なぜ「世界記録が破れた」と言えないのか:自他交替から見る「反使役化」と「脱使役化」

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概要

ゆる言語学ラジオの全国ツアー「初ゆるし」札幌公演で、水野太貴が堀元見に出した問いは次のようなものだった。「紙を破る」は「紙が破れる」と言い換えられるのに、「世界記録を破る」は「世界記録が破れた」と言えない。変えたのは動詞だけなのに、なぜ対応関係が崩れるのか。この回のテーマは「自他交替」である。水野は、日英の比較を通じて「人間が世界をどう捉えているか」のヒントが見えてくると予告し、後半では北海道方言の「〜さる」にも話を広げた。

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対応するはずの自動詞と他動詞が、ときどき成立しない

導入で水野は「パソコンが壊れた」という表現を取り上げる。これは「誰かがパソコンを壊した」という文と対応している。ところがこの対応はいつも成り立つわけではない。「紙を破る」から「紙が破れる」は作れるが、「世界記録を破る」から「世界記録が破れた」は作れない。「破られた」という受け身なら言えるが、「今回の北京オリンピックでは世界記録が破れました」とは言わない。

「叩く」から「叩かる」、「噛む」から「噛まる」も作れない。「赤ちゃんが僕を噛む」から「僕が噛まる」は意味をなさない。「破る/破れる」「壊す/壊れる」のような一部の動詞だけがこの交替を起こし、そこに一見一貫性がない。水野によれば、こうした「バグ」のような不整合こそ言語学者が興奮するポイントだという。

自他交替とは、他動詞を自動詞に、あるいは自動詞を他動詞に変えることを指す。堀元は「地味でサムネにならない」とからかったが、水野は最後まで聞いてから判断してほしいと応じた。

日本語と英語の自他交替の違い

まず形の違いがある。日本語は「壊す→壊れる」「破る→破れる」のように、語の後ろに要素を付けて自動詞と他動詞を行き来することが多い。英語では break を「breakれる」のように変形しない。broken という受け身の形にはなるが、それは自動詞と他動詞の区別が変わったわけではない。

英語では、同じ形が自動詞にも他動詞にもなる。「open the door」とも「The door opens」とも言える。burn も「burn it」と「The leaves burn」の両方が可能だ。日本語でこれに近い数少ない例外が「開く」で、「ドアを開く」「ドアが開く」の両方が言える。

ただし、ここにも不思議な点がある。英語では「Taro tore the paper」から「The paper tore」が作れる。同じ動詞なのに、主語が動作主の太郎でも、破られる対象の紙でもよい。「水野が堀元を殴った」と「堀元が水野を殴った」は意味がまったく違うのに、tear では主語を入れ替えても成り立つ。日本語母語話者なら「The paper was torn by Taro」と受け身にしたくなるところで、受け身と何が違うのかという問題も出てくる。堀元は「仕様として変だ」と反応した。

さらに、「破る/破れる」「壊す/壊れる」「割る/割れる」のようなペアは、系統の異なる日本語と英語で同じように振る舞う。似た意味の動詞が似た挙動をし、似た理不尽を抱えている。

堀元は、日本語の「世界記録が破れた」問題と英語の同形問題は別の話ではないかと指摘した。水野はここで補足する。英語でも「He broke the world record」は言えるが、「The world record broke」は言えない。一方で「He broke the vase」から「The vase broke」は言える。花瓶なら交替できて、世界記録になるとだめになる点が日英で共通している。ここに共通の原理があるはずだ、というのが言語学者の考え方だと水野は述べた。

反使役化:放っておいてもそうなるか

「紙を破る」が「紙が破れる」になるような変化を、研究者は「反使役化」と呼ぶ。水野が紹介した研究者の説明では、反使役化の文は、主語が破れた状態になったということ以上に、主語の内的性質や内的な活動が原因となって起こる「自発的な変化」を表す。

堀元は「紙は自発的に破れないだろう」と疑問を示した。水野によれば、この説明では、紙は破れることへの自発性を潜在的に持っているとされる。堀元はこれを「種は木になりたいという欲求を持つから木になる」というアリストテレスの目的論的自然観のようだと茶化したが、水野はつながる部分が結構あると応じた。要点は、紙はそれ自体が経年劣化したり外的な力が加わったりすると破れる、ということだ。

水野はこれを分かりやすく言い換えた。人間がまったくいなくなった世界で何年も経ったとき、その出来事が起きているかどうかで考えればよい。堀元はこれを『Dr.STONE』基準と呼んだ。人類がいなくなった後、何百年も落ちていた紙は破れているだろう。だから「紙が破れる」は言える。一方、何千年経っても世界記録が破れていることはない。同じ理屈で、「契約を破る」「約束を破る」は言えても、「契約が破れた」「約束が破れた」は言えない。英語でも「He broke his promise」「He broke a contract」は言えるが、promise や contract を主語にした自動詞文は言えない。

