右耳の耳垢から「声を評価してよいのか」へ ゆる言語学ラジオが考えたバザールとクラブ

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概要

ゆる言語学ラジオの水野太貴と堀元見による雑談回である。水野の右耳が急に聞こえなくなった話から始まり、ポッドキャストで当たり前のように交わされる「いい声」「聞きづらい声」という評価はルッキズムと同じ問題を抱えていないか、という問いに移っていく。水野自身は「答えは出ていない」と言う。二人は議論の途中で、AI時代の就職活動やマッチングアプリ、滑舌の指摘の是非にも話を広げ、最後はリチャード・ローティの「バザールとクラブ」という区別を使って整理を試みている。

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耳掃除で右耳をふさいでしまった

発端は水野の失敗談である。耳垢がたまっている気がして、普段あまりしない耳掃除を風呂上がりに始めた。乾いて硬い耳垢になりやすい体質だと思っていたからだ。ところが不慣れなせいで耳垢を奥へ押し込んでしまった。しかも右耳は湿っていて、取れるものは「とろろ昆布」のようにねっとりしていた。掃除をするほど聞こえが悪くなり、AirPodsで音楽を聞いてもiPhoneの音量を半分ほどに上げてようやく少し聞こえる程度になった。

水野は表面の一部が取れただけで、奥にはまだ残っている感覚があったという。翌日耳鼻科に行くと、医師は見た瞬間に「溜まってるね」と言い、ピンセットで取り出した。出てきたのは「水で増やした後のワカメ」のような量で、消しカスより大きかったと水野は表現する。ついでに左耳からも岩のような塊が出てきた。

聞こえない間の二日間、水野は生活の質がかなり下がったと振り返る。どちらから音が来るのかわからず、日常の一部だった音楽も聞きにくい。左耳が聞こえるのだから十分だと思いそうなものだが、実際には落ち着かなかったという。堀元はBluetoothイヤホンのペアリングに失敗して片耳だけ鳴るときの不快さにたとえた。

面白いのはその後である。耳垢を取ってから、水野にはSの音がキンキンと聞こえるようになった。堀元によると、ラジオの編集ではS音が耳に障るため、ディエッサーというS音を弱めるエフェクトを毎回かけている。水野の場合は耳垢が天然のディエッサーになっていたわけだ。水野は本来の音を聞いているはずなのに、それに慣れていないため落ち着かないという。なお水野は、左耳はドライ、右耳はウェット寄りの耳垢だと話している。

「聞きやすい声」はポリティカル・コレクトネスに引っかからないか

耳の話から水野が持ち出したのが、声を評価することの是非である。水野はルッキズムを「美と能力を紐づけること」と理解している。見た目を褒めることは控えられるようになってきたのに、ポッドキャストの世界では「聞きやすい声」「いい声」という評価を誰も問題にしていない。水野はこれが将来、ポリティカル・コレクトネスに引っかかるのではないかと考えている。

背景には水野の見通しがある。ポッドキャストのリサーチ力はすでに差がつきにくくなっており、AIのおかげで調べ物が楽になり、構成まで手伝ってもらえる。突き詰めると話す内容では差別化しにくくなる、と水野は予想する。そのとき唯一差がつくのが声だとしたら、その世界は公平なのか。声は生まれ持ったもので、本人の努力ではどうにもならない部分が大きいからだ。

実例として、水野は、面白い話をしている人でもレビューに「声が聞き取りづらかったので聞くのをやめました」と書かれていると指摘する。堀元も、男性二人のポッドキャストが「声が似すぎていてどちらが話しているかわからない」と言われていた例を挙げた。堀元は、「見た目が気持ち悪いからダメ」は言ってはいけないと強く感じるのに、「声が聞きづらいからダメ」はそれよりましに感じてしまうのが不思議だと認めている。

水野自身は声が聞きやすいと言われることがあり、ありがたいと感じている。一方で、その褒め言葉は聞きづらい人がいることを前提にしているので、居心地の悪さもあるという。堀元にも実体験がある。以前の収録で声が枯れ、高い声が出ないので低い声で話したところ、「聞きづらいからやめてください」というコメントが大量に来た。自分でも直したいのに直せず、悲しい気持ちになったという。この経験から堀元は、声の評価が炎上やキャンセルにつながる未来は十分ありうると同意している。

