数字くじから推し活、陰謀論まで:認知科学者・久保(川合)南海子と語る「プロジェクション」
ゆる言語学ラジオゆる言語学ラジオの堀元見と水野太貴が、認知科学者の久保(川合)南海子をゲストに迎えて「プロジェクション」を語った回である。久保は『「推し」の科学』と『イマジナリー・ネガティブ』という一般向けの新書を書いている。どちらの本も、プロジェクションという心の働きを切り口にして、推し活や、陰謀論・オレオレ詐欺・霊感商法にはまってしまう仕組みを解説している。
前回、水野はフィリピンの数字くじを扱った『日々賭けをする人々』と、大山顕のジャンクション写真集が自分の中でつながったと話した。その共通点がプロジェクション、つまり「ある対象Aを、まったく別のBに当てはめて捉える」認知能力なのではないか、という問題提起だった。今回はこの問いを専門家にぶつけ、プロジェクションがどこまで説明できるのか、どんな危うさがあるのか、科学としてどう扱えるのかまで話が広がった。
数字くじは「世界にプロジェクションを促す舞台装置」
水野がまず持ち出したのは、数字くじは現実世界へのプロジェクションを促す舞台装置だったのではないか、という仮説である。『日々賭けをする人々』によると、フィリピンでは何に賭けたか、何が当たったか、どこの誰がどの番号で当てたかが日常の雑談に上る。著者自身も誕生日を尋ねられ、あまり親しくない人にまで覚えられていた。近所の人の誕生日を覚えていて「昨日は君の誕生日だったよね」と声をかける会話も出てくるという。
水野の解釈では、数字くじという「それ自体は面白くないもの」があるから、人々は世界中の数字に意味を与え、その数字を覚え、結果として人との交流も活発になる。水野はこれを酵母にたとえた。酵母は本体が変化しないまま発酵を促し、周囲の何かを呼び起こす。堀元は「人の誕生日をすぐ覚える林家ペー(あるいはパー)」を持ち出して茶化し、水野は、ロト6で人の誕生日に賭けている人なら誕生日に敏感になる可能性はある、と応じた。誕生日に敏感な人には何かしらの「酵母」があるのだろう、という見立てである。
推しの誕生日はなぜ大事なのか
久保によれば、誕生日は特別な数字であり、オタクは誕生日が大好きだ。久保自身、中学生の頃からの漫画・アニメの「ガチオタ」で、今はそこまではしないが、中学生なら本人不在の誕生日祝いを絶対にやっていたという。
水野が「自分の中にある概念と現実の事象が対応する、記号接地のようなイメージか」と尋ねると、久保はその通りだと答えた。架空のキャラクターが、誰にでもあって現実にも存在する「誕生日」と結びつく。すると、そのキャラクターがものすごくリアルに感じられる。設定資料に書かれただけの数字であっても、オタクにとっては非常に大事な数字になる。設定だと分かっていても、誕生日があることで現実にいるかのような感覚が生まれる。だから誕生日を13月32日のような日付にはせず、実在する日付にするのだと久保は説明した。
架空の人物は生まれていない。それでも生まれたと思って祝い、本人がいないのに祝い、年も取らないのに祝う。久保はこれを「めちゃくちゃプロジェクション」だと言う。実際には何も起きていない日に、自分で意味を持たせているからだ。久保は、プロジェクションを「外界のリアルなものに自分で強く意味づける心の働き」と捉えている。
堀元は、キャバ嬢が架空の誕生日を4つほど設定し、年に5回ほど誕生日が来るようにしているという話を聞いたことがあると持ち出した。久保はこれを「プロジェクションを促している」例として受け止め、詐欺師がやっていることも同じで、プロジェクションを操作するから詐欺が成立するのだと付け加えた。
知らないものには何も投影しない:クリスマスはただの12月25日
一方で久保は、クリスマスは「ただの平日」だと思っている。学生時代はずっとアルバイトをしていたし、男女がクリスマスに会う習慣もよく分からない。自分の推しキャラの誕生日には大きな意味を感じるが、世間的なイベントには興味がない。ただし子どものためにはやる、と何度も補足していた。日本でキリスト教徒でもないのにクリスマスを祝うなら、4月の花祭りもちゃんと祝うべきだ、とも述べている。
水野は、オタクは興味のあることには強くこだわり、そうでないことはどうでもいいものだと整理した。キリストを推していないからクリスマスには何も投影しない、というわけだ。クリスマスツリーやイルミネーションにも何か感じないのかと問われた久保は、みんな商業主義に踊らされていると思う、と答えた。これを聞いた堀元は「押し付けられるのが嫌なのだ」と見抜いた。ここにロマンチックを見出してくださいという、プロジェクションの押し付けが嫌なのだろう、という指摘である。この論点は後の「純度」の議論につながっていく。
身の回りの数字が意味を持つと、日常は楽しくなる
水野は、数字くじのある生活とない生活を比べると、ある方が楽しいはずだと話を戻した。推しの誕生日ならその日が楽しみになるだけだが、数字くじの対象は2桁の数字すべてだ。スタジオのタイマーにも2桁の数字はあるし、車のナンバー「74-13」も2桁の組が2つあるとみなせる。フィリピンで数字くじをする人にとっては、日常のあらゆる数字が意味のある数字に変わる。
堀元は、知り合いの数学者が走っている車のナンバーが素数かどうかを検算し、素数だとテンションが上がる、という話を紹介した。久保も、夫と子どもは銭湯で必ず素数番号のロッカーを探すが、自分はそこに何の意味も見出せないと話す。堀元はナンバー4桁を四則演算で10にする「メイク10」もよくやっていると言い、水野もやると応じた。水野は朝ベランダでコーヒーを飲みながら解いていたところ、ある時から急に速く解けるようになった。計算が速くなったのかと驚いたが、実際は家の前にいつも同じ車が止まっていて、解き方を覚えていただけだったという。
水野はさらに、ジャンクションと比べて数字は日常にあふれている点を強調した。世界から自分が意味を見出すものを探すとき、数字は圧倒的に多い。プロジェクションの観点から見ると、数字くじはよくできている、というのが水野の感想である。
具体的で抽象的なものほど投影しやすい:概念推しとメンバーカラー
久保はこの見方に同意したうえで、数字は非常に具体的でありながら非常に抽象的でもあり、その両面性が投影のしやすさにつながっていると説明した。推しのグッズでも、いわゆる公式グッズだけでなく、色だけが一致している、形が何かを彷彿とさせる、といった「概念推し」がある。プロジェクションは余白の中でなされる。具体的すぎると余白が狭く、ピンポイントで投影しなければならないので幅がない。久保は、同じアイドルを好きな堀元と水野のプロジェクションが微妙に重なりつつずれているところが面白いのだ、と言う。
久保が紹介した例では、ある会社の商品を推し活のために色で買うファンが多く、ファンの要望で新しい色が出たとき、その色をメンバーカラーとする人のファンが非常に喜んだ。ただし、それは1人のメンバーのファンではない。さまざまなグループの、同じ色をメンバーカラーとする人のファンが、1つの色に別々のプロジェクションをしていた。水野は、ある男性アイドルの赤担当のファンと『鬼滅の刃』の煉獄さんのファンが同じものを買う可能性がある、と言い換えた。
堀元はここで、自分のメンバーカラーが紫なので愛用している紫のリュックの話をした。動画に映るたびに「紫のリュックだ」と言われるが、学歴詐称で話題になった伊東市長もまったく同じリュックを背負っていた。街でこのリュックを見かけても、堀元推しなのか伊東市長推しなのか分からない。久保は、紫のバッグをただの紫のバッグと見るか、メンバーカラーを意識していると見るかは、見る側の知識やイメージが喚起されるかどうかの違いだと説明した。マーケティングの場では、久保はプロジェクションの視点についてよく聞かれるという。一方で、商品開発のデザイナーは多分そういう視点で見ていないだろう、という話も出た。
水色の靴と「プロジェクション過多」の楽しみ
久保は収録前、紫のバッグの近くに水色の靴が置いてあるのを見て、水野の靴かと考えたという。水野の「水」から水色が水野のメンバーカラーなのかと推し、次に紫のバッグのそばにあるから堀元のものかもしれないと考え直す。実際には堀元の靴だった。つまり堀元は「水野のメンバーカラーの靴を履いている」ことになる。久保によれば、プロジェクションを盛んにする人にとっては、1足の靴と1つのバッグだけでも情報が大量にあり、存分に楽しめる。そのかわり12月25日はただの日である。
大山顕の写真集:鑑賞されるために作られていないものへの投影
水野は、自分が大山顕の写真集を好きな理由を言語化した。大山はジャンクション以外にも工場、団地、高架などの写真集を出している。団地の写真集には、ピンク色の団地について次のようなキャプションがある。身長175cmの女の子がロリータファッションをまとったかのようなギリギリの感じが一部の団地マニアの心をつかんできた。両サイドにこれ見よがしに飛び出した部分も、本来なら堅苦しく見えるはずだが、この子の場合はフリルか何かに見える。久保は「完全に少女を投影している」と評し、堀元も、この団地はちょっと少女っぽいから気持ちは分かると言った。
水野が挙げる大山のもう1つのポイントは、鑑賞されるために作られていないものを鑑賞していることだ。人が住む、道路の経路を変えるといった目的で作られたものを鑑賞している。しかも多くの人が思いつく「お仕着せのプロジェクション」ではなく、誰もまだ投影していない対象に投影している。水野は、そこが自分の好みに刺さるのだと言う。久保がクリスマスのイルミネーションに乗れないのと同じく、これは創造的なプロジェクションであり、余地が大きいから興奮できるのではないか、という見立てである。堀元はこれを「大山さんは世界とプロレスしている」と表現した。戦う相手のいない場所で、自分から受け取って楽しんでいる、という意味だ。
堀元自身も、有名なねじれたビルを見るたびに「細いメガネをかけ、仕事はできるが部下に厳しい、いけすかないインテリメガネ」を思い浮かべるという。水野と久保にはその見え方は共有されなかった。それでも久保は「ナイスプロジェクション」と応じ、自分にはそう見えなくても、そういう見方をするのだと分かることも面白いと述べた。久保は建築にはあまり投影しないという。堀元は青春18きっぷの旅で駅にも個性を感じており、北海道の岩見沢駅は「お金を持っている上品なマダム」のようだと語った。久保は、ゲームや漫画の擬人化、たとえば『ヘタリア』や『刀剣乱舞』も完全にプロジェクションだと付け加えた。
漢字の字形と意味のずれ、そしてプロジェクション・マッチング
水野は漢字を擬人化することがあるという。下の画数が多い字は重心が低くどっしりして見え、字を書くときに下を大きくしたり痩せ型にしたりしてシルエットを楽しむ。堀元はその気持ちはまったく分からないと言いつつ、書家はそういうことをしているのかもしれないと応じた。水野はさらに、字の意味と字形が一致していない字も好きだという。たとえば「細」は、「田」の部分がどっしりしていて全然細く見えない。
水野は今の会社の面接で好きな漢字を聞かれ、「鬱」を挙げたという。上半身がぎっしり詰まっているのに下の右側は小さく、壺として置いたら右に倒れそうな不安定さがある。字形だけを海外の人に見せてハッピーかアンハッピーかを聞いたら、ハッピーは選ばないだろうという自信がある。そう話したら受けたそうだ。久保はこれを「めちゃくちゃプロジェクション」であり、認知科学者がやりたがりそうな実験だと評した。共感覚的な面や、字の意味・形・プロジェクションの関係を見るのも面白い、という。
久保は、どこに投影するかにはその人固有の個性が出ると指摘した。建物、文字、あるいは久保ならキャラクターの持ち物。他人の話を聞くと自分とまったく違っていて驚く。ここから、マッチングアプリに「何にプロジェクションしているか」を書く欄があればいい、という話になった。「仕事は何か」「週末は何をしているか」よりも「何にプロジェクションしているか」を知りたい、と3人とも盛り上がった。
プロジェクションの「純度」と主導権:『100日後に死ぬワニ』の炎上
水野は「プロジェクションの純度」という考えを提示した。みんながしてしまうよう仕掛けられた商業的なものへの投影は純度が低い。大山のように、人間味がなく、しかも向こうも投影されようとして作られていないジャンクションや工場に投影するのは純度が高い。水野が最近よく言う「人生の主導権」の話ともつながる。消費を促されたものに投影するとき、主導権は相手に握られている。純度の高いプロジェクションをする人は主導権を自分が握っており、かっこいい。水野はこれを『鬼滅の刃』の冨岡義勇の台詞をもじって「プロジェクションの権を他人に握らせるな」とまとめた。
久保はオタクの側から、感動させられている、何かに乗せられているという感覚は本当に嫌われる、と補足した。その例が『100日後に死ぬワニ』である。Twitter上で自然発生的に盛り上がっていたところに、最後に商業的な展開や映画化が一気に来て、「私たちの感動は作られていたのか」という感覚が生まれた。熱量は同じまま反転し、アンチが大量に生まれた。久保はこれを見て、人は感動を自発的なものだと思いたいのだと感じたという。オリンピックやチャリティ番組の感動の演出に微妙な塩梅が必要で、ネットで「感動ポルノ」と叩かれるのも、自発的かどうかが効いているからだと久保は考えている。
水野は、もしジャンクションの側が大山に受けるように作られ始めたら、大山は怒るだろうと言う。その点、大山の対象は大山に寄せてくる余地がない「安全な場所」だ。鉄道は用途がはっきりしていても、オタク市場が大きくファンを喜ばせる施策もあるが、ジャンクションや工場は絶対に安全である。
ダンゴムシの恋愛シミュレーションと「落ちている設定」
堀元はここで、生き物をすぐ擬人化したくなるという話をした。以前、ダンゴムシの恋愛シミュレーションゲームを作りかけたことがあるという。ダンゴムシのメスは体内に精子を貯め、交尾済みのメスは貯めた精子をずっと使う。後から来たオスが交尾しても、その精子が使われるのはかなり後になる。だからオスは交尾経験のないメスを好むと聞き、人間にたとえると切なく、物語になりそうだと思った。さらに調べると、オスがボルバキアという細菌に感染してメスになることもあると知った。一緒に学生生活を送る男友達が途中から攻略対象に変わる、という展開を考えたのだという。ところがイラストレーターに「ダンゴムシを彷彿とさせる、黒髪で日に当たっていない青白い肌」のヒロインを発注したところ、ひどく不健康そうな顔が上がってきた。それを見ながらシナリオを書いていたら気が滅入り、途中でやめてしまった。
