ベンチプレス400kgの藤本竜希が語る、英語と筋力で進んだ受験、医師国家試験2度の不合格、医者にならない選択
トマホークTomahawk京都大学医学部生のYouTuberもごが、ベンチプレス400kgを挙げたパワーリフターの藤本竜希に札幌で話を聞いた。藤本は国立医学部を卒業したが、医師免許は持っていない。本人は、医学との関わりは「医学部を卒業はしている」という最低限のものだと話す。英語と筋力を武器に高校・大学受験を突破し、医学部在学中もベンチプレスを続け、最終的に医者にならない道を選んだ経緯を、幼少期から順にたどっている。
小柄な子どもだった少年期とアメリカ生活
藤本は2000年1月生まれで、もごと同学年の26歳である。現在は身長177cm、体重150kgだが、子どもの頃は小柄で、小学6年生のときはクラスで一番前だったという。小学校の途中で、血液内科医の父親の仕事の関係でサンフランシスコに移った。現地の学校に電子辞書だけ持たされて放り込まれた環境を、今振り返ると過酷だったと語る。
アメリカでは体操と空手を始めた。体操は懸垂などの自重トレーニングの基礎のようなもので、空手は極真系の大山空手という、実際に当てる流派だった。この頃から漠然と「強くなりたい」という気持ちが芽生えていたかもしれないと藤本は話す。勉強面では、向こうで小6〜7年生向けの数学のテキストに取り組み、神童扱いされていた。ところが小学5年で日本に帰ると、自分の学年の算数のテストがまったく解けなかった。藤本はこれを、当時の日米の教育システムで進み方に差があったためだと説明している。
内申「Eランク」から札幌南高校へ
地元・札幌の中学校に進んだ藤本は、日本の空手は厳しいという噂を聞いて怖くなり、代わりにキックボクシングを始めた。小学校時代は親に「遊びたい、その代わり中学に入ったら見ていてくれ」と宣言し、ほとんど勉強しなかったという。それでも中1最初のテストで学年10位前後になった。その中学は、北海道で最も偏差値が高いとされる公立の札幌南高校に毎年10人ほど進学する学校で、10位は南高を狙える位置だった。ただし藤本によれば、これは英語が突出していたおかげで、他の科目がものすごくできたわけではない。
問題は内申だった。札幌では学力・提出物・授業態度などから総合ランクが出る。南高にはAランク、悪くてもBランクが必要とされていたが、藤本はEランクだった。教師に対して「自分は50m走で5秒で走れるのに、あなたたちは週に何本ダッシュを練習したかで自分を測ろうとしている」と言っていたという。英語の宿題ワークは一度も提出せず、授業中は本を読んでいた。その結果、英語はテスト100点でも5段階評価で4、数学は95点で3だった。
転機は入試制度の変更だった。従来の選抜は一般枠70%、内申重視枠15%、当日点重視枠15%で、当日点重視枠でも内申との比率は8対2や7対3程度だったため、藤本は内申を少しでも見られると落ちてしまう。ところが藤本の受験年から、内申を一切見ない10対0の枠ができた。それで受験し、合格した。英語は満点を取れるのに勉強時間はゼロだったので、他の科目を少し勉強し、英語で浮いた時間を遊びとトレーニングに充てていたという。
ボブ・サップをきっかけにベンチプレスへ
ベンチプレスを始めたのは中学時代である。キックボクシングをしていた頃にボブ・サップの動画を見た。K-1では弱いと言われていたが、藤本には「フィジカルだけで立ち技格闘技のトップ団体で勝ったり負けたりできる」ことが衝撃だった。体を大きくしようと補強のつもりでウエイトを始めたところ、そちらのほうが楽しくなった。キックボクシングをやめ、パワーリフティングのジムに入会したのが中学2年で、競技はベンチプレス専門である。
入会時は身長159cm、体重60kgだった。それが1年後の中学卒業時には173cm、103kgになり、学生服を3回買い替えた。高校に入った頃は1日に米1升、10人前ほど食べていたという。父親は163cmで50kg台、母親は158cm程度で、本人は当時なぜか2mくらいになれると思っていた。藤本は、成長期にたくさん食べて運動したことが大きく、ラグビーなどをしていても同じ結果になったと思う、座って勉強ばかりしていたら160cm台だっただろうと推測している。
トレーニングや栄養の知識はネットで集めた。英語が読めるので英語の論文やYouTubeに当たった。当時の日本のフィットネス業界はアメリカに追いついておらず、英語ができると入ってくる情報がまったく違ったという。
記録は早くから伸びた。家で80kgのセットを買ってもらったり、キックボクシングのジムの器材を使ったりしていたため、パワーリフティングのジムに入った時点ですでに85kgを挙げていた。中3では190kgに達し、中学の終わりに全日本の18歳以下の部に初出場して優勝した。14歳で当時のU18日本記録を余裕で超えたという。
フルギアベンチプレスは「ポーカーに近い」
高校1年の5月には初めて世界大会に出場した。種目は、中学時代の190kgとは別の「フルギア」だ。硬いシャツを着て、それを無理やり伸ばしながら挙げる競技で、現在の400kgもこちらの記録である。ここで295kgを挙げ、当時のU18世界記録とU23世界記録を同時に更新した。15歳だった。
藤本はフルギアの魅力をゲーム性の高さだと説明する。シャツがきつすぎるとバーが胸につかず、緩すぎると重量が挙がらない。その境目を攻める必要がある。さらに大会の試技は3回までで、一度申請した重量は失敗しても下げられない。400kgで失敗したから今日は380kgにする、ということができず、藤本はこれを「チキンレース」のようだと言う。ポーカーをしたことがあるかともごに尋ね、ポーカーに近いと続けた。自分が強くなくてもブラフでライバルを揺さぶれる。たとえば「420kgを挙げる」と吹いて回り、ライバルが420kgで始めて3回とも失敗すれば、自分は370kgで優勝することもありうるという。
英語偏差値99、数学45の高校生
札幌南高校での最初の3科目テストは学年10位だったが、中身は極端だった。学内偏差値は数学45、国語42、英語99。英語のテストは平均が20点台、2位が60点台で、藤本は93点を取った。英語だけで総合点を水増ししていることは周囲も分かっていた、と本人は笑う。全国模試の英語で1位になり、偏差値101を記録したこともある。英語の論文を結論ぐらいまで読み取れる以上、筆記なら平均的なアメリカ人より英語ができるかもしれない、と自己評価する。TOEICは受けたことがなく、小5で帰国したときに英検2級を取っただけだという。
将来の志望はなかなか定まらなかった。高1の頃は弁護士を考えた。人と話して相手の意見が変わるのが好きで、猫好きの人に犬の良さを力説して犬好きにさせるような瞬間が気持ちいいという。ところが有罪と分かっている人の弁護もしなければならないと聞いてやめた。検察官はキャラクターが合わないうえ、特段儲かる職業でもないと聞き、候補から外した。
一方で、お金は好きだった。筋力のおかげで普通の高校生より大人の集まりに連れて行ってもらう機会が多く、筋力があってもお金がないために社会的に強くない大人を見てきた。社会的な強さはベンチプレスではない、お金を持っているほうが思い通りに生きられる、と気づいたという。
16歳で日本歴代最高重量、それでも稼げない競技
高校時代、藤本は370kgを挙げた。年齢を問わない日本歴代最高重量で、それまでの保持者は40代、その前は30代だった。この競技は35歳前後が最も強いとされるなかで、16歳で日本記録を出したことになる。「年齢を加味すれば偏差値150くらい」と本人は言う。世界大会でも高1で295kgを挙げたあと、高2・高3と優勝した(いずれもU18の部)。
