五十音に一音足すなら何を選ぶか:おたより回で語られた発音、アクセント、難読地名

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概要

ゆる言語学ラジオのおたより回では、水野太貴と堀元見がリスナーからの質問に答えている。「五十音に一行または一列足すとしたら何を選ぶか」という問いから始まり、日本語のラ行の正体、アクセントと単語の切れ目、歌詞と発音のずれ、関西や沖縄・北海道の難読地名へと話題が移っていく。最後には、以前のおたより回を沸かせた投稿者「助数詞ーズハイ」の文体を受け継ぐ新しい投稿も紹介された。

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五十音に足す音の候補:あとえの中間音、巻き舌、舌打ち

最初のおたよりはパラレルコンプさんからで、「水野さんが五十音に新しく一行か一列加えるとしたら、どんな子音や母音を足したいか」という質問だった。堀元はこの話題に水野が明らかにうれしそうだとからかいながら始めている。

水野が最初に挙げたのは、「あ」と「え」の中間の母音だ。母音を一つ足せば、「あかさな」のように各行に一つずつ音が増えるので、増える量は大きい。ただし、日本語話者はこの音を「あ」として聞いてしまう。実際、水野がこの音で発音した例を、堀元は「赤さな」と聞き取った。二人はこの母音が日本語話者にとって音として確立しておらず、聞き分けが難しいと確認した。このやり取りの中で水野は、堀元が「え」を言うとR っぽくなると指摘する。舌を持ち上げているからで、堀元自身は自覚がなかったという。

聞き分けやすさを重視するなら、日本語と明確に違う子音の方がいい、と水野は考える。候補に挙がったのは巻き舌のラだ。イタリア語で「ローマ」と言うときのような音で、はっきり聞き分けられる。ところが、この音はできない人にはできない。水野が大学の言語学の授業で発音練習をしたとき、苦手な人は「トゥルルル」と非常に速く言うことで巻き舌らしい音を作ろうとしていたという。発音できない人がいるのは五十音に入れるうえで難点になる。

言いやすさと聞き取りやすさの両方を満たす候補として二人が評価したのは、舌打ちのような音、つまりクリック音だった。水野によればクリック音はアフリカの言語に多く見られるので、日本語にだけ急にクリックが使われるようになったら言語学者はかなり驚くだろうという。ほかに、唇を震わせる「ブル」に母音を足す両唇ふるえ音も話題になったが、発音すると結局「バ」に近く聞こえてしまった。

入破音も候補に挙がった。水野は、喉頭を急激に引き下げて口の中の気圧を下げると説明したが、堀元は「理屈を聞いてもわからない」と返す。そこで水野は、低音を強化した車の「ボボボ」という音のように喉を急に下げ、そのタイミングで「だ」や「ば」の口の形を作る、と言い換えて実演した。ただ、日本語にない音素すぎて、日常会話で使えば聞き手は驚くだろうと二人は笑っている。

結局、水野が出した結論は「このお題で言語学者と朝まで飲みたい」だった。答えを一つに決めるより、ああでもないこうでもないと話す過程が楽しい質問だという。

日本語のラはRでもLでもない

五十音にLを足す案に関連して、水野は日本語のラ行の発音を説明した。日本語のラはRかLかと聞かれた堀元は「Rじゃないの」と答えたが、水野はどちらでもないと言う。英語のRは舌を持ち上げた状態で発音し、英語のLは舌先を前歯の近くにつけて側面から息を出す。これに対して日本語のラ行は、舌を弾いて出す音だ。水野によれば、ノイズキャンセリング機能をオンにしたイヤホンをつけて「ラ」と言うと、口の中でペタペタという音が聞こえるという。つまり英語のR、英語のL、日本語のラ行はすべて違う音である。

ただし、日本語話者の中にもラ行をLで発音する人がいると水野は指摘する。典型例として挙げたのが米津玄師だ。「感電」の冒頭「逃げ出したい夜の往来」の「往来」は、よく聞くとLで歌われているという。二人はその場で曲の冒頭を聞き、堀元も「言われたらそうかも」「完全にLだ」と反応した。少し先の歌詞でも同様の箇所があると確認している。水野は、米津玄師の歌が少し舌足らずに聞こえるのは、ラ行をLで発音しているからだと説明する。米津玄師のものまねをしているアーティストも、ちゃんとLで発音しているそうで、水野はこれを耳が良い証拠だと評した。

