慶應志木から慶應医学部、シカゴ大学の心臓外科医へ 「本物の外科医」北原大翔が語る経歴と理不尽への対処法

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概要

心臓のかぶり物をつけて「心臓もみもみ、あなたのハートをわし掴み」と名乗る北原大翔は、米国シカゴ大学で心臓外科医として働いている。医学生の聞き手たち(京都大学医学部6年生を含む)を前に、北原は中学・高校時代の勉強法から慶應義塾大学医学部への内部進学、日本での8年間の心臓外科医生活、渡米の経緯、日米の収入の違いまでを語った。話の随所に出てきたのは、医療の世界の理不尽とどう付き合うかというテーマだった。

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美容外科医のパロディ写真がバズった経緯

北原がX(旧Twitter)で注目された一件から話は始まる。ある美容外科医が別の病院へ移ると告知する際、華やかな写真を4枚投稿した。これに対して「恋愛リアリティ番組で自己紹介する女子高生のような写真をなぜ上げるのか」といった、誹謗中傷に近い反応が集まった。北原はそれを面白いと思い、妻に頼んで同じ構図の写真を4枚撮ってもらい投稿したところ、これがバズった。

反応の中には、北原が「本物の外科医」を名乗るのは美容外科を本物ではないと見なしているからで、この写真には「本物の外科医である自分こそが」というメッセージが込められている、と解釈する投稿が多かった。北原はこれを否定する。メッセージ性はなく、美容外科への偏見もない。そもそも他人の職業がどうかには関心がないという。北原の考えでは、専門を持ってそれをやりたい人がいれば、目的が金を稼ぐことでも、楽をすることでも、美容を極めることでも関係ない。自分も「明日美容に行ってもいいぐらい」だと話した。

聞き手の一人もこれに同調した。今の医師の働き方の現状とルッキズムの広がりを考えれば、美容外科の需要が上がるのは仕方がないと見ているという。

中野区の公立中学から慶應志木へ

北原は東京都中野区の出身である。父はシステム関係の仕事、母は漬物店で働いており、医師の家系ではない。親から医者になれと言われたこともなかった。

中学受験はしていない。2歳上の姉が中学受験で苦労しているのを見て、自分は絶対にしたくないと思ったからだ。区立の中野第四中学校に進み、成績は学年でトップ層だったという。

高校選びの基準は共学であることだった。中学2〜3年生の北原は、女子と過ごす時間に「夢を見ちゃった」と振り返る(実際に行ってみるとそうでもなかったとも付け加えている)。北原の説明では、偏差値の高い高校で共学となると国立か都立の上位校に限られ、私立の上位校は男子校か女子校ばかりだった。そこで国立大学の附属高校(筑波大附属か学芸大附属か、本人は覚えていない)を第一志望にしたが、5教科のうち社会と国語が壊滅的で不合格となり、合格していた慶應義塾志木高校に進んだ。

医学部を意識したのは高1の中間テスト後

医学部を目指すきっかけは、高校1年の中間テストだった。部活の顧問がその結果を見て、このまま頑張れば医学部に内部推薦で行けると声をかけた。北原によれば、慶應志木は1学年240人で、そのうち6人ほどが医学部に進める。推薦は毎年の成績の積み重ねで決まるため、北原はそのテストの後から本格的に勉強に取り組んだ。

最終的な順位は「多分1位」だったという。ただし評価の対象は全教科で、国語や数学だけでなく体育・美術・音楽も含まれる。体育では立位体前屈に点数基準があったため、毎日ストレッチをし、効果があるかは分からないと言いつつお酢も飲んで記録を伸ばした。

美術は下手だったので、別の方法で点数を取った。時間をかけて描き、先生に「この描き方で大丈夫でしょうか」と相談し、ゴッホの絵からインスピレーションを受けたと話して、やる気のある生徒だと思わせた。北原はこれを、才能やセンスではなく「タクティクス」で点数を取る方法だと表現する。

聞き手から、研修医でもこうしたやる気アピールは大事かと問われ、北原は「結局そこだけなんですよ、見てるの」と答えた。裏でタバコを吸って休んでいても表で頑張っている姿を見せる人の方が、黙々と予習・復習をして何も言わない人より評価される。北原はそれも理不尽の一つだとしている。

