フィリピンの数字くじとジャンクション写真集の共通点――「プロジェクション」という見方
ゆる言語学ラジオゆる言語学ラジオの水野太貴は、この回で2冊の本が自分の中で繋がった話をしたいと切り出す。1冊はフィリピンの賭博を調べた文化人類学の研究書、もう1冊は高速道路のジャンクションの写真集である。聞き手の堀元見は「繋がる要素が1個もない」と驚く。水野は、この2冊は表向きまったく違う題材を扱いながら、どちらも認知科学でいう「プロジェクション」という人間の能力を描いていると読めた、と話す。言語学とは関係のない、久々の「どうしても喋らせろ」回である。
1冊目:『日々賭けをする人々』
最初に紹介されるのは『日々賭けをする人々:フィリピン闘鶏と数字くじの意味世界』である。水野によれば、2022年に京都大学で博士号を取得した文化人類学者の博士論文をもとにした本で、著者はフィリピンでフィールドワークを行い、賭博を調査した。副題のとおり、中心となるのは闘鶏と数字くじだ。数字くじは日本のロト6のようなものだと水野は説明する。
水野はこの本の面白さを、「なぜフィリピンの人たちは、くそつまらない数字くじに熱狂しているのか」という問いにまとめる。
数字くじは「つまらない」
著者が扱う数字くじは「ラスト」と呼ばれる。2桁の数字に賭け、当局が発表した当選番号と一致すればお金が戻ってくる。83や65に賭けて、結果は92だった、というような単純な賭けである。払い戻しは70倍から80倍で、当選確率を考えれば必ず損をする仕組みになっている。
著者は本の中で、暇つぶしとしての魅力がないと書いているという。水野はさらに、自分の力量が発揮されている実感が乏しい点を著者が重要なポイントとして挙げていると紹介する。堀元も、予想の腕が上がるわけでもないので競馬のほうが面白いと同意する。そもそも当たらない。
それでもフィリピンの人々はこのくじに熱中している。著者が冒頭に書いている場面では、子どもを病院に連れて行くお金がなく、薬も買えずに取り乱している親が、数字くじに熱中していた。著者はこれを「異様」だと書いているという。本の第2章はフィリピンの賭博史を扱っており、数字くじの収益が政治家の活動資金になるなど、国家を動かすほどの人気があったことも紹介されている。
意見を求められた堀元は、冗談めかしながら「フィリピンには娯楽が少ないのでは」と答えてしまい、水野に「聞かなきゃよかった」と言われる。水野によれば、著者自身もフィールドに入る前は「フィリピンの人たちは確率の理解が苦手なのでは」という仮説を持っていた。しかし学校では普通に数学も確率も習っている。それなのに数字くじに熱中している。この状況を不思議に思ったことが調査の出発点だったという。
「数字を持っている」ときだけ賭ける
調査から見えてきたのは、彼らが毎回くじを買うわけではないということだった。熱狂しているのに、賭けるタイミングが決まっている。それは「数字を持っている」ときだ。
ラッキーナンバー、自分の年齢、誕生日、夢で見た数字などがあるとき、人々は「私は今、数字を持っている」と表現するという。堀元が「年齢ならいつでもあるのでは」と指摘すると、水野は恒常的に持っている数字もあると認めたうえで、より典型的なのは夢で見た数字のように一時的に現れるものだと説明する。堀元は「自分の中でホットな数字があるタイミング」と言い換え、33歳になったばかりのときに33に賭けたくなるような感覚ではないかと推測する。
数字の見つけ方には独自の方法も発達している。過去の当選番号の法則性を探り、偶数が続いたから次も偶数だと予想する。前回の当選番号が15なら、カレンダー上でその上下左右にある数字を使う。数字予想新聞まであるといい、堀元は競馬新聞のようだと感想を述べる。
死と数字、日常の中の数字探し
著者が驚いたこととして水野が挙げるのは、訃報のときの行動である。誰かが亡くなると、人々は故人の享年に賭ける。75歳で亡くなった人がいれば、まず75に賭ける。さらにお通夜では、棺の周りで数字を探し始める。アルコール消毒液のボトルのバーコードから数字を拾ったり、故人の生まれ年や誕生日に賭けたりするという。
ほかにも、どこかへ向かう途中にある数字が目に飛び込んできて、それに賭けることもある。堀元はこれを、山崎まさよしの「One more time, One more chance」をもじって「数字くじタイム、数字くじチャンス」と表現する。彼らはいつもどこかにくじの数字を探しながら生きている、というわけだ。
裏を返せば、賭ける数字が思い浮かばないときは賭けない。ギャンブル依存症のように毎回賭けるのではなく、数字を持っているときに賭ける。もちろん賭け続ける人もいるが、庶民の日常的な賭け方はこうしたものだと水野は説明する。
G1レースだけ買う競馬ファンとの比較
堀元は、大きなG1レースのときだけ馬券を買い、それ以外は買わないライトな競馬ファンに似ているのではないかと言う。水野はこれに同意しつつ、違いも指摘する。日本ではそういうライトな競馬ファンはそれほど多くない。一方、フィリピンの数字くじは庶民に深く浸透していて、ほとんどの人がG1レースのときだけ参加するような状態にある。量的にも質的にも違う、という整理である。
脱線:ペプシの番号キャンペーンと、アジアの数字くじ
ここで堀元が、フィリピンのくじにまつわる事件を思い出す。ペプシコーラが瓶の蓋に番号を印刷し、後で当たり番号を発表して当選者に賞金を出すというキャンペーンを行った。ところがミスプリントで当たりを大量に出してしまい、支払えないとして払わなかったため暴動が起きた。堀元はそのドキュメンタリーを見て、人々が瓶を割っている悲惨な映像を覚えているという。
