数学講師・荻野暢也が語る、「何もできない子」だった少年時代から代ゼミ講師になるまで
トマホークTomahawk代々木ゼミナールの数学講師・荻野暢也が、京都大学医学部生のYouTuber・もごのインタビューで、幼少期から代ゼミに採用されるまでを振り返った。「接点T」や「メガネの女」でネットミームになった講師は、どういう経緯で予備校講師になったのか。荻野は、自分は勉強も運動もできず、強く叱られないと何もしない「怠け者」だったと繰り返し語る。そこから数学と学歴だけを頼りに進路を切り開いた経験が、「人生は自己責任」という生徒への言葉にもつながっている。
冒頭でもごは5年前から会いたかったと伝え、自分のモノマネについてどう思うかを尋ねた。荻野は嬉しいと答えつつ、みんなあまり似ていないと笑った。
家業の倒産と親戚の家での生活
荻野によれば、幼い頃の家はある程度裕福だったが、家業が倒産した。小学1年生のある日、学校帰りにそのまま親戚のおじさんの車に乗せられ、親戚の家に連れて行かれた。「お前は今日からここの家の子になるんだ」と言われ、絶望的な気持ちになったという。ただ、そこでグレることはなかったと本人は強調する。周囲にはそう思っている人もいるが、まったくないそうだ。
その後、再び家族だけで暮らせるようになったものの、両親と兄弟3人、祖母の6人で狭い住まいに住み、寝る場所がないので1人は押し入れで寝ていた。やがて東京の団地に引っ越す。当時通っていた学校が大好きで「みんな一緒に転校しないなら俺は行かない」と駄々をこねたが、東京への憧れもあった。新幹線で品川のあたりに差しかかったとき、母親に「東京タワーだよ」と声をかけられ、その東京タワーがとても嬉しかったことを今も覚えている。小学校では3回ほど転校した。
怖い担任が「普通」にしてくれた
荻野は自分を「決して頭のいい方ではない」と言い、勉強への興味もなかったと話す。幼稚園のとき地球儀を回していて大陸移動説を「発見した」が、すでに発見済みで残念だった、という冗談も交えた。
転機は東京で3・4年生の担任になった教師だった。とても怖い人で、勉強ができないと手が出た。荻野は体罰を容認するつもりはないと断ったうえで、その先生に鍛えられたおかげでやっと「普通」になれたと振り返る。怖いから勉強したが、同時に強い男への憧れのような感情も抱いていたという。ところが5年生で穏やかな先生に替わると、急に勉強しなくなり、成績が一気に落ちた。荻野はこれを、自分がものすごい怠け者で、脅されたり傷つくほどきつく叱られたりしないと何もしない性格だったからだと説明する。
「人生は自己責任」という教え
もごは、今の講師としてのスタイルもそうした生徒向けなのかと尋ねた。荻野は、できない子ができるようになるには、自分のような怠け者には厳しくしなければならない、という考えが根底にあると答えた。ただ、今はそういう指導ができない時代で、当時の自分のような子にとっては残酷な時代だとも述べる。
そのため、予備校では最初に「人生は自己責任だ」と生徒に伝えているという。昔のように嫌なことを強制的にやらせて鍛えることは予備校にはできないので、自分で自分を鍛えるしかない。30歳、40歳になって貧乏でもそれは君のせいで、それ以外に責任の所在はない。大学に受かれば全部君のおかげ、落ちれば全部君の責任。高校を卒業したら人生は自己責任だ、という話をしているそうだ。
もごは強く共感し、最近のネットでは遺伝や環境のせいにする風潮があると話を振った。荻野は、親の知能が遺伝するのは事実だと思うと認めたうえで、大人になったとき「元々バカの家系だから給料を10万円上げてあげよう」などと言ってくれる人はいないのだから、遺伝の壁を越えて頑張るしかないと述べた。もごは、荻野の「能力が低いなら早く起きろ」という言葉を聞いて、高校時代に毎日6時半、5時半に起きていたと明かした。
塾の数学教師と「12の約数」の問題
当時は中学受験をする子が学年に1〜2人しかいなかった。荻野の見立てでは、周囲の家庭は今の感覚でいえば年収300〜400万円くらいで、私立に行くのは普通は無理だったという。公立中学に進み、駅前の塾に通った。
この塾の数学教師もまた怖い人だった。今でも覚えているのが、中1のときに出された数列の問題だ。数が並んでいて規則性を当てるもので、荻野は「1、2、3、4、6、12」という並びを出され、答えられずに叩かれたという。対談でもごにも同じ問題を出すと、差でも比でもなく、もごは分からなかった。「12で終わり」というヒントで、答えは12の約数だと分かる。もごは「これは数列じゃない」と抗議し、二人は誘導として最悪だ、今ならコンプライアンス違反だと笑い合った。
それでもその教師はブルース・リーに似ていて若く、かっこよかった。荻野は憧れを抱き、英語はまったく伸びなかったが、数学だけは学校の成績で4や5をもらえるようになった。荻野は、小学校の怖い先生が自分を普通にしてくれ、塾の先生が数学という生きる術のすべてを与えてくれた、とまとめる。もごはこれを「元祖数学ヤクザ」と表現した。
初めて人に勝てたのは将棋だった
子どもの頃の荻野は、鼻水を垂らしてウルトラマンごっこをしているような子で、足は遅く、跳び箱も跳べず、逆上がりもできなかった。親はとても心配していたはずだという。生まれて初めて「これなら人に勝てる」と思えたのが将棋で、本気で棋士を目指していた。中学時代は将棋ばかり指していて、あまりいい高校に行けなかった理由の一つもそこにあると本人は言う。
高校に入ってからも練馬の駅前の道場に通い、声をかけられて弟子にしてもらい、奨励会に入る流れを夢見ていた。ただ、高1ではもう年齢的に話にならなかった。ある日、よく来ていると目に留めた大友八段に二枚落ちで指してもらった。途中から金銀に囲まれ、明らかに詰まされる局面になったが、相手は詰ませずに歩を伸ばすなど手を緩めた。一手違いになったところで荻野が相手の玉を詰ませると、「荻野君、強いね」と言われた。荻野はこれを、「もう話にならないから他の道を考えろ」という意味だったのではないかと受け取っている。
荻野によれば、アマチュアの段級は道場ごとに基準が違うので一概には言えないが、当時の実力はアマ初段くらいだった。後に大学で将棋部に入ったものの、生意気だとすぐに辞めさせられたそうだ。
大学進学者が少ない高校で
通った高校は今はもうない。ドラマ『3年B組金八先生』の第2シリーズでロケ地になった学校だという。偏差値は50前後で、大学に行く人は少なく、半分ほどは就職した。暴走族の生徒もいた。大学に進む人も今でいうFランクがほとんどで、MARCHに受かれば大騒ぎになるような環境だった。だから荻野が後に理科大に進み、千葉大にも補欠で受かったときには、銅像が立つのではないかと思ったという。
高1で将棋をやめてからは、何もしなかった。友人とトランプをするのが唯一の楽しみで、周りにはタバコを吸いながら麻雀をする同級生もいた。荻野は漫画『ビー・バップ・ハイスクール』の世界そのものだったと話す。クラスで一番怖い生徒が、月曜に落ち込んでいるので理由を聞くと、前日に歌舞伎町でヤクザと喧嘩して負けたと答えた、というエピソードも披露した。無免許でバイクに乗せてもらったときは、正面からトラックが来てエンジンが止まってしまい、バイクを置いて逃げたこともある。トラックは止まってくれ、バイクの持ち主にも「しょうがねえな」と許してもらえたという。
