「説明が上手い=頭が良い」は本当か――ゆる言語学ラジオ、城崎温泉での議論
ゆる言語学ラジオゆる言語学ラジオの水野太貴さんと堀元見さんが、城崎温泉の旅館で川を眺めながら収録した回である。テーマは、インターネットでよく論争になる「頭がいい人は説明もうまい」という言説だ。水野さんはこの言説に反対の立場から問題提起し、堀元さんは一度賛成側に立ってから議論に応じる。話は「頭がいい」という言葉の定義、例え話の危険性、レトリックと正しさ、読書スタイルや忍耐力、段取りとEQにまで広がり、最後は視聴者に向けて「自分たちのコンテンツを批判的に見てほしい」という話で終わる。
「勉強するほど説明が下手になった」という水野さんの実感
口火を切ったのは水野さんである。昔の自分はどちらかといえば説明がうまかったが、勉強すればするほど下手になっている感覚がある。一方で、頭は昔より良くなっているはずだという。この実感から、水野さんは頭の良さと説明のうまさはむしろ反比例する、つまり知識を持てば持つほど説明は下手になると考えている。それが世間では逆に理解されていることが気に食わない、というのが出発点だった。
これに対して堀元さんは、あえて賛成側に立つ。知識が豊富にあったうえで相手の知識レベルに合わせて適切な例を出したり、「一旦こう理解してもらえれば大丈夫です」と割り切って伝えたりするのは頭がいいことであり、その意味で「頭がいい人は説明もうまい」と言えるのではないか、という主張だ。
水野さんはこれを受けて、自分は「知識が少ないから説明がうまい人」だけを取り出して話していたと整理する。実際には、知識が少ないせいで過剰に単純化しているケースと、知識が多いうえで方便として単純化しているケースがある。水野さんの見立てでは、世間で「頭がいいから説明もうまい」と言われている人は前者が多く、学者に対してその言葉が使われることはあまりない。一方、堀元さんは池上彰さんを例に挙げる。池上さんは知識をきちんと持ったうえで、番組で伝えたいことを絞り込んで話しているように見えるので、頭が良くて説明もうまい人と言えるだろうという。結局、頭が良くて説明がうまい人も、頭が良くない結果として説明がうまい人も、頭がいいのに説明がうまくない人もいる、という整理にいったん落ち着いた。
「人による」で終わらせないための論点――この言説は研究者を不当に貶める
ここで水野さんが「人による」という結論を口にし、堀元さんが「つまらない」と突っ込む。この「みんな違ってみんないい」という相対主義的な結論を水野さんが持ち出し、堀元さんがそれを退けるというやり取りは、この回を通して何度も繰り返される。
そこで水野さんは論点を立て直す。真偽はいったん置き、この言説が広まることで社会が悪くなるのではないか、という問いである。水野さん自身は、勉強を重ねた結果として物事は一概には言えないことを経験的に理解した。だから歯切れの悪い大学の先生を見ても何とも思わない。しかしその経験をしていない人から見ると、説明が下手な研究者は頭が悪い人にしか見えない。
堀元さんもこれには同意する。説明のうまさと賢さは別軸の話であり、たどたどしく説明したり言いよどんだりしている人を愚かだと思うのは良くない。ところがTwitterの文脈では、「この研究者は何を言っているかわからない、頭が悪いんだろう」という反応がよく見られる。堀元さんの整理では、問題は人々がこの言説を「例外のない法則」と捉えていることにある。頭がいい人のほうが事実をかいつまんだり例を考えたりする能力が高い傾向はあるとしても、それは傾向にすぎない。水野さんはこれを、傾向を絶対的な法則だと思いたがる人間の認知バイアスとして捉え、「男性は女性より背が高い傾向がある」から「背の高い女性はいない」と考えるようなものだ、と例える。男女の身長ならそんな誤解は起きないのに、研究者や政治家については例外なく頭が悪いと思ってしまうのが問題だという。
水野さんは、ゆる言語学ラジオ自身がこの言説に抗う面と、強化してしまう面の両方を持っているとも指摘する。歯切れの悪さを楽しむという堀元さんの思想はこの言説への一石になっている。しかし、番組を見て「説明がうまいから頭がいい」と思われてしまえば、言説を補強することになる。水野さんは、番組によく登場する島村先生を例に挙げる。島村先生は、水野さんが何度読んでも理解できないことを理解しているが、話し方は「一概にはそう言えないけど、まあそれでいいよ」といった具合に歯切れが悪い。
専門家にとって、専門について聞かれることは「銃口」でもある
水野さんがもう一つ挙げたのは、専門家が専門の内容について聞かれるとき、実は力量が問われているという構造である。その分野の人ならまず間違えないようなミスをすれば、キャリアに響いたり周囲から白い目で見られたりする。研究者に専門の内容を尋ねるのは、相手に銃口を突きつけているような面もあり、だからこそ留保をつけて話す。水野さんは、この事実に気づいたのはゆる言語学ラジオを始めてからだという。周囲に研究者がいなかった頃は、専門なのだから知識を使ってスパッと答えられるはずだと思っていた。24歳頃に気づいていなかったことに30歳になって気づいたのだから、周囲に研究者がいない人ならなおさら知らないのではないか、と水野さんは考える。
堀元さんも、自分で本を書いているときに同じことに気づいたという。例として挙げたのはアッシュの同調実験だ。誰でも正解できる「同じ長さの棒はどれか」という課題で、サクラが全員間違った答えを言うと、被験者もつい同じ間違いを選んでしまう、という有名な実験である。面白いことを言いたい人は、これを応用して「同調圧力はこれほど強い」と語る。堀元さんが挙げた例は、Mrs. GREEN APPLEの「コロンブス」が差別的だとして炎上した件だ。多くの大人が関わったのになぜ止められなかったのかという問いに、「一人が強く押したら皆が同調したのだろう」と同調実験を持ち出すと、それらしく聞こえる。堀元さんは、自分やひろゆきさんのような人はそれをためらわずにやると話す。しかし本職の心理学者は、棒の長さというきわめてシンプルなタスクについて言えることが、CMの差別性の判断についても言えるかどうかは別問題だとして、一概には言えないと考えるはずだ。元の実験をどこまで抽象化して勝手に使えるかについて、プロと素人では許される範囲がまったく違う、というのが堀元さんの整理である。
水野さんはこれを生物学に広げる。生物学者は、動物の生態や実験結果を人間社会に当てはめることについて、非常に厳しく抑制的であるよう指導されているのだろうと水野さんは推測する。いわゆる自然主義的誤謬の問題である。そう指導されるのは、逆に言えば「アリの研究をしているなら、アリの社会を見て人間はどう生きるべきだと思う?」と聞かれがちだからだろう、と水野さんは考える。居酒屋の話としては面白いが、学者が言えば「学者がこう言っていた」になってしまう。加えて生物学には、進化論を社会に当てはめた社会ダーウィニズムのような悪い応用の歴史があり、その反省も踏まえているのだろうという。ところがその事情を知らない外部の人からは、研究者がなぜか面白いことを言わずに放置している「使い放題の知の鉱脈」のように見えてしまう。そして学者は、面白い知を持ちながら人間社会への応用を怠ってきた人に見えてしまう。水野さんはそこに引っかかりを覚えると語った。
堀元さんの「下ネタ本」という自己批判的な実例
この話が「ぐさぐさ刺さった」と堀元さんは言い、自著『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』を例に出す。前書きで、神経科学者ロイナーの「マウスに性的刺激を与えるとニューロンの生成が促進された」という実験を引き、「下ネタは人を賢くする可能性がある」と書いたという。一応その後ろに「人間に言えるかはわからない」とは書いたものの、滅茶苦茶な主張をしたことには変わりない、と堀元さんは認める。
さらにこの本はコミカライズされた。漫画版では、漫画家の福岡太郎先生が、マウスにヘッドフォンを着けさせて「メスガキ」の音声を聞かせる絵を描いたという。元の実験からどんどん離れていくので、そこだけ読んだ人は、神経学者の実験がメスガキ音声をマウスに聞かせるものだったと誤解しかねない、と水野さんは指摘する。二人はこれを笑いながらも、何段階もの翻訳を経て適切に話す学者は愚かだと思われ、滅茶苦茶を言って面白いことを話す人は賢いと思われる、という構図は深い問題だと確認した。
堀元さんは、学者はまず不当に低く評価されており、しかも学者は大きな声で反論しにくい構造にあるので自分が言う、と述べる。例として挙げたのはコロナ禍の状況だ。「こうするとコロナウイルスは死ぬ」という投稿はバズる。それを訂正する学者の「わかっているのは実験室の特定の環境でこうしたときに効果があったということであり、あなたの言うことを示唆する結果ではあるが、まだ検証されていない」という投稿はバズらない。素人のいい加減な一般化がバズり、学者の正しさがバズらないという構図に抗っていきたい、と堀元さんは話した。
「頭がいい」が指すものは人によって違いすぎる
後半に入ると、「学者は頭がいい」という前提そのものが問われる。学者なら必ず頭がいいのか、学歴が高ければ頭がいいのか、ビジネスで成功した人のほうが頭がいいのではないか、という反論はありうると水野さんは言う。
二人は以前、ポッドキャスト『ウェンズデイ・ホリデイ』にゲスト出演し、「頭がいい・頭が悪いとは何か」をテーマに、ホストでアナウンサーの堀井美香さんと話したことがある。そのときも定義がかなりすれ違ったという。さらに堀井さんはその回を受けて、別のポッドキャスト『OVER THE SUN』で相方のジェーン・スーさんと議論を続けた。水野さんはその一連の議論を聞いて、「頭がいい」という言葉が指す対象は個人によって違いすぎ、そもそも議論に使える有効な用語ではないと感じたという。
実際に挙がった定義はばらばらだ。知識が多いこと、いわゆる地頭としての論理的な演算能力、言語能力の高さ、特定分野の専門性の深さ、逆に多くの分野を広く見ていること。ジェーン・スーさんは、プロジェクトを始めるときにうまく回る形に外側を整えられる人、つまり「外堀を作れる人」「仕組み化できる人」を頭がいいとしており、水野さんの印象では、ペーパーテストができることや言語化が早いことは頭の良さに数えていないようだったという。堀井さんは「お茶目ができる人」を挙げたそうで、水野さんはこれに「違いますよ」と突っ込みつつ、そういう定義もあっていいのだろうと引き取った。
「速い」ことは過大評価されている
堀井さんは二人との共演について、会話のペースが速く、自分が考える論点の2つ先、3つ先をどんどん進めていたので追いつけなかった、という文脈で「頭が良かった」と評価していたという。水野さんは、多くの人が「頭の回転が速いこと」を頭の良さに含めているのは実態としてありそうだが、自分はその風潮に抗いたいと述べる。
堀元さんも、会議ですぐ論点を見抜ける人は仕事ができるから、速さが頭の良さに結びつきやすいのはわかると認める。そのうえで、人類でもトップクラスに速い水野さんと長い時間を過ごしてきた経験から、水野さんを「すごく速いアホ」だと評する。城崎での観光中、クラフトビールを飲みながら景色に感動した水野さんは「That's so bad」と言ってすぐ「good か」と訂正し、揚げパンの店では「キッチン広い」と言ってすぐ「あ、鏡か」と訂正していたという。普通の人が一度言い終えるくらいの時間で、言い間違いと訂正を済ませている、というわけだ。水野さんは、店が広いと思って一回多く感動したのだから、その分人生が豊かだと切り返した。
堀元さんの言いたいことは、速い人はその分間違いも圧倒的に多いということだ。会議で速く論点を見抜いているように見える人も、実は見当違いのことがよくあるのではないかという。堀元さん自身、自社の会議で「根本的な問題はこうだから、こうしたらいい」と話し終えた直後に「違うわ、根本的な問題はこっちだ」と自分で覆すことがあると明かし、水野さんは、社員は社長相手なので言わないだけで「時間を返せ」と思っているだろうと返した。水野さんはさらに、速いだけの人は会話のターンを取っているので他人の時間を奪っていると指摘する。10人が出席する会議で30秒話せば、合計で5分を奪っている計算になる。
それでも「早く70点を出す能力」は偉い、と堀元さんは逆張りする
