灘から防衛大、MBA、そして同人誌の会社へ 大前秀人が語る遠回りの経歴
トマホークTomahawk漫画・同人誌の制作支援を手がける株式会社同人の代表、大前秀人がゲストとして登場した回である。聞き手は、けいおんが好きで同人サークル活動を発信している「もご」。大前は灘高校から防衛大学校に進み、自衛官にはならずに大学院、家業の現場、公認会計士の勉強を経て起業した。その経歴を幼少期から順にたどり、最後に現在の事業にたどり着くという構成で話が進む。本人は最後に、今の事業は子ども時代に夢中になった絵本やドラえもんに戻ってきたものだと振り返っている。
絵本とドラえもんから始まった漫画好き
大前によると、最初のきっかけは1〜2歳のころに親が絵本をよく読んでくれたことだった。当時は幼児教育が流行っており、進学を目指すならまず絵本やパズルから、という流れの中で絵本にはまったという。家庭は学者や医者の家系ではなく、父親は会社員(現在は会社を経営)、母親は幼稚園の教師だった。
小学校は受験で入った。本人は「偏差値50ぐらい」の学校だと強調するが、試験で消防車が来る話の4コマを正しい順番に並べ替える問題が出たことを今でも覚えている。周りの保育園や幼稚園の子と比べれば準備ができていたのは、母親が幼稚園教師だったからだろうと本人は見ている。
漫画との本格的な出会いは8歳のときだ。弟が生まれるため祖父母の家に預けられ、退屈しないようにと原作の『ドラえもん』を買ってもらった。中古のセットで、4巻から始まる20巻ほどだったという。全45巻のうち抜けている巻が気になり、小遣いを握りしめて漫画を買うようになった。小学校時代だけで3000〜4000冊を集め、3階建ての実家の3階にあった部屋が傾いて親に怒られたという。成績が良ければ漫画を買ってもらえる仕組みがあり、それが勉強の動機になっていた。
大手前志望から灘へ
小学校時代は馬渕教室に通っていた。入塾の理由は、親が大手前高校に行けと言ったからだという。大手前は旧制中学の流れをくむトップ校で、その地域では天王寺や北野ではなく大手前が一番だというのが親の考えだった。塾ではすぐに上位クラスに声がかかり、全体で1〜3位を取ることが多かった。
中学時代には関西の模試で一度だけ1位を取ったという。受験者は6万〜10万人ほどと本人は記憶している。ただ、全国規模のオープン模試では思うように偏差値が伸びず、「お山の大将だった」と振り返る。勉強が好きだった自覚はあまりなく、遊ぶほうが好きだった。漫画という「ニンジン」をぶら下げられたこと、そして何より褒めて伸ばしてもらったことが大きかったという。聞き手のもごも、ゲームを目標にぶら下げられて勉強した経験を話している。
その後、大手前を目指すルートと灘を目指すルートの二択が与えられ、大前は灘を選んだ。理由は「戦いたい」だった。模試の成績表で名前だけ知っているライバルが大勢いて、灘に行けば全員に会える。少年漫画のような発想だったと本人は語る。関西では京阪神の入試日が統一されているため、ほかに受けたのは試験日の違う奈良の東大寺学園で、こちらも合格した。中学の成績は校内1位だった。
灘に入って勉強をやめる
灘高校には高校から入学した。高校からの募集は約40人と少ない。ところが大前によれば、灘に入ることが目標だったため、入学後は勉強しなくなった。入学時の順位は40人中の真ん中より上ぐらいだったという。
高校から入った生徒には特有の事情がある。中高一貫組に追いつくため、1年目は授業が猛烈な速さで進み、灘では高1で高3までの内容を扱う。大前の言い方では速度が3倍になる。そこで遊ぶと数学や化学・物理が分からなくなる。当時は普及し始めたばかりのスマホでゲームにのめり込み、『ガールフレンド(仮)』の全盛期にランキング300位以内に入っていた。化学の「モル」が分からなくなったことをきっかけに文系を選び、数学は取らずに社会の比重を上げた。
アニメ研究会でニコニコ動画のランキング1位
高校でいちばん夢中になったのはアニメや漫画を中心としたオタク文化で、大前はアニメ研究会を創設した。もごが自分の学校ではキリスト教の学校だからと軽音部の設立を即座に断られたと話すと、大前は灘の自由さを語った。
原点は「文化祭で名をはせたい」「一番有名なサークルにしたい」という動機で、クイズやオープニング映像などの企画はあとからついてきた。初年度は手探りで、顧問も何をしてもいいと言い、止める先輩もいなかった。そのためいわゆるエロゲーを持ち込み、抱き枕カバーも貼り出したところ、すべて剥がされて校長から本気で怒られた。これで越えてはいけない線が分かった。
高校2年では、その線を守ったうえで一番有名になることを1年がかりの計画にした。コミックマーケットのレポートを上げるほか、当時のYouTube、ニコニコ動画、Twitterでバズってこそ一番だと考え、「踊ってみた」やアニメのオープニングの実写化に取り組んだ。題材は水泳部の男子高校生を描いたアニメ『Free!』で、もごも当時ニコニコ動画で見ていたという。ランキングでは踊ってみたが3位、オープニング実写化が3日間ほど1位を取り続けた。
大前は、動画の質が良かったからではないと言う。バズらせるための戦略があった。投稿のタイミングを考え、拡散の段取りを組み、当時力のあったニコニコ動画のまとめブログの管理人に事前に連絡して内容を見せ、キャッチフレーズまで用意してまとめてもらったという。
東大に2点差で落ち、防衛大を選ぶ
動画で食べていこうと思ったことはなかった。灘には全員が東大か医学部に行くという共通の意識があり、大前も東大に行くつもりでいた。ところが現役では不合格だった。自己採点が高かったため合格したと思い込み、卒業旅行に出かけていたところ、結果は2点差の不合格だった。
併願として、秋ごろに防衛大学校を受けて文系で合格しており、センター試験利用で早稲田と同志社も押さえていた。センター試験の得点率は92〜93%だったという。
