三井住友銀行で表彰2回、30歳でAカップ女子を名乗った発信者に 「ぼくひぐま」樋熊晃規が語る蕎麦屋の実家から独立まで
トマホークTomahawkYouTubeチャンネル「ぼくひぐま」で元銀行員としての話を発信する樋熊晃規氏が、生い立ちから大学受験、三井住友銀行(SMBC)への就職、独立、SNSでの発信までを語ったインタビューである。樋熊氏は自分のチャンネルを「元銀行の話をひたすら擦り続けてプチバズりしただけで、来年か再来年には消える」と冗談めかして紹介する。話の中心は、樋熊氏がその時々にどんな計算や動機で進路を選んできたかにある。就職活動の軸として語った「綺麗な夢と邪悪な夢のハイブリッド」という考え方は、その後の仕事にも通じている。
文京区の蕎麦屋と、母親の蕎麦アレルギー
樋熊氏の実家は東京都文京区の蕎麦屋で、角地にあったことから「角」という屋号だった。祖父母の代から長く続いた店で、父親が2代目にあたる。樋熊氏によると、父親はコミュニケーション力が極端に低く、母親は逆に「コミュ力お化け」だった。母親が接客を担っていたため、母親がいなければ「無口なおじさんが黙々と蕎麦を打つ店」になってしまう、と店の構造を説明する。
店を閉じたのは樋熊氏が大学2年生の頃で、理由は母親が蕎麦アレルギーになったことだった。蕎麦屋では粉が常に舞っているため、続けるのは難しかったという。両親の収入はゼロになり、樋熊氏は給付型の奨学金を申請した記憶があると話す。
一方で、祖母は叩き上げで土地と建物を所有しており、その土地の評価額を見せてもらったら1億8000万円だったという。父親の月収は30万円ほど、母親は15万〜20万円ほどで、「すごく金持ちではないが、やりたいと言ったことはだいたいやらせてもらえた」幼少期だった。この経験は、後で触れる就職活動の志望動機につながっていく。
一番役に立った習い事は「作文教室」
習い事はスイミング、小学4年からの野球、学研の教室などに通ったが、樋熊氏が「一番良かった」と振り返るのは、小学1〜2年から小学6年まで通った作文教室だ。3〜4ページの文章を読み、感想や「作者はこのとき何を感じたか」といった問いに1時間から1時間半かけて答える、国語のミニ試験のような内容だった。
樋熊氏は自分の文章力を「おそらく結構高い」と評価し、それを銀行業務やTwitterでの発信で実感したという。子どもの頃に考えていることを言語化し、文字にする訓練をしたことが、今振り返ると最も役に立った習い事の一つだったと語る。
小学校のリーダーから、中学の「2軍の帝王」へ
小学校の頃はリーダー格だったが、中学1年で「陰キャ」側に移ったと樋熊氏は言う。小学6年までは勢いやノリでクラスの上位に立てるが、中学に上がるとヤンキー、スポーツ系、イケメンが上位を占める構造に変わり、自分が何も持っていないことに気づいた。クラスでの立ち位置を、野球のファームになぞらえて「2軍の帝王」と表現している。
野球は中学のチームに加えてクラブチームにも所属していた。チームにはDeNAの山崎選手や森本選手といったOBがおり、大会でベスト8か4まで進んだ。樋熊氏自身は「すごくうまかったわけではない」と言い、ポジションは外野だった。足は短距離より中距離が得意で、高校の校内マラソン大会では2位か3位に入ったが、野球で長距離を走るのは罰走くらいだったと笑う。
倍率1.01倍の都立新宿高校と、正座させられた試合
高校は都立新宿高校に進んだ。樋熊氏によると、戦前には東大合格者数でトップになったこともある学校だが、その後順位を下げ、樋熊氏の代が「一番ボトム」で、最近また上がり始めているという。新宿の治安の悪化で親が心配するようになったことも一因だと聞いたという。校舎は駅から徒歩5分、高島屋の向かいにあり、当時は仮校舎でとても汚かったため、トイレは高島屋まで行っていたそうだ。
志望した理由は、中学3年間を陰キャで過ごしたので高校デビューを狙いたかったこと、数年前に都立ながら東京都大会でベスト8に入っていたこと、偏差値が65ほどあったことだった。推薦で入学したが、内申点はオール4を少し超える程度だったという。その年の一般入試の倍率は1.01倍で、「一番人気がなかった代」だったと樋熊氏は振り返る。その結果、同期の友人はだいたい大学受験に失敗した、とも話す。
高校では外野に加えて投手も務め、高校1年で球速は125km/hほど出ていたが、ストライクが全く入らなかった。ある試合では初回に四球を3つ出し、相手の甘い攻撃に助けられて無失点で切り抜けたものの、監督から「お前は今日は終わりだ、ずっと正座してろ」と言われた。最初は自軍ベンチの近くで正座していたが、監督の同級生から「こっちじゃない」と言われて相手ベンチの端に移された。5回のグラウンド整備の時間も正座を続け、相手校の選手から「本当にこっちで正座なんですか」と聞かれたという。
夏の大会、東京実業に延長で勝ち、国士舘に大敗
最後の夏の大会では3回戦まで進んだ。1回戦は開幕ゲームで都立戸山高校に勝利。2回戦の東京実業は当時3年連続でベスト8か4に入っていた強豪で、負けると思っていたが延長11回で勝った。樋熊氏はこの試合で4打数3安打3打点、足が遅いのに三塁打も打ったという。
ただ、開幕ゲームの枠はトーナメント表の左下で、3回戦で第1シードと当たることが決まっていた。相手は国士舘高校で、樋熊氏によるとその年に甲子園でベスト8前後まで進んだチームである。初回に6点ほど取られ、11対1くらいで5回コールド負けとなった。セーフティバントを多用されて三塁手が前進守備を取ったところに、プロ注目の打者の強烈な打球が抜けていき、「死んだんじゃないかと思った」記憶だけがあるという。
320人中280番から、3カ月で中央大学へ
勉強はほとんどしておらず、成績は学年320人中280番前後だった。部活引退後に勉強を始めたが、「勉強してこなかった人あるある」として、勉強法を決めるまでに1〜2カ月かかり、本格的に取り組んだのは10月頃から。実質3カ月ほどの受験勉強だった。
樋熊氏はこの期間の勉強を徹底的に絞ったと説明する。国語は漢文と古文を捨て、作文教室で培った力を信じて現代文に賭けた。日本史は山川出版社の『一問一答』だけを使い、赤シートで消える重要語句を3日で1周してすべて書き出す方法を繰り返した。英語は『ターゲット』と『Next Stage』だけ。他の教材は一切使わなかったという。
センター試験は3科目で92.3%を取り、センター利用で成城と成蹊を滑り止めとして確保した。一般入試ではMARCHから中央大学と明治大学、記念受験で早稲田大学を受けたが、明治と早稲田は英語の長文が読めず「何も分からなかった」。これに対して中央大学は、当時の樋熊氏の見立てでは、難易度は低いが得点率が求められる試験で、日本史も簡単な問題を記述で正確に書かせる形式だった。基礎の単語だけを詰め込んだ自分にとって、中大だけが「戦えるグラウンド」だったことに試験中に気づいたという。狙っていたわけではなく、偏った勉強法がたまたま中大に合っていたという認識だ。
学部選びも「一番人気がなさそう」という基準で、中央大学の経済学部の中から人気の低い学科を選び、産業経済学科に入った。聞き手が理由を尋ねようとすると、「マジで理由はない」と答えている。
大学デビューの挫折とアルバイト
中学で陰キャ、高校でも空回りだった樋熊氏は大学デビューを狙い、大手の華やかなサークルは眩しすぎるので、アットホームなオールラウンドサークルとして「ジャイアンツ研究会」を選んだ。巨人ファンで野球経験もあり、完璧だと思ったという。しかし新歓の場で、お酒が飲めずカシスオレンジだけを飲んでいたところ、自分の「間違った未来像」のような先輩から「ビールも飲めないなんてダサいよ」と言われ、「こっち側には行きたくない」と思って入会しなかった。結局、2年生のときに仲の良い友人に誘われて野球サークルに入った。
