「モテたい」から始まった政治家人生:音喜多駿が語る、中学受験から2回連続落選までの42年
トマホークTomahawk参議院議員だった音喜多駿は、直近の選挙で2回続けて落選し、現在は本人いわく「花の無職」である。42歳の音喜多は、若手TVの高田ふーみんとの対談で、幼少期から現在の浪人生活までを振り返った。何度も「人生のピーク」を言い直しながら語られたのは、コンプレックスを動機に動き続けてきた経緯と、落選後もなお掲げる政策の話だった。
浪人期間は2年目に入ったところだという。昨年10月の衆議院選挙で落選し、今年7月の参議院選挙でも再び敗れた。高田は、もともと参議院議員だったのだから衆院選に出る必要はなかったのではないかと指摘する。さらに自分もこの前の選挙で音喜多に投票したと明かし、「僕の1票が死票に」と笑わせた。
不登校から「全国15位」へ
音喜多は子どもの頃からよく喋る子だった。ただ、小学2年生のときに半年近く不登校になり、その間は図書館で本ばかり読んでいた。この読書のおかげで国語が非常によくできるようになり、勉強全体もできるようになったという。
体はとても小さく、小学6年生で136cm、現在も167cmほどである。整列ではいつも最前列で、足も速くない。本人は「いじめられっ子体質」だったが、勉強ができることで何とか居場所を得ていたと振り返る。
小学3年生で周囲に合わせて塾に通い始めた。塾はTAPで、音喜多によればサピックスはこのTAPから生まれたという。最初に受けた全国模試の順位は全国15番だった。音喜多は冗談交じりに、ここが人生のピークだったと語る。
ところが5年生頃から周囲が勉強して追いついてきた。5〜6年生で成績は転がり落ち、クラスは真ん中あたりになる。4年生までは開成を狙うコースにいたが、その後は武蔵、巣鴨・海城コースと下がっていった。それでも中学受験を続け、進学校の海城に合格した。
家は水道屋で、政治家の家系でも裕福な家庭でもない。出身の東京都北区は、音喜多の表現では治安があまり良くない地域で、中学になるとマイルドヤンキーのようになる同級生が多かった。そうなることを心配した両親が中学受験を決め、3人兄弟は全員が中学受験をしたという。
中高6年間の「暗黒時代」と文系Aコースでの立て直し
中学で音喜多の「暗黒の人生」が始まる。学年は278人いた。ある中間試験では274番で、その回は3人が休んでいたため実質的に最下位だった。これに衝撃を受け、自分は勉強ができない人間なのだと思い込んで「闇落ち」していった。
当時はスクールカーストという言葉が生まれるかどうかの時期だった。運動ができる生徒が頂点にいて、ギターが弾けるなど一芸を持つ生徒がそれに続く。眼鏡をかけてパソコンゲームをしていた音喜多は、自分は最下層にいたと語る。この日の収録で着ていたのも「陰キャ」と書かれたパーカーだった。全国15位からなぜ転落したのか。音喜多は、勉強をやらされるのが嫌になったからだと分析する。自分で図書館に通っていた頃とは違ったというのである。
転機は高校2年生のコース分けだった。当時の海城には、文系・理系の区分に加えて「文系A」「文系B」があった。文系Aは国立大学や東大を最初から目指さず、私大向けの3教科だけを学ぶコースである。拘束が少なく自由な時間が多かった。音喜多は好きだった世界史を勉強し続けて成績を伸ばし、高校3年生の時点で受験に「戦える体制」まで立て直した。
第一文学部への憧れと、政経への進学
受験したのは早稲田大学と慶應義塾大学である。どうしても早稲田に行きたかった音喜多は、早稲田を政治経済学部、法学部、第一文学部、社会科学部、教育学部の5学部受けた。本命は世界史が得意だった流れで第一文学部だった。過去問は20年分ほど解いた。
第一文学部がある戸山キャンパスは女子学生が多い。男子校出身の音喜多は、女子の多いキャンパスライフに強く憧れていたという。周囲から滑り止めを受けるよう言われ、慶應は文学部だけ受けることにした。それ以外なら浪人するつもりだった。
結果は、第一志望の第一文学部だけが不合格だった。記念受験のつもりだった政治経済学部を含め、ほかはすべて合格した。音喜多は、男子の比率が圧倒的に高い政経に進むことになった。
カンフーと早稲田祭:目立つより「支える側」
中高で青春が何もなかった音喜多は、大学こそ楽しもうとした。茶髪にしたが、本人いわく「大学デビューは失敗」した。当時ジャッキー・チェンにはまっており、ああいう動きができればモテるのではないかと考えて、早稲田のカンフーサークルに入った。
カンフーは結局18歳から26歳頃まで、約8年続けた。普及指導員の資格が取れる水準まで達したが、認定料が2万5000円ほどかかるため取らなかった。全日本大会にも出場したが、本人によれば出れば出られる程度の競技レベルだという。サークルでは第23代キャプテンを務めた。
高校時代にも同じような失敗をしていた。高校2年生から軽音楽部に入ったが、当時流行していたバンドではなく、デーモン小暮の聖飢魔IIのコピーバンドを選んだ。全くモテなかったという。
大学2年生からは早稲田祭の運営スタッフになった。自分が目立とうとすると失敗してきたが、みんなが発表する場を裏方として作ることは意外と得意だと気づいた。そこに打ち込んでからキャンパスライフが充実し、大学2年生の終わりか3年生頃に初めて彼女ができたと語る。
「自分を変えるより社会を変えた方が早い」
政治家を志したのは大学時代である。モテないことに悩み、いろいろ努力するなかで、自分を変えるより社会を変えた方が早いのではないかと考えるようになった。自分がモテない社会の枠組みそのものを変えるべきだ。その社会を形作っているのは、いま学部で学んでいる政治ではないか。これが最初のきっかけだったという。
政治家になった理由は「1万回ぐらい」聞かれてきた。これまではボランティアや家庭の事情など、格好のいい話を取り繕ってきたという。だが最近は、志す動機は何でもいいというメッセージも込めて、この話を正直にしている。高田はこれを「都民ファーストじゃなくて童貞ファースト」と茶化した。
大学3年生からのゼミでは、女性と政治を研究した。音喜多が調べた限り、近代社会で女性が閣僚の多数を占め、意思決定を担ってきた社会は見つからなかった。サッチャーやメルケルも、男性社会の中で女性がたまたまトップに立っただけだと音喜多は見る。人口の半分を占める女性が意思決定から外れた社会はおかしい。音喜多はそう考えた。もし自分が首相になり、後継者を女性にし、閣僚の半分を女性にできればモテるのではないか、とも考えたという。高田は「繋がらんな」と返し、女性が権力を握ればモテない男性はかえって迫害されそうだと指摘した。音喜多は、その可能性はあるが前例がないから分からない、と答えている。
