勝間和代が語る「小さな労力で大きな成果」の半生:宿題を後回しにした子ども時代から勝間塾まで

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概要

経済評論家の勝間和代は、自分は「働くのがあんまり好きじゃない」と前置きし、なるべく小さな労力でたくさんの成果を出す方法を何十年も研究してきたと自己紹介した。聞き手の若い二人から「生産性の鬼」と紹介された勝間が、中学受験、公認会計士試験、外資系金融、マッキンゼー、オンラインサロン「勝間塾」の運営までを振り返る。各段階で何を選び、何に向いていないと気づいたのかを、勝間自身の言葉に沿って整理する。

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勝間は冒頭で、このチャンネルの視聴者層は自分を直接知らないだろうと笑った。若い人と話すと必ず「ファンなんです、母が」と言われるそうで、3人いる娘のうち末の娘が聞き手とほぼ同じ年齢だという。

宿題は9月1日に、授業は後で友達に聞く

子どもの頃から効率重視だったのかと問われ、勝間は宿題の例を挙げた。宿題は翌朝の提出前に、夏休みの宿題は9月1日に入ってからやっていたという。その時期なら友達に見せてもらったり教えてもらったりでき、年の離れた姉や兄も手伝ってくれるので、その方が早いという理屈である。授業も半分ほどは聞かずに遊び、後でできる子に教わる方が要点がまとまっていて、自分で調べる手間も省けると考えていた。

聞き手が「それでは身につかないのでは」と疑問を示すと、勝間は、長い時間やったからといって身につくわけではないと答えた。受験勉強を見ていても、みんな長時間インプットしすぎだとずっと思っているという。1日10時間の受験勉強は「とんでもない」とも語った。

自習しない中学受験と、御三家を含む4校合格

中学受験では四谷大塚に通った。公立小学校では普通に鬼ごっこをして遊び、日曜日がテストなので土曜日だけ勉強する生活を4年生から5年生の半ばまで続けた。さすがに間に合わないと思い、5年生で塾の教室に入れてもらい、最後は土曜日の教室にも通って授業できっちり勉強するようになると、当然ながら成績が上がっていったという。それでも自習はせず、教室で習った内容だけでテストに臨んだ。自分で自習するより先生に教わる方がはるかに凝縮されているし、テスト前に自力で一夜漬けしてもどうせ忘れる、というのが勝間の考えである。

中学受験をした背景には家庭環境がある。勝間は4人きょうだいの末っ子で、上の3人は8歳、10歳、11歳年上だった。親は小さな会社を経営しており、姉たちが半ば「妹育て」のようにいろいろなことを教えてくれた。教師が3人いるような環境で「より良く生きる方法」を教わり続けたことで、抜け道を探す発想が育ったと勝間は振り返る。きょうだいからは、中学受験をしておいた方が楽で人生得だと言われていた。

結果として勝間は受けた学校にすべて合格した。慶應中等部、桜蔭、女子学院、滑り止めの東邦大付属東邦の4校である。その年は2月1日が日曜日だったため、キリスト教系の女子学院の試験日がずれ、御三家のうち2校を受けられた。周囲からは「桜蔭に行けば慶應は必ず入れるが、中等部に行くと慶應にしか入れない」と桜蔭を勧められた。しかし慶應に通っていた姉が「慶應はすごく楽しい」と親に頼み込み、慶應に進んだ。

高価なパソコンとゲームに打ち込んだ中高時代

中学に入ってからは、始まったばかりのパソコンに夢中になった。親に1年間「買って」と言い続け、根負けした親に、当時軽自動車ほどの値段、60万円前後のパソコンを買ってもらった。絵を描かせる、文字を点滅させる、機械語を手入力してインベーダーゲームを作るといった程度のことしかできなかったが、自分でゲームを作って遊んでいたという。