荻野自身はグレていたわけではないが、周囲には人生を諦め、何の希望も持っていない生徒が多かった。高1の時点で通分ができない生徒もいて、分数の計算を避けて点を取るような状態だったという。一方で中学の同級生たちは付属校や国立高校など良い高校に進んだ。荻野は、自分の高校を「どうしようもないところ」と言いかけつつ、今の自分の方向を作ってくれたのだから、自分にとってはとても良い学校だったと言い直した。痩せていたことへの劣等感も強く、将棋をやめた後に筋トレのようなことを続けたが、効果はなかったという。
アイスクリーム屋のアルバイトで挫折
高校の冬休みに、友人と西武の地下のアイスクリーム売り場でアルバイトをした。ところが釣り銭の計算ができない。120円のアイスを2つ、160円を3つ、ソフトクリームを1つ、と注文されて1000円を出されると、すぐには計算できなかった。荻野は「Xが出てこないと駄目」だと笑う。仕方なく勘で釣り銭を渡すと、多くもらった客は喜んで帰るが、10円でも足りない客は戻ってくる。そうして売り場の前に行列ができた。
クリスマス前には「24日は忙しいから休んでくれ」と言われ、年内で辞めさせられた。もう何もできないと感じた荻野は、少しは得意だった数学をやろう、自分が生きる道は学歴しかないと考えるようになった。
荻野は、こうした話を東大クラスでしても「早く問題を解け」と思われるが、君たちにはこのレベルの話は分からないだろう、と語る。もごが大阪の大手前高校出身だと話すと、荻野は、自分が言いたかったのは学歴ではなく、何もできない人間の気持ちという意味だと補足した。
「日本に行ける大学はない」と言われて
高校最後の三者面談で、荻野は担任から「この成績だと荻野君が行けるところは日本にはないと思います」と言われた。母親は泣き出し、「お前を刺して私も死ぬ」とまで口にした。浪人すれば明治くらいには入れる、といった話になると思っていたのに、それすら到底無理だという言い方だったという。
そこで荻野は最後の3学期の定期試験に向けて懸命に勉強した。それでも英語は30点ほどで、平均点は70点以上あった。授業中に遊んでいた友人に後ろから答案を覗かれ、「お前、クラスで一番バカじゃねえの」と笑われた。その友人は80点ほどで、英語は文系に必要なものだと言い、理系のお前には関係ないな、と嘲った。入学時は自分が上だと思っていた荻野は、この一言でぶち切れた。
その日から気が狂ったように勉強したという。定期試験が終わっても勉強し、休み時間も机に向かう。荻野の学校ではそれは異常な光景だった。その後の試験ではクラスで1番、さらに学校で1番になったと荻野は話す。ただ、現役で受けた理科大などには不合格で、浪人することになった。
浪人時代の代ゼミ
現役でも浪人でも、受けたのは理科大と千葉大だけだった。高校ではトランプばかりしていて物理や化学の授業を聞いたことがなかったので、理科が入る入試は受けられない。理科大の数学科は英語・数学・数学という構成で、当時の千葉大の数学科は2次試験が数学のみだった。ICUも受けたという。模試はリスニングがなかったのでA判定だったが、本番のリスニングで何を言っているのかまったく分からなかった。英検3級も落ちたことがあると明かしている。
浪人では代々木ゼミナールに入った。当時、駿台は知らず、河合塾は東京になかったのではないかという。国立理系コースに申し込むつもりだったが、窓口で東大理系のトップクラス「TS」に変更した。一応試験はあるが、荻野によれば誰でも入れるものだったそうだ。年間23万円は荻野家には大きな額だったが、両親と一緒に代ゼミ本部で納めた。
結局すぐに授業に出なくなり、最後まで受けたのは数学と英語の一部だけだった。それでも山本矩一郎、安藤、正尾佐といったトップ講師の授業を受け、「ああなりたい」とずっと思っていたという。志望校は東大ではなく、あくまで理科大と千葉大だった。最初は生物や地学の授業も取ったが3回ほどでやめた。模試では千葉大と理科大にAやBの判定が出ていた。
予備校講師になりたい気持ちは当時からあったが、絶対無理だとも思っていた。荻野によれば、当時の予備校講師は半分以上が大学教授のアルバイトで、自分が教授になれるはずもなかったからだ。
千葉大の繰り上げ合格を断って理科大へ
理科大の学費などをすべて納めた後の4月2日頃、千葉大から「補欠1番で繰り上げ合格になるがどうするか」と電話がかかってきた。西千葉は家から2時間半ほどかかる。千葉大の方が上だという気持ちはあったが、気が小さい荻野はその場で断ってしまった。やはり迷って母親の帰りを待ち、電話をかけ直すと、担当者は明日まで待つと言ってくれた。それでも最終的には改めて断った。
荻野は、理科大に行ってよかった、理科大が大好きだと言う。神楽坂という都会にあり、勉強はほとんどしなかったのに卒業できた。理科大は進級が厳しいが、数学科には実験やレポートがないので「毎日が日曜日」だったと冗談めかして語る。もちろん試験前には勉強した。卒業できたのは、優秀で勤勉な友人に恵まれ、試験に出るところを教えてもらえたからだという。理系では一人で進級するのは無理だと思う、と荻野が話すと、もごも自分の周りでも友達がいない人は厳しいと同意した。
大学時代の荻野は、長渕剛に憧れて髪を肩まで伸ばし、周りにいじられていたという。荒れた小中高を経て、理科大で初めて「お坊ちゃん」たちに出会った。大企業の部長の子で、別荘を持ち、海外旅行をしている。荻野は海外に行ったことがなく、親戚のお土産のチョコレートを冷蔵庫にしまって少しずつ食べていた。私立の中高一貫校出身で、本当は早稲田に行きたかったという友人たちは、とても頭が良かった。
その友人の中から大企業の部長になった人、校長になった人が2人、国立大学の数学教授になった人が出た。荻野は、理科大は東大や早稲田に行きたかった人が行くところというイメージがあるが、十分偉くなれる、その後は努力でどうにでもなると言う。理科大なら、高校時代にひどい学校にいても1年頑張れば指で引っかけるように受かる。だから受験生には諦めずに頑張ってほしいと語った。
学費は当時年間80万円ほどで、私立の中では一番安かったという。もごがその場で調べると、現在の理科大は年間約140万円で、ほぼ倍になっていた。
ゲームセンターと代ゼミだけが受け入れてくれた
大学時代は池袋のゲームセンターでずっとアルバイトをしていた。荻野は、自分を受け入れてくれたのは池袋のゲームセンターと代ゼミだけだと言う。当時は法改正前でオールナイト営業だったので、夜中に客がいないときは遊ばせてもらえた。それがとても嬉しかったそうだ。
『ストリートファイター』にはいくら使ったか分からず、カプコンに表彰してほしいと冗談を言う。もごがザンギエフ使いだと話すと、荻野は地上でスクリューパイルドライバーを出せるかと尋ね、自分はジャンプ中からコマンドを入れ始めないと出せないと明かした。荻野の持ちキャラはベガだ。溜め技が苦手なので、ダウンさせられて相手が調子に乗って上から攻めてきたところに、レベル3のナイトメアを出すという「卑怯な戦い方」をしていたという。負けた相手に「次は勝つからな」と言われた話も披露した。喫茶店などにあった麻雀ゲームの機械が静電気に弱く、靴でカーペットをこすってクレジットを増やす裏技があった、という話も冗談交じりに出た。
三菱電機を断り、駿台甲府高校の教師に
