エセ関西弁はなぜ嫌われるのか——関西アクセントの前に、東京式アクセントの法則を確かめる

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概要

大阪での公開収録で、ゆる言語学ラジオの水野太貴と堀元見は「関西の人はなぜエセ関西弁をあれほど嫌うのか」という問いを取り上げた。水野はこの問いを二つに分ける。一つは、関西以外の出身者は本当に関西弁を話せていないのかという前提の確認である。もう一つは、関西の人はなぜ関西弁の不正確な模倣を嫌うのかという問いである。今回は一つ目の論点から入り、関西方言アクセントの特殊さを理解する準備として、東京式アクセントにある法則を説明するところまでが語られた。

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問いの出発点:自分の方言が間違っていても気になるか

冒頭で堀元は、大阪の人は「儲かりまっか」や「〜やで」といったエセ関西弁を嫌う、と話を振る。会場の観客も大きくうなずいていた。

嫌う理由について、堀元は最初に「適当に真似するな」という仲間意識のようなものがあるのではないかと推測した。外から入ってきた者がいい加減なことをするな、という感覚である。水野はそれも一因だろうと認めたうえで、堀元に「自分の母方言の北海道方言が少し間違っていたら、そんなに気にするか」と尋ねた。堀元は「あまり気にならないかも」と答える。自分の方言を真似されても特に気にしない人がいるのに、関西の人はなぜそこまで反応するのか。ここから論点の切り分けが始まる。

話に入る前に、水野は注意事項を二つ述べた。一つ目は用語の範囲である。「エセ関西弁」は学術的な定義ではない。この回では、関西方言を母語としない人が誇張して、あるいは不正確に話す関西方言を指す呼び名として使う。また、京都方言・大阪方言・兵庫の方言はそれぞれ違うが、ここでは総称して「関西方言」と呼ぶ。二つ目は立場である。エセ関西弁を馬鹿にしたり否定したりするつもりはなく、逆に関西方言以外を称賛するつもりもない。できる限り俯瞰的・客観的に話すので、関西方言への偏見をコメントに書かないでほしいと述べた。堀元はこの念の入れようを「このチャンネル、NHKみたいな感じでしたっけ」と茶化している。

関西人はエセ関西弁を見破れるのか

最初の論点は「非関西人は本当に関西方言を話せていないのか」である。水野が会場に「関西出身でない人は関西弁を話せていないと思う人」を尋ねると、多くの手が挙がった。

これに対して水野が最初に紹介したのが、中井幸比古(2019)「関西人はエセ関西弁を見破れるか?」という論文である。水野の説明によれば、この研究は俳優が関西方言話者を演じる音声を使う。関西方言を母語とする役者と母語としない役者の音声を、どちらかを伏せて学生などに聞かせ、「この人は関西方言話者だと思うか」を判定させた。関西出身の役者は正確に関西出身と判定された。一方で、関西出身でない役者の関西弁についても「関西出身だ」と誤って判定するケースがそれなりにあったという。つまり、ネイティブでない関西弁をネイティブのものと判断してしまうことが一定程度起きていた。

水野が会場に「聞き分けられる自信がある人」を尋ねると、手を挙げたのは半分にも満たなかった。二人はこれを意外だと受け止めている。一方で、関西出身のマネージャーにこの話をしたときは「そんなもん聞き分けられるに決まってるやろ」と言われたというエピソードも紹介された。

水野はこの研究に留保も付けている。聞き分け実験で話しているのは、方言指導を受けた役者である。だから上手なのではないか、という疑問は当然出てくる。ただし研究者は、関西出身でない役者の関西弁にアクセントの誤りがどの程度あるかも判定しており、そのデータも取っている。水野によれば、それなりにアクセントを間違えている関西弁に対しても「関西出身の人だ」と判定する人がいた。水野はここから、聞き分けはやはり難しいのだろうとまとめた。

話させると、アクセントは再現できていない

一方で、関西出身でない人に関西方言を話させる研究もある。こちらでは、やはり話せていないという結果が出ているという。水野は「話せていない」という概念にも注意が必要だと断ったうえで、この研究ではアクセントを正しく再現できていない、つまり関西方言のアクセントで話せていないというデータが出ていると説明した。

堀元は二つの結果を合わせて「関東の人は関西弁を喋れないし、関西の人はそれを聞いてもあまり聞き分けられない」と整理し、両方が無知蒙昧だということかと冗談にした。水野も、合算するとそうなってしまうと笑って応じている。

水野が強調したのは、話させる研究の中身である。関東の人などがうまく再現できていなかったのは、ほとんどの関西方言話者が言語化していない、ある特徴だったという。関西弁を話すための「隠れたコツ」のようなものがあり、非関西人はそれに気づいていない。水野は、関西方言話者自身もそれに気づいていないのではないかとも述べた。

