「ホテらすネツタイヤ」から「無条件においしい」まで 歌詞と広告コピーを言語学で読む

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概要

ゆる言語学ラジオの「広告コピーを読む会」の回である。広告コピーに限らず、歌詞、看板、帯の文句など、日常会話では出会わない変わった言葉づかいを取り上げ、どこが面白いのかを言語学の観点から話している。話し手は言語学を専攻した水野太貴と、堀元見の二人だ。一つ一つの例から、日本語の文法のどの性質が使われているのかを考えるのが回の軸になっている。

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促音に音符を与えた「ホテらすネツタイヤ」

最初の話題は、水野が「衝撃的だ」と言うRIP SLYME「熱帯夜」の歌い出しである。歌では「ネッタイヤ」ではなく「ネツタイヤ」と歌われ、歌詞カードも「ホテらすネツタイヤ」になっている。堀元は最初「熱帯夜が熱タイヤになっているだけでしょ」と反応したが、水野によれば、ここには歌の中で促音(小さい「っ」)をどう扱うかという問題が関わっている。

水野がこれまでよく見てきた処理は、促音の直前の音節の母音を伸ばすやり方だという。例に挙げたのはMr.Children「箒星」のBメロで、「君は知ってんだろう」が「しーてんだろう」と歌われる。もう一つはヨルシカ「太陽」のサビで、「ゆっくりゆっくりと」が「ゆうくり」になっている。

なぜそうなるのかについて、水野は促音の発音の仕組みを説明した。「ゆっくり」と言うとき、小さい「っ」の間、口はすでに次の「く」の形を作っており、息を止めて一拍置いている。「ゆったり」なら、舌先を前歯の付け根に当てて閉鎖を作った状態で止まっている。空気を流さずに間を作るだけなので、促音の部分には音程をつけられない。それでもメロディ上この位置に音符を置きたいとき、前の母音を伸ばすのがセオリーだと水野は思っていた。

ところが「熱帯夜」は「ネえタイヤ」ではなく、「ツ」という音を出して音符に当てている。しかも水野の聞き方では、声帯の振動を伴わない無声化した「ツ」を音として置いている。前の母音だけを残すのではなく、促音を「ツ」に変えて音程を与えた点が、水野にとって衝撃的だったという。堀元は響きが面白いとしか思っていなかったと応じた。

ここから二人は、この曲で踊った高校生たちの動画(再生1000万回ほどと堀元は言う)と、10年後に社会人になった同じメンバーが踊る動画の話に脱線した。堀元は公開当日に見に行ったほど好きで、クラスで目立っていた4〜5人組が、そのまま「一軍の社会人」になっている、つまりスクールカーストが変わっていない点にぐっときたと語った。ただし水野が指摘したとおり、踊っているのはRIP SLYME本人ではないので、促音の処理とは関係がない。二人も「この話、別にいらなかった」と認めている。

「お姫様気分で楽しめる天蓋ベッド」の二通りの読み

堀元が最近感動したというのは、収録場所の近くにあるラブホテル「ホテルバリアン」のコピー「お姫様気分で楽しめる天蓋ベッド」である。堀元が注目したのは、「お姫様気分を楽しめる」ではなく「お姫様気分で楽しめる」になっている点だ。

堀元の読みはこうだ。このコピーは一見女性向けで、多くの女性は「この天蓋ベッドで寝たらお姫様気分になれそう」とまっすぐ受け取るだろう。一方、セックスへのモチベーションが高い男性が読むと、「お姫様気分で(セックスを)楽しめる天蓋ベッド」に読める。「お姫様気分を楽しめる」だったら、少なくとも堀元自身は「自分向けのコピーではない」と感じて引きつけられない。「で」にしたことで男女を同時に引きつけている、というのが堀元の評価である。

