(笑)とw、どちらを使うか テキストの笑い方から「加害性」と生き方の話へ

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概要

ゆる言語学ラジオの水野太貴と堀元見が、LINEやメールで「(笑)」と「w」のどちらを使うかという身近な話題から雑談を始める。話は感嘆符の使い方、不機嫌さで人を動かすことへの嫌悪、モテテクニックの暴力性、発信者として批判にどう向き合うかへと広がり、最後は人生の選択をどう肯定するかに行き着く。二人のスタンスははっきり違う。相手の出方を見てから笑い方を合わせる水野と、自分の書き方の型を持ち、それを加害性を減らす手段として使う堀元である。

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「(笑)」はおじさん、「w」は厨臭い

水野は中学生の頃、「(笑)」を使っていたら「おじさんみたいだね」と言われたという。相手が使っていたのは括弧のない「笑」で、それ以来水野は括弧なしの「笑」を使うようになった。本人も、括弧つきの笑いにはどこかおじさんっぽさがあると認めている。

堀元はTwitterでは「笑」も「w」も使わず、「〇〇で笑う」「〇〇マジおもしれえ」のように言葉で書く。wについては、昔の2ちゃんねる的な感覚がまだ残っているという。当時は「厨臭い」という言葉がよく使われ、wを1個だけ付ける「単芝」はマナー違反でダサいとされていた。wを2つ以上並べると煽りとして使われることもあった。その記憶があるので、堀元は1個のwは絶対に使えない。そもそもwを使うこと自体がない。

水野は、相手がどの流派かわからないときの小技を明かす。「!笑」と書けば、「!」の後に括弧は付けにくいので括弧なしの「笑」が自然に決まり、自分の流派を悟られずに済むという。堀元は、それはもう括弧なし派だと表明しているのと同じだと指摘する。「(笑)」派の人は驚きながら笑う場面でも「(笑)」だけで済ませるはずで、「(爆)」のような表記も昔あった、と二人で懐かしむ。マッチングアプリのように知らない相手とやりとりする場面では、相手の流派によって印象が大きく変わる。w派は「(笑)」を田舎っぽく垢抜けないと見ているのではないか、というステレオタイプの可能性にも触れている。

相手が笑うまで笑わない「笑いカメレオン」

水野は、相手が「(笑)」なら自分も「(笑)」、相手が「ww」なら自分も「ww」と送る。堀元はこれに驚き、「笑いカメレオン」だと評した。水野にとって最初のやりとりは「武装解除」のようなもので、相手が笑うまでは自分から笑わない。相手が手の内を見せると、ようやく自分も笑えるという。水野は多くの人がそうしていると思っていたので、コメント欄で自分が少数派かどうかを確かめたいと話した。

堀元は自分を、周囲を見て「自分たちの世代ではこれ」というデファクトスタンダードを見つけ、それに従っているのだと説明する。いちばん笑われない形を選んでいるわけだ。一方で堀元は、以前は「〇〇で草」をオタクの話し方だと感じて使っていなかった。ところが水野がよく使うので、つられて使うようになった。今はXで皆が使っているので、市民権を得たと判断している。水野のほうは、Xを見ていない高校の友人には「草」を使わない。相手がその表現を知っているかどうかで判断しているのだという。

目上の人には「(笑)。」

目上の人とのやりとりは、さらに分岐が増える。水野は年上の人に対して、「笑」の後に句点を打つかどうかも考える。水野が本業で編集している雑誌の表記ルールも「(笑)。」である。年上の人には括弧付きの「(笑)」を使う。理由は、目上の人自身が「(笑)」を使うことが多いからにすぎない。相手が「(笑)」すら使わない人なら、笑いは表現せず「!」でテンションを上げるだけにする。

堀元が、相手ごとの流派をどうやって覚えているのかと尋ねると、水野は、メールを打つときに相手の顔が浮かび、そのときに「(笑)」も自然と浮かんでくるのだと答えた。完全に合わせきれているかは自信がないという。

感嘆符は誰の負担か

話はメールで感嘆符を使うかどうかに移る。水野は『インターネットは言葉をどう変えたか』の170ページを紹介した。感嘆符のないメールは冷淡に見えるため、「Emotional Labor」というGoogleのアドオンまであり、すべての文末に感嘆符を付けてメールのトーンを明るくしてくれるという。著者は普段2回に1回ほど感嘆符を使う人だが、最近は感嘆符なしのメールを送ってきた相手に、わざと感嘆符なしで返すのを密かな楽しみにしている。そして、自分の文章に重々しさが加わるのが楽しくなってきた、どうして私ばかりが文字で感情表現を頑張らなくちゃいけないのか、不公平ではないか、と書いている。水野は、感嘆符を打つことを負担や不公平として捉える視点が自分にはなかったと言う。

