保険会社の技師ウォーフは、なぜ「言語が思考を決める」という仮説で名を残したのか
ゆる言語学ラジオゆる言語学ラジオのこの回は、「サピア=ウォーフの仮説」の実質的な提唱者ベンジャミン・リー・ウォーフを取り上げる前編である。解説役の水野は、ウォーフがどんな経歴の人物で、何を根拠に言語と思考の関係を論じたのかを紹介する。聞き手の堀元は、ウォーフが有名になった理由を現代のインフルエンサーになぞらえながら話を聞いていく。ウォーフへの批判は次回に回されており、今回はウォーフ自身の主張を中心に扱っている。
「エンプティ」と書かれたドラム缶
水野は冒頭で、ある火災保険会社の職員が言語学を変え、その流れが現代まで続いているという話を持ち出す。その職員は保険会社の仕事として火災の原因を調べていた。そこで、原因のひとつがドラム缶に書かれた「empty」という文字だと気づいたという。
中身の重いものが入っていないという意味で「エンプティ」と書かれたドラム缶にも、実際には揮発したガスが残っていた。ところが人々は文字を見て「何も入っていない」と受け取り、タバコやマッチを投げ入れてしまい、それが火災につながっていた。この経験から、言葉は人々の思考や認識に大きな影響を与えると考えたのがウォーフである。水野によれば、ウォーフは言語学者とも呼ばれるが博士号は取っておらず、保険会社の職員だった。
仮説の中身と名前の由来
堀元はサピア=ウォーフの仮説を「言語がみんなの思考を決定するだの影響を与えるだの」と説明し、水野はこれを肯定する。この仮説には解釈の幅がある。言語が思考を完全に決定するという「強い立場」と、言語が思考や認識に影響を与えるという「弱い立場」だ。水野は、この仮説を映画『メッセージ』で知った人も多いだろうと述べる。そのうえで、次回以降に映画を見直して言語学の視点から感想を話す回を撮りたいと予告している。
水野によれば、この仮説を実質的に唱えたのはウォーフであり、サピアではない。しかもウォーフ自身は「サピア=ウォーフの仮説」とは呼んでおらず、「言語的相対論」や「言語相対論」と呼んでいた。サピアはウォーフの師匠のような人物で、後世の人が二人に共通する考え方をまとめてこの名前を付けたという。
さらに水野は、サピア自身の書き方も一枚岩ではないと指摘する。サピアにはこの仮説にあたる考えへの言及が4つあり、うち2つは消極的、2つは積極的な書き方をしている。そのため、どちらとも取れる。これに対し、ウォーフははっきり積極的な立場を取っていた。
先駆者は多いのに、なぜウォーフが残ったのか
言語が思考に影響するという考えは、ウォーフやサピアが最初ではない。水野は、カント、フンボルト、サピアの師匠であるボアズ、ドイツ系のヴァイスゲルバーらも同様のことを述べていたと挙げる。
それでもウォーフの名が残った理由を、水野は「バズったから」と説明する。ウォーフは、当時としては先進的な考えを、直感的に面白く理解できる形で、やや過言気味に書いた。その結果、広く受け入れられたという。堀元はこれを聞いて「現代のインフルエンサーと全く一緒」と反応し、同族嫌悪を感じると笑った。水野が「ウォーフに学ぶバズり方」として見れば自分の仕事に生かせると返すと、堀元もそれに同意した。
平凡な学生、評判の高い保険技師
ウォーフは1897年にアメリカで生まれ、1941年に50歳を前にして亡くなった。水野はその経歴を「異例」と表現する。ウォーフはMIT(マサチューセッツ工科大学)で化学工学の学位を取って卒業し、その後は火災保険会社で技術系のポストに就いた。そして亡くなるまでその仕事を続けた。大学教授にはなっていない。MITでの成績は平凡で、英作文やフランス語の授業でも評価は良くなかったと水野は紹介する。
一方で、本業の保険技師としての評判は非常に高かった。コネチカット州にある大規模で複雑な化学工場を検査した際、ウォーフは工程が危険だと判断した。そして、安全にできるようになるまで製造を止めるべきだと経営陣に伝え、改善方法も提示した。経営陣はこれを受け入れて改善を行っただけでなく、改善後も再稼働を遅らせ、ウォーフが現地で「これなら始めて大丈夫」と確認するまで待ったという。化学製品の製造者のあいだでウォーフの評判は高く、営業もできた。ある公立学校から火災予防の検査を頼まれたときには、提出した報告書が学校の運営委員会を感心させた。その結果、それまで取引の少なかった自分の会社が、学校の保険の管理者に任命されたというエピソードも紹介された。
ウォーフは1日8時間働きながら学問上の業績を出した。水野が読んだ本の解説には、その業績が多くの教授に匹敵する時期もあったと書かれているという。研究職のポストを提供する申し出もいくつかあったが、ウォーフは断っている。仕事に就いているほうが生活が楽で、自分の知的関心を好きなように伸ばす機会が多い、というのが理由だった。雑誌編集者を本業とする水野は、自分の関心を追うためには働いていたほうがいいという点に強く共感すると語った。
宗教と科学からヘブライ語、そしてアステカ語へ
ウォーフが言語に向かったきっかけは、言語そのものではなかった。まず科学と宗教の対立に興味を持ち、それを入り口にヘブライ語の研究を始めた。そこからメキシコなどで話される言語の書記体系へと関心が移る。博物館の専門家や考古学者と手紙でやり取りするようになり、1928年にはメキシコ中央部で話されるアステカ語の文献学に関する初めての論文を発表した。
大学の成績が平凡だったことについて、水野は、MITで化学工学を学んでいた当時はそこまで興味がなかったのかもしれないと推測する。ただし、学生時代の様子は自分が調べた範囲では出てこなかったと留保している。関連して水野は、以前番組に来たゲストの研究者が、40代半ばになって初めて主体的に取り組みたい研究テーマ(プロジェクションという概念)に出会ったと話していたことを引き合いに出す。20代でテーマが見つかっていなければならないというのは変だ、という意見である。水野自身も大学時代はあまり勉強せず、卒業後に学び始めた。高校の日本史の先生から「日本史が面白いとわかるほど精神的に成熟していなかった」と言われた経験を明かし、学校の先生には態度の悪い生徒を見捨てないでほしいと話した。
