灘の生徒会長は、なぜ東京科学大医学部ではなく慶應理工を選んだのか:高田拓人が語る受験と「目立つ」ための選択
トマホークTomahawk灘中学校・高等学校で生徒会長を務め、在学中にAI関連の会社を起業した高田拓人(たかたたくと)が、自身の経歴と進路選択について語った。2007年生まれの高田は、大学入学共通テストで得点率約91%を取りながら東京大学に不合格となった。その後、後期日程で合格した東京科学大学医学部には進まず、慶應義塾大学理工学部に進学した。医学部を選ばなかったことで批判を受けたこの選択に、どんな考えがあったのか。幼少期から受験当日までの経緯を追う。
医学部を蹴ったことへの「プチ炎上」
高田によると、東京科学大学医学部を辞退して慶應理工に進学したことは、XやYouTubeで「プチ炎上」した。批判の中心は、慶應の医学部ならまだしも、国立の医学部に受かったのなら医学部に行くべきだという意見だったという。
もう一つの批判は枠の問題だった。後期日程の募集は10枠しかなく、辞退すればその分は補欠合格で埋まるものの、補欠の人を待たせることになる。高田はこの点について「本当に申し訳ない」と述べ、自分でも心苦しい部分だったと認めている。ただし、慶應理工を辞退しても慶應側で補欠の人を待たせることになる。どちらを選んでも誰かに迷惑をかけるのは分かっていたので、そのぶん真剣に考えて決めたと説明した。
情報系ではなく機械・ロボットを学ぶ理由
慶應理工で何を学ぶのかと聞かれ、高田は意外な答えを返した。AIの会社を経営しているので情報系に進むと思われがちだが、むしろ機械系やロボット系に関心があるという。5年後、10年後に一番注目を集めているのはそちらの分野だろうと考えているからだ。
高田の見方では、AIはすでに多くの人が取り組んでいる分野であり、自分が学んでも学ばなくてもAIの未来はあまり変わらない。自分が行く意味のある分野を考えると、もう少し先を見据えた学問を学ぶべきだと考えた。慶應にはその分野で強い研究室があることも理由に挙げている。
灘の中でもこの進路は珍しいという。灘では医学部志向が以前ほど絶対的ではなくなってきた雰囲気はあるものの、現役で慶應理工に進んだのは今年は自分一人かもしれないと高田は話す。灘の生徒は浪人への抵抗が少なく、現役で東大に落ちたらもう一度挑戦する人が多い。高田自身は、浪人はできないと感じていたことと、早く東京に出たいという思いが強かったことから、浪人しない道を選んだ。
幼少期:公文、習い事、そして算数オリンピック
高田は大阪府高槻市の出身で、幼稚園は公文が運営する幼稚園に通った。公文の進度はそこそこ進んでいたが、園の中では普通くらいで、特に勉強が好きだったわけではないという。四則演算はできていたと思うが、本人もあまり覚えていないそうだ。父親は大企業に勤める会社員である。
小学校受験はせず、小学校入学と同時に兵庫県西宮市へ引っ越して公立小学校に入った。半数近くが中学受験をするような、教育熱心な地域だったという。幼稚園から小学校低学年にかけては、サッカー、公文、お絵かき教室などに通った。ピアノも始めたが、練習せずすぐにやめている。色々とやらせてもらえた一方で、飽きっぽくて長続きしなかったと本人は振り返る。
転機は小学3年生のときだった。周りが中学受験をするので自分もしようかという流れになり、中学受験塾の公開テストを受けたところ1位を取った。それまでは難しい本を読んで褒められる程度で、自分がとりわけ頭がいいとは思っていなかったという。その後、塾(浜学園にも通っていた)から勧められて算数オリンピックの3年生向けの大会を受け、入賞者の一人になった。このあたりで初めて「勉強ができるのかもしれない」と思い始めたと語る。
家族については、父親は地方から帝国大学系の大学に進み、母親も指定校推薦でいい大学に進学したという。ただ、親族に東大卒がいるわけではなく、医師が何人かいる程度だという。
算数は苦手、国語が武器
算数オリンピックで入賞したものの、高田は数学が得意だったわけではない。数学が得意だった瞬間は小学3年生のその一回きりで、計算は非常に遅く、灘の同学年の中でも1、2番目に遅いくらいだったという。一貫して得意だったのは国語である。
灘を目指したのも、最初から意識していたわけではなかった。親は灘を「すごい人たちが行くところ」と見ていて、縁のない話だと思っていたらしい。ところが成績が灘コースに入れる水準だったので灘コースに入り、そこでずっと一番上のクラスにいた。小学6年生の頃は週6日塾に通い、日曜日は朝9時から夜9時まで勉強していた。
模試は基本的にA判定で、本番でも合格最低点より60点ほど上回り、順位は10何番目くらいだったという。入試の国語は、1日目が80点満点中60点ほど、2日目が120点満点中100点近くだった。後の共通テストでも国語は200点満点中186点を取っている。
勉強以外に自分のアイデンティティを求めて
それだけの成績でも、高田は中学受験の頃から「勉強では本当に敵わない人がいる」と感じていた。首席クラスの人たちは努力して追いつけるレベルではなかった。そこで灘に入った頃から、自分のアイデンティティは勉強ではない、勉強ではない何かでありたいと考え、勉強以外の活動に力を入れ始めた。