ただし堀元さんは、水野さんが自分を卑下するあまり速さを必要以上に下げていると感じ、あえて逆張りする。二人とも、普通の人が1分かかる70点の答えを6秒程度で出すのは得意であり、それはそれで素晴らしい能力なので「頭がいい」と形容しても問題ないという。一方で、二人は例えば「民主主義はどうあるべきか」という問いに2日かけて100点の答えを出すような作業は苦手だろう、と堀元さんは見る。それが得意な人もいる。
水野さんは、研究者ハワード・ガードナーが知能には何種類かあると論じている、と聞いたことがあると紹介する。ヒューリスティクスで早くそれなりの答えを出す人が頭がいいとするなら、じっくり考えてもっと良い答えを出す人も頭がいいはずだ。それでも、速くて70点に留まる人が評価されがちだという問題は変わらずある、と水野さんは述べた。
レトリックが力を持ちすぎている――『モヤモヤする正義』から
ここで堀元さんは、合宿中に読んでいる『モヤモヤする正義』の議論を紹介する。この本では、現代はレトリックが力を持ちすぎていると繰り返し論じられているという。社会運動がレトリックを一番の武器として使うため、「明日にも飢えで死のうとしているアフリカの子どもがいるのに、あなたは食べ物を無駄にするのか」といった言い方が多用される。人の心を動かすストーリーではあるが、理屈としては変だ、と堀元さんは言う。自分が食べきれずにご飯を残すことが、アフリカの子どもを殺すことにはならない。それはもっと大きな流通の問題であって、自分が食べきるかどうかとはあまり関係がない。それでも、論理的に整合していなくても最終的に社会が良くなればいい、という考えで活動する人が多いのだという。水野さんはこれを、過程ではなく結果にフォーカスし、方便として捉えている態度だと整理する。
堀元さんによれば、著者はそれを良くないと論じている。レトリックの力で戦っているだけなら、仮に差別が少し減っても、逆方向の強いレトリックが出てくれば差別はまた増える。レトリックは世の中をちゃんと良い方向に進めていかない。それに対して、データを見て理屈でじっくり考え、今出ている材料ではこちらが正しそうだと皆で結論を出していく営みは後退しない。反証データが出てくれば話は変わるが、逆の強いレトリックが出てきても、論理的に出た結論は変わらない。社会を正しく進めていくのはレトリックではなく正しさだ、という主張である。堀元さんは、レトリックだけで押し切ろうとする反差別の人々に3年ほど気持ち悪さを感じてきたが、その理由がわかって腑に落ちたと語った。
水野さんの応答①――データに現れにくいものをめぐる争い
水野さんはこの話に二つの論点で応じる。一つ目は、社会活動の一部はデータに出にくいことをめぐって争っている、という点である。例として挙げたのは、家事労働がGDPに現れないという話だ。同じ仕事をハウスキーピングに頼めば売上になり経済活動として計上されるが、家庭内の家事は計上されない。家事を可視化しない指標を元データとして社会を設計すれば、差別を温存した体制がそのまま残ると考えるからこそ、活動家はデータに頼らない論証をしている面がある、と水野さんは言う。堀元さんは、フェミニズムなどに典型的に見られる構造だと応じた。
ただ水野さんは、これが『モヤモヤする正義』の主張と矛盾するとは考えていない。レトリックだけで押し切るのではなく、「家事労働がデータに出てこないこと自体が問題であり、それを捉えるデータを取るべきだ」と言っていけばいい、というのが著者の言いたいことだろう、と整理する。堀元さんもこれに賛成した。
水野さんはさらに、仮説として、世界にはデータで論証してほしい人とエモーションで論証してほしい人がいるのではないかと話す。水野さんがこれまで読んだフェミニズムの本には、エモーションやレトリックで訴えるものもそれなりにあり(堀元さんは、データで論じた本も多いと補足した)、データ好きの水野さんにはなかなか入っていけなかったという。主張とそれに反対する人の話が噛み合わない背景には、そうした論証スタイルの違いがあり、そこに科学・非科学、文系・理系のラベルが乗って「文系は頭が悪い」「非科学的だ」といったディスコミュニケーションが生まれている、と水野さんは見る。水野さんは、編集者として本気で作っている書き下ろしの本の中に、両者の架け橋となるような論点をある先生に盛り込んでもらおうとしており、このテーマは今後も追いかけることになるだろうと述べた。
水野さんの応答②――例え話の危険性と、飲茶さんの本
二つ目の論点は、世の中は例え話の危険性を理解していなさすぎる、ということだ。水野さんは、ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んだとき、ドーキンスが例えを使ったせいでひどく誤解され、苛立っていた、という話を以前の回でしたと振り返る。
そのうえで語ったのが、自分自身の理解の変化である。高校生の頃、水野さんは『史上最強の哲学入門』から飲茶さんの哲学の本に入り、とても好きだった。飲茶さんは例えの名手で、しかも単に「AとBは構造が同じ」と言うのではなく、ある哲学者の主張を読者に追体験させる例えを持ってくるのがうまい、と水野さんは評する。飲茶さんの本で哲学を面白いと感じ、研究者が書いた他の哲学入門書を読んだが、飲茶さんほどわかりやすくなく、結局哲学にははまらなかった。当時は「飲茶さんはすごい、哲学者は説明が下手だ」と思っていたという。堀元さんは、まさに「頭がいい人は説明がうまい」論にどっぷりだと突っ込む。
いまの水野さんは、飲茶さんの説明はわかりやすいが正確性を捨てていると考えている。それが悪いと言いたいのではなく、入門者にわかった気にさせて面白がらせる、別の役割なのだという。堀元さんもそれには意味があると同意する。ただ高校生の水野さんには、例えていない本や、わかりにくい本の意味がわからなかった。ゆる言語学ラジオで言語学を例えてみた結果、例えることで失われるディテールや、研究者が本来議論している部分を捨てていることに気づき、思ったより危ないと感じたという。
問題は、こうした活動をしていない人は「飲茶本大好きモデル」のまま大人になっている可能性があり、そういう人に「例えると本質を見失う」というありふれた説を聞かせてもあまり伝わらないだろう、という点だ。例えのデメリットを追体験させる何かがあればいいが、それを例えで伝えればまたデメリットが生じ、そのデメリットを伝えるための例えが必要になり……と、二人は無限後退を笑い合った。水野さん自身、例えの危険性は例えではなく勉強によって知ったと話す。
間違いを見つけて喜ぶ人になればいい――ゆるコンピュータ科学ラジオの告白
堀元さんは、別の解決策として「人の間違いを見つけて喜ぶ人間になればいい」と提案する。インターネットで理屈っぽい発信を始めてから気づいたことだが、一般向けのサイエンス本で誤った記述を見つけると嬉しい。誤植を見つけて勝った気になるのと同じで、「簡略化なのかミスなのかわからないが、ここは本当はこうだ」と思えるのが楽しい。その趣味を持てば、一般向けの説明がどれだけのものを捨てているかがわかるようになる、という。
水野さんが、それは堀元さんのゆるコンピュータ科学ラジオへの皮肉を含んでいるのかと尋ねると、堀元さんは自身の手法を明かす。「なぜ〇〇は〇〇なのか」を扱うとき、一番大きな理由がつまらない場合には、それを飛ばして2番目くらいの面白い理由を「実はこうなんです」とたっぷり話し、水野さんを大いに喜ばせたあとで、怒られないよう駆け込みで「こういう理由もあるんですけどね」と一番大きな理由を言う、というのだ。
具体例は「なぜデジタルはアナログより優れているのか」の回である。この回では、レコードの溝は少しずつすり減って二度と復元できないが、0と1のデータはどこかで誤っても誤り訂正が可能なので永遠に劣化しない、人は永遠を求めてデジタルに行き着いた、と説明した。そのあとで慌てて、あらゆるものを統一的な規格で扱えるというメリットもある、と付け足した。堀元さんは、実際にはそちらのほうが重要なのだと明かす。嘘にならないギリギリのラインを攻めているという堀元さんに、水野さんは「炎上してないだけの詐欺師」と返した。
それでも堀元さんは、この番組をきっかけにコンピュータサイエンスの道に進んだ人や、基本情報技術者試験に合格した人の声を多くもらっていると話す。その中には、試験勉強をしていたらゆるコンピュータ科学ラジオで出てきた話が出てきてテンションが上がり、同時に「本当はこういう話だったのか」とわかった、と投稿している人もいた。まさに堀元さんの言う楽しみ方であり、番組は真実を言わなくていいと思っているのではなく、入り口を用意しているのだと堀元さんは説明する。
水野さんは、自分のコンテンツ作りの思想は堀元さんと少し違うかもしれないと話す。例えば生成文法なら、「この核は伝えなければならない」というものを軸に、それをどうわかりやすく説明するかに力を注ぎ、枝葉の面白い部分を強調する作り方はしなかった。その結果、言語はフラクタル構造だから「ブロッコリーだ」という、あまりピンとこなかった例えが生まれたのだと二人は笑った。
厳密さのゲームと、わかりやすさのゲーム
水野さんは、生成文法をやさしい本から順に難しい本へと勉強していったので、やさしい本の不正確な説明を徐々に理解し直すステップを踏んだという。そこで、例えることや一般向けにわかりやすくすること、さらに専門用語を使わないことのリスクが大きいことに気づいた。厳密な定義を積み重ねなければ厳密な議論はできず、冒頭の「頭がいい」のように定義があいまいな語で議論すると、話がふわふわしてしまう。
堀元さんは高校時代の数学の授業を思い出す。黒板で問題を解いて解法を説明する際、皆に伝わりやすい説明がベストだと考え、「このXはこっちより小さくなることはないので、こっちだけ考えればいい」と説明した。先生は正解と認めたうえで、Xがなぜ小さくならないのかの説明がないのでそこをやってほしいと求めた。堀元さんは、直感的に明らかで、証明すればかえって説明がわかりにくくなるから省いたのであり、当時はうるさいと思った。しかし今振り返ると、数学の先生が目指していたのはわかりやすさではなく完璧さであり、省略を許さないのは職業として正しかった、自分は違うゲームで戦っていた、と堀元さんは言う。水野さんは、数学は誰が読んでもわかる形に落とし込む形式化のゲームだと応じる。生成文法も数学のようにしようとしている分野なので、用語を使わずに話した瞬間にかなり嘘になってしまう。生成文法の研究者がそもそもわかりやすく説明しようとしないことが多いのは、頭が悪いからではなく、厳密な議論をしなければ意味がなくなるという抑制が効いているからだろう、と水野さんは考える。
読書スタイルと「知的筋力」
堀元さんは、この違いは読書スタイルにも起因しているのではないかと話す。生成文法の研究者のように厳密な論証を好む人は、本を一言一句理解していく。一方、堀元さんと水野さんは本を雑に読み、「この話はどこかに書いてあったな」と必要なときに確認しに戻る。モザイク程度の解像度のものを頭にたくさん置いておき、必要なときに解像度を上げるやり方で、積み上げてはいない。最初から1ピクセルずつ描画したい人もいて、その認知の違いが好むコンテンツの違いになっているのではないか。全体像のモザイクを先に見たい人は飲茶さんのような本を好み、1ピクセルずつ描いていきたい人は専門書を好む、という見立てだ。水野さんは、島村先生が「本も第1定理から始めて、そこから何が導けるかの順に書いてくれたらわかりやすいのに」と言っていたと紹介し、堀元さんは、自分はまずぼんやりした全体像を見せてほしいと応じた。
では、ステップバイステップで理解する人は頭がいいと見なされるのか。堀元さんは、世間的には逆だろうと言う。そういう人に何かを尋ねて「まず第1定理があり、そこから第2定理が導かれ……」と説明されると、話が難しくてわからないと感じる。それより「それってこういうことだよ」とズバッと教えてくれる人のほうが頭がいいと思われる。世間で「頭良さそう」と距離を置かれるのは、「ガリ勉」と言うのと同じで褒めていないのだ、という。
それでも水野さんは、定理を一つずつ積み上げて理解するのに慣れた人には知的な筋力があると考える。ベンチプレスを重く上げられる人のように、多少の負荷でも持ち上げられる。「頭がいい」という言説をクリアにするには、こうした要素に細かく分けていく必要がある、と水野さんは述べる。
忍耐力と、自分たちが向いている役割
