ラーメン二郎の「ニンニク入れますか?」を言語学で読む:合図、台本、指標性
ゆる言語学ラジオラーメン二郎では、店員が「ニンニク入れますか?」と聞く。形のうえでは「はい」か「いいえ」で答える質問だが、客は「ニンニクマシ、ヤサイカラメ」のようにトッピングの好みを返す。ゆる言語学ラジオの水野太貴と堀元見は、この奇妙なやり取りを題材に、慶應義塾大学で社会言語学を教える井上逸兵をゲストに迎えて話を聞いた。キャンパスのある三田には二郎の本店がある。井上は10年以上食べていなかったが、収録の依頼を受けて3日ほど前に食べに行ったという。ただし、話すのは二郎そのものではなく二郎を材料にした言語学だと本人は断っている。
「はい」と答えると素人扱いされる質問
井上によれば、Yes/No疑問文なのにYes/Noで答えない質問は珍しくない。「元気ですか?」と聞かれて「いや、最近仕事が大変で」と返しても不自然ではない。原理的には「元気かどうかを聞いているのであって、仕事が忙しいかは聞いていない」と言い返すこともできるが、実際にそう言う人はいない。「元気ですか」は問いというより、これから会話が始まるという合図として働いている。相互行為分析や談話分析には、こうした発話を会話の構造を作るきっかけと見る考え方があり、「ニンニク入れますか」もそれに近いと井上は見る。
実際、二郎系の店で「はい、お願いします」と答えた客に店員が嫌な顔をするのを見た、という話も出た。水野は、京都で「お出かけですか」と聞かれたら「ちょっとそこまで」と返すのが決まりで、「はい、お出かけです」と答えれば素人だと思われるだろう、という例を挙げている。
この種の合図を専門的にどう呼ぶかについて、井上は見方が複数あるとしたうえで、一つは「コンテクスト化の合図」だと説明した。いまラーメンを注文するプロセスに入り込み、適切に振る舞っていることを示すシグナルである。答え方を間違えると「部外者」として扱われるので、仲間意識を確認する言葉でもある。ただし井上は、会話の次の段階を予期させる要素と見るほうが「ニンニク入れますか」には正確かもしれない、とも述べていて、コンテクスト化の合図と言い切ることには少しためらいを見せた。
番組内の「フリ」と仲間の識別
水野は、ゆる言語学ラジオにも同じ構造があると指摘する。水野が「カメラの電源落ちてますよ」と言うと、堀元は「脱税なんてすればするほどいい」のような言ってはいけないことを言う。堀元は冗談めかして「誘導していない」と否定しつつ、お笑いのフリは全部そうだと認めた。ハリセンボンの箕輪はるかに「昨日のライブパフォーマンス良かったです」と言うのも、サンボマスターに間違えられたというツッコミを要求している。文脈が分からない人なら「ライブしてないです」と答えてしまう。
井上はここが要点だとする。その慣習を知っているかどうかで仲間かどうかが識別される。内輪のノリはまさにそのために使われている、と水野と堀元も同意した。
では、なぜ二郎はわざわざ初見の客が引っかかる形式を採っているのか。堀元は「あえて初見を殺したいのでは」と冗談を言い、そこから慶應と二郎の関係に話が移る。二郎の店主は慶應の卒業生組織の記念行事で講演者を務めたことがあり、卒業生でなくても大学に長く関わった人に与えられる「特選塾員」にも選ばれた。そのとき学内の意見は「よくやった」と「遅い」の二つに割れた、と井上は冗談を交えて紹介している。
言語学的な工夫として堀元が紹介したのは、「ニンニクなし」は禁句で、代わりに「抜き」と言うという話だ。「なし」は「マシ」と聞き間違えられやすいからである。堀元は、実験で「テスト」を「テイスト」と聞き違えたことから物質が甘いと分かった、という科学史の逸話を引き、誤解を防ぐために語彙を封じる仕組みはよくできていると評した。
飲酒の手順を記述した人類学と「インタラクショナル・スクリプト」
井上は、二郎が言語人類学から見ても面白いと言う。言語人類学は社会言語学の親戚のような分野で、フィールドワークを好む研究者が多い。古典的な論文に、フレイクという研究者がフィリピンのスバヌンの人々のところで「酒の飲み方」を記述したものがある(井上は1964年ごろと記憶している)。そこでは勝手に酒を飲むことはできず、非常に多くの形式的な手順を踏まないと酒にありつけない。手順を知らずに飲めば、二郎で「はい」と答えるのと同じく部外者扱いになる。こうした研究を出発点に、慣習を知らないと会話や活動に入れないという現象に注目する研究の流れが生まれた。
二郎の場合、入店した時点から「インタラクショナル・スクリプト」、つまりやり取りの台本が始まっていると井上は説明する。台本を知っている人はうまく振る舞え、知らない人は戸惑う。人はあまり意識しないスクリプトをたくさん身につけて暮らしており、意識されないのに何となくルールやしきたりがある世界を掘り下げるのが社会言語学や言語人類学だという。堀元は、昔のインターネットの「キリ番踏み逃げ禁止」を例に挙げた。アクセスカウンターの1000人目のような区切りのいい番号を踏んだら掲示板に報告しなければならず、しないと「踏み逃げ」と非難されるという文化である。
ジャルジャルのコントはスクリプトの破壊である
水野は、ジャルジャルの笑いは基本的にインタラクショナル・スクリプトの破壊だと考えたという。ジャルジャルのネタで最も多い場面は面接だ。水野自身の就職活動の経験でも、ノックの回数、「どうぞ」と言われてからドアを開けること、ドアの閉め方、「おかけください」と言われるまで座らないことなど、面接には明確なシークエンスがあった。ジャルジャルは、入室直後にふざけたことを言う、名前を聞かれてふざけた名前を答える、面接中に足を大きく開く、友人との旅行中にリモート面接を受ける、といった形でそこをずらす。リモート面接は自宅から受ける、足を開いてはいけない、といった普段は意識しない部分をずらすから面白い、というのが水野の見立てで、言語人類学とお笑いがつながっていることが自分にとっての発見だったと述べた。
井上はさらに、スクリプトで重要なのは順序だと補足した。茶道でまず茶碗を回してから飲むように、何を先にして次に何をするかという知識がある。ファストフード店で座って待っていても店員は来ない。足を開かないといったマナー水準の知識もあるが、順番についての知識がスクリプトという概念の最も重要な部分だという。
堀元はコンビニの会計を例に、スクリプトが揃っていないことの困難を語った。支払い方法を客が自分で画面で選ぶ店と、口頭で店員に伝える店があり、同じチェーンでも店舗によって違う場合がある。そのため堀元は毎回「〇〇でお願いします」と言っては「押してください」と返され、恥ずかしい思いをしているという。
券売機のタイミングと空けた列:二郎は試験である
井上は、二郎はある種の試験のような場所で、素人かコミュニティの一員かが試されている点で社会言語学・言語人類学の格好の題材だと言う。行列の人々に漂う謎の連帯感も、同じルールを守り同じものを食べている感覚から来るのではないかと水野は述べた。
井上が聞いたところでは、券売機に行くタイミングも店によって違う。三田では自分の番の数人前まで来たところで食券を買いに行く。その間に列に空いた場所を後ろの人は詰めてはいけない。本人が戻ってくる前提だからだ。この知識がないと行けないので、井上は久々に緊張したという。トッピングが要らない場合は「そのままで」と言うと聞いていたが、「なし」とも「ある」とも言ってはいけないと思い込み、とっさに言葉が詰まってしまったと振り返った。
出演者の一人も、好きな服ブランドの新作発表会にプロのバイヤーばかりの中で一人参加し、素人と思われたくないので周りの人が親指と人差し指で生地をつまんで確かめる動作を真似し続け、何も分からないまま1時間過ごしたという経験を話した。海外でチップの扱いが分からず困る話も、同じ種類の問題として出てきた。
さらに水野は、ある温泉地のラーメン店を紹介した。店内で親族の派閥がはっきり分かれていて、どちらが接客するかで出てくる味も違い、入店時に空いている側に当たるので運任せだという。スマホを見ながら食べると注意されるといった細かなルールがあるが、明文化されておらず、すべてGoogleマップの口コミに蓄積されている。堀元は「実質、口コミがドキュメント」だと言った。