水野によると、米津玄師に限らず、ラ行をLで発音する日本語話者はかなりいる。そのため、仮に五十音にLを加えると、そうした人にとっては「往来」のLの発音が別の単語になってしまう。この理由で、L を足す案は難しいと水野は考えている。

関連して、一時期「若者がサ行を英語の th の音で発音している」という指摘があったことにも触れた。堀元は、日本人の野球選手がメジャーリーグで三塁手に取ってほしくて「サード」と言ったのに通じず、二塁手が反応したという話を思い出し、それとは逆の現象だと言う。ただ水野は、最近はむしろ「今の人もSはSで発音している」という観察の方をよく聞くので、日本語のサ行が th になるという説は自分の理解では当たらなかったようだ、と述べた。

発音好きのYouTuber・だいじろーの「自分軸」

五十音の話題から、堀元は発音系YouTuberのだいじろーさんに最近会ったことを話した。このお題はだいじろーさんに聞けば2時間は話しそうだという。

水野が感銘を受けたのは、だいじろーさんが高校のころから発音が大好きだったという話だ。学歴コンプレックスを扱うコンテンツが多いなか、だいじろーさんはそうした感覚にピンとこなかったらしい。東大に行くような同級生に対しても「俺の方が発音うまいけどな」と思っていたという。多くの人が学歴の高さを気にするなかで、自分の好きなものを基準に価値を見いだしていた点に、水野は「そうありたい」と感動したと語る。堀元も、自分軸で価値を見いだすのは大事だと同意し、このテーマでだいじろーさんをゲストに呼ぶ案まで出た。

坂上田村麻呂と「地名+呼び名」の誤解

はなまちくさんさんのおたよりは、以前の「大人になってからのミステイク」の回に寄せたものだ。その回では、オマールエビとロブスターを別物だと思っていた話が出ていた。

投稿者によれば、中学の社会の定期テストで「初めて征夷大将軍に任命されたのは」という問題が出た。正解は坂上田村麻呂だが、ある友人は「田村麻呂」と答えて誤答になった。その友人は教科書を見せながら「これ合ってるよね」と聞いてきたという。坂上を地名、田村を苗字、麻呂を名前として、「隣町の佐藤さん」のように理解していたらしい。

堀元は逆の経験を語った。北海道の実家に東京から遊びに来るおじさんが「亀戸の五郎さん」と呼ばれていて、堀元は「カメイド」も名前の一部だと思い、「亀井殿」のような貴族めいた名前だと感じていた。大人になって東京に亀戸という町があると知り、親戚を呼ぶときは地名を頭につけることがあるのだと初めて意識したという。水野も「鈴鹿のおいちゃん」と呼んでいた親戚がいたと応じ、二人は親戚を地名で呼ぶのはよくあることだと話した。その感覚で読めば、坂上田村麻呂は確かに「坂上に住む田村麻呂さん」に見える。一方で平将門なら「平」を地名だと思う人はいないだろう、とも付け加えている。

清少納言の誤解はアクセントのせい

地名と名前の区切りの話から、堀元は清少納言を「清・少納言」と区切るのだと知ったときの衝撃を持ち出した。水野は、これはアクセントが悪いと言う。

水野は以前の関西方言の回で扱った東京式アクセントの規則を持ち出す。一つの語の中では、ピッチが一度下がると再び上がることはない。「せいしょうなごん」を普通に発音すると、低く入って上がり、「ご」の前あたりで下がってそのまま終わる。これは一語のアクセントと同じ形なので、聞き手には一つの単語に聞こえる。

対比として水野が挙げたのが、タレントの中条あやみの名前だ。「なかじょう」で低く入って上がり、「あやみ」でいったん下がってからまた上がる。一度下がった後にもう一度上がるので、これは二つの単語でしかありえない。水野は、「清」と「少納言」をそれぞれ別のアクセントで読めば、一語ではありえない形になり、切れ目がわかると説明した。