堀元さんは、頭の良さのかなりの部分は忍耐力だと考えている。難しい話を頑張って理解しようとするのは忍耐力であり、自分にはそれがあまりない。専門書にうんうん唸りながら20時間かけて少しわかった、と言う人を見るとすごいと感じるという。二人は量でカバーしようとするので、簡単な入門書を読んで何となくわかったら少し難しい本を読む、という繰り返しで20時間かける。専門書の記述に立ち向かえる人は、人類がまだ答えを出していない問題に立ち向かえる人であり、敬意を払わなければならない、と堀元さんは言う。何時間も取り組んで結局わからなかったという体験は、二人にとっては耐えがたい。
堀元さんは、自分が大学でコンピュータサイエンスを選んだのもそのためかもしれないと振り返る。コンピュータは間違ったことをすると間違った挙動をして面白いので、何も得られなかったという感覚がない。線に沿って走るロボットを作ろうとして、1ミリも進まずその場で回り続けるロボットができたことがあるという。一方、水野さんが挙げた高校数学の「式変形したら元の式に戻った」「連立方程式を解いたら0=0になった」といった体験は、何も生まれない感覚そのものである。
堀元さんは、自分たちに忍耐力がないことを必ずしも悪いとは思っていない。むしろサイエンスコミュニケーションに向いている、と考える。忍耐力のあまりない人向けに、害にならない程度のざっくりした理解を与えるのが得意なのは、「この説明なら自分は耐えられる」というラインが自分の中にあるからだ。島村先生にはそれがない。つまり二人と島村先生は別の賢さを持っている、というのが堀元さんの結論で、ここで再び「みんな違ってみんないい」が出て水野さんに突っ込まれた。水野さんは、知的な筋力のある人たちが自分たちに敬意を払ってくれ、自分たちも敬意を払っているからこそ活動が成り立っており、互いに「あいつらはバカだ」と言い合う関係になっていないのはありがたい、アカデミシャンといがみ合わないようにしていきたい、と話した。
段取りの良さとEQ――学者とビジネスパーソンの対立
水野さんは、ここまで頭の良さをアカデミズムに結びつけてきたが、要領がいい、段取りができる、誰とでも分け隔てなくコミュニケーションが取れる、といったことを「頭がいい」と見なすのもわかると付け加える。
ここで堀元さんは、水野さんは段取りが異常にいいと指摘する。とくに勘所を押さえるのがうまく、ここまでなら無許可で進めていい、これは許可を取っておいたほうがいい、という仕分けが上手だという。苦手な人は、勝手に進めて怒られたり、逆に確認を取りすぎて「なぜそんなどうでもいいことを聞くのか」となったりする。ゆる言語学ラジオ周りで外部へのギャラの支払いが発生するような場面でも、水野さんはある程度まで進めてから、本当に堀元さんの確認が必要なラインで聞きに来る。収録に1,500円程度の小物が必要になっても、わざわざ買っていいかと聞かず、「買っておいたのでよろしくお願いします」とレシートを回すだろう、と堀元さんは言う。
堀元さんは、ここで初めて気づいたことがあると話す。頭の良さをめぐる議論ではよくIQとEQの対比が出てくる。水野さんの説明によれば、IQは図形の変化の法則から次を推論するような純粋な論理パズルの能力で、EQは相手が今何を思っているかに共感する力である。堀元さんは、EQが高いことを頭がいいとする議論がピンとこず、それは共感性の話であって頭の良さとは関係ないと思っていた。しかし、1,500円なら堀元さんは怒らないだろうと推測できる水野さんの能力はEQの高さであり、それはたしかに頭の良さだ。仕事の段取りの良さはEQと密接に結びついている、と今初めて気づいたという。
水野さんはこの話を、ビジネス系の人が「学問なんて役に立たない」と言い、学問の人がビジネスの人をうっすら馬鹿にする、という対立につなげる。環境によって頭がいいとされることがまったく違うのに、言葉だけは同じ「頭がいい」なので、互いに相手を頭が悪いと言っているように見えるのではないか。堀元さんは外野からの意見と断ったうえで、学問の世界では、反対すれば相手が気を悪くするかを考えずに「それは違っています」と言えるのが本来の理想であり、EQはそれほど必要ないのではないかと見る。会社員はその逆で、部長の言うことが完全に間違っていても、機嫌を損ねないよう上手な言い方で少しずつこちらに誘導する器用さが求められる。水野さんも、会社員は上司にも部下にも「この言い方をするとこの人は潰れてしまう」と常に考えていると応じた。堀元さんは、ごく乱暴に言えば学者とビジネスパーソンの対立はIQとEQの対立なのかもしれない、とまとめた。
水野さんは、男女や国籍などのラベルについても同じで、「〇〇は頭がいい」「〇〇は頭が悪い」という言説から生まれるものは何もないように思う、だからやり取りをするならその言葉は使わないほうがいいのではないか、と述べる。堀元さんは、それも結局「みんな違ってみんないい」ではないかと指摘する。水野さんは、自分が言いたいのはもう少し先だとして、とりわけ「頭が悪い」という表現は生産的ではないので、批判するなら別の言い方で批判してほしい、もっと要素に分けて話さないと有益な結論にならないことを自覚したほうがいい、と説明した。
批判するなら1万字で――「ファスト教養」という批判の自己言及
堀元さんは、それは自分がやっている有料マガジン(人を馬鹿にするマガジン)を皆が始めればいいということかと冗談を言い、水野さんに否定される。堀元さんによれば、ネットで「〇〇は本当にバカだ」とだけ投稿する人が嫌いなので、自分は1万字ほど書くことにしている。誰々のこの投稿の論拠はこれで、これは典型的な相関と因果の取り違えだ、この投稿ではこの論理の運用を間違っている、といった具合に具体的にあげつらう、というやり方である。
水野さんも、ゆる言語学ラジオに対する批判について思い出したことを話す。初期にもらった批判noteは1万字ほどあり、言語学を学び始めた人がする初歩的な間違いをこれでもかと指摘する内容で、水野さんの心を射抜いた。それ以来、あれを超えるクオリティの批判は出てきていないという。一方でXなどで「あれはファスト教養だから」「間違いだらけだ」と言われているのを見ると、もっと来いよ、あの人ぐらい来い、と思うそうだ。
堀元さんは、「ファスト教養」と言う人の多くは『ファスト教養』という本を読んでいないのではないかと指摘する。堀元さんの説明では、この本で提案された「ファスト教養」とは、金儲けのような現世利益を目的に教養を身につけることを指す。水野さんも、上司が特定の音楽を好きだからその音楽を聞いておく、という行動が本で例に挙がっていたと補足する。ゆる言語学ラジオは「これをやると儲かる」とは言っていないので、本の定義ではファスト教養ではない。批判する人たちは、学問の根幹に踏み込まず雰囲気で話している、という意味で使っているのだろう。だとすれば、本を読まずに雰囲気で「ファスト教養」という言葉を使っている彼ら自身が、その意味でのファスト教養になっている、と堀元さんは言う。二人はこの自己言及的な構造を「美しい」と笑い、そういう人を見かけたら「アートですね」と返せばいい、と冗談を言い合った。
議論の整理――「頭がいい」はマジックワードである
締めくくりに水野さんは、今回の議論を整理する。まとめれば「人それぞれ」という話になるが、自分が得た気づきは、「頭がいい・悪い」はマジックワードであり、相手をののしるために使ってもまったく良い結果にならないということだ。だから「頭がいい」「頭が悪い」とはあまり言わないほうがいいと思った、と水野さんは述べる。堀元さんから「めっちゃ言ってる」と指摘されると、水野さんは今後は「いいアイデアだ」のように言い換えると応じた。
さらに、「頭がいい」が指す対象はばらばらで、人々の使い方の共通点をくくると「グッド」くらいの意味しか残らないこと、その中で答えを見つける速度については速さに偏って評価されているのではないかということを挙げた。個人的に最も面白かったのは、堀元さんが紹介した『モヤモヤする正義』の論点、つまりレトリックで論証すると、より強くうまいレトリックが出てきたときにひっくり返されるので、安定して良い社会であり続けるのが難しい、という点で、これまで考えたことのない視点だったという。
自分たちの番組を批判的に見てほしい
そこから二人は視聴者への呼びかけに移る。ゆる言語学ラジオやゆるコンピュータ科学ラジオがレトリックで何とかしている場面には、手厳しい批判をもらえると嬉しい、と水野さんは話す。Xで「ゆる言語学ラジオは本当にすごい、頭が良くなる気がする、教養も得られる」と褒められているのを見ると、そんなにいいものではない、と思うという。堀元さんも、面白がって見てもらい、本を買ってもらえれば十分だと応じる。嬉しい感想は「頭が良くなった(気になった)」よりも「あの後本を買った」「大学でちゃんと勉強するようになった」というもので、「この人たちは本当に頭がいい」と言われると素直に喜べないので、眉に唾をつけながら聞くくらいがいい、と二人は話した。
難しいことを学ぶ副産物と、あえて苦手な分野に入ること
最後に水野さんは、例えの危うさや頭の良さの多様性に気づいた最大のきっかけは、難しいことを勉強しようとしたことだと語る。水野さんにとってそれは生成文法だった。大学時代から難しそうで逃げ続けていた分野だが、幸い二人の活動に好感を持ってくれた先生がそれを研究しており、その先生と仲良くなりたい、何を考えているのか知りたいと思って勉強した。生成文法の知識そのものは社会や生活の役に立たなくても、それを学ぶことで得た世界の見方や学問のフレームワークがとても大きく、副産物として実際の利益があったという。
堀元さんは、それこそ大学の本質だと応じる。専門分野を一つやるのは、その分野を今後生かすためではなく、そのために必要な作法や考え方、忍耐力に意味があるからだ、という考えだ。水野さんは、それは究極的には学問でなくてもいいと考える。料理の学校で突き詰めても、「この焼き方のとき本当はもっと複雑なことが起きているが、ざっくり言うとこうだ」といったことはあらゆる分野にあり、一つを突き詰めれば同じような学びを得るのではないか。堀元さんは、競馬にはまりすぎた友人が、勝つ方法を考えるうちに確率密度関数やAIによる予測モデルを作ろうとし、数学科の大学4年生がやるような数学を勉強していた例を挙げた。
水野さんは最後に、本当は自分があまり入っていけない分野のほうがいいのだろうと付け加える。普通に生活していたら生成文法を学ぼうとは思わなかったが、仕方なく取り組んだ結果として得るものがあった。逆に、自分が理解しやすい分野ばかり学んでいくと、今までの世界モデルが補強されるだけになる気がする。負荷は大きくても、「本当はこのタイプの論証は好きじゃない」と思うものを突き詰めたほうがいいのかもしれない、と水野さんは話す。堀元さんは、二人ともまったく興味のない趣味を始めてみようかと提案し、水野さんは小学生の頃にブックカバーを大量生産していたほど裁縫が好きだったと話した。二人は視聴者に、自分たちがやったら発見がありそうな趣味や、学んだほうがいいものがあれば教えてほしいと呼びかけて、この回を終えた。
ゆる言語学ラジオ。本日は城崎温泉の旅館にてリバービューを望みながらお送りしております。我々の顔を見せるのは諦めたスタイルでお付き合いください。景色の方がいいですから、僕らの顔より。
でさ、ずっと前から堀元さんと議論したいなと思ってたことがあるんですけど、「頭がいい人は説明もうまい」っていう言説。よくTwitterで見るやつだ。ありますよね。よく論争になってるよね。
で、僕はこれ反対なんですね。というのも、昔僕はどちらかといえば説明がうまかったと思うんですけど、今もだと思うけどな。勉強すればするほど下手になってってるなっていう。歯切れはどんどん悪くなってってるよね。感覚があり、でも昔に比べたら今の方が多分頭は良くなっていると思いますね。っていう意味で、僕は本来であればむしろ逆、てか反比例の関係にあるのに。頭が良ければ良いほど説明は下手になる。そうですね。とか、知識を知っていれば知るほど説明は下手になると思ってるんですけど、なんかそれが一般的には逆に理解されているのが気に食わないと思ってるんですけど、堀元さんどう思います?
僕ね、水野さんの言うことも分かるけど、僕は賛成で行きたくて。頭がいい人は説明もうまいのだと。それってさ、知識がいっぱいあった上で相手の知識レベルに合わせて適切な比喩を出すとか、一旦こう理解してもらえれば大丈夫ですってやってくれることって頭がいいことだなって思うから。ああ、なるほど。だから、それは頭がいい人は説明もうまいって言えるんじゃない?
