18世紀初頭の鹿児島方言は、なぜロシアの資料から復元できるのか:漂流民ゴンザの辞書
ゆる言語学ラジオ昔の日本語の発音は、録音がない以上ふつうは直接たどれない。それなのに、18世紀初頭の鹿児島方言だけは発音やアクセントがかなりの精度で復元されている。隣の熊本などの当時の言葉はほとんど分からないにもかかわらず、である。しかもその手がかりとなる資料は日本国内には一切なく、ロシアに残っている。ゆる言語学ラジオの水野太貴は、この不思議な状況が生まれた経緯を、18世紀の漂流事件とそこで生き残った少年ゴンザの足跡から解き明かしていく。聞き手は堀元見である。
歴史言語学を阻む「資料の壁」
水野によれば、昔の日本語を調べるときの最大の障害は資料の不足である。堀元は、平安時代にはすでに多くの日記が書かれていたのだから資料は足りているのではないかと問う。これに対して水野は、書き手が京都周辺に偏っていると指摘する。近畿地方の資料は集中して残っているが、九州や東北の当時の言葉についてはほとんど資料がない。文字を書けたのが主に貴族階級だったことも、この偏りにつながっていると二人は話す。
さらに水野は、語彙や文法はまだ扱いやすいほうだと言う。日記などには単語がそのまま文字で残っているからである。一方、その単語をどう発音したかは文字に残らず、観察もできない。そのため音の歴史を研究しようとすると、資料の壁はいっそう高くなる。
発音を記録するのは母語話者ではなく外国人
では、録音のない時代の発音をどうやって知るのか。水野の答えは、発音やアクセントについて書かれた資料を読むというものだ。答えとしては当たり前に聞こえるが、そうした資料が残ること自体がまれだという。
奈良時代の例として、水野は万葉仮名を挙げる。日本語の音に漢字を一字ずつ当てて書いた資料である。当時の漢字音は中国語の音韻研究によってある程度復元されているので、漢字と日本語の音を対応させれば、当時の日本語の発音が間接的に分かる。
なぜこんな回りくどい方法をとるのか。水野は、当時の人々が発音やアクセントを分かりやすく書き残そうとは考えなかったからだと説明する。現代人も日記に「この単語はこう発音する」「アクセントは頭高だ」とは書かない。日本語の母語話者は、そうした資料をあまり残さないのである。
室町時代については、キリスト教の布教に来たポルトガルやスペインの宣教師が、日本語を学ぶために資料を書いている。水野はこれをキリシタン資料と呼び、そのおかげで当時の発音がかなり分かると紹介する。
発音の違いは母語でない言語のほうが気づきやすい、というのが水野の考えである。例として英語の「pen」の語頭の p は息が強く漏れるが、「spin」のような語中の p はそれほど漏れない。英語を学ぶ側ならこうした違いに気づいてメモするが、母語話者はピンとこない。水野自身も中学1年のとき、「apple」の最初の音は「ア」と「エ」の間だと教わり、発音は言語ごとに違うのだと初めて実感したという。宣教師の来日のような偶然で、外国人が話者向けの資料を残すことが歴史上ときどきあった。現代の研究者は、そうしたたまたま残った資料を使って復元を試みている。
近い時代ほど分かるわけではない
水野が日本語の音声史を研究する先生から聞いて面白いと感じたのは、現代に近い時代ほど音が正確に再現できるわけではない、という話だった。奈良時代はかなりの精度で分かるのに、その次の平安時代は資料が乏しすぎて、その先生は「暗黒時代」と呼んでいたという。貴族が日記などの文字資料を大量に残しているにもかかわらず、発音について書いた人がいないため、平安時代の発音は本当に分からないのだそうだ。
江戸時代になると、「今どきの連中はこう発音しているが正しくない」と書いた資料があり、そこから部分的に分かることもあると水野は補足する。水野のイメージでは、書き手はとにかく口うるさいおじさんのような人物である。堀元は、発音にうるさい人が各時代にいてくれればよかったのだと応じた。
1728年、大阪行きの船がカムチャツカへ
ここまで挙げた万葉仮名やキリシタン資料は、どれも国内の資料である。一方、鹿児島方言の資料は国内にない。堀元は、九州に入っていた宣教師の資料が国外へ持ち帰られたのではないかと推測したが、水野はそれを否定し、もっと意外な歴史の偶然だと答える。
鍵となるのは、江戸時代の薩摩の海運である。薩摩からは大阪に向けて頻繁に船が出ていた。水野によると、1728年11月ごろ、17人が乗った大阪行きの船が暴風に8日間苦しめられ、太平洋へ押し出されて方角が分からなくなった。その後、半年間どこにも着けずに漂流を続けた。備えが比較的あったため生き延びたが、船はそのまま北上し、ロシア東端のカムチャツカ半島に流れ着いた。
上陸した一行は喜んだが、彼らを発見したシュティニコフという人物が、兵士たちに日本人を殺すよう命じた。水野は、なぜそうしたのかは分からないとしている。日本人が恭順や礼儀を示すために差し出した刀で切りつけられたり、弓で射られたりして、ほとんどが殺された。
生き残ったのは2人だけだった。11歳のゴンザと、36歳のソウザである。ゴンザは日本側の資料にほとんど名前が残っておらず、ロシア側で音として記録されているだけなので、どの漢字を書いたのかは分からないはずだと水野は話す。後の場面で辞典を見ながら姓がないことが話題になり、江戸時代の庶民は苗字を名乗っていなかったからだろう、という結論に二人はたどり着いた。
女帝アンナの思惑
日本人の殺害を命じたシュティニコフは、その後、当時の女帝アンナ・ヨアノヴナの命により処刑されている。水野によれば、アンナは漂着した日本人を保護するよう命じていた。しかしカムチャツカは帝国の辺境で、その指令が伝わっていなかった。
アンナが保護を命じたのは、人道的な理由からではなかった。当時のロシアは日本と通商を結びたかったが、日本は鎖国しており、そもそも日本語も分からない。そこで漂流してきた日本人から日本語を学ぶことに利点を見いだしていた、と水野は説明する。堀元は「いいやつだと思ったのに」と驚いたが、水野は、ロシア側が2人を解放し、首都ペテルブルクに送ってロシア語を教え、のちに日本語学校の教師を任せるなど、きちんと扱ったことも付け加えた。
ゴンザは薩摩の人間だったので、彼が書いた日本語の辞書や入門書は、そのまま当時の薩摩方言を写した資料になった。堀元が言うように、もし漂着したのが仙台の人なら、仙台の方言が残っていたことになる。水野は、津軽など他の地域の漂流民にも似た話があったと記憶しているが、大量に読んだため具体的な情報は忘れてしまったと断っている。
ロシア語を習得したゴンザと、覚えられなかったソウザ
11歳だったゴンザはロシア語の読み書きを習得した。一方、25歳年上のソウザはロシア語ができるようにならなかった。そのため資料を残した人物として記録に名が出るのはゴンザで、ソウザの名前は出てこない。
それでも水野は、ソウザが何の役にも立たなかったとは考えていない。ゴンザが資料を作ったのはソウザが亡くなった後だったという。日本語を話せる人が1人しかいなければ、その人はやがて日本語を話さなくなる。ソウザはそばにいることで、ゴンザが日本語を忘れないようにするうえで欠かせない役割を果たしたのではないか、というのが水野の見方である。堀元は、この2人の関係を絵本のようだと評した。
ロシア初の日本語学校と6冊の本
水野によると、1736年4月に日本語学校ができ、ゴンザはそこで教えた。これが記録に残るロシア最初の日本語学校とされている。ゴンザはここの生徒向けに6冊の本を書いた。「日本語会話入門」や「簡略日本文法」といったタイトルのものである。
ゴンザは1人で書いたわけではなく、ボグダーノフというロシア人が協力していた。ロシア人が日本語の文法や単語を理解できるようにする必要があったため、共同で作ったらしいと水野は説明する。
キリル文字だから残せた「母音の無声化」
資料の価値を高めているのは、使われた文字だと水野は言う。日本語の仮名は、子音と母音のペアを1文字で表す音節文字である。「か」は k と a から成るが、まとめて1文字で書く。一方、キリル文字は子音と母音を別々に書けるので、日本語の文字よりも細かく音を写し取れる。子音だけを発音しているような音は仮名では書き残せないが、キリル文字なら残せる。
その具体例が母音の無声化である。「たくさん」の「く」を言ってみると、声帯が振動していない人が多いはずだと水野は言う。「ありがとうございます」の最後の「す」も無声化している。無声化させずに言うと「ありがとうございますう」のようになる。無声化には地域差があり、関西は関東に比べて少ない。大阪などの話者が「〜です」「〜ます」の「す」をはっきり言うのはそのためだという。