堀元は「それさえやっておけばいつでも真似できるコツを教えてもらえるのか」と期待する。水野は、それが難しいのだと答えた。関西の人には何が難しいのか分からないかもしれないが、愛知出身の水野には相当難しい。収録前にも、関西ではこう言うよねと確認するたびにマネージャーから「ちゃいます」と何度も直された。楽屋で二人は「スズメ」の発音をずっと練習していたが、しまいには分からなくなった。マネージャーもそれにつられて分からなくなり、最終的には東京式アクセントで話していたという。

東京式アクセントには「ルール」がある

関西方言アクセントの特徴に入る前に、水野はまず東京式アクセントの説明から始めると宣言した。東京式を理解してからのほうが、関西式の特徴に驚きがあるからだという。

水野の見立てでは、堀元は東京式アクセントを話せるが、そのルールを問われれば「ルールなんて特にない、一つ一つ決まっているだけだろう」と思っているはずである。実際に堀元は、英単語のアクセントの位置を丸暗記したように、日本語のアクセントも全部丸覚えしているのだと思っていたと答えた。水野は「違いますね、ごっつあるよ」と返し、今回は特に名詞に限って東京式アクセントの法則を説明していった。

「箸」「橋」「端」と、助詞「が」の不思議

最初の例は、食事に使う「箸」、川に架かる「橋」、隅を指す「端」である。堀元に高低で考えてもらうと、「箸」は高低、「橋」は低高、「端」も低高になった。「橋」と「端」は単語だけで言うと同じアクセントになってしまう。

堀元は「二音節しかないから、単語が三つあれば必ずかぶる。鳩の巣原理で説明できる」と言いかけた。しかし水野に「高高や低低でもいいのでは」と指摘され、その場で撤回している。

水野によれば、日本語学の研究者に聞くと、東京式アクセントに限っていえば「橋」と「端」のアクセントは違うという。ポイントは後ろに助詞を付けることだ。今回は「が」を付けて発音してみる。「橋が落ちた」の「橋が」は低高低で、「が」で下がる。一方、「端が汚れている」の「端が」は低高高で、「が」も高いまま続く。単語だけでは同じに聞こえても、「が」の高さによって区別できるようになる。

ここで水野は問いを立てる。もしアクセントが単語ごとに決まっているだけなら、なぜ後ろに付く「が」が高くなったり低くなったりするのか。堀元は「全く分からない」「意味不明な挙動だ」と答えた。

後ろを「下げるパワー」——アクセント核

水野の説明は「平たく言えば、後ろの助詞を下げるパワーがあるかないか」というものだった。堀元はすかさず「スピリチュアル」と反応し、二人はしばらくその路線でふざけ合っている。

水野によれば、東京方言ではこの下げる力があるかどうかが重要になる。専門的には、後ろが下がるかどうかを決めるものを「アクセント核」あるいは「下げ核」と呼ぶ。そのため東京方言のアクセントは、単語の後ろに付く助詞がどうなるかまで観察しなければ記述できない。堀元はこれを「一見するとただの二音節の言葉に見えるが、後ろに何かのパワーがあるかないかも宿している」と言い換えた。

二拍名詞は3通り、三拍名詞は4通り

次に水野は、二拍の名詞として雨、駅、鳥、海、山などを挙げた。これらに「が」を付けると、基本的にはさっきの3パターン、つまり高低低、低高低、低高高のどれかになるという。高低の2種類を三つ並べれば理論上は2の3乗で8通りあり得るが、実際には3通りしかない。

続いて三拍の名詞で確かめた。四つの名詞に「が」を付けたときのアクセントは次のとおりである。

  • 「親子が」:高低低低
  • 「いとこが」:低高低低(「いとこ」は高から入る言い方もあるが、ここでは低から入る形で見た)
  • 「男が」:低高高低
  • 「子供が」:低高高高

堀元は「男が」「子供が」で苦戦し、どこで上がるかを何度か言い間違えながら確認していた。水野によれば、適当に三拍の名詞を考えて「が」を付けても、必ずこの4種類のどれかに当てはまる。たとえば「低高低高」のような型は出てこない。

さらに四拍の名詞になると5種類になるという。二拍で3種類、三拍で4種類、四拍で5種類。堀元が「n拍のときはn+1種類」と仮説を立てると、水野は実際その通りだと答えた。東京方言の名詞は、n拍ならn+1種類のアクセントの型があり得る。