ああ。だから今の堀元さんの論に従うと、僕はアホで説明がうまい人だけを取り出して話している。ああ、そうだね。けれども実際には知識も非常に多いのに説明がうまい人がいるのだから、水野さんの反比例関係は成り立たないのではないか。そう。知識が少ないから過剰に単純化して喋ってしまっているだけのケースと、知識が多くて一旦方便として単純化して喋ってるケースがあって、わしは、この人は頭がいいから説明もうまいって言われてる人は知識が少ない人ばかりだと思っとる。
あれ、ひろゆき批判ですか?え、別に。ひろゆきさんのことですよね、それは。いやいやいや、フランス住んでてすごいなと思って。褒める要素。え、フランスに住んでること?褒める要素?そうそう。でね、ビール飲みながら喋っててすごいな。あの、鼻かむ時ちゃんとミュートできてすごいなと思ってる。あ、そうなんだ。毎回鼻かむ時はね、ミュートにしてくれるからみんなが不快にならなくてすごいなって俺思ってます。
ま、特定の個人がどうのではないが、世の中の人が「説明がうまい」って言ってる人って、なんか学者とかに対して使ったりはしてないよね。ああ。でもさ、池上彰さんとかってさ、多分知識もちゃんとあるんだけど、このバラエティで喋りたいことはこれだから、ここまでみんなに理解してもらおうって多分絞って持ってきてる。ああ、池上彰さん確かにそうだね。だから池上彰さんは頭が良くて説明がうまい人じゃないですかね。確かにそうだね。
だから多分ね、インターネットでよく言われる「頭がいい人は説明もうまい」っていうのはかなり乱暴で、頭がいい人で説明がうまい人もいるし、頭が良くない結果説明がうまい人もいるし、あと頭がいいけど説明がうまくない人もいるよねって話ですよね。コンテンツとして面白いんですか?この話は。
あ、だから分かりました。すっごいいい結論言うんですけど、人によります。これやっぱ完璧な結論。引きがある、YouTube的に。すまんねえわ、こいつ。議論の甲斐ないわ。今日のサムネそれです。みんな違ってみんないいです。
分かった。じゃ、お前みたいな相対主義者に1つ論点を提示すると、この説、本当に色々調べた結果歯切れが悪くなってる人を評価しないという意味で社会にとって有害だと僕思って。ああ、なるほど。真理がどうかみたいなことはとりあえず置いといて、そもそもこの言説が広がると社会が悪くなるんじゃないか。
つまり僕は色々勉強していった結果、一概には言えないってことを経験によって理解したんですね。で、その結果、歯切れが悪い例えば大学の先生とか見ても全然何とも思わないんですけど、この経験をしてない人からすると説明が下手な研究者って頭が悪い人にしか見えないってことです。そうなるね。これをどう思うのか、これは社会にとって有害なのか、それとも今後の日本はどのようにしていくべきなのか。ちょっと待ってください。スコープが広くなりすぎた、急に。急に今後の日本を憂い始めちゃったから。
そこについて考えていきたいというか、この説はやっぱり誠実にやってる研究者を蝕んでいくってのが。そうそう。それはね、俺も同意見で、それ全く別軸の話だから、お喋りがうまいのと賢いのは。だからたどたどしく説明しちゃうとか躊躇してる人をアホだと思ってしまうのは良くなくて。でもTwitterの文脈だと大抵そうだよね。そう。この研究者って何言ってるかわかんねえな、頭悪いんだろうって言うっていう。だ、それ良くないっすね。
そう。「頭がいい人は説明もうまい」という言説が、「頭が良ければ必ず説明もうまい」になっちゃってるね。そう。で、そうするとそのもちゃもちゃ喋ってる人は頭が悪い人なんだっていうフレームでしか理解できなくなっている。だからこのフレーミングがすごい世界の正しい理解の仕方から遠ざかっちゃってるなっていう感じがするんですよね。
はい。だから結局みんな例外のない法則だと思っちゃってるわけじゃん、「頭がいい人は説明もうまい」が。でもそれ傾向の話だから。頭が悪い人に比べれば頭がいい人の方が適切に事実をかいつまんだり例を考えたりする能力が高いから傾向なのであって、別に必ずしも説明がうまいわけじゃないですよって言っていければいいよね、多分。
そうですね。だから1つ、今ここまで喋って出てきた論点としては、人間の認知バイアスの1つとして、傾向を絶対的な法則だと思いたがると。例えば男性は女性よりも背が高いので背が高い女性はいないんだって思ってしまうみたいなね。そんなことはないよ。そんなことはないのに、みたいなことが、その男女の身長とかだったらそんなこと起きないんだけど、研究者とか色んなジャンルで物事見てる政治家とかね、そういう人たちを例外なく頭が悪いっていう風に思っちゃうのは問題だよねっていうのが、まず1つ論点としてありそうですよね。
そう、だから何事にも例外はあるっていう話ですかね、これはね。なんでお前はそんなつまんねえまま生きてんの。一遍死んでから。人生を否定されてしまった。ごめんなさい。ちょっと面白くなっちゃった。この当たり障りないこと言うの面白くなっちゃって。そう。川を見てるから心がいつもより穏やかかもしれない。時と場合によるって言ったら全部そうなんだよ。そうね。ラジオが何にも発展しなくなってしまう。
だから本当にゆる言語学ラジオがさ、そのドグマに抗ってると思うのよ、世の中で。説明が下手だったらこの人は頭が悪いんだって思われてるのに一石を投じてるというか。歯切れの悪さを楽しむっていう、ま、堀元さんのその思想は僕はその意味ではすごい賛同しますけど、一方でゆる言語学ラジオを見て、あ、説明がうまくて頭いいんだっていう風に思われちゃうと良くないよね。そう。なんか、だから先ほどの説に抗ってる部分とそれを増長してる部分の両方がある。あるね。
だからあれじゃないですか。島村先生にもっと出ていただいて、この人あんま何言ってるかわかんないなっていうのをいっぱいやった方がいいんじゃないですか。そう。島村先生とかってマジでその僕が何遍読んでも理解できないこととかを理解しているわけです。で、しかもま、もちゃもちゃ歯切れ悪く喋るんですよね。「ま、そうやな。それ一概にはそう言えんけど、ま、それでいいよ」みたいな感じで。ああ、「何て言うんやろうな、これ。日本語で何て言うんやったっけな」とかになってるもんね。それはね、あの、日本語で覚えてないわけですね、多分。
で、あともう1個あるのは、専門家が専門の内容について聞かれてる時ってのは結構実も問われてるってことですよね。そのフレームを持ってないと、詳しいんだからスパッと答えてよって思うと思うんだけど、彼らは例えばちょっと間違ったこととか、その分野の人だったらまず間違えないような失敗をした場合、一気にそのキャリアとかに響いたりするわけですよね。周囲の人から白い目で見られるとか。だから研究者に専門の内容について聞くって、実は向こうにちょっと銃口を突きつけてるみたいな部分もあって、ま、だからこそ留保をつけて喋ってるんだけど。
その事実に気づいたのも僕ゆる言語学ラジオやってからなんですよ。ああ、そうか。周囲に研究者がいなかったから、むしろ専門のことだからスパッと答えられるんじゃないの?知識いっぱい持ってんだしって思っていて。僕がだから24歳ぐらいで気づいてなかったことが30歳になって分かるようになった話をしてるので、周囲に研究者がいない人だったらなおさら知らないってことあるんじゃないかなって思ってるんですよね。
俺もその事実さ、自分で本書いてる時に初めて気づいてさ。面白いことを主張する時って研究結果とか応用して喋るわけよ。例えば有名なので言うとアッシュの同調実験。すげえ簡単な、これと同じ長さの棒はどれでしょうっていう誰でも外さない問題を答えさせるのに、サクラを大量に入れてみんなに間違わせると。で、全員間違ってる状態で被験者に対して、はい、君はどれが同じ長さだと思うって言ったら、ついみんなと同じ間違いのやつを選びたくなる。絶対これだって答え分かってるのに間違うっていう有名な実験あるじゃない。
だから面白いこと言いたい人ってさ、この実験を応用して、同調圧力の力ってこれだけ強いんだよと、だからこんな間違った意思決定が行われたんだよっていう。例えばその広告代理店の大人がいっぱい集まってめっちゃ炎上するCM作っちゃったのあるじゃない。あの、Mrs. GREEN APPLEの「コロンブス」がめちゃくちゃ差別的だっつって炎上したやつとか。あれなんでこんなに広告代理店の大人がいっぱい関わってるのに誰も止められなかったんだろうって話になった時に、同調圧力っていう強いものがあって、1人が行けるよって強く言ってたらもうみんなが同調しちゃったんだろうねって。これ結構さ、それっぽく聞こえるから、僕とかひろゆきさんとかはためらわずやるわけよ。賢そうに見えるし。
でも多分本職の心理学者の人とかって、ま、これに関してはね、あの、棒の長さを示すっていう極めてシンプルなタスクについてはこの実験は言えるけど、このCMは人種差別的であるっていうことを言えるかどうかってのはまた別の問題だから、一概には言えないって、多分言えないと思うのよ、これ。だからさ、元の実験をどこまで抽象化して勝手に使うかっていうのが、プロと素人だとやれる範囲が全然違うから、そこの制約もあるんだよね、プロって。
そうですね。特に例えば生物学者って、動物の生態とか、ま、実験結果から得られたものを人間社会に応用するっていうのって非常に厳しく多分指導されてるんですね。抑制的になると。ま、これ自然主義的誤謬とか言いますけど。猿はこうなんだから人間もこうすべきだっていう言論めっちゃ危ないからね。はい。で、だけどなんで自然主義的な誤謬をしないようにって抑制的にされてるかっていうと、したくなったり聞かれるからだと思うんですよね。
例えばメディアとか人とかに、え、アリのこと研究してるんだ、アリ社会見て人間ってどう生きるべきだと思う?みたいなって言われそう。酒場の話としては面白いじゃないですか。でも彼らは学者だから「学者がこう言ってた」になっちゃうわけじゃないですか。で、それから、ま、生物学に関しては、例えば進化論を社会に応用した社会ダーウィニズムとか、そういう悪い応用のされ方をされた反省の歴史があるから余計に気をつけてるわけですよね。そうだね。だって自然界を観察して、劣った個体がいなくなることによってどんどん種として適応していくんだっていうものを人間に当てはめようとすると、障害者差別とかいろんなものに繋がってくわけですもんね。
そうですね。っていう反省の歴史も踏まえてそうしてると思うんですけど、それ知らない外の人間からしたら、研究者がなぜか面白いことを言ってない、使い放題の知が落ちてる場所みたいになりますよね。そうだね。だから、やった、金埋まってるっつって、つるはしを持ってみんな駆けつけてくるわけですね。そう。動物のことバーって勉強して、よし、この動物のことを人間に引き寄せるとこうだって言いまくれる余地が残っちゃってるように見えるわけですよね、勉強してないと。
で、逆に学者というのは、つまらないのか頭が悪いのかわからんが、そういう面白い知があるのに人間社会への応用を怠ってきた人みたいに見えるわけじゃないですか。それどうやねんっていうのが、やっぱちょっと僕は引っかかっちゃいますね。
ちょっと今の話を聞いて結構僕にグサグサ刺さっておりまして。僕あの『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』って本こないだ出したんですけど、あれがすごくてですね、前書きで、皆さんはこの本のタイトルを読んで何をバカなと思っただろうと、下ネタで賢くなることがあるわけないだろうと思ったんじゃないかと。違うのだと、これが真実であることを示唆する実験があるって言って、あの神経学者のベネット・ロイナーが行った実験によると、マウスに性的刺激を与えるとニューロンの生成が促進されたという結果があると。つまり下ネタは人を賢くする可能性があるって、もうむちゃくちゃ書いて、あの、やってます、僕が。バカじゃねえの?シンプルにバカじゃねえの?