医療の世界の理不尽と、その中での生き方

途中、聞き手の一人が、慶應医学部の面接で準備をせずに臨み、面接官に言い返してしまって不合格になった経験を明かした。その聞き手は来年医師になる予定かと聞かれて「医者にならない」と答えた。周囲の医師が人の悪口を言うのを聞くのが嫌で、自分もそうなるのではないかと怖くなったという。

北原はこの判断に一定の理解を示し、医療の世界がなぜ理不尽になりやすいかを自分の見方として説明した。医療は白黒がはっきりしないグレーな世界で、教科書の知識がそのまま当てはまらず、答えの分からないまま物事が進む。正解をはっきり言えない以上、人は感情で動けてしまい、理不尽なことが起きる。とても優秀な人の下につければよいが、それは運次第で、悪口や理不尽な言動がある職場はいくらでもある。それを飲み込んでいくのが医師の世界で、「本当に利口な人はそんなところにいちゃいけない」のかもしれないと北原は言う。

では北原自身はどうしているのか。本人の言葉では「今も頑張っている」。理不尽が楽しいわけではないが、慣れてしまったし攻略方法も分かっている。そのうえで自分のハッピネスを保てる形を作ってきた、というのが北原の説明である。

慶應医学部での生活とアメフト

慶應医学部に進んでからの成績は、平均より下だが最下位層ではない「微妙なライン」だったという。聞き手から試験前に徹夜していたのではと振られると、北原は徹夜はしない派だったと答えた。試験の1週間前から、徹夜が要らない程度に準備する。寝ないと頭が働かず、試験中に頭を使って「0から1を生み出す」部分で点を取ることが大事だと考えていたからだ。暗記の時間を削ってでも睡眠を取り、その分クリエイティブな部分で点を取る方針だった。

勉強以外の時間は部活とアルバイトに使った。部活はアメリカンフットボール部で、勧誘で「モテるぞ」と言われて入部した。高校ではバスケットボールをしていたがあまりうまくなく、アメフトなら全員初心者から始めるので上達できる可能性があると考えた。足が速かったこともあり、医科歯科系のリーグでは良いポジションにいたという。

心臓のかぶり物とYouTubeを始めた理由

心臓のかぶり物は、かぶり物の専門サイトに特注したもので、北原は色を塗っただけだという。以前はかぶり物にトイレットペーパーを付け、毎回色を塗っていた。しかし外科医として働く自分がなぜトイレットペーパーに色を塗って頭に付けなければならないのかと思い、金で解決することにした。聞き手から「塗る時点でもう外科医の仕事ではない」と突っ込まれると、何も言い返せないと笑った。

こうした活動に強い思いがあるのかと聞かれると、北原は「ないです」と答えた。チャンネルはもともと、北原が代表理事を務める医学生・医師の海外留学支援団体の情報発信の場で、海外で働く日本人医師にインタビューする動画を出していた。やがてそれがつまらなく感じられ、医療関係者以外に向けた動画を投稿するようになり、そちらが伸びて登録者が増えた。始めた理由は、コロナ禍で暇だったこと、登録者を増やしたかったこと、そのために何か面白いことをする必要があったことだという。北原は自分を「YouTuberです」と言い切った。

心臓外科を選んだ理由と、日米の診療科選択の違い

慶應医学部を卒業後の2年間の初期研修では、さまざまな診療科を回る。北原は当初、手を動かしたいという理由で、産婦人科や整形外科など外科系を考えていた。心臓外科を回ったとき、胸を開けると心臓が「ドクン、ドクン」と動いていて、それを手術するダイナミックさに惹かれ、心臓外科医を志した。

北原によれば、アメリカでは診療科ごとに定員があり、希望しても入れないことがある。日本では、たとえ100人全員が美容外科に行きたいと言っても誰も止められない。聞き手はこれに関連して、日本では人気を理由に特定の科へ人が偏ることが問題になっていると指摘した。アメリカでは眼科の枠がとても限られていてエリートと見なされると聞き手が話すと、北原も皮膚科や形成外科を挙げ、よく勉強して論文を書く優秀な人しか入れないと応じた。

