東大寺学園から2浪で東大理三、専門医を取らずに開業し17院へ 花房先生が語る経歴と「直美」の実態
トマホークTomahawk京都大学医学部のYouTuber・もごさんが、はなふさ皮膚科を展開する花房先生に話を聞いた回である。花房先生は自己紹介で自分を「外科医になりたかった皮膚科の花房」と名乗る。大阪の公立中学から東大寺学園、2浪を経て東大理三に入り、皮膚科専門医を取らないまま開業し、粉瘤手術と独自の「花房式治療」で17院まで広げた。インタビューでは、この経歴をたどりながら、研修医が初期研修を終えてすぐ美容医療に進む「直美」について、皮膚科医の立場から否定的な見方を示している。
顔を出さない理由と、カメラ外でも変わらない話し方
もごさんはショート動画で花房先生を知り、後から東大医学部出身だと知ったという。花房先生は動画であまり顔を出していない。理由を聞かれると「出てきてこれかよと言われるのが嫌で」と冗談めかして答えた。淡々とした話し方はYouTubeと同じで、キャラクターを作っているわけではなく、カメラの外でもこのままだという。
専門医を取らずに医局を離れた経緯
花房先生は初期研修2年のあと皮膚科で3年半働いた。当時あった後期研修の修了証は持っているが、専門医の取得にはあと1年ほど足りなかった。当時は後期研修を管轄する組織と専門医を認定する組織が別だったようで、後期研修の修了がそのまま専門医にはならなかったと本人は説明する。
医局を離れたきっかけは教授の交代だった。尊敬していた玉置先生から別の教授に代わり、花房先生は直感的に「さすがにこのおっさんの下では働けない」と思ったという。花房先生によれば、この東大皮膚科の教授は後に逮捕され、「東大ブランドを失墜させた」人物である。10〜15年ほど前に会った時点で嫌な感じがしていたと振り返る。一方で、その頃には専門医レベルの内容はおおむね身につけていて、「専門医を取ってもこんなものか」という感覚もあった。本人は「言い訳になるけど」と断ったうえで、医局をやめて開業したと話している。
野球の挫折と、荒れた公立中学
両親は医師ではなく、教育関係の仕事をしていた。家庭には勉強しなさいという雰囲気があり、中学受験もした。ただ小学生の頃は野球に力を入れていたため、清風中学に落ちて地元の公立中学に進んだ。当時は大阪市内に住んでいた。
野球はかなり本気でやっていたが、下の方のチームでもなかなかレギュラーになれず、今思えば頑張ってもプロにはなれなかったと本人は言う。当時は「デッドボールに当たってもいいから塁に出ろ」という自己犠牲を強く求められ、エラーをするとバットで尻を叩かれて腕立て伏せ20回、ということも普通にあった。この経験がトラウマになり、今でも集団スポーツはあまりやりたくないという。
進学した公立中学はかなり荒れていて、逮捕される同級生もいた。中学2年頃までは本人もその空気に染まり、喧嘩をすることもあったという。今の花房先生からは想像できないと、もごさんは驚いていた。
東大寺学園へ、そして「遊べ」という校風
このままではまずいと感じた花房先生は、中学2年頃から勉強を始めた。大手予備校の中学生向け塾に通って勉強に目覚め、東大寺学園高校に合格する。高校募集は1クラス分しかない狭き門だった。偏差値の高い学校に行けば人生が好転するのではないか、という期待があったという。東大寺の入試は他校より早い2月にあり、そこで合格したが、中学受験で落ちた清風高校も受けて合格し、「リベンジ」を果たした。高校進学後は家族で奈良県に引っ越した。治安は良いが「何もない、退屈な街」だった。
東大寺学園の校風は、一般的な進学校とは逆だったと花房先生は言う。高校3年間は遊びなさい、1浪くらいしてから大学に行けばいい、という空気で、必死に勉強していると冷やかされるほどだった。何をしてもいいと言われると、かえって何もしなかった。部活にも入らず、友達とカラオケやボウリングに行く程度の日々で、成績は中くらいだった。野球で挫折し、勉強で東大寺に入り、そこで目標を見失う。中高は「挫折の連続」だったと本人は振り返る。
医学部を目指した理由
医学部を志したのは、医師への憧れがあったからだ。今でも医療ドラマを見るのが大好きだという。最近MBTI診断をしたらINTJ(建築家)と出て、向いている職業に医者が挙がっていた。子どもの頃から医者になりたいと思っていたのは、半分は生まれ持ったものだったのだと感じたという。
親の影響も大きかった。親は自分が医者になりたかったらしく、「当時は今ほど偏差値が高くなかったからなれたのに、数学の道に進んでしまった」と後悔していた。花房先生は小さい頃から医者になるよう言われていた。
現役・1浪・2浪で変わった受験への姿勢
現役では東大理三だけを受けた。周りも1浪は当然という雰囲気で、本人は「記念受験」だったと言う。それでも足切りは突破していた。センター試験は常に9割以上取れていて、マーク式が得意だった。医師国家試験も「余裕だった」そうだ。
1浪目は大阪の河合塾に通い、そのために大阪へ引っ越した。当時は携帯電話もなく、勉強か読書しかすることがなかった。模試ではD判定からA判定まで上がり、受験も理三1本に絞った。絶対受かると思って東京に受けに行ったが、試験の手応えがしっくりこず、結果は不合格だった。
この失敗で花房先生は「人が変わったように」慎重になり、石橋を叩いて渡る性格になったという。同じく2浪のもごさんも、現役で調子に乗って落ちてから入念に準備するようになったと共感していた。花房先生は、この慎重さは医者になってから活きると話す。調子に乗っていると、手術中に体内に物を置き忘れたり、少し出血していても大丈夫だろうと閉じてしまったりする、という。