中学入学時から生徒会長になろうと考え、生徒会に入り、部活もいくつも掛け持ちした。当初は陸上部を含めて5つほどの部に入り、中学時代は主に陸上部とディベートに取り組んだ。日本語ディベートでは中学3年生のとき、チームで全国大会3位になっている。
中学時代に最も力を入れていたのは競技プログラミングだった。何かのオリンピックに挑戦したかったが、数学や物理では自分に勝ち目はないと考えた。情報なら取り組む人がまだ少ないので勝負できるかもしれないと思って始めたという。灘の同学年では取り組む人も少なく手応えを感じていたが、同学年に明らかに敵わないレベルの人がいて、その後は生徒会の活動に軸足を移した。
高田は自分の根にあるものを「究極的には目立ちたがり屋」だと表現する。目立つにはオリジナリティが必要で、灘にいて東大に合格しても目立たない。勉強で目立つには並外れたレベルが要るので、ほかにどうすれば目立てるかを考えてきたと話す。
灘の生徒会長選挙
灘の生徒会長は、権力が大きいわけではないが、憧れの存在ではあったという。高田は例として芦屋市長の高島崚輔を挙げた。高島は灘で生徒会長を務め、東大を経てハーバード大学を卒業し、最年少で芦屋市長になった人物である。海外大学への進学なども含め、勉強だけではない存在として見られていたという。
高田は中学・高校の両方で生徒会長を務めた。中学では親友との一騎打ちを制し、高校では5人が立候補する中、それまでの生徒会活動や文化祭運営の実績を積み重ねていたこともあって、ある程度の差をつけて当選した。選挙運動は本物の選挙並みで、朝に校門で挨拶をし、自費でのぼりを作って立て、休み時間に教室を回り、ポスターを大量に貼ったという。
生徒会長としては、中高5年間ずっと携わってきた文化祭や体育祭などの行事運営で中心的な役割を担った。各委員会で副委員長のような立場も兼ねていたという。
高校1年の挫折:「好きなこと」がない
中学の生徒会長任期を終えた高校1年生の頃、高田は深く悩んだ。それまでの活動は、どれも好きだからではなく、目立てるという打算でやってきたものだった。すごい人たちは結局、好きでやっているからああなれるのではないか。自分には好きなことがなく、人生の意味が分からない。そう考えて毎晩眠れず、涙が出てくるような時期があったという。
この悩みが解決したわけではない、と高田は断ったうえで、一つの考えにたどり着いたと話す。好きなことでなくてもいい。自分にできることで価値を生み出し、自分も他人も幸せにできるなら、「好き」が原動力でなくてもかまわない。そう考えるようになって、物事を決められるようになった。高校1年生のこの時期が転機だったかもしれないという。
好きなことは今もないのかと聞かれると、高田は「今もない」と答えた。人を好きになることはあるが、人生をかけてもいいと思えるほど何かを好きになることはなかなかないという。
在学中の起業とAIコミュニティ
高田は高校2年生の10月に起業した。社員は雇わず、営業もエンジニアリングも自分一人でこなした。受験の時期には事業を止めることを最初から決めていたので、受験までに終えられる仕事を選んで受けていたという。業務はAIを活用したシステムの開発で、その一部を作る案件が中心だった。
中学時代から起業への憧れがあり、プログラミングもその延長で始めた。中学2年生のときには応用情報技術者試験を受け、令和4年度春期試験で最年少合格している。受験料を払ってもらったのに試験3日前まで勉強しておらず、教科書は読み終わらないと判断した。過去問をひたすら繰り返して10時間ほど集中して勉強し、受かるわけがないと思って受けたら合格したという。ただ、この経験のせいで「どうにかなるだろう」と少し思うようになってしまった面もある、と本人は振り返る。
AIについては、中高生のうちに学ぶ意味が大きいと考えていた。しかし中高生がAIを学ぼうとしても、何をすればいいか分からない。そこで学校内にAIを学ぶコミュニティを作り、中学生を中心に約100人が参加した。AIを学ぶための情報を提供したり、東京大学が提供する講座を紹介したりして、最初のきっかけを作る活動をしていた。高田自身も東大の松尾研究室が公開しているAI講座から学び始め、その後は松尾研究所などでエンジニアとしての経験を積んだ。
ハッカソン優勝と模擬国連での挫折
高校2年生で、生徒会長になる直前にはハッカソンにも参加している。短期間でアプリを作るコンテストで、起業を見据えてやるべきことをやる一環だったという。東大生や同志社の学生が多く参加する大会で、高校生は高田一人だった。
大会は2段階で行われた。まずアイデアを競う個人戦があり、高田はここで優勝した。本人も驚いたという。次に勝ち残ったアイデアからチームを作ってプロダクトを開発し、そのチーム戦でも優勝した。
一方で、うまくいかなかった活動もある。模擬国連は、高校生が各国の役割を担って議論し、最終的に決議案をまとめる大会で、合意形成に最も貢献した人が表彰される。高田はガツガツしたコミュニケーションが得意ではなく、性格も暗めだと自己分析している。海外的な押しの強いコミュニケーションが求められる場で、結果は残せなかったという。
推薦を断念し、高3の6月から一般受験へ
高校2年の秋の時点では、進学先として海外大学も考えていた。しかし英語力が間に合わないと判断した。高校3年の6月に事業を一旦止めれば東大に受かるのではないかと考え、東大を目指すことにした。