ルイ・ヴィトン(LVMH)への就職
政治家の家系ではないこともあり、音喜多はまず民間経験を積もうと就職活動をした。そして化粧品ブランドを扱うLVMHに入社する。
就活の説明会には「最もあなたらしい服装でお越しください」と書かれていたが、音喜多はスーツで臨んだ。大学時代はおしゃれに全く関心がなかった。早稲田祭の運営スタッフには早稲田らしさを重んじる文化があり、音喜多も下駄を履き、角帽をかぶり、学ランを着て通学していたという。
面接では「モテたい」とは直接言わなかった。その代わりに次のように語った。人間には「寝たい・食べたい・モテたい」という3大欲求がある。日本社会は安定していて、食べることはたいていの人ができる。しかしモテには大きな格差があり、その差がブランド価値を生む。だから差を生み出すビジネスは廃れず、今後も大きくなる。そこに人生を費やしたい。化粧をするのは男性ではないと言われたときは、化粧をするのは女性でも、それを見るのは男性だと返した。
最終面接は英語だと告げられた。英語を話せない音喜多はいったん辞退を申し出たが、上層部から「せっかくだから受けに来ないか」と連絡があり、日本語で面接を受けて内定を得た。第一志望は資生堂だった。しかし会社から、欲しいのはあなただけで、辞退されても補欠は取らず、来年の新卒はそのブランドでゼロ人になるだけだと言われ、感動して入社を決めた。人事からは後に「本当に好きな気持ちが伝わった」と言われたという。
ほかにはアクセンチュアなどのコンサル、商社(いくつか最終面接まで進んだ)、日本テレビや新聞社などのマスコミも受け、応募は50社ほどに及んだ。就職氷河期が終わるか終わらないかの時期だったという。
LVMHには29歳まで7年間在籍した。最初は百貨店カウンターで働くビューティーアドバイザーの新人と一緒に2週間の化粧研修を受け、互いにメイクをし合った。音喜多は、自分は「珍しくメイクができる国会議員」だったと笑う。その後、店頭研修が合計2カ月ほどあり、営業を5年、マーケティングを2年担当した。営業ではエリアマネージャーの次が部長で、部長になるのは40歳前後になる。20代ではエリアマネージャーが上限だったため、異動を希望し、最後の2年はセールスプロモーションの部署で企画に携わった。
3.11と被災地の一言
もともと被選挙権を得る25歳で選挙に出るつもりだった。しかし仕事が楽しく、ずるずると会社に残った。27、28歳になり、仕事もうまくいっていた。40歳くらいまで勤めてお金を稼いでから政治の世界に入るのもいいと考え始めた頃、2011年の東日本大震災が起きた。
東北の知人から、政治家になりたいなら現場を見て、できることを全部やるべきだと言われた。音喜多は被災地を巡業するボランティア活動を約3年間続けた。現場の混乱ぶりを見て、「この国はちょっと終わっている」と感じたという。
決定的だったのは、被災者の女性にかけられた言葉だった。女性は、来てくれてありがとう、自分の孫も同じくらいの年で、いろんな夢があったけれど死んでしまった、と話した。やりたいことが決まっているのに「いつか」「機会があれば」と言っている自分が恥ずかしくなった。音喜多はすぐにやろうと決め、最も近い選挙を調べた。それが2年後の東京都議会議員選挙だった。そこから退職の準備を始め、29歳で会社を辞めて出馬した。
支援活動ではバスを出すなどして貯金をほとんど使い果たしていた。1回目の選挙にかかった費用は約800万円である。退職時の年収は700万円ほどで、そんな蓄えはなかった。そこで親しい友人に片っ端から電話をかけた。君のことを親友だと思っている、結婚したら式に呼びたい、だからその時のご祝儀3万円を今前払いしてほしい、と頼んだのである。多くの友人が出してくれた。しかも実際の結婚式でも、みんな改めてご祝儀を包んでくれたという。
政治家の知り合いが全くいなかったため、各党が開く政治塾のうち、みんなの党の政治塾に1年間通って人脈を作った。都議選にはみんなの党から出馬し、最下位で当選した。
小池百合子との決別と、北区長選挙での敗北
都議を務めたのは6年間で、2期目の途中で辞職した。その間に小池百合子知事が登場した。音喜多は都民ファーストの会の立ち上げに加わり、「ファーストペンギン」と呼ばれた。小池の側近というイメージが定着した時期である。初代幹事長として、党の綱領から政策まですべて作ったという。メディア露出も多く、情報番組のほか『Qさま!!』や『ネプリーグ』などのクイズ番組にも出演した。音喜多は、都議がクイズ番組に出るのは今後ないだろうと振り返る。
音喜多によれば、小池とは当初、次のような構想を話していた。都議選に勝って都民ファーストが第一党になったら、次は区長や市長、区議会・市議会の議員を増やし、東京から国のモデルを作る。ところが大人気となった小池は、国政政党「希望の党」を立ち上げた。わざわざ国会議員を辞めて都知事になったのに、また国政に向かうのは筋が違う。音喜多はそう考え、これが小池と袂を分かつ決定的な理由になったと語る。
地方から国を変えることを自ら実践したい。そう考えた音喜多は都議を辞め、2019年の北区長選挙に出馬した。当時35歳で、対する現職は83歳の全国最高齢区長だった。年齢差は48歳。テレビで知名度もあり、勝つつもりだったが、結果は約6万票対5万票、1万票差ほどでの完敗だった。首長選挙は勢いと知名度だけでは勝てない。当選者は1人しかいない。音喜多は今も、国会議員より市長や区長になる方が難しいと考えている。
日本維新の会からの参院選出馬
落選から4年間浪人するつもりで準備していた4月、日本維新の会の議員が訪ねてきた。働き盛りの30代を浪人で過ごすのはもったいない、7月の参院選に維新から出ないか、と熱心に誘われたのである。
音喜多は何度も断った。小池に対して「国ではない」と言って袂を分かった自分が国会へ行くのは「ブーメラン」だと思ったからだ。所属政党の数も気にしていた。みんなの党、松田公太らの「日本を元気にする会」、都民ファーストの会、区長選の際に自ら作った地域政党「あたらしい党」と続き、維新は政治家になって6年半で5つ目の政党になる。
それでも最後は出馬を決めた。悔しさがあったし、浪人生活が苦しかったからだ。4年間の浪人をやりきる人は少なく、多くは途中で民間に戻るか別の道に進む。自分に続けられるのかという不安もあった。当選の見込みを聞くと5%と言われた。そのとき、自民党ではないのだから30〜40%はない、落選した人間に国政政党が手を差し伸べて5%もあるなら大チャンスだ、と言われた。音喜多はこれを「詐欺」だったと笑うが、弱っていた時期でもあり、妻も後押ししたため挑戦を決めた。
