新明解国語辞典第8版を通読した話者が選ぶ「極上の語釈」:重い恋愛観、にじむ悪意、基本語の説明

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概要

ゆる言語学ラジオの水野太貴は、1700ページほどある『新明解国語辞典』第8版を3年かけて通読した。『新明解』は語釈が独特な辞書として知られている。最も尖っていたのは第4版で、版を重ねるごとにマイルドになり、最新の第8版はもう尖っていないとも言われる。水野はこれに異を唱え、第8版にも「極上の語釈」が残っていると主張する。本稿は、TBS赤坂での公開収録(観客約100人)で、水野が堀元見を相手にその語釈を紹介した回の記録である。後半で水野は、『新明解』を「変な辞書」と見るだけでは足りず、本当の見どころは基本語の説明にあるという本題に入る。

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第8版の「恋愛」はまだ重い

最初の例は、かつて「できれば合体したい」といった記述があった「恋愛」である。第8版ではこうなっている。特定の相手に対して、他のすべてを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情を抱き、常に相手のことを思っては二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、少しでも疑念が生じれば不安になる、といった状態に身を置くこと。

堀元は「僕、恋愛したことないかもしれない」と応じ、少女漫画のように夢中にならなければいけないのかと驚いた。水野によれば、この語釈は別の理由でも話題になった。昔の『新明解』は異性愛を前提にしていたが、第8版は「特定の相手」としか書いておらず、時代に合わせて更新された語釈としてニュースにもなったという。ただし会場でこの話を知っていたのは1人だけだった。「焦がれる」の語釈も、他のすべてを犠牲にしてもそういう状態になってみたいと一途に思い詰める、というもので、堀元は『新明解』はどうしても重い恋愛をさせたがると評した。

抽象語をあえて難しく書く:「時間」と「命」

次に水野は、語釈だけを読んで見出し語を当てるクイズを出した。人間の行動をはじめとするあらゆる現象がその流れの中で生起し、経験の世界から未経験の世界へと向かっていく中で絶えず過ぎ去っていくととらえられる、二度と元に戻すことはできないもの。観客の数人が手を挙げ、「時間」と正解した。堀元はこれを『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして」に重ねている。

時間は抽象的な言葉なので、どう書いても難しくなる。比較のため、水野は同じ三省堂の小型辞典『三省堂国語辞典』(三国)を引いた。三国は説明をとにかくやさしくする方針の辞書で、「時間」は「過去・現在から未来へと少しも止まらずに進んでいくもの」とある。水野によれば、子どもに説明しても分かるような実感のこもった語釈を書くのが三国の特徴で、『新明解』はもう少し抽象的に書く。

「命」も『新明解』らしい例として挙がった。生物が生きている限り持続している肉体や精神の活動を支える根源の包括的な呼称、と説明したうえで、括弧書きで、一瞬一瞬生きることの繰り返しとしてとらえられる緊張の持続であり、客観的には有限であるが主体的には無限の連続として受け取られることにその特徴がある、と続く。堀元は、みんな自分が無限に生きると思っているのか、赤坂には吸血鬼しかいないのかと茶化した。リラックスしている時もあるのに命は緊張の持続なのか、人生を悲観的にとらえすぎではないかとも言う。水野は、これは「新明解イズム」の代表例とされる語釈だと説明した。

本と読書への厳しさ

堀元が恋愛経験を疑い始めたところで、水野は「読書」を読み上げた。研究調査や受験勉強の時などと違って、一時現実の世界を離れ、精神を未知の世界に遊ばせたり、人生観を不動のものたらしめたりするために、時間の束縛を受けることなく本を読むこと。さらに括弧書きで、寝転がって漫画本を見たり、電車の中で週刊誌を読んだりすることは本来の読書には含まれない、とある。堀元は、読書も恋愛もしたことがなかったと言い、それは言う必要があったのか、書いた人は感じが悪い、と反発した。

水野によれば『新明解』は本関連の語に厳しい。「小説」は、作者の構想力によって登場人物の言動や彼らを取り巻く環境・風土などを隈なく描写することを通じて、虚構の世界をあたかも現実の世界であるかのように読者を誘い込むことを目的とする散文学、とされ、読者は描写された人物像などから各自それぞれの印象を描きつつ読み進み、独自の想像世界を構築する、と続く。堀元は、明らかに現実ではない短編小説もあると反論し、鬼がオフィスに入ってきて皆殺しにするだけの話や、電車を降りた瞬間に殴られる話といった、現実らしさを目指していない作品を例に挙げた。