ゴンザの資料には、無声化している母音にそれを示す印がついている。日本人の日記には「このクは無声化しています」とわざわざ書かれることはない。水野は、母語話者はそもそも母音の無声化に普通は気づかないと言う。ゴンザが気づいていたかは分からないが、ボグダーノフのような非母語話者なら、「たくさん」の「く」と他の「く」は違うと感じるはずだ。そこをきちんと書き取っている点で、非常に貴重な資料だというのが水野の評価である。
資料そのものを疑うところから始まる研究
ゴンザが関わった一連の資料は「ゴンザ資料」と呼ばれる。ただし、どのように作られたのかには諸説がある。ボグダーノフと一緒に作ったことまでは分かっているが、どこまでがボグダーノフの仕事でどこまでがゴンザの仕事なのかは分からない。そこで国語学の研究者は、筆跡を見比べて同一人物のものを特定し、4人ほどの筆跡があるといった分析をしているという。
水野は今回のリサーチで、文献学や国語学の研究が、目の前の資料がどの程度信用できるのかを確かめるところから始まっていることに気づいたと話す。いい加減な資料を信頼すれば、その後の研究がすべて崩れる。ゴンザ資料についても、どこまで資料に依拠して論を進められるかは研究者によってかなり差がある。それでも貴重な資料であることは変わらず、研究は今も続いている。
『新スラブ・日本語辞典』をめくる
水野は、現代に刊行された『新スラブ・日本語辞典』(ゴンザ編、ボグダーノフ指導)を持参した。左にロシア語の単語とその意味、右にゴンザがそれを日本語で何と言ったか、さらに現代日本語での訳が並ぶ。原資料はキリル文字だが、この本ではゴンザ資料の研究者である村山七郎が、キリル文字の読みを仮名にしている。
堀元が目を留めたのは、「上手じゃねえ」が一語の見出しのように載っていることだった。水野によると、ゴンザはボグダーノフに「これは何と言うのか」と聞かれ、ぴったりの単語が浮かばないときには文で説明的に答えることもあった。これはゴンザの頭の良さを示す部分でもある、と水野は言う。日本語の中から当てはまる表現を選び出していたからだ。
堀元は即興で「ゴンザクイズ」を出した。「冗談を言わない」という意味のロシア語を、ゴンザは何と訳したか。水野は「真面目」「正直」と答えたが外れた。正解は、ふざけることや冗談を意味する語に否定をつけた形だった。辞典の注記によれば、元の語は熊本県や鹿児島県で使われる言葉だという。ゴンザは京都などの言葉を知らなかったので、地元の言葉で答えた。だからこそこの資料は鹿児島方言の資料になる。この語が今も使われているかを堀元が会場の九州の観客に尋ねたが、知っている人はいなかった。現在は残っていない言葉かもしれないと二人は話している。
ほかにも、ハ行の音が当時はまだ「ファ」に近かったこと、「テ」「デ」が「チェ」「ジェ」に変わっていること、一部の環境でラ行がタ行に変わることなどが、辞典から観察できると水野は紹介した。
21歳で亡くなったゴンザと、日本への「逆輸入」
ゴンザは3年半で6冊の資料を作り、21歳で亡くなった。死因は分からない。ここまでの話は基本的にロシア側の資料によるもので、日本側にはゴンザという青年についての資料がほとんどないと水野は言う。
ゴンザの研究は19世紀初頭に一度行われたが、その後途絶えた。再び光が当たったのは、辞典を刊行した言語学者の村山七郎が、モスクワの学会でソ連の言語学者からゴンザの辞典の話を聞いたときである。それまで村山は知らなかった。これをきっかけに村山は自ら研究を始め、日本でも広めていった。
村山は鹿児島などでも講演を行った。講演を聞いて感動した一人、吉村道一さん(字幕に基づく表記)は、ゴンザの著作を日本に返してほしいと、専門家の手を借りてロシア語で手紙を書き、クレムリンに毎月送り続けた。それが8年間続き、8年目にようやく返事が来て、マイクロフィルムが送られてきたという。水野は、自分の郷土にこんなにすごい日本人がいたという思いが大きかったのではないかと推し量っている。
その後、有志がゴンザファンクラブを立ち上げた。ゴンザの出身地は鹿児島のどこかということまでは分かっているが、どの町かについては諸説ある。辞典に載っている語形がどの地域で使われ、どこで使われないかは、地元の人が協力すれば調べを進められそうだ。そうした活動をする市民が現れ、水野が読んだ本によれば、一時は会員が300人を超えたという。
アクセント記号が示す鹿児島方言の古さ
資料の一部にはアクセント記号もついている。これをもとに当時の鹿児島方言のアクセントを復元する研究もあると水野は紹介する。鹿児島のアクセントは、大きく分類すると東京式のアクセントとはかなり違うところに位置づけられる。ゴンザの資料からは、18世紀初頭の時点ですでにかなり違うものだったことが分かっているという。本来なら分からない歴史的経緯が、アクセントを書き残すという「超ファインプレー」のおかげで分かった、と水野はまとめた。
ソリマン・アガのコーヒーとの類似
話を聞いた堀元は、オスマン帝国の使節ソリマン・アガを思い出したという。堀元の説明では、彼はオスマン帝国とフランスの友好を図る外交戦略のため、ルイ14世の治世のフランスに派遣された。しかしオスマン帝国のほうが大国だったため高圧的な態度で臨み、ひどく嫌われて早々に帰国させられた。ところが彼はアラビアンナイトのような豪華なトルコ風の邸宅に住み、うまいコーヒーを飲んでいた。それを見た近所の人々が憧れ、それまで田舎者の飲み物だと思っていたコーヒーを真似して飲むようになった。結果として、外交の目的とは関係のないコーヒー文化を広めて帰ったことになる。
ロシアに行く気すらなかったゴンザが偶然流れ着き、薩摩方言の資料が生まれたのも同じような歴史の偶然だと堀元は言う。水野は、当時の評価とは別に、何百年もたってから引いて見ると大きな功績だったという点で共通しており、本人たちも後世にこう評価されるとは思っていなかっただろうと応じた。
知られていない漂流民の資料と、方言で話すことの意味
水野は今回の調べものを通じて、もう一つ考えたことがあるという。ゴンザ資料は村山七郎が広めたことで日本でも研究が進んだが、他にも漂流民が現地で資料を残している例が、知られないまま眠っている可能性は十分ある。そうであれば、自分たちの地元の方言や中央語の昔の姿が、高い精度で復元できる可能性も皆無ではない。
堀元は、自分たちが撮っているYouTubeも500年後には良い資料になっているかもしれないと言い、水野も同意した。水野はさまざまな場所で、自分の母方言でポッドキャストを録ってほしいと呼びかけている。方言の音声資料はかなり少なく、日本の研究者は危機意識を持っているが、人手が足りない。方言を調査する言語学者を大幅に増やすのも難しい。そこで普通の雑談を方言で話して記録しておけば、後世の人に役立つ。水野は、父親が名古屋方言でポッドキャストを録っていてくれたら、父親が亡くなった後に聞き返して名古屋方言はこうだったと思い出せるだろう、という例を挙げた。
一方で、方言を消す人の話も出た。堀元の本の担当編集者は青森出身だが、地元にいた頃から方言を消しており、標準語が得意な人としてクラスで目立っていたという。前日に会ったYouTubeチャンネル「ゆっくり解説」の制作者は関西出身だが、話していても京阪式のアクセントが出ない。水野が理由を聞くと、塾講師をしていたとき、自分の話が面白くてウケているのか方言でウケているのか区別できなかったので、東京アクセントで話せるようにしたと答えたそうだ。
水野にも似た経験がある。大学生のころ教えていた授業で、ノートに日付を書かせようと「9月25日」と名古屋のアクセントで言ったところ、生徒に言い直されて笑いが起きた。水野は、練り上げた授業の美しさで生徒をひれ伏させたかったのにそれができず、ノイズになったのが悔しくて、アクセントを直したという。
水野は、これらの例は方言に劣等感を持っているという意味ではないと断ったうえで、みんなが自分の母方言で話せるようになればいいし、それは後世の人にとっても意味のあるものになると話す。九州で開かれたこの公演の最後に、方言の強い九州の人たちに向けて、直さずにむしろ強化していってほしいと呼びかけて締めくくった。
ゆる言語学ラジオ。昔の日本語を調べようと思って、その全体像を明らかにしようとした時に、1番のハードルって何だと思います? まあだから、あんまり文字がない時代とかはどんな言葉だったかわかんないなとかじゃないですか? はい。だから奈良時代以前とかってことですよね。あ、それはそうですね。それ以外にも、調べようと思ったらさ、資料がないとどうにもならないっていう問題ありますよね。当たり前ですね。堀元さんの感覚的に、資料って十分あるような気しますか?