水野の読みはまったく違った。これは連体修飾節が名詞を修飾する構造で、英語なら関係節にあたる。言語学を学ぶと、節の中のどこに空所(ギャップ)があるかを考えてしまう。英語の "the book I bought yesterday" なら、bought の目的語が抜けていて、その空所に the book が対応する。同じように「お姫様気分で楽しめる」を見ると、「何を楽しめるのか」という目的語が空所になっており、それが後ろの「天蓋ベッド」と対応していると解析する。生成文法でいうトレースと先行詞のインデックスが一致する、と水野が言いかけたところで、堀元は「勉強しすぎ」と止めた。結果として水野は「天蓋ベッドを楽しむ」という読みしか出せず、セックスを楽しむ読みには堀元に言われて初めて気づいたという。

「お姫様気分を」にすると性的な読みが消える理由について、水野は「二重ヲ格制約」を挙げた。一つの文にヲ格が二つあるとおかしくなるという制約で、「私は部屋で友達を訪ねた」は言えても「私は部屋を友達を訪ねた」は不自然になる。「お姫様気分を楽しめる」では「セックスを」を入れる余地がない。堀元は、名前がつく前から自分は感覚で知っていたと返している。

さらに水野は、性的な要素を明示的に埋め込んでも「お姫様気分でセックスを楽しめる天蓋ベッド」として自然な文になることを確認した。「楽しむ」は「どこどこで楽しむ」とも「何々を楽しむ」とも言える、つまり場所も目的語も取れる動詞であり、コピーはその性質を利用していると二人はまとめている。

英語に訳せない点も水野は強調した。英語の関係節は、抜けているのが何なのかを明示しなければならない。場所なら at や where を使い、目的語なら動詞の直後を空ける。日本語の連体修飾は空所の格を曖昧にしたままにできるので、「お姫様気分で楽しむのは天蓋ベッドそのものか、その上でのセックスか」がぼかせる。

水野はもう一つ、読み手の前提によって別の解釈も生まれると指摘した。ベッドの上でドライヤーをかけて髪をとかしたい人にとっては、「お姫様気分で髪をとかすことを楽しめる天蓋ベッド」にもなる。天蓋ベッドでお姫様気分でしたいことが人それぞれ違うから多義性が生まれている、という整理である。堀元は、看板を見て「なんてエッチなんだ」と思い、しばらく歩いてから「エッチなのは俺か」と気づいたと話し、読み手を映す鏡のようなコピーだと評した。

水野は、分析をやりすぎるとかえって解釈の豊かさを失うとも言う。例として、知人の研究者が大学院時代に日本語の主語削除の研究をやりすぎ、論文で例文を見るたびに主語を削除しようとしてしまう癖がついたと話していたことを紹介した。

「教え子の偏差値がゼロになる」と語順の極端なかき混ぜ

水野は、面白いアダルトビデオのレビューを記録しているとして、「教え子の偏差値が0になる、ボインすぎる家庭教師」という表現を紹介した。堀元は、偏差値は実際にはほとんど0にならないこと、「ゼロ」という語が強いことを挙げ、その飛距離を評価した。ただ、話し始めてから水野は「なぜこの話を始めたのか」と後悔していた。

続いて堀元が紹介したのは、千葉県鎌ケ谷市にある警察の注意喚起看板「速度落とせ 飛び出すぞ 路地から子供が自転車が」である。普通の語順に直せば「路地から子供が自転車が飛び出すから速度落とせ」になる。堀元は後ろから畳みかけるような語順が、ウエストランド井口の話し方のように聞こえると言った。

水野によれば、日本語のように助詞と一緒に要素を丸ごと動かす現象を「かき混ぜ(スクランブリング)」と呼ぶ。よくある例は「花子がりんごを買った」を「りんごを花子が買った」にする程度で、違和感はほとんどない。この看板は述語がすべて前に出て、さらに通常は前に来やすいガ格の「子供が」「自転車が」より「路地から」が先に来ている。自然な発話ではなかなか見ない語順だが、二人とも意味は理解でき、文法的におかしいとも感じなかった。水野は「ここまでかき混ぜていいんだ」という点が面白いと話している。

堀元は後半「飛び出すぞ 路地から子供が 自転車が」が五七五になっていると指摘した。ただし「速度落とせ」を含めた前半はそうなっていないので、五七五に収めるためにかき混ぜたとは言い切れない。看板では「速度落とせ」が赤、「子供」「自転車」が青で書かれていて強調したい箇所は分かるが、それでも不思議だという。堀元は、言いたい「速度落とせ」を先に書き、その後で五七五が作れることに気づいたのではないかと推測した。

