エセ関西弁はなぜ関西人をモヤモヤさせるのか:アクセントの壁と「ツッコミ」という利他
ゆる言語学ラジオゆる言語学ラジオの水野太貴と堀元見が、前回に続いて関西方言を取り上げた回である。収録は観客のいるイベント会場で行われた。水野は冒頭で、関西方言について勉強するうちに「関西の人は利他的だ」と思うようになり、そこがエセ関西弁と本来の関西方言を分ける大きな要因ではないかと考えた、と問題提起する。前半は関西式アクセントがなぜ非関西人にとって再現しにくいのかを具体的な単語で確かめ、後半ではアクセントとは別の軸として、会話でツッコむかどうかという言語行動の違いを論じている。
東京式と関西式のルールは「一点」だけ違う
前回の内容として、東京方言の名詞アクセントには3つの特徴があると確認される。1拍目と2拍目の高さが必ず違うこと、単語の中で一度下がったら再び上がらないこと、単語はどこかで高さを落とす力を持つが、その力をまったく持たないもの(「アメリカ」のような平板型)もあること、の3つである。
水野が関西式のルールを挙げていくと、「どこかでアクセントを下げる力を持ち、一部は持たない」「一度下がったら上がらない」という2点は東京式と同じだった。違うのは、関西式では1拍目と2拍目の高さが同じでもよいという点だけである。
水野に「これで種類はちょっとしか増えないか、かなり増えるか」と問われた堀元は、東京方言では1・2拍目が「低高」か「高低」の2パターンしかないのに対し、関西では2の2乗が許されるので2倍になるのではないかと予想した。水野によれば予想どおりで、理論上、n拍の名詞のアクセントの種類は東京方言のn+1に対して関西方言はちょうど2倍になる。ただし、理論上ありうる型の一部は実際には存在しないか、該当する単語がごくわずかしかないため、実際に観察されるのは2n−1種類になるという。堀元は「理論上はこうだが実態は違う」という話が社会科学には多く、綺麗ではないとぼやいていた。
2n−1で数えると、2拍名詞は東京も関西も3種類で差がない。3拍名詞では東京4種類・関西5種類、4拍では5種類と7種類、5拍では6種類と9種類となり、拍数が増えるほど差は広がる。堀元が「関西方言の方が優れているのか」と冗談めかして聞くと、水野は方言に優劣はないと返す。パターンが多ければ認知資源をそこに使うと水野が付け加えると、堀元は今度は「では東京方言の方が優れているのか」と言い、水野が慌てて打ち消す、というやりとりもあった。
東京式にはありえない型:高高高と低低高
水野によれば、厄介なのは種類が多いことだけではない。東京方言の話者からするとありえないアクセントパターンが含まれていることが問題だという。1・2拍目が同じ高さでよいのだから、「高高低」や「高高高」といった型が考えられる。
「高高高」の例として挙がったのが「サクラ」である。東京式では低いところから入って「低高高」になるが、関西では全部が高い。「カゼ(風)」も東京式の「低高」に対して関西では「高高」、道路の「ミチ(道)」も「高高」になる。水野が実際に発音してみたところ、関西出身のマネージャーが微妙な顔をし、何度か言い直す場面があった。水野によると、自分の関西弁を真似した動画がTikTokで流行っているらしく、「一番嫌なミームだ」と思いながら見ていたという。
ただし水野は、「高高高」は「ザ・関西弁」という響きなので、関西方言話者でなくても「サクラ」や「ミチ」はこう言うのだと覚えれば比較的再現しやすく、聞く側も関西方言だと気づきやすいとも述べる。堀元も、とりあえず高くしておけば関西弁っぽくなると思いそうだと応じた。
難しいのは「低低高」の型である。水野は「ヒダリ(左)」を何度も関西方言話者に直されたという。東京式では「低高高」の平板型だが、関西では「低低高」になる。水野が試すと声全体が低くドスの利いた「ひだり」になってしまい、堀元から「関西の人はそんな低い声で『左』とは言わない」とツッコまれた。低い・高いはあくまで単語内での相対的な高さであって、声全体を低くすることではない。一方、堀元が「左に曲がって」と言ってみると、会場の観客がうなずいていた。
動詞と「高高低」:「話せ」「こうたら」
堀元は事前に動詞のアクセント型も頭に入れてきたといい、「曲がる」「走る」など「高高高」の動詞が多いので、とりあえず高く言っておけばなんとかなる部分があると話す。ただし「低低低」の動詞もある。堀元は「食べるは他動詞で、走るは自動詞」という例文でそれを実演し、観客から「関西人みたいだ」という声が上がった。もっとも本人は、頭の中で考えながら話しているので出力が遅いと認めている。ここで堀元が、観客の笑いに対して「笑うんだい。彼の関西弁は上手だよ」と返す場面があり、水野は「関西方言クリロナ」と反応した。このクリロナのくだりは、終盤でも再び持ち出される。
「高高低」の型もある。水野の例は「ハナセ(話せ)」で、誰かに捕まえられて「話せ」と迫るような場面を想定したものだ。東京式では「高高」で入ることはありえないうえ、「サクラ」とは違って「ハナ」まで高いのに「セ」で下げなければならない。
水野がより重要な例として挙げたのが、「購入したら」の意味の「こうたら(買うたら)」である。これも「高高低」の型だ。「買う」を「こうた」と言うのはいかにも関西方言らしいので、関西方言っぽく話そうとする人はこの語形を使いたくなる。しかし東京式アクセントのまま「この前お店に行ってガムこうたら、めっちゃ高かった」と言うと、関西方言話者からは、形式上は関西方言を使っているのに音声的には関西方言らしくないと聞こえる。堀元はこれを「仏作って魂入れず」とまとめ、水野も上っ面だけをなぞっているように聞こえるのだと同意した。
「ん」「っ」「ー」にアクセント核が来る
水野はさらにややこしい点として、関西方言では撥音「ん」、促音「っ」、長音「ー」がアクセント核(下がり目の位置)を担えることを挙げる。東京方言の話者は普段そこに下がり目を置かないので、非常に難しいという。
例の一つが「兄弟」である。実際にはほとんど「キョーダイ」と伸ばして発音されるが、関西ではこの伸ばし棒の部分で下がる。「今晩」も「ン」のところに核が来る。水野は「駆逐艦」を例に、発音するとき「ク」が小さい「ッ」になって「クッチクカン」のように言われることがあり、その「ッ」に核が来るという例を見つけたと話す。水野は何度練習してもうまくいかなかったそうだが、堀元が試すと正しく言えたようで、堀元はかなり喜んでいた。水野は、東京の話者からすると「そんなところにアクセント核を置いて大丈夫なのか」と感じる、常識破りの型が多いのだとまとめている。
対応規則はあるが、東京から関西へは一方向に決まらない
