田端信太郎が語る経歴:地方の本好き少年がNTTデータ、リクルート、ライブドア、LINE、ZOZOを経て投資家になるまで
トマホークTomahawkアクティビスト、個人投資家、YouTuberを名乗る田端信太郎が、石川県での少年時代から会社員時代、そして現在の投資活動までを振り返ったインタビューである。田端は、組織に属しながらも「落とされてもいい」「首にされてもいい」という姿勢で発言を続けてきた。その積み重ねが転職の誘いや昇進につながったと、本人は振り返っている。
「アクティビスト」という現在の肩書き
冒頭で田端は、現在の肩書きをアクティビスト、個人投資家、YouTuberと説明した。通常の株式投資では、株を買った後は上がるのを祈るか、上がらなければ売るしかない。田端のやり方はそれと違い、買った会社をXやYouTubeで紹介し、ダメなところを指摘する。会社が良くなれば株価が上がり、自分も売却益を得られる。広告や案件の報酬ではなく、自分の影響力で会社を良くし、株価上昇という形で利益を得るという考え方である。メルカリの件に話が及ぶと、裁判中だとしてコメントを控え、被告人質問がようやく終わったところだとだけ述べた。
投資の利益は毎月決まって入るものではない。一方で、自身のチャンネル「田端大学 投資学部」には証券会社などからの案件があり、その収入は月に数百万円になると話した。
本屋に入り浸った小松市での少年時代
田端は石川県小松市の出身で、高校卒業までそこで暮らした。都会でも田舎でもない中間くらいの町だという。父親はサラリーマン、母親は主婦で、本人は普通の家庭だったと語る。地方から慶應の私立の学費を出せる程度の余裕はあったが、特に裕福だったわけではない。
子どもの頃からメディアが好きで、友達と遊ぶ約束がない日はずっと本屋で立ち読みをしていた。友達が自転車で家に誘いに来て田端がいないと、「絶対本屋にいる」と本屋まで探しに来たほどだという。読んでいたのは雑誌から真面目な本まで何でもあった。
東京に出たかった理由として、田端は当時の地方と都会の情報格差を挙げる。初めてインターネットに触れたのは大学1年の1994年で、それ以前は金沢に大きな本屋が一つあるくらいだった。少しマイナーな雑誌は手に入らず、民放のテレビは2チャンネルしかない。この格差への飢餓感が非常に強かったという。親は、東大・早稲田・慶應くらいなら東京に行く意味があるとして上京を認めた。
深夜ラジオと「ギネス記録」の東大後期
進学したのは県立小松高校で、公立の中では地域で一番の学校だった。塾には通わず、Z会をやっていた程度だという。中高生の頃は深夜ラジオばかり聞いて午前3時頃まで起きていたため、授業中はうつらうつらしていた。
小松高校は毎年必ず2人は東大合格者を出す学校だった。田端の年は前期だけで7人が合格し、これは学校の過去数十年で最高記録だったという。後期で東大を受けていた田端が受かれば8人目になり、記録更新になる。田端は勉強を減らすため、科目の多い国立対策は早々に切り、古文が出ず世界史も近代以降しか出ない慶應に合わせて対策していた。ほかの授業は意識の上で切り捨てていて、担任からは何を言っても無駄な反抗的な生徒と見られていたはずだと本人は言う。ところが2月になって自宅に学校から電話があり、何か悪いことをしたのかと思ったら「田端頑張れ」という激励だった。大人の手のひら返しに呆れつつも、そんなものだと思ったという。
センター試験は、本人の記憶では英語が満点、現代文が100点、古文が60点ほど、世界史が98点ほどだった。当時の東大後期にあった足切りにも引っかからなかった。英語ができた理由を聞かれると、高校1年頃に日本語で読んだ村上春樹『ノルウェイの森』を、高校2年頃から英訳版で読んでいたことを挙げた。英語の勉強に飽きたら小説を読む、という半ば遊びのような鍛え方だったという。
前期はセンター試験だけで合否が決まる大学(本人の記憶では横浜市立大学)を受けて、浪人しない保険にした。浪人は面倒で、それならフリーターになってでも東京に出て専門学校に通うか、自分で何かしようと考えていた。学歴へのこだわりより、東京に行くことが先だったという。慶應は4学部ほど受け、受かったのは経済学部だけだった。東大後期は文科一類を受けたが、ビジネスへの関心から文系で考えると選択肢は東大か一橋くらいで、落ちたときに格好がつきそうだから文一にした、という程度の理由だったと本人は笑う。
テレホーダイとウェブ制作、そして留年
大学に入ると、田端はインターネットにのめり込んだ。当時は電話回線のダイヤルアップ接続で、夜11時から朝8時まで特定の番号にかけ放題になる「テレホーダイ」が始まった時期だった。3分10円を気にせずネットができるため、田端にとって1日は夜11時から始まるようになり、昼夜が逆転して学校には行けなくなった。
当時ネットで顔を出して発信している人は日本全体で数百人から千人程度だったと田端は見ている。そんな時期に、顔を出している女性のサイトを集めるという、今考えても趣味の悪いサイトを作り、ちょっとした炎上を起こしたこともあった。人間のやることはあまり変わらないと振り返る。
HTMLを覚えてウェブサイトを作れるようになり、大学2年頃からはデジタルハリウッドでティーチングアシスタントを務めた。広告代理店の子会社経由でウェブ制作の仕事を受け、ソニーのVAIOのサイトなども手がけた。Wordでもらった資料をHTMLにするだけで1ページ5万円という「当時は超ボロかった」仕事で、月収は50万から100万円、納品が重なれば70万、80万円に達したという。稼いだお金は好きな音楽のレコードに消えた。
一方で、統計学の単位を落として留年した。そのときは本気で大学をやめ、フリーランスでやっていこうかと悩んだが、親が次の学費を振り込んでしまったので消極的に続けたという。4年間で取れた単位は98で、卒業には140必要だった。最後の1年で48単位を取り、就活よりも卒業者名簿の発表前が一番ドキドキしたと語る。今にして思えば卒業しておいてよかったとも述べている。
「入れてもらうつもりがない」就活とNTTデータ
就職氷河期だったが、田端はウェブ制作で稼げていたので、大企業に入れてもらおうとは思っていなかった。正月に帰省すると親から就活をしろと言われ、とりあえずリクルートスーツを買い与えられた。それでも仕事が忙しく、2〜3月までほとんど動かなかった。一度くらいはとやってみたら、これが非常に面白かったという。
面接では、ウェブのことなら自分はたくさん作ってきたと話し、「御社のこのウェブサイトの音楽には何の意味があるのか」といった生意気なことも言った。落とされて親へのアリバイになればいいと思っていたが、「君面白いな」と次々に通過した。受けたのはNTTデータ、ヤフー出向を前提としたソフトバンク、マイクロソフト、そしておそらくSAPなどだったという。
NTTデータを選んだ理由は二つあった。一つは、ネット系の会社なら実力があれば中途でも入れそうだが、NTTデータは新卒でないと入れなさそうだと当時考えたこと。もう一つは、広告代理店への違和感である。制作の仕事で代理店のプレゼンに同行すると、アパレルブランドへの提案で、中吊り広告や駅貼りポスターと並べてウェブサイトのトップページを印刷して見せていた。1995〜96年頃はAmazonがまだ本しか売っておらず、服をネットで売るなどありえないと皆が思っていた。田端はネットでは服も売れると考えており、ウェブをポスターやチラシの延長としか見ない代理店の人たちはインターネットの本質を分かっていないと感じた。情報が動けば次はお金や物が動き、それらが結びつくはずだと考えていた田端は、物流やお金の流れなど実社会と結びついたシステムを作る会社から見れば違う景色が見えるのではないかと考えた。こうした話をすると、NTTデータ側もそういう人材が足りないと感じていたのか、思った以上に評価されたという。
データ放送への失望とリクルートへの転職
配属先は、BSデジタルなどの衛星放送で、リモコンのデータボタンを押すと選挙速報のデータが出るような、放送と通信を融合した新しいサービスを作る部署だった。メディアに興味があるという本人の希望と適性に合った配属で、人事には感謝しているという。
