「学校では正しいことを教えるべき」は本当か:方便としての単純化をめぐる水野と堀元の対話
ゆる言語学ラジオゆる言語学ラジオの水野太貴と堀元見が、「教えるときにどこまで正確な知識を教えるべきか」を話し合った回である。きっかけはSNSで見かけた英文法の教え方への批判だった。二人は最初から同じ立場をとる。学校や予備校で単純化した説明をすること自体に問題はない、という立場である。そのうえで、単純化を批判する人の動機、教える側が持つべき理解、理科教育の組み立て方、コンピュータや言語のように説明しにくい対象の扱い方へと話が広がっていった。
発端:他動詞・自動詞の教え方への批判
水野によると、最近Xのタイムラインである論争が流れてきた。ある予備校講師が、他動詞を「意味を聞いたら『何を?』と聞ける動詞」、自動詞を「『あっそう』となる動詞」と教えていた。これに対して「この教え方はおかしい」という投稿がたくさん見られたという。
批判の中身はこうである。「何を?」と聞けるかどうかで判断すると、resemble(〜に似ている)は他動詞ではないことになってしまう。「似ている、何を?」とは聞けないからだ。しかし実際にはresembleは他動詞で、「resemble 人」の形で「誰々に似ている」と言える。だからこの教え方は例外に当てはまらず問題だ、という主張である。
水野はここで立場をはっきりさせ、その教え方に問題はないと述べた。堀元も、ラジオとしては反対した方が聞きやすいと認めつつ、自分も問題ないと思うと答えた。二人の意見が一致しすぎていて、「二人でやっている意味があまりない」と笑い合う場面もあった。
there構文の回がモデルケースになる理由
水野がこのテーマを取り上げたのは、直前に配信した英文法のthere構文の回が分かりやすいモデルケースになると考えたからである。その回の要旨は次のとおりだ。学校では、there構文の意味上の主語には定冠詞のついた名詞が来ない、つまりthere isの後にはtheではなくaが来ると教える。ところが実際には「there the〜」という文はいくらでも見つかる。水野の説明では、there構文と「theがつかないもの」は似た傾向を持っているが、完全には一致していない。本質的な問題は定冠詞の有無ではなく、その名詞が新情報かどうかにある。
これを根拠に「学校英文法や文法書は間違っている」と言う議論があるが、水野はそれは良くないと考える。理由は単純で、「〜という傾向がある」と覚えるのは面倒だからだ。「絶対こうだ」というルールにしてもらった方が覚えやすい。「there構文の意味上の主語にはtheが来ない」と教えれば、ほとんどのケースでは合っている。しかも正確に教えたところで得はそれほど大きくない、と水野は言う。堀元もこれに同意した。正しい説明をされると「結局何?」となって何も分からなくなるし、「新情報」と言われても結局何なのかと思うので、a/theで覚えた方が分かりやすい、というのが堀元の感覚である。
理解は素朴な段階から精緻になっていく
水野は、「〜という傾向がある」を「〜である」と読み替えて覚えてよいと考えている。堀元はこれを喫煙と健康の話にたとえた。喫煙している人が必ず不健康とは限らないが、そういう傾向はある。だから「喫煙は不健康だ」と言ってしまってよいのであって、「うちの祖父は喫煙していたが100歳まで生きた」という例外を持ち出すな、という話だという。
水野は、傾向と「必ずそうなる」を混同すると素朴な人に見えるが、勉強する人は最初はそこから始まり、少しずつ精緻になっていくものだと述べた。堀元も、素朴な理解がないと複雑な理解はできないと言う。いったん「そういう話ね」と分かったつもりになり、その後で「でもそうとは限らない」と誤解を正していく。人間の理解はそういう形でしか進まないのではないか、というのが二人の見方である。AならB、BならCと正確に積み上げたい人もいるが、それは相当頭がよく、認知的な負荷に耐えられる例外的な人だと二人は考えている。
水野はこの話を、かねて嫌っている「ビジネス書を読む人を馬鹿にする風潮」と同じ構造だと言う。ビジネス書は読み慣れていない人でも読みやすく作られていて、そこから文芸書や学術書へ進む人もいるはずだ。自分にもその時期があったのに、手前の段階にいる人を「お前は読書家ではない」と言うのはおかしい。中学の教科書も同じで、これから複雑な理解に進む人に方便として分かりやすいことを教えているのに、「正しくない」と言うのは自分より手前にいる人を嘲笑う構図だ、と水野は述べた。
「最適性のレイヤー」と学術の安全地帯
水野は、教える内容の最適性は同心円状に何層も重なったレイヤーになっていると整理した。いちばん内側の小さな円は入門レベルで、there構文は存在を表す、「there+動詞+名詞」という形になる、といったごく簡単なことを教える。高校生レベルになると、be動詞だけでなくexistやliveも来る、意味上の主語の位置にtheのついた名詞は来ない、と教える。これは中学で教えた内容をある程度手放し、より精緻に描いたものである。そのさらに外側に、より複雑な学術のレイヤーがある。
水野が強調したのは、学術のレイヤーの正しさは外から「間違っている」と言われにくいという点だ。いわば安全バッファーが非常に大きい。その安全地帯から高校や中学のレイヤーの誤りを指摘するのは、とても簡単で安直である。一方で、学校の現場にいる人がどんな状況に置かれているかを踏まえて批判できている人は多くない、と水野は見ている。
教室には英語嫌いの中学生もいる。その中で教えられる範囲を一生懸命教えようとすれば、どうしても複雑なものを単純化することになる。そこへ「学校では間違ったことを教えている」と言う人が現れれば、それを聞いた素朴な中高生は先生の授業を馬鹿にし始めるだろう。批判する人が知りたいことにとっての最適性と、クラス全体に教えることの最適性はずれている。そのずれを意識しないまま話していることが問題だ、と水野は述べた。堀元はこの発言を強く褒め、「メディアで言うべきことはそれだ」と応じた。
ソ連崩壊の説明とラフスケッチ
堀元は、小学校の授業は今考えるとかなり間違っていたと話す。例に挙げたのは社会の授業で習ったソビエト連邦崩壊の説明だ。社会主義国では頑張っても頑張らなくても同じ給料しかもらえないので、みんながやる気をなくして崩壊した、と習ったという。
堀元は当時これに納得したが、落ち着いて考えると、それではソ連を作った人たちがあまりに愚かだということになる。堀元の推測では、当時は資本主義が暴走し、1日18時間労働のような非人間的な環境があった、という文脈があったのだろう。社会主義はそうではないものを目指す運動であり、ソ連もインセンティブを設ける工夫をおそらくしていた。そうした事情をすべて捨てて「みんな平等にしたから衰退した」と言うのは乱暴で、全然正しくない。
それでも堀元は、この単純な説明があったからこそ、大人になって調べたときにピンと来たのだと言う。最初に「資本主義に対する課題意識が」などと言われていたら、学びは何も始まらなかった。素朴な理解が先にあるから、らせん状に学びが登っていく。堀元はこれを絵のラフスケッチにたとえる。まず大雑把に形と構図を決め、その後で修正すればよい。その段階で「形が正しく取れていない」と言われたら、「その過程は後でやる」と言いたくなる、という。
例外:命や差別に関わる領域
水野はここで補足を入れた。人の命や差別に関わる問題は別だ、という点である。粗い形で誤解を招く理解をさせると問題になりうる領域があることは承知している。堀元も医療の話は分けて考えるべきだと同意した。そのうえで水野は、there構文や他動詞・自動詞の区別を間違えて人が死ぬことはない、と述べる。そんな事態が起こりうるなら、英文法のシリーズなど作らず医師に監修を頼む、と冗談めかして付け加えた。社会科や英文法のような分野には、そうしたリスクはないという整理である。
間違いを見つける喜びと飲茶の本
堀元は別の角度から論点を加えた。最初から正しい説明をしろと言う人は、学ぶ人から「間違いを発見する喜び」を奪っている、というものだ。
堀元が例に挙げたのは、二人が好きな書き手である飲茶の『史上最強の哲学入門』などの一般書だ。堀元は、飲茶の本は大筋は合っているが「99%言いすぎている」と笑いながら評する。たとえば最初の哲学者タレスについて、当時の人はすべてを神話で説明していたが、タレスは初めて自分の目で観察し、川の周りに多くの生き物がいることから、万物は水からできているのではないかと考えた、と説明される。しかし堀元は、当時の人が本当に全員神話で片づけていたのか、観察した人は他にもいたのではないか、文献からそこまで読み取れるのか、と疑問を向ける。
水野は、タレスが港湾の近くに住んでいたから気づけたという説も飲茶が紹介していたと補った。港の近くでは水をよく見るし、違う地域の人に出会い、違う神話で説明する人々に触れる。もちろん原因はそれだけではないが、この説明は分かりやすく面白い、と水野は言う。堀元も、「万物の根源は水」と言ったタレスを馬鹿だと思っていたのが腑に落ちたと振り返る。後でしっかりした哲学書を読むと「言いすぎている」と感じるが、あの第一歩がなければそもそも本を手に取っていなかった。