母親から「お前は家を出た方がいい」と言われて一人暮らしを始め、アルバイトを週4〜5日入れた。時給は830円ほどだった。1年生のときは高幡不動のモスバーガーで働いたが、これには「戦略」があったという。表通りにマクドナルドがあり、モスバーガーはその裏の人通りの少ない道にあった。客として食事に行った際、2時間ほど自分しか客がいない時間があったのを見て、ここなら楽に稼げると考えた。ところが2年生になると人手不足で夜勤ができなくなり、スポーツインストラクターのアルバイトに移った。これが肌に合い、卒業まで3年ほど続けた。
リーマンショック直後の就職活動
実家が自営業の飲食店で、蕎麦屋が潰れた経験もあったため、樋熊氏にとってお金は大切だった。そのため就職先は年収ランキングを基準に選んだという。
動き出しは非常に遅く、大学3年の1月から準備を始め、2月に初めて説明会に行った。当時は4年生の4月1日が面接解禁で、すでにエントリー期限が過ぎた金融機関も多く、エントリーシートを出したのは三井住友銀行、みずほ、三菱、野村など8社ほどだった。
樋熊氏は2010年卒で、就職活動をしたのは2009年、リーマンショックの直後である。金融機関の採用枠は前年のほぼ半分で、採用人数が「未定」とされていたことをよく覚えているという。それでも面接で落ちることはほとんどなく、「運が良かった」と話す。
SMBCを志望した理由として、樋熊氏は二つを挙げる。一つは当時、銀行の中で年収ランキングが1位だったこと。もう一つは、SMBCがリクルーター制で、人事以外の営業系社員が学生と面談しており、その社員たちのスーツがとてもおしゃれだったことだ。ライトグレーのスーツにカフスをつけた社員たちが「お疲れ」というノリで接してくる様子を見て、「こっちがいい」と思ったという。中学からずっと何かでデビューしようとしていた自分にとって、SMBCこそが自分を変えてくれる場所に見えた、と振り返る。
一度落ちてからの「敗者復活」、計10回の面接
当時の銀行の選考は長かった。SMBCでは何度もリクルーター面談を重ねてから面接に進む仕組みで、みずほ銀行でも7次面接まで受けたという。樋熊氏によると、リーマンショック後で選考のハードルが上がり、面接の回数も2倍ほどに増えていた。
SMBCでは4〜5回目のリクルーター面談で一度落ちた。他社の選考が進むなか、4月4日にSMBCから「敗者復活だ」という電話がかかってきた。事情はこうだという。リクルーターの中に「死神」と呼ばれる有名な人物がいて、樋熊氏のゼミの学生は全員その人に落とされていた。ハードルを上げすぎた結果、候補者が全滅してしまった。その人物に落とされるまで評価の良かった学生が複数いるので、敗者復活戦をする、という話だった。
「明日来られるか」と聞かれて行くと答え、4月5日にリクルーター面談を2回、4月6日に人事面接、7日に2次面接、8日に最終面接を受けて内定を得た。面談を含めると計10回ほどになる。SMBCが最初の内定で、そこで就職活動を終えた。
銀行員の年収と、豊橋での3年9カ月
年収について、樋熊氏は5年目で退職した時点で670万〜680万円ほどだったと話す。残っていれば28歳の代で昇格し、29歳で900万〜950万円、早い人は30〜31歳で1000万円に届く水準だったという。手取りでざっくり月38万円ほどを自由に使え、それが全部合コンに消えたと笑う。
初任地は愛知県の豊橋法人営業部で、ここには3年9カ月いた。樋熊氏は愛知を「遊び心の牢獄」のような場所だったと表現する。トヨタ経済に守られ、地元志向が非常に強いため、全国転勤のある銀行員は警戒されやすく、三井住友銀行よりも岡崎信用金庫の方が人気がある、というのが樋熊氏の実感だ。
当初は2年半ほどで異動すると思っていた。新入行員として豊橋に来た人の最長は2年3カ月だと聞いていたからで、自分はおそらく最長記録だろうと話す。長くなった理由として、3年目にたまたま良い案件が出て表彰を受けたこと、さらに3年目の終わりから4年目にかけて支店の収益の3〜4割を占めるような案件が出て、それをクロージングするまでは異動できないと判断されたらしいことを挙げる。本人は「これも運で、お客さんのおかげ」と繰り返している。受けた表彰は、年次的に若手表彰と地域表彰だった。
「水が飲めなくなった」と肩パン
樋熊氏は動画で「仕事中に水が飲めなくなった」という話をしているが、「水を飲むな」と言われたわけではなく、そういう空気の中で飲めなくなったという話だと説明する。本人は「何にでも馴染めるタイプ」だという。聞き手は動画を見て、死にかけるほどのパワハラがあったのかという印象を持ったと話す。
また、樋熊氏の指導員は元早稲田大学柔道部で身長185cm、体重130kgの人物で、「コミュニケーションとして」肩パンをしてくれたという。聞き手は「痣になりそうだ」と驚いていた。
東京・日比谷での1年と「セルフ二度寝」
豊橋の後、部長が「豊橋も長かったから希望はある程度聞く」と言ってくれたので、「東京で銀行員をしてみたい、東京で合コンもしてみたい」と正直に伝えたところ、日比谷法人営業第一部に異動になった。ここには1年しかいなかったが、「さすがに東京デビューはさせていただいた」と言う。合コンは月のうち3分の1ほどの頻度だったと話し、翌日の仕事はきつかったと認める。
朝は6時40分起きだったが、実際にはまず5時に目覚ましをかけていた。5時に一度起きて「まだ1時間半ある」と二度寝できる一瞬の幸福のためで、樋熊氏はこれを「セルフ二度寝」と呼ぶ。体には「ゲロ悪い」とも付け加えている。
なぜ5年目で銀行を辞めたのか
退職の理由について、樋熊氏は銀行業務を分解すると、担当者レベルでやっていることは3年目も10年目も15年目も大きく変わらないと考えたと説明する。金融商品が複雑になったり求められる知識が増えたりはするが、それは延長線上で伸びるだけだ、という見方である。
27歳頃になると30歳が見えてきて、周囲にも転職する友人が増えた。サラリーマンとしてのスキルは伸びたが、それが外に出たときに通用するのかは疑問だった。当時は独立がかっこいいという風潮もあり、周りも独立し始めていた。
樋熊氏にとって大きかったのは、銀行で表彰を2回取っていたことだ。仮に独立して1年でうまくいかなくても、地方銀行なら拾ってもらえるだろうと考えられた。若手時代に積んだキャリア上の資産があったから、辞めることにあまりリスクを感じなかったという。逆に、翌年以降に昇格して給料が上がると、絶対に辞められなくなると思った、とも語る。
独立1年目は年収130万円、リボ600万円
独立後は金融の仕事を軽く並行しつつ、銀行の同期が手がけていた転職エージェント・人材の仕事に関わり、8〜9年ほどそれで生計を立てた。
1年目の年収は130万円ほどだった。転職エージェントは、面談した人が転職活動をして内定が出て初めて報酬が入るため、入金まで半年から9カ月ほどのラグがある。銀行時代は700万円あった年収が130万円になり、その差の約600万円はリボ払いで埋めた。聞き手が「初期投資のようなものか」と尋ねると、樋熊氏は「違う、日常的なクズみたいな生活の垂れ流し」だと否定している。
2年目には1200万円ほどになった。樋熊氏は、最初に転職を支援した人たちが感謝してくれて、多くの人を紹介してくれたことが大きかったと話す。スカウトメールを一度も打ったことがなく、紹介だけで転職エージェントの仕事をしてきたという。
就活の軸は「葬式に来てくれる人を増やしたい」
人間関係を大事にしてきたのかと聞かれ、樋熊氏は就職活動のときから「自分の葬式に来てくれる人の数を増やしたい」と言っていたと明かす。葬式に来てくれる人を増やすような生き方をしていれば食べていける、という考えで、今もそう思っているという。これを聞いた聞き手は、自分は就職活動で「お金が欲しい」としか言っていなかったと笑う。
樋熊氏は、就職活動で綺麗事しか言わない学生は嫌われると考えている。特に銀行員は綺麗事を言う相手には厳しくなる。一方で、本音だけを言うのも生々しすぎる。だから「綺麗な夢と邪悪な夢のハイブリッド」にすることが大事だ、と言う。
