鉄緑会5位から京医「再面接」と1点差の不合格、対策なしで慶應医学部へ――プリンアラモードの受験歴

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概要

鉄緑会のSAクラスを経て慶應義塾大学医学部に在籍し、女装姿でYouTubeに出ているプリンアラモード(以下プリン)がゲストとして受験歴を語った。聞き手は京都大学医学部生のもごたちである。話の中心は、浪人時の京都大学医学部入試で経験したという異例の「再面接」と、1点差での不合格だ。プリンはこの面接を「歴史上初めて」だったと考えているが、本人も「俺は思ってる」と断っており、あくまで本人の見立てである。

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女装を始めた理由と、京医の「3分面接」との対比

プリンが初めてメイクをしたのは収録の約13か月前だという。慶應医学部生としてYouTubeを始めたが、東大医学部や京大医学部にはすでにベテランの発信者やもごがいて、自分にはキャラクターが足りないと感じたのが理由だと話す。

プリンの動画の中で特に知られているのが、京大医学部の面接で「再面接」になった話である。もごは、自分の京医の面接は「聞くことないし終わろうか」という調子で3分で終わったと振り返る。一方で、千葉大・防衛医大・慶應ではそれぞれ一悶着あったと話し、プリンの京医面接については「もごを超えている」と笑った。

早生まれ、私立小学校、医療系の家族

プリンは滋賀県守山市の生まれで、聞き手の一人も滋賀出身だった。5歳ごろまでは髪が長く、駅のホームなどで女の子と間違えられて10回ほどスカウトされたと親から聞いているという。

誕生日は3月30日だが、予定日は4月7日だった。母親の兄弟などの親族がみな早生まれで、母親は「早生まれにしたい」というこだわりから歩き回り、3月30日に産んだという。プリンは、ひろゆき氏も言っていたこととして、高学歴者やスポーツ選手には3月生まれが少ないという話を持ち出し、早生まれは不利だと述べた。それでも京都文教短期大学付属小学校の受験では1番を取り、入学式で誓いの言葉を読んだ。算数だけは生まれつき得意だったと本人は言う。

親族はみな医療系で、医師や薬剤師がいる。ただし親の方針は独特だった。医療関係者になればどこでもよく、むしろあまり上の大学には行ってほしくない。親族には旧大阪医科大学や京都府立医科大学の出身者がいて、そのレベルにとどまってほしいという考えだったとプリンは説明する。京医と府立医大の両方に受かったらどちらに行ってほしいかと聞くと、府立医大と答えたという。慶應医学部に進んだ今でも、府立医大に行ってほしかったと言われることがあると話した。

中学受験の挫折と、自分で見つけた鉄緑会

中学受験では京都の集団塾・成基学園に通った。数百人の生徒のうち、上位1〜2人が東大寺学園に行く程度の塾で、灘の合格者も出ないような環境だったという。目標は洛星や東山、高槻あたりだった。

ここでプリンは厳しい指導を受けた。2014〜15年ごろで、体罰が許されなくなる直前の最後の世代にあたり、胸ぐらをつかまれたり机を蹴られたりしたと語る。その影響で精神的に不調になり、人前で食事ができなくなった時期があったという。

受験では東山に合格し、東大寺学園にはわずかに届かず、洛星に進学した。親は洛星で満足していたが、プリン本人は「あまり期待されていないのか」「ここでいいのか」と感じ、自分で調べて鉄緑会に入った。洛星から鉄緑会に通う同級生は3〜4人ほどだったという。中1の4月から学校の授業中に内職を始め、部活にも入らなかった。聞き手は、この経歴や受験結果が自分とよく似ていると話していた。

鉄緑会での成績:数学は上位、高1で5位

鉄緑会では中1は数学と英語だけで、宿題を2周してもそれほどきつくなかったという。中2からは数学でSAクラスに入り、高3を除けばずっと30番以内だった。英語はA2とA3を行き来していたが、A3の先生が好きで、わざとクラスを落としていたこともあったと話す。最高順位は高1のときの5位で、120点満点中104点だった。当時は東京に興味がなく、京医なら余裕だろうと思っていたという。

