慶應志木から慶應医学部、シカゴ大学の心臓外科医へ 「本物の外科医」北原大翔が語る経歴と理不尽への対処法
トマホークTomahawk心臓のかぶり物をつけて「心臓もみもみ、あなたのハートをわし掴み」と名乗る北原大翔は、米国シカゴ大学で心臓外科医として働いている。医学生の聞き手たち(京都大学医学部6年生を含む)を前に、北原は中学・高校時代の勉強法から慶應義塾大学医学部への内部進学、日本での8年間の心臓外科医生活、渡米の経緯、日米の収入の違いまでを語った。話の随所に出てきたのは、医療の世界の理不尽とどう付き合うかというテーマだった。
美容外科医のパロディ写真がバズった経緯
北原がX(旧Twitter)で注目された一件から話は始まる。ある美容外科医が別の病院へ移ると告知する際、華やかな写真を4枚投稿した。これに対して「恋愛リアリティ番組で自己紹介する女子高生のような写真をなぜ上げるのか」といった、誹謗中傷に近い反応が集まった。北原はそれを面白いと思い、妻に頼んで同じ構図の写真を4枚撮ってもらい投稿したところ、これがバズった。
反応の中には、北原が「本物の外科医」を名乗るのは美容外科を本物ではないと見なしているからで、この写真には「本物の外科医である自分こそが」というメッセージが込められている、と解釈する投稿が多かった。北原はこれを否定する。メッセージ性はなく、美容外科への偏見もない。そもそも他人の職業がどうかには関心がないという。北原の考えでは、専門を持ってそれをやりたい人がいれば、目的が金を稼ぐことでも、楽をすることでも、美容を極めることでも関係ない。自分も「明日美容に行ってもいいぐらい」だと話した。
聞き手の一人もこれに同調した。今の医師の働き方の現状とルッキズムの広がりを考えれば、美容外科の需要が上がるのは仕方がないと見ているという。
中野区の公立中学から慶應志木へ
北原は東京都中野区の出身である。父はシステム関係の仕事、母は漬物店で働いており、医師の家系ではない。親から医者になれと言われたこともなかった。
中学受験はしていない。2歳上の姉が中学受験で苦労しているのを見て、自分は絶対にしたくないと思ったからだ。区立の中野第四中学校に進み、成績は学年でトップ層だったという。
高校選びの基準は共学であることだった。中学2〜3年生の北原は、女子と過ごす時間に「夢を見ちゃった」と振り返る(実際に行ってみるとそうでもなかったとも付け加えている)。北原の説明では、偏差値の高い高校で共学となると国立か都立の上位校に限られ、私立の上位校は男子校か女子校ばかりだった。そこで国立大学の附属高校(筑波大附属か学芸大附属か、本人は覚えていない)を第一志望にしたが、5教科のうち社会と国語が壊滅的で不合格となり、合格していた慶應義塾志木高校に進んだ。
医学部を意識したのは高1の中間テスト後
医学部を目指すきっかけは、高校1年の中間テストだった。部活の顧問がその結果を見て、このまま頑張れば医学部に内部推薦で行けると声をかけた。北原によれば、慶應志木は1学年240人で、そのうち6人ほどが医学部に進める。推薦は毎年の成績の積み重ねで決まるため、北原はそのテストの後から本格的に勉強に取り組んだ。
最終的な順位は「多分1位」だったという。ただし評価の対象は全教科で、国語や数学だけでなく体育・美術・音楽も含まれる。体育では立位体前屈に点数基準があったため、毎日ストレッチをし、効果があるかは分からないと言いつつお酢も飲んで記録を伸ばした。
美術は下手だったので、別の方法で点数を取った。時間をかけて描き、先生に「この描き方で大丈夫でしょうか」と相談し、ゴッホの絵からインスピレーションを受けたと話して、やる気のある生徒だと思わせた。北原はこれを、才能やセンスではなく「タクティクス」で点数を取る方法だと表現する。
聞き手から、研修医でもこうしたやる気アピールは大事かと問われ、北原は「結局そこだけなんですよ、見てるの」と答えた。裏でタバコを吸って休んでいても表で頑張っている姿を見せる人の方が、黙々と予習・復習をして何も言わない人より評価される。北原はそれも理不尽の一つだとしている。
医療の世界の理不尽と、その中での生き方
途中、聞き手の一人が、慶應医学部の面接で準備をせずに臨み、面接官に言い返してしまって不合格になった経験を明かした。その聞き手は来年医師になる予定かと聞かれて「医者にならない」と答えた。周囲の医師が人の悪口を言うのを聞くのが嫌で、自分もそうなるのではないかと怖くなったという。
北原はこの判断に一定の理解を示し、医療の世界がなぜ理不尽になりやすいかを自分の見方として説明した。医療は白黒がはっきりしないグレーな世界で、教科書の知識がそのまま当てはまらず、答えの分からないまま物事が進む。正解をはっきり言えない以上、人は感情で動けてしまい、理不尽なことが起きる。とても優秀な人の下につければよいが、それは運次第で、悪口や理不尽な言動がある職場はいくらでもある。それを飲み込んでいくのが医師の世界で、「本当に利口な人はそんなところにいちゃいけない」のかもしれないと北原は言う。
では北原自身はどうしているのか。本人の言葉では「今も頑張っている」。理不尽が楽しいわけではないが、慣れてしまったし攻略方法も分かっている。そのうえで自分のハッピネスを保てる形を作ってきた、というのが北原の説明である。
慶應医学部での生活とアメフト
慶應医学部に進んでからの成績は、平均より下だが最下位層ではない「微妙なライン」だったという。聞き手から試験前に徹夜していたのではと振られると、北原は徹夜はしない派だったと答えた。試験の1週間前から、徹夜が要らない程度に準備する。寝ないと頭が働かず、試験中に頭を使って「0から1を生み出す」部分で点を取ることが大事だと考えていたからだ。暗記の時間を削ってでも睡眠を取り、その分クリエイティブな部分で点を取る方針だった。
勉強以外の時間は部活とアルバイトに使った。部活はアメリカンフットボール部で、勧誘で「モテるぞ」と言われて入部した。高校ではバスケットボールをしていたがあまりうまくなく、アメフトなら全員初心者から始めるので上達できる可能性があると考えた。足が速かったこともあり、医科歯科系のリーグでは良いポジションにいたという。
心臓のかぶり物とYouTubeを始めた理由
心臓のかぶり物は、かぶり物の専門サイトに特注したもので、北原は色を塗っただけだという。以前はかぶり物にトイレットペーパーを付け、毎回色を塗っていた。しかし外科医として働く自分がなぜトイレットペーパーに色を塗って頭に付けなければならないのかと思い、金で解決することにした。聞き手から「塗る時点でもう外科医の仕事ではない」と突っ込まれると、何も言い返せないと笑った。
こうした活動に強い思いがあるのかと聞かれると、北原は「ないです」と答えた。チャンネルはもともと、北原が代表理事を務める医学生・医師の海外留学支援団体の情報発信の場で、海外で働く日本人医師にインタビューする動画を出していた。やがてそれがつまらなく感じられ、医療関係者以外に向けた動画を投稿するようになり、そちらが伸びて登録者が増えた。始めた理由は、コロナ禍で暇だったこと、登録者を増やしたかったこと、そのために何か面白いことをする必要があったことだという。北原は自分を「YouTuberです」と言い切った。
