東京の人が冷たく見えるのは「友達が足りている」からなのか

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概要

ゆる言語学ラジオのこの回は、水野太貴さんの「東京の人がなんとなく冷たく感じる理由が完全に分かった」という話から始まる。水野さんの仮説はこうだ。東京には友達がすでに足りている人と、新たに友達を求めている人がいる。上京者は後者なので、前者からは距離を置かれる。堀元見さんはこの仮説が「4割ぐらいしか合っていない」と応じる。そこから、足りていないのに足りているふりをする人、誘えない心理、べったりした友情への抵抗感、日程候補をいくつ出すかまで、大人の友達づくりをめぐる話が続いた。

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水野さんの仮説:友達が「満員」の人に近づくと警戒される

水野さんは愛知県出身で、就職をきっかけに上京した。そのとき東京の人を冷たく感じたという。ただし、他人に興味がないとか困っている人を助けないといった話ではない。単純に友達ができなかった。

水野さんの説明はこうだ。地方から来た人は東京に友達が少ないので、積極的に友達を求める。一方、多くの東京の人はすでに友達が足りている。友達が足りている人に対して「ちょっと気が合う」程度の相手がぐいぐい来ると、相手は警戒する。高校で同じクラスになれば、大した共通点がなくても仲良くなれる。それはクラスの全員が友達を求めているからだ。上京者はそのモデルのまま東京の人に接するので、相手は「なぜこの人はこんなに来るのか」と引いてしまう。

水野さんは、就職での上京には大学での上京とは別の難しさがあると付け加えた。大学には友達が足りていない学生がたくさんいる。しかし水野さんが入った出版社では、同期のほとんどが東京の大学出身だった。彼らの友達の枠はすでに埋まっていて、その輪に入れてもらえなかったという。

堀元さんの反論:足りていないのに、足りているふりをする人がいる

堀元さんは、知人の「人間関係のスロットが埋まっている」という言い方を紹介した。休日には限りがあり、それを既存の関係に割り当てると、新しい人を入れる余裕がなくなる。これが水野さんの言う「足りている状態」で、実際にそういうケースはあると堀元さんも認める。ただ、それは全体の4割程度だろうという。

残りについて堀元さんが挙げたのは、自分自身のタイプだ。友達は足りていないのに、足りているかのように振る舞ってしまう。親しくなる前の堀元さんを1年ほど見ていたら、水野さんも「友達が足りている人」と判断しただろうと堀元さんは言う。実際には寂しいのだという。

主な理由として堀元さんが挙げたのは、やり取りが始まると面倒だということだ。寂しいのでやり取りはしたいし、一緒に遊びにも行きたい。しかし行くのは面倒くさい。遊んでいる最中も、楽しい気持ちと面倒な気持ちが常に同時にある。水野さんはこの矛盾を、言語学でいうブラウン&レビンソンのポジティブ・ポライトネスとネガティブ・ポライトネスで説明した。人は独立していたい欲求と、連帯したい欲求を同時に抱えているという話だ。堀元さんは最初「人間の中の複雑な葛藤です」と突っ込んだが、自分の感覚はそれに近いと認めた。

誘えない理由:距離を詰める自分が「キモい」

堀元さんは具体例を出した。YouTubeチャンネル「メタクシー」に呼ばれ、コントユニット「点々反転」(字幕表記)の中村さんと2時間ほど収録した。以前から気が合いそうだと思っていたとおり、収録は盛り上がった。終わった後、中村さんは急いで帰る様子もなく、楽屋でスマホを見ながら暇そうにしていた。堀元さんもちょうど昼時で空いていたので「この後ランチでも行きます?」と誘うと、「ぜひ」と返ってきた。ただ、中村さんは自分からは誘わなかった。