ゲーム全般にも熱中した。高校の修学旅行にはゲーム機を持ち込み、カセットやACアダプターを同級生に分担して運んでもらい、旅館のテレビにつないでみんなで遊んだ。勝間は普通に全クリアできたが、当時の一般的な女子高校生は最初の面すらクリアできないと知って衝撃を受けたという。トランプなどの細かい遊びもたくさんしており、「ゲームに全振りしていた」と語る。

大学2年で公認会計士に合格した勉強法

大学は理工系も考えた。しかし慶應の理工学部は学内でそれほど上位ではなかったため、東工大あたりを目指して駿台で少し受験勉強をした。ただ1年も続けず、友達がみんな慶應に行くので慶應でいいかと決めた。その代わりに公認会計士を取ると決めた。理系が得意なので、難関資格の中で最も理系寄りの会計士を選んだという。会計士試験は7科目のうち簿記と原価計算の2科目がバリバリの数字だった。

学部は商学部を選んだ。当時は経済学部の方が偏差値が高く、成績上は経済学部にも進めた。しかし経済学部出身の姉が、お見合いで「慶應経済」というだけで相手に引かれ、断られ続けた。苦労した親から「経済学部に行くなら学費を出さない」と言われたという。加えて、会計士試験を受けるつもりなら商学部の授業がそのまま試験に直結する、という計算もあった。勝間は、言われてみれば親もハック思考だったと笑う。

勉強を始めたのは高校卒業直後の春休みで、合格までの勉強期間は通算1年4か月ほどだった。ここでも「ハック」があった。姉の人脈を通じて、大学在学中に現役合格した先輩たちに勉強法を聞いたところ、まず「専門学校の言うことを鵜呑みにするな」と言われた。鵜呑みにして受かるなら全員受かっているはずだ、という理屈である。次に「徹底的に簿記だけ勉強しろ」と言われ、最初の半年ほどは簿記しかやらなかった。簿記ができれば原価計算も自然にできるようになるという。簿記3級は独学でも受かるが、基礎がぐらつくと後で困るので3級から学校に通えと助言され、3級、2級と学校で学び、会計士コースとは別に1級のコースも取った。

本来は大学3年で受けるコースだったが、練習のつもりで2年のときに予備試験を受けて合格し、そのまま本試験も受けた。その年は原価計算が非常に難しく、問題文だけで1ページ半ほどあった。勝間は国語が得意で、それは「勉強しない人は暗記もしないので、ロジックに強い」からだと説明する。国語もロジックで解けるという。長い文章と数字を読み解いて出した最後の答えが合っており、そこまで正解できた受験者はほとんどいなかったはずだと勝間は見ている。結果は簿記と原価計算がほぼ満点、残り5科目は半分程度の出来で、当時最年少クラスでの合格になった。

長時間勉強したわけではない。友達に誘われて専門学校でアルバイトをし、資料運びや先生の板書を手伝ううちに、授業内容をそのまま覚えられたという。奨学生扱いでバイト代は出なかったが、35万円ほどの学費がまるまる戻ってきた。勝間はそれを親に言わずに受け取り、そのお金でパソコンを買った。大学ではもちろんシミュレーションゲーム研究会に入った。ゲームやスポーツの方が座学より頭の回転が良くなるという説も「らしい」として紹介した。人間の頭が良くなったのは体を動かすからだ、という話である。

学生結婚と、会計士に向いていないという気づき

勝間は大学3年から働き始め、4年のときには結婚し、在学中に子どもも生まれた。当時の会計士合格者は年間400人ほどで求人が多く、事務所の側から勧誘が来て、手を挙げればどこにでも入れたため就職活動はしていない。相手は友達の友達として紹介された東大生だった。

ただ、会計士の仕事は半年ほどしかしていない。4年の12月に外資系の監査法人に入り直したが、すぐに「これは向いていない」と感じた。会計士の仕事は注意力が必要で細かいが、自分はそうではないという。実際、顧客の帳簿のプリントアウトを網棚に置いたまま電車で寝てしまい、なくしたこともあった。そこで同じ会社の中にあるコンサルティング部門へ移らせてもらった。

