「杁」はなぜ愛知にだけあるのか:方言漢字が残した地形と藩の歴史

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概要

名古屋での公開収録で、水野は会場に一つの漢字を見せた。木偏に「入」と書く「杁」である。堀元は知らない字だと言ったが、客席では半分以上が読み方まで分かると手を挙げた。水野によれば、この字は「方言漢字」であり、愛知県の地形と歴史がこの一字に詰まっているという。今回の回はこの主張を順に説明していく。

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漢字にも「方言」がある

水野は方言漢字を、地図上で分布を見たときに特定の地域に偏って使われている漢字と定義する。最初の例は宮城県の「ゆりあげ」という地名に使われる、門構えの中に水を書く字である。埼玉県の地名に使われる字なども挙げ、こうした字が一部の地域にまとまって分布していると説明した。

方言漢字には字そのものだけでなく、読み方や表記の違いも含まれる。沖縄では「城」を「グスク」と読み、「中城(なかぐすく)」という姓がある。「南風」を「はえ(フェー)」と読む例もあり、南風原(はえばる)という名が挙がった。表記の例は「すし」で、魚偏に旨の「鮨」、「寿司」、「寿し」、魚偏に「作」の旁を付けた「鮓」などがあり、地域によって使い方に差がある。水野は、日本で漢字が統一的に使われているように見えても、細かく見るとそうではないと述べる。

堀元は、学校で常用漢字を習う以上、全国で統一されていくのではないかと疑問を出した。水野は、県名や有名な市の名に使われながら常用漢字から外されていた字もあると答える。例は新潟の「潟」で、新潟県民以外はなかなか書けないのではないかという。堀元はこれに対して札幌の「幌」を挙げた。札幌出身の堀元は書けるが、他の地域の人はあまり書かないかもしれない。北海道にはアイヌ語由来の「ポロ」を含む地名が多く、「野幌(のっぽろ)」などもある。北海道に偏って使われるという意味で、これも方言漢字とみなせると水野は説明した。

辞書にない字を地元で作る

方言漢字にはさらに進んだ段階がある。中国の辞書にも載っていない字を、その土地で作ってしまうケースだ。冒頭の「杁」がそれにあたる。

ここで水野は、元になった中国語に存在しない字を作るのは「間違った字」ではないのか、という疑問を投げかけた。堀元は「レギュレーション違反」だと応じ、それが許されるなら子どもに意味不明な組み合わせの字を付けてもいいことになると冗談を続けた。水野はこの疑問を保留したまま、まず「杁」を詳しく見ていく。

「杁」の読み・分布・身近さ

「杁」は「いり」と読む。日本で作られた国字なので、中国語での読みにあたる音読みは存在しない。姓としては引っ越しなどで全国にいるが、地名としては愛知県と岐阜県に集中している。

名古屋の人が見覚えのある理由として、水野は地下鉄鶴舞線の「いりなか」駅を挙げる。駅名はひらがな表記だが、これは常用漢字の前身にあたる当用漢字の時期にひらがなになっただけだという。市バスの停留所では「杁中」と漢字で書かれている。ほかにも名鉄名古屋本線の「二ツ杁」駅や、愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)の「杁ヶ池公園」駅がある。マンションや病院の名前にも出てくるほどで、愛知県民にはなじみが深い。

一方で、愛知を出た人は外でまったく見かけないことに気づく。水野はこれを、愛知ではどこにでもあるのに県外に出ると見当たらないスガキヤにたとえ、「杁」は「ローカルチェーン」のようなものだと言った。堀元は北海道版の例としてびっくりドンキーを挙げた。全国にあるが北海道が発祥で、国道を走っていたら400メートル先にまた店舗があったという体験を話している。

「杁」とは何か:川から田へ水を引く設備

「杁」の意味は、用水路の水門や取水口である。川から水を農業用水路へ引き入れる設備を「いり」と呼んだ。堀元は地名用に雰囲気で作った字かと思っていたが、そうではない。「いり」という言葉と設備が先にあり、後からそれを書くための字が作られたという順番だと水野は説明する。

字が作られたのは尾張藩の中とされ、最古の用例は1609年である。この時期にはすでに木偏で書かれていた。なぜ木偏なのかについては、水路関係の設備にほかにも木偏の字があり、それに揃えたという説があるという。堀元は水に関係するならさんずいの方がいいのではと問い、水野は当時の設備が木製だったからではないかと推測した。ただし水野自身、ここは確定的なことは分からないと留保している。

