映画『メッセージ』を言語学から見直す:サピア=ウォーフの仮説、時制、そして解読チームの人選
ゆる言語学ラジオSF映画『メッセージ』(原題 Arrival)は、言語学者が主人公で、作中の台詞にも「サピア=ウォーフの仮説」が登場する。言語学好きなら一度は通る作品である。ゆる言語学ラジオの水野太貴は、この映画を「言語学的に見ると間違いだらけ」だと切り出す。ただし、面白くないと言いたいわけではない。問題は「盛りすぎ」だという点にある。回では、監修の3人の研究者の感想を紹介しながら、言語学の知見に沿うと映画がどう見えるかを堀元見と語っている。後半ではウォーフの著作を踏まえて、冒頭とは逆向きの読み方も示された。以下は映画の結末に触れる。
「強い仮説」をさらに誇張した設定
堀元はあらすじを次のようにまとめる。突然、宇宙人の宇宙船のようなものが地球に現れる。言葉がまったく通じない相手と何とか意思疎通し、地球に来た目的を探る。物語の核心は、主人公の言語学者ルイーズが宇宙人ヘプタポッドの言語を習得したことで世界の見え方が大きく変わる点にある。
水野によれば、これはサピア=ウォーフの仮説にあたる。この仮説には二つの立場がある。言語が物の見方を決定し誰もそこから逃れられないとする「強い仮説」と、言語が物の見方に影響を与えるとする「弱い仮説」だ。水野は『メッセージ』を、強い仮説に立つというより、強い仮説をさらに誇張した作品だと位置づける。言語を習得すれば考え方や見方がまるごと変わる、とまでは誰も唱えていないし、ウォーフ自身もそこまでは言っていない、というのが水野の説明である。堀元も見ていて同じ点が引っかかったという。英語を学んだからといって、見える景色がすべてアメリカ人のものになるわけではない。水野は、海外留学で物の見方が変わったという人がいても、それは言語より文化の影響ではないか、と補足した。
「危なっかしい」映画だという指摘
監修の黒島先生は、『メッセージ』を「危ない映画」だと評していた。言語学の界隈ではそう語られることが多いという。水野は、SFに学術的な誤りがあるのは当然で、そこを咎めているわけではないと断ったうえで、懸念の中身を説明する。強い仮説を押し進めると、「異なる言語を話す人とは根本的に分かり合えない」「理解は不可能だ」という主張として受け取られかねない。
堀元は、映画は未知の相手と意思疎通できる喜びを描いているのではないか、と反論する。これに対して水野は、この映画は異文化共生の話ではないと指摘した。ヘプタポッドが地球に馴染む話ではなく、彼らの言語を習得したことで問題が解決する話である。しかも実際にヘプタポッドと会話しているのはルイーズとイアンだけだ。違う言葉を話す人は全く違う世界を見ている、という面を強調しすぎると、異文化理解の考え方とは相性が悪くなる。堀元も、悪い見方をすれば「あの言語を話すやつとは話し合っても無駄だ」という偏見につながりかねない、と応じた。水野は、映画自体がそう主張しているわけではないと念を押している。仮説に初めて触れる人があの形で理解すると危ない、という話だという。
福田先生の評価と「アカデミアの二次創作」
言語が思考や認識に与える影響を研究している福田先生は、もっと率直だった。学術的には「どだいそも無理がある」設定なので、分野に詳しいほど乗れない。さらに、言語学の啓蒙作品というより言語学を使った形而上学的SFであり、誇張は意図的なのだろうが、額面どおりに受け取ると別の偏見を増幅するリスクがあるかもしれない、というコメントを寄せている。
堀元は原作者テッド・チャンの別の作品『息吹』のあとがきに触れた。チャンは物理学者の講演をよく聞きに行き、面白かった話から着想を得て小説を書くという。堀元はこれを、チャンなりの「アカデミアの二次創作」だと表現する。研究の話を面白く膨らませて翻訳する過程で、誤解が生まれる余地がある。水野も、チャンはそれを想定したうえで書いているはずだとし、けしからん映画だと言いたいわけではなく、危険性があるかもしれないという程度の話だと整理した。
学術的に無理のない『メッセージ』を作ってみる
水野は福田先生に「学術的に無理のない『メッセージ』」がどうなるかを尋ね、筋書きを組み立ててきた。ルイーズがヘプタポッドの言語を解読し、その影響を受けるところまでは映画と同じである。ところがその結果として起きるのは、ある種の刺激への反応が0.03秒速くなることや、ある種の認知課題の成績がわずかに上がることだけだ。そのあと、たまたま中国の国家元首に電話がつながり、たまたま中国語を勉強していたので、持ち前のコミュニケーション力で交渉して武力衝突を回避する。
堀元はすぐに、これでは映画が成立しないと指摘した。映画の肝は、時間を一気に見通すヘプタポッドの言語を習得したことで、ルイーズが未来まで見通せるようになる点にある。未来で知った電話番号を過去の時点で知っていたから電話をかけられた、という筋だった。そもそも国家元首への直通番号などあるはずがなく、間に秘書が挟まるだろう、と堀元は突っ込む。二人は「数字が二つ並んで右と左のどちらが大きいかを判断する課題が速くなった」能力を物語にどう生かすかで冗談を重ねた。最後は、地道に中国とのパイプを作って電話がつながる筋の方が言語学的には正しい、というところに落ち着いた。
この脱線で水野が言いたかったのは、異なる言語を学んで思考が影響を受けるといっても、その影響は小さいということだ。サピア=ウォーフの仮説は面白いので多くの人が知っているが、どんな影響なのかと聞かれると皆口ごもる。実際には特定の課題がわずかに速くなる程度の話だという。
小さな影響でも科学的には面白い
堀元は「悲しい」と反応し、ほとんど何も起きていないのと同じではないかと感じた。水野はこれを否定する。テストの点が上がるとか勉強ができるようになるといった話ではない。それでも基礎から段階を踏んで学んでいくと、認知課題が0.03秒速くなるような知見は科学的にとても面白い、というのが水野の立場である。詳しくは、色のシリーズやウォーフの回を経て、サピア=ウォーフの仮説を正面から扱う回で話す予定だとしている。
線状性のない文と時間の認識
二人目の監修者は、日本語のテンス・アスペクト・モダリティを研究する高田先生である。ヘプタポッドの言語にはテンス(時制)、つまり動詞の形を変えるなどして過去や未来を表す形式がない。専門家から見れば「ご馳走」のような設定で、高田先生は大いに興奮していたという。
高田先生がまず注目したのは、ヘプタポッドの文に「線状性」がない点だ。線状性とはソシュールが言語の特徴として挙げた性質で、文が一列に並ぶことを指す。音声言語では口から同時に二つの音を出せないので、どうしても一列に並べることになる。水野によれば、手話では単語を出しながら眉を上げて疑問を示したり、サイズを表したりできるので、線状性がないように見えるものもある。視覚なら同時に処理できるからだ。ヘプタポッドの言語は、音声言語とも手話とも違う図形のような言語で、丸い波のような図を描いてメッセージを伝える。終盤では何百もの図形を一斉に出していた。
高田先生の考察は、線状性がないという文の特徴が、彼らの時間認識に影響しているのではないかというものだ。文が一列に並ぶなら、時間も順に進んでいくように捉えられそうに思える。水野は英語の follow を例に挙げる。「A is followed by B」という受動態の形でよく使われ、Aを認識した後にBを認識する順序と、実際にAの後にBが来る時間の流れが一致している。堀元も、左から右へ文字を読むのは時間を意識していそうだが、大量の図形を一斉に見るのは時間を意識していなさそうだ、と直感に合うと応じた。
「Abbott is death process」はアスペクトではないか
高田先生が特に気になったのは、宇宙船(シェル)内で爆発が起きた後の場面だ。ヘプタポッドの一体コステロが「Abbott is death process」(字幕では「アボットは死の過程」)と伝える。堀元も見ながら変な言葉遣いだと思ったという。アボットがいない理由を聞かれて「死の過程」とは、人間なら言わない。「体調が悪い」「病気でそろそろ亡くなりそうだ」と言いそうなところだ。
水野は、直訳のせいで回りくどい表現になった面もあるとしつつ、高田先生の関心は「過程」という語にあると説明する。これはアスペクト、つまり動作の局面を表す表現に当たるからだ。「〜している」「〜しつつある」「〜しかけた」「〜し終えた」などがアスペクトである。「死」は死にそうな段階から死にかけ、死んだに至る。そのどこかの過程にあると言うのは、アスペクトの表現だ。「死につつある」と訳してもよい。
言語の中には、テンスが発達していない代わりにアスペクトでやりくりするものもあれば、逆にアスペクトがあまり発達しない代わりにテンスやモダリティでやりくりするものもある。テンスがないと聞くと「すごい」と思ってしまうが、単にアスペクトが発達している言語かもしれないし、モダリティでやりくりしているだけかもしれない、と水野は言う。さらに「process」がもしかすると文法化していて、彼らの言語ではアスペクトを示す補助動詞のようなものかもしれない、とも述べた。英語の be going to は実際にはどこにも行っていない。ヘプタポッドが英語を直訳すれば「ゲームをする移動」のような妙な表現になり、変な言語だと思うかもしれない、という例も挙げている。