そのコンサルティング部門は約1年でなくなった。独立するコンサルティング会社(現在のアクセンチュア)に移るか、監査法人に戻るかの二択を迫られた。勝間は面接にも行ったが、非常に大変そうな会社だと怖くなってやめた。会計士の3次試験を受けるには監査経験が足りなかったこともあり、監査法人に戻った。戻れた理由は数学とコンピューターが得意だったことで、プログラミングを使う監査の要員として、スワップやオプションといったデリバティブの監査を担当した。小さい頃から算数だけは得意で、そろばんの暗算も速く、5年生で区の大会に選ばれて3位に入ったこともあったという。

25歳で外資系銀行のディーラーに、そして挫折

デリバティブを監査しているうちに、勝間は「これは自分でやった方がいい」と思うようになった。監査法人の金融部門は、外資系金融機関の給料が倍ほど高いため、ヘッドハンターの草刈り場になっていた。電話をかけてきたヘッドハンターに「デリバティブのディーラーならやりたい」と気軽に答えたところ、本当にその話を持ってきた。こうして25歳で、第二新卒としてケミカルバンク(現在のJPモルガン)のデリバティブディーラーになった。

後に人事担当者に採用理由を尋ねると、会計士は珍しくなかったが、IT部門で取ったオンラインシステムエンジニアの資格が珍しかったと言われた。当時の合格率は会計士が約10%、その資格が約3%だったという。

ところがここで大きな挫折があった。ポートフォリオを組む長期のトレードでは利益を出せたが、国債や先物を売買する短期のトレードがまったくできず、毎月のようにストップロスに達した。最後には「これ以上ディールはさせられない」と言われた。約3年在籍したが、2年で人生計画が破綻したと勝間は語る。

失敗の理由として勝間が後に知ったと話すのが、人差し指と薬指の長さの比率(フィンガーレシオ)である。勝間の説明では、薬指が長い人は胎内で男性ホルモンを多く浴びた人で、リスクやパニックの場面で力を発揮するためディーラーに向く。人差し指が長い人は女性ホルモンを多く受けた人で、言葉で人の気持ちを知る職業に向くという。勝間自身は人差し指が長く、パニックになると慌ててしまうタイプだった。喋らない仕事では自分の能力は半分から3分の1になってしまうので、職業選択を完全に間違えた、と振り返った。

マッキンゼーでの7年と「洗脳」からの目覚め

勝間は喋る仕事であるコンサルティングに戻ろうとした。当初は古巣のアンダーセンを考え、部長は受け入れに前向きだったが、勝間を嫌う社長が反対した。揉めている間にマッキンゼーを受けたら合格したので、28歳でそちらに移った。本人は、自分が生意気だっただけだと言う。社内では「分析は的確だが、最後にクライアントを怒らせるコンサルタント」として有名だった、と誰かがXに書いていたのを読んで大笑いしたそうだ。怒らせたつもりはなく普通に議論になるだけだが、気に入ってくれる顧客からはリピートを受け、コンサルタントとしては順調だったという。

一番の不満は遊べなくなったことだった。研修後に後輩から教えを請われ、「営業時間外ならいい」と何気なく答えたところ、マッキンゼーに営業時間という概念はないとひどく怒られた。1日16時間ほど働き、家には寝に帰るだけ、会社で寝ることもあった。育児は当時の夫が、家事は同居してもらった勝間の母が担っていた。

7年ほど在籍した理由を問われると、勝間は「思考停止」「洗脳」と答え、ただし当時の話だと断りを入れた。マッキンゼー以外は会社ではない、アップ・オア・アウトで去った者はなっていない、と吹き込まれ、辞めたら人生が終わるように感じていたという。給料は高く、仕事はどんどん任され、やりがいもあった。年収は毎年15%ほど上がり、最後の年は2200万円ほどだった。