大学はストレートで卒業した。就職活動の時期はバブルで、荻野によれば誰でも好きな大企業に入れた。荻野も、ゼミに来た三菱電機の人についていくと内定が出た。しかし仕事はコンピューター関係で、荻野はコンピューターにまったく興味がなく、今でも電源スイッチがどこにあるか分からないほどだという。無理だと思い、入社前に迷惑をかけないよう断った。
選んだのは山梨県の駿台甲府高校だった。駿台が作った学校で、そこに行けば駿台の講師になれると思ったからだという。数学を教えること以外に興味もできることもなく、最初から予備校講師を前提にしたキャリアだった。大学時代も塾講師のアルバイトをしていたが、ほとんどクビになった。評判が悪く、「お前がいると生徒がゼロになって塾が潰れる」と言われたそうだ。それでも今年で教員生活40年目になる。高校教員が3年、代ゼミが37年目だ。
荻野は、甲府時代も大した授業はしていなかったが、いつも一生懸命だったとは言えると語る。当時の教え子は今57歳くらいで、Facebookなどで今も連絡を取っており、名前もほとんど覚えている。ネットで「接点T」や「メガネの女」が話題になると、荻野は「あれはAIなんだよ、うまく作るね」と言った。その流れで教え子たちから「荻野だ」と連絡が来て、飲みに行ったりしているという。
秋山仁との出会い
教員1年目の冬、秋山仁が講演に来て、荻野は生徒と一緒に授業を見せてもらい、すごいと感じた。その後、数学科の教員が秋山を、英語科の教員が伊藤和夫を接待した。荻野は当時、伊藤和夫がそれほどの人物だと知らず、職員室の近くで遠目に見ただけだった。一緒に写真を撮ればよかったと後悔しているという。今出回っている伊藤の昔の授業動画を見ると、英語が分からない自分でも内容が分かり、聞き手が何に知的興奮を覚えるかを理解していることが伝わると荻野は話す。すごい講師は、まったくできない人間にもすごさが伝わるのだという。
秋山の接待は2次会、3次会と続き、最後は秋山と荻野ともう1人だけになった。荻野は寝始め、起こされて水を飲まされると、初対面にもかかわらず泣き言を言い始めた。当時の秋山は大学教授で、駿台で一番人気の講師だった。荻野は「東京で予備校の先生をやっていていいな、俺も先生みたいになりたい、もうここは嫌だ、東京に帰りたい」と訴えた。実際、毎週末東京に戻り、無職の友人と歌舞伎町で遊んでいた。深夜3時にコマ劇場前で女性を飲みに誘い、「うちは厳しいので」と断られた話も笑いながら語った。
秋山は「お前の人生はかわいそうだな。好きなことをやれ。力がついたら駿台の事務に口を利いてやるから来い」と言い、荻野は「はい、行きます」と答えた。ただ、それまで1年生しか教えておらず数IIBや数IIIは未経験だったので、3年間そこで修業した。
担任になれなかった悔しさと代ゼミ採用
3年目、受け持った学年が3年生になるとき、担任が1人外れた。荻野は自分がなると思っていたが、担任になったのは新しく赴任した新卒の教員だった。腹が立った荻野は校長室に行き、「なんですかあれは、僕の方がずっと生徒を愛していますよ」と詰め寄った。校長は「荻野さん、あなたの気持ちは分かるけど、君をPTAの前に出せると思うか」と答えたという。その夜、荻野は悔しくて甲府の街のバーで一人泥酔した。ただ、今振り返ると、あの校長は立派だったと思っている。自分が担任を持っていたら大変なことになっていただろうというのだ。
もごは、生徒と一定の距離があり、事務をチューターが担う予備校講師の方が向いていたのではないかと指摘した。荻野もこれに応じ、学校の先生にとって授業は仕事のほんの一部で、それ以外の能力の方が大事な場合もあると述べた。今の優秀な学校の教師は何でもできる必要があり、オールマイティに優秀でなければ務まらないという。
結局、荻野は駿台はもういいと、代ゼミに願書を出した。バブル真っ盛りで、予備校講師になろうという人は少なかったのだろうと荻野は見ている。採用試験は2問中1.5問ほどしか解けず、後から見ると最後も間違っていたが、それでも採用された。最初は代々木校の担当はなく、横浜や仙台などの校舎を受け持った。対談は、ネットミームになった「接点T」の授業場面で締めくくられる。「ここから出るのは……ABを通る接点T。だからこの点とこの点とこの点が出るわけだ。この点は出ねえよ」。代ゼミに入ってからの話は後編に続く。
バンとくと京大から単位が出ねえよ。京都大学医学部YouTuberのもごです。はい、ということで自己紹介お願いいたします。
こんにちは。代々木ゼミナールの数学講師、荻野と申します。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。いや、お会いしたかったです。いや、本当ですよ。5年前から僕はもうずっとお会いしたかった。で、荻野さん的にはモノマネとかよくされるじゃないですか。そういうのどう思われてるんですか?
いや、全然、嬉しいなと思って。あ、そう、そう。あんまり似てないですよね。あんまり皆さん似てない。似てない。
ということで、このチャンネルは荻野さんの人生を深掘りしたいということでして、本当に幼少期から深掘っていくんですけど。どうぞ、どうぞ。小さい頃からお勉強されてたとかありますか?いや、全然、全く。
ちっちゃい頃、ある程度裕福だったんですけど、ちょっと倒産して、で、親戚のうちとか預けられて、ちょっとかなり暗い部分ありますよね。あ、そうだったんですか。元々会社経営をされて、まあ、ちょっと違うことやってて。何系とかは聞かない方がいいですか?ま、そうですけど。いや、もちろん悪いことじゃないですから。
じゃあその後はもうサラリーマンみたいな感じですか?いや、ちょっと、メガネ屋やってたんだけど、それがちょっと倒産して、で、その後、父は企業に勤めて、母は専業主婦ってのやってましたけども。
そして学校終わって、帰り道、小学1年、そのままね、親戚のおじさんの車に乗せられて、どこ行くんだっつって。その親戚のうち行って、嫌だ、嫌だっつって。お前今日からここのうちの子になるんだなんて言われてね。はいはいはい。すごくね、本当絶望的な気持ちになりましたね。
ちょっとやんちゃとかグレたりとかはあった?僕全然ない。なんかね、そういう風に思ってる人いるけど全然まったくない。結構じゃあ真面目な。真面目っていうか、そうですね。でね、その後また家族だけで暮らせるようになったんだけど、6人の家族でね、住んだ、本当に。
6人ですか?6人で、父ちゃん母ちゃんで兄弟3人いて、おばあちゃんが。寝る場所がないから1人ね、押入れの中で寝るのよ。ドラえもん。そう、そう、そう。
で、その後東京に引っ越してきて、清瀬っていうところで、団地でね。で、同級生に、ほら、これ広って知ってるでしょ。はい。あの子が小3の時同じクラス。
東京行くんだっつって聞いて、僕その時の学校がすごく好きでね、いや、もうみんな一緒に転校しないんだったら俺は行かねえとか、わけのわかんないこと言ってたんだけど、でもやっぱね、東京っていうのに憧れあるわけ。分かる。新幹線に乗ってて、品川の辺りかな。で、僕は本名、暢也っつうんだけど、母ちゃんがね、ほら、暢也、あれ、ほら、東京タワーっつってね、あの時の東京タワーがすごく嬉しくてね。
じゃ、小学校の時、転校も多かったですか?3回ぐらいしたから。じゃ、なんか勉強とかもあんま打ち込めなさそうというか。
