ゴールドマン・サックスから国会議員へ 岡本三成が語る「運は人間関係」と、野党になって見えた政策実現の手応え
トマホークTomahawk公明党政調会長で衆議院議員の岡本三成が、生い立ちから創価大学、シティバンクとゴールドマン・サックスでの22年、そして政治家としての13年を振り返った。聞き手はチャンネル主宰のトマホークで、ゴールドマン時代に岡本と9年ほど同じ職場にいた元同僚で、『お金の不安という幻想』の著者である田内学も同席した。話の軸は、岡本が繰り返し口にした「運は人間関係であり、運こそが実力だ」という考え方と、与党を離れて野党になったことで政策がむしろ通りやすくなったという実感である。なお収録日は12月16日だと本人が語っている。
新聞好きの少年が書いた「世界をまたにかける男」
岡本は佐賀県生まれで、公立の小中高に通った。子ども時代に変わったところがあるとすれば、新聞をとにかく読む子どもだったことだという。国際面を読むうちに、佐賀や福岡とはまったく違う広い世界に憧れるようになり、小学校の卒業文集には将来の夢として「世界をまたにかける男になりたい」と書いた。
ゴールドマン時代はニューヨークを拠点に、1か月のうち2週間はニューヨーク、1週間は西海岸、1週間はロンドンといった出張生活を送った。睡眠は移動中の機内でとるような働き方で、本人も当時はきつかったと認めている。それでも振り返ると、子どもの頃に望んでいたのはこういう経験だったと感じたという。
田内によれば、岡本の丁寧な話し方は政治家になってからのものではなく、当時からだった。ゴールドマン社内では一人称が「俺」の人が多いなか、岡本はほぼ「私」で、ごくまれに素が出たときだけ「俺」になったという。
創価大学を選んだ理由と、分布の「テール」にいる天才たち
岡本は両親が創価学会員で、物心ついたときには学会員だった。創価学会系の学校には通わず、地元の県立高校から創価大学に進んだ。選んだ理由は創立の精神に共感したことに加え、大学時代に「この人たちと友人であることが人生の一番の誇りであり宝物だ」と思える人たちと出会いたかったからだと話す。
ただし岡本は理系クラスにいたが、当時の創価大学には文系学部しかなかった。悩んだ末に文系に進んだものの、せっかくだからと共通一次試験だけは受けたという。学会員だから入りやすいということは「まったくない」と否定している。
岡本は創価大学の学生層を統計の分布にたとえた。偏差値はそれほど高くなく、分布の真ん中は普通だが、端のほうに10人から20人ほど「天才」がいる。彼らは偏差値とは違う軸で大学を選んでいて、東大に合格できたのに創価大学を選んだ人も同期に何人かいた。卒業後は官僚になったり、ゴールドマンに採用されたりしているという。そうした学生と交わることが大きな知的刺激になったと岡本は語る。
また、創価大学の学生には学会員でない人もおり、宗教の必修授業もないと説明した。創立者は池田大作名誉会長だが、僧侶を育てる学校ではないという。学園祭もクラブの模擬店やコンサートがある普通のものだ。イタリア語の楠田先生に誘われ、第二外国語がフランス語なのにイタリア研究会の設立メンバーになったというエピソードも紹介した。
「運も実力のうち」ではなく「運が実力」
大学時代の話の途中で、岡本は自身の人生観を語った。世間では「運も実力のうち」と言うが、自分は「運が実力」だと考えている。そしてその運の正体は人間関係だという。神様がある日突然チャンスをくれるのではなく、友人が「こういう人がいるから紹介する」「こういう話があるから挑戦してみたら」と声をかけてくれる。それが運だという理屈である。
この考え方は採用の場面にも表れていた。ゴールドマンの最終面接に来るのは頭のいい人ばかりなので、岡本が見ていたのは「この人と1日15時間、2人きりで議論しなければならないときに楽しめるか」という一点だけだったという。ゴールドマンの企業文化が強いのは、その文化に近い人しか採用しないからだと岡本は説明した。
同じ理由で、何をやるかより誰とやるかを重視している。公明党には定年があり、現行ルールでは65歳を超えると公認しない。衆院議員の任期は最大4年なので、70代の議員は原則おらず、例外が1人いるかどうかだという。引退後のことを考えると、仕事の中身は何でもよく、好きな仲間10人ほどと仕事をしたいと語った。ゴルフや飲み会だけでは飽きるので、社会と接点のある何かをやりたいという。
グラスゴー留学とシティバンクへの就職
恩師である経済学の北正美先生がグラスゴー大学で学んでいたこともあり、岡本は大学4年のときにグラスゴー大学へ留学した。3年までは入学要件を満たせておらず、北先生が手配してくれて4年で行けることになった。就職活動はしておらず、大学には5年在籍した。
金融を選んだ理由は二つあった。ひとつは留学中にロンドンでバークレイズやシティを訪ね、スキルさえ身につければロンドンでもニューヨークでも香港でも東京でも働けると感じたこと。もうひとつは、20代前半の人が「10本ロング」と言って1000万ドルを普通に売買していたことだ(1本は100万ドル)。自分の人生で1万円は払ったことがあっても100億円は払ったことがない、それは楽しいだろうと思ったという。
グラスゴー在学中にシティとバークレイズの面接を受けて内定を得たが、帰国後に東京でも面接を受けるよう言われ、最終的に東京で内定をもらって帰国した。シティの新卒は多いほうでも7人、ゴールドマンは2〜3人、バークレイズは2人だったという。最初は為替トレーダーを務めた。
1995年、日本人初のフェニックス・アワードは「ラッキーパンチ」
1990年代前半、シティバンクは不動産不況で業績が悪化していた。当時、全世界で7万人ほどの社員がいたなかで、ブランドを回復させ新たな成長につながる取引をした人を上半期・下半期に1人ずつ選ぶ賞があり、会長のジョン・リードが選んでいた。1995年、岡本は日本人として初めてこのフェニックス・アワードを受けた。
対象の案件はカナダのショッピングモール開発だった。シティの融資が焦げ付いて不良債権になっていたが、全額を損切りすればモールがなくなり、数千人の雇用が失われる。そこで証券化の手法を使い、債権を額面より少し安い価格で売却した。実損は出るが全額損失にはならず、モールもコストを下げて再出発できる。業界的に画期的な取引だったという。
ただ岡本はこれを「ラッキーパンチ」と呼ぶ。モールのエクイティ・オーナーが日本の大手商社で、たまたま自分がその担当者だっただけで、自分がやったのではなくプロジェクトが評価されたのだと説明した。まさに運が実力だという話につながる。
受賞後、ジョン・リードから手紙が届き、食事の席で「君がいればシティの未来は明るい」といった言葉をかけられた。トマホークは「このままシティに骨を埋めたくなりませんか」と尋ねたが、岡本はその瞬間「だったら俺はどこでもやっていける」と思ったという。周囲がビジネススクールに行っていたこともあり、ノースウェスタン大学のケロッグ経営大学院に進んだ。シティ側は社費留学のプログラムを作ると申し出たが、その後の選択肢を広げておきたくて断った。
出産費用のために選んだゴールドマンのサマージョブ
ビジネススクールの夏、シティで7年働いたこともあり、ワシントンDCの世界銀行やIFCで途上国投資に関わる非営利のサマージョブをしようと考えていた。ところが1年目に妻が妊娠した。アメリカで出産すると1万ドルほどかかるのに、世界銀行のサマージョブは無給だった。就職課で「ゴールドマン・サックス、月6000ドル」という求人を見つけ、2か月働けば払えると考えてゴールドマンで働いた。長女は無事に生まれたという。