サピアとの出会いと「アマチュア」であること
ウォーフはさらに言語にのめり込み、短い休暇を取って妻と義母を連れてメキシコを訪れた。首都で専門家に助言を求めながら、現地の言葉を研究したという。
転機はアメリカに戻った後の1931年である。イェール大学でサピアがアメリカ先住民の言語に関する講義を開き、ウォーフはこれに参加した。そして1939年にサピアが亡くなるまで参加し続けた。ウォーフは働きながらイェール大学の博士課程に入学したものの、学位を得ようとはしなかったようだと水野は述べる。サピアの体調が悪化した時期には、ウォーフが言語の講義を担当することもあった。それでもウォーフはアマチュアの身分を保つことを好んだ。
堀元は、博士号はあればあるほどいいのに不思議だと反応する。これに対し水野は、二人とも読んだ『在野と独学の近代』を挙げる。日本では博士号や大学教授が憧れの対象とされるが、同書に出てくるヨーロッパでは、むしろアマチュアの方が上だという価値観があった。学問で生計を立てる者が見下された歴史があり、教授は意外と偉くなかったという話である。水野は、「アマチュア」は語源的には「愛する人」を意味すると指摘する。そのうえで、日本語の「素人」の感覚でウォーフを理解するとずれが生じるだろうと述べた。二人はスポーツでも職業選手より愛好家のほうが上とされた話が同書にあったことを思い出し、そこからSNSの「プロ」と「アマ」をめぐる冗談に脱線していく。
ホピ語の調査とMITの雑誌に書いた3本の論考
ウォーフの研究で最も有名なのはホピ語である。ホピ語はアリゾナ州の先住民の言語だ。ウォーフは1930年代初期にニューヨークで、そこに住むホピ語の母語話者を研究対象として、ホピ語に関する論文をいくつか書いた。そこでの発見が、サピア=ウォーフの仮説の基盤になったと水野は説明する。メキシコから戻ってサピアに出会ったこと、そしてニューヨークでホピ語話者を調査したことが、ウォーフにとって非常に大きかったという。
堀元は、この仮説は「日本人は虹を7色と習うから7色に見え、5色とする文化では5色に見える」といった色の例から来たものだと思っていたという。水野によれば、自分が読んだ文献でよく出てくるのは、むしろホピ語の話や、雪を表す言葉が多い言語の話だという。
ウォーフは晩年、MITの科学雑誌『テクノロジー・レビュー』から研究成果を発表するよう依頼を受けた。そして人生最後の2年間で、専門外の読者を対象に3本の小論を書いた。サピア=ウォーフの仮説を説いたものとしてよく引用されるのはこれらの論考である。水野は、広まったのが学術論文ではなく、同窓会誌に書かれた一般向けの文章だという点に注意を促した。堀元は、学術論文はわかりにくいので、噛み砕いた一般向けの文章がバズるのはよくあることだと応じた。
ホピ語には「時間」がない、という主張
ここから水野は、ウォーフの主張の中身に入る。ウォーフはまず、ホピの人々は時間の認識が我々とまったく異なると述べた。英語話者にとって時間とは、ひとつの滑らかな連続体である。それは等しい速度で未来から現在を通って過去へ進む。あるいは観察者が過去から未来へ向かって進んでいく。ウォーフは、こうした捉え方がホピにはないと言う。
ウォーフの記述によれば、ホピの人々は、未来の多くの部分は正確な形ではないにせよ基本的にはすでに前もって準備されていると考えている。堀元はこれを「予定説みたい」と表現した。またウォーフは、ホピの時間は主観的なものから客観的な結果へと、運動を伴わずに次第に進んでいくとも書いている。
ウォーフがそう考えた根拠は、ホピ語の時間の表し方が英語とまったく違うことにあった。ウォーフによれば、ホピ語には「時間」という名詞がない。過去・現在・未来や持続・継続を直接指す語も、文法的な形態も、構文も、表現もない。ホピ語は英語のような時制を持たず、世界を「現れたもの」と「現れつつあるもの」の2つのカテゴリーで捉えている、とウォーフは主張した。
堀元は最初、なぜ主観と客観の話になるのかと疑問を示した。水野は、現れつつあるものは現在や未来にあたり、現れたものは過去にあたると説明する。時間を川にたとえ、川上を未来、川下を過去とすれば、主観的な「現れつつあるもの」がやがて客観的に確定した過去になっていく。堀元はこれを自分の例で言い直した。「今夜は肉じゃがが出てきそうだ」というのは主観で、実際にはカレーが出てくるかもしれない。出てきたカレーはもう客観だから、過去のほうが客観なのだ、と。水野はこれを受けて、不確定な世界から確定した世界へ移っていくのがホピの時間だとウォーフは言っているのだとまとめた。堀元は、もしそうならホピの人々はとても面白い捉え方をしていると感心した。
ショーニー語:枝をよけることと、余分な足の指
水野によれば、ウォーフはアメリカ先住民の言語に興味深い文法的事象を見つけ、そこから話者の世界観を導くということを著作でよく行っている。水野が特に面白いと感じた例は、「私はその枝を脇へやる」と「私は足に余分な指が1本ついている」という2つの文である。
堀元はこの2文はまったく似ていないと答える。しかし北米先住民の言語であるショーニー語では、この2つがきわめてよく似た形になるという。水野は正確な発音がわからないとして表記をテロップで示した。どちらも冒頭の「私は」にあたる部分が一致し、違うのは最後の部分だけである。枝と指というまったく違いそうなものが、ひとつの要素でまとめられている。ウォーフの説明では、その要素は分岐した輪郭のようなイメージを指しており、枝も、足に余分な指が1本ついている状態も、そのように見えるということになる。ウォーフは、仮にショーニー語話者の論理学者や観察者がいれば、この2つの現象を本質的に似たものとして同じ部類に入れるだろうと述べた。