ところが実際には、データ放送はHTMLではなくBMLという独自言語で作られていた。田端は、インターネットとテレビを直接つなぐと既存のビジネスモデルが壊れるというアレルギーがあったのだろうと見ている。ブラウザで見られるネットに比べてデータ放送は100分の1も見られておらず、こんなものは誰も見ないと感じた。横を見るとドコモがiモードを始めようとしていて、同じNTTグループの中でも、テレビ局と組むNTTデータのやり方よりドコモのほうがはるかに有望に見えた。NTTデータにいても本当の意味でインターネットビジネスの中心にはいられないと思っていた頃、日曜日の日経新聞でリクルートの次世代事業開発室の募集を見つけた。軽い気持ちで応募すると話がとんとん拍子に進み、入社1年10か月ほどで転職した。
リクルートでの挫折とR25の立ち上げ
リクルートで最初に担当したのはベンチャー投資だった。部署としては、ビッダーズというオンラインオークションを始めようとしていた現在のDeNAや、マネックス証券に出資していた。ただ、面接を受けていた頃がネットバブルのピークで、入社した頃にはバブルがはじけ始めていた。入社から1年ほどで次世代事業開発室という組織自体がなくなった。サラリーマンの転職などそんなものだと田端は笑う。
次に移った中期事業構想ユニットは、中長期計画を考える本社スタッフ的な部署だった。優秀な人も多かったが、官僚的で事業の手触りがないと感じた。そこで新規事業提案コンテストに毎年応募し、3年連続で入賞したうえで、3回目に実際の事業化までこぎつけたのがフリーマガジン「R25」だったという。在籍は4年半ほどだった。
転職と年収の推移
R25の立ち上げから1年ほど経った頃、隣の島にいた先輩が半年先にライブドア(当時はオン・ザ・エッジだった可能性があると本人は言う)に移っていた。堀江貴文がポータルサイトに本気で取り組もうとしていた時期で、その先輩から月1回ほど意見を求められていた。やがて「堀江さんが会うと言っているから会ってくれ」と言われ、要するに面接だったが、そのまま話が決まった。R25が立ち上げを終えてルーチンワークになっていたこともあり、飽きっぽい自分には面白く見えたという。
転職を重ねて収入が不安定にならなかったかと聞かれると、誘われて移る場合は今の給料を伝えれば自然と3割増しくらいは出る、それが誘う側のマナーだと答えた。本人の記憶では、NTTデータ1年目が残業込みで400万円ほど、リクルート入社時が600万〜700万円、28〜29歳で辞めたときが900万円ほど、ライブドアでは「月100万でいいか」と言われて年収1200万円ほどだった。
ライブドア事件後の再建と、堀江貴文の怖さ
ライブドアではライブドアニュースの責任者として入社した。いわゆるライブドア事件の1年ほど前に入り、堀江の選挙出馬など毎月何かが起こる日々を経て、堀江が逮捕された。株主との訴訟などを抱えた部分と、事業として立て直す部分とに会社を分割し、2007年春頃に再スタートを切った。上の役員が全員いなくなったため、そのタイミングで田端が役員になり、当時の社長は現在のLINEヤフーのCEOである出澤剛だったという。
この時期には、ライブドアニュースの記者30人前後に辞めてもらった。胃がキリキリする経験で、一番しんどかったが、それ以降は何も怖くなくなったと語る。2007年から2010年まで役員を務め、最初はライブドアニュースだけだった担当が、ブログを含むメディア事業全体に広がった。
当時の堀江については、今の番組「REAL VALUE」などで見せる激しさそのままで、社内の会議も「あの感じ」だったという。六本木ヒルズのオフィスでエレベーターの前に堀江が待っていると、同じエレベーターに乗れば案件の進捗を聞かれそうなので、トイレに行くふりをして通り過ぎたほどだった。最近はWAGYUMAFIAで堀江が肉を焼いて取り分けてくれることもあり、昔なら考えられないと田端は笑う。
コンデナスト、そしてLINEへの復帰
ライブドアがNAVER(現在のLINEの前身)に買収され、再建に目処がついたところで、田端はコンデナストからヘッドハントを受けた。『VOGUE』や『GQ』を出す外資系出版社で、映画『プラダを着た悪魔』の編集長のモデルがいる会社だと説明している。紙の雑誌中心の会社がデジタル事業を伸ばしたいというので、デジタル事業の責任者として2年ほど在籍した。iPadが出たばかりの頃で、紙をめくるようなデジタルマガジンを作ったり、TwitterやInstagramでファッション情報を発信して読者との接点を増やしたりした。外資系で給料がよく、収入はかなり上がったという。
2012年、出澤から「LINEが面白いことになってきたので戻ってこないか」と誘われて復帰した。ライブドアはNAVERの日本法人の子会社になっていたが、LINEが伸びたことで、NHN(NAVERのゲーム部門)、NAVER、ライブドアの3社が合併し、社名もLINEになった。田端はLINEの執行役員を務めた。
LINEで田端が手がけたのは広告とマネタイズである。NAVERまとめ自体は別の担当者が運営していたが、その収益化を担当した。LINEでは、楽天パンダのスタンプや、映画会社のソニー・ピクチャーズによるスパイダーマンのスタンプのように、企業がお金を出して無料で配る「スポンサードスタンプ」の仕組みを立ち上げから作った。通常の広告は無視されるが、友達からスパイダーマンのスタンプが届けば無視できない。さらにスタンプをダウンロードするには企業の公式アカウントを友だち追加する必要があり、公開1か月前にスタンプを配っておけば、後から予告編がプッシュメッセージで届く。
後半は「ビジネスコネクト」として、ヤマト運輸の配達予定通知や、クレジットカードの住所変更といった企業からの連絡を、電子メールではなくLINEに切り替えることを多くの企業に提案して回った。広告というより、ちょっとしたカスタマーサポートに近いものだったという。LINEでの給料はコンデナストとあまり変わらず、上場の前後で少し変わり、辞める頃は2500万〜3000万円ほどだったと話している。
前澤友作に誘われZOZOへ
LINE上場から1年ほど経ち、部下も増えていた時期について、田端は一般論として自分の市場価値が最も高かったのは2016〜2018年頃だろうと見ている。そこへ前澤友作から「ZOZOSUITをやるから手伝ってほしい」と誘われた。ZOZOはLINEから見て広告主の上位10〜20社に入る大口顧客で、前澤は同い年でもある。田端は10年ほど前から注目してZOZO株を買い、利益も出していたので、一対一で食事をと言われて断る理由はなかった。
食事の場で、世に出る前のZOZOSUITを見せられた。前澤は、これを世界中に無料で配れば、服の分野ではAmazonにも勝てるかもしれないと語った。ZOZO自体が服のブランドになっていく中で、自分がどんな人間かを世界中に直接届けたい。そのためにはTwitterやYouTubeが重要で、誰の力を借りればいいか人に聞いたら田端の名前が挙がった。そう言われての誘いだったという。
レスバは「リスペクトの表明」
Twitter(現X)は2008年頃から使っている。インタビュアーは、LINEの執行役員が激しいレスバ(ネット上の口論)をしているのを見て驚いた記憶があると話した。田端は、厳重注意を受けたことはあるが、それは別件だと笑う。
田端は、レスバは相手が嫌いだからするのではないと強調した。プロ野球で阪神のピッチャーが巨人のバッターに嫌なコースを投げるのは、相手が嫌いだからではなく、それが仕事だからだ。むしろ良いバッターだと思うからこそ、なるべく嫌なところに投げる。それがリスペクトの表明だという。本当にどうしようもなく嫌いな人とは最初からレスバをしないし、少しでも興味があるからこそやり合う。「もうやめてくれ」と言ってきた人たちは過去にたくさんいたが、それは歪んだ愛情なのだと冗談めかして語った。
ZOZOでの役割と「首にしてもいい」という立ち位置
