老齢ザルの記憶実験から始まった研究人生:久保(川合)南海子さんが語る「どフェチ論文」

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概要

ゆる言語学ラジオの新コーナー「私の人生を狂わせたどフェチ論文」は、研究者に「何度も繰り返し読んできた、自分の核となる論文」を1本だけ持ってきてもらい、その中身と魅力を聞く企画である。それがなければ今は研究者になっていなかったかもしれない、という論文が対象だ。第1回のゲストは愛知大学の久保(川合)南海子さん。持参したのは、老齢ザルの記憶を調べた1989年の実験論文だった。

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久保さんはこの論文を、大学院に入った最初の月に指導教員から渡された。本人の言葉では、この論文は研究者としての「すり込み論文」であり、「全てのことはこの論文から学んだ」という。話は論文の内容だけでなく、ネズミの卒業研究から老齢ザルの研究、人間の高齢者研究へと移っていった久保さんの研究歴、動物実験の現場の苦労にも及んだ。

取り上げられた論文:老齢ザルにおける課題依存的な記憶障害

論文は Rapp, P. R. & Amaral, D. G. の "Evidence for task-dependent memory dysfunction in the aged monkey"。日本語にすると「老齢ザルにおける課題に依存した記憶障害の証拠」で、神経科学の学術誌 The Journal of Neuroscience に1989年に掲載された。

久保さんの説明では、サルの寿命はおおむね人間の3分の1ほどで、飼育下では30歳前後が寿命とされる。20歳以上の個体を老齢ザル(エイジド・モンキー)と呼び、人間でいえば60歳以上くらいのイメージになる。この論文は、自然に加齢して20歳を超えたサルたちの記憶能力を実験的に調べたものだ。老齢ザルを使うのは、基本的に人間の加齢のモデルとするためである。脳の構造的な変化と、記憶という認知機能の変化を、実験動物を使って合わせて検討する研究だ、と久保さんは位置づける。

サルの神経研究には長い歴史があり、脳のどの部位がどの能力と関係するかは、サルの研究から非常にはっきり分かっていたという。ある部位が損なわれるとこういう記憶障害が起きる、という知見はそろっていた。ただ、自然に老化したサルでは、脳の構造的な変化と記憶課題の成績の関係が、人為的に特定部位を損傷させた「脳損傷モデル」のサルとは違うのではないか、と指摘され始めていた。この論文はちょうどその時期のものだった。脳損傷モデルについて聞き手が「かわいそう」と反応すると、久保さんは倫理に基づいてしっかり研究していると補足した。

聞き手の仮説が、そのまま博士論文のテーマだった

同じ部位が損なわれているはずなのに、なぜ人為的な損傷と自然な老化で結果が違うのか。これについて堀元さんがその場で仮説を出した。人為的な損傷はいきなり起こるので迂回する時間がないが、年を取るサルではその部位が少しずつ働かなくなるので、機能を補う新しい配線がだんだんできていくのではないか、というものだ。

久保さんは「完璧」と答え、それがまさに自分の博士論文のテーマだったと明かした。博士論文の大きなテーマは、加齢の過程でどのような補償が起きているのか、そしてそれを認知的・行動的な方略としてどう実現しているのかを、サルで分析することだった。ただし久保さんは心理学の研究者なので、神経の配線ではなく行動と認知の側から調べている。この点は後で詳しく語られる。

ネズミの卒業研究と、「一緒に勉強しよう」と言った新しい指導教授

久保さんの研究の出発点はサルではなくネズミだった。卒業論文のテーマは、ネズミの迷路学習と遺伝の関係である。迷路を走るのが得意な個体も苦手な個体もいて、それが遺伝とどう関係するかを検討する研究で、2学年上の先輩から引き継いで3年がかりで続けてきたものだった。久保さんたちはその最後の学年にあたり、結果が「グダグダ」になってきて分析方法にもかなり悩んだという。

さらに、この研究を立ち上げた指導教授が、久保さんたちが4年生になるときに退官してしまった。「同じようにやれば大丈夫だから」と言っていなくなり、代わりに着任したのはサルの研究者だった。しかも実験ではなく、野山に出て観察するフィールドワーク型の研究者で、実験室のネズミを見るのは初めてという状態だった。4年生の初めに「よろしくお願いします」と挨拶に行くと、「分かった、一緒に勉強しよう」と言われ、3人組で卒論に取り組んでいた久保さんたちはそろって大きなショックを受けたという。

