旅系YouTuberスーツが語る、「搾取されない時間」を求めた28年間

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概要

旅行・鉄道系YouTuberのスーツが、トマホークのインタビューに答えて幼少期から現在までを振り返った。電車の運転士に憧れた保育園児は、鉄道専門の岩倉高校からJRを目指して不採用となり、2か月ほどの受験期間で横浜国立大学に推薦で合格した。大学時代にYouTubeで稼ぎ、28歳の現在は資産運用で暮らせる状態にあるという。話の芯にあるのは、スーツ本人が繰り返し「左翼的」と呼ぶ発想、つまり企業に時間と健康を奪われたくないという考えと、そのために何を選んできたかである。

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陰キャなのに人が集まってきた子ども時代

冒頭、スーツはファンの一部から「神」と呼ばれることについて、特定の人たちから強く支持されるのは昔からだと話した。人が集まる子どもといえば活発でスポーツ万能なタイプを思い浮かべるが、自分はかなりの陰キャだった。それでもなぜか周りが面白がって寄ってきたので、YouTubeをやれば金儲けになるのではないかと考え、実際に儲かったという。

出身は東京都板橋区の高島平で、団地が並ぶニュータウンのような町だ。両親について、スーツは「経済成長後の日本の中流」の家庭で育ったと表現している。生後7か月から保育園に通ったが、送り迎えの母親がいなくなるのが嫌で、保育園という環境は好きではなかった。それでも母親の姿が見えなくなると大人しくなり、本棚にあった小学館の科学図鑑を読んでいた。そこに「2000万年後には太陽が接近して地球はダメになる」といった記述があり、人間はこうやって滅ぶのかと強く印象に残ったという。

保育園時代には毎日お漏らしをしていた。「トイレに行きたい」と自分の意思で言うのは下品で、限界まで我慢した末に出てしまう方がまだ恥ずかしくない、という感覚があったからだ。周りの子はトイレに行っていたが、スーツは自分の方が高潔だと本気で考えていた。それでもいじめられることはなかった。昔から「自分の考えが正しい」という思いだけがあり、周りの言うことを聞かない子だったのだろう、今でも自己中なところがある、と本人は分析する。小学校に上がる直前、このまま小学生になるのはまずいと感じ、「トイレに行ってきます」と言うように行動を変えた。5歳の秋口ごろの出来事で、自分の中の成長の記憶としてはっきり覚えているそうだ。

本、NHK、お下がりのパソコン

公立小学校の授業はすべて面白かった。ただ国語の時間は周りの音読が遅すぎて、毎回教科書を1冊読み終えてしまっていた。本好きの母親が小さい頃から読み聞かせをしてくれたおかげで、文字を早くから読めたのだろうとスーツは言う。周りの友達と一緒に何かをするという感覚がなく、本を読み、そのなかで自分が正しいと思ったことだけをやる。ずっと1人で生活している感覚があったという。

家庭の方針でゲームは中学生まで禁止されていた。テレビもNHKしか見る習慣がなく、NHK教育の科学番組を見て育った。そのせいで価値観が固まり、民放のように色とりどりの人が次々に出てくる番組や音楽を面白いと思えなかった。「価値観の根本が昔の人のまま保存されている」と本人は言う。祖父がWindows 7に買い替えた際に不要になったXPのパソコンをもらい、簡単なコードを書いたり、HTMLを調べて自分のホームページを作ったりした。ほかにやることがなかった、とも振り返る。

習い事は水泳で、泳げはしたが、バタフライだけは筋力が足りずにできなかった。中学では、親が演劇部出身だった影響で演劇部に入った。話せるようになれたらという思いがあり、たぶん役に立ったと思う、とスーツは言う。トーク力の源について本人は、他人と話すのは得意ではないが、頭の中で常に「これはなぜこうなっているのか、たぶんこうだろう、しかし果たして」と独り言を続けているので、それを口に出すのは難しくないのだと説明した。一人っ子で、両親は夕方には帰ってこず、家で1人でいることが多かった。寂しいと思われがちだが、本人はそれが普通に楽しかったという。