当時の樋熊氏は就活の軸を二つ示していた。一つ目は「自分の葬式をパンパンにしたい、それができる仕事がしたい」。金融は無形商材で自分自身が商品になるため、「三井住友銀行ではなく樋熊さんが担当で良かった」と言ってもらえる仕事ができる、という理屈である。二つ目は「給料が高い仕事がしたい」。実家は自営業で、蕎麦屋は潰れてしまったが、子どもの頃やりたいと言ったことは全部やらせてもらえたことに感謝している。自分が親になったとき、子どもがやりたいことを全部やらせてあげられるようになるには、綺麗事抜きに給料の高い会社に行くべきだと考える。そして有形商材より無形商材の方が利益率が高く、その中でもお金に最も触れられる金融が面白そうだ、という流れで志望動機を組み立てていた。22歳でこれを話していたことに、聞き手は感心していた。
「30歳独身Aカップバリキャリ女子」として始めた発信
こうした就活生向けの発信を2019年頃から始めたところ、話題になった。最初のアカウントは女性の設定だったと樋熊氏は明かす。
当時の就活系の発信は「就活は人生のゴールじゃないよ」といったエモーショナルなものが多く、採用の仕組みや設計を語る人はいなかったという。樋熊氏がやりたかったのは、この会社はこういう仕事をするから、こういう能力に秀でた人を取りたい、そのためにこういう質問を設計する、という逆算を就活に落とし込めば内定率が上がる、という話だった。ただ、尖った話を中年男性がいきなりすると叩かれかねない。そこで一緒に活動していた人物が用意したのが「30歳独身Aカップバリキャリ女子」のアカウントだった。どれだけ尖った発信をしても、その設定の人物を叩く人はいない、と樋熊氏は説明する。このアカウントは3カ月でフォロワー1万人ほどになった。
中身は30歳過ぎの男性なのでどうしようかと考え、顔を出すことにした。業界ではざわつき、顔出しのためだけにYouTubeチャンネルを作ったところ、出てきたのは「30過ぎのおじさん」だった。炎上を覚悟したが、ほとんど炎上しなかったという。樋熊氏の見立てでは、内容が役に立つものだったことに加え、女性アカウントだった頃に人事系の中年男性から大量にナンパのようなリプライを受けていたことが大きかった。正体が明かされると、「あいつ男だったのか」ではなく「あいつに言い寄っていた人がたくさんいた」という方向に批判が向かい、言い寄っていた側が「魔女裁判」にかけられたという。
「GAFAO」とスクリーニングとしての発信
樋熊氏はオープンハウスを「GAFAO」と呼んだことでも知られる。就活系の有名アカウントがオープンハウスをいじって開示請求を受けたという話があり、その後、樋熊氏のコメント欄に「オープンハウスに受かるにはどうしたらいいか」という質問が来た。そこで「就活生たちで申し上げるなら、GAFAがあって、その並びにO」と話したところ、大きく伸びた。
樋熊氏は、こうした冗談を笑えない人はそもそも仕事に向いていないと言う。自分は年収3000万円がもらえるならどんな仕事でもいいと思うほどお金を重視しており、自分が求めるものに絶対にたどり着けない仕事なら違うと考える。逆に、稼ぎたい人にオープンハウスが「20代で2000万円稼げる」と言うなら、それはそれで正解だという立場だ。自分の発信で怒るような人はすぐ辞めてしまうので、会社にとっては人件費や研修費の無駄であり、発信がスクリーニングになっていると話す。聞き手が現在の年収を尋ねると、「今の年収はやめておきます」と答えなかった。
今も銀行が好き、コンプラには目をつけられた
樋熊氏は「根の部分で銀行が好き」だと言い、コンプライアンス審査で書類落ちするだろうが、今戻れと言われたら結構活躍できると思う、と話す。YouTubeを始めたばかりの頃、SMBC本部と仕事上の関わりがある人からDMで、コンプライアンスチームに樋熊氏についての訴状の下書きがあると聞いたこともあるという。聞き手は、樋熊氏の発信を見てSMBCを選んだという就活生からのDMもあると聞き、採用にも貢献しているのではないかと返していた。
「ぼくひぐま」を始めた経緯について、樋熊氏は、株式会社Uに声をかけられて昨年の頭から在籍していること、その際に以前のSNSアカウントの所有権をめぐって色々とばたついたことを挙げる。そこで現在の編集担当の林氏に連絡し、YouTubeを手伝ってほしいと頼んで、2024年夏からYouTubeを始めた。運よく伸びた、と本人は言う。
20〜30代へのメッセージ
最後に20〜30代の視聴者へ一言を求められ、樋熊氏は、仕事は頑張っておいた方が潰しが効き、キャリア的にもやって良かったと思えるし、その後に飲む酒が一番うまい、と語った。今は冷めた人が多いが、仕事は楽しくなく辛く苦しいものだとしても、たまには何か一つに熱狂してほしいという。自分も過労死しないように頑張る、と付け加え、2026年を駆け抜けていこうと締めくくった。
トマホークと、イマシカです。ということで、自己紹介お願いいたします。
樋熊と申します。YouTubeチャンネルの方では「ぼくひぐま」というYouTubeで、元銀行の話を一生懸命擦り続けて、プチバズりをして、多分来年か再来年にどうせ消えてなくなるようなチャンネルなので、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。元銀行マンということで、その銀行のお話をよくされてる。はい、そうですね。
家庭がその、親御さんが銀行マンとかだったとかではないんですか?全然全然。実家が東京都文京区仙のお蕎麦屋さん。へえ。角っこにあるんで「角」っていう屋号で。今もある?いや、今はとっくに潰してしまってて、潰れた理由というのも、母親がそばアレルギーになって。え。そう、そう。ガチで。
そばって粉じゃないですか?粉だと蕎麦屋ってずっと舞い続けてるんで。ああ。そうすると結構しんどいよねっていうところと、ちょっと整理すると、実家の蕎麦屋っておじいちゃんかおばあちゃんぐらいからやってるんですよ。ええ。結構長い。多分4年ぐらい。すごい。
2代目が僕のお父さんなんですけど、うちの父親、死ぬほどコミュ力低いんすね。意外すね。確かに。目は本当に僕と同じ切り傷で、おかんがめっちゃっちり、2人のコミュ力お化けなんすよ。ああ。
多分ね、悪魔が合ったりすると目が細くてめちゃくちゃ喋るんですけど、さっき言ったそこのお店からおかんを取り上げると、本当にしがないおじちゃんが無口でそばを打ってるみたいなお店になるんで、いやもう大事です。営業が足りないと。ああ、圧倒的に。
っていうので、僕が大学2年生ぐらいの時にもう蕎麦屋を閉めるっていう形になって、両親のいわゆる収入が0になるんで、給付型の奨学金申請した記憶ありますね。ええ、そうなんですね。
東京生まれで代々って、元々めっちゃ裕福だったとかですか?いや、どちらかというとおばあちゃんが結構叩き上げで、その建物とかちゃんと土地から持ってるんで。え。土地がいくらぐらいかっていうの見してもらって、1億8000万円でした。いや、すご。本当続待ち、本当続待ちです。
え、ご兄弟はいらっしゃるんですか?同じ顔の弟がいます。双子ですか?本当ね、多分目の細い遺伝が強すぎる問題が。
え、じゃ、ちっちゃい頃はそんな、なんて言うんですかね、不自由なく。そう、不自由なく。おじいちゃんおばあちゃんはそれなりにお金を多分持っていて、お父さんとお母さんは一応給与制みたいな。お父さんが月30万ぐらいの、おかんが月15、20万ぐらいでしたね。だからめちゃくちゃ金があるわけでもないけど、ある程度やりたいっていうことは大体やらしてもらったみたいな感じでしたね。
習い事とかされてました?習い事は色々やってましたね。もちろんスイミングとか、僕野球やってたんで小4から野球とか、あと学研あるじゃないですか。学研のおばちゃんみたいなあれとかも行きつつ、多分誰もやってない習い事が1個だけあって、作文教室って言ってました。え、なんすかそれ?