堀元にとって楽しいのは、かつて通ってきた入門書を後から意地悪な視点で見ることだという。誤字を見つけると少し嬉しくなるのと同じで、「あの説明はここが間違っていた」と分かると自分が賢くなった感じがする。堀元はこれを健全な学びのステップだと考え、きっかけをくれた間違った説明に「感謝しながら馬鹿にしている」と言う。ただしネットには書かず、内心で思っているだけだと強調した。水野が「飲茶はわかったうえで書いているのでは」と突っ込むと、堀元はそれを認めつつ、それでも本の説明の理解は上回ったと思っている、と返して笑いを誘った。
堀元によれば、最初から正しい説明を押し付ける人は、自分は優越感の中にいながら、後から来る人が見下す優越感を奪っている。二重の意味で最悪だという。ただし、学者が「正しく理解してほしい」という願いから指摘するのはまったく問題なく、嫌なのは優越感のためにやる人だ、と堀元はすぐに補足した。
学校教育を下げる予備校講師への違和感
水野は、予備校講師などが学校教育を否定するのは優越感のためだろうと見ている。塾講師としての経験もある水野は、こうした手法を以前から好まないと話してきた。理由は、自分の語る話のネタを学校教育という公的な場から持ってきているのに、その学校教育を下げている点が不公平だと思うからだ。学校教育を下地にして「実はこんな面白い話なんだ」と言うなら、学校教育を悪く言うべきではない。
水野はこれを、実家が裕福だという理由で友達に食事をおごる人にたとえた。本人が偉いわけではないのに、親の金というリソースで友達を満足させている。せめて「うちの親はいい人なんだ」と言ってほしい、と高校時代に思っていたという。学校教育を否定してカリスマ性を演出する講師は、カリスマの源泉を誤認させている、と水野は言う。堀元も同意し、学校の先生は素晴らしい仕事をしていると言っていこうと応じた。そのうえで堀元は、自分の中学には嫌な先生が多かったとも付け加え、公立の進学校を志望すると伝えたら「私立に行く準備は万端なんだね」と言われたエピソードを、いまだに許していない例として挙げた。
教える側は「方便だ」と知っているべきか
話の後半で水野は、切り分けて考えるべき問題がもう一つあると言う。教える側が「傾向がある」と「必ずそうである」を区別したうえで、方便として教えているかどうかである。学校の先生が「there構文の後にtheは絶対に来ない」と本当に信じているなら、それはどうなのか、という批判はありうる。
水野は、分かりやすい説明には内部構造のまったく違う2種類があると考えている。一つは、複雑なものを複雑なまま理解したうえで単純にした説明。もう一つは、単純な形でしか理解していない人が出力する単純な説明である。見た目はどちらも単純なので区別がつかないが、価値はまったく違う。
水野は自分の言語学の説明について、基本的には後者、つまり単純な形でしか理解していないまま話しているタイプだと認める。そのため台本を事前に監修者に見てもらい、複雑なまま理解している研究者に問題がないか確認してもらっている。研究者が作る単純な説明は、本人からすると気になる箇所が多く、単純化には大きな認知的負荷がかかる。一方、単純にしか理解していない人の説明は、それがすべてだと思って話すので流暢で歯切れがよい。人はこちらに引きつけられる。堀元はここで「ゆる言語学ラジオが人気になった理由です」と茶化した。
水野は、流暢で断言する話し手が好まれるのは人間の素朴な感覚として仕方ないと認める。そのうえで、研究者が複雑な理解を単純化してくれた説明には、その難しさに見合った価値があると言っていくべきだと考えている。堀元はアインシュタインのエピソードを挙げた。特殊相対性理論を分かりやすく説明してほしいと言われ、美女と話す時間は一瞬に感じ、熱いストーブの上では一瞬でも長く感じる、そういう感じで時間は伸び縮みする、と答えたという話である。堀元は、認知の話と物理の話はまったく別で、光速に近い移動も関係ないのに、「そういう方向の話だ」とだけ分かってもらえればよいと割り切ったところがすごいと評した。水野も、専門レベルでの最適性を捨てて一般向けの最適性まで持っていった例だと整理した。
水野自身の結論はこうである。学校や予備校で他動詞を「何を?と聞ける動詞」、自動詞を「あっそうとなる動詞」と教えることに問題はない。ただ、先生はそれが常に成り立つわけではないと知っておくべきで、理想を言えば、できる生徒が質問に来たときに答えられる状態にしておけばよい。堀元は、それも理想だが先生たちは忙しいので求めるのは酷だとも言った。水野は、番組を聴いている英語の先生が「説明をそのまま授業で使っている」と言ってくれることもあると紹介した。英文法シリーズで参考文献を明示しているのは、先生たちにそれを読んでもらえたらという思いもあるからだという。
間違った理科の先生から学んだこと
水野の意見は正しすぎて腹が立つので、もっと極端なことを言う、と前置きして堀元が持ち出したのは、単純な理解しかしていない人が単純な説明をしても最悪かまわない、という主張だった。
根拠は小学校の理科の思い出である。担任の先生が「物は重くても軽くても同じ速さで落ちる。鉄球でも羽でも同じだ」と教えた。生徒が「羽の方が遅いに決まっている」と反発すると、先生は実験をさせた。重さの違う鉛筆と消しゴムを同時に離すと、重い消しゴムが先に落ちる。そう指摘すると、先生は「離すタイミングがずれているだけだ」と答えた。堀元によれば、これは真空でしか成り立たない話で、空気のある教室では羽の方が遅く落ちる。実験設計も理解も根本的に間違っていた。
堀元はこれを、ガリレオ以前の人さえ下回る珍しい事例だと言う。アリストテレスのように「重い物の方が先に落ちる」と考える世界観は、真空でない条件ではおおむね正しい。ところがその先生はガリレオの知識を中途半端に取り入れて現実に当てはめ、人間の直感を下回ってしまった。
それでも堀元は、その先生はいい先生だったと言う。堀元が「タイミングを揃えても重い方が速い」と反論すると、先生は「本当かな、なんでだろう」と本気で悩んだ。堀元はその疑問を家に持ち帰り、親から真空の条件でないと成り立たないのではと言われ、子ども向けのガリレオの伝記を読んだ。そして、ガリレオは空気抵抗の条件を揃えるため、同じサイズで重さだけが違う鉄球で実験したらしいと知った。先生の理解は単純だったが、結果として堀元は複雑な理解にたどり着いた。理想ではないにしても、そういう先生が悪いとは言いたくない、というのが堀元の主張である。
水野は、自分で後から調べる生徒がいる場合には問題ないのだろうと応じた。そのうえで、この先生の良いところは、生徒に「おかしい」と言われたときに頭ごなしに否定しなかった点だと指摘した。「うるさい、そうなんだ」と返されていたら怖くなって嫌になっていただろう、と堀元も認める。最終的に二人は、「自分が正しい」という態度を取らないことがいちばん大事なのではないか、という点で一致した。
原子模型と科学史の追体験
堀元は理科が好きで、中学の理科教育は「よくできている」と話す。例は原子の教え方だ。中学では、中心に原子核があり、その周りを電子が回っている模型で説明される。しかし堀元によれば、これは厳密には正しくない。量子力学では電子は粒子としてではなく確率的な波として存在するので、正確に描くなら、原子核の周りにもやっとした雲のようなもの(電子雲)を描き、その濃淡として表すべきだという。水野が「水素なら電子は1個あるのでは」と尋ねると、堀元は、個数はあるが粒子として存在するのではなく雲の濃淡として描かれるべきだと答えた。そして、こう説明されても理解できないだろう、と付け加えた。
堀元がこの教え方を評価する理由は、理解の助けになるからだけではない。科学史の上では、ラザフォードが「物質は小さな原子でできていて、その構造はこうではないか」と模型を描いた。それが、原子核の周りを電子が回る素朴なモデルである。その後科学が発展し、電子は粒子として存在しているわけではないらしいとわかって、電子雲の図が出てきた。つまり、素朴な説明から正確な説明へと学んでいく過程が、人類の科学の歩みを追体験することになっている。水野も、古典物理学の後に量子力学、ニュートン力学の後に相対性理論を学ぶのも同じだと補った。
堀元はこれに気づいたとき、中学からこつこつ勉強してきてよかったと感動したという。最初から正確な理解をしろと言うのは、この発見の喜びも奪うことになる。さらに堀元は勢いに任せ、アリストテレスは間違いだらけだったからダメだと言いたいのか、パピルスに現代の論文と同じレベルのものを書けと言いたいのか、とまくし立て、水野に「誰もそんなこと言ってない」と突っ込まれた。
麻雀の教え方と「マウント」の構造
水野は趣味の麻雀の例を出した。初心者には「ポンやチーはするな、ゴール直前になったらリーチをしろ」と教え、ときには「ポンやチーは存在しない」とまで言う。ポンをするとリーチができなくなり、初心者でも簡単に上がれる方法が一つ減るからだ。この説明を咎める人はほとんどいないのに、英文法になると不正確さがやたらと指摘されるのはなぜか、と水野は問う。