堀元の反応は「そう言われたらそうか、ぐらい」というものだった。枝と余分な指はやはり全然違うし、そもそも足に余分な指が1本ついている状況がピンとこない、と懐疑的な様子も見せた。
ヌートカ語:英語では同じ構造の文が、まったく別の文になる
ショーニー語の例は、日本語や英語では違う文が、ある言語ではほぼ同じになるというものだった。ウォーフは逆向きの例も挙げている。英語の「The boat is grounded on the beach(ボートが岸に乗り上げている)」と、「The boat is manned by picked men(ボートには選りすぐった人が乗り込んでいる)」である。manは乗り込むという意味の動詞、picked menは選り抜きの人々を指す。どちらも「The boat is + 受け身 + 前置詞 + 名詞」という同じ構造をしている。
ところがヌートカ語では、この2文がまったく異なる形になる。両方とも同じ音で終わるが、ウォーフによればそれは3人称直説法の印にすぎない。文全体として重なる部分は何もない。堀元は、両方にボートが出てくるのだから、せめてボートの部分は共通していてほしいと驚いた。
ウォーフの記述によれば、1つ目の文は直訳すると「それは岸にあって、あらゆる点でカヌーの運動のようである」といった意味になる。2つ目の文は「彼らは選ばれた者からなる乗組員としてボートに乗っている」という意味になるという。
水野は、こうした例を通じてウォーフが投げかけているのは次のような問いだと説明する。ある言語で似て見える事象が、別の言語ではまったく違う形で表されるのなら、言語をもとに組み立てた論理や観察は怪しいのではないか。堀元は「バズりそう」と反応し、言われると確かに、人によって見ている景色が違いすぎるのではないかと思えてしまうと述べた。
次回はウォーフへの批判
水野は今回の内容を、ウォーフがどんな生涯を送ったか、何を主張したかの2点だったと振り返った。そして、自分たちとまったく違う言語の例を出されると説得されてしまうと述べた。次回は、ウォーフに向けられた手厳しい批判を扱うと予告している。
堀元も、確かにバズりそうではあるが、その見方が本当に正しいのかという気持ちもあったので、批判の話を聞きたいと応じた。水野は視聴者に対し、ここで「ウォーフの言っていることは正しい」と結論を出さず、次回まで判断を保留してほしいと呼びかけて前編を締めくくった。
ゆる言語学ラジオ。19世紀前半、ある火災保険会社の職員が言語学を変えたという話がありまして。関係なさそうだけどね。関係なさそうですよね。で、しかもその潮流は現代でも続いているんですね。
その人は火災の原因をね、保険会社なので調べていたんですけど、ドラム缶に「エンプティ」って文字がこう書いてあるからってことです。からってことですね。で、人々はその文字を見て火災を起こしてしまっているってことにその職員が気づいたんですね。
どういうことかっていうと、エンプティって書いてあるドラム缶を見て、人々は中に何にも入ってないんだと勘違いしたんだけれども、実際には気化したガスが残っていたと。重たいものが中に入ってるわけじゃないからエンプティってこう書いていたんだろうけれども、それを見てタバコとかマッチを投げ入れてしまって、それが火災の原因になっていた。
そう、罠なんですけど。で、ここから言葉って人々の思考とか認識にえらい大きな影響を与えるんだと考えた人がいて、名前はベンジャミン・リー・ウォーフ。ああ、サピア=ウォーフの仮説の人。はい。この人、保険の職員なんですよね。あれ、言語学者じゃないの?言語学者とも言うんですが、博士号取ってないです。あ、そうなんだ。
っていうウォーフについて今回はお話ししていきたいと思います。まずね、今堀元さんサピア=ウォーフの仮説って言ってくれましたけど、覚えてます?どんな仮説なんでしたっけ?えっと、言語がみんなの思考を決定するだの影響を与えるだの、ですかね。
そうですね。まさにおっしゃる通りですね。解釈が色々あって、強い立場っていうのはもう完全に決定してしまうのだという。この言葉の人はもうこう考えるんだってことですね。はい。で、弱い立場ってのが、言語が思考とか認識に影響を与えるのだという立場ですね。で、これを言い出したと言われているのがウォーフですね。
皆さん多分このサピア=ウォーフの仮説っていう単語とか存在を、映画『メッセージ』というSF映画で知った人も結構いると思うんです。え、俺見てないんだよね。僕、あの泥酔した状態で。やめろよ。泥酔して見るな、名作映画を。で、感想としてはですね、お酒美味しかったです。もうメッセージの感想じゃないですから。
はい。ちょっと次回収録で、言語学徒がメッセージ見たらどんな感想になるのかっていう回を撮りたいと思っているんですけれども。うん。お酒美味しかったになるんじゃないの?いや、もう1回見返します。ああ、もう1回ね、改めてね。酒飲みながら見返すんで。酒飲むのやめてください。シラフで見てください。あ、シラフで。はい。
このシリーズ聞くとサピア=ウォーフの仮説についても分かるし、ウォーフが何を考えてたかっていう話をしていくので、メッセージがより楽しめると思います。なのでメッセージ見たという方は是非最後まで聞いていっていただければと思います。
で、このサピア=ウォーフの仮説って唱えたのね、実質的にウォーフ。あ、サピアじゃないんですね。サピアじゃないんですね。で、しかもウォーフはサピア=ウォーフの仮説と呼んでない。あ、そうなんだ。はい。サピアってウォーフの師匠みたいな人なんですけど、師匠と自分の連名で何々の仮説じゃ、っていうよりもっと分かりやすい名前つけません?