2浪目の頃は「闇落ち」していた。親も東京に出したほうがいいと考え、花房先生は一人で駿台予備学校の寮に入った。東京ライフを期待していたら寮は埼玉だった、と笑う。この年は教科書を脚注の小さな字まで読み込み、漏れのないように準備した。夏以降は模試でトップ10ほどに入った。珍しい本名のため、今でも「受験の時に名前を見ていた」と言われることがあるそうだ。センターは96%ほど取り、「東大1本ではだめ」と言われて防衛医大や慶應も受け、特待生だったと思うと話す。本番は不安な気持ちで臨んだが、結果的には余裕で理三に合格した。
大学生活と国家試験
入学後はスノボのサークルとダイビング部に入り、浪人時代の反動でかなり楽しんだという。ダイビングは遠征1回で数十万円かかるため、部費を稼ぐ「パーティー」を開いていた。クラブを貸し切り、東大生や近隣の女子大生にチケットを売るもので、一晩で100万〜200万円ほど(売上か利益かは覚えていない)になった。OBからは、バブル期には一晩で500万円稼いでいたと聞いたそうだ。
CBTについては、自分たちの学年が試験的に導入された頃ではないかと言う。当時は卒業試験と国家試験を突破すればよかったが、東大の卒業試験は記述式が中心だった。「東大ともあろうものがマーク式で医者になるとはけしからん」という雰囲気があり、マーク式が得意な花房先生は苦戦した。一方、国家試験は今より簡単だったと本人は言う。例として、うつ病の患者への対応で「頑張れと励ます」を選ばせるような問題があり、医者でなくても解けるレベルだったと話す。
ポリクリ(病院実習)2年と初期研修2年については、まとめて1年ほどに圧縮できる、4年間は無駄が多い、という点で二人の意見が一致した。
外科を諦めて皮膚科を選んだ理由
外科医になりたかったというのは本当の話だ。卒業後、外科志望として初期研修を受けたが、しっくりこなかった。当時の外科では朝7時頃に集まって患者情報を確認し、カンファレンスの準備をし、朝食を皆で食べ、夜は皆で焼肉に行く。部活のようなチーム文化に、集団競技が苦手な花房先生は気を遣いすぎてしまった。
そこで一人で完結する仕事の多い皮膚科を選んだ。皮膚科は外来で患者と1対1で向き合い、手術も基本は医師1人と看護師でこなす「個人プレイヤー」だという。リンパ節郭清を伴うメラノーマの手術や、重いやけどの植皮など手間のかかる手術は数人で行うが、それも「1+1+1」のような個人プレーの積み重ねで、空気を読めないと怒られる雰囲気ではない。外科では左利きの花房先生が「左利きはやりにくい」「左利きでうまくなったやつは見たことがない」とずっと言われながら手術をしていたそうで、その違いは大きかったようだ。
美容皮膚科と美容外科の違い
花房先生の説明では、美容皮膚科はレーザーの登場から始まった分野だ。シミ取りや脱毛、ヒアルロン酸などの注入、簡単な小手術を扱う。美容外科はフェイスリフトや骨切りのような、より難しい手術を行う。重なる部分も多いが、美容外科という国家資格はないため、実際は美容皮膚科医なのに美容外科を名乗る医師も多いという。美容外科医を目指して直美に進み、美容外科医になれずに美容皮膚科医になるパターンがほとんどだと花房先生は見ている。
直美への否定的な見方
直美については「だいぶ否定派」で、親しい人には「やめたほうがいいんじゃないの」と言うと明言した。りり先生のように優秀で目的意識がはっきりしている人なら可能性はある、と例外は認めている。
否定的な理由は、花房先生自身が直美で行き詰まった医師を受け入れてきた経験にある。知り合いから「直美に行ったがうまくいかなかったので面倒を見てほしい」と頼まれ、皮膚科を教えていたという。ところがカルテの書き方も診察の仕方も分からず、メスや鑷子、ハサミの持ち方からおかしかった。2年間美容をやっていたのに、手術をさせてもらっていなかったのだろう、と花房先生は見ている。
もごさんは、大手美容外科なら教育体制が整っていると思っていたと話した。花房先生は、例外的に良いところはあるかもしれないが、98%は人を集めるために「教育体制が整っている」と言っているだけだと答える。花房先生によれば、大手にとって直美は「使い捨て」だ。ヒアルロン酸だけ教えて稼げるうちは使い、稼げなければAGAの薬を出すだけの部署や、ダイエット・脱毛のカウンセリングなど、医師免許があれば誰でもできる仕事に回す。見た目やセンスがよく勉強熱心な医師は出世させるが、そうでなければ数年で辞めていくのを待つ構造だという。AGAの診察を10年続けるのは「発狂しそうになるくらい辛い」と表現した。
給料についても、年収2500万円は「いい時代の話」で、今はAGAの診察などでは2000万円に届かない水準だと花房先生は言う。1000万円は超えるが、求人に出ている3000万〜5000万円はインセンティブ込みの数字だという。美容業界はマーケティングが得意なので、教育も給料も良く見せているが、実態は「生き残れる人が自力で生き残る」世界だ。もごさんは、広告で見えるのは成功した人だけで、落ちぶれた人は見えないと応じた。
ただし花房先生は、直美が行き止まりだとは考えていない。保険診療には戻れるからだ。Twitterでは戻ってきた医師を「卑怯者」などと叩く声もあるが、それなら産休で休んでいた医師もだめなのか、と反論する。一度美容に賭けてみるのは「ありっちゃあり」だという。
300万円のクリニックが0円に 開業の経緯
開業当初は保険診療が中心で、それが3年ほど続いた。専門医取得まであと1年必要だったが、若かった花房先生にはその1年が惜しかった。ちょうどその頃、アルバイト先のクリニックの院長から、糖尿病がつらいので引き継がないかと声をかけられた。