心臓外科を選んだ理由と、日米の診療科選択の違い
慶應医学部を卒業後の2年間の初期研修では、さまざまな診療科を回る。北原は当初、手を動かしたいという理由で、産婦人科や整形外科など外科系を考えていた。心臓外科を回ったとき、胸を開けると心臓が「ドクン、ドクン」と動いていて、それを手術するダイナミックさに惹かれ、心臓外科医を志した。
北原によれば、アメリカでは診療科ごとに定員があり、希望しても入れないことがある。日本では、たとえ100人全員が美容外科に行きたいと言っても誰も止められない。聞き手はこれに関連して、日本では人気を理由に特定の科へ人が偏ることが問題になっていると指摘した。アメリカでは眼科の枠がとても限られていてエリートと見なされると聞き手が話すと、北原も皮膚科や形成外科を挙げ、よく勉強して論文を書く優秀な人しか入れないと応じた。
日本での8年間と、固定給への疑問
北原は日本で8年間、心臓外科医として働いた。慶應の医局に入り、半年ほど東京大学や旭川医科大学でも研修した。
日本の外科医の年収について、北原はおおよその目安として次の数字を挙げた。初期研修を終えた外科1年目で800万円程度、心臓外科に進むと1100万円程度、少し上の立場で1500万円程度、部長クラスで2000万円程度。聞き手が、日本の心臓外科は手術が夜9時や翌日まで続くこともあり実質的な時給は低いのではと問うと、北原もそれを認めた。
北原が問題にしたのは給与体系だった。日本では契約によるものの、ほとんどの病院が固定給で、時間外手当が少し出る程度だという。手術件数に応じた報酬はほとんどなく、年間200件やっても100件やっても給料はあまり変わらない。聞き手が「件数が少ない方が得になるのか」と聞くと、北原は理屈の上ではそうだと認めた。年間1件なら1件あたり2000万円で野球選手のようだが、そんな医師を病院は置いておかないし、経験も落ちる。手術をしたくて心臓外科医になったのに、それでは意味が分からなくなる。
北原の実感では、若いうちはたくさん手術をしたいと思うが、どこかの時点で、どれだけ手術ができるようになってもプラスにならないことに疑問が湧いてくる。たくさん手術をしたくて心臓外科医になったのに、やればやるだけ大変になるだけだと感じる。日本で心臓外科医として幸せに働いている人も多いと前置きしたうえで、自分には合わなかったと北原は話した。
アメリカではインセンティブがあり、手術件数に応じて報酬が支払われる契約もあると北原は説明する。例として、1日に5件の手術を組み、手術室を2つ使って時間をずらして進め、外科医が部屋を行き来して全件を担当すると、1日で数百万円を稼ぐ人もいるという。
渡米の準備と米国医師国家試験
アメリカで働くには、米国の医師国家試験に合格し、さらに働き先がポジションを空けてくれなければならない。北原はこれらを日本にいる間に準備した。
渡米を考え始めたのは初期研修を終えた頃で、もっと早い人は学生時代から考えているという。試験は3段階に分かれており、北原は時間をかけて少しずつ受けた。北原によれば、最初の試験を受けてから7年以内にすべて取得しなければならないというルールがあり、北原は5年ほどで取得した。学生のうちに深く考えずに受け始めるとカウントが始まってしまうため、今の学生は計画を立てて最初の受験時期を決めていると聞くという。
毎年1人程度の枠と、15分のZoom面接
シカゴ大学には2016年、トレーニー(訓練を受ける立場)として渡った。この枠は毎年1人程度だという。ただ北原は、これが特別に華やかなポジションではないと強調する。馬車馬のように働かされ、給料もそれほど高くないため、本当に訓練や修練を積みたい人が希望する枠だという。それでも45人ほどが応募し、日本・インド・中国などから人が集まる。募集は病院ごとに不定期で、4月スタートのように決まっているわけでもなく、ジョブサイトに出る求人をチェックして応募する。
選考はZoomでのインタビューで、英語力、経験、手術件数などを見られる。トレーニーなので全部自分でやってきたというわけではないが、どれだけの手術を経験しどこまでできるか、アメリカで何をしたいかを話すことになる。当時の北原は英語がほとんど話せず、友人と繰り返し練習して臨んだ。
ところが面接ではトップのチーフが15分間ずっと話し続け、仕事の内容や北原にしてもらうことを説明した。最後に質問はあるかと聞かれて「No」と答え、面接は終わった。それで採用されたので、北原はほぼ最初から決まっていたのだろうと推測している。他の候補者と比べて、よほど変でなければこの人でいい、という判断だったのではないかという。
北原はこの面接を、英語の聞き取り能力を試されたのではないかと振り返る。北原には「聞き取れないけど聞いている風にする」能力があり、騒がしい飲み会で小声の上司の話が2時間何一つ聞こえなくても会話を成立させられるほどだという。面接でも「I see」「Yes」と相づちを打ち続けた結果、英語が話せると判断されたらしい。実際に渡米すると英語は壊滅的だと言われ、毎週英語のクラスに通うよう指示された。北原は現地の駐在員の妻たちと一緒にレッスンを受けていた時期があるという。聞き手から、これが理不尽の中で生きていく術かと問われ、北原は「全てだと思います」と答えた。
アメリカでの収入と、大学病院と一般病院の差
2016年に渡米して9年目になる。トレーニー時代の給与は8万ドルで、手取りは5〜6万ドル、北原の換算で800万円ほどだった。日本の研修医よりは高いが、物価が日本の3倍ほどなので生活は楽ではなかったという。大きく上がるのは、トレーニングを終えて心臓外科医として独立してからだ。
北原はまず日本の構造を説明した。日本でも大学病院より一般病院の方が給料が高く、外科医なら大学病院で年収800万円、一般病院で1500万円といった差がある。そのため大学病院の医師は、少なくとも北原の在籍当時はアルバイトをしていた。北原は週1回、透析病院で患者を診るアルバイトをしており、1日約10万円で月4回なら40万円になる。大学からの給料約40万円と合わせて月80万円、年間で960万円ほどが大学勤務の一般的な姿だったという。一般病院なら病院から1500万円が出るので、アルバイトは必要ない。
アメリカも同じく一般病院の方が高いが、規模が違うと北原は言う。一般病院で新たに心臓外科医として働き始める人でも、5000万〜6000万円ほどもらえることがある。また、ニューヨークやロサンゼルスのような大都市は給料が低く、アラバマやユタのように人があまり行かない地域では給料が大きく上がる。地域による差は日本にもあるが、その上がり幅が桁違いだという。
年収1億円プレイヤーなのかと聞かれると、北原は「微妙なところ」と濁した。税金も物価も違うので一概には比べられないとしつつ、日本で1億円を稼ぐのは突出した人でなければ難しいだろうと述べた。