サマージョブからそのまま採用されるのは珍しくないと岡本は説明する。ビジネススクールのインターンは2〜3か月あり、実質的にお互いのお見合いの期間だという。
「その方が儲かるからだ」——ゴールドマンの人間関係論
入社時、新入社員は80人ほどいた。当時の経営陣のヘンリー・ポールソン(後に財務長官)から「What's up, 岡本さん」と名前で呼ばれ、岡本は感動した。おそらく前夜か当日の朝に80人分の資料を見て覚えたのだろうと推測し、日本のメガバンクの頭取が新入社員に名前で声をかけることはまずないと比べている。名前を呼ばれた瞬間に「一生ついていきます」と思ったという。
経営陣が繰り返したのは、リレーションシップとチームワークだった。金融商品には特許がなく、あるのは信頼関係だけだという考え方である。ゴールドマンの理念の最初には「Customer comes first」が掲げられている。
新入社員研修で、ジョン・コーザイン(後に州知事)が「ゴールドマンの理念を知っているか」と尋ねると、優秀な新人たちが暗唱してみせた。では何のための理念かと問われ、ある新人が顧客のためだと答えると、コーザインは笑って「君はstupidか」と返したという。この会社は資本主義のど真ん中にあり、目的はただひとつ、その方が儲かるからだ、と。ゴールドマンの顧客に素人はおらず全員がプロなので、1回は騙せても5回、10回は騙せない。だから顧客に「あなたと仕事をしたい」と思わせるのが一番儲かる、という理屈である。
チームワークについても同じ論法だった。10人のうち1人だけが優秀で100稼ぎ、残り9人が10ずつなら合計190になる。優秀な人が自分の稼ぎを少し削ってでも周りに教え、9人がそれぞれ20稼げるようになれば、全体はその方が大きくなる。だからチームワークの方が儲かる。岡本はこれを聞いて「天才だ」と思ったと振り返る。
同期最速のMD、40年債、公共インフラ投資部
岡本は1998年入社組で、2005年に入社7年目でマネージング・ディレクター(MD)に昇進した。ビジネススクール卒でアソシエイト、ヴァイス・プレジデントを経てMDになるのは7年が最短で、同期で一番早かったという。これも本人は「ラッキーパンチ」と表現した。
2003年入社の田内は、ちょうどその頃から岡本と一緒に仕事をするようになった。岡本は社債を発行して資金を調達したい企業の側を担当し、田内はそれを買う投資家のために価格をつけるトレーダーだった。二人は、日本で初めてとなる民間企業の40年債を手がけた。日本政府でさえ30年までしか借りたことがないのに、民間企業が40年借りるときの適正な金利をどう考えるか。買い手も納得できる理論が必要で、世界にない商品を作る知的刺激があったと岡本は話す。
後年は公共インフラ投資部の日本統括を務めた。顧客は財務省や地方自治体、政府系機関などの公的機関で、グローバルでは空港や港湾、高速道路の運営権に年金資金で投資する事業が中心だったという。
ネット上には次期社長候補だったという情報もある。岡本はこれについてこう説明した。前社長は本社から「君が病気や事故に遭ったときの次の社長を育てるのも君の仕事だ」と言われ続けていたため、投資銀行部門から7〜8人を集め、定期的に「訓練」という名の飲み会を開いていた。キャピタル・マーケッツ部門からも誰か入れる必要があり、自分が呼ばれた。つまり後継者の候補群を作ってあるという「言い訳」のためのチームの1人だったのだという。
政治を志した二つの理由
会社の論理に深く共感していた岡本がなぜ政治に転じたのか。理由は二つあったという。
ひとつは9.11である。当時ニューヨークで働いていた岡本の目の前で、2機目の飛行機がビルに突っ込んだ。世界貿易センタービルが倒壊し、歩いて帰宅した。あれほど勢いのあったニューヨークが「ダークシティ」になり、町から活気も笑顔も消えた。こういう社会は嫌だと思い、それに対して政治の役割は大きいと考えた。
もうひとつは、ゴールドマンがリーダーを輩出する会社だという文化である。退職後に公的部門へ進む人が多い。同い年でゴールドマンにいたマーク・カーニーは、辞めるときに「カナダ中央銀行の総裁になる」と言い、その後イングランド銀行総裁を経て、現在はカナダの首相を務めている。社長経験者は米財務長官になり、岡本がMDになったときのメンターだったゲーリー・コーンは第1次政権で国家経済会議の議長に就いた。国会議員の財政政策や金融政策への判断は国全体を左右するので、全員でなくても一部に金融の経験を持つ人がいることは大事だ。22年やっていれば人より少しは知見があるだろう、と考えたという。
「負けたらゴールドマンに返してほしい」
辞意を伝えると、引き止めもあった。当時の社長が「話があるので会わせてほしい」と言い、六本木ヒルズで当時の公明党代表・山口那津男と面会した。社長は、目をかけてきたが本人が決めたのなら応援する、ゴールドマンはリーダーを輩出する会社で、世界の政府や中央銀行、財務省に人材を送り出してきた、日本からもしっかり働いた人が政治で活躍するのは喜ばしい、と語った。そのうえで「負けることもあるでしょう。負けたらゴールドマンに返してもらえませんか」と言ったという。
外資系企業はドライで、辞めると言えば後ろ足で砂をかけるのかと言われてもおかしくない。それなのにこう言われて、岡本は涙ぐみそうになったと振り返る。
公明党の選挙と厳しいガバナンス
選挙にはお金がかかるのではという質問に対し、岡本は公明党の場合、個人が負担するお金はほとんどないと答えた。車のリース代やガソリン代など自己負担もあるが、初めての選挙のときは資金がないので党がある程度支援する。現職になれば歳費の中から貯金するので、党の支援は最小限になる。
その代わり党のガバナンスは厳しい。法律で認められていても党の内規で認められていないことが多くあり、定年制もそのひとつだ。被選挙権は本来誰にでもあるにもかかわらず、党として年齢制限を設けている。お金や異性関係の問題があれば、他党なら議員を続けるような場合でも、公明党では翌日には議員辞職になるだろうと話した。
ゴールドマン退職から半年で国会議員になった。初当選した2012年の選挙は比例代表で、比例区は候補者名ではなく政党名で投票される。そのため自分の名前を売る必要はなかったが、「岡本という人間を当選させたい」と思ってもらうことが、結果として公明党への投票につながると考えた。そこで選挙期間だけでなくその前の半年間、北関東の埼玉や茨城などを朝から晩まで回った。朝は駅前に立ち、商店街を回り、午後は町内会の会合に出て、小さな集会を重ねた。議員になって今年で13年目になる。
連立離脱の理由——「自民党から離れたのではなく、政権から離れた」
国会議員として最も印象に残っていることとして、岡本は最近の自民党との連立離脱を挙げた。議員になったときからずっと与党だったからだ。
岡本の見立てでは、自民党も公明党も選挙で3連敗した。岡本自身は昨年の衆院選で勝ったが、党全体は厳しい結果だった。理由は二つあると岡本は考えている。ひとつは有権者の中でのブランドイメージが両党とも非常にネガティブだったこと。「悪いことばかりする自民党と、それに文句も言わずについていく公明党」というイメージで、投票の選択肢に入っていなかったのではないかという。