いや、俺小1、2から行ってたんだけど、3、4ページぐらいの文章を読んで、その感想だったりとか、作者はどういうことをこの時感じたでしょうみたいな。本当国語のプチ試験みたいなやつを1時間、1時間半ぐらいかけて書くみたいなのとかを小1、2から小6まで。結構長いっすね。
でも今思うと多分これがすごい良かった。良さそうすね。そう。これがマジすごい良かった。文章を書く能力って僕結構高いんですよ、おそらく。銀行業務の時とかひしひしと感じたんですけど。Twitterの時とか確かに。圧倒的に。結構、考えてることをちっちゃい時に言語化するとか文字起こしするみたいなのとかは、今振り返ると多分1番いい習い事の1つだったなっていうのも思いましたね。
どちらかというと大人しい感じだったんですか?幼少期は。幼少期はもっと、自分で言うのも申し訳ないですけども、小学校の時はちょっとリーダー格的な。自分で言うす。本当に中1からちょっと陰キャに行くんですけど。
小6の時って結構勢いとかノリである程度の地位まで登り詰めれるんですけれど、中1ぐらいからピラミッドの構造が変わるというか。うんうん。ヤンキー、スポーツ系、イケメンがここを占めるじゃないですか。小6から中1になったぐらいの時に、自分が何も持ってないことに気づくんですよ。へえ。持たざる者がクラスの2軍とか2.5軍とか、ファームね。ファームあたりのところ、2軍の帝王みたいな感じで。なるほど。
やっぱね、先輩にヤンキーとかが来ると息を潜めながらずっと素振りしてるから。素振りして。でも野球はずっとされてたんですね。野球はそう、小4から始めて、中学校の時も中学のチームプラスクラブチームにも。エリートっすね、じゃあ。
僕はすごいうまいわけではなかったんですけど、チームとしてはOBにDeNAの山﨑君とか、あと森本選手とかがいるOBのチームがあって。チーム名は何ていうとこですか?チーム名はグライティズ、西日暮里グライティズっていうところで、最終的には優勝して、大会みたいなところとかでベスト8か4ぐらいまで行きましたね。
ポジションどこだったんですか?ポジション外野ですね。ちゃんと陰キャみたいな感じです。ちゃんとちゃんと。そう、そうね。声は届かないから。
ちなみに足とかも速かったんですか?足はどちらかっていうと中距離ぐらいの方が速くて。へえ。高校の時に校内のマラソン大会とかあるじゃないですか。あれで2位とか3位とかだったんで。でも野球では使わないんですよ。長距離使わない。短距離の方が大切っつうか。そう。野球だとその罰ゲームでしかやらないんで。表だった長距離はしか走らないんで。ぶっこ抜が多かった。
高校が新宿高校。はい。都立の新宿高校です。本当に戦前ぐらいの時に東大輩出1位になった。あ、そうなんだ。で、だんだん下がっていって、僕の時は1番ボトムで、最近またちょっと上がり始めたみたいな。やっぱ新宿の治安が悪くなると共に、新宿高校はやっぱ親が心配するって言ってた。
確かにちょっと怖いっすもんね、あの辺。ちょっと行ったらもう歌舞伎町とか。そう。本当に高島屋が新宿駅のとこにドーンってあって、その向かいにあるんすよ。本当駅から徒歩5分とかで、僕の時新宿高校は旧校舎だったんすけど、めちゃくちゃ校舎汚かったんで、僕うんこしに高島屋行ってましたもん。そっちの方が綺麗だから。綺麗だし、休み時間で行けるから。
中学3年間、さっき言った陰キャで育つじゃないですか。次狙うはやっぱり高校デビューみたいなのと、その新宿高校がさっき言った、野球がたまたま何年か前に、都立だったけれども東京都の大会でベスト8まで行きました、偏差値が65ぐらいありますっていうところで、受験としてはなんか受けてみようと思って、結論推薦で入ったんですよ。
僕の時多分1番人気なくて、一般で受けたら1.01倍なんすよ。おお。推薦も僕、内申点がオール4ちょっとぐらいだったんですよ。それでうまく入れたっていうのもあって、めちゃくちゃ偏差値が下がった代で、結論、僕の代の友達大体みんな受験失敗したっていう。
で、僕その時外野やりつつピッチャーもやってたんで、高1ぐらいの時に125ぐらい出て、ほどほどに速かった。でもストライク全く入んなくて、試合中正座させられたりとか、罰走させられるようになっちゃって。試合中正座ですか?