堀元は反対の立場だ。感嘆符の少ない文を送ると、感じが悪かったのではないかと後から編集することさえある。堀元は「〜!!」を全角で多用する。水野によれば、Discordで初めてやりとりしたときも、ずいぶん明るい人だという印象だった。堀元がそうするのは、不機嫌で人をコントロールする人間だと思われたくないからである。相手に「機嫌が悪そうだから気をつけよう」と気を遣わせたくない。基本的には、たとえ激怒していても「〜!!」で楽しそうに書くという。

水野は、昔は同じように考えていたと言う。ただ、不機嫌さが伝わらないと動かない人がいると気づいてから、不機嫌そうなメールを「カードの1枚」として使うようになった。何度言っても聞かない人や、要求ばかりしてくる相手に対してである。堀元は、そういう相手には段階的に不機嫌を示すのではなく、ある時点で急に返信をやめる。「〇〇について教えてください」という類の依頼には3回ほど上機嫌に応じ、4回目から既読スルーにする。その相手とは生涯連絡が取れなくてもいいと思ってそうしている。水野はそのほうが冷たく怖いのではないかと返したが、堀元はよほど不快でなければそこまでしないと言う。

不機嫌なメッセージを送った自分が嫌い

水野が、陰で「堀元さんは機嫌でマネジメントするから気をつけて」と言われていたらどうかと聞く。堀元は、悪口を言われるのはまだいいと答えた。嫌なのは、不機嫌なメッセージを送ってしまったと自分で思うことだという。「機嫌悪そうで話しかけづらい」という評判もあまり気にならない。堀元には理想があり、そこに近づこうと努力しているから、それができなかった自分に加害性を感じるのである。

堀元は、シャワーを浴びているときに、仕事仲間への反論が冷たすぎたのではないか、冷たさで反省させようとしていなかったかと思い返し、出てから編集することがあるという。水野は、送ったメールは基本的に見返さないし覚えていない、覚えているのは送られてきて嫌だったものだと言う。嫌な相手に返すときは相手を悪者にしているので、自分を嫌いになる要素がない。ただ、シャワー中の反省には心当たりがあり、「言い方がきつかったかもしれないけど怒ってない」と送り直すことはある。水野は、メールによく「怒っていない」「急かしていない」と書き添えているともいう。ChatGPTにやりとりのスクショを貼れば威圧度を判定してくれるかもしれない、という話も出たが、二人とも結果を見るのが怖いと言った。

「お疲れっす」で拍子抜けした初期のミーティング

堀元は、番組を始めて2か月ほどの頃の出来事を話した。企画について水野が否定的な返信をしたので、通話で話し合うことになった。堀元は開始2時間前に論点をまとめたアジェンダを送ったが、水野から返事がない。1時間、2時間と過ぎるうちに、堀元は「この人は怒っているのかもしれない」と思い、忙しければ延期してもいいと送った。水野の返事は「別にいいっすけど、やりますけど」。堀元は緊張しながら早めに通話に入ったが、水野は「お疲れっす」と入ってきて、怒っていないとわかって拍子抜けしたという。

水野はこの件をまったく覚えていない。平日なら単に仕事中だったのだろうと言う。水野は今でも、平日は本業の時間なので即レスを求められることに抵抗がある。ただ、今ならアジェンダをまとめてもらったら一言お礼を言うべきだと考える。5年前の自分はそれをしていなかっただろう、とも認めた。堀元が水野に対して警戒を解いたのは、丸1年ほど経ってからだという。最初の頃は温泉旅行にも「ちょっと怯えながら」行っていた。今では警戒はほぼゼロで、水野ほどわかりやすい人間はいないと話す。

加害性を減らす記号はありうるか

水野は、感嘆符には強調や大声というメタ言語的な情報を伝える役割がある一方で、堀元のように加害性を減らす目的でも使われていると整理した。そのうえで、感嘆符が担っている役割が多すぎるので、加害性を減らす役割を別の記号に担わせられないかと提案した。