でもさ、言うて平安時代とかにはすでにさ、めちゃくちゃみんながいろんな何とか日記とか書いてたわけじゃない。そう考えると資料足りてんじゃない? はい。それね、エリアとかめっちゃ偏っちゃってるから。あ、そうか。京都とかでばっかりみんな書いてんだ。そうなんですよ。なので資料の壁ってのがやっぱとにかくでかいんですよね、歴史を見ようと思った時に。で、しかも語彙とか文法ってのはまだマシで、それなんでかって言うと、さっきの日記とかね、単語そのまま残ってるじゃないですか。文字で書いてくれてるから。
でもそれをどう読んだのか、どういう風に発音したのかとかって。発音の記録って文字には残らないのか。残らないですよね。観察できないですよね。なるほど。だから音韻の歴史とかをやろうと思うと、資料の壁めっちゃでかいんですよね。
ああ、でもあれじゃない。やっぱ鎌倉時代にはさ、多分鎌倉時代のヒカキンみたいなやつがいたわけじゃん。ね。そのカマキンみたいなやつがいて、カマキンがYouTubeにちゃんと喋ってる動画が残ってるわけだから、それを音の記録として使えばいいわけですね。うん、そうですね。完璧な推理なんですけど、1つの欠点としてはカマキンがいない。あ、カマキンいないんですか? ええ、残念。YouTubeってね、21世紀とかだ。割と最近できたのか。割と最近なんですよね。なので、それがいないから音の資料ってのは本当に残っていないと。
で、しかもさっき言ったように、分かってても近畿地方の資料が集中してるんで、全然他のエリア、例えば今会場の九州とか、それから東北とかの言葉って全然資料がないと。そうか。あ、確かに文字書ける人ってね、当時は多分貴族階級みたいな賢い人だったでしょうね。
うん、そうですね。ところが、18世紀初頭の鹿児島方言ってめちゃくちゃ精度高く音とかが復元されてるんですよ。え、鹿児島ピンポイント? 鹿児島ピンポイントっす。え、そんなわけなくない? だから隣り合ってる熊本とか、その辺とかは全然わからん。はい。え、そんなことある? でもその鹿児島だけやたらとある程度の精度で復元できてるっていう不思議な現象が起きて。
だからあれだ、江戸時代の鹿児島のご当地YouTuberカゴキンがいたから、カゴキンのおかげで復元できるわけですね。もうね、今日カゴキン出てこないです。すでに出てこないです。YouTuberの話もやめた方がいいですか? YouTube関係ないんで。18世紀の話してるんで。カゴキン関係ないんだ。関係ないですね。なおかつ、その資料は日本国内には存在しないんですよ。
はえ、日本国内に資料ないの? そう。鹿児島方言、18世紀初頭のが復元できてるんだけど、その資料っていうのは日本の中には一切存在していない。絶対に鹿児島にあるだろう。鹿児島の言葉の資料なんだ。ないです。鹿児島には。そんなことあります? そう、あるんですよ。
で、この異常な状況、どうしてこのようになったのかって謎解きを今回したいと思います。気になりますね。ちょっとじゃあ、謎解きに入る前に、その発音とかアクセントって、さっき言ったように化石みたいな感じで残ってないわけですよね。じゃあどうやって復元できてるんだと思います? うん。だから無理ですもんね。その動画とか音声の記録がないのに何とか残すってことでしょ。そんなことできるか?
これね、結論すごい斬新で意外な回答なんですけど、発音とかアクセントについて書いた資料を見る。これですね。いやいや、そのままじゃん。なんと。めっちゃそのままじゃん。意外性ある答えもっと出してくださいよ。何?何? そう、ゴ……。あのね、カゴキンもう出てこなくていいんすよ。もうクビにしたんすよ、そいつ。
ごめん。俺1回冒頭で出しちゃったボケが気に入りすぎちゃって、もう何聞かれても……。YouTuberカゴキンはBANされました。もう出てこないです。え、俺カゴキンファンだったのに。あの、どんな動画が好きなんですか?カゴキンの。やっぱりね、あれですよ。サツマイモ100万個食べてみた。すまんねえ。あ、でも面白いかも。100万個の桁なら。そうね。AIが考えたカゴキンみたいな感じ。最近ありますよね、考え量多いみたいなやつありますけどね。はい。食べ物を粗末にするやつとか、AIにやらせれば炎上しないから。炎上系のドッキリとかAIにやらせてます。この話終わりません。うん、あの、いや、お前がし出した。俺したくない、別に。
あ、でも全然わかんないけど、結局発音みたいなこと。はい、そうですね。例えば奈良時代とかだと万葉仮名ってわかります? はいはいはい。あれ、漢字を仮名にしていくやつみたいな。そうそうそう。日本語の音を漢字1文字1文字にこう当てていって、あの、「いろはにほへと」の「い」が何とか以上とか何とか以下の「以」にしてみたいに、こう書く。そうか。漢字に音を当ててるのが万葉仮名か。そうですね。
その日本語の音と対応する漢字を使って、こう文章とかを文字化していた万葉仮名っていう資料があるんですけど。習ったことあるね。当時のその漢字の音ってのもある程度復元できてるんですよ、中国の漢字学みたいなので。だからその漢字の音を対応付ければ、当時の日本語はどのように発音されたかってのも間接的に分かるんですよね。えっと、だから日本語の音は定かでないんだけど、中国のこの漢字に音を当ててるってことは、その漢字と読み方が多分近くて、その漢字の読み方は分かってるから、間接的に日本語の音も分かる。はあ、結構回りくどいことしないとわかんないですね。
そうなんですよ。なんでこんな回りくどいことするかって言うと、当時の人たちって「よし、分かった。発音とかアクセントを分かりやすく書き起こしておこう」なんて思わないんですよね、誰も。皆さんも多分日記で、このような単語はこのように発音するとか、この時に口内のここに妨げを作ってこういう風に発音してとか記録しないし、アクセントは頭高でとか書かないわけじゃないですか。だから同じように、日本語話者はそのような資料あんまり残さないんですよ。
他にも室町時代とかだと、ポルトガルとかスペインの宣教師がキリスト教を布教するために日本に来て、その時に日本語できないと困るから日本語の資料を彼らが書いてるんですよね。キリシタン資料とか言うんですけど。で、このキリシタン資料のおかげで当時の発音が結構分かるとか。なるほど。あ、外国人が記録するもんなんだ。あ、そうです。はあ。
だってそうでしょう。英語を勉強するってなった時に、例えば「pen」とかいう、あのPの音をすごいこう息が漏れる風にすると英語っぽく聞こえるなとか思ったとしたら、何かそうやって面白い発見だからメモするじゃないですか。でも例えば「spin」みたいな語中のPって、語頭のPほど空気が漏れないんですよね。何かそういう事実とかって、語学を習得していくと「あ、ここ違うな」みたいに思うけど、逆に母語話者は全然それピンとこないみたいなことあるわけで。てか僕、中1の時それ思ったことあって、その「Apple」のあの音は「ア」と「エ」の間の音だよっていうことって、間ってあるんだと思って。「ア」か「エ」かどっちかだろうと僕は思ってたから、その中間の音ってあるんだなとか思って、そこで初めて、そうか、発音ってそれぞれ言語によって違うんだなみたいなこと思ったんですよね。
そうですね。「イ」と「エ」の間もありますしね。ああ、そうか。何だ、あの、「bit」とかの「イ」と「エ」の間の発音記号ですよね。「ベッ」みたいな。だからそれって、自分の母語じゃない言語の方がやっぱ気づきやすいし、そういう人たちがその母語話者たちが分かるような資料を残すっていうムーブが、ちょいちょい歴史で偶然あった。その宣教師が日本に来るとか、そういう事情であって、現代の言語学者とか国語学者とか日本語学者は、そういうたまたまある資料を使って何とか復元を試みてる。