堀元の答えは、ポンやチーを知っているというのは当たり前すぎてマウントにならないから、というものだ。麻雀でも、他人の打牌を見て「期待値的にこっちの方がいい」と言う打牌批判のように、マウントを取りたい人はたくさんいる。there構文でも、中学レベルには文句をつけないが、大学受験レベルになると「中学よりは理解している」というだけでマウントが取れるので、指摘が始まるのかもしれない、と二人は話した。堀元はさらに、ネットでマウントを取るコメントをつけている人は、現実の友人が減り、ネットでしか話を聞いてもらえなくなり、さらにマウントを取る、というループにはまっていると述べ、やめてほしいと訴えた。
正確に説明するほど分からなくなるコンピュータ
堀元は、姉妹番組のゆるコンピュータ科学ラジオで台本を書くたびに、この問題に苦しんでいると話す。現代のコンピュータは複雑になりすぎていて、正確に説明すると機械に詳しくない人には何を言っているのか分からなくなる。
例として挙げたのが、最近水野にポッドキャストの仕組みを説明したときの話だ。ポッドキャストにはRSSフィードがあり、最近更新された回のタイトルや音源のURLが一覧になっている。SpotifyやAppleなどの各プラットフォームはそれを見て音源のURLを取りに行き、再生している。だから番組側はRSSフィードを1か所更新するだけで、各プラットフォームで聴けるようになる。これを聞いた水野が「AppleやSpotifyは音源ファイルをもらっているのではなく、毎回URLを参照しているだけなのか」と言い、堀元は「その理解でいい」と答えた。
ただ、正確に言えばそうとは限らない。堀元によれば、プラットフォームが音源を素早く配信するためにキャッシュとして手元にダウンロードしている場合があり、その場合は別のURLを持っていることもある。さらに端末側が自動でダウンロードしていて、アプリはその端末内のデータを再生している場合もある。多段のキャッシュのせいで、データがどこにあるのか一概には言えない。こうした説明を始めると、不要な要素が8個くらい出てきて理解を妨げる。だから最も素朴なモデルを説明することになり、その結果「自分がコンピュータの仕組みとして説明しているのは1980年代のコンピュータだ」と感じることがよくある、と堀元は言う。2026年のコンピュータは絶対にその構造ではない、ということもある。
水野は、言語も同じだと応じた。言語は何千年も使われてきて、何度もアップデートされている。there構文も昔からあったわけではなく、指示詞のような用法から意味が薄れつつあった時期と、まだぎりぎり意味を保っていた時期があり、そうした歴史を経て今の形になったという。そのため「これは主語ですか」と聞かれると、主語の条件を3つ挙げたうち2つは当てはまるが1つは当てはまらない、という答えになりがちで、さらに主語の定義の由来まで説明し出すと話がつまらなくなる。前回の「主語ということでいいと思います」という言い方にはそういう背景があった、と水野は明かした。今回の目的のために面白く聞いてもらうにはここを捨てよう、という判断は大事なので、揚げ足を取るのは大目に見てほしい、とも述べた。
結論:レイヤーを踏まえた批判と、「正しさ」で殴ること
水野は、この回の話は全体として「最適性のレイヤー」という概念で説明できるとまとめた。場面に応じた最適な説明があり、それらは同心円をなしている。すべてを包む最も外側のレイヤーから「ここが間違っている」と言うのは簡単だ。批判するなら、内側のレイヤーでの最適性を考えたうえでなければ意味をなさない。「thereの後にtheが来るケースはある」という指摘自体は合っているので、ただ気持ちいいだけの批判も正しそうに見えてしまう。その批判に意味があるのかまで考えて読まなければ、割を食うのは英語が苦手な生徒に教えている学校の先生だ。それはもうやめないか、というのが水野の主張である。
堀元はこれを、自身の今年のテーマである「過度の正しさと戦う」につなげた。「正しい」は有利すぎる、と堀元は言う。「面白い」には「自分は面白いと思わない」という反論が成り立つが、「正しい」は反論されにくく、圧倒的な強者の権利として使えてしまう。面白さのためにやっている人を正しさで殴るのは本当にフェアなのか。芸人の冗談に「それで傷つく人もいる」と言うのは簡単すぎて、それで容易にマウントを取り、何者かになったつもりの人に反撃したい、と堀元は述べた。この考えは、ベンジャミン・クリッツァーの『モヤモヤする正義』を読んでから考え続けているテーマだという。
これに対して水野は、その話にはまだ完全には同意していないとし、別の機会に詳しく聞きたいと返した。今回の話から逸れすぎるので、改めて扱うことになった。最後に二人は、今回は自分たちの営みを正当化してきたと自嘲した。そのうえで堀元は、「自分を正当化するな」というコメントもまた過剰な正しさで人を殴るものだと述べ、冷笑の時代とうまく戦っていきたいと話して回を締めくくった。
ゆる言語学ラジオ。
最近僕のXのタイムラインにある論争が流れてきたんですね。その中身がある予備校講師が書いているこの英語の教え方はおかしいっていうような内容でして、具体的にはそのある英語の講師さんは他動詞と自動詞について、他動詞ってのは意味を聞いたら「何を?」って聞けるような動詞で、自動詞ってのは「あっそう」ってなるような動詞だと。
うん。まあよく聞く教え方ではありますよね。
はい。で、この教え方に関して批判する投稿がすごい僕のタイムラインでよく見られたと。
うん。正確じゃないみたいなことなのかな。
そうですね。「何を?」って聞けるっていう教え方だと、resembleは「何々に似ている」。だからこの教え方だと他動詞ではないってことになっちゃう。「似ている」「何を?」って聞けないから。でも実際resembleは他動詞で、resemble 人っていう形、誰々に似ているって言い方ができると。
うん。
っていうので、この教え方は例えばresembleの時には当てはまらないから問題だみたいなことを言ってる人がいたんですよ。
うん。ネットでよく見るな、そういうの。
はい。私はですね、立場をはっきりさせますけれども、その教え方に問題はないと思います。
うん。ラジオ的な見やすさで言うとこれ俺は「いや問題がある」って言った方がいいんですけど、俺も問題ないと思います。
全く同じです。声がでかいです、2人とも。
これもういつも思ってることだから、今日言いたいんすよ、この話。
言いたい。俺もいっぱい言いたいことある。
ということで今回のテーマは、教える時にどの程度正確な知識を教えるべきかという話をちょっとしたいんですね。で、なんでこの話をしたいかと言うと、僕が前回英文法のThere構文について語った回というのが非常に分かりやすいモデルケースだと思うからなんですね。前回の内容を要約すると、学校ではThere構文の後ろに来る意味上の主語には定冠詞がついた名詞が来ないんだと。
うん。で、There isの後にはtheじゃなくてaが来るよと。
ただ実際にはThere the…っていう文はいくらでも見るわけですね。で、それどうしてなのかというと、There構文とtheがつかないものというのはどちらも似たような傾向を持っている。で、ただ完全に一致はしていない、ただ相関を持っているだけだったというのが論旨だったんですね。で、これをもって、だから学校の英文法とか英文法書というのは間違っているのだ、問題なのだっていう論が見られるんですけど、それ良くないって僕は思っていて。
なぜかというと、〇〇という傾向があるということを覚えるのはめんどくさいからです。
うん。だから絶対こうだというルールにしてもらった方が覚えやすいですね。
はい。だから先ほどの例で言うなら、There構文の意味上の主語にはtheが来ないですよって教えてあげた方が、圧倒的にほとんどのケースでは合ってるんですよね。で、ポイントはこれ正しく教えたところでそんなに得が大きくないっていう。
うん。そう、これマジでそうだよな。正しい説明されたら、え、結局何?ってなって何にもわかんなくなるっていうね。
例えばさっきのThere構文の例で言うならば、There構文の意味上の主語に来れるものってのは照応か非照応かってのは本質的な問題ではなくて、新情報であるかどうかってのが大事だっていう話でしたよね。
照応が何?ってなるもんね。
うん。で、新情報も結局何?ってなるから、結局theで覚えた方が分かりやすいもんな。
うん。僕は「〇〇が何々だという傾向がある」っていうことを「何々である」と読み替えて覚えていいと思うんですね。
うん。うん。喫煙してる人は不健康みたいな話だね。別にそうとは限らないけど、傾向はあるじゃん。だからもうそれ言っちゃっていいじゃんっていう。「喫煙って不健康だよ」「いや、うちのおじいちゃんは喫煙してたけど100歳まで生きたぞ」っていうその例外持ってこないでよみたいな話だよね。
あ、そうですね。で、この傾向と必ずそうなるってのって混同すると確かになんか素朴な人っぽく見えちゃうんだけど、勉強した人って最初そっから徐々に精緻化していくんじゃないって僕は思うんですよ。
全く同じ意見です。何の反論もないです。どんどん言ったれ。
じゃあ1人で喋ろうかな。
確かに2人でやってる意味があまりないな、これ。
んで、同じ意見すぎて見てらんないよ。相方いいこと言うね。どんどん言ったれ。素朴な理解をしてからじゃないとさ、複雑な理解ってできないじゃん。
だからなんとなく「はいはい、そういう話ね」って分かったつもりになった後で、「あ、でもそうとは限らないんだ」って誤解を正していく形じゃないとさ、人間の理解って進んでいかない気しますよね。