評価の軸が増えれば公平になるのか

水野はもう一つの見方も提示する。顔だけで評価される世界より、顔と声の二つの軸で評価される世界のほうがましなのではないか、という論点である。

その根拠として水野が紹介したのが、自身がホストを務めるポッドキャスト「神保町で会いましょう」で話を聞いた石井健介さんの体験だ。30代で中途失明した石井さんは、以前は顔や体型に好みがあったが、見えなくなってからそこから解放されたと語ったという。いまは匂いや声、話し方が惹かれる要素になっている。匂い、顔、体型、声と好みの軸がたくさんあれば、それはそれで公平だという議論もありうる、と水野は言う。堀元はこれを、熊谷晋一郎の「自立とは依存先がたくさんあること」という言葉に近いと受け止めた。

ただし堀元は別の見方も示した。ミスコンをやめようという流れに代表されるルッキズム批判は、本人の意思で変えられないもので評価するのをやめようという話だ。だとすれば、軸を増やすより、そもそも評価されない社会のほうが正解ではないか。水野も、美しいと感じること自体は人間の本質的な感覚としてありそうだが、それを大々的に口にする必要はない、というのがミスコン廃止の趣旨だと理解している。そうであれば、ポッドキャストの「いい声」文化もまずいことになる。

堀元自身は、声や見た目を良いと言われても悪いと言われても気にならないという。賛否両論を集めてコメント欄を沸かせ、インプレッションを稼ぐのが自分の仕事だから、と冗談めかして話す。それでも、褒めているつもりで人を傷つけることが多いから顔立ちへの言及をやめようという流れになっているのであり、声も同じ方向に向かうだろうと予想した。

AIが書く就活と、対面で露呈する差

水野が声の価値について考えるきっかけの一つは、本業で最近の就職活動の記事を作ったことだった。いまはエントリーシートをAIに書かせ、不正ではあるがWebテストもAIにやらせる学生が多いという。その結果、企業には大量のエントリーシートが届く。どれもAIが書いているので変なことは書かれておらず、落としようがない。そこで企業は、24時間いつでも受けられるAI面接でふるいにかける。取材先の話では、AIが作ったものは出来が良すぎて、良し悪しがもう判断できないのだという。

水野はここから、AIネイティブの下の世代はテキストコミュニケーションが非常に洗練される一方で、対面のコミュニケーションとの差が大きく出るのではないかと考えた。対面でもAIを使ったテキストと同じくらいのパフォーマンスを出せる人が優秀と見なされるようになる。そして対面の会話で重視されるものの一つが声と話し方だ。話がうまければはったりも効く。こうして声の価値が上がり、新しい格差を生むのではないか、というのが水野の問題意識である。

堀元は、胸ポケットにiPhoneを差してイヤホン越しにAIの出力を聞き、それを読み上げれば対面でもそつなく話せるのではないかと返した。人にばれないイヤホンを作れば儲かるかもしれないが、それを検知するツールが出てきていたちごっこになるだろう、と笑いを交えて話している。

堀元はまた、共通の友人であるバリューブックスの飯田さんの例を持ち出した。飯田さんは文章がエモーショナルだが本人の話し方とのギャップが大きく、メールではいい感じだったのにデートをしたら違うと言われて振られたという。水野の予想は、その状況が社会全体に広がるということだ、と堀元はまとめた。

両方がAIを使えばフェアなのか

水野はさらに問いを進める。一方だけがAIを使っていれば、会ったときに落差が出る。しかし送り手も受け手もAIを挟んでやりとりしているなら、それはフェアなのではないか。

堀元の答えは、その世界ではそもそもテキストコミュニケーションによる印象がなくなる、というものだった。メールでさんざんやりとりしたのに会うのは初めて、という状況はなくなり、知らない人に会いに行くだけになる。メール発明以前の社会に戻るのかもしれない、と堀元は言う。