うん、面白いね、これ。直感と逆ですよね。日本語の発音を示す資料は日本人が作るんじゃなくて、外国の人が作るもんなんだよね。うん、そうなんですよ。だから日本語の音の歴史を研究してる先生に聞いた時に面白いなと思ったのは、現代から近い時代ほど音が正確に再現できてるかっていうと、そうではないって言っていて。意外と昔の方が資料残ってる時期があったりするんだ。そうですね。だから奈良時代とかはだいぶ精度高く出せるんだけど、その次の平安とかになると、その先生は資料がなさすぎて「暗黒時代」って呼んでました。
はあ。でもそういうことあるでしょうね。ただ面白いのは、日記とかいっぱいあるんですよ。だから貴族がいろんな文字テキストの資料を残してるんだけど、誰も発音について書いてくれてなくて、部分的にしかその資料がないせいで、平安がマジでわかんないって。なるほど、暗黒時代ですね。ということを言っていたので。
ああ。ちなみにさ、僕の友達で佐藤タリアっていうちょっと変わった人間がいるんですけど。はい、紹介の仕方合ってますね。いや、あいつがさ、幼少期に声ちっちゃくて、みんなにちゃんと聞き取ってもらえない時期あったらしいのよ。で、その時期に、ちょっとでもちゃんと聞こえるように声響かせた方がいいなって彼なりに思った結果、全部の音を口を広く使って発音してたらしくて。だから「あ」って言えばいいところを、「あ」みたいな大きな口で発音してたらしいんですよ。
ちょっとごめんなさい、全然わかんないな。何? そしたら、全ての音の発音が曖昧になって、全然聞き取ってもらえなくなったらしくて。だから佐藤タリアに必要だったのは、多分キリシタン資料みたいな、それどのような口の形で発音しますかみたいな資料があればよかったってこと。違い声で喋ればいいんだよ。全然関係ないすね。あ、そうか、そうか。母語の発音ってだから意識することないんだなって僕は思ってたんですけど、佐藤タリアだけ例外だったかもしれない。そうですね。あの、何か例えとしてはいい流れで出してくれたんですけど、ちょっとエキセントリックすぎて、その人に注目しちゃいます。そいつが変すぎた。だから佐藤タリアが仮に平安時代にいたとしたら、模範的な発音はこれなんだって自分なりの研究資料があったかもしれなくて、暗黒時代じゃなかったかもしれないから。
あ、でもね、そのケースもあって、江戸時代とかになると、今時のやつはこういう風に発音してるけど正しくないみたいな資料があったりして、そのおかげで部分的に分かることとかもあるんですよね。あ、だからやっぱそうですよね。必要なのは、その時代の発音にうるさいやつ、佐藤タリアみたいなやつが各時代にいっぱいいれば良かったわけですね。まあそうかもしんない。その江戸時代の資料も、イメージですけど、もうとにかく何か口うるさくてややこしそうなおじさんみたいな感じの人が著者なんですよね。だからそういうような人がたまたまいたりすれば、発音が後世の人にも伝わる可能性があると。そう。話の流れ上、佐藤タリアが口うるさいおじさんっていうことになってしまいましたが。はい。もうそれで行きましょう。まああいつは口うるさいおじさんでしょう。いいでしょ、それで。
はい。で、ただ、ここまで挙げたキリシタン資料といい、万葉仮名の資料といい、国内の資料なんですよね。うん、そうだね。でも鹿児島の場合は、国内には資料は存在しないと。じゃあどうやって……。どこにあるんだ? はい。あの、復元できたのかっていうことをこの後喋っていきたいんですけど、ちなみに堀元さん、カゴキン以外の仮説ありますか?
はいはい。えっと、だから鹿児島じゃなくて当時は薩摩だからさ、サツキンがいたんでしょうね。薩摩藩YouTuberサツキンがいた。これはエレガントか。離れてください、カゴキンから。ここまで愚かな人っているんだね。
じゃあ、ごめんごめん。マジレスしますわ。マジレスすると、だからあれでしょ?外国人が残すわけでしょ、いろんな。やっぱ宣教師なんじゃないの? ああ、なるほど。天草四郎の一揆って九州ですよね。はい、そうですね。熊本ですかね。隔力の人がね、その一揆を起こすみたいなやつあったりしましたけど、で、結構九州にも多分入ってきてるわけじゃん、宣教師が。だからそういう人たちが残した資料があったんじゃない? はい。ああ、違いますね。違うんか。それあったとしたら国内に残るでしょ、多分。まあ持って帰らんか。あ、まあ持って帰るケースあるかもしれないけど。持って帰った可能性あんじゃない? もっとね、意外なね、歴史の偶然でこのような資料が残っていて。
ちょっと想像つかないですね。当時の鹿児島、18世紀ぐらいの鹿児島とか薩摩藩って……。サツキン。薩摩藩であったことは合ってるんだから、てことはその先のサツキンも合っていた。あとね、もっと言うと、大隅っていうエリアもあるから、鹿児島イコール薩摩じゃないじゃないのか。ごめんなさい、ごめんなさい。マジョリティによる暴力が今出てしまいました。あの、そんな話してないんですよ、僕。別にサツキンやめろって言ってるだけなんで。
江戸時代の鹿児島っていうと、海運、海で運ぶと書いて海運、海運技術が結構キーで。うん、まあ港があるからね。そうですね。で、頻繁に大阪に向かって船を出したりとかをしていたんですよね。で、この船がですね、漂流して、大嵐に遭って、流れ着いた先がロシアだったんですよ。何か全然今んとこ繋がってこなさそうですけど。
ええ。1728年の11月頃に、大阪行きの船に17人乗ってたらしいんですけど、それが暴風に8日間苦しめられて、太平洋に押し出されちゃって、方向感覚が分からなくなって漂流すると。で、その結果、半年間海の上でずっとどこにも着けない状態が続いて。死にそうですね。はい。ただまあ、備えが結構あったみたいだったので、そのまま北上していって、カムチャツカに漂流しちゃったんです。あ、出た。カムチャツカ半島ですね。カムチャツカ半島、ロシアの一番東の方のこう、ニョキっと出てるあそこに着いたんですね。
で、日本人はカムチャツカに着いて「やった」って言って喜んでたんだけども、その日本人を発見したシュティンニコフっていう人が、まあ名前覚えなくていいんですけど、兵士たちにその日本人を殺すように命令をしたと。かわいそう。これがちょっと、なんでそのようにしたのか分からないんですけれども、日本人が恭順の礼儀を示すために差し上げた刀とかで切り付けられたりだとか。皮肉だね。そう。弓で射られたりだとかして。ひど。ほとんどの人は殺されてしまったんですよ。
で、ただ2人だけ生き残って、それがちょっとこの後のキーマンになるんですけど、ゴンザという11歳の若者。日本人だよね。日本人です。ゴンザっていう名前? はい。薩摩から漂流していたので、日本人、薩摩の人が乗っていて、そのうちの1人がそのゴンザだった。漢字があるんですか?ゴンザ。ゴンザって日本の資料にほとんど名前が残ってないんで、どの字だったかは確かわかんなかったはず。へえ。ゴンザって音で向こうで写されてるので。なるほど。じゃあ知られてるのはカタカナ表記ですか? そうですね。
で、あとはもう1人、ソウザっていう……。絵本すごいな。ぐりとぐらみたいな。ぐりとぐらみたい。ゴンザとソウザ。そう。主人公2人、いいっすね。対になる名前だ。ソウザは36歳だったんで、ゴンザの25個上。あれ、何か絵本っぽくない? うん。なんですけど、まあ2人がね、師弟みたいなね、何か睦まじくなる可能性ありますから。
