「あの村」の副村長と7年半ぶりに再会し、村作りの失敗と決裂の理由を確かめる

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概要

堀元見はかつて千葉で「月額会員制村作りサービス」を運営していた。サービス名は「あの村」である。ゆる言語学ラジオの5年間でこの話は何度も断片的に出てきたが、体系的に語ったことは一度もなかった。今回のイベントでは、当時の相方だった副村長ナナシロをゲストに招き、7年半越しの答え合わせをする。二人は喧嘩別れに近い形で離れ、それ以来会っていなかった。

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進行は水野太貴が務める。企画の段取りも普通ではない。当日の楽屋は分けられ、堀元は事前打ち合わせに一切出ていない。水野だけがナナシロと話し、どんな話をすれば盛り上がるかを相談して台本を組んだ。堀元は「自分を知り尽くした現相方がキュレーションする、元相方との対談」と説明する。楽屋で水野に何を話すのか聞き出そうとしたところ、「反論したくなったらしてください」とだけ言われ、喧嘩をさせようとしているのではないかと怖くなったという。

イベントは二部構成で、後半はナナシロが退場したあと、堀元と水野の二人で「村作りが実はゆる言語学ラジオにつながっていた」という話をすると予告された。今回の字幕に収められているのは前半の対談部分である。

副村長ナナシロの現在

ナナシロは現在、ホラー系のYouTubeチャンネル「七四六家」を運営している。堀元は「村を作って喧嘩して、最終的にお互いYouTuberになった」とまとめた。7年半ぶりの再会は、ぎこちない挨拶から始まった。

2泊3日で家を建てるワークショップ

最初に映されたのは、ナナシロが初めて参加したワークショップの写真である。2泊3日で家を建てる予定だったが、ナナシロは穴掘りに夢中になり、本来の作業を放置していた。最終日の写真に写っているのは、完成にはほど遠い骨組みだった。

後日、家作りをやり直すワークショップを開いたが、最初の回で作った部分はひとつも使われなかった。最初は村の敷地の竹など、その場で調達した材料で家を作ろうとしていた。竹でも家は建つだろうと考えていたが、床のクッション性などに問題があった。結局それらは全部捨て、ホームセンターで木材を買ってきた。

ここで二人が口をそろえたのが「平らなものはすごい」という実感である。自然界に平らなものはなく、既製品の木材は置くだけで成り立つ。堀元によれば、家作りでいちばん大変なのは木を組む工程ではなく、その下の地面を平らにする工程だった。もう一人のメンバーであるゴリは水平器を手放さずに地面をならし続け、「気づけば俺、水平のことばっかり考えてる」という言葉を残した。

村では燃料をすべて竹でまかなっていた。夜に外を歩くときは竹を燃やした松明のようなもので明かりを取っていたという。

屋根も外壁もない家で暮らし始める

家は「無事に完成した」と堀元は言う。ただ写真を見ると、外壁はなく、屋根も上に防水のシートを1枚敷いただけだった。雨漏りもしていた。堀元の説明では、ポタポタ垂れてくると暮らせないが、雨が降ると上がじわりと茶色くなる程度なら暮らせる。その状態で住み始めた。

村のものだけで生きる3日間のサバイバル

住み始めて1日目か2日目の翌日から、村にあるものだけを食べて生き延びる3日間のサバイバル生活に挑戦し、Facebookでライブ配信した。そのときの皿には、そのへんに生えていた食べられる草(主力はオオバコ)、炒めたタケノコ、タンパク質源としてサワガニの素揚げと佃煮が載っていた。村に住んでいた頃は中盤から慣れてきて適当に草を食べるようになり、原因不明のじんましんが出て、どうやら毒があったらしいと分かることもあったという。

水野が「これでお腹は膨れるのか、消費カロリーと釣り合うのか」と指摘すると、堀元は「クリティカルな指摘だ」と認めた。ライブ配信の冒頭、ナナシロは元気だったが、堀元はまったく声が出ていなかった。二人の振り返りでは、タンパク質も糖質も足りず、力仕事で消費カロリーは多かった。

ルールでは、食材は村で採れたものに限るが、調味料は使ってよいことにしていた。堀元はルールの範囲内だと考えて砂糖を食べ続けたが、体調は良くならなかった。結局いったん断念して東京の家に帰った。山を下りるだけで30分弱かかったという。

崩落した道と軽トラの脱輪

村の入り口の道は崩落していた。自治体の看板に「崩落しております」と書かれた道を、大きなエスティマで通っていた。二人は「毎日が死と隣り合わせだった」と振り返る。

その道で軽トラックが脱輪する事件が起きた。プロに頼む前に、自分たちで引き上げようとした。近くの木にフックを掛け、手動の滑車の力で少しずつ引っ張る方法である。ところが支えにしていた木が折れ、その反動で飛んできたものがナナシロの足に当たり、大けがを負った。