浪人するのが自然な流れだったが、大前は別のことを考えた。高校までは勉強が得意で、高校で遊んだ。もう1年勉強して東大に行っても、勉強の力が元に戻るだけで同じことの繰り返しになる。自分にとっては勉強よりアニメのほうが大事だった。それなら、アニメや漫画といったサブカルチャーへの好みに、もっとすごい経験を掛け合わせれば新しい化学反応が起きるのではないか。そう考えて防衛大学校への進学を決めた。本人が聞いた話では、灘から現役で防衛大に行った人はおらず、担任も知らないというレベルだった。10年、20年はいなかっただろうと大前は推測している。
防衛大で求められたもの
防衛大では頭の良さや体力も大事だが、本人によれば最終的に求められるのは、幹部として組織を動かし、タスクを回す要領の良さだ。きちんと歩調を合わせられるか、集団生活ができるか、ルールを守れるかが問われる。大前はこれを灘とは真逆だと言い、自分は「ぬるま湯」に3年間いたようなものだったので、1年生の間はかなり苦労したと振り返る。
授業は出席率100%で、行進して教室に向かう。朝はラッパで起こされる。一般教養もあり、専門も自衛隊に関することだけではない。2年生で専攻を選び、大前は国際関係論に進んだ。ほかには経済や法律を学ぶ公共政策、小説や言語を学ぶ人間文化などがあるという。
2年生での挫折と仮面浪人
大学2年の4〜5月には、カッター(短艇)の競技会に向けた「カッター期間」がある。大前によれば、4年間でいちばん厳しい時期だ。厳しさそのものには耐えられたが、理不尽だと感じることが重なり、プライベートの問題も絡んだ。本人は詳しく語るのは難しいとしながら、暴力もあったことに触れ、かなり追い詰められたと話す。それまでは自分の中で納得をつけてPDCAを回していたが、このとき初めて自衛隊と正面から向き合い、アンチテーゼのような思いを抱いた。そして外の選択肢を探し始めた。
選んだのは東大の再受験だった。その年はたまたま東大の二次試験が土日に重なり、防衛大の学生でも受験できた。大前によれば7年に1回ぐらいの巡り合わせだという。5月に受験を思い立ち、模試を受け、親を説得し、実際の勉強期間は8〜9カ月ほどだった。結果は20点ほど足りず不合格だった。現役のときは受かったと思って落ち、今回は落ちたと思って落ちたと大前は笑う。予備校には通えず、足りなかったものは足りなかった、もっと気合があればよかったかもしれない、と振り返っている。
一方で、防衛大での受験勉強には利点もあったという。仮面浪人や浪人は生活が不規則になりがちで、自分を律するのが難しい。防衛大は朝6時起床など生活を勝手に管理してくれる。
聞き手が、なぜその後の2年間を乗り切れたのかと尋ねると、大前は目標があったからだと答えた。いちばん追い詰められたときは東大が救いであり逃げ道だった。それが終わった3、4年生では、卒業することが目標になった。
少林寺拳法で全国5位
防衛大では部活動で少林寺拳法を始めた。全国大会には1、3、4年生で出場し(2年生は怪我などで出られなかった)、いずれも入賞している。最高順位は5位だ。
大前が取り組んだのは、型の美しさを競う演武のほうだった。少林寺拳法は空手に似ているが、打撃だけでなく投げ技、関節技、寝技もある。相手を倒すことよりも、自分の身を守る護身術に近いものだと本人は説明している。
自衛官にならず大学院へ
防衛大を卒業すると学位が得られるため、大学院に進むことができる。大前は3年生のころから、卒業後は大学院に行きたいと考えていた。当初は東大の大学院も頭にあったが、当時は親の会社を継ぎたいという思いがあった。家業は大阪の倉庫業や鉄工業といった肉体労働中心の会社で、自分は経済も経営も学んでこなかったため、経営を学べるMBAを選んだ。
防衛大の卒業生は通常そのまま自衛隊の幹部になるが、ならない選択肢もある。大前によれば、初代学校長が全員に自衛官になることを義務づけるルールにせず、ならない場合でも学位は授与されるという。ただし在学中に大学院の試験は受けられないため、卒業後に「大学院浪人」の1年を置くことになった。在学中にはFP、簿記を取り、TOEICも受けている。点数は800点ちょっとで、東大受験直後ならもっと高かったと思うが、今の生活では英語の重要性がそれほど高くないため、たいしたことはないと本人は話す。
進学先は関西学院大学の大学院だった。家から通えること、東京で下宿するのは避けたかったこと、特定の教授に教わりたいという理由もなかったことが決め手だった。
家業の現場、公認会計士、そして転機
2年間の大学院を終えると、すぐ会社を継いだわけではなく、見習いや新人として家業に入り、さまざまな現場に出た。同時に、MBA修了者は科目免除が受けられることもあって公認会計士の勉強も並行し、税理士法人でも働いた。短答式試験には合格し、論文式では免除も含めて3科目ほどを取ったが、4科目を残して受験をやめている。合格の有効期限はまだ残っているという。
大前は当時の状況を「宙ぶらりん」だったと言う。会計士を目指すのか、親の会社を継ぐのか、起業するのか、会社員になるのか。28〜29歳ごろの冬にその決断の時期が来て、会計士をやめて家業を継ぐことにした。
ところが家業に入ると、親から「まだ継がせる気はない」と言われた。親はまだ55歳ほどで元気なので、今すぐ継がなくていい。仕事は教えるし準備もするが、それまでの間に自分の好きなことや得意なことを全力でやってこい、と背中を押されたという。その準備期間に大前が取り組んだのが、会社の設立だった。
株式会社同人と「GreenHorn」
大前が立ち上げた株式会社同人は、イラストや漫画、同人誌を描ける人と、制作を依頼したい人をつなぐプラットフォーム「GreenHorn」を運営している。『令和の虎』に出演して出資を募った時点ではまだ完成しておらず、その資金を求めての出演だった。サービスは今年4月に運営を始めたばかりである。
番組では同人誌の説明もあった。同人誌は、コミケのような企業があまり関わらない同人誌即売会で個人が売るものだ。漫画家ももともと同人作家だったケースがあり、即売会に来ていた出版社の人に声をかけられて契約し、商業の漫画家になることもある。
大前によれば、漫画の制作依頼はややこしい。連絡などのコミュニケーションコストがかかり、期待の擦り合わせが難しい。頼んだものと違うものが上がってくると、修正を頼むべきか、お金はどうなるのかと不安になる。修正依頼が長文になって恐縮することも多く、もごも「あるある」だと応じている。こうした部分を補助する漫画専用のプラットフォームとして作ったのがGreenHornで、大前はこれまでそうしたサービスはなかったと話す。