ZOZOではZOZOSUITの広報・マーケティングを担い、記者発表会をどこでどう開き、どんな資料を作り、前澤にどう語ってもらうかを考えた。前澤のXについても、企画をどんな文章で発表するかを相談され、下書きを書くこともあった。リツイート数で世界一になったお年玉のお金配り企画にも関わったという。最後は必ず本人が手を入れていた。一方で、本人が勝手に書いたツイートが問題になり、周囲から「田端さんは事前に見たのか」と連絡が来ることもあった。そのたびに「見るわけないじゃないですか」と答えていたという。最終的な役職は執行役員コミュニケーションデザイン室長で、いわゆる広報の責任者だった。
どの会社でも出世が早い理由を聞かれると、田端は、後半の会社はほとんど社長と話をつけて入っているのだから、社長のヘリコプターに乗っていきなり山頂に降り立つようなものだと答えた。そのうえで、相手が前澤であっても言うべきことは言う姿勢が大事だと語る。ちゃんとした経営者ほど、イエスマンばかりでは危ないと考えている。自分は前澤を10年来知る同い年の起業家として心から尊敬しつつ、「こうあるべきではないか」と率直に伝え、気に入らなければいつでも首にしてくれと思っていた。そういう存在が必要だと思われていたのではないか、というのが田端の見立てである。首になっても構わなかった背景には、オンラインサロンなどで会社員の給料と同程度の収入があったこともある。ZOZOでの給料はLINEの頃と大きく変わらなかった。
ハワイでの告白と独立
ZOZOには2年ほど在籍した。ZOZOSUITがうまくいかず撤退モードになるなかで、前澤は保有するZOZO株を現在のLINEヤフー(当時のZホールディングス)に売ることを決めた。2019年の夏休み、田端がたまたまハワイのオアフ島にいると、ハワイ好きの前澤からLINEが来た。ほかのメンバーはわざわざ日本から呼んでいるから来てくれと言われ、恐る恐る行くと、株を売ると告げられた。前澤は、自分のようなバンドマンがたまたま会社をやったらうまくいったが、ZOZOはもう自分のような人間が経営を続けるべきステージではない、という趣旨のことを語った。ゴルフを1ラウンド終えた後のように、ハワイの風に吹かれながら晴れやかな顔で話していたのを覚えているという。
田端は、前澤に誘われて入ったのに、前澤がいなくなった後も自分のような「炎上野郎」が残っていては周りもやりにくいだろうと考えた。残る人たちは皆いい人で、すぐ出て行ってくれという雰囲気ではなかったが、自分から空気を読み、45歳だったこともあって次の社長に挨拶して退社した。2019年末から2020年春頃のことだという。
その後はどこにも属さず、自分の会社を作ってYouTubeを中心に活動している。自由がいいと言いながら長く会社員だったことを指摘されると、会社員でもここまで自由にやれることを結果的に示せたならそれはいい、と答えた。
現在の1日、最高年収、そしてアクティビストとしての次の一手
現在は月曜から金曜まで、毎朝8時45分から1時間ほど株のライブ配信を行う。その後、週2〜3回はライブ以外の動画を撮影し、それで昼頃になる。週3回ほど筋トレに行き、その後は自由に過ごしているという。
最高年収を問われると、LINE上場後にストックオプションを行使した年は給与所得扱いになり、2億〜3億円になったのではないかと答えた。ただしそれは瞬間最大風速のようなもので、住民税を含めて55%ほどの税金がかかったとも話している。
今後については、アクティビストYouTuberとして最初に手がけたのがメルカリで、それはそれほど儲からなかった。2社目は古い中型ビルを再生するリアルゲイトで、こちらは株価が購入時の3倍ほどになり、うまくいったという。3社目は現在仕込み中で、社名はまだ言えないが水面下で進んでいると明かした。
最後に、20〜30代の視聴者に向けて田端は、投資やビジネスは全世界が熱中している最高に面白いソーシャルゲームだと語った。仕事自体が最高のソシャゲなので、大人になってからゲームをやる必要はない。ビジネスはチームでなければできず、メッシでさえチームに入らなければサッカーはできないが、投資は個人のままでも大きなことができる。人間は生きていれば仕事やお金と関わらざるを得ない。どうせやるなら、白けているより真剣にやったほうが楽しいのではないか。それが田端の締めくくりの言葉だった。
バンと今です。はい。てことで、自己紹介お願いいたします。
はい。田端信太郎です。
はい、よろしくお願いします。よろしくお願いします。お願いします。
もうありがとうございます。X芸人、
X芸人って言って、ビジネス系Twitterってんですかね、当時は。はいはいはい。
ちょっと僕も大学生の時とかずっと見てたんで。
おお。結構前から。
あ、そうですね。今って現在の肩書きとしてはどんな感じなんですか?
えっと、アクティビスト、個人投資家、YouTuberとか言ってますけど。
つまり、どういうことなんですか、それは。
だからアクティビストっちゅうのは、今までって株って買うと、買った後上がれって祈るか、上がんなかったら売るかしかできないけど、自分が買った会社の株を例えばXとかYouTubeとかで色々紹介したり、あるいはダメなところを指摘したりして、より会社が良くなると株価が上がるやん。
はい。
で、それで自分もその時売って儲かるっていう。そういう自分の影響力を使って会社をもっと良くして、広告費とか案件でもらうんじゃなくて、株が上がるから儲かるっていう。
うん。おお。
それ行きすぎるとメルガレみたいな感じで。でもちょっとノーコメント、それ裁判中なんだ。ま、この前もやっと被告人質問終わりましたけど。
はい。
じゃ、結構その投資がメインって感じですか?その収入源みたいな感じ。
あ、いいね。投資ってでもさ、儲かる時って別に必ず毎月必ず入ってくるとかじゃないから、結果的にその例えば今の僕のチャンネル「田端大学 投資学部」ってあるんですけど、そこに例えば証券会社とかが案件くれて、そこの部分っていうのもま結構馬鹿にならないです。月何百万とかなってるよね。
へえ。
と、ま、このチャンネルはその幼少期から人生をこう起きしていくっていうチャンネルなんですけど、幼少期はなんかどんな感じの子供だったとか覚えてたりしますか?
僕なんか石川県小松市っていう、ま、そんな全然都会でもないけど別に仮の田舎でもないみたいなぐらいの中間ぐらいのところで生まれて、高校出るまでずっとそこだったから、18歳まで。どんな子供……
なんかメディア好きだった。めっちゃずっと、友達とかと遊ぶ約束ないと本屋でずっと立ち読みしてるみたいな。
あ、へえ。
で、家にさ、みんな小学生とかさ、あいつん家行ってみんなで遊ぼうぜみたいな時、みんなチャリンコとかで呼びに来るじゃん。そしたら俺いないとさ、あ、じゃあ絶対田端本屋にいるぜみたいな感じで、みんながチャリで本屋に来て、あ、いたいたみたいな。なんかそういう感じなぐらいずっと本屋にいた記憶があるな。
あ、本をすごい読まれてた子供というか。
本というか、ま、雑誌とかも。それ真面目な本からもうエロ本まで全部そうですよ。そう。
あ、ご両親は何系の人なんですか?
別に親父もサラリーマンで、おかんは主婦だから、別に割と普通の家庭だと思うけどね。
あ、そうなんですね。めちゃくちゃ裕福って感じもなかった。
いや、まあそうね。普通だと思いますよ。でも地方で、まあ大学慶應だけど、そうやって私立を行かせられるのは、ま、できなくもないぐらいだけど、すげえお金持ちってわけでもなくっていう。それぐらい。
だから中の上ぐらいなんですかね。大学慶應なので、なんか勉強とか、結構東京に行きたくて?
あ、なんでですか?それは。
君らみたいなさ、今時インターネットがある世代の人たちはさ、地方と都会の情報の格差みたいなのとかあんまり感じないかもしんないけど、当時なんていうのは、俺インターネット初めて触れたの大学1年生の時だから1994年で、その前なんていうのはもう地方はさ、金沢とかだと結構でかい本屋1個だけあるんだけど、ちょっとマイナーな雑誌とかそういうのはもう本屋にもないぐらいの状態なわけですよ。
はいはいはい。テレビも民放2チャンネルしかないし、昔。
え、そうなんですか?
そうですよ。いや、そういうギャップってすごかったわけ。だから飢餓感っていうのかな。そういうのものすごかったよね。で、大学で東京に行くって言ったら、うちの田端家的には東大か早稲田か慶應とかぐらいだったら行く意味があるから、それだったら行ってもいいよと。
ええ。へえ。高校とか進学校なんですか?