堀元の言いたいことは、生き物は一切こちらに媚びていない、という点にある。ダンゴムシがプロジェクションされるのを待って進化するわけがない。だからあれは自然にできたプロジェクションで、自分は良いプロジェクションをしていたのかもしれない、という話である。久保は、無機質なものが擬人化の対象になりやすいのは、意図がほとんど感じられず、こちらが100%働きかけて投影しなければならないからではないか、と応じた。そういう対象は、投影をかき立てる力を強く持つという。堀元はこれを「設定が落ちている状態」と言い換えた。我々はストーリーを作る脚本家であり、「オスがメスになることがある」といった設定が落ちていると、つなぎ合わせて物語にしたくなる。
アブダクションと類推:プロジェクションの中身
久保は、以前ゆる言語学ラジオで扱った「腐女子の二次創作と小林・益川理論」の回に触れた。あの回で2人が面白がったのは、プロジェクションというよりアブダクションの部分が大きかったのではないか、と久保は言う。物語を見出していく根には、アブダクションの働きがある。アブダクションは仮説推論とも呼ばれる。不思議な事象Aがあり、Bという理由があれば合理的に説明できるので、Bであろうと考える推論形式である。久保の考えでは、プロジェクションの中にアブダクションがあり、その仮説の部分がプロジェクションのコアになっている。団地を見て「これは少女なのでは」という仮説を立て、それに合うように団地を見ていく。ダンゴムシの奇妙な習性から「人間がやったら面白いのでは」と仮説を立て、ゲームという物語に落とし込む。そのゲームにしていく部分がプロジェクションだという。
水野は新入社員時代に「世界の面白がり方を提示するのが俺たちの仕事だ」と言われたことを思い出し、プチ鹿島の例を挙げた。プチ鹿島は政治とプロレスが好きで、その理由を「自分は人事が好きだから」と説明する。権力闘争、パワーバランス、社内調整。世界は人事でできていて、それが極端に現れるのが政治とプロレスだ、という見方である。実際の政治はもっと複雑だが、人事というフレームで見る。水野はこれをプロジェクション的な解決の仕方だと考えた。
久保は、プロジェクションのもう1つの大きな柱として類推(アナロジー)を挙げた。まったく違うAとBを「こういう見方をしたら同じではないか」と捉えるとき、Aを見てBだと思う部分がプロジェクションである。そのとき、何が共通しているかを抽出し、抽象的なレベルで構造・意味・関係性が同じだと説明するのが類推の働きだという。水野は「明けない夜はない」から人生の暗い時期もいつか明るくなると考えることを例に挙げた。久保は、ケクレが尻尾を噛む蛇の夢からベンゼン環の構造を着想したという話を紹介した。蛇とベンゼン環に論理的な必然性はないが、当てはめる部分がプロジェクションで、似ていると思うのが類推である。
久保は、堀元はあちこちで類推をしているからプロジェクションが好きなはずだと言う。比喩も、イメージが共有されていないと機能しない。機能したときには意味や構造がとても分かりやすく伝わるので、比喩もプロジェクションだという。堀元はふだん「例え芸人」を名乗っているので、それなら「プロジェクション芸人」だと受け入れた。今井むつみら認知科学者が自分たちに付き合ってくれるのも、認知科学的に面白いことをしているからかもしれない、と堀元は振り返った。
プロジェクション不全の例えと、プロジェクションを「見る」楽しみ
堀元は、うまくいっていない例え、つまり「プロジェクション不全」に面白さを感じるという。量子コンピュータの本に、電子がエネルギー準位の低いところから埋まるのは、マンションが外に出やすい下の階から埋まるのと同じだ、という例えがあった。しかし堀元に言わせればタワーマンションは上から埋まるし、下の階は洗濯物を見られるから人気が低い。久保は、書き手がタワマンに対する一般的なイメージを把握できていない例だと解説した。もう1つは幸福論系の本で、スターバックスのカフェラテを週に1度のご褒美に取っておくことを、コメディアンがおならジョークを1日1公演までに抑えることにたとえていた。堀元は、例えない方が分かりやすいと感じたという。水野は、失敗した例えに気づきもしないし、気づいても気に留めない、収集するという発想がなかった、と言う。
久保は堀元のnoteを定期購読しており、読むたびに「またプロジェクションしている」と思っているという。類推が多いだけでなく、有名人そのものではなく「その人がどう思われているか、どういう立ち位置か」を分析するのが好きなところに注目している。それは周囲がその人にどうプロジェクションしているかを見ることだ。久保自身も、オタクが二次創作でどんなプロジェクションをしているかを見るのが好きな「プロジェクション・ウォッチャー」だという。
水野が打ち合わせで聞いた話では、久保はインターネット芸人もプロジェクション的だと言っていた。「こう言えば受ける」「周りは自分をこう見ているからその通りに振る舞う」。それは他人から自分に向けられたプロジェクションを自分で演じることだ。堀元は投影し、投影を観察し、投影を「請け負って」もいる。紫のリュックを「メンバーカラーです」と出すのも、ここに投影してくださいという指定である。久保によれば、イメージと現実が重なったところに強いリアリティが生まれ、ファンはそれを喜ぶ。
ただ水野は、堀元がそのプロジェクションに逆張りすることもあると指摘し、自身も紫のリュックを見ると「プロジェクション待ちだ」と感じて外してほしくなるという。久保は紫のバッグを「誘いプロジェクション」「商業主義的プロジェクション」と呼んだ。堀元は、以前の回で自分が「儲かったらいいから」と言ったとき、水野に「お前の外側と喋ってねえんだよ、コアで喋れよ」と言われたことを思い出した。これは「プロジェクションで喋るな」、つまりプロジェクション剥がしだった、という解釈である。久保は、インターネット芸人やアイドルに限らず、理想の彼氏でありたい、親にとって良い子でありたい、あえて反抗してみる、といった形で、普通の人もコアだけでなく外側を含めてプロジェクションの中で生きていると述べた。
プロジェクションの負の面:陰謀論、あだ名、悪口
水野は、ここまで純度の高いプロジェクションを無批判に称揚してきたが、それは人の支配や束縛にもつながりうると論点を転じた。久保が『イマジナリー・ネガティブ』で扱う陰謀論は、少ないヒントから「こういうモデルになっているはずだ」と考え、それが現実と違っていても政治の混乱や暴力につながる例である。久保は、陰謀論や霊感商法は、はまっていない人から見れば荒唐無稽でも、はまっている人にとっては整合性のある世界になっている、と説明する。問題は、プロジェクションが他者に操られてその状態に陥っている点だという。堀元は、やはり「プロジェクションの権を他人に握らせるな」が正しいという話になる、と受けた。
堀元はあだ名もプロジェクションだと指摘した。岸田文雄元首相につけられた「増税メガネ」はいじめっぽかった。堀元の見解では、岸田氏はそれほど増税しておらず、どちらかといえば減税していた。それでも「あいつは増税するメガネなんだろう」というプロジェクションが広まった、ということである。久保も、あだ名はその人へのイメージを別の言葉で表して当てはめ、みんなが納得するという意味でまさにプロジェクションだと認めた。
水野はここで、和泉悠『悪口ってなんだろう』を引いた。水野の要約では、この本は悪口を「世界にある序列を言葉で作り替えること」と捉えている。どの国にもジョークがあるのは、偉い人の序列を言葉の上で操作できることの証明だという。気に食わない人や政治家にあだ名をつけるのはプロジェクションの悪い面でもある。しかし同時に「お前の序列の並べ方には従わない」という意思表示でもあり、本質的な部分が宿っている、と水野は考えている。
モノマネ、似顔絵、科学:誇張と切り出し
久保は、学校の先生のモノマネも序列を変えるプロジェクションだと言う。普段は先生をバカにできないが、モノマネにすると笑いの対象になる。久保は論文の中で、誇張モノマネをするハリウッドザコシショウが、モノマネ芸人のモノマネを見て練習していると小学生新聞のインタビューで語ったことを、脚注付きで引用し、それなら特徴を誇張しやすいと考えられる、と書いたという。水野はこれを、チャップリンがヒトラーを真似たのと同じ構造だと述べた。口答えできない権力者を真似て誇張し、笑いにすることで序列を変えている。
水野はさらに、似顔絵を描いてきた山藤章二が岩波新書で「似顔絵とは決めつけによる批評である」と書いていたことを紹介した。モノマネと同じく、一部の特徴を強く誇張して自分なりのプロジェクションを示すことだ。そして寺田寅彦のエッセイ「漫画と科学」は、漫画と科学が同じ営みだと論じている。物が落ちる現象を考えるとき、空気抵抗や布と鉄球の違いはいったん無視し、式にできる部分だけを切り出す。漫画も同じで、「この人は鼻が大きい」という情報だけを切り出し、ほかはどうでもよく描く。堀元は、言語学ではチョムスキーの生成文法が実際の発話であるパフォーマンスを無視すると言っている点を大胆だとし、それでも言語学者を熱狂させている理論だと付け加えた。そして、以前の回で「チョムスキーの生成文法も腐女子の二次創作と変わらない」と話していたことに戻ってくる、と振り返った。
久保は、自分がどこに意味を見出しているかを主体的に取り出し、自分なりに調理して、もう一度現実と重ね合わせるのがプロジェクションだと述べた。どこを選ぶかに批評的な姿勢や本人の価値観が出るのが面白い、というのが久保の見方である。
何でもプロジェクションと言えるなら、科学的価値はどこにあるのか
ここで水野は、何でもプロジェクションと言えてしまうならモデルとしての科学的価値はどこにあるのか、と核心を突く質問をした。堀元も同じ疑問を持っていたという。
久保は、それは認知科学の中でも批判される点だと認めた。そのうえで、提唱者の鈴木宏昭は「プロジェクションは1つの概念、考え方だ」と言っていたと紹介した。細かく検証したり脳内の処理とすり合わせたりするより、考え方の方向性としてこういう視点を持とう、と打ち出しているのだという。水野は、誠実な地政学の入門書に「地政学は純粋な学問的手続きに則っていない決めつけではないかという批判はもっともだが、物の見方として持っておくと武器になる」と書かれているのと近いのか、と尋ねた。
久保の答えはこうだ。すべてをプロジェクションで説明したいわけではない。これまで提唱されてきたさまざまな理論や考え方をプロジェクションという枠組みに入れると、こう扱える、と示したい。たとえば、私たちの現実と心の世界を組み合わせるとき、アブダクションがどこに組み込まれているのかがより明確になる。久保は、アナロジーやアブダクションが大きな部屋の中でどう配置されているか、それぞれどんな役割を果たしているかを俯瞰的に見られる枠組みを提示しているのではないか、と「今考えている」と述べた。
なぜこの概念を広めたいのかと問われると、久保は、自分で世界を意味づけていける働きが私たちにはあると知ってもらいたいことがいちばん大きいと答えた。届けたいのは認知科学者より一般の人であり、だから新書しか書いていない。堀元のように、プロジェクションをしているのに気づいていない人が「これはプロジェクションなのだ」と知れば、あれもこれもつながり、アブダクションとアナロジーのつながりも見えて、もっと面白くなるはずだという。堀元は、ここで聞いた話は何に似ている、とコメント欄でプロジェクションしている視聴者が多いので、この番組の視聴者はこの概念と相性が良いのではないかと述べた。
ファンは「自分のプロジェクション」を守りたがる
話は2人自身に向けられるプロジェクションに移った。トークイベントのレポートを4コマ漫画で描いてくれるファンがいて、そこでは2人がとても美化されたイケメンになっている。よくまとまっていて拡散されるが、中には「堀元と水野をイケメンにされるのは嫌だ」と言う人もいる。水野が単著を出して1人でメディアに出ると、知的に話しているのに、コメント欄に「この人は足が臭いです」と書かれる。水野はこれを、兄弟のおしゃれなエッセイが読めないのと同じだと分析した。そうでない部分を知りすぎていてギャップがきつい。だから外部媒体で知的に固定されるのを嫌い、コメント欄でバランスを取っているのだろう、という。堀元は、初見の人に自分のプロジェクションに近づけ、と修正したいのだと言い換えた。
久保は、これは漫画や小説が実写化されたときのファンの行動と同じだと言う。久保は『ゴールデンカムイ』が本当に好きなので実写版は見ていない。すごく良いのだろうとは思っていて感想は見るが、自分のイメージのままでいたいという。水野は、自分の友人にもこの番組を見られない人がいると明かした。普段の水野と違って嫌だというのだ。久保は、プロジェクションは非常に能動的なものなので、他者に揺るがされるのが嫌なのだろうと述べた。
堀元は、人間は実際には多面的で相手によってペルソナを変えているのに、1つにとどめたいのはエゴイスティックではないか、これは人間に普遍的なのか一部の人の話なのか、と疑問を出した。久保は、人間関係を安定させるには固定されたイメージで付き合う方が楽だから、と答えた。堀元は、カラオケによく行く友達とは安定しているのに、職場の集まりでカラオケに行くと何を歌えばいいか急に難しくなる、という例を挙げた。水野は友人に「瞑想に行ってこい」と言われ、1か月スマートフォンと本を断って気難しくなって帰ってきたらどうするかと聞いたところ、「それは嫌かも、付き合いをやめるかも」と言われたという。久保は、それは認知負荷を下げたいという話で、知らないものは怖いのだと述べた。なぜそうなったのかを物語として伝えられれば受け入れられるのでは、とも付け加えた。
一方で堀元は、ネットで活動し続けると周囲のプロジェクションでがんじがらめになるので、あえて壊しに行くことがあるという。1か月ちょっと前、口が悪くてインテリな翻訳家・評論家の山形浩生のブログのように、丁寧に説明せず人をばっさり切る独断的な記事を書いてみた。記事はいつもより売れたが、コメント欄は荒れた。堀元は、期待と違うことをやるとこうなるのだと痛感しつつ、やってよかったと考えている。プロジェクションが固まりきる前にたまに壊しておかないと、固まってしまってファンも増えない。だからファンを裏切っていこうと思った、という。