堀元は自分の例も挙げた。自身のClaude Codeに個人情報を2,000行ほど与えていて、自分についてあらゆることを知っている状態にしてある。マッチングアプリの返信をClaude Codeにさせれば、相手も同じような仕組みを使っている限り、個人情報の交換がものすごい速さで進む。一度もやりとりしていないのに、会う前から相手を詳しく知っている状態になるはずだという。もっとも堀元自身、それなら相手のファイルを直接もらったほうが早いと気づいた。ただ、いきなり個人情報を送るのは抵抗があるので、AI同士が探り合いをしながら少しずつ開示していくことになるだろうと話している。

水野は、詐欺師が自分の悪行だけをAIに伏せたら誠実な人と同じに見えるのではないかと疑問を出した。堀元は、それは普段のマッチングアプリでも同じで、やりとりが速くなっただけだと答えている。水野はここで、目の見えない人が書いた本の一節を思い出した。表情や身振りが見えず声だけで人を判断すると騙されないか、という質問に対して、その前提がずれている、見えている人のほうがよほど騙されている、という趣旨の記述である。騙されること自体は昔からある、という点で二人は一致した。

堀元は仲人との比較も持ち出した。仲人は紹介した相手が問題を起こせば責任を取らされるので、信頼できる人しか紹介しない。Claude Codeにはその責任がない。ただ、技術ブログで問題事例がバズればAnthropicも対応するだろうし、ファインチューニングで責任感のある仲人らしい振る舞いをするようになって、めちゃくちゃ謝ってくれるようになるかもしれない、と堀元は冗談交じりに語った。水野は、それなら人間が謝ったほうがよくないかと返し、人間に残る最後の仕事は責任を取ることだけになるのか、と二人で苦笑している。

堀元は、AI同士が効率よく情報交換して結論だけ渡してくれる世界をいいと思う。水野が、相手のAIではなく相手本人が書いたテキストでLINEしたくないかと尋ねると、堀元は、相手のテキストを十分学習していれば同じことだと答えた。この点について二人は、話がかみ合っていないかもしれないと認めたまま次の話題に移っている。

声の格差はすでにあるのか

水野は、声の格差はすでに大きいのではないかとも言う。男性に対する女性の評価は声の比重が大きいと感じる瞬間があり、見た目より声が効いているのではと思うこともある。「イケボ」はそれくらい恋愛市場で価値がある。だとすれば、ポッドキャストのレビューはもともとある格差を可視化しただけではないか。

堀元が女性の声はどうかと尋ねると、水野は、女性の声のほうが恋愛市場での影響は小さい気がすると答えた。ただしポッドキャストでは、女性でも声が高くてキンキンする、かすれ気味で聞きづらい、といったレビューは見かけるという点で二人は一致している。

堀元は「可視化しただけ」という見方は問題を小さくしすぎていると反論した。自分たちがまさにそうであるように、ポッドキャストで成り上がった人間が世の中にいる。いい声でうまく話したから成功した人がいる以上、単なる可視化とは次元が違うというのだ。

そのうえで堀元は、ポッドキャストのレビューで人の声を叩けなくなる流れは間違いなく来るだろうし、そうなってほしいと述べた。声が聞きづらいと言われても、どうすればいいのかわからない。しかもそれを善意で、番組がもっと良くなると思って伝えてくる人がいて、それが一番きついという。堀元は、まず「あなたの声や話し方は聞きづらい」とわざわざレビューに書く人を減らしたい、「聞きやすいですね」まで控えるかどうかはその先の話だ、と優先順位をつけた。ブスと言えなくなっている中で「声が聞きにくい」が許容されている理由がわからない、そこは一致させたほうがいい、というのが堀元の立場である。

水野は、テレビに出ているのが声が良く、吃音や構音障害がなく自由に発声できる人ばかりであることが、そうした規範意識を補強しているのではないかと付け加えた。

声は「変えられる資源」でもある

ここで堀元は、声は顔に比べれば変えられる資源でもあるのではないかという論点を出した。以前、声が枯れやすいのでプロの発声法を身につけたいとプロの声優に相談したところ、勧めないと言われたという。大きな声やいい声は出るようになるが、堀元のいまの独自の発声のほうが個性的で面白い、というのが理由だった。