ま、県立小松高校っていう、その公立の中の1番いいとこだけどね。そうですね。
でも結構田舎から慶應って結構難しいのかなとか思ったりするんですけど。
うん。どうでしょう?わからん。
あ、そんなことなかった?
全然。だってさ、代ゼミとかさ、塾とかさ、そんなん行ってなくて、Z会やってたぐらいだな。
はい。あ、そうなんですね。高校の中でもやっぱ勉強できた方でした?
もう覚えてないな。できない方ではなかったけど、めっちゃ深夜ラジオばっか聞いてましたよ。中高生ぐらいの時。
あ、そうなんですね。
いや、もう眠いんだよ。3時とかまで起きてるから。
授業中寝てる?
授業中。もううつらうつらしてるよね。
それもなんか小松高校って面白いのは、必ず毎年どんなに不調な年でも東大に行くやつが2人はいるんだ。
あ、そうなんですね。結構すごい。
僕も東大後期受けたんですけど。
あ、そうなんですか。後期。うん。
そしたらなんでか知らんけど、その年前期だけで7人も受かっちゃったのよ、小松高校。
ええ。
で、これは学校の過去数十年の歴史の中で7人が最高記録だったらしくて、で、俺が受かると8人目になるわけ。
はいはい。
だからギネス記録更新なわけ。
で、なんかそれで覚えてんのは、もう途中から俺なるべく勉強したくないから、まず国立対策はパス。5教科とか大変だから。で、だと古文も出ないし、世界史も近代以降しか出ないしみたいなので、もう後期を狙えばいいや、それに合わせて対策してったから、なんかもう他の授業とか全部もう切ってるわけよ、もう意識としては。
はいはい。
で、超反抗的なやつなわけ。もう担任の先生とかからしてみたら、なんか俺関係ねえしって顔してさ、深夜ラジオ聞いてなんかめっちゃ寝てるみたいな、授業中。担任もどうせあいつに言ったって何もしないしみたいな感じだったのがさ、急に電話かかってくるんですよ、家に。
2月かさ、もうさ、年明けからでみんな学校行かないじゃん。うん。そしたらなんか久しぶりにさ、おかんがさ、みたいになって、俺なんか悪いことしたかなと思ったらさ、なんか田端頑張れみたいな。
ギネスのために。
そうそうそう。なんか偉い大人って急に手のひら返しやがってみたいな、こいつらと思ったけど、まあそんなもんだよなみたいな。
じゃ、東大早慶全部受けたんですか?
あ、早稲田受けてない。
あ、早稲田受けてないですね。
もう古文捨ててたから。
ああ。
でもセンター試験受けたよ。
あ、そうなんですか。あ、ま、東大受けますもんね。
うん。東大後期って当時さ、足切りがあるわけよ。論文だけど、英語と国語と社会の500点満点で450ぐらいないと受けれないはずよ。
ああ、そうなんですね。結構すごい高い。
でも俺、英語満点。
え、満点なんですか?
英語確か満点だったと思うよ。で、国語は現代文が100点。
はい。へえ。
で、残りの古文のところが60点ぐらい。結構高いすね。
で、世界史も98点とかそういうやつで、で、だからトータルで456でしょ。だから別に東大の後期の足切りも全然引っかからないみたいな。
あ、すごい。英語なんでそんなできたんすか?
別にわからん。センター試験の英語なんか別にそんなもんじゃない。
いや、でも、すごい。満点はすごくないですか?でも。
あ、でもなんか高校2、3年ぐらいから、村上春樹のなんか『ノルウェイの森』とかさ、日本語で読むじゃん、高校1年生ぐらいで。で、高校2年ぐらいから、あ、これ英訳版があるんですよ、当たり前で世界中で読まれてるから。あれ読んでましたよ、英語で。
はい。え、すごいっすね。
そういうので鍛えられて、なんかそういう感じである種鍛えられてたね。勉強なのか何なのかみたいな、半分半分だけど。でも英語の勉強ばっかやってたら飽きたなと思って、あ、じゃこっち小説読もうみたいな。
え、前期はどっか受けたんですか?国立とか?
え、どこ受けたんだ?横浜市立かなんか受けたのかな?そしたらセンター試験だけで合格決まるから。
あ、
それでもう負けはないみたいな。絶対ないみたいな。もう俺浪人するのとかもうマジめんどくさいなと思ってたから。
はいはい。
浪人するぐらいだったら、なんかもう別にフリーターなってもいいから、東京来て専門学校通うか、ま、自分でなんかしようかなぐらいな感じめっちゃあったな。だるだるみたいな感じ。
あ、別に学歴とか全然こだわりとかなかったんですね。とりあえず東京行って。
そう、そう、そう。ま、どっちかっていうとそれが先なんでね。
へえ。そしたら慶應に受かったみたいな感じなんですね。なんかいっぱい学部受けた感じですか?
うん。慶應はなんか4つぐらい受けたよ。工学部、商学部、経済、SFCのあの総合政策。
はいはい。で、受かったのが経済だけなんだよ。
あ、そうなんですか。
そういうもんなんですよ。不思議。
後期東大受けた理由ってあるんですか?他もあるじゃないですか。多分そこら辺でなんとなくビジネスとか興味あったから。そうすると文系だともう東大か一橋ぐらいしか、ま、横浜市立の商学部が滑り止めみたいになってて、それぐらいしかなくない?
そう。あ、そう。多分確かに。
あれでも東大、あれなんか多分文一受けたんだよな。なんで今にして思うとちょっと文一受けたのかな。よくわかんない。もう別に何でも、ま、とりあえず受けとくんだったら文二より文一の方がなんか格が高いから、落ちた時に格好がつきそうやなんか、そういうそれぐらいの感じだよね。本当。
ま、本当にとりあえず東京に行きたいみたいな感じで。で、ま、慶應受かって、やっぱ東京じゃないですか。どんな感じの生活だったんですか?最初とかは。
うん。最初入ったけど、もう途中からインターネットどっぷりになって。
ああ。
テレホーダイとか分かります?
名前だけ、結構わかんないです。
あの昔ってダイヤルアップ接続って、電話線でインターネットやってたんですよ。
はいはい。
モデムでピーヒャラピーヒャラっていう、超遅いわけ。
うん。うん。
で、夜中の11時から朝8時までだけ特定のプロバイダーの番号の電話がかけ放題っていう仕組みが、俺が大学生だった頃から始まったんですよ。
はいはい。
そうすると3分10円とか気にせずインターネットし放題やん、夜中だけね。
うん。
だから俺にとっての1日は夜11時から始まるみたいな感じで、ほとんど昼夜逆転してテレホーダイでネットにつないで、ネットさまよい歩くというか、ほっつき歩くみたいなことやってたら、当然さっきの深夜ラジオと一緒で、当然眠くて学校行けるわけないやん。
当時ネット上で自分の顔出しして語ってる人って、本当日本全国で多分数百人か千人ぐらいだと思うんだけど、わざわざよせばいいのにさ、ブサイクってサイトを作って、顔をさらしてる不細工な女性を集めるという、非常に今にしても趣のあることやってて、ちょっとした炎上になったりとかね。もう人間やってること変わんないんや、本当あんまり。
で、結構当時で言ったらネットの最前線をずっと行ってて、だからそうやってウェブサイトも全然すぐHTMLとか作るの勉強したしで作れるようになって。あ、今でもデジタルハリウッドってあるか。
あ、大学は
デジタルハリウッドで、大学もう2年生ぐらいからTA、ティーチングアシスタントやってたんですよ。
え、当時からあるんですか?デジハリ。
あ、デジタルハリウッドできたばっかりだと思う。
ええ。
え、単位とか大丈夫だったんですか、当時?
いや、だから留年したよ、俺1回。
おお、そうなんですね。統計学の単位を落として留年して。
はいはい。
でもそん時マジ辞めようかなと思った。
てかあと、いっぱいさ、当時もう大学2年から3年になれなかったんですけど、それウェブサイトを作る仕事とかで月収50万から100万ぐらいなってたんよね。
え、マジすか?
すご。当時超ボロかったよ、はっきり言って。なんかWordでもらった資料をさ、ちょっとHTML化するだけで1ページ5万円とか。
ええ。で、そういうの10ページか20ページか30ページだったら、もうすぐ50万か100万ぐらいになってた。
ええ、すご。え、なんかお金使ったりしてたんですか?