日本での8年間と、固定給への疑問

北原は日本で8年間、心臓外科医として働いた。慶應の医局に入り、半年ほど東京大学や旭川医科大学でも研修した。

日本の外科医の年収について、北原はおおよその目安として次の数字を挙げた。初期研修を終えた外科1年目で800万円程度、心臓外科に進むと1100万円程度、少し上の立場で1500万円程度、部長クラスで2000万円程度。聞き手が、日本の心臓外科は手術が夜9時や翌日まで続くこともあり実質的な時給は低いのではと問うと、北原もそれを認めた。

北原が問題にしたのは給与体系だった。日本では契約によるものの、ほとんどの病院が固定給で、時間外手当が少し出る程度だという。手術件数に応じた報酬はほとんどなく、年間200件やっても100件やっても給料はあまり変わらない。聞き手が「件数が少ない方が得になるのか」と聞くと、北原は理屈の上ではそうだと認めた。年間1件なら1件あたり2000万円で野球選手のようだが、そんな医師を病院は置いておかないし、経験も落ちる。手術をしたくて心臓外科医になったのに、それでは意味が分からなくなる。

北原の実感では、若いうちはたくさん手術をしたいと思うが、どこかの時点で、どれだけ手術ができるようになってもプラスにならないことに疑問が湧いてくる。たくさん手術をしたくて心臓外科医になったのに、やればやるだけ大変になるだけだと感じる。日本で心臓外科医として幸せに働いている人も多いと前置きしたうえで、自分には合わなかったと北原は話した。

アメリカではインセンティブがあり、手術件数に応じて報酬が支払われる契約もあると北原は説明する。例として、1日に5件の手術を組み、手術室を2つ使って時間をずらして進め、外科医が部屋を行き来して全件を担当すると、1日で数百万円を稼ぐ人もいるという。

渡米の準備と米国医師国家試験

アメリカで働くには、米国の医師国家試験に合格し、さらに働き先がポジションを空けてくれなければならない。北原はこれらを日本にいる間に準備した。

渡米を考え始めたのは初期研修を終えた頃で、もっと早い人は学生時代から考えているという。試験は3段階に分かれており、北原は時間をかけて少しずつ受けた。北原によれば、最初の試験を受けてから7年以内にすべて取得しなければならないというルールがあり、北原は5年ほどで取得した。学生のうちに深く考えずに受け始めるとカウントが始まってしまうため、今の学生は計画を立てて最初の受験時期を決めていると聞くという。

毎年1人程度の枠と、15分のZoom面接

シカゴ大学には2016年、トレーニー(訓練を受ける立場)として渡った。この枠は毎年1人程度だという。ただ北原は、これが特別に華やかなポジションではないと強調する。馬車馬のように働かされ、給料もそれほど高くないため、本当に訓練や修練を積みたい人が希望する枠だという。それでも45人ほどが応募し、日本・インド・中国などから人が集まる。募集は病院ごとに不定期で、4月スタートのように決まっているわけでもなく、ジョブサイトに出る求人をチェックして応募する。

選考はZoomでのインタビューで、英語力、経験、手術件数などを見られる。トレーニーなので全部自分でやってきたというわけではないが、どれだけの手術を経験しどこまでできるか、アメリカで何をしたいかを話すことになる。当時の北原は英語がほとんど話せず、友人と繰り返し練習して臨んだ。

ところが面接ではトップのチーフが15分間ずっと話し続け、仕事の内容や北原にしてもらうことを説明した。最後に質問はあるかと聞かれて「No」と答え、面接は終わった。それで採用されたので、北原はほぼ最初から決まっていたのだろうと推測している。他の候補者と比べて、よほど変でなければこの人でいい、という判断だったのではないかという。