はい。何かなぜか理由も分からないんだけど、このゴンザとソウザだけその場で生き残ったと。だから殺されなかったってことですね。そうですね。で、実はこの、先ほど日本人を殺すよう命令したシュティンニコフは、この後ロシアの女帝、当時のアンナ・ヨアノヴナっていう女帝に怒られて処刑されてるんですよ。うん。だからそいつを救っちゃったから? 日本人……いや。殺したからか。
あのね、当時の女帝アンナは、漂着した日本人は保護しろって言う。いいやつじゃん、女帝。そう。ただカムチャツカってすごい辺境というかさ、端っこでしょ。そう。だからそれが伝わってなかったんですよね、ちゃんと。あ、指令がね、伝わるまで時間かかりますからね、昔はね。そうなので、お前何してんだっていうことで処刑された。でもそれはそれでかわいそうですけどね。社内の連絡も遅いわけでしょ。何?社内? 社内。ロシア帝国という社内で、その当時Slackとかがないから連絡が遅いわけですよね。郵便来てなかったのを間違えて殺しちゃって、それで処刑されたわけ。かわいそすぎない? うん。まあとはいえね、日本人ほぼ殺しちゃってるわけで。うん。まあ残虐、やってることはまずいことではあるので、どっちが悪いって言われると難しくて。
なんでその女帝アンナは漂流した日本人を保護しろって言ってたかって言うと、利用価値があったからだったんですよね。はあ。何の? 人道的にこういうのは良くないんだって言ってたんじゃなくて、当時のロシアは日本と通商を結びたかったんですよ。ああ、通商。貿易したかった。そう、貿易したかったんだけど、当時鎖国してるでしょ。で、さらに日本語がわからないと。だから漂流してきた日本人から日本語を学びたいっていうメリットを感じてたんですよね。えぐいやないか。全然いいやつって思ったけど、日本人助けてくれるのと思ったけど、全然違いますよね。そう、役割として働かせたかっただけ。そうですね。は、全然いいやつじゃないじゃん、女帝。
ただ、きちんと扱って、囚われてたゴンザとソウザを解放して。なるほど。で、ペテルブルク、まあ都市の方にそう送って、ロシア語きっちり教えてっていう教育を施して。あ。まあこの後話すんですけど、日本語学校の教師をやらせようとしたりとか、ちゃんと扱ってくれてる。そうです。だからそんなむちゃくちゃに扱ったってわけではないですね。
この辺りでちょっと先読めたと思うんですけど、アンナ女帝はゴンザとかに日本語の辞書とか入門書を作らせようとして、この資料が当時の薩摩方言を写してるから……。あ、はいはいはい、なるほど。当時の発音が分かるっていうことです。ゴンザが鹿児島、薩摩の人間だから、そいつが漂流して一生懸命発音を書いたら、それが薩摩弁の資料になった。はい、そういうことですね。つまり船が漂着したっていう偶然のアクシデントによって、当時の発音の資料が残ってるっていうことなんですね。あ、そう考えると何か歴史ドラマっすね。そうなんですよ。薩摩の人じゃなくて、偶然仙台とかの人が漂着してたら、仙台の方言が残ったわけでね。
はい。そう、津軽かなんかでもそういう話あった気がするんですよね。ちょっとね、大量に一気に読みすぎたせいで、ちょっと具体的な情報忘れちゃったんですけれども。はい、なるほど。でもそういう事例があるというか。漂着待ちみたいな感じですかね。ロシアはそうでしょうね。ということで、そのゴンザ、ロシア語習い始めるんですけど、彼はその若かった、11歳だったんで、ロシア語習得したらしいんですよ、読み書きを。やっぱ若いうちの方がね、すぐ覚えるからね。そう。でも25個上のソウザはロシア語できるようにならなかったみたいなんですよ。
だから当時の薩摩方言の資料を残したのはゴンザっていうことになっていて、ソウザの名前は出てこないんですけど、じゃあソウザ何も役に立ってなかったかっていうと、僕はそうは思えなくて。ゴンザにその資料を作らせたのも、ソウザが亡くなった後だったんですよ。はあ。イメージしてもらえば分かると思うんですけど、日本語喋れる人間が1人だったら、その人って日本語喋らなくなるじゃないですか。ああ、そう。はい。なので、ソウザはゴンザが日本語を忘れないようにするために、欠かせない役割を果たしたと言えるとは思うんですよね。
はあ。え、何か急にエモい。え、何かやっぱ絵本っぽいですよね。「ゴンザはロシアに来てロシア語を覚えました。でもソウザは覚えられません。ソウザはとても寂しいです。でも近くに日本語が分かるゴンザがいたから、2人は日本語でやり取りを続けることができたのでした」みたいな感じですよね。あ、でもそう、絵本感ある。いい話ですよ。絵本にできるのかもしれない。これ『ゴンザとソウザ』って本書いたらどう? マジで?ちょっと、ぐりとぐら感すごいな。
ね。だって水野さんね、こないだ出した単著がね、まあ瞬く間に3万部突破しましたから、そんなあなたが『ゴンザとソウザ』書いたら、こちらも10万部ベストセラー間違いなしです。書くんです。もちろん絵本作家、今からデビュー。え、僕ただでさえ子供に向かって説明する時も難しい語彙を使ってしまいがちなのに、絵本とか書かなきゃいけない? そう、確かにね。水野さん、子供と喋る時に目線を全く合わせないで上から喋り続けたせいで怖がられてましたもんね。「お兄さん、この本どこ?」って聞かれて、「あ、それ新書コーナーにあるよ」。怖い怖い。ごめんなさい。一生デビューしないでください。絵本作家無理です。あなたにはダメです。とんでもない語彙力の絵本できそう。
そうです。で、1736年の4月に、日本語学校ってのがこうできて、ゴンザはそこでこう教えた。これが一応記録に残るロシアでの最初の日本語学校とされている。で、ここの生徒用に6冊本をゴンザは書いていて、それがその資料として使える。はいはい。だから発音が分かるってことですね。はい。タイトルはね、例えば『日本語会話入門』とか『簡略日本文法』とか。うん。ああ。っていう、まあ6冊を作ったんですけど、ゴンザだけが作ったんじゃなくて、相方にロシア人もいて。ほう。ロシアの人が日本語の文法とか単語が分かるようにならなきゃいけないんで、協力して作ったっぽい。
まあその協力して作った人、ボグダーノフっていう人なんですけど。これがちょっと、ゴンザとソウザと対応させて欲しかったな。どうにかボウザだったことにできません? 違いますよ。ゴンザとソウザとボグダーノフはさ、全然合ってないから、名前が。いや、ボウザにしてください。無理です、その名前を後から変えるなんて。惜しかったすね。
そう。このボグダーノフさんがゴンザの良い相方となって資料ができていったと。で、ポイントは、日本語の発音が、例えば、まあ「人」とかでもいいですけど、キリル文字で書かれてるっていう。使う文字なんです。はい。そう、ロシア語とかに使われる文字ですけれども。日本語の文字って音節を表す文字、つまり子音と母音のペアを一文字にしてますよね。「か」とかってのはKとAからなるんだけど、まとめて一文字で「か」っていう文字にしてますよね。でもキリル文字は、子音は子音、母音は母音で書けるから、日本語よりもより解像度が高く写すことができますよね。ははは。だから日本語だと、もう子音だけ発音してるみたいなやつを書き残す方法がないから、その記録って残せないんだけど、キリル文字だと残せる。はい。