京医を目指すようになったきっかけとしてプリンが挙げたのは、小学3年生のころに見ていたテレビ番組『逃走中』である。両親が仕事で忙しく習い事もほとんどしなかったなかで、タレントや芸人に憧れた。ただ自分がそのままなれるとは思わず、まず肩書きがほしいと考え、一番難しいところとして東大か京大の医学部を志したと説明する。

高校で直面した物理と数III

高校生になって鉄緑会の大阪校に移ると、物理がまったくできなかったという。数学も数IA・IIBでは結果を予想しながら解け、補助線が「見えた」が、数IIIの極限や複素数は感覚に反することが多く、苦手になった。これに対し聞き手は、自分は補助線が「見えない派」だったと返している。

プリンの整理では、極限は新しい発想を必要とせず、決められたことをきちんとこなせるかどうかの勝負になる分野だ。高2では化学に集中し、高3では物理ばかりやった。数IIIを捨て、物理を立て直す方針をとったが、京医の模試で物理は100点満点中13点のときもあり、秋でも21点ほどだった。共通テストは約85%で、京医受験者としては低めだったという。

現役の京医入試:数IIIでパニックに

現役時の京医入試では数学で大きく失敗した。一見すると易しいセットだったが、第3問と第4問が数IIIで、苦手意識からパニックになり、200点中82点前後にとどまった。英語はまずまずで、理科は200点中143点、物理は7割取れた。数学で140点ほど取れていれば合格していた計算で、合格最低点まではおよそ60点足りなかったという。現役時の面接は普通に和やかに終わった。

併願では防衛医科大学校、奈良県立医科大学の前期と後期、さらに大阪医科大学(当時)を受け、すべて合格した。親からは奈良医か大阪医に行ってほしいと言われたが、プリンは浪人を選んだ。奈良医の面接で、受かってももう一度京医を受けるつもりだと正直に話したところ、「若いうちだからそういう挑戦をしてもいい、尊重する」と返されたという。防衛医大でも「本当は京医に行きたいんだろう」と聞かれ、そうだと答えると「それも人生の選択」と受け止められたと振り返る。

浪人:数IIIの感覚をつかみ、阪大オープン全国9位

浪人時代は駿台大阪校に通った。聞き手と同じ校舎である。課題は数IIIだったが、時間の余裕ができたことで極限の感覚が身につき、模試はほとんどA判定になった。この時期の考え方として、自分を天才とは思わない、努力で全部説明できるからだ、という趣旨のことを語っている。

親は競争させたくないという考えで、他大学の模試を受けることにも消極的だったが、受けるなら阪大も、という話になった。対策をせずに阪大オープンを受けたところ、1500点満点中1210点で全国9位だった。塾からは一瞬、東大理三を勧められたが、小さいころから京医を目指していたこと、京医でもトップクラスではなかったことから、そこまで欲張らなくていいと判断したという。

出願は京医と慶應医学部の2校だけにした。塾の先生からは、阪大医学部や慶應医学部なら100%、京医でも90%受かると言われ、「天地がひっくり返って1点差で落ちることもあるかもしれないが、そんなことはないだろう」と言われたという。聞き手はこれを「フラグ」だと笑った。

本番の京医の数学は非常に易しく、1時間ほど余って見直しもでき、満点に近いと感じた。受験直後は、合格最低点を60〜70点上回ったと思っていたという。慶應は対策をしていなかったが、数学と化学はそれぞれ1ミス程度。物理の大問1で用語を問われてわからず、英語も時間の厳しさを知らずに失敗した。それでも特待は無理だとしても正規合格はしたと感じていたという。数学については、満点が2人いたと聞いており、自分は3位くらいかもしれないと話した。

京医の面接シートに書いたこと

京医の面接が慶應より先だった。京医では面接の前に自己紹介シートのようなものを書く。周囲に何を書くのか聞くと、人の命を救いたい、親戚が亡くなったといった定番の内容で、実際には亡くなっていない親戚を亡くなったことにしている人もいたという。聞き手のもごは、母親ががんを患った経験から研究をしたいという実話を書いたと話した。