絵文字を使って怒っている人はいないが、絵文字はカジュアルすぎて目上の人には使えない。中学時代のメールで多用した踊るダンサーの絵文字、星、ハートなども仕事では使いにくい。堀元は、PR案件と思われないようにTwitterで「#PRではない」と書くことがあるので、同じように「#加害ではない」を付けてはどうかと冗談を言った。しかし二人とも、それはかえって怖いと結論づけた。

水野はその気味の悪さを次のように言語化する。「加害ではない」と明示するのは、罪を告白したのでボールはそっちが持ってくれ、と言っているように見える。気遣いでは、事実上誰が負担を持つかが重要だ。加害ではないと言いすぎると、受け手のほうが「気にしすぎる自分が神経質なのか」と思わされる。そうなると明示は免罪符に変わり、本当に加害性のある人もとりあえず付けるようになる。堀元はこれを「本当はこんなこと言いたくないんだけど」で始まる説教や、「お前のために言っている」、「自慢じゃないけど」と同じ構造だと言う。加害しながら「これは加害じゃない」と言うのは最悪のメッセージだ、というのが二人の見立てである。

皮肉記号はなぜ流行らないか

水野は同じ本から、本気と冗談で意味が変わる表現を区別しようとした試みを紹介する。1575年、イギリスの印刷職人が、修辞疑問文(反語)には左右反転した疑問符を使えばよいと提案した。1668年にはイギリスの自然哲学者ジョン・ウィルキンスが、皮肉を表すには上下反転した感嘆符を使おうと提案している。ほかにもさまざまな皮肉記号が提案されたが、どれも流行らなかった。理由は、ジョークの意味を説明するのと同じで野暮だからである。さらに、記号の意味を相手が知らなければ大いに滑る。現代でも、HTMLのタグのように「<sarcasm>」で囲む書き方や「#sarcasm」が現れたが、定着しなかったという。

水野は、「これは威圧ではない」「これは皮肉だ」と明示すると意味を失うので明示できない、というジレンマの中に自分たちは生きているとまとめた。堀元はこれを、モテに関わる行動に多い構造だと言う。女性と歩くときに男性が車道側を歩くべきだとされるが、「車道側を歩いていい?」と言った途端にダサくなる。言語化した瞬間に価値を失う行動が世の中には多すぎる、というのが堀元の実感である。

荷物を持つか、奪い取るか

荷物の例では二人の違いがはっきり出た。水野は荷物を持つことを申し出るが、断られたら諦める。自分の鞄を持たれたくない人もいるし、男性に荷物を持たせている女性だと周囲に見られるのを嫌がる人もいるからだ。靴を履くときなどに一時的に持ち、相手がそのまま回収したがらなければ「持ったほうがいいタイプなんだ」と判断するという。堀元はこれをスマートだと評した。

一方で堀元によれば、世間にはもっと「右っぽい」正解もある。「いいよ」と断られても「いいから」とそのまま持ってしまうやり方だ。モテ本ではこれが正解とされているという。堀元は本で読んでそれを実践していたが、自分の中のもう一人の自分が「それはパターナリズムではないか」と叫んでいて、そうしている自分が嫌いだった。水野は、スーツケースなら事実上奪い取るかもしれないと言う。邪魔で楽しくないだろうし、自分は重いものも苦にならないからだ。堀元は、辞退されたスーツケースを奪うことはできないと言う。相手は自分に持たれたくないのかもしれない、というところまで考えてしまうからである。

16歳の夏の答え合わせ

堀元がそう考えるようになった背景として話したのが、高校1年の夏の話である。男女3人ずつ、誰も付き合っていない6人で、海の見える民宿に泊まりに行った。バス停から歩く途中、なぜか堀元とある女性の2人だけで10分ほど過ごすことになった。相手は露骨ではないものの、微妙に距離を取り、会話も弾まなかった。堀元はそこで、嫌われていても旅行には来るというパターンがあるのだと学んだという。答え合わせはしておらず、それから17年、引きずっている。

水野は別の解釈を示した。その女性は他の男子に気があって、堀元に好かれると困るのでそうしていたのかもしれない。嫌っていたとしても、それは堀元ではなく相手の問題だ。堀元は一瞬納得しかけたが、やはり考えは変わらなかった。仮に堀元を憎んでいても、その子はグループが居心地よいから旅行に来る権利がある。そこで堀元がスーツケースを持つと言って手汗を付けるのは暴力になりうる。その加害性を意識しないで生きることは自分にはできない、と堀元は言う。その経験から、まったく別のグループの女性に対しても、スーツケースを奪う権利は自分にはないと学んだのだという。