小石川中等教育学校を受けて落ち、学歴には価値を感じなかった

あまり話したことがないと前置きしたうえで、スーツは都立の小石川中等教育学校を受験したことを明かした。本人の言い方では偏差値70ほどの難関校である。科学が面白いと感じていたところ、小学校の授業は簡単で退屈だった。そんなとき、小石川ではこんな授業をしているという新聞記事を読んで受験を決めた。しかし倍率が高く、合格できなかった。

ほかの私立中学は受けず、公立中学に進んだ。家族には高卒の人もいて、大学は一部の人が行く場所だという感覚で育った。学歴に価値があるという感覚があまりなく、大学は自分の行く場所ではないと思っていたという。

運転士ではなく「JRの社員」を目指した理由

鉄道への興味も保育園の図鑑から始まった。父親は煙を吐く蒸気機関車が好きで、年に1、2回は鉄道を見に連れて行ってくれた。パソコンでインターネットが使えるようになると知識が一気に増え、分かるから楽しくなり、自分で電車に乗りに行くようになった。ただ、今は当時ほどではないという。

保育園のころは運転士になりたいと言っていた。しかし成長するにつれて、運転は座っているだけに見えても間違えたら大変なことが多く、ストレスが大きい仕事だと考えるようになった。早朝や終電後の勤務もある。そこでスーツは、どうせ大した人間にはなれないのだから、せめてJRに入社して、社員の乗車特典で電車に乗って趣味を楽しめればいいと考えた。働かずに好きに暮らせる金持ちになれればそれに越したことはないが、それは一部のとてつもない成功者の話で、自分には関係ないと思っていたという。

勉強はできた。それでも当時は大学を出ても内定がもらえないという報道が多く、大学に行っても人生は真っ暗だという前提を持っていた。インタビュアーから、なぜそこまで期待値が低いのかと問われると、スーツは「ちょっと左翼寄りの思想だったのかもしれない」と答えた。世の中は自分から搾取しようとしており、自分は選ばれた人間でもない。個人は基本的に誰かに搾取される存在だ。だからこそ、ほどほどに幸せになれる安全策を狙う。不幸にならないことを意識して逃げ続けてきた人生だった、と振り返った。

岩倉高校運輸科と、寝台列車に乗り尽くした高校時代

進学先に選んだ岩倉高校は、明治時代に鉄道係員を養成する専門学校として始まったという。校内には本物の運転士と同じように運転を学べる設備がある。ただスーツは、高校で運転を学んだからといって採用に関係するわけではないと、入学時点で分かっていた。当時は運輸科・機械科・商業科・普通科があり、今はおそらく運輸科と普通科だけだという。スーツは運輸科に入った。JRには高卒で入る道が多く、中学のころには大学へ進む人が多いことも分かっていたが、高校で就職を試み、だめなら大学受験をすればいいという二段構えで考えていた。

入試の成績は同じ組の受験者のなかでおそらく1番で、特待生として学費はほぼ無料だった。払ったのは制服や教科書の代金程度だったという。

部活には入らず、放課後はどう金を稼ぐかを考えていた。YouTubeへの投稿もこのころ少し始めている。もう一つ力を入れたのが寝台列車だ。当時はまだ多く走っていたが、近いうちになくなるか、値段が10倍ほどに上がるだろうと自分の知識から予想していた。そこで今のうちに乗っておこうと、アルバイト代を使って月1回ほど寝台列車で北海道まで行った。今は豪華列車になり、北海道まで乗れば200万円ほどかかるだろうが、自分が高校生のころは2万円ほどだったとスーツは言う。もちろんサービスは違う、とも付け加えている。アルバイトは新幹線の駅での駅弁販売で、一般の人が入れない場所や車輪の横を歩くのは面白かったが、1か月で飽きたという。