まさに。皆さんちなみに、日本語を使っていて、子音しか言ってない、例えば英語で「k」とか、こういった発音しかしてないって思うことってあります?日常会話で。何かあんまりこの音出てないなって思う音はありますよ。例えば?「たくさん」の時の「く」とか、ちゃんと出てなくないですか? これ今、多分言語学やってる人だったら「鋭い」ってなってると思います。はい。
まさに「たくさん」の「く」とかって、これ母音の無声化って呼ばれていて、母音って基本的に皆さん、こう「あえいう」とか言うと喉仏がこう震える、声帯振動があると思うんですけど、「たくさん」って言ってみた時の「く」って、声帯が振動してない方結構いると思うんですよね。ほんとだ。「たくさん」。うん、振動してなさそう。はい。で、これ地域差もあるので、関西とかだと関東に比べると母音の無声化って少なくて。
例えば、お礼を言ってみてください、ちょっと。ありがとう。あ、えっと、最後まで……。何か恥ずかしい。え、俺別にそんな間違ってなかった。え、そんな間違ってなかったすよね。何で有声母音の部分だけで俺言って……。お礼しか言われなかったから。ちょっと難しいな、こいつ。びっくりですよね。本当すいません。納得いかんな。言ってみてください。ありがとうございます。はい。その最後の「す」とかって、これ無声化してるんですよね。うん。ありがとうございます。確かにちゃんと発音してない感じする。はい。これ無声化させずに言うと「ありがとうございますぅ」になると。うん。でも言ってないもんね、「ありがとうございますぅ」。はい。軽く言ってるよね。
ただこれが関西方言、例えば大阪とかの話者の方とかだと、何とか「です」とか何とか「ます」ってのって、何とか「ですぅ」とか何とか「ますぅ」っていう風に言いますよね。確かに関西の人、「ありがとうございますぅ」みたいに「す」強めに言うかも。言ったね。うん。むっちゃ強調したね。あの、今話の流れに合うように改変しました。いいですよ、その。僕の特技です。現実を捻じ曲げて何とか話の流れに合うようにしてます。何なんだろう。だから「食べます」とかもね、「食べますぅ」とかっていう風に言うのは無声化してない。そうだね。
ってことですね。で、翻って皆さんは、だから「たくさん」とか、何だろう、あ、「偶数」とか「奇数」の「く」とかも無声化してますかね、とか。で、その無声化がきっちりとゴンザの資料には残ってるんですよね。つまりその無声化してる母音の時には、ちゃんと無声化してるっていうマークになってるので。あ、確かにそれ絶対日本の日記にはないね。そうなんですよ。「たくさんありました」って文章を書いた後に、「この『く』は無声化しています」って横にわざわざ書かない。そう。そのタリアさんみたいな偏屈親父。そうですね。偏屈親父は書く可能性ありますけど、そうじゃないやつは書かないですもんね。
はい。そう。ポイントは、そもそも話者は母音が無声化しているとかっていうことを普通気づかないってポイントで、ゴンザもそれ気づいてたかどうかわからないんですけど、ボグダーノフが聞けば、何かこいつの「たくさん」の「く」って「車」の「く」と違うなみたいなことを思うわけです。あ。無声化してる時と無声化してない時の母音は違うってことを、非母語話者なら気づくと思うんですね。で、それをきっちりと書き取っているっていう点で非常に貴重な資料。あ、なるほど。だからゴンザだけの手柄じゃなくて、ボグダーノフが多分日本語の発音いっぱい聞いて、その音無声化してるねって指摘したから書けたのか。そうですね。
実はこのゴンザ資料、一連のゴンザがまとめた資料をゴンザ資料って言うんですけど、このゴンザ資料がどのようにできたのかっていうのは諸説あって。でもボグダーノフと一緒に作ったっていうところまで分かっていて、どの程度ボグダーノフが関わって、どの程度ゴンザが関わったのかってのが分からないせいで、これもまた面白いんですけど、国語学の研究者とかは、それを高い精度で突き止めるために資料の筆跡とか見て、えっと、こいつとこいつが同一人物です、えっと、だから何か4人ぐらい筆跡あるなみたいなことをやって。警察みたいなことしますね。はい。
堀田先生、ゆる言語学ラジオの監修の堀田先生とかがやられてる文献学とか国語学って、そういうような研究もあるので、僕今回リサーチして1個思ったのは、資料って読む前に、その目の前にある資料がどの程度信用できるのかってところから始めてるんですよね。そこに書かれていることが何で、それがどのような示唆があるのかっていうのを、手前からやってんですよね。そうだね。だっていい加減な資料信頼しちゃうと、その後の研究が全部むちゃくちゃになるもんね。はい。なので批判的に資料を読む姿勢みたいなのを、今回勉強してちょっと思ったんですよね。
まあなので、ゴンザ資料についても、どこまでゴンザ資料に依拠して論を進められるかみたいなのは研究者によってかなり差があるんですけれども、貴重な資料であることには変わりがないので、今でもそういう研究はされていると。で、今回ゴンザが残した、かなり日本語の研究に使える『新スラヴ・日本語辞典』っていうのがね、発行されてるんで持ってきました。え、これがそのゴンザの。はい、これですね。『新スラヴ・日本語辞典』ゴンザ編。ゴンザ編って書いてあるわ。ボグダーノフ指導って書いてありますので、ちょっと見てみますか。
ゴンザ、上の名前とかないんすか? あ、わかんないっす。わかんないんだ。うん。ゴンザしか分かってないですね。それね、せっかく自分が辞書作ったなら署名書いといて欲しいですけどね。何で書かなかったんですかね。確かに。苗字とか聞かれなかったんですかね、ゴンザは。俺はただのゴンザだってこと。苗字などはいらないっていうことなのかもしんないですね。ちょっと待って。当時の人って苗字って名乗ってる? ああ、そっか。江戸時代ってそうだ。庶民、苗字ないんだ。名乗ってないか。だからだ。お、謎解けた。気持ちいい。用意してきてくれよ。お前が用意してくれたら話早かったんだよ。バシッと解決しましたね。そうかな。
で、今堀元さんにちょっと見てもらってるんですけど、この辞書はまずロシア語の単語が左に書いてあって、で、これのロシア語での意味はこうだっていうのが書いてあります。だからここまで単語帳みたいな感じなんですけど、その右に、それがゴンザの言葉だと何ていうのってのが書いてあって、で、それを現代日本語だと何ていうかっていう訳みたいなのもつけてくれている。なるほど。は。だからロシア語と日本語の意味と、日本語の発音をキリル文字で書いたやつが並んでるってことですね。はいはい。で、えっと、この手元の『新スラヴ・日本語辞典』はキリル文字で書かれていなくて、この村山七郎っていうゴンザ資料の研究者がキリル文字の読みをカナにしてます。カナにして書いてくれていますね。うん。なるほどねえ。面白、これ。
例えばどんなのが気になりました? その「嫌がる」とかが載ってるのは分かるじゃないですか。「嫌がる」の3個下に「上手じゃねえ」、上手じゃないって書いてあって。はいはいはい。これ1単語として載せるんだ。あ、そう。あのね、ゴンザはボグダーノフに「これ何ていうの」って聞かれた時に、結構文で回答してることもあったりして、そのドンピシャの単語が浮かばない時に説明的にボグダーノフの方に伝えてることもあって。でもそれもゴンザの頭の良さを示してる部分でもあると思うんですよ。うん。だからゴンザがうまいこと日本語の表現で、はまるもの「これじゃね」っていうのをちゃんと選んだってことですね。そうです。