北原はこの面接を、英語の聞き取り能力を試されたのではないかと振り返る。北原には「聞き取れないけど聞いている風にする」能力があり、騒がしい飲み会で小声の上司の話が2時間何一つ聞こえなくても会話を成立させられるほどだという。面接でも「I see」「Yes」と相づちを打ち続けた結果、英語が話せると判断されたらしい。実際に渡米すると英語は壊滅的だと言われ、毎週英語のクラスに通うよう指示された。北原は現地の駐在員の妻たちと一緒にレッスンを受けていた時期があるという。聞き手から、これが理不尽の中で生きていく術かと問われ、北原は「全てだと思います」と答えた。

アメリカでの収入と、大学病院と一般病院の差

2016年に渡米して9年目になる。トレーニー時代の給与は8万ドルで、手取りは5〜6万ドル、北原の換算で800万円ほどだった。日本の研修医よりは高いが、物価が日本の3倍ほどなので生活は楽ではなかったという。大きく上がるのは、トレーニングを終えて心臓外科医として独立してからだ。

北原はまず日本の構造を説明した。日本でも大学病院より一般病院の方が給料が高く、外科医なら大学病院で年収800万円、一般病院で1500万円といった差がある。そのため大学病院の医師は、少なくとも北原の在籍当時はアルバイトをしていた。北原は週1回、透析病院で患者を診るアルバイトをしており、1日約10万円で月4回なら40万円になる。大学からの給料約40万円と合わせて月80万円、年間で960万円ほどが大学勤務の一般的な姿だったという。一般病院なら病院から1500万円が出るので、アルバイトは必要ない。

アメリカも同じく一般病院の方が高いが、規模が違うと北原は言う。一般病院で新たに心臓外科医として働き始める人でも、5000万〜6000万円ほどもらえることがある。また、ニューヨークやロサンゼルスのような大都市は給料が低く、アラバマやユタのように人があまり行かない地域では給料が大きく上がる。地域による差は日本にもあるが、その上がり幅が桁違いだという。

年収1億円プレイヤーなのかと聞かれると、北原は「微妙なところ」と濁した。税金も物価も違うので一概には比べられないとしつつ、日本で1億円を稼ぐのは突出した人でなければ難しいだろうと述べた。

留学支援団体と、妻との出会い

北原が代表理事を務める団体は、2016年にシカゴ大学に来たときに立ち上げたものだ。当時、海外で医師として働くための情報はブログくらいしかなく、トレーニーの枠がどういうものかを一から説明してくれる情報源はほとんどなかった。自分の経験を元に情報を発信したいと考えて作ったという。現在は情報発信やかぶり物での活動も含めて、団体の活動になっている。

2022年に結婚した妻とは、YouTubeを通じて出会った。日本人医師へのインタビュー動画のアシスタントを務めてもらったのが今の妻だが、北原によれば順番は逆で、仲良くなりたくてアシスタントをお願いしたのだという。知人の紹介で知り合ったものの、北原はアメリカ、相手は日本にいたためLINEでしかやり取りできなかった。3回ほどで音信不通になり、1週間後に送っても既読がつくだけ、クリスマスなどの行事に合わせて送っても返事は来なかった。

そこで北原は、始めたばかりのYouTubeで医師にインタビューする真面目な企画のアシスタントを頼むことにした。相手は以前に芸能活動をしていたこともあり、4通目のこの依頼には返信が来た。インタビューは累計100本以上になり、その中で少しずつ親しくなった。日本に行った際に食事に誘い、男女として会いたいと伝えた。その場での返事はイエスではなかったが、その後うまくいったという。

今回の一時帰国は、医師が集まって発表する3日間ほどの学会に合わせたものだった。学会に合わせると休みを取りやすいからだが、学会自体には結局出られなかったと北原は笑った。

若い世代へのメッセージ

最後に、チャンネルの視聴者層である20〜30代の学生や若者に向けて一言を求められ、北原は「誰もあなたたちのことをそんなに見ていない」と答えた。自分がこの格好でホテルから収録場所まで来ても、誰も注目していない。ここで踊っても明日には忘れられている。だから自分がやりたいように、好きなようにやっていく方が楽しい人生を送れるのではないか、と北原は話した。周りからネガティブなことを言われたり、それを気にしてしまったりする人には、あんな格好をしていても何も言われないのだと思ってもらえればいい、というのが北原の締めくくりの言葉だった。