社員ゼロから年商367億円へ 藤原正明が語る「出世できない」と悟った会社員時代と大和財託の製販一体モデル
トマホークTomahawk大和財託の代表・藤原正明は、岩手で育ち、岩手大学で機械工学を学んだ。卒業後はバルブメーカーの営業、三井不動産レジデンシャルでの分譲マンション企画、埼玉の不動産会社での2年間の修業を経て、32歳で一人で起業した。前期の売上は367億円、経常利益は33億円だと藤原は話す。本インタビューでは、「会社員として出世したい」と考えていた青年が、なぜ起業にたどり着いたのか、そして会社がなぜ急成長できたのかが語られている。
「フェニックス藤原」の由来と炎上への姿勢
X上で「フェニックス藤原」と呼ばれていた由来について、藤原はサラリーマン時代の出来事を挙げる。会社の飲み会で急性アルコール中毒になり救急搬送されたが、翌朝きちんと起きて仕事をこなした。それが「復活した」として、当時いた業界内でフェニックスと呼ばれるようになったという。
この話をコロナ禍にXへ投稿したところ、「医療リソースを無駄にするな」「アル中を誇らしげに投稿するな」と大炎上した。藤原は自身を「炎上芸人みたいなもの」と表現し、炎上を知名度の向上に活用していると話す。炎上したのだからプロフィール写真もフェニックスにしたら面白いと考えて乗っかっただけで、自分から「フェニックス藤原」を売り出しているわけではないという。現在はフェニックスの表記を外している。
内装業の家に生まれた「夢が多い」少年
藤原の実家は、床張りや壁のクロス貼りを行う内装工事業を営んでいた。家族経営の4〜5人ほどの小さな会社で、「すごいお金持ちの家庭ではなかった」と藤原は言う。兄がいたため家業に関心を持つこともなく、自分は外へ出ていく次男だったと振り返る。
将来の夢はよく変わった。幼稚園ではコック、小学校ではF1レーサー、中学・高校ではプロの格闘家、大学ではエンジニアを目指したという。
格闘技は小学2年生から空手を始め、中学・高校では極真空手に打ち込んだ。極真は創始者の大山倍達が亡くなった後に分裂しており、藤原が出場したのは最大勢力とは別の、比較的小さな団体の全国大会だった。その高校生大会で全国2位になったという。試合で勝つために高校から筋トレを始め、会社員時代は仕事の都合で途切れた時期もあったものの、起業後は12年間継続しているそうだ。現在の体重は74kgで、ベンチプレスは130kg強。30代後半には145kgまで挙げたという。
空手をやめ、岩手大学へ
高校時代は本気で格闘家になるつもりだった。ところが藤原家では父も兄も空手をしており、あるとき父と兄が激しく殴り合う喧嘩をした。藤原はこれを「藤原家のお家騒動」と呼ぶ。空手が「暴力装置」のようになってしまったことで、空手をやめることになったという。
一方で勉強はできた。盛岡南高校では常に学年1〜2位で、父から「お前は大学に行けるのだから行け」と言われた。藤原によれば、盛岡南高校は偏差値50あるかないかくらいで、現在は人口減少による統廃合で消滅しているという。
進学先を県外にする選択肢は、自分にも親にもなかった。仕送りはできないので、自宅から通える国公立という条件になり、候補は岩手大学と岩手県立大学しかなかった。「行けと言う割に経済的には応援しない」と藤原は笑う。
週7日のアルバイトとクロムハーツの学生時代
岩手大学では機械工学を専攻した。理系は実験とレポートが多く、文系なら2単位もらえるような負担でも1単位にしかならず、忙しかったという。
サークルには入らず、アルバイトに明け暮れた。地元のショッピングモールで野菜の品出しやレジを担当し、月に20万円ほど稼いでいた。他のアルバイトの時給が700円程度のところ、仕事ができたため900〜950円をもらっていたという。土日も含めて週7日働き、休みはなかった。
稼いだお金は服につぎ込んだ。高校まであまりモテなかったことの反動で自意識が強くなり、当時ブームだったクロムハーツのネックレスや大きなキーリング、ウォレットチェーンを買い、レザーパンツを履き、金髪にしていたという。ただしモテたかと聞かれると「普通」と答えている。
大企業ではなく、出世できそうな中堅メーカーへ
岩手大学を選んだのは、得意な物理と数学を生かしたかったことと、車が好きでエンジンや車の設計に関わりたかったからだった。当時は超就職氷河期だったが、理系には学校推薦のオファーがあり、藤原の記憶ではスズキや日産などの枠があった。ただ自動車メーカーは人気が高く、成績上位者から埋まっていった。
藤原は学科100人中20位前後の成績だった。自分に回ってきたのは、上場企業である月島機械や油圧機器メーカーなどの推薦枠だったが、「大企業には行きたくない」と考えて断り、自己応募で就職先を探した。大学院進学も悩んだが、早く社会に出たいと考えた。