身体と結びつくプロジェクションは実験できる:VRクッキー、ラバーハンド、踏み絵
水野は、枠組みであることは分かったが、その枠組みで仮説は立つのか、もっと俗っぽく言えば論文になるのか、とさらに尋ねた。久保は、個人の中のイメージは捉えにくく検証しづらいが、身体と結びついたプロジェクションは検証しやすく、プロジェクション・サイエンスの中でも身体性を研究する人たちは実験的に検討していると答えた。
例として挙がったのが、東京大学の鳴海拓志の研究である。VRゴーグルを使い、無地のクッキーにチョコレートクッキーを視覚的に重ねる。それで味の感じ方が変わるなら、視覚的なプロジェクションが味覚に影響していると言える。もう1つはラバーハンドだ。ゴム製の手の模型を机に置き、自分の手は隠しておく。ゴムの手を筆でなでるのと同時に、隠れた本物の手も筆でなでる。すると、ゴムの手だと分かっていても自分の手のように感じ、ゴムの手が叩かれると体がビクッと反応する。身体や物理的なものを介すれば、実験的な検証も行われている。
水野は、この話で「文系の学問はふわっとしている」と言う人が来るかもしれないと懸念した。しかし久保の出発点はむしろ逆である。もともとは統計処理をかけるゴリゴリの実験心理学者で、老齢のサルを対象に多くの実験論文を書いてきた。だから検証はしっかりやらなければいけないと思っている。そのうえで、実験では検証しきれない部分もプロジェクションには含めていきたい、と久保は述べた。
久保がプロジェクションの「実験」だと考えているのは、江戸時代の踏み絵である。キリシタンでなければただの木の板なので踏める。キリシタンにとっては信仰やキリストのすべてが投影されているので、とても踏めない。しかし、やがて心の中にキリストがあれば踏んでもよいという考えが生まれ、隠れキリシタンも踏むようになった。行動は非キリシタンと同じでも、その後に祈りを捧げ、自分の行動をもう一度プロジェクションし直していた、と久保は説明した。
堀元はこれを「直感を裏切るプロジェクション」とみなし、自分の体験としてアダルトVRの話をした。多くの作品は男優の視点で撮られているので、直感的には自分を男優と同一視しやすいはずだ。ところが男優の体型が自分と違う、たとえばお腹が出ていると、急に没入できなくなる。むしろ三人称視点の方が没入できた。久保は、不気味の谷と同じで、とても似ているのに違うと気持ち悪さが際立つのだと解説した。三人称ならそもそも没入していないので違和感がないが、半端に没入しているせいで少しの違いが気になる。そこで久保は、いっそ触手のような、なったことのないものの視点の方が没入しやすいのではないかと提案し、この回でいちばんの笑いを取った。
結び:「世界を自分で意味づける力」をどう使うか
回の終わりに堀元は流れを振り返った。つまらない数字くじをフィリピンの人が楽しめるのは、世界にプロジェクションするきっかけになるから。それは大山顕の写真集のキャプションと近く、目的があって作られたものに投影している点がよく似ている。その話は以前の腐女子の二次創作と小林・益川理論の回にもつながっており、その論を書いた久保を招いて、プロジェクションの純度や主導権について話してきた。
堀元は「プロジェクションにはまってきた」と言い、久保は打ち合わせの段階から「堀元さんは絶対プロジェクションが好き。好きと言わせるまでは帰らない」と話していたと明かした。堀元は、完全にそっち側に行ったと認めている。
久保は最後に、ポジティブな面を書いた『「推し」の科学』と、ネガティブな面だけを書いた『イマジナリー・ネガティブ』を表裏一体として読んでほしいと述べた。前者を書いたときに「ネガティブなこともあるだろう」と言われ、後に書く機会を得たのだという。さらに、提唱者の鈴木宏昭が亡くなった後、久保の夫である川合伸幸が遺稿をまとめた『心と現実』も紹介した。鈴木はもともと類推の専門家で、類推があったからプロジェクションという考えにたどり着いたのだと改めて思った、と久保は語る。実験系の研究者の検証的な論文を収めた『プロジェクション・サイエンス』と合わせた4冊が、現時点でプロジェクションについて出ている本のすべてだという。
今回の対話が示したのは、プロジェクションが推し活や鑑賞を豊かにする一方で、陰謀論やあだ名のように他人に操られもする両刃の働きだということだ。そして久保自身が認めるように、それが検証可能な理論というより「知性を俯瞰する枠組み」としてどこまで有効なのかは、なお議論の途上にある。久保の願いは、人が世界を自分で意味づける力を持っていると知り、その主導権を自分で握ることにあった。
ゆる言語学ラジオ。専門家とプロジェクションについて語ろう。
イエーイ。
プロジェクションの専門家が来てくれたわけですね。
はい。ということで本日お越しいただきました久保先生です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。ありがとうございます。
簡単に自己紹介お願いしてもいいですか?
私はこういう『イマジナリー・ネガティブ』っていう本と『「推し」の科学』っていう一般向けの新書を書いて、プロジェクションっていう認知科学の心の働きを切り口に、推し活のこととか、あとは陰謀論とかオレオレ詐欺とか霊感商法なんかにどうしてはまってしまうのかみたいなことを解説しています。
なるほど。すごいメディアに引っ張りだこの研究者感がありますね。推しから陰謀論まで語ってくれるんだ、この人っていう感じありますね。うん。
前回はね、フィリピンの数字くじというめちゃくちゃ面白くないくじと賭博と、ジャンクションの写真集っていうのが僕の中で繋がった。そしてその繋がった根元っていうのがプロジェクションという認知能力なんじゃないかと。で、そのプロジェクションってのはある対象Aを全然違うBっていうので当てはめて捉えるっていうようなことなのだと言いました。
前回からの続きになるので、前回見てない方はそこ見てからここに戻ってきて欲しいんですけれども、僕がその数字くじとプロジェクションっていうのを思いついて1番感じたのはね、数字くじって現実世界にプロジェクションを促すための舞台装置だったんじゃないかって思ったんですね。うん。うん。
この『日々賭けをする人々』に出てくる話で言うと、このフィリピンの人たちって何に賭けたのかとか、何が出たのかとか。ああ、喋る。当選番号のね、何が出たのかとか、どこの誰がどの番号で当たったのかみたいな話が日常の雑談で出てくるみたいなんですね。で、著者も誕生日を聞かれて、それをあんまり仲良くない人にも覚えられたみたいな話が出てくるんですよ。
それって要は数字くじという全然面白くないものを通して、世界にある数字に意味をつけて、意味付けられた数字を自分が覚えることで、人とのコミュニケーションも活発になるわけですよね。
あ、確かにね。だからフィリピンの人だったら誕生日とか妙に覚えてる可能性高いわけですね。
そうです。結構近所の人の誕生日を覚えていて、そういえば昨日君の誕生日だったよねみたいな会話が出てくるんですよ。で、それなんでかって言ったら多分数字くじがあるからなんですね。
だから数字くじは世界の数字に対してプロジェクションをする動機をつけると共に、人々と社会的な交流も促すめっちゃいいゲームというか、言うたら酵母みたいな感じ。その本体は変化をしないんだけど発酵を促して、その周囲の人々の何かを呼び起こすという意味では。なるほどね。っていう風に感じたんですよね。
数字くじがあることによって、めちゃくちゃみんなの日常生活で数字を際立たせて、誕生日とかも覚えられるようにするっていうことですね。
え、だからあれや、パー子さんってもしかしてフィリピンで数字くじをやってた?え、なんでですか?いや、人の誕生日すぐ覚えるじゃない?人の誕生日すぐ覚えるのってペーさんか?え、知らん。なんかそれ特技ですよね。あります。ある、あるね。
ペーさんかパー子さんか、いずれにせよ林家ペー・パー子がフィリピンで数字くじやってたってこと。
僕側でプロジェクションしなきゃいけないの?それ、ペーかパーか。
そう、そう。リスナー側でもいいですよ。皆さんの方でお好きな方を当てはめていただいて、正しい方選んでください。
そうですね。ただ勝手に数字くじしてる可能性はありますね。ロト6やる時に人の誕生日で賭けてる可能性なくはないですよ。
そうだね。いや、だからそういうことですよね。誕生日に敏感な人ってやっぱ何かしらの酵母があるから敏感になってんだよね。きっとね。
学術的にはどのようにご覧になりましたか?今のは。林家ペー・パー子さんは認知科学的にはどうなんですか?
認知科学的には分からないけど、でも誕生日ってやっぱすごい特別な数字だと思うんですよ。で、オタクは誕生日大好きなんですね。そのキャラの誕生日みたいのめちゃくちゃ覚えてるし。
確かに。先生はオタクなんですか?
私はガチオタです。中学生の時から漫画アニメのガチオタで。
へえ。え、先生はだから漫画のキャラクターの誕生日とかに。めちゃくちゃ覚えてます。そこまではもう今若くはないんでやらないんですけど、中学生だったら絶対やってた。本人不在の誕生日とか絶対やる。
ありますよね。Twitter文化でそのキャラの誕生日祝いみたいな。
そう。だから誕生日ってすごい特別な数字として出てくるし、誰にでも1つあるし、私たちの現実世界でもあることじゃないですか。だからすごい、記号接地って言っていいの?
うん。はい。記号接地ってあれですか、自分の中にあった知ってる概念と現実の事象が対応するみたいなイメージですか?
そうそうそうそう。その通り。なのでキャラクターっていう架空の存在が、現実の誕生日っていう、リアルに存在する私たちも知ってる誕生日ってものと結びつくことによって、すごいリアリティを持って感じられるっていう。誕生日って設定資料に書いただけですよね。
そうそうそう。だからただの数字なんだけど、オタクにとってはものすごく大事な数字。はあ。
だから、それ設定なんだと分かりつつも、誕生日があるんだということで現実にいるかのような感覚になる。
そう。で、誕生日も例えば13月32日とかにはしないんですよ。実際にある日付にすることで、私たちの現実感をものすごく促してくる。へえ。
あれ、ということはキャラクターの誕生日っていうのもプロジェクションということですか?
そうじゃない?架空の人だったらだって生まれちゃいないよね。だけど生まれたと思ってすごくお祝いするし、本人がいないのにお祝いするし、しかも年を取らないのにお祝いするし。うんうん。めちゃくちゃプロジェクションじゃない。
だから実際には何も起きてない日なのにもかかわらず、このキャラクターが生まれた日なんだという、自分の認知を投影している。
そう。だから先ほどの水野さんの言い方で言うと、非常にその数字に意味付けをしてるんですよ。
自分でその意味を持たせて。なるほどね。
だからプロジェクションっていうのは、何か外界のリアルなものに自分でものすごく意味付けるっていう心の働きだと私は。
じゃあ、あれはどうですか?キャバ嬢がお客さんからいっぱいプレゼントをもらうために架空の誕生日を4つぐらい設定して、年間5回ぐらい誕生日が来るって聞いたことあるんですけど。
それはプロジェクション促してるんだね。
あ、だからお客さんが。はいはい。実際には誕生日じゃないものを誕生日だって投射してもらうためにやってる。そうです。
だからキャバ嬢は、浅ましくプレゼントもらうという根性ではなく、客のプロジェクションを促すというプロ意識だったということですね。
詐欺師がやってることもそうだけどね。詐欺師もプロジェクションを操作するので詐欺が成立する。
堀元さん、この先生無茶ぶりしても答えてくれます。真面目に。これ何やっても大丈夫だっていうの、今日ワクワクですね。最高です。
絶対いなしてくれると思って林家ペーさんパー子さんの話とかしたらね、ちゃんとなんか返ってきたし、キャバ嬢の話してもそうですよって言われたから。あ、今日行けるな。
誕生日大事だって、今回誕生日にイベントされましたよね。
あれは本当にファンの方にとってはすごく大事な日だったと思います。うん。うん。
僕正直誕生日ってね、365分の1だなって思ってるんで、別にいつでもいいし、平日だなって思ってます。
あ、そうですね。そう、そう、そう。だからクリスマスにさ、男女が会うみたいなもの、よくわからんのよ、あれ。
うん。あれもよくわかんないね。
そう、そうなのよ。なんかめちゃくちゃレストラン混んでるじゃない?そう、そう。
だから私はオタクだけど、知ってるもの以外には別に何のプロジェクションもしないから。
あ、クリスマスもただの12月25日。
え、学生の時はずっとバイトしてた。
あ、だからシフト空いたりとかね、してますからね。
そう、そう。みんな入れないからね、その日。
だから自分の推しキャラの誕生日とかには、すごく意味を持つけど、これは大事な日だってなるけど、ああいう世間的なイベントとかは全然興味ない、ただの平日だなって思ってるわけです。あ、でも、子供のためにはやります。
うん。へえ。なんか割り切りが怖い。なんか人間味がない。
なんで?オタクって結構さ、興味があることには。あ、でもそうだ。
割とそうかも。オタクってそうですよね。僕オタクじゃないんでわかんないですけど。
自分の興味あるものにはめっちゃしっかりこだわるけど、そうじゃないものはどうでもいい。だから水野さんってそうじゃないですか?言語の話は好きだけど、でもさ、アニメの話は全く伝わらないみたいな。
言語がないからあんまり。
言語あるだろ。アニメの中で使ったりしてるだろう。いや、だからそういうことですよね。
全然。だからキリスト推してないから関係ないわけですよね。そう、そう、そう、そう。
だから仮にキリストを推してたとしたら、クリスマスはめちゃくちゃ盛大にやる。
キリスト推してたらキリスト教徒なんよ、それ。
だからクリスマスをね、皆さん日本でキリスト教徒でもないのに祝うんだったら、4月のね、仏様が生まれた日だってちゃんとお祝いしろよってすごく思った。
あ、確かに。なんであっちだけはやってんでしょうね。
花祭りだってちゃんとやるべき。
話変えますね。何の話してんですか?