東大の推薦入試も目指したが、灘から受験できるのは3人までという学校内の枠があり、受けられなかった。高田によると、推薦ではオリンピック系の実績を持つ生徒が有利で、自分は成績も足りないと見られたのではないかという。
受験勉強を本格的に始めた時点では、判定はDやCだった。今から塾に行っても遅いと考え、分からないことはすべてAIに質問して独学で進めた。周りの受験生も分からないところはAIに聞いていたという。
ただ、勉強は好きではなかった。1日8〜10時間の勉強はなかなかできず、9月の体育祭では応援団も務めたため、疲れて勉強できない日も多かった。十分に勉強したとは言えないと本人は認めている。それでも成績は上がり、A判定も取れるようになった。ただ、数学は東大模試で灘の中で最下位を取るほど苦手なままだった。
共通テスト913点、そして東大不合格
1月の共通テストは非常によくでき、1000点満点中913点、得点率91%を取った。今年は難しかったとも言われており、高田は例年に換算すれば94%ほどの感覚だと話す。
東大の二次試験当日は、数学が難しくなったと言われていた。もともと数学は得意ではないので問題ないだろうと考え、国語もかなりできた手応えがあった。これまで本番でなんとかなってきたという思いもあり、合格を確信していた。自己採点を予備校の解答速報と照らし合わせてYouTubeに上げ、合格発表の直前も受かると思って動画を回していたという。
結果は不合格だった。最初は受験番号を間違えたのではないかと思うほど信じられなかったが、落ちたなら仕方がないと考え、30分ほどで完全に気持ちを切り替えた。
得点開示では、自己採点から50点ほど下がっていた。国語だけは高かったが、それ以外の科目は大きく下がっていた。部分点がまったく取れなかった場合として想定していた点数とちょうど一致していたという。合格最低点との差は15点ほどで、不合格者の中でもAランクではなくBランクだった。国語は53点、数学は120点満点中20点台だった。
高田は数学の失敗を勉強法の問題だと分析している。AIに聞いてばかりで、理解はしていても手を動かしていないのでミスをする。鉛筆を一度も持たない日が何日もあるような勉強ではだめだと身をもって感じたと話す。AIは絶対に活用すべきだが、手も動かさなければならない、というのが高田の結論である。
後期日程と慶應理工という最終判断
東大に落ちた後、高田は後期日程で東京科学大学医学部を受験した。ここは通常、理科三類志望者が多く受ける試験だという。東京に出ることが大前提で、国立で後期日程があるのは主に一橋大学と東京科学大学だった。高田は医学か工学のテクノロジーで社会を変えたいと考えていたので、東京科学大学の方が近いと判断して出願した。私立は慶應理工学部だけを受けていた。
後期試験を受けに行った時点では、医学部に進むつもりだったという。しかし医学部への解像度は高くなかった。試験後に先輩などから医学部の実情や慶應の実情を詳しく聞き、社会を変えるうえで力を発揮するには慶應理工の方がいいのではないかと考えるようになった。
一般的には、国立医学部に受かったならそちらに行くべきだという考えが普通かもしれない、と高田も認める。そのうえで、普通ではない人生を送ろうとしている自分に普通の考えが当てはまるかは考え直さなければならないと考え、真剣に検討した末に慶應理工への進学を決めた。
これから
受験が終わり、高田は会社を再開する。まずは小さく始めるという。YouTubeなどの発信にも個人で、また他の人とも取り組みたいと話した。自分の人生を包み隠さず公開していくので、SNSをフォローしてほしい。そして最後に「是非目立たせてください」と締めくくった。
好きなことがないまま、目立ちたいという自覚と「できることで価値を生む」という基準で選び続けてきた高田が、慶應理工でその基準をどう使っていくのか。本人の中でもまだ答えの出ていない問いとして残されている。
バントどこですれフランちゃん今です。はい、ということで、自己紹介お願いいたします。
はい。えっと、高田拓人と申します。灘高校で生徒会長をしてまして、そこから東大に合格するかと思いきや、現在慶應義塾大学の方に進学いたしました。一応自分でAIの会社みたいなものもやっていて、肩書き女子よという肩書きもございます。という感じで、今日よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
大丈夫ですか?こんなんで。なんか言った方がいい情報とかあります?
いや、もう掘っていくんで。いや、もう本当になんかXとYouTubeでも話題になってましたよね。
いや、そんな。まあね、プチ炎上ぐらいは。
炎上したんすか?
まあね、科学大医学部を蹴ってっていうのはちょっとプチ炎上はしたかなと。
え、それごめんなさい。科学大を蹴って何か悪いことあるんですか?なんで怒られて?
まずその、普通は慶應より医学部に行くだろうという。慶應の医学部じゃないんで。なのでまず医学部行けよとか。一応補欠合格はあるんですけど、それはもう本当に自分も申し訳ないなと思うんですけど、後期で10枠しかないのに対して、そこは心苦しい部分であったんですけど、という部分で。
補欠あるんです?