プリンは周りと同じなのは嫌で、ひねりたいと考えた。当時『ハンニバル』や『羊たちの沈黙』のようなサイコスリラー映画にはまっており、犯罪者やサイコパスと対話する精神鑑定の仕事がかっこいいかもしれない、という内容を少し書いた。プリン自身は、特別に危うい文章を書いたわけではないと強調している。聞き手は、面接は本来みんなと同じことをすれば受かるものだとつぶやいた。

「再面接」:8人の教授による約30分の質問

1回目の面接はシートにほとんど触れられず、3分ほどで出席日数などを聞かれて終わった。プリンは高3でコロナにかかっていたが、その年は欠席扱いにならない措置があったという。

ところが帰ろうとすると受験番号で呼び止められ、一人だけ別室に案内され、さらに薄暗い部屋に移された。そこには再面接対象者と思われる2人がいた。一人はパジャマのようなパーカー姿でずっと上を見ており、もう一人は床を睨みながら何かを出し入れしていたという。自分もこの人たちと同じ判定を受けたのかと、ショックだったと語る。係の若い職員に合否に関係があるのか尋ねたが、「私からは言えません」と答えは得られなかった。

部屋に入ると、教授が8人ほど並び、全員がプリンの面接シートのコピーを手にしていた。サイコパスに興味があるのか、人を殺したいと思ったことはあるかといった質問を受けたという。医学部に入ってから医学と関係のないことに関心を移すのではないか、と疑われていたようだとプリンは受け止めている。いつからそういう映画に興味を持ったのかと聞かれ、適当に「小さいころから」と答えたところ、さらに詰められた。

主に質問していたのは中央の教授だった。右側の教授が、京大には精神科の研究機関があるから京大でいいのではないかと言う一方で、それなら京大でなくてもいいのではという声も出た。京大医学部の好きなところを聞かれ、京大の入試問題は本質的で素敵だと答えると、それまで重かった空気の中で8人全員が大笑いしたという。面接は約30分続いた。

手応えは悪くなかったが、本当に大丈夫なのかと不安になり、泣きながら塾に電話した。塾の答えは「こんな話は聞いたことがない」だった。聞き手も、京医でこうした面接は聞いたことがないと話している。

再面接が始まった理由についての推測

プリンは、自分の年から京医の面接が厳しくなったと考えており、その根拠を二つ挙げた。一つは、現役時とまったく同じ内容のシートを書いたのに、現役時は普通に終わり、浪人時だけ詰められたこと。もう一つは、再面接になった人をほかにも知っているが、全員が自分より後の年度の受験者だったことだ。

さらに、その前年に東大理三で面接不合格者が1人出たことに触れ、それを受けて京医も面接を厳しくしたのではないか、というのが本人の推測である。その理三の受験者は慶應医学部に進んだ先輩で、同級生の間では、普段は普通だが「狂気」のようなものを感じさせる可能性が理由ではないかと言われていたと、プリンは伝え聞いた話として紹介した。

同じシートで臨んだ慶應の面接

京医の対応がおかしいと感じたプリンは、慶應の面接でその場で書くシートに、京医とまったく同じ内容をあえて書いた。落ちたら困るのではと聞き手は驚いたが、本人は落ちる感覚がなく、確かめたかったという。

結果は正反対だった。サイコスリラーの話はユニークだと大いに受け、京医と慶應の両方に受かったらどちらに行くかと聞かれて京医と答えても、ぜひ来てほしいと言われた。さらに面接中に教授が近づいてきて、ずれていたネクタイを直し、「これで印象がよくなった、絶対合格だね」と肩を叩いたという。奈良医、防衛医大、大阪医大の面接も普通に進んでおり、慶應ではサイコスリラーの話のほか、サンリオなど可愛いものが好きだという趣味の話もした。

結果:京医は1点差、面接評価は「A」

慶應の合格が先にわかった。京医については、塾に提出した答案再現を2人ほどの先生に見てもらい、数学は解法も答えも完璧だと言われていた。それでも結果は不合格だった。

開示された得点は、国語・英語・理科がほぼ想定どおりで、数学だけが145点と低く、合格まで1点足りなかった。面接の評価はAで、Aなら面接で落とされることはないとプリンは説明する。