とはいえ、すべての単語で東京式と関西式のアクセントがバラバラに決まっているわけではなく、対応関係はあると水野は言う。東京方言で同じグループに属する単語は、関西方言でもおおむね規則的に対応させられる。グループの種類自体は一致していて、「このグループの名詞はこう変えれば関西式になる」「こう戻せば東京式になる」という関係がざっくり存在するという。
水野は国立国語研究所のYouTube動画の図を示した。右が東京式、左が大阪式で、赤字が高い位置を表す。多くのグループは矢印がまっすぐ対応しているが、一番下の第3グループだけ矢印が交差している。東京式で頭高型の「肩が」「雨が」「空が」「猿が」は、関西方言では最後が高くなる「肩が」「空が」のようなタイプと、「雨が」「猿が」のタイプの2つに分かれる。つまり、東京方言の話者がグループごとの対応を知っていても、頭高型の名詞ではどちらの型に行けばよいか決まらない。
堀元は数学の写像の用語を持ち出し、単射や全射になっていないという話ではないかと言ったが、二人とも定義をうろ覚えで、水野は「調べて喋れよって話ですけど」と笑っていた。水野の整理では、関西から東京への変換はできるが、東京から関西への変換は一部の名詞で規則が働かない。そのため関西方言のアクセントを習得して使いこなすには相当な熟練が必要になる事情があるのではないか、というのが水野の見立てである。
高低は相対的なもの
話の途中で堀元は、ラーメンYouTuberのSUSURUが名乗るときの「すするTV」が「高高高」に聞こえ、関西を意識しているのではないかと言い出した。水野はそれを否定し、声を高く言っているだけだろうと指摘した。そのうえで、堀元がそう感じた気持ちはわかるとフォローする。アクセントの高低は相対的な基準で、声の高い人が話しても低い人が話しても、問題になるのは単語の中でのピッチパターン、つまり音程がどんな形を描くかである。高い声で話されたものを「高高高」と感じてしまうのは自然なことだという。
では関西方言の「低低低」と「高高高」はどう区別するのか。堀元が「後ろに来る言葉でわかるのではないか」と答え、水野はそのとおりだと言う。先ほどの「食べるは他動詞で、走るは自動詞」がまさにその確認で、「低低低」の「食べる」の後に続く「は」は高くなる。後続の助詞と比べて相対的に高いか低いかを見れば、「食べる」は低低低、「走る」は高高高だと見分けられる。
モヤモヤの別の原因:利他的なツッコミ
ここで話はアクセントを離れる。水野は、形式だけ関西方言的なのに音声的にそう聞こえないことや、「儲かりまっか」のようないわゆるコテコテの表現を今の話者はほとんど使わないため馬鹿にされていると感じることも、関西方言話者のモヤモヤの原因だろうと認める。そのうえで、あまり言語化されていない原因として、利他的なツッコミをするかどうかという軸があるのではないかと述べた。アクセントとは関係のない、言語行動の話である。
水野が手がかりにしたのは、以前「東北の人は失礼か」(結論は失礼ではない)という回で種本にした『ものの言いかた西東』である。近畿と東北の言語行動を比べた本で、関西方言の話者には演出性を好み、会話に参加している人を楽しませようとする傾向があると書かれているという。堀元は、「バーン」と撃つまねをすると死んだふりをしてくれる、というよく言われる話だと応じた。
同書に出てくる例として水野が紹介したのは、東京ディズニーランドのジャングルクルーズの話だ。本来はクルーが巧みに場を盛り上げるアトラクションだが、たまたま乗った船のクルーが新人でぎこちなかった。それを見た同乗の関西方言話者の男性が派手にリアクションし、それを見て恥ずかしい思いをした、というエピソードである。堀元は、その男性はちゃんと場を盛り上げていると評価した。
堀元も似た話として、明石家さんまが運転免許更新の講習で、講師が淡々と説明するのに「ほんまでっか」などと反応して大いに盛り上げたという話を挙げた。水野は、さんまが素人や東大生を集めた番組でも、出演者がぎこちなく話していてもうまく盛り上げて場全体を盛り上がっているように見せると指摘し、典型的な関西的言語行動だと述べた。
調査:ボケるのは皆同じ、差が出るのはツッコミ
水野が一番驚いたというのが、大阪の若年層、関東の若年層、大阪の高年層に、会話の中でボケるか、相手がボケたらツッコむかを尋ねた調査である。ボケることについては、関東の若者も含めてみな同じようにやると答えている。差が出たのはツッコミで、関西の若年層では99%が「会話の相手がボケたらすかさずツッコむ」と答えたという。関東の数字は水野が論文の載っている資料を手元に持っておらず、後からテロップで補うことになったが、いずれにせよ関東はずっと低いとのことだった。
堀元は、直前に体験したばかりだという話をする。会場近くでお好み焼きを食べたとき、水野が半分に切り分けて渡してくれたが形が崩れ、水野が「ゴメヌティウス発生」と言った。堀元はまったく反応せず、自然体で「ありがとう」と受け取って食べていたという。まさにツッコまない人だ、と自分で認めている。
水野はこの調査結果を小さく見えて大きい差だと考える。関東の人は関西的な振る舞いを「ボケ」だと思っているが、関西の人は「ツッコミ」だと思っている。だから関東の人が関西的に振る舞おうとすると、ボケまくるがツッコまない、ということになってしまう。堀元はこれを「ツッコんで人を助けようとしないくせに、ボケて自分がウケようとする嫌なやつ」と言い換え、水野もそのとおりだと答えた。
利他と利己の逆転がエセ関西弁の核心という仮説
水野によると『ものの言いかた西東』には、大阪人は面白いことを言うのに命をかけているというイメージがあるが、正確には会話全体をいかにテンポよく盛り上げるかに命をかけている、という趣旨のことが書かれていたという。関西方言の話者は、会話があればその場の全員が楽しめるよう演出する意図でツッコむ。自分はツッコミに回り、場全体を盛り上げるという点で、水野はこれを利他的な行動だと見る。逆に、ボケるだけでツッコまないのは利己的に映る。
そうすると、関西方言を話して関西的に振る舞う非関西人は、「あなたたちの真似をしていますよ」と言いながら、関西の利他的なリソースを利己的に使っているように見えるのではないか、というのが水野の仮説である。堀元は「一番見ていられない」と応じ、表面だけ真似して正反対のことをしている構図だと整理した。
堀元はYouTuberにも同じことがあると話す。東海オンエアの虫眼鏡が、東海オンエアの表面だけを真似して、本来いちばん大事な企画を置き去りにしているYouTuberが大勢いて、地元の友達とうるさく集まっているだけになっていると言っていたという。本質は利他なのに、利己的な部分だけを真似してしまうのと似ている、というのが堀元の受け止めである。水野は英語にもたとえ、英語を使えても英語話者的に振る舞わない人は本当に英語を話しているとはあまり言われないのと同じで、関西方言話者だと思われるほどに話そうとするなら、ツッコむ、場を盛り上げるといったところまでインストールする必要があるのではないかと述べた。