そうですね。久保先生のめんどくさい人感も今ちょっと出てきましたね。
いや、最高です。最高です。僕好きなんで、めんどくさい人が。是非めんどくささをいっぱい出してください。
もう今涙目になって。
そう。違う違う。責めたかったわけじゃないね。
繊細さと。確かに大胆さと繊細さの同居がすごいですね。この先生。
オタクはほら、情緒の幅が広いから。はいはい。確かに。すぐわーってなったり、すぐわってなったりする。
ぜひぜひ今日いっぱい出してください。
でもオタクっていう大きい主語で言ったら申し訳ないね。すみません。ちょっと配慮しないとと思って。
久保先生は何オタクなんですか?
え、漫画アニメかな?
漫画アニメ。特に好きなものは何ですか?
それ聞かれるのがオタク1番嫌なんだけど。
あ、ごめんなさい。地雷。厄介だな、この人、めんどくさいな。おい、おい、ごめんなさい。ゲストに出ていただいたのに。
でもね、今なんか脱線したかのように見えたけど、実は僕の台本通りでもあるんですよ。
え、そうなの?お前未来予知能力者じゃん。
いや、違いますけど。
僕がこの『日々賭けをする人々』読んで思ったこと、その2で言うとね、数字くじがある生活とない生活をちょっと比べてみて欲しいんですけど、あった生活の方が多分楽しくないですか?
まあ、今の話で言うと、そうだよね。日常に張りがあるもんね。そう。
しかもさっき、自分の推しとか好きなキャラクターの誕生日があるとその日が楽しみになるって話ありましたけど、数字くじの場合って2桁の数字全てですから。それって今例えば僕らがスタジオにいて、あそこでカウントをしてるタイマーとかだって2桁の数字はありますし、日常見渡すと2桁の数字ってめっちゃあるんですよね。
車のナンバーとかもさ、74-13みたいな、2桁が2個と見なせるよね。うん。そうですね。
だからフィリピンで数字くじしてる人って、日常のあらゆる数字が意味のある数字に変わるんですよね。
うん。楽しいかも。
ちょっと似たので言うと、僕の知り合いの数学科の人とかは、走ってる車見るとその数字が素数なのかどうかを検算して、素数だとすごいテンション上がるみたいなこと言っていて。
そう。数字好きな人は素数めちゃくちゃ好きだよね。うちの夫とか子供も銭湯とかに行くと、絶対素数のロッカーを探して素数のロッカーに入れたりしてもう。で、私はそこに何の意味も見出せない。
僕も。
いや、だって素数かどうかって判定する効率のいいアルゴリズムがないんですよ。だから自分の脳でざっとすぐできるかどうかが生死を分けるじゃないですか。
分けないです。
一瞬で今から出てくる素数を1秒で見抜かないと崖から落ちるよみたいな状態になった時に、すぐ見抜けるかどうかが大事じゃないですか。で、それは効率いい計算方法はないから、日頃から鍛えておくしかないから鍛えてんですよ。
あとナンバー4桁をさ、足し引き掛け割りで10にするメイク10っていうのもめちゃくちゃやってます。うん。うん。
それも僕やりますよ。よく。
へえ。でも意味ないですもんね。ないないない。ないですよね。全く。
いや、でもそれもやることによってさ、その10を作らないと崖から落とすぞっていう。にしても崖は関係ないんじゃないですか?そんな舞台にする必要ないと思いますけどね。
これでも1個問題あって、僕メイク10よくやりたいんですよ。で、特に朝起きてコーヒー入れてベランダに出て、太陽浴びながらコーヒー飲んでる時とかに、車いたら作るんですけど。へえ。
僕もある時すごい速さで解けるようになっちゃって、え、俺ちょっと計算早くなりすぎたなってめっちゃびっくりしたんすけど、じゃなくて、僕んちの前に止まってる車がいつも一緒だから解法を覚えてただけでした。
その話何?何?
確かに確かに、この話なんすか?え、何をプロジェクションしているんですか?この話。何か意味あることにしてくださいよ。
世界中のくじが数字であることに僕が意義を感じたのはそれで、例えば堀元さんが前編で出したね、ジャンクションがあるとしましょう、世界に。そしたらジャンクションって、次に当たるのはこれだみたいなプロジェクションの余地が多分少ないんすよ。
ジャンクションがそもそもそんなにないもんね。
世界から自分が意味を見出すものを探そうってなった時に、数字ってめっちゃあるわけじゃないですか。
確かに。ジャンクションに比べて数字は日常に溢れてるね。
そう。だから僕はそのプロジェクションっていう観点で見た時に、数字くじってよくできてるなって感じたんですけど、どう思います?うん。数字って本当に非常に具体的なんだけど、すごく抽象的っていう両面があるのが、今言った水野さんのね、プロジェクションをしやすいっていう要素かなと思うの。
なんかのグッズとかでもめちゃくちゃそのっていうのは、いわゆるグッズとして受け入れられるんだけど、もうちょっと概念推しっていう感じで、例えば色だけが一致してたり、こんな形が何々を彷彿とさせるみたいな、そういう非常に余白があるような。
確かにあれですよね。アイドルの人ってそのアイドルのメンバーカラーのものをなるべく買ったりしますよね。そう、そう。
だから数字とか色っていうのはすごく具体的であり、非常に抽象的であるっていうとこ。
具体的であり、抽象的であるんだ。
そう。そこがすごく大事なんだと思うんですね。プロジェクションっていうのは非常にその余白の中でなされるので。
余白が広いんだと。だから投影しづらいと困るわけですよね。
具体的すぎるのは余白が狭くて、そこにピンポイントで投影しなきゃいけないってなると幅がないじゃないですか。
堀元さんが考えるプロジェクションと水野さんが考えるプロジェクションが、こう微妙に重なりながらちょっとずれてるみたいのが多分すごく面白い。
だから同じアイドルが好きだったとしても、僕はもうこの色だったらこのアイドルだろうと思って買ってるけど、水野さんは別にその色、アイドルだと思ってない。
そう。その通り。
文房具の会社が、やっぱり推し活のために色が付いたものを皆さんよく買うんですって。で、その時に何々カラーっていうのがまだ出てなかったから、ファンの方がどうしても何々って色を出してくださいって言って、出してもらえた時にやっぱそのメンバーカラーの人のファンってものすごく喜ぶんだけど、その1人じゃないんですよ。メンバーカラーっていろんなグループにいろんな人がいるね。うん。
いろんなグループのある人のファンが、この1つの色。
あ、面白いですね。なるほどね。違うプロジェクションを同じ色にして。
だからなんか、とある男性アイドルの赤のメンバーを推してる人と、鬼滅の刃の煉獄さんを推してる人が、同じ色のもの、同じものを買う可能性がある。
そう。そう。そう。だから非常にその数字も色も、そういう余白というか受け入れる口が広い割に、すごく具体的。
だからあれですよね。僕が背負ってる紫色のリュック。もう私いつその話しようかなと思って。
あ、ありがとうございます。これ僕メンバーカラーが紫なんでよくこれ背負ってるんですけど、動画にこれ映るたびに紫色のリュックだって言って、結構僕っぽい色なんだなって思ってたんですけど、こないだね、学歴詐称で話題になった伊東市の市長もこれと全く同じリュックを背負っていて。ああ。
で、結局だから今街中でこのリュック背負ってる人見たら、堀元を推してるのか伊東市の市長推してるのかどっちかわかんないなって思ったんですけど、そういうことですよね。
あるいはあと紫のメンバーカラーの人ね。
そうですね。他の紫の可能性もありますよね。
はい。紫のカバンを見ても、あ、紫のカバンだなという風に思うか、あ、堀元さん、あだ名を意識してそうやってカラーをやってるんだっていう風に思うかは、その見る側の非常に知識とかイメージのようなものを喚起してるっていうこと。
そうです。そう思うと商品開発にプロジェクションの視点って結構大事。グッズについて聞かれる。マーケティングではやっぱそういうところ、プロジェクションっていう視点すごく聞かれます。
持ってないすもんね、あんまり。だって商品開発しようってなった時に、デザイナーとかはさ、そういう視点で見てないもんね。多分ね。
ね。だからみんながプロジェクションしやすいように作ろうって。これ儲かるで、堀元さん。
え、なんか日本プロジェクションマーケティング協会みたいの作って理事やったら儲かりますよ、これ。
ちょっとコンサルやります。全然全然。なんで乗ってる?儲かる。儲かるそうじゃない。いやいやいや。
プロジェクションが広まるなら何でもし。
プロジェクションも推してるんだ。そうそう。
じゃ、ちょっとついでに聞きたいんだけど、さっき私あっちからね、カバンを拝見してて、カバンの近くにあるあの水色の靴は堀元さんのなんですか?あ、これ、これ、これ僕のですね。
そうで、私それ見てさ、あれもしかして水野さんの靴なのかなと思うわけ。そう、そう。
だから水色っていうただの色が、水野さんが「水」っていう漢字だから、もしかして水色が水野さんのメンバーカラーなのかな?
じゃあ堀元さんのカバンの近くにあるあの靴は堀元さんのだと思っていたけど、もしかしたら水野さんのなのかなっていう風に考えたりするんですね。
でも堀元さんのなんだったら、ぐるっと回って堀元さんは水野さんのメンバーカラーの靴履いてるんだ。
ちょっとエッチかこれ。いやいやいや。いやいや、そういう感じで言ってもいいんですか?まあ、別にいいすけど。
そう。で、1つの靴とカバンを見ても、プロジェクションすごくする人からするとですね、もう情報がめちゃくちゃあって、めちゃくちゃ楽しめる、そんな感じしますね。
うん。でもその代わり12月25日はただの日だと思うんですけど。
あ、そうそう。私はプロジェクションそこに何もしてないから。
これ面白いんだ。何もしてない。
あ、でも子供にはちゃんとやる。そのフォロー何なんですか?毎回それ無理すよ。もう。
いや、子供としては大事でしょ。
まあ、子供には大事。え、だからでもクリスマスツリーとか綺麗なイルミネーションあるわけじゃないですか。そこに何かをプロジェクションとかしないですか?
うん。だからまたみんなそんな商業主義に踊らされてるって思う。
それ何なんだよ。
あ、だから分かった。わかった。久保先生は押し付けられるのが嫌なんだ。そうなん?ここになんかロマンチックを見出してみたいなのが嫌なんですね。
今初めて分かったよ。
絶対そうでしょ。クリスマスツリーってプロジェクションの押し付けですもんね。
どうしよう。でも今私すごいプロジェクション押し付けてないですか?
押し付けがましくはないですけど。あ、本当に。あ、じゃあよかった。
え、でもね、俺ね、それ大事だと思うの。結局僕がね、大山さんの写真集が好きな理由を言語化したんだけど、大山さんってジャンクション以外にも工場とか団地とか高架の建築とかの写真集も出してるんですけど、例えば団地のね、写真集、この『団地の見究』っていう写真集なんですけど、この中の英南江口第2住宅っていうところのキャプションが、ちょっとピンク色のね、団地なんですけれども、「身長175cmの女の子がロリータファッションをまとったかのようなギリギリな感じが、一部の団地マニアの心を掴んできた。両サイドのこれ見よがしに飛び出した庇も、本来なら堅苦しく見えるはずだが、この子の場合はフリルか何かに見える」って書いてるんですね。
すごいね。完全に少女を投影してますね。
これプロジェクションですもんね。
完全にプロジェクションですね。
団地に女性、175cmの女性のロリータファッションっていうのをプロジェクションして、ファッションを楽しんじゃったんですよね、この人は。
あ、でもなんか気持ち分かるわ、これ。この団地ちょっと少女っぽいもん。うん。うん。わかる、わかる。
大山さんの写真集とかキャプションってこの調子でずっと、なんでこの人はこれを面白がってるのかってのを言葉にしてくれてるんですけど、それがすごくプロジェクション的なんですね。で、大山さんのポイントのもう1個は、そもそも鑑賞されるために作られてないものを鑑賞してるんですよ。うん。うん。ああ。
建築を、人が住んだりとか、高速道路の路線を変えるっていう目的があって作られたものを鑑賞しているわけですね。だから大山さんってのはプロジェクションの達人で、そしてしかも、およそ多くの人が思いつかないような、推しのプロジェクションじゃなくて、誰もまだプロジェクションしてないものに対してプロジェクションしていて、それが僕の癖に刺さる。
うんうんうん。めっちゃわかる。
それはだから、クリスマスのイルミネーションに久保先生が乗れないのと多分一緒で、プロジェクションの中でも多分クリエイティブなんですよ。誰もまだプロジェクションしてないところにプロジェクションしていて、その余地の幅が大きいから、僕は彼の写真集を見て興奮できるっていうことなのかなって思いました。
さっきは、だから堀元さんも初めてそれを見て、あ、そんな感じするわって。
なんか女性っぽい団地だなとかはちょっと思いましたね。うん。
まあ、それを女性に例えられたら、あ、確かにって思うかもしんないけど、最初からそれが普通の素人にできるかっていうところもあるでしょうし。だから僕はね、大山さんは世界とプロレスしてるなって思った。うん。およそ戦う相手ではない場所に対して、自分で受け取って楽しんでいる。
そう。でも確かにさ、建築見る時さ、なんかそんな印象を受ける時あるよね。こうねじれたビルあるじゃん。はいはい。有名な。あのビル僕見るたびに、いけすかねえインテリメガネ想像しますよね。ほうほうほう。
あれ見るたびにな。え、分かります?あいつ、いけすかねえインテリメガネ感ないすか?めっちゃ。
え、わかんない。あ、わかんない。僕も別にないかも。
このねじれビル、僕の中では細フチのメガネかけた、なんか仕事はめっちゃできるんだけど部下にかなり厳しい、いけすかねえインテリメガネだなって思うんすよ。
ナイスプロジェクション。
ああ、見てくれた。よかった。
うん。俺はそれ共有しないですけど、うんうん、プロジェクションですよね。
そうそうそう。だから分からなくても、あ、そういうプロジェクションするんだっていうのが見えると、それも面白いじゃない?うん。
まあ、自分はそう見えないけど、あ、そういう見方するんだって分かるのも結構いいですね。
久保先生なんかあります?建物見て、これはこいつだなみたいな。
建物。建築に対してそんなにプロジェクション熱がない。あ、そう。
僕もあんまないかも。建築を人に例えるってないから。僕だから大山さん見て、これありなんだっていうか。
あ、じゃあ俺、割とお2人に比べて大山さん寄りかも。プロジェクターです。
プロジェクターなの?え、あの画面映すやつ?そう、そう、そう。プロジェクターです。あのHDMI刺すやつ?そう、そう、そう。
俺あれなの?それ。人間性を認めてほしいけど。いやいやいやいや。
え、僕結構昔から思ってました。青春18きっぷで旅行するの好きなんですけど、駅見て結構個性あるなっていう。え、岩見沢駅っていう北海道にあるデカめの駅があるんですけど、そこはね結構貴婦人ですね。お金持ってる上品なマダムみたいな気持ち。
だからゲームとか漫画とかで擬人化ってよくあるけど、あれも完全にプロジェクションね。ヘタリアなんかはもう完全に。
そう。あ、確かに。だから刀剣乱舞とかもそうですよね。
僕漢字に対して結構擬人化することはありましたね。皆さんあると思うんですけど、やっぱ下半身が安定してる感じとかさ、あるじゃないですか。
上に対して下の画数。僕、太貴の貴とかもそうですけど、それってすごい重心が低くてどっしりしてるじゃないですか。うん。うん。だからそういう時って字書く時とかも下の方を大きく描いてみたり、あるいは逆にちょっと痩せ型にしてみちゃったりとかして、そのシルエットを楽しむみたいなのは、あ、Aラインできたみたいなさ、あるじゃないですか。
いや、その気持ちは全くわかんないですけど。
あ、でもさ、書道の方たちって結局そういうことやってるのかもね。その文字のイメージを実際の文字に当てはめて、少し文字を変形させたらこういう形になるみたいなのは。
だから字の意味と字形が全然一致してなくて、僕好きな字とかも結構あるので。細いっていう漢字なんて全然細くないですからね。例えばですけど。
確かに田んぼとか書いてて、なんか太そうだよね。字ですよね。あれ。
確かにあれ、田んぼと糸にしてさ、累計の累っていう字を「細い」にした方がいいよね。
あ、そうですね。その方が細いか。累の字もね、やっぱ下半身が結構どっしりしちゃってるから、もっと細くした方がいいと思うんですよね。細い。
だから今の会社に入る時の面接で好きな漢字聞かれた時は、こういう話をして、どっかでも話したかもしんないですけど。
漢字聞くの?