ランチで話を聞くと、中村さんは本当に人を誘えないのだという。堀元さんによれば、その理由は誘うこと自体にキモさを感じるからだ。距離を縮めたい相手がいても、距離を縮めようとする動きをしたくない。周囲から「距離を詰めようとしている気持ち悪いやつだ」と笑われているような感覚がある。水野さんが「断られるのが恥ずかしいのか」と聞くと、堀元さんは違うと答えた。気が合う相手なら断られないだろうとも思っている。それでも「ランチでも行きます?」と言った瞬間にすでに少し冷笑されている感覚がある、という。

堀元さん自身は「この後○○」という誘いは得意だが、それ以外は誘えない。二人とも誘えないので、ランチをしながら「じゃあこれが最後ですね」という状態になった。会話の中で次に会うきっかけを探る時間はあった。「こういうYouTubeは見るんですよ」「一緒に飲みに行けたらいいっすね」と盛り上がりもした。それでも実際には誘えなかった。面倒だし、やり取りを始めたら自分に責任が生じる。第三者が「みんなでやろうよ」と二人に声をかけてくれる世界であってほしい、と堀元さんは話し、水野さんに「世間はお前のお母さんじゃねえんだよ」と返された。

誘われれば嬉しい、でも断ってしまうこともある

では誘われる側としてはどうか。堀元さんは、誘われればわりと行くと言う。それでも外から見ると「俺を誘う必要はないですよ」という顔をしてしまう。来週が空いていても、そういうオーラを出してしまうそうだ。水野さんが「友達になりたい人から急に来週金曜に誘われたら嬉しいのか」と聞くと、堀元さんは「めっちゃ嬉しい」と答えた。ただ、「今じゃないんだよな」という気持ちで断ってしまうこともあるという。

水野さんはこれに心当たりがあった。二人でオールナイトニッポンのポッドキャストの代打パーソナリティをしていたとき、水野さんは収録前に一緒に食事をするものだと思っていた。ところが4回目ぐらいで堀元さんに「タスクがあるから」と断られたという。堀元さんはそれを認めたが、見栄ではないと強調した。どう見られたいかとは関係なく、なんとなく行きたくない気持ちが生じることがあるのだという。堀元さんはここまでを、友達になりたいのに素直にそこへ行けず、友達が足りているふりをしながら、内心では「この人と仲良くしたい」と叫んでいる状態だとまとめた。

自意識は年齢とともに減るのか

年を取ると自意識は強くなるのではないか、という水野さんの問いに、堀元さんは逆だと答えた。今のほうがずっと人を誘えるし、「仲良くしてくださいよ」と気軽に言えるという。

水野さんは、自身のポッドキャスト「神保町で会いましょう」に小説家の朝井リョウさんが来たときの話を紹介した。朝井さんも今のほうが気軽に人を誘えると言っていて、そのきっかけは日記を書いたことだったという。日記を読み返すと、去年の悩みを全部忘れていることが分かる。悩みは時間が経てば忘れるものだと可視化されたことで、訳の分からない自意識で悩むのは無駄だと思えるようになり、自意識が消えたらしい。今では玉ねぎのみじん切りをしながら人に電話をかけるほどだという。堀元さんは、朝井さんはさすがに極端だと言いつつ、自分も近いと話した。

堀元さんの自意識のピークは10代後半だった。大学の同級生の会話を見て「なぜこんなつまらない話をしているんだ、俺ははるかに高いところから見ている」と思っていた。気のいい同級生に「今週末飲みに行くけどお前も来るよな」と誘われ、心の底から嬉しいのに「ちょっと予定あるな」と答えていたという。大学では友達がいなかったと振り返る。

堀元さんは、水野さんの二分法は正確には三分法だと整理した。友達が足りている人、足りていない人、足りていないのに足りているふりをする人。水野さんが「足りている」側に入れた人の中には、三つめのタイプがかなり含まれているのではないかという指摘だ。

上京者の側にも原因がある

水野さんは別の可能性も挙げた。相手は3か月に1回会いたい程度なのに、こちらが月1回のペースで誘ってしまうケースだ。上京したばかりの頃は土日がいくらでも空いている。そのローテーションで東京の知り合いを誘い続けるとペースが上がり、それで引かれることもある、と水野さんは言う。自分にそういう時期があったかははぐらかしたが、少なくとも壁は強く感じていた。同期はすでに東京での生活を築き上げていて、「東京1年生」の感覚を共有できる相手がいなかったという。