撮り鉄もしていた。黄色い線の外に出る、罵声を浴びせるといった迷惑行為は自分はしていないが、やっている者は多かったという。ネットで炎上して退学になった生徒や先輩もいた。撮り鉄が人の写り込みや障害物を嫌うのは、写真の雰囲気を損なわず、すっきりした構図にしたいからだ。スーツにはそこまで人生をかける理由が分からなかった。人が写っていてもその場の雰囲気が伝わるのだから構わない、と考えていた。そのため北海道まで撮影に行っても画角やピントにこだわらず、撮り鉄仲間からは「ぬるすぎる」と馬鹿にされたという。

JR不採用と「最悪、間違えてもいい」という感覚

高校3年でJRを受けたが、不採用だった。理由は教えてもらえない。ただスーツ自身は、自分は向いていないと感じていた。アルバイトでは要領が悪くミスも多く、鉄道の仕事をしたらダメな人間ではないかと思っていたという。何かを間違えずにやり続けるのは今でも難しい。それに加えて、最悪間違えてもいいだろうという感覚もある、と本人は認める。たとえば今日の収録を忘れて来なかったとしても、一般論としてはまずいが、人生全体で見れば誤差の範囲だと正直思ってしまう。人が死ぬ恐れがあるので車の運転はしないが、遅刻なら最悪土下座すれば済む、という感覚だそうだ。

相鉄や東急などの私鉄を受けなかったのは、求人票を見ると給料が少なく、運行区間も短いので乗り放題になってもうれしくないからだった。高卒の採用試験は基本的に1社しか受けられない。JRのような人気企業は二次募集をしないため、JR東日本に落ちた時点で終わりだった。二次募集の会社は受けず、大学受験に切り替えた。

高3の9月から始めた受験勉強

受験勉強を始めたのは17歳、高校3年の9月ごろだ。最初は東大は無理でも高めに狙っておけば引っかかるだろうと一橋大学を考えた。しかし数学が無理なことと、大学受験の壁の厚さが分かってきたことから私立文系に切り替えた。早慶を目標にしつつ、MARCHのどこかに引っかかればいいという気持ちだったという。模試は一度も受けておらず、英語の資格を高校2年で趣味のように取っていた程度だった。

高校はサボりがちで、最も集中できる場所で勉強した。その一つが電車だ。安く遠くまで乗れる切符を使い、2日続けて東京から中央線で長野まで往復したこともある。車内で地元の高校生が勉強しているのが目に入ると、目の前に敵がいるようで頑張れたという。1日10時間以上は当たり前で、21時間以上勉強した日もあった。睡眠は4時間ほどで体が熱っぽくなり、ストップウォッチで勉強時間を測っては伸ばすことに意地になっていた。ただ本人は、それをやることに満足していたのだと振り返っている。

横浜国立大学の推薦入試と「学級委員」の声

10月ごろ、高校の内申点が良いことから推薦入試を使えるのではと言われた。評定は体育だけが4で残りは5、平均4.9ほどだったが、学校の勉強が簡単だったからだとスーツは言う。候補は横国と慶應の文学部で、どちらもセンター試験などの学力試験が不要だった。慶應の方が名前は通りやすいと思ったが、文学は金持ちになってからやればいいと考え、横国の経営学部を選んだ。その年に東大の推薦入試も始まっており、ギャンブルで受けることも考えたが、さすがにないと思ってやめたという。

試験は小論文、面接、内申の3つだった。小論文は、経営のなかで商品がどう扱われるかを分かる範囲で論じる問題で、スーツはJRが現在どういう戦略に変わっているかを書いた。オタクではあるがその分野だけは自分なりに勉強していたので、それを書けばよかったのだろうと振り返る。

面接には当初、受かるわけがないと「バカンスに来たような気分」で臨んだ。周りは小論文対策の本を読み込んだ頭の良さそうな人ばかりで、センター試験で横国に入れる学力は自分にはないと思っていた。ところが扉の向こうから、ほかの受験生が大きな声で「高校で学級委員をやって」と話しているのが聞こえてきた。それは就職面接で話すことで、大学で勉強するのに学級委員の話は関係ないのでは、と感じたスーツは、この中なら意外と戦えるかもしれないと考え直し、真面目に面接を受けたという。