ルイーズの専門は何だったのか
この話から、ルイーズの専門分野の話題に移った。言語学者は個別言語の中でもさらに細分化し、音声、形態、意味などのどれかを専門にしている。水野は、黒島先生が朝鮮語を専門としつつ、とりわけアスペクトやモダリティに関心があるという例を挙げる。作中のルイーズはサンスクリットの語源の話をしていたので、歴史言語学の人かもしれない。もしテンスやアスペクトの専門家でなければ、テンスがないのを見て、時間の認識が違うと早合点した可能性もある、と水野は推測する。
堀元は、軍人がルイーズの研究室に協力を求めに来る場面で書棚を映してくれればよかったのに、とこぼした。コムリーやダールの本が並んでいればテンス・アスペクトの人だと分かったはずだ、と水野も乗る。ただし、あれはルイーズの専門を考察するための映画ではなく、2時間できれいに完結している、と水野は付け加えた。
過去と未来を区別しない言語は珍しくない
ヘプタポッドは過去と未来をあまり区別しないとされる。高田先生は、見方によっては人類の言語にも同じような現象があると言う。過去と未来を区別しないというより、「現在」と「それ以外」を分けたり、過去と未来に共通点を持たせたりする形式がある、という話である。
例として挙がったのが、高田先生が以前の出演時に紹介した東北方言の過去表現だ。東北方言には二つの過去形式がある。一方は現在の状態と結びついた過去を指し、「たった」の形は現在と無関係な過去を指す。「お客さん来たった」と言うときには客はすでに帰っているが、もう一方の形なら客がまだ帰っていなくても使える。同じように、現在と無関係な未来を表す形式も東北方言にあり、韓国語にもあるという。「雨が降るだろう」に二つの形式があり、今空の雨雲を見て言う場合と、天気予報などのもっと客観的な根拠に基づいて言う場合を区別する。こうした2種類の過去と2種類の未来を持つことから、過去と未来をある程度同じように捉えているのではないか、と高田先生は見ているという。
堀元はそれは飛躍ではないかと感じたが、水野は面白いと考えた。日本語のテンスは過去と非過去の2種類で、未来形はない。「明日〜する」は現在と同じ形を使う。「するだろう」の「だろう」はどちらかといえばモダリティで、未来専用の形式ではない。日本語でも英語でも過去には専用の形式があるので、過去は確かに存在していると感じやすい。しかし、体験できる現在と体験できない過去・未来、という軸で「現在」と「非現在」に分けることもできる。その軸で見ると、東北方言や韓国語が現在から切り離された過去と未来の形式を持つことは示唆的だ、と水野は語る。堀元も、今この瞬間とそれ以外に分ける方が生き物の認知としては素朴に当てはまりそうだと応じた。
水野は、テンスやアスペクトを学んだ人から見れば、表現形式に線状性がないのは変わっているが、過去と未来を表す形式がない、あるいはそれらを区別しないこと自体はありふれている、とまとめた。堀元は、仕事で「あの人に連絡しなきゃ」と意識しすぎて、もう済ませたのかこれからなのか分からなくなるという自身の経験を持ち出した。水野は働きすぎを心配しつつ、気持ちは分かるがリスナーにはあまりピンとこないだろう、と返している。
解読チームに加えたい専門家
高田先生の感想を受けて、水野は、ヘプタポッド対策チームのバランスが悪いと感じたという。言語学者のルイーズと物理学者のイアンだけでなく、もっと多様な人材が必要だというのである。
一人目は動物言語学者の鈴木俊貴氏だ。よほど訓練を積まないと、ヘプタポッドを人間に当てはめて理解しようとしてしまう。鈴木氏は、動物を人間に当てはめて理解しようとしてはいけないと述べており、存在しないと言われていた鳥の言葉や文法を探り当てた人なので最適だ、と水野は言う。堀元が、鳥の言語を解明したプロセスはヘプタポッドにも横展開できそうだと言うと、水野もそうだと思うと同意した。
二人目は人類学者、とくにマルチスピーシーズ人類学の研究者だ。水野の理解では、人間だけを理解対象にするのをやめて、その土地の動物や植物、自然環境まで含めてフィールドとみなす立場である。人々は動物や自然とやりとりしながら暮らしているので、人間だけを切り離しても全体を理解したことにならない。ある地域の人が特定の虫を神と捉え、ある動物を災いの印と見なしている、といったことまで含めて理解する。堀元は、蜂蜜だけで生きている人々がいれば蜂が神になるのは当然だろうと例を挙げ、水野は日本でも蚕が神聖視されてきたと応じた。
水野がこの点を重視するのは、映画に西洋的だと感じる場面があったからだ。地球に来た目的を尋ねる場面で、本能に従っているだけなら目的を聞いても無意味だ、という趣旨の発言がある。かなり知的な生命体に見える相手を、まず本能で動く存在として理解しようとする態度である。水野によれば、人間には意思があり動物は本能に従うだけという二分法はアリストテレス以来続いており、鈴木氏が批判したのもこの点だ。人間か動物かという二分法でヘプタポッドに接すると、むしろ本質を見失うのではないか、と水野は言う。
その対比として、水野は日本の霊長類学の伝統を紹介した。日本の研究者は猿の一頭一頭に名前をつけて呼び分けてきた。西洋では、動物研究に人間のような捉え方を持ち込むのはタブーで、番号で呼ぶのが普通だという。日本の研究者は100頭もの猿を個体識別できるという話が西洋に伝わったが、嘘だろうと思われた。実際に日本に来た研究者が本当に識別しているのを見て驚いた、という話を水野は紹介している。それくらい動物観が違うので、チームにアジア人がいればヘプタポッドの見方もだいぶ変わるかもしれない、と二人は話した。
三人目として、水野はもっと多くの言語を研究してきた言語学者を挙げる。ルイーズは図形を細かく分けて、この部分はこの意味ではないかと分析していた。言語学をやっているかどうかで、この切り分けの細かさが全く違うという。冠詞があるかないか、名詞に男性・女性・中性の区別があるかといった可能性は、多くの言語を知る人でなければ思いつかない。堀元も、黒島先生と言語学オリンピックの問題を解いたとき、未知の言語を前に黒島先生が自分の知らない概念を次々候補に挙げていたと振り返る。武器を持っている人は選択肢にたどり着くのが早い、と実感したという。堀元は『メッセージ』はほぼ言語学オリンピックだと言ったが、水野は、映画では相手とやりとりできるので文献だけで解くよりずっと有利だ、と指摘した。
最初に教える単語は何がよいか
ただ、そのやりとりの出だしが下手だ、と堀元は言う。ルイーズは前に出て「Human」と言いながらホワイトボードに書き、そのあと自分を指して「Louise」と名乗った。相手からすれば、あいつの名前はHumanなのかLouiseなのか分からなくなる。イアンも自己紹介していたので、ある程度推測はできるかもしれない。それでも、LouiseとIanの違いが女性と男性の違いを表すと取られる可能性もある。二人は、固有名詞は後回しでいいとし、言語教育の研究者もチームに呼ぶべきかと話した。
では最初に何を教えるべきか。水を渡して「water」と言う案は、相手の星に水がなければ通じない。固有名詞は論外で、抽象的な概念も伝えにくい。水野は、ルイーズが目的や数学の話をいきなり聞くより会話から入るべきだと主張した点は、その通りだと評価する。フィールドワークで最初から質問攻めにして現地の人に不信感を与えた例も聞くからだ。とはいえ「いい天気ですね」と言おうにも、そのための語彙がない。
指差しも通じるとは限らない。指した対象ではなく指そのものを見られるかもしれない。赤ちゃんや多くの動物は最初そうする。共同注意や指差しには、相手が何に注意を向けてほしがっているかを理解する、いわゆる心の理論が必要だと言われる。「voice(声)」も、音声言語を使わない相手には雑音として処理されるだろう。水野は「alphabet」を提案したが、堀元にすぐ却下された。
ここで水野は「ガヴァガイ問題」を持ち出す。未知の土地でウサギが横切ったとき、現地の人が「ガヴァガイ」と言っても、それがウサギという種なのか、その個体の名前なのか、「跳ねている」なのか「白い」「小さい」なのかは分からない、という問題だ。人間同士なら、さまざまなバイアスや認知能力によって、特に子どもがこの問題を乗り越える。しかし別の星の存在が同じ感覚を持っているとは限らない。結局、手数を重ねるしかないというのが二人の結論である。「Human」と言って自分を指し、隣の人も後ろの人も指して繰り返せば、「二足歩行」のような解釈の可能性は残るにせよ、候補は徐々に減っていく。そう考えると、Humanから始めたルイーズの判断は悪くなかった。ただ直後の「Louise」はやめてほしい、と堀元は念を押し、極限状態だったのだから仕方ない、とルイーズをかばいもした。
