ひろゆきが語る、トカゲ捕りの少年時代から2ちゃんねる、ニコニコ、そして「働かずに暮らす」現在まで

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概要

トマホークチャンネルの「人生を幼少期からたどる」企画に、2ちゃんねる開設者の西村博之(ひろゆき、49歳)がオンラインで出演した。聞き手はワカテTVの高田ふーみんとイマシカである。冒頭でひろゆきは「自分の話をするのはあまり面白くないと思っているタイプなので、テンションが下がると思うが悪気はない」と断った。それでも、家庭環境、学生時代のアルバイトや起業、2ちゃんねるの技術的な仕組み、裁判、乗っ取り、海外生活、YouTubeの切り抜きの仕組み、お金や社会についての考え方まで、話は多岐にわたった。全体を通して見えてくるのは、やりたいことを実現するための手段として論理や仕組みを使い、面白そうなものに乗れる自由な時間を確保しておく、という一貫した姿勢である。

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足寄出身の父と「物を買わない」家庭

生まれは神奈川県相模原市らしい、とひろゆきは曖昧に語る。父親は北海道・足寄の牧場で育った。高卒後に札幌の専門学校へ進み、高校の同級生だった鈴木宗男らと一緒に上京して、税務署勤めの公務員になった。母親は昔タイピングの仕事をしていたと聞いているが、2歳上の姉がいるため、ひろゆきが生まれる頃には子育てをしていたのではないかという。

聞き手が「税務署勤めの父なら堅い家庭なのでは」と尋ねると、ひろゆきは北海道の文化から説明した。昔の北海道、特に帯広周辺の内陸部は電気も水道もないところで暮らすのが当たり前で、あるものを利用して突破していく自給自足に近い精神性がある。父は次男か何かで牧場を継ぐ立場になかったので、税務員の道を選んだのだろう、というのが本人の見立てである。

家が裕福だと認識したことはないという。母親も北海道出身で、生活が豊かではなかった。そのため家では物を買わないのが当たり前だった。小学生の頃の小遣いは、コロコロコミックを買う代金として月300円ほど。中学では小遣いがなく、高校から月5000円程度になった。ひろゆき自身は、お金のない家だと思っていたと振り返る。

最初のパソコンは、誕生日とクリスマスのプレゼントを繰り越すと5000円ずつ貯まる家のルールを使い、3回分ほど貯めて小学3年生頃に買ってもらったMSXである。プログラミングに興味があったわけではない。本当はファミコンが欲しかったが、ビックカメラ池袋本店で親に「これでもゲームができるから」と言いくるめられたのだという。小3までゲーム機がなかったため、今ゲームが好きなのは子供の頃にできなかったコンプレックスを埋めようとしているからではないか、と本人は推測している。

トカゲを捕る少年と、理屈で大人に立ち向かう子供

子供の頃の記憶はあまりないが、趣味はトカゲを捕まえることだった。飼育はほぼできず、生き餌しか食べないので大体死んでしまう。トカゲは爬虫類で、体温が上がらないと動けない。そのため朝は日が当たる場所や、熱を持つコンクリートの上にいがちだ。そういう場所を定期的に点検していたという。ひろゆきは、風で落ち葉が動く音と、スズメやトカゲのような小動物が落ち葉を踏む音を聞き分けられると話す。街中でカサカサと音がした時に「あそこに何かいる」と言うと、大体ちゃんといるそうだ。

部活は、小学校では入らされたものを適当にこなした。中学は剣道部、高校はトレーニング愛好会、大学はキックボクシング愛好会と犯罪心理研究会である。ただし「お金がないのでタンパク質をそんなに取れない」ので、ムキムキにはならなかった。高校のトレーニング愛好会の実態は、器具のある部屋にみんなで集まって飯を食い、その流れで器具を触るというものだった。本は、図書館で借りて2週間後に返し、また借りるというループをずっと続けていた。

