36年目で初めて落選した渡辺周が息子セイギと語る、政治家一家の子ども時代と「やり直しのきく社会」
トマホークTomahawk元衆議院議員の渡辺周は64歳である。静岡県議会議員として政治家の道に入り、2026年2月の衆院選で人生初の落選を経験した。この回には、息子でお笑い芸人・YouTuberのボシマックスセイギと、高田ふーみんが聞き手として出演している。渡辺は自分を「ボシマックスセイギの父親です」と紹介し、仲間内からは最近YouTuberと呼ばれていると笑った。
話題は多岐にわたる。政治家の子どもとして育つことの苦さ、浪人と留年、バブル期の就職活動、読売新聞の記者から政治家への転身、与党副大臣としての経験、そして落選の受け止め方である。渡辺は一貫して、失敗しても何度でもやり直せる社会をつくるべきだと語った。
大人になってから近づいた父と息子
セイギによれば、幼い頃は寮生活をしていたこともあり、父親との記憶はあまりない。社会人になって一緒に暮らし、食事をしながら話すようになってから親しくなった。父親の誕生日を知ったのは10年ほど前で、Wikipediaで調べて初めて分かったという。両親が同い年だということも、社会に出てから知った。
渡辺は28歳で選挙に出ると表明し、29歳で静岡県議会議員になった。そこから64歳まで、政治家として36年を過ごしている。国会議員としては29年である。セイギが生まれた時には父はすでに議員で、周囲から「先生」と呼ばれる環境が当たり前だった。大人たちが一定の敬意を持って自分に接してくれたとセイギは振り返る。
「政治家の息子」を隠していた少年時代
渡辺自身の子ども時代は、セイギとはまったく違っていた。渡辺の父親は、渡辺が5歳から15歳の間に3回落選している。当選するまでに10年かかった。渡辺は、人間形成で最も大事な時期に父親がずっと落選していたと語る。
通学路の電柱などに貼られた父親のポスターは、雨の日になると目がくり抜かれていた。それを見ながら登校するのはつらく、学校に行きたくなくなったという。母親は大阪の出身で、静岡県沼津市には親戚がいなかった。渡辺が小学校に入ると、母親はクラス名簿を持って一軒ずつ回り、「この子の父親が選挙に出ます。よろしくお願いします」と頭を下げた。渡辺の好きな同級生の家にも、嫌いな同級生の家にも行く。翌日、学校で「お前の親、うちに来ただろう」と言われるのは分かっていた。
そのため渡辺は、選挙に出る家の子どもであることから早く逃げたかったと話す。クラスの名簿の父親の職業欄も書けなかった。「政治家の息子」を売りにしているセイギが信じられない、こちらは隠していたのだと渡辺は言う。
落選中にどうやって家族が食べていたのかは、今でも分からないという。野党で落選中だったので、危ないお金などはなかった。おそらく志のある人から援助を受けたり、親族から助けてもらったりしていたのだろう、と渡辺は推測する。家は裕福ではなく、雨漏りのする家でしばらく育った。
セイギも、自分が大学生だった頃の実家は築80年ほどで、雨漏りがひどかったと話す。家の中で傘をさし、猫がネズミを捕って死骸が転がり、父親が焼いた魚を猫が勝手に食べていた。ネタで裕福だと言うことはあっても、実際の家はそういう状態だったという。渡辺の父親が当選した後、車は穴の開いた日産車からグロリアに変わった。ただ、生活はそれほど変わらなかった。家は支援者から数万円程度の安い家賃で借りていたのではないか、と渡辺は話している。
医学部志望からジャーナリスト志望へ
父親が議員になると、周囲から「お前も将来は後を継ぐんだろう」と言われるようになった。渡辺はそれが嫌で、医学部を目指した。きっかけは『少年チャンピオン』で読んだ『ブラック・ジャック』である。同じ誌面では、いじめられた子が復讐する『魔太郎がくる!!』も好きだった。自分の心情を代わりに晴らしてくれるようだったと、屈折した少年時代を振り返っている。
ところが数学の点数は8点や9点で、「日本でお前が行ける医学部はない」と言われた。そうしているうちにイランで革命が起き、ニュースを見聞きするなかで医者を諦め、ジャーナリストを志すようになった。国立理系から私立文系へ急に切り替えた。共通一次試験の世代だったため、準備が間に合わなかったという。
現役の時は沼津東高校から、政治経済で受験できる明治、法政、中央、そして立命館大学の産業社会学部を受けた。京都に行ってみたかったのだという。
生卵定食から熊の手へ
浪人して東京の予備校に入った。そこの食堂で、東京に来て最初に食べたのが80円か90円ほどの生卵定食だった。卵とご飯と漬物だけで、浪人生とはこういうものかと衝撃を受けた。
浪人中に早稲田の政治経済、法、文、そして当時は夕方から始まる社会科学部を受けた。最初に合格発表があった政経に受かったので、残りは結果を見に行かなかったという。
大学を卒業する頃には、バブルが始まっていた。ある外食企業の就職説明会では、中華料理のフルコースが食べ放題だった。最後にワゴンで運ばれてきたメインディッシュは、銀の蓋の下に熊の手があった。生卵定食から始まった東京生活が、5〜6年で熊の手にまで行き着いた。渡辺はそこにバブルを感じたと語る。
F欄キャラの息子へ「漢字は読めるように」
番組ではセイギの「Fラン」キャラがたびたび話題になる。渡辺は、時間があるのだからまず漢字をきちんと読めるようにし、正しい日本語を使えるようにしてほしいと話した。入学した時はFランクでも、卒業する時にSランクになっていればいいという。
渡辺は、一流とされる大学を出た政治家でも、難しい言葉を使おうとして失敗する例があると指摘する。「内心忸怩(じくじ)たる思い」を読み間違える人がいるのを実際に聞いたという。基本的なことを身につけておかないと、大人になってから取り返しがつかない、というのが渡辺の意見である。
計画留年とバブル期の囲い込み
渡辺は大学に長く在籍した。理由は自分探しだったという。ジャーナリストになりたいという思いは漠然としていた。父親の選挙のために実家に戻るのは嫌だったが、東京の議員会館に出入りし、大人たちと話すのは嫌いではなかった。国会はテレビも新聞も集まるニュースの現場である。テレビにするか、新聞にするか、雑誌にするかと考えているうちに、4年では卒業できないことになった。