うん。ものすごい頭がいい人とかで、いや、そうではなくてステップバイステップで、AならばBっていうことがあった後に、じゃあBならばCってのがあってっていう風に積み上げていきたいっていう人もいるけど、僕はそれは例外だと思う。
そう。うん。全ての事実を正確に学んでいきたい人っていうのはかなり少ないだろうなっていう気がしますね。
そうですね。ですし認知的な負荷にかなり耐えられる人だと思うので。
だから僕今の話はね、僕がかねて言ってる、ビジネス書を読んでる人を馬鹿にする風潮嫌いなのと一緒で、もしかしたらその後別のところに行くかもしれない、例えば文芸を読むかもしれないし、学術書を読むかもしれない人の手前の段階の人を「お前は全然ダメだ」って言ってどうすんだよって思うんですよね。
うん。読書家ほど馬鹿にしますからね。
はい。はい。ビジネス書しか読んでない人ねみたいなね。それ良くないよね。
とか〇〇は文学ではないとか。
うん、とかね、言う人いますね。
あれは学術とは呼ばないとか言うけど、一般的な傾向としてね、ビジネス書ってリーダビリティが高くて読書に慣れてない方でも読みやすくなっているんだけど、そこから慣れてってもうちょっと複雑なもの読んでいこうかなってなる人いるはずなんですよ。ちょっとなんか暴論みたいになるけど、複雑な本をもっと読めるような手前のやつに対して、自分もその時期があったのに「お前は読書家じゃない」みたいな言い方するのって同じ構造をなしてると思う。
うん。そうだね。マウント取りたいみたいなのもちょっとあるでしょうね。
中学校の教科書とかまさにそうだよね。これから複雑な理解をしていくぞっていう人に方便として分かりやすいこと教えてんのに、「はいはい、正しくないです」って、その自分より手前の段階にいる人を嘲笑ってる構造ですもんね。
はい。
これだから整理をしますと、何かを教えるとした時にその内容の最適性って多重なレイヤーみたいに多分なっていて、1番、じゃあそのちっちゃい円、真ん中にあるちっちゃい同心円は小学生とかに教えるレベルだから、There構文ってのは存在を表しますよと。で、それからThereが来てその後に動詞、その後に名詞が来ますみたいなすごい簡単な形を教えて、高校生レベルになると、いやbe動詞だけじゃなくてexistとかも来るんだよとか、意味上の主語の位置にはtheがついた名詞は来ませんよっていう風に教えていく。これは中学で教えた内容をある程度崩している。
うん。うん。でもより精緻に描いてる感じだよね。
そうですね。isだけじゃなくてexistとかliveとか来るってのは、まあちょっとややこしくなってますよね。で、さらにその上のレイヤーとして学術のレイヤーがあると思う。で、これは高校生に教えた内容よりもより複雑になっている。うん。
で、ポイントはこの学術のレイヤーの正しさって、あんまり外から「それ間違ってますよ」って言われないんですよ。
だからいわば安全バッファーがものすごい。
いや分かるわかる。めっちゃ安全地帯にいるよな。
そう。だからその安全地帯から、高校とか中学のレイヤーで言ってることが間違ってるっていうことはめちゃくちゃ簡単で安直なんですよ。
うん。うん。うん。
でもその現場でやってる人たちがどういう状況にいるのかってのまで踏まえた上でその批判をできてる人ってそんなにいないと思う。
そうだね。なんかそっちの方が理解しやすいじゃんっていう価値は認めずに、正しくないっていう攻撃だけをしている人が多い気しますね。
そう。それで気持ち良くなってる人が多すぎて、あんたはただ英語好きだからそれやってるだけだろうと思う。
うん。英語嫌いの中学生にお前の説明して伝わるんかっていうこと。
そうなんですよ。英語嫌いの中学生も教室にはいるんですよ。その中で一生懸命教えられる範囲を教えようと思ったら、どうしても複雑なものを単純化して話すことになりますよ。で、そういう人が「学校では間違ったことを教えてる」とか言うと、それを聞いた素朴な中学生や高校生は学校の先生の授業を馬鹿にしていきますよ。うん。うん。「あ、これ間違えてるな」つってね。
そう。揚げ足取りますよ。うん。
それは彼が知りたいことの最適性とクラス全体で教えることの最適性がずれてるんだけど、その最適性のずれを意識しないまま喋ってるのが問題だと僕は思う。
うん。めちゃくちゃいいこと言うな、お前。それだよ。お前が今メディアに出演して言うべきことそれだよ。どんどん言っててくれ、それを。
聞いたことない聞き味のポッドキャストだからやめて、それ。
相方をめっちゃ褒める。
社長とかじゃねえからさ、別に。ちょっと堀元さんにターン渡しますよ。どういうことを堀元さん思ってたんですか?
僕はですね、小学校の授業とか今考えるとめっちゃ間違ってたなって思うのよ。
え、例えばその道徳で「人の嫌がることはやめましょう」とか間違ってて、実際人の嫌がること結構やった方がうまくいくなとか、そういうことですか?
まあね、ビジネスとかにおいてはね、相手が嫌がる戦略を取り続けることが最適ですから、あれは間違ってますよね。道徳の授業で教わったことはほぼ間違ってます。あれは「みんなと仲良くしましょう」とか、そんなわけないじゃんっていう。全員と仲良くできる人間なんているわけないじゃんっていう。何を気が合わない人間と仲良くなれっていうありえない規範を押し付けてるんだっていうね。気が合わない人間とはそこそこに距離を取りながらやっていきましょうっていう現実的な教えをしてないから、ちょっとあれ間違ってますね。
道徳からやり直しましょう。ごめん、逸れちゃった。
道徳とかはどうでもいいんですけど、どうでも良くはないな。うん。
道徳の話は今しなくていいんですけど。
うん。うん。
いや、社会の授業とかでさ、ソビエト連邦が崩壊しましたって習ったのよ、俺。
うん。
ソビエト連邦の失敗の原因は、社会主義国ってのはもう一生懸命頑張って働いてもそうでもなくても同じ額の給与しかもらえませんよと。まあだからみんなそしたらやる気出ないよねと。だからみんな頑張らなくなって崩壊したんですよっていうことって、なるほどなって思ったんすけど、でも落ち着いて考えたらさ、ソビエト連邦作ったやつバカすぎるじゃん、それ。
うん。
みんな頑張っても頑張んなくても同じ給料だよって言ったら崩壊するなっていう感じするじゃん、俺たちの感覚って。でも多分当時違ってさ、資本主義社会がものすごい暴走していて、1日18時間労働とかさせられたりして非人間的な環境になっているみたいな文脈があって、そうじゃないものを目指そうとした運動じゃないですか、社会主義って。
うん。
そしてね、ソビエト連邦もちゃんとインセンティブをつけられるように、こういうことした人にはこういうメリットがありますよみたいなことも多分頑張ってやってたわけで、みたいなことを全部捨てて、みんな平等にしちゃったら頑張る意味がなくなるから国として衰退するよねって、めちゃくちゃ乱暴な説明で全然正しくないわけですよね。っていうことを、僕は元の説明があったから大人になってから色々調べた時にピンと来やすくて、最初にこの説明なかったら何にも始まってないんですよ、学びが。
うん。
だから資本主義に対する課題意識が云々とかいきなり言われると。
そう。素朴に最初に理解させといてくれたから、よりスパイラルの学びが登ってくるわけですよね。
うん。うん。
だからさ、絵描く時のラフスケッチと一緒でさ、こっから始まるんだから一旦形大雑把に取るだけでいいじゃんっていう。
構図をね、決めて、ここにこれをこうとかってのがあった後に微修正すればいいと。
ね。なのに「はいはい、それ正しく形取れてないよ」みたいな、「もっとコンパクトな形だよ」みたいなこと言われると、うるせえよってなるじゃん。後でやんだよその過程はっていうことをめっちゃ思いますね。
そうですね。ちょっと聞いてる人の中では気になった人もいるかもしれないので急いで補足すると、人の命に関わることとか、差別に関わる問題については別だと僕は思います。
ああ、そうだね。
これを荒い形で誤解を招く理解をさせたら問題になることがあることももちろん知ってます。There構文で人は死にますか?
うん。
胸に手当てて考えてください。他動詞か自動詞間違えて死にますか?
でもわかんない。
強盗犯とかがさ、こう人質を取ってさ、銃口こめかみに当てながらさ、「他動詞と自動詞の違いを説明せよ」って言ってさ、
その銀行員みたいな人が「え、こうじゃないですか」って言って間違えたから撃たれるの。そういう可能性もあるよね。
ないよ。ないから俺こんな自由に喋ってない。
人類史上未だかつてないし、おそらくこの先もないか。
もしその状況だったら、俺はこんなカタルシス英文法みたいなわけわからんシリーズをやらない。医師に監修を受ける。こんなことが起こりうるんだったらね。そんなことやらないですから。
医療の話とかだったらね、そう。
命の話とかある種の話は分けて考えなきゃいけないと思うけれども、社会とか、まして英文法みたいなものとかだったらね、全然そういうリスクはないと思うんですよ。
そうだね。もっと言うと、正しい説明を最初からしろっていう人たちって、今お前がやってる喜びを味わわせないってことだぞって思って。
はいはい。
人の間違いを発見するのって楽しいんすよ。
ははは。
皆さんも経験あるんじゃないですか?本読んでて誤字見つけた時、「あ、ここ間違えてんな」ってちょっと嬉しくならない?