複合語は語釈の行が分厚いところを狙う

水野が『新明解』を読むコツとして勧めるのが複合語である。「緊張感」や「雨模様」のように、要素を二つ組み合わせた語は足し算で意味がほぼ分かる。それなのに語釈が長いところがある。

「異次元空間」はその例だ。SFで、我々の住んでいる現実の空間とは別のところにあり、異なった構造(次元)を持つとされる空間、という説明のあとに括弧書きが続く。多くは四次元以上のものを想像するが、広義では我々の住む三次元空間と並行して存在するもの(=平行世界)、また歴史のある時点や出来事を境い目として、史実とは異なる方向に進展したものとして創作された世界なども含む、という内容である。堀元は、クリストファー・ノーランを早口で語るようなSFオタクが、ほうぼうから攻撃されないよう予防線を張りながら書いたのだろうと評した。

「生活態度」も、生活の態度で済みそうなところを、生きる目標をどこに置くか、毎日の生活のリズムをどう設定するか、他人・社会との関わりはどうあるべきか、自分をどうやってきめ豊かにしていくか、などの基本的問題について考えた上での(何も考えないまま過ごす)毎日の生活の仕方、と書く。堀元は、阿部寛の声で脳内再生され、何も考えずに過ごしているお前らは駄目だと説教されているように聞こえたと言う。水野によれば、辞書では「生活」の項の下に「生活態度」のような語がぶら下がっている。その中で急に行が分厚くなっている箇所に当たりをつけて読むと、たいてい面白いことが書いてある。

悪意がにじむ語釈と「一言多い」括弧書き

続いて水野は、『新明解』の悪意がにじんでいると感じる語釈を紹介した。「器量」は、当該の高いポストを汚さず仕事をやってのけるかという観点から見たその人の対処能力、とある。二人は、前半部分はいらないのではないかと口をそろえた。水野は、器量のない人は当該のポストを汚している、と言いたいがために書いているようにも読めると言う。堀元は、先ほどの「異次元空間」も「お前にはそれを書く器量がない」と言われるのを恐れて必死に書いたのかもしれないとつなげた。

水野によれば、『新明解』は括弧の中で、わざわざ言わなくてもいいことを言って誰かを傷つける。「上から目線」は、相手よりも優位な立場にあることを見せつける態度、という説明の前に、「時に勘違いに基づき」という括弧書きが付いている。実際にそういう文脈で使われるので、水野はこれを「いい仕事」だと評価した。

ここで堀元は、自分がポッドキャストのイベントでやった「上から目線」の失敗を明かした。Spotifyか何かのイベントでポッドキャスターが50人ほど集まる飲み会があった。堀元は、自分たちは業界のトップランナーで、みんなが「いつも聞いています」と寄ってくるので、「君も頑張りたまえ」という気持ちで接していたという(口には出していないと本人は強調している)。少し年上の丁寧な女性にもその調子で話していたら、受け取った名刺は漫画家の瀧波ユカリのものだった。最近ポッドキャストを始めたばかりの人だったため、新人だと思い込んでいたのである。堀元は、勘違いに基づいて上から話してしまった例だと振り返った。水野は、そもそも最初から上から目線で行かないでほしいと返している。

同じ系統の例として「ない物ねだり」も挙がった。そこにないものを求めて欲しがること、という本体の説明は問題ない。そこに(子供のわがまま、本来期待すべきではない点にまで及んだ批評など)という括弧書きが加わる。「論争」は、意見の違う者が互いに自分の説を譲ることなく主張し(ついには第三者から見ればどうでもいいことまで)議論し合うこと、とある。

堀元は、SNSの論争はほぼ全部そうだと同意しつつ、本当に価値のある論争もあると話を広げた。2020年に、ある性的スラングの最初の命名者を名乗る人物が2人現れ、2ちゃんねるにかつて書き込まれていた内容と、2人の過去ツイートを照らし合わせる検証が行われた。その結果、片方が圧倒的な一致度を示したという。水野は、題材はともかく話としては面白いと応じた。もちろんこの語は『新明解』には載っていない。

「実社会」の暗さと、長い語釈が意味するもの

「実社会」も複合語である。実際の社会、とした上で、(美化されたものとは違って)複雑で虚偽と欺瞞に満ち、毎日が試練の連続と言える厳しい社会を指す、と続く。「命」を緊張の連続と呼んだのと同じく、ネガティブな見方だ。