もうひとつは、良い政策を訴えても「ならなぜ今までやらなかったのか」「失われた30年のほとんどは自公政権ではないか」「政治家は結果責任ではないか」と受け止める人が多かったことだ。そこで岡本は、3連敗の責任の取り方として一度与党から野党に下がり、ゼロから政策を積み上げて次の選挙でもう一度信任を得る道を考えた。自民党にもそう持ちかけ、自民党の主要な人の中にも、遠回りに見えて政権に戻る近道ではないかと賛同する人がいたが、結局実現しなかった。だから自分としては、自民党から離れたというより政権から離れたという感覚だという。
野党になって驚いた「こんなにやりたいことができる」
野党の政調会長になって驚いているのは、政策実現の面でやりたいことが思った以上にできることだと岡本は語る。
背景には少数与党という状況がある。10月10日に与党を離脱するまで、岡本は少数与党の政調会長として、自民・公明だけでは予算も法律も通らないため、国民民主党や日本維新の会に賛成を頼みに回っていた。彼らの要求を受け入れると財源がかかり、予算が膨らむ。自分たちもやりたい政策があって財務省に求めると、「お気持ちは分かりますが、今回は国民民主のこれと維新のこれを飲むので、さすがに厳しい。今回は我慢してください」と言われたことが何度もあった。我慢の連続だったという。
ところが野党になると状況が逆になった。現在も自民党と維新だけでは法律や予算が通らないため、政府・与党はどこかの賛成を取りに来る。収録当日(12月16日)は補正予算が成立する日だった。公明党が補正予算の方向性を政府に提案したところ、政府から出てきた原案は公明党の提案を「コピペしたのではないか」と思うほどだったという。さらに予算委員会で首相に修正を求めると、できる限り応じてくれた。自分が自民党の立場でも、26年一緒にやって共通言語がある公明党をまず押さえに行くだろうと岡本は分析する。これは大きなサプライズだったという。
田内との関係については、岡本が財務副大臣だった頃、田内がゴールドマンを辞めて最初に出した本が公益性に沿いながら金融出身でなければ書けない提言を含んでいると感じ、連絡を取って大臣室に来てもらったと話した。
「弱者を助ける」ではなく「弱者を生み出さない」社会
今後の目標として、岡本は長期のビジョンと中期的な課題を分けて語った。長期的には、弱者を助ける政治ではなく、弱者を生み出さない社会をつくりたい。頑張った人が成功して豊かになり、格差が広がること自体はかまわないと岡本は言う。問題は格差ではなく貧困であり、セーフティネットも含めて貧困を生まない仕組みをつくることが大事だという。
中期的な経済政策について、岡本は自民党や国民民主党の公約にある「GDP1000兆円」という目標に疑問を示した。経済規模の数値目標のために国民の働き方を考えるなら、人を手段にしていることになるという。日本のGDPは世界4位だが、それでも豊かさを実感していない若い人は多い。
岡本によれば、経済学的に豊かさを示すのはGDPではなく1人当たりGDPである。1人当たりGDPは生産性であり、ざっくり言えば賃金、さらに言えば豊かさにあたる。トマホークに順位を尋ね、田内が「20何位か30何位」と答えると、為替で変動するが今はおそらく38位くらいだと示した。そのため公明党の経済政策の目標は1人当たりGDPの倍増だという。目的は人間で、経済政策は手段だというのが岡本の立場である。
政調会長の役割についても説明があった。党内には省庁に対応する部会(財務部会、外交部会、法務部会、経済部会など)があり、それぞれが政策や法案への賛否、修正を議論する。省庁を横断する課題には社会保障や安全保障などのプロジェクトチームがある。これらの最終的な決裁者が政調会長だという。田内は「会社の先輩だと思って軽く来たら、めっちゃ偉くなっていた」と笑った。
若い世代へ——「自分を過小評価しないで」
最後に、20〜30代の視聴者へのメッセージを求められた岡本は、「自分自身を過小評価しないでください」と語った。日本人は謙虚すぎて、それでチャンスを逃している。「挑戦してみませんか」と言われて「私にはまだ早いです」と遠慮すると、国際的な基準では「この人はできないのだ」と受け取られてしまう。やろうと思えばたいていのことはできるのだから、少し過大評価するくらいでいいという。
岡本は、若い世代の最大の特権は「根拠のない自信」だと考えている。「私ができなかったら、他に誰ができるんですか」くらいの姿勢で臨んで、グローバルではようやく対等になるのではないか、と。謙遜しすぎると実力がないと誤解されるので、チャンスを逃さないために自分を過小評価しないでほしい、というのが岡本の締めくくりだった。
バン友と。こんにちは。田内です。この本のPRができると聞いて騙されてきました。よろしくお願いします。
お願いします。ということで、自己紹介お願いいたします。
公明党政調会長、衆議院議員の岡本三成です。トマホークさん、田内さん、今日はよろしくお願いします。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
ということで、今度PR、騙されてきたって言ってましたけど、『お金の不安という幻想』、皆さん、この前の1、2話見た方はどんどん買ってるという噂を聞いてますが、引き続きよろしくお願いします。
ベストセラーなんでしょ?今まだ2ヶ月ですけど、5万部になりました。すごい。さすがだ。
その田内さんが岡本さんの、昔からのお知り合いみたいな感じなんですか?昔からの、実は僕ゴールドマン・サックスで働いていて。はいはい。僕もエクス・ゴールドマンなので、一緒に働いてた時期もあります。
2003年入社ですよね。それで僕はやめたのが最後12年なんで、だから9年ぐらいはかぶってますね。そんな長いこと一緒。ゴールドマンの時の岡本さんの顔も知ってるっていうことで、お互い昔のことは言わないようにしましょうっていう。
あ、田内さんもそういう顔が?いやいや、田内さんはもうマーケットのど真ん中にいましたけれども、いつもクールで冷静で素敵な感じでした。いや、それ本当逆で、僕はひどかったんすよ。え、そう?本当ひどかったんすよ。もう怒号が飛び交うところで。あ、そう。
岡本さんは、政治家になったからこういう話し口なのかなと思いきや、当時からなんすよね。昔からこんな感じでしたね。へえ。はい。
あんまりね、ゴールドマンで一人称が「私」って人少ないんすよ。「俺」とか多いんすよ。少なくとも社内にいる時は。はいはい。なんすけど、岡本さんは基本「私」がほとんどで、ごくまれに本当の岡本が出てくる時があって、その時「俺」になるんすよ。ちょっとその「俺」を引き出したいなと思ってます。ありがとうございます。
このチャンネルはその人生をインタビューさせていただくチャンネルなんですけども。はい。あの有名なトマホークチャンネルに出れて嬉しいです。いやいや、とんでもないです。口調が丁寧と言いますか、なんかやっぱりその育ちが結構良かったりとか?全然。ではないんですかね。
元々佐賀県で生まれてなんですね。で、公立の小中高に行き、大学で東京に出てきて、イギリスに留学して、一番初めはシティバンクってアメリカの銀行に入って、で、アメリカのMBAに行って、卒業してゴールドマン・サックスに就職をして、なんで金融はシティバンクとゴールドマンで7年と15年なんで22年。で、それでゴールドマンやめた半年後に国会議員になったっていう。すごい。すごい。