俺はちょっと出版社の人間だから。ああ、校正さん、これ…。
あ、そうか。
ああ、作り手に同情してしまう。
あ、この本がきっと重版して直してくれること願う、願うってなるんですよ、あなた。
願う。誤字見つけたけど、なんか歯切れ悪いな。で、昔からやったらね、「お、誤字見つけたぞ」とか言って友達に連絡したりとか、写真撮って、僕はやったことないけどSNSにあげたくなる気持ちわかるんですよ。そんなんやったらさ、版元の人にさ、迷惑かかっちゃうしさ。
うん。ちょっとごめん。あの、出版社の人に話す内容じゃなかったかもしれない。すまん、すまん、お前。
あれやめてほしいんですよね。その辞書とかで誤字見つけたっていう時、辞書の人たち本当傷ついてるからって。あれ良くないですよ。
あ、ごめん、ごめん。あの、じゃ、誤字の話置いといて一旦。散らかっちゃったから。僕はですね、そう、楽しいんすよ。この小学校とかで、今考えるとあの習い方めっちゃ乱暴だったなとか、なんとか先生あれ言いすぎてたなとかを発見すんの嬉しくて、それで学び定着してるんですよ。我々が大好きなね、ヤムチャさんね。
『史上最強の哲学入門』などで知られる大変面白い一般書を書く人ですけど、ヤムチャさんの本なんて99%言いすぎてますからね。
違くないっていうそのさ、大筋は多分あってんだけどさ、例えばね、タレスというね、初めての哲学者、何がすごかったのか。当時の人たちは全ての話を神話で解決していたと。全部のものの説明を神がこうしたからみたいな感じで片付けてたんだけど、タレスは初めて自分の目で観察して、あれもしかして物って水からできてるんじゃないか、だって川の周りにいろんな生き物とかいるからって考えたので、この点がすごかったんだって言ってるけどさ、本当に当時の人全てを神話で片付けてました?全員?観察したやつ他にもいたんちゃう?その辺文献から読み取れなくない?それ何を根拠に言ってるんですか?何その顔?何それ?アヒルみたいな顔してるけど。
気持ちは分かるよ。
確かヤムチャさんの本ではなかったかな?タレスがそれに気づけたのは港湾の近くに住んでたからだって説が確かあって。はい。はい。はい。読んだことあるかも。
その港の近くに住んでいると、まず水はよく見るし、それと違うエリアの人と出会うので、違うエリアの人たちは違う神話で説明をするんだ。ヤムチャさんそれ説明してたわ。
そう。だからタレスはそれに気づけたっていうことを書かれてたんですけど、それも別にそれだけが原因では当然ないわけじゃないですか。でもその説明分かりやすくて面白いんですよ。
そうね。めっちゃ腑に落ちるよね。あ、だから最初の哲学者タレスすごかったんだ。万物の根源は水って言ったバカでしょって思ってたけど、あ、そういうことだったのってめっちゃ落ちるじゃん。
はい。
で、その後にもうちょいちゃんとした哲学書とかを読んでると、なんか言いすぎてるな、完全にっていう。そんなシンプルな世界じゃないよなとか思うんだけど、その第1歩がなかったら俺その本手に取ってないから。
そうなの。
入り口としてその分かりやすい面白いナラティブってあった方がいいじゃん。
僕もそう思う。
で、その後「あの説明今考えるとここ大雑把だったなあ」って思って悦に浸るってことできるじゃん。
うん。うん。うん。
そのかつて自分が通ってきた入門書とかを、ちょっとまあ言うたらバカにする、意地悪な視点で見るっていう楽しさがあるわけですよ。これ僕好きなんですよ。
はあ。僕はあんまないですけど、みんなあんのか。
あの、なんか多少あると思うよ。誤字見つけてちょっと嬉しくなるみたいなのと一緒で、あいつの説明ここ間違ってたなあって、ちょっと自分が賢くなった感あって。
僕はそれネットに書いたりしないですけど、内心「ここ間違ってたな、あれ」って思えると嬉しいから。
あ、そうなんですね。
で、僕はそれを健全な学びのステップだと思ってるから、その最初のきっかけを与えてくれた間違った説明にも感謝している。で、感謝しながら馬鹿にしている。
うん。はいはいはいはい。
そのレベルねみたいな、あの説明ってそのレベルだよねってちょっとなるっていうの。これ嬉しいんですよ。
なんでそれで今ヤムチャさんの上行ったみたいな感じになってんですか?多分ヤムチャさんって分かった上でそうしてんじゃないの?
それはそうなのよ。ヤムチャさんは分かった上で書いてるんだけど、それはそれとしてヤムチャさんのこの本の理解を俺ははるかに上回ったけどねって思っている。だからその、ヤムチャさんを馬鹿にしてるという。
周り見よう。もうちょっと周り見ていこうよ。
だからこれデリケートな問題なのよ。バカにするって言うとすごく悪い印象になるんだけど、そうじゃない。俺はそこにも感謝している。間違った説明にも感謝してるんだけど、それを見下すっていう喜びがあるって話をしてるんですよ。
うん。
それが俺の大きな学びの喜びでもある。
何かを見下したいから学んでるんですよ。
馬鹿にするために学んでるんですよ、僕は。でもその馬鹿にする要素を僕はネットに書き込んだりとかしてなくて、内心で思っているんですよ。
内心の自由ですね、それは。
そう、これはいいでしょ、全然。何も迷惑かけてないんだから。で、それによって結果として僕は賢くなっているなと思うし、人生の意思決定とかも適切にできるようになってるなと思うと、それっていいことじゃないですか?
うん。うん。
最初から正しい説明されちゃってると、この喜びないから。見下す喜びを残してあげてください、後世の人に。
うん。それがさっき言ってた、最初から正しい説明をしようとする人が喜びを奪っているっていう話。
そう。そいつは最悪なのよ。その最初から正しい説明を押し付けてくるやつって、今自分がその優越の中にいるわけです。で、後世の人間からその見下すという優越を奪っているって、二重の意味で最悪ですよね。
あ、そう捉えてる。
上に立つマウントの優越にいる上に、人の優越を奪っているっていう。自分だけ得して人に損させてる。最悪です。
アカデミシャンとかにそう思って…思ってない、思ってない。あ、ごめんなさい。ごめんなさい。そうか。学者の方とかがね、その正しい理解をしてくれっていう祈りでやってるケースもあるんで、それは全く問題ないですね。あの、優越のためにやってるやつが嫌だなって話。
なるほどね。でも分かります。まあ言葉選びますわ。高校生とかに勉強教えていて、学校教育を否定してるのってね、快感があると思うんですよ。
ある。優越ですよ。だから見下す優越。
うん。ああ、なるほど。それもそうなのか。
うん。俺は正しい理解をしてるけど、学校の教師なんてこのレベルだって言いたいんだよ。
うん。
で、私は塾の先生でその手法する人は好きじゃない。
うん。言ってたね。
うん。過去にも言いましたけど。で、それなんで好きじゃないかってやっぱ思ったら、自分の語る質を学校教育っていう公的な場所からソースとして持ってきてるのが不平等だと思う。
うん。そうだね。学校教育を下地にして、実はこんな面白い話なんだぜって言って学校教育を下げてるっていうね。
蜜だけ吸ってる状態ですよね。
そう。
学校教育をベースにして面白い話をしてるんだったら学校教育のことを悪く言っちゃいけないだろうと思うんだけど、それがなんか卑怯に感じるから僕は良くないなと思うし、えっと、あ、忘れました。
ええ、急に忘れたの、言いたいこと。
すごいなお前。
いいっすよ。もう喋っても全然。
思い出してからカットインしてよ。喋り終わってから終わってくれよ。
あ、思い出しました。
はい。
学校教育を否定する形でカリスマ性を演出する予備校の先生は、僕の感覚だと実家太いからって理由で友達に飯奢ってるやつみたいな感じ。
ああ。
お前が偉いわけじゃないのに、親の金っていうリソースを使って友達を満足させていて、お前で勝負しろよっていう。
そう。学校教育のリソースを流用してるじゃねえか、お前はと。
仮に親の金で友達に奢るんだったら、「うちの親いいやつなんだよね」って言ってほしい、せめて。
うん。うん。うん。そうだね。
うん。
自分の手柄みたいにしないで欲しいなって高校の時とかに思ってたんですけど、あれに似てるんだよな。カリスマの根源を誤認させてるなって思う。
うん。マジでその通りだから。我々はやっぱり学校の先生は頑張ってくれていて本当に素晴らしい仕事をしていると思いますっていうこと言っていきましょう。
そしてその上で僕は学校の先生嫌いなことが多かったですけどね。うちの中学の先生とかすごい嫌な先生が多かったんで、あの嫌いな人多かったなってことは思いますけどね。
例えば。
俺マジでさ、一生許してない中学の先生いて、未だに許してないんだけど。まあ、僕がその人の授業をあんまり聞いてない割にテストでは点を取るわけですよ。
うん。
だから嫌いなんですよ、先生からした時に僕が。で、僕は地域で1番の進学校を受けますっていうことを言った時に、まあそれが公立の学校なんですよ。で、まあいわゆる滑り止めで私立の学校も何個か受けるんですけど、僕はその地域で1番の進学校行きますっていうことを言ったら、「ああ、私立に行く準備は万端なんだね」って言ってきて、こいつ殺すって思って、僕未だに許してないです。次どっかで会った時に殺してやろって…