水野はここで、辞書の分量について説明した。分厚い辞書なのだから簡単な語でも長々と書いて個性を出せばいい、と思うかもしれないが、実態は逆だという。辞書は決められたページ数の中にできるだけ多くの語を収録したい。新語も載せたいし、三国なら「全国の温泉地を制覇した」のような「制覇」の新しい用法も載せたい。そうすると、使われなくなった既存の語を削ることになる。削られた語だけを集めた『三省堂国語辞典から消えたことば辞典』という本もあり、MDやコギャルなどがその例だという。コギャルは第7版から第8版に移る際に削られた。それでも増える語のほうが多く、辞書づくりはスペースとの戦いである。

だから「命」や「異次元空間」にこれだけ行数を割いているのは、勢い余って書いたのではなく、相当強い意思の表れだと水野は見る。堀元は、「実社会は欺瞞に満ちている」とわざわざ書いたのは詐欺に遭った直後だったのではないかと冗談を言った。水野が続けて読んだ「人生経験」も、(順調に人生を送ってきた人には分からない)実社会で多くの困難を克服してきた経験、とある。堀元は、やはり詐欺に引っかかった直後に書いているとからかった。

「俗」を含む熟語は悪口の宝庫

『新明解』の毒気を手軽に知るコツとして、水野は「俗」の字を含む熟語を挙げる。辞書で「ぞく」の辺りを引けば、該当する語がずらりと並んでいる。

「俗物」は、社会的に高い地位を得たい、金持ちになりたい、人からよく思われたいといった欲求のみが念頭にあって、ややもすれば利己的な(見栄心に駆られた)言動に陥りやすい傾向のある人。堀元は、動機は普通はグラデーションで「のみ」はないだろうと言った。そのうえで自分の話を始める。今日の仕事は本当はやりたくなかった。スタジオ外の収録は面倒で、機材やスタッフの人件費もかかる。それでも、TBSのような場所で話しているかっこいい写真がネットにあれば講演単価が上がると考えて引き受けた。水野はこれを「ぴったり俗物」と判定し、会場は引き気味になった。

「俗筆」は、なんら風格らしいものが見られない下品な筆跡。「俗吏」は、公僕であることを忘れて、ただ人民に威張るだけを能とする公務員、木っ端役人。水野は『新明解』は公務員が嫌いだと言う。「酷吏」は、何事につけても役所の規則だからというだけで、少しも人民の事情を考えてやろうとしない役人。「公僕」は、(権力を行使するのではなく)国民に奉仕する者としての公務員、とした上で、括弧書きで(しかし実情は理想とはほど遠い)と付け加えている。

堀元は反論として最近の体験を話した。引っ越して区役所で転入届を出し、免許の住所変更で警察官とも接したが、全員感じがよく、公務員の印象はうなぎ登りだという。区役所では最初に「混み合っていて2時間ほどかかる可能性があるが時間は大丈夫か」と断ってくれた。二人は、語釈が書かれた後に行政が良くなったと考えれば矛盾しない、と冗談まじりにまとめている。

水野が注目するのは、これら「俗」の熟語の語釈がまったく重ならない点である。同じ「俗」なら同じ説明で済むはずなのに、「俗筆」は風格、「俗吏」は威張ること、「低俗」は(好みや言動などが)品性の卑しさや知性の足りなさを見せつけるだけで、精神を高めたり充実感を与えたりするものではありえない様子、「俗物」は欲求のみが念頭にある人、と、それぞれ違う語彙でけなしている。堀元は著書『教養悪口本』の前書きで、バカやアホのような単調な悪口ではつまらないからレパートリーを増やそうと書いた。そのため、増やし切った先にいるのが『新明解』の書き手だと感心し、三国より『新明解』を読みたくなったと言う。

『新明解』は「変な辞書」ではない:循環語釈を避ける努力

ここから水野は、今日本当に言いたかったことに入る。ゆる言語学ラジオの以前のシリーズで『新明解』の変わった語釈を紹介したため、リスナーには「難しい語釈=新明解」というイメージがあるだろう。しかし『新明解』は、いたずらに複雑なだけの辞書ではないという。

