っていう短い詩を孕んだ季節のキーワードで、歳時記っていうのはそのインデックスなんだと。 うんふんふんふんふん。 だから解釈の幅が揺れすぎないように、ある程度のラインも定めているんですね。 なるほどね。だからいわし雲ってのはそういうアンビバレントな心境を表す時に使うんであって、なんかひたすら晴れやかな恋してて嬉しいみたいな時の言葉じゃないよっていうのが規定されてるんだ。 そう。はい。
で、もっと言うとですね、先行句を参照することもあるみたいで、歳時記って過去にこのような句が詠まれたっていうことを載せてるケースもあるんですよね。ちょっと堀元さんに今適当なページを見てもらってますけど、この大歳時記とかだと例句のところに先行句、過去にそれが詠まれたものって載せてますよね。 うん。 で、この『AI研究者と俳人』っていう対談の中で出てきた例ってのが、「覚えつつの秋を遠く行く」っていう句がまず紹介されるんですけど、これを鑑賞した上田シっていう人はこの句を読んで、別の人が詠んだ「にて金沢のこと聞くのこと」っていう句の残り香を嗅ぎ取っているっていう話が出てくるんですよ。 ちょっと難しいな。だ、元々そういう有名な句があって、その雰囲気をちょっと残した句なのね、これは。 はい。はい。 しかもこれ、そのナさっていう部分しか共通してないんですよ。で、かつ秋っていうのはこう共通してるんですけど、それと秋だけで鑑賞者ってのは先行句をリファレンスから呼び出して、それと比べたりしながら鑑賞すると。 うんうん。でも俺もさっき丸善ってわざわざ言ってるってことはだいぶ檸檬やなとはちょっと思ったから、そういう感じですよね。
やっぱり。そう。だから俳句って僕ZIPファイルみたいなものなのかと思って。季語って体験の圧縮なんですよ。 うん。うん。うん。 で、それを鑑賞するってのは解凍するようなことなんだっていうことですね。この本の中だとエンコードとデコードって言い方をしていて、 はいはいはい。 つまり何かこういう体験をしたなっていうのをエンコードすると、そういう俳句みたいなものになって、鑑賞ってのはそれを追体験するためにデコードするというようなことなんだっておっしゃってました。
なるほど。まあちょっとエンコードとデコードって言われると、え、コーデックは何を使ってるんですかとか、その一意にちゃんと規則に基づいて符号化してね、で、またその規則に基づいて復号化しなきゃいけないから、それはあんまりエンコードってことじゃなくないですかとかが気になっちゃいましたけど。 はい。川村先生ガード。はい、川村先生ガード。 そっか、これ水野さんの言葉じゃないのか。めっちゃ分かりやすいですね。本当にすごいピンときます、コンピューターサイエンスやってたとしても。 え、北海道大学の教授で博士(工学)、え、小学生からプログラムを書き始め人工知能に興味を抱くようになり、え、AI一茶くんっていうAIで句を詠むようなソフトウェアとかの開発もされている先生ガード。 いや、エンコードですわ。めちゃくちゃエンコードだよね、それって。俺もエンコードだなって思ったんですよ。 伝えておきましょうか? いやいや、全然全然。いや、素晴らしいっすよねっていう。あ、俳句というコーデックを使って符号化と復号化を我々はしてるわけですね。勉強になります。 ですよね。ですよね。
さて、そこでホメロスに話を戻すと、要はホメロスたちも色彩語を季語みたいに使ってたんじゃないかと。 ああ、ほう。 つまり様々な意味を色彩語に込めて、それを手がかりにその詩を詠ったのであって、 うん。 要は彼らは色の語彙を視覚情報だけに使ってなかったんじゃないかって言われてるってことです。 だからなるほどなるほど。俳人の方が実際その、じゃ例えば丸善出た時にいわし雲見てなかったとしても、いわし雲って書くことによって今の景詠めるなって思ったら詠んでるだろうと。だからワイン色にも同じような役割があったら、心情のためにワイン色って詠むこともあるだろうと。 あ、そう。俳句がね、体験してないものを詠んでるかどうかちょっとわからんが、ホメロスに関して言えば、色が実際に赤色じゃなくても、その赤っていう色が持つ様々な他の情報、心情とかコンテキストが合えば、それを赤色と形容していたっていうことですね。