「How many?」の訳に表れる捉え方
水野は翻訳の面白さにも触れた。序盤、軍の大佐がルイーズに協力を依頼しに来る場面で、ルイーズは「How many?」と尋ね、大佐は「Two」と答える。日本語字幕では、ルイーズの問いは「話しているのは何人」、大佐の答えは「2体」と訳されている。水野は、この訳し分けが、大佐と言語学者が異星人をどう捉えているかをよく表していると言う。堀元は、侵略しに来た敵の可能性を排除できない軍人としては、相手を「人」として扱えないという気持ちが出ていると読んだ。
ウォーフならこの映画をどう見るか
最後に水野は、ウォーフの著作『言語・思考・現実』を読んだうえで、ウォーフならこの映画をどう見るかという観点を示した。前回までの内容を振り返ると、ウォーフは後世の研究者に批判されたが、でたらめを言っていたわけではない。西洋中心の言語観・世界観を打ち破りたいという狙いがあり、そのためにかなりレトリックに頼った部分があった。真珠湾攻撃の直前で日米関係が緊張していた時期にも日本語を「lovely」と評した。あらゆる言語にはそれぞれの美徳があり、それを理解することはその言語を使う人々への兄弟愛を呼び起こす、と述べていた。堀元は、極端な決めつけはあったが、偏見を助長するものではなく、多様な世界を尊重しようというメッセージだったと整理する。水野は、ウォーフ以前にも似た説を唱えた人がいて、その説がナチス・ドイツに利用され、ドイツ語話者の優越を主張するプロパガンダに使われた、という前回の話にも触れた。
この補助線を引くと、映画の見え方が変わると水野は言う。作中では、ヘプタポッドを軍事利用して戦争を仕掛けようとするのが中国で、パキスタンなども含めアジアの地域がやや戯画的に描かれている。堀元はそこを感じが悪いと思っていた。しかし結局、武力衝突はルイーズとの対話で回避され、ルイーズはヘプタポッドの言語を手がかりに中国との交渉をまとめる。これは、言語の理解が兄弟愛を呼び起こすというウォーフの主張と重なる。チャンが台湾系アメリカ人であることを考えると、中国が登場することにも彼なりの必然性があったのかもしれない、と水野は推測する。さらに、ヘプタポッドを「1体、2体」と数えることや、本能に従うだけなら話す価値がないと考えることといった西洋中心的なバイアスを、言語を手がかりに打ち砕こうとする姿勢もウォーフ的だという。
つまり、西洋中心主義的な見方をしているのが映画の問題点かと思いきや、それが良くないと示す映画だったのではないか、というのが水野の読みである。冒頭では、サピア=ウォーフの仮説として正しくない危なっかしい映画だと言ったが、ぐるっと回ると、むしろウォーフをきちんと理解したうえで作ったのではないかという気もする。ウォーフが警鐘を鳴らした人々を描き、そこから抜け出す手がかりが言語の理解だと示している。それを直感的に伝えるために、科学的な誇張を行ったのではないか。堀元はこれを、分断を超えるのは言語だという映画だと受け止めた。
水野は、監修者たちも映画自体を否定しているわけではないと付け加える。福田先生は面白かったと言い、黒島先生は感動したと言い、高田先生は大興奮していた。言語学者が叩く映画ではない。せっかくならこの映画をきっかけにウォーフの著作を読んだり言語相対論を学んだりしてほしいが、付き合い方には注意が必要だ。黒島先生が「危なっかしい」と言う一方で、チャンはそのぎりぎりのバランスを攻めたのではないか。水野はそう述べて議論を締めくくり、自身の感想にも論理の飛躍があるので、納得できない点は指摘してほしいと呼びかけた。
ゆる言語学ラジオ。映画『メッセージ』ってあるじゃないですか。あのSF映画でね、言語学者が主人公のやつですよね。そう、そう、そう。あれね、言語学的に見ると間違いだらけなんですよね。え、嘘。
はい。ということで今回は言語学的に正しい『メッセージ』。もし言語学の知見に基づくならどういう映画になるのかについて話していきたいと思います。分かりました。ということで今回は映画『メッセージ』のネタバレを含みます。うん。まだ見てない方気をつけてください。
はい。堀元さん、『メッセージ』ってどんな映画でしたっけ? えっと、突然宇宙人の宇宙船みたいなのが地球の中に出現して、で、言葉も何もわからん宇宙人となんとかコミュニケーション取って何のために地球に来たのか探る話ですね。
そうですね。で、物語の根幹にかかるんですけど、主人公の言語学者ルイーズは宇宙人の言語を習得することで世界の見方が大きく変わるということですね。はい。これ言語学の用語で言うとサピア=ウォーフの仮説ですね。
はい。ということで前回からね、ウォーフの話をし続けてますけれども、そのサピア=ウォーフの仮説を皆さんが知る1番分かりやすいきっかけが『メッセージ』ですね。うん。だって映画の中のセリフとしても出てきたもんね。サピア=ウォーフの仮説ってやつね、みたいなね。サピア=ウォーフ・ハイポセシスって言ってましたね。
まあ、だからこそ結構この言語学映画とかね、言語学好きな人だったら必ず通る映画だと言われているとこですね。チャンネル初期からね、ぜひ『メッセージ』の話してくださいってコメントむっちゃ来てましたからね。来てましたね。
ちなみに堀元さんは『メッセージ』どうでした? 見てみて。面白かったですよ。きっちりエンタメとして仕上げられてるなっていう。展開も早いし、次々にハラハラドキドキの展開があっておもろかったっすね。
ね。面白かったですよね。だから僕もね、面白くなかったと言いたいわけではないんですよね。盛りすぎって言ってるだけなんですよね。ああ、そうなんだ。
え、でもやっぱり宇宙人の言語が分かったらね、その途端に未来がいきなり見通せるようになるんじゃないんですか? ならないですね、おそらく。やっぱそうなんだ。俺もそこちょっと気になったんだよね。いや、英語学んだからっていきなり景色全部アメリカ人のものにならんだろうっていう。うん。うん。うん。
これだからサピア=ウォーフの仮説には弱い仮説と強い仮説っていうね、2つの立場があるって過去にも話しましたけど。出てきましたよね。えっと、強い仮説が、言語が物の見方を決定しちゃうんだ、誰も逃れられないんだみたいなやつで、弱い仮説が、言語が物の見方に影響を及ぼしますみたいなやつって話でしたね。
はい。で、映画『メッセージ』はどっちに立脚してます? 強いのかな? そうですね。強い仮説に立脚したというか、強い仮説をさらに誇張した作品ということですね。はい。だからより強い仮説なんだ。そう。はは。最強の仮説。
だから誰もそんなもん唱えてないわけですね。そうですね。唱えてないですね。これはウォーフもそこまでは言ってないですね。
やっぱりその言語を習得したことで考え方、見方が全く変わるっていうことは言われてないんですよね。もちろんね、例えば、いや私、海外留学した結果物の見方変わりましたよっていう人はいるかもしれない。まあ、それは言語に影響を受けたというよりは文化に影響を受けたんちゃうのっていう話なので、ちょっとこれは別の話になっちゃってますよね。うん。うん。
で、もっと言うとですね、監修の黒島先生に言わせると『メッセージ』は危ない映画だって言ってたんですよね。へえ。そうなんだ。はい。で、しかもなんか黒島先生の言いぶりだと、言語学界隈の人からすると割と危なっかしい映画だよねっていうところがよく語られる。うん。ちょっとネガティブだね。
何が危なっかしいかってピンと来ます? うん。なんだろう。学術的に間違ってることって別にSFとかだったら当たり前のことなので、そこにケチつけてるわけではないんですけど、それはそうとして危なっかしいと言っていて。はい。
じゃあれですか、物理学者役をやっていた俳優のジェレミー・レナーが、やっぱ若い頃はもっとハードボイルドでかっこいい役ばっかりやってたのに、ちょっと大人になって丸い役やるようになったんだな、ああ、俺も年取ったなってみんなが悲しくなるって意味で危なっかしい映画です。誰が誰の話をしてんですか? 僕ジェレミー・レナー好きなんで、今の僕の感想でした。
え、黒島先生がこんなとこに言及してるんですよ。どんなとこに言及してると思いますか? 僕の感想を喋ってしまいました。ジェレミー・レナー老けとったな。突っ込んどいてください。
サピア=ウォーフの強い仮説って押し進めていくと、異言語を話す人とは根本的には分かり合えないっていう主張になってしまうからですね。なるほど。そうか。そうか。世界の見え方が全く違うから結局話し合っても無駄みたいになっちゃうのか。うん。とか、理解するのは不可能だっていう風に読み取られてしまいかねないことですね。
なるほど。でもさ、あの映画的にはさ、何にもわかんない宇宙人とコミュニケーションがちゃんと成立する喜びは描いてるじゃないですか。うん。そうですね。それね、僕ちょっと気になったところは、とはいえあれ異文化共生の話ではなかったんですよね。まあそうだね。