ただ、スポンサーはほぼつかず、もらえたのはプロテインなどの物品程度だった。賞金のない、むしろお金を使うスポーツで、世界大会の遠征費も親に頭を下げて出してもらっていたという。
受験は「最も確度の高い生涯収入の上げ方」
受験勉強を本格的に始めたのは高3の秋だった。医学部を選んだ理由を、藤本は「自分が今できる努力で生涯収入を上げる方法として、医者になることが最も確度が高かった」と語る。医者のレールに乗れば少なくとも貧乏は脱せられ、好きなことも続けられる。父親を見て医者はとても忙しいものだと思っていたが、ワークライフバランスの取れた医者もいると知った。目指したのは「バイト医」で、週3日働いて年収1500万円ほどを得て、その資金で何かを始め、いずれはバイトもやめるつもりだった。医療そのものには興味がなかったという。解剖学は嫌いではなく、人体の「正常」は好きだが「異常」は好きではない。トレーナーとしてゼロをプラスにする作業は好きでも、マイナスをゼロに戻す作業にロマンは感じない、と説明している。
当初は北海道大学医学部を志望した。北海道に残るなら最高の学歴だからだ。高3の秋にジム通いをやめて勉強に集中し、センター模試で60%前後だった得点が、直前の過去問では9割を超えた。1日12時間ほど勉強していたと言うが、「本当に缶詰になった人に怒られるくらい」の程度で、実際に12時間勉強していたわけではないかもしれない、12時間勉強する環境に身を置いていた、と言い直している。
センター本番は87%。北大を狙うには93%ほど取るつもりで、センター後に二次試験対策を詰め込む計画だったため、二次の勉強はほぼ手つかずだった。浪人だけは避けたかったので北大を諦め、札幌から近い旭川医科大学に切り替えた。二次試験は英語・数学・面接の3つである。英語はどんな試験でも8割5分は取れる自信があり、面接は6人ほどの集団討論だった。人の話をまとめて議論の中心になるのは苦手ではない。英語と面接で十分に点が取れれば、数学が0点でも合格する計算だったという。もごは「面接を戦力として計算に入れて臨む人を初めて見た」と驚いていた。
センター試験の2週間後には全日本のベンチプレス大会に出場し、優勝している。面接のテーマはスマートフォンについてどう思うかといった、医療知識のいらないもので、手応えはあったが得点は開示していない。入学後、英語の教員から「なぜそんなに英語ができるのか」と声をかけられたという。
留年と隣り合わせの医学部生活
医学部生活は忙しく、留年の不安が強くストレスが大きかった。特に1〜2年生のうちは物理や化学などの一般教養科目で留年者が出て、すべてが必修で1科目でも落とせば留年だった。藤本自身は一度も留年していないが、常にぎりぎりで、進級発表の日は眠れなかった。CBTは学年で下から4番目、不合格者が2人出たため、合格者の中では下から2番目だった。
在学中もベンチプレスは続けた。ただ、国際大会に出るには1週間ほど休む必要があり、単位が足りなくなって留年してしまう。そのため出られたのは、大学2年のときに成田で開かれた世界大会(U23の部で優勝)と、大学5年のときに洞爺湖で開かれたアジア大会(一般の部で優勝)の2つだけだった。医学部をきちんと出た人の努力を10とすれば、自分は3くらいしかやっていない、と藤本は言う。
大学3年頃からは、ベンチプレスのコーチングやトレーニングプログラムの販売など、競技をお金に変える仕事に目覚めた。本人の中では、大学はもはや「お金稼ぎの邪魔」になっていたという。
実習で感じたことと、医者にならないという決断
大学4年から始まった臨床実習では、興味が湧くかどうかを確かめる機会が続いた。結論として、興味は湧かなかった。心を動かされる場面はあった。出産に立ち会ったときは生命の神秘に感動し、もごもこれに同意している。罪のない子どもが重い病気で痛みに泣いているのを見て、なぜこの子がこんな目に遭わなければならないのかと涙するほどの衝撃も受けた。
普通ならそこで小児科医を志すのかもしれないが、藤本は「自分には無理だ」と思ったという。困っている人がこれほどいるなら、なおさら医学に身を捧げられる人間が診るべきで、自分のような人間が診るのは無責任だと考えた。
この判断には、自分の身体についての考えも重なっている。藤本は、150kgの体型のままならいずれ心疾患で死ぬだろうと話す。脂肪でも筋肉でも、血液を送り出す心臓の負担は変わらず、筋肉のほうが血液量はむしろ多いかもしれないという。それでも自分は、避けられるものをあえて避けず、ベンチプレスという生き方を優先した結果なので、納得して死ねる。しかし生まれつき病気を持ち、3歳まで苦しい治療を受けた末に亡くなる子どももいる。そんなことがあっていいはずがない、残酷な話から目を背けたかった弱い自分がいた、私生活を捨てて身を捧げられる人間でなければ診てはいけないと思った、と藤本は語った。
こうして医者にならないと決めた。ただし、研修を受けてバイト医をやる考えはあまり変わらなかった。AGA治療のように、目の前で救えたはずの命に向き合う場面を避けられるバイトもあるからだ。
実習をこなしながら400kgに挑戦
実習期間は「とりあえず乗り切る作業」で、毎日は死んでいるようだったという。給料の出ないサラリーマンをしながら副業をしている感覚で、見学しているだけの時間が多い実習より、家で座学をさせてほしいと思っていた。実習後はトレーニングと仕事をしていた。大学4年の全日本で380.5kgを挙げ、同じ年に初めて400kgに挑戦している。「病院実習がしんどかった」と言うと医学部の同期に笑われたほど、要領よくこなしていたという。
医師国家試験に2度不合格
国家試験は、9割が興味のない内容なのに、人生で最もボリュームのある試験だった。合格には4000時間の勉強が必要とも言われる。卒業試験は合格者の中で最下位で、徹夜で臨んだ。それで通ったので国試も同じ感覚でいけると考えてしまい、本格的に勉強を始めたのは年明け、試験は2月6〜7日だった。
その頃はうつに近い状態で、この人生でいいのか悩んでいた。興味もなく、使うかどうかも分からないもののために、人生で最も労力のいる試験に力を注ぐべきか。24〜26歳という何でもできる2年間を、研修のために差し出すべきか。医療者にとっては尊いことでも、自分にとっては意味が限られている。「考える人」のように、行動しないまま悩み続けていたという。
結果は不合格だった。ネットのコメントでは医学生、医者、医者になれなかった人の3パターンで語られるが、実際には今も医師免許を持っていない。藤本は「炎上するかもしれない」と前置きしたうえで、国家試験の受験資格を売れるなら1億円くらいでM&Aしたい、と冗談まじりに語った。そして、実習にそれほど真剣に出ていなくても、国家試験を頑張れるくらい医療が好きなら医者になっていい、逆に自分のような人間には診てほしくない、と述べた。もし1〜2年次で留年していたら、考えすぎて間違いなく辞めていただろうとも言う。
在学中には、欲しかったお金を医者はそれほどもらっていないことにも気づいた。難易度と収入が比例せず、医師はもっともらうべきだという。一方で、バイト医として生きたいと言っている自分のような人間がお金をもらえる仕組みもおかしいと感じた。わざわざ医療職で変則的な働き方をしなくても、年収1000万〜2000万円は稼げる、たとえばマグロ漁船に乗ればいい、と冗談めかしている。