そうだね。ていうか僕、自己顕示欲がすごいんで堀元の仮説にします。え、師匠は?そう、師匠は別に恩義感じてないから。俺、俺だからやっぱ発見したの。単独の名前で行きたいですね。仮説の内容。ほら、こういうこと世の中に知らしめたいみたいな名前。確かに。でもそれやっても俺の名前は広がらないじゃん。講演単価上がらないじゃん。講演単価を上げないと意味がないから、やっぱ堀元の仮説で行きたいすね。あの、勘弁してください。勘弁してくださいってなんだよ。
ウォーフは何て呼んでるかって言うと、言語的相対論とか言語相対論っていう風に呼んでいるので、サピア=ウォーフの仮説って名前自体は後世の人が、2人に見られる共通の考え方を指して、そういう名前をつけただけですね。なるほど。
ま、サピア出てきましたけど、サピアについては初期の頃にね、ゆる言語学ラジオで3、4回分ぐらいに渡って語った回があるので、ちょっと構成、今に比べると下手なんですけれども、よかったら見ていただけると。そう。滑ったシリーズではありますけど、皆さん是非見てください。滑っておりましたが、見た方がいいと思います。あれさ、1回で良かったよな。そう。あれね、長いのよ。3回も4回もいらんよなっていう。思ってましたよ、僕。思いましたね、あれはね。
で、もっと言うとね、サピアが書いてることを読むと、実はサピア会でもちょっと喋ったんですけど、ウォーフの言ってるこの言語相対論、ま、ちょっとこれから2個の用語使うとややこしいんで、全部サピア=ウォーフの仮説って言いましょうか。サピア=ウォーフの仮説に対して、サピアって否定的な書き方してる場所とかもあるんですよ。ええ、じゃあ全然サピア=ウォーフの仮説じゃないじゃん。
そう。あ、でもね、4つサピアが書いてるサピア=ウォーフの仮説に対する言及みたいのがあって、2つは消極的な言い方なんですよ。で、2つ積極的な言い方してるんで、なんかこうどっちとも取れるような書き方をしている。複雑だな。だからサピア=ウォーフの仮説に対してサピアは前向きな時もあれば後ろ向きの時もあるということですね。で、ウォーフは結構積極的な立場を取っている。
あと、もっと言うとね、サピア=ウォーフの仮説みたいなこと言った人って昔からたくさんいたんですよ。うん。別にウォーフとかサピアがスタートなんじゃなくて、カントとかも。ああ、結構昔の人。そう。こういう言語が思考に影響するみたいなこと言ってたみたいだし、名前だけパッとあげるとフンボルトとかボアズ。ボアズはこれサピアの師匠ですね。とか、あとヴァイスゲルバーっていう。全く知らんな。ドイツ系の人とかも言ってたみたいですね。
じゃ、なんでいろんな人が言ってたのにウォーフがこんな名前を残してるかというとですね、バズったからです。もう昔から一緒なんだ。うん。バズったやつが目立つってシステム、インターネット前からそうなんだ。
はい。ウォーフはこの時代においてはちょっと先取ってる先進的なことを、直感的に面白く理解できる形で、ちょっと過言気味に書きました。あれ、インフルエンサーすぎない?現代のインフルエンサーと全く一緒じゃん。そしたらですね、バズりました。なんか急に嫌になってきました。ウォーフ嫌いになってきたかも。なんか同族嫌悪を。一緒すぎてちょっと嫌かも。
で、ウォーフの方がフォロワーも多いし、堀元より有名だよ。悔しい。だったら学んだ方がよくない?そしたらウォーフに学ぶバズり方。まあ、そうか。確かに。あ、そう考えると俄然自分の仕事に活かせそうな気もしてきましたね。
はい。ということで、ちょっとこっからウォーフがまずどんな人なのかから見ていきましょうか。あんまお勉強みたいにならないように、面白いエピソードに絞って紹介していきますね。1897年アメリカ生まれで、1941年に亡くなったんで、そんなに長生きしてないですね。50を迎える前に亡くなってしまったかたなんですけど、キャリアが結構異例でして。
MIT、マサチューセッツ工科大学で化学工学の学位を取得して卒業している。言語関係なさそう。そんな言語何にも関係ないですよね。大学卒業した後は、火災保険会社に、技師、技術系の職業のポストを得て就職して、亡くなるまでこの仕事を続けてるんですね。あ、じゃあ全然言語学者になってないの。だから大学教授とかじゃないんですよね。
で、もっと言うとMITの成績平凡でした。いや、どっちかであってよ、そういう時ってめちゃくちゃできたか、めちゃくちゃできなかったかじゃん。大体、優評価みたいなやつが1個も見当たらなくて、これ英語の作文とかフランス語の授業でも同様にいい評価ではなかったみたいですね。うん。普通だったと。