明文化へ向かう世の中
井上によると、自分の学生時代の二郎のほうが言わないルールが多く、禁止事項も多かった。店主と口を利いてよいのは体育会と応援指導部だけ、私語は禁止。券売機はなく、カウンターに小銭が置いてあって客が自分でお釣りを取っていた。当時のほうがずっと緊張した、と井上は言う。
井上は、世の中全般で以心伝心や言わないルールが減り、明文化が進んでいると感じている。「そんなルールはどこに書いてあるのか」と言われることが増え、張り紙の多い店もある。慶應義塾中等部の校長を務めていた時期には、体育の教員がだらだらしている生徒に「やる気がないなら帰れ」と言ったら、生徒が本当に帰ってしまったことがあったという。井上の世代なら「ちゃんとしなければ」という意味に受け取る言葉であり、コンテクスト化の合図が共有されなくなってきた例だと話した。堀元も、大学1年のときのアルバイト先で、厳しい責任者に「もう来なくていい」と言われた同僚が本当に翌日から来なくなり、一番立場が下だった自分の仕事が2倍になったという話をしている。
では50年後の二郎は親切になっているのか。水野と堀元は、すでに二郎インスパイア系の店ではトッピング表があり、「ニンニク入れますか」と聞かれたら何と言えばよいかがはっきり書かれていると指摘した。それなら「トッピング何にしますか」にすればいいのに、なぜ「ニンニク入れますか」は維持するのか。井上は、「我々はジロリアンだ」というコミュニティ意識があり、そこは失いたくないのだろうと見ている。
一方で井上によれば、学生時代にも事情が分からず入ってきて「ラーメンとかないの」と聞く中年男性がいたが、店側は「うちはこういうラーメンしかないよ」と優しく対応していた。三田の店は実際には怖くないのに、みんな緊張してしまう。怒られたというエピソードだけが一人歩きしているのではないか、というのが井上の見方である。
振る舞いが人物を示す「インデクシカリティ」
自分はジロリアンだと示したいという願望がある一方で、周囲もその振る舞いから「こいつはジロリアンだ」と分かる。井上は、振る舞いからその人がどんな人物か分かる標識をインデクシカリティ(指標性)と呼ぶと説明した。分かりやすい例は、関西方言で話す人を見れば関西の人だと分かることだ。喋り方に限らずあらゆる記号にこの働きがあり、人は自分が何者かを示しながら言語活動をしている。二郎で注文を滑らかにこなすことも、自分は素人ではないと指し示すことになる。
堀元は、かつてネットで流行した「吉野家コピペ」を挙げた。家族連れを「素人は帰れ」とこき下ろし、通は「ねぎだく」を頼み「ギョク」と言うものだと語る文章で、書き手はインデクシカリティを出したかったのだろうという。ただし、吉野家でアルバイトをしていた知人に聞いたところ、「ギョク」とは言わず「生卵」と言うし、そう注文されたら聞き返すと言っていたそうで、素人が通ぶるのが一番見ていられない、という話になった。
「グッ」のリアクションとLINEスタンプの違い
水野は以前、雑誌編集者としての仕事で井上に取材したことがある。テーマは、上司が部下に指示を出したとき、サムズアップのリアクションだけが返ってきたら腹が立つか、というものだった。堀元は、腹が立つとまでは言わないが「分かりました」と言ってほしい気はすると話した。
その取材で出てきたのは、SlackやメールのリアクションボタンでのThumbs-upは嫌がられやすいのに、たとえば食事の後に部下からLINEスタンプだけが送られてくると上司はむしろ喜ぶ、という話だった。井上の説明では、これもインデクシカリティの問題である。LINEスタンプはどんなキャラクターを選ぶかで個性が出るので、好意的に受け取る人は、部下が自己開示してくれたと感じる。『ポプテピピック』のスタンプなら、オタク同士で仲良くなれそうだと思う、というのが水野の例だ。堀元と水野は、友人の飯田さんがかつて流行したYouTuberのスタンプを押し続けてくることを挙げ、ああいうのは嬉しいと話した。
日本語はインデクシカリティ研究の材料が豊富
井上によれば、インデクシカリティの研究は世界的に見て日本語を材料にしたものが非常に多い。英語圏の研究者にも日本語を論じる人が多く、1970年代ごろには、文末の「〜だわ」などが女性を指標するという男性語・女性語の研究で注目された(いまは論じにくくなっているとも井上は付け加えた)。スタンプの研究でも日本語は進んでいる。西洋にはタイプライター文化に由来する、コロンと括弧を横にした笑顔マークなどがもともとあったが、携帯電話やスマートフォンの普及以降、日本のスタンプは爆発的にバリエーションが増え、注目されてきたという。井上は、一般化してよいかは分からないと留保したうえで、日本語は他の言語に比べてインデクシカリティやコンテクスト化の要素が多様で重層的な言語なのかもしれないと述べた。一人称や二人称の多さもその一例である。
一人称の選択:いつ「小生」を使えるか
ここで出演者の一人が、いずれ一人称を「小生」にしたいと言い出す。30歳そこそこでは早すぎる、50歳を過ぎてからだ、とすぐに止められた。北方謙三を好む父親が、すでに「わし」を使い始め、「小生」へ移りたそうにしている、という話も出た。
井上は、書き言葉で「小生」と書いたことも、口で言ったこともある。ただ「僕」は年齢的に少し恥ずかしく、「私」は少し硬い。「我が輩」も使いたかったという。いま最もよく使うのはカタカナの「ワタシ」で、周囲も井上らしいと納得していた。年齢とともに周囲の扱い方が変わり、自分では変わっていないつもりでも一人称に悩むのだという。
時代による変化もある。井上は『男はつらいよ』で、学生運動が盛んだった頃の少し後の作品に、「僕は」と主張する若者に寅さんが「僕か、インテリだね」と言う場面があると紹介した。かつて「僕」は知識人を指標していたわけだ。
また井上は、言語学的には日本語に人称代名詞はないと見るのが普通だと説明した。「私」「僕」は動詞の形を変えたり呼応したりしないので、文法的な機能を持つ語というより名詞に近い。中学1年で習う "he" を「彼」と訳すのも本来は妙で、「彼女」は明治以降にできた言葉だという。そのうえで、自分を何と呼ぶかという自称の選択は、特に日本語で顕著なインデクシカリティだと位置づけた。
「小生」への道のりについては、堀元が「僕」から「私」に移りたいと話し、「私」からなら「小生」への正統な進化だが、「僕」からいきなり「小生」は飛びすぎだ、と冗談が続いた。二人称では、漫画で日本語を学ぶ留学生が「貴様」を字義どおり丁寧な言い方だと思い込み、「貴様はどなたですか」と言ってしまう例を井上が紹介している。
自称を増やせばよいのか:共有される範囲の問題
インデクシカリティで自分を示したいなら、一人称のような語はもっと増えてもよいのではないか、と堀元は問う。水野は、セクシャルマイノリティの人が、異性愛者がよく使う一人称では自分をうまく表現できないと悩むことに触れた。そして、以前『中央公論』に書いた原稿で、アーティストのあのちゃんの一人称「僕」に子どもが真似するとして保護者からクレームが来ていることを取り上げ、明治時代の女学生も「僕」を使って不適切だと咎められていたので、やっていることは変わらないと論じたと話した。
堀元は、一人称的な語がせいぜい数十種類しかないから問題が起きるのであって、ジロリアンが自分を「次郎」と呼ぶように増やせばいい、と冗談を言った。井上の答えは、インデクシカリティの基本は、それを言うと多くの人が同じものを連想するという慣習の共有にある、というものだった。ごく小さなコミュニティで使う語はあってよいが、安易に作ると、より広いコミュニティでは通じなくなる。そのうえで井上は、形式を増やすのでなく、アクセントを変えて差を出すという方法はあり得ると示した。「私」でも言い方次第でしっかりした印象にもギャル風にもなる、と水野は応じた。