藤原が描いていたのは、会社員として成り上がっていく道だった。大企業ではなかなか出世できないと考え、社員400人ほどの中堅メーカーを選んだ。そこなら社長にもなれるのではないかという期待があったという。
バルブメーカーの営業で「陽キャ」に変わる
入社したのは株式会社ベンで、水道の本管などの配管に取り付けるバルブ類を作るメーカーだった。藤原は技術職として入社し、将来は工場で生産管理や新商品開発をしたいと考えていた。しかし会社の方針として、市場の声を知らなければいいものは作れないため、技術職もまず営業を経験することになっていた。結局、藤原は在籍中ずっと営業を担当した。
失敗談として語られたのは、社用車を大破させた事故だ。不具合を起こした商品の修理の帰り、スマホもカーナビもない時代に大きな地図を見ながら運転していて道に迷い、農道で脱輪した。車は1〜2回転して田んぼに落ちたという。会社には100万円強の損害を与えたが、藤原自身は無事だった。稲刈りが終わった時期で水が張られていなかったのが幸いで、水があったら危なかったと振り返る。
藤原は自分を「理系の田舎の陰キャ」だったと言う。トークが得意ではなく、営業には最初苦戦した。それでもベンでの経験で営業として大きく成長し、「強制的に陽キャに変わった」と話す。評価も得て大阪へ異動し、主任として同期や前後の先輩の中でも出世頭の位置にいたという。
退職の理由と、不動産業界への転職
ベンには6年間、2008年12月まで勤めた。辞めた理由は二つある。一つは、出世していくと役員や部長と話す機会が増え、あまり良くない上司に当たったことで「自分もこうなるのか」と思い、憧れを持てなくなったこと。もう一つは、部長になっても年収1000万円に届くかどうかだと分かったことだ。
藤原は2007年3月、26歳で結婚していた。大阪に来てからクラブの存在を知り、毎週通う中で出会ったのが今の妻だという。子どもも生まれ、生活のことを現実的に考えると豊かな暮らしは難しいと感じた。そこで不動産投資をしようと考えたが、当時の年収では融資を引けないと分かっていた。そのため転職を決め、どうせなら不動産業界がいいと考えた。現在は高校生の娘と中学3年生の息子がいる。
応募1000人超から4人の採用に残る
転職先は、三井不動産グループで住宅事業を担うデベロッパー、三井不動産レジデンシャルだった。仕事は分譲マンションの営業企画である。開発部門が用地を仕入れて開発した物件を、最大の利益で売り切るための企画を立てる。広告やCMをどう打つか、何人の人員が必要か、どんなツールで顧客に売るかを考える、幅の広い仕事だったという。
藤原は、中堅メーカーから大手への転職は「めちゃくちゃ奇跡」だったと話す。リクルートエージェントを通じた中途採用で、後に聞いたところ書類応募は1000人以上、採用はおよそ4人だった。飲み会で「よく僕を採りましたね」と尋ねると、社内でも意見が割れたが、とりあえず一次面接は通そうということになったと聞かされたという。
藤原の見立てでは、他の応募者はかしこまって「御社の街づくりの姿勢に共感し」といったきれいごとを話していた。自分は事前準備を細かくせず、方向性だけ固めてアドリブで臨んだ。飄々とした自然な態度から、作り話ではなく本心で話していると受け取られたのだろうと藤原は推測する。この姿勢は、現在のYouTube出演でも変わらないという。
年収はベン時代の約550万円から、1年目で約900万円、2年目で1000万円を超えた。
大手でも出世できないと悟り、起業へ
それでも2年半で退職した。理由は、出世できないと分かったからだという。早稲田や東大、京大の出身者がいる会社で、中途入社の岩手大学出身者は出世できない。「スペックって大事」と藤原は話す。
中堅企業でも大企業でも出世の道がないなら、行くところはない。そこで自分で起業しようと決めた。ただし、その前に起業のための勉強として、埼玉の不動産会社に2年間限定で就職した。社名は、現在は競合になっているため「M社」とだけ述べている。
撤退ラインを決めて32歳で起業
起業は2013年8月、32歳のときだった。家庭も子どももいる中で怖くなかったかと聞かれ、藤原は撤退ラインを決めていたと答える。35歳までにうまくいかなければ、会社員に戻るつもりだった。
資金面では、不動産投資と貯金で現金4000万円を用意した。さらに金融機関から創業融資として1600万円を借りた。そのうち1000万円は家庭用に残し、4000万円強を軍資金として起業したという。
資金力がなかったため、最初の事業は一棟の中古アパートやマンションの売り物件を、ネットで集客した顧客に紹介して売買を仲介するものだった。その後の賃貸管理も自社で引き受けた。