留学支援団体と、妻との出会い
北原が代表理事を務める団体は、2016年にシカゴ大学に来たときに立ち上げたものだ。当時、海外で医師として働くための情報はブログくらいしかなく、トレーニーの枠がどういうものかを一から説明してくれる情報源はほとんどなかった。自分の経験を元に情報を発信したいと考えて作ったという。現在は情報発信やかぶり物での活動も含めて、団体の活動になっている。
2022年に結婚した妻とは、YouTubeを通じて出会った。日本人医師へのインタビュー動画のアシスタントを務めてもらったのが今の妻だが、北原によれば順番は逆で、仲良くなりたくてアシスタントをお願いしたのだという。知人の紹介で知り合ったものの、北原はアメリカ、相手は日本にいたためLINEでしかやり取りできなかった。3回ほどで音信不通になり、1週間後に送っても既読がつくだけ、クリスマスなどの行事に合わせて送っても返事は来なかった。
そこで北原は、始めたばかりのYouTubeで医師にインタビューする真面目な企画のアシスタントを頼むことにした。相手は以前に芸能活動をしていたこともあり、4通目のこの依頼には返信が来た。インタビューは累計100本以上になり、その中で少しずつ親しくなった。日本に行った際に食事に誘い、男女として会いたいと伝えた。その場での返事はイエスではなかったが、その後うまくいったという。
今回の一時帰国は、医師が集まって発表する3日間ほどの学会に合わせたものだった。学会に合わせると休みを取りやすいからだが、学会自体には結局出られなかったと北原は笑った。
若い世代へのメッセージ
最後に、チャンネルの視聴者層である20〜30代の学生や若者に向けて一言を求められ、北原は「誰もあなたたちのことをそんなに見ていない」と答えた。自分がこの格好でホテルから収録場所まで来ても、誰も注目していない。ここで踊っても明日には忘れられている。だから自分がやりたいように、好きなようにやっていく方が楽しい人生を送れるのではないか、と北原は話した。周りからネガティブなことを言われたり、それを気にしてしまったりする人には、あんな格好をしていても何も言われないのだと思ってもらえればいい、というのが北原の締めくくりの言葉だった。
医学部4浪の末に高卒になってしまいました、藤井です。
京都大学医学部6年生、最近OSCEを合格しました。いや、合格してません。ごめんなさい。勝手に合格したと思ってます。
はい、よろしくお願いします。ということで、自己紹介お願いいたします。
心臓もみもみ、あなたのハートをわしづかみ、本物の外科医の北原大翔です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。お願いします。ということでお願いします。
見た目のインパクトがやっぱり。本当に入ってきた瞬間からこの見た目なんで。ありがとうございます。よろしくお願いします。よろしくお願いします。
ということで、ちょっと最近やっぱりXで話題になってますと言いますか、お2人見たことあるかもしれないんですけど。うちの大学で有名ですよ。あ、本当ですか。ありがたいですね。はい。
美容外科のね、人に対してちょっと煽り気味のツイートは。
あれは煽りではないですよ、全然。結構みんな、僕が美容外科に対して斜めからの感じで煽ってる雰囲気に捉える方結構いたんですけど、全然そんなことなくって、僕実は美容外科大好きなんです。
そうそう。だから美容系のことって結構炎上しやすいじゃないですか。はい。
で、あれは先生って名前出しちゃいますけど、あの、美の先生が、ま、別の病院で働くってなった時に写真を4枚あげて移動しますよって言ったら、その4枚がすごくこう華やかな、なんかこんな感じので、それに対してなんかみんな結構、誹謗中傷じゃないけど、なんか『今日好き』、今日好きになりましたってABEMAの番組でこう自己紹介する女子高生みたいな感じの写真をなんであげんねんみたいな感じでバーってやってて。で、それを見て僕面白いなと思って、同じことやろうって言って、自分の妻にお願いしてちょっと写真撮ってって言って、こうやって4枚同じ写真を撮ってもらったらそれがバズって。
この人が本物…僕、本物の外科医って言うんですけども、本物の外科医っていう風に名乗るのはすなわち、こういう美容とかそういう外科医みたいなものは本物ではなくて、この本物の俺がこの写真を出すことこそまさに本物の外科医なんだみたいなメッセージが込められてるみたいなことをツイートされる方とかがいっぱいいて、それでこうXがバズったっていうことがあったんで。実際僕は全然そんなことなくて、何のそのメッセージ性もないし、あの美容のことに対しての偏見もなくて、別にどうでもいいんですよ。他の人の職業がどうとかっていうのは。
分かった。僕仲良くなれそうです。ああ、そうなんだ。
僕、あの美容外科医あんま嫌いとかなくて。その僕も医学部だから、美容外科に行く人どう思いますかみたいなのめちゃくちゃ生放送で聞かれて。僕的にはもう今のお医者さんの働き方の現状しょうがないっていう思いがあって、すごいルッキズムが進んでるから、そういうのが需要上がるのしょうがないかな。
はい。いや、本当そうだと思うんですね。別に専門を持ってそれをやりたいって人がいたら、別にどんな目的であっても、例えばお金稼ぎたかろうが楽したかろうが美容を極めたかろうが関係ないと思うんですよ。僕はだからもう明日美容に行ってもいいぐらいです。心臓外科。あ、ごめんなさい。ちなみに僕はシカゴ大学っていうところで心臓外科をやっていて。
見た目から想像つきますけど。はい。一応心臓と、心臓外科で、はい、やらしてもらってます。
猫ちゃんの名前も心臓。猫の名前も心臓ですね。さんになります。はい。
ま、このチャンネルはその人生を幼少期からお聞きするチャンネルで。でもちっちゃい頃から心臓が好きとかではないですよね。ちっちゃい頃は心臓は別に好きじゃなかったです。はい。そうですよね。
出身はどちらですか?えっと、僕は東京都中野区出身ですね。おお。ご実家がお医者さんとか?いや、違います。実家は普通に、あの父はSE、システムをやってて、母親は漬物屋さんで働いて。はい。
え、親御さんから医者になれとかは特になく?なかったですね。はい。へえ。中学受験とかされます?中学受験はしてないです。あ、え、
はい。自分は2個上の姉が、姉が中学受験を結構してるのしんどそうだったんですよ。で、それを見て自分は中学受験は絶対したくないなと思ったんで、え、そのまま中野区立の中野第四中学校っていう公立の中学校に行って。へえ。ですね。はい。
勉強やっぱできました?勉強はできましたね。はい。ああ、もう中学だったらトップみたいな。そうだと思いますね。はい。はい。はい。じゃ、高校もいい高校受けるって感じだ。
高校は慶應志木高校、慶應義塾大学の付属高校の、え、志木って埼玉にある高校で、え、に通ってましたね。受験して。はい。はい。はい。で、それはなぜなんですか?
