IQ188の幼少期から東大推薦合格、そして会社員とVTuberへ:うさねこらーじが語るこれまでの道のり

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概要

X(旧Twitter)やYouTubeで発信するたびに話題になる「うさねこらーじ」が、人生を振り返るインタビューに応じた。本人はYouTuberを本業としておらず、東大卒の会社員として働いている。会社の人も活動を知っているが、「なんかやってるな」くらいの扱いだという。2歳でIQ188と測定された幼少期から、桜蔭での成績、東大推薦入試、大学時代の不調、就職、VTuber活動、婚約者との出会いまでを、聞き手の質問に答える形で語った。

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2歳9か月でIQ188、0歳の記憶もある幼少期

うさねこらーじは、2歳9か月の時点で知能検査の結果がIQ188だったという。田中ビネー式のような検査で、2歳の時点で5歳6か月程度の知能と判定された。本人は、幼少期のほうが高い数値が出やすい傾向があると補足している。

当時すでに漢字のある本を読めて、パソコンのローマ字入力もできた。母親が「パソコン教育をしたい」と考え、ローマ字入力用のキーボードを買ってくれたので、それで入力していた記憶があるという。1歳頃の記憶はないが、逆に0歳の記憶はあるそうだ。0歳のときだけ流されていた教育ビデオの「テレテテレテ」という音楽を覚えており、繰り返し流れていたので印象に残ったのだろうと本人は推測している。

最初に覚えた言葉は「おっぱい」だったというエピソードもある。生後10日ほどで授乳中に寝てしまったとき、母親が「おっぱいいいの?」と聞くと起きて口を開けて探し始めたという。ただし本人は、言葉を覚えていたのか、単に音に反応しただけなのかは分からないと留保をつけている。

能・ピアノ・バレエ、そして英語

幼少期の習い事は、能、ピアノ、バレエなどだった。英語は小学3年生で塾に通い始めるときにやめたが、それまでに大学生レベルまで進んでいたという。一人っ子である。

父親は東大の教授だったが、教育熱心というわけではなく、会話の端々でいろいろ教えてくれる程度だった。「パソコンと英語ができる子に育てたい」と言っていたのは母親のほうで、本人は時代の流れを考えると正しかったと振り返る。小学校は地元の公立校で、東大のキャンパスに近かったため、東大教授の子どもが多かったのではないかという。

SAPIX時代と「偏差値58」の電話

中学受験は、親に強制されたというより、「頭いいわね」とおだてられていろいろな塾の試験を受けるうちに「じゃあやるか」となった。ある塾の入塾試験では、2科目のうち片方が満点、もう片方が150点中146点ほどで、入塾を強く勧められたのを覚えているという。ただし実際に通ったのはSAPIXで、小学4年生から、ごく一般的な頻度で通っていた。SAPIX内でも最上位のクラスにいたそうだ。

挫折らしい挫折として語られたのは、一度社会の成績が落ちたときの話である。落ちたといっても偏差値58で、SAPIXの偏差値では桜蔭でも62なので4しか違わない。それでも母親がSAPIXの社会の先生に電話をかけ、「うさねこちゃんの社会の成績が悪いんです」と相談した。呼び出された先生から「偏差値58か……問題はないんだけど、お母さんが言ってて」という趣旨のことを言われ、先生も困っていて面白かった、と本人は笑う。SAPIXの全国規模の模試では3位くらいだった記憶があるという。

受験したのは桜蔭、豊島岡女子、渋谷教育学園幕張、江戸川学園取手で、特待生制度のある学校ではすべて特待生の資格を得た。渋幕と江戸川取手は、成績上位10名程度が学費免除などの対象となる特待生だったという。

中高時代はプログラミングとゲーム制作

中高時代に主に取り組んでいたのはプログラミングだった。小学生の頃からSqueak(今でいうScratchのように、パネルを組み合わせてプログラミングするもの)を触っていた。パソコンを買ってもらい、Squeakを入れられて「放置」された状態で、プログラミング教室にも通わず、ほぼ独学だったという。