起業当初の目標は「10年で売上100億円、経常利益10億円」で、これを9年目で達成した。現在は13年目に入り、前期の売上は367億円、経常利益は33億円だと藤原は語る。1年目は売上がおよそ7億円、経常利益が約700万円だったと記憶しているという。
働き方は、4〜5年間ずっと朝8時半から夜12時までで、休みは正月だけだった。2年目以降はゴールデンウィーク、夏、冬にそれぞれ5日間ほどまとめて休むようになったが、それ以外の休みは基本的にない。年に350〜355日ほど働く生活が今も続いているという。
ハローワークで採った社員第1号
藤原は社員ゼロ、一人で会社を始めた。8月に起業すると、9月には最初の1棟が売れた。売買を担当しながら管理の実務までこなすのは無理なので、人を雇う必要が出てきた。資金がないためハローワークで募集をかけ、アルバイト経験しかない28歳のフリーターを社員第1号として採用した。
仕事は「バチバチ詰めながら」教えたという。また、飛び込みで営業に来た不動産会社の女性社員を「うちに来い」と引き抜いたこともあった。そうやって仲間を集めていったと藤原は振り返る。
成長の理由は「製販一体」の垂直統合
不動産会社が数多くある中で、なぜ急成長できたのか。藤原の答えは「製販一体」である。大和財託は不動産業を名乗っているが、実態は建設業、建築会社だと藤原は言う。社員で最も多いのは設計や施工管理の人間で、不動産営業より建築に携わる人のほうが多い。
ビジネスモデルは、自社で土地を仕入れ、自社で設計・施工して建物を建て、投資家に直接販売し、その後の賃貸管理まで自社で担う垂直統合型だ。藤原によれば、「自社で建築する」とうたう不動産会社の多くも実際は工務店に丸投げしている。また三井不動産のような大手も、スーパーゼネコンにタワーマンションを建ててもらい、それを仕入れている。
この構造では、ゼネコンの利益と不動産会社の利益の両方が乗った価格で、一般投資家に販売されることになる。大和財託はゼネコンとデベロッパーの役割を一社で担うため、両方の利益を一社で取れればよい。中間に入る会社を極力減らしているため、自社の利益も高くなり、顧客もいい利回りといい価格で物件を買える、と藤原は説明する。
役員に言われて上げた社長の年収
藤原の年収は今期から6000万円になった。それまでは4800万円だったが、社員や役員の年収を毎年上げてきた結果、藤原とナンバー2の差があまりなくなった。社長の年収が上がらないと下の伸びしろもなくなるため、役員から上げてほしいと言われて引き上げたという。
社員で最も稼いでいる人は2000万円ほどだという。東京本社の新卒1年目の理論年収は約440万円で、男性の総合職では1年目で約540万円になると藤原は話す。
上場しないから、SNSでは思ったことを言う
経営者としての実績を聞いたインタビュアーは、なぜXでそこまで「暴れている」のか分からなくなったと尋ねた。藤原は、面接のときと同じで、かしこまるのが得意ではないと答える。立場のある社長はSNSでもきれいごとしか言ってはいけない風潮があるが、自分はそれが嫌いで、政治的なこともタブーも思ったことを言う。喧嘩を売られれば、自分も人間だから言い返す。
藤原は会社を上場させるつもりがない。そのため、ステークホルダーとの調整さえうまくしておけば、基本的には自由にできると考えている。この運用方法を大きく変えるつもりはないが、「疲れたらやめるかもしれない」とも話す。今はまだ元気なので続けるという。
20代・30代へのメッセージ
最後に、視聴者に多い20〜30代の若者や学生に向けて、藤原はこう語った。45歳になって振り返ると、20代・30代の生き方が40代以降の人生を大きく決定づける。40代になってからもがいても、リカバリーはほぼ不可能だと思ったほうがいい。だから若い今の時間を有効に使ってほしい。
若さには体力があり、頑張れるし、楽しいはずだと藤原は言う。その時間の一部を将来を見据えて使い、仕事でも生き方でも自分の道を見つけて頑張ればいい、というのが藤原のアドバイスだった。
バントンも置くと、トントントン。わあ、家建てて金持ちになり、イマシカです。
はい。ということで、自己紹介お願いいたします。はい。大和財託で代表している藤原です。本日はよろしくお願いします。よろしくお願いします。
ということで、元々そのXでフェニックス藤原さん、ああ、よくご存知。あ、そっか。自己紹介でフェニックス藤原って言えばよかった。しまった。もう1回いいですか?どうぞ。あ、よくご存知でありがとうございます。
それ由来とかあるんですか?由来は、僕はサラリーマンの時にアル中になってさ、会社の飲み会で救急搬送されたんですけど、普通、1日もう寝てるじゃないですか、大体。それなのにちゃんと起きて仕事をこなしたっていうことで、復活した、フェニックスっていうのが僕がいた業界の中では広がってたっていう。