じゃあ水野さんにゴンザクイズ。ゴンザクイズ。即興で今やっておりますが、「冗談を言わない」という意味の単語、ゴンザは何て翻訳したでしょうか? おもろいね。これおもろいぞ。何?このゴンザクイズ。え、このコーナーいける?もしかして。ゆる言語学ラジオのキラーコンテンツとして、今週のゴンザクイズ。じゃあごめんなさい、あの、1回で終わらせましょう。無理?無理。レギュラーは無理よ、ゴンザは。でも嘘を言わないことって、真面目とかじゃないの? ああ、違いますね。正直か。正解は「ハラグイセン」です。はあ。ハラグイしない。ハラグイってのが、だから嘘をつくってことでしょ。てか、まあ冗談を言う。ハラグイするが冗談を言うってことなんじゃない? なるほどね。これ面白い。ゴンザ独特な言語があるね。
あ、そうなんですよ。だからこのゴンザの研究してる人がみんな言うのは、ゴンザってその11歳でね、ロシアに渡ってロシア語まで覚えて、さらにそのロシア語で聞かれたことについて日本語だとこういうっていうことを残しているって意味では、かなり頭のいい青年だったんじゃないかと言われているんですよ。そう。確かにこれおもろいな。あ、ていうかね、ハラグイセンの下に参考情報書いてあって、「ふざけることや冗談を意味する、熊本県とか鹿児島県で使われる」って書いてありますね。そうなんです。だからゴンザは当時の京都とかの言葉を知らなかったので。うん。自分の地元の言葉で言ったってことよね。そうですそうです。なので鹿児島方言の資料になるっていうことです。
え、現代でも残ってんのかな?「ハラグイ」言う人います? あ、ないわ。いないのか。今日九州でイベントやってますけど、いらっしゃってないですね。現在は残ってない言葉なのかもしれないです。かもしれないですね。おもろい、これ。
あの、パラパラ見ていくと、他にもハ行の音が当時はまだファだったとか。ああ。それから「て」とか「で」が「チェ」「ジェ」に変わっているとか、Cの後のラ行がタ行に変わるとか。うん。は。だからイメージだと「白み」が「シタみ」になるみたいな、まあ「シタみ」ってゴンザのではなくてちょっとまた違うんですけど、そういう特徴が観察できる。へえ。ちょっと後で時間余ったらゴンザクイズやりましょう。あ、ぜひぜひ。逆に僕がゴンザクイズ出します。答えられる気がしないな。
で、結局ゴンザは3年半でこの6冊の資料を作って、そしてなんと21歳で亡くなってしまった。で、これも死因は分からないです。ええ。だから本当に記録残ってないんですね、ゴンザ。はい。今ここまでの話は基本的にロシア側の資料の話なので、日本側でゴンザっていう青年に関しての資料はほとんど、多分全くない。悲しいですね。あ、しかも本当に知られざる日本人というか、全く我々が知らない偉大なる日本人ですね。
はい、そうですね。ゴンザの研究って、19世紀の初頭には1回すでにね、あったらしいんですよ。ただそっから間が途絶えていて、で、先ほど申し上げた、ゴンザのこの辞典を現代で刊行した村山七郎っていう言語学者が、モスクワの学会に出た時に、ソ連の言語学者にこのゴンザの辞典の話を聞いて、「え、何それ」ってなって。あ、知らなかったんですね。日本人なのに知らなかった。そうですね。は。それで村山がゴンザの研究を大きく広めて、自分でも研究をスタートすると。うん。だから逆輸入みたいな感じですよね。そうです、まさに。逆輸入っていうか逆漂流。漂流してないす、村山は。1回ゴンザが漂流してっちゃったやつを、もう1回日本に漂流させ返した。漂流させ返すとかないすね、あんまり。漂流させ返すっていう日本語ないんですか? ないですね。ゴンザの辞典にもそれ載ってないと思いますけど。これ新しい語が今生まれました。
うん。言わないですけどね。え、実はその村山は、これで鹿児島とかでも結構講演とかを行ってたみたいで、で、この会場で村山の講演を聞いた鹿児島の人たちは、またそれで痛く感動して。例えば吉村道一さんっていう熊本のご副省の方は、ゴンザの著作っていうのを日本に返してほしいっていうことをソ連の首脳にですね、訴え続けまして、専門家に手助けしてもらいながら、ロシア語で手紙を書いてクレムリンに向かって送り続けるってことを、8年間毎月手紙を送り続けたっていう。え、熱意すご。諦めそうですけどね。
いや、それがね、やっぱり自分の郷土でそんなにすごい日本人がいたんだっていうことが、多分すごく大きかったのか。で、それで8年目でようやく向こうから返事が返ってきて。すごい情熱だね。何としても漂流させ返そうという。あの、漂流させ返してないです。すごい情熱で漂流させ返したわけ。マイクロフィルムが送られてきたんで。だいぶ近代的だな。
で、それからこの方とか何人かの有志でゴンザファンクラブってのを立ち上げてんです。何か急にすごい身内というか、何か低俗な感じになりました。低俗じゃないですよ。あのゴンザに関する研究、それこそこのゴンザの出身地がどこかって割れてなくて、その鹿児島の中だったであろうということまで分かってるんですけど、何市だったのかみたいなのって諸説あるんですけど、このゴンザの辞典に載ってる形を元に、このエリアでは言うけどこのエリアでは言わないみたいなことって、鹿児島の人が協力したら進みそうじゃないですか。っていうので、出身地をこう割り出そうとするとか、そういった活動をする市民が現れて、僕が読んだ本だと一時300人を超える会員がいた。え、大人気ですね。ということみたいですね。
だからちょっとね、ずっと水野さんが「出身地が割れてなくて」とか「出身地を割り出そうとして」とか、完全にインフルエンサーをネットストーキングする人の言い方だったから、ちょっと怖いなと思いましたけど。ゴンザにね、開示請求すれば……。プロバイダ開示請求。確かに、プロバイダ開示請求すればね、良かったかもしれないですね。プロバイダ責任制限法みたいなやつがね、今あってやりやすくなってますから、ゴンザも開示してくれるかもしれないですね。うん。ね、カゴキンはね、開示請求されてたんだから、ゴンザもされるべきですよね。そうですね。いや、サツキンです。サツキンの方です。これ気をつけてください。うん。すごい現代と混同しやすいんで、現代のやつがカゴキンで、この時代はまだサツキンの時代です。なるほど、失礼しました。ごめんなさい。え、サツキンさん申し訳ございませんでした。ツッコミを放棄したな、こいつ。
ゴンザの資料は他にも言語学的に見ると面白いことは色々ありまして、資料の一部にアクセント記号もついてるんで、このアクセント記号から当時の鹿児島方言のアクセントを復元するみたいな研究があったりして。鹿児島のアクセントって、東京式のアクセントと大きくジャンル分けした時にかなり違うところに位置してるとされてるんですけど、その全然違う方式はもう18世紀初頭にはそうだった、かなり違うものだったってこととかは分かってるみたいです。そうか、そうか。その辺の歴史的な経緯が、普通だったら分からないところ、ゴンザのおかげで分かったわけですね。そうです。そのアクセントを残してくれるっていう超ファインプレーのおかげで分かってるってことですね。うん。
ということで、ここまでの話をまとめますと、18世紀初頭の鹿児島方言は、発音、どういう風に単語を発音するのかもそうだし、アクセントがどこにつくのかみたいなこともかなりの精度で復元されていて。ゴンザ偉い。そう、その立役者は、たまたま漂流して、そして異国の地で、まあ殺されかける経験もしながらロシア語を習得し、そして類い稀なる言語センスで6点の著作を作ったゴンザという人間がいたことによって、そういったことが分かってるという話でした。うん、エモいですね。うん。