当時勉強していたバリュー投資の考え方で見ると、高額なレーザー機器などの資産だけで1000万円ほどの価値があるのに、300万円で売りに出ていた。明らかに割安だと判断して、借金をしてでも買うつもりで引き継ぎを申し出たところ、院長に気に入られ、最終的には0円で譲ってもらえたという。後期研修の修了から数か月から半年ほどでの開業で、かなり早いほうだった。三鷹の医師仲間からは「東大卒がもったいない」「開業医なんかに」と言われ、気まずかったそうだ。
粉瘤のくり抜き法で患者が全国から集まる
開業後1年半ほどは、生活には困らないがそれほど儲かりもしない状態だった。転機は粉瘤の手術だった。SNSがなかった時代で、花房先生は暇だったこともあり、ブログで1日1つほど病気について発信していた。その中で、傷が小さく済む「くり抜き法」を紹介した記事がバズった。当時くり抜き法をやっている施設は少なく、三鷹の外れのクリニックに北海道や沖縄からも患者が来るようになり、1日20〜30件の手術をこなした。売上が伸び、2院目は自己資金で出したという。
花房式治療と17院の展開
開業から15年目の現在、クリニックは17院ある。ほぼ年1院のペースで少しずつ増やしてきたが、ニキビ跡のクレーターや毛穴の治療として「花房式治療」を開発し、これが再びバズって全国展開につながった。年商は「中くらいの企業を買えるくらい」で、利益率はベテランの銀行支店長が「こんな利益率は見たことがない」と言うほどだと本人は話す。今後は全国50院を目指すといい、もごさんは「都道府県に1院ずつある計算だ」と応じた。
医師を目指す人へ
最後に医学部や医師を目指す人へのメッセージを求められ、花房先生は医師と患者の関係について語った。医師にとっては大勢の中の一人の患者でも、患者にとっては親や配偶者との出会いと同じくらい重要な「巡り合わせ」だという。医師は毎日100人、200人と診るうちに感動が薄れていくが、患者にとって「あの先生でよかった」という経験は一生心に残る。その本質に触れ、心を震わせる経験をしてから開業し、医療を語ってほしい。薄っぺらく医療や医者を語るのはやめてほしい、と花房先生は話し、「偉そうに言ってすみません」と締めくくった。
バントンと奥くとお前ら、京都大学医学部YouTuberのもごです。はい、ということで自己紹介お願いいたします。
どうも、花房です。外科医になりたかった皮膚科医の花房と申します。
そうなんですか。そうだったんですね。なんか結構やっぱショートですごい見たことがありまして。
ありがとうございます。
粉瘤の、そうですね。動画で。で、後から調べたら、あ、東大医学部なんだみたいな感じで。
はい。そうですよ。そうです。
俺の憧れの。あんま出されてないですよね。
そうですね。あんまり出してなくて。
なんかこだわりというかがあったりするんですかね。
いや、なんか東大出てこれかよって言われるのが嫌で。
いやいや。ちゃんと皮膚科もやられてますよね。
専門医ちょっと取らずに。え?そうなんです。
そうなんですね。え、でも今話題の直美とは違うってことですか?
はい。直美ではないですね。僕、皮膚科、一応2年間終わって、でその後皮膚科3年半やって、一応その当時は後期研修って仕組みがあったんですけど、後期研修の卒業証もちゃんとあって、まあ今はそんな意味あんのかどうかわかんないですけど、で、1年足んなかったのかな。
そう、そこでちょうど教授が変わって、さすがに専門医取ってから開業しようかと思ってたんですけど、そん時にちょうどね、皮膚科が玉置先生っていういい先生で尊敬してたんですけど、その後…っていう先生に変わって。今逮捕されましたけどね。さすがにこのおっさんの下で働けないなと思って、なんか僕そういう直感まあまあ働く方で、なんだかんだ言い訳つけて医局やめて開業したっていう感じなんですよね。
それは東大っていうか東大病院ですか?
そう、東大病院の、東大の皮膚科の教授で、風俗に行きすぎて逮捕されて、
あ、はい。なるほど。
東大ブランドを失墜させたおじがいるんですけど。
すごいってことはすぐわかったんですね。
だからそのもう、それもう15年前ですけど、もう10年、5年ぐらい前から会った時に、なんかこの人やだなみたいなのあって。
でも専門医取ってないとはいえ、なんかもうあと1年ぐらいまではやってたというか。
そっすね。ただ、言い訳になっちゃうあれなんですけど、もうその頃には割と専門医とか押さえてたんで、顔をもう。だから、専門医とってもこんなもんかみたいなのはあって、だいぶご批判あると思いますけど。
ちょっと思ったら、やっぱその話し方がYouTubeと全く変わらない。
そう、そう。カメラ外でも同じなんで。
ずっとこういうキャラ、キャラ作ってるわけとかじゃない。
キャラ作ってるわけじゃなくて、ずっとこれで。
この上品さで詰められたら俺泣いちゃいます。病院でね、淡々と「なんでこれできないのかな」。
で、このチャンネルは人生とか経歴、学歴とかをしていくんですけど、ご両親はお医者さんとかではないんです?
ではないですね。一般家庭で育って。
もうサラリーマンみたいな感じですか?
そうですね。教育系の人でしたね。
じゃ、勉強とかはこうしなさいみたいな、
しなさいみたいな雰囲気があって。
じゃ、もう中学受験とかもしようみたいな感じな。
そう、中学受験もして、小学校の時はどっちかというと、勉強より野球とかそういうのやってたんで落ちちゃって、中学受験。
どこ受けられたんですか?
清風っていうとこ受けたんですけど、落ちちゃって。
え、そうなんですね。公立中ですか?
で、公立中学行って、その中学がまたね、すごいところで、もう本当にね、ヤンキーしかいない。
え、ヤンキーでした?
ヤンキーじゃなかったです。ヤンキーじゃなかったです。
なさそうです。野球は結構ガチでやってたんですか?