水野はこの話を前回の「聞き分け」の問題にも結びつける。前回、関西の人が見分けられなかったケースがあったが、指導を受けてセリフを読む役者なら、日常的にツッコんでいるかどうかは関係ない。一方、大学などで地方から来た人が関西方言を話していれば、日常レベルで関西的に振る舞っているかどうかは如実に出る。堀元は、関西人と非関西人を分ける違いは、アクセントが正確かどうかよりも、言語行動の方に出ているということかと確認した。水野は、これは自分の私見であって言語学者がそう言っているわけではないと断ったうえで、調査を見ていくとそう感じるし、関西方言話者にこの仮説をぶつけると、それなりに納得されることがあると話した。
堀元は、ボケてツッコまれないと寂しくなるし、適切にツッコまれると相手を好きになると言い、水族館デートのエピソードを披露した。相手が写真を撮ろうとした場面で思いつきのボケを言ったところ、相手がいいテンポでツッコんでくれて、「この子を好きかも」と思ったという。水野は、まったく面白くないことを言った堀元がまるで面白い人のようになっている、それこそ利他だと応じた。堀元自身も、思いついたから言っただけの自分のボケは利己的すぎたと認め、水野は、自己満足のボケこそ関西人が嫌うものではないかと笑っていた。
言語より言語行動:千原せいじと高野秀行
水野がここまでの話をまとめた後、堀元はこの話が語学全般に広げられるかもしれないと言う。例に挙げたのは千原兄弟の千原せいじである。外国語はまったく話せないのにコミュニケーションで困ったことがないといい、海外でのテレビの様子を見ると、ずっと日本語で話し続けている。相手の言うことがわからなくても悪びれずに「何言うとるかわからん」と返し、指さしながら「これ?こういうこと?」と確かめて、最後は「ありがとう」で会話が成立してしまう。外国語なしでよく外国に行けるなと聞かれ、相手にも自分にも言いたいことがあるのだから、それを言えばいいのであって、同じ言葉を使う必要はない、という趣旨のことを答えていたという。堀元はこれを抽象化して、言語そのものを操れるかどうかより、何をしたいかという言語行動の方に重きが置かれるのではないかと述べ、水野もそう考えていると同意した。
水野は、地域ごとに人は文化圏の中で生きていて、形式だけをマスターしても文化までインストールしなければ、その土地のコミュニティに入ったとみなされるのは難しいとあらためて述べた。せいじはその側面の達人で、ノリに合わせてその場ですべき行動をしているから、言葉が話せなくても問題がないのだろうという。さらに水野は、ノンフィクション作家の高野秀行が『語学の天才まで1億光年』で、まずモノマネから入ると書いていたことを紹介した。例として、ある場面ではまず体をくねくねさせる、という話が出ていたという。何を話すかより、雰囲気を真似ることの方が重要だということである。
「正解」に向けて矯正すべきだという話ではない
最後に水野は注意を促す。エセ関西弁が悪く、関西方言という正解に向けて矯正すべきだとは思っていない、という。理由の一つは、自分がこの問題の当事者ではないのであまりポジションを取れないことだ。また水野は、以前どこかで、話した関西弁が関西弁かどうかを判定するような催しがあり、批判を受けたことに触れる。それはネイティブスピーカーが正しく、非ネイティブはダメだという序列関係になる。二人は第二言語習得論の回で福田先生から、ネイティブの英語以外に、日本人が学んだ英語にも同等に価値があると学んだ。それを踏まえれば、エセ関西弁はダメで関西方言はいいとする考え方は、ネイティブスピーカー神話につながってしまう。
水野の立場は、関西方言話者がモヤモヤしたり不満を表明したりするのはいいことだし、学習途中の人がそれを取り入れて直すことも構わないが、明確な序列化や、間違っている人への魔女狩りのようになるのはまずい、というものだ。堀元はそれを「クリロナの心持ち」と呼び、笑わずにすべてに接すればいいと応じた。
水野はさらに、この全2回を「そうなんだよ、わかる」と思って見に来た関西方言話者もいるだろうが、紹介した研究は他者を攻撃したり、多様性を否定したり、分断を煽ったりするためではなく、他者理解のためにあると自分は思っている、と述べる。鬼の首を取ったようにエセ関西弁を叩くことは研究者も望んでいないはずで、簡単ではないと認めつつ、モヤモヤと共存する道もあれば、うまく伝える道もあるので、適切に活かしてほしいと話した。堀元は、水野の仮説に沿うなら「ツッコんでないじゃん」とツッコんであげるのもいいかもしれないと付け加えた。
水野はもう一点、「利他」「利己」という善悪に結びつきやすい言葉でたとえたが、関西方言話者が他の地方に出て、その土地の言語行動に合わせなさすぎるという問題も当然あると補足する。東北で関西のノリでやりすぎて東北の人が困る、という事態も十分考えられるので、関西だけが偉いという話ではないという。
最後のエピソード:ボケ続ける人とツッコミ続ける人
締めくくりに堀元は、大ファンだというあるYouTuberと食事をしたときの話をした。その人はラジオと同じテンションでずっとボケ続け、ツッコまない。一緒にいる人間はツッコミ疲れしていく。ずっとツッコみ続けた人のことをその人は少し好きになるらしく、堀元はツッコみ続けて最後はちょっと気に入られたような気がするという。ただ多くの人は途中で自分もボケ始めてしまい、その人は頑なにツッコまないので、お互いにボケ続けて場がぐちゃぐちゃになって終わるらしい。
水野は、突っ込む人もボケる人も、それぞれの地域差も含めて、みんなが尊重し合って生きていけたらいい、という話だとまとめた。堀元は、最後に何が出てくるかと思えばまったくの蛇足ではないかと茶化し、水野は、これはお好み焼きの席での「ゴメヌティウス発生」に対する自分なりの逆襲だったと明かして回を終えた。
ゆる言語学ラジオ。
僕は関西方言について勉強して思ったのはね、関西の人って利他的だなって思ったんですよね。で、そこがエセ関西弁と関西方言を分けるめちゃくちゃ大きいファクターなんじゃないかなと思ったという。そういう話を今回したいと思います。
全然そんな感じじゃないですけどね。