5年生の時に広告代理店から内定を得た。しかし卒業してしまうと困るので、教授に「私を卒業させないでください」と手紙を書き、単位を残して計画的に留年した。その後、日本テレビを受けて最終面接で落ちたが、読売新聞には合格した。
渡辺は、甘えられるうちは急いで社会に出て勝負しなくてもいいと話す。今は転職もできるからだ。当時は一度会社に入ると途中でやめることは大きな傷のように扱われた。そのため、苦労して入った会社をすぐにやめる若者の感覚は信じられないとも語った。
この話を受けて、セイギは自身の経験を明かした。会社をやめて芸人になると父親と2人で食事をしながら伝えた時、父親は怒らず「男は稼がないといけないからな」と言っただけだったという。渡辺は、社会に出た以上、これからの人生の責任は自分で取るしかないと話した。その一方で、息子のチャンネルの再生回数を気にしている。動画を知人に転送して見てほしいと頼み、家では朝昼晩と再生回数をチェックしているという。
読売新聞は当時、渡辺によれば100人ほどの採用枠に1万人ほどが受ける難関だった。建前では大学4年生の9月頃が解禁だったが、各社は「セミナー」の名目で早くから学生を囲い込んでいた。熊の手の説明会も、表向きは「中華料理を楽しむ夕べ」という名目だったという。周りが背広で来るなか、渡辺は友人に誘われてTシャツで行ったが、それでも許される時代だった。
内定者を他社に取られないよう、企業は海外旅行や東京湾のクルーズに連れ出していた。読売新聞では、朝8時に大手町の本社前へ私服で来るよう指示され、バスで箱根・芦ノ湖のプリンスホテルへ連れて行かれた。バスに乗るとすぐに弁当と缶ビールが回ってきた。朝から酔わせて、途中で抜け出して朝日新聞などを受けに行かせないためだったと渡辺は語る。
事件記者として見たバブルの歪み
一浪二留で25歳で入社した渡辺は、地方部の八王子支局に配属され、社会面の事件記者になった。当時、渡辺の父親はすでに市長になっていたが、渡辺自身は政治とは違う世界を面白いと思っていた。
考えが変わったのはバブルの取材を通じてである。八王子から西八王子、高尾、さらに中央本線の猿橋駅や山梨県、神奈川県の奥の方にまでマンションが次々に建った。当時(約40年前)で6000万円、7000万円という価格だった。そこに住む人たちが、満員電車で都心まで通った。強引なセールスや不正も横行していた。バブルを最も懸命に支えている人たちがすり減っていくのを見て、社会がおかしい、政治を変えなければだめではないかと思うようになった。ペンで書くことには限界があり、たまたま政治家になれる環境にあった。そこで政治家を目指したと渡辺は説明する。本人は「ちょっとかっこよく」言っていると笑い、昔からこう話しているのだと付け加えた。
似顔絵の名刺で始めた初選挙
最初の選挙には、無所属で静岡県議会議員として沼津から立候補した。お金がなく、ネットもない時代で、ポスターも名刺も間に合わなかった。そこで自分で描いた似顔絵をコピーし、経歴と公約を添えて友人や知人に配った。まず名前を知ってもらうしかなかったからだ。写真入りのポスターなどは、その後で少しずつ整えていった。29歳での当選は当時の最年少だったと番組内で紹介されている。セイギは「前回の選挙も似顔絵でやればよかった」と冗談を言った。
セイギ自身も、将来は首長にも国会議員にもなりたいと話す。どこから出るかはまだ決めていない。渡辺は、若いうちから志を立て、世の中の仕組みの基礎さえ知っておけば、あとは勉強すればいいと励ました。テレビで将来は秋田県や青森県の知事になりたいと話す少女を見たことにも触れた。渡辺によれば、政治の話は戦国武将が好きだという話に少し似ていて、今は口にしてもマイナスにならない。
セイギは、トマホークチャンネルで議員へのインタビューに同行して知識を深めている。渡辺は、政治家を目指すならFランキャラの角を少し削った方がいいと助言した。ただ、今さら軌道修正しても過去の発言は消えないので、それをキャラとして押し出すのも手だとも話している。「悪名は無名に勝る」という言葉を挙げ、一番いけないのは「あいつ誰」と言われることだと語った。
1996年、最初の小選挙区選挙へ
県議を6年半ほど務めた後、渡辺は1996年(平成8年)に初めて衆院選に挑んだ。小選挙区制で行われた最初の選挙で、鳩山由紀夫と菅直人が民主党を立ち上げた時期だった。
当時は薬害エイズ問題が大きな争点だった。血友病の治療薬が原因でエイズに感染した問題である。製薬会社にも、それを認めた国にも責任があるとされた。厚生大臣だった菅直人は謝罪し、国の過失を認めた。渡辺はこれを、政府側の人間が国の過失を初めて認めた出来事として受け止めた。民主党ができた時、自分がモデルにするならここだと考えたという。
きっかけは、新党さきがけにいた知人である。渡辺は県議として時々東京に来て、政治部記者とも親しくしていた。そこから議員を紹介されるなどして、人間関係ができていった。チャンスは一度きりかもしれず、早すぎても遅すぎてもいけない。自分はたまたまその一回の船に乗れたのかもしれない、と渡辺は振り返る。
ここから渡辺は運のつかみ方について話した。運とは、他人がどれだけ自分のことを気にかけてくれているかだという。自分に直接関係のない話でも、あの人に役立つかもしれないと思えばつないでおく。そういうつながりを多く持っていれば、運が回ってくる。だから人の中に出ていかなければいけない。今の若者にはネットという武器があり、昔と違っていきなり挑戦できるとも語った。
初挑戦で当選した渡辺は、2026年2月の選挙が11回目だった。それまでの負けは1回で、比例で復活した選挙もあった。今回の落選で2敗になったという。選挙の際には、セイギが対立候補の息子をいじめていたという噂が流れたこともあった。実際には相手は高校生で、セイギは小学生だった。田舎の選挙の怖さを示す話として笑いを誘った。
与党になって見えたもの:桜の開花予想
民主党政権の3年3ヶ月のうち、約2年間、渡辺は総務副大臣と防衛副大臣を務めた。野党暮らしが長かった渡辺には、与党の感覚が驚きだった。