イントネーションが次の展開を予告する
この流れで井上は、コンテクスト化の合図の研究では、音のレベルを扱う例のほうがむしろ多いと補足した。井上がよく挙げる例では、「お出かけですか」を挨拶の調子で言えば「こんにちは」と同様に理解され、「ちょっとそこまで」という応答が想定される。ところが非難めいた調子で言うと、夜遅いのに出かけるのかという意味になり、相手は弁解しなければならない。プロソディーによって次に何が来るかが予期されるのが典型的なコンテクスト化の合図であり、「ニンニク入れますか」はやや特殊な例だという。
水野は、二郎でも普段の会話と区別するために独特のイントネーションで言っているのではないかと考え、実際フラットには聞かない、と実演してみせた。堀元も同意し、その意味でもよくできていると話した。水野は、家で恋人に料理を作るときは「ニンニク入れますか」と敬語で聞かない、と言いかけて、自分は親しき仲にも礼儀ありで恋人にも敬語だとボケ、堀元が困惑する一幕もあった。
三つの概念の整理
終盤、水野は内容を三つにまとめた。一つ目は、「ニンニク入れますか」はニンニクを入れるかどうかを尋ねる質問ではなく、次の手続きを呼び出すコンテクスト化の合図だということ。二つ目は、形式化された流れであるインタラクショナル・スクリプトで、茶道や就職活動の面接にも見られること。三つ目は、自分がジロリアンだと示すインデクシカリティである。井上は、インデックスによって他者がどういう人かも分かる、つまり自分を示すだけでなく相手のことも読み取れる、と付け加えた。
その例として堀元が持ち出したのが、書名を聞くと出版社を即答する水野の癖だ。出版社を気にしながら本を読む読書家だというアピールで、完全にインデクシカリティだと指摘された。水野は、みんな出版社が気になるだろうから言っているだけだと否定したが、「誰も気になっていない」と返された。水野は実際に『ネット炎上事例100』などの書名に日経BPなどの出版社を即答し、飲み会でも常にやっていると堀元が証言した。
井上は、この収録を通じて、どこに行ってもフィールドワークだと感じたと話した。最後に、同僚の堀田隆一と二人で運営する「いのほた言語学チャンネル」を紹介し、ゆる言語学ラジオは内容は緩いが編集はきっちりしているのに対し、自分たちはほぼ無編集で台本もなく話している、と両者の違いを述べた。番組は、何歳から「小生」を使ってよいか視聴者に教えてほしいという呼びかけで締めくくられた。
ゆる言語学ラジオ。
ラーメン二郎ってあるじゃないですか。あれ変じゃないですか?なんで「ニンニク入れますか?」って聞いた? 変ですね。「ニンニクマシ、野菜カラメ」みたいに回答しますね。はい、とかいいえとか言えないじゃないですか。うん。
あれ実は言語学的に極めて興味深いことが起きているんで、今日はラーメン二郎を題材にした言語学の話を聞いていきたいと思います。いいですね。ラーメン二郎ってね、三田にありますよね。ありますね。堀元さんが通ってた慶應義塾大学。お膝元ですよ。お膝元にあるんですけれども、その三田で言語学を教える、ラーメン二郎言語学の井上逸兵先生にお越しいただきました。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。ありがとうございます。憧れのチャンネルに呼んでいただいて。井上先生は召し上がるんですか?ラーメン二郎。はい。10年以上食べてなかったんですけど、このお話いただいて3日前ぐらいに食べました。真面目だな。ラーメン二郎の話するなら一応直近で食っとこうという。慶應の教授ともなるとラーメン二郎の予習も欠かさないんですね。すごいな。
今のラーメン二郎と昔のラーメン二郎、行ってわかったんですけど、かなり違ってるんで。あ、ごめんなさい。ラーメン二郎学じゃないですよ。今日ラーメン二郎の言語の話はするけど、あの、ラーメン二郎に関する話は黙っても……。はい。
まず興味深いポイントってのが、その「ニンニク入れますか」っていうやつですね。これ文字通りの意味ではなくて、この言葉を言われたらどう返さなきゃいけないんでしたっけ? 「ニンニクマシ、野菜カラメ」みたいに返しますよね。つまりトッピングのね、好みを言うっていう風になってるわけですけど。「教えてください」と同義だよね。
はい。これって先生のご専門の社会言語学とかからするとどういう風に分析できるんですか?
はい。普通イエス・ノー・クエスチョンですよね、「入れますか」なんで。でもイエス・ノー・クエスチョンに対してイエス・ノーで答えない質問はまあよくあるんですよ。ほう。「元気ですか」って聞かれて必ずしも「はい」とか「いいえ」って答えない場合もあります。確かに。「いや、最近本当大変なんだよ、仕事がさ」って答えますもんね。そう。本当だったらね、「いや、はいかいいえで答えてくださいね」。言わない。言わない。怖いな、そいつ。
元気ですか? でも、まあ原理的にはそうだよね。「いや、俺は元気かどうかを聞いてるのであって、今お前の仕事が忙しいかどうか聞いてるわけではない」って言ってもいいわけ。しかも「元気ですか」っていうのは、今挨拶をしてますよ、会話が始まりますよっていう1つの合図みたいになってますよね。うん。うん。
質問というよりは、これによって今会話しますよっていう、会話を構成するまあ一種のきっかけみたいな、そういう役割をするっていう考え方が相互行為分析とか談話分析とかそういう分野でもありまして。じゃあ「ニンニク入れますか」もそれに近いんですかね。だと思います。
あれなんか「はい」とか言うと素人だなって目で見られるらしくて。二郎系の店でね、「ニンニク入れますか」に対して「はい、お願いします」って言って店主が嫌な顔してるとこ見たことあります。すごい嫌な顔しました。
ちなみにこの「ニンニク入れますか」みたいな会話の合図みたいなやつ、専門的には何て言うんですか? はい。これいろんな見方できると思うんですけど、1つはコンテクスト化の合図っていう言い方が1つあって。コンテクスト化の合図。ええ、それがまあ1つの、これは今どういう行動をしてますよっていう、ラーメンを注文するっていうプロセスの中でちゃんと入り込んで適切な振る舞いをしてますよっていう、そういうシグナルみたいな働きをしているっていう。仲間意識を醸成する言葉みたいな感じ。まあそれでもありますね。で、要するに答え方間違えると、あ、素人だなって思われるんで、部外者扱いされちゃうと。
なるほど。京都とかで「お出かけですか」って聞いたら「ちょっとそこまで」っていうやつあるけど、あれも「お出かけですか」って言われて「はい、お出かけです」って言ったら多分素人だって思われるわけですよね。
あとやっぱり会話の構成がどうなってるかっていうことを示す合図っていう、これからその次に何が起こりますよっていうことを予期させる要素っていうことでもあると思うんですけど、まあコンテクスト化の合図よりそっちの方が「ニンニク入れますか」に関してはちょっと正しいかもしんないですけど。
あ、「ニンニク入れますか」を厳密にどう捉えるかに関して逡巡があったということです。コンテクスト化と言い切っていいのかなという逡巡があった。逡巡いらないと思いますけど、別にいいよ。
そうだな。ゆる言語学ラジオでも実は「ニンニク入れますか」みたいなやつってあって、例えば「堀元さん、カメラの電源落ちてますよ」って僕が言うと、堀元さんどうするんでしたっけ? 言っちゃいけないことを言いますよね。「脱税なんてすればするほどいいんだから」とか言いますよね。はい。あ、で、あれなんかは実はコンテクスト化の合図であって、ある意味でその「ニンニク入れますか」と似たようなことをしていると言えるわけです。そう。まあ誘導してるわけですよね。誘導してないです。あの、そんなわけ、いや、僕カメラの電源が落ちてるなって思ったから……。なんてこと言うんですか? 落ちてないから。それ言って、これは堀元さんですね。