そのヘプタポッドが地球で馴染むとかって話じゃなくて、彼らの言語を習得したことで問題が解決するっていう映画なんですよね。そうだね。何言ってるか一応分かったからそれで解決、という程度でしたね。
そうだし、ルイーズとかイアン以外は結局ヘプタポッドとそんな会話してないですもんね。だから違う言葉を話す人たちって全然違う世界を見てるんだってのを誇張しすぎると、異文化共生とか異文化理解みたいなところと相性が悪くなっちゃうっていう。
なるほど。そうだね。確かにあの映画、良くない見方をすると、アラビア語のやつとは話し合っても無駄みたいな、そういう偏見につながりかねないですね。うん。そう。映画『メッセージ』がそのようなことを主張してるとは言わないですよ、もちろん。
ただサピア=ウォーフの仮説に初めて触れた人があの形で理解をすると結構危険だっていうことですね。あの、福田先生にも感想聞きまして、福田先生はそのいわゆるサピア=ウォーフの仮説に関する研究をしたり、その分野にいる人なので、「学術的に見ると土台そもそも無理がある設定なので、分野に詳しいほど乗れない」。
土台そもそも無理があるんだ。原文ままです。すごい言い方するな。え、でも福田先生ね、Twitterの人ですから、そういう言葉遣いしますよね。そう、そうですね。
あと、「言語学の啓蒙作品というより、言語学を使った形而上学的SFで意図的な誇張なんでしょうが、肯定的に取り上げると別の偏見を増幅するリスクがあるかもしれません」。うん。みんなぶれないね。結構ね。
そうなんですよ。ここがだから多分、言語学界隈と言語学外の人の『メッセージ』の受け止め方の違いっていうことですね。
うん。僕この原作者のテッド・チャンの『息吹』っていう別の本がすごい好きなんですけど、その『息吹』の後書きで書いてたのは、物理学者の講演とかをよく聞きに行くと。はい。で、そこで言ってた、こういう話が面白かったから、そこから着想を得て小説を書いたって、よく書いてて。だからこれ結局テッド・チャンなりのアカデミアの二次創作なんですよ。はい。
こんなような話があるってことは、膨らませるとこういう物語が書けそうだなって思って書いている。うん。だから、まあある種そのテッド・チャンが面白く翻訳する部分でちょっと誤解が生まれる余地はあるよねっていう話ですね。
そう。で、テッド・チャンも多分それを想定した上で作ってると思うので、『メッセージ』はけしからん映画だって言ってるわけではない。うん。うん。まあ、ちょっと危険性があるかもねっていう話ですね。
はい。でね、福田先生は異言語習得者が自分の思考とか認識に影響を受けることについて、まあお詳しいので、先生にですね、学術的に無理のない『メッセージ』どんな感じになるのかってのを聞きまして、僕の方でちょっと構成してきました。いいね。本当の『メッセージ』はこれだ。そうなんです。これが言語学的に正しい『メッセージ』。行きますよ。
え、まずですね、ルイーズ、言語学者の主人公は、え、ヘプタポッドの言語を解読します。で、その結果、彼らの言語に影響を受ける。うん。ここまでは言えますね。うん。でも映画でもそうだったからね。ここまで映画と一緒です。
で、その結果ですね、なんとある種の図像に対する反応が0.03秒早くなったりだとか、ある種の認知タスクの成績がわずかに向上すると。え、その結果、え、中国の国家元首にたまたま電話が繋がって、たまたま中国語を勉強してたので、持ち前のコミュ力で交渉を行って武力衝突を回避するという、その話です。
なんか特定のタスクを0.03秒かなんか早く処理できるようになっただけで中国との交渉をまとめられるようになる。独立の事象です、その。あ、そうか。認知タスクの成績が上がって、たまたまかけた番号が中国の国家元首で。そら無理や。
たまたま中国語を勉強してたので、コミュ力もえぐかったので、それで武力衝突を回避し。成立しなくなりましたよ、あの映画の肝は。はいはい。時間を一気に全部見通すヘプタポッドの言語を習得することで、ルイーズも時間を全部未来まで見通せるようになって、それによって中国の国家元首の電話番号、未来で知り得た情報を過去で知ってるから電話かけれたって話だから。それだと成立しなくなりますよ。
どこが今おもんなかった? いや、だからその偶然電話かけれたとこだよ。お前の設定だと偶然電話かけれて、なんかうまくいったになってるけど、偶然電話かけれないから。
え、でも電話番号って有限の数字の組なので、適当にかけたら中国の国家元首にかかる可能性ある。逆に直通の番号なんかあると思うか? 国家元首が。なんであれ携帯でかけていきなり繋がっとんねん。挟まるやろ、相手が。確か、確かに。秘書みたいなの挟まるな。何言っとんじゃ。お前は無茶な設定言うな。
お前、お前の持ってきた設定の方がつまんなすぎるから。成立してなさすぎるんですよ。なんで、なんで。学術的に無理なかったよ、今全く。
まあ確かにね。だからあれか、そんなうまい話はないですよっていう映画か、あれは。え、だからその結局、地道に国家元首とのパイプをなんとか生み出して、最終的に電話が繋がっていけましたって方が言語学的に正しい『メッセージ』。
ヘプタポッドのあそこに通いながら、その一方で同時進行で中国との国交も頑張ってやって。そう。言語学者だけど外交官じゃないのに。そうなんだけど。そうそうそうなんだけどなんですよね、その。うん。ちょっと成立してないな。全然映画として成立してないね。
うん。そう。だから異言語を学ぶことで思考が影響受けるって話、ちっちゃいんですよね、影響って。そうね。特定のタスクがね、なんか0.03秒早くなったりする程度の話。そう。そう。その数字が2個並んでて、右のが大きいか左が大きいかっていうタスクが、なんとルイーズ早くなりましたみたいな、そういうやつ。
だから無理やりその能力で何かを解決するとしたら、何かすごい速さでボタンを押さなきゃいけないタイミングがあって。それか。すごい速さで押せたからなんとかなりました、だ。
だから中国の国家元首と直の電話を知るために、ディスプレイに表示された数字がどちらが大きいかを判断するタスクの成績がめっちゃ早かったとか。そう。だからそのタスクが一定以上早くないと国家元首の電話番号は。それ教えられてんだ。
全国模試みたいな、そのディスプレイ上にみんながカチカチやってる中でルイーズがむっちゃ早くて、それで繋げてもらって、で、たまたま中国語も勉強してたので。それだわ。これか。それだったら成立しましたね。
だから中国の官僚が言うんでしょうね。いや、うちのボスに電話をつなげるためには、ここで数字をより早く選べる人間でなければいけないって言うんでしょうね。そうでしょうね。なんで。だからいわゆるそれがってやつだと思う。違います。何もかも間違えてるな。今やってないし多分。ああ、だめだね。成立しないね。
そうなんですよ。だからサピア=ウォーフの仮説って面白いからめっちゃみんな知ってはいるんだけど、その影響を受けるってどんな影響なんですかって聞くと、みんななんかモニョモニョしますよね。うん。だって知らないもんね。これがリアルです。うー。特定のタスクが0.03秒早くなる程度の影響しかないと。はい。悲しいなあ。
皆さん多分ね、え、その変化とかそのちょっとした影響って学術的に何の意味があんのって思ったと思うんですが、これあの、もうちょっと後で色シリーズ、そしてウォーフの話と来て、またサピア=ウォーフの仮説についてがっつり扱う回をやろうと思っているので、そこでちょっと詳しく喋りますけど。
皆さんが思ってるほど確かに面白くないんだけど、でもちゃんとステップバイステップで基礎から勉強していくと、この認知タスクが0.03秒早くなるみたいなやつ、おもろいです。うん。うん。テストの点が良くなるとか勉強ができるようになるとか、そういう話はないんだけど、これ科学的にはものすごい面白いことだと思うので、これちょっと今後ありますね。
うん。あ、そうなんだ。ごくわずかな変化しかなくて、それほぼ何も起きてないのと一緒だなって思ったけど、そういうわけではない。ではないっていう話なんですよね。これちょっと今後ありますね。うん。なるほど。
続きまして、監修の先生、もう1人感想聞きました。高田祥司先生ですね。日本語のテンス・アスペクト・モダリティやられてる先生ですけれども。はい。はい。あ、そっか。時制の人だから専門じゃん、これ。そう、そうなんですよ。宇宙人がね、時間をどう捉えてるかみたいな。めっちゃドンピシャですね。
はい。で、ヘプタポッドは時間の概念がなくて、で、テンスがなかったと思うんですけど。うん。実質だよね。過去形みたいなことよね。そうですね。動詞の形を変えるなどして過去だとか未来だとかっていうことを表示する形式をテンスと言うんですけれど。うん。それがなかったね。宇宙人にはね。
なかったですね。もう高田先生からするとね、もうご馳走。ああ、テンスない言語嬉しいんだ。テンスないってなってたっぽいですね。その興奮なんだよ。へえ。テンスないってなるんだ。
テンスなかったですね。高田先生の考察が興味深かったのでそのままお伝えするとですね、まず1つ気になったのが、彼らの文に線状性がないっていうこと。線状性ってなんすか?