水野は、これは笑い事ではなく死者も出ていると補う。水野の説明では、死者が2人出て、38台のトラックが破壊された。ミスプリント分も支払っていれば、その額はマニラの証券取引所に上場する全企業の時価総額を上回ったという。堀元は、日本でいえば東証の全上場企業の時価総額を超えるような額だと驚く。この事件はイグノーベル平和賞を受賞しており、水野は「何も平和じゃない」皮肉だと述べる。水野が読んだ文献には、ペプシはフィリピンでギャンブルが人気なことを知っていて、ギャンブル性の高い販促を考えたと書かれていたという。
堀元はさらに、台湾でレシートを店の前に捨てる人が多いことが問題になり、レシートにくじを付けたら人々が取っておくようになったという話を聞いたと紹介する。そこから、アジア圏の人は数字を当てるのが好きなのではないかと推測する。日本の年賀状にもくじが付いているし、江戸時代の富くじも数字くじだったのではないかと話が広がる。一方で、西洋の数字くじはあまりイメージが湧かない、映画でも見かけないと2人は話す。ただし、これはあくまで2人の印象として語られている。
数字くじは「幸運」を確かめる装置
水野は本題に戻り、この本を読んで「数字くじはよくできている」と感じたと話す。その理由として紹介されるのが、著者のもう一つの洞察である。
自分が今ついているのか、ついていないのかを直接確かめる方法はふつうない。しかし著者は、フィリピンの数字くじは人々に幸運について認識する機会を提供している、と主張しているという。当たればついているし、外れればついていない。さらに、64に賭けて65が出るようなことが続けば、それも「今来ている」と受け取られる。水野によれば、幸運の兆しはかなり広く捉えられている。
堀元は、1つ隣の数字だったからといってついているわけではない、オカルトだと突っ込む。水野は、自分の祖母もビンゴで64が読まれて65を持っていると「惜しい」とすぐ言い、父に「惜しくない」と言われ続けていると応じる。そこから、水野家が家族でビンゴ大会をしているという話で盛り上がる。姉がカードを用意し、景品を一人一つずつ買ってくる。祖母はビンゴにならないと悪態をついてカードを投げ捨てるという。
堀元は、前後賞もないくじで隣の数字にこだわる意味はなく、期待値計算だけをして生きるのが合理的だと言う。水野に「文化人類学を語るな」と返され、堀元がフィールドワーク先でDXコンサルを始めるという冗談に発展する。
日本の星座占いとの類比
数字くじが幸運を確かめるツールとして機能しているという指摘を聞いて、水野が思ったことがある。もしフィリピンの文化人類学者が日本を調査したら、毎朝のニュースで星座占いが流れているのを見て、日本人は面白みのない星座占いを通じて自分の運勢を間接的に把握しているのかもしれない、という博士論文を書くのではないか。
つまり、堀元が非科学的だとか娯楽がないのではと言ったフィリピンの数字くじと同じようなことを、日本でも日常的にやっているというのが水野の見方である。堀元は再び皮肉を言いかけて水野にたしなめられ、ああいうものがあるから日常にメリハリがつく、と言い直す。
水野は前半をこうまとめる。フィリピンの人々は数字くじに熱狂しているが、それは依存症的な熱狂ではない。賭けるべき数字を持っているときに賭け、持っていないときは賭けないというスタイルで向き合っている。そして日本に置き換えれば、朝のニュースの星座占いとあまり変わらないのではないか。堀元もこれには説得力があると認める。
2冊目:写真集『ジャンクション』
続いて写真集の話に移る。堀元は「日本でジャンクションが売られていて、賭けるべきジャンクションを持っているときだけ日本人が賭けている、と気づいたのでは」とボケるが、もちろんそうではない。
『ジャンクション』は2007年に出た写真集で、最近『マンションポエム東京論』を出した写真家・ライターの大山顕が独立したばかりの頃の初期作だと水野は紹介する。ジャンクションは高速道路どうしを連結する分岐部分で、大山はそれを美しくてしょうがないと感じていたようだ、と水野は話す。
本の冒頭ではジャンクションが分類されている。タービン型、クローバー型、対向型、T型、トランペット型などがあり、クローバー型は佐賀県の鳥栖ジャンクション1例のみで、「とても貴重なトポロジー」と書かれているという。堀元は「トポロジーって言っちゃってる」と笑う。水野は、全く違う方向へ向かう道路を支障なくすれ違わせるには、高さやカーブを工夫して繋げる必要があるので、トポロジーを考えざるを得ないと補う。
分類の前のページでは、ジャンクションの「部位」も解説されている。「足」や「腕」といった呼び方があり、どこが面白いのかが説明されている。堀元が特に鋭いと感じたのは、下から見上げたときに見える「裏テクスチャ」についての大山の論評である。道路は表を美しくすればするほど裏テクスチャが荒れる。だから裏側が汚く整然としていないほど、表は美しいのだという趣旨だという。堀元は、白鳥が優雅に見えても水面下では必死に足を動かしているという決まり文句を、今後は高速道路の裏テクスチャで言い換えたいと話す。水野は「伝わらない慣用句を1個見出してしまった」と笑う。
名ジャンクションのキャプションに見える「言いすぎ」
写真集の本編では、大山が選んだ名ジャンクションの写真に、キャプションが添えられている。水野はそこに注目する。