2度目の国家試験は翌年に受けた。学費を出してもらった親に顔向けできないという周囲からのプレッシャーもあった。ただ、その1年間は実質的に事業準備に充てた。浪人生として周りに見られていた時期にYouTubeを始め、何をすれば稼げるかを周囲に聞いて回り、手を出しやすかった物販に取り組んだ。現在はトレーニング用品やアパレルを販売する会社を経営しているほか、ベンチプレス関連の仕事や、札幌を訪れる英語圏の客向けのツアーガイドもしていた。ツアーガイドは収入も良かったという。医者にならない選択をした以上、医者より稼がなければ意味がないと考えていた。2度目は「ほぼ記念受験」で、結果は前年より悪かった。
仕事を辞めたら400kgが挙がった
400kgを挙げたのは2024年である。国試に落ちてYouTubeを始め、まずは3か月勉強せずにベンチプレスに全振りすると宣言して、実際に挙げた。筋トレ界隈では、大きく強くなる秘訣は「仕事を辞めること」だと言われるが、忙しい学生生活からほぼ自由業になったことでそれを実証してしまった、と藤本は笑う。
世界記録は426kgで、同じ選手がずっと保持している。藤本はまだ一般の部で世界大会に優勝していないため、世界一は名乗れないという。ベンチプレスは14年目になり、そろそろけりをつけたい。最低限、世界大会で優勝して世界記録を取りたいと話す。そのうえで、30歳までには減量を始めたいという。150kgの75歳は見たことがないので、30歳頃から徐々に110kg程度まで落とせば少しは延命になるのではないかと考えている。覚悟の上で太ったので早死にが怖くてたまらないわけではないが、50歳で死ぬのは嫌で、70歳くらいまでは生きたい。妻からも「早死にしないでね」と言われている。
妻には大学6年の12月、国試の前にプロポーズした。結婚するには定職が必要だと考えて勉強したが、結局間に合わなかった。1人なら国試に落ちてフィリピンにでも行けばいいと思っていたが、2人分の人生に責任を取るべきだと考えたという。婚約期間が1年半ほど続き、昨年4月に結婚した。収録中には、体重53kgのもごを軽々とお姫様抱っこしてみせる場面もあった。
幽霊会員に頼らないジム
撮影場所は、数週間前にオープンしたばかりの藤本のジムだった。10kg以下のダンベルがないのは意図したものではなく、なくてもいいかと思っていたが、あったほうがいいので買うという。
藤本は、このジムで儲かるとは考えていない。儲かっているジムは幽霊会員の多いジムで、全員が一度に来たらパンクする会員数を抱えているところが多い。そうした運営はしたくないので、アクティブなメンバーだけで枠を埋めたい。そうなると人数は限られるため、「強くなりたい、でかくなりたい、そのためにちょっとバカになれる」同じマインドの人に来てほしいと話す。食事の席で「ベンチプレスで何百kg挙げても何の役にも立たない」と言う人がいると興ざめする、みんなでこの夢に酔っていたい、というのが藤本の考えだ。その夢を持っていれば、初心者でも構わないという。
「好きなことを見つけて打ち込む」
最後に20〜30代の視聴者へのメッセージを求められると、藤本はまず、自分を成功者だとは思っていないと断った。会社はまだ2年目に入ったばかりの走り出しの法人で、自分はまだ修行の身であり、今は「ただベンチプレスが強いだけ」。多く稼いで初めて成功と言えるという。
そのうえで「無責任なことになるが」と前置きし、好きなことを見つけて打ち込むことが何より重要だと語った。親に言われたから、今の仕事を辞めると一時的に収入に困るから、ということはあまり考えないほうがいい。人生は一度きりで、好きなことをやって死ねたら人は幸せなのではないか。みんながそうやって頑張れば豊かな日本になるのではないか、というのが藤本の締めくくりの言葉だった。
バントモークとよ前ら京都大学医学部YouTuberのもごと言います。はい。ということで、今回はね、そのもごさんの、普段研究されている医学部の……
ああ、お医者さんの方ですか?はい。本当ですか?
ということで自己紹介お願いいたします。はい。ベンチプレス400kg男の藤本です。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
あれ、医学部、実は医学部でもあるという。医学部を卒業はしてますという、最低限の関わりを医学と持った男です。
いや、すごいですよね。そのベンチプレスと勉強を両立されてるっていう。もうしてないすけど、勉強はしてた時期があったという。
いや、すごいですね。しかも最近あんまり医学部出してないというか。そうすね。うん。医学界に何の貢献もできてないんで、語られる方もかわいそうかなと。まあ、ちょっと気になるその人生の方を、もう幼少期からお聞きしていきたいと。よろしくお願いします。
いや、てか、そもそも同い年なんですよね。26歳、年27。あ、そう。僕と同い年ということで。で、僕早生まれなんで、2000年の1月生まれです。2000年生まれですか?そうなんですね。ええ、見えないすね。そうなんですよ。
昔はね、あの、ミレニアムベイビーって言って、そう、そう、そう。可愛がってもらったの。はいはいはい。16歳ぐらいからなんか新世紀の怪物みたいな言われ方して。ミレニアムベイビー感はない。そうなんですよ。
え、小さい頃からこう結構ガタイが良かったりとか筋肉あったりとかではないんですか?ではないですね。僕は小さい頃は小さかったです。え、そう。小さい子にしても小さかった。え?ああ。小6とかはクラスで1番前でしたね。ええ。身長とかは。
え、今身長体重どんな感じですか?今身長が177の、体重が150kgです。はい。すご。
小1、2は僕何もしてない。あ、水泳してたかな?ちょっと水泳やったり、普通に外で遊ぶみたいな少年で、小学校の途中から父親の仕事の影響でアメリカに行くんですよ、僕。はい。あ、
アメリカのどちらに行ってたんですか?カリフォルニア州のサンフランシスコって。あ、めちゃ住みやすいところ。住みやすかったです。めちゃくちゃ好きでした。
今振り返ったら過酷だなって思うんすけど、結構現地校に放り込まれたみたいな。はい。ああ。電子辞書だけ持たされて。ええ。あとは頑張れぐらいの感じ。
え、親御さんは何系の職業なんですか?医師です。ああ、父親が。医師として、じゃあ親御さんは海外に。そうです。すごいですね。父親は多分結構立派な医師です。何科ですか?血液内科です。おお。
じゃ、その頃は別に筋トレとかもしてないってことですよね。そうすね。でもそん時にアメリカで僕、体操と空手を始めるんですよ。ええ。体操ってこう、自重トレーニングの基礎みたいな感じではあるんですよ。懸垂とか。
そこでちょっとこう筋トレに触れて、で、空手もその極真空手の流派の大山空手っていうところにいたんで、殴る蹴るの当てるやつなんで。だからそん時に漠然と強くなりたいなみたいなのは芽生え始めてたかもしれないですね。ああ、
僕アメリカで小4で小6とか7とかの数学のテキストやってたんですよ、向こうで。ええ、だからもう結構神童扱いされて、そこで頭いいねって言われてて、日本に帰ってきたら小5の自分の学年の算数のテスト全く解けんかったんですよ。ええ、進みすぎてて。
だからそれぐらい当時のアメリカの教育システムと日本の教育システムに進捗度の差があったんです。はあ。
でも中学はじゃあ地元の中学みたいな。地元の中学。あ、そもそも出身はどちらですか?出身札幌です。あ、ずっと札幌で。ずっと札幌で。この撮影場所も札幌で。
中学校はどういう学生だったんですか?中学校はキックボクシングを始めて、空手の代わりに。なんか日本の空手がとてつもなく厳しいっていう噂を聞いて、ちょっと怖いなと思って。