水野はこれを、重要な情報を先に伝えたいという欲求の表れと見る。子供が道に出て車が来たとき、日本語話者はとっさに「危ない」と言うが、英語では "Watch out" や "Be careful" のように指示を出す。「危ない」だけでは何をすればいいか分からない。水野は、日本でも「危ない」と叫ぶと子供がうずくまってしまうので「走れ」などと言った方が安全ではないか、という話を聞いたことがあるという。看板のかき混ぜも、状況説明より先に指示を出したい欲求から来ているのではないか、というのが水野の見立てである。

堀元はここで、恋人が運転する車の助手席にいたとき、合流で横から車が来たのに「あっ」と声を出し、「『あ』じゃなくて『車来てる』って言わないと」と言われた思い出を話した。二人は、とっさの場面で指示を言えるようになるのは難しいと話し、冗談を重ねた末に「この話はやめましょう」と打ち切った。

「早くもアカデミー賞絶望」とポプテピピックの帯

ここからはリスナーがフォームで送ったコピーを読んでいる。一つ目は映画『最終絶叫計画』のキャッチコピー「早くもアカデミー賞絶望」だ。

水野は、この「アカデミー賞」の後ろに助詞がない点に注目した。「アカデミー賞が絶望した」なのか「アカデミー賞で絶望」なのかが決まらず、たとえば審査員がこれを見て絶望する、とも読めるという。堀元は、「アカデミー賞受賞」「アカデミー賞ノミネート」でも助詞は使わないので、その逆張りとして「アカデミー賞絶望」と言っている、つまり結局は賞を取れないという意味だろうと考えた。投稿者は、普通の映画ポスターはアカデミー賞受賞のような景気のいいことを書くのに、このコピーはその逆をすることでくだらない映画だというメッセージが伝わる、とコメントしていた。

これに似た例として水野は、漫画『ポプテピピック』1巻の帯を挙げた。「数々の名誉ある賞」と書かれ、その下に「このマンガがすごい!2016」「マンガ大賞2016」「第9回国際漫画賞」「第154回芥川龍之介賞」などが並ぶが、受賞したとは一言も書いていない。キャラクターが「これらは数々の名誉ある賞なのじゃ」と言っているだけである。堀元はこれを気に入り、自分たちの概要欄にもギャラクシー賞やピューリッツァー賞、イグノーベル賞を「名誉ある賞」として書いておこうと提案した。

水野は関連して、ドラマ『九条の大罪』に、芸人の「日本一面白い大崎」という芸名が景品表示法違反ではないかと言うくだりがあったと紹介した。根拠なしにそう謳えば誇大広告になる、という話である。

「無添加」が言えなくなったとろろ昆布

水野は、とろろ昆布のパッケージの新旧を見せた。旧パッケージには「無添加」と大きく書かれていたが、新パッケージでは「無」だけが大きく残り、横に米印で「無条件においしい」と書かれている。水野の説明では、「無添加」を単独でパッケージに表記できなくなった結果だという。

堀元は「ずるい」と反応した。「無」と大きく書けば添加物を使っていないように思うし、そもそも旧パッケージが無添加だったので、消費者は引き続き無添加だと思って買うだろう、というのが堀元の言い分である。水野は、たまたま「無条件においしい」と書きたくて、たまたま「無」を大きくしただけだととぼけつつ、デザインがかっこいいと評した。水野は、表示に関する法律や消費者庁からの指摘を回避するためにギリギリを攻める例をいくつか知っているという。

エビアンとパチンコ広告

その一例として水野が出したのが、エビアンの画像の下に「北斗の拳 景品フェア」と書かれたパチンコ店の広告で、これは規制されたという。堀元は最初、水を景品として入荷したという意味に受け取ったが、水野は「エビアンが景品のパチンコフェアに行きたいか」と問い返した。