こういうの言うとあれだけど、決して頭いい方じゃないからあんまり興味もないし。でもね、この前お話した、僕ね、幼稚園の時に地球儀を回してたのね。その時にね、僕ね、大陸移動説を発見したんだよ。発見された。もう発見されてたから残念だ。そういう一面もね。
で、その東京来てからの担任の先生がね、すんごい怖い人で、もうパンパンパンなのよ。はいはいはい。勉強できないと怒るわけよ。でもね、もうその先生のおかげなんだよな。体罰を肯定するわけ、容認するわけじゃないんだけど、その先生がね、鍛えてくれたもんで、やっとそこでね、普通になれたの。怖いから勉強するでしょ。でもなんか怖いんだけど、男としての憧れみたいなのをすごい感じて、かっこいいっていうか。へえ。強い男っていうか。
なるほど。でね、それ3、4年くらい担任だったんだけど、5年生になって優しい先生に変わっちゃったの。急にまた勉強しなくてバーっと落ちちゃって。やっぱ厳しい方が環境合ってるんですね。僕ね、怠け者だから。あ、そうか。すごい怠け者だから、脅されたり、ものすごく傷つくほどきつく怒ったりしないとね、何もしないのよ。
へえ。じゃ、今の講師スタイルってそういう子向けのスタイルにしたとかあるんですか?まあ、やっぱね、できない子ができるようになるためには、僕みたいな怠け者にとってはね、やっぱ厳しくやんなきゃいけないっていうのが根底にありますよね。今そんなことできない時代だけど。確かにそうですよね。
でもだから当時の僕みたいな子が結局終わってしまう時代でもありますよね。ある意味とても残酷な時代だと思う。いつも僕、生徒に言うんです。だから人生は自己責任だと。昔みたいに強制的に何か君が嫌なことをやらして鍛えるなんてことは、僕らにはできないからして、予備校で。もうだから自分で自分を鍛えるしかないんだよっつって。だから君がね、30歳になって40歳になって、例えば貧乏だって、それは君のせいだからねって。それ以外責任の所在があるわけないでしょって。
で、志望大学だって、受かったら全部君のおかげだし、落ちたら全部君の責任だと。自分の未来を作るのは自分だけなんだから。高校卒業したら全部人生自己責任だと。だから頑張ってねっていうことを1番最初にいつも言うんですけど。
いやいや、僕もマジで共感なんですけど、最近ネットとかでは遺伝子のせいだとか環境のせいなんだから悪くないみたいな、努力をできないのも、みたいな。
いや、僕ね、そこだと思うの。親の知能とかそういうのが遺伝するのは、それ僕事実だと思うね。だけど、だからと言って、その人が大人になった時に、君は元々バカの家系だから給料10万高く上げるよってしてくれるわけないじゃない。だからその子が遺伝の壁を超えて頑張るしかないわけよ。はい。そうですよね。
能力低かったら早く起きろとかも、俺マジでその通りだと思ってて、俺本当に高1とかの時にそれ聞いて、もう6時半に起きる、5時半に起きる、もう毎日やってました。
ちょっと話戻しちゃうんですけど、だから5年生ぐらいで優しい先生に変わって、勉強やらなくなったっていう感じで、じゃあもう中学受験とかされてないってことですよね。いや、当時中学受験なんていうもの自体なかった。ああ、確かに。
だから、学年で1人2人、行くって言った。言っちゃうけど、みんなほら、そんな金持ちなんていないのよ。世代的に。今で言うと年収300万くらいの、300、400の世代じゃないかな。だからもう私立行くなんて普通無理だから、みんな公立行くってのは当然で。
で、中学入ったんですよね。で、普通の中学、コちゃんと同じ学校だったんだけど、で、駅前の塾行って、そこでね、またね、数学でヤクザ先生が。まあ、これはしなかったけど、もうこれはありました。
でね、今でも覚えてんだけど、数列の問題。中1だよ。中1で、数が並んでて規則性を発見して、これはどういう数列ですかとか、1つ穴が開いてて、その数何ですかとか。例えば2、4、6ときたら次が8とかあるじゃない。そういうのが並んでて当てられるわけよ。で、僕は4くらいで、じゃあ次って言って、1、2、3、4、6、12。なんだか分かりますよね。
1、2、3、4、6、12。え、1、2、3、4…フィボナッチじゃないし、かけてないし、何でしょう?え、分からないこれ。4でしょ?6ときて12。え、俺わかんない。引っぱたかれます、これ。いや、難しくないですか?だって差でもないし、等比でもない。え、ほんまにわからん。2×2、2×3…。ヒント、12で終わりです。え、あ、そう、そう、そう。12の約数でしょ。
これ数列じゃないですよ。コンプライだよね。いや、これだって数列じゃないですよ。引っぱたかれるっていうね。ああ、ちょっと引っぱたくなんてひどいとこなんだぞ。だって誘導としては最悪の誘導ですから。そう。もう詐欺だよね。
でもね、やっぱね、その人ね、ブルース・リーに似てて。ブルース・リー、僕の友達ってさ、学校のモップあるじゃない?モップの柄を切ってさ、ヌンチャクにしてさ、教室でこんなことやってたよ。ラーメン屋のその友達ね、その子はいいんだけど、そのモップ切ったから先生が引っぱたくわけだよ。お前これ税金だぞ。そうなんですか。正論。
まあ、言ってることは正しいんだけど。まあそれは置いといて。そのブルース・リーにすごく似てて、かっこいいのよ。若くて。で、やっぱちょっと惚れちゃって。だからね、その塾で英語もやってたんだけど、英語は全然伸びなかったんだけど、数学だけは学校で4とか5とかもらえるレベルになった。だからね、恩人なんでね。だからその最初の小学校の頃の怖い先生が僕を普通にしてくれた。で、その塾の中学の先生が僕に数学を、生きる全てを与えてくれた。元祖数学ヤクザがいたわけです。そう、そう、そう。
幼少期とかちっちゃい頃ってどういう感じのキャラクターだったんですか?その当時から怖い感じのキャラとかではないんですか?僕ですか?いや、僕はもう鼻垂らしてて、ウルトラマンごっことかやってた。なんかもう本当に何もできない子だったから、多分親はめちゃくちゃ心配してたと思う。本当僕のこと。
他に得意なこととか趣味とかも。ないですね。だからもう足は遅いし、勉強はできないし、跳び箱は跳べねえし、逆上がりはできねえし、だから僕がね、生まれて初めてこれなら人に勝てるって思ったのは将棋だったんですよ。当時は本当にね、棋士になりたくて、中学の時もずっと将棋ばっか指してて、で、正直あんまりいい高校行けなかった。その理由にしてあれなんだけど。
で、高校になっても、練馬っていう街があるんだけど、そこの駅前の道場に行って、よく言うじゃないですか、その道場通ってれば声かけてくれて弟子にしてくれて奨励会出してくれて、みたいなそういう流れを夢見てたんですよね。正直言って高1じゃもう話になんないね。年齢が行きすぎてんだけど。
でもある日ね、大友先生って有名な方が、大友八段かな、で、荻野君っつって、よく来てるねっつって、じゃあちょっとやってみようって、2枚落ちでやったのよ。当然最初は優勢なんだけど、もう金銀で囲まれてね、もうダメなのね。もう明らかに詰まされるってわかるわけだけどね。僕のこと詰めないのよ。全然違う、歩を伸ばすわけで。はい。なめプしてる。そう、そう。なめプしてる。
で、ちょうど一手違いになったから、僕は詰めたの。大友先生の玉をね。したら、ああ、荻野君強いねって。あ、うわ、これダメだと。だから話になんないでしょ。お前なんかね、ちょくちょく来てっけど、他の道考えろって言いたかったんじゃないの?