大人を小馬鹿にしていたのかと問われると、ひろゆきは否定した。むしろ「どう立ち向かうか」を考えていたという。親や先生は、理由を示さずに「今私が決めたから」という形でルールを作る。そうした理不尽に対して論理をぶつけると、相手が困る場合がある。言い訳がうまければ突破できることもある。目的は大人を困らせて楽しむことではなく、自分がやりたいことを止められるのが嫌だった、とひろゆきは説明する。何も言われなければ勝手に自由にやる。禁止されたら「なぜダメなのか」「どういう条件ならいいのか」を詰めていく。これはプログラマーの感覚にも近いという。やりたいことがまずあり、言い負かす、プログラムを書く、物を作る、体力をつけるといったことは、それを実現するための手段にすぎない、というのがひろゆきの考えである。

成績は下から4番以内、浪人して中央大学へ

中高時代はまったく勉強しなかった。高校卒業時の成績はA〜Eのランクに分けられ、ギリギリ卒業できるEランクが14人ほどいた。ひろゆきはEで、周りの友人に聞いた限りでは10人ほどが自分より成績が良かった。そのため、自分は下から4人以内のどこかだったという。中学時代には塾の宿題をやらなさすぎて先生に首を絞められ、塾をやめたこともある。

通っていた高校は私服で通える自由な校風で、現役で大学に受かるのはクラスで推薦ともう1人程度だった。そのため浪人は当たり前だった。生徒の多くは池袋にある代ゼミや河合塾などの予備校に行く。池袋には友達がたくさんいて、タバコを吸っても怒る先生はいない。浪人中は毎日友達と楽しく過ごし、酒を飲んでいたという。それでも専修大学、中央大学、学習院大学に合格し、中央大学の心理学に進んだ。

心理学を選んだのは、勉強したくなかったからである。法律などは条文や六法を読めばわかる。一方で心理学は、学問として修めれば人の心が読めるようになると誤解していた。実際に入学すると、普通に教科書を読む授業だった。ただ、文系の中で統計をきちんとやる点は良かった、とひろゆきは振り返る。

怪しいアルバイトと宗教勧誘への好奇心

高校時代はスーパーやコンビニでアルバイトをしていた。浪人時代には、スポーツ新聞の「日給1万円」のような怪しい広告に応募してみた。すると仕事は、裏ビデオのチラシを指定地域の全戸のポストに配るというものだった。次は別の地域へ行けと言われたが、面倒になってやめた。その2カ月後くらいに、その手の業者が逮捕されていたという。給料が高いものが実際どんなものなのかは、やってみないとわからない、というのが動機だった。

同じ好奇心から、宗教の勧誘や怪しいビジネスセミナー、マルチ商法の説明会にも誘われれば行っていた。「こうやって人を騙すのか」と観察していたという。大学時代には、宗教系サークルの人が借りている家に「カレーを食べに来ないか」と誘われて行った。神の存在について教えられたが、「神がいる証拠はあるんですか」とひたすら突き詰めた。カレーを食べ終えると、もう帰っていいと言われて帰されたという。

犯罪心理研究会に入ったのは、文化連盟所属で部室があったからだ。部室に泊まれ、酒も飲め、3DOなどのゲーム機があってダラダラとゲームができる。それに部員も少なかった。犯罪への興味もそれなりにはあった。ただ、年に1回研究冊子に文章を出したことがある程度で、あとはゲームと漫画の時間だったという。

大学1年で起業、映画2000本の視聴覚室

起業は大学1年の冬休みである。あまりに暇だった時に「1万円で会社が作れる」という本を見かけ、友達と一緒に会社を作ってみた。1996〜97年頃で、インターネット的なものが世の中に出始めた時期だったため、ホームページを作る会社にした。チラシ配りも飛び込み営業もした。問い合わせが来て納品し、お金をもらう経験をして「こんな感じでお金が取れるのか」と思ったという。

お金を稼ぎたいというより、お金がないことが先だった。学費は親に出してもらい、月3万円ほどの仕送りもあった。しかし大学近くで一人暮らしをしていたので、食費やバイクのガソリン代、飲み代、電話代などは自分で稼ぐ必要があった。会社は注文がない限り仕事がない。そのため学生時代の実態は、映画を見て漫画を読む生活だった。大学の視聴覚室にはレーザーディスクで映画が2000本ほどあり、「元を取ってやろう」と大学に行くたびに1日1〜2本見て帰った。友達の家で飯を食って酒を飲み、二日酔いで学校に行くサイクルだったという。