線状性というのはソシュールがね、言語の特徴として挙げてたことなんですけど、文が1列に並ぶよっていう性質ですね。ああ、はあはあ。はいはい。我々こう音声で文を発しなきゃいけないので、音をね、口から同時に2個出したりできないので、どうしてもこう1レーンに並べざるを得ない。
手話とかだと線状性がないように思えるようなものもある。視覚は同時に処理できるので。同時に2つのこと喋っててもいいわけだ。そうですね。なんかの単語を出しながら、例えば眉を上げたりだとか表情を変えたりすることで疑問形にしたりだとか、例えばサイズを表示したりとかってことはできるんですけど、音声言語はそれができないと。
で、ヘプタポッドってどういう言語でしたっけ? うん。なんか丸いごちゃごちゃした波みたいなの書いてメッセージ伝えてたよね。そうですね。ですからあれ線状性ないんですよね。いわゆる音声言語とも手話言語とも違う、なんか図形言語みたいなものでしたよね。
そうだね。で、実際あれだったね。最後にブワって一斉に出してたから、あれ全然線状性ないですね。同時に何百個とか出してたよね。そうですね。視覚だとね、一気にある程度その辺も処理ができるので、まあ合理性があると思うんですけど。
で、そういう文の特徴、線状性がないっていう特徴が彼らの時間認識に影響与えてるんじゃないかと。つまりその線状性があると1列にこう並んでいくじゃない。それってなんかこう時間の認識にも、順にこう出ていく、順にこう進んでいくみたいな見え方になりそうなものですけど。確かに1個ずつ見ていった方が、実際の時間経過と読み取りとが一致してる感じするね。
そうですね。例えば英語のfollowって「後に続く」ってありますけど、よく受動態とかでね、A is followed by なんとかってなって、そうするとAの次にBが来るっていう順番になるんですよね。
で、結構このだから A is followed by B みたいな形で使われること多くて、つまりそれは、Aってのを認識した後にBってのを認識するのと同時に、実際の時間的な経過もAの後にBが来るっていう風になっているわけです。
そうか。そうか。だから B follows A って書くよりも A is followed by B って書いた方が認識しやすいみたいなことかな。はい。うん。だからその線状性があることと時間の認識ってのはなんか関係してそうな気がするんだけれども。うん。ヘプタポッドはそうなっていなくて、そして時間の認識も1列に並んでるような感じではない。
うん。なんか直感と合致してますね。俺たちが左から右に文字読んでいくのって時間認識してそうで、大量に並んだやつを一斉にバーって見るのって時間認識してなさそうな感じしますね。
うん。そうですね。で、高田先生がその観点で興味を持ったのがですね、シェルの中で爆発起きるじゃないですか。はい。はい。シェルっていうのは、あの宇宙人がいたとこですね。
はい。そこでコステロっていう、そのヘプタポッドのうちの1個体が「Abbott is death process」っていう風に、「アボットは死の過程」っていう風に言ってる。ほう。うん。ああ、言ってた。言ってた。もう高田先生からするともうここが超気になるらしいっす。
でも確かに俺も見てる時なんか変な言葉遣いとは思いましたよ。ああ、じゃあ具体的にどう変だと思ったのかとか、なぜ変だと思ったのかっての聞いてもいいですか?
だってさ、あれアボットがいない理由を聞いた時だったじゃん。なんでいないのに対して「死の過程」とは俺たちは言わないから。はい。体調悪いんだよねとか。うん。今もう病気でそろそろ亡くなりそうなんだよねとか言いそうじゃない?
そうですね。確かに。だから直訳したせいでなんか持って回った言い方になった、「死の過程」っていうね、っていうのもあると思いますけど、高田先生が興味を持ったのは「過程」ですね。ほうほう。なんでかって言うとアスペクトだから。ああ、そうか。専門で研究してるから気になっちゃうんだ。
はい。アスペクトっていうのは動作・動詞の局面を指す表現形式でして。うん。進行形とかそういうことよね。そうですね。なんとかしているとか、なんとかしつつあるとか、なんとかしかけたとか、なんとかし終えたとか、こういうのがアスペクトなんですけど。つまりヘプタポッドの言語、テンスはないって言ってるけどアスペクトあるやんって高田先生は思ったと。
あ、なるほど。確かに「死の過程」って今途中だよって言ってるとこなのか。そうですね。だから死ぬっていうね。うん。まあ今回名詞述語ですけど、死っていうのって、まあ死にそうであるところから死にかけて、そして死んだになるわけですよね。そうだね。その過程のどこかであるって言ってるってことは、それアスペクト表現ですよね。うん。
つまり死につつあるとか死にかけるっていう風に訳してもいいわけです。で、前回もちょっと話したんだけど、テンスが発達してない代わりにアスペクトでやりくりするみたいな言語もあるんです。はい。
で、逆にアスペクトがあんま発達しない代わりにテンスとかモダリティでやりくりするみたいなのもあって。つまりヘプタポッドの言語って、え、テンスないんだ、すげえってなるんだけど、アスペクトがただ発達してるとか、まああれはモダリティでやりくりしてるだけかもしれないっていう。あ、そうか。ことですね。
だから言語を見れば、こいつらの時間って俺らと全く違うもんだって思っちゃうけど、実は単にアスペクトが発達してる言語だっただけっていう説もある。そう。ほう。
デスプロセス、「死の過程」って訳してましたけど、やっぱそのプロセスっていうのがもしかしたら文法化していて、彼らの言語の中では実際にアスペクトを示す補助動詞とかなのかもしれないですよね。
前回もありましたけど、be going to ってどこにも行ってないわけです、実際は。だからヘプタポッドが英語話者の言語を聞いて「ゲームをする移動」みたいな風に直訳して、変な言語だなって思ってるかもしれないわけですよね。そうね。あ、なるほど。
ほら、その黒島先生とかはさ、朝鮮語が専門だけど、とりわけアスペクト・モダリティに関心がおありだっておっしゃってましたよね。例えばですけど、だから個別言語の特に音韻やってますとか、特に形態やってますとか、意味やってますとか、その個別言語の中でもさらに細分化してどっかやったりしてるケースもあるわけですよ。
あ、サンスクリットの音韻とかの可能性もあるわけですね。だからルイーズが音韻とかの人だとしたら、そんなにテンス・アスペクト・モダリティの研究者ではなかった可能性もあるっていうことです。なるほど。だからパッと見て、あ、テンスないな、ちょっと時間の認識違うなって早合点してしまった可能性もあると。
そうですね。あとね、その古語の話をしてたってことは歴史言語学の人なのかなとかね。そういう風にやっぱ皆さん見ていただき……間違えてます。あれSFなんで、そのルイーズの専門何かなって考えてみる映画じゃないですよ。
なんであのさ、映画『メッセージ』がダメだなって思うのは、ルイーズの研究室に軍の人がさ、協力してくれって言いにくるじゃん。なんであの時にその本棚の本映してくんなかった。そしたらもうさ、想像はかどるというかさ。なんか手元の書類とかね、ディスプレイとかも映んないアングルで喋ってたもんな。
そう。本棚にだからコムリーとかね、ダールとかが置いてあったら、あ、じゃあテンス・アスペクトの人なんだなってなるだろうし。そう。それ教えてくれないと始まらないです。始まってる、始まって、ちゃんと終わってるんです、あの映画。きっちり綺麗に2時間で終わってるから。あ、それでいいんですけどね。そうですか。
しかもそのヘプタポッドって過去とか未来をあんまり区別しないっていうことでしたけど、これ別に見方によっては我々人類の言語でもそのように観察できる現象はあるんだって高田先生は言っていて。過去と未来を区別しないような表現ですか。
というよりは、現在とその他とか、過去と未来に共通点があるような形式ってのがあるんだとおっしゃっていて。例えば、高田先生が過去に来てくださった時にさ、東北方言の過去表現の話。ああ、ありましたね。
されてましたよね。なんとかタとなんとかタッタっていう形式があるんだと。で、タの方は現在の状態と関係づけられた過去で、タッタは現在と関係づけられてない過去を指す。例えば「お客さん来たった」っていう時は、すでに帰っているお客さんは。けれども「お客さん来た」だったら、まだ帰ってなくても言えるみたいなね。これだからタッタの場合って現在とは無関係の過去を指してるわけですね。
で、逆に現在と無関係の未来みたいなことを指せる形式も東北方言にあったり、あるいは韓国語とかにもあるらしいんですよ。イメージとしては「雨が降るだろう」ってのに2形式あって、1つは雨雲がある、今見ると、っていう現在の雨雲に関係づけられて雨が降りそうだって言ってる時。うん。と、天気予報などを根拠にして雨が降るだろうっていう時。
うん。これは雨雲を見てるっていう現在の状況とかじゃなくて、なんかもっと客観的な根拠に基づいた未来を表す。そうそう。それを区別する形式があるんだ。区別する形式がある。で、これは東北方言でもちょっと違うんだけど似たものがあると。
で、こういう2種類の過去とか2種類の未来の表現を持つことが、高田先生の見方だと、過去と未来をある程度こう同じように捉えてるんじゃないかと見ているらしい。なんかそれは飛躍な気するけどな。はあ。はあ。はあ。僕はね、結構それ面白いなと思って。うん。
日本語はテンスって過去と非過去の2種類ですよね。これ覚えてます? 大丈夫? 前やったね。日本語って未来形ないっすよね。そうだね。だからなんとかしたと、なんとかしているとかなんとかするっていうル形との対で、過去と非過去ですよね。で、英語は現在・過去・未来だから。
だ、英語だったら明日何々するって時、なんとか will なんとかとかいうのに対して、日本語だと明日何々するっていう現在の言い方使ってる。はい。ですね。
「するだろう」ってあるじゃんって言ったけど、「だろう」はどちらかというとモダリティなので、未来のことを指す独自の発達した形式ってわけではないっていう。だからなんとなく我々、過去はなんか厳然と存在してるって思いそうだと思うんです。