大人がべったりするのはダサいのか

続いて堀元さんが持ち出したのは、べったり仲良くするのはよくないという倫理観だ。ずっと一緒にいて「親友だぜ」というのは中学生のようでダサい。自分と相手は独立した人間なのだから、それぞれ独立した道を生きるべきではないか。堀元さんはそう思うところがあり、それで冷たく見える人は実際に多いだろうと話した。

水野さんにはその感覚がないという。大学1年の年末には同じ友人と6日連続で遊んだ。クリスマスも一緒で、12月26日に意味もなく出かけて油そばを食べながら「俺ら6日連続じゃね」と話したそうだ。その友人とは月によってはかなりの頻度で旅行に行っていた。相手が結婚してからはさすがにその頻度ではない。水野さんは、恋人や伴侶がいる人はそちらがその「機能」を担うのだろうと言い、堀元さんに「機能で見るな」と突っ込まれた。

堀元さんは、大人になってから月に何度も会うのは多すぎると感じていた。水野さんとはよく会うが、収録のついでに食事をしたり麻雀をしたりと、用事があって会っている。用事もなく「今週土曜暇なんだよね」「私も」とカフェに行くのが毎週末になるのは違うのではないか、という感覚だった。

『東京タラレバ娘』と、公衆衛生としての友情

堀元さんは『東京タラレバ娘』を例に出した。作中では誰かがLINEグループで「招集」をかけると、すぐに3人が集まる。堀元さんは、ああいうことはやりたくないと言った。水野さんは、以前は自分もそう思っていたが今は逆になったと返した。

水野さんが持ち出したのは「公衆衛生」という見方だ。孤独だったり、社会的に求められていないと感じたりすると疾病リスクが高まる。その意味で友情は公衆衛生の問題になる。一方で、友達は双方が「この人と友達になりたい」と思わなければ成立しないので、公的機関がパターナリスティックに与えることはできない。マスクのように友達を配ることはできない、と水野さんは言う。だから親しい友人関係は、民間が担う医療や公衆衛生に近いものだと水野さんは考えている。タラレバ娘の3人の相互ケアはまさにそれであり、用もなく週末に会ってカフェで話すのは「めちゃくちゃ本質的な公衆衛生」だという。堀元さんには主体性がない、自分の人生を生きていないと見えるかもしれないが、水野さんはむしろ逆だと考えている。

堀元さんはこれを受けて前言を撤回した。べったりした関係そのものはよいと思っている。ただ、「大人はそうじゃない」という自分の中の常識に照らして、べったりすべきではないと思っていた。堀元さんは、内心タラレバ娘のコミュニティをいいなと思っているのかもしれないと認めた。その規範をどこで身につけたかについて、堀元さんは大学1年の頃を挙げた。友達を作ろうといろんな人と話したとき、東京の人は比較的さらりとしていて、境界がしっかりしていた。そこで「べったりしすぎないほうがいい」と学び、社会規範としてインストールしてしまったのだという。

堀元さんはジェンダー差にも触れた。困ったときに招集をかけて酒を飲みながら愚痴を言い合うのは、男性のほうが下手だと思うという。「論点はいくつかある」と言いながら残りを忘れてしまい、水野さんに突っ込まれる場面もあった。

村田沙耶香『生命式』:子どもの頃の約束を守っているだけ

水野さんは、村田沙耶香さんの短編集『生命式』に収められた作品を紹介した。あらすじの記憶は曖昧だと断ったうえでの説明だ。主人公は50〜60代とみられる同級生の女性2人で、一方は未婚のまま年を重ね、もう一方は恋多き女性という正反対の2人が同居している。世間はその暮らしを理解しない。しかし2人の言い分はシンプルだ。子どもの頃、みんな「大人になっても一緒にいようね」「結婚してなかったら一緒に暮らそうね」と口約束をしたはずだ。自分たちはそれをきちんと守っているだけで、なぜみんなはあの約束を破っているのか、というわけだ。2人の間に緊張関係はなく、幸福に暮らしている。異常だと言っているのは世間だけだ。