数学の点数が低かった理由は本人にもわからない。易しい年だったので採点が厳しかったのかとも考えたが、証明問題の記述を少し間違えた友人が満点で返ってきたり、4完半程度しかできなかった知人が181点だったりしたと話し、納得できていない様子だった。総点は1250点満点で、数学は1.25倍されるため素点で0.8点、英語なら0.5点、理科なら約0.66点、あるいは共通テストがあと5点ほどあれば受かっていた、とプリンは計算してみせた。

二浪はしなかった。親は浪人に消極的で、慶應に受かったならそこに行ってほしいという考えだった。プリン自身も、京医にこだわると何年かかるかわからないので期限を決めるべきだと考えた。親が私立一人分なら出せると言っていたこともあり、慶應が駄目なら共通テスト対策に力を入れて府立医大や後期を狙うつもりだった。府立医大、慶應医学部、阪大医学部あたりが妥協できるラインだったという。

慶應での生活とOSCEの不合格

YouTubeは1年生の6月ごろに始めたが、当初は10本ほどしか上げていなかった。勉強以外の取り柄がほしかったのが理由だという。慶應医学部のことは好きで、教授も思ったより優しく、YouTubeを見ていると言われることもあるそうだ。

ここまでストレートで進級しているが、進級はまだ確定していない。OSCE(客観的臨床能力試験)の実技で不合格になったためで、名簿では不合格の2人だけが黄色で示されているという。全8項目のうち、落としたのは1項目、採血だった。模擬患者役は1、2年生で、採点は教授が担当する。本名も出して活動しているため「YouTuberが来た」という雰囲気になり、採点者も笑っていて緊張感がなかった。そこで友達に話しかけるような口調で進めたところ、必要な項目は言えていたのに、「患者さんは友達じゃない」という理由で落とされたと語る。

学科試験の点はかなり悪かったとも話す。ただ慶應は2科目まで持ち越せる仕組みで、毎回1科目ほど持ち越して後輩と一緒に試験を受けている。髪が長いので『進撃の巨人』のエレンのようだと言われたこともあり、先輩からは「プリン」、後輩からは「プリン先輩」と呼ばれている。医学部の同級生と付き合っていたこともあるが、別れるまで本名で呼ばれたことはなかったという。

髪の手入れ、恋愛、YouTubeの今後

長い髪は乾かすのに1時間ほどかかるため、人と会う予定がない日は風呂に入らないと決めている。今回の出演が決まったときも、まず前日は風呂に入らなければと思ったそうだ。髪がきれいなのは縮毛矯正のおかげでもあり、入浴時はヘアミルクを塗って乾かし、9割ほど乾いたらヘアオイルに切り替え、吸水性の高いタオルを使い、コットンの枕で寝ている。美容系YouTuberにもいずれ勝ちたいと話す。

YouTubeは続けたいが一人では限界があり、撮影者が必要だと考えている。今回の出演には、協力者を募る宣伝の意味もあるという。

恋愛対象は女性だけだと答えた。女の子はいい匂いがするという理由で、女装を始める前から女性用のシャンプーを使っていた。男子校時代には、自分より髪の長い同級生に体育の授業中に抱きついていたところを先生にいじられて受けた、という思い出話もしたが、恋愛対象が男性だという意味ではないと念を押している。

受験生へのメッセージ

最後にプリンは受験生に向けて、自分を信じてほしいと語った。成績が悪くても、苦手科目は何周もやれば才能のある科目に追いつくことがある。だから若いうちは妥協せず、第一志望を譲らずに受けてほしいという。受けずに落ちるのと、受けて落ちるのとでは意味が違い、ちゃんと戦って負けたのなら第一志望でなくても後悔はあまりない、というのが自身の経験からの考えだ。そして、女装と受験を比べれば受験のほうが努力でなんとかなる部分が大きいと述べ、話を締めくくった。