結構ガチでやってたんですけど、中堅っていうか、下の方のチームでもなかなかレギュラーになれないタイプだったんで、一生懸命やってもなかなかレギュラーになれないタイプだったんで、今思うとさすがにそのままめちゃくちゃ頑張っててもプロにはなれなかっただろうなっていうレベルだったと思いますね。ま、中学受験も落ちましたと。
で、その後なんか野球も続ける気になれなくて、当時だと打順でこう繋がなきゃいけない場面だと、もうとにかくデッドボールで当たってもいいから塁出ろみたいな感じで、自己犠牲をもうめちゃくちゃ強いられる時代だったんですよ。
まあね、多分時代的には体罰とかも普通にあった。
そう、体罰とかも普通にあって、エラーしたらバットでこう殴られるみたいな。お尻とかこう殴られて、腕立て伏せ20回やるみたいな。そういう時代は全然あった時代なんですよ。
中学は部活入ってました?
で、中学は、それでスポーツがこう嫌になって、近くの水泳のクラブとかに行ってるぐらいで、さすがにちょっと勉強しないとまずいかなと思ったんですよね。中2ぐらいから。で、結構勉強して塾も行って、そんなに勉強も期待してなかったんで、なんとか東大寺に入って。
そこがやばい。一瞬でカットされてしまったけど、すごい。さらっと東大寺行ってません?
え、やっぱ大手の塾とか行ったんですか?
大手の塾行ってましたね。そん時ちょうど予備校の中学生バージョンのやつがあって。
そこで目覚めた感じですか?勉強に。
勉強に目覚めて。
いや、すごい。高校からのが難しいって言いますかね。募集人数少ないし。
確かにそうです。1クラスしかなくて、もう2、30人とか。2、30人しかなくて。
へえ。他にも受けました?
いや、東大寺当時早かったんですよ。なんか普通の入試は3月とかなのに東大寺だけ2月みたいな感じで、そこで受かっちゃったんで、もういっかで。あ、でも清風の時リベンジだけ。でももう清風の方が2ランクぐらい下だから。
え、合格ですか?
そうですね。合格。
ちゃんとリベンジですね。東大寺に行きたかった理由はあるんですか?
いや、我々の中学って結構、当時の時代背景もあるんですけど結構やばくて、逮捕されるやつがいたりとか、クラスで。ちょっとこのままじゃダメだなみたいな、もうちょっと偏差値高いとことかに行った方が人生好転すんじゃないかなみたいな。
出身どちらですか?
出身はその中学の時は、大阪の、大阪市の、駅で言うと神池っていう駅。そこに住んでましたね。
そっから変わったりしたんですか?
で、高校で東大寺入ってから、奈良県に家族でみんなで引っ越す。そうそう。だから教育だったと思うんですよね。
高校でもう奈良県に引っ越しされて、治安は良くなるというかっていう感じなんですかね。
いや、どうなんすかね。そうだね。めっちゃいいっすよね。治安。けど、悪く言うと本当何もないっていうか、なんか退屈な街ですよね。
なんか幼少は結構治安悪めのところでサバイブされてたというか。
ですね。
どういうキャラクターだったんですか?さっき中学2年ぐらいで変わったって言ってたじゃないですか。中学2年ぐらいまではやっぱりこうそのカルチャーに染まった。
意外と。
喧嘩したりね。そう、そういうのはありましたね。
今とじゃあだいぶキャラクター違うというか。
そうですね。今とだいぶキャラクターが違くて。
そうだったんですね。全く想像できない。高校3年間は結構勉強メインって感じですか?
いや、それが普通の進学校ってこう勉強しなさいよ、いい大学行きなさいよみたいなカルチャーだと思うんすけど、東大寺はもう高校3年間も遊びなさいと、一浪ぐらいしてから大学行けばいいからみたいな。で、逆にこう必死こいて勉強とかしてると、なんかダサいみたいな、そういうカルチャーだった。
そうなんですね。じゃ、何してもいいってなると何されてました?部活とか。
いや、その何してもいいって言われると、なんか何もしなかった。何もしなかったな。本当になんか何してたか記憶とかもあんまり。いや、あるんですけど、友達と遊んだりとか、遊ぶって言ってもね、本当田舎で何もないってことだから、みんなでカラオケ行ったり、ボーリング行ったりとか、そんなのがメインですよね。
で、結局部活も入らずですか?
部活は入んなかったですね、その時は。
そうなんすね。
入ってなかったですね。
なんか学内の順位というか、どれぐらいの勉強の出来具合だったんですか?
まあ、中の下ぐらいですかね。
中の…本当かな?
本当になんかいまいちやる気が出ないっていうか、結構中高って挫折の連続だったんですよね。小学校の時はスポーツやってて、本当に野球選手とかマラソン選手とか、アスリートになりたくて、小学校の時は。でダメで、中学なって勉強して東大寺入って、なんか何やってもいいよみたいな感じになって、で、大して目標も見つからずにっていう感じで。
運動神経良かったりしたんですか?昔って。
運動神経は普通すかね。普通ぐらい。ただ、その野球がちょっとトラウマになってて、集団スポーツは今でもあんまりやりたくないんですよね。
なるほど。現役時代ってどこ受けたんですか?
現役時代の時は東大しか受けなかった。
理三ですか?
理三しか受けなかった。一浪ぐらいはいいと思ってたんですよ、自分も。その時の人ってみんなそうなんすよ。1浪ぐらいしても全然オッケーみたいな感じで、かっこ悪いとも思ってなかったんで。そう。現役の時は本当勉強不足、準備不足を痛感してたんで、まあまあ、記念受験ですかみたいな。
足切りは突破してるんですね。
足切りは突破したんですね。
何点差とか覚えてますか?
いや、当時点数発表されてましたかね。
そっか。
開示すらなかった。なんかあんまり記憶がなくて。
センターはどれぐらいでした?
