麻布、東大不合格、アルコール依存症を経てボイストレーナーに:おしらが語る「選べなかった人生」

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概要

YouTubeチャンネル「しらスタ」で歌唱解説を続け、Mrs. GREEN APPLEなどのアーティストとのコラボでも知られるボイストレーナーのおしら(白石)が、生い立ちから現在までを語った。麻布中学に合格し、東大に2年続けて届かず、慶應義塾大学に進んだ。ゲイであることを誰にも話せないまま過ごし、ボイストレーナーからリクルートへ転職し、休職を経て独立している。おしら本人は、この経歴を「自分で選んできた人生」とは捉えていない。インタビューの終盤には、歌に苦手意識を持つ聞き手への短い指導も行われた。

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野球選手を目指した受験が麻布合格につながる

おしらは1990年に神奈川県川崎市の西側で生まれ、公立の小学校に通った。当時は早稲田実業の斎藤投手らが活躍しており、野球選手になりたかったという。早実に入るには受験が必要だと知り、小学4年から親に頼んで日能研に通い始めた。本人は、本気で野球をやるならリトルリーグやシニアリーグから強豪校を目指すのが筋だったと振り返る。それでも「受験して野球選手になる」と考えて勉強を始めたところ、思ったより成績が伸びた。すると親から、早実からプロ野球選手になっても面白くない、麻布という学校から野球選手になった方が格好良くないかと言われ、その気になったという。

両親はどちらも学校の教員だが、勉強しろと言われたことは一度もなく、受験も自分から言い出した。麻布、聖光学院、浅野を受けてすべて合格し、「調子に乗っていた」と本人は話す。早実は麻布と試験日が重なったため受けていない。

小学生の頃は、エースで4番を任されていた。小6で身長が170センチほどあり、周囲の子より球も足も速く、力もあったため、自分は野球に向いていると思っていた。ところが麻布の野球部は練習場が多摩川にあり、学校から30分以上かかった。それを面倒に感じ、中学に入ると野球はやめてしまった。

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セーラームーンと「おかまちゃん」への心配

野球の前に好きだったのはセーラームーンだった。家にはフィギュアが30体ほどあり、祖母と母からは「りょうちゃんはおかまちゃんにならないか本当に心配」と言われながら、買い与えられ続けたという。おしらはドラゴンボールのような殴り合いを怖いと感じ、泡などで攻撃するセーラームーンの方が平和でいいと思っていた。女装をしたかったわけではなく、ただ格好いいと感じていただけだった。

のちに野球に夢中になったとき、家族から「おかまちゃんにならなくてよかった、心配してたからね」と言われた。この言葉が「ぐさっと来た」ことを今でも覚えているという。おしらはここで、自分がゲイであることを明かしている。

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麻布での失速と一人カラオケ

中学ではテニス部に入ったが、初日で辞めた。当時は『テニスの王子様』が流行っていたが、入部するとひたすら走らされた。部員を減らす狙いだろうと思いつつ、なぜ走るのか分からず、途中で走るのをやめて帰ったという。3か月ほど帰宅部を経て、中1の後半に友人の誘いでダンス部に入った。文化祭のステージに出る程度で、活動は主に昼休みの40〜50分だけだった。

この頃から成績が落ち始めた。周りは頭のいい生徒ばかりで、家庭環境の違いも大きかった。バーバリーのマフラーを巻いた中学生や、月に10万〜15万円の小遣いをもらう同級生がいた。孤立していたわけではないが、「合わないかも」と感じていたという。成績はずるずると下がり、高1では約300人中296位を取ったこともある。

その代わりに、一人でカラオケに通うようになった。ティッシュ配りなどの日雇いバイトで稼いだお金をカラオケ代につぎ込み、毎日3〜4時間歌った。生まれつき歌の素質があったわけではなく、カラオケでは「上手な方」という程度だったと本人は言う。小6でのど自慢の予選に出て落ちたこともある。高校時代にはボイストレーニングのグループレッスンに1〜2か月通ったが、これも続かなかった。

それでも練習の中身は濃かった。自分の歌を録音して聞き返し、マイケル・ジャクソンの歌い方を歌詞ノートにびっしり書き込んで分析した。ワンフレーズに1か月かけ、その部分だけ同じように歌えるようにする練習を繰り返したという。現在YouTubeで歌詞に印を付けて歌い方を解説する手法は、当時すでに一人でやっていたことになる。

