総裁選に4度敗れた石破茂前首相が語る、総理大臣の孤独と日常、そしてコメの未来

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概要

自民党総裁選に4回挑んで敗れ、5回目で総理大臣になった石破茂氏に、YouTubeチャンネル「トマホーク」がインタビューした。聞き手には、著書『お金の不安という幻想』のある田内学氏も加わっている。石破氏は総理を目指して周到に準備してきた人物としてではなく、「まさか総理になるなんて思いもしなかった」議員として自らを語った。そのうえで、総理の職が日本でいちばん精神的な負担の大きい仕事だったこと、官邸での生活の実情、そして在任中も関わったコメ政策への問題意識を話している。

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電車の運転士に憧れた少年から国会議員へ

石破氏が子どもの頃になりたかったのは電車の運転士だった。母親に偉人伝を読み聞かせてもらったというネット上の情報を向けられると、「怖かったな」と笑って振り返った。

政治の道に入った経緯は年齢を追って語られた。24歳で親を亡くし、26歳で政治家の事務所で修行するために銀行を辞めた。27歳で鳥取に帰り、2年ほど選挙活動をして、29歳だった昭和61年に国会議員になった。今年で議員生活40年になるという。

「大臣を2、3回やれたらいい」から総裁選へ

29歳で初当選したとき、石破氏は総理になれるとも、なるとも思っていなかった。鳥取県から国会に送り出してもらったのだから、できれば大臣を2回か3回務められればいい、という程度の考えだったという。

ところが、若くして大臣になり、党の政調会長にも就いた。政調会長になったのは53歳くらいだったと本人は記憶している。鳥取県の有権者のおかげで一度も落選せず、防衛庁長官のときには自衛隊のイラク派遣や有事法制に携わった。目立ちたかったわけではないが、目立つ仕事だったと石破氏は言う。農林水産大臣のときには、コメの生産調整(減反)をやめるべきだと主張した。国がそれまでやってきたことと違うことを言ったため、それなりに注目されていたという認識だ。

初めて総裁選に出たのは、福田康夫首相が突然辞任したときだった。石破氏はその内閣で防衛大臣を務めていた。所属していた派閥(石破氏は「橋本」と呼ぶ)からは領袖が出馬せず、党内には「麻生さんがやればいいんじゃないか、なんとなく強そうだし」という空気があった。これに対し、当選1、2回の若手が「派閥からも誰か出るべきだ」と主張し、当時当選7回ほどだった石破氏が出ることになった。結果は最下位だった。

次は安倍晋三氏と争った。党員票は石破氏のほうが圧倒的に多かったが、国会議員票は安倍氏が上回った。安倍氏が総理になり、石破氏は自民党幹事長になった。その後も挑戦を重ねたが、4回とも敗れた。「普通は諦めるよな、その辺で」と本人も言う。

4回目の最下位と、5回目の決断

鳥取県にゆかりがあり、ずっと石破氏を応援していたという聞き手は、4回目に敗れたとき「もうこれはダメだな」と思ったと打ち明けた。石破氏も「そう思うよね。申し訳ない」と応じている。

聞き手が4回目もかなり票を集めていたのではと尋ねると、石破氏は否定した。1位が菅義偉氏、2位が岸田文雄氏で、自分は「圧倒的最下位」だったという。鳥取県の人たちにも、自分を推してくれた国会議員にも迷惑をかけたと感じ、もうやめようと思っていた。

それでも5回目に挑んだ理由として、石破氏は世論調査を挙げた。岸田首相が退く時期に「次の総理に誰がいいか」を調べると、自分が1位になっていた。本人は、新しい人にやってもらおうと思っていたという。しかし地元では、総理になってほしくて応援してきたのに辞めてしまうのか、それなら新しい人を立てろ、という声もあった。鳥取県から総理が1人も出ていないのが悔しいという県民の思いに応えなければならないと考え、世論調査でも1位か2位であることから「もう1回やるか」と決めた。

石破氏は、ギネス記録を狙ったわけでも、やけになって出たわけでもないと説明する。5回目なら一度やらせてみるか、と考える国会議員もいた。決選投票で高市早苗氏と争い、石破氏が選ばれた。

誰にも相談できない仕事

総理になって何が変わったかと聞かれ、石破氏はまずブログを更新できなくなったことを挙げた。忙しさに加え、総理大臣という立場では自分の好きなことを書くわけにいかない。

石破氏が最もつらかったと語ったのは、24時間365日、国の全責任を背負うことだった。防衛大臣や農林水産大臣のときは、判断に迷えば「どちらの結論がいいでしょうか」と総理に相談に行けた。しかし総理大臣には誰も相談できない。外交、特にアメリカとの関係は、その場だけでなく将来にも影響する。最後は自分で判断するしかなく、誰にも責任を転嫁できない。石破氏は、日本のどんな仕事も大変だとしたうえで、総理は日本でいちばん精神的なストレスがかかる仕事だったと思う、と述べた。

トランプ大統領との会談を控えていた時期には、何度もトランプ氏の夢を見たという。夢の内容は毎回同じで、「この人はいい人だったんだ」と気づくものだった。実際の相性については「良かったよ」と答えている。

辞任した翌日の朝には、「朝が来るってこんなに嬉しいんだ」と感じたという。

窓が開かない公邸と、24時間の記者

総理は何かあればすぐ官邸に行かなければならないため、隣の公邸に住む。石破氏によれば、公邸の窓は開かない。外に出られるような窓もない。外も見えず、見えるのは木だけだ。こちらから外が見えるということは、外からもこちらが見えるということだからだという。

移動する車は防弾車で、やはり窓が開かない。SPは24時間365日ついている。共同通信と時事通信の記者も24時間365日ついていて、これは首相動静の取材のためだ。夜中にどこかへ行かれたら困るから、と石破氏は説明した。