3月の終わり頃、公用車で総務省へ向かう途中、「桜はいつ咲くんだろう」と独り言を言った。すると秘書官が慌てて動き出し、役所に戻ると気象庁から取り寄せた開花予想が用意されていた。渡辺は、与党の人はこういう扱いに慣れているのだと知った。こういう環境で何十年も過ごしていたら、感覚がおかしくなってしまうと話している。
防衛副大臣として迎えた北朝鮮のミサイル発射
防衛副大臣の時期は、金正恩が最高指導者になったばかりの頃だった。北朝鮮は、それまで日本海方向に撃っていたミサイルを、初めて沖縄と台湾の間を通ってフィリピン方面の南へ向けて発射すると公表した。
防衛省では天候などから発射の時期や軌道を推測した。途中で失敗して燃料や部品が落ちてきた場合に備え、迎撃ミサイルPAC-3を沖縄本島ではなく石垣島へ、さらに宮古島にも運んだ。自衛隊の基地がない端の島には輸送機を置いた。宮古島と石垣島の間にある島に落ちたらどうするのかといった検討も重ねた。配備先には反対する人たちもいた。「なぜそんなものを置くのか」「横で子どもが遊んでいるではないか」と言われながら、「悪いのは北朝鮮です」と頭を下げ、理解を求めて回ったという。
ところが、ミサイルは発射から1分もたたないうちに失敗した。渡辺は詳細は言えないとしながら、防衛省のオペレーションルームの様子を語った。映画に出てくるような巨大な電子スクリーンがあり、携帯電話の持ち込みも写真も録音も禁止の極秘の部屋である。当日、スクリーン上で一瞬光が見え、すぐに消えた。確認している間に、韓国の方が早く「発射に失敗したようだ」と伝えてきた。ロケットは浮き上がった瞬間に破裂したという。あの大騒ぎは何だったのかと、渡辺は今も思っている。
ただし、防衛副大臣時代に最も大きかった出来事は東日本大震災で、言葉に尽くせなかったという。渡辺は震災ボランティアを担当し、被災地の自治体から上がってくる要望の調整にあたった。
「時代と世代に負けた」:2026年の初落選
2026年の選挙は、あっけない負けだった。投票が締め切られた瞬間、相手候補に当選確実が出た。
渡辺は敗因を「時代と世代に負けた」と表現する。55歳以上を対象にした調査では、自分は互角か少し勝っていた。しかし就職氷河期世代と呼ばれる人たちは、「日本を強く豊かに」といったキャッチコピーを言ってほしかった。一度くらい夢を見たいという思いがあったのだろう、と渡辺は分析する。SNSの時代と若い世代に自分が追いついていなかったという思いがある。だから、どこかさばさばした気持ちもあった。これだけあっけなく負けるのか、とも感じたという。
落選の瞬間は、セイギがYouTube用に撮影していた。渡辺は「あれ撮っといてよかったね」と話す。その後、YouTubeでの露出が増え、テレビでもその動画が取り上げられた。渡辺によれば、テレビ局の人たちは悔しがっていたという。当選した議員には密着できても、落選の瞬間には密着できないからだ。
今は心身とも元気で、落選は充電期間だと捉えている。積んでいた本を読み、ゆっくり人と会い、次のチャンスを狙うつもりだという。最近は「セイギ君のお父さんだったんですね」と声をかけられるそうで、息子にも頑張ってほしいと話した。
目指すのは「やり直しのきく世の中」
どんな国にしたいかと問われた渡辺は、やり直しのきく世の中だと答えた。渡辺の案はこうである。入学時の大学名で人を振り分けるのではなく、卒業時に共通テストのような試験を課す。東大でもどの大学でも、最低限の点数(渡辺は例として800点を挙げた)を取っていなければ採用しない。いわば「逆学歴フィルター」である。
人口が減り人材が不足しているのに、いまだに学歴でふるいにかけるカースト制度のようなものが残っている、と渡辺は指摘する。TOEFLや資格のように、学歴に関係なく客観的に評価して機会を与える社会になれば、入学時に失敗しても卒業時にやり直せる。受験に失敗した者は何をやってもだめだ、という考え方への反論として、渡辺はこの構想を語った。
無職の64歳、カプセルホテルと古本市
番組の動画で「同居している」と紹介されていたことについて、渡辺は今はしていないと話した。東京にいる時に、浜松町の3000円のカプセルホテルに泊まったこともあるが、なかなか寝られず大変だった。そのため、時々息子の部屋に世話になっていたという。セイギは、落選して無職になった父がカプセルホテルで寝られずにいるのは悲しいと突っ込んだ。
今後について渡辺は、28歳から36年間は選挙のことばかり考えてきたが、今はそこから離れていると話す。ただ、政治や公的なことからは離れておらず、いずれ国政に戻るつもりだという。そのために勉強を続けている。現役時代と違って収入がないので、古本市で1冊100円、3冊200円の本を買っている。現役時代は忙しすぎて知識が中途半端になったので、これからは一つのことを極めたいという。
渡辺がテーマに据えているのは二つある。一つはAIによって世界がどうなるか。もう一つは人口減少社会で日本をどう切り盛りするかである。地方では公共交通の運転手がいなくなり、学校もなくなっている。渡辺は、2040年までに大学の数も大きく減らす話があると触れた。番組では大学の統合をめぐる冗談で締めくくられたが、渡辺は、一緒にならないと立ち行かなくなるのだと話していた。
バン友と、中改革連合のわかってTV高田ふーみんです。ボシマックスセイギです。よいしょ。お願いします。
ちょっと待って。あのあれ、トマホークチャンネル出演かと思いきや、わかってTVのサブチャン行き。俺、放課後って言ってたぞ、今。放課後になんか飛ばされてたんだけど。
ま、ちょっとまあまあ色々あって、本当それに関しては俺の事情な。そうそう。何も悪くない。ギリオくらいで回避で。ちょっと回避で。でもサブチャンでめっちゃ伸びて。10万再生。11万。俺これの昨日も見に来たから。化け。ずっともう見てられるなと思って。
はい。じゃあ今回、セイギさんゆかりの方が出てくれるということで。では、自己紹介お願いいたします。
あ、どうも。いつも息子が大変お世話になってます。ボシマックスセイギの父親です。最近その仲間内はね、もう私のことをYouTuberと言って。いや、私は撮ってないんだけど、なんか今生き生きしてるって。今日よろしくお願いします。