堀元は屁理屈として、「2040年までに借金を返す」という契約なら人類滅亡後に自動的に破れるのではないかと食い下がった。水野は取り合わずに次の例へ進んだ。

peel(むく、剥がす)では、「The paint peeled」(ペンキが剥がれた)は言える。ペンキは放っておくと経年劣化で剥がれていく。しかし、オレンジの皮を主語にして「皮がむけた」の意味にすることはできない。オレンジの皮は、むく人がいないと勝手にむけないからだ。clear(きれいにする)も同様である。風が雲を払って空が晴れる場合は、「The sky cleared」と言える。しかし、ウェイターがテーブルを片付ける「The waiter cleared the table」から「The table cleared」を作るのは変だ。テーブルが勝手にきれいになることはないからである。

途中、堀元は「自然にむけることも、人がむくこともある皮」を例に出して、反使役化できるかを問うた。水野は、日本語でも「むく/むける」が成り立つことを確かめつつも、結論は「宿題にさせてください」と保留した。

この節の水野の結論は、私たちが反使役化を使うとき、主語の性質に必ず注目しているということだ。人間のいない世界でもそう振る舞うかを、話者は無意識に見極めているという。堀元は、アリストテレスへの連想はふざけただけだったが、ものに宿る性質を考える点で意外に深い指摘だったのかもしれないと振り返った。

脱使役化:動作主が不特定なだけ

ところが、この原理では説明できない自他交替もある。「堀元さんが大金を儲けた」から「大金が儲かった」は作れるが、大金が勝手に儲かる性質を持つわけではない。水野によれば、影山先生はこれを反使役化とは別の現象、「脱使役化」として説明している。

脱使役化は英語にはない現象とされ、日本語母語話者にとってなじみ深い。例として「予算案が決まった」「庭に桜の木が植わった」が挙がった。予算案が勝手に決まることも、桜の木が勝手に植えられることもない。反使役化は主語が元々持つ性質、つまり人間がいなくなっても起きるかどうかに関わる。これに対して脱使役化は、動作主が不特定であることを表すだけだという。予算案を誰が決めたのか、大金を誰が儲けたのかは言及されず、誰かがそうした結果の状態にあることだけを述べている。

堀元は「お金は寂しがり屋だから仲間を求めて増える、と本で読んだ。だから主体はお金だ」と冗談で反論し、水野に「話が薄っぺらい」と一蹴された。

行為・変化・結果状態という三段階

脱使役化の理解を助けるために、水野は動詞の意味を「行為・変化・結果状態」の三段階に分けるモデルを紹介した。「叩く」は行為しか表さない。叩いた結果、血が流れることはあっても、動詞自体に変化は含まれていない。「割る」は、行為をして変化が起き、二つになったという結果状態までを表す。「似ている」は結果状態だけを表す。どの段階を担う動詞かで分類するのがヴェンドラーの4分類で、以前の回で扱った「テリック」の話ともつながる。

水野によれば、自他交替に関わる動詞は、行為・変化・結果状態のすべてに言及する動詞である。「破れる」も「儲かる」も「決まる」も、結果が変わっている。それが自発的な性質によるのか、不特定の誰かの行為によるのかが違うだけだ。だから結果状態を記述していない動詞では交替が起きない。「押す」「叩く」「蹴る」のような接触・打撃の動詞は、結果までを含まないので、対応する自動詞がない。英語でも「He pushed the wall」は言えるが、「The wall pushed」は言えない。

北海道方言の「押ささる」と結果状態

ここで話は札幌の聴衆に身近な北海道方言に移る。北海道方言では「ボタンが押ささっている」と言える。水野の説明では、ボタンは押すとへこむので、結果状態が含意される。一方、壁は押しても変化しないので「壁が押ささってる」とは言えないだろう。ただし、柔らかい粘土のような壁を押して手形がついていれば言えるはずだ。つまり「〜さっている」は、結果状態があるものに対して使う脱使役化だ、と水野は主張した。

共通語との違いとして水野が挙げたのは、位置変化の結果状態である。「干す」のように物を動かす行為は、共通語では脱使役化できないとされる。しかし北海道方言や、九州・東北の一部地域では「洗濯物が干ささっている」と言える。堀元も、自分の父親がよく言うと認めた。「干す」には位置が変化した後の状態という結果が想定できるからだ、と水野は説明する。

さらに水野は、同じ「押す」でも区別があると述べた。スーパーでカートを押している人を見て「カートが押ささっている」と言うのは変で、「押されている」が自然だ。しかし、テーブルを壁際まで動かし終えた後なら「テーブルが押ささってる」と言えそうだ。違いは、行為に「ここまで」という限界があるかどうか、つまりテリックかどうかだという。水野は、テリックかどうかは「10分で〜する」と言えるかで判定できると説明した。重いベッドを10分で押した、は言えるが、カートを10分で押した、は言わない。