だからむちゃくちゃなことを主張するっていうのを、ま、僕はやっておりますし。でも抑制的じゃなかった。なんか応用できるかどうかわからないってことは、一応その後ろで、ま、人間に言えるかわかんないですけどね、とは書いたけど、ま、いずれにせよ僕はむちゃくちゃ言うってことをやりましたし、さらに言うとですね、この下ネタ大全がこないだコミカライズしまして、漫画版が出たんですよ。で、その漫画版の中では、マウスに性的刺激を与えると賢くなる可能性があるっていうのに対して、漫画家の福岡太郎先生が絵をつけてくれてるんですけど、福岡先生にあのマウスにヘッドフォンつけさせて、ざこざこっていうメスガキの音声にしました。
もうベネット・ロイナーが行った実験からどんどん乖離していって、バカじゃねえの。シンプルだ。そうなのよ。大人2人、30過ぎた大人2人がこんなものを作ってしまいまして。これだけ読んだ人は、神経学者がやった実験がメスガキ音声をマウスに聞かせることだと誤解する可能性あります。読者もバカだとしたら。あれを見てジョークだと思わない読者はバカです、それは。
いや、だから難しいよ、これ。何層にも及ぶ翻訳が入ってて、それを適切に喋っている学者はバカだと思われて、むちゃくちゃを言って面白いこと言ってる人は賢いと思われるって。これ結構深い問題ですね。そう、だから学者はまず不当に低く評価されていると思うし、それに学者は大きい声で反論しづらいという構造があると思うので、僕が言います。違います。
そうね。素晴らしい。この中でもさ、それ結構言われてたじゃん。そのむちゃくちゃなデマというか、そこまで全然実験結果から言えないけどなっていうことを言うやつ。こうするとコロナウイルスは死ぬぞって言ってるやつはバズるし、で、それを訂正する学者のツイート、今分かってるのは実験室のこういう環境でこうした時にこうだって話だから、もちろんあなたが言ってることを示唆する結果ではあるんですけど、まだ全然検証されてないですよって言ってるやつとかはバズらないっていう。素人がかなりいい加減な一般化をしたものはバズり、学者の正しいのはバズらないって昔からあるから、それに抗っていきたいですね。そうなんですよね。
ここまでさ、頭がいいってのをなんとなく、学者は頭がいいっていう前提で喋ったけど、そこに疑問を持ってる人もいると思うんですよね。例えば学者だったら必ず頭がいいのかとか、学歴が良ければ頭がいいのかとか、あるいはすごいビジネスをした人の方が頭がいいんじゃないかとか、多分そういう反論ってありえると思うんですね。
実は我々、頭がいい、頭が悪いっていうワードに関する議論は、ゆる言語学ラジオではない場所でしたことがありまして、それがポッドキャストの「ウェンズデーホリデー」という番組ですね。うん、出させてもらった時ですね、ゲストで。その時のテーマが「頭がいい、頭が悪いって何?」っていうテーマだったんですけど、その時もホストを務めてるアナウンサーの堀井美香さんと、頭がいいの定義とか結構すれ違っていたんですよね。そうだったね。
で、僕はその議論と、それから堀井さんがその回を受けて別のポッドキャストの「OVER THE SUN」っていうので、その議論の続きを相方のジェーン・スーさんと一緒にしていたんですけど、その一連の議論を聞いて思ったのは、頭がいいっていうワードが指してる対象が個人によって違いすぎて、議論する時に使える有効な用語ではそもそもないなって。
分かる、分かる。めっちゃすれ違うよな。知識いっぱいある人が頭いいって思ってる人もいるし、いわゆる地頭がいい、論理的演算能力があることを頭がいいって言ってる人もいるよね。そうですね。言語能力が高いことを頭いいって言ってる人もいれば、僕はさっき専門を深く持ってる人が頭がいいっていう風に仮定しましたけど、逆にものすごく広くいろんな分野を見てる人は頭がいいって思うかもしれないですよね。そうだね。頭がいい人の特徴論って意味ないのかもしれないな。
その「OVER THE SUN」の中でジェーン・スーさんは、外堀を作れるというか、なんか仕組み化できる人、例えばプロジェクト始めた時にうまく回る形に側を整えてくれる人を頭がいいっていう風におっしゃってて。ああ、それが頭がいいか。だいぶエキセントリックな定義なんで、それは。で、聞く限り多分、ペーパーテストができるとか、例えば言語化が早い・うまいとか、そういうものをスーさんは頭いいってカウントしてないように感じた。
ちなみに堀井さんはお茶汲みができる人って言ってました。え、違いますよ、多分。お茶汲みができる人は頭がいいのにはならんよ、多分。え、なるのかな?なんてこと言うんですか、堀井さんに。確か僕、堀井さんのラジオに出させてもらった時から堀井さんをディスり続けていたから、今瞬間でディスってしまったんですけど、でも、ま、その定義もあっていいでしょうね、おそらくね。
はい。ま、あとは堀井さんは僕らと共演した際に、あの2人がすごく頭良かったっていう文脈で名前を挙げてくれていて。で、それがそのまま、まず早いと。会話のペースがすごく早くて、私がこう考える論点の2個先とか3個先をポンポンポンポンやってるせいで追いつけなかったんだっていうようなお話をされていて、多くの人が頭の回転が早いっていうことを頭がいいに加えてるのは、ま、実態としてありそうですよね。ま、僕はその風潮に抗いたいですけど。
そうだね。いや、あとね、一般に早い人って確かに仕事できると思うのよ。会議の場ですぐ論点見抜いて、それこうした方がいいよとかいう人は仕事できるから、ま、なんか頭がいいに繋がりやすい気はするんだけど、僕やっぱね、人類の中でもトップクラスに早いであろう水野太貴という男といっぱい時間を過ごしてるから、これよく分かるんですけど、水野さんってむっちゃアホなんですよ。え、あれ。あのね、すごい早いアホなの。すごい早い。堀元さん、すごい早いアホで。聞いてる?こんなこと言われてるよ、俺。
いや、今ね、城崎温泉をちょっと観光してたわけですけど、今日1日だけでも、すごい早いアホだなこいつって思うシーンいっぱいあって。もうめちゃくちゃ綺麗な景色を見ながらクラフトビールを飲んでね、水野さんが「うわあ最高だな。That's so bad」って言って、「あ、goodか」ってすごい訂正してて。そう、すごくない?これ。goodって言おうとしてbadって言ってたんでしょ?そう、いいなって言おうとして悪い。引き出しの隣にあるからね、それ。すぐ言い直したじゃん。
だから、あの、これすごいんですよ。普通の人はゆっくり喋るから「いやあ、最高だな。That's so good」って言うぐらいの時間で、「いや、最高だ。That's so bad、いや、違う、goodか」って訂正で追いかけて最後追いついてたから。これさ、早いアホじゃない?え、俺その「うん」とか言えないよ。早いだけのアホですよ。早いだけのアホじゃない。
で、その直後にさ、揚げパンの店みたいな、めっちゃうまそうな店に行ってさ。で、そこ入って「うわあ、キッチン広い。あ、鏡か」って、すぐ訂正してた。それもそのキッチンが鏡で2倍あるように見えてたから、すごい広いって感動して、爆速で「鏡か」って訂正する早いだけのアホですよね。俺お前よりでも1回多く感動してるからね。店広いと思った分だけ。そのロスをむしろ羨めよって思います。人生が豊かであるとも言える。そうだよ。ですよね。
だから何が言いたかったかと言うと、水野さんって喋るのが早いんだけど、でもその分間違いも圧倒的にしてて、大概、多分会議とかでめっちゃ早く論点見抜く人もそれな気がすんだよね。すごい速さでなんか論点にたどり着いてるように見えて、全然見当違いなことよくあって。堀元さんも自分の会社の会議でそうだって言ってたよね。あ、そうです。僕もむちゃくちゃあるんだけど、それって根本的な問題としては何々なわけじゃんと、だから何々したらいいんじゃないのって喋り終わった後に、あ、違うわ、根本的な問題は何々だと思うわって自分ですぐ変えるっていうのやってます。
みんなどう思ってるか知ってる?その時。早いだけの…あ、本当ですか?もしかして。時間を返してってみんな思ってると思うよ。社長だから言えないけど。あ、みんな気い使ってるけど、脳内では早いだけのアホだな、時間返せって思われてるんだ。だからそうですよ。僕も水野さんと一緒で早いだけのアホで。早いがやっぱ過剰評価されてる感じはするよね。
そうなんですよね。だから「OVER THE SUN」で堀井さんが僕らをこう評価してくれた時にも感じた違和感の1つはそれで、早いのが偉いって誰が決めたんだろうっていうのがまずありますよね。そうだね。しかも早いだけのアホって会話のターン取ってるからみんなの時間奪ってますからね。10人出席してて堀元さんが30秒喋ったら10×30だから300秒取ってるわけだから、合計5分間奪ってることになりますよね。そういうことだ。カラオケでめっちゃ曲入れるやつみたい。あ、そう。あれやめて。だから迷惑っちゃ迷惑ですよね。そうなのに、なんかそいつ評価されてるじゃん。変ですよね。
ただ、どうした?これ僕はちょっと文句も言いたくて、水野さんがね、やっぱ自分を卑下する傾向にあるから。水野さんが早い族に入ってるせいで、早い族をこう必要以上に下げてる気もして。実際僕にせよ水野さんにせよ、比較的早く70点の答え出すの得意だと思うのよ。普通の人が70点出すのにかかる時間1分のものを6秒ぐらいで出すのに多分かなり長けている。で、それはそれで素晴らしい能力だと僕は思って、それを頭がいいって形容しても何ら問題はないと思う。だから早いことは偉くないって水野さんが言いすぎてるから、今僕は逆張りをしてるんですけど、早いことも偉いと思う、僕は。なるほど。
で、それはそれとして、じゃあ俺ら多分100点出すの苦手じゃん。ま、僕は結構得意かな。そうかな。俺そう思えないんだ。水野さん見てて、早く70点出すの得意だけど、100点を2日かけて出すのはあんま得意じゃない気がする。でもその「That's so bad」って1秒以内に「That's so…」って、100点出しましたよ、その後。ちょ、違う。お前の100点、低すぎるハードルが。そう、すごいいいなっていうことを「That's so good」って英語に直せたが100点じゃないですよ、全然。あ、そうなの?全然です。それ違う違う違う。そういう話してるんじゃなくて、民主主義とはどうあるべきかみたいな問いに対して良い答えを出すみたいなの苦手だと思うよ。あ、そういうやつですか。それはま、確かに苦手かもね。
そう、そう。だからそれが得意な人も多分いて、みんな違ってみんないいって話です、これは。ただって言って、最後何て言った?みんな違ってみんな…何そのつまんね。面白さ全部引かれた。型だけね取り入れて面白くなりたいって強く思ってたのに、「ただ」って言って「人みんなそれぞれやな」ってつまんねえ。
その、ハワード・ガードナーだっけな、っていう研究者が知能には何種類かがあるんだっていうようなことを言ってるっていう話をね、聞いたことがあって、ヒューリスティクスを使って早くそれなりの回答を出す人が頭いいんだとしたら、じっくり考えてそいつらの答えよりももっといい答えを出す人も頭がいいんだと思うんですよね。そうだね。でもなんかそれが早くて70点に停滞してるなっていう問題は、やっぱり変わらずある。
あともう1個思ったのはさ、この合宿中に僕が今読んでる『モヤモヤする正義』って本の中で、現代はレトリックが力を持ちすぎてるって話がめっちゃ出てくんの。なるほど。社会運動する時にみんなレトリックを1番の武器として使っちゃうから、明日にも飢餓で死のうとしているアフリカの子供がいるのに、あなたは食べ物を無駄にするのか、みたいなレトリックがめちゃくちゃ多用されると。それさ、人の心を動かすストーリーではあるんだけどさ、理屈としては変じゃん。
というのは、今自分が食べきれないやって言って飯残すのって、そのアフリカの子供を殺してることにはならないじゃない。で、それってもっと大きな流通とかの話であって、自分が飯を食い終わるかどうかにはあんま関係ない。だから論理的にはあんまり整合してなくても、レトリックで人の心を動かして最終的に社会が良くなればいいじゃんっていう社会運動家がめちゃくちゃいっぱいいると。つまり方便だって捉えてるってことですね。そう。だから喋ってる内容自体はあんまり真実じゃなくてもよかろうとみんな思ってる。それは最終的にたどり着く結果が、飢餓で死ぬ人を減らすとか差別を減らすとかならいいだろうって思ってるんだけど。だから過程じゃなくて結果にフォーカスしてるわけですね。そういうことです。
でも著者はそれ良くないぞって言ってて、なぜなら結局それレトリックの力で戦ってるだけの戦争だから、それで仮に差別がちょっと減ったとしても、逆のレトリックが強いやつが出てきたらまた差別がむちゃくちゃ増えると。いい視点だね。結局だからレトリックって世の中をいい方にちゃんと進めていかないんだと。いい視点だね。それすごくない?この視点。俺結構感動して。鋭いね。