それでも先生は意欲にあふれた、とても気配りのできる人だったと久保さんは話す。学生たちが「徹夜でやっても実験が終わらない」と大げさに愚痴をこぼすと、先生はそれを本気で受け止め、数か月後に実験室の宿泊許可を取ってきた。実際には、1日の実験量は決まっているので徹夜などしない。学生が「いらないです」と言うと先生は怒り、「実験はしなくていいから2晩泊まってくれ」と頼んだ。仕方なく泊まったものの、昼間に作業は終わっているのでやることがなく、実験小屋に置いてあった卓球台でずっと卓球をしていたという。一方で久保さんは、女子大で、離れた小屋のような実験室に女子学生が泊まり込む許可を取るのは本当に大変だったはずだと、今なら分かると語った。

自己分析よりネズミのことを考えたい

大学院に進んだ理由も、研究への強い志からではなかった。久保さんの学年は就職氷河期の初めにあたり、就職活動では自己分析をしろと盛んに言われた。しかし久保さんは自分について考えるのが好きではなく、自分を分析するくらいならネズミのことを考えていたいと思った。それで大学院に行こうと考えたのだという。

水野さんはこの理屈がまったく理解できないと反論したが、堀元さんは強く共感した。自分自身は面白くないが世界のほうが面白いので、世界について考えたくなる。自分に興味が持てず、言葉などのほうがよほど面白いという感覚だ。久保さんも、「もう1人の自分と対話する」といった話をする人を見ると何を言っているのか分からない、と応じた。

カウンセラー志望のはずが、老齢ザルをやるしかなくなった

実は久保さんには、大学院を出たらカウンセラーになるという計画があった。1年生から心理学科で学び、臨床系の大御所の先生のゼミにも入っていたので、大学院は臨床系に進むつもりだった。

そこへ新しい指導教授が、大学院に進むなら自分が今考えている老齢ザルの研究で研究計画を書かないか、と誘った。入学後は臨床のことをやればいい、という話だった。卒論で忙しく他のことを考える余裕がなかった久保さんは、その計画を借りて書き、入学した。

ところが入学後にカウンセラー養成コースに登録しようとすると、大学から「久保さんは臨床系のコースではなく基礎系で入学しているので、この授業は取れません」と言われた。そこで初めて、自分はサルをやるしかないのかと知ったという。

聞き手からは、サルの研究をする人が欲しかった先生にはめられたのではないか、という見方も出た。久保さんは確認したことはなく、先生も着任1年目で大学院の仕組みをよく分かっていなかったのではないかと考えている。先生もショックを受けていたという。そのうえで先生は「動物実験をやってからカウンセラーになる道もあるが、カウンセラーをやってから動物実験には行けない」と言い、久保さんは「確かに」と納得した。結果的には本当に楽しかったので、今は先生に感謝していると話した。

研究費はあるが人がいない、そこに来た大学院生

この論文を渡された背景も語られた。先生はフィールド系のサル研究者だったが、この論文をもとに計画を立てて研究費を申請しており、資金はついていた。夏休みにでも自分でやろうと思っていたのかもしれないが、そこへ偶然久保さんが大学院生として来た。お金がついていて、やるべきことも明確なのに人がいない。そういう状況だったことが大きかったと久保さんは振り返る。

堀元さんが、人には型にはめられたほうがうまくいくタイプとそうでないタイプがいると言うと、久保さんは「振り付けられるとうまく踊れるタイプ」だと自己分析した。水野さんも同じタイプで、入試でも「こうすれば点が上がる」と言われれば踊り切れるが、自分でプロデュースするのは苦手だと認めた。

なお、久保さんはネズミにもサルにも特別な情熱や動物好きの気持ちがあったわけではない。ペットを飼ったこともなく、4年間ネズミの世話当番をしてネズミで卒論を書いたのに、素手ではネズミに触れないという。軍手をして扱っていたが、一度白衣の袖から子ネズミが入り込んだことがあったそうだ。

世界で数グループしかいない研究領域

久保さんは2000年から2007年にかけて、老齢ザルを対象に第一著者として6本の論文を書いた。そのすべてでこの論文を引用している。今回の出演にあたって自分の論文を読み返そうとしたが、手元にないものもあった。現在の所属の権限では自分の論文をダウンロードできず、夫に頼んで別の大学の権限でダウンロードしてもらったという。昔は別刷りを持っていたが、どの段ボールに入っているか分からない。久しぶりに読み返して「私めちゃくちゃ頑張ってたね」と思ったそうだ。