えっと、それは僕、第1志望が国立だったんですよ。筑波大附属かな。おそらく筑波大か学芸大附属か忘れちゃったんですけど、国立高校を受験してて。というのは共学に行きたかったんですよ。圧倒的にもう何としても共学に行きたかったんです。男子校は行きたくなかったんですよ。はい。はい。だって嫌じゃないですか。男子校なんて男しかいないから。え、いいじゃないですか。
男子校は素晴らしいけど、でも当時自分にとってはやっぱり女子と過ごす大切な時間っていうのをもっと有意義に過ごしたいって思いがあったんですよ。ま、夢見ちゃったんです。実際に行ったらもうそんなことないんだけど、でも当時中学2年生、3年生だった僕はそれに夢を見て、共学しかありえないっていうことで。だから偏差値高いところで共学ってもう国立しかないんですよ。結局か都立のいいところかで、他は例えば開成にしろ何にしろ、ま、男子校か女子の偏差値高いとこじゃないですか、私立の。だからなんとかして国立に行きたかったんですけど、国立は5科目で、僕社会と国語がもう壊滅的に悪かったんですよ。うん。なんでもう全然落ちて、しょうがないから志木に行こうかっていう感じで行ったってことですね。
へえ、そっからどうして医者になろうと思ったんですか?
あ、それはあの高校生の時に、ま、部活の顧問の先生が、1年生の中間のテストの出来が結構良かったんですよ。で、そん時にそれを見て、お前医学部に行きたいんだったらこっから勉強して頑張れば、あれ慶應って中から内部推薦って言って何人か行けるんですよ。で、慶應志木高校だったら1学年240人いるんですけど、そのうち6人行けるんですよね。だからお前このまま勉強頑張っていけば、あれもう毎年の成績の積み重ねなんで、あの医学部行けると思うよって風に言われて、あ、じゃ頑張ろうと思って、その1年生の中間のテストの終わった後からすごい頑張って勉強してって感じですね。
へえ。僕は指定校推薦を冷笑してる人間なんですけど、うん。あの内進の慶應の医学部に関しては何も言えないです。ああ、そうなんだ。そう、そうです。あの僕が慶應、面接でやらかして落ちてるんで。あ、やらかして落ちたんですか。あ、そうなんだ。やらかしそうな感じはありますけどね。面接でいけないこと。
なかなか面接でやらかすってできないですけどね。面接って大体準備して臨むから。そのここの枠を外れないじゃないですか。この枠を外れたやつを落とす面接なんで多分。
まず準備しなかったし、ちょっと言ってきたんで返しちゃったんですよね。
あ、なるほど。その相手に対して。そんなやつ聞いたことないですけど。それやって受かったみたいな。そしたらどうすんのみたいなこと言われて。
ああ、ちょっとカチンときた。それはカチンときたから、ま、京大医学部と慶應さんどっちか受かりますよ僕って。いや、めっちゃアレなやつ。それ受かるわけない。そんな人やっぱ。そうなんです。
大丈夫?来年医者になるんですよね。大丈夫ですか?僕は、はい、あの医者にならないです。あ、なるほど。あ、そうなんですよ。いや、なりたくない?ない。
実習でそう嫌なことがあって。その結構皆さん、先生と違って美容の悪口とか結構みんな言ってて、すごい俺からしたらすごい嫌というか、人の悪口聞くのって嫌じゃない。あ、いや、いや、いや。それで、やっぱだからそのなんか自分もこうなるんじゃないかって思うと怖くなってきて。
はいはいはいはい。いや、それは正しい選択じゃないけど、ま、理不尽ですよね。医療の世界ってすげえグレーだし、なんか黒白じゃないじゃないですか。教科書でやってた勉強が適用されないし、なんとなくルーズなもん通ったりとか、答えがわかんないものがまかり通ってくみたいなところがあって。だからがっつりと正解が言えないから、みんななんとなくそういう感じで行かなくちゃいけないですよ。だから理不尽なことも生じうるんですよ。だって感情で動けちゃうから。
それをものすごく優秀なできる人の元につけばいいけど、そんなの運次第で、今言ったようにいろんな悪口言ったりとか、なんか理不尽なこと言ってきたりとかするところなんかもういくらもあって。でそこをなんか清濁併せ呑んでいくっていうのが医者の世界で、だから本当に利口な人はそんなところにいちゃいけないんですよ、多分。
へえ。その中で頑張った人ってことですよね。ま、頑張っているという感じ。はい。頑張っているっていう。はい。今も頑張っているっていう。海外でもそう頑張って?