水野はこれを、上手くなると下手にできなくなるという話につなげた。ジャズを題材にしたアニメ『BLUE GIANT』をプロのドラマーと一緒に見に行ったとき、高校生の素人を演じる演奏シーンについて、そのドラマーは「シャーン」という一発の音が良すぎておかしいと指摘したという。自分たちはリズムの乱れに気を取られていたが、プロには叩き方が上手すぎることのほうが気になったのだ。水野は、発声も同じではないかと考えている。

水野はさらに、絵を描く仕事の人と飲んだときの話も持ち出した。水野と堀元が似顔絵を描いたところ、その人は、堀元は美術の道に行かないほうがいい、習うと描けなくなるタイプの絵だと言った。鉛筆画が好きだった水野の絵は堀元の絵より上手く見えたが、個性はあまりないタイプだったという。型にはめないほうが自由なのかもしれない、と二人は話している。

滑舌を指摘することの是非

では滑舌はどうか。水野は、変えられるかどうかは物によると説明する。例として挙げたのが側音化構音で、「き」が口の側面から空気が漏れたような音になる現象だ。口や歯の形によるものなので、変えろと言われても難しい。それでもポッドキャストでは、そうした人に「言えていない」と書く人がいる。S音が苦手な人などにも、善意で「滑舌ができていない」と伝えるケースがあるという。

水野が好きな例として挙げたのが、野田さんがメインパーソナリティを務めるあるポッドキャストである。進行役の原田さんは毎回番組タイトルを噛み、野田さんが笑うと「俺は噛むからな」と開き直る。そのスタンスがいい、と水野は言う。

堀元は、他人のポッドキャストを聞いて噛んだと思うことはあっても、わざわざ本人に伝えなくてよいと考えている。この規範意識が共有されていないのは、滑舌は努力で直せると思っている人が多いからだろうと推測する。二人とも実際によく噛む。水野は「慶應義塾大学」が苦手で、そもそも「ゆる言語学ラジオ」という番組名が難しく、外部出演のときにはみんな噛んでいるという。

一方で堀元は、この議論を突き詰めると言えないことがどんどん増えて苦しくなるとも認めた。噛んだときに「噛んでますよ」と言うのは、ちょっと面白いコミュニケーションでもある。それが言えなくなるのは嫌だと多くの人が思うだろう、というわけだ。

ローティの「バザールとクラブ」

この行き詰まりに対して水野が持ち出したのが、NHK「100分de名著」でリチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』を解説した朱喜哲の本で知った「バザールとクラブ」という概念である。水野の理解では、バザールはさまざまな背景を持つ人が市場取引をする公的な領域で、クラブはバーのような身内の私的な領域だ。バザールでは「あなたの声は聞きづらい」「滑舌が悪い」と言ってはいけないという規範があるが、クラブではそれは問題ない、という切り分けになる。

水野が驚いたのは、哲学者なら「差別的なことはどんな場所でも言ってはいけない」と言いそうなのに、クラブでなら多少まずいことを言っても許されるのではないかという議論になっている点だった。水野はこれを現実的な落としどころだと評価する。堀元の問題提起も、クラブだと思って発言した場所が実はバザールだった、というずれとして整理できるのではないかと水野は言う。

堀元はYouTubeのコメント欄にも同じことが言えると応じた。水野が堀元に口汚い言葉を使うのは許されても、他人に言われると「お前は他人だろう」となる。YouTubeやポッドキャストでは、こちらは相手を知らないのに、相手はこちらをよく知っていて親友のように感じていることがある。二人の商売はその距離感を錯覚させるものでもあるから難しい、と堀元は言う。

水野は、この概念はリベラルの議論を読み解くうえでも役立つと考えている。リベラルな人の議論は「どの場所でなら言ってはいけないか」という話になりにくく、リベラルではない価値観の人には息苦しく感じられる。しかし実はバザールとクラブの線引きの話をしているのに、そう見えていないだけなのかもしれない。なお水野は、自分は「100分de名著」の本を読んだだけで原典は読んでいないと断っている。堀元は、それこそクラブで話すべきことをバザールで言っているのではないかと茶化し、二人でリスナーに原典に当たるよう勧めている。