ただし、老齢ザルで6本書いても就職はできなかった。サルの研究者のポスト自体が非常に少なく、それを多くの研究者で取り合っている状態だったという。当時、日本で老齢ザルを実験室で研究していたのは3人だけで、久保さんはそのうちの1人だった。3人は同じ研究機関で一緒に研究していた。世界でも実験室で老齢ザルを扱うグループは3つほどしかなく、久保さんたちが4番目だったという。

論文を読んでいるのは、老齢ザルの研究者と、老化の神経科学に取り組みサルにも関心を持つ研究者で、久保さんによれば引用数はまあまあある。残る2人のうち1人は久保さんの当時の指導者ですでに引退し、もう1人の京都大学の元大学院生は今は研究界にいない。そのため、日本でこの論文について一番熱く語れるのは自分だろう、と久保さんは話した。

この論文の三つの新しさ

久保さんによれば、それまでは若いサルの脳の特定部位を損傷させ、どの課題ができなくなるかがさまざまな課題で調べられていた。脳の部位と課題の関係を示す「地図」はすでにはっきりしていた。一方、老齢ザルの脳のサンプルと行動データが同じ研究でそろったことは、この論文までなかったという。

この論文は、若いサルで分かっている課題と成績の関係を、自然に老化したサルで確かめ、同じ結果になるのか違うのかを、複数の課題を組み合わせて検討した。それまでは、ある課題を1つだけ行って脳損傷の若いサルと結果が違う、という報告がぽつぽつとあるだけだった。この論文では同じサルたちに課題A、B、Cをすべて行ったので、これまでの結果との違いや、個体の中で課題ごとにどう違うかを検討できた。「この課題とこの課題はできるが、この課題はできない」ということをはっきり示せた点が新しかった、と久保さんは説明する。

そして久保さんが最も面白いと感じ、博士論文のテーマとして引き継いだのは三つ目の点だった。老齢ザルの成績には大きな個体差があることを、個体ごとのデータとしてはっきり示したことである。それまでは平均値で「老齢になるとこれができない」と示すことが多かった。個体ごとのデータを出したことが、久保さんにとっては衝撃的だったという。そこで久保さんが取り組んだのが、その個体差はどこから来るのか、という問いだった。

暗い部屋でサルと1対1:行動を15項目に分けて記録する

久保さんは個体差の由来を、脳神経ではなく行動と認知の面から調べた。実験室でごく標準的な記憶課題をサルと毎日行う。サルは課題をやりたいわけではないので、集中させるために暗幕を張って部屋を真っ暗にし、課題を行う机だけにスポットライトを当てる。音も気になるため、ホワイトノイズを流し続ける。ホワイトノイズが流れる真っ暗な部屋でサルと1対1になり、それが何時間も続く。久保さんは、ゆる言語学ラジオの収録スタジオが当時の実験室の雰囲気に少し似ていると言い、聞き手を笑わせた。

課題の様子はすべてビデオで撮影し、サルがどんな行動を取っているかを細かく分析した。たとえば見本が右だったか左だったかを記憶する単純な課題では、サルの行動をおよそ15の項目に分けて記録する。正解の位置へ体を寄せておく、手を置いておくといった「正しい位置への身体的な定位」にあたる行動と、上を向く、ぐるぐる回るといった課題と関係のない行動などをカテゴリーに分け、成績との相関を調べた。

その結果、成績のよい老齢ザルは身体的な定位を多く行っていることが分かった。それ自体は予想どおりだが、久保さんはそれを定量的に示した。さらに面白かったのは、若いサルは定位しなくても正解していたことだという。加齢によって記憶能力は確かに下がるが、外的な手がかりを使うことでそれが補われている、という結果である。

「老化は新しい適応」

この結果から、久保さんは老化をどう見るかという話に進んだ。老化は長くゆるやかな変化なので、その変化に合わせて自分のやり方を新しく作っていける。だから自分は老化を「新しい適応」だと考えている、と久保さんは語る。