いや、大体レコード買ったり。
あ、
して。そういう音楽好きだから。
あ、そうなんですか。
そう。何に消えたんだろうね。考えてみると。しかもあれだけもらってんのにな。
すごい裕福な。全然社会人よりいい生活。
いや、本当そうなんですよ。
だから、で、しかも途中から就職活動ってなるじゃん。俺もマジでさ、だからさ、これ別に中退してちょっとウェブサイト制作の会社とか作ったりするか、フリーランスで全然食ってけるし。
うん。うん。
と悩んでたら、親が次の学費を振り込んじゃったから。
あ、
ま、じゃあ行くなら行くかみたいな、超消極的に。まあでも今にして思えばやっぱ卒業しといてよかったんだけど。
いろんなサイト作ってたな。ソニーのVAIOっていうパソコンあったけど、あれのウェブサイトとか。
ええ。
ソニーから仕事を受けて、その間に広告代理店が入ってて、また、で、俺はその下の業務でやってるんですけど。
すごい。
大学自体は1留で済んだ。
1留で済んだ。
あ、じゃその後、結構じゃあどうにかして。
いや、そうなんだけど、本当さ、NTTデータに内定出たんだけど、4年間かかって98単位しか取れてなかったわけ。で、卒業に140必要なわけ。
え、あ、じゃ、最後の1年で、
最後の1年で48単位取ったんだ。これがもうはっきり言って、俺、就活よりも卒業者名簿の発表の前が1番ドキドキした。
卒業できる?
うん。卒業できるかどうかが。
でも当時って氷河期とかだから、就職活動大変。
で、みんなそう言うんだけど、だから俺最初からさ、ウェブサイト作って50万とか、納品がいっぱい重なった時は本当70、80万、100万ぐらい行ってるから、まず別に入れてもらおうなんて思ってないよね。
うん。ああ、最悪こっちがあるから。
最悪っていうか、むしろ最初からそれでいいかなって感じなのに、なんか正月とかに家に帰ったら、就活したのかお前はみたいに言われて、大企業とか出せよみたいなとかって言ってたら、なんかま、それはもうそれで議論してもしょうがないタイプだって親分かってるから、とりあえずリクルートスーツ買ってやるからっつって。リクルートスーツみたいな、ダサいよみたいなこと言ってたら、もうとりあえず大人なんだからスーツの1着ぐらい持っといて損はないみたいなこと言われて、確かにそれもそうかなと思って。でもそれでもなんかウェブサイトの仕事が忙しくて、2月か3月ぐらいまで1回も大してやらずに終わったのだが、途中からまあ1回もやってみないのもあれだしなんか、みんながやってんだったら少しはやってみるかと思ってやり出してみたら、めっちゃ面白いじゃんこれと思って。
ええ、面白いですね。
だって最初から入れてもらおうって思ってないもん。
まあ確かに。
俺ウェブサイト作ってるから、なんかその今で言うとガクチカ的なやつ、もうWebのことなら僕めっちゃ作ってましたみたいな。ちなみに御社のこのウェブサイトかかりましたみたいな。これ音楽流れてるんですか?これなんか意味あるんですかとか。
入れてもらうつもりがないから、割とそういうこと言ってた。言ってたんだけど、俺の中ではそんな生意気なやつは落とされると思ってたわけ。
うん。あ。
で、落とされて、で、とりあえずアリバイ作って、親に、あ、大企業なんか頭固いんだよみたいな。で、俺はもうウェブサイトとか作りながら自由に生きてくけど、一応やったよというアリバイ作りぐらいに思ってたら、案外さ、君面白いなって言ってどんどん受かるんよね。
あ、そうなんですね。え、他どこ出たんすか?
NTTデータ。えっと、ソフトバンク。Yahoo!に出向する前提のソフトバンク。
あ、そう。
はいはい。あとマイクロソフト。
ええ。
SAPも出たかな。なんかもう全部覚えてない。で、NTTデータも出て。
はい。
なんでNTTデータ選んだんすか?
1番新卒じゃないと入れなそうかなって、そん時思ったんですよ。
へえ。はあ。
でもそれはちょっと違うんだけど、今にして思えば、ソフトバンクとか別に当時なんか思ったのは、ま、ネットの仕事してたら、ま、自分に実力があれば中途でも入れそうだし、そこよくも悪くも区別なさそうだけど、っていうのと、僕なんかウェブサイト作る仕事してたら、広告代理店の子会社でやってたんですけど、最後の方も俺、広告代理店の営業のさ、プレゼンとかにもさ、田端君ちょっとついてきてよって言われて、多分なんか技術的なこと質問された時に不安なのかと思って一緒に連れてかれたこともあるんだけど、例えばアパレルブランドとかにウェブサイトある時、こんなキャンペーンやりますって、中吊り広告、駅張りポスターとかっていうのがあって、で、ウェブサイトですって言ってやるんだけど、当たり前だけど印刷したトップページとかがボンって出るわけよ。ウェブサイトって別に中吊り広告とか駅張りポスターと一緒にプレゼンしてんだと思って。
うん。
なんか俺、この広告代理店の人ってインターネットの本質分かってないなみたいな。当時まだ95、96年ぐらいって、Amazonがまだ本しか売ってないみたいな時代だから、服をネットで売るなんてありえないってみんな思ってるわけ。この手触りとかサイズとかあるじゃん。うん。うん。
だけど俺、別にインターネットって本当はさ、服も売れるしみたいな、そういう風に思ってたのに、なんかこの人たちは結局ポスターとかチラシの延長としか見てないんだ。
うん。
なんか広告代理店分かってねえなと思った時に、NTTデータとか、その例えば物流とかさ、お金の流れとか、もっと実社会と紐づいてるシステムを作ってる会社だから、インターネットの、そのままだとあくまで便利なチラシ、
うん。
情報だけが行き交うってことだったのが、絶対情報が動いたら次お金が動いたり物が動いたりすると紐づくようになるんじゃねえかなみたいに思ってた。流れだから、その単なるウェブサイト制作会社の延長線上がつまんないんだったら、新卒だったらそういうところに行ったら、また全然違う方から見れんじゃねえかと思って。で、行ってみてそういうこと語ると、やっぱNTTグループ、多分逆にそういう人材が足りてないって思いがあったんだろうね。だからすごい思ってた以上に、なんか君面白いなみたいな
感じで。入社からどういった仕事されてたんですか?
えっとね、今でもスカパーとかあるじゃん。スカパーとかBSデジタル放送、ま、いわゆるデジタル衛星放送に対して、このリモコンのこのボタンあるじゃないですか。このデータ放送みたいな。これポチっと押すとさ、なんか選挙速報の時にさ、ライブでやってる画面とここに別に選挙区ごとのデータとか出るじゃん。ああいうのを、その放送と通信を融合させて、今までのテレビの延長線上じゃないようなデジタル放送サービスを作るみたいなことをやってる部署があったんですよ。
はい。
で、ウェブサイトをチラシと思ってるような、見た目だけで綺麗なだけのウェブサイト作っても面白くないと。なんかメディアに僕興味があるんですと言ってたら、じゃこういうとこいいじゃんって言って配属されて。なんか俺すげえ人事的にはさ、多分俺の興味とか関心とか適性に対してマッチした配属してくれたなって思いめちゃくちゃあるんですよ。
ところがやっぱりさ、出てみたらさ、例えばBMLって言うんですけど、デジタル放送向けにHTMLと違う言語でわざわざ作ってるわけ。あの、データ放送のサービスってのは。直接繋げちゃうと既存のビジネスモデルが壊れるっていうアレルギーがあったんだと思う。やっぱインターネットとテレビを直接繋げちゃうと。
はいはい。
で、そういうのがあったんだけど、俺から見たら何やってんだよ、このBMLっていう、こんなもん誰も見ねえよみたいな。実際だって普通にブラウザでネット見てる画面とさ、データ放送なんてさ、100万見られてないじゃん。
はいはい。
ダメだなとか思ってたわけで、ハッて横見たら、しかもさ、ドコモはさ、iモードとか始めようとしてるんです。まさに。はいはい。
なんかNTTグループの中でも、ドコモのiモードのやり方の方が、NTT本体とNTTデータと東日本とかがテレビ局と組んでやろうとしてることよりはるかにイケてるなと思って。なんかやっぱ俺NTTデータにいたら、本当の意味でのインターネットビジネスのど真ん中の仕事ではやっぱりないなと思って。
うん。うん。
で、たまたま日曜日にまた当時の日経新聞読んでたら、リクルートの次世代事業開発室ってところの募集があって、軽い気持ちで応募してみたら、トントン拍子で話が進んで、そっちから内定が出たんで。NTTデータ1年10ヶ月くらいかな、2年目の冬ぐらいで辞めるのか。
それ入ってからはどういった仕事されてたんすか?