当時慶應志木高校っていうところだったんですけど、1試合目の初回にフォアボールというものを3個出して。ああ、やってますね。でも無失点に抑えたんですよ。すごい。相手の甘い攻撃に助けられて。その結果として、お前は今日終わりだって言って、ずっと正座してろっていうので、1回のいわゆる裏ぐらいから正座モードになって、自分たちのベンチがこっち側にある時に僕ここら辺で正座したんですよ。
息を潜めてたら、普通に2回の裏ぐらいに監督の同級生が来て、こっちじゃないって言って、あっちで正座しろって。自分たちのベンチじゃなくて、相手の慶應志木高校のベンチの端っこで僕ずっと2回の裏ぐらいから正座することになって。足もバキバキになるし、さすがに5回のグラウンド整備の時に慶應志木の人がパーって走ってきて、本当にこっちで正座なんすかって。
え、それグラウンド整備中も休みなしでずっと正座。そう、そう。やばいっすね。足おかしくなりそうすよね。だからね、たまに三塁線のファウルボールの時に、さもかわすかのようにこうやって。
新宿在籍時の最高の成績とかどんな感じだったんですか?高校自体の。正直僕たちの代そんな強いわけでもなかったんですけれども、3回戦まで来ましたと。1回戦がたまたま開幕ゲームっていうので、都立の戸山高校っていうところと試合して、そこは普通に勝って、2回戦が結構強いところの東京実業っていうところと当たったんすよ。
当時3年連続ベスト8とか4とか行ってて結構強いんで、さすがにここで負けるかなと思ったら勝っちゃったんすよ。延長11回とかで。僕その時引くほど活躍したんですけど。え、どのぐらい?4打数3安打3打点、足遅いのに3盗塁という。すげえMVPの活躍ですよ。
次が3回戦なんですけど、さっき言った開幕ゲームってトーナメント表の1番左下の1番最初の日程で、ここの宿命ってもう決まってて、第1シードの下なんすよ。ああ。その時第1シードが国士舘高校で、結局その年甲子園でベスト8とかそこぐらいまで行ってるんですけど、そこに蹂躙されて終わりました。
東京実業に勝ったから、これワンチャン行けるかもなって思ったら、もう初回でピッチャー6点ぐらい取られて、11対1か何かで5回でちゃんと綺麗に負けましたね。うわ。本当にセーフティバントとかされすぎて、途中からその三塁のやつがめちゃくちゃ前進守備になったんすよ。そしたらプロ注のやつが信じらんない打球スピードで、本当死んだんじゃないかって思うぐらい、サードのやつが抜かれた記憶だけありますね。弾丸みたいな。弾丸で穴開いたかもし。で、蹂躙されて夏は終わりました。
野球の話が結構やっぱり多かったですけど、勉強とかもされてたんですか?勉強本当死ぬほどしてなくて、320人中280番目ぐらいでしたね。そのラインって大体どういう大学に進学するんですか?浪人して、日東駒専行くか行かないぐらいとかじゃないですか。さっき言った倍率がすごい下がった代だったんで、全員のポテンシャルも低いんで。
じゃあ部活引退されてから結構猛勉強された。部活引退してからですね。ちゃんと勉強やってこなかった人あるあるなんすけど、まず勉強の仕方を決めるまでにやっぱ1、2ヶ月ぐらいかかるんすよ。分かる分かる。ガチでやり出したのが多分10月ぐらい。ええ、すごい。3ヶ月ぐらいしか勉強してない。
本当にもうめちゃくちゃ絞ってやってて、最終的に3科目頑張ろうっていう話じゃないですか。3科目ももうちょっと分解すると、まず国語であれば漢文は捨てたんすよ。漢文はなんかノリでいけるだろうと。で、古典も捨てたんですね。へえ。国語は作文教室に行っていたポテンシャルがあるんで、それを信じて。
日本史は山川の一問一答ってやつがあるんですよ。山川の一問一答って、1問とそのアンサーがあるんですけど、その1問の中に赤いやつで隠すと消える文字みたいな重要キーワードがいっぱいあるんで、3日で1周して全部書き出すっていうのを。結構偏った勉強で、他の教材一切使わないで。
英語はターゲットとネクステージ、あれだけやってましたね。あまりにも偏った勉強の仕方だったんで、それがたまたま中大だけハマりして。すご。センターも一応3科目受験で受けて92.3%。すご。逆に成城と成蹊しか出してなくて。センター利用。センター利用で最低限、滑り止めの成城、成蹊が取れたんで。
MARCHの中大と明治と、記念受験早稲田。明治と早稲田は何もわかんなかったす。ええ、そんな違うんすね。英語の長文読めないんで。え、中大もありますよね、長文って。中大は難易度が低いけれども得点率を上げるっていう当時仕組みなんすよ。だから日本史とかも簡単な問題だけれども、ちゃんと記述で書くっていう。なので基礎の単語だけやってきた人間からすると、中大だけ戦えるグラウンドだったっていうのに試験中に気づけた。
それ狙ったわけじゃないです。中大が1番人気がなさそうで、中大の中の経済学部、で、経済学部の中も1番人気のない2学科選んでいって、今はないんです、経済学科、公共経済学科っていう、何もよくわかってないんですけども。公共と産業経済、両方受けて産業経済の方に来ましたね。これ理由は特にないです。聞こうとしたけど。マジで理由はないです。
中学3年生陰キャで、高校も空回りだったんで、結論高校卒業した時にちゃんと童貞が仕上がるんですよ。ちゃんと童貞が仕上がった結果として、大学デビューしたいと思って。チャラついたオールラウンドサークルとか分かります?田舎の大学でもオールラウンドあります?いや、ないけど、知ってはいる。
大手ゴリゴリ系はちょっとやっぱ陰キャには眩しすぎるんですよ。この中堅以下の和気あいあいとしてるアットホームなオールラウンドサークル行こうと思って、ジャイアンツ研究会っていうオールラウンドサークルがあったんすよ。巨人ファンだし野球やってたし、オールラウンドだし、ジャイアンツだったら本当にもう松井の下敷き、高橋のリストバンドみたいな。ゴリゴリなんすね。もう完璧だと思って。
ごめんなさい、今の時代は違うんですけども、当時新歓ってちょっとアルコール飲むじゃないですか、1年生でも。僕お酒本当1滴も飲んだことなくて、カシオレだけ飲めたんすよ。ジュースっぽくて。カシオレをバーって飲んでバーって喋ってたら、本当に僕の未来像みたいな陰キャのやつに、本当に頭切り頭のメガネ細めで、春先にも関わらずカーキに茶色みたいな、なんか落葉の精霊みたいな。
だから僕の多分間違った世界線、ギリギリ多分あゆくそっち側に行くとこだったんですけど、そいつにビールも飲めないなんてダサいよみたいなこと言われて、こいつマジ気持ち悪いって思っちゃったんですよ。ここの方に行きたくないと思って、結局サークル入んなかったんすよ。2年の時にたまたま仲いいやつが野球サークル経験者で、来いよっていうので野球サークルに入らしていただいたっていう。そんな感じすね。
え、それ女子との関わりなくないすか?その1年から2年の間で。本当に危うく終わるとこでしたね。僕童貞卒業したの20歳なんで、本当ちっちゃい魔法ぐらい使えますよ。じゃ僕22とかだったんで。ああ、本当ですか。僕の方が強い魔法使うと思う。メギラマぐらいやってます。僕も遅かった。僕も20歳とか19の後半とかだった。じゃあ本当にみんな仲良くなりそうですね。