普通だったんですけど、逆にですね、この本業の方、火災保険の技師は非常に評判良かったみたいですね。彼、コネチカット州の化学工場、大きな規模ですごい複雑な化学工場を検査した時に、この工程危ないから、安全な形でできるようになるまで製造を止めた方がいいんじゃないかみたいなことを経営陣に伝え、さらに改善法を提示するってことしたんですね。で、この経営陣は、言うたらさ、ちょっとめんどくさいですよね。そんなこと言われても。直したくないなってなるよな。
そう。でも経営者はこれ取り入れて、勧められた改善をまずする。で、改善した後でも再稼働のタイミングを少し遅らせて、ウォーフが現地に来て「うん、これなら始めて大丈夫ですね」って言うまで待ったらしいんですね。うーん。え、じゃあめっちゃ信頼されてるね。そう、だからすごい人望がある方だったみたいですね。化学製品工場のその製造者の間ではウォーフの評判すごい高かったみたいですし、営業もできたらしいっす。え、すご。
技術者タイプの人ってあんまりコミュニケーション得意じゃなかったりするけどね。うん。このウォーフが勤めてる会社があんまり取引がなかった公立学校に行って、火災予防の目的で検査してくださいって依頼をウォーフ引き受けたらしくて出かけてったんですけど、彼が提出した勧告が学校の運営委員会を感心させて、その結果ですね、会社を自分たちの保険契約の管理者に任命することが決まった。そうだ。よっぽど仕事できるんだ。相当できたっぽいですね。
っていう感じで、この人は1日8時間働きながら学問上の業績を出した人だったんですね。彼の本の解説に書いてあったのは、学問の業績は多くの教授に十分匹敵するぐらいの時期もあったと。そう書かれて。それやりながら。
そう。でしかもウォーフは、研究できるポストを提供しようかっていう申し出がいくつかあったらしいんですけど、断ってます。だから今の仕事好きだったってことですかね。そう。仕事についてる方が生活が楽だし、自分の知的な関心を好きなように伸ばす機会が多いんだと言って断ったらしいですね。うん。見のか。
あの、僕もめっちゃ親近感湧きました。これで。お前じゃないか、それ。はい。堀元というより僕。あ、似てるね、ウォーフに。あ、そうか。私はね、ちょっとその研究上の業績があるわけではないですけど、自分の好きな関心を持つためには働いてた方がいいっていう視点においては、ウォーフとめっちゃ共感できますね。うん。そうだね。防寒の仕事ずっとやってるもんね。してない、してない、してないよ。あ、そうか。出版社か。うん。俺の仕事わからんから。あ、そうだった。理解ができないんだった。
この人ね、キャリアの途中で科学と宗教の対立っていうことにまず興味を持って。すごいとこから入ったの。そう。だからまず全然ここ言語じゃないんですけど、それをきっかけにしてヘブライ語の研究を始めるってところがスタート。あ、そっか、そっか。旧約聖書がヘブライ語ですかね。
そうですね。で、ここからメキシコとかで話されてる言語の書記体系とかに関心が移って。すごいね。もう本当に好奇心の赴くままにずるずるいろんなもの調べてんだ。そう、っていう感じですね。で、博物館の専門家とか考古学者と手紙でやり取りをこうし始めて、1928年にアステック語っていう、これメキシコの中央部で話されてる言語の文献学に関する初めての論文を出す。へえ。精力的ですね。ですよね。
ん、そいつ大学の成績どうなんでしたっけ?平凡。それ納得いかんけどな。なんで?ま、でも言うてMIT出てますからね。まあ、そうか。一流大学でほどほどだったっていうだけですかね。で、しかもその化学の学科なので、そこまで興味なかったのかもしれないですね。
うん。大学の時どうだったんだろうかとかっていうことに関しては、あんまりちょっと僕が調べた限りでは出てこなかったんですけど、どうしてたんですかね。なんかでもさ、ちょっと前にゆる言語学ラジオに来てくれた保先生って、40代中盤に初めて自分が打ち込めるというか、自分で発信したいと思うほどの研究のテーマが見つかったと。プロジェクションっていう概念。これだったら自分が主体的に取り組みたいって思ったみたいなこと言ってたから、やっぱ20代の時に見つかってなきゃいけないってのも変なんじゃない。
まあそうか。水野さんもね、大学時代そんなに勉強してなくてね、卒業してからですもんね。そうそうそうそう。ああ、いいね。学び始めるのはいつからでもいいんだって、ウォーフからも学べますね。
そう。これだからね、あの学校の先生聞いてる方いたら覚えといて欲しいんですけど、目の前の態度が悪いボンクラが後から急に勉強始めるみたいなこと結構あるんすよ。どうにか見捨てないでやってください。そう。僕なんて日本史の高校の先生からね、すごい態度悪いって思われてたっぽかったですからね。うん。でも今でも交流あるって言ってたもんね。
そう、そう、そう。「水野君は高校生の頃、日本史が面白いって分かるほど精神的に成熟してなかったもんね」って言われました。悪口。1番の悪口ですけどね、先生から言われる中で。ま、そうだなって思うんで、ちょっとあの、大目にね、学校の先生見ていただきたいんですけれども。