投資の、ベンチャー投資の仕事、最初。
当時その出資した会社で1番当たった会社ってなんかありました?
俺は直接何も出してなかったんだけど、その部署としてやってたのは今のDeNAとか。DeNAはビッダーズっていうオンラインオークションやろうとしてたんですよ。あとはマネックス証券もそうだね。
へえ。リクルートはどれぐらいいたんですか?
4年半ぐらい。
ああ、なんかそのネットで見たんですけど、そのR25の提案されてたみたいな。
そう、そう、そう。
それ田端さんがもう提案者で。
どういう発想?入るじゃない?新しいことやりたいと思って入ったのに、面接してる頃がネットバブルのピークで、入った頃にはもう弾け出してんですよ。僕が入って1年ぐらいで次世代事業開発室という組織はなくなったんですよ。
はい。ええ。
あ、そうなんですよ。そんなもんですよ、サラリーマンの転職なんて。
そして、より本社スタッフっぽい中期事業構想ユニットっていう、中長期計画を考えるみたいな、経営企画室のなんか脇にある、そういう部署みたいなとこに行ったんだけど、なんか俺にしてみたらある意味官僚的な本社スタッフばっかりで、ま、すごい人もいっぱいいたけど、なんか全然事業の手触りがないなみたいな感じがあって。で、リクルートにRingっていう新規事業提案コンテストがあるから、それに毎年応募してて、で、3回目でやっと本当に事業ができたのがR25なんですよね。3年連続入賞はしてたんだけど。
はい。はい。ええ。
なんかリクルートを辞められた理由とかってあるんですか?
リクルート辞めたのは、でもそれでR25はもううまくいって立ち上がって、1年ぐらい経った時に、僕の隣の島にいた先輩が俺より半年ぐらい先にライブドアに転職してて。
ああ。
それまだオン・ザ・エッヂだった頃かな。それがライブドアになって、堀江さんがポータルサイト真剣にやるぞって言ってる時で、なんかその人が担当で事業計画とかなんか戦略書いてたんだけど、なんか俺が呼ばれて、月1回呼ばれて、ちょっと意見聞かせてよみたいな感じで言ってて、なんか2、3回したら、田端さ、お前、堀江さんが田端に会うって言ってるから会ってよって言われて。
へえ。ま、要するに面接なんだけど、なんかトントンで話が決まってしまい。で、もうR25の時も立ち上げで1年ぐらい経って、ちょうど普通にルーチンワーク、よくも悪くもルーチンワークな日常業務になってたから、また飽きっぽい俺としては、これ面白ぇじゃねえかみたいな、そういう感じでね。
やっぱいろんなとこ転職してたら、もう収入とかもガタガタになったりしないんですか?
で、別に、でも誘われてんだから、今これぐらいの給料なんですけどと言ったら、自然と大体3割増しぐらいは出るよ。
あ、そうなんですね。
いや、だってそうだ。誘う側のマナーとしてそうじゃない?
でもずっと上がりっぱなしで。
それそうだね。あ、そう。実際当時NTTの時、大体残業入れて最初の1年目で多分400とかで、リクルート入ったら600万か700万ぐらい。
ああ。
辞めたの28か9ぐらいだけど、そん時にもう900万ぐらいだと思うな。
あ、そうなんですね。で、そっからライブドアで。
うん。ライブドア行った時に、もうじゃあっつって、とりあえず月100でいいかいみたいな言われて、あ、じゃいいっすよみたいな、なんかそういうので年収確か1200万だった気がするな。
え、そのライブドアに入った時って、そのマーケティング責任者みたいなのか。
ライブドアニュースの責任者なの。
責任者みたい。あ、へえ。ライブドア何年ぐらいいらっしゃったんですか?
ええ、もう結局5、6年いたよね。ああ。
だって2005年にいわゆるライブドア事件が起こる1年ぐらい前に入って、1年後ぐらいにライブドア事件が起こって、ま、その前に堀江さんがなんか選挙に出たりとか、郵政解散で選挙に出たりとか、なんか色々もう毎月なんか起こるみたいなそういう感じで。で、堀江さんが逮捕されて、で、訴訟もすごい抱えてるし、株主さんとの訴訟みたいなことやってるのと、でもちゃんと事業として立て直すって部分を会社を分割して新生できたんですよ。2007年の春ぐらいかな。で、そのタイミングで僕、取締役になったんですよね。ライブドアの上が全部なくなったから。で、そん時の社長が今のLINEヤフーのCEOの出澤さんですよ。
ああ、そうなんですね。
なんか胃がキリキリするっていうか。30人ぐらい社員も辞めてもらったしね、俺。ライブドアニュースのその記者たち、記者さんたち。うん。
うわ、きついっすね、それ。
きついきつい。でもなんかそこら辺から俺なんか何も怖くなくなったわ。
あ、そうなんですね。別に。
もうそこが1番しんどかった。しんどかった。確かにしんどかった。
取締役がどれぐらいやったんですか?
2007年から2010年に1回辞めるんですけど、ライブドアは。
はい。そこまで3年間ぐらい、3年間ぐらいで、最初はライブドアニュースだけだったのは、その後ブログとかも含めた全部メディア事業部長ってなって、全部メディア事業の責任者みたいな。おお、ええ、すごいすね。
ちょっと話に戻るんですけど、そのライブドア入った当初って、今REAL VALUEとかで堀江さんめちゃくちゃキレたりとかして、ちょっと怖いなって印象あるんですけど、当時はその
あの、あの感じだよ。社内の会議とかもあの感じだよ。本当。
え、田端さんでもバチ詰めされる?
いや、もうそうだよ。もう別にそれは関係ない。そんな全然関係ない。で、だからもう今さ、最近さ、俺WAGYUMAFIAとか行ったらさ、堀江さんがさ、肉焼いてくれてさ、俺によそってくれるとかさ、信じられないもん。もうどっちかったら昔なんか、例えばさ、ライブドアのあの当時六本木ヒルズ入ってたけど、エレベーターでさ、例えばさ、先に堀江さんがエレベーターの前待ってたりするじゃん。で、俺も同じく下行こうかなと思うじゃん。でもあ、堀江さんいると思ったらさ、通りすぎてさ、トイレ行くんだよな。
え、で、1回見送って。なんか同じエレベーターに乗っちゃうと、お、田端さんだと思って、あの件どうなってんのって聞かれそうじゃん。
はい。エレベーターで、俺は別の用事でただ通りすぎてトイレの方に行くだけでしたよって顔して。それぐらいマジで、あの、なるべく用したくない。
印象があれと全然違うんですね。もう怖い。もう本当。
最後、そのライブドア辞めるきっかけはあったんですか?
もうそれは、だいぶライブドアも経営再建して、NAVERっていうか、だから今のLINEの前身のあそこに買われてっていう話まで決着したし、ひと段落ついたなって思った時に、VOGUEとかGQとか、割とコンデナストって会社が外資系であるんですけど、そこの、あの『プラダを着た悪魔』のあの編集長のあの会社のモデルだよ。
へえ。
うん。そこは元々紙の雑誌の会社だったけど、もっとデジタルの事業を伸ばしたいんで、デジタル事業の責任者なりませんかってヘッドハントいただいて。
へえ。
で、そっちに行くんですけどね、2年ぐらい。
へえ。そこではどういうことをしてたんですか?仕事というか。
いや、iPadが出た、出したばっかりの頃で、iPad上でこう、紙のページをめくる風のデジタルマガジンをやるとか、
あ、
ま、あとはそういうTwitterとかも出てた頃だから、TwitterとかインスタとかにそのVOGUEとかファッション雑誌とかファッション情報もっと載せてったら接点伸びるじゃんみたいな。
うん。うん。
そういうのすごいやってたよね。
え、当時はやっぱその収入とかアップしたんですか?