堀元は、理論上は2のn乗あるはずなのにn+1になっているということは、指数関数と一次関数の違いだから増え方が全然違う、と指摘した。鳩の巣原理の失敗を数学用語で取り返そうとしている、と水野に茶化されたものの、水野はこの指摘を鋭いと評価している。理論上あり得る型が2のn乗なのにn+1しかないということは、それだけ強い制約が効いているということだからだ。

東京式アクセントを支配する3つの制約

水野によれば、東京方言のアクセントを支配する制約は三つある。

一つ目は、基本的に単語はどこかのタイミングで音の高さを落とす力を持っているということだ。「親子が」は高から始まり、「や」のところで落ちる。ただし、まったく落とさない単語もある。「端が汚れている」の「端が」は低高高で、落とすポイントがない。

二つ目は、一度下がったアクセントは同じ単語の中で二度と上がらないということだ。堀元はこれを「現代社会のメタファーじゃん」と受け、一度炎上したら終わるネット芸人や、格差社会になぞらえて盛り上がった。水野は「日本語アクセントの話です」と引き戻している。三拍名詞の4パターンを見ても、途中で下がった後に高へ戻る型は一つもない。堀元は「最初が低くて上がることはあるが、一回下がったらもう上がらない」と確認した。

三つ目について、水野は東京方言のアクセントの中で特に強力だと考えている。それは、1拍目と2拍目の高さが必ず異なるというものだ。高低か低高しかあり得ない。堀元は例外がありそうだとして「殺し屋」を挙げた。怖いイメージがあるので全部低いのではと考えたが、水野によれば「ころしや」は「ろ」で上がる。全部低く発音するとおかしくなる、と二人で確かめて、この反例探しは終わった。

四拍名詞で5種類を数え上げる

水野は、この三つのルールを使って、省略していた四拍名詞の5種類を確認していった。堀元はこの手順を「場合分けして何通りあるか考える、数学の受験勉強っぽい」と評している。

まず、1拍目と2拍目の高さが異なり、一度下がると戻らないというルールから、高で始まる型は「高低低低」しかない。高から入った時点で2拍目は低になり、その後は上がれないからだ。例はキャンパスやパスカルで、「キャンパスが」の「が」まで低いままになる。高で始まる型はこれで出し尽くしたことになる。

次に低高で始まる型を考える。2拍目の後で落とすと低高低低になり、「が」も低い。例はウグイスで、「ウグイスが」は「グ」が高く、その後は下がる。3拍目の後で落とすと、4拍目が低になるので3拍目は高でなければならず、低高高低になる。例として青空・大空が挙げられた。「ら」で落ちるため、「大空が」は低高高低低である。4拍目の後で落とすものは、4拍目まで高く「が」で下がる。例は「妹」で、「妹が」は「妹」まで高く「が」で落ちる。最後に、下げ核を持たないものがある。例は「アメリカ」で、「アメリカが」は「が」まで高いままになる。

こうして、高から始まる型、2拍目の後で落とす型、3拍目の後で落とす型、4拍目の後で落とす型、落とさない型の5種類が揃い、n+1になることが確かめられた。水野は覚え方として、東京方言では結局どこで下げるかが大事なのだと押さえればよいと述べた。堀元も「下げが一回しかないからね」と応じている。n拍の名詞には落とす位置の候補がn箇所あり、それに加えてまったく落とさない型がある。だからn+1種類になるという説明である。

反例を探したくなる、という反応

水野が「30分前にはルールなどないと言っていたが、どうか」と尋ねると、堀元は「めっちゃあるんだ」と認めた。ただ、驚きとともに「本当か」とも思っており、家に帰って反例を探したいと言う。水野はそれを歓迎し、大事な作業だと述べた。適当に名詞を思い浮かべて、お風呂などで「ラジオは高低低だな」「コンピューターならどうか」と試していけば、このルールに支配されていることに気づけるはずだという。堀元は、普段話しているときにはまったく意識していなかったので、そんな厳しい制約があるのは意外だったと感想を述べた。

堀元がいちばん驚いたのは、後ろに「が」のような意味的には関係のない語を付けないと、その単語のアクセントが判明しないという点だった。水野もこれを発酵にたとえている。そのもの自体には意味的に関与しないのに、麹のようなものを一度くっつけるとアクセントの型が判明する。そういう面白さをアクセント研究に感じたという。堀元は「この種には木になろうとする力が宿っているのです、みたいな感じ」と、再びスピリチュアルな言い方で応じた。

東京方言と関西方言のアクセントがどう違うのか、つまり非関西人が再現できていない「隠れたコツ」が何なのかは、次回に持ち越された。水野は、今回聞いた東京式アクセントの内容を反芻しておくと、特に関西方言話者は次回をより楽しめるはずだと述べて、この回を締めくくった。関西人がエセ関西弁を嫌う理由という二つ目の論点も、まだ答えは示されていない。