生徒会の演説「私は何もやりませんでした」

スーツは高校で生徒会もやっていた。目的は就職対策である。高卒採用では社会の一員として機能する人材が求められ、そういう人は普通の部活に入って卒業まで続けるものだ。部活をしていないと「こいつは何かある」と思われるので、その代わりに生徒会に入った。ただ今考えると、部活はせずに政治活動的なことだけをしていた生徒は、大人しく歯車として働いてくれそうには見えない、代わりにはならないとスーツは笑う。定期テストでは1500点中1400点ほどを取り、卒業間際には面識のない生徒が教室までスーツを見に来るほど有名だった。

その理由の一つが独特な演説だった。1期目は寄せられた要望を読み上げ、それを受け止めて反映できるよう努力すると約束した。2期目を迎える時点で、要望の多くは実際に改善されていた。しかしそれは学校側の改革によるもので、自分は何もしていなかった。そこで演説では、何もやらなかったと言うのはおかしいが嘘を言うよりはいいと前置きして「私は何もやりませんでした」と述べ、今年はマニフェストが実現できるようにちゃんとやると訴えた。すると大量得票で再選され、先生たちは怒っていたという。

政治家になれとは昔からよく言われるが、その志はまったくない。国会で論戦するのは面白そうだと思うものの、日本をこうしたいという考えがなく、今のままでいいと思っているからだ。やるとしても、難しい顔で議論しているせいで社会問題が増えていると自覚しろ、と言うくらいで、それは政治家の仕事ではないとスーツは話した。インタビュアーが「YouTubeでできますね」と返すと、スーツもそれに同意した。

2か月の受験生活と、心残り

推薦入試は11月で、合格発表は12月だった。絶対に落ちていると思い、確認するのを忘れていたが、見てみたら合格していた。早慶やMARCHの一般入試はそれより後なので、結局受けずに終わった。倍率は5倍で、定員5人に25人ほどが受けたと思うという。受験生だった期間は2か月ほどしかない。

センター試験は、点数が横国に通知されることと、一度受けてみたかったことから受験した。会場は東大だった。東大を見てみたかったので自転車で行き、キャンパスを走って建物を見て回った。誰にも言っていないのに、センターの日に東大でサイクリングしていたと学校で噂になったという。数学と理科はまったく勉強していなかったので2日目は欠席し0点、国語と英語は8割ほど、日本史は95点ほどだった。12月で受験勉強をやめてしまったため、12月から2月までの3か月を本気でやっていたら私立文系でどこまで行けたのか。それだけが唯一の心残りだという。訓練はしたのに戦いに行けなかった、とスーツは表現した。

「拾える金は全部拾う」──動画を量産した大学時代

合格から入学までの4か月でやったことは3つだった。YouTube、アルバイト、そして消えていく電車に乗ることだ。ちょうど高校卒業の時期が、好きだった電車が全部なくなる時期と重なっていたという。このころから金持ちを目指す気持ちがはっきりした。とはいえ金で世の中を動かしたいわけではなく、ある程度貯めておけば安心だというだけだった。YouTubeで何回再生されればいくら入るかを計算すると、意外と食べていけると分かり、本気でやろうと決めた。根にあったのは、会社に雇われて長時間労働をさせられ、人生と健康を失うのを避けたいという思いで、スーツは「発想はすごい左翼」だと言う。

運営していたのは電車のチャンネル「スーツ交通」、旅行のチャンネル、トークの「背広チャンネル」で、ゲームチャンネルなども試した。現在の運営を続けながら新しいことを試し、うまくいけば続けるやり方で、成功している経営者にもそういう人が多いのではないかと話す。いわゆる学歴系YouTuberの流れに乗っていた時期については、意図して参入したわけではないという。大学生が話せる話題は学歴くらいしかなく、話せば金がもらえ、学歴の話は儲かったからだ。当時の姿勢を、ガムテープを手に巻いて落ちている金をペタペタ拾い集めるようなもの、とたとえている。