段位ってないんですか?別になんかこう。いや、アマチュアの団体は固定した基準があるわけじゃなくて、例えばどこどこ道場の初段とか、だから全然レベルが違うわけですよ。だからまあ大体、今の初段くらいかな。へえ。
で、大学行って、理科大ですけど、将棋部にちょっと入って、あ、そうだったんですか。で、なんか生意気だってすぐクビになって。何したんですか?いや、よくわかんない。
高校名って出されてないですか?いや、言ってもいいけど、もうなくなっちゃって。あ、そうなんですか。金八先生って見てました?わかります?2。あ、2わかります。ほら、加藤優。ああ、はい、はい、はい。
当時偏差値ってどれぐらいだったんです?51か2くらいじゃない?どういう大学に行かれる人が多いですか?まず大学に行く人は少ないんじゃないか?あ、いや、もう時代的に多分そう。いや、時代じゃないレベル。就職と半分ぐらい。あ、そんな感じなんですね。
ちょっともう、すごい巣みたいな、その暴走族の人とかいましたね。僕は全然そんなグレてないんです。だから大学って言っても、ちょっとこれ炎上しちゃうけど、今で言うFランっていうのがほとんど。だから、MARCHなんて入ったらもう大変だよ。おわーみたいな。へえ。でも理科大とかもうすごいですよ。そう。僕千葉大も受かったんだけど、本当に銅像が立つんじゃないかと思って。あ、千葉大ですか。うん。補欠だったから結局行かなかったんだけど。
そうだったんですね。高校時代は将棋、高1でやめるってことですかね。で、もう何もしないで。そうなんですね。もう友達と一緒にね、授業中トランプやってる。それがもう唯一の楽しみで。俺なんか真面目だからトランプやってただけだけど、その仲間とかすごいんだ。タバコ吸って麻雀やってんだよ。
いや、でも昔の漫画にビー・バップ・ハイスクールって。そう、そう、そう。その世界ですよ。完全に。そんなのある。で、なんか1番クラスでグレてる怖い子がいてさ、その子はね、なんか月曜日すごく気落ちしてんだよ。で、何があったのかなと思ってさ、いや、昨日ちょっと歌舞伎町でヤクザと喧嘩してやられたんだよ。普通そんなふうにならない。
え、すっご。いや、そんなことにならない。どういうルートを選んだらそうなるんだ。で、そこでもだからグレたりもしなかったってことですか?もう、グレる度胸なんかないもん。
1回そのバイクを乗らしてもらったことあるわけ。そういう連中の人たちに。もちろん無免許だよ。これいいの?これ。これが理由で代ゼミクビになったらやだよ。保証しろよ。すいません。
で、バイク乗してもらったんですよ。で、バーって行って、で、前からでっかいトラック来るわけ。で、俺ブレーキかけようと思って、なんつうの、エンジンブレーキをかけちゃったの。とにかく動かなくなっちゃったんだよ。で、パーって来るじゃない?トラックが。で、そのまま逃げたのよ。バイク置いたまま逃げた。逃げた。完全に止まっちゃったから。でもトラック止まってくれたからいいよな。ほいで、その友人がそれ取ってって、俺絶対これ殺されるかなと思ったんだけど、しょうがねえな荻野って言われて済んだからよかった。
一応、友達とかはいたんですか?グレてる友達とかは。いやいや、グレてはいないけど、そういう変なグレてんじゃない。冷めてんのね。いつも授業中寝てるような人いないです?あ、います。どこの高校にも。もう人生にもう諦めてるっていうか、幻滅してるっていうか、もう何の希望もないわけ。
だから、ほら、さっき言ったけど中学校の時、少なくとも数学はできたから。で、通分できないやついるんだよ。高1の時点で。え、だって当時の偏差値50ってそういうレベルだよ。通分できなくても受かっちゃう。ええ、だから分数の計算だけは避けて点取れますか?これ数学で。
で、同じクラスだった子はみんないい高校行くわけよ。なんとか大付属とか、国立高校とか、当時の荒野高校とかね。で、俺だけどうしようもねえとこ行って。どうしようもねえって言っちゃうんだけど、僕にとってはとてもいい学校なんで。だって今の方向作ってくれたんだから。で、そういうとこ行って、もうやだよ、こんなとこと。
で、ガリガリ痩せてたから、なんか肉体的劣等感ってのがすごく強くて、将棋やめた後ね、何もないじゃない?人に勝てるものね。で、ちょっと体に筋肉つけようとか言って、今で言う筋トレみたいなことやって、それをずっとやってたけど、全然効果なんかなかったんだけど。
でね、高1の冬休みに、その高校の友達と一緒にアルバイトしたのね。アイスクリーム屋、西武の地下で。アイスクリーム屋さん。ほでね、釣り銭の計算ができないのよ。今はほら、何でも打つじゃない。1000引く600でもなんか機械に頼るじゃない。今のバイトたちはね。まあ俺もその計算できるけど、例えば120円のアイスを2つね、160円のアイスを3つね、トッピング付きのソフトクリームが1個120円ので、それ全部で1000円出して、はい、いくらですかって、俺わかんないんだよ。すぐね。だから俺、xが出てこないとだめ。
で、それはね、勘で。あ、やばい、やばいって言われた。これで多くもらった人は喜んで帰ってくれる。でもちょっとでも10円でも足りないと、ほら、泣き寝入りすりゃいいのにさ、戻ってくるわけでくれって。で、前にバーっと列ができてさ、もう行列できるアイスクリーム屋。意味が違うんです。
それでね、アイスクリームで作ったケーキも売ってて、ちょうどクリスマスの時期だったから、荻野君、明日24日でクリスマスだから、忙しいから休んでくれって言われた。忙しいから休んで。邪魔になるからっつって。で、すぐ年明けクビになって。でね、もう何もできないなと思って。ああ。
で、唯一ちょっとは得意だった数学をやろうっていうか、学歴しかないと思ったの。生きる方法が。こういう話をね、東大クラスにしてもね、あいつ何言ってんだ、早く勉強の話しろ、問題解けって思われるんだけど、だって君たちこれわかんないでしょ。このレベルの話って。
まあ、そうですよね。いや、まあ俺教えてるから分かるけど。最近塾講師されてやってるんで。ちょ、ちょっと待てや。あのさ、今はそんなすごい学歴じゃないよね。あ、違う、違います。だったらよ。いや、これも、もごさんもわかんないだろっていう意味でちょっと、申し訳。同じじゃない?違う違うよってか。
いや、違う違う。確かにでも高校だけちょっと進学校だったので。え、何それ?大手前高校。え、大阪じゃない?あ、そう。高校だけ良くて、だから本当に荒れてる学校とかはあんまりわかんないですよね。ああ。いや、僕が言いたかったのは、全然何もできない人間の気持ちって意味で言ったんだけど。いやいや、そんな低くないね。
まあ、これもね、赤本チャンネルでも喋ったんだけど、高3の最後の三者面談で当然進学の相談に行くわけね。面接するんだけど、大学進学をご希望されてますかと。あの成績だと荻野君の行くところは日本にはないと思いますって言われて。へえ。もう日本にないって言うんだよ。ひどい。で、母ちゃんそれ聞いてもう泣き始めちゃったね。
で、お前刺して私も死ぬなんてね。わけのわかんないこと言って。いやいや、だからこんなひどいとは思わなかったと。例えば、現役じゃ無理だけど、一浪すれば明治くらい入れますよとかそういう話になると思ったら、もう到底無理だからっていう言い方されて。で、一生懸命勉強したんですよ。最後の3学期の定期試験。
すごい頑張ったんだけど、英語30点しかなくて、平均点が70点以上なんで。いつも授業中ポカやってる友達にね、後ろからその30点のテストを見られてね、馬鹿にされて、もうお前クラスで1番バカじゃねえのって言われて。え、その人は何点取ってるんですか?英語。いや、だからそれでも80点くらいで、あんな簡単な試験はないと。今でも覚えてんだけど、英語っていうのは文系か理系か行く人に必要なんだよっつって。あ、そうか、お前は大学関係ねえもんな、あははははって言われて。本当にもうブチ切れた。
だからほら、僕としてはもう入った時にはすごく上だったでしょ。だから俺様が入る高校じゃないんだと思いながら過ごしてたわけなのに。あ、わかります。だから、こういう気持ちだと思ってさ。もうバカにしてるわけで、その日からもうね、気が狂ったように勉強した。へえ。
定期テストが終わって勉強してるってありえないの、うちの学校では。わかるでしょ?定期テストの1週間ぐらい勉強して、テスト終わったら全て忘れるってこと繰り返すじゃない。まあ、まあ、まあ。うちの高校は。でね、休み時間もずっと勉強して、それが本当異常な光景だった。まあ進学校じゃ普通かもしれない。
で、でもだよね、高1の最初のテストではクラス1番だって、2学期では学校で1番と。まあ、その学校は大したことないんだけどね。1番って言った。で、千葉大学ね、理科大とか受けたんだけどダメで、で、代ゼミ入って。
あ、その時代ゼミあったんですね。あった。駿台とかあったんですけど。いや、河合の方があったじゃないですか。あ、特に河合は、僕が受験生の時に東京になかったんじゃないか。そう。名古屋が最初。そう、そう。名古屋ですから。
え、現役時代って理科大と他になんか受けたんですか?理科大と千葉大を受けたんですね。まあ浪人しても同じとこしか受けなかったんだけど。どっちかに行きたかったんですか?