当面の目標は、走り出したばかりのサービスを多くの人に使ってもらうことだ。長期的には、漫画や同人誌という日本固有の文化を世界に発信したいという。描き手は日本人を想定しているが、依頼者には海外の人が非常に多いと大前は言う。たとえば『NARUTO』が流行っていれば、自分だけのナルトのストーリーを描いてくれる人を探したい、という需要がある。言語やプラットフォームの壁をフォローできれば世界に発信できると考えている。価格については、間に漫画制作会社を挟まないので、依頼者の支払いは安く、クリエイターの取り分は多くなるという。依頼料は安く、受け取る金額は高い、というのが大前の説明である。
絵本とドラえもんへの回帰
最後に大前は、経歴は特殊で色々あった人生だが、最終的には自分が一番やりたかったこと、つまりドラえもんや絵本の時代に戻ってきたのだと語った。この事業で世界を変えたいと思っているのは本当だとして、漫画や同人誌の制作を依頼したい人、あるいはクリエイターとして登録してみたい人に利用を呼びかけて話を締めくくった。
バンとくと歌って歌って、はい。伝える最強した。どうも、けいおん!が大好きなもごです。
ということで、今回はね、もごが結構同人サークルみたいなことを発信していて、それにちょっと関連するゲストということで、自己紹介お願いいたします。
はい。漫画・同人制作の会社をやっております。株式会社同人の大前と申します。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。お願いします。
はい。ということで、今同人の会社をされてますけど、そこに至るまでの人生とかを幼少期から深掘っていくという感じなんですけど。昔からアニメや漫画が好きだったみたいな感じなんですか?
あ、はい。分かりました。
あ、もうむちゃくちゃ好きです。
あ、そうなんですね。むちゃくちゃ。何歳ぐらいからですか?
えっとですね、元をたどればなんですけど、最初のきっかけは親が絵本を読んでくれたんですよ、よく。1歳とか2歳の時で、いわゆる早期教育が流行った時期じゃないですか、今から20年前とかって大体。例えばパズルとか。
ロンリーエンジンとかも。あれわかります、わかります。
ウルトラクエストとか、ああいう教育が流行った時代やったんで。進学を目指すんやったら、まずは絵本だったりとかパズルをやるということで、その絵本に結構はまったんですね。
てか、そもそも親御さんとかは何をされてるんですか?
いや、もう全然、少なくともいわゆる教授だったりとか医者の家系では全くなくて。一応会社を今後やってるんですけども、サラリーマンと、あと母親は幼稚園の教師でしたね。
ああ、幼稚園の先生。でも、その時点から良い学校に行かせようみたいな感じはあったんですか?
そうですね。多分、初めて今言うんですけど、一応灘高校出身なんですよ。
あ、そうだ。そうそう。灘。
で、私が結構変わってるのが、高校から灘高校なんですね。
すご。めちゃすごいですよ、それ。高校から灘に入るのは難しいって言われてますよ。定員が超少ないんです。
40名ぐらいです。
すごい。すごいですね。あ、そっか。じゃあ中学受験はされてないんですか?
あ、中学受験は、中高一貫の学校に行ってまして。
ああ、じゃあ小学校受験?
まあ、小学校受験なんですけど、期待させて申し訳ないですけど、頭は絶対良くない学校です。偏差値50ぐらいです。
いやいやいやいや。小学校って聞いても大丈夫ですか?
あ、いいですよ。学園小学校ってとこです。
はあ。それはどういう試験なんですか?
小学校受験の試験ですか?私が今でも記憶してんのが、4コマを作る試験です。
え、面白い。
消防車が来るっていうストーリーがあったとして、まず火がつくじゃないですか。火がついて消防車が来る。鎮火する、喜ぶっていう、例えば4コマがあったとして、これを並び替えろとか、正しいストーリーにしろみたいな。
はいはいはい。
で、あと簡単な算数とかですね、本当に。
それは塾とか行かずに受けてみたら受かったみたいな?
でも言うて偏差値50ぐらいのとこなんで。
いやでもでもでも、周りの保育園とか幼稚園の子と比べたら、やっぱりできない。できないと思いますよ。
まあまあ、親が幼稚園教師やったんで、そういう勉強をさせてもらったんやと思います。
弟が生まれるタイミングがあったんですよ。私が8歳の時に。
え、はいはい。
で、親は当然働いてるとか、弟につきっきりになるんで、私はおじいちゃんちに預けられたんですね。
へえ。
で、そこで暇にならないようにっていうことで、ドラえもんを買ってもらったんですよ。
ああ。はいはいはいはい。
で、このドラえもんがむちゃくちゃまた面白くて。原作のドラえもんですね。
はいはい。あ、違うんだ。そこは僕は、何とか「ドラえもんと学ぶ」なんちゃらっていう。
ああ、違うの違うの。
日能研が書いてるあれ。俺は原作読んだことなくて、「ドラえもんと学ぶ算数」とか「ドラえもんと学ぶ勉強法」とかばっか読んでたんで。
そうじゃなくて、ほんまにもう原作の漫画の。
そうです、そうです。で、それも中古セットみたいな、当時多分安かったんやと思うんですよ。最初4巻から始まったんです、私のは。で、全部で45巻なんですけど、20巻ぐらい買ってもらって、間が気になると。
うん。
で、その小遣いを握りしめて漫画を買うということがドラえもんから始まったんですよ。
ああ。
小学校時代に集めたのは、結構3000冊とか4000冊ぐらい集めて。
え、あ、せは?って言ってるけど。え、そんなに集めます?
結構、本の量とかもでかいってこと?
あの、元々実家、その時の実家は部屋が傾いてました。3階建てで3階やったんですけど、部屋が傾いて、それだけは親に怒られました。床は抜けなかったんですけど。
すごい。
例えば、成績が良かったりしたら漫画買ったるみたいな。
うわ、あった。じゃあ結構勉強も頑張るみたいな。
そうです、そうです。
成績も結構良かったんですか?