公認が出たのは6月で、選挙は7月という短期決戦だった。始発から終電まで駅に立ち続け、自転車で回るキャンペーンも行った。スポーツ新聞が面白がって記事にしてくれるので、思いつく限りのことをやったという。最後に逆転し、ぎりぎりで当選した。
浪人中の政治家は、実態として無職が多いと音喜多は言う。衆議院は解散がいつあるか分からず、解散となれば選挙は翌月である。会社員に戻ることは難しい。事業を本格的に始めようとしても、いつ辞めるか分からない人の事業にはお金が集まらず、人も雇いにくい。そのため、YouTuberやロビイングの手伝いといった単発の仕事で食いつなぐのが実情だろうと語った。
政調会長就任と、衆院選への転出
参議院議員として3年目、38歳で音喜多は維新の政務調査会長に就いた。音喜多は党のナンバー3にあたる役職で、史上最年少クラスだと説明する。政調会長は党の政策の最高責任者であり、選挙の公約作りや、国会に出てくる法案に賛成するか反対するかの判断を担う。今のところこれが間違いなく人生のピークだろう、と本人は語る。
参議院議員を務めたのは約5年半である。任期は6年で、そのまま参院選に出る道もあったが、任期満了の半年ほど前にあった衆院選に打って出た。理由の一つは党の勢いだった。維新は野党第一党を目指して地方議員を増やし、大阪府知事・市長選にも勝っていた。次は衆院選で、東京でも象徴的な候補が挑戦区を勝ち抜く必要がある。音喜多は「じゃあ俺が行きます」と手を挙げた。
手を挙げた時点では維新は絶好調で、勝つつもりだった。しかしその後、万博をめぐる問題、兵庫県知事の問題、政治資金の問題が次々に起き、半年ほどで支持が半分ほどに落ちた。「やっぱりやめます」という言葉が喉元まで出かかったが、それを抑えて出馬し、落選した。
社会保険料引き下げを掲げた参院選
今年7月の参院選に再び出るかどうかは迷った。それでももう一度挑戦したいと考えた。衆院選以来、維新が掲げてきた社会保険料を下げる改革を訴えたかったからだ。社会保険料が高すぎて若い世代や現役世代が苦しんでおり、世代間格差の是正が必要だというのが音喜多の主張である。選挙では高齢者の人数が多く投票率も高いため、このテーマを掲げると落選すると言われ続けてきた。それでも重要なテーマで、誰かが言わなければならないと考えた。
選挙中に公開した林社長とのショートドラマは、医療業界から強い反発を受けて大炎上した。一方で、1000万回ほど再生され、音喜多の言葉では「日本人の10人に1人が見る動画」になった。改選数7の選挙区で、下馬評では10番手ほどだったが、結果は8番手まで食い込んだ。落選はしたものの、若い世代ももっと頑張らなければという共感が広がったとして、音喜多はこの選挙を「負けて悔いなし」と表現する。
なお維新には、選挙で落選すると党籍がいったん外れる「自動リリース」の仕組みがある。そのため音喜多は現在、無所属になっている。
年功序列の打破という「人生をかけたい」課題
長期的な目標として、音喜多はまず世代間格差の是正を挙げた。学生時代は女性の活躍を考えていた。しかし政治の世界に入ってみると、女性も虐げられているが、若い男性もまた権力を持っていないと感じたという。権力は高齢男性に集中しすぎており、政治家の平均年齢は60歳を超えている。こういう社会には未来がない。だから権限を移し、社会保障制度のように年齢のバランスが悪い仕組みを変えたいと語る。
もう一つは、首相になって一つだけ好きなことができるなら何をするか、という想定への答えである。音喜多が選ぶのは雇用の流動化、つまり終身雇用社会の打破だ。音喜多は年功序列こそがこの国の最大の問題であり、若者と女性が活躍できない最大の理由だと考える。
年功序列のもとでは初任給が抑えられ、働いていない50代が高額の年俸を受け取り続ける。解雇できないため高給の人が残り、若者を採用できず、入社しても給料が低いまま順番待ちになる。さらに年次を積まないと昇進できないため、妊娠・出産・育児で年次を積めない時期がある女性は、仕組みとして初めから不利になる。
そこで音喜多は、一定の金額を払えば解雇できる金銭解雇の導入を主張する。本人も「めちゃくちゃ怒られる」と認めるテーマだ。それでも、雇用を流動化させてより自分にふさわしい場所を見つけられるようにすれば、若者や女性が活躍しやすくなり、日本社会はだいぶ変わる。音喜多はこれを人生をかけてやりたいことの一つだと語った。
20代へのメッセージ
最後に、視聴者に多い20代へのメッセージを求められた音喜多は、人生はマラソンだと語った。5km地点や20km地点でトップだった人が、最後までトップでいるわけではない。20代、30代はまだ5km地点くらいで、どうとでも変わりうる。今つらいと感じていても先は長く、いくらでも逆転できると信じて努力や挑戦を続けてほしい、と呼びかけた。
そして最後に「男子諸君」に向けて、女性にモテたいというモチベーションは唯一無二なので、それを信じて励んでほしいと付け加えた。モテたいという動機で政治を志した音喜多らしい締めくくりである。
バンとくと社会保険料は下げても偏差値は下げるなよ。どうも、wakatte.tvの高田ふーみんです。ということで、自己紹介いたします。テンション高いなこいつら。
はい、あの、音喜多と申します。元々参議院議員だったんですが、直近の選挙で2回連続で落選いたしまして、今は花の無職をやっております。よろしくお願いします。
これいわゆる浪人ってやつですか?まあ、浪人ですね。この年になって浪人するのは、今42歳なんですが、なかなかしんどいものがあります。
じゃあ、浪人期間何年目とかになるんですか?今、期間で言うと2年目に入ったところで。去年の10月に衆議院選挙があって、それで落選してしまいまして、その後7月に参議院選挙があってまた落選しちゃった。そう。元々参議院議員やったから衆議院議員選挙に出なくても良かったのに、ちょっと男気で出て落選して、リベンジ参院選でもちょっとダメで。そうなんですよ。なるほど。
ちなみに僕、あの、こないだ、あの、入れました。あ、ありがとうございます。そんな、ありがとうございます。ちょっとめっちゃ悩んだんすけど、あの、入れさせてもらいました。そうなんですよ。無理してね、東大とか出願して、それで浪人したみたいな感じ。MARCHにしとけばよかったのにって。僕の1票が死票なん……大変申し訳ございません。
ということで、その浪人に至るまで含めて人生をお聞きするチャンネル。あ、人生をお聞きする。はい。僕の人生そんな面白いことないけど大丈夫ですか?いやいやいや。意外と出てないというか、あんまり語られてなくないですか?まあ、子供の頃とかね、なかなか語る機会ないですからね。そうですよね。小さい頃、どんな感じとか記憶ありますか?