それはね、めっちゃわかるね。なんか文学作品でよくやるじゃん、それ。真っ赤な夕焼けが出ていたみたいなのってさ。 うん。 実際夕焼けでそこまで真っ赤なこと珍しいというか、まああんまないだろうけど、でもなんかいいことがあった後とか、なんか何かに燃えているとかの例えとして真っ赤な夕焼けって言ってるわけですよね。みたいなことだ。 そうそうそうそう。それの極致が海がワイン色って言っちゃうみたいなこと。
そうですね。日本語で読めるホメロスの色彩研究だったら、まあこの『ホメロスと色彩』っていう… すげえ。そんなドンピシャの本があるんだ。 はい。本があるので、これ読むと1番手っ取り早いんですけど、この先生おっしゃってるのは、「地中海を目の前にすれば、海は確かに色々なワインの色のように濃淡があり鮮やかである。燦々と輝くこともあれば、嵐や雷と共に暗むこともある」。 ああ、なるほど。 そうなので、なんとか色みたいにラベルをつけるんじゃなくて、素直にワインの色のようにこう感じ取れる海の色っていうのを、ホメロスとかはワイン色だって形容したんじゃないかと。つまり別に一様に何色っていうわけでもなければ、それからまあ海って実際よく見ると青でもないし、 そうだね。 っていうその複雑さをそのままワインに例えたというか。 なるほどね。 っていうことなんじゃないかっていうことは書かれていました。
だってワインって千差万別ですもんね。色濃いワインもあれば薄いワインもあるし、味も色々まちまちだみたいなのが海に適用されてるんだね。 そうですね。ワインもね、実際赤ワインって言ってるけど、赤ってよりももうちょっと…みたいなこともあるじゃないですか。でもそれを我々は逆に赤っていうラベルをはめることで、その赤色の多様性を見失ってるとも言えて、それをそのまま複雑に表現したらワイン色でいいんじゃないのっていう。 俺だって生まれて初めて白ワイン飲んだ時、黄色いけどなって思ったもん。 あ、そうですね。ちょっと黄色いっすよね、白ワインって。 黄色ですね。はい。 牛乳ぐらい白くなってから言えよって思ったよね。 確かに。 あれ全然白くないのよ。 だ、そう、名前負けしてるなって思いながら飲みました。 ちょっとおかしいですよね。 そう。あれが白ワイン名乗ってるの無理よ。 確かにね。 透明薄黄ワインですよ、あれ。 なんでなん? 赤ワインと透明薄黄ワイン。 すごいな。なんかなんかすごいな。雑魚そう。 雑魚そうですね。
あとですね、たまたまですね、あのゆる言語学ラジオのリスナーで、あのホメロスの色彩を研究してる方がいたので。 え、ドンピシャだな。 そんなことある? びっくりした。あれ、色彩とかでもなく、ホメロスの色彩語勉強してる人いた。 ホメロスの色彩やってる先生が、あの、で、この先生でもないです。この『ホメロスと色彩』を書いた斎藤先生ではなく、アガバビアン・ハナさんっていう、今コーネル大学で教えてらっしゃるのかな? 先生が連絡をくださって、で台本も見てもらったり文献を教えてもらったんですけど。 うん。 え、それはホメロスと色の回やりたいから、その関係の人協力してくださいって言ったとかでもなく? ではなくて、逆に向こうから急にメールをもらって、「どっかで色について扱いたいとおっしゃってましたけど、私はとりわけホメロスとウェルギリウスをやっています」 すげえ。 というような連絡いただいたので。博論でも色に関する語彙のことやられたみたいなんですけど。 ああ、すごいね。
そのハナさんがおっしゃってたのは、ワイン色って言われると、ワインに関する五感、色々な匂いとか味とか触覚とかの体験を思い浮かべて、こう詩を聞きながらね、ホメロスのワインを味わうような体験もするんじゃないかと思いますと。 ああ、はあ。 ワイン色の海って言われた時に、単に海の色を想像するというよりは、ワインを飲んでこう酔ったりとか美味しいと感じたりして、こう陶然としたような感覚とかを呼び起こすのではないだろうかと。