えっとですね、小学校時代で言うと、馬渕教室に通ってたんです。
ああ、通ってた、通ってた。
実は元大手前志望です。これ本当です。
え、大手前?
小学校の時に馬渕教室に入った理由は、親が大手前高校に行けって言ったから、そこに入ったんです。
え?ああ、そうなんだ。で、大手前志望から灘まで行くのやばいですね。
そうなんですよ。全然違いますけどね。それがむちゃくちゃ大きなきっかけで、お声がかかりまして、上から。馬渕の本部から、一番上の「総春会」って、なんか大層な名前のクラスです。
そんなクラスあったんだ、すごい。
まあ、いわゆるクラスみたいなもんです。
じゃあ、相当成績が良かったんですよ。
まあ、全体で1位ばっかりです、やっぱ。1位とか2位とか3位とか。
トップみたいな。
あ、そう。高校受験コースなんです。
すごい。すご。大手前に行けって言われた理由は何なんですか?
それは単純に、トップの学区が昔あったとこですから。
ああ、はいはいはい。公立の学校やと大手前がトップなんで、天王寺とか北野じゃなくてってこと。なるほど。
そこで1位やったら、灘とか行くんすかね、やっぱり。
いや、まず高校受験の話になると、やっぱその口で1位ってやっぱちっちゃい世界で、そういう意味では灘とかになるとやっぱ日本と戦うんで、私今日挫折しました。
あ、そうなん。
中学でオープン模試みたいな感じで受けたら全然成績が伸びないみたいな。駿台とかもそうですけど。で、一応その関西の模試と、お2人ご存じやったことってことです。
あ、はいはいはいはい。
いつもは1回1位取りました。1回だけですけど。
え、校内の順位1位みたいな?
いや、違う。全国1位。
1位って、関西の、何万人?
10万人ぐらいです。多分6万人とか10万人。
そんなに?めっちゃすごくないですか?
いや、でもそれがお山の大将でしょ?私、駿台模試で1位取った子がいたから2位。
ええ、やっぱ漫画とかのパワーで。
あ、そうです、そうです。結局ニンジンぶら下げられて。
いや、でもすごい。あ、でもそれほんまに大事で。そう、僕も人参ぶら下げられたからやっぱ。
何をぶら下げられたんですか?
僕、クロノトリガーってゲームをぶら下げられて。
神ゲー。まあ、怒ってあげるモチベーションもあるんですけど、一番大事なのはやっぱ褒めて伸ばすというか。
確かに。そうですね。
だから自分が勉強好きやったっていう自覚は意外となくて、全然遊ぶ方が好きでした。
親御さんって中学受験されてたりするんですか?
いや、してないです。だから全然、あんまり言いたくないですけど、フランとかなんて。あんまり親のことを言いたくないですけども、大手前を目指すルートと、灘とか東大を目指すルートの2択が与えられて、結果的に私は灘の方を取ったんですね。
はい、はい。
で、この理由が、当時お山の大将ですけど成績良かったんで、灘を目指すというよりも戦いたいと、要するに。普段名前しか知らないライバルがいっぱいいるわけですよ、公開模試の中に。その世界に行けば全員に会えると。
ああ、ありますよね、そういうのね。
お前のアイ肉みたいな感じ。
バトル漫画じゃないですか。少年ジャンプみたいな。
サイヤ人って。
他も受けたりしたんですか、やっぱり。
えっとですね、京阪神統一入試日っていう概念が大阪にあって、京都・兵庫・大阪って入試日が同じ日なんです。
うん、うん。ああ、だから受けれないんですね。
そうか、中学受験じゃないから。
中学受験では分かれてるはずなんですよ。で、逆に奈良県の東大寺学園とか受けました。
ああ、違う日なんでってことですね。
これどうだった?
あ、合格。すごく。
いや、やばい。中学生になって小学生と同じ受け方してるな、灘・東大寺って。
いや、そうそうそう。王道なんで、関西の。小学生が中学受験する時に、1日目灘、2日目東大寺みたいな。これ王道なんですよ。
ガチの。ちなみに中学時代のテストとか成績は良かったんですか?
あ、それはもちろん良かった。
そうか。え、何位ぐらいですか?
え、中学ですか?
はい。
学校の模試ですか?1位です。
ちょ、それ愚問だ。
いや、丁寧な振りをいただきました。
で、灘高校に入られて、そっからはもっと勉強ゴリゴリやるんですか?
はい、いい質問です。ありがとうございます。灘に入ったから、私は勉強しなくなっちゃったんです。
あら。
要は灘に入学するのが目標やったわけですよ。これあんまり良くなかったと思うんですけど、灘に入るのがやっぱ目標やったんで、入ってから、確かに自由な校風とかもあって、色々手を出したくなっちゃったんですよ。それこそ剣道部って新しい部活に入ったりとか、バンドやったりとか、何でもやる。
何でもやってました、ほんまに。だから色々挑戦してた中で、特にはまっちゃったのがアニメだったんですね。アニメ、漫画、オタク文化ですね。
はい。
入学時点では結構やっぱ成績良かったんですか?
あ、そうですね。補欠合格みたいなやつがあるんですね。それではなかったんで、何位かは覚えてないですけど、真ん中より上ぐらいですよね。
40人の中の20位以上。
あ、そうですね。
で、そっから全く勉強しなくなって。
えっとですね、授業は進むんで、爆速で。高校受験あるあるなんですけど、差を埋めるために、高校から入ってきた人は最初の1年目とかかなり爆速で進むし、大学受験まで3年しかないから、高校進学生の人たちは余裕を与えられないから、すごいかわいそうだなと思うんですよね。要するに高校1年生の時に、灘で言うと高3までやる。3倍ですね、速度で言うと。
すごい。
そうなってるんですよ、カリキュラム上。そこで遊ぶと何が起こるかというと、数学が分からなくなる。
ああ。
化学、物理が分からなくなるね。
その爆速で1年から3年まで終わらすところで遊んでたってことですか?