それでも留年はしていない。1年目はあと2単位でフル単位、2年目はフル単位だったと記憶している。大学に行く以上は卒業しなければならない。学費は卒業証書を買うためのお金だと認識していたので、つまらなくても単位が取りやすい授業を取りまくった。勉強に興味はないが、「この点数を取ればクリア」という条件に対して最短ルートを探す攻略が好きなのだという。テストは100点を取るものではなく、合格点が60なら61を目指す作業だ、とひろゆきは言う。この姿勢は現在在籍しているオンラインのZEN大学でも同じで、1年目の1学期で8割ほど単位を取ったそうだ。

交通事故の慰謝料と保険会社との「共同作業」

ネット上で語られている「交通事故の慰謝料で留学した」という話について聞かれると、ひろゆきは事実だと認めた。バイクで池袋方面から新宿へ向かう途中、高田馬場あたりの交差点で右折してきたタクシーに横からぶつけられた。その勢いで前のバスに当たって落ち、救急車で運ばれた。足はひどく痛んだが、バイト先に遅れると電話して、その後新宿に向かった。あとで骨にヒビが入っていたとわかったという。

「痛い」と言い続けると治療期間が延び、治療期間が延びるほどお金がもらえる仕組みに気づいた、とひろゆきは話す。保険会社の担当者は金額を下げようとするので、「こいつと交渉したくない」と思わせる必要がある。そこで、どの駅からも歩くと20〜30分かかる自宅に担当者を呼び、約束の時間に1時間ほど不在にする。交渉の場では「安いなら受けない」としか言わず、上司に相談させて帰らせる。次の約束もまたすっぽかす、ということを繰り返した。

当時ネットで調べると、慰謝料の通常の相場は1日4000円ほどで、保険会社の上限が8000円ほどだとわかった。そこで「1日8000円なら判を押すが、そうでなければまた来月話しましょう」と伝えた。ひろゆきの説明では、担当者は自分の給料から払うわけではないので、本音では金額はどうでもいい。ただ、高い金額で合意すれば社内で理由を問われる。そこで保険会社に電話して「上司を出せ」と凄むなど、「とんでもなく面倒な相手だった」と上司に報告できる材料を担当者に与えてやった。ひろゆきはこれを、担当者と自分の双方にとって良い落としどころに着地させる「共同作業」だったと表現している。

アーカンソーへの留学:選んだ理由と1年間

留学は、大学に行く以上は英語くらい話せるようになった方がいいと考えたからだ。人はどの国に生まれてもその国の言葉を話すようになる。逆に、周りがその言語を話していない環境で学ぶのは非常に難しい。中高の英語学習でそれがわかったので、英語を学ぶなら留学だと考え、1年生の時点で決めていた。

形式は編入に近いものだった。日本の大学に2年通い、単位を合わせてアメリカの大学の2年生として入り、3年生として取得した単位を日本の大学に戻す。行き先は、ひろゆきが「アーカンソー中央大学」と呼ぶUniversity of Central Arkansas(UCA)である。選んだ条件は、暖かいこと、寮にインターネットがあること、学費が安いことだった。全米の学費ランキングで最も安くて寮がネットにつながるのはルイジアナの大学で、その次がUCAだった。ルイジアナをやめた理由は、光ファイバーが入っているかどうかだったか、と記憶は曖昧だ。アーカンソーは南部なので冬服がほとんど要らず、寒い1週間用のジャケットさえあれば、Tシャツと短パンで過ごせたという。

留学はずっと楽しく、毎日が海外旅行のようだったという。日本に比べて自由度がまるで違い、寮では友達と24時間一緒の状態が1年続く。「法に触れる悪い遊び」もしたと言うが、中身は明言しなかった。ひろゆきによれば、アメリカの大学生で「法に触れること」と言えばみんな察しがつくもので、それをやらなかった人はあまり聞いたことがないという。留学先では、単位を取りやすい科目として数学(本人いわく「算数」)を取っていた。そのクラスには、マイケル・ジョーダンの相棒として知られるスコッティ・ピッペンの甥がいたそうだ。