こっからどんどんね、ウォーフははまっていって、短期間の休暇を取ってメキシコに妻と義母を連れて訪れる。うん。で、ここで首都に行って専門家に助言を求めて、現地の言葉の研究をしたらしいですね。うん。ずっと言葉だね。
そう。で、ターニングポイント。このメキシコからアメリカに戻った後ですね、1931年にイェール大学でサピアが授業を開くと。はあ。だから師匠との出会いですかね。そうですね。サピアがそのアメリカ先住民の言語に関する講義をするということで、ウォーフはこれに参加して、サピアが1939年に亡くなっちゃうんですけど、その時まで参加し続けたみたいですね。なるほど。だからはまってたんですね、ちゃんと。
はまってましたね。で、このタイミングでウォーフは働きながらイェール大の博士課程に入学した。おお、なるほど。らしいんですけど、学位を得ようとはやっぱしなかったみたい。え、だから勉強だけしたかったってこと?そう、多分。
サピアの体調が悪化した際にはウォーフで言語の講義とか担当してたらしいんですよ。へえ。博士号持ってないのに。そう。でもそれでもアマチュアの身分を維持するってのをすごい彼は好んでた。うん。不思議だね。博士号なんてあればあるほどいいですけどね。
でもさ、堀元さんも読んだと思うし僕も読んだ『在野と独学の近代』っていう本の中に出てくるのって、日本はすごいやっぱ博士号とか大学教授ってのが憧れの存在だとされているけれども、特にヨーロッパですかね、あの本で出てきたのは、アマチュアの方がイケているっていう価値観がありましたよね。そうだ。崇高な学問を食い扶持にしやがってこいつらはって昔見下げられてた歴史があるから、教授意外と偉くないっていう話書いてありましたね。そうそう。
アマチュアの意味って、日本だと結構素人みたいな、プロフェッショナルがいてそれに対置される概念としてアマチュアがあるっていう風に理解されてますけど、語源的に見るとアマチュアって「愛する」。ああ。っていうから愛好家っていうことなので、ウォーフはやっぱりアマチュアが好きだったんでしょうね。
なんかあの本でさ、もう1個さ、プロとアマチュアの対比、スポーツもそうだみたいな話出てこなかったっけ?ああ、出てきたような気もする。なんかアスリートは、職業アスリートの方がダサくて。そうそうそう。愛好してる人の方が上みたいなあった気する。っていう話出てきましたもんね。だからやっぱり我々の感覚でプロ・アマチュアっていうのを理解してウォーフのことを理解しようとすると、ちょっとずれが生じそうな気はしますね。
あと「素人はSNSをやめろ」とかもね、良くないですよね、あれはね。SNSにおいてもアマチュアの方がね、やっぱ素敵じゃないですか。そうですよね。だから朝とかに「おはようございます」って言って「いろんなフォロワーさんと繋がりたい」みたいなハッシュタグつけてる方がいいすもんね。ごめんなさい。やっぱ素人はやめた方がいいす。素人はSNSをやめた方がいいすね。なんでなんで。いや、面白くなさすぎるから。
あとあの、1万いいね行ったら告白します系。つまんない。あれつまんないな。あれ1番面白くないな。あれ許せんのよ。1番、いいね行ったらほにゃらやってるやつ全員許せないね。なんでなんで。あれでさ、リプとかで「勇気出して行ってきます」とか言って、その後に「付き合いました」みたいの見るともう胸がきゅっとね、感動するよね。反吐が出ます。ゲロ吐いちゃいますね、それは。つまんなすぎて。ダメですよ、そんなことしたら。なんでなんで。1個も面白くないから。
てかそうか。そっちの方がプロか。そのネタツイートしてるのがアマで。あ、そう取られてんだ。あれだって1万いいね行ってんのあっちでしょ。堀元さんが今日なんか美容院に行ったみたいな話とかってどうでもいいから伸びないけど、1万いいね行ったら告白するのが伸びてるから、あっちがプロか。うん。だとしたら俺アマチュアでいいわ。やっぱりアマチュアって素敵。
で、ウォーフと言うとね、メキシコのアステック語とか出てきましたけど、1番ウォーフの研究で有名なのってホピ語ですね。やっぱりあれか、ホピ語聞いたことある。過去回どっか出てきた?はい、はい。黒島先生が来て「言語学者の間だけで有名な言語10選」っていうの中で僕があげたのがホピ語だったんですけど。
これアリゾナ州かなの先住民の言語なんですけど、ウォーフは30年代初期にニューヨークに行って、そこでニューヨークに住んでるホピ語の母語話者を研究対象としてホピ語の論文をいくつか書いたんです。で、そこでこう興味深い発見をして、それがサピア=ウォーフの仮説の基盤になったと。だからやっぱりメキシコからアメリカに戻ってサピアに会ったことと、そこからニューヨークに住んでるホピ語母語話者の調査をしたってのがウォーフにとって非常に大きかったってことですね。