堀元は、北海道方言話者は本能的に使えるのだから、その判定手順はいらないと突っ込んだ。水野は、自分は北海道方言話者ではないので、どうすれば使えるのかが気になるのだと答えた。水野がダーツの矢で「刺ささってる」と言えるはずだと試すと、堀元は「言わない、気持ち悪い」と否定した。「刺さってる」で足りるからだという。

自動詞でも言える「〜さってる」、揺れる内省

公演前夜、水野は堀元の父親に北海道方言の聞き取りをしていた。印象に残ったのは、自動詞でも「〜さってる」が言えるらしいという点だ。オフィスビルで毎週高層階のセミナーがあり、5基のエレベーターがすべて上の階に行ってしまった場面で、「エレベーターが上がらさってる」は言えるという。会場で挙手を求めると、容認できる人がかなりいた。水野は、北海道方言話者でない人も含まれているはずなので、容認度は高いと見ている。

もう一つの例は、ガラスの壁を押してヒビが入った場合の「壁が押ささってる」である。これは堀元はだめ、堀元の父親はオッケーだったという。会場では言えるという人が多く、堀元は自分の直感と違うと驚いた。水野は、堀元はヒビが入ることを「結果」と解釈しにくいが、多くの人はそれを結果と捉えているのだろうと解釈した。

歴史的な例として、水野は夏目漱石の『坊っちゃん』に、印を押された辞令を「押さる」という自動詞で表す用例があると紹介した。判子を押せば印影が結果としてはっきり残るので、結果状態を表す脱使役化が成り立つという。

「〜さる」は脱使役化だけではない

堀元は「北海道方言の〜さるは脱使役化だった」とまとめられればサムネになると期待した。しかし水野はそう単純ではないと答えた。「〜さる」には自発の意味もある。つい押したくなるボタンを「押ささる」と言う場合だ。「このボタン押ささらない」のように不可能を表す可能の意味もある。水野は、自発・可能・結果状態の脱使役化の三つが用法としてあるのではないかと述べた。脱使役化は、そのうちの一つだという。

堀元は前夜に「押ささるの本質」を思いついたとして、「形態的には脱使役化の側面があるが、意味的には中間構文的な振る舞いを示す。ただし中間構文なら自動詞は使えないので、中間構文的とも言い切れない」と語ったが、水野に「何もすっきりしなかった」と返された。

方言によって違う容認のライン、そして人間の認知

まとめとして水野は二つのことを挙げた。一つ目は脱使役化についてである。どこまでを容認するかは、日本語の中でも揺れている。漱石が使った「印が押さる」を今の標準語話者はあまり言わないように、時代によっても違う。北海道方言などの「〜さる」は、位置変化という結果を脱使役化できるが、ほかの方言ではできない。「吊す」「干す」にも結果はあるのだから、理屈の上では脱使役化してもよいはずだ。北海道の人には「押ささる」を好み、ほかの方言でも使えればいいのにと言う人が多いが、水野はそれを東京方言と比べて論理的に優れているという話ではないと述べる。どこまでを結果状態として許容するかのラインの違いであり、北海道方言はそれを位置変化まで認めているのではないか、というのが水野の見立てだ。

二つ目は反使役化についてである。水野は、人間は出来事の変化を言うとき、それがものの性質によるのか、人間が意図して手を加えた結果なのかを認知的に重視しているのではないかと述べた。日本語も英語も、言語表現の上でこの区別をはっきりつけているからだ。堀元はこれを受けて、紙が放っておいて破れるのも人が破るのも、自然科学的には同じ物理現象なのに、言語ではその違いを大事にしている、と感想を述べた。

堀元はさらに、以前ゲストの黒島先生から聞いた「凍る/凍らす」の話を持ち出した。元が自動詞で、他動詞のほうが形として長くなる。その傾向は世界の言語でも広く見られるという話で、凍るは自然に起きるが凍らすは自然にはあまり起きない点で同じ話だと指摘した。水野は、冷蔵庫のある現代ではあまり意識しないが、昔の人にとっては自然に起きる変化かどうかが重要な情報だったので、それが言語表現に残っているのではないかと応じた。「凍る/凍らす」や「割る/割れる」のようなペアを見ると、人間が何を大事にし、どういう世界を生きているのかが見えてくる。それが冒頭で予告した「人間の世界の捉え方」の意味だった。

ただし、残された問いもある。皮の「むく/むける」が反使役化できるかは宿題のままだ。「押ささる」の容認範囲は、水野と堀元、堀元の父親、会場の間でも食い違った。水野は、北海道方言の内省は人によって違う部分があるとして、視聴者に意見を寄せてほしいと呼びかけて締めくくった。