2ちゃんねる誕生:データが飛ばない掲示板

2ちゃんねるを作ったのは、アーカンソーの大学にいた時期である。ひろゆきは「2000年の3月か4月とか、そんな感じですかね」と振り返った。当時はYahoo! JAPANもほとんどない時代で、アメリカにいて日本の情報を知るには掲示板しかなかった。お金のある人はNHKワールドを契約していたが、それ以外は手紙と、非常に高い国際電話くらいしかない。当時流行っていた「あめぞう掲示板」で「日本ではだんご3兄弟が流行っているのか」と知る、といった具合だった。そこで自分でも掲示板を作ってみたら、できたという。

他の掲示板との違いについて、ひろゆきは技術的な説明をした。当時の掲示板は、書き込まれたデータが飛んで消えることが頻繁に起きていた。一般的な作りでは、同時に2人が書き込んだ時の順序を守るため、書き込み時にファイルをロックし、書き込み後に解除する。1秒に1回程度の書き込みならこれで問題ない。しかし1秒間に5回、100人が同時に書き込もうとすると、ロック解除の瞬間に処理が重なり、データが壊れてしまう。きちんとやるならデータベースを使うが、データベースエンジン自体がCPUやメモリを消費する。メモリを使い切ったりCPUが100%を超えたりすると、サーバーは止まる。そこでデータベースを使わず、テキストファイルが壊れない構造を自分で設計した、とひろゆきは説明する。

運営面では、世界中にある無料サーバー(今で言う無料ブログのようなもの)を渡り歩いていた。アクセスが多くなると止められて追い出されるので、次へ移る。それでもデータは消えず、URLは自動で転送される。ユーザーは「ニュース速報」板をクリックしているだけなので、裏側のサーバーが3日ごとに変わっていても気づかない。他の掲示板はアカウントを止められれば終わりだったが、2ちゃんねるは外見上それがわからない状態を維持し続けた。

技術はすべて独学である。プログラミングスクールなどない時代で、ひろゆきは杜甫々さんの「とほほのWWW入門」を挙げた。自分たちの世代のエンジニアの半数以上はあれを見てエンジニアになったのではないか、今のIT業界の基礎を作ったのだから杜甫々さんはもっと評価されていい、と語っている。

初期は、ほぼすべての投稿に返事をしていた。あめぞうでもやっていたことで、人は何かを求めて書き込んでくるし、自分も暇だったからだという。10秒に1回書き込まれるなら、10秒以内に返事を考えて書かないと破綻する。見た瞬間に答えを見つけて早く書く癖は、その頃についたのだろう、とひろゆきは考えている。

収益ゼロでも回る運営と、その後の収入

当時、2ちゃんねるの収益はなかった。ひろゆきはITバブル期の例としてライブドアを挙げる。ライブドアは元々「プロバイダ料金を無料にする代わりに広告を出す」サービスだったが、広告にお金を払う人がおらず破綻した。そのサービス名がテレビCMで知られていたため、オン・ザ・エッヂを経営していた堀江貴文氏が社名をライブドアに変えた、という経緯である。広告で食べていけるようになるのはもっと後だ、とひろゆきは見る。サーバー代は無料サーバーの渡り歩きでゼロ、人件費もゼロなら運営は続けられる、という理屈だった。

就職しなかったのは、学生時代の会社でホームページ制作やシステム納品の仕事が続いていたからだ。クライアントには林野庁もあり、アクセス解析などを請け負っていた。収入はそれほど多くなかったが、元々勉強も働くのも嫌な子供で、実家もあるので困らない。そう考えて、特に何も考えずに働かなかったという。その後、システム納品やコンサル的な仕事をしながら過ごすうちに、2ちゃんねる自体に広告収入が入るようになった。書籍『電車男』が漫画化、テレビドラマ化、映画化された際の収入もあり、裕福に暮らしていたという。