遊んで、具体的に何してたかというと、例えばスマホになったのとかがでかかったっす。
あ、それほんまにあれやばいっすよね。
うん。いや、ちょっと気をつけた方がいい、スマホは。当時はスマホが新しくできたものやったんで、未知でした。
はい。ああ、結構スマホばっかりやっちゃうみたいな。
まあ、だからゲームとかですね、分かりやすく。
はいはいはい。
ガールフレンド(仮)。
あったあったあった。俺もあのキャラクターが好きで、めっちゃ聞いてた。うわ、懐かしい。
最終的にそのガールフレンド(仮)の全盛期で一応300位以内とかのランキングに入ってたんですけど、やってたらモルが分からなくなって、文系に決めました。
ああ、モル。
モルって分かります?概念。
でも、そもそも鉄緑会に入ってませんでしたっけ?
鉄緑会、入ってました。1年。
え、鉄緑って途中でやめるんですか?
えっとですね、それは、英語は途中まで取ってたんですけど、やっぱ文系に決めたんで数学は取らなくなって、逆に社会の比重を上げたりとかしたりして。
はいはいはい。
で、その中でアニメ研究会も創設したみたいな。
そうなんですね。高校で何に夢中になったかと言うと、やっぱアニメだったんで、新設するぞ、創設するぞみたいな。研究会とか同好会。
いいな、自由で。俺、けいおん!が好きだから軽音部作りたいって先生に言ったら、うちはキリスト教の学校だから軽音なんていらないんだって怒られましたもん。
へえ。結構怖いすね。
怖いね。速攻反対されたんで。
そもそも原点としては、まず文化祭で名を馳せたいってとこ、文化祭で一番有名なサークルにしたいみたいなとこがあったんですよ。で、そっから後付けのような形で、何々したい、何々したいってことが始まるんですね。これもしたい。だからクイズ作るとか、それこそオープニング主題歌流すとか、展示するとか。
はいはいはい。え、実際に文化祭では?
高校2年生の時はやっぱりまだ手探りだったんです。1年目というか、何をしていいかがもうわからないみたいな。具体的に言いますと、その顧問とかも何でもしていいよって言ってたんで、いわゆるエロゲーとか持ち込んだとか。
え。
これダメじゃないですか、普通に考えて。
ね。
普通に考えて絶対ダメなんです。絶対ダメなのに止める人がいなかったし、いわゆる先輩がいなかった。私が初代だったから、もう行け行けや言うてやってたら、マジで校長から怒られて。あ、やってはいけないことがあったんやみたいな。で、そっから1年目はめっちゃ無難やったんですよ。
展示も作りましたし。最初は抱き枕カバーとかも、ちゃんと見えてるやつとか全部貼ってたんですけど、全部剥がされて。
フィギュアとかもエッチなのですか?
高校2年生である程度何をやっていいかが分かったと。そのライン引きは分かったんで、じゃあそのラインを守った上で一番有名になろうっていう計画が1年間だったんですね。
はい。
で、やったのはコミケのレポートとか、コミックマーケットに行ってレポート上げるみたいなのもそうやったんですけど、当時のYouTubeだったりとか、当時のニコニコ動画でバズって、もしくはTwitterでバズってこそ灘一と言えるでしょみたいな感じで決めて、踊ってみたもそうですし、アニメのオープニングを実写化してみたみたいな。
あ、あった、あった。それ実際バズるんですかね?
あ、バズります。
どのアニメのオープニング?
えっとですね、Free!って覚えてます?
あ、あれなんだ。俺あれニコニコ動画で見ましたよ。
あ、本当ですか?
そう、Free!っていう水泳の男ばっか出てくるアニメがあるんですけど、そのアニメのオープニングを実写で撮ってみたみたいな。大バズりしてた。あ、あれ灘だったんだ。
バズったってのは、ランキングとかでずっと1位?
そうです、そうです。
すご。え、ニコニコのランキングで1位。
あ、そうです、そうです。今でも見れますよ。踊ってみたが3位で、そのオープニング実写化してみたがずっと1位でしたね。ずっとって3日間ぐらいですけど。で、そのためにも色んな、実は計画とか戦略があったんですよ、バズらせる。まあまあ、だから自演とかですね。したりとか、根回ししたりとか。
はいはいはいはい。
このタイミングでポストするとか。そうですね、当時のニコニコ動画をまとめてるチャンネルとかがあったんですよ。当時ブログとかがやっぱ強くて、管理人に連絡取って、こういう内容の動画を上げるから事前にちゃんと見せといて、こういうキャッチフレーズを用意してまとめてくれとか。
あ、そんなことやってた。根回しが結構。
いや、動画の質が良かったってわけじゃないと思います。
いや、結構そういうことしてると、勉強とかも優先順位が下がったりとかは。
いや、そうです、そうです。
もうそっちで食っていきたいまで思ってたんですか?
いや、そんなことは全くなかったです。やっぱり灘の共通文化としては、全員が東大もしくは医学部に行くっていう共通意識みたいなのがあるんで、やっぱずっと東大に行くもんだと思ってました、間違いなく。
行けそうな感じでした?
あ、そうですね。A判とか出たこともあったんですけど。
あ、そうなんですね。へえ。
で、蓋を開けてみたら落ちちゃったんですよ。
あ、落ちた。
現役の時に。
はいはいはい。
で、これも鮮明に覚えてるのが、自己採点が結構高かったんですよ。
ああ、はい。
で、多分受かったぞってことになって。
はいはいはい。
卒業旅行に行ってて、勉強しないといけない時に行ってて、蓋を開けて見たら2点差で落ちてて。
うわ。うわあ、きつ。発狂した。もう無理、無理、無理。僕もなんか2点差で落ちてたらもう発狂も。
え、他の大学を受けてなかったんですか?
あ、防衛大学を受験してて。
あ、10月ぐらいの。
そうです。合格したんですよね、文系の方で。
おお。はいはいはい。
で、早稲田と同志社をセンター利用で出してて。
センター利用で、持ってたんですね。
はい、そうなんです。
え、すごい。え、センターどれぐらい取ったんですか?