そうですね。やっぱりよく喋る子だったみたいですね。まあ今もこうペラペラよく喋るんですけども、口から先に生まれてきたってよく言われてますけども、僕、小学校2年生の時に登校拒否してたんですよ。え、意外。どれぐらい登校拒否してたんです?半年近くですかね。ええ。
で、ずっと図書館に行って本とかずっと読んでたんですよ。で、そっからいわゆる国語がやたらできるやついるじゃないですか。小学校で現代文満点みたいな、そういう感じになって、逆にお勉強ができるようになって。すごい僕ちっちゃかったんですよ。今も身長167とかしかなくて、当時もう小6で136cmとかだったんで、もう前ならえの時にこれ、これで。はいはいはい。これができずに6年間常に過ごしてきたんで、足も速くなかったんで、完全にもういじめられっ子体質だったんですが、なんか意外と勉強ができるっていうことでなんとか人権を得てたっていうのが僕の小学校時代で。小学校3年生ぐらいから周りが塾に行き始めて、塾に行くようになったんですよ。当時SAPIXって今有名じゃないですか。あれで元々TAPっていう塾があって、それが母体で、そっから生まれたのがSAPIXなんですよ。
知らんかった。当時で言うSAPIXみたいな。今はTAPが潰れてSAPIXが残っちゃったんですけども、そこで1回目の全国模試みたいなのを受けるじゃないですか。その時に全国で15番目だった。そう。すげえ神童や。そう、神童じゃないですか。びっくりというか。今で言うSAPIX15位みたいなこと。まあ多分そうだと思います。本当に全国の……みたいな感じで、そこが僕の人生のピークですね。いや、議員になるのに、もうそこがピークだったな、今思えばみたいな。
まあ、いきなり最高クラスになって、当時なんか勉強しなくてもできる時期ってあるじゃないですか。もう周りが止まって見えるぜみたいな感じだったんですけども、5年生ぐらいからやっぱり周りもみんな勉強してくるんで追いついてくるわけですよね。で、やっぱり5、6年生から結構転がり落ちていって、真ん中ぐらいのクラスになったんですが、でも貯金もあるんで、やっぱり受験はしようと、中学受験をして海城高校っていうですね、進学校になんとか合格したっていうね。
はい。でも全国模試15位やったら、ほんまは開成とか筑駒とか行けてたはずやろにってことですね。そう、そう。だからもう開成とかに4年生ぐらいまでいたわけですよ。それが武蔵コースになり、なんか巣鴨・海城コースみたいな、だんだんこぼれてな。なんとか海城にはみたいな感じで。
家庭環境的にはやっぱりお受験をさせようみたいな感じなんですか?いや、でもうちはね、本当に水道屋の息子なんすよ、僕。うん。なんで、別に政治家系でもないし、別に親も裕福でもないしっていう感じだったんですけども、東京都北区ってとこ出身なんですけども、あんまり治安が良くないところというか、結構みんな中学になるとマイルドヤンキーみたいな感じになってくみたいな地域だったんで、ちょっとうちの親も公立中学に入れるとそうなっちゃうんじゃないかって心配したらしくて、子供には受験させようっていう風に決めたらしくて、3人兄弟だったんですけど、みんな中学受験をしてるっていう感じでしたね。
中高自体は結構もうずっと勉強みたいな感じです?いや、それがですね。中学から僕の暗黒の人生が始まるんですけども。え、そうなん。いや、もう最初の試験とかでもうボロボロで、最初278人いたんですよ、僕の代って。で、ある時の中間試験が274番だったんですよ。あ、おっつって、でもまだ後ろに3人いるかとか。3人休んでたんですよね。あ、最下位。そう、最下位だったっていう時にもう衝撃を受け、もう僕は勉強はできない人なんだみたいな感じで、もうどんどん闇落ちをしてったっていうですね。そんな落ちるんですね。いやあ、落ちましたね。
その闇落ちしてからはどうなるんですか?いや、もうね、中高がね、それこそ僕、今日「陰キャ」っていうパーカー着てますけども。あ、ほんまや。そう。陰キャパーカー。まあ、当時は陰キャって言葉なかったですけどね。スクールカーストっていう言葉はできるかできないかぐらいの時期で、やっぱり運動できるやつが一番トップで、その次に勉強できるやつで、その次になんかギターとか弾けるとか一芸を持ってるやつで、ただのオタクの眼鏡かけてパソコンゲームやってるみたいな、まさにこれ、4階層目にずっといたわけですよ。中高6年間。まあ、不遇な6年間を過ごしましたね。へえ。
なんでなんすかね、その15位取った時から。音喜多さんの分析としては何が起こったんですか?なんかでもね、勉強が嫌になっちゃった時期でもあって。昔はだから好きで図書館に行って自由にやってたけど、なんかやらされるのが多分好きじゃなかった。あ、そういうこと。大学は結構いいとこ合格されてるじゃないですか。なんか起きたんですか?
で、これね、また海城はなかなか面白いところで、高校2年生から当時はコースが分岐する。これはよくあると思うんですけども、文系理系だけじゃなくて、文系A、Bっていう区分があったんですよ。で、文系Aって何かっていうと、もう私大、東大は端から無理ですみたいな、3科目だけ勉強させてくださいっていうコースが当時あったんですよね。で、文系Aを選択して、そしたらなんか自由な時間がすごくあるわけです。あんまり強制がされないというか、もう物理とか端からできないこと先生分かってるから、「いいか音喜多、これだけ覚えるんだ。これ覚えたら留年しないから」みたいな感じで、そこだけ本当に手に書いとければまあなんとか試験は突破できるみたいな。そうするとなんかやらされ感がないので、好きなことをするわけですよ。
で、そこで世界史とかがすごい好きだったんで、その勉強をずっとしてたら、そこがすごい伸びて、一応なんか戦える体制で高校3年生を迎えるところまで立て直したっていう感じでしたね。
受験時代に受けた大学とかってお聞きしても?はい。早稲田大学と慶應義塾大学。お、早慶ダブル狙い。早慶ダブル。普通絞るよ、どっちかに。で、早稲田志望だったんですよ。で、一応5学部受験して。お、すげえ。すげえいいですね。どうしても早稲田にしたかった。はいはい。ちなみに学部覚えてます?学部覚えてます。政経、法、第一文学部、社会科学部、あ、教育学部だ。5学部受験。で、僕、文学部(志望)だったんですよ。そうなんですね。
で、世界史が得意だったんで、歴史が好きっていうのがあったので文学部に行きたいなと思って。ただやっぱり1本だけで受けるとね、やっぱりそのリスクヘッジとかあるじゃん。はいはい。滑り止めを受けろって言われて、滑り止めじゃねえって怒られながらも、でも別に、他とかだったら浪人したいなみたいな。浪人って言われたけど、どうしても早稲田に行きたかったんで、他もう1個だけって言われたら、じゃあ慶應の文学部は受けるけど、そこ以外は受けないって言って、6個に願書出して突撃みたいな感じでしたね。
結果どうでした?結果はですね、第1志望の第一文学部に落ちまして、政治経済学部に進学する。ええ。あ、政経受かって良かったんすね。政経受かったんです。おお。でも今で言ったらね、1番。そうよ。その当時も看板よ。そう、だから僕は政経なんか記念受験で、政経の方はまあ無理だなと。第一文学部の過去問をもう20年分ぐらい解いて、まずここに行く気満々で、第一文学部って戸山キャンパスっていうね、これ多分受験生の皆さんご存知の通り女子が多いわけですよ。で、僕、中高男子校だったんで、女子が多いキャンパスライフに憧れがものすごく強かったんですよ。絶対受かりたかった。第一文学部には落ちて、男の比率が圧倒的に高い政治経済学部に受かってしまったんですね。
受かったところは、じゃあ政経の……。政経、法、社学、教育、慶應の文学部全部。ええ。慶應文も受かった。全部受かった。なんか早稲田ライフを結構楽しまれてたみたいなイメージが勝手にあるんですけど、なんかサークルとかどんな感じ?