水野さんはこの作品を、子どもの頃の関係の結び方と大人になってからの結び方の断絶を戯画的に描いたものとして読んだ。自然界が作った、複雑だが物理法則に従った綺麗なものを見ている感じがして好きだったという。堀元さんは、あらすじだけではあまりピンとこなかったと正直に言った。一方で、自分の話はそれに近いかもしれないと認めた。昔は仲のいい友人とずっと一緒にいたのに、「もっとドライな関係のほうがいい」という社会規範によって遠ざかってしまった被害者なのかもしれない、と。

水野さんは、大人になってインストールした価値観と元々持っていた価値観が合っていないなら、抑圧を解放すればいいと言った。例に出したのは、堀元さんの北海道時代の地元の友人だ。走っていて目に虫が刺さり、眼科で「目に虫が刺さったんですけど」と見れば分かることを説明した。すると医師はまず視力を測り、視力には問題がなかったという。堀元さんは高校時代その友人と週3回ほど遊んでいたが、今は年に1回会うかどうかだという。ゆる言語学ラジオを始めてから水野さんと頻繁に食事をするようになったことについて、堀元さんは「実は求めていたのはそれだったのかもしれない」と振り返った。

友達は本当に「足りる」のか:時間の制約と「ドーパミン中毒の大人」

堀元さんは水野さんの仮説にもう一つ反論した。「友達が足りている」という言い方は正確ではない。関係のスロット、つまりリソースが埋まっているだけで、友達そのものは誰も足りていないのではないか、という主張だ。

水野さんは、今いる友達を大事にするだけで人生が終わると考える人は実際に多いと返した。20〜30代になると、小中高大、社会人の各段階で友達ができているからだ。これに対して堀元さんは、仕事がなくなって暇な時間が大幅に増えれば、その人も友達を増やすはずだと言う。水野さんも、転勤先で友達を作らないわけではないと同意した。結婚して子どもができれば友達は減るが、その後はママ友を作る。自分のライフステージに合った友達を見つけ、近所で融通し合うという便益もある。水野さんは「リソースが足りていない」という捉え方のほうが正確かもしれないと認めた。

制約になるのは時間だ。堀元さんは、自分は無意識に、時間を食わないわりに友達としての便益が大きい人を選んでいる気がすると言う。短時間ですごく面白い人を、ショート動画を選ぶような感覚で選んでいる。「ドーパミン中毒の大人」だ。その結果、最近は極端なことを言う人ばかりが友達になっているという。

例に挙がったのは、AIの専門家として発信しているインフルエンサーだ。発信を見るとまともだが、酒を飲むと嘘ばかり言う。テスラを運転していて擦りすぎた結果、完全な球体になり、今はガチャガチャのように移動している、という具合だ。その人を紹介してくれた人物も、呼んだ友人との出会いを「美容院で偶然隣に座って、映画の話に加わったのがきっかけ」と説明した。ところが実際には仕事関係の知り合いで、理由を聞くと「盛り上がるかなと思って」と答えたという。堀元さん自身も嘘をついていて、その場は嘘つきばかりだった。ルール無用なので、1分の間にものすごく盛り上がる。時間が逼迫しているからこういう選び方をしているのだ、と堀元さんはこの日言語化できたという。水野さんは「縁を切ろう」と言いかけたが、現実に対応していなくても心が動くのは小説を読むのと変わらない、と納得した。

水野さんも似た体験を話した。実家に帰ると父親が痩せていて、心配して尋ねると「マンジャロ打ってんだよ」と答えた。実際には糖尿病で、使っていたのも別の薬だったが、流行りの言葉を面白がって口にしたのだろうという。堀元さんは、会ってすぐにこれを出してくる時間効率の良さを絶賛した。