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「ゲイだから東大くらいには」という焦り

高2の夏に生徒会や部活が終わり、秋から勉強を始めると、学年30位前後まで上がった。ここから東大を目指すことになる。

動機には自身のセクシュアリティがあった。高校生になるにつれ「自分は頭がおかしいのかもしれない」と悩み始めたという。当時のテレビに映るゲイは笑いの対象となる分かりやすい「お姉様」ばかりで、自分のようなゲイのロールモデルはいなかった。結婚も恋愛もできず、友人に本当のことも言えず、社会で働くこともできないのではないか。そう考えて、25歳くらいで死のうと思っていたという。自殺願望というより、未来が見えなかったのだと本人は説明する。そして、勉強くらいはしておかないと釣り合わない、東大でやっと釣り合うかもしれないと考えていた。セクシュアリティのことは家族にも友人にも、大学2年頃まで誰にも話していない。

センター試験では9割を取ったが、東大文科三類に現役でも一浪でも届かなかった。点差は2年とも5、6点程度だったと記憶しているが、その点数帯には受験者が多く、惜しかったわけではないという。ネット上では二浪と書かれることがあるが、実際は一浪だと本人は訂正した。現役時は東大一本で、浪人時は慶應や早稲田も併願した。2年目は後期試験まで受け、文系ながら数Cまで必要な問題に備えて、前期の後から勉強したが、これも不合格だった。

浪人時には予備校に通ったものの、2週間ほどで辞めて自宅で勉強した。周りを見て「この人たちは落ちた人たちなんだ」と感じてしまい、耐えられなかったという。本人は今では失礼な考え方だったと認めている。ただ当時は、落ちた自分も許せず、何かにつけて「ゲイなのに」「ゲイのくせに」という枕詞が付いてしまっていた。二浪は心が折れて考えられなかった。

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慶應法学部政治学科での生活とハモネプ

進学先の慶應義塾大学法学部政治学科について、おしらは「東大以外ならどこでも同じ」という感覚で、試験科目などから選んだと話す。小論文を避け、得意な英語と社会で受けられる学部を選んだ。政治学科は卒論が必須ではなく、単位も2年でほぼ取り終えた。3年以降に大学へ行ったのは、両手で数えられる程度の日数だという。ゼミにも一応所属したが、ほとんど行かなかった。

1、2年の間は、「ゲイのくせに学校に行かないなんてありえない」という感覚で真面目に通っていた。広い教室で最前列に座っていたのは、慶應生が視界に入るのが嫌だったからだという。

友人ができたのはアカペラサークルだった。新歓で歌わされたとき、会場がざわついた。いじめかと思ったが、上手だったことへの反応だと分かり、そこから少し自信を持ち始めた。1年の冬にはフジテレビ『ハモネプ』への出演が決まった。予選を経ての出演で、「インテリボーイズグループ」のような打ち出しになったことから、「初めて慶應に感謝した」「これが学歴か」と感じたという。放送後はアカペラ界隈で名前が知られ、地方のライブに呼ばれるようになった。リードボーカルとして、より本格的なインカレのグループでも活動した。ただ、メンバーは東大、早稲田、横浜国大などの学生で、皆就職していったため、音楽で独立しようという話にはならなかった。

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失恋をきっかけに初めてカミングアウト

大学2年の終わり頃、おしらは初めて自分のことを人に話した。きっかけは本気の恋だった。どこかで掛け違えなければ相手も自分を好きになってくれると思っていたが、相手は女性が好きだと分かった。「男は男が好きじゃないんだ」と気づいて大きなショックを受け、耐えられなくなったという。相手はアカペラサークルの人で、サークル自体も2年で辞めている。

打ち明けたのは、とても仲の良かった女友達だった。その友人には恋人がいて、事情を言わなければ二股に見えかねないほど親しかったため、恋人にも話していいからこれからも仲良くしてほしいと伝えた。友人は笑って「じゃあ旅行とか行けるじゃん」と受け止めたという。小学生の頃から男性の方に魅力を感じていたが、はっきり自覚したのはこの時期だった。