補欠はあるんですけど、それでもないと思って批判っていうのも結構あったなっていう。
ああ、全然悪くない。悪くないわ。ちょっと僕も補欠なかったら怒ってやろうかな。緊張した。
確かに、2007年生まれ。
あ、2007年生まれですよ。
マジでね、ちょっと。ダメだよ、そんな。確かに肌の質が違うんすよ。理工ではどういった勉強されるんですか?
そうですね。今自分でやってる会社はAIなんで、情報系かなという風に思われてるかなと思うんですけど、むしろ逆に機械系とかロボット系の方が、5年後、10年後に一番ホットになっているのはそっちかなというのは思うんで。
そうなんだ。
要は正直、AIってのはもうすでにめちゃくちゃホットじゃないですか。変な言い方をすれば、自分が行かなくてもあんまり変わんないかなっていう。行っても行かなくてもAIの未来ってのは変わらないかなと思うんで、自分が行く意味がある部分ってなると、もう少し5年後、10年後を見据えた学問分野を勉強した方がいいのかなとは思ったりもしていて、慶應の研究室はそういう分野においては結構強い研究室もあるので、という感じですね。
スケール違いますね。ちょっと行く意味とか考えたこともなかった。確かに最近は、リスじゃなくに流れたりとかっていう結果があるんですよね、多分。
まあまあ、それは少し感じてて。やっぱ医学部、灘でも医学部ってのが絶対的ではないかなっていう。
あ、そうなんだ。
雰囲気は出てるなと思うんですけど。ただ、慶應の理工に現役で行くってのは珍しい。
あ、確かに。
かなり珍しいというか、多分現役で慶應に行ったのは今年も自分1人か、もう少しもしかしたらいるかもしれないですけど、それぐらいのレベルではありますね。
要はごめんなさい、灘の中で異質な存在なんすか?
結構みんな浪人に抵抗がないってのがあって。なので1回浪人して落ちたら行くってのは結構あるかなと思うんですけど、現役はもう1回チャレンジしようって人が多いのかなっていうのは思うんですけど、僕はちょっともう浪人できないなっていうのと、早く東京に行きたいってのが。
あ、はいはいはい。じゃあ別に浪人しなくてもいい感じで。
はい。
結構やっぱ芯が通ってるというか、自分をちゃんと持ってる感じ。
ありがとうございます。
ちょっとそこに至るまでの人生を幼少期とかから聞いていきたいんですけど、小さい頃からやっぱり勉強みたいなのが得意だったりしました?
そうですね。幼稚園の頃は公文がやってる幼稚園みたいなところに行ってまして。
伸びていく。
そう、伸びていく幼稚園っていうところ。
メモ少年と一緒のところや。ロバートの追っかけみたいな人。分かります?
わかります。わかります。
はいはいはい。え、あそこの伸びていくなんですか?
そう。
それって大阪にあるんですか?
そうです。高槻にあって、出身が幼稚園まで高槻で。ただ、そんな勉強が好きとかでは全然なくて。
いわゆる公文の進度みたいなのはそこそこ進んでたんですけど、全然その幼稚園の中では普通ぐらいの感じで。四則演算はできたと思うんすけど。
え、四則演算できたんですか?めっちゃ頭いいや。
でもなんか、まあまあいいや、ちょっとあんまり本当自分も覚えてない。
親御さんはどういう職業なんですか?
そうです、サラリーマンですね。大企業の。
なるほど。で、小学校受験はされるんですか?
あ、してないです。
してない。公立。
小学校で兵庫県の西宮市の方に引っ越しまして、そこで公立小学校には入ったんですけど、結構その中学受験をする人が過半数かなぐらいの公立小学校ではあって、地域的に教育熱心な地域ではあったかなと思います。
幼少期とかは習い事とかなんかされてます?
ああ、習い事。そうすね。幼稚園から小学校の低学年にかけてサッカーやってたのと、公文はその幼稚園の続きでちょっとやってたのと、お絵かき教室とか。ピアノはちょっとやろうとはしたんですけども、全然もう下手で練習もしなくて続かず、すぐやめちゃったって感じでした。
めっちゃやってますね。
でも結構色々やらせてもらえたってのと、あと飽き性で続かずっていうので、色々やったってのはあるかもしれないですね。
灘に行かせようみたいなルートではなかったんでしょ?
ああ。なんでその小学校3年生ぐらいの時に、結構周りのみんなが中学受験はするってことで、中学受験はしようかなみたいなのは多分親もあって、1回その塾のテスト、公開テストみたいのあるじゃないですか、中学受験の塾の。そういうのを受けてみて、そこで1位をなんか取れてしまって。
え、また神童エピソードやん。何年生の時?
小学校3年生の時に。
全国?
いや、希学園ってところに行ってたんですけど、急にですね。そこまではめちゃくちゃ頭がいいとは思ってなくて、ちょっと難しい本を読んでみたりとかで褒められて嬉しいぐらいの感じで。そこで1位を取って、なんかあれ?って。
で、塾に入ってそのままちょっと少しずつ。で、そこで算数オリンピックみたいなのあるじゃないですか、その3年生向けのやつを受けてみないかっていう風に言われて、受けてみたら金賞。
え、だよこれ。
金賞って言っても1位じゃないんですけど、何人かその金賞がいるみたいな感じだったんですけど、そこら辺から初めて、勉強できるのかもなってのを思い始めたっていうところではありましたね。
ご家族とかは頭良かったんですか?