コンデナスト行った時はすごい上がりましたよ。
あ、え、どれぐらい?やっぱ外資系だからね。コンデナスト結構給料いいんすよね。2300、2400万ぐらいなった気がするですよね。
ええ、すごいですね。ずっとキャリアアップし続けてるというか。
そうすると出澤さんとかから、LINE面白いことになってるから田端さんそろそろ戻ってきたらみたいなお誘いをいただいて、戻ったのが2012年だな。
あれすね。スマホ出たてか。
iPhone。iPhoneが2008年か9年ぐらいだよね。
え、あ、それで、ライブドアに戻る、
ライブドアがNAVERの日本法人の子会社になってたんですよ。
はいはい。そこに戻るという感じ。
うん。戻ることになるんだけど、その後LINEが伸びて、もう別々にやってる必要もないよねってなって、NHNっていうNAVER、韓国側のゲームの部門と、NAVERって検索エンジンとライブドアが、もう3個あったんですけど、子会社として全部くっついて、LINE、社名もLINEになるっていう。
あ、そうなん。
そうなんですね。そうなんです。で、そっからLINEの社員になるみたいな。
LINEの執行役員ですね。
あ、LINEの。
そう、そう、そう。
NAVERまとめとか、ちょっと懐かしいす。
確かに懐かしい。NAVERまとめは、あの別の方が、島村さんって方がやってて、どっちかっていうとそれのマネタイズをする、広告する方を。それはLINEに戻った後、まだLINEできたばっかりぐらいだけどやるんですけど。
それ、LINEについてどういうことしてたんですか?
だからスタンプとかさ、例えば楽天がパンダの、楽天パンダのスタンプ配ったりするじゃん。例えばソニー・ピクチャーズで映画会社がスパイダーマン今度やるからスパイダーマンのスタンプ配ったりしてやるじゃん。あれ、スパイダーマンのスタンプとかただでもらえるのも、映画の宣伝するためにソニー・ピクチャーズがお金出したりしてるんだけど、スポンサードスタンプってモデルとかを最初から作ったりしてましたよ。
へえ。おもろ。あ、そうだった。そう。
あれだって普通広告って無視するけど、スパイダーマンがイエーイってやってるスタンプが友達から来たら絶対無視できないでしょ。うん。うん。
で、押したら、あ、これ今度やるんだみたいな。あれ、それをダウンロードする時に公式アカウントと友だちにならないといけなくて。
うん。
そうすると1か月前にスタンプ撒いといたら、予告のムービーが流れてきたりして、公式にプッシュメッセージが来るみたいな。
え、それ田端さんがもう責任者として、
ま、その広告とかマネタイズとしてはそうですよね。
おもろ。すご。
牽引してたね。マジですげえっす。
LINEの時は給料やっぱ上がったりしたんですか?
うーん。コンデナストから横滑りで、そんな変わんないぐらいかな。そもそもLINEの時も5、6年あるからね。その上場する前とした後とかではやっぱ少し変わったし。
え、辞める時はどれぐらいだったんですか?
2500から3000万ぐらいかもな。
ああ、ええ、高いすね。
でも俺ちょっとLINEのあの機能作って。
確かに。
あともっとあれだよ。その後半さ、ビジネスコネクトって言って、広告だけじゃなくて、クロネコヤマトとかから、あなたの家に今日今荷物行きますみたいなメッセージ来たりするじゃん、LINEで。
あれ田端さんすか?
あれも最初に1番やったのそうですよ。だから単に広告ってよりは、ちょっとしたカスタマーサポートっていうか、そのなんかクレカのさ、住所変更したいとかさ、そういう企業からのお便りみたいなのいっぱいあるじゃん。ああいうのをさっさと電子メールの連絡とかじゃなくてLINEとかに切り替えた方がいいっすよねみたいなのを、すごいろんなところに営業して、提案してました。
へえ。ええ、LINE辞めた理由は何だったんですか?
もうだって上場もしてさ、なんか1年経って、どんどん部下も増えるし。多分一般論として僕のビジネスパーソンのその市場価値を考えると、その2016年、17年、18年あたりって1番高かったと思うんだけど、前澤さんからZOZOSUITやるから手伝ってよみたいなお誘いをいただいて。
へえ。
で、僕は、ZOZOはLINEから見たら広告主としてトップ10かトップ20に入るような上得意客だったし、同い年なんですよ、前澤さん。
で、勝手に俺ずっと10年ぐらい前から見てて、ZOZOの株も買ってたりしてたわけ。面白い会社、絶対伸びるこれと思って。で、儲かってたりするから結構興味はめちゃくちゃ強いわけで、一対一でさ、飯食いましょうって言われたら断るわけないじゃん、別に。
はいはい。
それで行ってみたら、世の中に出る前のあのZOZOSUITを見せられて。ZOZOSUIT知ってる?
知ってます。
これを世界中に無料でばらまくと。
はい。
そしたらワンチャンAmazonにも服の分野では勝てるんじゃないかと。だからそれをもう是非手伝ってほしいと。
うん。
これからZOZO自体がブランドになってく、服のブランドになってく時に、自分っていうのがどういう人間かっていうのをもっと世の中にたくさん、日本だけじゃなく世界中に直接ダイレクトに届けたいと。で、そのためにはTwitterとかYouTubeみたいなチャンネルが、自分の考えを直接世界中の人に届ける上でめちゃくちゃ大事だと思うけど、誰の力を借りるといいかなって色々人にね、聞いてみたら、田端さんのお名前を聞いて、是非手伝ってほしいと誘われたから、ま、そこまで言っていただけるならって感じです。
Xとかって?
2008年ぐらいからやってます。
で、多分2010年ぐらい。ああ、18年。18年とかで確か正田、正田Kさんとかとレスバしてたのって、多分いっぱいレスバしてるから。あの僕知ってるの結構それ、脱社畜サロンでなんかレスバってのはすごい記憶に残ってて。いやでもなんかLINEの人がこんな喧嘩していいんだみたいな、当時めっちゃ覚えてて。厳重注意とか。あれの件じゃないけど、別件では厳重注意って言われた。
そう、執行役員でレスバしてたとか。
あ、そう、レスバしてて。うわ、こんな人いるんだっていうのを当時すごい覚えてたんですよ。
なんか別に僕って嫌いとかじゃないんですよ。なんかプロ野球のさ、巨人と阪神が対戦してる時に、例えば阪神のピッチャーが巨人のバッターに思いっきり嫌なコースに投げてやろうみたいなのって、そいつが嫌いだからやってるわけじゃないじゃん、別に。
うん。うん。
そう、そういう感じでレスバしたいだけなんです、僕。
ああ。
そう。だからなんかすぐさ、レスバしてるとさ、多分さ、あの人のこと嫌いなんですか?いや、別に嫌いとかじゃねえんだよみたいな。
うん。うん。
好き嫌いじゃないんですよ、そこ。それってさ、プロ野球のピッチャーとバッターが対戦してる時にさ、相手の嫌なコース投げてるからってさ、ま、嫌いなんですか?いや、そういう、それが仕事でしょみたいな。いや、むしろいいバッターだと思うから、逆に相手がなるべく嫌なとこに投げるんだよみたいな。それはリスペクトの表明なんで、俺にしたら。
なるほど。
あ、じゃ、嫌いな人とかはあんまりいないっていう。
え、本当にどうしようもなく嫌いな人とか、別に最初から絡まないでしょ。
あ、そうか。嫌いな人はレスバしないっていうことですね。
うん。嫌いとか、少なくとも興味はあるからレスバするわけだよね。
ああ。
ところが、もう言われたくないからやめてみたいな人たちが過去いっぱいいたけど、その歪んだ愛情やめてみたいな。
ちょっと話戻っちゃうんですけど、ま、ZOZOに転職されて、ZOZOではZOZOSUITの担当だったんですか?