作っていたのはRPGなどのゲームで、本人は「そんなに長いものではない」と言う。高校時代には競技プログラミングもやっていたため、学んだことを使いたいと考え、チェスのようにマス目の上で駒を動かすゲームで、幅優先探索という比較的簡単なアルゴリズムを使って敵の動きを作ったという。高校のときには、ある単語の次に来る単語の確率を予測するマルコフ連鎖を使ってチャットボットのようなものも作った。

英語は得意で、高校1年で英検1級を取得し、TOEFLは120点中80点ほどだったという。

桜蔭での成績と鉄緑会

桜蔭では定期テストの順位は出ないが、模試の順位は出る。学年全員で受けさせられたある模試では校内2位、全国17位だったと記憶している。評定は5段階で4.8程度だった。

苦手だったのは国語の古文、世界史、体育などだという。体育の評定は4だったが、運動神経がいいわけではなく、非常に真面目に取り組んでいたからだと本人は説明している。

鉄緑会には中学1年の夏から通った。半分は自分の意思、半分は親の意思だった。中学時代はゲームにはまり、徹夜でゲームをして寝ぼけまなこで学校に行き、塾でも勉強せず寝ていた時期があった。そのため途中まで上位3クラスに入らない下のクラスにいたという。高校生になってゲームが親に見つかり、話し合いの末にゲームをやめたところ、英語が一番上のクラス、数学が上から2番目のクラスに上がった。当時やっていたのは『ゼルダの伝説』などである。鉄緑会の成績優秀者30人ほどの掲載には、載ったり載らなかったりだった。

東大推薦入試で工学部へ

志望は東大工学部だった。プログラミングをしていたので、プログラマーになりたいと考えていた。理三などには興味がなかったという。

東大の推薦入試が導入されてしばらく経った年で、それを利用して受験した。準備を始めたのは高校3年生になってからで、学校の先生にアピールの書類を書いて、学校代表に選ばれた。推薦の枠は学校から1人で、単純な成績のトップというより、課外活動をしているほうがアピールになるという。提出書類には、プログラミングや作ったゲーム、各種オリンピックの成績などを書き、夏頃に小論文も提出した。

センター試験は900点中857点か859点だった。書類と面接はどちらもA評価だったという。

推薦で入ると、最初から工学部に所属する形になる。授業は理一の学生と一緒に受けるが、進学振り分けがなく、工学部の中なら学科を自由に選べる。その代わり、基本的に工学部以外には進めない。

大学1年で書いたサーベイ論文が600回引用

大学1年のとき、海外旅行に行くことになり、その近くの大学(カリフォルニア)の教授に「旅行に行くので教えてほしい」とメールを送った。東大のプログラムではなく、本人が自分で送ったもので、断られるだろうと思っていたが、承諾の返事が来て本人も驚いたという。

その教授の指導を受け、ある分野のサーベイ論文(既存研究をまとめ、考察を加えた論文)を第一著者として書いた。本人が「ちょっと自慢に思っている」と語るのは、その論文が現在600回ほど引用されていることだ。600回引用される論文は上位1%くらいではないか、と本人は「分からないですけど」と前置きしつつ述べている。

大学時代の抑うつと、両親の支え

人生でしんどかった経験を聞かれ、うさねこらーじは大学時代に抑うつ状態になったことを挙げた。きっかけははっきりしないが、大学に入った瞬間から始まったので燃え尽きかもしれない、と本人は推測している。大学入学直後から少しずつ悪化し、最もひどかったのは2年生の終わり、3月頃だった。家から試験を受けに行けなくなったという。

このとき両親がとても協力的で、大学の近くに部屋を取って歩いて通えるようにしてくれ、送り迎えをして一緒に歩いてくれた。それで試験を受け、なんとか進級できた。浪人も留年もしておらず、経歴への影響はなかったという。大学の病院にも通っていた。