ニコニコ動画については、帰国後にドワンゴと「ニワンゴ」という会社を作ったのが始まりだった。当時はガラケーの時代で、メールで検索できるサービスをやっていたが、鳴かず飛ばずだった。そこへ「動画にコメントを載せるとこんなことができるが、どうか」という話があり、面白いと思って始めた。時期についてひろゆきは「2012年」「2000年」などと言い直したあと、記憶が曖昧で「20年くらい経つのかな」とした。

3日に1回の裁判を「面白かった」と言う理由

2ちゃんねるをめぐる裁判は、2001年頃から始まったとひろゆきは記憶している。当時は3日に1回ほど裁判所に行っていた。現在はプロバイダ責任制限法があり、書き込みの内容を知ってから一定期間内に削除すればサービス側は責任を負わない。しかし当時はそれがなく、運営側が内容を知らなくても損害を負担しなければならない基準だった。ひろゆきはXを例に説明した。ひろゆきがXに誰かを中傷する書き込みをし、その人がXを訴えれば、書いてもいないイーロン・マスクが払うことになる、という状況だったという。そのため、削除を求められれば怯えて削除するのが一般的だった。

ひろゆきは、何を削除すべきかは自分が決めることではないと考えていた。個人情報や明確な殺害予告のように被害が明らかなものは削除する。しかし「太っている」のように不快でも法に触れないもの、基準が曖昧なものは裁判所で決めるべきだと考えた。削除依頼は裁判所へ、として携帯電話の番号も公開していた。電話がかかってくれば「明確な基準ではないので裁判所へどうぞ」と答え、実際に訴状が届いて民事で争う、ということを繰り返していた。

精神的に参らなかったのかと問われると、「面白かったですよ」と答えた。頭のいい弁護士が法律論で名誉毀損や損害を主張し、頭のいい裁判官がいて、反論にもきちんと答えてくれる。弁護士は仕事でやっているのでひろゆきへの怒りも憎しみもなく、淡々とした技術論になる。たとえば、別人のAとBの書き込みが並んでいる場合、それぞれ単体では名誉毀損でなくても、同時に見えれば名誉毀損が生じるのか、といった議論である。ひろゆきが勝つこともあった。日本の法律はこういう基準で決まるのかと、現場で楽しんでいたという。

弁護士はつけず、すべて自分で対応した。仮処分なら負けても削除すればよく、払えないものは払えないと言えば払わなくていいのが日本のルールだ、とひろゆきは言う。ネット上の名誉毀損には判例がそもそもないので、独学以外に方法がない。教科書があるとすれば自分がそれを作る側だった、とも語った。当時ネット上の法律論に最も詳しかったのは、自分とYahoo!の法務部長だった別所氏くらいではないか、というのが本人の見方である。

譲渡と乗っ取り、「運がいい人」の考え方

2ちゃんねるの名義は、ひろゆきからシンガポールのPACKET MONSTER INC.に譲渡された。ニコニコ動画の仕事をするうえで、上場企業だったドワンゴから、2ちゃんねると西村博之を切り離してほしいと言われたのが理由である。シンガポールで会社を作るのがどんな感じか、やってみたかったという面もあった。

その後、2ちゃんねるは乗っ取られて5ちゃんねるになった。ひろゆきの説明では、サーバーを借りていた会社の名義でドメインも登録していた。お名前.comのように、所有者情報を事業者の住所・名前にするサービスと同様の形である。サーバーも元々その会社のものなので、ひろゆきたちが作ったものをそのまま使い続けられ、ドメインも自由に操作できる状態だった。日本で裁判をして勝ったものの、ドメインを戻せという判決は得られず、代わりに1億円ほどの支払いが命じられた。相手のフィリピンの会社は払わず、その後さらに別の会社へ名義が移ったという。現在の5ちゃんねるの運営者はアメリカ人で、ひろゆきとは完全に無関係だとしている。