堀元はこの説明で長年の謎が解けたという。子どものころ賛美歌の「主は来ませり」を聞いて、「しゅわきませり」を一語だと思い、ロシア語か何かだと思っていた。本来は「主は」で区切れるべきなのに、歌のメロディでは一語のようなアクセントになっていた、というのが堀元の気づきである。水野は、日本語のアクセントには文の中で単語の切れ目を聞き手に伝える働きがあると補足した。歌では音程が決まっているので本来のアクセントが崩れ、単語の切れ目を取り違えることはよくあるという。

堀元はミュージシャンの友人から、作詞の際にはこの点を気にすると聞いたことがある。本来のアクセントとずれすぎると、聞き手が正しく単語を区切ってくれないので、なるべく合わせるようにするという。水野もヨルシカのn-bunaと話したとき、n-bunaは日本語のアクセントとメロディが合うように組みたい派だと聞いた。一方で、アクセントを全く気にしない派もいて、そこに美学を感じるかどうかで作り手のスタイルが分かれるそうだ。

歌詞カードと聞こえる音のずれ:東京事変と椎名林檎

堀元は「関係あるかわからないけど」と前置きして、東京事変の「閃光少女」の話をした。歌詞の「写真機はいらないわ 五感を持っておいで」を、堀元はずっと「股間を持っておいで」だと思っていた。写真を撮らずにその場で欲情しなさい、という意味だと解釈していたが、歌詞カードを見て「五感」だと知ったという。水野の判定は「関係ない」だった。

ただ水野は、椎名林檎の「丸の内サディスティック」を例に、別の見方も示した。この曲には、音で聞くと明らかに下ネタに聞こえる箇所があるが、歌詞カードでは別の漢字で書かれている。そのため、歌詞カードだけを見て「歌に描かれているのはこういう内容だ」と判断するのは早い、と水野は言う。両方の意味を込めている可能性もあり、「五感」も「股間」に聞こえるように歌っているのかもしれない。

では、実際にどちらを発音しているのかを確かめるには何が必要か。水野は、それこそ言語学の技能だと話を広げた。記述が進んでいない言語を調べるフィールド言語学では、話者がいま出している音を国際音声記号で何と書くのかを判断しなければならない。未知の言語の音を記述するのがフィールド言語学者の仕事である。

水野は実例として、フィールド言語学者の伊藤雄馬と立命館アジア太平洋大学の学園祭に出たときの話をした。イベント後、同大学の留学生が母語を教える有志の授業があり、水野はナイジェリアで話されているヨルバ語の授業に参加した。先生のある音が国際音声記号で何なのか水野にはわからなかったので、伊藤に相談し、先生にもう一度発音してもらった。すると伊藤は聞いた瞬間に「口の中がこうなっていますね」と、舌の位置などを言い当てたという。水野が驚くと、伊藤は「これができなければ仕事にならない」と答えた。

ここから二人は、椎名林檎の口の中を解析したければフィールド言語学を学べばいい、と冗談を続ける。堀元は「インタビューを読んだ方が早くないですか」と突っ込んでいる。

水野はさらに、「丸の内サディスティック」の「ラット一つを商売道具にしているさ」という歌詞について補足した。これを聞いて「この人もラットで実験しているのか」と思う生物系の人が後を絶たないらしい。しかし、このラットは音楽機材に関わるもので、実験動物のラットではないという。

マキシマム ザ ホルモン「絶望ビリー」の仕掛け

歌詞カードと歌われている内容が一致しない例として、水野はマキシマム ザ ホルモンを挙げた。同バンドの曲には、英語で聞くと別の意味になる「裏歌詞」があると言われている。水野が紹介したのは、アニメ『デスノート』で使われた「絶望ビリー」だ。

サビは歌詞カードでは「〜のワールド」「制裁のワード」となっているが、裏歌詞では「Neo slight world」(新しい薄っぺらな世界)、「Suicide word」(自殺者たちの残した言葉)と読めるという。水野は、ここで二つのことが起きていると説明する。一つは、日本語の歌詞の M の音が裏歌詞の Neo では N に入れ替わっていること。もう一つは、韻を踏んでいる world と word を比べると、L が消えていることだ。『デスノート』の主要キャラクターの一人は L である。つまり、L のいない世界をかけているのではないか、というのが水野の紹介した解釈だ。