前回、関西方言と東京方言のアクセントを見比べようということで、東京方言の、特に名詞のアクセントについて見ていきました。おさらいすると、東京方言って3つ、ありましたよね。えっと、1拍目と2拍目が必ず違う。はい。っていうのと、1度下がったものはもうその単語の中では上がらない。はい。あと1個なんかありました?単語はどこかで高さを落とすパワーを持っていて、中には全く持ってないものがあるということですね。はい。はい。
じゃあ関西式はどうなんだというとですね、1つ目、単語はどこかのタイミングでアクセントを下げる能力を持っている。また一部持たないものがある。あれ?なので、あれ、東京方言と一緒です。ああ、そっか。そっか。一緒じゃない。一緒ね。うん。下げる力ないってのがいわゆる平板型ってやつ、アメリカみたいなやつね。で、これ一緒ですね。なるほど。
次。同じ単語の中で1度アクセントが下がったらそこから上がることはない。うん。一緒じゃない?一緒ですね。あれ?完全に一緒じゃん。うん。ただし1拍目と2拍目の高さは一緒でも良いです。おお。拡張されたね、急に。ここが違う。可能性広がったな。
そう。これさ、どうすか?イメージ、シミュレーションしてみて、ちょっとしか増えないと思う?それともめっちゃ増えると思う?えっと、直感的には2倍になりそう。うん。うん。うん。だって東京方言だと変更しなきゃいけなかったから、1拍目と2拍目が多分2パターンしかないんですよ。はい。低高か高低かなんだけど、関西方言だと2の2乗許されるから2倍になるんじゃないですか。
うん。うん。まさにその予想正しくてですね。理論上はN拍の名詞に対して関西方言のアクセントの種類は2n+2、つまり2倍になります。前回やったけど、東京方言だとn+1だったからちょうど2倍。ちょうど2倍ですね。ただし一部の型は存在しなかったり、あってもごくわずか、ほんの5語しかそのアクセントの種類に該当しないことが多くて、実際に観察されるのは2n-1になるらしい。
なんか綺麗じゃないなこれ。だから社会科学嫌なんだよな。え、なんかさ、その理論上はこうなんだけど実態はこうではありませんみたいなやつめっちゃ出てくるよね。はい。やだ。綺麗であってほしいっす。家にずっといない。そうか。これ外に出てると暴力的なのか、こういうやつ。そう、そう、そう、そう。
そうか。具体的にどれくらい東京方言と関西方言でアクセントの種類に差があるか見てみましょうか。2拍名詞だったら東京方言はn+1なので3種類ありますね。で、関西方言は2n-1なのでこれも3種類。うん。だから2拍の名詞に関して言うと東京も関西も変わんないわけです。なるほど。
ところが、じゃあ3拍で考えてみると、それぞれいくつになりますか。えっとn+1だと東京方言は4種類。4種類。で2n-1だと5種類。うん。関西方言の方が1個多いんじゃない?そうですね。4拍だとどうなります?n+1が5種類で2n-1が7種類。はい。なので2種類関西の方が多くなりましたね。そうだね。これ数増やしていくとどんどん差出ていって、5拍の名詞だと東京は6、関西は9なので。そうだね。差は広がるばかりだね。ですね。
え、関西方言の方が優れてるってこと?君は何を今まで聞いてきたんだい?あ、そうか。そっか。優劣とかじゃないんですね、方言ってね。いや、パターン多い方が偉いのかなって思って。うん。でもパターンが多いということは認知資源をそこに使いますよ。ああ、そうか。パターン多いと把握が難しくなるから東京方言の方が優れてるって。あ、違う違う違う違う違う。ちゃうちゃうちゃうちゃう。少ない方が優れている。ブレーキを踏んでる。優れてるとかないですね。そうですね。
で、厄介なのは単に種類が多いっていうこともそうなんだけど、東京方言話者からするとありえないアクセントパターンがあるっていうのが1つ問題としてあるわけですね。さっきの確認すると、1拍目と2拍目の高さ一緒でもいいんですよね。うん。そうすると具体的にどんな東京方言にはありえないアクセントのパターンが考えられると思います?えっと、だから高い高い低いとか、はい、高い高い高いとかがあるんじゃないですか?はい。そうですね。
例えば高い高い高いだと、チェリーブロッサムは、春にね、あの咲くあれはサクラだよね。桜。高い高い高いだよね。桜ですよね。へえ。えっと、東京式だと桜。桜なのでここ低高高ですね。あ、そうだね。低いとこから入ってんのか。桜。確かに。はい。あとは突風とかが吹く、あの風とかも、風っていう風に高高ですね。これも。へえ。風ですけどね。そうですね。低い高いよね。風ですね。
あと道路の道とかも、道っていう風に高高ですね。あ、確かに関西の人言うかも。道が混んでて。道だったらしくいてね。1位なので。あれ、マネージャーさんがすごい顔。やばい。すごいガン飛ばされてる。俺の関西方言、みたいな顔してますよ。え、難しいよ。だから、ミチですね。ミチがってこと?そうですね。道が。道が。道が混んでて。はあはあ。やっぱね、どうしても「死ぬる覚悟」が、国宝が出てくるな。これやってると。
国宝のそこって、別にハイライトじゃないんですよ。その、ここ真似するやつがTikTokで流行ってるらしくて、結構TikTokで流行ってるらしいんですよ。一番嫌なユーモアだなって思いながら見てました。確かにね。
ただこれはザ関西弁っていう響きなんですよね。高い高い高いみたいなやつって。なので関西方言の話者じゃない人からしても、桜とか道とかみたいなのってああ言うんだって覚えれば、結構再現しやすいというか、関西方言だと気づきやすい。確かに高い高いすればなんか関西弁っぽくなるなって思いそう。
そうです。難しいのは、さっきその高い高い高いとか言いましたけど、低い低い高いとかあるんですよ。うん。はいはいはい。それも東京方言にはないアクセントですね。ない。この低い低いが難しくて、僕は何度もその関西方言分かる人に違うって言われて。左は低低高なんですよ。あ、東京式だと左。あ、だから低い高い高いかな。下がり目を持たない平板ですかね。それが関西だと低い低い高い。ヒダリ、違うな。上がっちゃってるな。これヒダリです。
あと変な。左って言ってください。はい。ひだり。ちょ待って。ひ、ひ、声低くなる。ひ、みたいな。関西の人ってそんなドスの利いた左って言わないから。関西の人って低音で喋るんじゃないんだね。うん。これでもむずいでしょ。めっちゃ難しい。できないんですよ、これが。左みたいなことでしょ。え、でもこういうことですよね。左ってことじゃないですか?左。合ってますよね。うん。へえ。左。
ここ左に曲がってっていうの。気持ち悪いな。曲がってですか?高い高い高いじゃない?左に曲がって。あ、ぽいぽいぽいですね。おお、すごい頷いてます、会場の人。ありがとうございます。おお、ありがとうございます。正しいらしい。一応動詞のアクセント型も頭に入れましたのでなんとか。すごいね。覚えてやれるんだね、それね。