じゃ、中学はほんまにキックボクシングと勉強みたいな感じですか?勉強が、僕小学校で全くついていけなかったのに、親に小学校は遊びたいって言ったんですよ。はい。勉強したくないと。その代わり中学入ったら見ててくれと。うん。びっくりさしたるからみたいな。男らしい。
いや、そこまで。当時11歳のガキですからね。世の中のことも知らないし。見ててくれつって。
小学校だから、ほぼ1mmも勉強してないわけですよ。うん。で、中学入って中1の最初のテストで学年10位ぐらいだったんですよ。お。
で、これ結構、僕が行った中学校が、札幌南高校って、あの北海道で1番偏差値が高いとされてる公立高校に毎年10人ぐらい入る、ちょっといい中学校なんですよ。はいはいはいはい。だからそこで10位って結構すごいんですよ。ああ、確かに。そのまま行ったら入れそうみたいな感じです。
でもそれもやっぱり英語がベラボーにできるんで。うん。あ、だから他がものすごいできるかって言われたらそうではない感じではあったです。中1、中2、中3ってそんな感じの順位だったんですよ、僕。
けど、札幌って内申点制度っていうのがあって、学力と提出物と授業態度と諸々で総合ランクみたいなのが出るんです。わあ、嫌いなタイプですな。
南高に行きたかったんですけど、南高はAランク、悪くてもBランクじゃないと入れないって言われてて、僕Eランクだったんです。え、本来Aランク取れる学力だったんですけど、その授業態度とかが良くなくて。はい。
え、何したらそんなことなるんですか?なんか僕その、ませた嫌なガキだったんで、学校の先生とかに言ってたのが、僕は50m走で言ったら、僕は50mを5秒で走れるんだと。うん。だからお宅らはほっといてくれって言ってたんですよ。
なのにお宅らは50mダッシュを週に何本練習してるかで俺を測ろうとしてるみたいな。うん。うん。うん。って言ってたらどんどん落ちてきました。ああ、
英語のワークとか1回も提出してないみたいな、宿題の。だから英語も100点で4だったんですよ。5段階評価。数学が95点取って3とか。ええ、でもその毎週のドリルを出さないとか。はいはいはいはい。授業中本を読んでるとか、そういう。はいはい。
Eランクで札幌南受けるんですか?そう。で、僕の受験の年から、今まで一般枠が7割あって、内申点重視枠が15%あって、当日点重視枠が15%あったんですよ。はい。
ただこの当日点重視も今までは8対2とか、7対3とかで、僕2でも3でも見られたらもう落ちちゃうんすよ。だから。ああ。でも僕の受験年から10できたんすよ。内申を一切見ませんよ、で。受けてみようってなって、受けて受かりました。すごい。
南高に入れたのもやっぱり英語に引っ張ってもらえる。はいはいはい。英語が満点かつ英語の勉強時間が0なんで。うん。うん。だから他の科目をちょこちょこ勉強しながら、その英語の余った時間を僕は遊んでました。あ、遊んでた。遊んだり、トレーニングしたり。はい。
中学でベンチプレス始めたんで。あ、キックボクシングをやってる時にボブ・サップの動画を見て。はい。はい。
ボブ・サップってK-1で弱いみたいに言われてたんですけど、僕的にはフィジカルだけでK-1という立ち技格闘技のトップクラスの団体で勝ったり負けたりでいけるんだみたいな。はい。うん。フィジカルってすごいなと思って。はいはいはい。
でかくした方がいいなと思って、最初はその補強的にやり始めたんですよ。はいはいはい。で、気づいたらもうそのベンチプレスを上げたり、体がでかくなる方が楽しくなってて。うん。
で、キックボクシングやめて、今やってるパワーリフティングっていうスポーツ、パワーリフティングの、僕ベンチプレス専門なんですけど、はいはいはい。パワーリフティングのジムに入会したのが中2です。え、そういう専門のジムが。あります。あります。へえ。
中2からやっぱでかくなっていくんですか?中2で、そん時で60kgでジム入った時でも身長が159しかなくて。あ。で、そっから1年で、中学の卒業式ぐらいの時で173cmで103kgとか。ええ、すご。プラス40kgぐらい。
だから中学の学ランを3回買い替えてるっすね。え、ご飯とかでどれぐらい食べるんですか?そう、当時、高校入りたてとかもう1升食べてました。米。うわあ。1日で。もう10人前みたいな。最悪そうすね。
ボブ・サップが入りでしたね。そっからボブ・サップから派生していろんなトレーニング動画を見て、外人のそのでかくて強い、うんうん。本当に2m170kgとかそういう人間に憧れて。はい。へえ。
で、当時なんでかわかんないですけど、僕2mぐらいになれるかなと思って。あ、父親めっちゃ小さいんすけど。え、お父さんどれぐらいですか?父親が163cmで50何kgとか。はいはいはい。で、母親も158cmとか。ええ。はい。なれるわけないのに、僕なんか2mぐらいになるのかなと思ってて。
え、でも今のサイズでも結構なんかその……いや、そう。だいぶそのね、こう遺伝子の限界は超えた感じが。そんなことできるんですね。
いや、やっぱ成長期にめちゃくちゃ食べて運動するっていうのが。ああ、多分ラグビーとかやってても同じような結果になってたと思うんですけど。うん。ただあの時期にずっと座って勉強してガリガリだったら、僕多分160cm台だったと思います。あ、ええ。
筋トレの勉強とか、その健康面の勉強とかはどうやってやってたんですか?ネットです。ネットで、僕英語読めるんで。ああ、論文とかですか?だから英語の論文とか読んだり。あと英語のYouTube見たりとか。すごいっすね。
で、当時やっぱり日本のフィットネス業界がまだまだアメリカのフィットネス業界に追いついてなかったんで、入ってくる情報が全然違くて、英語喋れると。ああ、情報戦も制してたんですね、その時点で。そう。
すご。じゃ、当時でも結構上げれてたんですか?中学生でも。中3で190まで行きました。ベンチ多分めっちゃすごいす。いや、190。中3で190。
大会とかも出てたんですか?中2で初めて出ました。ああ、中2の最後の方に全日本出て、18歳以下の部で優勝して。ええ、でも最初だから60kgの時は全然わかんないですよね。
そうですね。でもそん時でも80なんぼとか。あの、家にもベンチを買ってもらったりしてたんですよ。あと、キックボクシングのジムにもちょっと機材があったりして、多少やってたんですよ。だから、そのパワーリフティング専門ジムの門を叩いた時には85kgとか上がってたんです。おお、すごい。
え、じゃあ優勝みたいな感じですか?もう。当時のアンダー18歳の日本記録は余裕で塗り替えて。あ、そうなんです。しかも中3でですよね、18歳の記録。そうですね。14歳当時だった。すごすぎる。いや、その中で札幌南受かってんのがちょっとすごいというか。
いや、でもやっぱ英語のおかげかなとは思ってます。あ、でもやっぱり帰国子女だからと言って、日本の英語ができるかどうかってまた別ですよね。そう。英語のセンスがあったかな。あ、英語のセンス。すごいっすね。語学のセンスがあったのかな。なるほど。日本語でも僕結構言語化が得意だと思ってるんですよ。確かに。
で、高校1年の5月、だからほぼほぼ中学生の時に、僕世界大会初めて出てるんですよ。で、そん時で、そのフルギアっていう、さっき言った190とはちょっと違う、今僕が400を上げてる硬いシャツを着て、それを無理やり伸ばして上げるっていう競技をやってるんですけど、
そっちのフルギアの方で295上げたんですよ。うん。高1で。で、それが当時のアンダー18歳の世界記録プラスアンダー23の世界記録にもなって。すご。それも結構すごいと思います。いやいや、それは世界記録ですから。15歳だったんで当時。