日本語でも英語でも過去は過去の形式があるから。でも例えば、現在は確定してるけど過去と未来は確定していない、体験できない世界みたいな切り分け方をしてもいいわけじゃないですか。体験の世界と未体験の世界っていう風に分けたら、現在と非現在みたいな分け方もしてもいいわけで。なんかそういう軸で見た時に、東北方言とか韓国語が現在から切り離された形式を過去も未来も持ってるってのは、なんか示唆的だなってやっぱ思っちゃうんです。
うん。なんかさ、なんか素朴な認識としてはそっちの方がハマるような気もする。過去と非過去で分けるより、現在と非現在で分けてる方が生物の認知っぽくない? うん。うん。今この瞬間のものとそれ以外の方が、具体と抽象に分かれてるよね。
はい。です。その記憶に自信が全然ないとさ、過去って未来ぐらいなんかぼんやりしていてもおかしくなさそうですよね。
テンスとかアスペクトとかを勉強した人が見ると、確かに表現形式はね、線状性がなくて変わってるんですけど、過去や未来を表現する形式がないとか、それを区別してないっていうこと自体は全然ありふれているというか、変わったことではないっていうことですね。
あ、でも考えてみるとさ、俺らも過去と未来曖昧な時結構あってさ。うん。仕事のタスクとかでさ、誰々さんに何々連絡しなきゃって思って、あれ、もうしたんだっけってなる時よくあるじゃん。うん。うん。タスクとして意識しすぎて、終わってたんだっけっていう。これ未来と過去混同してるよ。
とりあえずやらなきゃっていう思いだけが。で、やらなきゃって思った時に、やってあるのかこれからやるのか曖昧な時ない? バカなだけ、それは。え、そう? え、めっちゃない? これ。俺めっちゃあるよ。
うん。そう。あの、休んだらもうすっと大丈夫だよ。頑張ってるの分かってるから、堀元さんが。じゃ、メンタルをケアしてほしいわけじゃないよ。事実としてすげえある、俺。あの人にこれ言わないとなとか、これ出さないとなって思いすぎて、もうしたのか、これからするのかっていつもなってる。うん。
あ、でもなんか分かってきた。はいはい。あの、だからやんなきゃやんなきゃって思いすぎたせいで、やった感が生まれるってやつね。ああ、それはある、ある、ある。で、逆にさ、うわ、あれやってないからやらなきゃと思ってパソコン開いて、その人とのチャット欄開いたら「何々しといてください」って書いてあって、ああ、もうやってありますっていう時もある。
やっぱ忙しすぎるよ。堀元さん休んだら。もうちょっと。ケアしてほしいわけじゃないんだって。確かに働きすぎかもしれん。うん。気持ちは俺は分かるんだけど、多分他の人あんまピンとこないと思います、それ。そうか。リスナーさんに引かれてる可能性ありますね。うん。
ということで、ここまでは高田先生からご感想をいただいたんですけど、高田先生はこの『メッセージ』を見て、もう喋りたいこといくらでもあるってことだったんで、ちょっともし僕の説明で皆さんが納得しなかったりとか、いまいちの部分があったら、ちょっと高田先生に補足のコメントを書いてもらおうかなと思います。
僕は高田先生からのね、コメントをいただいて思ったのは、あのヘプタポッド対策チーム、ちょっとバランス欠いてるねっていうのはやっぱ思って。ルイーズと、イアン物理学者ですよね。まあ言語学者がいるのはいいんですけど、ちょっともうちょっと言語学者いた方がいいっすねって思います。例えばですけど、動物言語学者の鈴木俊貴さん、あそこに入れましょう。
あ、それ大事なんすか? だってよっぽどの訓練を積まないと、ヘプタポッドを人間に当てはめて理解しようとしちゃってるから。ああ、なるほど。全然何もかも体の構造とか違うから、そういうものの言語が分かる人の方がいいのか。
うん。鈴木さんは最近ね、動物に人間を当てはめて理解をしようと思ったらダメなんだって言っていますし、ないと言われていた動物の言葉、シジュウカラの文法みたいなのを探り当てた人ですから、やっぱヘプタポッドの理解には最適ですよね。確かにルイーズって人間の言語しか見てないから、ヘプタポッドの言語理解するの向いてないかもしれないね。うん、そう。
多分だから鈴木さんだったら、あそこ乗り込んでまず巣箱を作って。鳥じゃないから。ヘプタポッドって入れないから巣箱。スピーカーから。むっちゃでかかったぞ、あいつら。シジュウカラすぎる、それ。それはそれで役立たない。シジュウカラだと思って接しちゃってるから、それはそれで鈴木先生役立てない。
でも、でも確かに鈴木先生の鳥の言語を理解するためのプロセスって、めっちゃ横展開してヘプタポッドにも使えるよね、多分。そうだと思いますよ。人類学者も行ってほしいっすね。ああ、そうか。人類学者も、文化理解みたいなとこで大事なのか?
はい。特にマルチスピーシーズ人類学っていう潮流みたいのがあって。種がいっぱいある人類学ってこと? え、そうですね。これはだから人類学で理解する時に人間だけを理解するのをやめようっていうスタイルだと僕は理解していて、具体的にはそこに住んでる動物とか、その自然環境とか、そういうことも全部ひっくるめてそれをフィールドだと思ってるっていう人たちですね。うん。
だから人の意見だけ聞いてちゃだめで、そこに生えている植物とかも含めてその人たちの文化ができてるんじゃないかみたいなことだよね。はい。そうですね。
結局、例えばそこに住んでる人って動物とか自然環境とインタラクションしてるわけですから、そこから人間だけ切り離して理解するのって、その人たち全体を理解したことにならないので。例えばですけど、その地域の人たちはこの虫のことは神だと捉えているとか、動物のことは災いの印だと思ってるとか、そういったことも含めて理解していけばいいっていうスタイルだと僕は理解をしていて。
うん。蜂蜜だけ食べ続けて生きてる人たちとかいるとしたらさ、その文化圏で蜂が神になるのって当たり前だよね。はい。まあ日本でもだから蚕とかはね、結構神聖視されたわけですよね。あ、だからそういうのと人間の信仰みたいなのって密接に関係あるんだね。
はい。だからマルチスピーシーズ人類学の人とかが行ったら、多分ヘプタポッドのことを割とありのまま理解しようとするスタイルになるんじゃないかなっていう気がするんですよね。
なんかやっぱ見ていてすごいやっぱ西洋っぽいなって思ったシーンは色々あって、地球に来た目的はって聞くシーンで、本能に従ってるだけなら目的を聞いても無意味って答えるシーンがあったんですよね。なんかこれすごいやっぱ西洋っぽいスタイルじゃないですか? それなりの知的生命体っぽいのに、本能に従って行動してるだけだみたいな理解を最初にしようとするスタイル。
あ、確かにちょっと下に見てる感じあるかもね。こいつら本能に従って動いてるだけなんじゃねえかっていう。うん。鈴木俊貴先生が批判してるのもそういうところなわけですよね。例えばその動物に意思みたいなの認めずに、本能に従っているだけだと。
西洋的なその人間観・動物観って、人間とそれ以外にこう切り分けて、人間は意思があると、で、動物は本能に従ってるだけだみたいな、そういう二分法がアリストテレスの時からずっと続いていて。うん。てかキリスト教とかもそんな感じだよね。
そうですね。で、それに対して鈴木さんは、いやそれじゃあ動物のことわかんないでしょっていう風に言って、動物言語学っていう学問分野を提唱した。はは。だから動物はもう本能のもんだって適当にくくっちゃいけないと。そうですね。
だから結局、人間なのかそうじゃないのかみたいな、人間だとしたら意思があるけれども人間じゃないんだったら本能に従ってるだけだよねっていう、そういう二分法で接しちゃってないかなみたいなことはやっぱ見てて思ったんですよね。でも世の中はもっと複雑ですよってことかな。
だし、ヘプタポッドに対する接し方として、本能に従ってるだけなのかいなみたいな接し方するのって、むしろ本質を見失うんじゃないかと思ったっていうことですね。うん。うん。人間として接しろって話? 人間か動物かっていうの二分法で接しない方がいいんじゃないかって話です。
あらゆる、なんかちっちゃい鳥だってちっちゃい魚だって、それぞれ本能に従ってることとは別で、意思があったりとかっていう風に捉えた方がいいんじゃないのっていう。そうだね、グラデーションだってことだね。
そうですね。結構動物に対してそういうバイアスがないから、まあ有名な話ですけど、日本の霊長類学は世界的に見てもちょっと変わった伝統があって。猿1個体ずつに名前をつけるとかね。うん。あ、普通やんないんだ。これ西洋だとやらないんですよ。タブーなんですよ。
これは動物の研究に人間みたいな当てはめ方をしてはならないっていう、そういうカルチャーがあるので。なるほど。科学者は冷徹であれみたいなことなんですかね。そうですね。あんまり感情移入しすぎるとむしろ研究の本質を見失うって彼らは思っているっぽくて、なんか西洋の研究者は猿に名前をつけたりしないんですよね。うん。うん。もう番号とかで呼んだりしていてね。
そう。で、日本の伝統的な霊長類学は猿に名前をつけて呼び分けたりとかしていたと。うん。うん。で、西洋の中で、なんかどうやら日本の研究者は猿を個体識別できるらしいっていう。名前つけてるからな。話が広まり、でもなんか100個体とか、そのそれぞれが全部違いが分かるっていう話が広がり、でもどうせ嘘だろうと思われたらしくて、で、実際にその西洋の研究者が日本に来た時に本当にその個体識別してるのを見て腰抜かしたみたいな。
あ、そんなびっくりすることなんだ。実話があるそうです。だからそれぐらいやっぱり西洋的な人間観・動物観と、アジア的とか日本的な動物観って違うんですよね。ね。だから日本人入れてほしいですね、あのチームに。そうだね。アジア人がいたらだいぶヘプタポッドの見方も変わるかもしれないですね。
そうですね。あとそれはそうとして、僕ね、言語学の研究者もいた方がいいと思っていて。ルイーズがね、実際やってたんですけど、図形をさ、なんか細かく分けて、ここの部分はこの意味なんじゃないかみたいなことをこうやっていってたじゃないですか。
で、あれ、言語学やってない人からすると、言葉の解像度というか、切り分けていったそのナイフの細かさが全然違うなと思っていて。例えばですけど、ヘプタポッドの言語を見た時に冠詞があるのかないのかって結構大事じゃないですか? あ、aとかtheとかですか?