そうですね。東大京大とかではないですけど、父親は地方から艇
あ、そうなんだ。
にはかって。母親も指定校推薦でそこそこのいい大学に行ってっていう感じではあるんですけど。
なるほど。
親族に東大京大とかがいるわけでは全然ないかなっていう。お医者さんは親族にはいるけど、ぐらいの感じですね。
数学が超得意だったんですか?
では全然なくて、数学が得意だった瞬間っていうのは、その算数オリンピックの小学校3年生の時の1回きりで。
へえ。
計算がめちゃくちゃ遅くて。
あ、そうなん。
はい。灘の中でも1番目か2番目に遅いかなぐらいの。
国語が得意でしょ。
はい。なんでずっと国語が得意で。
小3でそんだけあって、そこで結構灘を目指そうかなみたいな感じなんですか?
そうですね。でも親もその灘ってのを別に元から意識してたとかでは全然なくて、灘ってすごい人たちが行くところだみたいな風には思ってて、縁のない話だとは最初は多分思ってたんですけど、ただ灘コースみたいなのに入れる成績だったんで、灘コースに入って、そこでずっと一番上のクラスで。
おお。当時ってどのぐらい、週に何回ぐらいそういう塾行ってたんですか?
小6とかもう週に6日とか行ってたと思いますね。
あ、そんな行ってるんですか?
で、日曜日とかは9時から9時までみたいな。
うわ、えぐい。灘だったらもうA判定みたいな感じだね、多分。
そうですね。基本A判定です。実際受験でも60点ぐらい余裕持って受かったんで。
上から早くないですか?
そうっすね。多分10何番目ぐらいだったとは思います。
ですよね。へえ。入試の時の点数はやっぱ国語が超高いんですか?
そうです。入試の時は国語がかなり高くて、1日目2日目があって、1日目が80点満点の60点ぐらい。まあまあちょっと高いぐらいで、2日目が120点中の100点近くあってっていうので。普通は多分70点ぐらいなのかな、ちょっとわかんないですけど。共通テストは国語186点。
お、やば。マジか。
ずっと国語は得意だったってのはあります。
え、そんなん鼻伸びまくりません?俺天才やって。
ああ。でも中学受験の時から、勉強で本当に敵わない人がいるなってのは感じてて。それこそ首席クラスの人たちはちょっと1個レベルが違うというか。
あるんすね。
もう頑張って追いつけるとこじゃないなみたいなのはあって。なので灘に入ったぐらいから、自分のアイデンティティは勉強じゃないんだ、勉強じゃなくありたいんだっていう気持ちがあって、勉強以外のことをしようと思ってやり始めたみたいな感じではありましたね。
なるほど。
その時から生徒会長になろうとは結構思ってて、そのために何でもしようと。全生徒会に入って、全部活とはいかないですけど部活も色々入って、結構精力的に動いてはいましたね。
生徒会長って、僕の高校とかだとみんなやりたがらないから押し付け合うみたいな感じだったんですけど、灘の中だと結構権威性あるものですか?
権威性ということではないんですけど、権力がむちゃくちゃあるとかではないんですけど、それこそ芦屋市長の高島崚輔さんとかも生徒会長で、東大出て、ハーバード出て、芦屋市長で最年少になってみたいな感じで、結構生徒会長っていうのは、海外大学に行ったりとかも含めて、勉強だけじゃなく色々、結構憧れの存在ではあったかなと思います。
投票で決まるんですか?
投票で。はい。
え、どれぐらい立候補するんですか?みんな。
そうですね。中学の生徒会長にもなって。
あ、両方。中高。
はい。中学の時は一騎打ちで、親友と一騎打ちだったんですけど、なんとか勝つことができて。高校の生徒会長は5人かな?5人立候補して。色々もう積み重ねてきてはいたので。中学の生徒会長とか、その文化祭のこととかも含めて積み重ねては来ていたので、ある程度差はつけて当選させていただきました。
若干政治家っぽいなんか。
まあまあそうですね。選挙運動とかも本当に朝立って挨拶して、のぼりを各々が自分のお金で作って、のぼり立てて。
そんな。
昼休みとかに回って、ポスターとかもめちゃくちゃ貼ってみたいな感じなんで、結構もう本当の選挙ぐらいの感じではあるので。
ちょっとレベル違うすね。え、部活はサッカー?