その根拠が循環語釈の回避である。循環語釈とは、「チョコレート」を引くと「チョコ」とあり、「チョコ」を引くと「チョコレート」とあるように、辞書の中でたらい回しにされるだけで説明にたどり着かない状態を指す。水野は通読の中で「荒らす」に「荒れた状態にする」とあるのを見て、循環するのではないかと疑った。ところが「荒れる」を引くと、畑・家などが手入れが行き届かなかったり乱暴に扱ったりなどして本来の機能を失った状態になる、と独立した説明がある。水野は、循環を何としても避けたいという意思が前面に出ているところが『新明解』の一番すごいところだと言う。

他の辞書では循環語釈はよくあることだという。水野は子どもの頃、家にあった中型辞典で「むべ」を引いたら「うべ」とあり、「うべ」を引いたら「むべ」とあって、結局意味が分からなかった。堀元は、子どもが「むべ」の意味を知りたがることのほうが信じられないと突っ込んでいる。

基本語にこそ真骨頂がある:「大きい」「重い」「分かる」

水野によれば、『新明解』が光るのは基本語、つまり誰もが意味を知っていて、見れば分かることを言葉で説明しようとする場面である。「命」や「時間」も基本語だが、「命」はもう少し簡潔にできるとも思うと言う。

そこで出されたのが「大きい」である。堀元は「比べたときにより存在感があるもの」と答え、そこから「力士に必要とされるもの」という冗談に流れていった。水野が気に入っている『新明解』の語釈はこうだ。目に見える形を備えていて互いに比較することができるものについて、問題となるものが比較される方を包み込んだと見なされる状態になり、なおかつゆとりがあると想定できる様子だ。堀元は、体積に注目し、包み込んだときに余裕がある方を大きいとしていると読み取った。水野は、こう書けば「サイズ」や「大きさ」を使わずに「大きい」を説明できると補足した。堀元は、水槽に沈めてあふれた水の多い方、という定義も考えられると提案したが、水野はそれだと今度は「多い」の説明が必要になると返している。

「重い」について、堀元は「持ち上げるのが難しい度合い」と答え、水野もおおむねその方向だと認めた。『新明解』はもう少しこなれた書き方で、比較の対象とする一般に予測される状態と比べて、そのものを支え持ったり動かしたりするのに、大きさから受けた感じ以上の大きな力を必要とする状態だ、とする。さらに、強い力で押さえつけられているような感じで消極的な気分を抱かざるを得ない様子だ、という抽象的な意味も立てている。「腰が重い」「気が重い」の「重い」である。

「分かる」は、堀元が言うように「分からない人に分かるを説明する」難しさがある。堀元は「知らない状態から知っている状態に移り変わる」と答えた。『新明解』は、未解決・未確認の事柄について推理・推論を巡らしたり、適切な情報をよりどころにしたり、実際に経験したりして、確信の持てる(あるいは客観性のある)判断が下せる状態になる、と書く。水野によれば、堀元の答えは知識がつくという意味の「分かる」だった。『新明解』の語釈は「この問題が分かる」と言って解いてみせるような用法まで説明している。堀元は、武道の達人ほど初歩的な技で技量が分かるのに似ていると例えた。

三国と引き比べる読み方

基本語は他の辞書と比べても面白いと水野は言う。三国は同じ三省堂の辞書だが、もっと実感のこもった語釈を書いているはずだとして、その場で引いた。途中で堀元が「和モダン」「若妻」「大馬鹿(大変な馬鹿)」などの見出しに寄り道しつつ、三国の「分かる」は「頭の中ではっきりしていなかったものがはっきりする。知れる」、「大きい」は「もの・場所がかなりの空間を占める状態だ」だった。「包み込む」ではなく「かなりの空間を占める」と書く、シンプルな説明である。堀元も三国には三国の良さがあると認めた。

水野が勧める読み方は、まず『新明解』を通読し、基本語の語釈がやたら長くなっている箇所に当たりをつけ、その後に三国を通読して、その箇所で両者を比べるというものだ。堀元は、水野は『新明解』に3年かかったのだから2冊で6年かかると指摘した。

最後に水野は、この回の内容を三つにまとめた。「異次元空間」や「生活態度」のようにやたら気合いが入った語釈、「上から目線」や「俗物」のように悪意がにじむ語釈、そして「大きい」「重い」「分かる」のように、説明しようとすると意外に難しい基本語である。『新明解』を変わった語釈の辞書として面白がるだけでなく、誰も引かないような基本語にこそ辞書の創意が詰まっている、というのが水野の結論だった。番組は、リスナーが推す『新明解』や三国、その他の辞書の語釈をコメントで募って締めくくられた。