ごめんなさい。間違え、間違い。危ない危ない。
これ本当に通報されるやつだから。違う違う違う違う、ちゃうちゃう。あの、なんて言うの、こうね、俺も嫌味言ってやろうくらいに思ってます。
次どっかで殺してやろうと思ってないです。思ってないす。思ってないす。思ってないです。
危ない危ない。これbanされるリスクあるからね。急いで訂正しなきゃいけないですからね。
急いでその乳首とか出して、乳首を出したことによってbanされたことに…
違う違う違う。banされる要素とbanされる要素足されたら、よりbanされるだけなんですよ。
え、だから乳首からbanされたってことにしたら、その犯罪感じないから、犯罪予告みたいにならない。
ちょ、違、違う。あの、でも奇跡的に今日めっちゃ乳首出せるシャツ着てん。出そうと思えば出せるぞ、俺、ボタン外せば。今投げ銭とかしたら出してくれるかもしんないよ。ライブじゃないからこれ。届かないスパチャ。
あ、そうですか。
で、ここまでさ、予備校の先生とか、学校での教え方が不正確だってことに対して批判してる人が野暮だっていう話をしてきたじゃん。とはいえ切り分けて考えなきゃいけない問題がもう1個あっていて。
あっていてっておかしいぞ。
おかしいぞ。
母語話者なのに。
すごい間違えたね。あって、あって、あっていてって。
でもね、可愛いよ。
あ、本当。
全然問題ないですね。全く問題ないです。
それはですね、教える側が「傾向にあること」と「そうであること」ってのを区別した状態で「何々である」って教えなきゃいけないと思う。うん。うん。
つまり先生側は方便であることはせめて理解しなきゃいけないんじゃないかって批判はありえると思う。
ああ、そうね。教え方自体はシンプルでもいいけど、単純化しすぎてるなって分かってる方が理想だよね。
はい。
Thereの例に戻すんだったら、学校の先生が本当にThereの後にtheが全く来ることはないって思っているのはどうなのかっていう批判はありえると思いますね。
というのも僕、分かりやすい説明というのは実は内部構造が大きく2種類、全然違うものがあるんじゃないかと思っていまして。
はいはい。
1つは複雑なものを複雑なまま理解した上でシンプルにした説明。
うん。
でもう1つは単純な形でしか理解してない上で出力されたシンプルな説明で、この2つは、うん、非常に似ている。
分かる。説明だけ見ると両方とも単純で一緒だからね。
そう。だから区別ができないんだ、これはあんまり。ただこの2つの価値は全然違うのだということ。
わかるよ、分かるよ。行ったれ、行ったれ。もっとお前いいぞ。今日キレキレだね、君。行ったれ、行ったれ。聞きづらいな。
え、ガチ恋勢。
確かにガチ恋勢ぐらいの。「本当に水野さんの話聞けるなんて嬉しいです。どんどん喋ってください」。
やめてください。ちょっと放送中にそのメロつくの。
確かに。ちょっと見づらいかもしれない。
キモ極まりないな、本当に。
マジで俺思ってることだから。分かるよ、それ。
うん。
先に言っておきますが、僕がしている言語学系の説明というのは、基本的に単純な形でしか理解してないまま話してる単純な話。だから複雑なことを理解できてないまま出ているから、あんまり良くないタイプの説明だと思う。
で、僕はじゃあせめて研究者、つまり複雑なまま理解している人たちに見てもらって問題ないかをチェックしてもらおうと思ってるから、台本事前に監修者に見ていただいたりとかしてるんですけど、この複雑なものを複雑なまま理解してる人が作るシンプルな説明って、その人からすると気になる箇所もいっぱいあるし、まずシンプルな説明に直すのにものすごい多分認知的な負荷がかかる。一方で単純な形でしか理解してない人の出すシンプルな説明というのは流暢です、非常に。
うん。
だって単純な形でしか理解してないから、それが全てだと思って喋っちゃってるもんね。
そう。歯切れがいいんです。だから皆さんはこっちに引きつけられるんです。
そうです。ゆる言語学ラジオが人気になった理由です。
そうね。研究者がいろんなこと考えながら喋るより、何にも分かってないやつがシンプルに喋った方が見やすいもんね。
そう。で、それは人間の素朴な実感としても、流暢に喋ってたり断言してる方がいいと思うのは仕方ないと思う。でも我々は理性があるのだから、研究者とかが複雑に理解してるものをシンプルにしてくれてる説明というのには価値があるって言っていかなきゃまずいんじゃないか、思っていかなきゃまずいんじゃないかとは思っているんですよね。
うん。そうだね。
現代ではあんまりそれが、彼らがしていることの難易度に比べて評価されてないなっていう感じはしますね。
うん。だからさ、アインシュタインの有名なエピソードでさ、特殊相対性理論の話を分かりやすく説明してくださいって言われた時に、「美女と喋ってる時間は一瞬だけど、熱いストーブの上にいたら一瞬でも長時間に感じるでしょ。そういう感じで時間って伸び縮みするんだよって話だよ」って答えたって話あるじゃん。
はい。
それ提唱者がそこまで下りてきてんの偉くない?
そうね。
そういう話じゃないし。ほんで、
全然違うでしょ。
全然違う話じゃん。それ認知の話と物理的な話って全然違う話だけど。
法則で動いたりしてないでしょ。
そう。光の速さに近く移動とかしてないのに、そんなような方向の話だとだけ分かってくれればいいやっていう単純化じゃん、これって。
だからそれすごいアインシュタインだなって思うよね。
うん。
だから一般的なレベルでの最適性のところまでちゃんと持ってったんですよね。アインシュタインの理解してる専門レベルでの最適性を捨てて、一般レベルのところに行ったってことですよね。
複雑な理解をしてる人が単純な説明をしてくれてるわけだから、あれの価値ですよね。
そうですね。僕だからこの自動詞・他動詞区別論争みたいなのを見た時に、自分の頭の中で出した結論としては、学校の教育現場とか予備校の授業で、他動詞ってのは「何を?」って聞ける、自動詞ってのは「あっそう」って思うような動詞ですということは問題ないと思います。
うん。
でも一方で先生側は本当はそうとは限らないってことは知っておくべきだと思うし、理想としては、だからできる生徒が聞きに来た時には答えられるっていう状態にしておけばよいという話だと僕は結局結論づけました。
あの、僕もそれが理想だと思うんすけど、学校の先生方忙しいんでね。それをやれっていうのもちょっと酷だなって気しますけどね。
そうだね。幸いね、ゆる言語学ラジオ、学校の先生で聞いてくださってる方、英語の先生とかも結構いて、なんならそういう先生が授業で教える時とかに使ってもらえたらいいなって。先生がたまに「説明丸パクリしてます」って言ってくれることあってありがたい。マジでパっと見で授業で活かせるような英語の話とかが載ってるかどうかってわかんないから、
であれば参考文献で明示して、その先生方もそれ読んでくれればいいなって思ったりして、このカタルシス英文法シリーズとか作ってる面があるんですけど。
はい。なんか水野さんってさ、すごくバランスの取れたことを言うから、今言ってたことすごい正しくて腹立つから僕もっと間違ったこと言うんですけど。急に恋が始まったな。
極論、複雑な世界を極めて単純な形でしか理解してなくて、単純な説明をしてしまっても最悪いいと思う。
ふんふん。
これ俺すごい思い出あってさ、小学校の理科の授業で先生がめっちゃ間違った説明してたのよ。
ははは。太陽が北から登って南に…
違いますね。それはもう教科書に書いてあるから、それはできてくれよ。え、でもそれに近い間違いしてて、
どんな間違い?
担任の先生が「物は同じ速さで落ちます。重かろうが軽かろうが同じ速さで落ちる。だから鉄球でも羽でも同じ速さで落ちるんだぜ」って衝撃の事実を伝えて。
ガリレオが実験してたやつね。
そう、そう。ピサでね、落としたやつで。みんな「嘘だ」ってなるわけよ。
なる、なる。
「羽の方が遅いに決まってんじゃん」ってなるから、「じゃあ実験してみよう」って言って、「みんなが持ってるものの中で重さが違う2つのもの持ってごらん」と。鉛筆と消しゴムとか持つわけですよ。で、「じゃあ同時に離してごらん」って言われてパッて離したら、まあ重い消しゴムの方が先に落ちるわけですよ。
うん。
で、「え、消しゴムの方が先に落ちたよ」って言ったら、「あ、それもね、多分離すタイミングがちょっとずれてるだけだから、もう1回やってごらん」って先生言ってて。真空下でしかそれ成立しないんですよ。めちゃめちゃ空気ある教室の環境でやっちゃったら羽の方が遅いんすよ、地面につくの。
うん。ふわふわするからね。
ね。
だから実験設計が根本的に間違ってるとか、理解が根本的に間違ってるんです、先生が。
はい。
え、そのガリレオよりも前から生きている先生が?