水野の説明では、パチンコの「海物語」では5と6がエビとアンコウにあたり、パチンコ界隈で「エビアン」は5と6の隠語になっている。つまりこの広告は、パチスロ「北斗の拳」に設定5と6が入っていることを、分かる人にだけ暗示している。高設定であることを謳ってはいけないとされているため、エビアンの写真を載せたのだという。

堀元は、麻雀プロなど有名人の「来店」告知も、本人の集客力より「有名人を呼ぶなら設定がいいはずだ」と期待させるためのものだと理解していると話した。水野によれば、それなら有名人を呼ぶ必要はないということになり、現在では「AIが来店する」という形で高設定を暗示し、経費を削っている店があると聞いたという。水野が見せた告知には実際に「AI来店」と書かれていた。堀元は、エビアンはギリギリ言語に関係があるが、AI来店は言語と関係ないと指摘している。

「真剣にやっても勝てないんだから」とコピーを作る型

次のリスナー投稿は豊橋競輪場のポスター「競輪は真剣にやるんだよ。真剣にやっても勝てないんだから。」である。

水野は、接続助詞「から」が順接として結びついていない点を面白がった。本来なら「真剣にやっても勝てないけど、真剣にやるんだよ」と逆接でつなぐべきところを順接にしている。それだと面白くないが、「から」にすると印象が変わる。さらに主節「競輪は真剣にやるんだよ」を先に出し、従属節を後ろに回すかき混ぜも起きている。堀元はこれを、タモリが後輩芸人とゴルフに行ったときに「真面目にやれよ、仕事じゃねえんだぞ」と言ったというエピソードに似ていると話した。

投稿者は、競輪の広告なのに「勝てない」という語を使い、それでも競輪の魅力を示していると書いていた。堀元も、胴元が儲かると分かっていてもやる、真剣にやっても勝てないのに真剣にやる、というところに賭け事の本質や、夢中でやる喜びを感じると述べた。

ここから二人は「逆接を順接で言うとコピーっぽくなる」という型を取り出した。水野が出した例は「雨が降っているけど散歩に行こうと思う」で、これを「散歩に行こうと思う。雨が降ってるから」にすると、堀元は「急にコピーになる」「雨がっぱのコピーになりそう」と応じた。「彼は不器用だけどとても優しい人だ」も、「彼はとても優しい人だ。不器用だから」になる。水野は堀元への悪口を並べてこの型に流し込もうとしたが、元の文を忘れて失敗した。

水野はAIにこの型の例文を作らせてもいた。「日本語は難しいけど勉強するのが楽しい」は「日本語は勉強するのが楽しい。難しいから」に、「その映画は長いけど最後まで飽きずに見られた」は「その映画は最後まで飽きずに見られた。長かったから」になる。二人は、意味深な雰囲気が出るので、鋭いことを言う若手論客のような空気を量産できると冗談を言った。

堀元は、秦基博「ひまわりの約束」もこの型で作られた可能性があると言い出した。最初は歌い出し「どうして君が泣くの まだ僕も泣いていないのに」を挙げたが、元に戻そうとしても成立しなかった。そこで最後の「これからは僕も届けていきたい 本当の幸せの意味を見つけたから」に言い直したが、逆接に戻すと「本当の幸せの意味を見つけたけど、これからは僕も届けていきたい」となり、意味が通らない。堀元は仮説は間違いだったと認め、水野は作業仮説を立てて違っていたと確認するのは科学と同じだと引き取った。

募集フォームに投稿が集まらない理由

最後に二人は回を振り返った。結局ほとんどが広告コピーではなかったが、日常会話やメールでは見ない歌詞、コピー、看板などの用例を言語学的に見るとどこが面白いのかを話してきた、とまとめている。

コピーの募集フォームは2023年から3年近く開いているのに、あまり集まっていない。二人の結論は、フォームの存在をめったに告知せず、投稿されても読んでこなかった自分たちのせいだというものだった。実際に届いているものは面白いが、コンプライアンス上読みにくいものも多い。例として、パパ活アプリの広告コピー「友達を売ろう」が届いていたことを紹介し、アダルトビデオの話などをしてきたせいだろうと振り返っている。二人は、広告コピーに限らず歌詞なども含め、読みやすい言語表現の投稿を引き続き募集すると告げて回を終えた。