その佐賀、東京に来るって今ポンポンって話出てきたんですよ。佐賀から東京来て留学してって、やっぱいいとこの。違うんだけど、佐賀県人を軽くディスるのやめてもらって。佐賀から東京も来ますよ。
子供の時にもしユニークなところがあるとしたら、新聞めちゃくちゃ読む子供だったのね。うん。それで国際面を読むと、なんか佐賀県とか福岡県とは全然違う世界、広いところがあって、なんかすごく憧れみたいなのがあってですね。卒業記念で小学生の時に書きました、作文。将来の夢とか書きませんでした?僕、新聞を読みすぎて、将来の夢は世界をまたにかける男になりたいって書いてあるんですよ。おお。です。だから小さい時から国際的なところで自分自身を試してみたいって気持ちはすごくあったんだと思います。
え、GSってそういう会社ですか?まあ、もちろん世界。本当にもう小さい頃からの夢を叶えられ。なので振り返ってみると、きつかったんだけれども、ゴールドマン・サックス行って僕初めずっとニューヨークで、その時にクライアントが西海岸とかシカゴとか、僕ヨーロッパもカバーしてたので、そうすると1ヶ月のうちに2週間ニューヨークにいて、1週間LAとかサンフランシスコに行って、1週間ロンドンとかに出張してたんですね。それだけ聞くとなんか優雅な風に聞こえるけど、睡眠時間は移動の飛行機っていう、そういう生活をしていたので、あの当時はね。今はそんなブラックなことないと思うけど。けど振り返ってみると、俺が子供の時望んでいたのって、こういうことを経験したいってことだったなと思ったことあります。
ああ、確かに。創価学会についてお聞きしても大丈夫?もちろん。はい。いつ頃からその創価学会?僕はね、生まれた時に親が創価学会のメンバーだったので、もう物心ついた時には創価学会員になってた。あ、そうなんですね。もう自動で入るみたいな。そうだね。ああ。あ、創価学会の中学とかもありますよね。ある、ある。ではなかったんですか?行ってないです。公立で地元で。
え、高校ってどこ出られてますか?佐賀県の鳥栖高校っていう県立の。鳥栖高校。大学がその創価大学。そう、東京に出てきた。っていう理由はあるんですか?それ。
それはね、創価大学の基本的な創立の精神みたいなものに共感したところも多くて、大学時代に一番自分自身が何を身につけたいかと思った時に、人生でこの人たちと友人であることが自分の人生の一番の誇りであり宝物なんだっていう人たちと出会いたいなという思いがあったりなので行ったんですよね。ただこれが結構難しくてですね。難しいっていうのは、僕理系だったんですね。高校の時も理系・文系クラスって分かれるわけですよ。で、理系だったんだけれども、今は創価大学で工学部もあるんですが、当時は文系しかなかったんですよ。あ、そうなんですか。で、これがやっぱ悩んで、いや、俺基本的には理科系人間なのに文系はきついなと思いながらも、ただ創価大学行きたかったんで、創価大学に行って。はい。ただせっかく理科系国立クラスに来たんで、共通一次だけは受けたりして。あ、そうなんです。理科系人間でちゃんとできるなってことを確認しながら文化系に移動していったっていう。
へえ。創価学会入ってると行きやすいとかそういうのも?全くないです。そんなの全くないです。へえ。あと、そんなに偏差値めちゃくちゃ高い大学じゃないので、普通にちゃんとしてる人は合格できると。ただね、創価大学すごい面白いのは、ぶっちゃけ話しますね。はい。例えば東大通る人が僕の地元の大学をあえて選ぶことって普通はないですよね。普通はないと。うん。例えば慶應を通る人が、それよりはかなりランキングが下の私立大学にわざわざ行くことってそうそうないじゃないですか。
で、創価大学って、いい悪いは別にして、標準偏差を書くと、この真ん中のところは普通なんだけど、このテールにですね、普通の大学で大体こういう形になるんじゃないですか。そうじゃなくてね。このテールがあって、ここにいるんですよ。で、ここの10人から20人ぐらいは天才です。学力で自分この偏差値でこの大学選ぼうって、違う軸で選んでる。なんでこの子たちは普通に官僚になったり外資系行ったり、ゴールドマンもいっぱい取ってるんだけど、すごい子たちが中にいて、その子たちと交わるとやっぱり知的刺激もすごいあるし、面白いと。東大とか蹴って行ったりとかできるんですか?普通に僕の同期でも何人かいます。
あ、そうなんですね。それ大学内ではどういう活動を主にしてました?大学内では色々やったんですけれども、ちょっとだけ勉強して。あ、ちょっとだけ。そうだ、そこに話戻るから。言いたいんですか?例えばトマホークさん、田内さん、よく運も実力のうちだって言うじゃないですか。はい。ああ、はいはい。運も実力のうちだと思います?僕、あんま思い…思います。思う?田内さん思います?うん。ま、なんか運に感謝する感じはありますけど。うん。僕ね、結構極端な言い方をすると、運も実力のうちとは思っていなくて、運が実力だと思ってるんですよ。運イコール実力だと。あ、そうなんです。
で、その運って何かっていうと、僕の中では人間関係で。っていうのは、運ってある日突然神様が「君にこんなチャンスあるよ」って言わなくて、友達がね、「今度こういう人いるけど紹介するよ」とか「こういうことあるけどチャレンジしてみたら」って。僕はね、この人間関係こそが運だと思っていて、で、好きな人たちと一緒にいるのがすごい楽しくて。なんでゴールドマンの面接も田内さんも何人もやったと思うんですが、基本的にはもうそこには地頭のいい人しかいないので、もう最終面接に来ると何を見てるかというと、1日15時間、2人きりでなんか議論しなきゃいけない時に俺楽しめるかなって、もうそこだけ見てるのよ。あ、そうなんですか。
ゴールドマンのカルチャーが強いのは、ゴールドマンのカルチャーに近い人しか採用してないから。で、そこに話戻ると、大学の時に非常にお世話になった北政巳先生っていう経済の先生がいて、彼が学んでたのがグラスゴー大学で、グラスゴーはすごい素敵なところでという話をずっと聞いていたので、留学はずっと思ってたんだけど、グラスゴー大学にしようかなという風に思ってやってましたね。あとは大学の中でいろんなイベントがあったりする時にイベントをリードしたりして。創価大学以外でもイベント、学園祭とかをリードしてる人たちいるじゃないですか。多分ああいうこともやってましたね。
創価大学、学園祭あります?あります。創大祭って。もう普通の大学の?もちろん。それぞれクラブ活動が模擬店をやったりとか、なんかコンサートやったりとか、そんな感じです。ちなみにね、創価大学の学生には創価学会員じゃない人もいるから。だから別にリクワイアメントで宗教のクラスみたいな選択もないから。はいはい。創立者が創価学会の名誉会長だった池田大作先生で、創価大学って名前はついてるけれども、お坊さんを育てるとか牧師を育てるような学校じゃないから。あと創価大学ですごく面白いなと思った先生の1人に楠田先生っていうイタリア語の先生が、「岡本ちゃん、イタリア研究会立ち上げるぞ」って言われて、俺イタリア語話せないし第2外国語フランス語なのに、イタリア研究会の設立メンバーになったり。何をやるのも大事なんだけど、誰とやるかがすごく大事で。