あの動詞、高い高い高い結構あるから、曲がるとか、うん、走るとか、この辺もとりあえず高く行っとけばなんとかなる部分。ちょっと舐めてるな。なんかちょっとバカにしてそうな言い方してた。ただ低い低い高いもあるんで。難しいね、それ。そう。えっと、食べるは他動詞で走るは自動詞、みたいに言うわけです。すごい、お客様が、あ、関西人みたいだって言ってる。遅いですけどね、出力が。確かにこんなスピードで喋ってて、頭の中で。
へえ。でもそうなんだ。言ってみてください。ちょっと試しに。食べるは他動詞で、走るは自動詞。合ってますよね。そう。合ってますよね。っていう風になる。笑うんじゃない。彼の関西弁は上手だよ。あ、クリロナ。関西方言クリロナ。珍しい。
あと高い高いから入って低くなるやつもありますね。はあ。例えば何か、がしっと捕まえられてたとして、放してくれって、放せっていう時とかは高高低ですね。だから、放せ。うん。そうですね。はあ。でもこれ東京式だったらね、ハナから入るものはありえないわけですから。そう、下げなきゃいけないってのもまたあるわけで、さっきのそのサークーラーとかと違って、ハーナーまで高いのに、セでは下げなきゃいけないみたいになるわけです。なるほどなるほど。これむずいよね。確かに東京のアクセントとは違う感じめっちゃしますね。
なので例えば購入したらって意味の「こうたら」ってあるじゃないですか。こうたらって。で、これも高高低なんですね。うん。だからこうたら、ん、こうね。なんか違いそう。合ってる?あ、そうだ。えっと、ウをこんなはっきり言うようなのか。えっと、だからこうたらになるわけですね。あ、いいね。あ、いい。それ、それ、それ、それ、それ。よちよち歩きすぎて、関西方言話者として。でもすごいね。こんな理屈でちゃんと発音できるようになるんだね。
そう。でも買うを「こうた」っていう風に言うのって関西方言っぽいじゃないですか。そうすると、なんとなく関西方言っぽく聞かせようとすると、東京式アクセントでこうたらっていうと。ああ、確かに。ですけど、これでこの前お店に行ってガムをこうたらめっちゃ高かったみたいな風に言うと、これは関西方言話者からすると、形式的には関西方言を使っている、語彙レベルでは。が、音韻的には関西方言的でないって。なるほどね、仏作って魂入れずみたいな感じになるんだ。そうそう。だから上っ面だけなぞってるように聞こえるわけですね。はい。なるほどね。
あともう1個ややこしいこと言うと、関西方言は東京方言と違って、「ん」とかちっちゃい「っ」とか伸ばし棒がアクセント核を担うこともできて。ほう。これがね、東京の人からするとめっちゃ難しいんですよ。例が欲しいの。例えば兄弟って、まあ「きょうだい」ですけど、もうほぼ「きょーだい」みたいになってるじゃないですか、伸ばし棒でね。でもこの伸ばし棒のところが下げを担っているんで。ほう。兄弟みたいになるかな、多分。確かにそれ東京式アクセントではなさそう。
そうなんですよ。とか、「ん」に下げを担わせて言うと、今日の夜っていう今晩とかも、今晩、あ、ですかね。うん。っていう風に「ん」になっちゃうわけです。
さっきね、あの駆逐艦ってあるじゃないですか。あの船のね、艦。これ、まあ実際発音する時って、クがちっちゃい「っ」になって「くっちくかん」みたいにこう言われることもあると思うんですけど、「っ」に下げを担っているっていう例が、まあ出てきたんですよ。ほう。え、これがもう何回練習しても俺うまくいかなくて。ん、関西の人はだからちっちゃい「っ」のとこにアクセント。そうです。だから「くっちくかん」みたいな。あ、違うな。多分違うと思う。ふーん。合ってる?合ってんの?そんな嬉しいか。嬉しいね。駆逐艦発音できただけでそんな嬉しい?
駆逐艦っていう風になるのかな。うん。なんかこのちっちゃい「っ」になっているので、これとかも東京の人からすると意識すること多いというか。うん。うん。自分らではまずそこにアクセントを担わせないので、ちょっとそんなとこにアクセント核って大丈夫?ってなるわけです。すごいね。だから常識破りのアクセントがいっぱいあるわけですね。
そうです。これが全ての単語で関西と東京がバラバラに決まってたら難しいわけですけど、実際は対応関係がある。はあ。だから例えば東京方言で同じグループのやつを関西方言に直すとしたら、規則的に対応させられるのかという問いを立ててみると。だからパターンで覚えられるかってことですかね。はい。これ、種類自体は一致してるんです。ほう。つまりAグループの名詞はこういう風にアクセントを変えると関西方言に対応するとか、東京方言に戻せるみたいなのってざっくりあるんです。ああ、なるほど。
ちょっと画像を出しますね。今画像出てるのが、まあ国立国語研究所のYouTubeの内容なんですけれども、これ右が東京式、左が大阪式で、赤い字ってのは高い位置を示しています。だから口がとかってのは、東京式だと口がになるし、関西だと口がっていう風になるという風に読めばいいわけですね。で、これ見ていくと確かに矢印がね、まっすぐ進んでますね。ああ、確かになんか1対1対応っぽい雰囲気ある。が、3番のグループ、1番下のグループってなんか矢印が交錯して、ああ、本当だ、してますね。ここ1個あるだけでややこしいね。
そう。これどういうことかと言うと、東京式では頭高のアクセントですね。肩が、雨が、空が、猿がですね。はい。はい。を関西方言に直す時に、2つのタイプに対応しちゃうんですね。うん。うん。つまり最後が高い肩が、空がと、猿がの2種類あるわけですね。なるほど。だから頭にアクセントがある時だけ2パターンあるから、これどっち行ったらいいんだって悩むんだ。そうです。つまり東京方言話者がアクセントにはそれぞれ種類があって、これがどっかに対応するって知っていたとしてもですね、一方向性しかないんですね。
なるほど。だからこれあれですよね。2つの写像の間で、え、単射、全射、だから全単射じゃないんですよね、多分。写像って何すか?あ、すごい。ひろゆきさんのやつだ。勝さんに言い返したやつ。いや、これそうじゃん。あの集合でさ、対応でなんかありましたよね。その1個から1個が導かれる時は単射じゃないですか。はい。で、全射って何だっけ?全射っていうのはその、皆さんAIに聞いてもらうとして。数学ができないな、こいつら。やったんすけどね、あの意味論で。なんかあるよね、そういうやつ。集合は使う時に。
だからその全射だか単射かがうまいこといってないから難しいって話ですね。あ、でもこれまさにそうですね。その集合、4つのグループがあって、それぞれに対応関係が見られるんだけど、一部においてそのような対応関係になっていない。1対1対応してないということですもんね。まあだからまさにこれ堀元さんの言ったように、単射ないし全射が機能してないっていうことですね。調べて喋れよって話なんですけどね。そうですね。