やっぱお2人とちゃんと喋ってて、根の陰キャな部分めちゃくちゃ感じます。確かに。マジでそう。やっぱり今たまたまこういう表に出てしまったがゆえにピエロ君になってるけれども、根の部分の太さはもう多分変わらないなっていう。いや、そうすよね。同じ匂いします。だから仲良くなれるんだろうなっていう。いや、本当に多分酒飲んだらみんな仲良くなりそう。
頑張っても行くみたいな。でもやっぱり入ったらちょっと怖いなみたいな。これってどうやって注文だけ。
おかんがお前は家出てった方がいいみたいな話になって、性格的に。1人暮らしろっていうので、バイトは週4、5でやってましたね。しかも当時時給僕830円とかだったんで。何のアルバイトやられてたんすか?大1の時にモスバーガーをやっていて、高幡不動っていうところ。
でもこれちゃんと戦略があって、たまたまそのモスバーガーって表通りにマックがあって、その裏っ側の人1人いないような通りのとこにモスバーガーがあって、僕1回飯食いに行ったら2時間僕しかいない時間があって、ここで働こうと思って。確かに楽に稼ぐことできる。確かに。
結局大2から、あまりにも人手不足すぎて夜勤ができなくなったんですよ。お店が開けないと。夜勤入れないならっていうので、スポーツインストラクターのアルバイトを大2から始めましたね。結局そのスポーツインストラクターのアルバイトが結構肌に合って、3年ぐらい最後までやってましたね。
基本的にやっぱ僕、実家が自営業の飲食店で、蕎麦屋潰れてるみたいな背景もあったんで、結構やっぱお金が大切だったんで、年収ランキングとかで就活とか仕事選びはしましたね。
あとね、その就活が結構動き出しが死ぬほど遅かったんですよ。3年生の1月から動き出して、2月に初めて説明会行き、その2ヶ月後の大体4年生4月1日が当時面接解禁。結構もう応募できない金融機関多くて、その期限が過ぎてて、ちゃんとエントリーシートとか出したのは8社ぐらいとかだと思う。
それはSMBCとか?SMBC、みずほ、三菱、野村、ワコール、明治、森永製菓として、多分ちゃんと出したの本当それぐらいだと思う。本当運良く面接は落ちたことなくて。へえ。そう。真反対です。いや、すごいっすね。
でもイマシカ君なんかすごい受かりそうなのに、なんでそんな受からないんですか?今受かりそうにチェンジしたんじゃない?チェンジしました。当時はマジひねくれてたんで。ああ、なるほど。モンスターだったんで。キモいやつでしたね。だからもうそれを見抜かれたんじゃないですかね。
なるほどね。当時ね、接長くて、リーマンショックの直後の就活生なんですよ、僕。え、じゃ結構採用枠減ってたんじゃない?そう。前年よりも金融機関はほとんど半分ぐらいですみたいなタイミングで。まさに翌年みたいな感じですか?リーマンショック。そう。リーマンショックがちゃんとこう形で出てきたのが2008年ぐらいで、僕2010年卒業なんですけど、就活が2009年ぐらいにやってるんですよ。採用人数とかあれが全部未定になったんすよ。それだけめちゃくちゃ覚えてて。
そこで面接全勝したんですか?運が良かったす。ええ、すごい。実際は何社ぐらいもらったんですか?SMBCが1番最初に内定いただけて、そこでもう就活全部終わりで。もうガン決まり、ガン決まりしましたね。
当時は何がそんなにSMBCを、樋熊さんを、なんつうんだろう、引きつけたんすか?年収ランキングが1位。あ、そうなんですね。当時銀行だと。あとSMBCだけ当時リクルーター制、従業員の人とのコミュニケーションが多かったので、いわゆる人事以外の営業系で学生の面談するみたいな人たちのスーツが全部めちゃくちゃおしゃれだったんすよ。
SMBCのセミナー行ったら、もうめっちゃライトグレーのスーツにラジラにカフスつけて、ほぼキャプテン翼君みたいな髪型の人とかが「お疲れ」みたいなノリの人が結構多くて、こっちがいいと思っちゃった。結局その中学校からずっと何かでデビューしようと思ってるから、SMBCこそ僕を、みたいな。
三井住友銀行とかって面接とかも結構厳しいですか?そうですね。例えばSMBCはリクルーター制なんで、リクルーター面談とかをやっぱ何回もやって初めて面接に行けるみたいな。あ、そうなん。みずほ銀行とかも7次面接まで受けてましたし、三菱も同じく全部同じ風に進んでくんで、7、8次ぐらいみたいな形で、どこの銀行も当時やっぱリーマンショックの後でバーが上がって、面接回数も2倍ぐらいになって。
例えばSMBCだと、そのリクルーター面談っていうのを受けさせてもらって、僕4、5面談ぐらいした時に1回落ちたんですよ。SMBC。他の企業だけバーって選考進み始めてる中で、覚えてる、4月の4日にそのSMBCからバーっと電話が来て、敗者復活だって電話来て。へえ、マジ?
本当にお前みたいな長で落としたろみたいな、超有名な人いたんすよ。死神みたいな人がいて。俺のゼミ全員その人が落としてんのね。で、その時リーマンショックの煽りだから、面接のバー上げすぎて候補者が全滅したって話。ええ。今からその長で落ちるまで評価は良かった、長で首を切られたやつらが数いるみたいな。ここで敗者復活戦をするんだみたいな。お前明日来れるかって言って、行きますって言って。
4月4日にその電話でしょ。4月5日にリクルーター面談2回やって、じゃ面接行こうみたいな話になって、4月の6日で通常の人事面接、4月の7日で2次面接、4月の8日で最終面接、内定みたいな。おお。面談も含めたら合計何回ぐらい面接してるんですか?10回ぐらいじゃないかな。あ、そんなあるんですか。
年収ランキングで高いから受けたみたいな話だったじゃないですか。最高の年収を聞いても?僕は5年目で辞めてしまったんで、670、680かな。あ、高いっすね。逆にその翌年残ると昇格が発生するので、当時だから28の代に昇格をして、29のタイミングの時に年収900から950ぐらい。すげえ。多分30か31の時に早い人は1000乗るみたいな。今はもっといいと思う。
だったらめっちゃ高いすよね。そうそう。毎月ざっくりだけど、手取りで38万ぐらい自由に使えるお金があったから、それが全部合コンとかでなくなってた。社会人デビューは成功ですか?
社会人デビューは、もっと厳密に言うと、1番最初の4年ぐらい、愛知県の豊橋法人営業部って僕初期配属で、そこはデビュー全然できなくて、ちょっと遊び魂の牢獄みたいなとこ。愛知県ってさ、みんな地元愛強すぎ。そう、そう。トヨタ経済に守られて、全員地元愛があまりにも強すぎて、全国転勤っていうだけでやっぱちょっと敬遠されるので。いや、本当三井住友銀行よりも全然蒲郡とかの人気あるから。岡崎信用金庫。
豊橋が何年間でしたっけ?僕3年9ヶ月いました。じゃほぼ豊橋にいらっしゃって。そう。豊橋もね、2年半ぐらいで出ると思ってたのよ。1番最初新入行で豊橋に来た人で、1番長くいた人で2年3ヶ月っていう話を聞いてて。もう最長記録みたいな。本当多分最長記録みたいなと思います、新入行の。それはなんでそんな伸びてんすか?