まあでも振りって結局全部そうだよね。まあそういうことですよね。ナイツの塙さんに「いや、昨日のライブパフォーマンス本当良かったです」「いや、サンボマスターじゃねえよ」っていう、あれの「ライブパフォーマンス良かったです」みたいなのって完全にそれを要求してるじゃないですか。うん。コンテクスト化がわからない塙さんだったら「え、いや、ライブしてないです」。いい、いい。つまらんな、そいつ。
そこ結構ポイントで、そう、そこの慣習があるかどうかっていうことで、仲間かどうかっていうことを識別する役割を果たしてるっていうことですよね。わかります。わかります。仲間うちのノリってそのためにめっちゃ使いますよね。はい。まあわけわかんない人は多分ちゃんと反応できないと思います。うん。
でも「ニンニク入れますか」ってさ、明らかにおかしいフォーマットじゃなくてもいいのに、なんであんな初見の人からしたら確実に引っかかるトラップみたいな風になってるんですかね。うん。あえて初見を殺したいんでしょうね。それで「あいつ素人だぞ」って言いたいって、そこ意地が悪いってことですか?ラーメン二郎。あ、やばいな。やばいな。聞きました?今。ひどいですね。
ラーメン二郎の親父、慶應OBOGに優しいから大丈夫です。ラーメン二郎の親父って割とメディア嫌いでそんなにいっぱい出ないんだけど、なぜか三田会っていう慶應のOB会の、慶應130周年講演みたいなやつでトリを務めたのラーメン二郎の親父だったから。へえ。あ、そうなんですか。
今、特選塾員って言いまして、あの卒業生のこと塾員って呼ぶんですけど。はい。うん。慶應の卒業生じゃなくても、例えば慶應で長く教員やられてた方とか勤めた方に。まあ名誉教授みたいなイメージですね。で、この前ラーメン二郎の山田さんが特選塾員になられて。へえ。そう、だから優しいんすよ、OBOGには。言ったら、あ、もう殺される。殺される。殺される。2度と命ないですよ、それは。首切ったとこにニンニク埋め込まれますよ。え、マジ? 野菜とニンニクで水野さんの頭すげ替えられるんで気をつけて。そう。マシマシにされますよ。
で、ラーメン二郎の山田さんが特選塾員になった時に学内の意見が真っ二つに割れて。で、一方は「よくやった」っていうのと、もう一方は「遅い」っていうのと。割れてない。割れてない。すごいな。真っ二つで割れたんですよ。みんな好きですね。基本的にもう仲間だと思ってるんで。すげえソウルフードだ。
あとね、「ニンニク入れますか」に関して言語学的な話って、「ニンニクなし」って言っちゃダメらしいんですよ。ほう。それ「ニンニクマシ」って聞こえちゃうんで。「なし」と「マシ」って誤解ないように、「なし」っていう言葉はNGワードらしいんですよ。はあ。そうだ。だから「抜き」って言うわ。そうそうそうそう。あ、そっか。「抜き」だね。
確かにある科学実験で、こう農薬の味がなぜか甘いことがわかったみたいな話があって、それは実験の時に「テスト」って言ったのを「テイスト」だとこう聞き間違えたから味が甘いことが発覚したみたいな話。そうそうそう。みたいに、それを防ぐために「なし」を封じてる。
あ、じゃあよくできてますね、それは。あとね、ラーメン二郎、人類学的に見ても面白いっていう観点をちょっと井上先生が提示します。そうなの? なんでですか?ただのラーメン屋ですよ。
これはですね、言語人類学という、まあ私、社会言語学の専門なんですけど、社会言語学の親戚みたいな分野がありまして、まあ人類学なんでいわゆる未開と言われてるような、人が知らないとこに行くフィールドワークが好きな人多いんですけど、フレイクという人がフィリピンのミンダナオのスバヌンという集落に行って「お酒を飲む方法」っていう、そういう古典的な論文があるんですよ。へえ。え、お酒なんて飲んだらいいんじゃないですか? それができないんですよ。つまりそこで勝手に飲むと、「ニンニク入れますか」って言って「はい」っていうのと同じぐらいな、もう部外者が来ちゃったぞみたいな感じになって、もう非常にたくさんのフォーマットがあって、そういう手順を踏まないとお酒にありつけない。一緒だ。そうなんです。
そういう古典的な論文があって、これも1964年ぐらいだと思いますけど、で、その辺から、まあ慣習を持った人たちがあること知らないとその会話に入っていけないとか、活動に入っていけないっていう、そういうことに着眼する分野といいますか、研究の視点がありまして。うん。で、その辺がまあこのラーメン二郎と繋がってくるなというところだと思います。確かに今聞いたらめちゃくちゃ言語人類学でしたね、ラーメン二郎。
まあなので、その今の入店したところからまずそのインタラクショナル・スクリプトが始まってるんだってのが先生の……。インタラクショナル・スクリプトを知らないです。何ですかそれは? やり取りの台本みたいな感じの意味です。あ、そっか。スクリプト、台本が決まってるわけです。そう、そういうことですね。で、その台本を知ってる人はうまく振る舞えるけど、知らない人は「これ何だ」って感じになっちゃう。
ということで、で、我々はいろんな社会で生きてますけど、実はいろんなスクリプトを身につけてて、あんまり意識してないようなスクリプトもたくさんあると思うんですけど、で、それがまあ研究対象って言いますか、社会言語学とか言語人類学って、まあ人があんまり意識してないような、だけどなんとなくルールがあるような、しきたりがあるような、そういう世界をこうやってちょっと掘っていこうっていう、そういう分野なんですね。
はい。確かにラーメン二郎に限らずあるよね。このコミュニティだとこう言ったらこう言わないといけないとか。そう。「踏み逃げ禁止」みたいなね。みたいな。ありましたね、昔のインターネットね。キリ番、踏み逃げ禁止。説明してあげてください。はい。あの、昔のウェブサイトにはカウンターっていうのがついててね、「1人目のお客様です」「2人目のお客様です」って開かれるたびに数字が上がってくんだけど、77人目とか1000人目とかキリのいい番号、キリ番を踏んだ人は「1000人目でした」とかを掲示板に報告していかなきゃいけないって文化があってね。それをやってないと「1000番の人は踏み逃げしました」って呪いの言葉みたいなのを言われる。そういうのですよね。うん。うん。
僕ね、この話聞いて思ったのは、ジャルジャルがやってるお笑いって基本的にインタラクショナル・スクリプトの破壊なのだって思ったんですね。あ、これ言われたらこう返さなきゃいけないっていうのを全部無視してんのか。というのもジャルジャルのネタで1番多いシチュエーションって面接なんですね。で、面接って結構こういうフォーマットがはっきりとしていて、僕は就活やったんですけれども、ノックは何回しろとか、で、向こうから「どうぞ」って言われた後にドアを開けるとか、ドアの閉め方はこのようにすべきとか。すごいね。全部決まってるね。そうです。そしてとことことこっと椅子の前まで歩いて行って「おかけください」って言われるまで座ってはならないとか、そういうシークエンスがこうあるんですよね。
で、ジャルジャルのネタって、例えばですけど「失礼します」ってガチャって入って、入った後に「おばんやん」って言っちゃうとか。あ、あったあった。名前聞かれて「オキンタマデカ男です」って答えるとか。そうですね。めっちゃふざけるやつですね。それとか、あとは面接中にめっちゃ足開くやつとか、友達との旅行中にリモート面接するやつとかがあるんですけど、それってそのリモート面接は自宅からやらなければならないとか、面接の時に足を開いてはならないっていう、まあ我々が全く意識してないような部分をずらすから面白いわけですよね。なるほど。決まってるスクリプトがちゃんとあるのに無視する要素がいっぱいあるんだってことね。なので結構この言語人類学の話とか、まあラーメン二郎の話ってお笑いと実はかなり繋がってるなってのが僕の面白い発見でした。