あ、その漢字が好きって言ったんで、どの字が好きなのって聞かれて。僕はそのうつ病の鬱の字あげて、鬱って上半身ぎっしりなのに下半身の右は三角しかないんですよね。左はあんなにあるのに。なんかこう壺として置いたら右に倒れちゃうような不安定なバランス感があって、仮にあの字を字形だけ見せて海外の方に、これはハッピーかアンハッピーかどっちですかって聞いたら、ハッピーを選ばないだろうっていう自信が僕になんとなくあって、素敵な字だと思いましたみたいなこと言ったら受けました。
面白いね。それめちゃくちゃプロジェクションだし、なんか字のイメージみたいな、認知科学者がすごいやりたそうな実験。
ああ、これ実験になるんだ。あ、すごい面白いね。
共感覚的っていう感じなんですかね。もしかしたら。
そうだね。あとはその漢字の意味とやっぱ形とプロジェクションの関係なんか見るのもすごい面白い。
逆にみんな気にならなかったんですか?その字形と意味のミスマッチとか。
全然。気にしたことないな。
プロジェクション下手だわ。
ただ、その人のプロジェクションって非常になんか固有の個性みたいのがすごく出て。だから建物とか文字とか、私だったらそのキャラクターの持ち物みたいなのすごい考えるんだけど、そういうその個性。
どこにプロジェクションするか。そう、そう、そう、そう。人の話聞くとやっぱり全然自分と違って、あ、そんなことするのっていう驚きがあって面白いなって今思いました。
ああ、そうかもしれない。確かに。
じゃあ、マッチングアプリとかでね、自分が何にプロジェクションしてるのかとか、欄。
どうしたんですか?やばい人じゃない?やばい。なんで?
え、全然良くないすか?マッチングアプリの中で自分は何にプロジェクションするかって言われた時に、いや、ちょっと僕駅見た時にやっぱり駅を人に例えちゃうんですよね。いいね。
何座ですか?みたいな感じで、あなたの好きなプロジェクション何ですかって聞くの?
何とか聞いてもしょうがないよね。盛り上がりなんだから。
違うよ。マッチングアプリの書いとく場所に置いとくだけで、別に出会った人に聞くわけじゃない。
いいね。もう、それぐらいになってほしいね。プロジェクション。
そう、プロジェクションマッチング。やったらいいと思う。絶対合うし、合わなくても楽しいし。
楽しいと思う。その会話したいもん。したいね。何にプロジェクションしてるのか会話はしたいもん。
いや、それだわ。絶対、お仕事何されてるんですかとか、週末何してるのかとかいらないもんね。週末何にプロジェクションしてるんですか、よね。これがいいすよね。
そうだね。これおもろいな。確かに。確かにそうだわ。そう。
あと僕さ、いろんな人がいろんな対象にプロジェクションするって話でしたけど、純度っていう概念も結構あんのかなと思っていて、みんながしちゃうように仕掛けられた商業的なものに対してしちゃうプロジェクションって純度低いと思うんですけど、で、さっきの大山さんって純度マックスで。
ジャンクションとか工場っていう、およそ人間味がなくて、そして向こう側もプロジェクションしてもらおうと思って作ってないものに対してプロジェクションするって純度が高いと思うし、それって最近僕がしきりに言ってる人生の主導権をプロジェクター側が持ってるわけじゃないですか。うん。
でもこういう風に、はい、消費してねっていうものにプロジェクションしちゃうのって、主導権を相手に握られてると思うから。僕はプロジェクションって最も純度の高い趣味でもあると思う。人生の主導権を自分が握るという意味で、純度の高いプロジェクションしてる人ってかっこいいし。
だからプロジェクションの権を他人に握らせるなってこと。そうそうそうそうそう。
プロジェクション義勇さん、プロジェクション冨岡義勇とかにして、せめて苗字プロジェクションがプロが言ってましたみたいな感じがね、多分いますよね。って思うんですけど。
あ、でも確かに、オタクの話に戻ると、感動させられてるとか、何かに乗せられてるっていう感覚は本当に嫌みたいで、皆さん。
例として出すのは、100日後に死ぬワニの。あ、はいはいはい。100日後に死ぬ。
で、あれはみんな結構Twitterの中で本当に、あ、いい話だねって自然発生的に盛り上がっていたところに、最後のところでなんかちょっと商業的な、グッズかけて映画かけてみたいなやつが来て、で、急に、え、私たちの感動って作られてたのかっていうような感覚になって。
そういうことか。面白い。
それでアンチがめちゃくちゃ出てきた。自然発生のプロジェクションだと思ってたものが、作られたプロジェクションだったのかっていう絶望ですよね。
熱量だけが同じで、すごく反転しちゃうんです。
あれ見た時に、あ、感動ってすごく自発的なものだっていう風に思いたいんだなって。
確かにそうだ。
だからオリンピックの感動のさせ方とか、あとチャリティ番組の感動のさせ方って、すっごい微妙な塩梅が必要で、ネット民からよく叩かれてますもんね。あんまいい言葉じゃないけど感動ポルノとか言われたり。
そうそうそう。だからそれは自発的かどうかっていうところがすごく効くんだと思うんです。
面白い。だから強制させちゃだめなんだ、他人に。そう。
多分ジャンクションだって、大山さんに受けるジャンクションをジャンクション側が作り始めたら、大山さんキレると思うもん。多分。
そう思うと、この大山さんが見てるのって、絶対その大山さんに寄せる余地のないもの見てるじゃん。この工場とかこのジャンクションとかって、仮に、え、こんな見方する人がいるんだって思っても、寄せるわけないもんね。
大山さんって安全な場所からプロジェクションしてますよね。
そう。そうだね。自分に寄せられることが絶対にない。
鉄道とかはさ、用途ははっきりしてるけれども、やっぱオタクのマーケットが大きいから、ファンダムができちゃってね。それを喜ばせるものもあるけど、ジャンクションとか工場って絶対安全だもんな。
あとそれで言うとさ、僕がよくやっちゃうプロジェクションで、生き物を擬人化したくなるんですよ、すぐ。具体的には昔ゲーム作ったことがあって、ダンゴムシの恋愛シミュレーションゲームをちょっと作ったんすよ。
すごいプロジェクションが必要そうだね。
ダンゴムシめっちゃ生態が面白くて、非処女になったメスがモテないんですよ。うん。
オスは圧倒的に処女を好む。なんでかっていうと、体内に精子を貯めるから、交尾済みのメスって溜め込んだやつをずっと使うんですよ。だからその後からやってきたオスが交尾しても、そいつの精子が使われるのってむちゃくちゃ後だから、めちゃくちゃ産卵効率として悪いんですよ。だから戦略としてダンゴムシのオスは大体処女厨になるっていう話を聞いて、なんかこれ人間になぞらえると切ないなっていう。これ物語になりそうだなって、まずちょっと思ったんす。うん。
で、その後ダンゴムシのリサーチしたら、性病がもっと面白くて、オスがボルバキアっていう性病寄生虫かなんかにかかるとメスになるんですよ。
へえ。何それ?
だからオスが途中からメスになることもあるなと思って。これ恋愛シミュレーションゲームにしたらめっちゃ面白いぞと思って。自分が一緒に学生生活を送ってる男友達がいて、攻略したい女の子がいるんだけど、途中からこいつメスになったりするわけですよ。だから、ああ、こいつも攻略対象に変わったみたいなこととかが起こったりしたら面白いなっていうことでゲームを作ったんですよね。
イラストレーターさんに、ダンゴムシを彷彿させるような、ちょっと白黒っぽい、真っ黒の黒髪に、ちょっと不健康そうな、日に当たってないような青白い肌の人のイラストでお願いしますって言ってヒロインのイラスト発注しちゃったせいで、バキバキ不健康な人の顔が上がってきて、で、ずっとその人を見ながらシナリオ書く仕事してたら、なんか気が滅入ってきちゃって途中でやめちゃいました。
やめたんだ。
あれもったいなかったな。いいプロジェクトだったんすけどね。
今の話、何の話なんですか?その大山さんが、プロジェクションの余地があるジャンクションが出たら萎える。
あ、ごめん、ごめん。そう、そう、そう。いや、だから生き物って一切こっちに媚びてないからいいなと思って。
ああ、いいこと言うね。
そう。プロジェクションされるの待って進化するわけないじゃん、ダンゴムシが。それらが織りなす、自然にできるプロジェクションだなと思って。俺結構あの時いいプロジェクションしてたのかもっていう話です。
それはそうなんじゃないですか。どう思いますか?
そう、無機質なものってすごくやっぱり擬人化の対象になったり。それなんでかっていうと、今みたいに意図がほとんど感じられないからってのもあるし。で、今の堀元さんの説明は生物なんだけど、そういう意図的なものは全然ないようなものがあると、こちらがもう100%働きかけてプロジェクションしていかないといけない存在っていうのが、プロジェクションしがいがあるっていうか、そういう掻き立てる感じをすごく出してくるんだなと。
だから多分、設定が落ちてるみたいな状態だと思うんですよ。我々はストーリーを作る脚本家で、オスがメスになることがあるみたいな、なんかそういう設定が落ちてて、それを見るとどうしても我々つなぎ合わせてストーリーにしたくなるんじゃないかなみたいなこと思いましたね。
そうそうね。
そうなると、この前の小林・益川理論の回でお2人が面白がってくれたのは、プロジェクションっていうよりはアブダクションのところが大きかったのかなと思うんですけど、今堀元さんがおっしゃったような物語を見出していくっていうところの根には、そのアブダクションするっていう働きがあるので、そのアブダクションしたものがプロジェクションされる。なるほど。っていうことで、アブダクションはすごくプロジェクションと密接に関わっていると。
おさらいしとくと、アブダクションってのがちょっと突飛な推論みたいなことですよね。
そうですね。Aって不思議な事象があって、それはBっていう理由があれば合理的に説明ができる。なので、Bであろうっていう推論形式が典型的。だから論理的には別にそんな正しいとは限らないんだけど、それを設定することによって色々学習効率が上がったりするよみたいな話を以前今井先生がされてましたけど、プロジェクションとちょっと近い領域にあるのかもしれないですね。
あ、そうです。プロジェクションの中にアブダクションありますよねっていう考えです。
なるほど。うん。
仮説推論と呼ばれるんですけど、その仮説の部分っていうのが非常にプロジェクションのコアになってるものなので。さっきも団地を見て、これは少女なんじゃないかっていう仮説があって、それに合うように団地を推論していくわけですよね。
で、実際の団地の姿に、そのアブダクションしたストーリーを重ね合わせていくっていう形のプロジェクションだったと思うし、堀元さんのダンゴムシのことも、こんな変なことを人間がやったら面白いんじゃないかっていうような仮説があって、それがアブダクション。仮説があって、それをゲームっていう物語の中に落とし込んでいったらこういう形になるんじゃないかっていうプロジェクション。
だからそのゲームにしてくのはプロジェクション。
そうです。そうです。
うん。僕、新入社員時代に言われたのが、世界はそもそも別に面白いから、俺たちがやらなきゃいけない仕事って世界の面白がり方を提示することなんだっていう風に言われたんですよね。
それって人によっては結構プロジェクション的な解決の仕方がある気がしていて、プチ鹿島さんっていう時事芸人がいらっしゃるんですけど、鹿島さんは政治とプロレスがすごい好きだと。ほう。
で、なんでその2個が好きなのかと言うと、私は人事が好きなんだって言っていて。
ん、人の配置ってこと?