それに比べて真実を探す営み、データを見たりとか、じっくり理屈で考えて、こっちの方が正しそうだなってみんなが結論出していくのって、後ろには下がらないから。今んとこ出てる材料だとこれが正しいよねっつって、そうだそうだって議論を進めていく時は、反証するデータが出てきたらまた話変わるんだけど、逆の強いレトリックが出てきたとしても、いや、ここまでの結論は論理的に出てるから変わんないよねって話になるから、正しく社会を進めていくのはレトリックではなく正しさだって言ってて、これ僕めちゃくちゃ腑に落ちたんすよ。なんかレトリックだけで押し切ろうとしている反差別の人っていっぱいいて、僕それ気持ち悪いなってここ3年ぐらいずっと思ってたから、その気持ち悪さの理由が分かってめっちゃ気持ちよかったんですよね。
えっとね、2点今の話に対して思うことはあって、1つは一部の社会活動とかってデータに出にくいことについて争ってるケースがあると思うんですね。例えば家事労働ってGDPに出ないって有名な話がありますよね。で、それがハウスキーピングさんに頼むと売上になるわけだから経済活動として捉えられると。で、そうすると、GDPっていう、言うたら家事を可視化しない指標を元のデータとして社会を設計しようとすると、それは差別を温存した社会体制がそのまま残るんじゃないかって思ってるから、多分社会活動家の人とかはデータに頼らない論証をしてるっていう面がまず1つあると思います。フェミニズムなどで典型的に見られる構造だよね。そうですね。
だから一見堀元さんの論は正しそうに見えるんだけど、一方でそんなことは分かった上でやってんだよっていう人はいるとは思うので。僕はその2つって別に矛盾する話ではないと思って、その『モヤモヤする正義』の著者が言いたいことって、レトリックだけで押し切るんじゃなくて、それを言ったらいいじゃんと。この家事労働って今データに出てきてないんだから、それが問題ですよねと、これを何とかできるデータを取らなきゃいけないんじゃない、みたいなことを言っていくべきっていう話だと思うんですよね。なるほど。はい。アウフヘーベンしましたね。っていうことだと思うよ。それは賛成ですね、僕も。
僕もね、じゃあフェミニズムの本とかを読んで思うのは、僕に全然馴染まない論だなって思うんですね。で、これは仮説ですけど、世界にはデータで論証して欲しい人とエモーションで論証してほしい人がいると思っていて、フェミニズムの本の論証って結構エモーションとか、ま、レトリックで来るわけですよね。で、それ…のことが多いね。データの本も結構あると思います。あ、ごめんなさい。そうですね。僕が今まで読んできたものは結構エモーションで来るものもそれなりにあった。そうだね。
で、それはさっき言ったように、データだったらいい主張にならんというか、データとの相性の悪さがそもそも実現したいことにはあるっていうのから、そのような論証が出てくることは自然だと思うんですけど、一方でなんか僕みたいなデータ大好き人間がやっぱなかなかこう入っていけないっていう問題があって、なんかここが1つ、ある主張とそれに全く反対する主張の人たちの話が噛み合っているようで噛み合わない。そうだね。
で、もっと言うと、僕はここに科学・非科学とか文系・理系みたいなラベルが乗っかっちゃっていて、例えば文系のやつは頭が悪いとか非科学的な論証だみたいな風になって、ディスコミュニケーションが生まれてると思っていて、実はちょっと本気で作ってる本で、まさにその問題についてもう少し両者が架橋するような本をある先生に書いてもらおうと思っているので、そのテーマは僕今後追いかけ続けることになるだろうと思っているんです。データとエモーションの人が対談して歩み寄るみたいなことですか?あ、そんな直接的にど真ん中そのテーマをやるつもりではないんですけど、ある書き下ろしの本の中でそのような論点も加えたいとなっているっていう感じですね。
なるほど。じゃあ、それが水野さんの気になったポイント1だとして、2点あるって言ったけど、もう1個は何すか?これは前回インプット奴隷中に撮った回でも少し喋ったんですけど、世界は例えの危険性を理解してなさすぎるとも思っていて。あ、ドーキンスの。はい。『利己的な遺伝子』を読んだ時に、ドーキンスが例えたせいでめっちゃ誤解されてブチギレてたっていう話をしたんですけど、これは僕の中学高校ぐらいの時の理解から30歳になった自分の理解が大きく変わった。だから僕のちょっと成長の話をしたいんですけど。
高校生の頃、僕、飲茶さんっていう作家さんの哲学の本すごい好きだったんですよ。『哲学的な何か、あと科学とか』ですかね。そうですね。ま、僕は最初『史上最強の哲学入門』っていう本から入ったんですけど、マジで分かりやすいんですよね。面白いよな、飲茶さんの本。うまい、筆が。で、彼はやっぱり例えの名手。で、しかもそれが、AとBって構造が一緒ですよねとかじゃなくて、ある哲学者が主張してることを追体験させる例えを持ってくるのがとにかくうまい人。「その時のタレスの主張は衝撃だった。だってそうだろう。世の中はまだこうなんだ。そんな中で彼がこう言っているんだ」って。めっちゃうまいよな、あれな。なんで飲茶さんの文を口で喋んの。「だってそうだろ」言う。めっちゃ言うよな、「だってそうだろ」。めっちゃ出てきます。
で、僕は飲茶さんの本を読んで哲学が面白いと思ったから、他の哲学入門みたいな本を読んだんだけど、全然飲茶さんほど分かりやすくない。わかる。てか、ま、研究者が書いてるものとかを読んだからね。なんかむずってなって、面白くねえなとか思っちゃって、哲学に結局はまらなかったんですね。で、正直その時は、飲茶さんはすごい、哲学者はうまくない、下手だ、説明が分かりにくいって思ってたんですけど。すごい。頭がいい人は説明がうまい論にどっぷりですね。まさにそうですね。
で、この年になって分かったのは、飲茶さんの説明って分かりやすいけど正確性を捨ててると思う。そうだと思います。で、僕は別にそれで飲茶さんがやってることが良くない、悪かったって言いたいわけじゃなくて、別の役割だと思うんですね。そうだね。入門者に分かった気にさせて面白がらせるって、それはそれで意味あることだと思うから。はい。でも高校生の僕はそれが分かってなかったので、例えてない本とか、例えたけど分かりやすくない本の意味がわかんなかったんですよね。だって俺が面白いと思わないんだから、それをっていう。
で、ゆる言語学ラジオやって言語学のこと色々例えてみた結果、例えることで失われるディテールとか、研究者が本来の部分はこういう議論があるんだけどって部分を捨ててることに気づいて、あれ、思ったより危ねえなって思ったんですよね。でもさ、僕みたいな活動してなかったら、さ、飲茶本大好きモデルのまま成長し続けてる人もいると思うんですよね。そういう人たちに「例えてね、本質をちょっと見失っちゃう部分もあるからね」っていう月並みなよくある説を聞かせても、あんま伝わんないと思うんですよね。あ、そうなんだ。でも、ま、実際例えた方が分かりやすいけどなと思うので。
なんかそういう人たちに、例えるとこういうディテールを失うよっていうことを追体験させられるものがあるといいんですけど。例えればいいのか、それ?えっと、例えていった方がいいと。例えにはそんなデメリットなんかないんじゃねっていう人たちに、例えるとデメリットがあるよってことを伝えたいんだけど、うまくやらないと伝わらないから、例えばいいのかなって思ってます。でもその例えたことによってデメリットが生じるよね。あ、でもそのデメリットが生じてるっていうことも例えて伝えた方がいいから、その例えによってデメリットが生じるよっていうことの、例えのデメリットの例えが必要になりますよね。あ、そうかそうか。だからそうすると、例えることのデメリットの例えの例えることのデメリットの例えの例えることのデメリットの例えを伝えなきゃいけないのか。そうそうそう。
世界ってその亀の背中の上に乗っていて、その亀はさらにでかい亀の上に乗っていてっていうことらしいっすよ。あ、そうなんだ。そうそうそう。世界ってそうやってできてるらしいわ。ま、球体のはずがないもんね、どう考えても。変なとこ行ったな、急に。例えの危険性の話から。でも僕は確かに例えることの危険性って、例えで理解してなくて、勉強して知ったんですよ。
そうだね。あと俺も1個可能性ある気がするのは、人の間違いを突くことを喜ぶ人間になればいいと思うんだよ。お、それ俺持ってない視点だ。どういうことですか?俺これインターネットで理屈っぽいことを発信し始めてから気づいたんだけど、一般向けのサイエンス本とかで間違った記述しちゃってるやつとかを発見すると嬉しいのよ。これ多分共感してくれる人結構いるんじゃないですかね。誤植とか見つけると嬉しくない?ああ、それはまありますね。ここ字間違ってるなとかで発見すると、なんとなく勝った気になるっていう。
それをサイエンス本とかにもやればよくて、なんかこの人簡略化のためなのかミスなのかわかんないけど、こここうやって説明してるけど本当はこうなんだって思うの嬉しいし、なんだったらそれをね、オタク特有の知識ひけらかしでね、本ではこのように記述されてるけど実際にはこうなんだぜって言って、なんか賢くなった気になるっていうこの趣味を持つことで、あ、こんなにみんな捨ててるんだなってこと分かるようになると思うんですよ。それはご自身が作ってるゆるコンピュータ科学ラジオに対する何かしらの皮肉を含んでます?
でもマジでそうでさ、ゆるコンピュータ科学ラジオは何も合ってないです。え、例えてるとかじゃなくて。何も合ってないです。え。言いすぎました。間違いました。今の「捨ててる」はちょっとリップサービスで言いすぎたんだけど、ゆるコンピュータ科学ラジオもよくやってるのは、なぜほにゃららはほにゃららなのかみたいなこと言って、1番でかい理由をすっ飛ばして2番目ぐらいの面白い理由を持ってくる。なんか心当たりあるか。意外って思っちゃうんだよ、それやられるの。
そう。あの、1番目の理由がつまんない場合、俺がよくやるのは、実はこういう理由なんですって2番目の話をめっちゃして、で、めちゃくちゃ水野さんを喜ばせた後で、みんなから怒られないように駆け込みで、ま、こういう理由もあるんですけどねって、1番でかい理由を言うっていう。それ「実は」じゃない。情報めちゃくちゃやってる、しょっちゅう。なんか思い当たる人いっぱいいるか。
具体的には、なぜデジタルはアナログより優れているのかっていう。これ結構最高傑作だって言ってくれる人も多い回なんですけど、あの回でやったのは、デジタルにすると劣化しないからだと。アナログにするとどうしてもレコードの溝ってちょっとずつ減っていって、そしてすり減ってしまった溝は二度と復元できないのに対して、0と1のデータってどこかで誤ったとしても誤り訂正が可能だから永遠に劣化しなくなるんです、っていう。永遠を求めたから人はデジタルに行きついたんです。
面白い。
って説明した後に、ちなみにデジタルにするとありとあらゆるものを統一的な規格で扱えるっていうメリットもありますって、慌てて補足してるんですよ。
はい。で、実際はそっちが重要なんです。
それ言うて大丈夫?手の内そんな明かしちゃって。
いや、これはね、言っといた方が誠実だから言いますけど、ゆるコンピュータ科学ラジオそうやって見てください、皆さん。嘘はついてないです。ギリギリ。
自分の最高傑作はギリギリ嘘ついてないもの。ギリギリ嘘にならないラインを頑張って攻めています。
うん。炎上してないだけの詐欺師じゃん。
でも本当にそれに近いよね。
うん。
でもとはいえ、ゆるコンピュータ科学ラジオを聞いてコンピュータサイエンスに進みましたって人とか、基本情報技術者っていう資格取りましたとか、そういう声いっぱいいただいて。その中には僕の趣味と全く同じこと言ってる人がいて、基本情報技術者の試験を勉強してたら、ゆるコンピュータ科学ラジオで出てきた話だってテンション上がる。それと同時に、あ、これ本当はこういう話だったんだってわかるってツイートしてる方がいて、まさにこれさっき言った僕の楽しみと一緒ですよね。
あん時こうやって説明されたけど本当はこういう話なんだなって理解するのを楽しんでいただく、その入り口として僕はゆるコンピュータ科学ラジオを作ってるわけであって、決して真実を言わなくていいとか、そういうことを思ってるわけではないんです。入り口を我々用意しなきゃいけないと、そう思ってるわけです。
それはそうとして、儲かると嬉しいですか?
嬉しいです。もうちょっとでも再生を稼ぎたい。ギリギリを攻めて、ちょっとでも1回でも多く回るようにしたい。1円でも広告収入が入るように。できることなら全動画にそれぞれスーパーサンクスとか欲しい。
全然1万円くれていい。
え、全然1万円くれていいっす。全然そのね。
どういうこと?全然1万円くれていいって。
通常のコメントしようかな、1万円あげようかなって思った時、全然1万円くれていい。スーパーサンクスでいい。
あ、そうなの?
そう。
で、ゆるコンは結構その意味で、どのテーマも勉強していくと、あ、これ不正確だったなみたいなことが分かるような仕掛けになってんだ。
そうだね。すごくよく言うとそうだね。仕掛けになっている。悪く言うと、嘘をギリギリを喋っている。ていうか嘘を喋っている。
そこ頑張ってんすけどね。嘘にならないようなんとかね。
誰だ出稿してるやつらは、広告を。
サフシアクさんいつもありがとうございます。助かっております。
そう思うと、僕、堀元さんとコンテンツ作りの思想違うかもしんないな。
ああ、水野さんはそれやってないですか?