センター、マーク式僕強いんですよ。うろ覚えが得意なんです。センターは常にまあまあ良くて、少なくとも9割は絶対行ってますし、トータルで。
え、勉強しな取れへんです。9割って別にうろ覚えとかじゃなくて。
今でもこうマーク式系得意なんですよ。もう医師国家試験とかも余裕で。
余裕。すごい。一浪の時はもう結構勉強された感じなった。
一浪の時に、さすがにこう勉強しなきゃいけないっていうんで予備校に行って、大阪の河合塾。
安心と信頼の河合塾。
でそこで結構がっつり勉強して、でA判定。
えすごいすごい。
1年で。
1年でA判定マジすか?元々A判定は出てなかったんですか?現役とか。
現役もずっとD判定で。
それやっぱ勉強時間めっちゃ取ってたとかですか?
でもそれはあると思いますね。当時本当、こういう携帯もなかったんで、やることがなくて本当に勉強か本読むかぐらいの感じで。
その河合塾の時は大阪に引っ越したんですか?
そうですね。そん時大阪に引っ越しして。
すごい。結構じゃあ、ほんまに教育のために引っ越しまでするぐらいの熱量というか。
そうですね。まあ、そうっすね。
一浪も理三1本ですか?
それもう1本です。もうそれかと思ってたんで。そん時はもう、もうイキってました。
そもそも医学部に行きたいとかあったんですか?
医学部行きたいっていうのがあって。
そうですよね。なんか1番だからって理由だけで理三受けんのもあれやからね。なんで医学部行きたいと思ったんですか?
医者に対してこう憧れがあって、今でも医療ドラマとか見るの大好きですからね。
本当に好きってことです。
本当に好きで。話はちょっとそれちゃうんですけど、この前MBTI診断やったらINTJってやつで、建築家。あ、俺建築家だったんだと思って、何に向いてたんだと思って見ると、向いてる職業、医者ってなってて。
ええ、すご。
あ、そうなんだと思って。なんか子供の時から医者になりたいなみたいなのがあって、だからそれなんか半分はやっぱ持って生まれたものだったんだな。
なんか親御さんの影響とかでもないんですか?
医者になれって言われてて、子供の時。
じゃそれはそうです。なんでなんですかね?
いや、なんか親が医者になりたかったみたい。
なるほど。
で、当時は、今でこそ偏差値すごい、医者なるの大変じゃないですか?当時は偏差値低かったんですって。
そうですね。
当時はその頭は良くなくてもなれたんで、俺も全然医者になれたけど、なんか別の数学とかの道行っちゃったから、後から考えるとしなきゃよかったなみたいのがあったみたいで。お前医者になれってこう割とちっちゃい時から言われてたんですよ。
そうなんですね。
まあまあ、なった方がいいのかなとか思ってて。
でも一浪でもうA判定で。
A判定で、もうイキってましたよ。もう受けに行った時ももう絶対受かると思ってたんで。そう。楽しみにして東京まで受けに行って、試験受けた時になんかしっくり来なくて。
そういうことありますよね。
ありますよね。
ま、大丈夫かなとか思ったら案の定落ちて。で、そこでなんか人が変わったみたいになって、自分もそこまで多少イキってたんすけど、異常にこう石橋を叩くような性格になって。
なるほど。僕の現役から一浪の時の変化と一緒すね。
そうなんですね。
あれすか。あ、二浪なんで一緒です。僕、現役でイキってたんですけど落ちて、この世に確実なものはないんだと思い始めてから入念にするようになりましたね。
それ医者になってから生きるんすよ。
え、そうなんですね。
生きるんすよ。イキっちゃだめですもん。確かに手術中にね、体内に物置き忘れたりしたらダメだとか、まあちょっと血出てるけど大丈夫ですよね、でこう閉じちゃうとか、そういう風にやっちゃうんで。
結構なんか悩んだりとかはあったんですか?
でもさすがにそん時闇落ちしてて。
闇落ちて。
でなんか親もさすがにもうこの子東京出した方がいいんじゃないかみたいな感じになって、東京で浪人することになったんですよ。
親御さんも東京ですか?
それはさすがになくて、親は関西のままで、1人でこう東京行っていいよみたいな感じになって、駿台予備校っていうのがあって、今もあると思うんですけど、そこの寮が当時あって、埼玉なんですけど。
埼玉にある。
そう、埼玉にあって。埼玉と聞いてなくて、東京ライフを満喫するぞと思ったら埼玉だったんですけど。
でも二浪は結構人が変わったように勉強みたいな。
慎重になったんですよね。なんか教科書とかをこう隅々までちゃんと読んで、本当に脚注のちっちゃい字のとこまで隅々まできちんと読んで強固にして、全てを、もう漏れが一切ないようにして準備したんすよね。
へえ。でもやっぱA判定とか、一浪よりもなんか進化してたみたいな。
だから夏以降ぐらいはまず上位だったと思った。
すごいですね。当時から名前とかあったんですか?名前。
そう、名前、花房で結構変わってるから、だからなんか今でも医者になって、あの予備校の時、受験の時ね、たまに見てたよとか言われて。
でもすごい特徴的な名前ですからね。
そうですね。
かっこいい名前で本名だったんですね。
本名です。本名。
上位ってどれぐらいの感じだったんですか?
トップ10ぐらいにはまあまあ入ってたっすか。
すご。すごいっすね。実際二浪は結構余裕で受かったんですかね?
結果的には余裕だったと思うんですけれど、もうそん時はもうビクビクで受けに行ってるんで。
センターとかって最高どれぐらいいったと思う?
だからもうセンターとかも、当時はもう受験極めてる勢いになってたんで、96%ぐらいまで取ったから。
すご。すごい。
ただ、さすがに2度目の時は、東大1本じゃダメだよって親に言われて、防衛大学とか慶應大学とか受けてたんで。でも特待生だったと思います。
すげえ。で、無事理三に合格されて、部活とか入ってました?