堀元は「それは金が取れる」と興奮した。アニメの内容を理解したうえで、ぴったりの曲を作れるなら、アニソン制作で報酬の桁が変わるだろうという。ただ水野は、このバンドはサブスクを解禁しておらず、YouTube の PV も抽選で当たったファンの希望に応じて順番に公開するという形を取っていると説明した。冒頭に抽選の様子まで入っているので、再生数を伸ばそうとする姿勢ではない。そのバンドがアニソン制作の営業をかける姿を想像して、二人は「急にかっこ悪くなる」と笑った。

難読地名クイズ:京終、水走、喜連瓜破

次のおたよりはどんぐりさんからだ。冒頭の自己紹介があまりに個性的で、水野は笑いすぎて首をつってしまった。本題は、関西の地名が読みにくいという話で、投稿者が大阪出身の母親と盛り上がったという地名が並んでいた。堀元はこれをクイズとして水野に出題した。

一問目は奈良県の「京終」。水野は知らなかったが、「終」は意味から「はて」と読むだろうと推測し、「きょうはて」と答えた。正解は「きょうばて」で、濁点一つ分の差だった。水野は本気で悔しがっていた。

二問目は東大阪の「水走」。水野は、走るから「かける」と読ませる可能性を考えたが、見た目からして違う気がすると言う。正解は「みずはい」だった。投稿者の母親は「『はい』はどこから来たのか」と納得していなかったそうだが、水野はイ音便として説明できると述べる。「咲く」に「て」がつくと「咲いて」になり、カ行の音が消える。この変化は典型的にはカ行で起きるが、一部の地方では「ほかす」が「ほかいて」になるように、サ行が消えることもある。水野は、走るが「はい」になるのも同様の変化であり、説明不可能な例ではないと考えている。

三問目は四文字の「喜連瓜破」。水野は有名な地名なので知っていると言いながら、読み方を思い出せなかった。「読みは四文字だった気がする」と言っていたが、正解は「きれうりわり」の六文字で、水野は記憶違いを認めた。子どものころ日本中の難読地名をメモしていたのに、とこぼしている。投稿者は「なんで重箱読みなんや」と書いてきたが、確かに「喜連」は音読み、「瓜破」は訓読みである。水野は、もともと別の字だったものを縁起を考えて「喜」に変えたような経緯を想定した方がよさそうだと述べつつ、不思議な地名だと言う。

難読地名は関西の「選民思想」なのか

投稿者の本当の質問はこの先にある。昔の地名が謎の漢字遣いになったのは仕方ないとして、数百年たっても簡単な漢字の難読地名が関西でだけ生き残っているように思える。これは上方の人々の選民思想や、他地域へのへそ曲がり根性ではないか、という問いだった。

水野は、難読地名が残っていることと選民思想はあまり関係ないと答えた。関西以外にも、簡単な字で難しい読みの地名は多い。沖縄には「山原(やんばる)」、「南風原(はえばる)」、「北谷(ちゃたん)」などがある。水野によれば、これは「谷は『たに』と読む」という中央の標準と、沖縄で「谷を『たん』と読む」という読みがぶつかっただけで、どちらが正しいという話ではない。北海道では、アイヌ語に由来する地名に漢字を当てた結果、「占冠(しむかっぷ)」のような地名が生まれた。水野は、子どものころは歴史まで調べていなかったが、北海道と沖縄に難読地名が多いのは、ルーツが違ったり古い段階で分かれて変化した言語に漢字を当てなければならなかったりした事情から当然だと振り返る。

北海道出身の堀元は、ニセコ近くのスキー場に行くとき、降りる駅が「倶知安(くっちゃん)」だと聞き、漢字を見て「そんな駅がありえていいのか」と驚いた記憶を語った。

さらに水野は、東京の「渋谷」を例に出す。「谷」を「や」と読むのは音読みに見えるが、辞書では音読みは「コク」「ロク」で、「や」は訓読みである。漢字文化資料館のサイトの記述によれば、谷を「や」と読むのは関東地方から東北地方にかけての古い方言に由来するとされる。つまり、「や」は東日本の方言の読みだ。関西には「渋谷(しぶたに)」さんという苗字があるが、水野はこれも元をたどれば東西の対立だっただろうと述べる。