いや、ていうか違うのよ。ガリレオよりも前の人よりも下回ってんの、その先生。
その中途半端にガリレオの知見をアップデートしちゃったから、より間違えた人になってて。
中世の人って、その重いものの方が先に落ちると思ったから。
アリストテレスが言ってたやつですよね。
そう。で、それ真空じゃない条件だったら成立してるから、だから概ね正しい世界観なわけよ。
はい。鉄球の方が羽より早く落ちること自体は現実では事実ですもんね。
そう、そう、そう。なんだけど、その先生は中途半端にガリレオの知識を入れて、それを現実世界に適用してしまったせいで、重い物でも同じ速さで落ちると思ってる人っていう、人間の直感を下回ったっていう珍しい事例。
知識を入れることによって無知の人よりも下回る推論をしてました。
全てはその手離すタイミングが一緒じゃないからっていう理由ですもんね。
そう。それで解決しようとして。もうだから陰謀論だよね。同時に離してんのに「いや、お前今こっちのが遅かった」っていう。
例えばだから、プロ野球選手と小学生がマウンドから投げた時にプロ野球選手の方が速いのも、離すタイミングがその違うからですもんね。
とかで説明するでしょうね、彼はね。もう何でも離す速さだけで説明する。
地球には空気抵抗ないですから、ピッチャーが投げたってのは一定の速度ね。
あ、そうだ。致命的に間違えてる理解をしてたのよ、その先生は。ただその先生めっちゃいい先生だったの。ちょっとアホなんだけど熱意あって。だから俺がすごいそれは反論したのよ。離すタイミング一緒にしても絶対こっちの方が早く落ちるぞと。
重い方が早いぞってこと言ったら、「え、本当かな?なんでだろう」ってめっちゃ悩んでて、その先生も。
可愛い。
で、僕は、結論としては間違ってたんだけど、僕はその先生の姿勢がすごい良くて。なんでこれ間違ってんだろうなって俺その先生から疑問植え付けられて、家帰って話したりして。で、うちの親の方がその先生よりは正確に理解してるから、「真空の条件じゃないと成立しないんじゃない」みたいなこと言って、そうなんかなと思って、なんか子供でも分かるガリレオみたいな本引っ張ってきてさ、ガリレオの伝記とか読んで、
あ、どうもそうっぽいぞと。
ガリレオは空気抵抗って条件を揃えるために、同じサイズの鉄球で重さだけ違うもので実験したっぽいぞと。だから、あ、これ空気抵抗のせいだなあって、俺そっから勝手に学んだから。
うん。
先生は単純な理解しかしてなかったんだけど、結果として俺その単純な教えから複雑な理解に到達してるから、単純な理解しかしてないやつが単純な説明するのもめっちゃ悪いとは言いたくない。あの、理想とは言わんよ。複雑な理解してる方がそれいいに決まってるけど、それ知っちゃってる先生も別にそんなに悪くないんじゃないかってこと言いたいですね。
そうですね。自分で後で調べようっていう生徒がいる時においては問題ないんじゃないか。
そうだね。まあだから、それ間違ったまま持って帰っちゃう人もいるんだろうけど、なんか僕はね、大事なのって姿勢の方じゃないっていう。
それはそうかもしれん。その先生が素敵だなって思うのは、堀元さんに「おかしくない?」って言われた時に、生徒のことを頭ごなしに否定しないのが素敵だと思う。
そう。それで「うるせえ、そうなんだよ」って言われてたら、なんかこいつ怖いってなって嫌になったと思うから。だから、より大事なのは姿勢の方じゃないかっていう感じすかね。
うん。「俺が正しいんだ」にならないことが1番大事なことなのかなっていうのは今聞いて思いましたね。
そうですね。なんならその先生、一緒に考えてみようみたいな感じなわけでしょ。
あ、そうそうそう。
うん。それは立派なことですね。
これはね、いい先生でしたね。僕の中学の時のあの嫌味言ってくる先生とは大違いでしたね。
もう天と地ほどの差がありますよね。あの中学の時のあいつも絶対許さねえからな、まだ。
カメラ止まってたらどう思ってる?
もう殺してやろうって…やめろ。乳首出して、乳首で急いで…
乳首出したらチャラじゃないんだよ。こっちが原因だったんじゃ。ジャパさんこです。ご覧ください。
あと水野さんに多分ない論点で言うとさ、俺理科好きでさ、理科の中学校教育マジよくできてんなと思うのは、原子ってものを教える時にさ、原子核ってのが真ん中にあって、その周りを電子が回ってますよっていう模型で説明されんの。
で、これ厳密に正しくなくて、電子って粒子としてじゃなくて確率的に波として存在するから。
あの量子力学のやつですか?
そう、そう。だからもっと正確に図にすると、こう回ってるとかじゃなくて、雲みたいなものがあって、あの確率の雲の濃淡があるだけなんですよ、電子って。
電子雲っていうね。だからより正確に図を描こうと思ったら、原子核があって周りにもやっとした雲のようなものを書く方が正確なのよ。
で、電子はどこにあんの?水素だったら電子が1個とか、ヘリウムだったら2個みたいに、その2個あるんでしょ?
なんかある。まあだから2個はあるんだけど、それは粒子として存在じゃなくて波として存在してるから、雲のようなものの濃淡として描かれるべきなんですよ。っていう、これ理解できないでしょ。
え、解釈に厳しいオタクみたいなこと。「その本来は描写というのは」みたいな。
でもマジでそう。エヴァンゲリオンのオタクとかと一緒で、「え、本当はだからそれ粒子として書いちゃだめだけどな」みたいなことになるわけですけど、そうしないで教えてるわけよ。
で、これ理解の助けになってて素晴らしいじゃない。そしてそれ以上に科学の歴史をなぞってるんですよ、これって。
科学の歴史の上ではラザフォードという科学者がね、物質ってどうやら原子っていうすげえちっちゃいものでできてて、で、この原子ってこういう構造なんじゃないかっていう模型を書いたんですよ。
うん。それがこの原子核の周りを電子が回ってるっていう素朴なモデル。
うん。中学で習うやつね。
そう。で、もっと科学が発展した時に、どうも電子って粒子として存在してるわけじゃないっぽいぞと。もっとこういう雲みたいなもんで描いた方が図としては正確だぞっつって、電子の雲みたいな図が出てきてるわけよ。だからこれって人間の科学の営み、進歩を教育課程で再発見してるんですよ。
うん。うん。うん。
って考えるとこの追体験めっちゃ良くない?
それ物理でもそうなわけでしょ?古典物理学を習った後に、えっと、量子力学…
だいぶギリギリだな。え、あってる、あってる、あってる。量子力学とか。うん。てかニュートン力学を習った後にアインシュタインの相対性理論とかになるから。だからそれって科学を追体験してるとも言えるよね。
だからこれ偶然なんだけどさ、素朴な理解の説明から正確な理解のための説明へ進んでいくのって、人類の科学史をなぞってるのと同じで、科学史の授業にもなってるんですよ、これって。こんな素晴らしいことなくない?
確かに。
普通に勉強して理解のためにやってったら、人類の営みと同じ理解をしていくっていう。美しいじゃないですか。
そうだね。
で、僕はこれに気づいた時にめっちゃ感動して、あ、なんか良かったな、俺中学からコツコツ勉強してきてって思ったんですよ。これを最初から正確に理解しろっていうのって、あ、俺が歩んできた道のりって人類と一緒なんだっていうカタルシスも奪うことですからね。最悪のクソリプですよね。じゃ、なんすか、最初のアリストテレスは間違いだらけだったからカスだって言いたいんですか? 21世紀の現代と同じレベルで最初からアリストテレスも文章を書くべきだったと。そういうことを言いたいわけですか? そういうこと言ってる人はパピルスに現代の論文と同じレベルのものを書けって言いたいわけですか? カスですよ、そんなこと言うやつ。
誰もそんなこと言ってないよ。
学問とかでそれがすごいよく言われるけど、例えばね、私の趣味の麻雀なんて、初心者に教える時にはポンやチーはするなと。ゴール直前になったらリーチってのをやりなさい。ポンとかチーというのは存在しませんとか言うんですよ。
言うね。だってポンしたらリーチできなくなっちゃって、初心者でも簡単に上がれるって方法が1個なくなっちゃうからね。
そうなんですよ。で、この説明を咎める人って多分あんまいないと思うんですよね。
うん。そうだね。
初心者よくネット麻雀とかやるんだけど、ポンとかチーっていうボタンは存在しませんと。押すなそれとか言って、それ不正確ですよ、ポンとかチーってボタンありますよって言うのはないのに、なんか文法の時とかだけそれがやたらと言われるのは。
俺でもその理由分かるぜ。ポンとかチーを知ってるぜっていう事実って当たり前すぎてマウントにならないから。
ああ。
それを言う意味ってないんですよ。
でも麻雀の界隈ってね、人が切ってるのを見てね、あれ切ってんの判断ミスだけどなみたいな。こういう時のこれはこっちの方が期待値いいからこっちだけどなってマウント取りたい人はいっぱいいるじゃないですか。
います。打牌批判ね。
一緒です。ただ単にマウントをみんな取りたいだけです。
ゼア構文も中学で習うレベルのことには文句つけないんだけど、大学受験ぐらいになってくると文句つけるとかもあるかもしれない。俺それ知ってるよっていう感じを言いたいんだ。
うん。てかゼア構文だから、中学より俺は理解してるぞだけでもマウント取れるから、それでマウント取り始めちゃうって傾向あるかもしれないですね。
なるほどね。だからマジでさ、インターネットでコンテンツ見てるやつってマウント取り癖がついちゃってるからさ、あれマジで良くないですよってこと言いたいですね。インターネットでマウント取るコメントつけてるやつ、現実世界で友達減って、よりインターネットでしか話聞いてもらえなくなるから、よりマウント取り始めて、より友達がいなくなってっていうループにはまるんで、あれやめてください皆さん。はい。
よしよしよし、大丈夫。大丈夫だっ、日頃の鬱憤たまりすぎて。
あと僕、ゆるコンピュータ科学ラジオって番組でいつも台本書いてるからめっちゃ苦しむんですけど、現代のコンピューターさ、複雑化しすぎてさ、正確な説明ができないんですよ。というか、正確な説明をすると機械音痴には何を言ってるかさっぱりわからないっていう状態になってしまって。例えばですね、水野さんにポッドキャストの仕組みをこないだ説明したんですよ。
はい。
で、ポッドキャストってRSSフィードって言われるね、最近更新された回のタイトルはこれで、音源はこのURLにありますみたいなものが一覧でずらっと出てくるから、SpotifyとかAppleみたいな各プラットフォームがそれを見て勝手にその音源のURLを取りに行って、そこから再生しているよ。だから我々はこのRSSフィードというので1個更新するだけで各プラットフォームで聞けるようになるんだねっていう話をしたんですよ。
で、これに対して水野さんが、あ、じゃあそのAppleとかSpotifyとかがわざわざその音源ファイルをもらってるわけじゃなくて、ここに音源ありますよってURLを毎回参照してるだけなんだって水野さんが言った時に、僕はその理解でいいですって言ったんですよ。
うん。合ってんでしょ?