東京都の両国ジャンクションでは、「ジャンクションを見るために用意されたかのような」親水公園があるので落ち着いて鑑賞できる、と書かれている。小菅ジャンクションでは、下を走る一般道もジャンクションと同じT字路になっていて、上下に同じ形が2つ重なっているのが興味深いという。さらに、すぐ南で綾瀬川と荒川が合流し、電車も常磐線と東武伊勢崎線が交差している。いわば色々なものがこの町でジャンクションしており、ジャンクションは「交差する町・小菅」の象徴に見える、と書かれている。堀元は、川も道も電車も交差しているというのはいい気づきだと感心する。水野は、こうした視点がキャプションにふんだんに書かれているため、ジャンクションに興味がなくても読ませる力があると評価する。
東京の江戸橋ジャンクションについては、周囲がビルだらけで鑑賞ポイントは限られるが、最もおすすめは兜神社の裏だと書かれている。聞けば証券界の守り神と言われているらしいが、どう見てもジャンクションの守り神だと思う、というのである。堀元は、兜町は証券会社の本拠地なのだから証券界の守り神に決まっている、言いすぎだと突っ込む。
水野も、両国の親水公園を「ジャンクションを見るために用意されたかのよう」と言い、小菅ジャンクションを町の象徴とし、兜神社をジャンクションの守り神だと決めつけるのは、確かに言いすぎだと認める。そして、この「決めつけ」こそがフィリピンの数字くじとの共通点だと言う。
共通点は「プロジェクション」
水野は答えを明かす前に、堀元にいくつか問いかける。カレンダーは数字くじの当たりのヒントを提供するために存在しているか。堀元は、曜日を確認したり予定を書き込んだりするためだと答える。兜神社はジャンクションの守り神になるために存在しているか。もちろん違う。小菅ジャンクションは、色々なものが交差する町を象徴するために存在しているか。必要だったからそこにあるだけだ。
水野によれば、大山もフィリピンの数字くじの参加者も、ある目的のために存在しているものに、別の意味付けを行っている。これが、近年の認知科学で注目されている「プロジェクション(投射)」という概念だという。ある対象物Aに対して、まったく別のBを心理的に当てはめることをプロジェクションと呼ぶ。証券界の守り神を見て「これはジャンクションの守り神だ」と思うのは、まさにその例である。
この概念は、以前の回で小林・益川理論と腐女子の二次創作を扱ったときにも登場していた。水野は、『日々賭けをする人々』も『ジャンクション』も、表のテーマはまったく違うが、裏のテーマとしてプロジェクションという認知能力を描いていると読める、と説明する。だから2冊が繋がったのである。
次回は専門家を招いて
水野は最近このプロジェクションという概念にはまっており、これらの本に限らず、世界をプロジェクションという概念で見るとめっちゃ面白くなると考えている。そこで次回は、この認知能力の面白さを堀元に布教したいという。
ただし水野自身はプロジェクションを専門的に勉強してきたわけではない。そこで、以前の「語らせろ」回で論理的思考の文化的基盤について話したときと同じように、後編では専門家をゲストに招いて3人で話す形式をとる。ゲストは、小林・益川理論と腐女子の二次創作についての論文を書いた久保先生である。水野によれば、久保先生は「プロジェクションの布教し放題だ」と張り切っており、推し活のつもりで来ると話していたという。
予習したい人には、今回の2冊に加えて、久保先生の一般書『「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』と『イマジナリー・ネガティブ 認知科学で読み解く「こころ」の闇』が紹介された。プロジェクションが具体的にどう面白いのかは、次回に持ち越しとなっている。
ゆる言語学ラジオ。
ある本とある本が繋がった瞬間って。あ、あるある。めっちゃ気持ちいいよね。気持ちいいよね、あれ。僕今日それでどうしても気持ちよかったから喋らしてっていう話がありまして、フィリピンの賭博について文化人類学者が調査した本と、ほう、この高速道路のジャンクションの写真集が僕の中で繋がりまして。
違いすぎる。違いすぎる。繋がる要素1個もないよ、これで。フィリピンの賭博の本と高速道路のジャンクションの写真集でしょ。はい。そう。逆じゃん。え、そう、対義じゃん。対義じゃないすよ。単語ベクトル全く逆の2つを出したらそうなるよね。
これがね、繋がったって話を今日したいと思うんで、どう繋がるか、もしあれだったら予測してみてください。無理だと思うけどな。
ということで今回久々に、言語とか関係ないけどどうしても喋らせろです。いいですね。先ほど2冊の本挙げましたけれども、順に説明していきますね、どんな本なのか。
1つ目がこの『日々賭けをする人々』。うん。うん。「フィリピン闘鶏と数字くじの意味世界」という本なんですけど、これあの2022年に京大で博士号を取られた文化人類学者の師田史子先生の博士論文本なんですね。ほうほう。フィリピンでフィールドワークして賭博の調査を行ったと。で、サブタイトルにもあるんですけど、特にフィーチャーされてるのが闘鶏、はあ、あの、戦わせるやつと、数字くじ。これあの日本でいうロト6みたいなやつね。
僕なりにこの本の面白さを1番ソリッドな形で抽出すると、こういう問いに還元される。うん。なぜフィリピンの人たちはくっそつまらん数字くじに熱狂してるのか。へえ。あ、それ面白いかも。という問いになるんですね。つまんないんだ、数字くじ。つまらんらしい。へえ。
ちょっと説明していきますね。著者がテーマにしているその数字くじってのは「ラスト」っていう数字くじなんですけど、ざっくり言うと2桁の数字に賭けて、当局がこの当選番号を出して、それと一致してたらお金が返ってくるっていう。2桁?はい。83とかそういうこと?そう。83とか65とか賭けて、92でしたみたいなっていう。つまんなそう。賭けなんですよ。つまんないね。