はい。人の配置。だから権力闘争とかパワーバランスとか社内調整とか、世界は人事でできてるんだと。で、その人事が極端に現れる形ってのが政治とプロレスなんだと。だから政治とプロレスは人事で見れば面白いんだと言って
実際は政治ってもっともっと複雑なんだけど、そういうフレームをしてそれで見るってプロジェクション的…あれ合ってます?
合ってます。もう1つプロジェクションの大きいとこだなと思ってて、認知科学でいう類推ですね、アナロジー。全然違うAとBが、こういう見方をしたら同じじゃないかみたいなのは、まさにプロジェクション。どうしてかというと、Aを見てこれはBだと思うわけですよね。で、それは本当にプロジェクションなんだけど、そのとき何をやってるのかっていうと、類推っていう心の働きをして、何が共通してるのかを抽出して、ちょっと抽象的なところで構造的に同じなんだとか、意味的に同じなんだとか、あと関係性が同じなんだみたいな、そういうような説明をしている。
そうか。アナロジーって僕らめちゃくちゃやりますけど、あれですよね。明けない夜はないっていうのを見て、じゃあ人生においても暗い時期があったとしても必ずいつか明るくなるんだ、みたいのがアナロジーだと思うんですけど。
そうそう。あ、プロジェクションでもあるんだ。
そうです。そうです。アナロジーのとこでよく例に出されるのが、ベンゼン環を発明したときに、ケクレの蛇っていうね、夢の中でしっぽを噛んでる蛇が出てきて、ベンゼン環の構造をこれでいいのか…
環になってるっていう発想をそこから得たみたいな話ですね。
そうそうそうそう。だからあれは蛇を見て全然違うベンゼン環のことを当てはめて。確かにそこに論理的な必然性は全くないですね。
ないないない。
でもその当てはめてるところはプロジェクションだし、それが似ているっていうふうに思ってるのが類推であるっていうことで。だから私、堀元さんはめちゃくちゃ類推してるから、いろんなとこで。だからプロジェクション好きだと思うの。
そうですね。多分お前らがやってることって結局ずっとプロジェクションだろうってことだと思うんですよね。
うん。今言われたらそうだなっていう気しました。
プロジェクションラジオ。
だって僕よく言ってんすよ。例え芸人だと。面白例えを出すことが僕の仕事なんですみたいなことよく言ってるから。アナロジーを意識していつもやってたんで、それプロジェクションだって聞いたら、じゃあプロジェクション芸人じゃんって。
だから僕ら番組、プロジェクション言語学ラジオに変えまし…
入ってこん、入ってこん。
変えるかもしれないです。それ「学」消えてる。
それプロジェクションの番組。何にも伝わらなくなる。
番組名は変えないですけど、実質そう言っていいでしょうね。プロジェクションラジオでしょうね。
だからさ、認知科学者の先生、面白がって付き合ってくれるんじゃないの?今井先生もそうですし、何人か僕、認知科学者の先生と接点があるんですけど、それはなんかそういう言語を説明するために、認知科学者的に面白いようなことをしてるからなのかもしれない。
うん。そうですね。腐女子の二次創作っていう全然違うものを小林・益川理論と一緒だっていうふうに言ってて、その説明をしたときに、なるほど、そう考えられるねっていうようなところがプロジェクションされてて、面白がってもらえたのかなと。
うん。うん。
それも本当に類推の枠組みで、色々な理解を深めるために類推ってすごく役立つんですけど、それがまさしくプロジェクションですよっていうことで。
うん。そう言ってもらえるとね。
あ、比喩とかもそうです。比喩もプロジェクションです。そのイメージが共有されてないと比喩として機能しないし、それが機能したときに非常に意味とか構造とかがわかりやすく伝わるわけです。
堀元さん、それで言うとうまくいってない例え好きなんですよ。
ああ、そうだわ。
あ、プロジェクション不全な状態ってこと?
うん。そうです。プロジェクション不全な状態に面白みを感じますね、僕。
そう、そう、そう。だからそれはずれがあって面白いですよね。
『量子コンピューターが本当にわかる』っていう本を読んだんですよ。で、その中に出てきた例えが、電子はエネルギー準位が低いところから埋まっていきますと。これはマンションに例えるとわかりやすいですと。マンションも下の方が外に出るのに早いから下の方から埋まっていきますよねって書いてあって、いや、タワマンは上の方から埋まるけどなと思って。
だって下の階はね、洗濯物とか見られちゃうから嫌だとか言って人気低いですよね。
そう。だからね、みんな高層階に住みたがるけどなと思って。全然話合ってないなと思って、嬉しくてメモりましたけど。
そうだね。だからその人はタワマンの持ってるイメージをうまく把握できてないっていうことだよね。
そうね。だからプロジェクション失敗だなってことですよね。
これとか、もっと幸せ系の本で出てきて感動したのが、私はスタバのカフェラテをご褒美に取っておいていて、そんなしょっちゅう毎日飲むもんじゃなくて、それにすると日常になっちゃうから、そうじゃなくて1週間に1度とか、いいことがあった日だけ飲むようにしていると。例えるならおならジョークのようなものだって出てきて。
はい。
あるコメディアンがおならジョークで笑いを取るのがすごく好きなんだけど、それをしょっちゅう劇場にかけてると受けなくなるから、1日1公演までにしていると。だからおならジョークを取っておくのと全く同じですよねって書いてあって、例えない方がわかりやすいなって思いました。
プロジェクション。
そう、これプロジェクション不全でしたね。
なるほどね。
でもそれを僕、面白がるって発想がなくて、例えが失敗してるって気づきもしないし、気づいたとしても気に止めないんですけど、みんな気にしないよね。堀元さんはなんかこれをやたらと取り上げて、あげつらって。だから僕は例えを収集するっていう発想がなかったんですよね。
本当にね、堀元さんはすごくプロジェクションが好きだと思うんですよ。
そうなんだ。全然気にしてなかったですけど。
コラムとか拝見してても、またプロジェクションしてるって私。
え、俺の書いた文章読んで、またプロジェクションしてるって思われてるんですか?
そう。あ、私は堀元さんのね、定期購読をしております。
読んでくださってるっていう。
そう。でも多分その堀元さんの書くものを定期購読しようかなって思ったのも、多分プロジェクションしてるからなんですよ。
あ、堀元さんプロジェクションしてるから、プロジェクションしてるものを読みたい。
そんな推し方あるんだ。
あのnote、それで。
プロジェクションを読みたい人におすすめ。
読んだら、また今回もプロジェクション。
そう。すぐプロジェクションすんだなお前はって。多いのはそう、類推ね。AはBであるっていうことも多くて面白いんだけど、あともう1つ私が好きなのは、有名人取り上げるじゃないですか。
そう。有名人そのものを分析するんじゃなくて、その人がどう思われているのか、どういう立ち位置なのかっていうのをすごく分析するのよ。それは結局周りの人がその人にどうプロジェクションしてるのかってことを、堀元さんすごく好きなんですよ。
だから僕はプロジェクションするだけじゃなくて、周囲の人がどうプロジェクションしてるのかのプロジェクションまで見てるんだ、俺。
好きすぎるやん。
すごい。自分でプロジェクションのプレイヤーでもありつつ、他人のプロジェクションもマネジメントしてるみたいな。そう、プレイングマネージャーみたいな状態なわけですね。
で、私はオタクたちが二次創作するのがすごく好きなんだけど、それはオタクの人たちがどんなプロジェクションしてるのかを見るのが好きなんですよ。
面白い。プロジェクションウォッチャーってことですね。
そうなんです。そうなんです。
あと久保先生おっしゃってたのは、インターネット芸人ってプロジェクションだよって言ってました。
え、そうなの?
どうしてだと思います?
全然わかんねえ。
堀元さんがインターネット芸人してるときって、こう言ったら受けるだろうとか、周りの人は俺のことをこのように見てるからその通りに振る舞うってしてるわけじゃない。それって自分が誰かにされているプロジェクションを自分で演じることだから。そうやって、めっちゃインターネット芸人ってプロジェクション的だよって言ってました。
そうか。そうか。他人のプロジェクションを見てそれに合わせている。だから他人のプロジェクション見て我が振り直せ、みたいなことですよね。
そう。だからプロジェクション請けもしてる。
そうだね。してる。してる。
プロジェクションして、プロジェクションウォッチして、プロジェクション請けもしてます。
そうだわ。
俺よりプロジェクションしてます。
だからさっきのね、紫のカバンなんかも、メンバーカラーですって言って出すわけじゃないですか。だからこれにプロジェクションしてくださいっていうふうに。
そういうことですね。そうだわ。みんなのプロジェクションも指定してるし、そのプロジェクションに僕も合わせに行ってるんだ。
そう、そう、そう。そうするとイメージと現実が重ね合わさったところにものすごいリアリティが生まれるので、それをやっぱりファンの人たちも喜ぶし、ファンの喜ぶことをしたいって。
なるほどね。
でも堀元さん、プロジェクションの逆張りもしない?
うん。そう。こいつにはこれ言っとけばいいだろうっていう感じで振られたら、逆のこと言ったりするよね。
そうだね。だからそこややこしいよね。
ややこしい。
僕、その紫のリュックとかを堀元さんがしてると、こいつプロジェクション待ちだなと思って、僕も逆にもうそれは採用しない。
ああ、もう捨てるんだ、水野さん。
逆に紫じゃないリュックとかをして、外しに来てほしいなとか思っちゃう部分もあるというか。
なるほど。それ水色の靴なんじゃない?
確かに。
あ、そこで外してんの?
そう。水野の方に合わせに行ってる。そういうことか、やっぱり来たかみたいなね。
来てないよ、別に。
だから紫のカバンは私からしたらもう誘いプロジェクション。
そう。うん。
良くないよ。誘いプロジェクションなんだ。資本主義プロジェクション。商業主義的プロジェクションだよ。
ちょっと前にゆる言語学ラジオでやった回で、タメ語でいいよっていうのってもしかして暴力なんじゃないかみたいな話をした回があるんですけど、その回の中ですごく僕はそのプロジェクション合わせの発言をしたんですよ。いやいや、それ儲かったらいいからみたいなことを言ったら、水野さんが「今お前の側と喋ってねえんだよ。コアで喋れよ」っていう衝撃のこと言ったんですけど、あれはだから、プロジェクションで喋るなってことです。
そうだよ。
そうだね。
プロジェクションされてるもので喋るんじゃなくて、根っこと喋ってるから。そのプロジェクションの部分と会話してないから。
なるほどね。だからプロジェクション剥がそうとしてきただけですね、あれは。
そう。プロジェクション剥がし。
うん。いや、面白いね。そう考えるといろんなものの解像度上がる気がするわ。
でもまあ、インターネット芸人さんとかアイドルだけじゃなくて、やっぱ普通の人もある程度はそういうプロジェクションする。理想の彼氏でありたいとかね、例えば。
そうそうそう。
だから親にとっていい子でありたいとか、でも反抗してみるとか、ああいうのはコアだけじゃなく、やっぱ側も含んだ私たちの生きてる姿の中で、プロジェクションってすごくあるなと思う。
うん。だからここまでの話ね、大山顕さんの写真集とかなんてすごい典型的ですけど、純度の高いプロジェクションってのを割と今無批判に称揚したんですけど、それって人の支配につながる可能性もあるわけですよね。束縛と保護とかそういったものにつながるわけなので。それを先生が2冊目の『イマジナリー・ネガティブ』っていう本で警鐘を鳴らしている。陰謀論なんてまさにそうで、少ないヒントを元にこのようなモデルになってるはずだっていう。で、それが現実とは違うんだけれども、それによって政治が混乱したりだとか人に暴力を振るったりとか、そういうことあるわけで。プロジェクションってだからいい面ばかりではないということなんですよね。
そうそう。だから陰謀論とか、あと霊感商法なんかは、それにはまってない人から見ると何言ってんのあんた、みたいな本当に荒唐無稽な話に思えるけど、それにはまってる人にとってはすごく整合性のある世界になっているってことで。プロジェクションが他者によって操られてることで、そういう状態に陥っているってところが問題なんだ。
うん。で、これやっぱりあれだね。プロジェクションの権を他人に握らせるな。そうですね。プロオ化勇が正しいって話にどんどんなっていきますよね。
なりますね。
そう。てかそれ聞いて思ったんですけど、あだ名つけるとかも多分そうですよね。岸田文雄元総理大臣にね、増税メガネって名前つけてたのとかね、あれいじめですもんね。
いじめっぽかったですね、ちょっと。
だからそういうことですよね。なんかあいつは増税するメガネなんだろうっていう。
増税あんまりしてなかったの、岸田さんって。減税してたしね、どっちかっつったら。減税とかしましたし。プロジェクションですよね、そうやって。
あだ名はそういう意味で本当にプロジェクションだね。その人に対するイメージを別の言葉で言って、その人に当てはめて、みんなが確かにっていうね。
そう。でもさ、和泉悠先生が『悪口ってなんだろう』っていう本を書いたんですけど、その和泉先生の本に書かれていたのって、悪口っていうのは世界にある序列を言葉で作り替えることなんだっていうようなことを言ってたんですよね。だからどの国にもジョークがあるのって、偉い人っていうのの序列を言葉上で操作することができるっていうことの証明だと思うんですね。
で、さっきそのプロジェクションって主導権が自分にあるっていうこと話しましたけど、それと結構かかってる気がして。自分の気に食わない人とか、例えば政治家にあだ名をつけるのって、プロジェクションのもちろん悪い面でもあるんですけど、でもすごい本質的な部分も宿ってる気がする。俺はお前のルールの序列の並べ方をしないぞっていう意思表示の現れでもあるわけですもんね。
うん。うん。なんか世界面白くなってきましたね、どんどん。
だからそう、さっき初回で言ったけど、世界ってプロジェクションを通して見るとおもろいんですよ。
いや、本当にそうだな。