僕ね、ずっと思ってたことあって、ゴールドマン時代も、ゴールドマンやめた後に何やろうかなと。で、今国会議員だけれども、うちの党って定年があるのね。だから定年を過ぎるとちゃんと勇退して次の世代にバトンタッチするんだけれども。え、定年があるんですか?あります。今のルールでは65歳を超えたら公認はしないと。へえ。そうすると衆議院だと任期最大4年なので、ギリギリ65歳で公認されたとして任期いっぱいだったら4年経って69歳、つまり70代の議員は基本いません、うちは。へえ。例外で1人今いるのかな?国会議員で。けどいないので、要は終わった後何しようかってやっぱ考えるわけですよね。仕事は何でもいいので好きな仲間10人から20人ぐらいとなんか仕事しようと。で、1日8時間とか10時間とか、何をするかじゃなくて誰とするかが、僕は人生の価値であり、自分自身を豊かにすることだと思ってるので、仕事は何でもいいと。
はい。本当ここに座る仕事でもいいんですか?こっち側に。もちろん、もちろん。仕事はじゃあトマホークさんの助手でも何でもいいんだけど、トマホークさんに僕今日初めてお会いしたんですけど、素敵な人なんで。ま、頑張ればね、10人から20人ぐらいでちゃんとした人が集まれば食っていけるんですよ。それぐらいの人数でゴルフするだけとか飲むだけだと飽きちゃうじゃないですか。なんか仕事、社会に接してる何か。そう、そう、そう。やろうと思って人探してたからちょうどいい。そんな。あの友達10人連れていきます。これ大きな会社にしましょう。
グラスゴー大学に留学されたのって何年生ですか?大学4年。あ、4年生でも就活終わった後ですか?就活してません。帰ってきて、だから1年ダブって5年行ってます。あ、そうなんです。はい。え、4年生で留学の理由ってあるんですか?うーん。3年までいろんなことをやっていて、グラスゴー大学行きたかったこともあったんだけれども、自分自身の中でグラスゴー大学のリクワイアメントまで行ってなかったし、そのリードしてくださった、すごい尊敬してる恩師の北政巳先生っていう教授の先生が色々アレンジしてくださって、行けるようになったのが大学4年の時だったと。
ああ、はいはい。ちなみにその金融に入られた理由って、お金稼ぎたいみたいなのがあったんですか?これはね、そのロンドンでバークレイズとかシティとか行った時にね、あ、グローバルだなと。うん。はい。つまり仕事さえスキルとして身につけば、ロンドンでもニューヨークでも香港でも東京でもどこでも行けるなと。なんですごくそうやって自分の選択肢が増えるなと思ったのが1つと、あと20ちょっとぐらいでね、普通に「はい、じゃあ10本ロング」とかって言って1000万ドル買いに行ったりしてるわけ。すごいなと。ちなみに1本っていうのは1ミリオンドル、1ミリで100万ドル。100万ドルのこと。普通に20歳ぐらいの人が。為替でバークレイズってすごい有名で、僕1番初め為替のトレーダーやってたんだけど。あ、トレーダーなんですね。100本とか普通にみんな売り買いしてて、自分の人生で1万円とか払ったことあるけど、100億円とか払ったことないじゃん。はい。楽しいだろうなと思って。ああ。そういうのもありました。
え、実際その最初のシティバンクはグラスゴー大学にいる時に内定いただいたんじゃない?グラスゴー大学にいる時に面接に行って、グラスゴー大学を出る時にはもうシティとバークレイズはオファーをもらっていて。で、ただその後東京に1回帰ってきて就職活動やった時に、東京の人にも会ってくれって言われて、東京でも面接受けたんだけれども、だから最終的には東京で内定もらったので、東京に帰ってきたと。グラスゴーにいる間に内定ではないです。ああ、そうなんですね。やっぱでも1年の新卒の人数ってそんな多くないですよね。僕ね、シティは多分すごく多くて、それでも7人だった。そう、7人。多分ゴールドマンとか2人とか3人じゃない?バークレイズも2人だった。
ええ、そう。シティバンク時代になんかすごい活躍されたみたいな。これラッキーパンチです。ラッキーパンチ。あのフェニックスアワードでしょ?僕が1990年代前半っていうのは、多分全世界で行員7万人ぐらいいたんですね。うん。不動産が悪くて金融機関の景気が悪くなった時があって、その年に最もシティのブランディングを回復して新たな成長に転換するようなディールをした人を上半期下半期1人ずつ選ぶっていうプロジェクトがあって、ジョン・リードっていうものすごい有名なシティバンクの会長が、これもう金融機関のドンみたいな人。ジョン・リードが上半期下半期1人ずつ選ぶ。1995年が僕だった。で、日本人で初めてフェニックスアワードで。
で、それはね、たまたまラッキーパンチで、私が担当していたクライアントがいるの。そのクライアントがカナダでショッピングモールの不動産開発をやってたわけ。で、それがお金も貸し出してるので、シティバンクの焦げ付きの不良債権になったと。うん。で、これを全部レイオフしてしまってカットオフすると、そこのショッピングモールもなくなっちゃって雇用も何千人分なくなって、地元からやっぱり、みたいのあって、で、これを解決するためにそこを証券化っていう手法を使って、その持っている債権を若干目減りはするんだけれども、100よりはもうちょっと安い価格で売って、だから実損も出るんだけど全部が損失にならない。しかもここは新しくコストが下がった形で始めてるからこのショッピングモールは。で、そこをやったのがものすごい業界的には革新的なトランザクションだったわけ。それになぜ僕が関われたかというと、そこのエクイティオーナーがある日本の大きな商社だったので、そのプロジェクトの担当だったんで。僕がやったんじゃなくて、そのプロジェクトが評価されてたまたま担当者が僕だったと。だからこれもラッキーパンチなんだよ。運も実力のうちだ、これが運なんだけど、実力かっていったら、運があったから実力だと。ああ、はいはい。
経済学部でしたけど、ちゃんと理解できました?あ、全然わかんない。だから、ラッキーパンチです。ラッキーパンチだった。ただね、これすごいなと思ったのは、その副賞の1つが、ジョン・リードが手紙をくれるのね。で、一緒に食事に行けるわけ。天下のジョン・リードと。はいはい。で、そこで。いわばイーロン・マスクみたいなもんですよね。そう。すごい。それでね、覚えてるんだけど、いや、もうなんか君がいればシティの未来は明るいとかって言われて、すごいいい気持ちにしてもらったの。すごい覚えてます。それ言われたらもうこのままシティバンクに骨をうずめたくなっちゃいません?けど僕はその瞬間に、あ、だったら俺どこでもやっていけるんだなって思っちゃったの。ああ。それで。なるほど。
周り見たらみんなビジネススクール行ってるから、一旦ビジネススクール行こうと思って、ノースウェスタン大学のケロッグっていう。これ視聴者の皆さん、日本でも有名なビジネススクールいっぱいありますから。ケロッグは本当に素晴らしいので、ビジネススクール行く方、本当に素晴らしいので、ウェルカム・トゥ・ケロッグなんですが。ケロッグ行って、その時にありがたいことにジョン・リードとかその人たちが「君のためにプログラム作るから社費で行ってくれないか」って言ってくれて。おお。すごいありがたいなと思ったけど、その後の自分自身の職業の選択肢も広げておきたかったんでお断りして、ビジネススクール行ったと。へえ。
で、それでビジネススクール出た後にゴールドマン?ビジネススクール出た時に、シティで7年働いてたんでサマージョブをノンプロフィットでやろうと思って、世界銀行でやろうと思ったんです。ほう。DCで。で、途上国に対する投資、IFCとかやろうと思ったんですけれども、1年目に妻が妊娠したんですね。はい。ギリギリの金額でやっていたのに、アメリカで出産するとね、1万ドルぐらいかかるわけですよ。で、そのお金がないと。で、世界銀行ってサマージョブに給料が出ないのね。世界銀行。世界銀行。はい。それはきついな、なんとかしなきゃと思って、就職課に行ったら、サマージョブ、ゴールドマン・サックス1ヶ月6000ドルって書いてあって。2ヶ月働けばいける。働けばいけるなと思って、ゴールドマンでサマージョブやって、長女がめでたく生まれたと。なるほど。へえ。ああ。