そうですね。理不尽、まだ。逆に言うとそれが、ま、楽しいわけじゃないけど、ま、その慣れてしまってるし、その攻略方法を分かってるし、それでもなんとか、ま、自分のハピネスみたいなものを保ちつつやっていけるような形にしていったって感じじゃないですかね。すごい。はい。その辺も聞いていきたいですね。ああ、めっちゃ楽しみです。そう。
で、ま、高校時代の話戻るんですけど、ま、だから成績めっちゃ良かったってことですか。はい。めっちゃ良かったですね。はい。最高どれぐらいまで行ったんですか?順位。いや、僕多分1位だと思います。はい。お、すごい。240人の中では。はい。はい。
でもそれってあの全教科なんですよ。だから、ま、国語、数学とか社会とかそうだけど、体育とか美術も入るんですよね。音楽とか。だからめっちゃ体育とか頑張りましたし。はい。前屈みたいのあるじゃないですか。これが足につくと何点とか、ここまでつくと何点みたいなのあるから、もう毎日ストレッチしてお酢飲んで、ま、お酢で柔らかくなるかわかんないですけど、お酢飲んでもう毎日やってって言って、もうめっちゃこうぐわっとここら辺までつけたりとかして。
もう体育10とか取ったりとか。美術頑張って、下手なんですけど、時間かけて描いて、美術の先生とかにこの描き方で大丈夫ですかねみたいなちょっとやる気ある雰囲気を出して、そういうのでこう点数を稼いでくんですよ。
なんだろ、印象悪くさせないというか、この人下手だけど、ま、頑張ってるからちょっと点数おまけしとこうかなぐらいな感じで。放課後残ったりして、先生、なんかゴッホの絵がとかっていう、ゴッホの話とか、ゴッホの絵をちょっと見てインスピレーション受けて、僕もそういう風な感じでやりたいなと思ってるんですけどって言って、あ、こいつ可愛いなっていう風に思わせると、プラスして成績が上がってみたいな感じにしてて。
それ研修医でもそういうやる気あるアピールめっちゃ大事。あ、大事大事。うん、結局そこだけなんですよ、見てるの。うん。
やってますよ。裏でタバコ吸って休んでても、あの表に来て頑張ってますっていう風にしてるやつの方が、何も言わないで黙々と頑張って、家帰って予習して復習して、何も言わずにそこにいる人よりも評価されるんですよ。ま、それも理不尽の1つなんですけど。
ああ。でもそのまま、じゃあ普通に順当に慶應医学部に。そうです。はい。すっと入られて、慶医の中では成績はいい方なんですか?
いや、悪い、悪いと思います。はい。全然悪い、スレスレでこう。そうですね。それのちょっと上ぐらいの、ま、だから平均よりも下だけどドベの層ではないみたいな、こういう微妙なラインっていうんですかね。名前わかんないですけど、この層のこと。はい。この層にいました。
先生、前の日から徹夜してやってました?
いや、僕はね、でもね、徹夜はね、やってなかったんですよ。僕は徹夜は嫌派で、ギリギリじゃなくって1週間前とかから、徹夜をしなくてもいいぐらいの度合いでやってましたね。
徹夜するってのは、僕やっぱ寝ないと頭働かないなっていうので。やっぱ試験やってる時に頑張って頭働かして、0からなんか1を生み出すっていうのが大事だなと思ってたんで、そこに使えるだけの頭を残すために睡眠を取るっていう。だからその暗記する時間を削って、クリエイティブな部分で点数を取れるような時間を作ったみたいな感じですね。はい。
じゃ勉強あんまりしないってことは、何をされてました?勉強以外。部活とバイトですね。はい。お、え、部活何部ですか?
部活アメフトやって。医学部のアメフト部みたいな。はい。勧誘でモテるぞって言われて。そう、じゃあやりますって言って。はい。アメフトに入ってましたね。はい。
え、じゃあ元々運動得意な感じなんですか。
そうですね。大学、あ、高校の時バスケやってて、で、バスケはでもあんまりうまくなかったんで、あんまバスケは続けたくないなと思ったんで。あのアメフトはみんな初心者じゃないですか。だから初めて同士でうまくなれる可能性があるなと思ったんで、あのアメフトにしましたね。はい。実際なりました?僕足速いんですよ。だから結構医科歯科リーグっていうリーグの中ではいいとこに行ってたと思いますね。はい。
だからさっきの評定の話もそうですけど、基本何でもできますよね。教科ってことですか?はい。ま、美術と音楽以外。はい。あ、美術と音楽は苦手ではあるんですか?あ、もう全然苦手ですね。はい。あ、意欲で頑張るみたいな。
意欲で頑張る。だから意欲とか、ま、別の方法ですよね。その才能、センスの部分じゃなくってタクティクスの部分で点数を取っていくっていう。
で、これも美術じゃないですか?ま、これは美術ですね。はい。これでも僕作ったわけじゃないんで。そうですか。
はい。僕塗っただけですか。これ僕作ってたらすごくないです?それもう職業変わってきちゃいますんで。これはあの特注して注文して。はい。これタクティクスの部分です。はい。こっちがその美術の部分。はい。なるほど。
元々タイツをかぶってトイレットペーパーをつけてたんですよ、この部分で。でもそれ毎回トイレットペーパーを色塗ってるのが大変すぎて、ちょっとこれは俺の仕事じゃないと思ったんですよ。あの、外科医として働いてる俺がなんでトイレットペーパーを塗って頭につけなくちゃいけないんだと思って、これやっぱお金で解決しなくちゃいけないって思ったんで。なんか被り物サイトっていくつかあるんですよ。で、そこを検索して1番良かったサイトに、あの実は心臓のこういうのを作りたいんですけどって言ったらぴったしなもの作ってくれたんで、もう気に入ってすごい着てますね。
はい。ま、塗る時点でもう外科医の仕事ではない。そこを突っ込まれちゃうともう何も出ないすよ。外科医なのにこれしてんのって言われたら、もうあの答えないす、それ。
でもあえてこういうことしてるってことじゃないですか?はい。そうですね。はい。なんか強い思いとかがあるってこと?ないです。ないんだ。
あ、ないのは、だから最初は元々この僕の、TEAM WADA本物の外科医YouTuberってチャンネルがあるんですけど、そのチャンネルは医学生とか医者とかの海外留学とか、あのそういうのを支援する団体がTEAM WADAってのがあって、それの発信のプラットフォームとしてYouTubeを使ってたんです。だから海外で働いてる日本人の医師の先生に話を聞いて、その情報を発信するみたいなのをやってたんですよね。
で、そこからなんかちょっとつまんないなと思って、そういう一般の、医療関係者以外向けの動画っていうのを投稿するようになって、で、ま、そこが伸びてきて登録者数が増えてったんですけど。なんでそれを始めたかって言うと、別にそのメッセージとかなくて、ま、暇だったし、その時コロナで。で、あとはなんかやっぱ登録者数増やしたいなっていう思いとかがあって、で、なんか面白いことしないといけないなっていうのがあったからやったって感じですね。はい。