お願いします。渡辺周さん。お願いします。無職な64歳。
でもめちゃめちゃもう仲良しというか。仲いいっすね。でも元々僕が寮生活とかしてて、小さい時は本当に親父との記憶あんまなくて。社会人とかになって一緒にちゃんと住むようになってから、よく話したりご飯食べたりとかするようになって、大人になってから仲良くなったの。
あ、そうだ。大体、父親の誕生日知ったのが10年ぐらい前っていうね。わかんなくて、親父って誕生日いつなんだろうと思って、Wikipediaで開いて親父の誕生日知るっていう。で、母親と父親が同い年ってことも知らなかった。社会出てから初めて知った。それぐらいやっぱ少年時代の記憶が。問題じゃないですか。
お父さんの人生で聞くことありますか?いや、なくて。だから結構今日楽しみで。
渡辺さんは元衆議院議員で、国会議員生活何年でしたっけ?29年。長いよね。その前、県議やったので、28歳で選挙に出ますと表明してから、29歳で静岡の県議になって、64歳までなので、もう38年ぐらい。政治家人生38年。まだ、そっか、36年か。36年。セイギさんが生まれる前に。生まれる前に。
あとそうだ。本当に物心ついた時から父親が議員をやってたから、もうこの環境が当たり前だと思って生きてきて。気づいたらお父さんが先生って呼ばれてるみたいな。周先生。そう、周先生のご子息さん。親がもう議員になってたから、一定の敬意を持ってやっぱりセイギに皆、大人が接してくれた。
で、私はね、5歳から15歳の間、父親がやっぱ選挙出てたんで、ずっと。3回落選したの。あ、そう。おじいちゃんも。おじいさんもで、10年浪人してやっと通るんだけど、5歳から15歳って人間形成の1番大事な時期にさ、父親がずっと落選してるわけ。
でね、学校の前にさ、ポスター貼ったじゃないですか、電柱とか。それ、雨の日がさ、目玉くり抜かれてるわけです。いたずらで。お父さんのそれを見ながら登校をするから、さあしんどい。もうね、学校行きたくなくなるよね。だからもうその話はしないでと。
母親が大阪。だから全然、静岡県の沼津に引っ越してくるんだけど、何も親戚もいないから、私が小学校入ったら、小学校のクラス名簿を持ってさ、戸別訪問するわけ。この子の父親が出てます、よろしくお願いしますって。俺の好きなやつも嫌いなやつも、家に行くわけじゃない。もう次の日学校で何言われるか分かってるわ。お前んちうち来ただろうとか言って。で、色々言われるのが嫌で、とにかくね、選挙に出る人の家の子供から早く逃げたかったね。
へえ。知らなかった。そうなんだ。多分、そういう意味ではちょっと屈折した幼少期を過ごしてきたので、セイギみたいに政治家の息子ですって売り物にしてんのが信じられないんだよ。こっちは隠してたんだ。そうなんだ。クラスメイトの親の職業欄書けなかったんだからさ。
その時、お父さんが落選中だった。どうやって家はご飯食べていくというか。それがね、今未だにわかんない、不思議な。え、危ないお金じゃないよね。大丈夫?いや、だってさ、野党で落選中で、危ないお金も何にもないから。多分、心ある人にカンパしていただいたり、親族からなんかもあったり。
最初は裕福とかじゃなかったんですね。全然全然。そうなんですね。びっくりするぐらい雨漏りがしたり。その雨漏りの家でしばらく育った。
そうだから俺は高校の時、作文で書いてね。もう先生が直してもらいなさいってわざわざ赤ペンで書いてたって。18ぐらいだから。中学卒業して高校の時、寮に入ってて、で、大学生の時に家がもう本当に築80年。いや、前の日から家だったんだけどね。80年とか、もう本当に雨漏りとかじゃなくて雨降ってたの、家。本当にすごかったね。だから家の中で傘さして。そうそう。
まあだから別にネタで結構裕福だとか言ってるけど、家は本当にそんな感じだった。もう雨漏りするし、なんか猫いるしで、猫がネズミ食って、なんかネズミ死んでるし。で、なんか猫が勝手に親父が焼いた物食べてるしみたいな。で、親父が議員になったらなったで、お前も後継ぐんだろ、将来はって言われ。
それでさ、それが嫌で医学部を目指して、医学部行こうと思ったんだけど、数学8点とか9点しか。あ、なんか似たエピソード。俺の時の点数だ。で、それがね、日本でお前が行ける学校はないとは、めちゃくちゃ言われてるよ。
で、私、少年チャンピオンってあったんだけど、屈折した小学生、中学生だから漫画ばっかり読んでたら、ブラックジャックって漫画があって、ブラックジャックを読んで医者になろうと思ったけど、やっぱ勉強できないとついてけないと。少年チャンピオンって余談だけどさ、『魔太郎がくる!!』っていう漫画があったんだけどね。いじめられてる子の復讐劇みたいな、ちょっとなんか影を差すような漫画があって、実はそれも好きだったんだけど。やっぱなんか心情を代わりにやってくれてるみたいなね。
で、でも医学部できなかったところにイランで革命が起きるんです。で、そんなことをニュースで見聞きしてるうちに、医者を諦めて、こちらの世界、ジャーナリストになりたい。国立理科系から私立文系に急にチェンジした。そうすると間に合わないじゃない?あ、確かに。理科とか数学とかやってたら。で、共通一次世代だから、全部やるから7科目やね。もう化学と物理と日本史と地理とかね。政治経済、今、現代社会っていうのかな?今、公共、政経とか。
あ、ま、俺受けたことないから。そうだ、そうだ。うちに赤本が1冊もない。英語入試なんで。赤本、付属から上がってるからうち1冊も。赤本。そんなあるか。一緒に置いとけ。置いとけ。1年、まあ浪人まだ大変だけど。
ちなみにその中でお父さんが当選されるじゃないですか。そっから急に裕福になったりするんですか?いや、全然。あ、でもね、それまで穴の開いた日産車が途中からグロリアに乗るようになったりする。でもそんなに自分の人生、食生活とかは変わらなかった。穴の開いてた家って家賃どれぐらいとかなんですか?まあ多分ね、すごい安い値段で、支援者の方から数万円とかで借りてたんじゃないのかな。