あと水野さんの今挙げられた例プラス、このスクリプトの基本的に重要な部分で順序があるってことなんですよ。順序の知識も持っているっていう。何を先にやらなきゃなんなくて、この後に次は何かっていう。茶道とかだとあれですもんね。渡されてまず回してから飲むみたいな、なんかそういう取り決めありますね。はい。うん。ファーストフード店に行って座っててもウェイトレスさん、ウェイターさん来てくんないですよね。はい。順番はまず注文して、みたいな。そういうのもやっぱりスクリプトとしての知識を持ってて、いろんな、まあ例えば足開いちゃいけないっていうような、まあマナーレベルとも言ってもいいような知識もあれば、順番がこうだっていう知識もあって。ああ。それがまあスクリプトという概念の1番重要な部分だと。
これめっちゃ難しくないですか?コンビニの会計で、人がいるレジでピッピってあの商品読んでもらった後に、その決済方法を自分で選ぶパターンと、「〇〇でお願いします」ってこっちが言わないといけないパターンあるじゃないですか。セブンだとね押すんですけど、ファミマとかローソンは自分で言わなきゃいけないかな。でも店舗によってはさ、ファミマとかでも一部自分で押さなきゃいけないやつもあったりして、コンビニに行くっていう俺の行動レベルでは同じなのにスクリプトが違うわけじゃないですか。だから僕毎回恥ずかしい思いするんですよ。あの、「〇〇でお願いします」って言って、「あ、押してください」って言われて、「ああ、すいません」って。ああ、わかる、わかる。それ起きるね。うん。いや、だからこれはかなりコンビニというものでスクリプトが共通してないせいで起きてる悲劇だなって今聞いて思いました。うん。うん。
で、そういう意味で言うと二郎っていうのは、まあある種試験みたいなところがあって、試されているところがある。お前は素人か、ちゃんとこのコミュニティにいる人間かっていう、それが試されてるという意味では、ラーメン二郎ってのは高度に言語人類学、社会言語学のネタとして有用なところだと思うんですね。うん。うん。
確かに言われると、ラーメン二郎に並ぶ人たちってなんか謎の連帯感みたいなのあるじゃないですか。あれって多分みんなで同じルールを守って同じもの食ってるっていう感覚だから、かなり文化人類学っぽい。そうなんですよ。しかも券売機に行くタイミングが二郎系の店によっては、聞くところですと違うらしくて。ほうほう。どういうタイミングで券売機行くのかっていうのが、例えば三田の二郎だと自分の番が来る数メートルぐらいのとこに来た時に行かなきゃいけない。難しい。へえ。あ、そんなところまで。行きます。で、それで券売機に行った時に当然そこ空間空きますよね。で、詰めちゃダメなんですよ。当然そこは戻ってくるという前提で。戻ってくる。はあ。高度だね。ものすごい知識がないとあそこ行けないんでドキドキしました。
久々に緊張して。あの慶應の教授ってラーメン二郎で緊張するんすね。私、緊張することあんまないんすけど、もう久々に緊張しました。間違えたらね。なんかあの「ニンニク入れますか」って言われた時に、私はなんか色々トッピングいらないんで「そのままで」って言うらしいんですけど、「なし」とか「あり」って言っちゃいけないってもうずっと思い込んで、もうなんかね、どもっちゃったみたい。ああ。緊張で。へえ。
僕もこないだ好きな服のブランドのなんか新作発表会に呼んでもらったんですよ。うん。周りにプロのなんかバイヤーさんみたいな人たちばっかりの中、僕みたいなやつが1人放り込まれたせいで、何したらいいのかマジでわかんなくて。でも素人だと思われたくないから動きを真似しようと思ったら、みんな全部の服をこう親指と人差し指でつまんで生地の感じを見てるんですよ。はあはあ。で、なんか「ほう、この生地か」みたいな顔してるから、僕も真似して「ほう、この生地か」みたいな顔して。何がわかんだ。何もわかんなかったから無駄なのに。生地の違いもわかんねえようなやつがよ。マジで。だから何にもわかんないで無駄な時間1時間過ごして帰ってきました。はい。ひたすら触って。そう。「この生地か」顔だけうまくなりました。
でも外国なんか行って、このお店どうやって注文したらいいんだろうってわかんなくなること結構ありますよ。それこそチップを渡さなきゃいけないのに渡さなくて痛い目に遭うみたいなこと起きますもんね。うん。うん。
まあそれで言うとね、ある温泉地に有名なラーメン店があって、そのラーメン店はですね、美味しいから有名なんじゃなくて、店内で派閥がはっきりと分かれているので、A派閥で注文するとBの人から口きいてもらえないっていうスタイルの……。何それ?そんな政治思想みたいなのあんの?ラーメン屋。そう、店内で親族が揉めてるらしくて、そのなんか弟派閥、兄派閥みたいなので接客が決まるし、出てくる料理の味も全く違う店があって。お前面白い雑学持ってるな。すごい店あるじゃん。はい。行ってきて。で、しかも兄弟だとしたらどっちに対応されるかは入った時に空いてる方だから、ギャンブルなんすよ、そこ。あ、そうなんだ。はい。っていうところに行った時なんかは、例えばスマホいじりながら食べると注意されるとか、なんかそういう細かなルールがあって、それが明文化されてないから全てGoogleマップの口コミに蓄積されていて、そこ僕行った時なんかめっちゃ緊張しましたもんね。実質口コミがドキュメントですよね。それを読み込んでから行かないといけない。そうだから、その大声で叱られてる客の口コミとかありますよ、もちろん。ちょっと面白すぎるな、その店。すごいね。ちょっとじゃあサポーターコミュニティの方向けにどこの何ていう店なのか言いますね。はい。
そういう意味で言うと、私もまあまあジジイなんですけど、自分が学生の頃の二郎の方が言わないルールが多かったです。うん。今の方がまだはっきりしてて、昔は禁止事項多かったんですよ。例えば何ですか? 例えば親父さんと口をきいていいのは体育会と応援指導部だけ。ああ、あるある。そう。あ、ある。聞いたことある。私語禁止なんですよ。私語禁止で。それから券売機がなかったんで、もうカウンターに小銭が置いてあって自分でお釣り持ってくっていう。へえ。あ、それ知らない。そうなんだ。良心にこう委ねてるんですか? いや、それよりも、カットですけど、多分……てたと思います。めっちゃ面白い。もうそれしか考……。多分それで導入したと思うんですよ、券売機入ったのは。めちゃくちゃ面白いな。あ、最高です。
より緊張しましたよ、昔の方が。うん。で、今の方が割と緩くなってる感じだ。なるほど。あ、そうなんです。でも世の中全般的に以心伝心とか言わないルールみたいなの減ってると思いません?だんだんなんか明文化してるし、「そんなこと言うけど、それどこにそんなルール書いてあんですか?」みたいなことが多くなりましたよ。張り紙のお店とかね、結構ありますもんね。
うん。うん。私、昔あの中等部っていう、慶應の中の中学校の校長先生やってた時期があったんですけど、その時にまあとある体育の先生がダラダラしてる生徒に「お前やる気ないなら帰れ」って言ったら帰っちゃったらしいんですよ。ああ、明文化の文化ですね。はい。だから我々の世代だとやっぱり「やる気ないなら帰れ」って言われると、あ、ちゃんとしなきゃっていうことだと思うんですけど。うん。それもコンテクスト化の合図なんですかね。コンテクスト化の合図が共有されなくなってきたってこと。そうだね。
でも確かにあの「やる気ないなら帰れ」って、そのコンテクスト化の合図ってわかってはいる世代だけど、すげえ困りましたよね。あれね、どっちに行っても詰むもんね。帰っても詰むし、帰らなかったら「帰れよ」って言われるから。僕大学1年生の時に同期でバイトしてたやつが、すげえ厳しい責任者に「お前もう辞めていいよ。もう来なくていいよお前」って言われて、本当に翌日から来なくて、当時1番立場下だった僕の仕事が2倍になりました。来てくれよ。引き継ぎとかせずに。悲しかった。あれ切ないですね。
50年後のラーメン二郎って、もっとめっちゃ親切になってる可能性ありますね。「トッピング表をお渡ししますので、そちらからお選びください」になってる可能性ありますね。そう。実際いわゆる二郎インスパイアの店ってそうなってますよね。あったりして、結構ここから選んでね、「ニンニク入れますか」と聞いたら「〇〇」と言ってくださいってはっきり書いてありますよ。あ、なるほど。じゃあもう普通に「トッピング何にしますか」にしろよって思うけどね。ん。なんで「ニンニク入れますか」は維持なんだよっていう。まあ確かに。あ、だからそれはもう形骸化してるってことですか。そうだね。コミュニティ意識高いんじゃないですか。我々はジロリアンだっていうやっぱり意識があるので、アイデンティティを保ちつつ、でも注文しやすくしてあげたいっていう折衷ですね。うん。そこはなくしたくないっていうとこなんだと思うんですよね。