え、何パーって、全部そんな高くないですよ。92%とか93%。
もうこの人は賢すぎる。
そこでふと思ったのが、私の中で高校受験までは勉強は得意やったんですよ。で、高校時代遊んじゃったんですね。で、もう1回勉強するのはすごい自然な流れなんですけど、もっと大事なことがある、勉強よりアニメの方が大事だったと。で、なんやったら東大に行ったらおそらく勉強がまた上に戻るだけっちゃだけなんですね。同じことの繰り返しなので。アニメとか漫画とか、今サブカルチャーが好きやったりもあるんですけど、これよりさらにすごいことを追いかけたら、また新たな化学変化が起こるんちゃうかみたいなものがあって、防衛大学に行くって決めた。
すげえ。いや、もう漫画やな。すごいな。
これちょっとフラッと聞いた情報があって、現役で灘から防大に行った人いないらしいっていう。
ああ。
少なくとも私の時、2013年、12年の時から見ても、担任の先生も知らないっていうレベルだったんで。
ううん。
多分10年とか20年ぐらいはいなかったですよ。
え、灘から実際に行った人っていうのが。
で、それで防衛大に入られて、試練が始まるといいますか。
そうなんですよね。結構要領の良さが大事なんですよね。防衛大学って、頭の良さとかも大事ですし、もちろん筋肉量も大事ですし、体力も大事なんですけど、結局求められるのって幹部としての組織というか、仕事、タスクの回し方とかだったりするんで。伝わるかわからないですけど、自衛隊もほんまになんか囚人でいいですわ。
囚人のイメージ、プリズン・ブレイクとかのイメージでいいんですけど、ブレイクはしないんですけど。要するに規律よくちゃんと歩けるかとか、例えば集団生活はできるかとか、ルールを守れるかみたいなのが大事なんで、灘ってそういうことと真逆じゃないですか。
そうですね。そうです。
そっちもまた不得意というか、ぬるま湯に3年間いたみたいな感じですね。
ああ。
だから普通の高校生が学ぶ規律がなしの状態で行ったんで、結構苦労しましたね、1年生の間。
授業はどんな感じなのか気になる。
これもね、防衛大学の授業っていうのは、出席率が100%なんですよ。行進で行くんで。
朝起きてラッパとかで?
そう。そうです。
自衛隊やん。
あ、そうすよ。だから自衛隊です。
あ、自衛隊。一般教養とかも普通にやる?
もちろんです。
だから専門は、自衛官にまつわる?
いや、そんなこと全くないです。2年生の時に選択、選べるんですけど、私は結構防大にいたし、防衛のことをやりたいってことで国際関係論ってとこに行ったんですけど。
ああ、はい。国際。
文系だと国際関係が一応一番上ではあるんですけど、上というか学力的な話ね。ほんまに大差じゃないですけど。で、他に何があったかというと、公共政策って言って経済学だったりとか法律だったりとかを学ぶとこもありますし、あと人間文化っていう小説とかそれこそ言語とかを学ぶ学科もありますし。
そうなんだ。防大やから自衛隊のことだけってことはないんですね。
そうなんです。
で、結構ストレートで普通に行かれて。
あ、そうですね。はい。
挫折とかなかったですか?途中、勉強も含め全部含めて、なんかメンタル的に。
あ、ありましたね。ありました。これは、あんまり言わない方がいいかもしれないですけど、せっかくなんで言っちゃうんですけど、仮面浪人をしたんですね。
ああ、はいはいはい。
たまたま私が大学2年生の時が、東大の二次試験が土日と被る年だったんですよ。
なるほど。
もう7年に1回ぐらいですから。土日は出れるんで、平日は絶対出れないんですけど。
あ、全寮制みたいな。
あ、そうです、そうです。
で、それは1年ぐらい勉強するんですか?
受けたいと思ったのが、最初にメンタルダウンしたタイミングにもなるんですけど、大学2年生の5月ぐらいですよね。
はい、はい。
に受けたいと思って。受けたいと思うのは自由なんですけど、実際受けるまで模試を受けたりとか、親を説得したりとか色々あるんで、色々動いて、1年もなかったぐらいですね。8ヶ月とか9ヶ月とか。
結果どうでした?
これがね、ちゃんと落ちましたね。
あ。
結構受けた瞬間に、あ、落ちたなみたいな。
あ、そうなんです、そうなんです。だから現役の時は受かったなと思って落ちたんですけど、今回は落ちたなと思って落ちたっていう。ちゃんとしましたね。
何点差ぐらいですか?
えっと、20点ぐらいでしたね、確か。
ああ、全然。でも勉強はしっかりしたけど。
いや、正直な話、予備校も当然行ってなかったんで、足りなかったのは足りなかったです。私の気合がもっとあれば良かったかもしれないですね。
そうやって午前とか普通に授業して、行進で行って帰ってきて、その後になってからの勉強ってことですよね。
うん、そうなんですよ。でも一応防大がいいなと思う点があって、仮面浪人だったりとか浪人って、予備校に通う人はちょっと別ですけど、結構不規則な生活というか。
そうですね、そうですね。
メンタルもそうですし、自分を律するのって難しいと思うんですけど、防大のいいところは勝手に律してくれるんで。
あ、確かに。
朝6時に起きて。
確かに確かに。
運動量とかも多いんすか、防大って。
部活動とかがあって、そうですね。部活動は、私はちょっと少林寺拳法ってやつをやってたんですけど。
少林寺拳法もやってたんですね。
あ、大学で始めましたね。
それもやって、防衛大も行って、受験勉強もやってたんですか?
まあ大体、2年生の時はそうですね。
なんかネットで調べたら、少林寺拳法で最優秀みたいなのが出てきました。あれどういうくくりなんですか?最優秀って、もう全国大会で?
全国大会が1年、2年、3年、2年はちょっと色々怪我とかで出れなかったんですけど、1、2、3、4ってあって、大体全部入賞してます。
あ、そうなんですね。
え、最高は何位ぐらい?
あ、でもですね、最高で5位ですね。最高で1位とかじゃないですか。
え、でもめっちゃすごいですよね。すごいすね。そんな謙遜されてますけど。
少林寺拳法って、型とか、ほんまに戦うとか、どれなんですか?
はい。私は結構演武の方でしたね。
ああ。そう、綺麗さみたいな。
綺麗さ。まあ型みたいな感じですね。
型。あ、空手みたいな。
あ、空手と似てますよ、全然。空手は殴る蹴るが基本と思ってください。いわゆる打撃的な攻撃で、少林寺拳法は締め技とか関節技とかも全然やりますし、寝技もやります。
で、そもそもですけど、空手を別に悪く言うわけじゃないですけど、破壊するとか相手を倒すとかよりは、どちらかというと護身術みたいな感じで、自分を守るだったりとかのイメージが強いですね。
はい、はい。へえ。
仮面浪人のきっかけがメンタルダウンみたいなやつですよね。
あ、そうです、そうです。はい。
そのメンタルダウンの理由はあるんですか?