学生時代に「年収5000万円の大学生」という動画を出したことについて、スーツは、自分にはいい動画を作りたいという気持ちが本当になく、本数を出せばよかったのだと説明する。3万回再生でも1万円ほどになるので、その程度の動画を年5000本出せば5000万円になる。起きている時間は1秒でも長く録画ボタンを押していたいと考えていた。最も忙しい時期は、電車チャンネルが平日1本・休日2本、背広チャンネルが毎日1本、旅行チャンネルは理想は毎日で実際は3日に1本ほど、週20本前後を投稿していた。これを全部1人で、ほぼ編集なしで回していた。撮った動画を並べて書き出し、アップロードするだけだったという。この時期は楽しく、毎日資産がいくら増えたか、何にいくら使ったかをすべて記録していた。

留年は2回している。1回は卒論が大変なので計画的に、もう1回は単位の計算ミスで、残り2単位を取って卒業した。国立大学の学費はそれほど高くなく、大学生というブランドでもう少し稼げるので学費は回収できる。そもそも計算を真面目にしていなかったので、深刻には受け止めなかったという。就職活動はしていない。一度、丸の内で三菱グループのある企業の人に声をかけられ、入ってくれれば面倒を見ると言われた。そういうことが本当にあるのかと思ったが、会社に入っても活躍できなかっただろう、とスーツは話す。

会社組織の拡大と、自分がいなくても回る会社への作り直し

法人化は在学中で、当初は法人の方が税金が安いという程度の理由だった。卒業後は会社として案件を受けて増収を目指し、観光業や自治体の予算を受けられる会社にしようと、それに合った社名にした。今も自治体や海外の政府からの仕事があるという。売上は最大で2〜3億円ほど、社員は最大28人いた。ただしスーツが頑張って働かなければ売上が立たない構造で、自分がおかしくなったら終わりなので持続できないと考えた。現在はAIでスーツを再現したり、ほかのチャンネルを作ったりして、本人が必死に働かなくても儲かる会社に作り直しているところで、軌道に乗ってきたという。

AIについてスーツは、自分がまったく関わらずに回っているチャンネルがあると話す。自分の思想を受け継いだ社員たちがAIで自分を再現しており、自分が見ても「これは自分だ」と思える出来だという。旅行も社員が担う部分が増えた。一番多い時は2〜3か月続けて旅に出て毎日撮影していたが、最近は月に3〜4回ほどだ。自分に必要なものはもう手に入れたので、自分の足で稼ぐより社員に稼いでもらう方がいい。そうすれば社員が稼ぐノウハウを身につけられ、スーツが死んでも食べていける。社員の売上が増えれば、自分は働かなくてもいい。世の中のビジネスもそういうものだろう、とスーツは話した。

ReHacQ出演の真相──「やばいやつの演技はやばいやつにならないとできない」

インタビュアーが、少し前にXでの投稿が騒動になりReHacQに出演した件を尋ねると、スーツは説明が難しいとしたうえで、端的に言えば「演技」だと答えた。ただ、そこで話した内容は全部が嘘ではない。夜中にXへ「生きていても死んでいてもどうでもいい」といったことを書き続け、周囲が心配していたところにReHacQから出演の打診が来たという。落ち着いて難しいことを話すだけでは番組として面白くないし、動画の冒頭は大事なので、机の上に寝転がるところから始めた。

スーツによれば、やばいやつの演技はやばいやつにならないとできない。そこで収録前にスタッフへ「危ないことはしないので」と挨拶したうえで、ReHacQのオフィスの床で10分ほど寝転がっていた。通りかかる社員に謝りながらそれを続けると、本当に頭がおかしくなってくるという。自分が異常な行動をとると世の中の人はこう振る舞うのか、という発見もあり、新鮮な体験なので一度やってみるといい、とインタビュアーにも勧めていた。さらに、会社が本当におかしくなったらどうなるかを社員に当事者として感じてもらう機会にもなった、とも話している。