僕ね、理科って物理化学の授業聞いたことがないわけ。トランプやってたから。だから理系なんだけど、理科が入ると受けられないわけ。だから数学だけしかできないから。まあしょうがない。選択肢がないじゃないですか。だから理科大の数学科って英語やって数学やってもう1回数学やるのね。2科目なので。当時の千葉大っていうのは、数学科ってのは2次が数学1個だけだったのね。だからそこしか受けられなかった。
あとICUも受けたな。あ、へえ。当時ほらリスニングの模擬試験とかなかった。で、ICUあるじゃない。模試ではA判定だったの。ICUとか。リスニング初めてなんでね、英検3級以来。3級落ちたんだけど。あ、落ちたんすか?うん。なんか聞かされるじゃない。俺何言ってんのか全然わかんないけど。で、横のやつ見たら、当時のウォークマンのさ、猿みたいな顔してる。まあ、話にならず落ちたけどね。
で、浪人で代ゼミに入られると結構転機なんじゃないですかね。うん。代ゼミのね、東大クラスと、TSっていう1番上のクラスに入って。え、入れるんですね、そもそも。いや、正直言っちゃうけど、誰でも入れると思う。一応試験はあるけど。
で、最初は国立理系コース申し込もうとしたんだけど、東大の方がいいなと思って。確かに。窓口ですぐ東大理系に変えて。うわ、でもすごい。当時ね、23万だったの、年間。荻野家にとって23万ってでかい額だと思うんだけど、一応ね、父ちゃんと母ちゃんと一緒に行ったのよ、代ゼミの本部にね。で、23万払って。うわあ、生々しい。
でもね、結局化学とかわかんないし、すぐ出なくなっちゃったんだけど。最後まで受けたのは数学と英語の一部だけだったんだけど、やっぱトップの講師でしょ。例えば山本矩一郎先生とか安藤先生とか正尾先生とかね。やっぱね、クラスに入ってよかったなと思った。もう、ああなりたい、ああなりたいってずっと思ってて。
ずっとやっぱ東大志望ではあったんですか?全然、まさかまさか。全然ではないんですね。まあ志望はじゃあ千葉大と理科大のまま。一応ね、最初は生物、地学ね、2次のハイレベル生物、地学とか取ってたんだけど、地学と生物をもう正直全然わかんないから、もう最初の3回くらいで行かなくなった。結局やっぱ理科大と千葉大に落ち着いたわけだ。
ああ、適性があったって。やっぱ模試とかの判定も良くなっていきました?途中から。そうすね。やっぱその千葉と理科大を書いてるうちはAとかBとかですよね。あ、もうじゃ受かりそうな感じでは?いや、もちろん。
あ、そうなんですね。当時代ゼミ通ってた時は、講師になりたいみたいなのってあったんですか?ずっと思ってたんですけど、絶対無理だっていう気持ちがまずあって、当時はね、ほとんど半分以上は大学教授のアルバイトだったんですよ。ああ、そうなんですか。だから普通の予備校講師の先生ってあんまいなくて。で、そんな教授なんてなれるわけないし。
大学受験は理科大と千葉大を受けられて、理科大です。え、これ理由あるんじゃないですか?あれか、補欠になったから。そう、4月のね、1週目くらい、2日だかに千葉大から電話かかってきて、補欠で1番で繰り上げになりますけど、どうなさいますかっていう電話がかかってきて。で、理科大のお金とか全部納めた後だったから。で、あとね、西千葉ってね、僕の住んでたところから2時間半くらいかかるの。ああ、確かに。
もちろん千葉の方が上だって気持ちはあったんだけど、ちょっとお断りしてっつって。でもね、俺ね、気が小さくてさ、その場で電話で断っちゃったの。だけどやっぱどうしようっつって、母ちゃん帰ってくるの待ってさ、母ちゃんっつって、電話あったけどどうしようっつってさ、また電話して、ちょっと待ってくださいっつって。担当の人が、いいですよ、じゃあちょっと明日まで待ちますからねって。まあ結局もう1回ね、断りの電話かけたんだけど。
でもね、俺理科大良かった。本当理科大好きだもん。ほら神楽坂でしょ。都会じゃない。で結局、勉強なんか全然しなかったけど、よく俺卒業できたなと思うんだ。理科大って、ほら、進級すごく難しいじゃないですか。あ、そうなんですか。でもほら、数学科ってほら、実験はないでしょ。レポートもないし。だから実はもう毎日日曜日なんだよね。
これまずいから。これまた叩かれる、こういうこと言うと。いや、もちろん試験の前にはやりますよ。だからね、結局友人に恵まれたんですよ。すごく優秀な勤勉な友人が周りにいたので、じゃあ荻野、ここ出るからやっとけみたいな。うん。
だから授業の毎回、講座の始まりで、大学行ったら友人を作れと。そう。特にね、理系の場合、1人で進級するって僕無理だと思うんで。マジでそうだと思います。本当にうちでも友達いない、取り残されたやつがいたらもう貫通しますもん。そうでしょ?