あ、そうなんですよ。で、僕その中高も暗黒時代で、もうとにかく青春が何もなかったわけですよ。もうゲームと友達だったんで、女の子と付き合ったこともないしみたいな。で、大学こそは楽しみたいと思ったんですけども、大学1年目、失敗しましたと。あ、そう。よくあるデビュー失敗ですよ。え、金髪とかです?いや、なんかそう、茶髪にしてまずやるんですけども、高校じゃできなかったことをしようと。で、今度こそ女の子にモテる野望があるじゃないですか。そう。青春コンプがすごい。青春コンプレックスの陰キャなんでね、青春の原動力は女の子モテだった。あ、まあ、わかります。
で、当時またね、その大学入学前後ぐらいから、僕ジャッキー・チェンにはまってて、めちゃくちゃかっこいいなと思って。ジャッキー・チェンの動きができたらモテるんじゃないかって、間違ってるんですけど、なったんですよ。
で、早稲田に入ってね、マイルストーンっていうサークル紹介の雑誌があるんですよ。そしたらね、早稲田カンフーっていうサークルがあったんですよ。女子少ないぞ。女子少ないぞ。早稲田はカンフーまでできるのかと思って、ちょっと感動してしまって、そう、18歳の青春をカンフーに捧げてしまったっていう。え、ああ、カンフー。カンフーやってたんです?できるんすね。できます。何年ぐらいやってたんです?8年ぐらいやってましたよ、結局。え、8年?18歳から26ぐらいまでずっとやってて。え、なんかそれ、段とか帯とかあったりするんですか?なんか一応級とかあるんですけども、なんか普及指導員資格みたいなものは一応取れるレベルまで行ってて、検定料2万5000円とかするんで取らなかったんですけども、あと全日本大会とかも、あの、1回出れば出れるんで。そうだから、まあそんな競技レベルですわ。ええ、カンフー全国。カンフー全国。僕、一応第23代早稲田カンフーキャプテンなんで、早稲田カンフーで登り詰めたんです。
で、大学2年生の時に、あの早稲田祭の運営スタッフ、実行委員ですわ。ああ、いいですね。早稲田祭。早稲田祭で、僕は今まで目立とうとして失敗してきたんですよ。中高では高校2年生から軽音楽部に入ってたんですけども、ギターぐらい弾ければモテるだろうみたいなのあるじゃないですか、その青春の時に。当時ラルクとかが大ブームだったんで、そういうコピーバンドやればまだモテてたかもしれないのに、選んだのが聖飢魔IIっていうバンドだったんですよ。あの、デーモン小暮さんがやってるやつですね。そう。超マニアックなバンドのコピーバンドとかやってて全然モテず、大学の時にもかっこいいことしたいっつってカンフーやって全くモテず、みたいな。自分が目立とうとすることは失敗してきたんですけども、支える側に初めて回って、みんなが発表する場を裏方で作るっていうことは意外と得意だということに気づき、そこにコミットしてから、なんかすごくキャンパスライフが充実をしてきたって。
あれ、彼女できるんですか?初彼女は大学2年生の終わりか大学3年生ぐらいの……念願の、これまで童貞をこじらせにこじらせてきた人。あれ、政治家って童貞って言っていいんや。まあ最近いいかなと思って。最ラです。関ラす。あ、そう。そう。中高はだから、やらずに卒業って……わかんない。もう受かる気ないや。あります。無敵の人だ。等身大の方がいいかなと。あ、そういうことですね。はい。好感度高い。好感度高くなる男子はいるかもしれない。
でもなんかそれ、やっぱりそこからこう政治とも繋がりが出てきて。そう。政治家を目指そうみたいな感じになってくる。そこでですか。というか大学時代ですね。何があったんすか?
でね、いや、これまたね、ずっとコンプレックスをこじらせてるわけですよ。僕みたいな人間は、そもそも中高の時にずっと女子にモテなくて、大学になってもあんまりうまくいかなくて、その時に僕は色々努力をしてて思ったのが、これちょっと自分を変えるよりも社会を変えた方が早いんじゃないかっていうイノベーションにたどり着いたんですよね。自分がモテない社会そのものが間違っており、社会の枠組みを変えることに挑戦するべきではないかという、病をこじらせた発想に行きつきまして、じゃあこの社会を形成してるのって何かって言うと、それはまさにこの学部で学んでる政治ではないかと。だから政治を変えれば、なんかこの社会の見え方が変わってくるんじゃないかってところが、そもそものきっかけだったんですよね。
そもそものやばいきっかけや。やばいきっかけでしょ。いや、これね、言うたら結構怒られるんちゃう。怒られますよ。で、僕政治家だから、なんで政治家になったんですか?って100回、もう1万回ぐらい聞かれるじゃないですか。でもちょっとかっこいいこと言わなきゃいけないから、なんかこう色々ボランティアとかしててとか、実はこう家庭事情がこうでとか、なんか取り繕ってみたんですけども、本当のことを言わないと伝わんないなと思って。逆に僕は、目指すきっかけは何でもいいんだよっていうことを伝えたいというメッセージも込めて、この話は最近もう積極的にしてるんですけども、大元のきっかけはそこだったんですよね。
都民ファーストじゃなくて童貞ファーストじゃないです?あ、そうなんですよ。脱童貞ファースト。脱童貞ファースト。なんでもありなんでもあり。DTF。DTF。DTF。DTF、脱童貞ファースト。どうですか?投票した……ミスったわ。待って待って。まだ続きがあります。でも気持ちは分かる。気持ちは分かるんで、僕もそう思うんで。
男の欲求はね。そう、で、まだ続きがあって、大学3年生からゼミが始まるわけですよ。で、一応政治学を真面目にやるじゃないですか。で、そこまでこう女性とかモテをコンプレックスにしてるんで、僕は女性と政治について調べ始めるわけですよ。やっぱり人類社会というのは、女性が政権を取ったことってのはほとんどないわけですよね。なんで、別にサッチャーとかメルケルとか当時いましたけども、男性社会の中で女性がたまたまトップを取っただけであって、圧倒的に女性が閣僚も多いし、もう女性が意思決定してるみたいな社会構造ってのは、近代社会で僕が探した限りは発見できなかったわけですよ。あ、なるほどなるほど。
で、僕は今のこの社会は間違ってると思ってますと。僕がモテないような社会は間違ってると思ってて、じゃあ何が悪いんだろうと思った時に、男性ばっかりが意思決定してて、人口の半分の可能性の女性というのが活躍してない社会ってのは何かおかしいんじゃないかっていうことにたどり着いたわけですよね。うん。うん。繋がらんな。繋がらない。え、だって女性がいっぱいその権力を握っちゃった方が、そのモテない男って迫害されそう。その可能性ありますけども、でも見たことないですよ。前例がないから。そう、そう。モテるかどうかわからないのだが、でも女性が活躍できる社会をね、もし仮に僕が政治家になって作りますと。音喜多総理になりました。で、次はもう女性の時代ですと。後継者も女性で、閣僚も半分女性ですみたいなことを仮にやり遂げたら、めちゃくちゃモテるんじゃないかって思って。え。あれ?あれ?その最後ちょっとハンドルでしたっけ?ハンドルでそう。
え、でも僕今大学生ですけど、大学生からこう政治家になるまでの道のりってわからない。わかんないです。わかんないです。(政治家系)でもないし、水道屋の息子なんで。でもあんまりそれって面白くなさそうだったんで、やっぱり民間経験は一度積んどいた方がいいから、まずは就職しようと思ったんです、僕は。……で、LVMHに入ったのが僕の就職活動だったんですよね。