それをXで、コロナ中だったのもあって、医療リソースを無駄にするなっていうことで大炎上したっていう。アル中を誇らしげにドヤ顔でXで投稿してんじゃねえっていうことで、皆さんからお叱りの声を頂いたという、そういう顛末ですね。
今ってフェニックス外れてますよね。あ、今もうフェニックス外してます。あれはバズったんで、僕炎上芸人みたいなもんなんで、炎上をうまく知名度の向上のためにいつも活用してるので、炎上したので、じゃあもうプロフィール写真もフェニックスにしたら面白いじゃんっていうことで、フェニックスにしてた時期だったということです。別に僕自身がフェニックス藤原っていうのを絶賛売り出してるわけではなく。
そうだった。炎上に乗っかってるだけです。あ、なんか炎上で折れないからフェニックスかと思ってました。あ、違う違う違うんですよ。そう、何回炎上しても。ああ、確かにそれはもうフェニックスかもしれないけど。
炎上芸人って言ってましたけど、昔からそういう炎上芸人っぽいというか、問題児みたいな感じだったりするんですか?問題児ではないです。問題児ではない。うん。優等生です、どちらかと。
家庭とかも、いい家庭で育たれたみたいな。まあまあ、貧乏ではないですよね。経営者の家庭。あ、そうです。内装工事業って言って、こういう床張ったりとか、壁のクロス貼ったりとかってする会社の次男坊ですね。家族経営の本当に4、5人ぐらいの小さい会社なんで、別にすごいお金持ちの家庭ではなかったですね。
親御さんの職業とかに興味持ったりとかなかったんですか?継ぐとか。うん。ないすね、それは。兄貴がいましたんで。なんで僕はもういらん子っていうか、もう外に出ていく身の子だったんで。
小さい頃、夢とかあったんですか?将来の。ああ、ありました。結構僕は夢多き人間で、幼稚園の時はコックさんって書いて、小学校の時はF1レーサーでした。で、中学校になるとプロの格闘家。で、高校の時もプロの格闘家。で、大学はエンジニアみたいな感じで全然変わって。確かにめっちゃ変わりますね、エンジニアって。移り気がね、もうちょっとすごかったと思うんですけど。
今そのムキムキなのって、当時の名残り?あ、そうですね。空手を小学校2年生からやってて、中高は極真をずっとやってて、やっぱ競技で勝たないといけないので高校から筋トレ始めて。会社員になると仕事の都合で筋トレができないってこととかあるじゃないですか。起業してから12年間継続できてるって感じです。ちゃんと。
え、ベンチとかどのぐらい上がるんすか?ベンチは今は130ちょい。すげえ。え、体重は?体重は今74キロです。あ、すごい。だからね、30代後半の時は145までは上げましたね。
え、空手って強かったですか?空手強いですよ。極真って、その創業者の大山倍達っていう人が亡くなったことで分裂したんすよね。だからその1大勢力とはまた違う、ちょっと勢力としては小さいところの全国大会だったんですけど、高校生大会で一応僕2位です。全国で。え、そうなんですか?めっちゃ強いじゃないですか。で、その時は本当に格闘家になるつもりでいたんですか?そうです。高校生の時は格闘家になろうと思ってました。
え、大学受験はじゃあどうしました?大学は、あ、これYouTube本邦初公開っていうか、藤原家の闇みたいなもんなんだけど、うちって空手家で、親父もやってたし、兄貴もやってたし、僕もやってたんですよ。親父と兄貴が喧嘩したんすよ。めちゃくちゃ殴り合いの。空手家。喧嘩ガチそうで怖い。それで結局暴力装置みたいになっちゃったんで、もう空手をやめるってなったんですよね。あ、そうなんですね。
そう。藤原家のお家騒動ですわ。それでじゃあどうしようと思って、一応勉強僕できてたんで、進学校じゃないけどまあまあ普通の高校だったんですけど、そこでは常に学年1位2位だった。空手もやりつつ勉強も。すごい。なので、お前は大学行けるんだから大学行けって親父に言われて、勉強して岩手大学に行ったっていう感じですね。
え、高校ってどちらですか?えっと、盛岡南高等学校っていうとこで、今もうちょっと人口減少で統廃合されて消滅しちゃったんですけど、多分偏差値50あるかないかぐらいちゃいます?それぐらいの高校でしたよね、確かね。じゃあ小中高は地元の学校に?そうです。小中高大全部岩手です。
大学で岩手出るとかは考えなかったですか?ああ、なかったです。僕自身もなかったし、親からは仕送りとかできひんから、自宅から通える大学かつ国立ってなると岩手大学と岩手県立大学しかないので、もう、っていう感じですかね。行けっていう割に応援しねえやんか、経済的な部分で。