aとかtheとか、それから名詞のジェンダー。これフランス語とかだったらありますけど、男性名詞なのか女性名詞なのか中性名詞なのかみたいなのとかも大事な情報じゃないですか? だから言語をいっぱい研究してる人だったらそういう選択肢があることを知ってますけど、例えば日本語しかやってない人がヘプタポッドの言語を見たら、え、もしかして名詞にジェンダーとかあんのかなんて思いもしない。
思わないね。てかそれさ、あの前、黒島先生が来て一緒に言語学オリンピックの問題解いた時それ如実に感じて。未知の言語に取り組む時も、黒島先生、これ何々の可能性あるなって知らん概念の話してて、あ、武器ある人ってやっぱそういう選択肢にたどり着くまでが早いんだなって思ったんですよね。
そう、そうなんですよね。だからできる限り言語をやっている研究者が来るといいかなと思いますね。まあ黒島先生みたいな人だね、だからね。
てか、今言ってて思ったけど、『メッセージ』ってほぼ言語学オリンピックだな。確かに。ね。だって全く未知の言語が出てきて、法則性を解読して、つまりこうすれば言いたいことが伝えられるはずだって。あれ言語学オリンピックやで。
でもあれインタラクションできてたからね。あ、そうだね。だいぶ有利ですよ。確かにやり取りできてる方が文献からだけやるよりだいぶ有利ですね、あれも。でもさ、下手。あ、そうなんだ。最初の会話で俺ずっこけたもん。
最初にヘプタポッドに教えたのが「ヒューマン」っていうね、単語でしたよね。ルイーズが前に出て「ヒューマン、ヒューマン」って言って、ホワイトボードかなんかに殴り書いて、で、その後自分に指さして「ルイーズ」って言ってたじゃん。言ってた、言ってた。ちょ、はたいたろか、ボケ。
確かにね、向こうからしたらね、あいつの名前「ヒューマン」って言うんだなって思ったら、その後で「ルイーズ」って、あいつルイーズか何、どっちってなりそうですね。そう。
まあ一応横のイアンも確か自己紹介して「イアン」とか言ってやってたんで、まあそれなりにね、こう言語に習熟していれば、あ、「ヒューマン」ってのはカテゴリーで「ルイーズ」ってのはこういう名詞だって思うかもしんないけど、でももしかしたら「ルイーズ」が女性で「イアン」が男性を指すかもしんないじゃん。あれやめて。あれ、あれやめて。
俺、俺に言われても、俺ルイーズじゃねえから。俺が設定したクイズじゃないから、あれ。あれか、もう言語習得の研究者も呼ぶか、じゃあチームに。ああ、でもそれも必要な視点だよね。こうした方が紛れなく伝わるよっていうのを考えた方がいいよな。
しちゃったもんね、あれ。初手であれかいっていう。もっとあるやろ。そうだ。もっと分かりやすいものあるよね。水渡して「ウォーター」とかの方がね、いいんじゃない? でもその星にウォーターなかったら。ああ、ダメなのか。意味わかんないんじゃない?
え、じゃ、何がいいんだろう? 最初に教える単語。あ、それやりますか? それやりたいね。まず固有名詞ではないだろ。ルイーズとかじゃないだろ。絶対違うね。うん。でも概念とかでもないじゃん。多分伝えづらいから。
そうね。まあだからさ、彼らも結局来た目的を聞こうとしたり、あと理論物理学者のイアンは数学のこと聞こうとしてましたよね。なんか何進数なのかとか。
で、それに対して最初は会話がいいってルイーズ、言語学者が言ってましたけど、あれはめっちゃその通りだと思う。その自然な会話から理解していかないと。いきなりそんな質問攻めして、フィールドで現地の人に不信感を与えてしまったみたいなケースも聞きますから。世間話から入る方が正しいわけですね。
そう、だからやっぱあれかな。「天気がいいですね」。じゃ、それができねえっつってんだよ。語彙がないから「天気がいいですね」ができないんだ。まあ。そ、そうか。あと指差しも通じるかわかんないからね。ああ、そうか。そもそも指さして対象を言いたいのに指の方見られてる可能性あるから。
そう。赤ちゃんとかはね、最初そうするし、動物もほとんどそうするんで。いわゆる共同注意とか、指差し、ポインティングとか言いますけど。あ、心の理論がないとできないって言われますからね。はあはあ。
心の理論ってのは、相手はこのように考えていると私が考えることですけど、指を差して、認知的に注目しているものってのを、この人は分かって欲しがってるみたいなことが分かんなきゃいけないので。ボイス、ボイスとか。声。うん。なんかその。うん。指差す必要ないじゃん、ボイスって。
でもそれこそ彼らは音声言語で多分コミュニケーションしてないわけでしょ。ああ、そうだ、そうだ。てことはもうボイスなんてただの雑音だとして処理されるよね。あれ難しい。だからアルファベットとか。アルファベットでアルファベット。違うだろ。違う。アルファベットかみたいな。まあ、でも意外といいのかもしれないね。こいつらは文字のことアルファベットって呼んでるんだ。
いや、違うな。それもガバガイ問題があるんですよ、結局。そうだよね。何を指してるかわかんないってなりそう。そうですね。ガバガイ問題ってのは、未知の土地に行った時にウサギが横切って、それをガバガイって言った時に、これがウサギを意味するのか、このウサギの種名なのか、固有名詞なのか、跳ねているって意味なのか、白いなのか、小さいのかわかんないよねっていう問題ですけど、とりわけその人間であればね、ガバガイ問題って超えられる。色々なバイアスがあったり認知能力で超えられるんですけど、全く違う人だとガバガイ問題を超えることができるかそもそもわからない。
そうだよね。だって僕らはさ、ウサギ見てウサギって言ったら、まあ固有名詞の可能性もあるし、跳ねるの可能性もあるけど、多分ウサギだろうなっていう、なんとなく生得的な感覚みたいのはあるわけでしょ。そうですね。それによって我々とか、子供ですね、特に、が問題を超えるっていう。でもそれさ、星が違ったら絶対一緒じゃないじゃん、その感覚。え、跳ねるじゃないのってなる可能性もあるわけで、めっちゃ難しい、ガバガイ問題超えるの。
うん。どうすればいいんすかね?まあ、いっぱいやるしかないのかな。だから手数で行くっていうね。うん。結局そうでしょ。ヒューマンって自分のことやって、あ、お前の個体名がヒューマンなんだなって思われたとしても、向こうから、じゃあこいつはヒューマンじゃないんだなってイアンのこと指して言ってたら、あ、違う違う、ヒューマンって俺もこいつもヒューマンなんだよとか、やり取りで繰り返してたらなんとかなりそうだよね。
あ、そうね。だからヒューマンって言った後に横のやつとか後ろのやつもヒューマン、ヒューマンってやっていけば、さすがにいつか超えるわけ。二足歩行とか、そういう選択肢もなくはないけれども、まあ大体。うん。徐々に減ってくでしょ、繰り返してくうちに。そうだね。っていうのを1個ずつ教えていくしかないっていうこと。
まあ、って考えたら、別にもうヒューマンから行くかっていうルイーズの判断も悪くはなかったんじゃないか。その後ルイーズって言わんといて。それいいやん。あれやめて。確かにあれ、あれ良くないな。やめて。個体名後でいいもんね、絶対。いい。うん。覚えんでいいよ、そこって。ルイーズ、次気をつけてください。うん、頼んます。
あん時パニックだったからしょうがないよ。まあね、なんかホワイトボードだけ持っててね。ああ。でもわけわかんないやつ出てきて、うわーって最初ビビってたもんね。でっけえもんだって。うん。だからあんな時しょうがないす。極限状態だから頑張った方だと思います。ルイーズの気持ちになってちゃんと。お前はさ、そうやって肘ついて偉そうなこと言うインテリだから良くないっすよ。
僕はでもちゃんと落ち着いた空間でアルファベットっていうアイデア出しました。あ、カスやな。アルファベット、カスやな。すごいね。お前、落ち着いた環境ではそのアイデアしか出せないのか。絶対やめてください、地球の存亡の危機で出ていくの。突っ込んできますね。
あと、あの翻訳でやっぱ面白いなと思うところもあってさ、軍のあの大佐がさ、序盤でルイーズに協力してくれっていう風に頼みにくるとこあるじゃないですか。で、そこでハウメニーってルイーズが聞くんですよ。ん?何がハウメニー?えっと、異星人来ましたと。うん。で、話してるのが。ああ、はい。何人っていう訳がされてるんです。誰?5人の会話なのか2人の会話なのかを聞きたいってことね。