大切に育てたものを乗っ取られてどう感じたかと聞かれると、「そういうことは起こるんだろうな」という感じだったと答えた。ひろゆきは最近、ある程度年を取って成功した経営者に「運がいいと思うか」と聞くようにしているという。大抵の人は運がいいと答え、成功は実力ではなく運だと考えている。そういう人は運が良すぎるからどこかに落とし穴があるとも思っており、大きな失敗があっても帳尻合わせだと受け止め、あまり驚かない。ひろゆき自身も、真面目に働かずダラダラしているだけで毎年1億円ほど入ってくるのは絶対におかしく、永遠に続くわけがないと思っていた、と語った。

一方、英語圏最大級の掲示板4chanについても説明があった。2ちゃんねるのユーザーが画像掲示板「ふたば☆ちゃんねる」を作り、それを見て面白いと思った当時15歳ほどのアメリカの少年(ひろゆきは「プールさん」と呼ぶ)が4chanを作った。2015年頃、その彼が「一生4chanの管理者で生きていくのは嫌だ、やめたい」と言い出したので、ひろゆきが引き受けた。今年で11年になり、創設者が管理していた期間より自分の管理期間の方が長くなったという。

遊びの延長としての仕事

大企業を作りたいのか、面白いものを作りたいのか、という問いには、その時々に面白いことをやりたいだけだと答えた。今でも家で漫画を読んでゲームをするのが楽しく、たまに「こういうシステムを作ったらどうなるか」と試す。うまくいく場合もあれば、いかない場合もある。仕事は遊びの延長で、お金になる遊びとならない遊びの違いにすぎない、とひろゆきは言う。例として、音楽が好きでやっていたらお金がついてきたエイベックスの松浦氏や、打ち合わせの合間もずっと絵を描いていたという鳥山明氏を挙げた。自分も好きなことをやっていたらお金になった側で、大企業を作りたいというモチベーションはない、としている。

結婚はビザのため、「ビザ集め」ブーム

結婚願望はまったくなかったという。結婚したくないのではなく、結婚自体が「どうでもいい」。どうでもいいから結婚しないが、同様に、結婚してもどうでもいいことに変わりはない。ひろゆきは猫を例にとる。猫がどうでもいい人は自分から飼う理由はないが、家族が連れてきたら「勝手に飼えば」となる。結婚がそれと同じだった。直接のきっかけは、ラトビアのビザを取る際に、恋人の立場では取れず、配偶者の方が取りやすかったことだという。

10年ほど前、ひろゆきの中で「ビザブーム」があった。マレーシアの長期滞在ビザ、アメリカの滞在ビザ、そしてラトビアである。ラトビアには5年滞在すると永住権が取れ、EU圏内ならスペインでもオランダでもフランスでもドイツでも住めるようになる。通常、居住資格の更新には年に半年以上の滞在が必要だが、ラトビアは滞在しなくても更新できる仕組みだった。年に1回申請し、1カ月後に受け取りに行くだけで更新される。ひろゆきはこれを「ログインボーナスみたいなもの」と表現した。ところが5年目に要件を調べると、ラトビア語の試験があった。フランス語なら国外でも使う機会があるが、ラトビア語はラトビア以外では使わず、ラトビア人の多くは英語かロシア語を話せる。そのため諦めたという。

取得したビザは、実際にはあまり使っていない。マレーシアは10年ビザを取った後、1〜2回しか行っていない。条件を満たすとアイテムが手に入るRPGのように、手に入れること自体が目的化していた、と本人は語る。居住系はアメリカ、マレーシア、ラトビア、フランスの4つで、ほかにブラジルやインドの旅行ビザなどもある。

フランス生活と、抜けない「時給1000円」の感覚

海外に関心を持った理由について、ひろゆきは逆に聞き手に問いかけた。たまたま日本に生まれて日本語を話しているが、別の文化圏の方がずっと幸せだったかもしれないと思ったことはないか、という問いである。例えば、アメリカなら高田ふーみんは「デブ」と絶対に言われない。いろいろな国の文化を体験して比べないと、「日本最高」が本当かどうかはわからない。それでいろいろな国を見てみたかったという。