確率だから何か分かりますよね、当選する確率。え、だから100分の1なんですけど、払い戻しはですね、70倍から80倍なんですね。うん。うん。だから損するってことよね。必ず損するっていう仕組みになっているんですよ。なので著者はね、本の中でですね、暇つぶしとして魅力がないと書いてますね。ばっさりじゃん。でもそうだよね。うん。Netflixとか見てた方が楽しい。面白いよね。
で、それからあともう1個指摘してるのが大事なポイントで、自分の力能が発揮されてるという実感が乏しい。いや、絶対そう。絶対そう。だって上手くならないんだもん。競馬とかのが面白いよね。そうですよね。で、あとそもそも当たらない。うん。つまんないな。っていうこのつまんないこと尽くめの数字くじにですね、確かに、フィリピンの人は熱狂してましてね。
著者が冒頭に書いてるシーンがある。親が、子供がね、病院にかかるお金がなくて薬を買えないっていうので取り乱してる状況で、数字くじに熱中していたっていう。なんで。貯めときなさいよ。そのお金必要なんだから。いやいやいやいや。だめですよ、そんな使っちゃ。著者はね、こう書いてます。「異様だ」って。いや、そうだろ。そりゃそうだろ。はい。え、なんでそんなことになんだろう。うん。不思議だね。
それからこの本の中の2章がね、フィリピンのその賭博の歴史について書いてあるんですけど、実際この数字くじって国家を大きく動かすほど人気だった。そんなに。ですね。例えば数字くじの収益が資金源になって政治家がそれで政治活動するとか、そういったようにフィリピンの歴史を左右したものでもあるんですよ。一応このタイミングで堀元さんに聞いてみましょうか。なんでフィリピンの人たちはこんな数字くじに熱狂するんだと思いますか?
全くわかんねえ。わからんよね。だからこの問いは面白いんよ。でも、あの、思ってないすよ。そんなこと思ってないですけど、フィリピンって娯楽ないんじゃないですか?おい、おい、おい、おい。なんかやっぱりそのあんまりさ、面白いことがなくてさ、もう数字くじぐらいしかやることないやって思ってんじゃないですか。聞かなきゃよかったです。
え、そんなことは一切思ってないですよ。そんな、そんな国の人をね、そんな悪く言うようなこと、僕は一切良くないと思いますね。え、正直どう思ったんですか?ま、だから娯楽ないんじゃないですか、他に。聞かなきゃよかった。あの、炎上してください、早く。思ってない。本当に思ってない。ちょ、ちょ、極端なこと言うとそうだなっていう。まあ、まあ、でも、あの、そこまで言わないにしても、ちょっともしかしたらそうなのかなっていう。フィリピン娯楽少なめだったりするのかなと思いましたね。
ま、あの著者も実は本の中で、フィリピンの人たち確率を理解するの苦手なのではみたいな。あ、まずいな、ちょっとな。そう、仮説というか。で、実際は別に数学の授業とかで確率って当然ですけど習うわけです、普通に。なのに数字くじには熱中しているっていうこの状況をやっぱり不思議に思ってフィールドに入っていくと。
じゃあ、ここでフィリピンの人たちの賭け方、どうやって賭けるのかっていうのを説明していくんですけど、彼らね、毎回数字くじ買うわけじゃないんすよ。あ、そうなんだ。熱狂してんのに。熱狂してんのに。不思議だね。だから熱狂するタイミングがあるんですよ。へえ。どういう時かって言うと、数字を持っている時に賭ける。はい、どういうこと?というような。彼らは自分の数字みたいなものを持っている瞬間と持っていない瞬間があって。ほう。ラッキーナンバーみたいなこと?そう、まさに。あ、そうなんだ。
ラッキーナンバーみたいなものとか、例えば自分の年齢の数字とか、自分の誕生日の数字とか、それから夢で見た数字とか、うん、こういったものがある時に「私は今数字を持っている」と表現するみたいなんですね。はい。あ、でも年齢なんて別にいつもあるじゃん。はい。自分は何歳かって常にあるんだから、持ってない時なんてなくない?うん。あ、そうだね。
その恒常的に持ってる数字っていうのもあるんですけど、もっと典型的なのは、さっき言ったような夢で見た数字とか、え、あとはね、当選番号の数字の法則性を探って次に出る数字を予想するみたいなのが結構フィリピンの中では起きているみたいで、例えばここまでずっと偶数が続いたから次は偶数だとか。はい。うん。だからあれか、自分の中でホットな数字みたいなのがあるタイミングがあるんだ。そうです。そうです。だから年齢とかにしても、多分年取ったばっかりで、俺33歳になったばっかりだみたいな時に33にしたくなるとか、そういうようなことですかね。
そういうことですね。とか、過去の当選番号が例えば15だとしたら、カレンダーで見てその左右上下の数字を使うとか、なんかそういう独自のね、数字予想みたいな方法が確立されているんですよ。自分の理論みたいのがあるんだね。はい。実際ね、数字予想新聞ってのもあるらしい。へえ。あ、熱狂してるね、本当に。はい。そこに載ってる数字、だから競馬新聞みたいな感じですよね。で、そこに賭けるっていうこともあるみたいですね。
著者が驚いたのは他にはね、訃報の連絡。誰かが亡くなったっていうタイミングが来ると、フィリピンの人たちはその人の年齢を賭けるらしいんですよ。へえ。享年何歳を賭けるわけですね。亡くなったって方がいると、その75でまず賭けるとか、あとはお通夜に向かうとですね、人々は棺桶の周りから数字を探し始めるっていうことをするらしく。あ、だから人が亡くなると、ま、不謹慎だけど数字チャンスなわけだ。数字チャンスっていうことですね。