サマージョブから引き抜かれたみたいな感じなんですかね。サマージョブはみんなそういうものです。そう。で、サマージョブから取られることもあれば、普通に面接だけで取られる場合もあるし。インターンとかもうちょっと短いのだった?そう。なんか僕のイメージ、インターンから引き抜かれる人少ないイメージ。あ、けどね、それは多分いろんなやり方があって、日本の支店の場合は多分ものすごいインターンの数もあるんでしょ?わかんないけど、多分そのインターンっていうのも最近は学生さんにゴールドマンを知ってもらいたいために2日間だけのインターンとか。僕ら3ヶ月だから。インターンだからもうバイトなわけで、それは多分お互いお見合いをしてるの。こっちもその仕事楽しめるかなとか、向こうもこの子向いてるかなっていう。なんでビジネススクールのインターンは大体2ヶ月か3ヶ月。うん。はあ。
僕ね、感動したのは、新入社員の入社の時に80人ぐらいいたんだけれども、ジョン・コーザインっていう当時の社長で、その後ニュージャージー州知事になった人と、あとヘンリー・ポールソンって言って、その後ブッシュ政権の財務長官になった人がいて、この2人がですね、こう来て、ヘンリー・ポールソンに「What's up、岡本さん」って言われたわけ。で、僕ね、この人僕の名前知ってると思って。多分ね、前の晩とか当日の朝にその80人分をぶわーっと見て、多分その1時間だけ頭に刻み込んだと思うわけ。メガバンク、どっか三菱に就職して、頭取がさ、入社で「岡本さんご機嫌いかがですか」って絶対ないじゃん。確かに。そうね。社長に名前呼ばれた瞬間に一生ついていきますと思って。ずっと言われていたのはもうリレーションシップ、リレーションシップ。うん。金融商品には特許はないんだと。トラストと信頼関係なんだと。うん。天下の金儲けの究極にいるゴールドマン・サックスの経営陣が常に言うのが、リレーションシップ、チームワークだよ。へえ。
カスタマー・カムズ・ファーストっていうのが、ゴールドマンの理念の1番始めに来るんですよ。お客さんのために僕らは。これもね、新入社員の時にジョン・コーザインが80人ぐらいの前でですね、「ゴールドマンのこともっと知ってるか」と。で、みんなもうなんか「はい、私プリンストンで暗記力抜群です」みたいなやつが、「Customers' interests always come first」とかね、「Teamwork is more important than individual」とかわーっと言うわけです。ガーっと。うん。で、終わった後に「それは何のためかわかるか」っていう風に言ったら、そのお利口さんみたいな人が「いや、なんかお客様のことを」なんとかって言ったら、そのジョン・コーザインが笑いながら「君はstupidか。この会社はキャピタリズムのど真ん中にいるんだ。この全ての目的はたった1つ、その方が儲かるんだ」っていうんですよ。ほう。で、それでみんなストンと。つまりね、ゴールドマンのお客には個人、素人はいないと。全部プロなんだと。うん。素人だったら騙せるかもしれないと。プロなんだと。1回は騙せるかもしれないけど、5回10回は騙せないと。だったらお客に好まれて、あなたと仕事をしたいと思わせるのが1番儲かるんだっていうわけ。
すげえなと思って。なので、ここに10人いるとするだろうと。で、君だけがものすごい優秀だと。100稼げると。後の9人は全然稼げないから例えば10だと。これ全部で100と90で190だろうと。君がやり方をちょっと教えて、君の時間がちょっと取られるんで君の儲けはちょっと減るけど、10儲けてたのが20になったら、こっちの方が大きいじゃないかと。チームワークの方が絶対儲かるんだっていうわけ。天才だなと思って。
で、最終的にMDでしたっけ?MD、はい。マネージングディレクターまで。2005年。何年目ですか?じゃあ2005年だから7年目。7年目で。多分ビジネススクールから出るとアソシエイトやってバイスプレジデントやって、MDになるの1番早いのが7年なのね。基本形は。たまにすごいリーダーとかいますが、普通にその投資銀行部に入ると7年だったんで、クラス・オブ・98でMDになったの1番早いのが2005年で、ラッキーパンチでそこにいる。ラッキーパンチ。またラッキーパンチで。運も実力のうち。運も実力のうち、そういう回収か。なるほど。
2005年にMDになった頃に、ちょうど僕は入社2年目、3年目ぐらいで、ちょうどそれぐらいから一緒にお仕事させてもらうんですけど、僕はペーペーなわけですよ。優秀なペーペーね。いや、優秀な若者。おお。例えばどういう仕事をするかって言うと、岡本さんは、お客さんがいて、お客さんは新しくお金を調達したい、債券を発行する側なんすよ。で、僕はそれを買ってくれるお客さんのために間にちょっと入って値段をつけてあげたりするようなトレーダーだった。
日本で初めて40年債っていうのを。あ、どうぞ。え、どうぞ。あ、僕なんですよ。日本政府に貸す30年の金利はあるんだけれども、そうじゃない民間の会社に貸さなきゃいけない、かつ40年。40年の、今まで取引したことがない商品の値付けしなきゃいけないって時に、こちらは発行する側、借りたい側で、僕らはその貸したい側に対して値段をつけてあげるような。で、一緒にお仕事。これは面白くてですね、全く世界にない商品を作りに行くので、あれはなんか知的刺激と新しいものを作る高揚感と、楽しかったですね。ありますね。だって日本の政府だって30年までしか借金したことないのに、民間が40年借金しようとするのを、どれぐらいの金利が適切かっていうのをみんなで考えるっていう。で、それを買う人も必要なので、買う人も納得できるような理論にしなきゃいけないわけじゃない。あれは楽しかったですね。
ネット情報をかき集めた情報になるんですけど、ゴールドマン・サックスで最終的にその公共インフラ投資部の日本統括。そうですね。をされてたんです。それどういうことされるんですか?それ1番は、いわゆるクライアントが公的機関なんですね。だから財務省であったり地方自治体であったり政府系なんですね。で、グローバルにはこのやっている仕事の1番の仕事はインフラ投資なんですよ。はい。だから例えば空港の運営権に投資をしたりとか、港湾の運営権に投資をしたりとか、高速道路に投資をしたりとかっていうのを、年金のお金で、自分のところで投資をするみたいなことを全体ではやっていて。はい。で、日本でそのビジネスをやっていて、その責任者だったと。へえ。
これもちょっとネット情報になっちゃうんですけど、その次期社長の候補みたいなのに選ばれ。それはね、ちょっと俺が言ったんじゃないんだけど、要はね、前社長だった、こないだやめた方が、この方がいつも本社の社長に言われていたのがね、「もし君が病気になる、例えば事故に遭う、その時の次の社長をちゃんと育てることも君の仕事だ」っていうのを、多分彼も2000年ぐらいからずっと言われてたの。去年やめるまでずっと。はいはい。で、多分ご本人はやめるつもりもなかったんだろうけれども、コンティンジェンシープランをやんなきゃいけないという風に思って、投資銀行部の中で多分7人だか8人を訓練するからって言って、定期的に集まって訓練という名の飲み会をやったりして、そういうのをやってた中に、キャピタルマーケットからも誰か呼ばなきゃっていうことで僕が呼ばれて行っていたと。へえ。だからそれはもう彼の、ある意味言い訳作りで。はい。ちゃんと自分がどうかなった時でも次を育ててそのプールは作ってありますからっていう、言い訳のためのチームの1人だったっていう。あ、そうなんですね。