友達は結構多い方だったんですか?うーん。そうだな。まあちょっと、明らかに髪の毛この辺まであったもん。あ、へえ。長渕剛って知ってるよね。はい。昔ね、もっとガリガリで髪この辺まであったの。はい。知ってる?その当時の長渕。あ、いや、あんまりわかんない。最初の「順子」歌ってた頃ね、日の丸とか言い出したらちょっとおかしくなった。僕あの人がすごい好きで、まあ今でも好きなんだけど、それ真似してたんだよね。ああ、はいはい。
で、明らかに若干ちょっとおかしいじゃない。で、みんないじってくれてね。でね、それまでの学生生活、小中、特に高校はそうなんだけど、荒れてるでしょ。はい。理科大来て初めて、なんつうの、お坊ちゃまっていう人たちに出会うわけよ。ああ、確かに。金持ちの子っていう。もう大企業の部長の子供で、別荘を持ってて、海外旅行をしてみたいな。俺その時に海外旅行したことなかったもん。
だって俺なんかさ、ほら、親戚がアメリカ行きました、ハワイ行きましたってチョコレートとかもらうじゃない。ずっと冷蔵庫の中で取っといたもんね。ちょっとずつ食べて。分かります。分かる?このレベル。分かります、わかります。いや、それでさ、そういう子たちが何人もいてさ。すごく新鮮だったね。こういう世界が世の中にはあるんだなと思って。
今で言うなら私立中高一貫校のさ、生徒で、だから本当は早稲田行きたかったの、理科大来ちゃいましたみたいな。で、でもね、やっぱね、頭がいいのすごく。だからそういう友人ができた。今その子、結局ね、部長になってさ。
だからいつも言うのよ。理科大ってほら、本当は東工大行きたかったとか早慶行きたかった人が行くようなとこってイメージがあるんだけど、十分偉くなれると。僕の友人で校長先生になったやつがね、2人いるんですよ。で、部長でしょ。あと国立大学の数学の教授になってるやつ。十分じゃない。それ以上ないじゃん、だって世の中。だからね、理科大で十分頑張れ、その後努力でどうにでもなるからっつって。
理科大っていうのはね、1年頑張ればなんとか受かるんだよ。あんまできなくても。高校の時、正直ろくでもない高校にいたとしても、僕はそうやって、1年頑張ればなんとか指で引っかけて上がれるんだよ。そのくらいだったら。だからね、とにかく諦めずにね、受験生は頑張ってほしい。何もそこに届かなきゃいけないってわけじゃない。
学費とかって大変じゃなかったですか?私立。当時、理科大は確か80万、年間。でも私立の中でも1番安かったんですよ。ああ。今どのくらいなんですか?今だって3桁ですかね。ですよね。あ、今140から240。どこが?あ、平均が。理科大が140万。いや、約倍ですね。確かにそうですね。
で、将棋部やめられて、毎日結構遊べるみたいな。池袋のね、ゲームセンターでずっとバイトしてた。あ、そうだったんですね。だからね、僕のことを受け入れてくれたところっていうのは、その池袋のゲーセンと代ゼミだけなんだよね。あとどこ行っても鼻つまみ者。まあ今でもちょっと鼻つまみ者かもしれないけど。
いや、荻野先生ってめっちゃゲーム好きで、ストリートファイターとかね、好きっていうのは僕も知ってて、めちゃくちゃゲーセンだなと思ってて。そう。もうストリートファイター、いくら金使ったかわかんないな。もうカプコンに表彰してほしい。
僕も幼少期の頃、まだゲーセンでストリートファイターが流行ってる時期だったんで、小学校の時、父に連れられて、おじいちゃんたちに囲まれながら。キャラ何?え?僕ですか?僕ザンギエフです。ザンギエフ。投げキャラ好きなんで。あ、そうなんだ。あれってさ、地上で1周ってできる?俺できないんだ。いつもジャンプして空中から回し始めるの、俺。
ああ、まあ、そうするのが出しやすいですよね。多分ね。いや、何?これやってこう。はい。中キックか、これ。中キック。中キックで出しながらこうか。多分そうだと思いますよ。うまい人って普通にやってんじゃん。いや、あれはフレーム的感覚があるからできるんだって。僕はゆっくり出す。梅原さんって人がいらっしゃって、プロゲーマーの人が、1個ずつやりなさいって。ザンギエフ使ってたんですよ。
違う、キャラを聞けよ。キャラを。あ、そう、そう。え、キャラ、キャラ。自分の話。ベガ、ベガ。あ、ベガね。これね、ベガ。え、どういうキャラなんすか?ベガっていうのは。え、知らないの?あ、僕やったことなくて。
ベガって溜め技じゃないですか?全部。ああ、はい。だからこういうのが僕苦手だから、で、僕ね、ちょっと卑怯な戦い方をするタイプで、僕がやってたのはね、ゼロ3かな。でやられるじゃない。で、倒れるじゃない。で、向こうが調子に乗って上から来るじゃない。そん時にレベル3のナイトメアを出す。こうやってキラキラキラキラって。わかる、わかる?キラキラキラキラ。
だからほら、向こう悔しかったんだろうね。向こうのなんかお兄さんがさ、次は俺は勝つからって。小さい、なんて小さい人だ。
当時はゲーセンで働いて稼いだお金で、もう全部ゲーセン行くみたいな感じですか。そう。言い方がちょっと終わり。すごい嫌な言い方すね。まあ、暇さえあればゲームセンター行ったね。で、その当時は風営法前だったからオールナイトで、24時間やってたの。はいはいはい。だから夜中、お客さんいない時にはやらしてもらったりしたので、それがすごく嬉しかった。
色々裏技があってさ、ジャンピューターって知ってます?いや、わかんないです。ジャンピューターって、麻雀のゲーム。ああ、はい。知らないよ、これ。昔、喫茶店であったじゃない?喫茶店で全部、インベーダーゲームとか。そう、そう、そう。あれの感じで、静電気に弱いのよ。はあ。下カーペットじゃない?で、こういう風に靴で静電気出して、で、ガーンって切るの。プルっつって、クレジット100とかあるね。警察行きだろ、そんな。そんな裏技もやったこともあるかもしれない。
で、大学は留年なしでストレートで卒業されてっていう。そう。なぜか本当に。なぜか。で、その就活とかも一応したっちゃしたというか。いや、当時バブルの頃だから、正直ね、誰でも好きなとこ行けたんですよ。大企業に。へえ。僕ですら三菱電機入れたの。え、え、いや、ゼミに来るじゃない。入ってくれっつって。で、ついて行って、あ、いいですよみたいな。そうだったんですか。すごい。
で、三菱だとコンピューターですよね。僕コンピューターって何の興味もないし、俺未だにスイッチどこにあんのかわかんない、そのレベルだからね。で、いやあ、無理だなと思って、入る前に断っちゃった。迷惑かけるから断って。で、山梨の、名前言っちゃうね、駿台甲府高校っていう駿台の作った学校に行ったんですよ。高校教師として。
なぜかって言うと、そこに行くと駿台の先生になれると思ったの。そこに行ければ。ああ、じゃあ元々予備校講師になるのを前提としたキャリア。そう、そう。もうそれ以外興味もないし、数学を教えることしかできないっていうか、大学の時もアルバイトで塾の講師してたんですよ。はい。へえ。まあ、大体全部クビになりましたけどね。
クビになりますね。どういうことでクビになるんですか。いや、そうだ。例えば生徒引っぱたいたりね、女の子にエッチなことをしたりで、や、それやる前にクビになった。あ、これまずいか。俺これ冗談で笑えるとこだからね。単に評判が悪くて、お前がいると生徒0になって塾潰れちまうから。
ああ。だからそれですごいと思わない?それでもまだやってんだ。そうそうそう。確かにすごいよね。30年以上。すごいでしょ。いや、今年で教員40年目。うわ。高校の教員3年やって、今代ゼミ37年目。うわあ、40年間。大ベテラン。やばい。
あの時の塾とか、めちゃくちゃ迷惑かけたなと思って。だからそれで一応ね、そこで鍛えてもらったんだよね。だから駿台甲府の時の生徒だってさ、大した授業してなかったんだよ。でもね、これだけ言わしてもらうけど、俺ね、いつでも一生懸命だったんでね。それは言えるの。結果的にそれが相手にとっていいかどうかは別です。
で、今でもね、高校の教員時代の教え子っていうのはね、Facebookかなんかで連絡取ってて、正直ね、予備校で教えた子ってほとんど名前覚えてないっていうか、知らないの僕は。でもね、あの時の教え子、今大体57歳かな。ほとんど名前とか覚えてる。うーん。
で、僕はほら、ネットでわーってなったじゃない。接点tとかメガネの女とか。はいはいはい。まあ、あれAIなんだよ。うまく作るね。そうだったんですね。で、それで、荻野だ、荻野だっつって連絡くれて、なんか飲みに行ったりして。何の話してたんだっけ?