そうなんですよ。個人的にはメンタルが弱いって思ったことなかったんですけど、ちょうど防衛大学のカリキュラムの中で、大学2年生の最初ですね、4月、5月に訪れるカッター期間っていうやつがあるんですよ。
カッター。はい。
そういう、なんかイベントです。カッターを漕ぐというイベントなんですけど、競技会みたいな、運動会みたいなやつがあるんですけど、その期間が防大4年間の中で一番厳しいんですよ。
はい。
で、そこで厳しくされるのは大丈夫やったんですけど、結構理不尽というか、よくあることやと思うんですけど、それがドンピシャではまってしまって、プライベートの問題とかも結構絡んで、ここで結構自衛隊と向き合う時間が初めてできたんですね。
あ。
今までは1年生とかも厳しかったんですけど、ぼかしぼかしというか、もちろん自分の中で腑に落としてというか、PDCAとか回してたんですけど、そのタイミングでかなりメンタルが来て、外の他の選択肢を探してしまったっていうのがそのタイミングですね。
あれ、つまり、何か起きたんですか?トラブルみたいな。
えっとね、これ言うと難しいのが、防大内ではダメなことなんで、そのまま言っていいかなみたいなとこ。まあ、分かりますけど、暴力とかもそうですし。
あ、なるほど。
かなり追い詰められたってことですね、私が。で、追い詰められたっていうのも、その期間なんで自然の理っちゃ自然の理なんですけど、私の中では結構理不尽を感じるようなこともあったりとか、だから防大、自衛隊に対するアンチテーゼみたいなことが結構あったみたいな。
ああ。でもそっから2年間乗り切ったわけですよね。すごいわ。俺やったらやめてるわ。
それ乗り切れたのはなぜなんですかね?
それは目標があったからです。一番面倒した時は、逃げ道じゃないですけど、救いは東大やったんですよ。目標で。3年生、4年生だったら卒業することが目標になると。
はい、はい、はい。
だから目標があったら大丈夫だった。
ああ、なるほど。東大がダメだったってことで、そっから浪人とか東大とかを諦めて、もう普通に防大1本みたいな感じなんですか?
一応そうですね。防大1本というか、それが大学3年生のタイミングですね。これ流していいのかわかんないですけど、防大は卒業したら学位が出るって言ったじゃないですか。ロンダリングができるわけですよ。大学院に行けると。
ああ、そういうパターンもあるんですか?
あ、もちろん。私はそうですね、やっぱこの後もあるんですけど、卒業して大学院に行きたいなみたいなのがぼんやりあったんで。
そうやね。うん。
そう。でもいつの間に。まあ全然いいんじゃないですか。
全然いいんですけど。おもろい。そうです。
大学院はどの辺志望なんですか?
いわゆる東大の大学院に行きたいって思いも確かにあったよ。あったんやけど、自分でやりたいことがあって、その当時やっぱ親の会社を継ぎたかったんよね。親の会社だから、経済とか全く勉強してなかったから、経営とかそっちが勉強できる学校に行こうってことで。
MBA進学ね。ああ。
え、その時親御さんは何の会社を経営されてたんですか?
えっと、今も変わらんねけど、大阪のもう全然勉強とか必要じゃない、もう肉体系の倉庫業とか鉄工業とか。
え、でも卒業して自衛官にならないっていう選択肢あるんすね。
これがね、あるんですよ。防衛大学を作った初代学長の方がいらっしゃって、全員自衛官にならなければいけないってルールにしなかった。規則ね。卒業のタイミングで、もちろん防衛大の学生は普通に自動的に自衛隊の幹部になるんやけど、それにならないっていう選択肢も与えて、それでも学位を授与するってルールができて。
はいはい。
もちろん今でもあるんだけど、そこで選択を取ればやめれるっていうのはあったよな。
実は別にやめれるけどみんな自衛官になる。自衛官にならずに大学院に行かれて、いつから対策したんですか?
うん。えっと、これまた面白いのが、防衛大学に在籍してる間に大学院の試験を受けてはいけないんよね。
ええ。
そう。
え、いわゆる大学院浪人みたいな。
ああ、ってことは1年再び期間を設けたって感じ。
設けたってみたいな。そうなんですね。
じゃあ、一旦卒業して、そっからゼロからスタートみたいな感じですか?
ゼロから。あ、でも在学中も勉強してたね。そうか。
うん。
資格とかも在学中。
あ、そう、そう。だからFPとか取ったりとか、簿記取ったりとかしてた。
あ、そうなんですね。あとTOEIC受けられたみたいな。
TOEICも受けてた。うん。
すごいな。え、どれぐらいでした?TOEIC。
いや、でもね、やっぱ東大受験してた直後に受けたら結構高かったと思うけど、やっぱ英語の重要性がそこまで高くないから、普段の中で。全然高くない。全然高くないって、まだまだみたいになって、別にそんな大したことない。800ちょっとぐらいだから、全然全然。
高っ。いやでも、絶対ちゃんと勉強したらもっと。入られた大学院はどこですか?
えっと、関西学院大学やな。
あ。
で、これ理由がまた色々あんだけど、家から通えるとか、大学院のために東京に行くのはまた嫌やったから、下宿料とか。で、やりたいことが、例えばこの教授に教わりたいとかやったらそこ行くけど、そういうわけじゃなかったから。関西学院大学の大学院だね。
2年間通って、で、終わって会社を継ぐ。
継ぐというか、速攻継ぐわけじゃないけど、親が元気やから、普通に見習いとかアルバイトとか、新人とかで入って、色んな現場とか行ったりとか、そんなん。あと、公認会計士の勉強も、MBA出たら免除受けたりするから、会計士の勉強も並行してやったりとか、税理士法人でバイトしたりとか。
へえ。
まあ、そんなことも卒業後にやってたっていう。
会計士志望の時もあったんですか?