確かになんかことわざもそうだなと思って、よくできてることわざってそうで、弱い犬ほどよく吠えるって例えなんだけど、すごく上手に人をディスってていいですよね。 そう、お前は犬だぞっていうね。 これただの例えなんだけど、お前犬並みの知能でやっとんかいっていうニュアンスも込められてるなと思って。 うんうん。 なんかそういう感じだよね。 比喩には体重乗るような、ちょっとな。 そうですね。ライオンほどよく吠えるとかだとちょっとなんかね、なんかあれ褒めてんのかなみたいな空気になるから。 ある。うん。だからちゃんと弱いと犬ってのも対応させるってことは、今口シンバル君が言ったってことだよね。 あ、俺口シンバル君って言ってる。ああ、すごい。それは例えでそのまま馬鹿にしてるな。 ね、ちょっとニュアンスが宿るなとかじゃなくて、それただの罵倒語だから。口シンバル、口シンバルはもうそれが単体としてただの罵倒語だから比喩になってないんすよ。 ああ、そっか。 誰が雑草生やしてるやつ。肥沃な土壌に能力を無駄遣いして雑草生やすやつじゃないんですよ、僕。 でも思えば僕、堀元さんの下ネタの書評もそんなの書きました。 そんなの書いたよね。なんか才能、すごい才能があって、すごい才能無駄にして書きましたもんね。 確かに俺ずっとやってるかもしれないです。 はい。
あとなるほどって思ったのはね、もう少しだけワイン色の海の話をしますけど、ワインを飲んで酔うとさ、不安定な感覚、体が揺れたり思うようにコントロールできなくなる感覚ってあるじゃないですか。 あるからね。 そういう大きく予測できない動きって時化の海のイメージとも合ってますよねっていうことをおっしゃっていて。 あ、海って確かにね、人間が操れないものナンバーワンみたいな感じあるもんな。 はい。 だから海をワインに形容するのって、総合得点みたいな考えた時に、色が仮にずれてたとしても、その代わりに呼び起こされるイメージが色々あるから別にええねんっていう話。 なるほど。総合得点で戦ってんだということですね。 なるほどね。
つまり我々は色の語彙ってのは視覚的な情報にしか使ってはいけないと思っていただけで、別に使ってもいいんですよね。で、使ったとしたら、それによって色が対応してない代わりに得られる利得があるのに、それをある時代からこのストラテジーを取らなくなったので、なぜかホメロスの時代の人たちの色覚はおかしかったっていう結論になってるだけなんですね。 なるほどね。 つまり現代人の感覚で古代ギリシャ人を捉えようとしたから失敗したって話なんですよ、これは。 これさ、その説、さっきのグラッドストン説めちゃくちゃ説得力あるじゃんって思ったけど、あの10億倍ぐらい説得力ある説出てきちゃったから、グラッドストンが口シンバルにしか見えなくなりましたね。 俺も同じこと言いたいよ。 え、口シンバルに口シンバルって言われんのきつ。 そうすよ。僕という口シンバルがグラッドストン相手に口シンバルって罵倒しますよ。 英国の首相に。 そうっすよ。 1700ページ本書いたのに。 そう。口シンバルすよ。あいつしょうもねえな。本当に老害ですよ。 た、あの、それも現代人の感覚で裁いてるんですよ、過去を。 そうか。同じですよ。はい。 そうか。そうか。
そう。だからたまにね、古代ギリシャ人には青がなかったっていう言説があるんですけど、『ホメロスと色彩』を書いたこの斎藤先生は、これはもう誤りだという風におっしゃっていて、現代人は古代ギリシャ人と同じような感覚で青を感じ取ることができない。 うん。うん。 だから現代人の方ができなくなってるって見なすべきなんじゃないかみたいなことが言えそうで、つまり彼らは太陽だったら赤色だとか、青色といえば海だみたいな1対1対応を考えなくて、 だから海がワイン色のこともあれば、なんか知らんけど紅茶色のこともあるわけじゃん。だめだ。飲み物からしか出てこなかった。 近いところ… 今日もシンバル。 シンバルだねっていうのやめて。口シンバルだから。 それ口シンバルならまだ… 今日がシンバルの調べ。 じゃ俺人間だからシンバルじゃねえ。 調律なってないね。調子外れの音を響かせてるね。空虚に。 くそ、余計な悪口を覚えさせてしまった、こいつに。
ええ、あともう1個思ったのはさ、藤井風がさ、青春はどどめ色って歌ってたじゃないですか。僕あの歌詞聞いた時にどどめ色が何かわかんなくてググったんですよ。で、なんか黒っぽい紫みたいな色だ。 うん。はい。桑の実のことですよね、どどめって確か。 っていうこと知って、こいつすごいなって思ったんですよ。 うん。 青春ってもう青い春って書くからさ、みんな青いもんだと思ってたのにさ、それを破壊してさ、いや、実はどどめ色なんだっていう、どどめやで、それっていう、先入観からの脱却えげつないなって思ったことあるんですけど、これだからホメロスだよね。 はい。あ、そう、そう、そう。そういう季語的な使い方かもしれないですよね。 っていうことで、だいぶあの藤井風さんへの尊敬度がまた1段上がって、今日いい回でしたね。 うん。うん。