で、私が学生の頃は結構いたんですよ。あの、たまにわけわかんなく入ってきたおじさんがいて、「ここ何あんの?ラーメンとかないの」とかいうおじさんいたんですけど、でも優しく「うちはこういうラーメンしかないよ」って優しく対応してますけど。あ、そうなんだ。はい。三田に関しては全然怖くないですよ。だから、なぜか緊張しちゃうみんな。はあ。私はめちゃめちゃ緊張しました。だから、なんか怒られたっていうエピソードだけ1人歩きして、実際には怒られてない。あんまり怒られてないんじゃないですかね。
多分例えば自分はジロリアンだっていうことを示したいっていう願望が一方であると思うんですけど、そういう振る舞いをする者に対して、あ、こいつはジロリアンだなっていうことがわかるわけですよね。で、振る舞いである人物がどんな人物かっていうことがわかる。そういう、まあ印みたいなのをインデクシカリティと。インデクシカリティ。指標性っていう風に日本語にすることが多い。インデックスってことですね。はい。例えば一番わかりやすいのは、関西の方言で話してる人がいたら、あ、この人は関西の人だ。うん。喋り方でこの人はどういうタイプの人だということがわかったり、もうそれこそ、まあありとあらゆる記号ですけどね、それにもあると思いますけど、そういうやり取りの中で自分は何者かっていうことを示しながら我々は言語活動しているので。うん。そういう側面もやっぱりあると思うんですよね。うん。なるほど。ラーメン二郎で注文を滑らかにしたりとかしてると、この人はジロリアンだっていうこと、この人は素人じゃないなっていうことをインデックスしてるっていうことでもあると思うんですよね。
なんかラーメン二郎に限らず全部ある気すんすよ。あの有名な吉野家コピペっていう、インターネットで流行ったやつがありまして、それはあの家族連れが最近はなんか吉野家のキャンペーンで来ているけど「もう帰れお前ら」と、素人丸出しだと。「今日は特盛にしちゃおうかな」とか「大盛にしちゃうぞ」とかはしゃいでんのと。素人、素人。「つゆだく」って言いたいだけ。通は「ねぎだくギョク」。これ吉野家の通が頼むものはこれだっていう、決めて。それインデクシカリティを出したいわけです。
その人は多分つゆだくで、自分はまあまあ知ってるぞって言いたかったんでしょうね。っていうのが、素人だと逆に一番見てられないものだと示してるっていうことですよね。なんかそういうマウントカスみたいなのどこでもありそうだなって思う。ちなみに大学の時に吉野家でバイトしてたやつにこれ言ってみたら、「何それ」って。「ギョク」って言ったら、「え、そんな風に言わないよ、生卵って言うよ」って。言わないのだから、そいつがそのオーダー聞いたら「何ですか」って聞き返すって言ってました。見てられないっすね。
それね、僕ちょっと前に井上先生にちょっと本業で取材をしたことがあって、そのテーマが、自分が部下にね、例えば「確認しました、これで進めてください」って言った時に、部下から「グッ」っていうあのサムズアップのスタンプだけが送られてきたら腹立つかどうかっていうテーマで井上先生にご取材をしたんです。これちょっと腹立つけどな。あ、そうなんですね。うん。堀元さん腹立つんだ。腹立つってことではないけど引っかかるんだ。「わかりました」とか言ってほしいなっていう気はする。あ、そうですか。
まあちょっと今回本筋からそれちゃうんで、これだけで1回分ぐらい多分喋れるんですけど、そこで出てきたのが、スタンプのグッは嫌だけど、LINEのスタンプだと結構上司は喜ぶっていう話が出てきて。そう。え、スタンプのグッは何?Slackとかのリアクションボタン? そうです。リアクションボタンとか、あのメールのリアクション機能とかで返ってくるあれを話題にしてたんですけど、部下と例えば一緒にご飯を食べて「今日ごちそうさまでした」みたいなやり取りした後に、部下からなんかLINEのスタンプだけで来た時とかでも結構嬉しいんだみたいな話をしていて、で、それはなんでなのかっていうのを聞いたらインデクシカリティだと。これインデクシカリティなんですか? 何者かっていう個性出せますよね、あのスタンプの場合は。で、そうすると多分好意的に取る人は、自己開示してくれてるんだ、この部下は、って。うん。あ、確かに。こういうタイプのが好きですよ、って。そうなると喜ぶんじゃないですかね。はい。はあ。
パッとわかりやすい例で言うとさ、ポプテピピックのスタンプを送ってきたらさ、めっちゃキャラクターわかるじゃん。わかる。そうだね。オタクの友達になれそうだなみたいな気持ちね。そうそう、みたいな自己開示を伴うから、まあリアクションボタンのリアクション機能じゃなくて、LINEスタンプだと全然受け止め方が違うのは、1個はそのインデクシカリティが関係あるんだ。確かにちょっと嬉しくなりますもんね。
僕と水野さんと、あとバリューブックスの飯田さんっていう友達入れて3人のLINEグループありますけど、あそこで飯田さんが頑なに昔流行ったYouTuberのスタンプを押し続けるんですよね。あれなんかすごい嬉しいですもんね。確かにね。あのマックス村井さんとかのスタンプ。言う?お前ぼかしたんだから言うなよ。マックス村井さんのスタンプめっちゃ押すからね、飯田さんね。めっちゃ使ってくるからね。まあでも飯田さんはいずれにせよね、いわゆるオワコンと言われてるYouTuberを見るのが趣味だから、それのインデクシカリティですよね、それは。言っちゃって大丈夫ですか。え、オワコン化してるとは僕は思ってないですよ。飯田さんがオワコン化したYouTuber見るのが好きだって言ってたっていうだけです。悪いのは飯田さんだけで。そう、俺たちは何の問題もない。そう。マックス村井さん尊敬してます。いつも見てます。直近の回は何だった? うわあ、なんかあのテレビのレビューとかしてましたね。テレビのレビューしてました。面白いですね。すごいな。さすがですね。うん。さすがです。
インデクシカリティの研究って実はあの世界的に見て日本語を材料とした研究が非常に多いんです。へえ。それは英語話者の先生とかが日本語やってる。そう。日本語を材料にして論じる人は結構多くて、で、それは例えば今ちょっと論じにくくなっちゃったんですけど、あの男性マーカー、女性マーカーみたいなのがあるとされてて、一時、1970年代ぐらいだと日本人の男性と女性で言葉遣いが、語尾が違うんだと。なんとかだとか、なんとかだわっていうと、それはあの女性をインデックスするみたいな、ですからそういう観点で日本語はものすごく注目されてたんですね。社会言語学とか言語人類学で。で、それと同じようにスタンプの研究も日本語はすごく進歩的なんですよ。スタンプってのはLINEスタンプ? LINEスタンプとか。あれもなんかね、最初、伝統的にはタイプライターの文化が西洋にありますんで、コロンとかカッコを横にしたみたいなあのにっこりマークとか。ありますね。うん。ああいうのは元々あったんですけど、携帯とかスマホとかになってから爆発的に日本のスタンプとかがバリエーション多くなったんで、それもやっぱり注目の的だったんですね。うん。うん。うん。
だからこれちょっとこういう一般化していいかどうかわかんないんですけど、他の言語に比べても日本語はそういうインデックス性とか、あるいはコンテクスト化するような要素がものすごく多様で、すごく重層的な言語なのかもしれないと。なるほど。なんか1人称も多いし。そうです、その通りです。2人称も多いしみたいな。ありますよね。そっかそっか、それインデクシカリティなんだ。そうです。インデクシカリティで、まだ小生ですけど、1人称。違う違う違う、ダメです。30そこらで1人称小生にするのは狙いに行きすぎ。あれ50過ぎないとダメだから。まだダメです。50になってからやってください。