やっぱそのベンチプレスという競技にはまったんですか?ベンチプレスという競技にはまってしまったすね。はまってしまったんすね。魅力を教えてください。ああ、これ別の動画になっちゃうんですけど、なんかサブチャンネルみたいになっちゃうんですよ。はい。確かそうか。
なんか単純にその重量が上がるっていう外から見た明らかな魅力はもちろんなんです。なんかこう、フルギアベンチプレスっていうのがすごいゲーム性が高くて、そのベンチシャツっていうのがきつすぎると胸につかないんですよ。うん。緩すぎると重量上がんないんですよ。
それのキワキワを攻めて。大会って3試技しかできないんですよね。うん。で、1試技目決めたら、2試技目、例え1試技目失敗しても、それより重量下げれないんですよ。
だから400kgで第1試技申請して400失敗。失敗したから今日調子悪いから380に下げるっていうのができないんですよ。うん。うん。だから結構その、チキンレースみたいな感があるんです。ああ。うん。
なんかポーカーやったことあります?はい。ポーカーに近いす。へえ。ポーカープラスパワー。そう。だから自分が全然強くないのに、ブラフしてオールインして強いやつを下ろすみたいなことができる。ああ、すごい。確かに。近いことができるんです。駆け引きがすごいあるんです。あるんですね。それが面白くて。
あ、そうなんですね。例えば、俺が420上がると吹いて回って、ライバルが420kgスタートして3試技ともダメみたいな。うん。ああ。蓋を開けてみたら、俺は370kgで優勝してるみたいなこともあり得るわけです。
なるほど。でも高校生からそのフルギアのベンチプレスをされてて、勉強はどうでした?はい。高校1年生の1番最初のテストで3科目で学年10位だったんですよ。ああ。英数国の。
はい。けど数学の偏差値が45とか、学内偏差値。国語が42とかで、英語の学内偏差値が99あったんです。え、どういうことですか?マジで。
100点満点で平均が20何点とか。はい。で、2位が60何点のテストで僕93点取ったんですよ。あ、そりゃそうだ。それで学年10位だったらね。まあ東大コースですね。うわ。
けどもうみんな分かってるわけですよ。そう、そんな英語ができちゃったら、それは総合点の水増しみたいなもんです、本当に。でもそんなできる人いなくないですか?このレベルで。いや、なかなか周りもいなかったすね。うん。
え、しかも勉強してないですもんね。全く勉強してないです。ええ。それこそ当身の模試で英語全国1位だったこととかもあるんですよ。すごいすね。そん時は偏差値が101とか。
確かに英語の論文とか読んでたら、海外の大学レベルのことを。まあ、そうですよね。読み込めてるかっつったらあれですけど、結論ぐらいまでは読み取れてるんで。ってなると多分アメリカ人でも読めないやついると思うんですよ。うん。だから多分並のアメリカ人より英語ができるぐらいかもしれないです。筆記で言えば。まあ確かに。
え、TOEICとかそういうのは受けたりしたことない?受けたことないですね。小5で帰ってきて英検2級だけ受けました。ああ、通りますよね。でも。通りました。小5で英検2級ってめちゃくちゃ早いですよ。
志望見つけるの難しくないですか?最初は僕、弁護士になりたかったんですよ。高校1年の時。え、俺と一緒や。僕も最初は東大文一を。なんでですか?僕喋るの好きなんでね。
喋るの好きだし、人を論破するのが好きだった。俺と一緒。僕もディベートやってたから。そう。それこそディベート、やってはいなかったけど、なんか見るのも好きだったし。はい。論破が好きなんですね。
論破っていうか、自分と話して人の意見が変わんのがめっちゃ好きで。ああ、例えば猫が好きって言ってて、俺が犬の良さを力説して、犬好きになるのがもう気持ちよくて。はい。ああ、
そういうの好きで最初弁護士になろうと思ったんですけど、すぐその、有罪って分かってる人間の弁護もしなきゃだめって聞いて。うん。それ絶対やだな。
じゃあ検察に行こうと思ったんですけど、まずちょっとキャラクターとしてちょっとミスマッチかなっていうのと、あんまりお金がもらえない。その、特段儲かる職業じゃないっていうのを聞いて、何になろうかなみたいな感じではあったんですね。でもお金はすごい好きだったんですよ。
高校生の頃から、すごい筋力鍛えてたじゃないですか。で、いろんな大人に会って、多分当時普通の高校生よりは大人の会に連れてってもらえる境遇だったんですよ。うん。なのに、筋力あるのにお金ないから社会的に強くない人を見てきたわけですよ。うん。
あ、だから、社会的な強さってベンチプレスじゃないなっていうのは気づいて、で、多分お金を持ってた方が自分の思い通りに生きれるなっていうのは思ったんですよね。ああ、なるほど。金も必要だったわけですね。うん。ありがとうございます。
え、じゃあ将来的に何になりたいとかはあんまり定まってなくてっていう。高3の夏ぐらいまで定まってなかったです。じゃ、志望も定まらずって感じ。へえ。で、ずっと筋トレとかを主にされてたっていう。
そうです。僕、高2で370kg上げてるんですよ。え、370?で、その高2の370っていうのが日本歴代の最高重量だったんですよ。年齢関わらず。え、や、やばい。
前のその日本歴代最高重量保持者が40何歳とかで。ええ。その前も30何歳とかで、で、僕らの競技って35ぐらいが1番強いとされてるんですよ。その日本記録を16で出したもんだから。え、
スーパーマイナー競技だけど、本当東大理三とかでは効かない偏差値になってる。ベンチプレスの偏差値だけじゃ。ベンチプレス界のリターンやばい。そう。多分年齢加味したら多分リアル150ぐらいあったと思うんですよ。偏差値だけで言ったら。確か。そりゃそうすよね。
そう。だからもうなんか、その希少性とかを考えた時に、なかなか免許する気にはならん。ああ。まあ、そうすよね。
しかもスポンサーついたりしないんですか?いや、しなかったすね。ほぼ物もらえたりとかあったすけど。お、どういうものですか?プロテインとか?ああ、そうです。そう。
そもそもあれなんですよね。その賞金とかがない。賞金とかがないスポーツなんですよ。じゃ、お金に変わらない。お金を使うスポーツですね。ああ、大会行くんでも飛行機乗るし。ああ。ただ当時世界大会行くんでも、僕は親にね、頭下げて出してもらってましたけど。へえ。
え、世界大会ではどこだったんですか?世界大会で高校1年生の時にその295上げて、で、高2でも優勝、高3優勝。世界大会。はい。でもアンダー18歳の部ですけど。でもでもでしょ。いやいやいや。でもでしょ。
で、3年生からじゃ受験勉強ってことすよね。3年の秋ぐらいすかね。え、秋ぐらいから。メンタルすげえ。俺、俺それ不安すぎて泣いちゃう。
それ、結果として医学部を目指すんですけど、それも自分が今できる努力で生涯収入を上げる方法が、もう1番確度が高いものが医者になること以外ないなと思って。うん。
医学部って医者のレールに乗れば、少なくとも貧乏は逃れられる。うん。したら、一生好きなこともできるなと思う。はい。はい。はい。
で、あとはその父親を見て育ってるんで、僕も医者ってめちゃくちゃ忙しいもんだと思ってたんですよ。うん。うん。したら、その高3の時に気づいたのが、そうじゃない医者もいるんすよ。うん。やっぱりワークライフバランスちゃんと整ってる人もいるから。うん。うん。そういう人を目指せばいいというか。ああ。
だから大学受験をしてる段階で目指してたのはバイト医だったんですよ。うん。週3働いて年収1500万とかで。お。その金を元になんかやれば、バイトやめれるかなみたいな。
はいはいはい。あ、じゃやめるつもりはいたっていう。もう医療に興味がなかったんで。言い切りますね。でもなんか筋肉を育成する考えに医療が加われば、なんか最強になりそうですけどね。