大学3年の終わりから4年の初め頃、ある大学のLGBTサークルに勇気を出して参加した。それまでゲイに一人も会ったことがなかったのに、そこは95%ほどがゲイで、「こんなにゲイっているんだ」と驚いた。100人規模の合宿にも参加し、そこから新宿二丁目にも連れて行ってもらった。同じ悩みを話し、好きなアイドルの話を共有し、恋愛もできる。その楽しさが大きく、ストレートの友人とは次第に疎遠になっていった。

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消去法で選んだボイストレーナー

ハモネプに出た2年生頃から、ボイストレーナーという職業を意識していた。スーツを着て働く選択肢はなかったという。職場で結婚や彼女について聞かれたり、AKBで誰が好きかと聞かれたりするのが嫌だったからだ。学歴へのこだわりも残っていた。東大に落ちたことで、官僚以外は仕事ではないと思っていた自分には王道のルートは無理だと考え、音楽に向かった。歌手を目指さなかった理由については、そこまで歌が上手くない、顔がいいわけでもない、曲を作ってきたわけでもない、と説明する。消去法でボイストレーナーを選んだという。

在学中には音楽理論、ボイトレの理論、喉の仕組みなどの解剖学を勉強し、ピアノとギターも少し始めた。音楽スクールは一般の就活とはスケジュールが違うため、卒業後に10か所以上に応募した。面接まで進んだのは1社だけだった。専門学校卒や10代でメジャーデビューした人が応募してくる世界で、ハモネプに出ただけの経歴では書類で落ちるのも当然だった、と本人は振り返る。

採用してくれたスクールは、4年制大学を出た人材を運営側に入れたかったらしい。最初の半年ほどは業務委託で働き、その後社員になった。社長、副社長に次ぐ3人目の社員として、23歳でエリアマネージャーや教室長を務め、自分でもレッスンを受け持った。年上の講師陣をまとめる立場はやりにくく、音大出身の講師たちには慶應を知らない人も多かった。この職場には丸4年勤め、「ドロップアウトしてないです」と本人は笑う。

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リクルートへの転職と、合わなかった理由

その後、リクルートマーケティングパートナーズ(ゼクシィ、カーセンサー、スタディサプリなどを扱う会社)に転職した。慶應の学歴で第二新卒の枠が使えるのは26〜27歳までだと考え、今を逃すと一生民間企業に入れないと思ったという。裏の目的は、当時付き合っていた相手を養うために給料を上げることだった。相手は二丁目で知り合った、4人目くらいの恋人である。

転職活動では、コンサルやマーケティングが何かも分からないまま、給料と休日のバランスが良さそうな会社をいくつか受けた。面接ではたいてい歌を披露し、ほとんど通ったという。ベイカレントも通ったと記憶しているが、8〜9年前のことなのではっきりしない。知名度からリクルートを選び、年収は前職から200万円弱上がった。

ところが入社4か月ほどで恋人と別れ、酒の量が増えていった。会社自体は「めちゃくちゃいい会社」だったと本人は強調する。スタディサプリの営業で、上司は頭も人柄もよく、職場環境もホワイトだった。それでも合わなかった理由は二つある。

一つはストローだ。先端恐怖症の一種だと本人は考えている。コップや紙パックにストローが刺さっていると目を開けていられなくなる。営業先で出される紅茶にストローが刺さっていても、抜いてくださいとは言えなかった。もう一つは、雑音の中で特定の会話を聞き分けられないことだ。本人は「カクテルパーティーができない」と表現した。フリーアドレスのオフィスでは、周囲の会話やBGMを頭がすべて拾ってしまい、会議の話が聞き取れなかった。目も開けられず耳も聞こえない状態は「ほぼ寝てるのと変わらない」と話す。それに比べ、ボイトレは1対1で、自分が歌っているか話しているかのどちらかなので問題がなかった。

酒に酔うと、ストローも会話の聞き分けも平気になった。会社のリュックに酒の瓶を入れ、営業の商談が終わるとすぐ飲み、電車の中でも飲んでいたという。本人は「本当にダメなんですけど」と繰り返した。アルコール依存症とうつ病の診断を受け、4月入社から10月か11月に休職、翌年2月に退職した。休職後の3か月ほどは動けず、貯金も尽きて家を引き払い、実家に戻った。現在は、打ち合わせにカフェを指定されても行かず、場所を自分から指定する。立場が強くなったことや、可愛げのある言い方を覚えたことで言えるようになったが、新卒の頃には言えなかったという。