四谷、渋谷、入谷といった地名が東京の標準的な読みのように思われているので、谷は「や」と読むものだと感じるかもしれない。しかし水野によれば、地名以外の熟語で谷を「や」と読むものはほとんど見つからず、「たに」と読む方が圧倒的に多い。もし漢和辞典に「たん」という読みが載っていれば、北谷は難読地名ではなくなる。北谷のような地名が難読扱いされるのは、関東の方言を標準と定めたことと無関係ではない、と水野は言う。堀元が「むしろ関東の選民思想のせいで、ほかの地名が変に見えている可能性もある」とまとめると、水野も「あると思います」と答えた。

助数詞ーズハイの意志を継ぐ投稿

最後のおたよりは、アイグレックさんからだ。以前、非公認のゆるキャラの広告コピーを送り、水野からイエローカードを受けた人物である。これまでのおたより回では、最後に「助数詞ーズハイ」という投稿者の文章を読むのが恒例になっていた。SMプレイの体験記を、妙に格調高い文体で書く投稿である。その連載が完結したことを受け、アイグレックさんは「先生を学び、先生に学ぶ一回の例として、二番煎じとなってしまうが」と前置きし、同じ系統の文章を送ってきた。

投稿は、緊縛の場面を描く一人称の物語である。女王様が「あなた確か相当テンション高いのが好きだったよね」と言い、語り手は緊縛の世界では「テンション」を縄の締め具合という意味で使うのだと説明する。水野は、英語の tension が本来「緊張」を意味することを補足した。女王様は客を「二体目」「五体も控えている」と「体」で数える。助数詞に関する投稿者名を受け継ぐ仕掛けで、語り手はその扱いに興奮する。

物語の途中で、語り手が女性であることが明かされる。二人は、最初は男性の話だと思い込んで読んでいた自分のジェンダーバイアスに気づかされたと話した。語り手は女王様に恋をしているが、女王様は純粋に縛りの美を追求しているだけで、自分の反応は縄によるものか彼女によるものか、と自問する。結びは「女王様への恋が彼女にバレてはならぬ」である。

堀元と水野は、この投稿を高く評価した。助数詞ーズハイの文章が笑える方向のものだったのに対し、こちらは恋を描いていて文学性があるという。堀元は、恋が実れば女王様は女王様でいられなくなり、対等な関係になってしまうという切なさにも触れた。投稿者は「この恋の行方をまた報告させていただきたく」と書いており、二人はぜひ続きを送ってほしいと述べた。ついでに、投稿文中の「ゲーゲンプレス」はサッカーの戦術の用語で、ユルゲン・クロップ監督が有名にしたものだ。堀元は、ゆる言語学ラジオを検索するとクロップ監督が出てくるという話から、そこから取ってきたのではないかと推測した。

堀元はさらに、体験をただ「楽しかった」で終わらせず、自分の中で咀嚼して文章に構成する孤独な作業を評価した。その流れで谷川嘉浩『スマホ時代の哲学』を引き、ものづくりのような孤独な作業の意義について話したが、書かれていない内容まで本の主張であるかのように言ってしまった。水野は、本に書かれていることと自分が思ったことを分けて言わないと誠実さを欠くと指摘し、堀元はそれを認めている。

一方で水野は、女王様の「ボゴシャなのにフィラーを間違えちゃったわ」というような台詞は実際には言わないはずだと突っ込んだ。脚色が強すぎるので、これだけ文章力があるなら事実に即して書いてほしいという。とはいえ二人は、才能のある人が文章を練る場としておたよりフォームが機能しているのはありがたいと話した。SMの話である必要はなく、日頃の体験をユーモラスで内省的にまとめた文章でもよいと呼びかけている。堀元は、助数詞ーズハイも毎回最後に読まれるプレッシャーを感じていただろうと推し量りつつ、その文化が別のスタイルで次の世代に受け継がれたことを喜び、回を締めくくった。