解剖学はそんなに嫌いじゃなかったです。あ、人体の正常は多分好きなんすよ。人体の異常が好きじゃない。確かにそう。確かに。確かに。
多分今やってる、トレーナーとしても働いてるんですけどね。0をプラスにする作業は好きなんですよ。マイナスを0に戻す作業にロマンは感じない。うん。
その英語だけズバ抜けてる状態で、どこの医学部を目指してたんですか?最初北大医学部行きたくて。おお。北海道に残るんだったら最高峰の学歴そこなんですよ。うん。あ、はいはい。北大医学部をずっと目指されて。
そうです。そうです。でもずっと目指してるってほど勉強ももちろんしなくて。いや、そらね、本業こっちですからね。そうです。僕、だからずっとその時期もトレーニングをしてるわけですよ。
で、高3の秋ぐらいにこれじゃいかんと思ってジムやめたんですよ。やめたっていうか、1回通うのをやめて。はい。5ヶ月ぐらいかな。全くジムに行かず勉強するっていうのを始めて。え。
それでセンター模試とかがもう本当60%とかだったんですよ。へえ。60%切るとかのレベルだったのが、センター直前に過去問を解いた時には9割超えて。え、あ。ぐらいまで頑張って行ったんすよ。
え、もう缶詰状態で勉強って感じですか?うーん。なんかそこまで言うと本当の缶詰した人に怒られるかなぐらいの、廃人化はしてなかった。1日12時間ぐらい勉強してたと思います。
あ、でもそれを維持できるんだったらそれは相当やってます。でもやってる人って17とかやるじゃないですか。いや、やらないっすよ。無理っすよ。だって睡眠時間が7時間やとしたら、食うのと風呂入るので。まあ確かに。そう、できて13とかですね。
でもだから実際12時間はやってないかもしれないですね。12時間ぐらい勉強する環境に身を置いてたぐらいのテンション。それでも廃人にはならずというか。なんなかったすね。
まあ、強いだけだから普通。12時間ぐらいだったらできる。だって12時間仕事できるじゃないですか。でも体力あるように見えるし。確かに。確かに。
で、センター本番が87%とか。おお、すごいすね。で、87%って北大医学部行けるんですか?目指せはするけど、僕イか幹川戦浪人が嫌だったんで、もう93%とか取る気でいたんですよ。うん。あ、
でも、王自して北大医学部の中でも上位のセンターを掲げながら2次試験の勉強を始めようと思ってた。2次やってなかったんですよ。そう、センターに全振りで、センター終わってから2次の缶詰をしようと思ってたんですよ。はいはいはいはい。だから算段なかったす、ほぼ。
え、で、その北大もう諦めたんですよ。もう浪人が何よりもやだったんで。で、旭川医大にしようって思って。札幌近いのと、2次が英語、数学、面接が各100、100、150点だったんですよ。はいはいはいはい。
英語が、僕どんなテストでも8割5分は取れるんですよ。動画です。あの、採点者に悪意がなければ。だから英語が80だとしても。
で、面接が集団面接だったんですよね。で、僕その人の説得好きじゃないですか。あ、だからこう6人とかいる中で、自分が中心になって人の話をまとめたりするのは苦手じゃないと。
面接が150中100だとするじゃないですか。しかも350中180取れてたら数学が0点でも受かる計算だったんですよ。うん。うん。で、もうなんか俺なんて朝飯前だみたいな自暴自棄モードも入っちゃって。ああ、
僕センター試験の2週間後に全日本ベンチプレス大会出て。え、それはどうだったので?それ優勝します。ちょ、すごいな。
でも僕生まれて初めて面接を計算に入れて挑む人初めて見ました。なんか6人とかなんですよ、集団面接が。で、議題が決められて、例えば俺の時何だったかな?スマホについてどう思うかとか、もう本当医療に関係ない、知識のいらない、その場で意見を言えるかどうか。
国語力試験みたいな。もう会話力、コミュニケーション能力。多分国語の試験ないすもんね。だって。ないです。だからそれで6人中最下位になることはないなっていう自信があったんですよ。
で、現役じゃないですか。はい。現役どうのっていうので、面接なんか強いっていう噂を聞いたんです。そこで。うん。うん。だから、ある程度自信あったんですね。ええ。
え、面接は実際行ってうまくいきました?うまくいった自負はありますけど、開示してないんで僕何点だったかわかんないです。はいはいはい。英語は英語の先生に入学後に話しかけられて、藤本君はなんでそんなに英語ができるのって言われました。え?ああ、もう見たことない点数だった。絶対1位じゃないですか?まあ、そうすね。英語は多分1位だと思います。
てかセンター試験直後ぐらいからは、もうじゃあベンチプレスとか再開されてるし、もう勉強してないです。だって数学以外勉強することがないわけですよ。結論から言えば。
あ、確かに。え、しかも英語って受験期とかもあんま勉強してないんですか?1度も勉強したことがない、英語は。え、アメリカにいた最初の3ヶ月ぐらい。すごいっすね。
でも医学部入られて、そっからちょっと気になりますね。どうですか?マッチしました?どうでした?いや、まずやっぱり忙しいのと、留年と隣合わせすぎて。はいはいはい。ストレスえぐかったす。ああ、
特に1、2年生がすごい留年するんですよ。医学と関係ないところで、物理とか化学とか、基礎科目で留年させるっていう。へえ。一般教養ってやつですよね。一般教養で留年させるっていう。
2年までに取らなきゃいけない感じだったんですね。あ、ていうかもう全てが必修でした。1個でも落としたら留年。あ、その1年の間にですか。はい。ああ、厳しい。
え、実際留年ってされました?してないです。あ、ええ。やっぱフィジカルで何とでもなるじゃない。いやいや、でもギリギリでしたよ、本当に。合格発表の日寝れなかったタイプです。あ、進級発表。うわ、うん。
CBT、OSCEとかは?CBTは学年で下から4番目で、結論っていうと。はい。で、2人落ちたんでCBT。お、危な。だから受かった中で下から2番目。うお。とかのレベルでした。マジでギリギリですね。
え、ちなみに医学部の6年間ってベンチプレスやってますか?やってるんすけど、国際大会に出さしてくんなくて。ええ、まあ行ってもいいけど留年だよっていう状態なんですよ。結局単位が足りなくなっちゃうんで。1週間とか休む。あ、ああ、そう、そう。
だから唯一出れたのが、大学2年の時に成田で世界大会あったんですよ。へえ。あと大学5年の時に東や湖子湖でアジア大会があって。うん。うん。その2つは出て優勝してます。え、はい。
え、世界大会とアジア大会で優勝されてるんですか?そうです。ただその世界大会もアンダー23歳の部。はい。いや、でも23。そうですね。アジア大会を一般で優勝し。え、ああ、すご。マジか。医学部行きながらやる。
でも本当にちゃんと医学部出た人の努力を10としたら、僕3ぐらいしかやってないです。本当にコスパよく通してるんで。
あ、病院実習されたんですか?してますよ。そやね。え、なんか、どうでした?いや、でもやっぱりそこが肝だと思ってて、自分の中でその興味が出ないわけですよ。4年までは。
あ。それこそ大学3年の代かな、で、僕ベンチプレスを教えるコーチングのビジネスだったり、ああ、なんかプログラムを売ったりとか、そういうベンチプレスをお金に変える作業に目覚め始めて、僕の中では大学はもう俺のお金稼ぎの邪魔になってたわけ。
そんな中で、大学4年からポツポツ実習が出てきて、興味が出るかなのタイミングがまずそっから続いた。うん。感じで、出なかった。
心を打たれるタイミングはあったんですけど、実習でお産を見せてもらって。あ、俺もめっちゃ感動しましたね、あれは。本当に生命の神秘だと思って。ああ、