へえ。でもそれもまたね、結構就職活動が大変で、就職説明会とかも「最もあなたらしい服装でお越しください」とか書いてある。これ試されてると思うじゃないですか。でも無理じゃん。陰キャだし、元々そんな……もうちょっと無理だなと思って、僕はスーツとかで、ちゃんと一応ピシッとしていくと、もうファッションショーみたいな感じで、おしゃれに興味がある人って。当時そのおしゃれとかファッションに精通してたんですか?いや、全然。下駄履いて学校行ってましたもん。ええ、強すぎ。おるけどな、たまに。まさかでしょ。いるらしい。あのバンカラズムみたいなのがあるんです。ザ・早稲田バンカラみたいな。まあ、それで僕行ってたんですけども。で、早稲田祭運営スタッフって、やっぱり祭りを運営するぐらいだから早稲田愛がすごい強いんですよ。だから結構下駄を履くみたいな文化も結構あって、角帽とかまで買って、なんか被ってみたりとか。何帽ですか?角帽ってあるじゃないですか。四角。あの、そう。あの、ザ・昔の早稲田のなんか。ああ、四角い帽子。四角い帽子の、下駄。下駄。で、学ランみたいな。そう。学ランも僕、大学時代ずっと着てたんですよ。学ラン、下駄みたいな。よくルイ・ヴィトン入れたね。よく取ったよね。
真逆、真逆の世界の……どうして内定出たとかってわかったりするんですか?でも一応人事に聞いたところ、本当に好きな気持ちが伝わりましたって言われたんですけども。で、僕そのモテたいってことはずっと面接でも言ってて、まあそれはモテたいとはそう言わなかったんですけども、なぜその……人間には3大欲求があって、寝たい、食べたい、モテたい。この3大欲求だけは絶対に人間捨てらんないなと。寝たい、食べたいのはやっぱりもう日本社会は安定してて、大体多くの人ができるけど、モテはすごく格差があって、この差分がブランド価値を生み出してるので、この差分を生み出すビジネスってのは絶対に廃れないし、もっともっと大きくなるから、これに僕は自分の人生を費やしたいのである、みたいな話を熱く。賢そう、賢そう。あと、化粧って、なんか「だってあなた男でしょ、化粧なんかしないじゃない」とか言われるんですけど、化粧は確かにされるのは女性ですけど、見るのは男性じゃないですか。化け物や。すげえ。すごいっすっていうことを言って、もう内定。で、最後英語面接ですって言われたんですけども、僕英語喋れないんで、辞退しますって言ったんですよ。
そう。1回辞退、じゃあ分かりましたって言った後、ちょっと上の人事からね、かかってきて、せっかくだから受けに来ないって言われて、いや、でも本当僕英語できないんですよ、つったら、じゃあ日本語でいいですって言われて、最終面接を日本語で行ったら内定をもらえた。へえ。ちょっともう来て欲しがってると。まあ、僕、当時やっぱり資生堂に1番行きたくて、やっぱり日本の一番でかいところだし、みんな知ってるから。……でも、うちはあなただけが欲しいんですと。で、あなたがこれを辞退しても、うちは補欠もいないから、来年の新卒はうちの化粧品ブランドは0人になるだけで、代わりは取りませんって言われた時に結構感動してしまって、LVMHに行くことを決めた。
他の会社とかにも内定出たりとかは?あとはそれこそコンサルとかも一応受けたんで、アクセンチュアさんとか。あと商社系は結構最終まで行ったんだよな。当時まだね、就職氷河期が終わったか終わらないかぐらいだったんで、50社ぐらいやっぱり一応受けて、化粧品とかがやっぱり第1で、一応商社、コンサルとかマスコミ系、それこそ色々日テレとか新聞とかも一通り受けましたよね。うん。
そのLVMHでは何年ぐらい働いてたんですか?7年間いましたね。結構長いこと。29歳までいましてですね。はいはいはい。中でどういう仕事をされたんですか?いや、それこそ最初は美容部員研修を受けて。美容部員さんって、あの百貨店のカウンターにいる販売員さんたちいるじゃないですか。BAさん、ビューティーアドバイザーとか言いますけども、あの方々の新人さんと一緒になって、2週間化粧の研修を受けるわけですよ。だからお互いこうやってメイクアップとかしてですね、僕は珍しくメイクアップができる国会議員だったわけです。他に。高田さんのメイクまでって。それやって、まず店頭研修で2ヶ月間ぐらいトータルかな、百貨店のカウンターに入って接客もして、そっから営業部門に入って営業を5年間やって、それで2年間マーケティングをやってって感じでしたね。へえ。
その会社って、そのポジションが上がったりとかあるんですか?なんかこの役職が上がったりみたいな。まあ、エリアマネージャーみたいな、営業の次はもう部長とかになっちゃうんで、そこはでももう40歳ぐらいなんで、20代はもうエリアマネージャー止まりなんですよね。なんで異動したいって言ってマーケティングにしてもらって、セールスプロモーションっていう、なんか企画とかそういうことをする部署に最後2年間は移してもらったっていう感じでしたね。
ちなみに辞めた理由とかって何だったんですか?で、そうで、政治の話に戻るんですけども、だから政治家になりたくて入ったわけなんで、25歳になったら選挙に出れるわけですから、25で出ようと思ってたんですよ。そう、そもそも。時が来たら辞めるって思ってたんですが、その割に結構楽しかったんで、ずるずるいちゃったわけですよね。で、27になり、28になり、結構仕事もうまく行ってたし、これはもうちょっとしばらくいてね、40ぐらいになって、そこそこお金も稼いでから政治の世界に行くのもいいんじゃないかなって思ってた時期だったんですよね。27ぐらいの時。その時に起きたのが2011年の3.11だったんですよ。
東日本大震災が起きて、東北の知り合いが、お前、政治家になりたいって言ってたよなと。だったら絶対この現場を見なきゃいけないし、できることを全部やった方がいいって言われて、被災地を巡回するみたいなボランティア活動を、そう、3年間ぐらいずっとやってたんですよね。あ、なるほど。で、それをやってる時に、とにかく現場がぐちゃぐちゃすぎて、これはこうやばいなと、この国なんかちょっと終わってるなと思ったわけですよ。これはちょっと、なんかいつかとか言ってる場合じゃないなっていうのが、まずその当時行ってて思ったのが1つと。「ありがとうね、今日来てくれて。私の孫もね、あなたぐらいの年でね、やりたいこととかいろんな夢があったんだけど、まあ死んじゃったからね」みたいなこととかを言われたわけですよ。そん時に、やりたいことが決まってるのに、いつかとか機会があったらって言ってる自分がすごい恥ずかしくなっちゃって、やりたいことがあんなら今すぐやろうって思って、最短の選挙が何かって調べたら、2年後にあった東京都議会議員選挙だったんで、もうこれに出ようって決めて、そっから27何歳からもう辞める準備を始めて、実際29で辞めて選挙に出たっていう感じ。
すごい。その被災地のおばあちゃんの一言が転機。素敵。そうです。選挙ってお金やっぱりかかったりしないです?はい、めちゃかかりました。でね、それまたあって、支援の時に僕お金めっちゃ使って、バスとか出して、貯金とかほとんどなくなっちゃった。かっこええな。いや、そう。当時の僕、いいことしたらすごい……人生のピークでしたね。いやいやいや、何回ピークあんねん。偉い人度合いのピーク。
どんぐらい使ったんですか?お金とか。いや、1回目の選挙は800万ぐらい使ったんですよ。お。でも20代って普通800万持ってないんで。いや、無理よ。サラリーマン。サラリーマンでは年収700万で終わったんで、それでそんなにないんですけども。で、これよくどうやって集めたんですかって聞かれるんですけども、仲いい友達みんなに電話かけたんですよね。で、僕は君のことを親友だと思ってると。僕は今独身だけど、結婚した時には披露宴にぜひ呼びたいと思ってると。つきましては、その宴でくれるご祝儀を今いただきたいって話をして、3万円前借りさせてくれという話を友達中みんなにかけたんですよ。そしたらもうやっぱりみんなすごい出してくれて。ええ、それすごいですね。そう。え、いや、俺自分でイメージしたら、何言っとんねんって断られるイメージしか……。確かに。確かにそういう人もいる。でもみんな出してくれたし、しかもみんないいやつだったんで、結婚式にはまた呼ぶんですけども、またちゃんとくれるんですよ。え。ありがたいことにっていう。