例えば生成文法だったら、この核は伝えなきゃっていうのを軸で、それをどううまく説明するのかっていう方をやってるから。
だから例えとかを頑張るって感じですね。
そう。生成文法の末梢の部分をめっちゃ強調して、みたいな風にはしなかった。
その結果として、生成文法はブロッコリーだ、言語はブロッコリーだみたいな例えになるわけですよね。
そうだよ。フラクタル構造だからね、どっちも。
あんまりピンとこなかったことでお馴染みの例えね。
ブロッコリーか。それフラクタル構造だけじゃないってなったやつね。
島村先生も、まあブロッコリーでいいですけど、ってめんどくさくなってるじゃん。
でも僕、生成文法の勉強もやっぱ優しい本から順に難しくしていったから、その結果、優しい本で言われてる不正確な説明とかってのも徐々に理解していくっていうステップを踏んでいったので。そこでやっぱり例えることとか、一般向けに分かりやすくすることとか、あともう1個言うと専門用語を使わないようにすることって、リスクも結構でかいってこととかもその時に気づきましたね。
だって本当は厳密な定義を積み重ねていかないと厳密な議論できないもんね。
まあ、だからそれが冒頭の頭がいいですよ。頭がいいっていう定義がはっきりしてない語で議論すると、結局ふわふわしちゃうって話ですからね。
俺でも高校時代にそういえばそれ思ったことあってさ。
はい。
数学の授業で問題をみんなの前に出て黒板で解くっていう時間があって、それで解法を説明してくださいって言われて。で、僕みんなに伝わりやすい説明がベストだと思ったから。
はい。
このXってこっちより小さくなることはないんで、こっちだけ考えればよくて、この時はこうです、って説明したら、先生が、はい、正解なんですけど、そのXがなぜそっちより小さくなることがないかについての説明はなかったので、そこをやってくださいって言われて。でもそれ明らかに直感的にも小さくならないので、証明しようと思えばできるんだけど、めんどくさいし、それ自明だから、やることによってかえって説明が分かりづらくなるから俺は省いた部分だったんだけど、数学の先生はそれを許してくれなくて。
うん。
なんだこいつうるせえなと思ったんだけど、後で考えるとそういうことだよね。数学の先生が目指してるものって分かりやすさじゃなくて完璧さだから、そこの説明を飛ばすことを許さないのは彼の職業として正しかったなって思いますね。
そうですね。数学ってそういうゲームですからね。誰が読んでも分かるような形に落とし込まなきゃいけないっていう形式化のゲームだから。
そう。だから僕は違うゲームで戦っちゃってたなって今になって思うね。
そうだね。だから言語学の生成文法みたいなものって数学みたいにしようとしてるから、用語を使わずに喋った瞬間に結構もう嘘になっちゃうんですよね。だからこそ生成文法の中の人って、そもそも分かりやすく説明しようとしないことが多いんですけど、それって彼らが頭が悪いからじゃなくて、抑制が効いてるからだと思うんですよね。厳密な議論をしないと多分生成文法って意味なくなっちゃうって思ってるってことだと思いますね、多分。
今言って思ったけどさ、これ読書スタイルに起因するような気もする。
ほう。
生成文法の人みたいな厳密な論述を好む人って、本を一言一句理解してく気がするのよ。
うん。
で、僕とか水野さんってすごい話で本読むじゃん。
はい。
で、なんかこの話どっかに書いてあったなと思って、必要な時に後で確認するじゃん。
はい。
だから俺らって全然積み上げてないんだよね。なんとなくぼんやりしたモザイクぐらいの解像度のものをいっぱい頭に置いといてるだけで、必要な時にめちゃくちゃ解像度上げてる。でも最初から1ピクセルずつちゃんと解像度上げたい人もいて、その認知の違いが好むコンテンツの違いになってる気がするな。
モザイクをまず見たい人ってさ、全体像をなんとなく理解させてくれる面白いコンテンツみたいなものを好むし、1ピクセルずつちゃんと描画していきたい人はその生成文法の専門書みたいなものを好む。
と言っていいんじゃないですかね。うん。島村先生言ってましたもんね。
言うたっけ。
本とかも本当は第1定理からスタートして、第1定理から何が導き出されるかっていう順に書いてくれたら分かりやすいのに、みたいな。
それやめてほしいな。俺絶対やだな。まずはぼやっとして全体像見せてほしいな。
そうね。
まずはこのことを勉強すると世界がこう見えます、みたいなね。言ってほしいね。
うん。
あと明日からお金が儲かりますとか言ってほしいね。
そうだよね。だから理解のスタイルの違いもありそうですよね。
うん。
で、一般に1個1個ステップバイステップで定理みたいなのを順に理解していく人は、なんか頭が良さそうな感じはしますよね。
そうだね。でも多分世の中的には逆なんだよな。
ほう。
僕らってステップバイステップで理解していく人って賢いなって思ってるけど、その人が言うことって難しくなっちゃうから、誰かに何かを聞かれた時に、まずこういう第1定理があって、そこから導かれるこういう第2定理があって、って説明されると、こいつの話難しくてわけわかんねえなってなって。それに比べて漠然としたモザイクを与えてくれる人はさ、これって何なんですか、こうです、ってバッと教えてくれるから、この人の方が頭いいなってみんな思いそうじゃない?
そうか。なんか第1定理があって、次に第2定理があって、みたいな話した時にさ、世の中の人からしたらさ、うわ、なんか頭良さそう、みたいな感じで距離を置いたりしない?
うん。それだから分かっちゃってるから。
あ、本当に頭いいと思ってないんだ。
じゃない。それって、あいつガリ勉だよねって言ってんのと一緒で。
ああ。
それは褒めてないですよね。頭いいと思ってない。
そうか。そうか。
それよりは、ズバッとそれって何々だよって分かりやすいことを教えてくれるみたいなやつの方が頭いいと思われてると思う。
そうか。それはそうとして、でもやっぱ定理を1個1個積み上げて理解していくのに慣れてる人って、頭がいいかは別としてさ、知的な筋力すごいあると思うんですよ。
そう、そう。マジでそう思う。
イメージで言うと、ベンチプレスすごい上げれる人みたいな。多少の負荷でも持ち上げられるってことだから。そういう知的筋力があるみたいな、もうちょっと細かく割っていかないと、やっぱ頭がいいっていう言説がクリアになってはいかないですよね。
そうだね。てかさ、頭の良さってかなり俺、忍耐力だと思うのよ。難しい話を頑張って理解しようとするって忍耐力じゃん。
はい。
で、俺多分その忍耐力あんまなくて。だから専門書を頑張ってうんうん言いながら20時間ぐらいかけて、ちょっと分かった、みたいなこと言ってる人見るとすげえってなる。
あ、分かる分かる。できないもん。
俺らはさ、量でカバーしようとするからさ、まず簡単な入門書読んでさ、なんとなく分かったら次もうちょっと難しい本読んで、って繰り返して、20時間かけてちょっと分かるじゃん。
うん。
全然その作業違って、うんうん言いながら専門書の記述に立ち向かえる人って、本当のまだ人類が答えを出してない問題に立ち向かえる人じゃない?
うん。そうだね。
だからそれにすごく敬意を払わなきゃいけないなとは思います。
そうですよね。だって何時間か読んだけど結局分からなかったみたいな体験やだもん。
やだね。得るものないもんね。何の成果も得られませんでしたってなるもんね。
でも生成文法の人とか、やっぱ難しくてわかんないけど頑張って理解しようとして分かった、みたいなこと言ってたもん。
ああ。すごいな。
てか俺、大学でコンピュータサイエンス学んだの、それ理由かもしれない。コンピュータってさ、間違ったことするとさ、間違った挙動して面白いからさ、何にも得られないことないのよ。
ああ、はいはい。
で、何も生まれなかった感ないのよ。変な動きをするロボットが生まれたとかになって、それはそれで楽しいから。
え、ないんすか?方程式色々式変形したら元の式に戻って。
あるある出た。高校数学のあるあるね。
受験勉強の数学であるよね。
うわあ。平方完成して、いやあ、あれ元の式に戻った、とか。
あともっとひどいのあれね。連立方程式みたいの解いたら0=0ってなる。
あ、消しちゃった。
さ、恒等式みたいなやつ使ってさ、連立して、あれ何の意味もないものになったなって。
ありますよね。そういうことがコンピュータだとないわけだ。
そう。変な挙動するものが生まれて楽しいから。
うん。
僕も大学時代よくやりましたよ。道に引いた線に合わせていい感じに走ってくれるロボット作ろうと思って、ただそこをぐるぐる回る駒みたいなロボット作った。
めちゃくちゃバグってそう。
1mmも進まないで回り続けてた。
なんだお前。面白ロボットいっぱい作ってんじゃねえか。カーナビ以外に。
俺、面白ロボット作るの結構得意かもしれないです。だから結局僕は、一生懸命本に向き合った結果何も生まれないのが耐えられないから、面白ロボットを生産する学科で。
忍耐力ないのかもしれないね。
ないと思うよ、僕ら。
そしてそう言うと、なんか卑下してるように聞こえるんだけど、それ僕別にあんまり悪いと思ってなくて。
うん。
結果として僕らってさ、サイエンスコミュニケーションみたいなのやるのに向いてると思うのよ。世の中のあんま忍耐力ない人向けに、害悪にならない程度のざっくりとした理解を頑張って与えよう、みたいなことをやるのがすごく得意だと思うのね。
はい。はい。なぜかって言うと、自分がこの説明なら耐えられるなっていうラインが自分の中にあるからね。
そう。で、多分島村先生にはないじゃん。
うん。
だからこれ、僕らと島村先生は別の賢さを持ってるってことでさ、なんかやっぱその賢さには多様性があるというか、みんな違ってみんないいです。
有害な言論です。
有害ではないよ。別につまんないだけだよ、お前。
ヘイトスピーチ。
ヘイトスピーチじゃない。つまんないだけ。今俺つまんないこと言ったけど、ヘイトスピーチはしてないす。
気をつけてください。
なんかありがたいのは、やっぱりそういう知的な筋力がある方が僕らのことに敬意を払ってくれてるから成立してるよね。
そうだね。
で、僕らもその人たちに敬意を払ってるから成立してるんだけど、なんかやっぱいがみ合ってること結構あるじゃない?あいつらバカだなってお互いが言い合ってるみたいになってないのが、やっぱありがたいですよね、我々は。
だからそこ大事にしていきたいっすね。アカデミシャンといがみ合わないようにしよう、みたいな。
うん。あと急いで付け加えると、結構ここまで頭がいいってのをアカデミズムに紐付けましたけど、要領がいいとか、頭がいいってこともありますよね。
うん。あります。
なんか段取りができるとか、誰とでも分け隔てなくコミュニケーション取れるとか。
それもまあ頭いいって見なすのも分かるっちゃ分かるからね。うん。そうだね。
ていうか今の議論してて初めて俺気づいたけど。
僕が頭いいことにですか。
お前すごいな。すごいなお前、自認が。遅いよ、気づくの。
でもね、水野さんはね、段取り異常にいいよ。
あ、そう。
頭がいいよ。だからそういう意味で。あと水野さんのすごいとこってさ、勘所押さえんのすごくて、ここまでだったら無許可でやってもいいだろうとか、これは一応許可取っといた方がいいだろうとか、仕分ける。
へえ。え、俺全然覚えてない。
それ苦手な人ってめっちゃ苦手で、勝手に進めてめっちゃ怒られたりとか、逆に確認取りすぎて、なんでそのどうでもいいこと聞いてくんのってなったりとかめっちゃするから。水野さんそれうまい。
例えば、ゆる言語学ラジオ周りで外部にギャラの支払いが発生するみたいなことが起きている時に、ある程度のとこまで進めて、本当に堀元さんの確認が必要なラインで聞きに来てるよね、みたいな話をしてるってことですか。
はいはいはい。水野さんって多分、収録に1500円ぐらいの小物が必要になった時に、それを買っていいですかとかわざわざ言わないで、それちょっと買っといたんでよろしくお願いしますってレシート回したりすると思う。
うん。
それって、お前何勝手に1500円のもの買ってんだよって俺が言わないであろうことを推測できてるから。
うん。
で、これつまりさ、EQ、心の知能指数みたいなやつで。頭いい論になった時によくこのIQ対EQって話になるのよ。ちょっと説明してもらえますか?