あ、じゃあもうYouTuberみたいな。あ、YouTuberですよ。はい。そうなんです。お医者さんYouTuberみたいな感じ。そうです。YouTuberです。そう、はい。そうなんです。普通逆でしょ。
で、そうですね、ちょっとあの、どうやって心臓外科医になったかみたいなとこ聞きたいんですけど。
あ、えっと、それはあの、慶應大学医学部に入って卒業して、で、そうすると最初2年間初期研修って言って、ま、あの、いろんな科を回るとこになるんです。で、僕当時は何科でもいいかな。産婦人科とか整形外科、ま、そういうところに、ま、外科系かなと思ったんですよ。ま、手を動かしたいっていうのがあったんで。
2年間回った時に、ま、心臓外科ももちろん回って、で、ま、心臓手術を見るとやっぱすごいんですよね。心臓のそのダイナミックさというか、もう胸開けて心臓あるわけですから、ここに。それを、ま、ドクン、ドクンしてんのを見て、それを手術してみたいなのをなんかすごいなっていう風に思って。はいはい。ま、それになりたいなっていう風なのを思ったっていう。
これ面白いんですけど、アメリカとかだと数が決まってるから、例えば僕外科医になりますって言ってもダメっていう風になるんですよね。あ、日本だとならない。日本はならない。そうなんですよ。日本はもう全員、例えばみんな100人が僕美容外科になりますって言ったら誰も止められないです。そうなんです。
そうなんです。そうなんです。今それがちょっと逆に問題になってて、その診療科の偏りってのがあって、不必要なとこに結構みんな行ってしまう。人気やからっていう理由で。こっちやと眼科ってあんまりなんかいい印象ないんですけど、アメリカとかやと眼科になれる人数すごい限られてて、すごいエリートって言われるんですよね。
うん。むっちゃそう。眼科、耳鼻科、形成とかはもう全然。もうめっちゃくちゃ勉強して論文書いて、すんごい優秀な人たちがそういうところに入れるっていう。
へえ。え、心臓外科医として日本でも結構長く働いてたんですか。日本で8年間働いてます。はい。その慶應大学の医局に入って、ま、一時期半年ぐらい東大とか、あとは旭川医科大学っていうところで研修して、でアメリカのシカゴ大学に渡ったって感じですね。はあ。
心臓外科医ってさ、アメリカだったら高収入のイメージ。そうですね。はい。日本だとどれぐらいなんですか。
日本だと多分最初の、例えば初期研修医から上がった外科医1年目ぐらいが年収800万とか、手取りで。えっと心臓外科医になると1100万とかそんなもんで、ちょっと上になってくると1500とかで、部長になると2000万とか。だからそんな雰囲気だと思いますね。はい。ああ。
でも僕、日本の心臓外科って長時間だからかなり。その夜9時とか。あ、手術がね。だから次の日まで持ち越したりするから、実質的な時給ってもっと低い。はい。ま、時給は低いんじゃないですか?はい。時給は低い。けどアメリカってもうちょっと報われる。まあそうすね。はい。
インセンティブとかもありますし、その手術やった分お金が払われる契約もあるから、たくさんやればやるだけお金が入るっていう風な形で。手術とか例えば5件ずわっと縦に組んで、オペ室を2個使ってこう斜めに入れてって、5個、1、2、3、4、5つ、点で外科医が点々とこう飛んでいって全部手術すると、全部手術したってことになるから、1日5件で何百万みたいなのを稼いだりする人もいたりするんですよ。だからそういう意味では報われてんじゃないかなって。もうそれシステムが全然違うから、日本と。
日本だと固定給なんですか?日本は固定給。それはまあ契約によるんですけど、ほぼほぼどこでも固定給、ま、時間外がちょっと出るみたいな感じだけど、手術の件数に応じていくらとかっていうのはあんまりないんですよ。だからそれって面白いですよね。だから例えば年間200件手術やっても、年間100件やっても給料そんなに変わんないですよ。へえ。
え、じゃ、件数少ない方が得みたいになります?いや、それはそうですよ。それはそう。だから年間1件しかやってなければ1件あたり2000万だから、ものすごい野球選手みたいな感じなんですけど、でもその人はもう別にその先ないじゃないですか。だって1件しかやんない手術、そういう病院はないし、その人の経験も落ちるし、そもそもその人心臓外科医、手術やりたくてなったのによくわかんなくなっちゃうから、だからそれはないんですよ。でもみんなだからやりたいはやりたい。でもどっかに来るんすよ。
最初若い時はたくさん手術やりたいなっていう風に思うんですけど、でもどっかのタイミングで、これどんだけ例えばたくさん手術ができるようになっても別にプラスにならないっていうところが、なんか不思議な疑問として生じてくるんです。あれだけたくさん手術やりたくて心臓外科医になったのに、今すごい手術やってるけど、やればやるだけ大変だみたいな感じのイメージ。ま、もちろんそれは一部で、もちろんそれが全部ってわけじゃないから、日本でやる心臓外科でハッピーでやってる人たくさんいるんだと思うんですけど、僕はそれは違ったなっていう感じです。
ああ、それでアメリカに行こうみたいな。そう。ああ、で、8年働いた後アメリカにこう。そうです。はい。急にこう。えっと、ま、急にっていうか、ま、それ行きたいなっていう風に思ってて色々こう準備をして、で、そのポジションっていうか枠が空いたんでそこにぽっと行くっていう感じで。
じゃ誰でも行けるってわけじゃないんですね。一応なんかそのアメリカの医師国家試験みたいなのがあって、それを勉強してそれを通らなくちゃいけないしとか、そもそも働く場所がそのポジションを開けてくれないといけないから、そのポジションをゲットしなくちゃいけないしとか、そういうハードルはありましたけど、それをだから日本のうちに準備して進めていくみたいな。
米国医師国家試験は8年目とかで受けるんですか?それはあのなんか3つの段階に分かれてて、その3つの段階をまあかけてちょっとずつやってたって感じですね。へえ。あ、じゃあ最初から考えてたんですね、アメリカに行く。えっと、研修終わったぐらいの時から考えてます。はい。もっと早い人は学生の時から考えてます。はい。ああ。
最初に取ってから7年以内に取らなくちゃいけないっていうルールがあるから、ま、そうですね。実際僕はだから5年ぐらいで取ったんで、ま、ギリギリってわけじゃないんですけど。でも割とそこを考えてないで学生の時に、いきなし試験受けてって始めちゃうと、試験受けてからカウント始まるんですよ。今の学生とかはちゃんと考えながら最初に受ける時期を決めてるっていうのは聞いたりしますね。はあ、なるほど。
で、アメリカでそのポストが空いて行ったって感じですけど、それがシカゴ大学ですか?はい。そうですね。それはあのトレーニー、そのいわゆる訓練とかを受ける人の立場として行ったんですよね。あ、あ、研修。そう、そう。研修的な立場。そのトレーニー枠って何人ぐらいなんですか?えっと、ね、大体毎年1人です。ええ、すごい。そこに滑り込んだ。