僕ね、うっすら感じるのは、父親がね、小生にシフトしたそうにしてるなっていう。マジ?え、そのあるの?兆しみたいな。なんかやっぱもうすでに「わし」出してさ、やっぱ。ああ、ちょっと行こうとしてるな。でね、その、もう北方謙三先生が好きなの。ああ、やばいね。そう。だからもうその小生ワナビー。小生ワナビー1番見てられないぞ。やだ、それ。ない?お父さん小生ワナビーじゃない? ないね、うちの親父は。うん。僕とか、うん、俺とか言ってるから全然小生ワナビーじゃないっす。
井上先生、ちなみに小生にこうシフトしたいと思います? あの書き言葉ではしたこともあります。小生って言ったこともあります。あ、そういう風に書いたものもあります。でもなんかキャラと違うな。井上先生キャラじゃないです。親しみやすいっすもんね、井上先生。でもなんかちょっと「僕」っていうのもなんかちょっと恥ずかしいな、「私」っていうのもちょっと硬いかな、みたいな。で、ちょっと難しいですよね。どう選択するかって。「我が輩」にするパターンですか? 「我が輩」も使いたかったんですよ。使いたかったんですね。使いたかったんですか? だから今1番よく使ってるのは「私」をカタカナで書いた「ワタシ」。ああ、確かに。ちょっとインデックスしてますね。ちょっと井上先生っぽいな、それは。そうだね。いいですね。ちょっと「僕」って言いづらい年齢になってきちゃったんで。なるほど。あ、え、そうか。年齢で考えなきゃいけない。それ、50とか60でもまだ1人称って悩むのか? 悩む。それでやっぱり、まあ年齢と共にキャラ変してるわけじゃないですけど、まあなんとなく変わってくじゃないですか。それなりに、まあ周囲の扱い方が変わってきちゃいますよね。自分が変わってないと思ってても。
それあの時代もやっぱりちょっと変わってきて、例えば『男はつらいよ』って寅さんの映画ありますよね。それで当時学生運動が盛んだったぐらいのちょっと後ぐらいの作品なんですけど、あの若者たちが「僕はなんとかなんとか」って主張してたら、寅さんが「僕か、兄ちゃんインテリだね」っていうシーンがあるんですよ。昔は「僕」ってインテリをインデックスしてたんですね。だからそういうのもやっぱり時代的に変わっていくっていうのもあるし。へえ。1人称がまさにそうで多様なのって、まあ言語学的に言うと日本語には人称詞ないって見る方が普通だと思うんですけど。うん。あ、そうなんですか。はい。IとかYouとかに関するような言葉って日本語に何でもありますよね。いっぱいありますね。え、あれはあの人称代名詞とは呼ばないの。単なる代名詞。代名詞でもない。まあなんか、まあ名詞ですよね。ただ、まあその動詞の形を変えたりしないわけじゃない。人称変化したりしないから。だからあんまりその文法的な感じじゃないんですよね、その「私」とか「僕」とかっての機能は。なるほどね。だからあの例えばあの中学1年生で出てくる「Yes, he is」とかで、heって「彼」って絶対訳したら変ですよね。うん。でも「彼」ではないってことですね、それは。そうです。だから「彼女」っていうのも明治以降できた言葉なんで。へえ。だからそれはもう人称詞ないって見る方が言語学的にはまあ普通だと思うんですけど、でもおっしゃるように自分を何と指すか、まあ自称って言い方したりすることもありますけど、それもインデクシカリティの、特に日本語の特徴ですね。
いいな、たどり着きたいな、小生に。小生きついな。小生をゴールとして、どういう風にしたら自然になるかを教えてほしい。確かに小生までの道のり教えてほしい。そう。いつぐらいで俺「小生」って言っていいかな? 堀元さんは何ておっしゃってんですか? 僕は圧倒的に「僕」ですけど、でもなんかちょっと「私」にシフトしたい気持ちもありますよね。「私」行きたいっすよね。え、それ口頭でですか?それとも文章でですか? 口頭でだね。へえ。朝井リョウさんは「私」だよね。あ、そう。朝井さん「私」だね。あれでもなんかハマってるじゃん、朝井さんには。朝井さんはね。で、朝井さんは多分あのまま「私」で行ったら20年後に「小生」になってても違和感ないのよ。ああ。まあ確かにな。なんかそういう感じだ。俺も小生への第一歩として「私」に行きたい。「私」から「小生」は確かに。いけるいける。いけます。正当進化ですよ。これは行きやすい。「僕」から「小生」はやばい。あ、それは飛んでる、結構。うん。「わたくしめ」とかに1回してみるのいいかもしれないね。
「わたくしめ」。「わたくしめ」としては……。ああ、なげえな。うん。一旦だから「朕」を挟んで、そっから……。1回天皇行っちゃだめなんだよ。そう、もう1番不遜なとこ行っちゃってるからダメです。ダメ。上げすぎ、上げすぎ。まずい。お主そういうとこあるから気をつけたほうがいいよ。お主。お主。俺、2人称もやっぱり個性出していきたいから「お主」とか言っていきたいっすよね。「そなた」とか。そういうのそういうの使っていきたいな。あ、2人称も難しいですよね。なんて呼んでいいかって悩みますよね。まああの留学生で漫画で勉強してる子結構いて、「貴様」っていうのが絶対丁寧な言い方だと。ああ、まあまあ文字のね、字義的にはそうですね。ほんで「貴様はどなたですか?」。
でもさっきの話からすると、インデクシカリティ、自分はこういう者なんだっていうのをみんな示したいわけじゃないですか。って考えると、「私」とか「僕」みたいな1人称的なものってもっと増えてもいいですよね。うん。ジロリアンしか使わないものみたいなのあっても良くない? あ、そのレベルですか。セクシャルマイノリティの方がやっぱりそう、「僕」とか「私」っていういわゆる異性愛者がよく使う1人称を使うと自分をうまく表現できない気がするっていうので悩むってのはやっぱり言うんですね。うん。で、ちょっとその挙げるのが適切かはわからないですけど、アーティストのあのちゃん、あのさんの1人称が「僕」なのもやっぱりそれで気になっていて、1回ちょっと中央公論で書いた原稿で触れたんですけど、明治時代の女学生も1人称「僕」だったんですよね。あ、そうなん。うん。で、それが不適切だって言って怒られてもいた。だから、あのちゃんの1人称が「僕」ってのも実は保護者からクレームが来たりしていて、子供が真似するっていうクレームとかよく来るらしいんですけど、それ別に明治の時とやってること全く変わってないんだみたいなことをそこに書いた。
面白い。だからそれさ、少ないからそういう問題起きるわけじゃん。1人称的なものが、まあせいぜい多分数十種しかないからそれ問題起きてるわけで、ジロリアンの人が自分のこと言う時「二郎」とかにしたらさ。うん。二郎。二郎とかにしたらいいじゃん。自分を。自分を。「二郎が思うにそれは違うと思うよ」とか。あ、二郎さんなんですか? いや、違いますよ。いや、まあそういうのが起こってきます。そうか。不便なのか、これ。コミュニティがどんどんちっちゃくなりますよね、使える範囲が。あ、そうか。インデクシカリティの基本は、それを言うと多くの人があるものを連想するっていう、そういう慣習を共有してるっていうことが……。そうか。そうか。重要なので、まあすごくちっちゃいコミュニティで使うものってのはあると思いますけど。安易に生み出しちゃうと普通のコミュニケーションに支障をきたすわけですね。うん。より広いコミュニティだと通じなくなっちゃうっていうことは起こりますよね。なるほどね。
でも例えば形式はだから増やせないけれども、アクセントを変えるとかっていう手もある気がしていて、「僕」と「僕」って結構違うと思うね、みたいに、アクセントの部分で少し差を出すとか、まあ戦略としてはあると思います。確かに「私」って言うとねしっかりしてる感じするけど、「あたし」って言うと急にギャルになるね。そういう感じで差別化できるかもしれないですね。小生なんかね、って言ってましたね。私じゃなくてね。ちょっと今の話で、さっきの話を補足したいんですけど。