でもなんか、さっきの「それは会社のため、会社が儲かるためなんだ」って時にすごい乗ってたから、やっぱ心の中でそういうの思ってると思うんすよ。うん。で、なのになんで政治の世界にっていうのは。ああ。結局よしやろうと思ったのは2つ理由がありましてね。1つは、アメリカの同時多発テロ、ナインイレブンの時にゴールドマンのニューヨークで働いてたんですね。はいはい。で、2機目の飛行機は僕の目の前で突っ込んでいったわけ。おう。で、ワールドトレードセンターが倒壊をし、歩いて家まで帰り、あんだけ勢いのあったニューヨークがダークシティ、ダーティじゃなくてものすごいダークシティになって、町に活気がない、笑顔がない、覇気がないと感じた時に、こういう社会は嫌なんだっていうのをずっと思って。で、それに対してやっぱり政治の役割大きいなと思ったので、目の前でああいう風なものすごい事件があったことはすごく大きかったんだけれども、もう1個あってね。はいはい。
ゴールドマンってやっぱリーダーを輩出する会社だみたいな気持ちがあるので、ゴールドマンをやめた後にパブリックセクターに行く人いっぱいいるんですよ。うん。例えば今のカナダの首相のマーク・カーニー、これ同じ年なのね。で、ゴールドマンにいて、マークがいて、で、しばらくするとゴールドマンやめると。どうすんのって。いや、カナダの中央銀行の総裁になるんだっちゅうわけ。マジかと。で、その後彼はイギリスの中央銀行の総裁になって、で、今カナダの首相やってるんだけれども、社長はよくアメリカの財務長官になっていたし、僕MDになった時、メンターって言って自分の先輩と紐付きで何かあったらその人に相談するっていうのがゲーリー・コーンって言って、ゲーリー・コーンは第1次トランプ政権の国家経済会議の議長になったのね。というようにパブリックに行く人がいっぱいいるわけ。うん。へえ。
なので金融の仕事って政治とかパブリックに役に立つんだなと。だってやっぱり国会議員がどういう財政政策をするか、金融政策にどういう風にアドバイスするかって、やっぱり国全体をリードしていくので、金融のバックグラウンドを持ってるような人が政治にいることって、全員じゃなくてもいいんだけど一部いるのって大事だなと思って。うん。はいはい。ま、22年もやってたら人よりはちょっと知見あるなと思っていいんじゃないかなと思ってですね。
なんか引き止められたりとかはなかったですか?これがね、あったんです。ありがたいこと。これが人たらしゴールドマンの恐ろしいところで、当時社長だった、去年やめた方がですね、当時のうちの代表の山口那津男さんていう人を。代表。そう、そう。「ちょっと話があるから会わせてくれないか」。僕はその社長にやめたいと思うんですと。はい。で、こう来ると、六本木ヒルズに山口さん来る、社長、僕で。この社長が山口さんにですね、「いや、岡本さんの話聞きました。目をかけて色々やってたんだけれども、けど本人がそう決めたんであれば、ゴールドマン・サックスというのはリーダーを輩出する会社なので、世界でも政治にも中央銀行にも財務省にもいっぱい行ってるので、日本からもゴールドマン・サックスでしっかり働いてくれた人が政治の世界で活躍するのはすごい喜ばしいと思います。応援しますよ」って言ってくれて。山口さん「ありがとうございます」と。その社長がですね、「負けることもあるでしょう」と。うん。「負けたらゴールドマンに返してもらえませんか」って言ったわけです。で、僕ちょっとね、うるっと来ちゃって。だって普通の外資系の会社ってドライだから、やめるって言ったら「ここまでよくしてやったのにそれを後ろ足で砂をかけるのか」みたいになってもおかしくないのに、負けたら返してくれって言われて、なんて素敵な会社なんだと思って。はいはい。
で、ぶっちゃけ選挙ってお金かかるわけですよね。うん。てかお金がないと基本出れないって思った方がいいんですか、やっぱり。うん、公明党っていうのはですね、ガバナンスがしっかりしてるので、個人がかかるお金っていうのは多分ほとんどない。ああ。お。だから党が応援してくれる代わり、ガバナンスもきついわけ。これはやっちゃいけない、あれはやっちゃいけないと、法律では認められていても党の内規で認められてないものはたくさんあるわけ。なるほど。ま、定年とか。定年もそうだし、だって党では定年はあるけれども、別にそれって1人1人の参政権なわけだから、立候補できる被選挙権みんなあるわけじゃないですか。あとなんかちょっと変なことやっちゃったら、多分他ではそのまま残っても、うちはもうその次の日に多分議員辞職とか。はいはい。お金の問題でも異性関係でもすぐ辞職です。へえ。
その選挙費用は出してもらえるもんなんですか?あ、なので選挙費用も何にかかるかって言うと、例えば車を借りると車のリース代とかガソリン代とか、そういうもので自分である程度負担するとこはあるんですけれども、実は初戦の時というのは、これ内規で、初の時はある程度党が応援してくれるんですね。うん。それだって金ないから。ただ現職になると、現職で歳費、給料もらってるわけだから、その中でちゃんと貯金してっていうことで、党が支援してくれるのもあるけれども、すごいミニマムなんですけど。そんないきなりお金なんか出ないじゃない。
ゴールドマンやめられてから国会議員になるまでの期間ってどれぐらいだったんですか?半年ぐらい。え、そんなすぐ受かるんですか?やめられて半年間で知名度ももう一気に伸ばさないとダメみたいな感じですかね。あのですね、1番初めは、衆議院の選挙の制度って小選挙区比例代表並立制ってわかります?要は衆議院の選挙行くじゃないですか。1枚目に個人の名前を書いて、2枚目に政党名を書くでしょ。はいはい。それが多くの政党は1枚目で自分も立候補、小選挙区にするんだけれども、ここで落ちた人がバックストップで勝ち上がってくるのが比例区みたいになっていて。我が党ってここが完璧に切り分けられていて、小選挙区で選挙に出る人と比例区で出る人は人が違うんですよ。うん。で、前者は名前を書いてもらわなきゃ通らない。後者は自分の名前は無効票になっちゃって政党名だけ。で、僕1番初めに出た2012年っていうのはこの2枚目のここだったので、公明党という2枚目の票が多ければ、私が名簿順位に即して通るっていうものだったんで、名前をバーっと売らなきゃっていうことじゃなかったんですね。
はいはい。公明党と書いてもらおうと思ったら、公明党というものを売るよりは個人をやっぱり売った方がインパクトがつくので。そうかと、だったらよしと、岡本っていう人間を当選させてやりたいなと。なんで当選するためには、この仕組みの中では岡本って書いちゃダメで、公明党って書くんだと思っていただいて、それを説明して。なんである程度名前を売るために、選挙期間だけではなくてその半年は朝から晩まで、北関東と言って埼玉、茨城、もうぐるぐる回って、もうミニ会合をどんどん。もう朝は駅前に立つわ、商店街を回る、午後は町内会の会合に行くわっていうのをずっとやってました。うん。へえ。議員になられて今が何年目ぐらい?