影響は実際にあった。取引先からは「体調が良くなられたら、またよろしければ」と親切な連絡が多く届いたが、取引は減った。一方でYouTubeの売上は立ったので、短期的には問題なかったという。今は落ち着いており、今後はそういうことはやらないとスーツは言う。この先10年は余計なことを言わず同じ仕事を淡々と続け、「そういう時代もあったね」と言われるくらいまで信用を取り戻すつもりだという。

結婚観と、免許返納で叩かれた理由

結婚は2022年で、発表は2023年、まだ大学生のときだった。恋愛に興味がなかったからさっさと結婚すればいいと思った、とスーツは言う。SNSでは「もっといい相手がいるのでは」という話をよく見るが、相手による違いはそれほど大きくないと考えている。ただ、妻と日々話すなかで価値観はとても近くなり、ほかの人とは違う、互いのことが分かる存在になった。人は時間とともに変わり、22歳で結婚した相手も42歳には別人になっている。だから誰と結婚するかより、その後の20年、50年をどう過ごすかの方が結果に大きく影響すると思う、とスーツは話した。

運転免許を取ってすぐに返納したときは激しく叩かれ、今でもアンチコメントの半分ほどはこの件だという。スーツ自身の今の解釈では、車社会では免許は一人前の大人の証、自分が存在できる根源のようなもので、それをすぐに捨てるのは神棚をゴミ箱に捨てるように感じられ、自分の人生を否定されたと受け取る人がいるのだろうという。当時はそれが分からなかったが、今は分かる。やらない方が得だったとも認めた。

運転は人の命に直結するので絶対にしたくなかった。しかし車は社会の基礎なので、その文明を理解するために免許取得は一通り経験してみたかった。取った後は使い道がなく、当時は返納するとタクシーが1割引になったので元も取れる。今は年齢制限がつくところが増えたが、60歳になればまた割引を受けられる。使わないなら返納でもう一本ネタが作れるという発想もあり、実際その動画は50万回ほど再生されたという。

28歳の健康オタク、あるいは「時間マニア」

今後の生き方について、スーツは特に考えがないと言いながら、自分にはまだ人生の目標が2つあると話した。1つは「生存の達成」で、これはおそらく達成できた。もう1つは長生きだ。スーツは時間に興味があり、さまざまな種類の時間を経験したい。長生きすればそれだけ多くの時間を見られる。周囲と良い関係を持ち、社会的役割を持つことが健康に良いとハーバード大学などが言っているらしいので、出版社から声がかかった本の企画や、今回のような出演を引き受け、周りと仲良くする感覚をつかもうとしている。本人いわく、健康維持習慣の一つだという。

最近は喫茶店で、平日の昼間に老人たちが肝臓の話やオリーブオイルがいいらしいという話をしているのを聞くと、自分の世界の話のように感じる。年を取ると健康の話しかしなくなるというが、自分はそれが40年ほど早く来た、とスーツは笑う。長期目標は80歳くらいまで生きてみることだ。筋肉量を増やした方がいいらしいので、週4回ほど運動している。タンパク質は1日100グラムほどを目安に、刺身やプロテイン、サバやイワシなどの魚から摂る。スーツの説明では、常温で液体の油の方が動脈硬化に良いので、肉の脂や加工肉は避け、魚、ナッツ、オリーブオイルから脂質を摂っているという。

自分を一言で表すなら「時間マニア」かもしれない、とスーツは言う。時間を企業に搾取されないことも、寿命を延ばすことも、すべてそのためで、そのためにこれまで生きてきたのかもしれない、と話した。

20〜30代へのメッセージ

最後に若い視聴者へのメッセージを求められたスーツは、自分は将来のことばかり考えて生きてきたと前置きした。そのうえで、目先のことにとらわれるなとよく言われるが、人間の脳はよくできていて、目先のことだけをやっていても人生が前に進むシステムがあると思う、だから目先のことをやるのもいいのではないか、と「バランスを取って」語った。20代はエネルギーがあり、色々動いて学習する段階で、30代になるとそれを落ち着かせる段階に入るように人間の脳はできているのではないか。30代になると満足してくるところがあるので、20代でやりたいことは20代のうちに全部終わらせた方がいい。スーツはそう締めくくった。