関西から東京には直せるんですけど、東京から関西に直そうと思うと、ある種の名詞ではこの対応規則が働かないんです。あ、なるほど。なので、関西方言アクセントをマスターして使うってのには相当な習熟度が必要になっちゃうっていう事情もあるんじゃないかとは思います。なるほどね。
ということで、ここまで関西方言のアクセントが、まあ関東に限らず他地域の話者にとって再現が難しいっていうことを示してきました。これやっぱ高高低とか低低高って、我々からするとやっぱ異質なので、相当こう気をつけたり練習しないと左とか言えないね。言えないっていうことですね。
今聞いてて思いましたけど、あのラーメンYouTuberのSUSURUさんがいつも「SUSURU」って、あの高高高って言ってるけど。うん。うん。あれ完全に関西意識ですね。え、すするじゃない?すする、あれ本当か?あれ?それ、すする〜だよ。もし高高高だとしたら「すする」だから。そうか。あれだから声高く言ってるだけか。高らかに言ってるだけかね。
でもね、堀元さんの気持ちは分かります。この、結局この低い高いとか高い低いって相対的な基準なんですよね。だからすごく声が高い人が言っても、すごく声が低い人が言っても、単語の中で、ピッチパターンとか言うんですけど、音程の高さを線にした時に落差があるかとか、どういう形を描いてるかって話をしているんで、その高い声で話したものを高高高だと思っちゃうみたいな気持ちは全然わかります。ありがとうございます。フォローしていただいて。
はい。あとさ、それ聞いて、もしかしたら一部の方でさ、え、じゃあ関西方言の低低低と高高高ってどう違うの?あ、本当だ。うーん。でも察しつくよ、それ。後ろに来る言葉で分かるんじゃないの?うん。まさにそうですね。それを試したのが、さっきの食べるは他動詞で走るは自動詞の例文を思い出してもらうと、低低低の後って高いんですよね。うん。うん。食べるは他動詞で、走るは自動詞って。うん。「は」の高さに比べて食べるがどう違うのかを見分ければ、つまり食べるは低低低で走るは高高高だっていう風に見分けられるんですね。これもだから結局、後ろに来る助詞とかと見比べて相対的に高いかどうかってのを考えればいい。そっかそっか、相対性なんですね。そうです。そうです。
まあ、こういう、例えば形式だけ関西方言的なのにも関わらず、音声的に関西方言に聞こえないのでもやっとするみたいなこともあると思いますし、まあ、あと誇張されてるやつとかね、その「儲かりまっか」とか「なんとかでんがな」とか、ああいうコテコテと言われるのって今の話者の方ほとんど話さないので、それを見てバカにしてると感じるみたいなこともあると思うんですけど、僕、関西方言話者が非関西方言話者、東京の人とかにモヤる、あんまり皆さん言語化してない原因あると思っていて。それがですね、利他的なツッコミをするかどうか。ああ。っていう軸があるんじゃないかと思って。
あ、全然、だからアクセントとかもう関係なくなったんですか?これはそうです。アクセントとは関係なく言語行動ですね。はあはあ。へえ。利他的にツッコミをする。はい。はあ。
というのもですね、昔ゆる言語学ラジオで「東北の人って失礼じゃないか」っていう、ちょっとここだけ切り取ると確実にそうですけど。失礼じゃないっていう結論の回ですね。はい。っていう種本にした『ものの言いかた西東』という、近畿と東北地方の言語行動を比べた本なんですけど、そこに出てくるのが、関西方言の人って演出性に富むとか、その場の会話に参加してる人を楽しませようとするっていう行動があると。よく言われるやつでしょ。あのバーンって言ったら死ぬふりしてくれるみたいな。そうです。そうです。
この本に確か出てきたのは、東京ディズニーランドのジャングルクルーズっていう、クルーが船をこう操縦してジャングルをツアーガイドのように紹介するっていうアトラクションがあるんですけど、たまたま乗った船が新米のクルーさんで、盛り上げるのがうまくなかった。ある、そういう時。そう、ジャングルクルーズってクルーの人がすごい達者にその場を盛り上げる。見てください、ワニに食べられそうになってる人がいますよみたいなやつやるよね。そう、そう、そう、そういう乗り物なんですけど、それを新米のクルーがぎこちなく案内してるのを見て、その場の関西方言話者の男性がド派手にリアクションしていて、恥ずかしい思いをしたって話が出てくるんです。でもええな、その人。ちゃんと場を盛り上げてくれてるんだね。そう、そう。
僕それの類例知ってまして、免許の更新の時の講習って全く盛り上がらないじゃないですか。まあ盛り上がるものじゃないからね。そう、講師の方が淡々と、え、薄暮時には非常に事故が多くなっておりますので、ヘッドライトの点灯をしてくださいみたいなやつ。うん。あれ、明石家さんまさんが更新の講習受けてる時、「ええー」とか「ほんまでっか」とか言って、むちゃくちゃ盛り上げたらしい。
あ、でもだから明石家さんまさんってそうじゃないですか?いわゆる素人というか、なんか東大生とかを集めた番組とかってのも、出演者がぎこちなく話していても、さんまさんがうまく盛り上げることでその場自体が盛り上がってるようになってるじゃないですか。だから典型的なあれは関西的な言語行動だと思うんですけど。あ、そうか。関西の人だから受け身がうまいのか。
そうです。で、僕が1番びっくりしたのはですね、大阪の若年層と関東の若年層、あと、まあ正確に言うと大阪の高年層の人たちに対して、会話の中でボケるかっていうことと、相手がボケたら突っ込むかっていうことを質問した調査があるんですけど、これがみんなボケはするんですね。つまり東京の若者も関西の若者も。ボケるはやるの。ほうほう。でも差が出てんのは、関西の若年層って突っ込むがでかい、めちゃくちゃ。でもなんかそんな感じするかも。はい。えっとね、99%が会話の相手がボケたらすかさず突っ込むと。多いね。はい。1%のやつ何なんだよ、逆に。貫いてるんですね。自分を貫いてる1%がね。もしかしたら、かもしれないですが、基本的には全員突っ込む。はい。
で、これが僕、最大のすれ違いなんじゃないかと思っていて。あ、え、ちなみに関東の人は何%突っ込むってデータあるんですか?ちょっと手元に論文が載ってるものを忘れちゃったんですけど、ちょっとテロップで。じゃあそれは。あ、はい。はい。いずれにせよ関東は全然突っ込んでないっす。
でもね、僕もついさっきそれを体験しまして、このイベント会場のすぐ近くでお好み焼き食べてたんですけど、あの水野さんが取り分けてくれたのよ。2つに割って僕の方に半分寄こしてくれたんだけど、そん時にちょっと形がぐちゃってなっちゃって、で、ぐちゃってなっちゃった時に水野さんが「ゴメヌティウス発生」って言ったんですよ。でも僕マジで自然体で全く何も反応しないで、ありがとうって言って、うん、もらって食ってたんすよ。これ突っ込まない人だね。あの、そのエピソードはやめておいたら大丈夫だよ。お好み焼きでクソすべったってだけだから。