例えばアルコール消毒液のボトルのバーコードから数字を引っ張ってきて賭けたりとか、それから亡くなった人の生まれ年とか生まれ月とか誕生日とかを賭けたりするということなんですね。なるほど。数字を探してるんだな、いつも。そう。実際、今日例えばどこどこに行く途中にこんな数字が目に飛び込んできたんだって言って、その数字に賭けることもあるみたいで。へえ。あれじゃん。でも探しているよ、どっかにくじの数字をってことでしょ。ですよ。ですよね。山崎まさよし的な発想で生きてるんだ、みんな。
そう。そう。だから数字くじタイム、数字くじチャンス。One more time, One more chanceのことをね、数字くじタイム、数字くじチャンスだと思ってるんだ。語呂が最悪ですけど。はい。山崎ラストまさよしさんの。
だから裏を返すと、彼らは数字を持ってない、賭ける数字が思い浮かばない時は賭けないし遠慮する。だからこうギャンブル依存症みたいな感じで毎回毎回賭けるんじゃなくて、持ってる時に賭けるっていう。そうかそうか。確かに競馬狂いの人って毎回参加する感じあるけど、そうじゃないんだね。はい。もちろんハマりまくってる人もいるんですけど、庶民が日常的にやってる行動ってのはこういうふうな賭け方みたいなんですね。うん。なるほど。
競馬ファンもさ、そういう人いるよね。ライトな競馬ファンで、なんて言うんだっけ?G1レース。でっかいレースの時だけ参加して、それ以外は常に馬券買わないっていう人いるけど、そういうノリかもしんないね。うん。で、それがフィリピンの場合は、ほとんどの人がG1レースに行くみたいな感じです。あ、そうか。日本だと別にそんなライトな競馬ファンもいっぱいいないもんね。いないですね。不思議だね。数字くじはもう本当に庶民に浸透してる。へえ。みたいなので、そこはちょっとG1にだけ行く競馬ファンと量的に、そしてもっと質的にも違うところだってことですね。
なるほどね。聞いて思い出したんだけどさ、フィリピンでまたさ、くじ系のうんちく1個あるよね。はいはいはい。ペプシコーラがさ、瓶の蓋に番号書いて、それ後で当たり番号を発表しますと。当たってる人には4万ドルかなんかプレゼントしますよって言ってやったって。みんな熱狂して蓋集めたんだけど、ミスプリントで当たり大量に出しちゃって、何百人とか当選しちゃって、で、全然払えねえなってなって、払いませんって言ったせいで暴動起きた事件ありましたよね。ありました。ああ、知ってた。思い出しました。僕ちょっとこの話する上で全くその雑学を思い出せなかったけど、ありましたね、それ。
はい。あったよね。俺それのドキュメンタリー見て悲惨だなって思った記憶ある。なんかみんな当たった、当たったって寄ってたら、当たったやつ大量にいて、なんかぶち切れて瓶めっちゃみんな割ってた。悲惨な映像だった記憶あります。でもあれ笑い事じゃなくて死者出てるんですよね。あ、そうか。笑い事じゃないね、じゃあ。はい。ペプシの工場12個が民衆に放火されて、これで死者が2人出て、38台のトラックが破壊されたという。すごいね。はい。いや、ミスプリント1つでそんなことなるんだな。
というのも、仮にそのミスプリント分も払い出すと、どれぐらいの額払い出すことになるかってご存じ?マニラの証券取引所に上場してる全企業の時価総額を上回ったらしい。あ、やばいね。それはちょっと出せないすね。日本で言うなら東証のプライム、スタンダード、グロース。うん。全部足して、全部の上場企業の時価総額を上回ってる分ぐらい。何百兆円とかそういう単位だよね。はい。で、暴動が起きたということで、え、イグノーベル平和賞を受賞してました、これで。ああ、そうなんだ。コーラは。何にも平和じゃないけど。ま、だから皮肉ですよね。そうだね。
うん。確かに。だからこれもそういえばフィリピンのギャンブルで、しかも数字だよね。数字ですね。数字系のギャンブル好きなのかなってちょっと聞いてて思いました。実際ペプシはフィリピンでギャンブルが人気なことを知っていて、それでギャンブル性の高い販促活動を考えたって、僕が読んだ文献には載ってましたね。
あともう1個思い出したのがさ、ガンガン出てくるやん。台湾行った時にさ、レシートをみんな店の前に捨てちゃうっていうのが問題になったことあったんですよ。はい。で、それを解決するための発想として、レシートにくじつけて、後で取っといたら当たるよって言ったから、みんなそれを楽しみにするようになったっていう話聞いたんですよ。はははは。だから割とアジア圏の人ってさ、数字当てるの実は好きなのかなってちょっと思いますね。
そうですね。日本だと年賀状にもね、ついてますよ、数字のくじが。年賀状のくじと全く一緒だよね。本題とは関係ないんだけど、取っとくとついでにいいことあるかもみたいなのを、ちょっと得した気持ちになって嬉しいのかも。そうですね。西洋圏って数字のくじってあんまないのかな?なんかあんまイメージなくない?イメージわかないっすよ。映画とか見てても出てこないよね。あれ、ちょっとうろ覚えで恐縮ですけど、江戸時代の富くじとかって、あれも数字くじなのかな?多分。はあ。だからそもそも好きな国民性というか、アジア人好きがちなのかもしんないす。
あのね、この本を僕読んで、そしてそのもう1冊の本と繋がって思ったうちの1つは、数字くじってよくできてるなっていう感想があって。ただ多分今までの話を聞くだけでは、なぜ僕がそう思ったのか分からないと思うんで、ちょっとじゃあ説明戻ってもいいですか?