あ、いや、部活は最初は陸上部と、他も5個ぐらい入ったんですけど、最初は。
本当?もう全部違う。
その色々文化部とかも含めて。
あ、そういうことす。
はい。でも中学の頃メインでやってたのは陸上とディベート。ディベートで日本語ディベートってのをやっていて、中学3年生の時に全国大会みたいなので3位とかになって。チームで3位になったんですけど。
何?そのちらっとね、メインじゃないやつがすごいすよね。
全然こなかった。
そう、そう、そう。
中学の頃、あと一番メインでやってたのは競技プログラミング。パソコン部に入って、やっぱ何かしらオリンピックにチャレンジしたいなって最初は思って。ただその数学とか物理は当然ちょっと自分が敵うわけはないなっていうので、情報ならもしかしたらまだあんまりみんなやってないしできるんじゃないかっていうので競技プログラミングっていうものをやってたんですけど、灘の中では同学年の中では1番、そんなにやってる人もいないんで結構いい感じかなとも思ってたんですけど、ツくコマとか、まさに敵わないなっていうようなレベルの人が同学年にいて。
はい。
で、そこから中学の生徒会長になって、しばらくその生徒会の方をやってみたいな感じではありました。
元々そういう自分が勝てる領域っていうか、1番になりたい欲がすごいなと思うんですけど。
そうですね。それは確実にあるなとは思っていて、もっと言えば究極は目立ちたがり屋なんだというのがあって。
へえ。
ただ目立つっていうのは、1番というか、やっぱりそういうオリジナリティがないと目立つことはできないじゃないですか。究極、灘にいて東大に合格しても目立ちはしないんですよ。なので勉強で目立つってなったらものすごいレベルなんですけど。だから他でどうやったら目立てるかなってので考えてるってのは結構あるかもしれないです。
へえ。そうね。
なので中学の生徒会長が終わった高校1年生の頃は、今までやってきたものが全部、好きでやってるわけじゃなくて、目立てるから打算的にやってきてるものだったってのはあって、これで本当にいいのだろうかと。みんなすごい人はやっぱり結局好きでやっていてああなってるんじゃないかみたいなところで、結構1年生の時は病んでて。そういうことで、好きなことがないし人生の意味って何なんだろうみたいな感じで、毎晩毎晩眠れないというか、涙が出てくるみたいな。
すげえな。俺毎日寝れちゃうからな。本当に悩みないから。
まあまあ、別にそれが解決してるわけではないんですけど、好きじゃなくてもいいやと。好きなことじゃなくても、自分ができることで、それで価値を生み出せて、自分も他人もそれによって幸せにできるようなことならば、好きだっていう原動力じゃなくてもいいかなっていう風には思って、色々物事が決められるようにはなったっていう。結構そこは転機だったかもしれないです。高校1年生の時に。
すげえ。マジで。いかに自分が浅い人生歩んでるかがわかる。好きがわかんないってことじゃないです?好きなことってあんまなかったんですか?当時。
はい。もうずっとないですね。
今もない。
今もないです。
え、人を好きになることはある?
いや、それはあります。好きだなってのはあるんですけど、これにもう人生をかけていいとか、全部これでいいっていうほどの好きってのはなかなかならないっていう感じですね。
ああ、高2で起業。
そうですね。高2の10月から起業しました。
社員とかも?
そういうのは取らずに、ちっちゃくというか、営業もエンジニアも全部自分でやるような形でした。どうしても受験で止めるってのが最初からあったので、受験までに終わらせられる仕事っていうのを色々いただいて、やってたって感じです。
それはどういう業務なんですか?
AIを活用したシステムの開発とかを部分的に作ったりとかいうところを中心にやってたりしてました。
で、生徒会長もやる。生徒会長もやって。生徒会長は主に何するんですか?
そうですね。でも自分はずっと生徒会長以外にも生徒会とか文化祭とか体育祭とかも色々やってたんで。
あ、運営側。
運営側もずっと、ここまでの5年間ずっとやり続けてきたんで。
そうなん。
その運営の中心とか、行事運営の中心とかをずっと色々やっていたって感じです。
それどういう役職?あ、そっか。生徒会長はそういう役職。
生徒会長もやりながら、そこはそれぞれの委員会で役員的な。役員ってちょっと言い方あれですね。副長的な感じでそれぞれのこともやりつつ。
あと、実際そのAIってのを高校生のうちに学ぶことがすごく意味あるなってのを思っていたので。ただ中高生の時にAIを学ぼうと思っても、何したらいいかよくわからないじゃないですか。なのでそのAIを勉強するコミュニティみたいなのを学校内に作って。
ええ、すげえな、マジで。
それで中学生中心に100人ぐらいが入ってくれて、ここでAIを学ぶための情報を提供したりとか、東大が提供してる講座を紹介したりだとか、そういうことをしてAIを学ぶ最初のきっかけを作るっていうのをやったりもしていました。
あと東大の松尾研究所ってところにも高校生の時から行った?
そうですね。はい。松尾研究室ってところがAIの公開講座とかを提供してるんで、まずそこから学んで、そこから松尾研究所っていうところも含めてエンジニアとして経験も積んでって感じですか。
え、その勉強とかってできなくないですか?
あ、してなかったですね。
そうね。
受験勉強も全く。
え。で、ぼんやりとその当時、高校2年の10月ぐらいはどこ行きたいなとか、どういう大学に行きたいなと思ってました?
最初は海外大も目指してたんですけど、とても英語力がちょっと間に合わないなと。ところで高3の6月に色々事業とかも一旦休止できるようにして、行けば東大に受かるんじゃないかと思って、東大のつもりでいましたね。
じゃ、ほんまに高3の6月から本腰入れるみたいな感じ。
そうですね。本当に最初はD判定とかC判定とか、それぐらいで。ただ、今から逆に塾とか行ってももう遅いなと思って、自分で独学で全部AIに質問して勉強していったんですけど。
今の受験勉強ってAI使えるんすね。
そうですね。でも僕は、逆に使う必要ないところまで使いすぎちゃったとこはあるかなと思っていて。使うあまり、あんまり手を動かさなかったから処理力が上がらなかったなっていうのは反省なんですけど。ただ結構みんなも分からないところはAIに質問してるなっていう感じは。
ああ、すごい。確かに。
東大推薦とかも考えたんですけど、学校内の枠制限とかがあるので、簡単に受けられるものでもなくてっていうところで、じゃあ東大の一般受験をするしかないかっていう感じでしたね。
あ、推薦を結構ちゃんとやろうとしたんですか?