その間に離婚し、34歳で再婚した。新しい夫に「それは洗脳だよ」と言われ、ようやく目が覚めた。決定的だったのは3回目の昇進審査である。ハイテク部門にいた勝間の昇進を、仕事ぶりを知らない他部門の人たちが議論していた。全員の同意がないと上がれない仕組みで、この先もさらに2回同じ議論が待っている。そう考えて「付き合っていられない」と思ったという。

JPモルガン証券のアナリスト、大学院、そして独立

ちょうどそのとき、またエージェントから電話がかかってきた。JPモルガンが香港でマッキンゼーのコンサルタントをアナリストとして採用したところ優秀だったため、東京でも同じことをするという話だった。候補は2人しかおらず、ほぼ一本釣りだった。勝間は以前の在籍経験から、福利厚生や仕組みがしっかりした安心できる会社だと知っており、転職を決めた。ディーラーではなく、今回は証券会社の調査部門で、たとえばソフトバンクやドワンゴの株が割高か割安かを分析する仕事である。

在職中には、子どもが生まれて行けなかった大学院に通った。職場に近い日本橋に早稲田のファイナンス研究科ができたため、修士に2年、その後博士課程に3年在籍した。

博士課程に進む際に会社を辞めた。当時は年収の3分の2ほどがストックオプションとして会社に自動で積み立てられ、手元に来るのは3分の1程度だった。3年経った頃、米国法人から日本法人に移行するにあたり、勝間の推測では税務上の都合で、積立金が一気に返ってきた。その額は家族で3年暮らせるほどだったため、「3年くらい働かなくていいのでは」と考えて退職したという。

社会人向けの塾として始めた勝間塾

退職後、友人に会社を一緒にやろうと誘われ、アナリストしかできないからと投資顧問を始めた。大学院で学びながらファンドの調査業務を受託していたが、1年ほどで金融危機が起き、受託先がいなくなった。一緒に会社をやっていた上念司がかつて学習塾を経営していたことから、「塾をやればいいのでは」という発想で社会人向けの塾に転換した。

これが10数年続く勝間塾である。当時は「オンラインサロン」という言葉もなく、課金、メール配信、ウェブ配信のシステムをすべて一から手作りした。内容は、今で言うウェルビーイング、つまりより良い人生を送るための話である。月1回2時間の月例会の最近のテーマは「人生は99%が人付き合い」、週ごとのメールのテーマは「生活の質を上げるお金の使い方」だった。こうした話を山のように浴びると5年ほどで人は変わる、と勝間は言う。当時の自己啓発系の塾は30万〜50万円が当たり前だったが、勝間塾は月5000円という価格で始め、その値段を10数年続けている。集客については、当時すでに本を多く書いてベストセラーもあり、知名度があったと説明した。

本は、会社を辞めて調査業務の受託をしていた頃、空いた時間に以前から出版社に頼まれていた内容を書き始めたものだ。3冊目あたりから一気に売れ、最も売れたのは『お金は銀行に預けるな』だという。累計はきちんと計算したことはないが、700万〜800万部ほどだろうと勝間は見積もる。YouTubeは4〜5年前に始め、最初の2〜3年は毎日投稿したが、最近は停滞気味だという。聞き手は、サムネイルも凝らずに一発撮りで話す勝間のスタイルを紹介した。

プロ雀士の資格と、再び「向いていない」と気づいた経験

勝間は麻雀のプロ資格も持っている。ゲーム好きとして以前から麻雀はしていたが、ゴルフ仲間との麻雀で一人だけ極端に強い人がいた。聞くとプロと勉強会をしているというので連れて行ってもらった。勝間の説明では、それが現在のMリーグの前身だった。24人で打つとぶっちぎりの最下位で、麻雀は運ではなく技術だと知った。メンバーに教わり、麻雀の学校にも通ってプロ試験に合格し、Dリーグに入った。