代ゼミ講師になられるきっかけって、やっぱり代ゼミ在籍時代の思い出が強い。そう、そう。なりたい。で、いや、ごめん。それで、秋山先生が、秋山仁先生がね、講演に来られて、僕はちょうど1年目の冬かなんかに来られて、授業見してもらったの、生徒と一緒にね。うわ、すごいなと思って。で、その後接待するわけ。数学科の先生が秋山仁先生を両手で接待して、で、英語の先生が伊藤和夫先生を、伊藤和夫先生を、
僕ね、当時ね、伊藤和夫先生と、あの、俺そんなすごい人だと思わなかった。俺ずっと読みだったから、1回ちょっと遠くで見たの。職員室の行くところでさ。あん時なんか一緒に写真撮りゃよかったなとすごい後悔してる。
すごいです。僕でも知ってますもん。伊藤和夫先生って。
いや、あの今ほら、なんつうの、昔の動画とか出てるじゃない。僕は英語全然わかんないよ。全然わかんないけど、やっぱすごいね。何を聞き手が知的に興奮してくれるかってことが分かってるよね。俺見たってわかるもん。すごいって。内容が分かるもん。俺見たって。やっぱね、すごい人ってそうなんだよ。全くできないような人間でもすごさが伝わるんだよね。すごい講師ってのはね。
で、なんでしたっけ?で、その秋山先生のって、2次会3次会つって、やっぱあの人にしてみれば、なんかほら普通の地方の高校の先生と話してもつまんないっつって。僕入った1年目でさ、ま、どうしようもないじゃない。で、おかしいやつがいるつって。で、2次会3次会と行ったんですよ。で、結局秋山先生と僕ともう1人だけだった。
でね、僕寝始めたのね。起こしてさ、ふざけんなお前つって。で、起こされて、水飲めっつって、水出してくれて、こう飲んだね。
でね、もう初対面なのにね、もう泣き言を言い始めたの、僕はね。もう俺もうやだよつって。もう仁ちゃんとか言ってた。仁ちゃんさ、いいなつって。東京でね、あの、予備校の先生やってんでしょつって。ま、当時もその大学の教授で予備校の先生で、1番人気の先生だった。で、いいなつって、俺も先生みたいになりたいんだけど、もう俺もうここやだよつって。もう東京帰りたいよっつって。
で、毎週末にね、東京に戻ってね、歌舞伎町でね、遊んでたの。太郎の友達と一緒にね。ちょっとまずいな、これ。
いや、いいんじゃないですか。
だからその、ナンパしたりして、これやばいよね。教員がまずいかな。まずいかな?
いや、でも結婚相手見つけるとかいう目的やったら全然問題ないですよね。
まあ、まあ、責任はそっちで。いいね。先にちゃんとこしてよね。
で、あの、コマ劇場の前でさ、飲み行かないとか言ってさ。で、あの、俺こんなんだからモテないんだけど、その太郎の中学の時の友達でさ、ベビーフェイスでかっこいいのよ。で、その子がこう調達してくれてさ。で、ま、あんなことやって、もう大体夜中の3時ぐらいなんでさ、今日は全然なんか一緒に飲んでくんないなみたいな。いや、それ以上何もないよ。飲み行くだけなんだけど。
で、あの、したらさ、2人がいたので、声かけて、コマ劇場の前でさ、お姉さん飲み行きませんか?つったらね、俺の顔見てさ、なんかこういう顔ね。で、あ、ちょっとうち厳しいんで、ちょっと飲み行きませんだって。夜中の3時にさ、新宿にいて、家が厳しいってどういう厳しさだ?本当に。
で、まあまあそんなことやって、ま、とにかくもう東京が恋しいわけ。で、ま、そういうことを秋山先生に言ったら、お前の人生かわいそうだろうつって。お前好きなことやれよって言って。で、お前ね、力ついたら、あの、俺が駿台の事務に口聞いてやるから駿台来いって言ってくれたので、俺、はい、行きます。
でも、ま、そのね、まだ1年生しか教えてないじゃん。数IIB、数IIIとか全然やってないわけ。だから3年間こうそこでこう修養させてもらったわけね。で、ま、3年経って入った時に1年生、2年生だったの。で、3年生になった時に担任の先生が1人なんか外れたんだよね。で、俺がなると思ってたの。したらその時赴任した新しい新規者が担任になったのよ。で、俺それ見てすっごい腹立っちゃって。
腹立ちますね。
で、俺校長室に行ったんだよ。校長、バーンって。それ嘘。そんな度胸ないから。でね、あのね、なんですかあれはつって、僕の方がずっと生徒のこと愛してますよ、もう今で言うと炎上するようなこと言って。
ほいでね、いや、荻野さん、あなたの気持ちは分かるけど、君はPTAの前に出せないんだ。
コンプラアウト。その時の甘いコンプラでもアウトだったんですね。すっげえ。
で、そん時ね、もう悔しくてね、夜もう街に出てさ、1人でバーで飲み、ぐでんぐでんに飲んでね。で、その時は悔しかったんだけど、あの、今にして思えば、その時の校長ってすごく立派だと思うのね。俺が持ってたら大変なことだよ。PTAの前じゃ何言うかわかんないすからさ。だから今言ったら、その素晴らしい上司だと思うの。
いや、でもある意味予備校講師向けやったかもしんないですよね。予備校講師って結構僕、生徒と一定の距離があると思ってて、学校の先生よりも、あのそういう事務関係で全部チューターがやったりするじゃないですか。だから僕、今の話聞いてて、やっぱ予備校講師に初めから向いてたような。
そうてか、だからあのね、学校の先生って、授業っていうのはほんの仕事の一部であって、あの下手すると生徒指導能力の高い方とかが大事なんだよ。だからそれが今本当すごく優秀な教師なんでね。だから今日、学校の先生は何でもできなきゃだめなんだ。もうオールマイティに優秀じゃなきゃ務まらないんだ。
でね、じゃあもう腹立ったつって代ゼミに願書出して、もう駿台はいいわって行ってやるかって。
なんか駿台甲府高校、確かにはもう。
うん、でま当時ね、バブル真っ盛りじゃない。だから予備校に行きたいなんて人いなかったんだよね、きっとね。でね、試験はもちろんあるんだけど、2問中1.5問くらいしか解けなかったんだよ。最後間違えてたんだよ、後から見たら。で、それでもね、ま、採用してくれて。ま、最初は代々木は、ま、まだあの、持たしてもらわなくて、仙谷と横浜と仙台とだけなのに。
当時の上に石丸さんとかもいらっしゃった。
あ、そうですね。え、なんかあの方はサテラインで文系の1番上のクラスの教材で受けてらした。
こっから出るのはなんだ?接点T。ABをとに引いた時の接点T。だからこの点とこの点とこの点が出るわけだ。この点は出ねえよ。どうですか?
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