そうですね。推薦を目指してたんですけど、学校から3人しか受けられないので、受けられずっていう感じです。
そんだけ実績あっても。
やっぱりそのオリンピック系っていうところがちょっとジャはあったので、その東大推薦に対してという意味で言えば。
はいはいはいはい。
あとあんまりにも成績が足りないんじゃないかっていう。
ああ、そういうことか。で、これちょっと時系列がわかんないんですけど、ハッカソンとかもやってたんですか?
そうですね。ハッカソンとかは、いつだっけな。
ハッカソンってどういうものですか?
1日中コード書いてみたいな感じですね。短期間でアプリを作るコンテストみたいな感じのには、高2ですね。ちょっと生徒会長になる直前ぐらいに参加してました。それはもう、起業というところを見据えた上で、やるべきことをやっていこうという中の一環で。
はい。はい。
で、家にまつわることをやってました。結構その京大とか東大の人とかが多く参加してるハッカソンだったんですけど。
え、あ、待って。え、高校生?
高校生1人もいなくて。
え、ちょ、ちょ、ちょ、マジですか?
はい。最初そのアイデアのところは個人戦で、それで優勝して。
まずすげえな。
それは自分でもびっくりしたんですけど。で、そこで何個か勝ち残ったアイデアの中からチームを作って、チームでプロダクトを作って、それで最終的なやつを決めるっていうので、チームでも優勝して。
ああ、そうなんだ。もうやだった。3位、3位みたいな文脈だったから。
個人賞みたいなのももらってみたいな感じ。
マジで?これもちょっと時系列わかんないんですけど、その応用情報技術者試験。
はいはいはいはい。
まだなんか取ってんですか?またあるんすか?
そうなんすよ。これはいつ受けましたか?
それ中学2年生。
あ、そんな前。
はい。なんとなく起業とかにも憧れがあったんで、中学生の時から。じゃあ、その時はプログラミングかなと思ってパソコン部に入ってプログラミングやってて、その流れで情報系の資格を取ってみようかなと思って、応用情報技術者試験ってのを受けて。令和4年度の春期に受けた中で最年少で応用情報技術者試験に合格しました。
僕それ23の時に受けろって言われて、親に。でも教科書2ページ見て無理だと思ってやめたそれ。それ中学で受かってすげえな。
もう正直それ本当に一夜漬けみたいな感じで。一夜ではないですけど、もう3日前ぐらいに、受験費高いの払ってもらったし勉強しないとと思って。教科書読んでももう教科書終わらないわと思って、過去問をひたすら回しまくって回しまくって、10時間ぐらいバーっとやって、もう受かるわけないかと思って受けに行ったら受かっちゃったっていう感じではありました。
やりきり力すごいっすね。やっぱどの場面でも。
でもなんかそのせいで、どうせ受かるやろってちょっと思っちゃったとこはあるかもしんないですね。
はい。他になんか隠し持ってる特技とかないすか?ゲームとかでもいいんですけど。
模擬国連とかも。
え、もう出てくる。国連って言葉はもう初めて聞いたわ。
それに関しては本当にうまくいかなくて。ガツガツしたコミュニケーションがそんな得意じゃなくて、根は結構暗い方というか、あんまりコミュニケーションがめちゃくちゃ好きってわけではなくて。海外的なコミュニケーションが求められる模擬国連ではあったので、そこではちょっと結果を残せずっていう感じではありましたね。
模擬国連ってどういったものっていうか。
はい。模擬国連ってのは、国連を模擬して、高校生が各国の役割を担って議論し合って、決議案みたいなやつを最終的に作るみたいなことをして、その中でコンセンサスというか合意に向けて1番いい働きをした人に対して優秀賞を送りますみたいな感じの。
で、その高3の6月から受験勉強したとして、結構ゴリゴリ勉強しました?その時。
いや、ただやっぱりあんまり勉強が好きじゃなくて、そこまでゴリゴリ勉強しきれなかったところはあって。1日10時間、8時間とか、それはちょっとなかなかできなくて。で、あと9月に体育祭があって、その時に応援団みたいなのもやったので。
うん。
そこでもなかなか疲れちゃって勉強あんまりできなかったりとかも多くて、正直十分な勉強をしたとは言えなかったっていうのはずっとあったんですけど、ただまあそれでも勉強自体はしたので、成績はごまかしごまかしで上がってはいって、A判定とかを取れるようになってはきたんですけど。
取ってるんかい。
数学で灘の中で最下位を東大模試で取っちゃったりとかするぐらい、やっぱりずっと数学はそんな得意ではなくて。
で、1月に共通テストがあって、その時はめちゃくちゃできて、1000点満点中の913点を取ることができて。多分その点数自体で言えば結構理三レベルは。今年は難しかったとも言われるんで、例年で言えば94%ぐらいの感じかなと思うんですけど。
あ、そうか。91%。
はい。受験の当日は、数学とかが難しくなったと言われてはいたんですけど、元々別に得意じゃないんで、じゃあ別に大丈夫かぐらいの気持ちで。国語とかもかなりできたつもりだったので、いけてるんじゃないかなっていう。これまで本番でなんとかなってきたしっていう気持ちもあって。それでなんとなく自信あったんで、自己採点を加藤生後労働やって。