最終的には、土木作業用の小型重機2台をチャーターし、左右から引っ張って立て直した。大型の重機が入れない場所だったためである。重機2台のレンタル料に、オペレーター2人と監督1人の人件費が加わり、費用は約15万円になった。その軽トラは友人から15万円で買ったもので、水野は「捨てた方がよかったのでは」と突っ込んだ。

ヤギの死とナナシロの離脱

村では「白身」という名前のヤギを飼っていた。村のアイドルのような存在で、みんなでかわいがっていた。このヤギが死んだあと、堀元の言葉では、ナナシロは「ぶち切れていなくなった」。堀元は「ヤギと副村長を同時に失った」と語る。

その後の村と、森に戻りつつある現在

ナナシロの離脱後も、堀元はさらに9か月ほどサービスを続けた。丸1年住んだ頃の写真では、ブランコが作られ、小屋には外壁と屋根ができ、奥には別の物置小屋が建っている。土地も奥まで開拓され、竹で囲った炊事場や焚き火場もあった。水野は「人間が定住を始めた感じ」と評した。堀元自身は、千葉の鴨川市でコミューンを作っている怪しい団体のように見えると冗談を言った。

堀元は最終的に事業売却を呼びかけた。これに応じたのが、クラウドファンディングサービスCAMPFIREなどを立ち上げたことで知られる連続起業家である。堀元によれば、その人物がノリで買い、村はそのまま放置された。7年半が経った現在の写真では、村は森に戻りつつある。

ゆる民俗学ラジオの黒川が最近この地へフィールドワークに行っている。堀元によれば、黒川は「感動した」「ここにはかつて村を作ろうとした人たちの息吹がある」といった感想を述べていた。

副村長が離脱した本当の理由

ここから水野の司会で本題に入る。ナナシロは村のオープンから3か月後に離脱した。水野はまず堀元に、その理由をどう考えているかを尋ねた。

堀元の認識は、村暮らしはストレスが多く、最終的にかわいがっていたヤギの死が引き金になって嫌になった、というものだった。ナナシロは「そういう面もあるけど」と答えつつ、決定的な理由ではないと否定した。ヤギの死や電気の確保の大変さといった環境面が原因だという堀元の見方に対して、ナナシロは「いや、お前やろ」と返した。堀元は思い当たることがまったくないと戸惑った。ナナシロは、当時それなりに書いて伝えたつもりだったと言う。

ナナシロが挙げた一番の理由は、堀元が出来事をすぐ物語にして世の中に発表し、「大変だったんですよ」と演出することだった。一緒に元気にやっていた頃はあまり気にしていなかった。ただ、二人には明確に違う点があった。ナナシロは人に対して感情的になりやすいタイプで、その立場から見ると、堀元には人へのリスペクトがないと感じられたという。

当時から堀元の文章はそれなりに読まれていて、ノートなどがナナシロのもとにも回ってきた。そこでナナシロは村を崩壊させた人のように扱われていた。「主力メンバーが抜けて自分も大変だった」と、堀元自身の視点ですべてが書かれ、ナナシロには何の連絡もないまま公開されていたように見えた。ゴリについても同じだったとナナシロは言う。

この話を受けて堀元は、自分で企画しておきながら「帰りたくなってきた」と漏らした。

「なぜ今日、電話一本もなく呼んだのか」

ナナシロの指摘は今回のイベントにも及んだ。「元パートナーを振り返る」という触れ込みなのに、それなら電話の一本くらいくれてもいいのではないか。堀元は、この場で再会したらエモいと思ったと答えた。ナナシロはそれを「演出至上主義」と呼んだ。面白いことや夢は語るのに、「しんどい」とは言わない人だという。

堀元はこれを「クリティカルな指摘」と認め、今もそうだと言った。水野が「本当のところで心を許していなかったのか」と聞くと、堀元は「そうかも」と答え、人に心を許すのが苦手だと明かした。水野も、それはナナシロに限った話ではなく自分に対しても同じで、堀元は本心を出さなすぎて本心が分からないと付け加えた。

ナナシロはさらに具体的な場面を挙げた。毎週ミーティングをして少しずつメンバーが増え、ファンもいた時期には、二人で手分けしてみんなを送迎していた。堀元はそれを「青春だった」と語る。しかしナナシロが異論を出すと、堀元は「ナナシロさんの意見分かりました」と受け流すだけだった。青春だったと言うのなら、なぜ正面からぶつかり合わなかったのか、というのがナナシロの不満である。

言い返しと、ブーメラン

堀元は「せっかくなので言い返す」と反撃に出た。サッカー部出身の人間は、激論を交わして胸ぐらをつかむことが良いと思っている。手があるのにわざわざ足でボールを扱うようなものだ、と冗談まじりに言った。

ところが話すうちに、その言葉が自分に跳ね返ってくると堀元自身が気づく。そこで堀元は、ナナシロもつらいところを自分に見せていなかったのではないか、と問い返した。これに対して「それは悪かったよ」「分かる、その通りです」という言葉が交わされ、双方が非を認め合う形になった。前半の対談はここで終わり、ナナシロは拍手の中で退場した。