この著者の洞察でもう1個なるほどと思ったのは、自分が今ついてるかどうかって確認のしようってあんまりないですよね。今俺ついてるなっていうのと、逆に今俺ついてないなってのって、直接的な確かめようがないんだけれども、フィリピンの数字くじってのは、フィリピンの人々に幸運について認識する機会を提供しているのだっていう。へえ。主張しているんですね。ま、だからそのくじ当たってたらついてるし、外れてたらついてないなってことかな。
そうそう。もっと言うと、例えば64番を賭けていて65番が出たみたいなのが続いてるのとかも、彼らにとっては今来てるよみたいなふうになるから、結構広く取ってると思うんですけど。へえ。ま、でもオカルトですけどね、それはね。自分が予想した数字がね、1個隣だったからって別についてるとかないですけどね。
でも僕のおばあちゃんはビンゴで64番って言われて、自分が65持ってると惜しいってすぐ言いますよ。で、惜しくないって父親にずっと言われてます。え、何?家族でビンゴすんの?え。え、俺、俺おばあちゃんがビンゴしてるとこ見たことないんだけど。おばあちゃんビンゴしますよ。ビンゴって70歳以上の人しないでしょ。え?あ、偏見。また偏見2。70以上の人がビンゴしてるイメージ。むしろするだろ、70以上の人でビンゴ。むしろすんの?うん。え、俺そんなイメージなかった。65で引退だと思ってた。
姉貴とかがさ、ビンゴカード用意してさ、配ってさ。え、本当に家でやってる。家でやんだ、ビンゴ。で、景品とかさ、1人1個ずつ買ってってさ、用意してさ。すご。で、ばあちゃんさ、ビンゴできないとさ、外れだねとか言ってさ、あの、悪態ついてさ。お。ビンゴカードとか投げ捨ててさ。すごいね。いや、おばあちゃんのパワフルさもすごいけど、それ以上にこいつ家でビンゴしてるっていう衝撃に今震えが止まらないす、僕。震えが止まらない。家でビンゴするやつなんていちゃいけない。え。この世にいてはいけない。え、そんなに?
理から外れてますよ。世の理から外れた、理外の家族。理外。この理外の一家っていう。怪人みたいに言わないで。福本作品みたいに言わないで。え、そうなんだ。すご。はい。で、おばあちゃんはだから惜しいってすぐ言うんで、うちのおばあちゃんに謝ってください。うん。ま、だいぶフィリピンぽい発想の人かもしれないですね、おばあちゃんは。そうですよ。まあまあ、でも素朴な感覚としてはあるかもね。1個隣だとね。うん。惜しいってなりますもんね。
うん。でも宝くじだとね、前後賞とか出るけどね。これは出てないわけでしょ。出てないと思います。はい。であればあんま意味ないですけどね。そこにこだわるのはね。当てられないんだから、常にやっぱ期待値計算とかだけをして生きていくのが合理的なんでね。君はもうね、文化人類学を語るな。うん。向いてねえ。確かに文化人類学に1番向かないやつの語り方だった。え、そう。非合理的ですよね。本当だ。非合理的ですよね、って言ったら文化人類学の話全部終わるな。
え、堀元さんフィールドワークに行ってコンサルしようとするんじゃないですか。あ、面白いね。どっかの島の人とかに、え、そのプレゼント交換の儀式意味なくないすか?え、ちゃんと経済活動した方がいいっすよ。交換ってそれデジタルでやれますけど、DX化しましょうか。ただのコミュニケーションツールなんだから行く意味ないっすよって、リモートで処理できるようにしましょうよ。DX。あ、それいいね。すごいね、交換のDXを進める。皆さんぜひ、DXコンサルタントをやってほしい時は、僕には絶対頼まないでください。
ちょっと戻りますけど、数字くじが、人々が幸運かどうかってのを確かめるためのツールとして機能するって指摘を聞いた時に僕が思ったこと。もしフィリピンの文化人類学者が日本に来て日本の調査をするとしたら、多分毎朝のニュースで星座占いが流れてるのを見て、日本人は星座占いという、熟知しなければ面白みのないようなものを通じて運勢を間接的に把握してるのかもしれないって博論を書くんじゃないか。本当だ。ということですね。そっくりですね。そうだよ。
だから堀元さんは非科学的だとか娯楽がないとか言ってましたけど、日本だって同じようなことしてるわけですよ。毎朝めざましテレビでね。あ、ちょ、番組出さなくていい。今日の1位は牡牛座のあなたとかね、やりますもんね。非科学的だなっていう。これを信じてる人は蒙昧なんだろうな、なんてことは思ってないですよ、一切。すごいそういうのって生活に張りが出て大事ですよね。その今日ってこんな日なんだろうなみたいな。この無知蒙昧の人々ですよね。科学教育を受け損なった人たちが信じるんだろうな。思ってますよ。思ってます。思ってます。思ってます。
やっぱりね、ああいうものがあるから日常にメリハリがつくわけですよね。その今日ってきっとこんな日に違いないって希望に胸を高鳴らせたりとかね。そのために必要なんですよ、ああいうのは。すごくいいことだなって思います。思ってます。思ってます。もちろん心の底から思ってます。
ですよね。内容まとめると、彼らは数字くじに熱狂しているけれども、ギャンブル依存症的な熱狂の仕方というよりは、自分が今賭けるべき数字を持ってる時は賭け、そのような数字を持ってない時には賭けないというようなスタイルで数字くじと向き合っている。なるほどね。そして我々の日本で考えるならば、朝のニュースで星座占いを出してることと実はあんまり変わらないんじゃないかっていうふうに僕が思ったという。でもそれはなんか説得力ありますよ。そうかも。
で、それがそのジャンクションの写真集とどう繋がるのかってのがここからの話ですね。はい。だから実はあれじゃない?日本でジャンクションくじが売られていて、賭けるべきジャンクションを持っている時だけ日本人はみんな賭けているんだってことに水野さん気づいて繋がったんじゃないですか?もしそうだとしたら面白くないです、あの。あの、そうだったら面白いっすよね。ジャンクションくじあんのってなりますわ。あのストレートな構成すぎて逆に面白いですよね、それ。衝撃受けますね。ないですよね、ジャンクションくじ。