そうなんだ。都議会議員選挙にこう出られて、1回目どうだったんですか?はい。で、1回目で実は最下位で当選して、ギリギリ。ギリギリ。その時何党やったんですか?みんなの党。みんなの党。そうです。そう、27歳の時に震災ボランティアから戻ってきて、じゃあ政治家になろうって決めた時に、政治家系でもないし全然知り合いもいなかったんですけども、じゃあ政治塾に入ろうと。政治塾ってのはやっぱり各党がやってるんですよね。みんなの党はみんなの政治塾で、自民党は自民党政経塾とか、民主党も多分やってたと思いますし、なのでじゃあここに通おうと思って、みんなの党を選んで、1年間その政治塾に通って、人脈とかを作って、29になって自分で出たっていう感じだったんですよね。
へえ。都議会議員が6年間?6年か。2期目の途中で辞めたって感じでした。それは辞めた理由あったんですか?えっとですね。で、小池知事が出てきて、都民ファーストの会っての立ち上げて、東京大改革ってのをやって、僕はその時ファーストペンギンってなんか言われて、もう小池百合子の側近みたいなイメージでしたよ。もう最初、小池百合子に誰も味方がいない時に、音喜多さんがなんか隣にいたみたいな映像は残ってますね。そうなんですよね。結構メディアとかにもバンバン出てっていう時代が、まあ人生のピークだったかもしれないですけど、違うな。(ピーク)多すぎる。露出としてはピークだったかもしれない。あん時すごかったですよ。脱線しますけど、もう毎日ワイドショーとか出てたし、クイズ番組とかまで出てたし。クイズ番組。都議会議員。そう、だって東京都議会議員がクイズ番組に出るなんて、絶対に今後ないと思うんです。いや、ありえないね。ありえないですよね。Qさまとかネプリーグとか、バンバン呼ばれてピンポーンとかして。
で、小池さんは東京大改革をやると都知事になりました。都議選挙も勝って、都民ファーストの会が50……一番大きい会派になって、で、次は区とか市とかがいっぱいあるので、そこの区長とか市長とか議会議員をいっぱい増やして、東京からこう国のモデルを作ってみたいな、政治を変えていくみたいなことをやるってことで、僕は小池さんと初期に話してたんですよね。ただ小池さんも都知事になって、都議会を掌握して、もう大人気だったから、やっぱり野心が出たのか、上を目指しちゃったわけですよね。国政で希望の党っていう政党を作って、まあ総理になるって思ったかどうか分からないですけども、国政政党を作るみたいなことを言っちゃったんで、まあそれはちょっとお約束が違いませんかと。やっぱり地域からまず変えるっていうことで、わざわざ国会議員を辞めて都知事になったわけだから、また国会に行くってのは筋が違うんじゃないかって思ったのが一番決定的な理由になって、僕は小池さんと別れることになったわけですよね。はいはいはい。
で、僕はその地方から国を変えるって当初自分で実践したいと思ったんで、北区長選挙っていうのが2019年にあったので、地元の区長選挙に出ようって言って、都議会議員は2期目の途中で辞めたっていう感じだったんです。あ、それ結果どうだったんです?結果はですね、落選です。あ、そうなん。そうなんですよ。いや、そん時もね、また受かる気満々でね、やっぱり当時僕35歳かなんかだったし、現職区長は83歳だったんですよ。全国最高齢区長。48歳差。お互い干支同士みたいな、もうすごいなと思って。4回りです。本当4回りですよ。
当時そのテレビにも出てたんで知名度もあったし、もうそんなね、83歳がダメだよみたいな声もあったんで、じゃあやるかみたいな感じで行ったんですけども、結果開けてみれば6万票対5万票で、1万票差ぐらいで、まあ完敗ですね。でもね、そうなんか。そうやって首長選挙は本当に難しいなって思いました。はい。うん。勢いと知名度だけじゃやっぱり勝てない。1人しか通らないです。国会議員になるより、僕は未だに市長とか区長になる方が難しい。区長の方が。
ちょっと戻っちゃうんですけど、都民ファーストの時に幹事長をされてたんで。そうです。初代幹事長ですね。初代幹事長。それ、幹事長ってどういうことをするんですか?いや、もう立ち上げの時の党の綱領から政策から全部作りましたし。へえ。そうですよ。
で、そうか、35で区長選がダメだった。ダメで、で、浪人生活と準備をしたところで、日本維新の会の議員さんが来て、その4年浪人はもったいないと思いますと。1番働き盛りのこの30代を本当に浪人で過ごすのかと、ありえないだろうと。それが4月だったんですけども、7月に参議院選挙があると、ここに維新から出ようっていうことで、熱烈にこう口説いてくださったんですよね。それでまあ色々悩んだんです。悩む、もちろんお断りして、いやいやもう区長になるって言ってね。しかも小池さんとね、国じゃないんだ、地域から変えるんだって言って。ブーメランすぎる。自分が国会に行く、こんなのなかなかないよねみたいなのがあって、ちゃんと何度もお断りしたんですけども、まあ結構熱心にやっぱりこう口説いてくださって、周りの方もいろんな紹介もあって、まあ最後そっちをやる決断をして選挙に出た。
しかも、みんなの党、都民ファースト、日本維新、3党目じゃないですか?そうなんですよ。だからちょっとこう、なんか渡り歩きすぎかなとか、ちょっとこうなかったんですか?いや、もう細かく言うと、みんなの党から始まって、なくなって、その後松田公太さんとかが作った日本を元気にする会っていう政党があって、そこにも所属して2党目で、都民ファーストの会で3党目で、離党後に自分で地域政党を作ってたんで、あたらしい党っていうのを作って4党目で、日本維新の会でもう5党目なんですよ。いやいや。ちょっとちょっと、知りません。だから。6年半しか政治家やってないのに5党目って。それは怒られるよね。まあ、それももう瞬ポイントの1つで。
まあ、だからこそお断りしたんですけども、こう最後は、まあ熱意というかね、自分の悔しい気持ちがやっぱりあったんで。あと浪人生活ってやっぱりすごい苦しくて、まあ今も浪人してるから分かるんですけども、4年間浪人しきった人って結構なかなかいないんですよね。4年ってやばい。やっぱりそれぐらいでもう諦めて民間に戻ったりとか、別の道に行くっていうのがすごく多かったんで、本当に4年間やりきれんのかみたいなことは正直不安なのもあったんで。で、まあそこで選挙っていうのが、しかも日本の国政政党でチャレンジできるんだから、こんなチャンスはないと。で、何%ぐらい受かりますかって聞いたら5%って言われたんですけども、もう5%かみたいな。でもなんかその時に、お前5%もあれば十分だろうと。自民党じゃないんだから30%も40%もないと。しかも落選した後のやつに国政政党が手を差し伸べて、しかも受かる可能性が5%でもあるって言ったら、これ大チャンスだみたいな、詐欺なんですけども。まあでもその時ちょっと弱ってたんで、そうかなみたいなのもあって、まあ結構うちの妻とかもね、やれやれみたいな感じで後押ししてくれたんで、挑戦を決意してその選挙に出て、まあなんとか本当に最後逆転して、ギリギリ滑り込みで当選。すごい。
選挙活動はやっぱりめちゃめちゃ力を入れたっていうこと?まあ、そうです。でも短期決戦だったんでね、もう6月ぐらいに公認が出て7月だったんで、相当それはもう死ぬ気でやったというか、始発終電キャンペーンってのはよくあるんですけども、朝の始発の時間から終電まで駅に立ち続けるのとか、とにかく体力ゲーをやりまくりみたいな。あと山手線を自転車で回ってチャレンジとか。そう、ね。本当そうなんだよね。でも結構さ、スポーツ新聞とかが面白がって記事にしてくれるから、とにかく思いつく限りあらゆることをこうやって、なんとか滑り込んだのは、あれはびっくりしましたね。これもピークですか?いや、あれは人生のピークでした。さすがにピークかな。まあ確かに、だって参院はやばいですけど、政治家の浪人って、あれガチで無職みたいな感じなんですか?