大学内では勉強結構してました?ああ、ぼちぼち。まあ、理系なんで実験の授業とかあるんですよ。理系なんすね。僕機械工学なんで。バチバチの理系です。なので実験やってそのレポート書いて、文系やったらもうそれで2単位とか取れんのに1単位とか、ようわからん感じだったんで、理系って。だから結構忙しかったですね。
勉強以外の課外活動とかもされてたんですかね?あ、僕はしないです。バイトばっかりしてました。あ、バイトなんですね。高校までそんなにモテへんかったから、大学でも別にサークルとかも入るわけじゃないので、あんま異性との交流もないのに、なんか変に自意識過剰になってもうて服をめちゃくちゃ買ってましたね。20万ぐらい、月稼いでたんですけど。
20万、すごいっすね。岩手で20万って、馬鹿にした?岩手で、田舎で、みたいな。当時の時給ってめっちゃ低いすよね。低い。ただ僕は仕事ができたんで、時給は他のメンバーより高かったです。他のメンバーが700円ぐらいのとこ、僕は900円とか950円もらってました。時給950で月20万。それでもなんで、労働基準法関係なく、めちゃくちゃ土日とかも全部バイト入れて、週7働いてますよ。だから休みないです。暇あればもうバイト行くみたいな感じになってたね。
え、何のバイトやってたんすか?えっと、地元のショッピングモールみたいなのがあって、そこの野菜出したりとか、レジやったりとか、そういう仕事してました。え、ほぼ社員と並ぶぐらい稼いで。社員より稼いでたかもしんない。
僕らの時代、今から何年前?25年前ぐらいか。僕45だから。クロムハーツブームがその当時あったんですよ。僕クロムハーツ買ってました。学生なのに。ええ、すご。ネックレスみたいなやつとか、キーリングのでっかいやつとか、あとチェーン、ウォレットと。そんなギラギラした時代あったんですか?あったあった。レザーパンツ履いて。ロックっぽい感じが好きやったね、当時ね。
髪とかどうだったんです?髪はこれぐらいの金髪でした。え、おもろ。全然違いますね。その時ってやっぱりモテたりしました?うーん。普通すね。普通。
しかも当時の夢ってSEでしたっけ?あ、エンジニアね。エンジニアって言ってもIT系とかじゃなくて機械工学のエンジニア。そっちを目指してたよね。だから僕が岩手大学行ったのも、将来考えた時に、自分は物理、数学が得意だったので、それをまず生かしたいなと思ったのと、あとやっぱ車が好きやったんで、車に関わる仕事、エンジンの設計とか車の設計とか、そういうのしたいなと思って岩手大学入ったんですよね。
岩手大学から車関係のとこって、例えばどういった企業に行くんですか?えっと、学校推薦やっぱあって、僕の記憶してる限りだとスズキ自動車とか、日産、トヨタもいたのかな?ちょっとわかんないけど。僕の時期で超就職氷河期なので、それでもやっぱ理系はちゃんとオファー来てます。
僕はただね、やっぱ人気なんで、機械工学科の中で自動車メーカーの就職先って、大体成績上のやつらから取ってくんですよ。指定校推薦とかと一緒じゃないです。なので僕はそこ選べなくて、例えば工作機械とかの月島機械とかって上場企業なんですけど、そことか、油圧のメーカーとか、一応上場企業ですけど、そこの枠はありました。そっちに行こうとすればできたけど、大企業は行きたくねえなと思って、そっちは蹴ったというか選ばずに、自分で自己応募で1社目の会社に入社したっていう感じです。
大学時代はそんなに成績良くなかったです?あ、結構いいです。どれぐらいだったんですか?えっと、100人いて僕20位ぐらいです。あ、大学院とか行かなかったんですか?それは悩んだんですけど、結構行く人多かったけど、僕は早く社会に出て仕事したいって言いましたね。
で、自分の進路考えた時に、会社員として出世していくというか、成り上がっていくというか、なんかそれがかっこいいなと思ったんですよね。で、会社選び、じゃあどこにすんねんって時に、会社員として出世しやすい会社どこかっていうことで結構選んで、大企業だとなかなか出世できないなと思ったんで、400人ぐらいの中堅のメーカーに就職したんですよ。そこだったら出世できる、社長とかなれるんちゃうかなみたいな期待もあって入りました。社長になりたいとかもあったんです?あ、そうです。
へえ。え、それ何職で入ったんですか?技術職です。あ、技術職なんですね。それどういった仕事内容ですか?具体的に。えっと、本来は最終的には工場に戻って、生産管理の仕事したりとか、新商品の開発したりとかっていう仕事に就きたいと思ったんですよ。でも、その会社の方針として技術の人間もまずは営業しろっていう、やっぱり市場の声が分からないといいもの作れないだろうみたいなのがあって、ずっと営業です。