でもそれは別にそんなに大層な職業じゃないんですよ。もう馬車馬のように働かされるところだから、みんな行きたいかっていうとそういうわけではなくって、で、給料もそんなに高くないから、だから本当に訓練とか修練をしたいっていう人が希望するポジションなんで。言って45人ぐらいが応募して、うち1人が採用されるみたいな。例えば日本からとかインドからとか、その中国からとかから来て、その人に採用されるみたいな感じで。しかもそれは別に毎年必ず決まってるっていうよりは、各病院ごとになんとなくこの時期に募集が出てみたいな感じで、例えば4月スタートでみたいな感じじゃないんですよ。からスタートなんですけどみたいなのが、そのジョブサイトみたいなのに出て、それをチェックして応募するっていう感じなんですね。はい。
それどうやってその45人の争奪で勝ったんですか?あ、インタビューです。はい。インタビュー。うん。Zoomっていうか、なんかその、はい。英語喋れるかとか経験がどうかとか、どれぐらい手術やってきたとか、そういうのをインタビューで話してる。
じゃ、実績も結構あったんですね。ま、そうだ。日本でどれぐらいやってたみたいな。もちろんでもそれでも訓練生だから、別に自分が全部やってきましたってわけじゃなくても、ある程度これぐらい手術を経験してて、これぐらいまでだったらできますとか、であとはアメリカ来たらこれがやりたいですみたいな感じのことを話すって言って。ま、ぐらいで。僕それすごい英語喋れなかったから、当時。
でもうすっごい練習して、友達と一緒に。で、わーって喋ろうって風に思ってたら、そのチーフが来て、そのチーフってのはそのトップの先生が来て、ま、Zoomで話をするっていうのだったんですけど、15分間ずっと話されて、この仕事はこうでああでこうで、これをお前にはこうしてもらってってって、15分終わって、その後になんか聞きたいことあるかっていう風に言われて、ノーって言って終わったんです。で、一応それで採用されたんで、もう多分そもそももうほぼほぼ決まってたんだなと思いますね。
ああ。あと実績が相当すごかった。ま、実績、ま、あとはその他の候補の人たちと比べてこの人の方がいいかなって、よっぽど変じゃなければって。で、多分そのチーフが英語を、英語を聞き…。僕この格好で出てないんで。さすがにこの格好で出たら1発アウトか1発採用かどっちかしかないと思うんですけど、おそらく1発アウトなんですよ。
で、これ僕の英語の聞き取り能力を試したと思うんですね。その要は分かってんのかこいつはみたいな。で、それをバーって喋ったと思うんですけど、僕その能力すっごい高いんですよ。聞き取れないけど聞いてる風にする。だから飲み会とかでめっちゃ騒がしい時に小声の上司とかいたりするじゃないですか。友達とか。で、それもう全然、2時間何1つ聞こえなくても成立させることができるぐらい。あ、そうなんすねみたいな。いや、なんか飲みます?
そう、そう、そう、そう、そう。何でも聞ける風な感じを装うというか、その能力が高かったから、I seeみたいな、イエスイエスみたいな感じで言ったら、15分間終わって、あ、こいつは英語喋れるっつって。実際行ったら全然喋れなかったから、なんか英語のクラスがあるんですよ。それにお前行けっていう風に言われ、お前の英語は壊滅的だから、それに毎週通えっつって、なんか通って、中の、あの妻の方たちと一緒になんかあの英語のレッスンとか受けたりとかしてっていう時期ありましたね。
それがその理不尽の中で生きていく術全てっていう。理不尽の中で生きていく術全てだと思いますね。ああ、なるほど。そういうことだったんですね。
で、そうか、ま、アメリカ、シカゴに行かれて、そっから今何年目ですか?はい。えっと、2016年に来てるんで9年目ですね。はい。うわ、長い。1年目から結構お給料もらえるんですか?
えっと、トレーニーの時は8万ドルなんで、手取りが大体5万、6万ドルって感じなんで、だから800万ぐらいですかね。はい。で、日本にすると日本と一緒ってか、日本より上がりますね、多分。研修医で比べると結構高くなる。
研修医ではないんですよ。研修っていうか、そのポジションっていう、そのトレーニーのポジションだから。研修医はもうちょっと低いんですよね。だから少し高いんだけど、ま、そんなに高くなくて、しかも物価はね、こっちの3倍とかだから、ま、結構しんどいって感じですね。そっからの上がり方がすごいって感じ。
そっからそのトレーニングを終えて心臓外科医として独立すると、場所によってはすごい上がるしとか色々あるんですよ。日本だと例えば大学病院っていうのがあって、ま、大学の病院、あと一般病院って言って、例えばなんて言うんだろう。え、一般病院の例がわかんないけど、普通の病院、だから大学に付属してない病院ってのがあるじゃないですか。大きめの病院。その病院で給料って違うんですよ。日本でもおそらく大学病院より普通の一般の病院のが給料高いんですよ。
だから医者で言ったら、外科医だったら大学病院だったら、え、年収800万、一般病院だったら年収1500万みたいな、そういう違いがあるんですよ。だから大学病院に勤務してる人みんなバイトしてるんですよ。当時はね。今はわかんないけど。僕は毎週1回必ず透析病院に行って透析の患者さんを診るっていうバイトをして、で、そのバイト代が大体1日働くと10万とか。月4回で40万じゃないですか。で、それで大学から給料40万ぐらいもらってるんですよ。で、それ合わせて80万で年間で960万みたいなのが大学の一般的な生活なんですよ。
一方で一般病院ってのは全部1500万この病院から出るから、バイトしなくてもいいっていう、そういう仕組みなんですけど。アメリカも同じで大学病院より一般病院のが高いんですけど、その規模が全然違って、平均で言うと一般病院とか、多分その初めて心臓外科医になります、行きますっていう風に言ってる人が5、6000万とかもらえたりするんですよ。一般病院で。はい。
で、場所によっては…とか出したりする場所もあるし。要はそのニューヨークとか、そういうロサンゼルスとか結構大きな都市は給料低いんですよ。逆にアラバマとかユタとか、そういう人があんまり行かなそうなところになると給料爆上がりするんですよ。それ日本も一緒ですよね。日本も一緒でしょ。そうで、その上がり具合が半端ないみたいな感じで、そこの違いってのは結構あるのかなっていう。
なんか1億プレイヤーとかで。いや、えっとね、1億行って…。ま、微妙なところですね。別に、はい、ぐらいな感じです。はい。でもま、そうすね。はい。ま、税金も違うし物価も違うし、だから一概にってのは言えないですけど。
ま、日本で1億稼ぐってなったら大変じゃない?日本で1億は稼ぐの大変じゃないですかね?ちょっと難しいと思いますよ。本当に突出した人じゃないと無理って感じ。
さっきちらっと出たTEAM WADAっていうの、代表理事なんですよね。はい。その団体はどういうことしてるか聞いても?