静岡の沼津東高校、浪人してたって話だったんですけど、現役はどこ受けたんですか?そう。ただ国立理科系から私立文系に転向だから、共通一次で選択していたのを政治経済で受けられるとこって、明治、法政、中央とか。あとね、なぜか立命館大学の産業社会学部を受けた。パラダイス産社って言われ。そうなの。なんか京都に行ってみたかったみたいなね。
で、東京に行ってさ。駿台も難しいから、ゆ子って予備校に入ったんですよ。知らん。お金払ったら試験なく入れるんだけどね。で、そこに入った時にショック受けたのが、食堂があったんですよ、予備校の。で、東京来て多分最初に食べた外食じゃないけど、生卵定食ってあった。生卵の定食だよ。TKGやな。1番安いので80円か90円ぐらい。卵とご飯となんかお漬物があるだけ。それでいいや、やっぱりね、学生っていうか浪人生ってこういうあれなんだと。
だから時々ね、Fランクやってるけど、大丈夫なのって。そんだけ苦労して浪人して勉強頑張ってるのに。東京で初めて食べたのが予備校の生卵定食だった。
で、卒業する頃になったらちょっとバブルが始まり。ちょっと大学長いこといたもんですから。あ、そう。ちょっと大学時代の話聞きたい。一浪二留なので。そうなんだ。もう大学卒業する時はバブルの入り口にいたわけ。
で、ちょうど就職活動をしたら、ある外食レストランやってるところに就職説明会行くと、中華料理食べ放題。フルコースが食べられた。もうバブルが始まってたから。ほんで、一応話聞いてるんだけど、最後メインディッシュですって。何が出るんだったら、ガラガラガラってワゴンに積んで、銀の蓋をパカって取ったら熊の手のひらが。ええ、超高級料理。そう。で、これからこれを料理しますって言って。生卵定食から始まった東京のスタートがさ、就活の最後、熊の手のひら。5、6年でこんなになるんだっていう、バブルを感じた。もう階段を登ってってたね。
ちょっと戻っても大丈夫です。浪人した時は、その現役と同じような大学を受けられたって感じですか。あ、そうです。早稲田に合格されて。結構いろんな学部受けたりしたんですか?はい。だからよくあるのは、政経受けたら法学部受けて文学部と。で、当時は社会科学部があって、今昼間なんだけど、社学って夕方から始まる。元夜間ですもんね。その早稲田の社学まで4つかな。全部受けて、政経が最初に発表だったから、もうあと見に行ってなかった。かっこいいことするじゃん。政経が一応最初だから、受かってて変に悩むよりはこれでいいやんと。
だからもう是非Fランクと言われる人たちに言いたいのは、時間があるんだから、まず漢字はちゃんと読めるようにしようとかね。ちゃんとした日本語が使えるように勉強しよう。入った時はFランクでも、出る時にSランクになってりゃいいわけだから。まあ、まあ、まあ。なかなかね、難しいです。どうした?どうした?なんか弱くないですか?いや、いや、いや、ちょっとはり悪い子みたいな。
いや、だって一流って言われる大学出てる人でもさ、なんか政治家って難しいことを言おうとしたりしてさ、もう本当ね、痛恨の極みですと。内心忸怩たる思いですって言われてさ、はって聞いたことある。じくじくじゃないんだよね。内心じくじくたる思いとかいうことを大の大人が言っちゃったりとか。やっぱ基本的なことをちゃんとしとかないと、大人になってからもう取り返しつかないから、本当にそれはやっとかないと。政治家でも漢字読めない人がいると。
ちなみに留年の時の話聞きたくて。どうして留年されたとかって聞いていいんですか?ま、自分探しですね。ジャーナリストに漠然となりたい。父が議員だったから、選挙の実家は嫌だけど、東京の議員会館に出入りするのは嫌いじゃなくて。大人たちと話をして、いろんな事件があって、ちょうどそこがニュースの現場じゃないですか、国会って。テレビも言えば新聞の舞台で。ま、そういう世界を垣間見てる間に、じゃあテレビに行こうかとか、新聞に行こうかとか、あるいは出版とか雑誌とかね。
で、してる間に、大学4年では出られないってことになり、5年生の時に広告代理店に決まるんだけれど。卒業しちゃうと困るので、教授にお手紙書いて、私を卒業させないでくださいって言って、留年するために単位を残してく。計画留年をして。すごいやん。これで日本テレビとかを受けてさ、最終面接で落ちるというね。だから予備は受かったんだよ、普通に。
だからやっぱりね、時間があるうちに、甘えられるうちは、すぐ社会出て勝負しなくても。今はほら転職できるからさ。当時は社会に1回出ちゃったら途中で会社辞められない。転職はもうすごいでかい傷負ってるみたいな話になっちゃうから。だから企業入ってすぐ辞めちゃうとか信じらんないよね。あんなに苦労して入った会社なのにとか、今簡単にね。
俺も就職浪人して。あ、そうや。会社入ったんだけど、就職浪人するって決まった時に親父と2人でご飯食べに行って、就職浪人するわって言ったら、男はな、稼がないといけないからなって言ってくれて。今お笑い芸人とバイトやってんだけど。でも普通、就職浪人とかちょっと怒られるんちゃうのかなみたいな。そう。でも俺本当に全然怒らなくて。今聞いたら、親父も同じ。同じ親子やな。
ただこっからのさ、人生の責任はもう自分しか取らないといけないので、自分で社会出た以上は自分の人生だから。これからどうすんだろうって。本当頑張ります。もう皆さん再生回数をなんとか。そんで登録者数増えなくて、子供のチャンネルを宣伝で。親すぎるって、本当ね。だからこの動画をさ、転送しながらさ、見てやってくださいとか言ってさ。ああ、そんな裏にそんな。やってるんだよ。もうすごい。それで我が家ではもう、セイギの再生回数を朝昼晩1日3回、うちの女房がチェックしていた。もういいな。
当時、読売新聞ですよね。就活難易度って言ったらもうトップクラスって感じですか?今はマスコミそんな人気ないけれど、それこそバブルとか、100人ぐらいしか取らないとこに1万人ぐらい受けに来る。で、当時もうお互いセミナーって言って、当時は一応建前上は大学4年生の9月あたりから解禁だって。だけどその前にそんなこと言ってたら、いい人材取られちゃうって言って、いろんな手で会えて。さっきのその熊の手のひらを食べたのも、中華料理を楽しむ夕べっていう名前で、ある会社は。