はいはいはい。
はい。で、それをYouTubeにあげるぐらいには。それでも大体受かってんじゃないかってぐらいの点数ではあったので、あ、これは受かったかと正直思っていて。で、合格発表の直前ももう受かると思ってて動画を回してるぐらいには。
マジ受かる気満々の人のね。
はい。動画撮ったんですけど、不合格になって。最初はちょっと本当かなと。まさか自分がと。
ほんまに落ちての。
なんか受験番号間違えたぐらいの気持ちだったんですけど、もうこれは落ちたならもう仕方がないと思って。で、一応その後期試験の方で東京科学大の医学部。
いや、すごいっすね。
普通は理三落ちばっかりが受験するとこではあるんですけど、東京に出るってところが大前提、1番大きくあって、その中で国立の後期があるところとなると、一橋大学の後期と東京科学大学の後期っていうところがメインであって。ただ自分としては、医学か工学で、テクノロジーをもって社会を変えていきたいってのはあったので、そうなると科学大学の方がより近いかなと思って出願はしていて。
はいはい。
で、まずそこにもう向かっていくしかないって思って、大体30分ぐらいで完全に気持ちが切り替わって。
当時は慶應も押さえてる。
そうですね。慶應の理工学部を押さえていて。
他は受けたんですか?
受けてないです。
あ、理工だけ。
理工だけです。最初は科学大医学部に行くつもりで後期試験を受けに行ってるんですけど、正直自分の中で医学部に対する解像度とかがあんまり高くはないところはあって。後期試験が終わった後も、色々先輩とかも含めて医学部の実際のところとか、あとは慶應の実際のところとかも含めて色々話を聞いて、自分がより社会を変えるという点で力を発揮するためには慶應理工に行った方がいいんじゃないかっていうところで。正直、一般的に医学部に受かったなら国立のそっちに行くべきだっていうのが普通の考えかもしれないんですけど、ただその普通の考えってのが自分に適用されるかと言われたら、普通じゃない人生を送ろうと思っている自分にとっては考え直さないといけないところかなと思って。色々真剣に考えて慶應理工の方に進学しようと思って。
なので、もちろん科学大医学部の補欠で上がった方には申し訳ないというか、互格とはいえ時間が経ってしまったと思うので、その点については申し訳ないなとは思うんですけど。それはもちろん、慶應理工を蹴ったとしても慶應の方で補欠があれば、そこで遅らせるということで、どっちにしろご迷惑をかけるっていうことはもう分かりきっていたので、だからこそ真剣に考えないといけないなと思って、真剣に考えてPOにしたって感じですね。
ちなみにその開示とかって聞いても大丈夫ですか?
はいはいはい。結構自己採点からもだいぶ、50点ぐらい下がって。
え。
国語だけほんまに高かったんですけど、それ以外がもうボコボコ下がって。部分点とかがもう全く取られなかったと考えた時にあり得るなって思っていた点数ではちょうどあったんですけど、それぐらいの点数ではあって。まあ、そうかと思ったんですけど。
結構点差も空いてた感じで。
そうですね。結構点差も15点ぐらい。あ、でも15か。まあでも、その不合格者ランクみたいなのがあるんですけど、AランクじゃなくてBランクであったので、そうかってちょっとびっくりはしたんですけど。
国語どんぐらいやったんですか?
国語は53。
おお。
数学はどれぐらいやったんですか?
数学は、120分の20点台で。
そうなんだ。
まあでも、そこは手を動かしてなかった自分が悪いというか。勉強はしてたんですけど、AIに聞くばっかりで、分かってはいるけど手を動かしてないからミスるっていうところがあったんで。なのでAIは絶対めっちゃ活用した方がいいんですけど、手も動かさないとダメだよと。鉛筆を1日も持たない日が何日もあるような勉強法ではダメだよっていうことを身をもって感じたっていうところでしたね。
だからここまでの人生聞くと、慶應に進学した理由が分かった気がします。ユニークに行くとか、なるほどみたいな。それは行くかみたいな。
はい。実際めちゃくちゃ楽しいので。
これで東大仮面浪人とかもありえないな。
それしたらしたでおもろいですけどね。
めっちゃおもろいけど。まあ、短期的にはどうしていきたいみたいな、今後のことを最後に聞いていいですか?
はい。えっと、会社も受験が終わったんで再開できるってところで、小さくスタートはしていくんですけれども、他のことも色々やっていきたいなってのは思っていて。YouTubeとかは個人でも、他の人とも色々やっていきたいなと思っているので、是非YouTubeの方とかTwitterの方とか、SNSの方も是非フォローしていただけたら。自分の人生を包み隠さず公開していきますので、是非目立たせてください。よろしくお願いします。
今日はありがとうございました。
のにアミの町の空にアビつませこ代のばにアニスティニューもいなくてアキでおめ
M.
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