さっき僕だから俳句をね、ZIPファイルに例えましたけど、ホメロスの叙事詩で言うならば、このワイン色っていうのは、ホメロスの時代の人たちはそこに何か色々な情報をエンコードしたと言えると思うんですけど、現代人でよっぽどその古代ギリシャ語とか古代ギリシャ文化に精通してないと、その暗号化されたものを解読できない、解凍できないって話だと思うんですね。 デコードができないと。 そう。だからこの斎藤先生とかハナ先生とかは、今でもその古代ギリシャ語とか古代ギリシャ文化を勉強して、なんとかその彼らが体感していた世界に、ファイルを解読してこうたどり着こうとしている研究だと思うんですね。
うん。なんかでもそれ聞くとやっぱり俺たちも詩作った方がいいんじゃないかって気になってきましたね。 うん。うん。 その営みやってたら多分さ、だんだんできるようになるじゃん。だから今日の海は抹茶色だなみたいな、普段から何か比喩として乗せて喋ってたら、そのギリシャの感覚もスムーズに理解できるようになるんじゃない? そうですね。そしてその抹茶を飲む時の体験とか、それによって得られた感覚みたいなものと海を結びつけるっていうようなことも意識してみれば、より豊かな表現の世界にたどり着くことができると思いますね。 うん。だから抹茶のちょっとドロっとしたイメージとかを使ってさ、粘度が高いものを見て抹茶色だねとか言ってみてもいいわけですよね。だ、そのローションとかを見て抹茶色のローションだとか言ってもいいわけですよね。 うん。シンバってるね。シンバってるね。 動詞にもなった。 これも今日もシンバってる。 シンバル活用がどんどん進んでいくな。 シンバってるね。 シンバルあげてますよ、僕は。 うん。
あとね、僕、『ホメロスと色彩』を読んで思ったのは、色に対する認識への挑戦みたいな本だなと思って。この本って、古代ギリシャ語の何々っていう単語は日本語で言うところの何色、みたいなこと全く言ってくんないですよ。 ああ、そうなんだ。 それなんでかって言ったら、そうじゃないからなんです。1対1対応をしてないから。 負荷すごいんですね。 でもそれって古代ギリシャの文化を古代ギリシャのまま受け取る時に必要なことだから。 うん。うん。うん。うん。 つまりこの本の理解の大変さって、異文化を理解する時の大変さなんですよ。 はいはいはい。そうだね。
それをインスタントに理解しようとすると、結局それって異文化理解じゃないじゃんっていうような指摘もあるんですね。
だってお前それ、日本の理解をそのまま持ってきてるだけやんってなるもんね。
そうそうそう。異文化を日本の文化に当てはめて消費してるっていうことだと思うんで。そんな簡単な本じゃないんですけど、そういう負荷とか、あとそういう驚き、それからどういう研究をこの文学研究者がしてるのかを知りたければ、ぜひアクセスしていただけるといいんじゃないかなと思います。
リハックっていうYouTubeがありますけど、それのプロデューサーの高橋さんが、こないだ動画で結構すごいこと言ってて。なんか「俺、外国人ってマジで何考えてるかわかんないんですよね」って言ってて、ともすれば排外主義みたいな風に聞こえるかなと思ったけど、彼は素朴な実感を喋ってて、見えてる景色が違いすぎて、結局朝起きてから寝るまでの彼らの全容が理解できる気がしないみたいなこと言ってたんですよ。
それ素朴な実感としていいんじゃないかなと思って。結局文化の枠組みを通して全部の景色を見てるから、見えてる景色全部違うんじゃないかっていう高橋さんの仮説だと思うんですよね。
だからこの本も多分、それを理解できる本っていうイメージだよな。
そうですね。だしその高橋さんの実感自体は、別に僕は問題があることだと思ってなくて。それでだから怖いとか、だから排除しようじゃなくて、複雑だけど理解しようっていう姿勢があれば別に全然問題ないと思いますし、その体験をデザインされた本がこの本とも言えるっていう感じだと思います。
うん。面白い。面白い。
ということで今回は、ホメロスの色彩感覚が後世の研究者を惑わせ、そして実はその彼らの色彩感覚というのが、現代日本でいうところの季語みたいなものなのだという話をしてきました。
はい。ね、ちょっとグラッドストンの説、ちょっとダメダメでしたよね。
うん。ちょっと一時期僕傾倒してて危なかったですけど。信者になりかけてましたけどね。
ね。本当にダメダメなんですかね?