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ブログからYouTubeへ、独立

元のスクールに戻ることも考えたが、お金の問題で揉めたくないと考え、独立を視野に入れた。まず「歌がうまくなるには」といったブログを書き始めると、レッスンの申し込みが来るようになった。これならYouTubeで集客すれば独立できると考え、退職直前の2月にYouTubeを始めた。

本人の説明では、開始1か月ほどで登録者が1000人に達した。登録者1000人でも2万回再生される動画があり、ボイストレーナーをやっていると告知すると30〜50人ほどの申し込みがあった。1レッスン1時間8000円で始め、1日12本のレッスンを入れ、合間に動画を撮って投稿した。1か月目から生活できていたという。休みの日はほとんど作らなかった。自分を信用できず、「飽きた」と言い出したり、また力尽きて働けなくなったりするのが怖かったので、働けるうちに働こうと考えていた。

このペースは10か月ほど続いた。YouTubeの登録者も伸び、2020年のコロナ禍でレッスンができなくなったのを機に、レッスンをほぼゼロにしてYouTubeに集中した。

転機になった動画は、King Gnuの『白日』の解説だった。登録者1000人程度の頃、「この髭のおっさん歌うめえ」という軽い口調で解説したところ、失礼だという批判が集まった。一方で、この人は褒めているし音楽の素晴らしさを伝えている、髭は悪口ではない、と擁護する人も現れ、議論が起きて再生数が跳ね上がったという。登録者100万人には1年ちょっとで到達した。2日に1本のペースで投稿し、撮影も編集もすべて自分でこなしたため、寝る時間がほとんどなかった。誰にも会わずに済み、ストローも会話の聞き分けも必要ない働き方は、向いていたかもしれないと本人は話す。

アーティストとのコラボは、95%ほどが先方からの依頼だという。ミュージックビデオを使ったリアクション動画の反響がよく、本家MVの再生数が増えたり、チャンネルが好調な時期にはApple Musicのトップ100に過去の曲が入ったりすることもあった。そうした結果を受けて、レーベル経由で本人出演の話が来るのが典型だという。ただ、コラボはありがたい反面、本人の前で本人の歌を解説するのは緊張が大きい。準備期間中はその人の曲しか聴けなくなり、昔の曲やライブ映像まで遡り、自由研究のようにメモを取り続ける。そのプレッシャーは相当なものだったと語った。

家族にはYouTubeの活動は知られているが、セクシュアリティについて直接話したことはまだない。ただ、後述する沖縄移住の際に恋人を実家へ連れて行き、挨拶はしている。相手の母親も来ていたが、相手も家族に話していなかったらしいという。

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沖縄移住と「つまらなかったFIRE」

2023年から2024年にかけての1年半ほど、おしらは沖縄に住んでいた。リクルート時代に別れた相手とよりを戻し、1年ほど付き合った後のことだ。本人はこの相手を冗談交じりに「ウォーキング・デッド」と呼んでいた。YouTubeも4年ほど続けてやり切った感覚があり、「人生上がろうかな」と考えていた。登録者は200万人を超えていたと記憶しており、Mrs. GREEN APPLEとのコラボなども終わっていた。沖縄が好きで、いつか一緒に行こうと話していたところ、相手から「じゃあもう行こうよ」と言われて移住を決めた。

しかし相手はホームシックになり、日焼けも暑さも汗も海も嫌がって、4か月ほどで東京に帰った。おしらは一人で、朝に海で本を読み、少し編集をして家で動画を撮り、ジムに行く生活を送った。「これがFIREか」と思ったが、つまらなかったという。沖縄のゲイコミュニティは東京ほどオープンではなく、マッチングアプリでも顔を出さない人が多かった。仕事も恋愛も中途半端にしかできないと感じ、2025年1月に東京へ戻った。

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難病をきっかけに始めた筋トレ

30代に入ってから、指定難病の潰瘍性大腸炎を発症し、2週間ほど動けなくなった。トイレの横でうずくまる日々が続いたが、薬のおかげで落ち着いた。それまではダイエット目的で週1回パーソナルトレーニングに通っていたものの、ほぼ毎回二日酔いで嫌々スクワットをしていた。回復後、体が動くことのありがたさを感じ、本格的にトレーニングを始めたという。