そう。で、それに対してトゥーってこう答えるんですけど、訳が2体なんですよね。うん。ああ。人間だと思ってないんだ。はい。だからルイーズはハウメニーの時の訳って、話してるのは何人ってなってるんですけど、大佐は2体っていうことで。これなんかは相当この訳の部分で、大佐と言語学者がその異星人をどういう風に捉えてるのかっていうことを如実に表してる訳だなって思いました。
これ軍人っぽい発想だよな。異星人ってこっちを侵略しに来た敵の可能性をやっぱ排除できないから、軍人としては人だと扱いたくないっていう、その気持ちが出てますね。はい。っていうことだと思いますね。
最後になんですけど、このメッセージ、僕なりの視点で感想を述べたいと思います。僕はウォーフの著作を直近で読んだんですね。で、多分『メッセージ』を見るためにウォーフの『言語・思考・現実』を読もうって思った方あんまりいないと思うので、ウォーフは『メッセージ』をどう見るだろうかっていう観点で少し補足をしたいと思うんですね。はあ、はい。ウォーフの時代には当然なかった映画ですよね。
そうですね。前回のおさらいをすると、まずウォーフは後世の研究者に批判されました。でも彼が言ってたことはデタラメだったかっていうとそうじゃなくて、まず1つは、西洋中心的な言語観、世界観を打ち破りたいと思って、だからこそレトリックにかなり頼ってる部分があるということと、真珠湾攻撃の直前とかの日米関係がピリピリしてる時期でも日本語に対してラブリーとか言ったりしていて、あらゆる言語にはそれぞれの美徳があり、で、それをこう理解していくことってのは、その言語を使ってる人たちに対する兄弟愛の気持ちを呼び起こすのだってことを言ってましたよね。うん。そんなんでしたね。はい。
だからあれだよね。ちょっと極端な決めつけというか、この言語ってこういう表現だからこの人たちはこういう認識なんだって、ちょっとむちゃくちゃ言っちゃってたけど、それは別に偏見を助長するものではなく、むしろみんな多様な世界を見てて、それぞれ尊重した方がいいよねっていうメッセージだったんですね。そうです。
だからそのサピア=ウォーフって、ウォーフよりも前にバズった人もいるんだけど、その人はむしろナチスドイツにその学説が利用されて、ユダヤ人に比べてドイツ語話者っていうのは優れているみたいな使われ方をされてしまった。プロパガンダにされたと。っていう話をしましたけれども、で、補助線を引くと、『メッセージ』の見え方って色々変わってくる部分があると思っていて。
1つは、テッド・チャンって台湾系アメリカ人なんですよね。うん。で、彼は書く価値のあるアイデアを思いつかない限り書き始めないという風に公言している。はい。はい。界だと思って見てみることもできると思うんですよね。
ほ、なるほど。なんかそれだと逆ですけどね。中国とかを喧嘩っ早い国と描いてたら感じ悪いですけどね。あ、そうですね。作品の中でヘプタポッドを軍事利用して戦争を仕掛けようとしたのが中国だったり、まあパキスタンとかもそうでしたけど、このアジア系のエリアを結構戯画的に描いてたよね。描いているんですよ。あれ感じ悪かったけどな。
うん。でも結局、まあ主人公ルイーズとの対話によって武力衝突って回避されましたよね。そうでしたね。で、ルイーズは何を手がかりにしたかって言うと、ヘプタポッドの言語を手がかりにして中国との交渉をまとめたわけですよね。で、ウォーフが言ってたのは、それぞれの言語を理解していくことは、それを使ってる人たちに兄弟愛の気持ちを呼び起こすのに役立つんだと言っているんですよね。ああ、なるほど。だから喧嘩っ早い中国と、言語というきっかけを元に仲良くなったっていう話なのか。そう、そう、そう。
で、しかもさっき言ったように、そのテッド・チャンは台湾系のアメリカ人でもありますから、そこで中国が出てくるってことにも、もしかしたら彼なりに何かしらの必然性があったのかもしれないと思うし、それから、さっき西洋中心主義的な価値観を批判したって言ったけど、そのうちの1個が、ヘプタポッドのことを1体2体と数えるとか、その本能に従ってるんだったら話す価値がないって思ってるところとか、なんかそういうバイアスを言語を手がかりに打ち砕こうっていうのはウォーフでもあるから。ああ、面白い。そうか。
だから、西洋中心主義的で嫌なものの見方してませんかっていう映画の問題点かと思ったら、じゃなくて、それが良くないよっていう映画だったんじゃないかと。うん。そういう、あお、あお、そういう見方できる。確かに。うん。っていう風に読める、見れるなと思って。これあんまりみんな言ってないんじゃないかって。ウォーフ読まないとわかんないから。
それあんたいい感想だな。え、水野さんもちゃんとウォーフを読んだ後ならいい感想を出せるんですね。ウォーフを読んだ後なら。うん。いつもだったらその人間性の浅さからさ、浅い感想しか言えないのにさ、ウォーフというインプットによって非常に深い感想が出せて素晴らしいですね。これでウォーフが深いだけです。え、水野の深さから出たんじゃないの?これ。出てないす。僕アルファベットって教えるんで、すぐ。
そいつそうかな。ウォーフの映画なのかこれ、もしかしたら。そう。だから冒頭はね、サピア=ウォーフ説と全然整合しないよと、なんなら危なっかしい映画だよって言ってたけど、ぐるっと一周回すと、むしろウォーフをちゃんと理解して作ったんじゃないかっていう気もする。なるほど。ウォーフが警鐘を鳴らしてた人たちを描いて、そしてそこからの脱却の方法を描いてるのか。うん。はい。はあ。いや、いいか。
で、その手がかりって結局言語を理解することなんだっていう風に読める。あ、そうだね。分断を超えるには言語なんだっていう映画なのか、これ。あ、いい話。めっちゃいいな、それ。はい。で、それを直感的に分かってもらうために科学的な誇張を行っただけだと。
だから冒頭したからね、なんか『メッセージ』ってダメな映画なんじゃないかって思うかもしれないけど、福田先生は面白かったって言ってるし、黒島先生も感動したって言ってるし、高田先生は大興奮してる。なるほど。だから言語学者が叩く映画とかじゃないって。じゃない、じゃないですね。はい。
まあ、せっかくならこの映画から入って、ウォーフの著作読んでみたり、言語相対論のこと勉強してみたりしてくれるとより良いとは思いますけど、付き合い方に気をつけろと、黒島先生が危なっかしいって言っていたけれども、その一方でテッド・チャンはそのギリギリのバランスを攻めたんじゃないかと僕は思うなっていう話でした。
なるほど。あ、いい結論。ちょっとイジって終わりかと思ったら逆でしたね。褒めて終わりましたね。でも僕は見たいですけどね、言語学的に正しい方の『メッセージ』。ね。福田先生監修。それめっちゃ見たいな。特定のタスクを0.2秒早くこなせるようになって、それによって中国の官僚に認められて、よしなら原子種と電話を繋いでもいいだろうっていうバージョンで。たまたま中国語勉強してるっていう。特に描かれてないんだけど。そうなんだよ。たまたま勉強してるの。
だって、あの作品の中で中国語勉強してるシーンなかったからさ。やっぱだからもうあれ、たまたま。確かにそうですね。偶然、偶然中国語。言語学者だからやってるよ、当然だもんみたいなこと言って解決するっていうね。ですね。全然整合性がなくてつまんないですね。うん。
ということで、ここまで映画『メッセージ』を言語学から見るとどうかという話をしてきました。多分皆さんもね、『メッセージ』への感想色々あると思いますし、まあ私もそれなりに論理の飛躍を伴いながら感想喋ったので、ここは納得いかないって箇所があったら、その箇所を突いていただいても構いません。うん。ぜひぜひ思ったことをどしどしコメントください。それでは今回も終わりにしましょう。ありがとうございました。ありがとうございました。
堀元さん。うまく話せなくて悩むことってありません?よくあります。そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。ほう。タイトルは『会話の0.2秒を言語学する』。会話のわずかな間にフォーカスした1冊です。是非皆さん買ってください。です。
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