それ何ていう会社ですか?株式会社ベンっていう会社です。ベン、何を作ってる会社でしたっけ?バルブですね。バルブって分かりますかね?1番分かりやすいのは水道の蛇口。要はあれは1番最後に出てくる、僕らが目にするバルブとして1番分かりやすいものなんですけど、僕らが水使う前段階で水道本管とかの配管あるじゃないですか。あそこにつく装置が色々あるんですよ。それを作るメーカーの営業してました。
なるほど。事前にちょっと聞いた話なんですけど、その1社目でちょっとポンコツエピソードがあったみたいな。ああ、ポンコツエピソードありますね。ポンコツは元々ポンコツやったんですけど、1番やらかしたので言うと、車を大破さすっていう。え、何を?あのね、本当に死ななくてよかったなと。あ、そんなレベルの。これフェニックスエピソードです?そう、その予兆みたいな。
修理をしに行くんすよ。商品がちょっと不具合起こしたりすると修理するんで。で、修理した帰りに、当時スマホもないしカーナビもないので、でっけえ地図、あれ見ながらどこやってやったら、道迷っちゃって農道行ってしまったんですよ。で、地図見た時に踏み外して、道を。でぐらんと1回転か2回転か知らんけどして、ガシャってこの状態で止まりました。プロボックスだったかな?100万ちょっとの損失を与えちゃいましたね、会社にね。
え、怪我とか大丈夫でした?あ、僕は大丈夫だった。フェニックス。ちょうど稲刈り終わった時期だったんで、水も張ってなくてドライだったんで良かったんですけど、もし水張ってたら逆さまやったから、やばかったんちゃうかなと思います。確かに怖いっすね。それでも這い上がってきそうすけどね。大丈夫でしたとか言って。
あともう1つは、やっぱり僕理系の人間なんで、トークが別にうまいわけでもなかったので、やっぱ初め苦戦しましたよね、その営業にね。今まで聞いててびっくりしまくってて、体育会系の人やと思ったんですよ。体育会系の営業マンみたいな。ああ、ゴリゴリのね。ゴリゴリの。でも真逆じゃないですか、僕。理系の田舎の陰キャです。ほんまに全然違う。今、陽キャを具現化したみたいな感じ。めちゃくちゃ陰キャでした。
で、元々その出世したくて入った会社じゃないですか?その後出世とかできたんですか?結構評価されて、栄転で大阪に行きました、その後は。だから主任みたいな感じで、結構同期とかその前後の先輩の中でも出世頭みたいな位置付けだったと思います。確実に。え、それ何年働かれた?えっと6年すね。2008年の12月まで働いてます。最終的に辞められたんです?辞めました。
理由とかお聞きしてもいいですか?理由は、出世してくと、役員とか部長の人たちと会話するとか、色々見えてくるじゃないですか。で、あんまり良くない上司に当たったことがあって、ああ、そっか、こういう風になんのか、俺もと思って、これは憧れへんなと思って。それが1つで、もう1つは年収とかも分かってくるんですよ、上になってくると。部長になっても1000万もらえるかもらえないかぐらいなんだとか、やっぱあるんですよ。
結婚して子供も生まれてましたんで、生活のリアルを考えた時に、豊かな生活難しいなと思ったんで、ちょっとお金が欲しいと。不動産投資をしようと思ったんですよ、その時に。ただ今のベンの会社員の年収とか給与とかでは融資引っ張れないってことも分かってたので、転職しようと。で、どうせなら不動産業界がいいなと思ったんですよね、その時ね。
いつご結婚されたんですか?えっと、結婚は2007年の3月かな?26で結婚し。一緒すね、じゃあ。そうですね、僕今年27で結婚し、ほぼ。で、28で子供生まれてますか?あ、27か。28の年だけど、生まれたのは27なんで。今、高校の娘がいます。高校とあと中3の息子がいます。
へえ。奥さんはどこで出会った人なんですか?あ、クラブでナンパしました。陽キャじゃん、めっちゃ。大阪来てからクラブっていう存在を知ったんですよ。で、クラブに毎週行ってました。
それで転職されてどこに行ったんですか?次は三井不動産レジデンシャルっていう会社で、三井不動産の住宅をやる会社のデベロッパーですね。そこに行きました。それどういった仕事内容と言いますか?分譲マンションを企画して販売する仕事。
営業ではないんですか?営業企画みたいな感じ。営業もやるけど、メインの仕事は、用地を仕入れて開発が開発した物件をいかに最大利益で売り切るかっていう企画をする仕事なんで、だから数をどう打つかとか、CMをどう打つかとか、人材を何人ぐらい必要で、どういう風なツールを使ってお客さんに売るかみたいなのを考える仕事。結構幅広いすね。幅広いです。
中小から大手の転職って難しくないんですか?いや、めちゃくちゃ奇跡ですよ。三井さん、採用フィルターミスったんちゃうか?よう僕取ったなと思えば。え、面接得意とかそんな感じなんですか?でもやっぱり2008年12月までベンさんにお世話になったことで、営業マンとしてはすごい伸びたと思います。だからそこでもう陽キャに変わってます。強制的に。強制的陽キャ。陽キャじゃないとクラブで女の子ナンパして嫁さんにしないでしょ。確かに陽キャにしかできないムーブ。