結局わかったのは、どうせ部屋の中にいるだけなら世界中どこでも変わらない、ということだった。フランス、アメリカ、カナダ、ポルトガルなどの候補から恋人に選んでもらったらフランスになり、フランスの部屋にこもって10年ほどになる。住み心地については、ネットが快適なこと、野菜も肉も安くて美味しいことを挙げた。来た当初は映画館の行き放題パスが2人で月5000円ほどで、2本見れば元が取れるため、2日に1回映画館に行く生活を何年か続けていたという。

お金があるのに節約志向が続くのは、高校生の時の時給1000円の感覚が抜けないからだという。1000円を使えば1時間働かなければならない、という自縛がある。大きな買い物としては、45歳頃に人生で初めて車を買った。住まいの駐車場にコンセントがあり、電気自動車なら燃料代がほぼゼロで電車より安いのでは、と気づいたからだ。

YouTube配信と切り抜きの仕組み

配信は元々ニコニコ動画で定期的にやっていた。フランスに来てからは、ニコニコとYouTubeの同時配信を始めた。ひろゆきが役員を務めるガジェット通信は、YouTubeが提供するMCN(YouTuberが所属する事務所のような仕組み)のライセンスを持っている。日本で有名なのはUUUMで、ヒカルやワカテTVもガジェット通信に所属しているという。高田ふーみんは「実はビジネスパートナーだった」と驚いていた。

切り抜きについてひろゆきは、勝手に切り抜いて投稿する人の収益を、ツールを使って元の権利者がすべて取ることができると説明した。この仕組みをUUUM、ひろゆき側、吉本などが持っている。ガジェット通信は収益をいったん回収して元のチャンネルに渡し、そこから切り抜き師に一部を戻す仕組みを提供しているという。

背景には、企画にお金をかけて赤字になるYouTuberへの疑問がある。好きでやっているならいいし、そうしたチャンネルも大好きだと断ったうえで、ひろゆきは、ニコニコではずっと喋るだけの人ばかりで再生数を稼いでいたと指摘する。喋るだけならコストはゼロなので、それを切り抜いてばらまいた方が儲かる、と周囲に言っていた。しかし誰もやらなかったので、自分でやって「ほらね」と見せた。それから真似する人が少しずつ増えた、というのがひろゆきの説明である。なお、1人配信ではシラフだとカメラに向かって2時間喋り続けるのは無理なので、99%酒を飲んでいるという。

収入面では、ガジェット通信の役員(社長は竹中氏)と、中野で服を作っている「メイドインジャパン株式会社」の代表を務める。ただ役員報酬はそれほど取っていない。お金を使わないので、資産を回すだけで足りるという。例として、銀行から勧められているユーロ建て・元本保証で利回り5%の債券を挙げた。1億円あれば年500万円が保証されるので、減らないという計算である。

政治家に厳しい理由と、赤羽で育った感覚

政治家に厳しく当たる理由を問われると、ひろゆきは整合性が取れていないことや嘘が苦手なのだと答えた。整合性が取れていないと思って話を聞き、実は自分の知らない理屈があって筋が通っているとわかると、とても面白い。逆に突き詰めた結果、ただ嘘をついているだけだとわかるとテンションが下がる。綺麗事を言う人が本心から言っているのかを確かめ、本当なら知見が得られるが、出任せなら時間の無駄だった、となるという。

倫理観が普通に保たれているのはなぜか、という問いには、東京都北区赤羽で育ったことを挙げた。周りには生活保護を受ける家庭が多く、障害のある人が通う学校も近かった。成功者ではない人たちの方が身近だったので、そちら側の人を困らせてはいけないという感覚があるという。「最大多数の最大幸福」と言う人は、偏差値60の人なら偏差値60の周りしか見ていない。しかし偏差値40の人も同じくらいいる。そちらを全く見ていないのに「みんなの幸せ」と言うのは整合性の面で気になる、とひろゆきは語る。逆に「貧乏人は死ね」「努力しないなら自己責任」という思想なら、論理的な整合性は取れているのでむしろすっきりする、とも言った。