部活は、スノボのサークルとダイビングの部活を、医学部入ってから。ダイビング部でした。
スバキじゃないですか。ちょっとはしゃいでました?やっぱり学生時代。
学生時代は、ま、そうっすね。その反動で。
反動で。恋愛とかもされたりとか。
ま、そうっすね。
そうですよね。
そうですよ。大学生ですから。当時はパーティーっていうのがあって。パーティーってないですか?今。
聞いたことないです。
え、マジすか?当時は部費稼がなきゃいけないじゃないですか。ダイビングとかだとめちゃお金がかかるんで、1回の遠征で何十万もかかっちゃうんで。だからパーティーっていうのをやって、クラブみたいなのを貸し切って、パーティー券を東大の学生とか、あと周辺の女子大の学生とかに買ってもらって、パーティーっていうのやるんですよ。当時一晩で本当100とか200とか、売上だったか利益ベースか忘れたんですけど、稼ぐって言うと語弊がありますけど、稼いで、であの、OBの先輩のところに話持ってくと、うちらの時は一晩500万ぐらい稼いでたけどねみたいな。
へえ。
バブルの絶頂の時とかはなんかそんな感じだったらしいですね。
まだCBTとかなかったですよね。
うちらの時ギリギリなんか確か試験的に導入された学年なんじゃないですか?
なるほど。
進級に関わらない。よっぽどひどくなければ大丈夫。
なるほど。
関わらないか、だからどっちかだと思いますね。
当時はもう、じゃあ国試突破すればみたいな感じが。
卒試、国試を突破すればみたいな感じで。でもちょっと違うんすよ。卒試は。国試ってマーク式じゃないですか。東大ともあろうものがマーク式で医者になるとはけしからんみたいなのがあって、記述式でガンガンお前らを鍛えるぞみたいなのがちょっとあって、それ苦戦したんすよね。
得意だけど。
そう。マークは得意だけど、記述式になるとなんか苦手で。
国試ってなんかどうやら今より昔の方が簡単やったって言うんすけど、本当ですか?
もう全然簡単でした。もう余裕っす。余裕っす。本当。
あ、そう。
だって試験問題で、うつ病の方来ました、禁忌選んでください。頑張れって励ますとかさ。そんなさ、別に医者じゃなくても。
僕でもギリ確かに。
そんな別に。
当時、病院実習とかもあるわけですよね。
病院実習、そうですね。ポリクリがあって。
あったんですね、その頃から。
ポリクリありました。
研修制度ありました?
研修制度ありました。
あったんですね。
ポリクリ2年と研修2年ってまとめて1年ぐらいに圧縮できますよね。
あ、俺と同じ。
確か同じことです。
俺も同じこと言ってて、思ってて。
4年間って結構無駄っすよね。
無駄ですね。俺もう死ぬほど言ってますけど、本当に無駄だと思います。
直美については肯定派だったりするんです?
いや、どっちかというと否定派ですね。どっちかというとっていうか、だいぶ否定派です。親しい人だったら、やめた方がいいんじゃないのって言うと思いますね。
それ理由はあるんですか?
いや、直美でもりり先生とかね、すごい優秀で目的意識がこうしっかりしてる人だったら、ワンチャンあると思うんですけど、僕は、皮膚科を長くやってたじゃない、やってるじゃないですか。そうすると知り合いから、直美行ったけどうまくいかなくて、こいつ面倒見てやってくれみたいなのがあって、直美した人に皮膚科を教えたりとかしてたんすよね。けど、カルテの書き方もなんかわかんないし、患者さんの診察の仕方もわかんないし、これでよく医者やってたなみたいなとか、その直美って言って美容外科で何やってたんていう。もちろんオペもできないし、それこそ本当メスの持ち方から指導しなきゃいけないみたいな。なんか、え、メスこんな持ち方してんの、みたいな。ダメじゃん。
知らなかったす、それ。
いや、鑷子の持ち方もおかしい。鑷子って言って、ピンセットの持ち方もおかしい。ハサミの持ち方もおかしい。
ハサミの持ち方おかしい。どういうこと?
持ち方も押さえ方があるんですけど。
でやりますよね。
自己流でやって。いや、それで本当美容で本当2年間やってた?何やってた?オペやらせてもらってなかったでしょ?みたいな感じで。
僕ね、その教育体制がもうちょっと整ってると思ってたんですよ。美容外科のでかいとことか。
全然全然。全然。
そうなんですよ。
本当に整ってるから直美でもいいんじゃないの?後で責任は自分やし、いいんじゃないのと思ってたんですけど、確かにそんな教育体制が整ってないの見てきてるわけじゃないですか?ってことはちょっと良くないかもしれない。
例外的に、もしかしたら例外的にいいところあるかもしんないですけど、98%は、来てほしいから、うちは教育体制が整ってますみたいなの言ってるけど、みたいな。
俺あれちゃんと信じてましたね。
本当ですか?実際はあれ、直美の人って使い捨てなんすよ、大手にとっても。だから、こいつ直美、ヒアルだけ教えとくかっていうんで、ヒアルロン酸だけやらせて、稼げるうちはいいですけど、稼げなかったらちょっと悪いけど、AGAセンターっていうのがあって、AGAの薬出すだけだからそっち行ってくんないみたいな話になって、で、そんな長くできる仕事じゃないじゃないですか。
そんな稼げないんですか?AGAの方は。
全然稼げるんですけど、普通の勤務よりは給料一応いいと思うんですけど、さすがにAGA診療を10年やりたいですかっていう話で。
副業としてやったらいいかもしんないけど、メインで積極的にやるものとしてはちょっとやりがいが足りないですか?