水野は、堀元がモテ本に染まらず、まず自分の行動規範があって、モテのテクニックはその下位に置かれている点を評価した。やりながら自己嫌悪に陥ったとしても、何も考えずに加害するよりずっとましだという。

批判を想定したうえで発信する

水野は、以前の回で堀元が語った「統計的差別」の話に感銘を受けたと言う。差別をしながら、統計的に導かれた結論だから差別ではない、と開き直るのが最もずるい、という話である。これと関連して、水野は最近、番組で批判されないように予防線を張るというスタンスが消えつつあるという。代わりに、起こりうる批判を事前に想定し、N個の批判それぞれの問題度を見積もる。それでも便益やエンタメ性が上回るなら実行する。視聴者の指摘を取り入れるのは、問題の列挙か問題度の見積もりのどちらかが間違っていたときだ。つまり、式の定数を指摘によって修正するようなモデルである。

堀元は、自分も最近ずっと同じことを考えていたと応じた。一方で、このモデルは功利主義への反論と同じく、倫理的に問題があっても面白ければいいという方向に傾く危険があるとも指摘した。水野は、倫理を守ることは前提だと答えている。

堀元の具体例は、下ネタの本を書いたことで風俗店に行った話の引き出しが多いことだ。それをラジオで話してよいかを考えるために、フェミニズムを勉強し直しているという。以前、監修の先生から、そうした発言は背後にある構造を是認していると見られるリスクがあると指摘され、該当箇所を削ったこともある。勉強してみると、フェミニズムの中でも意見が分かれていた。性風俗は女性の性的搾取を前提とする構造なので撤廃すべきだという、ラディカルと呼ばれる立場がある。一方で、働きたい女性から権利を取り上げるのはパターナリスティックで、主体として認めていないことになる、という穏健派の立場もある。

堀元は、浅い勉強だと断ったうえで、現時点では穏健派の考えが正しいと判断した。人が主体性を持って働ける環境であれば、その産業は悪ではないと考え、その範囲で話すことにしたという。ただし、当事者の同意の証言が社会学的な調査で実は正しくないとわかれば、結論は変わる。ラディカル派はまさにそう主張しているが、堀元は今のところそうは思えない、と述べた。センシティブなテーマについては一つずつ結論を出してから話そうと思った、と言う。

水野はここで話を戻す。自己嫌悪しながら荷物を持つこと、勉強したうえで風俗の話をすること、問題を承知で簡略化して話すこと。これらはいずれも、何も考えないよりずっとましだ。すべてに配慮して縮こまるより、言われても仕方ないと想定したうえで物を作ることが大事だ、というのが水野の考えである。二人は互いの影響で変わってきたと認め合い、その「高め合った」という着地のダサさに笑った。

「男は生きているだけで加害」

水野が影響を受けたもう一人が、高校時代からの友人の鶴見である。鶴見はあるとき「男って生きてるだけで加害じゃないですか」と言った。水野は最初「そんなことあるか」と思ったが、その視点で世の中を見ると、確かにそうだと思うようになった。

堀元は、夜道で前を女性が歩いていると、人通りも明かりも少ない道で追い抜くのは加害ではないかと思い、帰り道を変えることがあるという。水野は、エレベーターで二人きりになり、自分が先に乗って奥にいると、大柄な男性が背後に立つ形になって怖いだろうと考える。堀元は、エレベーターに手錠を付けておく、登り棒に両手両足でしがみついておく、といった案を冗談で出した。しかし水野に、登り棒につかまった男性が乗っているエレベーターに乗りたいかと聞かれ、乗りたくないと認めた。電車では痴漢をしないアピールとして両手で吊り革をつかむ方法があるが、エレベーター版はまだない。水野が挙げた現実的な案は、自分がドア側に立って女性を奥に入れることくらいで、この問題は未解決のままとされた。

「歩く加害」だった水野

水野は、以前は堀元の気遣いを冗談か誇張だと思っていたが、世の中はむしろそちらのほうが多いと感じるようになったという。鶴見によれば、周りは水野に気を遣っていて、気を遣っていなかったのは水野だけだった。鶴見は、水野が面白くなかったら、ありえないほど嫌われていたはずだと言う。旅行で1時間遅刻しても、水野なら1時間分のマイナスを取り返すくらい面白くなりそうだから待つ、とも言われた。