13年目です。13年目で。え、あっという間だよね。あっという間っすか?国会議員になってから印象に残ったこととかってあります?1番印象に残ってることとか。
最近ですね、自民党と政権を一緒にしてたのを、連立を離脱したんですね。これ僕の中にとっては、もう議員になった時に自公が基本でずっと与党だったから。はいはい。要はずっと自民党とやってたんだけれども、選挙で3連敗したわけです。去年の衆議院選挙、僕は勝ったけれども、党全体としては自民党も公明党も3連敗。で、この理由は色々あるんだけれども、僕の中では大きく2つの理由があると思っていて、1つは国民、有権者の皆さんの中のブランディングイメージが、自民党・公明党と共にすごいネガティブで、こんなイメージだったと思うんですよ。悪いことばっかりする自民党と、それに文句も言わずヘコヘコついていってる公明党と。こういうイメージで、投票する選択肢に入ってこなかったっていうのがあると思うんですね。うん。
で、もう1つ、いろんなことを訴えていく。そうすると田内さんとかいろんな人からですね、政策なかなかいいなと。うん。だったらなんで今までやんなかったんだと。うん。なんだかんだ言って失われた30年のうちほとんど自公政権じゃないかと。政治家って結果責任じゃないのかっていう思いを持ってらっしゃる方がすごく多くて。だから僕はこの3連敗の責任の取り方っていうのは下野、つまり与党から野党に一旦身を引くと。うん。そしてまたゼロから政策を積み上げる中で、次の選挙で訴えてもう1回信任をいただくのを探そうと思って、自民党にもそういうことを持ちかけて。自民党の主要な人の中でも、一旦下野した方が、それが遠回りのようで、またちゃんと仕事をさせていただくポジションに帰る近道じゃないかという人もいて、結局それはダメだったのね。なので自民党と離れたとかというよりは、僕は政権から離れたっていう感じなの。
で、今野党の政調会長になって何にびっくりしてるかって言うと、こんなにやりたいことができるんだと。政策実現という意味で。なんでかって言うと、今ってね、少数与党なのよ、今も。はいはい。なので、自民党と維新だけでは法律とか予算も決められないのね。なので誰かの賛成を取りに行かなきゃいけないわけ。うん。で、僕も10月10日に与党を離脱するまでは少数与党の政調会長で、予算・法律を決めるのも自民党と公明党だけじゃ決められないから、他の政党に賛成をお願いしに行くわけ。ある時は国民民主党にも抱きついちゃったりして、何でもしますから賛成してくださいみたいな。ある時は維新で。で、彼らが言うことを実現するためには結構財源もかかるし予算も膨らんでいくと。で、自分たちもやりたいことがあるので、財務省に「いや、次の予算にはこれを入れましょう」というと、財務省の人が「いや、気持ち分かるんです。けど今回国民民主のこれ、維新のこれ飲むでしょう。こんなに膨張しちゃって、もうさすがにきついので、今回は我慢してください」と言われたこと何回もあります。我慢の連続なんですよ。
で、いざ野党になる。うん。で、今回、今日補正予算が通るんですよ。はいはい。今日実は今もう参議院通ったのかな?今撮影って12月16日なんですが、補正予算を通すと。で、これ補正予算通すまでに、こういう補正予算を基本に作るという風に政府に提案をすると、政府から出てきた叩き台がもううちの提案コピペしたんじゃないかなっていう感じになってるわけ。うん。で、それだけでも足らないので、予算委員会の中で総理にこれはもうちょっとこうして、ここはこうしてって言ったら、できる限りのことをこうすると。我慢しなくてもいけるなと。なんでかって言うと、与党だけでは通らないので、どっかの賛成を取りに来ると。僕が自民党でもね、まず公明党を抑えに行きます。うん。だって26年も一緒にやってるから、もうある意味共通言語が存在してるので。うん。ぐーっと来ると、こんなにやりたいことができるんだっていうのがめちゃくちゃサプライズです。お。だから今はすごいありがたい。
岡本さんあれですね、財務副大臣とかされて。うん。あ、そう。財務省来ていただきましたね。ありがとうございました。あ、そう。そこでも関わりあったんですか?あ、いや、遊びに行ったんです。田内さんすごく、ゴールドマンやめて初めての本出されて、その本がすごく公益性に沿ってるけれども、金融マンじゃなければ書けないような提言、すごいなと思って、何かでご連絡させていただいたりして、事務所に来ていただいて。
はい。へえ。今後その政治界で目標とかあったりするんですか?やりたいこととかあったりするんですか?うん。大きなビジョンみたいなのと中短期的にやるべきことってあって、僕、大きなビジョンとしては、弱者を助けるような政治ではなくて、弱者を生み出さないような社会を作りたいと思ってるんですね。はいはい。格差は広がっていいと思う。頑張ってる人が成功して豊かになっていくのは僕大賛成で。けれども問題はこの格差じゃなくて、ここの貧困を、貧困じゃないところに、セーフティネットも含めてちゃんと作っていくっていうのが大事だと思ってるので、そういう社会を作りたいんです。
で、その上でもうちょっと具体的に経済学的に言うと、例えばね、自民党や国民民主党の公約の中に、GDP1000兆円を達成しますってあるんですよ。はいはい。で、僕それはいいけれども、それってGDP1000兆円というその経済的な数の目標のために国民が働くことの手段を考えるんだったら、人を手段にしてるじゃないですか。うん。そうかなと。だってGDPだったら日本、今全世界第4
位ですからね。けどそれが大きくなったって豊かさを感じてない若い人が多いわけで。で、豊かさの象徴は経済学的に何かって言うと、それはGDPではなくてGDPパーキャピタ、1人当たりGDPなんですね。
GDPパーキャピタって経済学的に言うと生産性なんですよ。で、もうちょっと丸めて言うと賃金で、それをもうちょっと丸めると豊かさなんですね。つまり1人当たりGDPが増えると豊かさが増えていくわけです。これ世界第何位だと思います?
GDPは世界第4位。総額は。じゃあ1人当たりのGDPは世界第何位だと思います?
うわ、やべ、僕外したら怒られます。考えたことなかったんすね。20何位でしたっけ?
近いけどちょっと違う。
30何位?あ、違いました。
あの、為替が動いてるからね。ただね、今だと多分38位ぐらい。
へえ。
なので僕は経済政策は、我が党の経済政策の軸は、GDPパーキャピタ、1人当たりGDPを倍増するのが目標なんですね。それは目的が人間で経済政策は手段だから。長期的には弱者を生み出さないような社会を作っていく。ただ中期的には1人当たりGDPを最大化して豊かさを最大化すると。
はあ。ちょっと話変わっちゃうんですけど、政調会長って党でどういうことされてるんですか?
政調会長は政務調査会の会長で、要は政策を作る責任者なんですね。なので我が党の中にまず部会って言って、国でいう役所に対応しているグループがあります。例えば財務省担当は財務部会、外務省担当は外交部会、法務省担当は法務部会、経産省は経産部会って言って、ここで例えば財務部会は財政政策を考える、経産部会は経済産業省の政策を考えるんですけれども、法律も色々出てきます。
その法律を賛成するか反対するか、またどういう風に修正するかって議論する、それぞれの部会の判断を最後決裁する時の最終決裁者が私なんですね。で、役所にそれぞれ繋がらないような、もうちょっと横串を刺したことが大切なようなプロジェクトチーム、例えば社会保障をどうするかというプロジェクトチームであったり、安全保障をどうするかというプロジェクトチーム、そのプロジェクトチームも含めて最後その政策にゴーサインを出すかどうかの責任者が僕です。
僕あの、呼ばれて会社の先輩だなと思って軽く来たんですけど、めっちゃ偉くなってました。
偉くないよ。偉くない。会社の元同僚なんで偉くはないです。
めっちゃ偉くなってて。じゃ、最後にですね、このチャンネルの視聴者層が20〜30代ぐらいの若者層で、学生とかも多いんですけど、そういう層に向けて何か一言、何でもいいんでもらえたりしますか?
ありがとうございます。自分自身を過小評価しないでくださいと。特に日本人は謙虚すぎる。で、謙虚すぎるとチャンスが逃げていくんですね。
例えばですね、これやってみませんかって、チャレンジしてみませんかって言うと、例えばトマホークさんだったら、それできるんだけど、いや、ちょっと私にはまだ早いですって言って遠慮すると、そうか、できないんだこの人はって思っちゃうんですよ。国際基準的には。大体できますから。やろうと思ったら。
なのでちょっと過大評価するぐらい。僕ね、若い世代の最大の特権って根拠のない自信だと思うんですよ。何の根拠もないのに、いやいや僕ができなかったら他誰ができるんですかみたいな。で、これぐらいの姿勢で行ってグローバルにはちょうどイコールフッティングになるんじゃないかなと思っていて、謙遜しすぎると力がないって誤解されちゃうので、とにかくチャンスを逃さないようにするために自分自身を過小評価しないと。できますから。
けどすごいね。こんなにさ、人気のチャンネルになってたらもうちょっと慣れてて、ちょっと横柄に振る舞ってもいいのに、なんでそんなさ、誠実が歩いてますみたいな雰囲気を未だに保ててるのすごいね。
いや、なんかそうすね。ちょっと横柄になると何かめちゃめちゃ失いそうな感じがして。
それも一緒、同じなのよ。
ほんまですか?
あの、ちょっと政治に興味があったら我が党から是非。トマホークさんって今刻みました。ありがとうございます。
今日は長い時間ありがとうございます。ありがとうございました。ありがとうございます。
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