これ素朴な理解として合ってるし、実際そうなってるケースもあるが、そうでないケースもあり、各プラットフォーマーがキャッシュで適切に音源を素早く配信するために、その自分の手元にダウンロードしてきてるケースもあるから、ここに音源のURLとしては書いてあるんだけど、各プラットフォームがそれぞれとは別にまた異なるURLを持ってる可能性がある。そしてさらにこのURLが…止めようとすんな、喋ってる途中に。
大丈夫大丈夫。え、さらに言うと、この各プラットフォーマーが持ってるURLから端末が毎回取ってきてるわけでもなく、端末が自動保存みたいなことをしていて、その端末の中に音声データがすでにダウンロードされていて、それを素早くアプリが再生してる場合とかもあるから、多段キャッシュのせいでそのどこにデータがあるか分からなくて、各々のなんかレベルに合わせたそのキャッシュから取ってきてるよねみたいなことを喋らなきゃいけなくなるわけですよ。
呼鏡を促すな1日。
だから現代のさ、コンピューターの話ってさ、素朴な構造としてはそれで合ってるんだけど、正確な説明をしようとするといらない要素が8個ぐらいまたいっぱい出てきて、そのせいで理解の妨げになるってことがむっちゃ多いんですよね。
うん。
だからそれを省いてしまって1番素朴なモデルを説明しようとした結果、僕がコンピューターの仕組みってこうなんですよって説明してるコンピューター、1980年代のコンピューターってします。
なるほどね。
2026年のコンピューター絶対その構造じゃないみたいなことよくありますね。
ま、でもそれ言語も一緒ですよ。
あ、本当。
言語はだってほら、何千年も人々が使ってるからさ、歴史があるからアプデが何回も起きてるわけ。
そうだね。
例えばゼア構文だって昔からあったわけじゃなくて、あるタイミングで指差しみたいなのがあって。
はい。はい。
その指差し時代のゼアは意味がなくなりつつあった時と、まだギリギリそこでを保ってたタイミングとかもあって、その結果その「ゼア イズ なんとか ゼア」みたいにそのゼアが2回来るみたいな。そう、その歴史を経て今現代の形になったわけよ。
で、そういう歴史があるから、それ主語ですかとか聞かれると、ま、主語の条件ってのを例えば3つ列挙した時に、2つは当てはまるけど1個は当てはまらないみたいな回答に結局なっちゃって、で、なんでこういう主語の定義をしたかっていうとみたいなことまで説明し出すと、もうつまんないじゃん。それだから前回、まあ主語ってことでいいと思いますみたいなこと言ったら、そういうところでそういうことですよね。
で、それを全部いちいち喋ってるとつまんなくなっちゃうから、今回の目的のためにみんなにそれなりに面白く聞いてもらうためには、ここ捨てようみたいなのって大事な判断じゃないですか? それをいちいち揚げ足取るのあんま良くないんで、ちょっと皆さん大目に見ていただけると助かります。
うん。だから僕は今日のここまでの話って、全体的に最適性のレイヤーっていう概念で説明できると思うんです。
うん。その場に応じた最適な説明がありますよってことかな。
はい。
で、それが今回のケースで同心円をなしていて、全てを包含する最も大きいレイヤーでここが間違ってますっていうのは結構簡単なことであると。批判をするのであれば、同心円の内側にあるレイヤーの最適性を考えた上で批判しなければ意味をなさないと思う。
そうだね。
で、一見それも、ただ気持ちいいだけの批判がなんか合ってるっぽく見えてしまう。実際ゼアの後ろにザが来るケースってありますよっていうことは合ってんだから。その批判が意味があるのかどうかまで考えてテクストを読まないと、結局割を食うのは学校の先生とか。例えば英語が苦手な子に授業をしている先生が割を食ってるから、それちょっと今からやめませんかっていうのが、まあ今回の僕が思ってたことですね。
うん。そしてね、僕の今年のテーマである「過度の正しさと戦う」に繋がってくるんですよ。
うん。うん。
これ、正しいって有利すぎるから。面白いとかに比べて、正しいって反論されないからさ。
はい。
面白いについては、いや、俺は面白いとは思わないねって反論を受けるんだけど、正しいについては、正しいから圧倒的な強者の権利としてそれを行使できるんですよ。
はい。
で、それずるくないかと。面白さのためにやってる人に正しさで殴るのって本当にフェアなことかっていうのめっちゃ思ってて。
なるほど。
芸人さんがさ、冗談言ってる時に、それで傷つく人もいますよっていうのって簡単すぎるから。それで容易にマウントを取って何者かになったつもりでいるやつに反撃したい。
なるほど。
っていうのありますね。
ちょっとその話はね、完全に同意するまで僕至ってないんで、ちょっと機会があったら説得してもらって。
まあ、ま、てかこれ僕最近さ、『モヤモヤする正義』って本読んでさ、あれ今んとこ今年ベストぐらい良かったから。
ベンジャミン・クリッツァーじゃん。いい、お前の特技いらんのよ。はい、どうぞ。
それ読んでから結構ずっと考えてるテーマだから。これまた別でやりましょう。1回分になるよ、これ。多分。
おし、やりましょう。
あ、でもごめん。ツんどチャンネルで『モヤモヤする正義』の紹介動画撮っちゃったから、それ見てください。あ、そっち、あの、はい。
それでなんか文句あれば、また別途書面にて回答いたしますので、書面にてご提出してください。
対話とかは。
いや、ちょっと対話とかいらないんで、効率悪いんで書面で。やっぱりそのほら、代理人通した方がいいから、こういうのって直接やり取りしちゃ。
マネージャーさんして僕が。
info@pedanticに。
あ、違う、ごめん、ご中のやつだけだったわ。大丈夫、俺らと仲いいから大丈夫。対話しましょ。
そうですね。ちょっとそれは詳しく聞ければと思います。
うん。
なんかこれ今回の話から逸れすぎるから、また別でやりましょうよ。
はい。
ということでね、自分たちの営みを正当化してまいりました。
ね、そうなんですよ。僕途中から、あれ、俺これ自分の正当化で聞いてられないのではっていう不安がありましたね。
あ、僕も同じこと思いました。
でもそれに対して、自分を正当化しやがってみたいなコメントって、過剰な正しさで人を殴ってるからな。俺はそれと今年戦っていくって決めたからな。
冷笑主義者が。
そういうの本当現代の良くないとこだからね。冷笑の時代もう終わらせていきましょう。我々の手で。
熱笑しましょうね。
ちょ、ちょっとそれ俺つまんないからやめてほしいんだよ。
そう。熱と書いて熱笑の方がいいって言ってる人。それはそれで俺、滑ってるなって冷笑しちゃうんですよ。
今それ複雑な構造なの俺。その冷笑してるやつ大嫌いなんだけど、それを攻撃しようと思って熱笑って言ってるやつを俺冷笑しちゃってるから、すごい難しい。中笑がいいってこと。
中笑って何? ちょ、どんどん複雑になってくんのやめてください。概念提唱しないでいいんで。冷笑の時代と上手に戦っていきたいですね。あとですね、引き続きチャンネル登録、高評価、感想のコメントお待ちしております。皆様もね、この方便いいのか問題については一家言ある方が多いんじゃないかなと思いますので、思ったことどしどしお寄せいただければ幸いです。
はい、以上。ありがとうございました。
ありがとうございました。
堀元さん、うまく話せなくて悩むことってありません?
よくあります。
そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。
ほう。
タイトルは『会話の0.2秒を言語学する』。会話のわずかな間にフォーカスした1冊です。是非皆さん買ってください。
うん。
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