IQは知能指数ですよね。インテリジェンスとか。
だから、こういう法則性で図形が変形してる時に次に何になるかを推論するっていう純粋な論理パズルみたいなやつがIQで、EQってもっと、この人って今こんなこと思ってんだろうなって共感する力みたいなことだと思うんですけど。
うん。人によっては頭がいいを、このEQが優れていることだと思ってるって議論があって。
ああ、なるほどね。
で、僕ピンとこなかったの。それ共感性が高いとかであって、全然頭がいいと関係ねえけどなって思ってたんだけど、考えてみたら、水野さんって俺が1500円で怒らないだろうなと思ってるって、これEQが高いってことだから。
うんうん。
これ頭がいいだね。
ああ。
仕事の段取りがいいって、かなりEQが高いに密接に結びついてるなって今初めて気づきました。
まあまあ、君もEQ高いよ。
偉そうだな。
もうIQもわかんないけど、全然。でもね、これ僕も得意なの。こいつには根回ししといた方がいいなと、こいつ怒るだろうからとか、こいつは大丈夫なのだ、ガバガバだからとかを適当に判断して、それなりに進めるの得意だから。
俺もうまいと思う。
うん。うん。
だからさ、例えば社内政治みたいな政治力みたいなのも当然EQに入るんだとしたらさ、たまにさ、ビジネス系の人がさ、学問なんて別に役に立たないやんって言って、で、学問の人はビジネスしてる人をちょっとうっすら馬鹿にしてるみたいなさ、あの対立あるじゃん。あれもさ、やっぱその環境の中で頭がいいとされることが全然違うのに、ワードだけ頭がいいだから、お互いがお互いのこと頭が悪いって言ってるように感じるんですよね。
それだな。
うん。
ちょっと外野から言って申し訳ないけど、おそらく基本的な学問の世界だとEQそんなに必要ないと思うのよ。この人は反対を唱えたら気を悪くするかな、ということを考えずに、いやそれ違ってますよって言えるっていうのが、多分本来のアカデミズムの理想じゃん。
はい。
それに比べて会社員ってその真逆でさ、部長の言ってること完全に間違ってるんだけど、これ言うとこの人機嫌損ねるから、なんとか上手な言い方でちょっとだけこっちに誘導しようっていう、その器用さが求められて。EQめっちゃいるな、会社員は。
めっちゃいりますよ。毎日そうだと思いますよ。
そうだよね。同じこと言うにも言い方をめっちゃ考えるもんね、みんな。
はい。で、それは上司だけじゃなくて部下もそうですからね。
そうだね。
この言い方するとこいつ潰れちゃうな、みたいなこと考えなきゃいけないから、常に考えてると思いますね。
うん。だからすごく乱暴に言うと、学者とビジネスパーソンの対立って、IQとEQの対立なのかもしれないね。
うん。とか、他にもさ、女は頭が悪いとかさ、男は頭が悪いみたいな、例えば男女のラベルとかでもそうでしょうし、何人とかでもそうだけど、やっぱ全体的に、まるまるは頭がいい、まるまるは頭が悪いっていう言説によって生まれるものが全然ない気がするから、僕は外から見ていて。だからやり取りするならそのワード使わない方が良くねって、やっぱ思っちゃうんですよね。
ただ水野さん、お気づきでしょうか?この議論の結論、みんな違ってみんないいです。
もう出てこないでくれ、そいつ。
出てこない。今俺我慢して、相対主義者が我慢してた。今そういう話だったじゃん。
プロタゴラスや。
誰々は頭がいいとか頭が悪いみたいな話って意味なくて、それぞれに頭の良さがあるってことでしょ?学者には学者の頭の良さがあるし、ビジネスパーソンにはビジネスパーソンの頭の良さがあるって。これみんな違ってみんないいじゃん。
うん。でもね、俺が言いたいことはもうちょっと先行ってる気がしていて。とりわけ頭が悪いっていう表現に関しては全然生産的ではないので、批判するなら別の言い方で批判して、っていう感じですかね。頭が悪いよ、もうちょっと腑分けして喋らないと、そもそも有益な結論にならないっていうことを、みんなもうちょっと自覚した方が良くない?って思ってるってことです。
はい。はい。つまり、僕がやっている有料で人をバカにするマガジンをみんな始めたらいいってことですね。
え、違いますよ。
そういうことだったじゃん。今言ってたの。
え、違いますよ。なんでそう思ったんですか?
僕、インターネットとかで、誰々本当バカだからなとか、また誰々がバカなこと言ってらってツイートしてる人めっちゃ嫌いだから、僕は1万文字ぐらい書くことにしてんの。
うん。
誰々さんのツイートはこのようなツイートがあるんだけど、これって論拠にしてるものがこれで、でもこれって典型的な因果と相関の誤りだから、この人ってこの誤謬を犯してるよねとか、あとこの人のこのツイートではこの論理の運用を間違ってるよねとかを、めちゃくちゃあげつらうってことやってるから。これをやるべきだって話ですよね。
うん。あ、もう1個思い出したことあって。
はい。
ゆる言語学ラジオに対しても批判とか反感を持ってる人の言説はあるんですけど、やっぱね、初期にもらった批判note、あのクオリティを超えるものがその後出てきてないんです。
あれすごかったよね。1万文字とかあったもんね。
あれ1万文字ぐらいあったし、的確に僕の心臓を射抜いてきて。
恋に落ちたみたいな言い方すんのやめて。
指摘能力がすごかったから。
心を射抜かれちゃったのね。
そう。なんか言語学学びたての人がする初歩的な間違いを、これでもかってぐらいしてる、みたいな。それは辛かったんだけど、でもその後、例えばXとかで、あれファストだからとか、間違いだらけだとか言われてるのとか見ると、いや、もっと来いよっていう。あの人ぐらい来いよっていう。
で、またさ、あれファスト教養だからって言うやつさ、『ファスト教養』って本読んでないよね。
うん。うん。
ファスト教養の定義知らずに、あれファスト教養だよって言ってて。で、ファスト教養っていう言葉が提案された本の中で何書かれてるかって言うと、金儲けみたいな現世利益を目的に教養を身につけること。
はい。だから本の中に出てきたのは、上司がまるまるって音楽が好きだからその音楽聞いておこう、みたいな行動とか出てきてましたよね。
うん。っていうのが、ファスト教養の本来の定義だったわけで。ゆる言語学ラジオってそれやってないじゃん。これやると儲かりますみたいなこと言ってないから、あの本の定義でファストじゃないわけですよ。
うん。
だからあの人たちが言ってるファストって、多分、学問の根幹に踏み込まずに雰囲気で喋っちゃってる、っていう定義で使ってると思うんだけど、それすごい自己言及的でさ。彼らがやってることって、『ファスト教養』の本読まずに雰囲気でファスト教養って言葉使ってるから、お前が言うファスト教養に一番なってるのお前だからなって思う。
ああ、美しいね。
そう。だから構造として美しいなと思って。
素晴らしいな。え、インスタレーションとか、そういう?
いや、そう、そう。だからあれ、考えさせられる作品。
素晴らしいなって思えるなと。
今後だから、ファスト教養だって適当に言ってる人見たら鑑賞すればいいと思う。
そう。
あ、そう。実に美しいなっていう。一般に誤解されているファスト教養の意味で使っている、というファスト教養をあれはやっている。
素晴らしいですよね。なかなか先鋭的な感性の持ち主なんですね。
そう、アートですねってリプライするといいです。
そうだね。
ということで、ここまで頭がいい人は説明がうまいっていう問題から、頭がいいとは何かっていう話、それから例えにはらむ危険性について話してきました。
はい。
確かにまとめると、みんな違っていいとか、人それぞれだっていう話ですけど、僕はこの議論を通しての気づきとしては、頭がいい悪いというワードはマジックワードなので、使う時に相手を罵ったりするために使うと全然いい結果にならないっていう事実。頭いい悪いってあんま言わない方がいいのかなって思いましたね。
めっちゃ言ってるよな、お前。
あ、言ってる。
うん。頭いいとか言うね。
じゃあ、いいアイデアだっていうことにします、今後。
あ、そう、そう、そう。で、それから、その頭がいいが指す対象は結構バラバラで、実質、人が使ってる頭がいいの意味を共通点で括ろうとすると、いいっていうグッド、もう意味。
何にも意味ないですね。
みたいになっちゃっていると。
で、その中で速さ、遅さっていうある程度の軸を見つけると、速度の面に関しては速さに結構偏重していってるんじゃないかっていうのがもう1個ですね。で、あと個人的には堀元さんが言ってた話ですね。レトリックで論証をすると、より強いうまいレトリックが出てくるとひっくり返されるので、安定していい社会になり続けることが難しいっていうのは、ちょっと僕考えたことない論点だったんで、これはすごく面白いなって思いました。
うん。うん。
なので今後、視聴者の皆さんにおかれましては、ゆる言語学ラジオ、ゆるコンピュータ科学ラジオでレトリックでなんとかしてる時にですね、手厳しい批判とかいただければ嬉しいですね。
でもそうだね、批判的に見てもらった方がいいですね。
そうなんですよ。僕ね、たまにXとかで見てるとね、ゆる言語学ラジオっていうのは本当にすごいと、頭が良くなる気がするし、教養も得られるし、って言って褒めてくれてるのとか見ると、そんないいもんじゃない。
そうね。面白がって見てもらって、本とか買ってもらえたらすごくいいですよね。
僕らが嬉しい感想って、見てすごく頭が良くなりました、頭が良くなった気になりました、っていうやつよりは、あの後本を買いましたとか、その結果大学でちゃんと勉強するようにしましたみたいなのは、めっちゃ安心するんですけど。
そうね。
逆に、この人たち本当に頭がいいって言われると、うーん。
持ってますね。
っていうね。そう、なんか素直に喜べない部分があるんで。
うん。
眉につばつけながらね、聞いていただくぐらいがいいんじゃないかなと思いましたね。
そうですね。
あと僕が、例えの危うさとか、頭がいいってされることにいくつか多様性があるって気づいた一番大きいきっかけって、難しいことを勉強しようとしたこと。
ああ、いい話かも、それ。
がやっぱ大きくて。特に生成文法ですね、僕の場合は。大学時代からなんか難しそうで逃げ続けていた分野を、幸い僕らの活動に好感を持ってくれる先生がそれをやっていて、その先生と仲良くなりたいとか、その先生が何を考えてるか知りたいと思って勉強してみたら、生成文法の知識自体が社会とか生活に役に立ってなくても、生成文法を勉強することで得た世界とか学びのフレームワークがむっちゃ大きくて。つまり副産物がものすごく大きかったので、現世利益が実際あったんですよね。
それすごいな。大学の本質じゃん。
うん。
大学って本当はそうだよね。なんかの専門分野を1個やりなさいっていうのは、その専門分野を今後生かしてくださいってわけじゃなくて、それをやるために必要なお作法とか考え方とか忍耐力とかに意味があるっていう発想で、みんな専門をやるわけだよね。
そうですね。で、それが多分究極的には学問じゃなくてもいいと思うんですよ。例えば料理のことを勉強する学校みたいなとこに行って、それ突き詰めていくでも、多分本質的には同じような結果になると思うんですよね。実はこの魚の焼き方をした時、本当はもっと複雑なことが起きてるんだけど、ざっくり伝えるとこうです、みたいなことは多分突き詰めていけばいろんなとこにあるわけだから、なんか1個突き詰めていくと、結局こういう学びを得るんじゃないかとは思うんですよね。
うん。
僕の友達で、競馬にはまりすぎて、競馬で勝つ方法を考えすぎて、最終的に確率密度関数を使った計算とかさ、AIを使った予測とか、最先端のモデルを作ろうとして、めちゃくちゃ数学勉強してたからね。数学科の大学4年生がやるみたいなやつとかやってたから。
ふん。
競馬だろうが料理だろうが、凝りまくったら最終的にそこに行くかもしれないですね。
そうですね。なんか本当はあとね、自分がやっぱいまいち入っていけない分野の方がいいんだよな、本当は多分。というのも、僕は普通に生活したら生成文法しようと思わなかったんだけど、それを仕方ないなって言ってやった結果得たんですよ。
うん。
で、逆に自分が理解しやすい、分かりやすいものを勉強していくと、自分の今までの世界モデルがただ補強されていくだけな気もするんだよな。
うん。
だから負荷大きいけど、本当は俺このタイプの論述好きじゃないんだけどな、みたいなものとかをとことん突き詰めていった方が、本当は良かったりするのかもしんないすね。
ちょっと水野さんと僕、園芸とか始めましょうか?
園芸。
興味なさすぎるから。
ああ。
全然興味ないものめっちゃやってみるって。
確かにね。
結構いいかもしれないよね。
裁縫とかね。俺好きだわ。
うん。ああ、そうか。
俺、小学校の頃ありえないぐらいブックカバー量産してた。家内制手工業みたいに。
家内制手工業みたいにやるのやめて、1人で。
まつり縫いだの、なみ縫いだの、本返し縫いだの、全部どんとこいって感じ。
すごいね。明治時代みたいなことしてるね。
めっちゃやってたから。
とか、石砕いて詰めて絵にするやつとか、そういうのやったらいいかもしれないね。
あ、そうね。うん。でもそうだと思うな。
そんなわけで、今日聞いて皆さん思ったこと、どしどしコメント欄にお寄せください。
はい。
あと、僕らがやったら発見がありそうな趣味とか、学んだ方がいいものとかあれば教えてください。
是非。
以上終わりにしましょう。ありがとうございました。
ありがとうございました。
堀元さん、うまく話せなくて悩むことってありません?
よくあります。
そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。
ほう。
タイトルは『会話の0.2秒を言語学する』。会話のわずかな間にフォーカスした1冊です。是非皆さん買ってください。
うん。
記事公開