そう、飽きっていうのは恐ろしくて、10年もそんなんやってたら、どっちかっていうと発狂しそうになるぐらい辛いと思いますね。
言ってしまったら、会社で言う窓際みたいな感じ。
みたいな感じで。
直美でそのままAGAに行くパターンもあり。
なので実はその美容外科の経営者にとって直美っていうのは使い捨て部隊なんですよ。来て、その中には見た目もいいしセンスもあるし勉強熱心で、そういうドクターもいると。そういう先生は出世させていくけど、そうじゃなかったらAGAの診察とかダイエット、脱毛のカウンセリングやるだけとか、ぶっちゃけ医師免許があれば誰でもできる仕事のところに回していって、さすがに長くは続かないんで、数年したらやめるじゃないですか。じゃ、さよならっていう感じで、ま、使い捨て。
へえ。でも高給ではあるってことですよね。
勤務医よりはいいと思うんですけど。
どれぐらいですかね?でも2500とかあるじゃないですか?
2500はいい時代の話ですね。今はそういうAGAの診療、診察とかだと2000万円行かないレベルだと思います。
でも2000万円行かなくても1000万円は。
1000はいきます。でもみんなあれ高く出してるんで、高く見せ、インセンティブ込みで、ほら3000万とか5000万とか書いてるのは、よく見るとインセンティブ込みっていうことで、ベースラインでやっぱ今、直美で2000出すとかは少ないと思います。
そうなんです?マジで知らなかったです。
だからみんなマーケティングが得意なんで、美容は。
まあ、そうですよね。
そう。だから教育体制も整ってる、給料も高いって見せてるんですけど、実態は教育体制も適当だし、適当っていうか、生き残るやつが自分で生き残れるってことなんですよ、要するに。
ま、そりゃそうですよね。給料もインセンティブ込みで頑張ればそこっていう話で。僕らは直美から人気美容外科医になった人しか広告で見てないから、そこで落ちぶれてる人たちを見てないんですよね。
そうすよね。
だから僕たちは多分永遠に気づかないわけですよね。さっきおっしゃってた直美のデメリットの部分を知らずに直美する人も多いんですかね。
多いと思いますね。多いと思いますね。
俺も多いと思いますね。すごい。
そう。僕も知らなかったんで。
ただ、それで絶望じゃなくて、じゃあもうそこで行き止まりですかって言うと、実は保険に戻れるんで。いや、もう戻れます。だから、白い目する人はいるけど、戻ってくるぐらい、白い目で見られるぐらいなんで。
俺もそう思います。俺もすごいそう思うけど、なんかTwitterでは戻ってきたら叩かれるじゃないですか。
そう。戻ってきたやつはゴミだとか卑怯者だとか書いてるんですけど、いやそんなことなくてみたいな。
じゃあ産休で休んでた先生はダメなんかみたいな。
そう。だから、ワンチャン美容に1回かけてみるっていうのはありっちゃありだと思いますけど。
なるほど。ちょっと話ずれちゃうんですけど、自己紹介の時に外科医になりたかったみたいな。あれ本当なんですか?
これ本当で、大学卒業して外科医になろうと思って、初期研修してやったんですけど、これがなんかしっくり来ないパターンというか。当時の外科は本当に朝から晩までみんなずっと一緒にいるんですよ。朝7時ぐらいに集合して、患者さんの情報チェックして、朝のカンファの準備して、朝飯をみんなで食いに行って、カンファやって。
部活みたいです。
部活みたい。で、夜はみんなで一緒に焼肉行って。そう。
なんかチーム部活苦手っておっしゃった。
いや、確かに。なんか気使いすぎちゃって、みんなに。
それで皮膚科を選ばれた。
そうですね。個人で1人でやるやつの方が向いてると。
そうなんですね。皮膚科は個人なんですか?
皮膚科は個人プレイヤーなんです。外来が来て、患者さんと1対1。そう。オペも1人でやるんで。
そうなんですね。
よっぽどでかいオペだと数人でやるんですけど、基本は1人で、1人とナースさんとかとやるんで。
大人数でやるでかいオペってどういう感じなんですか?
例えばメラノーマの、リンパ節も伴うやつとかだと。あと植皮も手間がかかるんで、大やけどした人の植皮とかもやたらと手間がかかるんで、人数でやりますけどね。ただそれも1+1+1みたいな感じで、個人プレイの連続で、外科みたいに空気読めないとめっちゃ怒られるみたいな雰囲気ではないんですよ。
なるほど。外科ってそんな感じなんですね。
外科ってなんか、例えば自分左利きなんですけど、なんか左利きのやつやりにくいわってずっと嫌み言われながらやるみたいな、左利きのやつでうまくなったやつ見たことねえんだよとか言われながらやるみたいな感じなんすよね。
美容皮膚科じゃないですか?美容皮膚科っていうのはどういうあれなんですか?
美容皮膚科っていうのは、まずやっぱレーザーが出てから始まったと思うんですけどね。レーザーでシミとか脱毛とかができるようになったのから始まって、あとは注入系、ヒアルロン酸とかやったりとか、あとはちっちゃい手術とか、簡単な手術はちょっとやりますよっていうのが美容皮膚科ですよね。もちろん治療もやるし。
美容外科との違いとかあるんですか?
重なってる部分も結構多くて、美容外科ってなるとフェイスリフトの手術とか、もうちょっと難しい、確か骨切りとか、もっと難しいやつをやるっていう。
美容皮膚科にも直美ってできるんですか?
美容直美めちゃ多いです。美容外科医とかになりたくて直美して、美容外科医になれなくて美容皮膚科医になるっていうパターンがほとんどだと思いますね。美容外科ってこう定義が、国家資格がないので、美容外科って国家資格がないので、実際は美容皮膚科医なのに美容外科って名乗ってる先生結構多いです。だからそこはもう自分が名乗りたい方を名乗るみたいな感じだと思うんです。
そうなんです。でもなんか美容皮膚科に固まったのってどれぐらいの時期なんですか?