1日10組の相談と、1年で100か国の来客

総理が最も多く時間を使う仕事は何かという質問に、石破氏は総理によって違うだろうと断ったうえで、自分の場合を説明した。財務省、外務省、農林水産省、防衛省などの役人が「総理、どうしましょうか」「今度の法律はこれでいいでしょうか」と相談に来る。その話を1日10組ほど聞いた。

外国からの来客も多かった。大阪・関西万博やアフリカ開発会議があったため、1年で100か国の相手と会ったという。都道府県知事や市長も訪ねてくるので、会わないわけにはいかない。人と会うだけで相当な時間を使い、国会の会期中は1日中国会に出ている。

コメの価格と生産調整をめぐる議論

田内氏は個人的な心配として農業を取り上げた。米価は上がり、鳥取のような地方では高齢化が進んでいる。5年後、10年後も安心していられるのか、という問いだった。

石破氏は、麻生内閣で農林水産大臣だったときから、コメを作らないよう求める生産調整をやめ、自由に作れる仕組みに変えるべきだと考えていたと答えた。そうすれば価格はどこかで需要と供給が交わる水準に落ち着く。経済とはそうあるべきではないかと考えたが、当時は反対が多く実現できなかった。そして総理になると、米価が急に上がり始めた。

石破氏は食料自給率の低さも問題にした。ラーメンの自給率は14%、天ぷらそばは20%、カレーライスは40%、日本全体では38%だと挙げ、これはまずいと考えたという。昨年コメの値段が大きく上がったのはコメが足りなかったからだ、というのが石破氏の見方だ。生産を増やそうとすると「余ったらどうするんだ」と言われる、とも話した。

田内氏はこれに自分の考えを重ねた。ほかの食べ物なら、ラーメンが高ければパンやご飯にするといった代替ができる。しかしコメは最後の防衛線のようなもので、足りなくなれば代わりがない。江戸時代で考えれば、コメを多めに作っておかなければ、飢饉や災害が起きた瞬間に終わる。需要より多めに作り、余った分を政府が買い取るなどすれば、供給量はその都度調整できる。一方、作らせないことで供給量を調整する方法は、1年経たなければ結果が分からない。石破氏も「1年に1回しかできないからね」と同意した。

田内氏はさらに、ほかの仕事から農業に転じるのはすぐにはできないと指摘した。会社員なら、たとえばゴールドマン・サックスを辞めて別の銀行に移ることはできるが、農業は違う。農業従事者がこれから減っていくことを考えれば、前倒しでいろいろ手を打たないとまずいのではないか、という問題提起だった。

高齢化する担い手と、世界に売るという方向

石破氏は、いまコメを作っている人の平均年齢は60代後半、68歳や69歳ほどで、自分と同じくらいの年齢だと述べた。この人たちは不老不死ではないので、いずれいなくなる。そうなれば日本でコメを作る人がいなくなり、田んぼも消えていく。田内氏が「食料で攻められたらおしまい」と言うと、石破氏は「そういうことだね」と応じた。

石破氏が示した方向は、コメを世界に売ることだ。議員になった40年ほど前には、日本のコメは水分が多く粘り気が強いので外国人は食べない、と言われていた。しかし石破氏は、日本人がおいしいと思うものは世界の人もおいしいと思う、と考えている。アジアの人たちにも日本のコメを買う経済力がつき、パリやニューヨークではおにぎり屋が大変繁盛しているという。だからコストを下げて国際競争力をつけ、世界に売ればいい。一方で、条件の厳しい山間地で米作りをする人など、安価に作れない場所の生産者は政府が保障してもいい、というのが石破氏の考えだ。

石破氏はクマの出没も同じ問題につなげた。田んぼがなくなり、畑がなくなり、人がいなくなったため、腹を空かせたクマがまっすぐ街に出てくる。クマも好きで出てくるわけではなく、どんぐりが実らず、途中の田んぼにも人がいなくなったから街に来るのだという。米価は上がり、クマは出てくる。世界の人は日本のコメを食べたがっている。「これなんとかしないといかん」と石破氏は述べた。

若い世代へのメッセージ:自分の頭で考える

最後に、視聴者層である20〜30代へのメッセージを求められ、石破氏は「自分の頭で考えた方がいい」と語った。スマートフォンを見ればいろいろなことが分かり、AIや「チャットなんとかかんとか」に聞けばいろいろ教えてくれる。それはそれでいい。しかし、それが本当に正しいのか。いろいろな意見を聞いて、何が大事かを自分で考えなければ、自分の将来が危なくなる、と石破氏は言う。

近く衆議院選挙があることにも触れた。誰に投票するかは、自分が国会議員だったら、総理大臣だったらどうするかを考えて決めるのが大事だという。

戦争についても語った。昨年で戦後80年になったが、日本はアメリカを相手に4年も、絶対に勝てない戦争をし、300万人が亡くなった。なぜ戦争になったのか、なぜやめられなかったのか、なぜ300万人も死んだのかを自分で考えなければ、同じことがまた起こる、と石破氏は述べた。

そのうえで、やらずに失敗して後悔するより、やって失敗して後悔したほうがいいと勧めた。やろうかやめようか迷ったら、やったほうがいい。「誰も自民党総裁選挙に5回出ろとは言わんけどさ」と付け加えて笑いを誘った。

田内氏は、失敗を恐める人が若者に限らずどの世代でも増えていると言われていると述べ、AIとの差をつけられるとしたらそこではないかと問いかけた。石破氏はこれに同意し、AIは立派な答えを持ってくるが、自分で考えた答えでなければほとんど意味がないのではないか、と答えてインタビューを締めくくった。