ではないんですよ。これあの2007年に出た写真集で、『マンションポエム東京論』っていう本が最近出た写真家・ライターの大山顕さんの初期作。はいはい。独立したての頃に出した写真集でして、ジャンクションってのは、あの、高速道路を連結する部分ですね。だからあれだよね、よく高速でこっち行くと何とか方面、こっち行くと何とか方面みたいな、あの分岐のやつがジャンクションですね。そう。はい。
これがその彼にとっては美しくてしょうがないと思ったようで、え、まずジャンクションを類型化し、そしてどう面白がればいいのかってのを解説している、名写真集。分類とかあるんだ、ジャンクション。あります。ちょっとじゃあご覧いただきますと、これが冒頭のページなんですけど。あ、面白い。タービン型とかクローバー型とか、対抗型、T型、色々ありますね。色々ありますね。トランペット型とか。確かね、日本に1個しかない型のジャンクションありますよね。あ、書いてある。書いてある。クローバー型ですね。はい。佐賀県の鳥栖ジャンクションかな。1例のみでとても貴重なトポロジーと言える。トポロジーって言っちゃってるじゃん。もう位相幾何学なんだ、これって。トポロジー。はい。へえ。
だってそうでしょ。全く違う場所をトラブルがないようにすれ違わせるってことは、どうにか高さだの道のカーブだのをしてうまく繋げなきゃいけないんだから、それはもうトポロジーを考えなきゃいけなくなりますよね。ま、確かに。そうね。確かに考えてると、ジャンクションってなんかぐにゃーんって回って、いろんな複雑な形だから、これ位相幾何学感があるね。うん。そうですね。
この類型の前のページではジャンクションの部位ですね。うん。うん。このような場所があって、こういうところが面白いっていうことも解説してくれてるんですよね。足とか腕とか言ってる。ええ。ええ、おもしれえ。あとあのジャンクションのさ、裏側、だから自分が見上げた時に見える場所、何て言ってたっけ?うん。裏テクスチャ。あ、裏テクスチャ。そう。
そこについての彼の論評もめっちゃ鋭くて、道路って表を美しくすればするほど裏テクスチャが荒れるみたいなこと言っていて。だから実は裏テクスチャを眺めるっていうのは、その裏テクスチャが汚ければ汚いほど、整然としてなければしてないほど、表は美しいのだみたいなこと言っていて。そうなんや。あれだね、白鳥が優雅であればあるほど水面下では必死で漕いでいるみたいなのに似てるね。そう。もうそれクリシェじゃん。これと入れ替えたいよね。その高速道路を見上げた時に見える部分って、汚ければ汚いほど表は美しいらしいよ。
だから今だとよくあるのは、優雅にしてる人が実は裏では努力してるんだよっていうことを言う時に、いや、白鳥って綺麗に見えても実は水面下でもがいてるんだぜって言ってるけど、今度からは、実は高速道路って綺麗に見えるけど裏テクスチャは荒れてるんだぜっていうようにすればよい。ピンとこないでしょ、言われた人。来ない来ない。何って、裏テクってなるよ。何言ってんのってなるじゃん。大山顕さんの写真集読めよ、そいつは。ちょっとね、伝わらない慣用句を1個見出してしまいましたけれども。
この写真集、この冒頭にどう面白がればいいのかっていう解説があった後は、大山さんの選ぶ名ジャンクションの写真と、それにこうキャプション、説明文がつけられてるんですけれども、これをね読むとね、なるほどねって思うことが結構あるんですね。
例えば両国ジャンクション。うん。東京都ですね。のキャプションを見てもらいますと、「ジャンクションを見るために用意されたかのような親水公園があるので落ち着いて鑑賞できる」ってキャプションに書いてあるんですよね。あ、ある。本当だ。なんか公園みたいなスペース映ってるわ、写真に。映ってますよね。で、確かにすごく見やすそうだと。
もう1個、小菅ジャンクションちょっと見てみましょうか。「この一般道」、あ、ちなみにこの一般道ってのは、ジャンクションの下を走ってる一般道ですね。「T型のジャンクションの形がそのまま下に下ろされ、同じくT字路になってるのが興味深い。」ああ、面白いかも。つまり一般道もT字路、そしてジャンクションもT字路になってると。だから上下に同じものが2個あるみたいなイメージですね。はい。「またこのジャンクションのすぐ南で綾瀬川と荒川が合流していて、さらに電車も常磐線と東武伊勢崎線がここ小菅で交差している。いわば色々なものがこの町でジャンクションしている。交差する町小菅。ジャンクションはその象徴に見える。」と、美しい文。
これ面白いね。いい気づきだね。川も道も電車も全部T字になってんじゃん、っていう。そう。こういう気づき、こういう視点をめちゃくちゃキャプションに書いてくれてるんで、ジャンクションに興味なくても読ませる。うん。うん。そういう力があるんですけれども。
もう1個、最後に江戸橋ジャンクション。これも東京ですね。ちょっと見ていただきましょうか。「周囲はビルだらけのため鑑賞ポイントは限られるが、最もおすすめなのは兜神社の裏だ。聞けば証券界の守り神と言われてるらしいが、どう見てもジャンクションの守り神であると思う。」いや、違うよ。違うって。言いすぎやで、それ。え、いや、いやいや、兜町だからね。証券会社の本拠地だからってことでしょ?ジャンクションの守り神じゃないっすよ。でもそのジャンクションが見やすい。ビルまみれなのにジャンクションが見やすいということで。違うと思うけど。いくらなんでもこれはジャンクションの守り神じゃないかと。いや、証券界の守り神だと思いますけどね。っておっしゃってるんですね。決めつけ激しいなと。なるほどね。そうだね、言いすぎだね、完全に。
だって両国ジャンクションの時は親水公園に対して「ジャンクションを見るために用意されたかのような」って言ってるし。うん。すごいね、言いすぎだね。それから小菅ジャンクションについては、下の道も川も電車も交差してるので、小菅ジャンクションっていうのが「交差する町小菅」の象徴に見えるんだと言っているし、兜神社はジャンクションの守り神だと決めつけてるわけですよね。ここが僕はね、フィリピンの数字くじとの共通点だと思うんですよね。はあ。どういうことですか?