すごい感動もしたし、でやっぱり本当に罪のない子が大病を患って、ずっとこう痛くて泣いてるとか、そういう時に、いや、なんでこの子がこんな目に遭わなきゃだめなんだみたいに涙するぐらい打たれたタイミングもあったわけですよ。うん。うん。
そこで普通の人は多分小児科医になろう、うん、になるかもしんないんですけど、僕は俺には無理だなって思っちゃって。というか、こんなに困ってる人がいるならなおさら、医学に身を投じれる人間が見てあげないと無責任だなと思ってます。
自分は多分心疾患で死ぬと思うんすよ。あ、そうなんすか。いずれこの体型のままだと。あ、そうなんですね。はい。だって150kgですから。確かに。あ、そうなん。心臓は一緒ですから。
え、でもなんかその肥満ではないじゃないですか。その。でも肉は肉ですからね。あ、そうなんです。脂肪でも筋肉でも、血液をポンプとして送る心臓の負担は変わらないわけですよ。同じ肉。なんなら多分筋肉の方が血液量多いんで。あ、
てなると、僕は多分心疾患で死ぬんすよね。でもそれは俺が覚悟の上その道を選んでるから、回避できたものを回避しなかっただけ。あ、俺はそれ以上にベンチプレスというこの生き方を優先してしまったから。はいはいはい。だから、それは納得して死ねるわけですよ。うん。うん。
でも小児で、0歳で何か病気持って生まれてきて、3歳まで苦労の治療の末に死んでしまう子とかもいるわけですよ。うん。なんかそんなのあっていいわけないというか。うん。
なんかすごい残酷な話だなと思って。で、そんな残酷な話から目を背けたかった弱い自分と、あとそういう子たちに私生活も捨てて身を投じれる人間じゃないと見てはいけないなと思ったんですよ。うん。
ああ。そこでじゃもう医者になるのはやめたんですか?やめたっていうか、決めたっすね。医者にならない。ああ。そうなると就活しないとか。
そうだ。でも研修はして、だからバイト医をやりたい気持ちはあんま変わってないわけです。あんま扱うタイミングないと思うんで。おそらくね。その選ぶバイトにもよるとね。目の前でその救えた命がみたいになるタイミングを避けることはできるじゃないですか。
バイトだったらAGAとかやればいいんで。うん。スキンヘッドだけど。確かに。はい。はい。はい。
で、そっからじゃあ国試の勉強?いや、もう実習をとりあえず乗り切る作業。はい。俺と一緒。だから日々としては死んでるっすね。ああ。そこはもう、てか学生じゃない感覚。うん。
あの、サラリーマンをやりながら副業をしてるみたいな感覚で。お金もらえないのにね。金ももらえないのにね。
あの、僕思うんですけど、あれ本当に立ってるだけのこと多いじゃないですか。勝ち時間の無駄やと思ってて、さっさと家で座学させてくれよと思って。まあ、そう。勉強したい人だったらそういう人の方が多かったですよ。うん。座学の方がためになる。
だから僕からしたら、別に帰って勉強もするわけでもないのに。うん。拘束されて、その拘束が終わったらトレーニングして仕事して。あ、トレーニングしてたんすね。トレーニングしてましたよ。実習中も。
実習中も。僕大学4年の全日本で380.5kg上げて、その年に初めて400kg挑戦してるんですよ。あ、え、病院実習しながら。それはそうすね。確か。すごいっすね。体力ありすぎません?
いや、でもだから本当サボってんすよ、マジで。あの、だから多分医学部の同期とかが見て、俺が、いや病院実習しんどかったすって言ったらマジでめちゃくちゃ笑われたぐらい、もう本当にこなしてた。うん。医学部にいて留年しないだけの人。
で、国試免許がやっぱかなり億劫なわけですよ。うん。9割興味ない内容の……いや、でも興味ない内容の、人生で1番ボリュームのあるテストなわけですよ。ああ、いわゆる4000時間必要って言われてますよね。え、総額に。
でもあれですよね。だから実習早めに終わりますよね。6年の、ちょっと早めに終わって卒試があって。ああ、卒試も受かった中ではビリでした。ええ、
卒試本当に脳弁の徹夜で行ったんですよね。なんで良かったか。卒試ってそれなりにかなり難しい。そう、だからもう本当に卒試用の勉強しかしない。過去問やったりとかで。それも良くないんですよ。それで受かったから国試もこの感じやろ。
え、実際始められたのはいつぐらいなんですか?リアルな話、多分年明けとかなんすよ。あの、国試って毎年2月6日、7日なんですよ。そうなんですね。1ヶ月しかない。
でもちょっとこう、うつ病じゃないですけど、ちょっとうつ状態というか、そう、これで俺の人生本当にいいのかとか悩んだ時期もあって。ああ、この医師国家試験という人生で1番労力がいるものに対して、本当に労力を捧ぐべきかどうかみたいな。はいはい。
だって興味ないし、使うかどうかも分からないし。だからそもそも研修2年間をやることに対しても、すごい葛藤があったわけですよ、自分の中で。24から26って何でもできるじゃないですか。うん。うん。それを医師とする権利のためだけですよ。僕からしたらね。
もうすごい尊いことなんですけどね。本来はかけがえのない勉強時間だけど、僕にとってはものすごく意味が限定的なものなんですよ。うん。そんなものに2年間を自分が費やすべきかどうかみたいな葛藤もすごいあって。うん。
なんか考える人みたいになってたんですよ。努力をしない、動かない、行動しないで、ずっとなんか、俺は何をしてるんだろうな。へえ。飲みにでも行くか。
実際国試はどうでした?国試ダメでした。ああ、だからそう、結構いろんなネットのコメントで、医学生だ、この人は。うん。うん。医者だ。うん。医者になれてないらしい。この3パターンがあるんですけど、医者になれてないんですよ、僕は。医師免許取れてないんですよ、結局。今でも。ええ。
え、でも受けれますよね、国試って。うん。いつでも受けれるんすけど。いや、だからもう本当に、こんなこと言ったら炎上するかもしれないですけど、僕は医師国家試験を受ける権利を売りたいんすよ。
これ結構、だって1億ぐらいで売れるでしょ、多分。確かに。出す人出すじゃないですか。確かに確かに。いや、でも本当に法が許すなら、1億とかでM&Aしたいんですよ。自分の医師国家試験受験権利を。やばい。あの、1人とんでもない車が世界に生まれて。そう、そう、そう。
いや、でもなんか実習とかね、そんなしっかり出なくても、医師国家試験を頑張れるぐらい医療好きなら医者になっていいと思うんす、僕は。ああ。逆に僕、医学部6年間卒業してますけど、俺みたいなやつには診て欲しくない。随分、自分は。
なんか僕的にはなんか一留して考え直すとかも良かったかもしんない。ああ。ああ。一留してたらやめてますね。間違いなく。考えすぎてやめてる。うん。1年、2年とかで留年してたら間違いなくやめてます。
大学にいるうちに気づいたのが、すごい欲しかったお金が、お医者さんはそんなにもらってない。その、もっともらうべきなんですよ、彼らって絶対。うん。あ、はい。その、年収1000万の仕事じゃないと思うんですよ、僕は。難易度と収入が比例しない。はい。うん。ああ。
まあ、それこそバイト医で生きていきたいって言ってる俺がお金もらえちゃう仕組みもちょっとおかしいと思うんですよ。わざわざ医療職の中でそんなファンキーな働き方をしなくても、年収1000万、2000万稼げるなって思いました。大学在学中に。下手したらマグロ船乗ればいい話なんで。
確かにそう。デメリットないですよ。だって全然絶対疲れないもん。まあ、トレーニングできなくなっちゃうけど。あ、いや。