本当はもう分かってんだけど、みんな背広着ていくのに、私は友達に誘われてTシャツで行ったみたいなね。見るからに冷やかしじゃねえかって言うんだけど、それでも許されたんですよ。冷やかしも冷やかしだよ。いや、冷やかしじゃないけど、趣旨が分かってたまりさん。
で、読売なんかも当時取るんだけど、あの頃はその内定するともうみんな内定者を逃さないためにどっか連れてっちゃうわけですよ。海外旅行みたいな、バブル時代の就活は。あと東京湾にクルーズ船でもうどっか行っちゃって、陸に上がれないようにすると。
そうで読売新聞は朝8時に大手町の新聞の本社前に来なさいと。でバスが止まってて、スーツ着てくるなと。リクルートスーツ。私服で来いと。で、その日逃げちゃうから、脱走しないように就活で拘束してる。ま、箱根のさ、芦ノ湖のプリンスホテル行くんだけど、もうバス乗った瞬間にリクルーターがいて、皆さんおはようございます。朝食べてないだろうからお弁当回しますって、ついで缶ビールが回ってく。朝の8時から酔っ払わして、もう諦めさせると。途中で脱走して朝日新聞行かないようにとか、受けに行かないようにとか。
新聞は何歳で入社したの?25か。ああ、ちょっと遅いな。一浪二留した。28、9で辞めたのか。早い。俺より早い。俺5年だから。あとはね、私は選挙に出るという大義があった。まさか俺に大義がないみたいな。
その読売新聞の配属としては、いろんな紙面があると思うんですけど。私の場合は厳密には地方部って言って、地方版、真ん中辺の八王子支局で、ま、社会面ですね、要はね、事件記者。記者してる時に出馬しようと思ったんですか?父親がその時田舎の市長になってたんだけどね。で、全然その政治家とは違う世界が面白いと思ってた。
だったんだけど、ちょっとそのバブルが行きすぎていて、みんなその時ね、億ションが八王子にあって、八王子の向こうに西八王子、高尾と、もっと向こうにもう中央本線の猿橋駅とか、もうね、山梨県とか神奈川県の方とか、あの辺にもバンバンマンションが建って。それがもう6000万だ、7000万、当時40年前。ま、土地神話みたいに言われてますね。もう言われてで、駅から直結エスカレーターある、遊歩道で行けますみたいな。で、そういうとこに住んでる人たちが毎日電車乗って都心まで通うというね。
で、やっぱり不正は横行するわ。で、やっぱそういう時に、なんかこの社会おかしいよねっていう。1番頑張ってバブルを支えてる人たちがすり減らしてきてるみたいな。っていうのを取材を通しながらいくつか見てると、政治を正さないとダメではないかというのがムクムクと。で、たまたま政治家の環境にあったから、ペンで書いても限界だから政治家になろうみたいな。
ちょっとかっこよく。あんま自分で言わないです。で、これ昔から言ってる。志がなかったらやれないと思うとか。
最初の出馬は、無所属で県議会議員に出たんですよ。で、無所属で県議会議員に出て、お金がないから、ポスターも名刺も間に合わないで、今みたいにネットがないから、もう自分の似顔絵を書いてコピー取って。最初、渡辺ですって。まず友達のとこ行って。沼津市長のお父さんがいるから、静岡県議員だったら沼津から出る。通りやすいっちゃ通りやすいですかね。そう。当時県議会議員で新人で最多得票数みたいな。最年少。最年少29歳で、今も塗り替えられてるけど。
似顔絵で最年少で当選。いやいや、もちろん名刺を作る前に印刷屋さんで写真撮ったけど、最初はまずあんたの経歴とか配るものがないと。で、行く時に公約とかね、で、顔はこんなんでとか言って、知り合いのとこに配って、だんだんポスター写真撮ったり、色々やってもらったけど、最初は顔から。まず名前を知ってもらうしかないからってやったよね。インパクトがあるから似顔絵で。そう、そう。なるほど。
じゃあ前回の選挙もそれすればよかったか。似顔絵。原点回帰。怪しいって。まあね、あんまりさ、何かああってなればいいけど、あんまりネタっぽくなった。いや、そうすね。本当にマジでそう。
みんな政治家を目指してる人たちはいないんですか?あ、僕は将来的には。え、どっから出るんです?いや、まだ全然決めてないすね。首長になるとかさ。首長もなりたいですし、国会議員もなりたいですし。すごいよ。でも本当それはもう是非若いうちから志を立てて、基礎的なもの、世の中の仕組みだけ知っとけば、あとは後から勉強すれば大丈夫じゃないですか?当選。
なんか前テレビで、オリンちゃんって女の子がね、なんか将来秋田県知事になりたい、青森県知事だって。結構そういうこと普通に言うよね。政治的な発言ってね、芸能人ってあんまり良くないみたいに言われるけど、なんかある意味、戦国武将が好きみたいな話とちょっと似てるんだよね、政治の世界。で、そういうことを言っても今マイナスにならない。
政治的タレントみたいな、政治好きタレントでもオッケーじゃないですか。そっちの方は新しい分野として開拓したりとかしないんですか?そうなんで、トマホークチャンネルで一緒に議員さんにインタビューしてるっていう。あ、なるほど。そこで知見を深めてる。そう、そう。なるほど。ちょっと、Fランクキャラはこのまま行くん?確かに政治家なるなら、そろそろちょっと角を削ってった方がいい。なるほど。アドバイス。
ちょっと話戻っちゃったけど、静岡県議会議員は何年間ぐらいされたんです?2期やったんで、途中だから6年半か。その途中で衆議院に出て、ちょうど小選挙区の1番最初の選挙が1996年、平成8年、あ、令和じゃない。平成8年にあって、その時に鳩山さんと菅さんが民主党っていう政党作って。
で、当時薬害エイズ問題っていうのがあって、いわゆる血液製剤という、血友病という病気の治療薬が原因でエイズになります。で、それが裁判になって、実は製薬会社に問題があった、それを認めた国にも問題があったと。その時に当時の厚生労働大臣の菅さんて人が土下座して謝るわけですね。で、初めて国の過失を認めたみたいなことがあって、新しい政党、民主党とかができた時に、出るならここだっていう。
やっぱりチャンスって、待ったら次あるかと言ったらあるかどうかわかんない。で、よく言われるのが、1回きりかもしれない。早すぎてもいけないけど遅れてもいけないという。だから、たまたまその1回だけの船に、ひょっとしたら乗れたのかなっていう思いはあるよね。当時の菅さんがかっこよかったからみたいな感じですかね。政府側の人間なのに国の過失を認めた。