しかし、捨ててはいけない牌を捨てる、倒してはいけないところで倒すといった単純ミスを繰り返し、そのたびに大きく減点された。おっちょこちょいが治らない限りこれは消えない。喋っても動いてもいけない環境も苦手で、会計士を諦めたときと同じように「プロ雀士は向いていない」と判断したという。それでも小さな大会で一度だけ優勝した経験はある。

『勝間家電』:テクノロジーを使わなければ生産性はない

近著『勝間家電』について、勝間は、家電だけの本ではなく技術を使ってどう生産性を上げるかの本だと説明した。世の中の歴史はテクノロジーで動いてきており、ChatGPTもYouTubeもそうであるように、技術を使わないところに生産性はない。それを分かりやすくまとめる名前として「家電」を使ったという。

例として掃除機を挙げた。聞き手はダイソンを「かっこいい」と評したが、勝間は掃除機はきれいにするために買うものだと言う。自分はツインバードのコード式を使っており、その理由を次のように説明した。コード式は吸引の電力が大きく、ダイソンの最上位機種なら同程度だが、バッテリー式は次第に性能が落ちる。コード式は故障しない限り性能が下がらない。そのうえ値段は5倍違う。お金を出すときはこうしたことをすべて考えるべきで、ブランドはいらないという。

テクノロジーへの支出は大きい。Amazonの購入履歴を集計するアドインで2〜3年前に計算したところ、フェラーリが買えるほどの額で、その後もおそらく増えている。キャッシュフローに余裕が出たJPモルガン時代から何でも買うようになったが、以前から買っていたとも言う。一方で服は買わず、エアークローゼットのレンタルを使い、化粧品も1種類ずつしか持たない。浮いたお金はすべて家電などのテクノロジーに回す。服はトレンド寄りを指定すればそういう服が届くので、おしゃれも「外注」だと語った。

住まい:一戸建てと賃貸を選ぶ理由

住まいは都内の賃貸の一戸建てと、千葉に建てた一戸建ての2拠点である。マンションと一戸建ての両方に住んだうえで、一戸建てが最高だという。エレベーターは待ち時間や開け閉めが何の価値も生まない、最も非生産的な設備だからだ。防犯はセコムで十分で、数軒が集まった一戸建てなので互いの目もあるという。

買うか借りるかについては、ライフスタイルが固まっていない人は借りた方がいいという立場を取る。勝間自身、かつて家を買っていたが、転職時に収入を下げられないことが大きなボトルネックになった。買うとファイナンスの自由度が下がると懲りて、やめたという。

空いた時間は全力で遊ぶ

生産性を上げて空いた時間は何をしているのか、とよく聞かれるそうで、勝間は「遊んでいるに決まっている」と答えた。今年は累計1か月半ほど海外に行った。直前にはニュージーランドのミルフォード・トラックを歩いた。知床の山奥のような入り江の奥にあり、行くだけで4時間ほどかかる。そこから55kmを3泊4日で歩き切らないと出られない道で、1日20km前後を歩いた。非効率に見えるのではと聞かれると、世界一美しいと言われる風景で、実際美しかったと答えた。

ゴルフは年に100回ほど回る。スコアは90前後だが、女子の競技レベルには80前後が必要だという。そこまで目指さなくてもいいのでは、という問いには「せっかくやるならつまらない」と返した。

若い世代へ:「的確な適当」と2割の余裕

最後に、20〜30代の視聴者へのメッセージを求められた。勝間は、日本人には「真面目であれ」「ちゃんとしよう」が埋め込まれているので、一度それを外した方がいいと語った。「適当」には、ちゃらんぽらんという意味と、的確という意味の2種類がある。目指すべきは「的確な適当」だという。そのためには、お金の使い方も時間の使い方も仕事の割り振りも、常に2割の余裕を残したうえで適当に対処することを勧めたいと締めくくった。