大学時代は「不真面目に過ごしていた」と本人は言う。うつっぽかったため、ずっと寝ていたそうだ。それでもプログラミングは続けていた。GPAは4点満点で3.4〜3.5ほどで、本人は合格最低ラインぐらいかと思っていたので、予想より高くて驚いたという。

父親の授業は受講可能で、実際に2回ほど出たが、難しすぎて履修登録もせず、朝の時間帯だったこともあって行かなくなった。

資格としては、応用情報技術者試験に大学時代に合格し、情報処理安全確保支援士は社会人になってから取得した。

大学院進学の予定から就職へ

もともとは大学院に進むつもりで、就職活動はしない予定だった。しかし誰かに「試しに受けておいたほうが、大学院に行った後にもいいんじゃない」と言われ、大手IT企業を2社だけ受けた。縁のあった会社が良いところだったこと、うつっぽさもあって大学を続けるのはどうかと思ったことから、就職を選んだという。Xで年収1000万円以上と書いていることについて、話しても大丈夫かと確認された本人は「多分大丈夫です」と答えている。

VTuberデビューと顔出し

SNSは、大学時代に「うさねこ」という名前で大学用のようなアカウントを運用しており、それをそのまま「らーじ」付きの名前に変えた。VTuberとしてのデビューは2023年頃で、最初は自分で絵を描いていたが、見た目が下手だったのでイラストレーターに描いてもらうようにしたという。

きっかけは、大学時代に所属していた第二外国語の「理系ロシア語クラス」で、仲間とVTuberを作った時期があったことだ。それが楽しい思い出だったので、一人でやっても楽しいかもしれないと考えた。

顔出しには特別な理由はなく、「今日は顔を出す気分だから」という衝動的な行動だったと本人は言う。衝動的に動くのが癖だとも付け加えた。当時は体重が重く、それを公表して笑っていたところ、2ちゃんねるのまとめのようなサイトで「VTuberが顔出しした結果www」といった形で取り上げられた。ボロボロに言われると思っていたが、「優しそう」など意外と温かい反応が多く、炎上まではいかず「ちょっとバズる」程度だったという。

会社には入社時に活動について何も言っていなかったが、正式に申請して「YouTubeをやります」と伝え、許可が下りた。本人は「本当かな」と思いながら続けているそうだ。Yahoo!ニュースに載ったこともあり、社内で気づかれたこともあったという。

恋愛、婚約者との出会い、一戸建ての購入

大学時代には、理系ロシア語クラスで出会った恋人がいた。筑駒出身で、実績を作るタイプではなかったが、話していて明らかに自分より頭がいいと感じた相手だったという。

現在の婚約者はそれとは別の人で、翻訳の仕事をしている。出会いはインターネットだが、マッチングアプリではない。うさねこらーじが運営するDiscordサーバーがあり、そこでよく通話をしていた。婚約者はX経由でそのサーバーに来て、話すうちに親しくなった。当時のDiscordは500人ほどの規模だったという。

交際前に会ったきっかけとして語られたのが、山手線を徒歩で一周する企画だ。Discordで同行者を募集したところ、最初から最後までついてきてくれたのが今の婚約者だった。一周にはおよそ12時間かかったという。

現在は婚約者と一緒に住んでおり、住まいはうさねこらーじが単身ローンで購入した一戸建てである。場所は一都三県のどこかとだけ明かされた。会社員として収入が安定していたので、ローンを組めたという。両親も今の活動を知っており、婚約者との関係も含めて自由にやらせてくれているそうだ。

今後について

今後の展望を聞かれると、うさねこらーじは「難しいですね」と言いつつ、「働いてまいります」と答えた。視聴者へのひと言を求められると、自身のチャンネルを見てほしいと伝えて、インタビューは締めくくられた。