クラブのつもりがバザールだった失敗

堀元はこの区別を、ふだんから意識していることだと言う。堀元は表では言いにくいことを書く有料マガジンをnoteでやっている。クラブのつもりで書いていたが、気づけば読者が8,000人になっていた。以前の100人ほどしか読んでいない感覚のまま攻めた内容を書き、中身をリークされて炎上したことがある。これはバザールをクラブだと思っていた失敗だ、と堀元は振り返る。

水野は番組初期の出来事も挙げた。内容の誤りを指摘され、どう直していくかを話し合ったとき、堀元は自分たちのコンテンツは公共性をそれほど意識しなくていいのではないかと言い、水野と意見が対立した。水野は、あのとき堀元は番組をまだクラブ的なものと見ており、自分はすでにバザール的なものと見ていたのだろうと整理している。

「正しすぎる」ことへの違和感

水野は最近の経験も話した。ある思想を持つ友人がいて、仮にそれを資本主義反対だとすると、その人は思想と矛盾する、資本主義を肯定するような言動をする。水野は最初、言行不一致ではないかと思った。しかし、公の場で表明する思想と、クラブで思想に反することを言うのとでは、場所によって最適解が違うだけかもしれないと考えるようになった。自己開示のため、あるいは矛盾したことを言うことで距離を縮めるために口にした本音を、「バザールではこう言っていたじゃないか」という価値観で断罪するのは正しすぎる。水野の中ではいま、そうした揺り戻しが起きているという。

堀元は、その友人は表でいいことを言いながら裏では差別主義者というような人ではなく、思想としては資本主義のここがダメだと思っていても今この瞬間は金が欲しい、という人間的な弱さの話だろうと補った。堀元のここ3年ほどの個人的なテーマは「正しすぎるやつと戦う」ことで、正しすぎることを言われたら「うるせえ」と怒るスタンスが、人間が生きていくうえで必要なのではないかと考えている。

そのうえで堀元は、水野は「バザールすぎる」と指摘した。例として挙げたのは、水野がかつて、堀元や飯田さんが別にやっているチャンネルが伸びすぎると心の奥で少し悔しい気がする、友人の成功を100%喜べない自分が嫌だ、と話していたことだ。堀元は、人間はそういうものであり、3%ほど「俺より売れやがって」と思いながら97%「良かったね」と言えれば素晴らしい人間だと考えている。友人の成功を100%喜ばなければならないというバザール的な価値観を、水野はクラブでも本気で信じてしまっている、というのが堀元の見立てである。

堀元は実演するように、水野の著書『会話の0.2秒を言語学する』が売れたのは嬉しいが2%ぐらいは「俺より売れるな」と思っている、TBSの「CROSS DIG」に自分も呼んでほしい、よく再生されている水野の出演動画を見てあまり面白くなくて安心した、と明かした。ただし、言葉遣いを汚くしろと言っているわけではない、と念を押している。水野は、自分はバザールとクラブを区別して生きてこなかったのでこの概念に驚いたが、他の人には当たり前のことに名前がついただけなのかもしれない、と受け止めた。

冒頭の「汚い」も言ってはいけなかったのか

最後に堀元は、冒頭で水野の耳垢を「汚い」「気持ち悪い」とさんざん言ったが、体質で耳垢がたまりやすい人はそれを変えられないのだから、言ってはいけなかったかもしれないと振り返った。水野は、クラブでなら言っていいかもしれないが、と応じている。

水野は、自分は思想的にリベラル寄りだと思うと前置きし、理想を持つことと、それに反することを言ってはいけないという規範とは別だと付け加えた。例えば水野は選択的夫婦別姓はあったほうがいいと考えている。しかしリベラルの思想は、反対する人から見れば、自分の地位が脅かされたり、暮らしてきた社会が大きく変わって生きづらくなったりする恐れを伴うため、正しさで殴ってくる思想と受け取られがちだ。私的な空間でそうした話をする分には大きな問題はないのではないか、と水野は話している。声を評価することの是非について、二人は結論を出さないまま、リスナーの意見を募って回を終えた。