なぜ尾張で生まれたのか:丘陵地と木曽川

なぜほかの地域ではなく尾張でこの字ができたのか。水野は、愛知の地形図を見れば説明がつくと言う。尾張エリアには丘陵地を示す濃い緑色の地域が多い。

水野は、かつて「村長」だった堀元に、田をつくるなら高い所と低い所のどちらがいいかと尋ねた。堀元は、斜面を開墾すると土がどんどん崩れてきて、石を積んで止めるのが大変だったと話が脱線しかけた。水野が付け加えたのは水の問題である。水路の水は低い方へ流れるので、高い所には水路を作りにくい。丘陵地が多い尾張は農業に不利で、川の水を丘陵地へ引くために「杁」に頼っていた、と水野は説明する。

分布を見るとこの説明がさらに裏付けられるという。「杁」を含む地名は一宮市と犬山市に多く、木曽川に沿って並んでいる。二ツ杁町、杁前などがあり、木曽川に直接面した位置にある町名もある。水野は、木曽川の水を杁で取り込んで稲作をし、灌漑設備を整える中で杁の世話になったため、杁の付く地名が多く残ったと述べた。堀元はこれを、木曽川は「杁の聖地」だったとまとめた。

もう一つ注目されたのが、木曽川から離れた内陸に杁の地名が固まっている地域である。万博が開かれた長久手だ。水野によれば、当時の長久手では水が枯れる渇水期に備えてため池を盛んに作っていたという記録が行政文書に残っている。雨水を溜める池を作り、そこで実際に杁を使っていた。「杁ヶ池」という地名もある。本来なら池が先にあって杁を付けるはずだが、杁が池の名前にまでなったのは、杁を付けすぎたせいで後から名前が付いたのだろうと二人は推測した。

東の三河には「圦」がある

堀元は、長久手以外の地域は渇水を恐れていなかったのかと質問した。水野はここが今回の「もう一つの肝」だと応じる。杁がそれほど便利なら全国にあってもいいはずだが、愛知では尾張をはさんで東側に別の字が分布している。土偏に「入」と書く「圦」(いり)である。

会場で「圦」を見たことがある人を尋ねると、手を挙げたのは5人ほどに減った。この字は愛知の東側、静岡寄りの三河に多い。岡崎市の「大圦」、西尾市の「圦下」、豊田市の「縦圦」などの地名がある。Googleマップで分布を並べると、西は木偏、東は土偏とくっきり分かれていた。同じものを指しているのに、東西でまったく違う字が使われているのである。

幕府の推奨とお触書、それでも残った木偏

水野によれば、この東西の違いの原因は江戸幕府にある。幕府は土偏の「圦」を推奨していた。それにもかかわらず尾張は木偏の「杁」を使い続けたため、幕府はこれを問題視して、土偏を使うようお触書を出している。

堀元はこれを「同調圧力だ」と言ったが、直前には漢字は統一した方がいいと主張していた。規格がバラバラなのは許せず、充電ケーブルを10年前からType-Cに統一してほしいと言い続けているという。漢字がバラバラだと認知資源を使うし、Unicodeに収録するときにもどちらを収録するか混乱する、と幕府側の理屈にも理解を示した。それでも幕府に言われると同調圧力に感じるという堀元に、水野は「天邪鬼」だと突っ込んだ。

結局、尾張はお触書を無視して木偏を使い続け、現代まで「杁」が残った。その理由として水野が挙げたのは、尾張と三河の統治の違いである。徳川家康を出した三河は江戸時代に幕府の直轄地だった。一方、尾張は御三家の一つである尾張徳川家、つまり尾張藩が治めていた。隣り合っているのに支配の仕組みがまったく違う。

堀元はこれを、三河は本部の直営店、尾張は独自メニューを出すフランチャイズ店にたとえた。そこから話はコメダに移った。堀元が新宿のコメダ珈琲店に行くと60分や90分の時間制限が貼ってあり、東京のカフェでは普通のことだという。水野は時間制限のあるコメダは「夏休みのない夏」のようなものだと言い、愛知の人は2〜3時間いるのが当然だと話した。会場もこれにうなずいていた。

話を戻すと、水野は、本部が土偏にしろと言っても、御三家という独立性の強い権力者がいたために無視し続けられた、その結果が木偏と土偏の分布に表れているとまとめる。「杁」はいわばレジスタンスの字であり、地名や姓にも付いていたから変えることができなかったという歴史を語っているのだという。

方言漢字は「タイムカプセル」

堀元は、木偏でも土偏でもどちらでもいいのではないか、直せと言われたら直せばいいのではないかと疑問を出した。水野は、ドライに見ればそうだが、「杁」には愛知の地形の特徴と、尾張と三河の統治体制の違いという歴史が残っており、それに愛着を持つ人もいると答えた。隣はこの字、うちはこの字というアイデンティティになっているので、直せと言われても譲れないのだという。