誰から声がかかったの?さきがけという政党があって、その政党に知り合いがいて。県会議員やってたけど、時々東京に来て、当時の知り合いの政治部記者とかと仲いいと、こういう議員紹介するよっていうことが始まって、なんとなく人間関係ができていた。そういうことから始まった。そう、そう。だからやっぱり出かけないとだめだよ。
人の中に入っていって。よく言うんだけど、運を掴むって話。これはどんだけ他人が自分のことを気にかけてくれてるかってことだから。自分に直接関係ない話でも、あれ、この話ってもしかしたら彼にとって有益な話なら伝えようか、つなげようかとかさ。で、そういうのいっぱい持ってると、やっぱり運が回ってくるじゃない。行動起こして。誰かがふとちょっと話してみようと。兵庫県知事選に出ないとかさ。
うわあ。いや、今ね、斎藤さんが強すぎるというか。あ、まあね。でも本当どこで何が起きるかわかんないから、自分のことをいつも誰かが気にかけてくれてるっていうことを心がけとけば、必ず運が向いてきます。今もう、ネットでそれこそ発信できる武器があるから、それはもう昔と違ってさ、いきなり挑戦できるから。
めちゃくちゃ切り抜かれそうだな、ふーみんに。Fランやないかって。対立候補に過去の問題発言ばらまかれ。まとめたいな、こんな人が知事になっていいんですかみたいな。かと言ってね、今から軌道修正してもね。そう、そう。過去の発言はもう変えれないんで。そうだよ。だからもうそれをキャラでもっていうところで突っ込めばさ。悪名は無名に勝るっていう、日本には便利な言葉がある。1番いけないのは、あいつ誰とか言われる、知名度がないと。もうキャラが立ってないとダメだからさ。チャンスいっぱいあります。はい。わかりました。
1発で当選された。そうです。それはすごいすね。負けたこないだの2月の選挙が11回目だったけど、それまで選挙区で負けたのは1回だけで、9勝1敗だったのが、今は9勝2敗になったんだけど。比例で復活するから、実質勝ち。地元じゃ負け知らずで。
で、1回、選挙の時に、俺が学校で、親父と一緒に選挙出てる相手候補の息子をいじめてたみたいな噂が流れて。そんなことないよなみたいな。そいつのこと知らないし、誰かもわかんない。そもそもいなかったじゃないか。そう、学校にいなかったのだ。年も違う。そしたら相手高校生で、俺小学生の。いじめるか。いじめられるって。っていうぐらい、今で言うところのネットの話じゃないけど、怪文書って。田舎の選挙怖そうすね。
で、国会議員時代のお話を聞きたいんですけど、総務副大臣、防衛副大臣も歴任されて、なんか印象に残ったこととかあったりします?ずっと野党やってきて、あの時与党になるじゃないですか、民主党が政権交代。で、3年3ヶ月与党の間、約2年ぐらいは役所の副大臣を2回やったんですけど、もう独り言もね、うかつに言えない。
例えば国会から総務省っていう役所、霞が関の警視庁の横にあるんだけど、そこに公用車で乗ってます。ちょうど3月の終わりぐらいかな、で、あ、桜はいつ咲くんだろうって独り言言った。それを聞いた秘書官がもうこんななってなんかやってて、で、副大臣って、役所に戻ったら、気象庁から取り寄せた開花予想。いやいやいや。与党の人はこれに慣れてんだなと。で、野党の人間は知らなかったから。こういう中で何十年もやってる人は、絶対にこれダメだね。狂っちゃいますからね。
あともうやっぱりあったな。防衛省に行った時、副大臣した時は、ちょうど金正恩になったばっかりなんです。で、金正恩が今度ミサイル飛ばすって言い始めて、それは自分の威信じゃないけど、力を誇示したいのか。で、今までどっちかというと日本海を渡って日本の手前の方に撃ってたんだけど、なんかその時だけ1回、沖縄と台湾の間に撃ちますと。フィリピンの方に撃ちます。南に向かって初めて撃つっていう時に、それは公表していて、その時に防衛省にいて。
で、やっぱ防衛省の人たちって、天気とか見て、多分雲のない時に撃つだろうから、あるいは風のない時に撃つだろうから、天気を見ると多分この辺だったら、Xデーはここだろうって。で、そっから逆算して、こっちに飛ばしてきたら、経験上、もしそのミサイルから燃料が落っこってきたり、途中で失敗してなんか落っこってきた時に、この島の人はどうすんだって言われりゃそうですと。沖縄本島じゃなくて石垣島にPAC-3っていう迎撃ミサイルを運ぶんだけど。あ、運んだんだ。
で、石垣島にPAC-3を持っていくんだったら、宮古島だって可能性あるだろうと。じゃ、宮古島に持ってこうと。そして与那国島って1番端のとこには持ってかないけど、もしなんかあった時に、いわゆる自衛隊の基地がないから、自衛隊の輸送機を持っていこうと、与那国空港に。で、途中の宮古島と石垣島の間に多良間島っていうのがあって、そこに落っこったらどうするとか言ってる間に、もうそこを全部行って。
ま、反対派の人たちもいるから、なんでそんなとこにね、横に置いてんだみたいな。その横で子供も遊んでんじゃねえかみたいな。で、本当に申し訳ございません、もう悪いのは北朝鮮ですからみたいなこと言いながら、お詫びとご理解をいただくために、ずっと回って行ってね。日本のこと考えたら必要なことだけど、地元の人からしたら。そうそう、そんなものを置くんじゃねえよって。で、ところがそのミサイルが、ものの1分もたたないうちに失敗するんだよね。あんだけ大騒ぎして。
で、あんまり詳細言えないけど、市ヶ谷にある防衛省の下に、オペレーションルームってあるんですよ。で、本当によく映画とかに出てくるような、すごいでかいパネルの中に電子のスクリーンがあって、例えばシミュレーションとピピピピってこうね、電気がこういってみたいになって。そこはもう携帯も入れない、写真もダメ、録音もダメと。いわゆるユアアイズオンリーという、トップシークレットがあって。
で、そこでみんな、その当日ミサイルをいよいよ発射するぞっていう時に、ちゃんと見てたら一瞬光ったけど消えちゃうわけ。で、なんだ今の?って言ったら、いや確認してますって言ってる間に、やっぱ韓国が早いんですよ。どうも発射に失敗したようだと。ものの何十秒かで、ロケットが浮き上がった瞬間に破裂して、結局終えるんだけど。まあ、今もあの大騒ぎは何だったのかという。