私がですか?私元々保険をやってて、開業してからもう3年ぐらいはやってましたからね。保険メインで。
そうなんです。で、さっきの話ですけど、後期研修をなんか残り1年…
後期研修終了してます、私。
後期終了して、
終了して。だからさすがに皮膚科医って名乗っていいだろうみたいな感じで。
僕、後期研修修了イコール専門医だと思ってたんですけど、
当時違かったんですよ。
違うんですね。
後期研修とかを司ってる機構と専門医の機構がまた別だったんでしょうね、きっと。だから後期研修終わってるんですよ。で、終わって修了書もあるんすけど、でもなんか専門医じゃないみたいな。
専門医だったらもうプラス1年ぐらい必要だったってことです。
そうですね。あと1年ぐらい必要で。
え、そうなんだ。
1年ぐらいいいじゃんって感じなんですけど、その当時若かったんで、その1年が惜しくて。もういいよみたいな。で、なんかちょうどその時にクリニックを引き継がないかみたいな話をいただいて、バイトに行ってた病院の先生がちょっと糖尿がしんどくて、ちょっと代わってくれないかみたいな話があって、それで当時なんかバリュー投資みたいなの勉強してて。
バリュー投資。
バリュー投資っていうのがあって、ある企業の企業価値よりも低い価格でその企業を買うことができれば、長期的には儲かるっていうバリュー投資理論っていうのがあるんですけど、それで見ると高そうなレーザーもあるのに、そのクリニック300万で売りに出てたんです。そこの本当にリアルにある資産だけでどう見ても1000万円ぐらいはあるので、それが300万だと、これ明らかにバリュー投資であると判断して、買う気持ちで、じゃあ引き継ぎますみたいな話で。でその先生になんか気に入ってもらえて、結局0円でクリニック譲ってもらえて。
へえ。じゃあもう後期終えた瞬間に開業みたいな感じ。
そうですね。後期終わって数ヶ月、半年とかぐらいですかね。
これ結構早いですか?やっぱ。
相当早くて。
早いんですね。
後期研修終えても…三鷹だったんですけど、三鷹の医師会行くと、ばっかりなって言われて、なんか東大卒もったいないよとか言われて、開業医なんかになって、って言われて、だからちょっと気まずいっちゃ気まずくて。
気にしなさそうではあるっす。
いや、気まずかったすね。その時は。
儲からなすぎてやばいとかもあったんですか?お金がなさすぎるみたいな。
幸いそれはなかったんです。
すごい。
結構1年半ぐらいはまずまずで、生活は全然できるけど、そんな儲かりもせんっていう感じで、その後急に売上が伸びるようになったんですよね。
何かあったんですか?
それで、それこそ粉瘤なんです。粉瘤のオペをし出したら、粉瘤のオペなんか当時やってるとこそんななかったんで、くり抜き法当時なかったんで、くり抜き法を求めて北海道とか沖縄とかから患者さんが来るレベルに、三鷹の外れのクリニックですよ、に来るぐらいのレベルでやってて。だから1日20件とか30件とかやってて。
すごい。なんで粉瘤に行きついたんですか?
いや、当時はブログで発信してた。SNSがなかったんで、ブログで色々発信してて、クリニックも鳴かず飛ばずだったんで、1日1個ぐらいなんか病気の発信をしてたんです。で、それで粉瘤のやつとかもちょいちょいやってて、くり抜き法っていうのがあって、くり抜き法だと傷がちっちゃく済みますみたいな発信したらバズって、集まってくるようになって、すっごい売上も伸びて。
へえ。
2店舗目もう自己資金です。
ええ、すごい。今って開業何年目とかですか?
今15年目。
15年でその分院みたいなのはどれぐらいあるんですか?
今17院です。
すご。1年に1店舗ぐらいのペースすよね。
そうですね。ずっとじわじわやってたんですけど、また花房式治療っていうのを開発して。
そんなあるんですね。
そうあるんですよ。花房式治療。
どうですか?
これニキビ跡のクレーターとか毛穴の治療で花房式治療っていうのをやって、そこでまたバズって、全国に展開するようになったんですけど。
へえ。なんか年商とか出してたりします?
年商は大したことはないんですけど、中くらいの企業を買えるぐらいの年ですけど、利益率で言うと、ベテランの銀行の支店長とかがこんな利益率見たことないっていうレベルまで行きましたね。
今後の展望とかってあったりします?
その後は、50院、全国50院目指して頑張ろうかなと。
倍以上ですよね。
都道府県1個ありますよ。
本当すね。なんかこのチャンネル最後に視聴者に一言もらうみたいなのがあるんですけど、医学部とか医者になりたい人とかに向けて何か一言もらえたりし。
そうだ、医者と患者さんの関係ってすごいんすよ。医者にとってはただ1人の患者さんなんですけど、患者さんにとっては巡り合わせなんですよ。親との巡り合わせとか、配偶者との巡り合わせっていうのと同じぐらい重要な巡り合わせなんですよね。だからそのことを忘れずに診療に励んでいただきたいっていうかね、そこの真髄に触れる経験っていうのをやってから開業して欲しいと思うんすよね、僕は。医者にとってはそんな100人も200人も毎日見てるから、特にその感動っていうか、薄れていくと思うんですけど、その感傷的な部分っていうのは、でも患者さんにとってはね、やっぱ本当にその巡り合わせで、本当になんて言うかな、一生覚えてる経験なんですよね。その、あの先生良かったなみたいなのって一生心に残る経験なんで。
だからそういうのに触れてから医者を語ってほしいなみたいな、そういうので心を震わせた経験をしてから医療を語りなさいって僕は言いたいですね。そうでもないのに薄っぺらく医療とか医者とかを語らないでもらいたいな。
なるほど。今日はお話ありがとうございます。
すいません。偉そうに言って。
いや、めっちゃガトしました。
本当ですか?
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