なるほど。え、でもさ、なんかサピア=ウォーフの仮説っていう時、大体、虹の色が違う。うん、うん。なんか日本人は7色だって習うから7色に見えてるけど、なんか他の文化では5色だって言うから5個の色に見えてるみたいな例えで出てくるじゃん。うん、うん。だから俺てっきりそういう観察からたどり着いたのかなと思ってたんだけど、このアメリカ先住民の方の言葉からたどり着いたんだ。
そうですね。よくサピア=ウォーフの仮説で僕が読んだもので出てくるのは、やっぱそのホピ語の話とか、あとはあの雪を表す言葉が多いっていう。はい。イヌイットの言葉がね、ってやつ。はい。みたいなところから出てくることが多いですかね。
で、この後はMITの科学雑誌『テクノロジー・レビュー』っていうところに研究成果を発表するように依頼を受けて、人生の最後の2年間で、専門外の読者対象に3本の小論を書いた。なるほど。で、これがそのサピア=ウォーフの仮説を説いたものとしてよく引かれる。だからバズったやつだ。そう。だから注意して欲しいのは、学術論文というよりは、同窓会誌に書いた一般向けのものが広がっているんですね。
でもまあ大体のもんそうだもんな。学術論文よくわかんないから、分かりやすく噛み砕いた一般向けの本でバズるもんね。はい。ということでこっから、じゃあウォーフは何を言ってたのかっていう話をしていきたいと思います。
まずウォーフが言ってるのは、ホピってのは我々と時間の認識が全く異なるんだって言ってるんですね。英語話者の実感だと時間ってどういう風に見えてるかというと、1つの滑らかに流れるような連続体で、等しい速度で未来から現在を通って過去に向かって進む。あるいはその逆、観察者がいて過去から未来の方に向かって進んでいく、みたいに理解してるよねと。なんかそんなイメージですよ。はい。こういったものはホピにはないと言っているんですね。
ホピ族はどう捉えてんですか?例えば、未来の多くの部分は、正確な形ではないまでも基本的にはすでに前もって準備されていると考えている。ええ、予定説みたいなことだ。あ、そうそうそう。あとは、ホピの時間は主観的なものから客観的であるような結果に向かって、次第に次第に、運動を伴うことなく進んでいく、みたいなことを書いていましたね。
これちょっとね、この直後で説明する話で理解してもらえると思うので、一旦わかんなくて大丈夫です。とりあえずなんか全然俺らと違うんだなと思ってもらえれば大丈夫です。で、なぜウォーフはホピの時間観がこんなに違うと言ったのかと言うと、ホピ語の時間の表し方が英語とは全く異なるからそう思ったんです。あ、なんかキャッチーそう。
ウォーフは、ホピ語には時間っていう名詞とか、過去・現在・未来とか、持続や継続みたいなものを直接指すようなものとか、文法的な形態とか構文も表現もないと言っているんですね。うん。え、時制みたいなものがないってこと?はい。
これちょっとウォーフの主張をもう少しだけ続けるとですね、ホピ語は過去・現在・未来みたいな英語のような時制を持たずに、世界を「現れたもの」と「現れつつあるもの」っていう2つのカテゴリで認識していると言ったんです。だんだん現れていくんだ、いろんなものが。そうですね。だからこそ、ホピの時間は主観的なものから客観的であるような結果に向かって進んでいくんだと言ってるんですね。ふーん。主観と客観の話じゃなくない。
だって現れつつあるものってのは現在あるいは未来ですよね。そっから過去ってのは現れたものですよね。ということは、時間が、未来が川上で川下が過去だとして水が流れていってるとしたら、歩いていくとどんどん主観的な「現れつつあるもの」っていう世界が、客観的な確定した過去になっていくわけですよね。
ああ、なんか分かってきたぞ。だから「現れつつあるな」って、それ主観だから実際には現れないかもしれないわけでしょ。はい。だから今夜は肉じゃが出てきそうだなって思ってたらカレーが出てくる場合もあるわけで、その「肉じゃが出てきそうだな」は主観なんだけど、実際出てきたカレーはもう客観だから、過去の方が客観ってことだ。
はい。そう。だからもうちょっと分かりやすく言うと、不確定な世界から確定した世界へ移っていくっていうのがホピの時間なんだって言ってるんですよね。ああ、そうだとしたらすごいな。ホピの方たちめっちゃ面白い捉え方してるよ。斬新ですよね、このアイデアね。
ウォーフはね、こんな感じで、とりわけアメリカとかの先住民の言語に興味深い文法的な事象を見つけて、そこから彼らの世界観を導くっていうようなことを本でよくやっていてですね。僕が特に面白いなと思ったのは、「私はその枝を脇へやる」っていう文と、「私は足に余分な指が1本ついている」という文って似てると思いますか?