聞き手からは、将棋の羽生善治さんが、若い頃は読みの力で勝っていたが、年を取ると定跡の知識などで戦う方向へ移っていかなければならない、と話していたという例が出た。久保さんは、知恵と呼ばれるようなものが、本人が意図的にやっているかは分からないにせよ、行動としてはっきり見えたのだと応じた。ホストの一人は、記憶力が落ちてきたのでメモアプリに頼っているという自分の話を持ち出し、これも外部への定位だと笑い合った。

久保さんは現在、大学で老年心理学を教えている。老いることは新しく適応していく過程であり、それほど恐れることはない。これが久保さんの基本的な考え方だという。

老齢ザルから人間の高齢者へ

老齢ザルの研究を続けていても就職はできない。そこで当時の研究所の上司にも夫にも、老齢ザルをやってきたのだから人間の高齢者で研究すればいい、と言われた。久保さんもそのとおりだと思い、人間を対象にした認知実験を始めた。博士課程修了後は人間の高齢者の認知研究や、障害のある子どもたちのプロジェクトにも関わり、少しずつ「芸風」を広げて、ようやく就職できたという。

久保さんは、研究者の興味と就職が結びつかないのは普通のことだと話す。そのうえで、どう新しく適応するかが大事であり、自分は研究対象が変わっていったことがすごく面白かったと振り返った。水野さんは、大学院で身につけた実験を行い、データから論文を書く技能が、現在のプロジェクション・サイエンスの研究にも生きているのではないかと指摘した。久保さんも、自分の基本的な研究人格は実験心理学で作られたと考えている、と答えた。

実験の準備だけで2か月

体を寄せるという方略が使えない条件も調べた。たとえば右に見本を見せたら左を選ぶのが正解、という課題を組むと、正解側に体や手を置いておく方略は使えなくなる。これは見本と違う位置を選べば報酬がもらえる「ノンマッチング・トゥ・ポジション」という課題で、ルールは一貫している。

ただ、サルにこのルールを教えるだけで2か月ほどかかるという。直感に反するルールを、何百回、何千回と正解と不正解を繰り返しながら覚えてもらい、理解できた時点でようやく本番のテストに入れる。つまり2か月かけて実験するのではなく、2か月かけて実験の準備を整えるのである。

学習系の動物実験では毎日サルのもとに通い、教え続け、世話もしなければならない。1日休んだら忘れてしまうのではないかという強迫観念もあった。その後、動物福祉の考え方が広まって国際的な基準ができ、動物を毎日実験に参加させると疲れるので週1回は休ませなければならなくなった。それでようやく日曜日は休もうという空気になったという。研究者のためではなく動物のためのルールだったが、それがなければ研究者は休まなかっただろうと久保さんは言う。

動物実験で得たことを聞かれると、久保さんは「気が長くなった」と答えた。子育てでも、トイレトレーニングに時間がかかっても、おむつをしたまま小学校に通っている人はいないから大丈夫だと思えた。人間の子どもは教えればできるので、何をしても「人間すごい」と感じるという。一方で、今小学6年生の下の子がなかなか宿題に取りかからないときには、実験室のように部屋を暗くしてホワイトノイズを流せばやるのではないか、「ノイズが多すぎるんだよ」と思うこともあると冗談めかして話した。

想定外の破壊と、ホームセンターで学んだこと

実験で一番心が折れた経験を尋ねられると、久保さんは「ありすぎて選べない」と答えた。相手は人間ではないので、想定外のことばかりする。こうすればできるだろうと準備して出すと、思いがけないところで壊される。人間の想像力には限界があると感じたという。聞き手の一人が、無限の猿定理を実際に動物園で試したらサルがタイプライターの上で排泄してしまったという話を紹介すると、久保さんは「それはするよね」と即答した。

記憶実験では、覚えさせる対象物を頻繁に提示する。見るだけのはずのものをサルがつかみ取り、バキッと壊してしまう。壊されたら作り直さなければならず、ホームセンターには頻繁に通っていた。柔らかい器を用意すると力いっぱい引っ張られてちぎられる。ちぎれた部品を持っていかれると危険なので、取り返さなければならない。サルはとにかく退屈していて遊びたがっている、と久保さんは説明する。