ええ、ダメでしょ。
本当にダメダメなんですかね。
え、嘘でしょ?ダメダメでしょ。
これ文献学者のね、ラザルス・ガイガーっていう人がですね、グラッドストンの発見に興味持って他の言語も調べるとですね、ヴェーダも空を青だと表現してないし、旧約聖書でもそうだったと。
ほう。
で、聖書に至ってはですね、馬とか雌牛とかは赤って言ったりしてるし、それから預言者のエレミヤが「人々の顔が恐怖で緑色に変わった」って言ってたりすると。
めちゃくちゃだな。
つまり色々調べていくと、ホメロスの色彩描写に見られるような特徴って、ヴェーダとか聖書とかアイスランドのサガとかコーランとかにも共通すると。
違う場所でも同じように行われてるんだ。はあはあはあ。
この辺りの時期で、人間は同じように色を認知できてるのか、異文化の人間でもね。同じ言語を使ってる人だったらともかく、全く違う時代とか全く違うエリアに住んでる人たちってのは、色を我々とは違うように認知しており、そして違う世界を見てるんじゃないかみたいな論争が生まれてくるんです。
クオリアレベルが違うってことよね。
はい。みたいな論争が生まれてきて、この論争に決着をつけるために研究者たちが目をつけたのが、未開の地に住む人々にですね。
あ、それ確かに気になるな。我々の文化に染め上げられてない人ですね。
はい。またそこで、グラッドストンの主張が実は部分的に真理をついていたという話が出てきたりするんですよね。
お前構成うまいな。
ということで、次回は色の語彙から見る人間の認知に迫りたいと思います。
これはね、おもろいですね。え、俺やっぱグラッドストン好きだったから嬉しいっす。なんかどうしようもねえなって思ってたけど、
ま、シンバル仲間、同じ人間だとしてね。
そう、シンバル仲間としてはできれば頑張ってほしいと思ってたから、まさかの復活を遂げて今ちょっとワクワクします。
はい。そうですね。もし続きが気になるよという人はですね、まず1番勧めたいのはこれですね。『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』っていう本で、これ今僕の手元にあるのは単行本のものなんですが、最近ですね、ある出版社がこれを手に入れやすい形で復刊というかしてくれまして。そうですね、早川書房っていう、ハヤカワ文庫としてね、再版出ましたので、ま、こっちじゃなくてもいいから、ハヤカワ文庫の方を手に入れていただくと。これはね、文章がうまいです。この本の著者は。
はい。前書きからも良くてですね、古代バビロニア人に『罪と罰』を読ませると混乱するって話から出てるんですよね。
なんか面白そう。
そう。なんでかっていうと、バビロニアの言葉では罪も罰も1つの語で束ねられるのでっていう話から始まるんですよ。
あ、え、面白。いい、いい本だな。
おしゃれでしょ。
おしゃれ。
ちなみにどうやらこの台本、津先生っていうね、ゆる言語学ラジオの監修の先生に見せたら、古代日本語でも罰ってなかったから漢語じゃないですかって。
はい。
だから罪しかなくて、罪が罰の意味持ってたよみたいな。「罪せられる」みたいな言い方してたから、古代日本語も一緒だよっていう。
バビロニアと一緒なんだ。
極上の蘊蓄されましたけれども。
はい。ま、こういうような興味深い事実から、言語と認知とか言語と思考の関わり合いについて描いた本ですので、ま、まずこれを勧めておきます。
で、そのホメロスの話について特に知りたければ、この『ホメロスと色彩』をお勧めしたいんですけど、ま、先にこの『言語が違えば』を読んだ方が読みやすいというか、大筋は理解しやすいかなと思います。で、あとは俳句については、僕はこの『AI研究者と俳人』っていう本を元にしましたので、興味があればこちらも読んでいただければと思います。
概要欄にリンク貼っておきます。
皆さんからの感想のコメントなどお待ちしておりますので、どしどしお寄せください。以上で終わりましょう。ありがとうございました。
ありがとうございました。
下ネタって、堀元さんの才能とか能力を最も引き出せる題材だと思うんですよね。
ありがとうございます。
100点以上のね、文献に目を通してじっくりと構成した挙句生まれたのは、最大級に才能を無駄遣いした本。これが『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』ですよね。
ありがとうございます。
読まないと損ですよ。お願いします。
記事公開