陽キャのまま面接が2回あったんかな。で、通りましたね。リクルートエージェントさん通じて中途で入ったんですけど、聞いたら書類応募が1000人以上あって、採用されたのが4人ぐらい。すごかったな俺と思って。すごいすね。飲み会で聞いたんすよ。よく僕通しましたねみたいな。で、結構意見割れたらしいです。こいつは通すべきだ、いやでもなあ、どうかなみたいな。
でも1回もう通そうと。それで一次面接通したらしいです。他の応募してきた人たちはかしこまるんでしょうし、綺麗事しか言わないみたいな。私は御社の街づくりの姿勢に共感し、みたいな。僕はそういう感じじゃなくて、飄々としてる感じ。僕の今のYouTubeも、今日は皆さんのチャンネルに出させてもらってますけど、事前準備って細かくやらないんですよ。方向性だけちゃんと固めとけば、あとはアドリブでなんとかなると思ってる人で。だからそんな感じで僕も臨んだんで、飄々としてて、自然な感じで心の底から多分そう思ってるんだろうなって思ったと思います、向こうも。作り話じゃなく。
入られて、やっぱ収入もアップするんですか?そうですね。当時1社目で年収550万ぐらいだったんですよ。それが900万ぐらいになりました、1年目で。2年目で1000万超えましたね。そんな感じでしたね。
そこは何年働かれるんですか?そこは結局2年半で辞めます。ああ、稼げたけど。稼げたけど辞めました。え、出世とかはできなかったですか?なので出世ができないって分かったから辞めました、すぐ。あ、そうなんですか。そうです。やっぱりその中途の岩手大学のスペックでは、早慶とか東大京大の人たちがいる会社では出世できないんですよ。やっぱスペックって大事ですね。血筋みたいな、純血主義みたいな、新卒が優遇されるとこだったってことですか。そういうことですね。
で結局、出世できないから辞めようってなったんですけど、中小企業でもダメ、大企業でもダメ、もう行くとこないじゃないですか。じゃあもう自分で起業しようってなったんですよ。え、もうすぐその後起業?その後に起業のための勉強というかしたいなと思ったんで、埼玉の不動産会社があったんですけど、そこに2年間限定で就職してます。何ていう会社ですか?そこは、今競合しちゃってるんで、M社。なるほど。競合しちゃったんですよね。
起業が何歳ぐらいですか?えっと、32歳。33歳の年ですけど、32歳で起業してますね。2013年の8月。え、家庭いて子供いて結構怖くなかったですか?はい。なので撤退ラインを決めてました、僕の中で。35までにうまくいかなかったらサラリーマンにまた戻ろうと思ってました。
だから軍資金、現金4000万貯めたんですよ。ええ、融資とか引っ張らず?現金です。不動産投資で?不動産投資と貯金で。それを使って起業されて。それとあとは金融機関から1600万円、創業融資みたいな形で引っ張って、ただ1000万はちょっと家庭用の金で置いといて、軍資金4000万ちょっとで起業しましたね。
最初の起業をした時って、どういった仕事内容だったりとかサービスは?資金力も何もないので、1棟の中古のアパート、マンションの売り物件を、ネットで集客したお客様に紹介して回すと。で、その後の賃貸管理をうちでやるっていう。
起業した時、なんか目標とかあったんですか?ゴールとか。当時は10年で売上100億、経常利益10億円っていうのを目標にしてました。その目標はどうでした?9年目で達成しました。おお。今何年目ですか?今は13年目に入りました。
今の年商とかお聞きしても?前期で367億円が売上で、経常利益が33億ですね。1年目はどうだったんですか?1年目はですね、売上だったかな、7億円ぐらいかな?で、経常利益で700万円ぐらい。1年目はそんなもんです。
どのぐらい働いてたんですか?当時。当時は休みは正月だけ休みましたけど、他は8時半から12時までずっとです。4、5年ずっとそれですよ。ただし2年目からはゴールデンウィークと夏と冬の5日間とか、それはまとめて休みますけど、それ以外に休みって基本ないですね。だから355日とか350日ぐらい働いてる感じ。それがずっとですね。
従業員の方とかっていうのは、もちろん最初の方は1人でずっと?そうです。僕0から、1人で始めたんで。幸いにもその8月に起業して9月で1棟目売れちゃったんで。すごいです。それと管理やる実務の人いるなってなるじゃないですか。僕がそれやりながら売買回すの無理なので。で、金ないからハローワークで募集かけて、ハローワークから来た28歳のフリーター、バイトしかやったことない子。その人を採用しました。社員第1号ね。