水野は昔、朝早く呼び出すほうが悪いと思っていた。LINEの未読が200件ほど溜まった状態が常態化していたが、送ってくるほうが悪いと思っていた。普通は嫌われて学ぶはずなのに、大学生まで気づけなかったのは変だと鶴見に言われたという。堀元はこれを「能力の悲劇」と呼ぶ。面白さというパフォーマンスで評価されてきたため、加害性に無自覚なまま生きてこられた、という見方である。水野も鶴見もおそらく同意するだろうと言う。対照的に、堀元は16歳の頃から、自分は嫌われているかもしれないという前提で生きてきた。連絡を1日返さないことは「死」を意味すると思い、即座に返信してきたという。

気づくほど不幸になるのか

堀元は、今の水野は無邪気な世界から残酷な現実へ入りつつあり、どんどん不幸になっているのではないかと問う。そして『アルジャーノンに花束を』を挙げる。知的障害のある主人公が革新的な医療で急激に賢くなり、日記に苦悩が増えていく話だ。水野は未読である。

水野は、不幸になったとは思わないと答えた。気配りをゼロサムゲームとして捉えているからだ。何も考えずに自分だけ幸せだったとき、そのマイナスは周囲に満遍なく配られていた。今、自分が負担を抱えるぶん周囲のマイナスが減るなら、公平性の観点から望ましい。自分は気配りのフリーライダーだったが、納税するようになったのだ、と水野は言う。

ただ、堀元は、最近の水野の気配りにも、皮肉を明示するのと同じダサさを感じることがあるという。たとえば飲み会で政治の話を振った後、利害関係のない友人に「思想信条の話だから開示したくなければしなくていい」と付け加えるような場面だ。堀元自身も同じようなことを言うが、それは仕事を頼んでいる相手でハラスメントの構図がある場合だ、と区別する。水野は、人との距離感がかなり遠くなったことを認めた。好き放題話して相手が楽しそうなら仲良くなる、というモデルから抜け、人と仲良くなるのが下手になった。堀元は、それこそ自分が10代で芽生えた感覚で、加害性を自覚すると人と距離ができるのだと言う。

とはいえ水野は寂しがりではない。2年ほど孤立していた時期もメンタルに響かなかったという。堀元も同じタイプで、『イカゲーム』シーズン3や『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』を見るのに忙しく、人に会わなくても楽しい。一方で堀元は、難しい本が並ぶ書棚の前で老人が「知識は最終的に虚しいよ」と語るネットミームを挙げ、自分や水野はそこに行き着くのではないかと懸念を口にした。

過去の選択を責めない

水野はこの懸念に対し、女性誌『CREA』の人生相談特集で読んだジェーン・スーさんらの回答を紹介した。30代の女性から、仕事が楽しいが子どもも持ちたい、キャリアを突き進むと産めばよかったと後悔しないか、という相談が寄せられた。回答は次のようなものだった。子育てをしている同世代も、子どもがいなかったらどうなっていたかと後悔している。分岐に目を向けてもきりがない。問題は、選んだ道を成功に変えられなかった現在の自分であり、子どもを持たなかった選択の失敗ではない。

水野はこれを先ほどの老人に当てはめる。知識が虚しいと言うなら、過去の選択を悔いるのではなく、虚しいと感じている今の自分に目を向けるべきだ。それを若い人に言うべきではない、とも付け加えた。堀元は、あの老人は照れ隠しで冗談めかして言っていたのかもしれないと言う。淡々と楽しそうに言っていた記憶があり、それはそれでかっこいいと感じる。人生はどう生きてもいいのかもしれない、と堀元は述べた。二人が最終的に一致したのは、過去の自分はその時なりに合理的に判断して最善を尽くしたのだから責めない、選択を後で成功にしていく、という点だった。

感嘆符ひとつに人生観が出る

締めくくりに水野は、(笑)とwという些末な話題も抽象化すると人生観にまで届き、話してみるまでこんなところに来るとは思わなかったと振り返った。堀元は、感嘆符の話がここまで加害性に直結しているとは思っていなかったという。加害性に対してどういうスタンスを取るかがチャットアプリの感嘆符一つに現れており、人が言葉を介してやりとりする以上、そこからは逃れられない、と述べた。

最後に二人は、w派と(笑)派が互いにどういう印象を持っているかをコメント欄で教えてほしいと呼びかけた。堀元は、それを見て自分のスタイルを変えるかもしれないと言い、水野はコメント欄を見るまで一切笑わないと冗談で応じた。