水野は方言漢字の研究者の言葉を引用した。方言漢字は先人たちの愛着や意識に基づく文化財であり、祖先からの情報の宝庫で、いつでも開けられるタイムカプセルのようなメディアだ、というものだ。中国に由来がなかったり音読みがなかったりするから正しい字ではない、という批判は根拠のない規範意識であり、そこまで徹底するわけにはいかない、とも研究者は述べているという。

実際、方言漢字は明治より前から批判を受けてきた。正しさに立脚していないとして使用が絶たれることが危惧され、市町村合併などで実際に消えた例もある。水野が挙げたのは、埼玉県八潮市の「垳(がけ)」という土偏に「行」と書く字だ。この字が消えそうになったとき、地域の人が保存運動を展開して「垳を守る会」を作り、現在は方言漢字をテーマにした学会のような催しも開かれているという。

塾の「山田プリント」と「杁」は同じか

この話を聞いて堀元は、学生時代に自分も同じことをしていたと話し出した。大手チェーンの学習塾でアルバイト講師をしていたときのことだ。全国の教室で同じ本部のテキストを使うが、全国向けなので最大公約数的になっていて「魂がこもっていない」。堀元が働いていた神奈川の東横線沿いの教室には、東横線沿いの受験生に最適化したテキストであるべきだという考えがあった。

10年ほど前に山田さんという人がオリジナルプリントを作り、「山田プリント」として代々受け継がれていた。堀元の代には山田さんを知る人はいなかったが、新人はまず山田プリントを渡され、それで授業をした。本部から標準テキストを使うよう注意されても、山田プリントを守り抜いて授業を続けたという。堀元は「杁」とまったく一緒だと言い、方言漢字を潰して統一しようという発想は「経済性に囚われた愚かな人間の発想」だとまで言い出した。水野は、さっきまで統一派だったのにとして、サイクス・ピコ協定を結んだフランスも驚く二枚舌だと返している。

愛知の人も歴史を知らない

水野はもう一つのポイントとして、愛知の人でもこの歴史は知らないことを挙げた。「杁」という字は知っていても、どんな歴史があり、いつ使われ始めたのかは、自分で調べなければ分からない。さらにほとんどの人は、「杁」が方言漢字だということ自体に気づいていないという。会場で「この辺りばかりで見る字だ」と思っていた人を尋ねると、手を挙げた人は少なかった。

調べる手がかりとして水野が紹介したのが、昨年ごろに出た『方言漢字事典』だ。手元に置いておけば、自分の県や旅行先の県の方言漢字を引くことができる。最近は方言漢字の写真を撮りに行く「方言漢字ツーリズム」をする漢字好きもいるという。漢字YouTuberのあびさんは埼玉県で「垳」の写真を撮って大喜びしていたそうだ。漢検1級保持者の仲間と車で移動しながら、漢検辞典の意味を1番から順に言って熟語を当てるゲームで盛り上がっていたという話も出た。堀元はそれが楽しいのかと繰り返し首をかしげていた。

高校生の論文が先行研究になった

水野は、方言漢字の本の著者である研究者が、方言漢字は市民でも簡単に研究・発表ができると言っていることを紹介した。自分の家の近くにある字を見つけて、郷土史などを調べて発表すればよい。

実例として挙げたのが、今回の台本でも参考にした西島さんの論文「『杁』という字について」である。2007年ごろ、当時東海高校1年生だった西島さんが書いたもので、水野はこの字の歴史がよくまとまった先行研究だと評価する。この論文は漢字能力検定協会の研究奨励賞で佳作を取った。西島さんはその後、精神科医になったが、傍らで方言漢字や文字学の学会に出席したり、医学と漢字に関する本を出したりしているという。水野は、漢字学の道には進まなかったものの研究を続けている点に胸を打たれたと話し、自由研究はした方がいいと強く思ったと述べた。

読みを当てるだけでなく、字を作った

最後に水野は、「杁」は愛知と岐阜に集中する字だが、愛知の歴史や地理的要因をかなり残しているので、中国に根拠がないからといって消すわけにはいかないとまとめた。堀元は、日本人は中国の漢字に日本語の読みを当てたことがよく発明として語られるが、字を勝手に作ったという意味ではもう一段階先の改造をしたとも言えると付け加えた。それがアイデンティティに結びついている点も含めて、言葉の面白さだと二人は締めくくった。

番組は視聴者に、自分の地域だけで使われている字があればコメント欄で教えてほしいと呼びかけた。水野は愛知のほかの例として金偏の字など、いくつかの地名の字を挙げ、『方言漢字事典』にも載っているので調べてみてほしいと述べて話を終えた。