現在はフィジークの大会やパワーリフティングの大会にも出場し、3位入賞の経験もある。公式記録はデッドリフト200kg、スクワット177.5kg、ベンチプレス120kgだと本人は話した。

40:50

マッチングアプリ「ガチ勢」の恋愛

恋愛については、自らを「マッチングアプリガチ勢」と称する。ゲイは一般のコミュニティでは恋愛が成立しにくく、隠している人も多いため、顔を出してアプリを使い、月に10人ほどと会っていた。ゲイ向けの合コンにも参加したという。会った相手の年齢、MBTI、出身、職業、住まい、初回デートが割り勘だったかなどを手帳に記録した。デート内容や会話をChatGPTに入力して反省し、改善を回していた。勉強時代の癖が出たと本人は言う。去年は婚活系のチャンネルばかり見ていたが、その甲斐あってこの年の6月にパートナーができた。「今度こそこれで終わってくれ」と話している。

42:10

現在の仕事と、あえて空けた時間

現在、個人レッスンは仕事全体の5%程度だという。ほかに専門学校などでの集団指導、大型オーディションの審査員や指導者があり、収録当日の午前中はテレビのものまね番組の審査に行ってきた。審査の仕事が半分ほどを占める。さらにピラティス講師の資格も取った。これは歌う人をフィジカル面から支えるためで、自身の筋トレにも役立っているという。

YouTubeは縮小していく方針で、今年の投稿は月1本程度に落としている。完全にやめるわけではない。おしらは、人は何かを手放さないと次のことに挑戦できないと考えている。そのため、意図的に投稿本数を減らし、空いた時間にピラティスや歌の勉強を入れて、自分の指導力を上げようとしている。「空いたところに何が入るか」を見ながら暮らしているという。

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聞き手への指導:「身長150センチでダンクはできない」

終盤では、歌に強い苦手意識を持つ聞き手が、HYの『366日』を歌った。聞き手はこの曲を歌った動画が「下手すぎる」と話題になり、600万回再生されたことがあるという。

おしらの見立てでは、聞き手の音域はそれほど広くなく、話題になった動画では音域の外にある音を出そうとしていた。キーを音域内に合わせて歌い直すと、音程はぴたりと合った。音域に合った曲を選ぶか、音域を広げていけば歌えるという。音域外の曲を歌おうとするのは「身長150センチでダンクをしようとしているようなもの」で、まずは届く範囲の曲で成功体験を積めば、自信とともに音域も伸び、いずれダンクも見えてくると説明した。

男性によくあるパターンとして、声変わりの時期に音域が急に狭くなる。その時に「自分は音痴だ」と思い込むと抜け出せなくなるという。聞き手は、中2の合唱コンクールで女子から「歌わなくていい」と言われて以来、カラオケを避けてきたと明かした。おしらは、聞き手は先天的に音程が取れないタイプではないと断言した。根拠として挙げたのは話し声だ。話し声の抑揚に音程感がない人は苦労するが、聞き手の話し方にはそれがあるという。聞き手は、今日一番いい時間だったと喜んでいた。なお、現在レッスンの一般受付はしておらず、限られた経路でたどり着いた人だけを受けているという。

47:41

「人の人生は参考にしない方がいい」

最後に若い視聴者へのメッセージを求められ、おしらは次のように語った。うつ病からYouTubeで成功したと美談にされることがあるが、自分の人生を自分で選んできたとは思っていない。酒を飲みすぎたのも、集客に必要だからYouTubeを始めたのも、たまたまだった。うつ病になりたかったわけでも、恋人と別れたかったわけでも、ゲイに生まれたかったわけでもなく、東大に落ちてよかったとも思わない。失敗があるから成功があるとも考えておらず、失敗は全部失敗で、全部嫌なことだという。だから人の人生を聞いて刺激を受けるのはいいが、たいていの人は自分で選べていないのだから、参考にしない方がいい。

そのうえで、一つだけ誇れることとして挙げたのが、失敗した後もとりあえず数をこなしてきたことだった。恋人と別れ、酒に溺れ、沖縄でまた別れても、懲りずにマッチングアプリで動き続けた。「とりあえず動いてないとね」というのが、おしらの締めくくりの言葉だった。