なんかね、たまたまちょっと数字を上げた部分があって、結構その3年目ぐらいの時にいい案件とかがたまたま出てきてて、結果的にそれで表彰もらったんですけど、営業として1カウントいけるんじゃないかみたいなのが多分1つありつつ、その3年目の終わりから4年目にかけても、お店の収益の3、4割ぐらい占めるような案件。え、すごいすね。これも運ですよ、こんなの。お客さんのおかげです。これをやっぱクロージングするまで出れないだろうみたいな。その結果として3年9ヶ月ぐらいいましたね。
表彰ってどういう表彰なんですか?通常表彰とか若手表彰とか色々あるんですよ。そん中の、僕は年次的に若手表彰と地域表彰みたいなやつかな。
そこまで聞くと順調そうなんですけど、実際入ってみてどうでした?三井住友の日常。僕は結構何でも馴染めるんですよ。それこそ動画とかであげさせていただいてるのが、仕事中水飲めなくなったとかあるんですけど、別に仕事中水飲むなよって言われても、あ、水飲めなくなったんだで終わりますか。ポーンて。
動画見てる感じ、ほんまに死にかけたんかなみたいな、パワハラとかえぐかったんかなみたいなイメージがバって来たんですよ。肩パンされてるみたいな話とかがござったと思うんですけども、僕のたまたまついていただいた指導員がその早稲田大学柔道部、185cm、130kgのめちゃくちゃ死護の人で、コミュニケーションとして肩パンをしていただけるっていう。え、結構やばくないですか?そんな太いくらいの。ちょっと黄色くなるぐらいですか?やばみ重とかで落ちるよ。
最終的に3年9ヶ月で東京ですか?東京に行かしていただいて、本当部長がめちゃくちゃいい人で、豊橋も結構長いこといたもんなみたいな、希望はある程度聞いてるぞみたいな話になって、東京で銀行をしてみたいですみたいな、東京で本当合コンとかしてみたいすみたいな話をマジでしたら、マジかとか言ってて、東京の日比谷法人営業第一部というとこに行かしていただいて、ラッキーみたいな。
そこは何年ぐらいいらっしゃったんですか?そこがね、1年しかいなかったんですよ。銀行業務ってめちゃくちゃ分解すると、別にやってることって3年目も10年目も15年目も担当者ベースだと変わんないと思うんですよ。金融商品が複雑になるとか、求められる知識量とかあるかもしんないですけど、それって別に好点的に伸ばすだけで、あんまやってることって変わんない。ので、自分の人生考えた時にチャレンジもしてみたいみたいな。
なんかありません?あ、てかみんな若いからあれか。消してないから。そう、あんまわかんない。当時ね、27ぐらいの時って、やっぱ30が見えて。ああ、確かに転職してる友達は多くなったなっていうイメージありますね、この年齢。
結構そのサラリーマンスキルは伸びたけれども、じゃこれって人間として外に出た時にちゃんと通る能力なのかで見たら疑問だし、当時やっぱ独立とかかっこいいじゃん的な、そういう病気も流行ってたし、周りとか結構し始めてて。
この時に銀行で表彰2回取ってて、ある程度銀行業務としての素地がある状態で考えたら、今これでもし独立して全然無理でも、1年経って千葉銀、静銀ぐらいは当たってくんじゃんみたいな。ごめんなさい、そちらの方申し訳ないですけども。これが若手の時に貯めた資産ではないですけど、キャリア的な資産があったから、あんま辞めることリスクに感じてなくて。あ、そうなんですね。
多分そのまま残ってたら、給料で言ったらポンポンで上がるタイミングぐらいじゃないですか?ああ、そうだね。だから逆に上がると絶対辞めれないと思っちゃって。あ、なるほど。
その前に、これ東京いた1年間は実際東京デビューできたんすか?いや、さすがにさせていただきました。だいぶね。お、すごい。どんな楽しいことがあったんすか?僕らサラリーマンの夜遊び事情とかあんまわかんないんで。
合コンで言うと、やっぱ月10、え、3とか。月10、3すか?え、3分の1ぐらい。次の日仕事きつくないすか?次の日仕事はきついね。でも銀行は門限があるんで。ああ、そうなんだ。12時門限なんで。
え、朝起きるのとか早かったんですか?銀行員時代って。朝はね、6時40分起きっすね。でももうちょっと厳密に言うと、1回5時に目覚ましをかけるんですよ。人間の睡眠は90分みたいな都市伝説があるじゃないですか。5時に1回目覚ましをかけてパッて起きると、あ、まだ5時じゃんって言って、あと1時間半もあるみたいな。二度寝できるじゃんっていう、一瞬のこの幸福のために僕セルフで二度寝っていう。これ本当スキーム化していろんな企業に提案したいんですけど、体にはゲロ悪いんですけど。あ、悪いんや。
その銀行を辞められて、独立するわけですよね。はい、そうですね。一応金融の仕事も当時は軽く並走しつつ、あとは転職エージェントとか人材の仕事を、銀行の同期がやってたからそこに金魚の糞みたいにくっついて、業務委託でやって、8、9年ぐらいそれで飯食ってたかな。ええ。意外と飯食えたっていう。
1年目の年収が僕確か130万とかなんですよ、新ベースで。これは転職で、初めて面談をしました、その人が転職活動しました、どっか内定出ましたから初めてお金が入るのよ。ラグが結構何ヶ月もかかるのよ。半年とか9ヶ月とかでなってる中で、年収が130万になって、それまで700万あって、この足らず前の約600万、ちょうど僕リボ600万行ったんで。ええ。バランスシートで言ったらめっちゃ分かりやすい。
それってその初期投資的な感じですか?違う、違う。日常的なクズみたいな生活の足らず前。あ、そうなんですね。動画上の情報ですけど、2年目にはもう1200万みたいな。そうそう。すごいラッキーなのが、1番最初転職した人とかがすごい感謝してくれたりとかあって、ものすごい紹介をしてくれたのよ。本当にプルデンシャル生命っぽくなんだけどさ。俺ね、転職エージェントの仕事やったんだけど、スカウトって打ったことないのよ。あ、すごいですね。俺紹介でしか転職エージェントしたことなくて。
人間関係結構大事にされてるというか、ってことですよね、会社時代から。そうすね。俺元々その就活の時に、葬式に来てくれる人数増やしたいみたいな話をしてたんすよ。やっぱ葬式に来てくれる人を増やすようなことやったら、人生飯は食ってけるでしょみたいなのとかを考えて志望動機にして、俺未だにそれは結構思ってて。
就活無双した理由がちょっと分かった。あ、そういうこと書いてたんやみたいな。金欲しいしか言ってなかったですもん、僕。大体将来の夢。そうすよね。すごいね。
多分就活生は見てると思うんであれですけど、お金が欲しいって僕は言ってて。就活って綺麗ごとしか言わないやつは嫌いなんすよ。これ多分大人になればなるほど、特に銀行員なんて綺麗ごと言うやつなんてその場で刻んでやろうと思うぐらいの、本当鬼のようになってしまうんで。綺麗な夢と邪悪な夢のハイブリッドにするってめっちゃ大事だなと。ああ、なるほど。
例えばさっきの葬式にめっちゃ人来て欲しいすみたいな話って綺麗な話じゃん。結局それだけだと嘘っぽいというか、人の底が見えないじゃん。逆に言うと、イマシカ君の場合は、人の底ではないけれども、本音すぎて逆にやっぱ気持ち悪いじゃん。それだけしかなかった。邪悪な生き物で就活したんだよ。邪悪1本で。
だからその下手そうじゃん。はい。駆け引きだったり立ち回りが。僕が認識してたのは、将来の就活の軸みたいな話になった時とかに、自分2つあってみたいな。1つ目がその自分の葬式をパンパンにしたいです、それができる仕事にしたいですみたいな。2つ目は給料がいい仕事がしたいです。
この葬式パンパンみたいな話は、金融業界って無形商材で、商品が形にならないので、自分そのものが商品だからこそ、本当に価値を感じてくれて、いわゆる三井住友銀行じゃなくて樋熊さんが担当で良かったって言ってくれるお仕事をお迎えしましたみたいな、この人は葬式来てくれるかもねみたいな話ができるんですよ。