このボケるか突っ込むかの調査って小さいようでめちゃくちゃでかいと僕は思って、つまり関東の人は関西的な振る舞いってのをボケだと思っているが、関西の人は関西的な振る舞いを突っ込みだと思ってるっていう話だと思うんですね。あるかも。すなわち関東の人は関西的に振る舞おうとするとボケまくると。でも突っ込まないっていう風になっちゃうんじゃないかということですね。だからその、突っ込んで人を助けようとしないくせに、ボケて自分がウケようとする嫌なやつみたいになっちゃうのか。そういうことです。なるほど。
そういうことですね。つまりその本に書いてあったのは、大阪人は面白いことを言うことに命をかけている人というイメージがあるが、正確には会話全体をいかにテンポよく盛り上げるかに命をかけているが近い、みたいなことを確か書かれていて、関西方言話者って会話があったら、その参加者が楽しむようにその場を面白く演出しようっていう意図で突っ込むんだと。それって利他的な行動だと思うんですね。自分はツッコミに回るんだけれども、場全体が盛り上がるようにすると。で、ただボケるけれども突っ込まないってのはその逆なので、極めて利己的に映るのではないかと。そう。うん。
すると関西方言を話して関西的に振る舞っている非関西的な人ってどう見えるかというと、あなたの真似をきっちりしてますよって言いながら、利他的なリソースを利己的に使ってるように見えるんだ。うわあ。1番見てられないね。うん。これ真似してんすよって言って、全然表しか真似できてなくて、全然逆のことやってるって。
てかそれね、YouTuberも一緒だわ。ははは。東海オンエアの虫眼鏡さんがそれ言ってて。はい。そう。東海オンエアの表だけ真似して、企画っていう本来最も大事なものを置き去りにしてるYouTuberがいっぱいいて、だからただうるさいだけのYouTuberがいっぱいいる。うるさい地元の友達と集まってるだけの、みたいなことを言ってて、なんかすげえそれに近いよね。うん。うん。うん。本質は利他なのに、それを理解しないで、むしろ利己的な部分だけ真似しちゃうって悲しすぎるの。
そう。しかもそれが、その利他的なリソースが自分たちの外の人たちによって利己的に利用されている風に映ってるんじゃないかっていうことですね。そう。だからノリを奪われて、関西人っぽいでしょって言ってんのに、それが全然できてないわけだ。そう。それはやっぱり関西の人から見ると、全然関西弁を使えてるという風にならないんですね。それ、英語をマスターしてるけれども英語話者的に振る舞ってない人って、真に英語を話してるとはあんまり言わないのと同じで、仮に関西方言話者だと思われるぐらい関西方言を喋ろうと思ったら、やっぱりその突っ込むとか場を盛り上げるっていうようなところまでインストールすると、そのように見えるんじゃないかと。
で、そうすると冒頭の聞き分けの問題、なぜ関西の人が見分けられなかったのかっていうのも、ちょっと僕関係するような気がしていて、指導を受けてセリフを読む上では、関西方言話者的に振る舞う必要は別にないと思うんですよね。うん。うん。そうだね。だからその役者さんは、別に日常的に突っ込んでるかどうかとか全然関係ないと思うんですけど。ああ、はあはあ。例えば大学とかで地方から来た子が関西方言を喋っていても、日常レベルで関西的に振る舞ってるかどうかって如実に出るじゃないですか。
あ、だから関西人と非関西人を分ける違いって、アクセントが正確かとかよりも、むしろ何を喋るか、言語行動みたいな方に出てるんだ。って僕は解釈しました。これは僕の私見なので、言語学者がそのように言ってるとかっていうわけではないんですけど、調査を見ていくとそのように感じるし、実際関西方言話者にこの仮説を当てると、それなりに納得されることがありますね。なんか言われたらそんな感じしてきたわ。確かにそうかも。
なんかボケて、やっぱ突っ込まれないと寂しくなるし、適切に突っ込まれると好きになっちゃうもんね。あ、そうなの。僕、水族館デートをしてる時に、ええ、いいじゃないですか、ちょっと盛れるアプリで写真撮るわって言われたことあって、いいじゃん、撮って撮ってって言ったの。うん。うん。で、その後急に思いついちゃって、「盛ってリライトして」って言ったの。はい。そしたらすごいいいテンポで「あ、デート中って喋んなくてもいいんだよ」って。あ、いいね。いいですね。俺この子好きかもってなりました。それ確かにグッときます。
そう。だからツッコミ、適切なツッコミっていいよね。うん。それって全く面白くないこと言った堀元さんが、まるで面白いようになってるじゃない。そうそう。だからこの子俺を面白くしてくれる。そうだね。そういうあり方だ。だから利他ですよね、それは。だと思いますね。うん。あと俺のボケ利己的すぎない?うん。ひどすぎない?思いついたからって言うなよ、それ。そうですよ。その自己満足ボケ。まさに関西人が嫌いとするところのボケなんじゃないでしょうか。すいません。大阪の皆さん仲良くしてください。許してください。
ということで、ここまでの話をまとめますと、関西方言のアクセントというのは、理論的には関東方言の倍ぐらい、実際には倍とまではいかないけれども多いので、関東方言話者からすると、普段使わないアクセントの型が出てくると、低い低い高いとか高い高い低いみたいなものは発音が難しいと感じるし、その対応関係も完全に1対1対応してないので、アクセントを完全に習得するということは結構難しいと。うん。うん。で、ただそれはそうとして、言語行動に注目してみると、ボケるか突っ込むかというところで関東方言話者と関西方言話者に明確な違いが見られて、で僕はそこにその利他性と利己性みたいなものを感じ取って、そこに関西方言話者の方はモヤモヤしてるんじゃないかという話をしてきました。
うん。なんかそれすげえいい話だ。語学全般にもしかしたら広げられるかもしれなくてさ、あの千原せいじさん、千原兄弟のせいじさんが言ってたのが、外国語全く喋れないんだけど、そのコミュニケーションで困ったことがないって言ってて、確かにあのせいじさんの外国にいる様子とかテレビで見ると、ずっと日本語を喋り続けてるんですよ。ほうほうほう。なんとかなんとかって言われた時に「何言うとるかわからん」って、全然悪びれないの。「何言うとるかわからん。え、どういうこと?どういうこと?」つって。「それ何これ?こういうこと?あ、これがうまいって話?ああ、じゃありがとう」って言って、そう、めちゃくちゃ日本語で全部会話が成立してるんですよ。うん。