うん。志望っていうか、受験はするみたいな。もちろん志望ってことやね。
え、受験受けたんすか?
受けた、受けた、もちろん。うん。
で、結果はどうでした?
えっとね、短答式は受かって、で、論文式の中で色々込みで3科目ぐらい免除取ったんやけど、残り4科目残して、これはまた転機があったんやけど、直近は受験しなくなってた。
あ、そうなんですね。
何年間か有効期限あります?
ある、ある。今もまだ有効やと思う。
じゃあ全然余裕持ってやりゃいいんじゃないですかね。その転機聞いていいですか?
えっとね、もちろん公認会計士の勉強をしつつ、バイトとかするっていうのは、ちょっと宙ぶらりんな状況なわけよ。ほんまに目指すんか、親の後を継ぐんか、会社を立ち上げるとか、サラリーマンになるとかもね。で、決めなあかんってタイミングがちょうど29か28かな。それぐらいの冬にあって、結果的にそのタイミングで会計士をやめて、親のことを継ぐっていうことになったんよね。
ああ、はいはい。
じゃあ今何してるかって言うと、会社を設立したわけね。親の会社の手伝いもしてるけど、今でもしてるけど、それのまた転機で言うと、元々親の会社に入った時に言われたのが、まだ継がす気はないと。
ああ。
理由があって、親が元気やから、まだ全然50代、55とか。
うんうん。
元気やから今すぐ継がなくていいと。もちろん勉強は教えるし、準備はするけど。で、それまでの間に、もっと自分の好きなこととか得意なことを、デコボコでやってこいっていう背中を押してくれたんよね。
ああ、はあ。
その準備期間の間に何したかというと、会社を設立する準備をすると。
うん。来ました。本題ですよ、これ。
そうですね。てかもうむちゃくちゃ長くなっちゃった。
こっから本題です。こっから、もご君の得意ジャンル。
得意。
今作られた会社が株式会社同人。
そうですね。株式会社同人という会社を。
えっと、同人誌の制作のマッチングサービスみたいな。
そうですね。制作、同人誌って言ったけど、要するに漫画っていうカテゴリーで、イラストとか漫画とか同人誌もそうやけど、描ける人と依頼したい人を繋ぐプラットフォームを。令和の虎に出た時とかはまだできてなかったんやけど、ちょうどこの4月に出来て、運営が始まったって。
おお、令和の虎で出資を募ったのは、そのためのお金みたいな。
そう、そう、そう。その資金をくださいって言いに。
はいはいはい。
で、ここでね、同人誌がどんなものかを、僕のうちのサークルのものですけど、こういうものを持ってきました。
同人誌とかで作って、なんか目的があったりとかするんですか?
同人誌を作るじゃないですか。で、コミケとか即売会ってのがあるんですよ。それ同人即売会って言うんですけど、企業とかがあんまり関わってこない。そういう場で個人的に売る。
え、漫画とは違う?
あ、関係あります。
関係あります。
漫画家も元々は同人作家やったりするんですよ。その同人即売会にお忍びで来てた出版社の人とかが引き抜いたりするんですよ。出版社と契約したら漫画家。
漫画家になります。
個人でやってたら、一応漫画家と自分で呼ぶこともできますけど、企業とか絡んでるのが、よく俗に言う漫画家。
あ、そうか。個人でやってる人は、もうほんまに同人制作。
そう、同人漫画家。色々手間があるんですよ。漫画制作ってややこしいんです、要するに。連絡もそうで、コミュニケーションコストもそうですし、期待ですね。理解の相違も難しいんで、そういうのを補助するというか。だから漫画専用のプラットフォームとして作ったのが、GreenHornって名前なんですけど、サービスですね。
元々そういうサービスって世になかったんですか?
えっとですね、なかったですね。
おお、すごい。
それぐらい漫画作るってのはややこしいってことですね。色々依頼するじゃないですか。自分とちょっと違うのが帰ってくるじゃないですか。修正頼もうかなとか、お金どうするんやろとか不安になるんですよね。もう修正する時も、とてつもない長文で「すいません、申し訳ないですけど」って。
あるあるやけどな。
ああ。
それをね、やってくれるってのはありがたいですよね。その会社の目標とかってあったりするんですか?
うんとね、現時点の目標としては、とりあえず走り始めやから、このサービスをみんなに使ってもらう。このメディアに出るとかもそうかもしれんね。それが一番の目標やねんけど、大きな将来的な目標としては、漫画とか同人誌もそうやけど、日本固有の文化で結構。
はいはいはい。
だから漫画を世界に発信していきたいってのがあるな。
ああ。
例えば依頼者って今言うたんやけど、漫画家は日本人でいいと思うけど、依頼者って海外の人めっちゃ多いんやんか。
ああ、なるほどなるほど。
NARUTOが流行ってるとして、NARUTOの自分だけのストーリーみたいなのを作ってくれる人を探す。だから言語の壁とかね、もちろんプラットフォームの壁があるから、それをフォローできて世界に発信できたらいいなとは思ってるけど。
夢のようなサービスです。もしストーリーがこんなんだったらとか、描いてほしいとかね。
なんか予算も安くするとかあるんですか?
えっとね、前提として漫画制作会社とか挟まないから、お互い見えやすいね。払うコストも低いし、クリエイターの取り分も圧倒的に多いし、みたいな。
ああ、なるほど。確かに。いいっすね。
最強の。そこはね、だから両方、なんか安くて高いみたいな感じね。依頼料が安くて、受け取る金額が高いみたいな。
はあ。
じゃあ最後にですね、視聴者に最後にメッセージをいただくっていうのがありまして、何でもいいんで一言お願いしてもいいですか?
はい、分かりました。経歴は特殊と言いますか、色々あった人生なんですけど、最終的に自分の一番やりたかったこと、ドラえもんとかの話に戻るんですけど、絵本の時にも戻れますね。で、この事業で世界を変えたいと思ってるのは事実なんで、もし皆さんよろしかったら、漫画だったり同人誌を作ってもらう依頼をする、もしくはクリエイターの方は登録してみてくださったら嬉しいです。よろしくお願いします。
いや、今日はありがとうございます。
ありがとうございます。
それだけなのにファの空につませ、こんな時代のそばに変わりもいなくて、アキとなりでおめ
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