ZOZOSUIT担当って、その広報とかマーケティングとか。そのZOZOSUIT、例えば発表会やるじゃん。記者発表会。それをどんな場所でどんな風にやって、どんな資料を作って、前澤さんにどんな風に語ってもらってとか、そういうのをずっと考えるんですよね。
Xとかも担当されたんですか?前澤さんの。
直接じゃないけど、前澤さんが例えばなんかこういう企画考えた時に、どんな風な文章でどういう風に発表するのがいいと思う、Xで、みたいなのを色々。例えばツイート下書きしたこともあるし。うん。ああ、へえ。
なんか1回ね、リツイート数世界1位みたいのあったじゃない。なんかあのお金配り企画とか、正月にいきなりやると言い出したりとか。
あ、はいはい。え、あれとかも。
あれももちろんやってましたよ。その別に全部書いて、最後必ずもちろん本人手入れるけど、基本的にはなんか下書きとか、客観的にこの言葉はこうした方がいいんじゃないですかとか。
へえ。
でももちろん本人が勝手に始めて勝手に書いて、たまに問題になった時に周りの人から連絡が来て、あのツイートは田端さん事前に見たんですか?いや、見るわけないじゃないですかみたいな。あんなの見てたら止めてましたみたいな。
ZOZOでは最終的にどういう役職だったんですか?
執行役員、コミュニケーションデザイン、ま、いわゆる広報の責任者ですよね。
ええ、いや、なんかその全ての会社で結構出世が超早いイメージなんですけど、なんかあるんですかね?その。
だって最後の方の会社なんてほとんど社長と握って入ってるんだから、その社長が人事権持ってるんだから、出世が早いとかっていうかさ、社長と一緒にヘリコプター乗って3合目にいきなりいるみたいな状態だよね。それはあるかも。
ああ、社長さんと仲良くなるのが得意とか、そんな感じなんですかね。
うん。仲良くなるってか、多分前澤さんがそうだったけど、別に俺、前澤さんだろうが言うべきことはやっぱ言わないかんと思ってるわけですよ。で、ちゃんとした起業家ほどイエスマンばっかりだったら危ないと思ってるわけ。
うん。
で、俺別にどうなっても困らないしみたいな。でも僕は心から、前澤っていうのは自分の同い年のね、すごい起業家としていて、過去10年ぐらいかもうずっと知ってるしっていう中から、こうあるべきなんじゃないですかって僕は思いますよと。で、それで気に入らなかったら、僕クビにして、いつでもクビにしてくださいって思ってる。そういう存在がやっぱ必要だなって思ってたんじゃないですか、やっぱ。
ああ、そう。クビになってもいいっていうのは、他にも収入源がちゃんとあって。
そう、そう、そう。だってさ、最後の方もうなんかオンラインサロンとか色々やってて、別にそのサラリーマンとしての収入と同じぐらいあるからね。
あ、そうなんだ。え、ZOZOの時はどれぐらいの収入だったんですか?
え、ZOZOとLINEだから、そんな変わんなかったですよ。
あ、そうだったんですね。で、ZOZOが何年間ぐらい? ZOZOは2年ぐらい。2年って、これも辞めたきっかけってあったんですか?
もう前澤さんが先にさ、ZOZOSUITも悲しいかなうまくいかなくなって、で撤退モードになって。で、前澤さん、そこでもう俺がいてもしょうがないなと思ったのか、前澤さんが持ってる株を今のLINEヤフー、Zホールディングスに売るっていうことを2019年の夏休みに聞かされて。俺たまたま休みでハワイのオアフ島にいたら、前澤さんからLINEが来て。前澤さんハワイ大好きなんですよ。「ハワイに来てくれない?」みたいな。「僕いるんですか?」「ちょうど良かったじゃん」つって。「他の連中さ、俺わざわざ今日本から呼んでるから」って言われて。
おっかなびっくりで行ったら、そん時言われたんですよ。「俺もう株売るわ」つって。へえ。「俺みたいなバンドマンがさ、たまたま会社やったらすげえうまくいっちゃったけど、いい意味でもうZOZOは俺みたいな人間が経営を続けるべきステージじゃない」みたいなことを言い出して。晴れやかな顔で、ハワイの風に吹かれながら、ゴルフ1ラウンド終えたみたいな感じで、ワイン飲みながら。なんかすげえ覚えてる。
もう俺もそもそも前澤さんに誘われてZOZOに入ったんだから、前澤さんがいなくなったのに俺みたいな炎上野郎がいたら残ってる人もやりにくいでしょうと。で、ただみんないい人だから、前澤さんがいなくなったから直ちに田端さん出てってくれって感じでもなかったけど、自分からそこは空気を読んで、まあさすがにもう45だし、もう本当に皆さん色々ありがとうございましたと。あの、次のZOZOの社長にね、言って出てったみたいな感じですよね。それが2019年の末か2020年の春ぐらいで。へえ。
もうその後って、どっか会社に属したりとかはない? もうない。自分の会社作って、これですよ。YouTube。うん。もうなんか他に属してやりたいこともなくなったというか。うん。そうね。もう自由がいいですよ。
自由がいい割には結構な間会社員でしたよね。そうなんですよね。でも案外、だから案外会社員でもここまで自由にいけるんだっていうことを結果的に示せたとしたら、それはいいよね。いや、確かにそうですね。
今って1日、もちろん日によると思うんですけど、大体どういったスケジュールで動いてるんですか? 1日、朝8時45分から毎朝株ライブって月金でやってて、で、それ大体1時間ぐらい、10時ぐらいまでやるでしょ。で、終わると、まず自分のライブ配信じゃない方の動画を撮るのが週2、3回ぐらい。はい。午前中で、こういう感じで撮ってもらうやつもあるし。で、そうすると大体それで昼ぐらいになるじゃん。はい。で、そうすると筋トレ行ったり、週3で筋トレしたり、そっからはまあ自由な感じで。すごいっすね。いや、みんなそう言うんだよ。みんな「楽しそうっすね」みたいな。
いや、これ言えなかったら大丈夫ですけど、最高年収とかはどんな感じ? え、でも年収ってさ、例えばLINEが上場してストックオプション行使した時は、あれ給与所得になるから、2、3億になったんじゃないかな。ええ、すご。会社員でってことですよね。うん。すごいっすね。とんでもない。でもそれストックオプションだから、その瞬間の年だけの、瞬間最大風速みたいなとこあるし、税金がえらいことなんだよ。だって給与所得だから、55%だもん、まあ住民税出したら。
え、今後の展望とかってあったりするんですか? え、俺の? はい。いい質問やな。今ね、だからアクティビストYouTuber的なことやり出して、1番最初に結構色々手掛けた、株価とか問題を煽ってやったのが、まずメルカリでしょ。はい。で、それは悲しいかなそんなに儲からなかったけど、で、次やったのがリアルゲートっていう、中古の中小ビルをイケてるビルに再生する会社で、で、これはすごいうまくいって、買った時より株価が3倍ぐらいになったわけよ。ええ、すご。すごい。次の3社目をね、今仕込み中です。ああ。まだここでは言えないんですけど、もう今水面下では進んでおります。はい、なるほど。乞うご期待。
じゃ、最後にですね、このチャンネル、20〜30代ぐらいが視聴者層なんですけど、その層に向けて何でもいいんで一言もらえたりしますか? うん。本当にね、投資とかビジネスって最高に面白いソーシャルゲーム。全世界が熱中してるソーシャルゲームなんで。僕、だから大人になってから全然ゲームとかやらないし、やる必要ないんですよ。仕事自体が最高に面白いソシャゲなんで。
あとはビジネスってチームじゃないとできないけど、投資は1人でもできるんです。うん。メッシだってさ、どっかのチームに入んないとサッカーできないじゃん。はいはいはい。でも投資の場合は個人のままででかいことができるって部分もあって、その面白さもあるってとこあるんで。まあでも、とにかく投資とかビジネスほど面白いゲームないんで。人間って生きてたらさ、仕事とか投資とかお金とか関わらざるを得ないんだったら、どうせやるんだったら、しらけてるより真剣にやった方が楽しくない?とは思う。
今日お忙しいところありがとうございました。いやいや、ありがとうございました。楽しかったです。僕も楽しかったです。ありがとうございます。
この町の空に こんな時代のそばに 変わりもいなくて
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