コンテクスト化の合図って、多くは音のレベルのことを扱うことがむしろ多いんですよ。ほうほう。で、この言い方をするとこういう意味ですよっていう風に、まあ次の段階の会話をやっぱり誘導するみたいな。そう。ちょっと例をもらってもいいですか? 例えばちょっと私がよく挙げる例なんですけど、「お出かけですか」っていう言い方と、「お出かけですか」っていうのだと全然意味が変わってきます。「お出かけですか」って言うと、出かけちゃいけないのになんか非難してるみたいな。ああ。はは。こんな時間なのに、こんな夜遅いのに「お出かけですか」みたいなね。「お出かけですか」って言うと「こんにちは」っていう挨拶に理解される。なるほど。そうすると「お出かけですか」と「あ、今ちょっとそこまで」っていうスクリプトが想定されるんですけど、「お出かけですか」って言うとなんか弁解しなきゃいけないとか、言い訳しなきゃいけない。確かになんか笑ゥせぇるすまん感ありますよね。喪黒福造が「お出かけですか」って言ってきてる感じしますね。そうそうそうそう。そうすると次に何が来るかっていう、これまさしく「ニンニク入れますか」と同じで、次に何が想定されるかっていうことが、
プロソディっていうんですけど、音のレベルでそれが喚起されるっていう、そういうそのキューになってるっていう合図っていうことなんだけど、それがコンテクスト化の合図という研究の一番多くの事例なんですね。ちょっと「ニンニク入れますか」は割と特殊な例だと思いますけど。
うん。もしかしたら「ニンニク入れますか」も、普段の会話の「ニンニク入れますか」のイントネーションパターンだと誤解されるから、違うイントネーションパターンで二郎では言うようになるとかありえますよね。
てかちょっとそうじゃない?すでに。「ニンニク入れますか?」
あ、違う違う。違わないけど。え、でもちょっとさ、すでにさ、僕の方「ニンニク入れますか?」なんかちょっと独特の言い方だよね。フラットに「ニンニク入れますか」とは聞かないよね。
あ、そうだね。ああ、そうかも。そうかも。そうだと思う。そうだと思います。
じゃ、やっぱよくできてるわけですね。その意味でも。そうだ。
だって家で恋人にご飯作る時に「ニンニク入れますか」とは言わないもんね。
え、え、ごめん。例がわかんないんだけど、どういうことかな?
いやいやだね。「ニンニク入れますか」って聞くじゃん。恋人には。敬語で聞かないかな?あ、恋人には敬語で話すタイプの方。
そう、僕、親しき仲にも礼儀ありだなと思ってるから、家でも「ニンニク入れますか」っていつも言ってます。言ってないです。でください。
はい。かしこまりました。
ということで、ラーメン二郎言語学の研究者である井上先生から……違う、だいぶ不名誉だな。
なんか違う。ラーメン二郎の親父はあんなに慶應に尽くしてくれてるわけだから全く問題ないですよね。ラーメン二郎言語学です。内容まとめますと、1つは、その「ニンニク入れますか」っていうのはコンテクスト化の合図なのだと。つまりニンニクを実際に入れるかどうかを聞いてるのではなくて、そこから次の手続きを呼び出すような、そういう問いかけなのだというのが1つ目で、もう1個はコードに形式化されたフローがあるという話でしたね。
これをインタラクショナルスクリプトと呼ぶと。で、こういうのは例えば茶道とか就職活動の面接とか、こういったものにもよく見られるものなのだと。言語人類学っぽいということです。
うん。そうですね。で、最後がインデクシカリティっていう、自分がジロリアンであるってことをこう表示するのにも使えるのだと。これも言語人類学の研究なんですね。
そうです。あと他者がどういう人なのかが分かるっていう。そのインデックスを見て、あ、こいつはこういうものだなってわかるっていう。自分も示すし人のもわかる。
なるほど。出版社名をすっと答えるあれあるじゃない。頼まれてないのにいつもやってるけど。
はい。
あれは完全にインデクシカリティですよね。私はこういうことができる人間だと。出版社を気にしながら本を読む読書家だっていうアピールをしている。
あ、違います。
え、絶対そうですよね。
皆様が書名を聞くと必ず出版社が気になるので、仕方なく渡したいっていう……。誰も気になってないです。
何か言ってみてください。僕すぐ出版社言うんで。
『ネット炎上事例100』。え、日経BP。
すごい。めちゃくちゃすごいな。お前やるね。
ありがとうございます。
これ本当に飲み会でも常にやるんですよ。この人カメラの前だからやってるんじゃなくて、いっつもやるよ、ちゃんと。
はい。すごい。怖いな。
え、『伝わるしくみと異文化間コミュニケーション』はナウンドで、え、『グローバルコミュニケーションのための英語学概論』は
〇〇出版会で……聞かれてないの?やめて。ちょっと今出たら言うのはまだ、もうちょっと頼んでないからやんなくていいです。今余計です。その時間必要ない。必要ですか?はい。
ありがとうございます。
取れちゃいましたけれども、ラーメン二郎っていう極めて身近な事例でも言語学の知識があるとこんだけ楽しいのだということを話してまいりました。どこ行ってもフィールドワークだなっていう気がしました。
そうですね。先生の方から最後何か告知などがあれば。
告知というほどのものではないですけど、いのほた言語学チャンネルっていう言語学のチャンネルを、ここに出演させていただいた私の同僚の堀田隆一さんと2人でやってまして。
だからまさかの今回、井上先生と堀田先生という2人がやっているYouTubeチャンネルから2人ともゲストに出ていただいたということですね。
ありがたい限りで。
で、なぜか井上先生はYouTuberとしての向上心がすごくて、飲ませていただくたびに、あれはどうやって編集したらいいんですかとか、撮る時のコツを教えてくださいとか毎回聞いてくださいました。
もうこの収録もね、勉強しどころだらけで。
先生YouTuberじゃないんですよ。教授なんですよ。そっちやっていただいた方がいいですよ。動画編集のコツとか身につける必要ないです。なんでも井上先生は、その修学旅行の引率に行った時にカフェに入って動画の編集してたっていう。
じゃ、生徒のことを考えた方がいいって。
自由時間の間。
あ、なるほど。時間空いてたんですね。
僕だったらね、その場所で観光とかしたいなと思うけど、先生は動画の編集あって。
違うけどな。時間の使い方。言ってまし。変だな。
堀田隆一さんも言ってたんですけど、ゆる言語学ラジオはゆるくなくきっちり撮ってらして。
あ、確かに。私と堀田さんのあのいのほた言語学チャンネルの方はもう本当に緩くて。
うん。
収録時間が実際流す時間で、その無編集で、ほぼ無編集でっていう感じで。もうただ本当に台本も何もなく喋ってるんで。
だから我々のラジオは学意が緩くて、いのほたチャンネルは編集が緩いです。
そうだそうだ。もしよろしければ遊びに来ていただければ嬉しいなと思います。今回の話に絡むものをいくつか選りすぐって概要欄に書いておきますので、是非興味があったらその回から入っていただけるといいんじゃないかなと思います。
概要欄、固定コメントのリンクから皆さんぜひ見てみてください。
はい、あと引き続き面白かった方はチャンネル登録、高評価、感想のコメントお待ちしております。ジロリアンの皆様から、いいフィールドワークできたぞというエピソード、ラーメン二郎で見た面白いことなどありましたら是非コメントしていただけますと幸いです。
はい。あと僕が何歳から「小生」を使っていいのか教えてください。
確かに。その年齢からぴったり使い始めますんで、ピンポイントで指定していただけると幸いです。お願いします。
以上、終わりにしましょう。ありがとうございました。ありがとうございました。
堀元さん、うまく話せなくて悩むことってありません?
よくあります。
そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。
ほう。
タイトルは『会話の0.2秒を言語学する』。会話のわずかな間にフォーカスした1冊です。是非皆さん買ってください。
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