その時のナンバー2ですもんね、防衛の。やっぱ1番だったのは東日本大震災だけどね。あれは筆舌に尽くしがたかったね。確かに。その3.11の時は?私はね、震災ボランティアで、全部地元から上がってくる自治体の要求とかのコーディネートをやって。へえ。なるほど。
で、今年、2026年の選挙で、もう人生初の落選と。いうことだったんですけど、その時本当どういう心境?もうね、あっけなく負けたんですよ。投票日の投票箱の箱が閉まった瞬間に、もう相手候補に当選確実。だから自分で言うと、やっぱ時代と世代に負けた。もちろん戦った仲間は同じと逃げるから、その自分の、とか抜いたすところではある。いや、それチャンネルでめちゃめちゃ切り抜かれてた。
政治家の好きな言葉じゃない、得意な言葉ね。それでやっぱりそのSNS時代にね、高市さんはやっぱり1億再生。いや、あれは広告です。YouTubeすごい。でもそれで、こっち側はね、5Gとか言ってさ、高齢者、これシニアの議員たちが、そう斉藤鉄夫さんとかね、とか言ってちゃダメだよねって。
例えばなんだから、55歳以上の調査では、私は互角かちょっと勝てたんですよ。出口調査。そっから下の世代、いわゆる氷河期世代と呼ばれる人たちは、やっぱりどっか、日本を強く豊かにってキャッチコピー、言って欲しかった。1回ぐらい夢見たいなっていう人たちが、じゃあもう今度は5Gじゃねえだろうみたいな。やっぱりSNS時代、世代と時代に自分が追いついてなかったっていう思いは、ありません。だからどっかサバサバした思いあったね。こんだけあっけなく負けんのか。
で、その時にセイギがね、YouTube撮らしてくれって。いやいや、あれ撮っといてよかったね。あれから人生がまた別でちょっと、YouTubeでの露出が増えたり、テレビでも子供のYouTubeに出るみたいな感じで。あの動画をテレビ局の人たちが本当悔しがってるんだって。やっぱ当選した議員の密着とかできるけど、落選した直後とか、落選した本当の瞬間をテレビって密着できないから。
でもね、心身とも元気で、落選しても充電期間だと。カトゥと同じ言い方。今まで積んどいた本を読んだりとかね。ゆっくり人と会ったりとかね。次のチャンスをちゃんと狙って頑張んないといけない。頼みますよ。じゃ、それまでも。それまでだから、セイギ君のお父さんだったんですねって言われた。みんな頼むね。
息子も頑張らないと。いや、なんかIndeedとかさ、バイトするならタウンワークとかいうのにセイギ出てこないかなとか言ってない。あれ本当にバイトしてる人出てこないから。
どんな国にしたいとか、なんかあります?いや、僕はね、本当にね、もうふーみんが、あえてアンチじゃないけど、やっぱやり直しの利く世の中。ああ、最低Fランだとか、もうなんか偏差値不能のところ行っても、入る時はセンター試験、名前変えても共通テストで。出る時に、その東大だろうが京大だろうが、この試験で最低限800点取っとかないと、うちの会社は願書出しても落としますよみたいな。逆学歴フィルターみたいなので。
だって今もう人口減ってきた、人材が減ってきたにも関わらず、学歴でなんかふるいかけられるとかさ。まだそういうカースト制度あるからね。いや、だけどTOEFLとかさ、それこそ「士」のつくのとかね。学歴関係なく、やっぱりやってれば客観的に加点してチャンス与えるよっていう社会にしていけば、入った時は失敗でも、出る時にはさ、やり直し効くじゃんっていうね。
ふーみんと馬が合わないとね。受験失敗したやつは何やらしてもダメやろ。いや、全否定じゃん。全否定や。で、渡辺周はそういう、もう1回這い上がれるような、弱者に優しい社会じゃないけど。
え、これなんか与党と野党の話。自民党です。同居してますみたいなYouTubeあったじゃないですか。あ、そうだね。あれは今はもうしてない?東京にいる時は時々だけど、やっぱ最近ね、それも迷惑だろうしで。1回ですね、私、浜松町の3000円のカプセルホテルに泊まってることもあったんだけど、なかなか大変だった。寝られないしね。で、息子のとこにちょっと世話になった。あ、そうなんです。渡辺さんの年齢でカプセル。いや、それもちょっと。俺悲しいよ。普通に親父がカプセルホテル。落選して無職になり、カプセルホテル3000円で寝れない親父。
じゃ、最後に、なんかその今後の展望みたいなところをお聞きしたくて。こっからどうして行かれるのかなというか。今までその28歳から選挙出ますって公言してから落選するまでの36年間、ま、選挙のことばっかりを毎日やってたので、ちょっと今そっから離れられたけど、ただ政治的な公的なことには全然離れてないから、いずれ国には戻る。おお。
もちろんそのためにじゃあ精進をしようと。物忘れしないようにね、やっぱり本も読むし、勉強もしながら。ただ現役の時と違って収入がないので、神田の古本祭り行って、1冊100円の、3冊で200円。エピソードが悲しいな。いやいや、現役の時は忙しすぎて全部中途半端で、知識も生半可になっちゃったけど、1つのことはやっぱり極めると。
これからやっぱAIの世界、AIで本当に世界はどうなるんだろう。で、もう1つは、人口減少社会で日本の国をどう切り盛りしてこうと。地方行くと公共交通の運転手さんもいないし、やっぱ人口減少の歪みが出てる、学校がなくなっちゃったりとかね。だから、そういう2つのテーマにちょっと特化して、今知識を蓄えて。そうなんだ。
2040年には、今600いくつの大学だって250減らすっつうんだから。大学がなくなっちゃうね。いやいやいや、その分競争激しくなる。だから、大東亜帝国とか、大学5つ集まっちゃって。産近甲龍大学。関東上流江戸桜。受験サロンまでおるやん。実は実は。いや、それだって一緒にならないとさ、倒産することになっちゃう。ま、子供の数は減ってますからね。そう、そう、そう。
じゃあ、今日は本当にありがとうございました。すいません。
こんなんでいいのに、こんな時代のそばに変わりなくて、隣で
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