誘うとき、日付の候補はいくつ出すか

話は、まだ友達とは言えないが仲良くなりたい相手を誘うとき、日程候補をいくつ出すかに移った。堀元さんは3つ出すという。日程を出さずに「今度飲みに行きましょう」と言うのは最悪だと堀元さんは言う。断る理由がなくなるからだ。相手に断る余地を与えなければならない。3つなら「全部埋まっていました」と言えるし、本当に全部埋まっていることもある。

水野さんは1つで誘う。3つ全部埋まっていると言うのは相手に良心の呵責があるだろうと考えるからだ。断られたら、相手から別の日を提案してくるかを見る。来なければ、相手は自分と友達になりたくないのだと判断する。堀元さんは「策士だ」と言いつつ、策に溺れているとも指摘した。友達になりたいのにどうしていいか分からない人もいる。1つの日程がダメだったとき、自分から別の日を出すことが友達になりたいという意思表示になる、と解釈できない人がいるのだ。堀元さんはそういう人を2人知っているという。3つ出せば空いている可能性が高く、そういう人も取りこぼしにくい。5つはやりすぎで、「どこかは空いているだろう」と断れなくなるので暴力的だという。1つだと「ここしか空いていない」という忙しそうな印象も出る。特に1か月先の日程を1つだけ出すと、この人は忙しいので他の日は誘えないと思われかねない。堀元さんはこうした理由で3を「黄金数」と呼んだ。

誘う側への敬意と、切り捨てへの異論

水野さんは、友達になりたいと思っていても自分から働きかけてこない人を好きにならないかもしれない、と本音を明かした。日程がダメだったのに別の日を返してこないなら、その人とは合わないだろう。自分ばかり持ち出しがあるのは互恵的ではない。水野さんは「チャンスを掴みに来い」と言い、『カイジ』の遠藤の台詞を引き合いに出した。さらに整理して、誘う側への敬意が足りないのではないかと述べた。水野さん自身は誘うことに負荷を感じないが、一般に誘うことはリスクが大きい。本来は褒められてしかるべき行為なのに、礼も日程もなく「ごめんなさい、行けない」とだけ返し、それでも仲良くなりたいと思っているのは違うのではないか、という感覚だ。

堀元さんも、3つ出して断られたら、相手が友達になりたがっていたとしてもそこで終わりでいいと考えている。ただ、どうせやり取りするなら取りこぼしを最小限にしたいので3つ出すのだという。そのうえで堀元さんは、水野さんの切り捨て方は水野さんらしくないと指摘した。普段、人文学の立場から「その人にはその人の行動様式と内部モデルがあるのだから尊重しよう」と話しているではないか、と。水野さんは、友達は需要と供給の一致で成り立つ市場取引のようなもので、交換可能性があると答えた。自分が友達にならなくても、その人は様式の合う人と別の人生を生きればいい。堀元さんもその理屈には一定の納得を示した。

イベントの予告と、残った問い

終盤では、2026年10月31日に約1000人規模のホールで開催するイベントが告知された。形式は、ミュージカルが「演劇+音楽」であるのになぞらえた「演劇+ラジオ」だ。二人が戯画化された自分自身を45分ほど演じ、そこで提示された問題を最後のラジオパートで解決するという。全体のテーマは友達で、水野さんが1年以上調べてきた友達論、ロビン・ダンバーの本などが盛り込まれる予定だ。以前水野さんが話した「存在論的不安」も扱うという。会社が大きくなり、堀元さんが他の人ともラジオをするようになったら、相方として捨てられるのではないかという不安だ。演劇の脚本は堀元さん、ラジオパートの構成は水野さんが担当する。

最後に水野さんは、日程候補の数とは別の問いを投げかけた。水野さんにとって、日程を複数出したり「今度飲みに行きませんか」と誘ったりすることは、「相当打ち解けている」というメタメッセージを込めた行為だ。それが相手に届いているのかどうか。堀元さんは「あまり届いていないような気もする」と答えた。誘われたときにどう思うのか、誘うときにどう思っているのか、という問いは結論が出ないまま、視聴者のコメントに委ねられて回が終わった。