藤原さんからすれば、言い方悪いかもしれないですけど、ちょっと迷ってるじゃないですか。迷ってます。どう指導してくんですか、それ。バチバチ詰めました。体育会系。バチバチ詰めながら仕事教えましたね。突撃してきた不動産営業の女の子いたんで、うち来いって言って引っ張った。来た。そういう感じで仲間を集めていきましたね。
へえ。不動産会社ってめちゃくちゃあるじゃないですか。いろんな業態とかあると思うんですけど、なんでそんな一気にボーンって成長できたんですか?僕らは製販一体だっていうところですね。当社は不動産業って言ってますけど、僕らは今建設業です、実は。建築会社です。社員で1番多いのが設計とか施工管理の人間ですから、不動産の営業とかよりも建築する人間の方が多いんですよ。
僕らのビジネスモデルは直接投資者で、不動産仕入れる、うちで設計して施工して自社で建てる、直接お客さんに販売する、直接当社が賃貸管理まで受け持つっていう垂直統合型でやっているので。多くの不動産会社って、自社で建築しますって言ってる会社でも、実際建築は工務店とかに丸投げしてるんですよ。もしくは三井不動産さんとかもそうだけど、スーパーゼネコンとかにタワマン作ってもらって、それを仕入れてるじゃないですか。
僕らはゼネコンとデベロッパー、不動産開発は自社で全部できるので。ゼネコンが取る利益と不動産会社が取る利益が乗っかって一般投資家に価格設定されるじゃないですか。僕らは1社でその利益が取れてればいいので、いい利回りでいい価格でお客さんに提供できるじゃないですか。伝わりますかね。手数料とか乗ってない。そう。だから中間の関わる会社さんを極力少なくしているので、僕らとしても利益高くなるし、お客さんもいい物件買えるんですよ。
ご自身の収入とかって出されたりします?出してますよ。どれぐらいに設定?僕は今期から上げて、僕今6000万になりました。年収が6000万。それもうちの役員に言われて上げましたからね。元々少なくて、元々4800万だったんですけど、社員たちも年収上げてるし、役員たちも年収毎年上げてくるんで、僕とナンバー2の差があんまなくなってきたんですよ。ちょっと伸び代なくなってくるじゃないですか。一応僕経営者、社長僕なんで、社長も上げてって言われたんで、僕上げました。
なるほど。1番稼いでる人でどのくらい稼いでるんですか?社員ベースで言うと2000万ぐらい。2000万ぐらいかな。入ってもいいですかね?是非リクルートサイトから直接。だめか。ここ直接で最終面接かと思ったけど。東京本社で新卒1年目の理論年収が440万ぐらいですからね、1年目でね。男性で総合職だと540万ぐらい、1年目でね。へえ。1年目で540。そうです。新卒1年目。かっこいいすね。
だからなおさら、Xでそんな暴れている理由がわかんなくなってきて。あれはね、さっきの面接の時もそうだったんですけど、僕変にかしこまるのあんま得意じゃないんだよね。俺はこう思ってるからこう言うみたいな、そういうところがあって。だから立場ある社長だったらSNSにおいてもかしこまって綺麗事しか言ってはいけないみたいな風潮あるじゃないですか。僕それが嫌いで、思ったことを言う、政治的なことも言う、タブーも言う。絡まれたら、ボケって喧嘩売られたんだから、こっちも人間やし、ボケって言うじゃないですか。
で、僕はね、上場しないので会社としては。だからステークホルダーのとこだけうまく調整しとけば、あとは自由に基本的にはできるかなと思ってて。基本的にはこの運用方法は大きく変えるつもりはないですけど、でも疲れたらやめるかもしれないけどね。今はまだ疲れてない。元気す。元気なんで、まだまだやりますけどね。
このチャンネル最後に、このチャンネルの視聴者層が20、30代の若者とか学生とかが多いんですけど、そこの層に何でもいいんで一言もらうっていうのがありまして、それお願いしてもいいですか?
今僕45で振り返ってみますと、やっぱ20代、30代の生き方で40代以降の人生って大きく変わるというか、決定付けるもんだなと思ってます。で、40代とかおじさんになってから足掻いたとて、そこのリカバリーってもうほぼ不可能だと思った方がいいので、何が言いたいかと言うと、今この若い時間を有効に使うようにですね、是非45歳のおじさん、アラフィフおじさんとしてはですね、皆さんにアドバイスしたいと思います。若いって素晴らしいと思いますよ、僕は。やっぱ体力もあるし、頑張れるし、楽しいと思いますね。ただその一部をね、将来を見据えて、仕事なりね、自分の生き方見つけて頑張ったらいいんじゃないかなと思います。
今日はありがとうございます。ありがとうございます。
だけなのに この町の空に こんな時代のそばに もいなくて
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