で、結局それ、多分どっかで誰かに聞かれてたのが、外国語なしでよく外国行けますねって言ったら、いや別に、だってなんか言いたいことそいつにあって俺にもあるから、それを言えばいいわけで、別にその同じ言葉を使う必要はないみたいなこと言ってて、むっちゃすごいなって思ったんですけど、結局だから抽象化すると、言語そのものが操れるかどうかより、言語行動みたいな、何をしたいかみたいなところの方が重きが置かれるって話だと思うんですよ。そうですね。僕はそう考えていくっていう。うん。え、いい話じゃない、これ。
結局地域ごとにその文化圏で生きてるので、形式だけマスターしても文化までインストールしないと、その土地でそのコミュニティの中に入ったって見なされるのは結構難しいとは、やっぱり思います。うん。うん。だから逆に言うと、せいじさんはそっちの達人なんでしょうね。あ、そうですね。なんかノリに合わせてそこでやるべき行動してるから、別に何も喋れなくても問題ないってことでしょうね。
そうですね。だから高野秀行さんっていうノンフィクション作家が『語学の天才まで1億光年』っていう本の中で書いていたのは、まずモノマネから入る、みたいに書かれてたんですよね。はい。だから雰囲気を真似することの方が重要なんですね。そうです。だから、えっと、タ、かなんか言った時はまずくねくねするみたいな。あ、いいですね。何を喋るかとかじゃなくてくねくねする。そう。くねくねするらしい。面白いっすね。
そう。で、ただもう1回注意喚起をしておくと、エセ関西弁が悪くて、関西方言っていう正解に向かって矯正しろとは、僕は別に思っていない。ああ、なるほど。まあ1つは僕この当事者ではないので、この問題に対してあんまポジションを取れないってこともありますけど、確かね、万博かなんかで関西弁を話してみて、関西弁かどうか判定するみたいな催しがちょっとどっかであって、それに対して批判もあったんですよ。つまりそれって、ネイティブスピーカーは正しくて非ネイティブスピーカーはダメだっていう序列関係ですよね。
でもそうじゃないってことを、僕ら福田先生から教わったじゃないですか。第二言語習得論の中で、ネイティブの使ってる英語以外にも、例えば日本人が学んだ英語ってのも同等に価値があるんだって学んだじゃないですか。そこから踏まえるんだったら、エセ関西弁はダメで関西方言はいいとするってのって、ネイティブスピーカー神話みたいな、うん、そういったものにもちょっと接続していくんです。そうだね。
うん。だから関西方言話者がモヤるとか、それに対して不満を表明するのももちろんいいことだと思うし、学習途中の非関西方言話者がそれを取り入れて直すこと自体も別にいいことなんだけれども、それが明確に序列化したりとか、間違ってる人間に対して魔女狩りみたいなね、そういう風になっちゃうと僕はまずいと思っている。だからマジでそれクリロナの心持ちですよね。うん。うん。笑うんじゃないの気持ちで全部のものに接したらいい気しますね。
はい。そうですね。ですし、まあ今回のこの全2回は、きっと関西方言話者の方が、いや、そうなんだよ、分かるよって言って見に来たケースもあると思うんですけど、今回紹介した研究って、他者を攻撃したり、多様性を否定したり、あるいは分断を煽るために存在してるわけじゃなくて、むしろ他者理解のために研究者は研究していると僕は思うんです。なるほど。だからこの話を元にして、鬼の首取ったかのようにエセを叩くっていうことは、きっと研究者も望んでないはずなので、簡単なことじゃないと思うんですけど、エセ関西弁にモヤってる関西方言話者の方は、是非そのモヤモヤと共存するっていう道もあると思うし、うまく伝えるって道もあるんで、適切に生かしていただければなと思っています。
そうだね。さっきの水野さんの仮説聞く限り、いや突っ込んでないじゃんって思ってんだったら、突っ込んでないじゃんって言ってあげるとかね、そういうのいいかもしれないですね。うん。そうそう。
あとまた、今たまたま利他とか利己っていう割と善悪に結びつく言葉で例えましたけど、これ別に関西方言話者の人が逆に地方に出ていった時に、その地方の言語行動に合わせなさすぎるって問題だって当然あるので、関西だけが偉いって話ではないってこともちょっと付け加えておきましょうか。東北に行った時に、東北でも関西のノリでやりすぎて東北の人が困るみたいなことって全然想定されるわけで、その辺はちょっとうまいことご自身でバランスを取っていただければと思います。
YouTuberの、という人の大ファンでして僕、で、こないだご飯行かせていただいたんすよ。うん。そしたらもののさんマジでボケの、はい、本当にあのラジオとかやってる時のテンションのままボケ続けるから。ラジオもボケ続ける?ボケ続ける。はい。突っ込まない。うん。だから一緒にいる人間がツッコミで疲れていくの。ほう。で、その結果ずっと突っ込み続けたやつのことちょっと好きになるっぽくて、僕はずっと突っ込み続けてて、なんか最後ちょっと気に入られたような気がするんですけど。はい。はい。結構多くの人は途中でそいつもボケ始めちゃって、で、もののさんは頑なに突っ込まないから、お互いボケ続けて場がくっちゃくちゃになって終わるらしい。
なんかそういうね、それぞれの地域差みたいなね、突っ込むやつとかボケるやつとかね、そういう人たちがみんな尊重し合って生きていけたらいいですよねっていう話ですよね。なんか多様性って最後に言ったから、どんな話出てくるんだろうと思ったら、全然蛇足じゃねえか。なんだこの話。なんとか頑張ってね。頑張ってきました。ゴメヌティウス発生の、これ僕なりの味想でした。
そうですか。それでは引き続きチャンネル登録、高評価、感想のコメントなどお待ちしております。皆さんのね、関西弁への思いなどありましたら是非お書きください。あんまり攻撃的じゃないやつください。仲良く書いていただければと思います。あと、あの、あれだね、今回の文献、概要欄とかに載せておくので、あ、なんか勉強したくなってきたなってなった方がいたら、是非そちらもお求めいただければと思います。よろしくお願いします。以上、終わりにしましょう。ありがとうございました。ありがとうございました。
堀元さん、うまく話せなくて悩むことってありません?よくあります。そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。ほう。タイトルは『会話の0.2秒を言語学する』。会話のわずかな間にフォーカスした1冊です。是非皆さん買ってください。
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