あとモノマネなんかも本当にプロジェクションなんだけど、今の世界の序列っていう意味だと、学校の先生のモノマネとかするのって本当にそうかなって。普段先生のことをやっぱバカにはできないんだけれども、モノマネするとちょっと笑う対象になるっていうような感じで、序列を変えてるのかなと思った。
確かにそうですね。誇張するのとかもプロジェクションですよね。実態と全然違うぐらい誇張した。だからハリウッドザコシショウさんのモノマネ、あれ確か先生の書いた…
あ、書いてありました。誇張モノマネをするじゃない、あの人。
ハンマーカンマーとかですよね。
だから、モノマネ芸人のモノマネを見て練習してるっていうふうにおっしゃって。
うん。どんどん誇張されてって、もう原型ないですけどね。
あ、そうだよ。ほら、だから論文の中に「誇張モノマネを芸とするハリウッドザコシショウは、モノマネをしてる芸人の真似をして練習をしているそうだが、それであれば確かに特徴を誇張しやすいと考えられる」ってな。
すげえ、論文の中で。
あ、それちゃんとね、小学生新聞にね、インタビューで答えられたのを引用しております。
だから脚注43がちゃんとついてますよ。
はい。はい。
ていうか今の話聞いてて思ったけどさ、先生のモノマネするやつ、あれヒトラーの真似するチャップリンと一緒なんだ。
ああ、そうかも。
プロジェクションしてる。
本当だ。プロプロの相方が。
いや、だからもう本当に大好きなんだ。
大好きです。大好きです。だから僕アナロジーが好きなので。
いや、だからそうですよね。構造一緒ですよね。権力者としていて、みんなが口答えできないやつをモノマネして誇張して笑いにすることで、序列を変えてるわけで。
学年主任のやつとかやると受けんだよね、やっぱね。
うん。1番偉いやつやれば受けるから。
でもやってることはだからヒトラーみたいな。
ですよ。
今、嘘つけ、そんなこと考えてなかっただろお前は。でも結果としてやってること一緒だからね。世界で1番今手つけられないやつの真似をするみたいなことよね。
あのね、似顔絵をずっと描いてた山藤章二さんっていう方が、岩波新書で似顔絵の本書かれてたんですけど、彼が書いてたのって、似顔絵とは決めつけによる批評であるって言ってたんですよね。
うん。うん。おもろいね。
だからそれってモノマネと多分一緒で、ある一部の特徴をものすごく誇張して自分なりのプロジェクションを提示すること。そしてそれをね、寺田寅彦は科学と一緒だって言ってたんですよ。
またプロジェクションします。ごめんなさい。すいません、本当うちの相方が。事あるごとにプロジェクションしますから。寺田寅彦の名作エッセイで「漫画と科学」っていうのがあって、それは漫画と科学って実は同じ営みなんじゃないかっていう。これは寺田寅彦がプロジェクションしてますね。
あ、そうだね。だからプロジェクションプロジェクション。
そうそう。
科学って結局そうだよねと。物を投げて落ちてくるみたいな現象を考えるとき、空気ないものとしようとか、布を投げたときと鉄球投げたときと違うじゃんみたいな話は全部とりあえずなしにして、一旦この一般に物が落ちてくるってどういう現象なんだろって考えたときに、式化できるよねっていう部分だけを切り出す。現実は複雑なのに、物が落ちてくるものを最も単純化するとこうなるよねってことやってて。で、漫画も全く一緒で、この人って鼻でかいなって思ったら、その鼻が大きいっていう情報だけを切り出してきて、他のとこを割とどうでもよく描く。だから漫画と科学って同じ営みなんだっていうこと言ってて。科学も一緒すね。
ああ、そうね。
定式化とかそうだもんね。そこ無視するんだってとこ無視しちゃう大胆な式とかあるじゃん。だって空気抵抗あるじゃん、世の中にって話だからね。
うん。チョムスキーとかさ、生成文法の理論の中で、パフォーマンス、つまり実際に人が喋ってるあれとかは全部無視するみたいなこと言ってるんですよ。それすごい大胆じゃん。
いやいや、喋ってる話考えないと言語の話考えられんでしょうって思うけどね。
そう。でもチョムスキーはそう考えなくて、それが今言語学者が熱狂している理論だって考えると。
それとかってやっぱすごいいいよね。
すごい。うん。チョムスキーのやってることも一緒ですわ。
てかだって、あのときも言ってたじゃん。チョムスキーの生成文法だって腐女子の二次創作と変わらないんだってこと言ってたわけで、結局そこに戻ってきますよね。
そう。だから、自分がどこに意味を見出してるのかっていうのを非常に主体的に取り出してきて、自分なりに調理して、もう1度現実と重ね合わせるっていうのがプロジェクションなんで。どこをチョイスするのかっていうのに非常にその批評的な姿勢も出たり、本人の価値観が出たりして、すごい面白いなっていうふうに思いますよ。
はい。
先生、ここまでですごいプロジェクションという概念の便利さとか万能さよくわかったんですけど、こんだけ話すと僕逆に気になってくることがあって。何でもかんでもプロジェクションって言えてしまうのって、それはモデル化として科学的な価値がどこにあるのかってのは、ちゃんと最後に聞いておきたいと思って。
いいよ。それ俺も言いたかった。
で、そこは非常に、認知科学のところでも批判されるところなんだけれども、プロジェクションを提唱した鈴木宏昭先生は、プロジェクションっていうのは1つの概念で、考え方なんだっていうふうにおっしゃってるのね。
だからなんか理論として細かく検証したり、脳内の処理とすり合わせていくっていうようなことよりは、1つの考え方の方向性として、こういうような視点を持とうっていうようなことを打ち出してるんです。
はい。
それあれですね、最近の地政学の本読むと全部に書いてあることです。
やりづらいよ。普段通りやってるだけね。
地政学って、あの地理の。
あ、そうです。そう。地理条件から世界情勢を考えるみたいな。誠実な地政学の本読むと、地政学って純粋な学問的な手続きになってないんじゃないかと。言うたら根拠があまりない決めつけをしてるんじゃないかっていう批判があるんだけど、それはそうかもしれんと。だからめちゃくちゃちゃんとした学問というよりは、物の見方として持っておくと素晴らしい武器になりますよっていうようなことを、いろんな入門書で僕読んだんですけど、それに近いってことですかね。
そう。だから全てのことがプロジェクションですっていうふうに説明したいわけではなくて、今まで色々提唱されてきた理論とか考え方みたいなものを、プロジェクションっていう枠組みの中に入れるとこういうふうに扱えるよっていうことを、1つは言いたい。
類推でいうと、最後の部分をもうちょっと強調したのがプロジェクションであるとか、あとアブダクションっていうのも、私たちの現実と心の世界と組み合わせるときに、アブダクションがどこに組み込まれているのかっていうのがもうちょっと明確になるとか、そういう枠組みを提示しているんじゃないかと私は今考えてます。
えっと、だからアナロジーとかアブダクションみたいに今まであった概念を整理するときに、プロジェクションっていう枠組みを使って、より散らかった状態から片付いた状態に。
そうそう。大きな部屋の中にそれらがどう配置されているのか、それがどういう立ち位置として理解していけるのかっていうようなことを、プロジェクションという視点を入れると、私たちの色々な知性についてもうちょっと俯瞰的に見て、それらがどういう役割をそれぞれ果たしているのかと。
え、ちなみに、言うたらでかい概念なわけじゃないですか、プロジェクションって。その中にアナロジーみたいなもんとかアブダクションみたいなものも入ってますよと。それを流行らせたい理由って何なんですか?
自分で世界を意味付けていける、そういう働きが私たちにはあるんだっていうことを知ってもらいたいなっていうのが一番大きいですね。
じゃあプロジェクションっていう概念を届けたい人の優先度で言ったときに、認知科学者というよりはもっと一般の人にアウトリーチしたいと。
そう、そう。だから新書しか書いてないし。
ああ、そう、そう。そうか。そうか。
みんなが読みやすい本を出してるわけ。
みんなに。だから堀元さんみたいに、プロジェクションすごいしてるのにそれに気づいていなくて、でも、これプロジェクションなんだと思うと、あれもこれもこうやって繋がっていくんだとか、アブダクションとアナロジーこうやって繋がるんだみたいな、そういうところに気づいたらもっと面白くないですか?
うん。コメント欄の人も結構、ここで聞いたこの話はこれに似てるとか、プロジェクションしてる人結構いるんで。ゆる言語学ラジオの視聴者、割とこのプロジェクションって概念と相性いいんじゃないかって気がしますよね。
あ、それこそ我々がやったトークイベントのイベントレポートみたいな4コマ漫画とかをあげてくれる人がいるんです。で、そういう方が描いてくれてる僕と水野がすごく美化されていて、めちゃくちゃイケメンに描いてくれてるんですよ。で、それ素晴らしいまとまってるレポートだからいっぱい拡散されるんですけど、中には堀元・水野をイケメンにされるの嫌なんだよなって言ってる人もいて。
これ面白い。我々だからプロジェクションしてるわけじゃないですか。
最近ね、それで言うと僕本出したじゃないですか。それで堀元さん抜きで1人でメディアに出ることあるのよ。で、そうすると、なんか水野さん野に放つとこんななんだみたいな。
放たれたと思われてんだ。
で、わざわざ僕知的な感じで喋ってんのに、この人足が臭いですとか書くんですよ、なんで。
あ、だからそのより深い情報を付加したいんだね。
というよりは多分、かっこよく見せられるのが我慢ならない。
そう、そう、そう。多分、例えば仮に自分の兄弟がむちゃくちゃおしゃれなエッセイ書いてたら読めなくないですか?
ああ、そうだね。
それどうしてかって言ったら、多分そうじゃない部分を知りすぎていて、ギャップがすごくてきついって話だと思うんですよね。だから僕が外部媒体でゆっくりとなんか知的に喋っていても、その状態で固定されるの嫌だから、コメント欄でバランス取ってるってことだと思います、多分。
そう。だからファンは自分なりのプロジェクションがあるから、水野の初見のやつが違う見方をしてるのが許せないから、こっちに寄せてやろうっていう。
そうだ。初めて見た人とかにちゃんと正しくマニピュレーションしたいっていうことで、俺のプロジェクションに近づけってことですね。
それはさ、漫画とか小説が実写映画化されたときのファンの行動と完全に同じです。
難しいですよね。本当、実写映画って。
私、ゴールデンカムイ本当に好きだから、実写は見ていません。
ああ、そうなんだ。
本当に好きだから見ていませんです。すごくいいんだと思うんですよ。で、もう感想とかじゃんじゃん見るんだけど。
もういいの、イメージ壊れた。
そう、そう。私のイメージでいいですって感じで。でも素晴らしいのはわかってる。でみんながいいね、いいね。
そりゃそうでしょうねって思ってる。後方腕組み彼氏面みたいな。
はいはいはい。そう来たか。見れないんですよ。
見れないし見なくていいって。だから実際の自分の友人で、この番組見れない人も結構いますよ。
やっぱ普段の感じと違うっていう。僕はあんまり無理してる感じはなくて自然体でやってるつもりですけど、みんながみんなに最近こんな本読んで面白かったって話してないから。そうするとそういう人とかにとっては普段の水野と差があって嫌だっていうことで、見てもらえない人いますね。
普段の水野はもっとおちゃらけてるのになっていう、自分のプロジェクションとのずれだよね。
もっと知的…
もっとおちゃらけてるだろ。
いやいやいやいやいや。
あ、そうか。
だからプロジェクションって本当に非常に能動的なものなので、それがなんか他者によってちょっと揺るがされたりするのも嫌なんだね。
面白いすね。人間って実際は色々な面があって、人によってペルソナを変えているのにも関わらず、なんか1つにまとめたいってすごいエゴイスティックじゃない。
それだから、私の知ってる何々はこうじゃないってよく言うじゃないですか。
〇〇はそんなこと言わない、ですね。
そうそうそう。でもそれってなんでなんすかね。不思議じゃない。
不思議。でもまあ、そうしたいってことでしょ。世界を揺らされたくないっていう願望なんじゃないですか。
ふん。それってそんなに、なんだろ、優先順位が高いというか。
そう思います。
いや、僕はだから全く思わないけど、いわゆる厄介オタクの人たちそうなんじゃないかなと思ってた。
うーん。いや、なんかそれが人間にユニバーサルなのか、一部の人だけの話なのかとかはちょっとわかんなくて気になるんで。先生。
あ、どうなんでしょう。でもやっぱり人間関係を安定させていくには、なるべくその固定されたイメージで付き合うって楽じゃないですか?
ああ、そういう観点か。
いや、そうだわ。だからカラオケしか一緒に行かない友達みたいな。カラオケによく一緒に行く友達ってそれで安定してるんだけどさ、職場の集まりみたいなとこでカラオケに行くとさ、急に振る舞いめっちゃ難易度上がるじゃん。
うん。
何歌ったらいいの?このメンツでってなる、あの感じですよね。
わかる。
で、あとね、普段からこんな感じで全然なんか考え事しなくて深みがないんですけど、瞑想行ってこいって言われて。
行った方がいい。
で、僕がスマートフォンと本を断って1ヶ月瞑想した後にどうなるのか見たいって言うから、それですごい急に気難しくなったらどうするって聞いたら、あ、それ嫌かもって、そしたら付き合いやめるかもって言われて。
そう、それ嫌ですね。
勝手じゃない。
すごい。その通り。その通り。
行けって言っといてね。
いや、だからそれって認知負荷を下げたいって話かもしれないよね。
そう。
付き合いやめたいっていうか、怖いなっていう。なんか開いちゃいけない扉開くんじゃないかって。
だから知らないものって恐怖です。怖いです。なんですよ。だから自分の知ってる人が知らない面を出してくるってのは恐怖なんだと思うんですよね。
いや、僕の哲学的な深い状態になったときの僕に会ったら…
その水野はちょっと見たくないね。でもでも、うん。気にはなる。気にはなるから。
だから安全圏で。
そう。ちょっと様子見ながらいたいすね。
でもその知らないっていうのは表現型の話なんで、なぜそういうふうに至ったのかっていうのを水野さんがちゃんと物語として堀元さんに伝えられたら、堀元さんは多分そうなってしまった水野さんも全然オッケーな…
いやでも多分、扉開いた後の僕ってそういう喋り方しない気がしますよ。
そうか。ねえ、でも水野さん元々めっちゃおしゃべりだったのに急に寡黙になっちゃったの、なんでなん?