いや、似てないでしょ。全然違うこと言ってない。なんで?え、いやいやいや、その枝を脇にやるのと足に余計な指が1本ついているなって思うの、全然違うことだよ。うん。あ、そうですか。これがショーニー語っていう北米の先住民が使っている言葉では、これらの文は極めてよく似ているらしいんですよ。ふーん。
ちょっとこれ正確な読み方、発音が分からないのでテロップでは出しておきますけれども、ショーニー語でさっきの2文はそれぞれ。あ、似てるね。だと。なんか「ニ」から始まるところは一致してますよね。で、最後なんか「コーナー」と、こう「テ」みたいな。うん。最後だけちょっと違うな。違うけどほとんど一緒ですよね。1番最初の「ニ」って部分は「私」みたいな字なので。
確かにこの文どっちも「私は」から入ってたからそこは一緒だと思うんですけど、「その枝を脇へやる」と「足に余分な指が1本ついている」が、枝と指みたいな全然違いそうに見える単語が、実は1個の単語でまとめられているっていう風な記述をされているんですね。それ不思議だね。どういうことって感じ?あまりに違うけどね。
要はこれ、ちょっとまたビジュアルで出しますけど、ショーニー語の中で「Lアポストロフィさ」みたいな部分はこういうイメージなんだと言ってるんですね。はあ。枝構造みたいなこと。はい。分岐した輪郭みたいなものを指しているのだと。だから、これが枝とか、あるいは足に余分の指が1本ついているっていう風に見える。うん。ああ。まあまあまあ、そう言われたらそうかぐらいですかね。
そう。ま、少なくともショーニー語の中ではこれが文として表現した時に極めてよく似た形をしているので、仮にショーニー語の論理学者とか観察者がいたら、これら2つの現象は本質的に似ているとして同じ部類に入れるだろうと言ってるんですよね。うん。全然違うけどな。枝と余分な1本の指って。あと、その足に余分な指が1本ついてるってどういう状況ね。ピンとこないけれども、っていうようなことを書いている。
でも確かに考えてみると、小指ぶつけた時とか、これ余分な指だなって思うかも。いらんって思うかもね。退化しつつあるって言いますよね。ああ、足の小指。小指って元々確か関節2個あったけど、もう今1個ですよね。そうね。あ、そう。あれ退化してんだ、確か。そう、そう、そう。どんどんどんどん短くなってるって話を、僕はあの小学校の頃に怪しい雑学本で見ました。めっちゃ怪しいな、ソースが。ろくでもないな。え、でも本で。あ、本を無条件に信頼するって一番やっちゃいけない行動だ。この手のパーソナリティ、まずいです、まずいです。いい加減な出版社、結構あるよ、多分。
今の例は、日本語では全然違った文がショーニー語ではほとんど同じように書かれるっていう例でしたけど、逆に英語ではすごくよく似ているけれども、ある言語では全然違う記述の仕方をするっていうような例も出てきて。ちょっと英語の例になっちゃいますけど、「The boat is grounded on the beach.」ボートが岸に乗り上げられているっていう文と、「The boat is manned by picked men.」っていう。mannedってのはこれ、乗り込むみたいな意味ですね。で、picked menってのは、選りすぐった人、選抜メンバーみたいなことですね。
だから全体で「ボートには選りすぐった人が乗り込んでいる」っていう文。The、ボート、is、受け身、前置詞、名詞っていう順にどっちもなってますよね。形は一緒だね。はい。でもこれがヌートカ語では全く違うっていう例が出てくると。
これがヌートカ語でのそれぞれの記述ですね。ボートが岸に乗り上げられているってのは、このなんとか「イズマ」みたいなやつですね。で、ボートには選りすぐった人が乗り込んでいるは、えらい長くなりましたね、なんか。読めねえ。「ツクウックタマ」みたいな、というのがありますね。
で、しかもこの両方、最後の終わり方は一致してるんだけれども、これは3人称直接法の印に過ぎないから、全体としては何にも重なっていないと。だから文法上のマーカーってことね。そう。なるほど。全く違う文だ。ボートでさえですよ。ボートだって共通してないんだ、これ。あれ、本当だ。ボートは出てきてないとまずいだろ。そう。ボートが岸に乗り上げられてると、ボートには選りすぐった人が乗り込んでいる。だからボートは共通してて欲しいじゃん。ボートどこにあんの、ボート要素?はい。
それはですね、これもウォーフの記述によると、1個目の文ですね、「それらは岸にあって全ての点でカヌーの運動のようである」というような意味になると言っている。はあ。直訳するとね。はあ。え、でも船が乗り上げてるってこと言いたいんだよね。そうですね。はい。うん。なんか離れてる気するけどな。
で、後者は「彼らは選ばれた者からなる乗組員としてボートに乗っている」。ああ、こっちにはボート出てくる。はい。みたいに。だから多分カヌーの運動のようであるみたいな言い方になっちゃうんですよね、その岸に乗り上げられてるみたいな。面白いね。全然違うな。
こういう例見ると、我々が言語上で表現してる事象みたいなのが、仮に言語上でよく似てるとしても違う言語では全く違うのだったら、そりゃ言語によって例えば構築した論理とか観察みたいなのって怪しくないか?みたいなことを投げかけてくるのがウォーフの主張なんですね。そうだね。
うん。あとね、バズりそう。なんかそれ言われたら確かにって思うもん。思ったでしょ?思った。我々って見てる景色違いすぎるんじゃないかと思うよ。そりゃそうだよね。だって枝と余分な1本の指。それやばいな。そんなわけないもんね。
ということで、今回はサピア=ウォーフの仮説でおなじみのウォーフですね。どんな生涯だったのかということと、どのようなことを主張していたのかの2点を話してきました。やっぱこういう我々と全く違う言語の例出されると説得されちゃいますよね。後編ですね、ウォーフについた手厳しい批判の話をしたいと思います。
俺の足には余計な指1本もついてないぞとか、そういうこと言われた。あ、違う違う違う、ちゃうちゃう。え、何その批判、新しい。ではなくて、物の見方みたいな話です。え、そんな意見、論文投稿されんの?学会誌とかに。学会にそれ出されたら面白い。なんだその例文はとか言って。「私にはいらない指はない」っていうタイトルの真面目な論文がね。来ねえよ、そんなの。
ま、楽しみっすね。ま、確かになんかバズりそうではあったけど、一方でちょっと合ってんのかな、その見方って気持ちはあったから、それ聞きたいですね。お、そうですね。ということで、ここまで聞いて「なるほど、ウォーフすごい、言ってること合ってる」とまで行かずに、一旦来週まで待っていただければと思います。ぜひ来週をご覧ください。以上で終わりにしましょう。ありがとうございました。ありがとうございました。
堀元さん、うまく話せなくて悩むことってありません?よくあります。そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。ほう。タイトルは『会話の0.2秒を言語学する』。会話のわずかな間にフォーカスした1冊です。是非皆さん買ってください。うん。
記事公開