うん。これはガチで無職が多いと思いますよ。ガチというか、衆議院選挙っていつあるかわかんないじゃないですか。解散って言われたらもう来月ですから、サラリーマンに戻るとか無理なわけですよ。じゃあ自分で事業をなんか本格的にやろうとしたって、いつ解散かわかんないみたいな不安定な事業にお金を出してくれないし、人を雇うにもね(お金が)かかるから、まともな定職みたいなのになかなか就けないんで、なんでやっぱりそのもうYouTuberとか、あと本当にロビイングのお手伝いみたいな単発の仕事をやってるっていうのが、多分みんなの実情だと思いますね。
で、参議院になってからも、結構ありがたいことに党内では評価していただいて、政務調査会長っていうナンバー3みたいなのに。政調会長えぐい。そうなんです。3年目で一応就任させていただいたんで、38歳の時ですよね。史上最年少クラスの多分政務調査会長、幹部って感じになったので、まああれはでも間違いなく人生のピークでしょうね。それはなんか多分今んとこあれがピークだ。間違いない。政調会長マジえぐい。結構ピーク。いや、さすがにすごい。すごい。政調会長っていうのはどういう業務だったんですか?これはもうあの、その政党の政策の最高責任者なんで、選挙のマニフェスト、公約作りもそうですし、日々国会で法案が出てきて、賛成するのか反対するのかとかを政策的に意思決定する。もう政務のトップでしょ。音喜多さん、国会議員は何年間されてたんですか?5年半ぐらいですね。約5年半。6年間が任期やったんで、で、そこで最後参議院選挙に出ればよかったのに、その半年ぐらい前に衆議院選挙があって、そこに打って出たわけですよね。もうあえてというか。え、それ理由を聞いてもいいですか?
まあいくつかあるんですけども、まず日本維新の会っていう政党が野党第一党を目指すと。地方議員もめちゃくちゃ増えて、大阪の府知事選挙、市長選挙もまた勝って、どんどんこう勢力が拡大してって、次は衆議院選挙だと。東京でも誰か象徴的なやつが出て、小選挙区を勝ち抜くみたいな、じゃあ俺行きますわみたいな感じになるわけですよ。で、まあでもこれ正直に言うと、行きますって言った時は全然維新が絶好調だったわけですよね。全然行けそうな時で、もう受かる気満々でね、手を挙げて、そっから万博批判がまず始まり、あと兵庫県知事の問題とか、あと政治資金の問題とか、いろんなのがバンバンバンって来て、あっという間に半年ぐらいで支持率が半分ぐらいになってしまって、「やっぱやめます」ってのがこの辺まで出かかった。やっぱやめます。出てたら……言いたかったけど、そこはなんとか抑えて、まあ出た結果、やっぱり落選してしまったね。そっちでしたね。
で、その落選されて、今まで結構浪人みたいな感じです?はい、そうですね。で、昨年10月の衆議院選挙に立候補をして落選をして、翌年に参議院選挙がまたあったんですよね。今年の7月ですね。まあ一時そこは迷ったんですけども、やっぱりもう1回挑戦したいなと思って。で、特にその衆議院選挙からずっと維新は社会保険料を下げる改革。社会保険料が高すぎて、今若い世代とか現役が苦しんでて、世代間格差がもう重すぎるってことで、これを是正したいっていう、まあ選挙で言うと結構不利なテーマで。やっぱり高齢者の方が中心なので、選挙っていうのは人数も多いし投票率も高いし、このテーマでやったら落選すると言われ続けてきたんですけども、でも絶対重要なテーマだし、誰かが言わなきゃいけないっていうのがあったので、これはもう1回掲げて勝負したいなと。林社長とのショートドラマとか見た?見ました。見ました。大炎上ですよ。大炎上です。医療業界から大いなる怒られが発生して。あれ1000万回再生ぐらいされて、日本人の10人に1人ぐらいが見る動画になったわけですけども、落選はしたものの、まあ事前、まあそれこそ下馬評では7人区の選挙で僕は10番手ぐらいだったんですけども、それで8番手まで行って、まあそこで食い込めたのはやっぱり共感が広がったというか、やっぱりそうだよねって、もう若者世代、もうちょっと頑張んなきゃいけないよねみたいになったのは、まあまあ負けて悔いなしみたいな選挙ではあったんですね。
一旦維新は辞めたんすか?そうなんですよ。これは辞めたというより、維新って結構面白い政党で、自動リセットシステムがあって、選挙で落選すると1回リセットされるんですよ。だからもう1回無所属になっちゃうというか。
なんか長期的な目標というか、今最終的にやりたいこととかあったりする?まあ、まずその社会保険料を下げるっていう、やっぱり世代間の是正っていう。なんかまずそこに行きついたのは、まあ女性活躍とかで僕は入ってきたんですけども、まあ女性が世界最大のマイノリティだっていうのは確かにそうなんですが、そこに行きつく前に、結構まず若者が虐げられてるなって思って。なんかもう女性も確かに虐げられてる。でも若い男性も全然権力を持ってなくて、というか高齢者の男性に権力が固まりすぎてるってのが政界に入っても思ったし、もう政治家の平均年齢で60歳を超えてますから、ちょっとこういう社会ってやっぱり未来ないなってすごく思うので、やっぱり権限委譲して、社会保障制度みたいな年齢のバランスが悪いものを変えていくっていうことがまず1つと。自分は総理大臣になって1個だけ好きなことができるよって言われたら何をしますかっていう、なんか想定をいつもしてるんですけども、僕がやるんだったら、あの、雇用の流動化なんですよ。
あの、終身雇用社会の打破みたいな。はい、はい。転職をもっと自由にできるようにする。年功序列という仕組みが、結構この国の僕は最大の問題点だと思っていて、これがね、若者と女性が活躍できない最大の理由なわけですよ。うん。だから初任給が抑えられちゃうみたいな。で、50歳で働いてないのに高額な年俸をもらっちゃってるみたいな、その矛盾がおかしいよね。おかしいし、しかも50
歳とかの人がもう首にできないからずっと高給取りで残ってると、若者を採用もできなければ、入っても給料ずっと低いまま、とにかく順番待ちみたいな仕組みで。さらにこの問題は、年を積んでいかないと上に上がれないので、女性ってすごい不利で、妊娠・出産・育児があって年を積めない時期があるから、絶対不利になる、デフォルトで不利になる仕組みなんですよね。こういうのが若者・女性の活躍を阻害してるので、解雇の自由というか金銭解雇って、これめちゃくちゃ怒られるんですけども、やっぱ一定程度金額を払えば、自分にもっとふさわしいところを見つけてもらうっていうことで、これで流動化して、若者とか女性がもっと活躍しやすい社会を作るっていうことをやると、だいぶ日本社会、僕は変わってくると思うので、これはちょっと人生かけてもやりたいことの1つだなって思ってますね。
ああ。
じゃ最後に、このチャンネルの、20代ぐらいの若者が多いんですけども、そこの層に向けて何でもいいんで一言もらうことできますか。
はい。ありがとうございます。人生やっぱマラソンだと思います。長距離走なんで、5km地点、20km地点とかでトップだったやつがずっとトップだったわけではないし、20代、30代ってまだ5km地点ぐらいなんでね、どうとでも変わり得るんで、もし皆さんが今ちょっと辛いとか、どうしたらって思っても、まだまだ先は長いので、いくらでも逆転できるということをね、是非信じていただいて、いろんな努力、いろんな挑戦をしていただければと思います。あと、男子諸君、女性にモテたいというモチベーションは唯一無二なんで、是非そこを信じて引きしんでください。
[笑い]すいません。こんな感じでいいすかね、それ。
はい。[笑い]さあ、ありがとうございました。ありがとうございました。
それだけなのに。この町の空につませ。こんな時代のそばにもいなくて、そめ
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