じゃ、もう国試落ちた時点で、もう国試は受けずというか。一応もう1回受けてるんですよ、実は。普通の年に。それもまあ、ちょっとこう周りのプレッシャーがあり。うん。親に顔向けできないじゃないですか。まず学費出してもらってるんで、僕。あ、ああ。
けど、じゃあその1年何やったかつったら、事業準備ですね、僕。ああ、一応勉強してる風。勉強はしてる。だから一応浪人生って周りを見てたタイミングで、YouTube始めてるんですよ、僕。ああ。
でも何をやったらお金を稼げるかっていうのをもう周りに聞いて、で、手出しやすいのが物販だったんですよ、僕。ああ、物販。あの、これも自社ですし、これも自社なんですけど。へえ。今、メインはそのトレーニング用品だったり、はいはいはい。アパレルだったりを売ってる物販業をやってます。はい。あ。
で、僕はそのベンチプレス関連のお仕事もあり、うん。あとツアーガイドやってたんですよ。え、その時、札幌に来る英語のお客さんに札幌案内する。ああ、ちゃんと生かしてる。そうなんですよ。で、これが結構お金もらえてる。へえ。
せっかく医者をしないっていう選択をしてるから、お医者さんより稼がないと意味がない、とは自分も思っていて。ああ。で、どうにかしようの1年にしちゃったわけですよ。はいはいはい。で、もうほぼ記念受験です、正直。はい。去年より悪かったです。ああ。
このジム作られたのは最近ですよね。ジムできたのがもう本当数週間前の話。え、すごい。10kg以下のダンベルがないみたいな。そうなんですよ。いや、これはもううちの落ち度なんですけど。
落ち度。わざとではないんですよ。そう。なんか、いいかいみたいな。なくてもいいかいみたいな。いや、あった方がいいんですよ、絶対に。
なんか初心者お断り系なのかなとか。お断りまでではないんですよ。その、僕のジムは前提としてジムで儲かると思ってないんですよ。うん。儲かってるジムって幽霊会員が多いジムなんで。ああ。
やっぱり面積あたり入れる人数が限られてる中、どう考えても一度に来たらもうパンクするだろうっていう会員数がいるジムがいっぱいあるわけですよ、現状。それはやっぱり幽霊会員の元に成り立ってるわけです。うん。うん。うん。そういうジム運営は当然したくなくて。ああ。
うちはもう本当にアクティブメンバーだけで会員数を埋めたいってなったら、会員数に限りがあるわけですよ。したら僕としては同じマインドの人間、なんか強くなりたい、でかくなりたい、そのためにちょっとバカになれる人が欲しいわけですよ。
ジムメンバーで例えば食事とかに行った時にでも、こんなにベンチプレス何百とか上げても何の役にも立たないよねみたいな人がいたら興ざめするんすよ。ああ。なんかみんなこの夢に酔ってたいんすよ。ああ。だからその夢を持ってるなら、全然初心者でも、うちでトレーニングを始めるって人でもいいんですよ。うん。
10kg以下ないとどうやって始めるとかあるんですか?大丈夫です。いくらでも方法はあります。でも、まあ10kg以下あった方がいいんですよ。ああ、だから買います。あるんですね。あるんですよ。
ちょっと戻っちゃうんですけど、そのご結婚もされてる。結婚してます。いつぐらいですか?
結婚は大学6年の12月に僕プロポーズして。
あれすごくないですか?国試前。
いや、そう。それで勉強したんですよ。
ああ。
なんか結婚するには定職が絶対に必要だと思って。1人ならぶっちゃけ、国試落ちてフィリピンにでも行けばいいかなみたいな気持ちもあったわけですよ。ちょっとこう病んでるし。でもなんかいや2人の人生の責任を取るべきだと思ってるから、そこでバーって勉強して、結果間に合ってないんでものすごい不甲斐ない男なんですけど。
ええ。
だからプロポーズしてから1年半ぐらい婚約状態が続いて、去年の今ぐらいに結婚したんですね。去年の4月か。
結構大会とか色々出てるじゃないですか。
はい。
で、最高の重量が400kg。
400kg。
これいつの話なんですか?
これが2024年。それこそすごい面白い話で、国試落ちてYouTube始めて、とりあえずまず3ヶ月は勉強しないでベンチプレスに全振りして、俺400kg上げるわって言って上がったんすよ。
ええ。
だからやっぱり筋トレ界隈で言われてるでかくなる秘訣とか強くなる秘訣で、仕事をやめるって言われてるんですよ。
え、仕事をやめたら強くなる。
もう実証しちゃった。[笑い] その忙しい学生時代から、もうほぼフリーターというかね、自由業になっちゃったんで。
はい。え、世界記録ってどんな感じなんですか?
426。
ええ、まだ出てきたんですね。
ずっといるっすね、そいつは。
あ、じゃあその世界記録を目指していくみたいな。
そうすね。とりあえずでも優勝、世界大会優勝っていうのを一般の部でしてないわけですよ。だから僕、世界一は名乗れないんですよ。
そうなんですね。
ちょっとベンチプレスもう14年目なんで、そろそろけりをつけたいみたいにはなってきてるんですね。
ええ。
そのために最低限、世界大会優勝して世界記録を取る。僕30までには痩せたいんすよ。
え。
死んじゃうから、本当に。150kgの75歳見たことないじゃないですか。
確かに。それはそうすね。
そう、本当にそういうことだと思うんですよ。30ぐらいから徐々に痩せて110kgぐらいにまで落としたら、ちょっとは延命になるんじゃないかなみたいな。もう自分でも覚悟の上で太ったんで、早死にが怖くてたまらないわけではないんですけど、ちょっと50とかで死ぬのは嫌なんで。
ああ。
70ぐらいまで行きたいなと思ってるんで。
はい。はい。
あとちょっと妻との約束。妻もちょっと怪しないでねってなって。
あ、まあ、まあ。僕持ち上げて欲しいんですけど。
あ、もちろん。
ここのカメラで持ち上げてもらえますか?
あ、今、はい。
あ、じゃあ僕、カメラ、iPhoneで。え、本当にいけるんですか?
いいですよ。
じゃあ、あの、お姫様抱っこで。
あ、うお。うわあ。うお。[笑い]
ありがとうございます。すげえ。ありがとうございます。
え、もう余裕ですか?
余裕です。
うわ、すげえ。さすがに53kg。はい。いや、すごい。[笑い] すごい。
めっちゃ最初怖かったけど、めっちゃ楽しかったす。[笑い]
なんかその最後に、この視聴者層が僕ら世代なんですよ。20〜30代ぐらいなんです。若者に一言もらうっていうのが。
偉そうだな。
いや、なんか前提として、あの、僕自分のことまだ成功者だっていう認識がないんで。
ああ。
今の会社を切り取って成功してる会社かって言われたら、まだまだ全然。1年目の、ようやく2年目かの走り立ての法人で、まだまだ僕も修行の身なんですよ。ただベンチプレスが強いだけなんですよ、まだ。[笑い]
多く稼いで初めてだと僕は思うんで。
うん。
だから、そういう意味で僕は成功者じゃないという前提のもと、すっごい無責任なことになっちゃいますけど、好きなことを見つけてそれに打ち込むことが何よりも重要だと思います。その親に言われたからとかね、今の仕事やめたら一時的に収入に困るとかあんまり考えない方がいいんじゃないかなって僕は思います。やっぱ人生1回なんで、自分が好きなことをやって死ねたら人って幸せなんじゃないかなって思うんで。
ああ。
皆さんも頑張ってくれたら豊かな日本になるんじゃないかなと思います。
今日はありがとうございます。
ありがとうございます。
Far East Strengthというブランドの名前は直訳すると極東の力、日本を強くしていこうという僕の思いから名付けたブランド名になります。[音楽] こういった他にないデザインのトレーニングベルトだったり、こういったジム、Tシャツ、タンパも今そうですし、こういったものを販売してますんで、是非、概要欄のリンクからショップをチェックしてみてください。お願いします。
記事公開