現在の一日と、ZEN大学に入った理由

収録当日のスケジュールも紹介された。4時5分に起き、ZEN大学のゲームの授業のテストを15分ほどで終えて二度寝。9時11分頃に起き、9時15分頃にメイドインジャパン株式会社で一緒に服を作っている高橋氏から電話を受けた。9時半から収録に入り、話している時点で10時45分。この後は特に予定がなく、Netflixのドラマの続きを見るつもりだという。

ZEN大学に入った理由について、ひろゆきは次のように説明する。10年もすれば「日本で一番多い高校生はN高生」という認識が社会に広がり、オンラインの高校を出た人が当たり前になる。ZENも同じ構造で人数が増え続けると思う。コロナ禍で大学生活自体がオンラインだった新卒世代も多い。そのため、オンライン大学を体験した世代としていない世代の間に大きな壁ができるだろう、とひろゆきは考えている。学ぶことで何かを得るためではない。学校に行っていない人が学園ドラマを見ても面白くないように、世の中の人が体験していることを知っているかどうかで物事の面白さが変わる、という理由である。専攻については、ここでも「単位が取りやすいもの」を取っていると答えた。

今後の展望は「面倒になったら逃げる」

今後の展望を聞かれると、ダラダラ暮らすのが続くだけだと答えた。そのうえで、自分がどうするかより、社会の変化によって生き方が変わる割合の方が大きいと語った。ひろゆきは、日本は円安で、来年あたりにはGDPでインドに抜かれて5位に下がるだろうと述べた。1人当たりの収入も下がり続けており、今の27位から30位くらいになると言われている、とも付け加えた。日本にいる人は、自分の努力より日本がどちらに向かうかに影響される割合の方が大きい、とひろゆきは見る。自分はそれに影響されたくないので、フランスがだめならスペインでもアメリカでもオーストラリアでも行ける状況を作ってきた。展望というより、面倒になったら逃げる、というのが本人の答えだった。

お金への欲が薄く見える理由として、ひろゆきは「人間が使えるお金はどうやら月2000万円らしい」と話した。大富豪の仕事をしている人を何人か見た結果だという。1人10万円を超える店は料理ではなくなるし、200万円のワインも毎日は飲めない。キャバクラで大騒ぎするのも毎日では疲れる。毎日100万円使えば月3000万円だが、人間はそれほど使えない。これ以上稼いでもやれることは同じ範囲だとわかっているので、お金を稼いでやりたいことがあまりないという。それよりは、ちょこちょこ嫌がらせをして嫌われてニヤニヤしている方が面白いそうだ。

ひろゆきが大事にしているのは、面白いことに飛びつける自由である。「チャンスの女神には後ろ髪がない」という言葉を引き、1日4時間を1カ月続ければ面白いものやビジネスになる話があっても、会社員には時間がなくて手放すしかない、と説明した。自分は時間が余っているので、ZEN大学の授業に1日2時間かかっても乗っかれる。体験したことのないものに乗れる自由が大事だ、というのがひろゆきの考えである。

若い視聴者へ:「他の人と違うこと」を

最後に、20〜30代の若者や学生が多い視聴者に向けて、ひろゆきは「他の人と違うことをやった方が人生が楽になる確率は上がる」と語った。代替可能な人は代わりを立てられてしまい、代替可能な人が多い領域はAIにひっくり返される。他の人にない特殊な何かを持っている方が重宝されやすい、という理屈である。

ひろゆき自身の例として、ビジネスがわかる人の中で映画・漫画・ゲームに費やした時間のランキングを作れば、自分は間違いなくトップ10に入ると述べた。ビジネスとは人に知ってもらって商品を売ることなので、こういう訴求なら笑いが取れる、このゲームやプロモーションはここで失敗した、といった話を混ぜて話せる人は少ない。だから重宝されがちなのだという。高田ふーみんが「学歴を突き詰めるという遊びを極めます」と応じると、ひろゆきは、学歴の話題で名前を挙げろと言われれば間違いなくトップ3に入るのだから、モブにならずに済むのではないか、と返して収録を締めくくった。