南の門に虎が3頭いる。
あ、ちょっと何。
すぎるね。
いや、だからちょっとね、アブダクションしづらいよね。どうなってこうなったか、仮説が。
ちょっと要素少なすぎる。
そう。仮説が立てられないですね。それ確かにやだな。でもだから僕、インターネットで活動し続けてると、それこそみんなからのプロジェクションのせいでがんじがらめになりそうだから、破壊しに行くときあるんですよ。
へえ。
それこそnoteの芸風が固定されてると嫌だなと思って、全然違う形やってみることあるんですよ。
例えば山形浩生さんっていうね、大変口が悪くてインテリな翻訳家・評論家の方がいるんですけど、山形さんってブログでめちゃくちゃ、丁寧に説明しないで人のことをバカにするんですよ。こいつはバカだからこう考えてんだろうなとかっていうのをすごい書いてて、なんかこの独善的な感じいいなあってちょっと憧れまして。1ヶ月ちょいぐらい前に、俺もやってみようと思って、あんまり説明しないで、こいつこれできてないのアホやな、みたいなことをバッサバッサ言ってみるっていう形っぽい記事を書いてみたんですよ。
そしたら、これいつもより記事としては売れたんですけども、よりめちゃくちゃコメント欄が荒れまして。なんかやっぱみんなを裏切ったというか、期待と違うことやるとこうなるんだなみたいなこと、めっちゃ思ったんですよね。
それは堀元さんの中で良いことなんですか?悪いことなんですか?
え、これ良いことだと僕は思う。
やってよかったんですね。
そう。だから結局みんなからのプロジェクションが固まり切る前に、たまに壊しておかないと。
それ大事だよね。
それってさ、固まり切っちゃうとさ、もうそれ以上ファンも増えないし、多分。
そうそう。だからがんじがらめになるじゃない。だから僕はもうファンを裏切っていこうって、そのとき思ったんですよね。
なるほど、なるほど。
ありがとうございます。なんで英語だ?
南の虎。
ちょ、そのキャラやめて。俺そいつとラジオやりたくないから。
亀と虎が…ごめん、ごめん。しまっといてください。
瞑想ラジオやったらみたいな。
ちょっと絶対嫌です。
え、ちょっと僕まだ納得しない部分あるんですけど、プロジェクション・サイエンスっていう概念が枠組みなのだっていうことをおっしゃってたと思うんですけど、それはそうとして、プロジェクション・サイエンスっていうその枠組みで仮説は立つんですか?
仮説。
枠組みを導入することで、Aという事象がどのようであるかみたいな見方を提示したりとか。もっと俗っぽく言うと、それは論文になるのかっていうことなんだけど。
検証しづらいっていうのは、その人の中のイメージみたいのってやっぱなかなか捉えにくいんですけど、反対に体と結びついてるようなプロジェクションだと非常に検証しやすいので、プロジェクション・サイエンスの中でも身体性の研究をしてる先生なんかは実験的に検討する。
全然想像つかないですけど、何をやる?例えば。
鳴海先生っていう東大の先生がいらっしゃるんですけど、この先生VRやってて、何にもない無地のクッキーに、VRゴーグルをつけてそれにチョコレートクッキーを投映すると、そしたら味がどう変わるのか、みたいなこととか。
無地のクッキーにチョコレートクッキーを視覚的に投映してるんで、プロジェクション。で、それで味の感覚が変わるんだとしたら、それってプロジェクションが何か味覚とかに影響を及ぼしてるって言えますよね。
あ、そうだね。無地のクッキーにチョコ性を見出してるわけだもんね、こっちで勝手に。で、その状態で食べたらより美味しくなるのかみたいなことですね。例えばそういうことですか?
例えばそれもあります。あとはラバーハンドって言って、ゴム製の手の模型があるんですけど、そのゴム製の模型を机の上に置いて、自分の腕は隠しておくんだけど、ゴム製の手を筆で撫でるんですよ。もちろん感覚は全然ないんだけれど、隠れたところで自分の本当の手も筆でなぞられる。
うん。ゴムの手に自分の手をプロジェクションしちゃってるってことですね。
そう、そういうこと。だから、そういうふうにこのゴムの手を自分の手かのように感じて、例えばバンってぶたれたりするとビクって反応すると。これはもうゴムの手だって自分でわかってるけど、やっぱりそういうような感覚が自分の中でプロジェクトされてると、ゴムの手であっても自分の体の一部のように感じるし、実際体も反応するんだっていうようなことがあって。そういう身体とか物理的なものを介すると、実験的に検証もされています。
うん。
そう、この話聞いて僕心配だなと思ってるのはね、これだから文系の学問ふわっとしてるんだみたいな人来る可能性あるなってちょっと思っていて。でも久保先生のバックグラウンドってむしろその逆というか。
めちゃめちゃ実験で統計処理かけてっていうところから始まって、元々はゴリゴリの実験心理学者なので。老齢の猿を対象にたくさん実験論文を書いて、人間なんで。そういうとこの検証をやっぱしっかりやらなきゃいけないと思ってるし、でもやっぱその実験とかでは検証しきれない部分も、プロジェクションっていう中には含めていきたいっていうふうに思うんですね。あと私がプロジェクションの実験だなと思ってるのは、江戸時代の踏み絵です。
踏み絵。あれはすごいプロジェクションの行動実験…あれですか?
そうそうそう。だからキリストのね、彫り物がされてる木の板があって、キリシタンじゃなかったらただの木の板だから踏めるんだけど、キリシタンの人にとってはもうとてもじゃないけど踏めない。
そうか。だからそこにキリストを投映しちゃってるから。
そう、そう、そう。自分の信仰とかキリストとか、全ての色々なものが投映されて。
ってプロジェクションなんだ。
しかもあれですよね。踏み絵って途中からハック生まれましたよね。
そう、そう、そう。だんだん、やっぱ人間ってすごいなと思うんだけど、心の中でキリストを持っていたら踏んでも別にいいんだっていう考えになって踏むんですよ。クリスチャンの人とクリスチャンじゃない人、同じことをするんだけど、その後やっぱクリスチャンの人たちは非常に祈りを捧げたり、そういうことで自分の行動っていうのをもう一度プロジェクションし直すっていうようなことをやっていて。
へえ。今の踏み絵の話って、直感を裏切るプロジェクションの話だと思うんですよ。あ、それプロジェクションだったんだっていう。僕もつい最近直感を裏切るプロジェクション体験しまして。ちょっとアダルトVRなんですけど。
なんでそんな真面目に聞いてあげてるんですか?
いやいや、VRすごいプロジェクションだから。
そう。
しかもアダルトだとね、なんかすごい欲望と直結して面白い。
そうなんですよ。
優しい。
わざわざ研究者呼んでアダルトVRの話して。
いや、アダルトVRって男優さんの視点なんですよ。ほとんどの作品が男の人の視点で見られるから、直感的にはめっちゃ男優さんにプロジェクションしやすいというか、自分を男優さんと同一視しやすそうに思います。だって例えば男優さんが寝転んでて、自分も寝転んで見てたら、自分の身体と同期するわけです。ほぼ自分の体なわけじゃないですか。なんだけど、やっぱね、男優さんの体型がちょっと自分と違ったりするんですよね。お腹が出てたりとかで。そうするとなんか急に全然没入できなくなって、なんか俺太ってないな、みたいな気持ちになっちゃって。なんか、いや、3人称視点の方が全然没入できるな。
それだからさ、やっぱ問題だよね。不気味の谷の話と同じで、めっちゃ似てるのに違うと気持ち悪い。そこにすごく敏感になっちゃうんだけど。
そうだわ。だから第三者視点で見てるときは違うから、そんなに没入そもそもしないから不気味じゃないんだけど、変に没入しちゃってるせいで、ちょっとだけ違うと気持ち悪いんだ。
そう。だからもうちょっと違う、なんだ、触手かなんかになってみたらいいんじゃない?
ああ、何そのアドバイス。触手になってみたらいいんじゃないですか?
違、違う。そっちの方。でも、でも、でもそうですね。だから触手視点だったら没入逆にしやすいんだ。
そうだよ。触手になったことはないから。
確かにおもろいかも、それ。
これ触手のアダルトVRちょっと作ります。
そしたらやります、やります。本当にくださいよ。
あ、ぜひぜひ。
え、それ業績として入れてもらって。
いや、業績には絶対入れないよ。
え、入れてよ。
やだ。
入れて。え、researchmapで先生の名前見たらね、触手アダルトVRの作成。
画期的な業績として勝手にクレジット。
いや、いや、素晴らしいアイデアを頂いて。いや、今日期待以上あったな、これ。
そう、そうですよ。
これがゆる言語学ラジオです。
これがね、大事な、大事なんで、1番。
だって今のもプロジェクションだもんね。アナロジーしたわけですからね。
そうよ。はい。これの話アダルトVRと一緒だなっていう、僕の仕事をちゃんとやったですね。
良かったです。いかに没入的なアダルトVRを作るかというテーマで今日は話…
違いますよ。今日そんな話してなかった。
違、違いますよ。
じゃあだいぶやっちゃいましたで、まとめましょうか。
まず冒頭ね。なぜフィリピンの人はつまらない数字くじを楽しめるのかっていうことを話して、それは世界をプロジェクションするきっかけになるからなのだと。
うん。
で、それは大山顕さんの一連の写真集で書かれてるキャプションと近くて、結局のところ何か目的があって作られたものにプロジェクションをしているっていう点ではすごくよく似ているんだと。で、それは実は小林・益川理論と腐女子の二次創作の回、199…
回ですね。ここでもしていたので、その論を書かれた久保先生をお呼びして、我々がプロジェクション好きであるだとか、あとプロジェクション準度とか、プロジェクションの主導権をどちらに握らせるべきなのかみたいな話をしてきました。面白かった。はまってきました、プロジェクションに。
いや、もう好きだから。元々好きなんですね。気づいてなかっただけなんだ。そう、そう、そう。言ってたよ、打ち合わせした時も。堀元さんはね、絶対プロジェクション好きなのよ。私はプロジェクション好きって言わせるまでは帰らないみたいな。[笑い]
すごいな。熱意えげつないすね。[笑い] いや、ちょっと推し活だ。いや、嬉しいです。ありがとうございます。成功しましたね。なんと完全にそっち側に行きました、僕。
ということで、先生から最後何かご宣伝などがあればと思いますが。
いいですか?私がプロジェクションについて一般向けに書いた新書が、こちらの『「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』っていうものと、あともう1冊が『イマジナリー・ネガティブ 認知科学で読み解く「こころ」の闇』という2冊があります。
もう帯の引きが素晴らしいっすよね。霊感商法、オレオレ詐欺、陰謀論。
これを先に書いたんですけど、やっぱりこれ書いた時にポジティブなことしか書かなかったんですね。そしたら、確かにそうなんだけど、ネガティブなことも色々あるだろうって言われて、その時、いや、そりゃそうでしょうよと思っていたんですけど、書く機会を得て、今度は『イマジナリー・ネガティブ』の方はネガティブなことしか書いていません。
そっちから買いたくなる人いっぱいいると思います。
2冊セットで表裏読んでいただければ嬉しいです。
ポジネガが両方出てるわけですね。
はい。あと、ごめんなさい、もう1ついいですか?プロジェクション・サイエンスっていうのを提唱した鈴木宏昭先生と、あとは私の夫でもある川合伸幸が、鈴木先生が亡くなってしまったので、先生が書いていた途中の原稿を川合がまとめる形で、プロジェクションに関する本が1冊出ております。
『心と現実 私と世界をつなぐプロジェクションの認知科学』という本で、鈴木先生が書かれた本ってちょっと私のよりだいぶ難しいんですけれども、非常に読み応えのある専門的な話をたくさんされてます。で、鈴木先生は元々類推の専門家だったんですよ。アナロジーの。だから、やっぱり類推っていうのがあって、プロジェクションという考えにたどり着いたんだなっていうのをちょっと改めて思ったりしました。
で、これですね、最初に読んでくださったのはこちらの方な。こちらは色々な実験系の先生も含めて検証的な論文なので、是非こちらの方も読んでいただければと思っております。今紹介した4冊を読めば、もうプロジェクションの専門家になれます。今この4冊しか本が出ておりませんので。
コスパよ。そうですよ。僕専門家ですよ。あ、じゃ、4冊読めば。これいいな。
もうすぐにプロジェクションはすべてわかりますので、是非皆さんプロジェクションを楽しんでいただければなという風に思っております。
ね。4冊読むだけで専門家ってね。このように他にないから、コスパめちゃくちゃいいんで、皆さん是非お買い求め……合ってんのか。[笑い] 合ってないと思いますけどね。
概要欄、固定コメントに本日の書籍のリンク全てございますので、皆さん是非そちらからお買い求めください。
いや、今日の話聞いてね、もう皆さんプロジェクションの踏み絵とか踏めなくなったんじゃないですかね。プロジェクションの絵がないですね。プロジェクションで偶像崇拝。プロジェクション踏みができないんで。[笑い]
そうか、そうか。で、あと久保先生はね、もう我々とバイブスが合いまくりですんで、引き続き何本かちょっと動画に出演していただくと思います。僕が渾身の企画を、久保先生の良さが出る渾身の企画を考えて。楽しみです。なのでまた次回も是非皆さんご覧ください。[笑い]
以上、終わりにしましょう。ありがとうございました。ありがとうございました。
堀元さん、うまく話せなくて悩むことってありません?よくあります。そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。タイトルは『会話の0.2秒を言語学する』。会話のわずかな間にフォーカスした1冊です。是非皆さん買ってください。
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