じゃあ謎解きというか、僕がなぜこのフィリピンの数字くじとジャンクションの写真集が繋がったのかと言うと、これね、認知科学の話してると思うんですよね。
結論喋る前に例をちょっと出してみると、数字くじする時に、さっきカレンダーが自分の数字を見つけるために使われるっていう話と、隣り合ってる数字だったら当たるんじゃないかみたいなね。はい。カレンダーって当たりのヒントを提供するために世界に存在してると思います?いや、絶対違うでしょ。何のために存在してます?曜日確認したりとかさ、スケジュール書き込んだりするためでしょ?はい。そうですよね。
それからジャンクションについても、兜神社ってジャンクションの守り神になるために存在してるんだと思いますか?ああ。いや、絶対違うね。証券界の守り神だもんね。違うね。ですし、小菅ジャンクションって色々なものが交差するっていうことを象徴するために存在してると思います?なわけないよね。必要だったからそこにジャンクション置いてあるだけだよな。ですよね。
つまりジャンクションの写真集の大山さんにせよ、フィリピンの数字くじの参加者にせよ、彼らがしてることって、ある目的のために存在してるものに対して違う意味付けを行っているっていうことだと思うんですね。で、これは近年認知科学でホットになっているプロジェクションっていう、あ、概念があるんですけど。投射ですかね。はい。投射ですね。日本語訳だと思うんですね。はい。なんか前もちょっと出てきたね、ゆる言語学ラジオでね。はい。
直接的には小林・益川理論と腐女子の二次創作の話で出てきたんですけれども、もう1回説明すると、プロジェクションというのは、ある対象物Aがありますと。で、そのAに対して全く違うBっていうのを心理的に当てはめることをプロジェクションと呼んでいるんですね。うん。まさにさっき見たようなね、証券界の守り神なのに、これはジャンクションの守り神だなって思うみたいなね。
そういうことです。つまり『日々賭けをする人々』という本も、この『ジャンクション』っていう本も、プロジェクションっていう認知能力の話をしてたと僕は読めるわけ。ああ、なるほど。だからこれ一緒じゃんって思ったわけだ。全然違う話なのに。その裏のテーマがプロジェクションの話でしょうと僕は思うわけです。ああ、なるほどね。
で、僕は最近このプロジェクションという概念にハマっていて、これらの本に限らず、世界をプロジェクションという概念で見つめるとめっちゃ面白くなるよと思っているので、次回はこのプロジェクションというこの認知能力、これがどんだけ面白いかっていうことを堀元さんに布教したいと思っているという感じ。水野さん、むちゃくちゃプロジェクションについて勉強してきたってことですか?してない。あれ?うん。じゃ、喋れないじゃん。
安心してください。最近僕、どうしても語らせろ回の時、ぴったりなゲストを後編から呼んで3人でディスカッションするという。やりますね、その形式ね。室さんに来ていただいてね、論理的思考の文化的基盤で話しましたけれども、今回も、え、プロジェクションの専門家呼びました。お、頼れる。え、小林・益川理論と腐女子の二次創作の論文を書いた久保先生。あの論文を書いた久保先生が来てくれるんですね。来てくれました。え、来週です。最高じゃないですか。
ですので3人でプロジェクションについて話しつつ、え、なぜか久保先生ですね、やった、プロジェクションの布教し放題だって言って、堀元さんを信者にしてやるぞと張り切っていましたので。あ、もうだからプロジェクションの宣教師みたいな自意識なんですね。多分エヴァンジェリスト。広めようと思ってきてるんだ。推し活だと思ってきてるということをおっしゃってましたので、え、楽しみにしていただければと思います。
ぜひ皆さん来週も見ていただきたいので、引き続きチャンネル登録、高評価、感想のコメントなどお待ちしております。待ちきれないぞという方は、ま、この『日々賭けをする人々』、そして『ジャンクション』もいいんですけど、久保先生の、え、一般書がね、2冊ありまして、『「推し」の科学』っていう本と『イマジナリー・ネガティブ』っていう本があるんで、これ読んでいただけると多分より理解しやすいのではと思います。はい、概要欄にリンクがございますので、ぜひお求めください。はい、以上、終わりにしましょう。ありがとうございました。ありがとうございました。
堀元さん、うまく話せなくて悩むことってありません?よくあります。そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。ほう。タイトルは『会話の0.2秒を言語学する』。会話のわずかな間にフォーカスした1冊です。ぜひ皆さん買ってください。
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