一方で、自分自身実家自営業だったのもあったんで、金は絶対大事ですと。自分の実家そんな金持ちではないし、蕎麦屋も潰れちゃったんですけど、ちっちゃい時にやりたいって言ったことは全部やらしてくれましたみたいな。ここはもう正直めちゃくちゃ感謝してますみたいな。じゃあ自分が親っていう立場になった時に、子供にやりたいって言ったことを全てやらせてあげれる人にはならなくちゃいけない。そうなった時に、綺麗ごと抜きに給料高い会社に行きたいと思ってますみたいな。おお。
だからそれで考えたら、有形よりも無形の方が利益率が高いんで、僕は無形商材っていうのを中心に見ている。そん中でもお金っていうところに1番触れられる金融っていうのは面白そうだと思ってますみたいな。これだって22歳とかでやってるってことですよね。だから本当イマシカ君に期待だね。いや、今も行きたいな、ちょっと。そこをでライス人に言うぜ。いや、本当に金稼ぎたいっていう話がこうすっと入ってきたから。すごいっすね、やっぱ。
そんな発信とかを2019年ぐらいから就活生向けにやったらバズっちゃったっていう話。ああ、これはバズりますね。すごい。それがただの元人事ってやつ。あ、そう。前世の。前世、これ出して大丈夫ですか?全然大丈夫です。
1番最初はすいません、本当女の子でやってて。当時就活ってエモーショナルな発信ばっかりで、就活は人生のゴールじゃないよみたいな話とか、キモいやつしかいなかったんすよ。どした話聞こかしか。その時にそのマーケットの中に、採用の仕組みとか設計の発信ってなかったんすよ。
この会社ってこういう仕事するから、どういう能力に秀でた人を取りたいか、じゃそういう能力に秀でた人を取るためにはどういう質問設計するかっていうのを逆算して就活に落とし込んだ方が内定率上がるですよ。それ発信してる人いないから、そういう仕組みの話をしたい。
で、尖った話をいきなりおじさんがするとおちんちん侍になっちゃう可能性がありますので、その一緒にやってたやつが、じゃ樋熊さんのアカウント僕は準備するんでって言って、僕に渡されたアカウントが30歳独身Aカップバリキャリ女子っていう。どれだけ尖った発信しても、ごめんなさい本当に、30歳の独身のAカップの女性は叩かれない。そうなんだ。それを叩いてくるやつなんかもう人にあらずよ。悪魔の所業になってしまうんで。それでやったら3ヶ月で1万フォロワーぐらい。いや、すごい。すげえ。
才能やばいすね。中身はちゃんと30過ぎのおっさんだしなって思って、どうしようかと思って、もう顔出そうってなって。本当当時その業界ざわついたんすよ。当時あやちゃんって言われてたんですけど、あやちゃんがついに顔を出すみたいな。あ、そんなに。もう全員本当全裸待機だみたいな。
その動画出すためだけにYouTubeのチャンネル作って、YouTubeで発信したら、中から30過ぎのおっさんが「お疲れ様です」。でも炎上するとさ、思ったらさ、全く炎上しなくて。
この理由がさ、話の内容がちゃんと役立つ話してたのもそうなんだけども、俺女の子だった時さ、めちゃくちゃそのおじさん、人事おじさん系の人からさ、リプライでさ、ナンパされまくっててさ、ネトナンされまくったんだよ。逆に僕がおじさんだってばれた瞬間に、なんであいつ男だったんかじゃなくて、え、てかあいつにナンパしてた猿いっぱいいたよなって言って、僕の真横子で浸してたおじさんたちが急に紅蓮の業火で魔女裁判されて、それをキャンプファイヤーのように見てて、あいつが燃えたって。
何個か樋熊さんの、それこそオープンハウスをGAFAOと呼んだりとか。ああ、そうですね。GAFAO。え、知らないですか?GAFAO。ああ、GAFAにくっつけて。そう。当時オープンハウスがすごいいじられたっていうのは。ああ、なんかありますね。就活の有名なアカウントがオープンハウスいじったら開示請求かなんかされたかなんかで。
そっから俺のコメ欄とかにも付けあったから、オープンハウス受かるためにはどうしたらいいんですかみたいな。その時に、いやオープンハウスかみたいな、もう本当人筋なんかじゃないぞみたいな。就活偏差値で申し上げるなら、GAFAがあって、GAFAの下にOがGAFAO、GAFAOという並びにみたいな話したら、それがなんかすごい伸びちゃって。
別にいい意味で捉えられますからね。そんな。でもやっぱね、僕も今その営業系の発信してたあれですけど、営業やだなみたいな人とか、あれ笑えない人とかはそもそも仕事向いてないんで。僕今どんな仕事でも、年収3000万円もらえれば僕何でもいいと思ってるんで。僕は結構お金に対しての部分が大きく占めるので、そうなった時に、自分が求めてるところに絶対にたどり着けない仕事であればちょっと違うなと思う。
その一方で、オープンハウスが、もし稼ぎたいっていう人とかに、20代で2000万稼げるぞって言ったら、それはそれで正解。だから逆に僕の発信を、本当ね、スクリーニングじゃないですけれども、あんなんとかで拾るやつはやっぱもうすぐ辞めちゃうんで来ない方がいいですよ。逆に人件費の無駄すから。だから高等な炎上回避をしてる。研修費用の無駄です。
え、言えたらですけど、今年収3000万ぐらいあるってことですか?えっとね、今の年収はちょっとやめておきます。で、今の中でありそうやけど、
なんかね、結構根の部分で僕銀行好きなんで。ええ、多分今コンプラで引っかかるんだけど、多分コンプラチェックで多分書類で落ちるけど、俺今銀行に戻れって言われたら多分結構活躍できると思う。
おお。[笑い] え、直接そのやり取りはないすか?今こんだけ活躍されててその通達とか。
ああ、あのね、DMで1回そのSMBCのなんか本部と仕事の関わりがある人から、本当YouTube始め立てぐらいの時に、コンプラチームになんかひぐまに対する素上の下書きはあるっていうの聞いたこと。
[笑い] え、でも貢献してそうすけどね。採用とかにも。なんか別にそんな悪いことちゃんと聞いたら言ってないじゃないですか。
めっちゃDM、就活生とかからあれ見てSMBCにしましたとか。
うん。で、その、ただの余談として、SNS活動されてて、去年ぐらいから僕ひぐま、
あ、そうですね。はい。
の、あの転換の理由ってあるんですか?
えっと、今のその僕、株式会社Uっていうところに声かけていただいて去年の頭から入ってるんですけど、で、そん時に、前のそのSNSアカウントの所有権とかはあの、色々バタつきまして、
はいはいはい。
それぐらいだったらっていうので、あの、今いる編集の林君ていう人に連絡をして、YouTubeやってみたいと思うから手伝ってよっていうのやって、2024年の夏からYouTubeとかを始めて、で、運よく伸びたというか、見ていただいたという感じですね。
じゃあ最後にそう、このチャンネル、視聴者層かぶってる可能性が高いんですけど、2、30代ぐらいの層に向けて何でもいいんで一言もらうっていうのはありまして、お願いしてもいいですか?
そうですね。なんかやっぱ仕事は頑張ってた方が、潰しが効いたり、キャリア的にもね、潰しが効いたりとか、なんだかんだやってよかったなって思うし、やっぱその後に飲む酒がやっぱ一番重いと思うので。なんか今って冷めたやつら多いじゃん。冷笑界隈、マジ本当、勝界隈とかはもう全員不幸になってほしいと思ってんだけど、[笑い]
なんか1個でもいいから、仕事もね、楽しくないし辛いし苦しいと思うんですけど、たまにこうちょっと熱狂していただいて、是非ともやっぱ仕事を頑張っていただきながら、僕も本当に過労死しないように頑張りたいと思いますので、是非とも2026年駆け抜けていきましょう。どうもありがとうございました。
ありがとうございます。
だけなのに この町[音楽]の空にせ こんな時代のそばにも[音楽]いなくて お
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