それはあの僕が2016年にシカゴ大学に来た時に発足したというか。あの、ま、僕自身が海外来て、ま、情報とかってやっぱあんまりなかったんですよ。当時ブログぐらいで。海外にどうやって行けばいいのかとか、例えばさっき言ったトレーニーの枠ってのは一体どういうものなのかとかっていうのを説明を1からしてくれるようなのってなかなかなくって。で、それを、ま、せっかく自分が行ってる、ま、経験だったりとかっていうのがあるから、ま、それを元になんかこう情報発信していけたらなという風に思って作ったんですよね。で、そこから情報発信したり、こういう心臓の被り物したりとか、そういう活動の全般がそのTEAM WADAの活動みたいな形になってるっていうとこですね。はい。
ちょっとお聞きし忘れたんですけど、ご結婚っていつ頃なんですか?僕はあの、えっと、2022、だから3年前ですかね。はい。ああ。え、それアメリカで出会った方?
えっと、日本で出会いましたね。はい。日本でっていうか、ま、あのYouTubeで出会ったって言ったらいいかな。YouTubeで日本人の医師にインタビューする動画ってのやってたんですよ。で、そのインタビューする動画のアシスタントをやってもらったのが今の妻なんですよ。うん。
てか、あの、その人と仲良くなりたいから、アシスタントお願いしたんです。その紹介で知り合って、で、僕こっちアメリカにいて彼女は日本にいたんで、やっぱLINEとかでしかやりとりできないじゃないですか。LINEだと全然なんか、LINE3回ぐらいやったらもう音信不通になっちゃったんですよ。1週間後にもう1回追加でLINEするけど既読だけ来て何も来ないみたいな。で、なんか年末になったらとかクリスマスになったらとか、そういう行事ごとになんかちょっと、あ、なんかクリスマスになりましたねみたいな送って何も来ないみたいな、そういう状況だったんですよね。
いや、これもう1回、1回死んだんですね。1回死んだのをこれなんとかしなくちゃいけないと思って、ちょうどYouTube始めたばっかだし、YouTubeのそういうちょっと真面目系な医師とインタビューするみたいな企画のアシスタントだったら。その彼女は当時そういう、あ、その時はやってなかったけど、昔そういう芸能活動みたいなこともしてたんで、結構そういうのもやってくれるんだと思うんですよ。だからちょっとこういうの真面目に考えてて、お願いしてもいいですかっていうのが4個目のLINEで、それは返信してくれたんですよ。あ、じゃあいいですよ、やりますって言って。
そっからそのライブをやるようになって、インタビューをやるようになって、それがもう結構やったんですよ。もう累計100何個ぐらいやってて。で、そのやっていく中でちょっとずつ、ちょっとずつ仲良くなって、インタビューやってもらってるし、僕日本に行った時に是非ご飯でも奢らせてくださいって言って。で、そこでご飯を通して、いや、あの、ちょっと実はそのあれなんですよみたいな、あの、男女でお付き合いしたいんですよみたいな話をして。そこでは返事は別にイエスではなかったですけど、そっからこううまくあれしてなんとかなったっていう。だから、ま、そこがあの、そのインタビューをしたきっかけっていうとこなんですね。
気になったんですけど、今ここにゴリゴリ日本じゃないですか?で、普段はシカゴじゃないですか?結構なんて言うんですかね?フレックスみたいな感じなんですか?
はい。や、えっと、もう常にシカゴで働いてて、ま、休みの時とか。え、今だったら今回学会があったんですよ。学会ってのは、ま、医者がこう集まっていろんな発表とかプレゼンをする場なんですけども、大体3日間ぐらい行われてて、で、それが先週末ぐらいにあったんで、その時期に合わせて僕は帰ってきたって感じですね。
あ、学会発表とかもされてるんですか?いや、それは出てないですけど、学会には、あの、日程的に学会の時に来た方が、あの、休み取りやすいから、あの、それで来て、学会はちょっと残念ながら出られなかったです。
最後にこのチャンネル、その20〜30代ぐらいの、ま、学生とか若者が多いんですけど、そこの層に何でもいいので一言もらうっていうのはあります。
はい。そうですか。はい、わかりました。はい、分かりました。誰もそのあんまりあなたたちのこととか自分たちのことをそんなに見てないから、もう自由に好きなようにやったらいいんじゃないかっていうのはすごく思います。
はい。僕がこの格好でホテルからここに来ても別に誰も見てないんですよ。誰も別に注目もしてないし、僕はここで踊ろうがなんだろうが、明日になったらもう忘れてるんです、そんなこと。誰もお前のことなんか見てないから、自分がやりたいように好きなようにやっていくっていうことを考えていた方が楽しい人生を送れるんじゃないかなっていう風に思うんで。周りからネガティブなことを言われたりとか意識してしまってるような人っていうのは、僕を見て、あんな格好してても別に誰に何も言われてもいいんだなっていう風に思ってもらえればいいかなっていう風に思っています。
はい、今日ありがとうございます。ありがとうございます。
だけなのに この町の空に こんな時代のそばに もいなくて
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