めちゃくちゃその歴史の偶然のドラマというか、それ感じますよね。何か僕その話聞いてて思い出したのは、めちゃくちゃソリマン・アガに似てるなと思って。何?何それ? ソリマン・アガ知ってます、皆さん? 知ってる人いる? オスマン帝国の大使で、フランスに行ったやつなんですけど、これ多分オスマン帝国がフランスと仲良くしようっていう外交戦略のために派遣されたんですよ。
で、当時フランスの王があのルイ14世ですね。こいつね、何かね、オスマン帝国の方が大国だから、すごい高圧的なサイドで行ったらしいんですよ。あの、むちゃくちゃ嫌われて。うん。爆速で帰国させられるんですよ。だから何も残したものないと見せかけて、こいつね、めちゃくちゃ豪華なトルコ風の、アラビアンナイトみたいな豪華な家に住んでたらしくて、で、そこですごいうまいコーヒーをめっちゃ飲んでたらしいんですよ。はい。
で、それ見た近所の人とかめっちゃ憧れて、え、コーヒーって田舎者が飲むもんだと思ってたけど、え、なんかイケてるってなって、めっちゃみんなコーヒー真似して飲むようになって、コーヒー広めて帰ってた。そうで、[笑い]
だから結局さ、歴史の偶然じゃないですか、これって。そう、全然本来の目的とは関係ないものを広めて帰っちゃうみたいなことですよね。ゴンザも偶然、全然そのロシア行く気すらなかったのに、偶然ロシアに流れ着いちゃって、結果としてさ、薩摩の方言資料ができたみたいな。ソリマン・アガが偶然コーヒー文化を作ったのと一緒かなって思いました。
そうですよね。だから当時の評価は全然多分違ったんだけど、何百年と経った後に引きで見た時に、彼らがしたことはすごく大きい功績だったと。で、それを多分ゴンザもソリマン・アガも、多分自分が後世でこんな評価されるとも思いもしなかったでしょうね。
僕今回一連の勉強してもう1個思ったのは、さっきね、そのゴンザ資料については村山七郎が特に日本で広めて研究が進んでいるっていう話したんですけど、もしかしたら他にもこういう漂流民が現地で資料を残してるみたいな話って全然あるかもしれないんですよね。
うん。ああ、そうか。知られてないわけだもんね。ゴンザも全然日本では知られてなかったわけで、同じような人がもしかしたら他にもいたかもしれないんだ。
そう。だからそういう形で、もしかしたら皆さんの地元の方言とか、あるいはもっと中央語とかでもいいですけれども、の昔の発音とか姿がすごい精度で復元できる可能性って全然なくはない。
うん。なんか夢ありますね。ロマンかなりあると思うんですよね。
まあ、だから途中ちょっとさ、その殺金とか言ってふざけちゃったけどさ、マジでこの我々が撮ってるYouTubeも500年後とかにすごいいい資料になってる可能性あるよね。
それもね、あるんすよ。だよね。僕いろんな場所で言ってるんですけど、皆さん是非自分の母方言でポッドキャストを撮って欲しくて、僕は。それはまず方言の音声資料ってのはかなり少ないという事実があって、それに危機意識を持っていると思うんですね、日本の研究者は。で、ただ人手が全然足りないわけです。
で、さらにじゃあそのフィールド言語学者とか、あるいは方言の調査をする言語学者を大幅に増やすってのも結構難しいとなった時に、ポッドキャストでね、普通に世間話とか雑談とかで方言で喋ってくれると、それは後世の人とか、例えば僕だったら父親が名古屋方言でポッドキャスト撮ってくれてたら、僕がね、例えば父親が亡くなった後とかにそれ聞き返したら、あ、そういえば名古屋方言ってこんな感じだったなみたいなこともあると思うんですよね。
ですよね。マジで直さなくていいよね。直さなくていい。標準語に合わせようみたいなことしなくていいすよね。
まあ、ただね、『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』という僕の本の担当編集者が、あのツアーについてきてくれてるんですけど、その彼、青森出身なんですよ。あ、そうなんですね。で、さっき昼飯一緒に食ってたんですけど、もう青森方言全然出ないですねって言ったら、あ、僕地元にいる頃からそれ消してて、それが得意なやつとしてクラスで目立ってました。そんなキャラ立ちあるんだ、らしいんでね。[笑い]
そういう人もいると思うんですけど、あの、そのキャラを立たせなくていいっていうのが今日の結論じゃないですか?
うん。あとさ、僕ら昨日会ってたさ、その地理の雑学ゆっくり解説の中の人、ご出身が関西だって言ってたんですけど、喋ってると全然京阪式アクセント、京都とか大阪のアクセントが出なくて。うん。めちゃくちゃ関東の人っぽい喋り方だよね。
そう。で、関西方言話者って結構自分の方言が好きで、別の地方に行っても母方言で喋るって結構あるんですけど、なんであんまりアクセント出ないんですか?って聞いたら、その塾講師やった時に自分が喋ったことが面白いのか方言で受けてるのかが区別できないから、区別するために東京アクセントで喋れるようになったって言って。分かる。
で、堀元さんも分かる? 俺も全く。大学生の時の屈辱一生忘れないですからね。え、何? はい、じゃあ授業始めるぞって。授業ノートにあの日付書きましょうって言って、9月25日って言ったら、え、25日だよ先生って言われて受けちゃって。うん。ノイズだなと思って。なんてノイズなんだ。違う違う違う。母方言笑うなが。[笑い]
違う、母方言笑ってるわけじゃないんすよ。僕がノイズだなと思っただけで、やっぱそのそれで受けちゃうのとかって嫌じゃないですか。こちらは完全に組んだ授業を持ってきてるわけだから、その美しさでひれ伏せさせたいわけで、それをできなかったのが悔しくてめっちゃ直しましたね。
でも名古屋方言が綺麗だから、そもそもまず綺麗で美しくて素晴らしいわけじゃないですか。だからそれでね、あの、笑いが起きたりするのってやっぱ全然価値損なわないですけどね。
そう。でもそうだね。水野さんだからそのスタンスね、いいと思う。俺そのスタンスの人に初めて会ったから、それでやっててほしい。うん。笑っとるやつがたわけだろうって。そう、本当にそうですよ。皆さん、皆さん聞きゃって言った、本当に。
今の2つの例って、だから方言に劣等感あんま感じてないって意味ではすごい悪いわけではないと思うんですけど、僕はやっぱりみんな自分の母方言で喋ってもらえるようになったらいいと思うし、それは後世の人たちにとっても意味のあるものになるんじゃないかと思うので。
いつもの結論になりましたけれども。はい。でもやっぱ何回も言わないとみんなに届かないから。[笑い]そう。特にね、今日九州でイベントやってますけど、九州の人ね、結構方言強めの人いらっしゃると思うんですけど、一切直さず、むしろ強化していきましょう。どんどんその九州で喋っていっていただければ幸いでございます。
はい。それでは引き続きチャンネル登録、高評価、感想のコメントなどお待ちしておりますので、どしどしお寄せください。皆さんの気に入ってる方言なども是非コメントしていただけると嬉しいです。以上、お開きにしましょう。ありがとうございました。ありがとうございました。[音楽]
堀元さん、うまく話せなくて悩むことってありません? よくあります。そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。ほう。タイトルは『会話の0.2秒を言語学する』。会話のわずかな間にフォーカスした1冊です。是非皆さん買ってください。
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