こうした試行錯誤から得たノウハウとして久保さんが挙げたのは、「二度と手に入らないものを使わないこと」だった。どうせ壊されるので量産品を使うことが大事で、一点物を使うと同じ実験を続けられなくなる。試行錯誤の末に見つけた「最強のカップ」も、なくなるのが不安で大量に買いだめしていた。そのカップとは、オフィスのコーヒーサーバーなどで使う、持ち手付きのホルダーにはめ込む白いカップの部分だという。ある程度の強度と大きさがあり、サルがいる柵の向こうへ持っていかれにくい。紙コップは握りつぶされて持っていかれ、小さな金属製のカップはすぐに取られてしまった。赤ちゃん用のプラスチック食器も試したのかもしれないが、使っていないところを見ると小さすぎたのだろう、と久保さんは推測した。

ホームセンター情報は、まず先輩から教わるものだった。どこにホームセンターがあるかから始まり、「あそこのあれがいい」という情報が受け継がれた。課題は研究者ごとに独自に開発するので、道具の細かい情報が学会で広く共有されることは少なかったという。ただし、脳の血流を測る装置NIRSの研究が立ち上がった頃の人間を対象にした研究では、事情が違った。当時この装置は新しく、日本人の黒い髪では感度が悪いと言われ、欧米のようには結果が出ない。そこでプローブを頭皮にぴったり当てるため、5ミリの細いマジックテープを使う、水泳帽に穴を開けて自作する、といった情報を複数の研究室で共有していたという。

霊長類研究所には、久保さんが行った当初、実験器具を作るための工作室があった。はんだ付けも大学院生のときに初めて本格的にやった。暗視カメラも、キットを買って自分の装置に配線し、取り付けたという。

この話に堀元さんは、千葉で村作りをしていた頃のホームセンター事情を重ねた。小屋1棟に15万円分ほどの木材を買うので、2割の価格差でも大きい。最寄りのカインズに行くのは「情弱」で、少し遠くても木材が安くカットサービスも充実したジョイフル本田に行くのが基本だった、という話である。久保さんもジョイフル本田を知っていて、品ぞろえがよかったとうなずいた。一方、サル相手では木材はかじられたり折られたりしてすぐ駄目になるため、長さを自分で決められる金属のアングルを買って装置を組んでいたという。

ガムテープを噛むサルと、何枚もの扉

サルは暇なのでずっと何かをしている。ケージの名前表示に貼ったガムテープを、手が届かないはずの場所に貼っていたのに剥がされたことがあった。朝実験室に入ると、ガムを噛んでいるようなサルがいて、よく見るとガムテープを口に入れていたという。危険なので、すぐに飼育のプロに来てもらった。

サルは採血などで嫌な思いをさせられるため、飼育担当者のことを嫌っている。担当者が来た時点でサルはパニックになるが、担当者が口を押さえて素早く取り出してくれた。こうした場面ではサルがケージの外へ逃げることもある。脱走に備えて扉が何枚もあり、とにかく扉をしっかり閉めることが第一だという。聞き手は「進撃の巨人」の壁のようだと表現した。

25年ぶりに読み返して分かった、論文の位置づけ

何度も読んできた論文の印象は変わったのか。久保さんは、最初に読んだときにはこの論文のすごさがまったく分かっていなかったと答えた。老齢ザルの実験研究はこの論文以降の10数年で数多く行われ、今振り返ると、この論文が本当に最初で、これを参考にあの論文もこの論文も出たのだと分かる。久保さんは博士課程1年のときに老齢ザル研究のレビュー論文を書いているが、そのときよりも今回読み返したときのほうが、この論文の立ち位置と、以後10年ほどの研究の発端になったことを改めて感じたという。今回は25年ぶりくらいに読んだそうで、あれほど苦労した自分の博士論文のタイトルも忘れていて、大学のウェブサイトで確認したと明かした。

聞き手の二人もそれぞれの経験を重ねた。水野さんは、チョムスキーの『統辞構造論』(Syntactic Structures)のように各所で言及される記念碑的な論文を、こう書いてあるだろうと思い込んで読んだら、まったくそうは書かれていなかったと話した。これを「プロジェクションして読んでいた」と表現している。堀元さんは、学部時代に研究室の輪読で読んだ論文が、当時は何がすごいのか分からなかったが、後から振り返ると強化学習の手法を提案したもので、AlphaGoがイ・セドルを破ったことまでつながる出発点だったと話した。久保さんはこれをプロジェクションの話として受け止めた。同じ論文でも、自分の知識や価値観、イメージが膨らむことで、より深く理解できるようになる。しかも、そのことを自分では自覚しておらず、読み返して初めて気づく、という面白さがあるという。

自分の論文への思い入れについて聞かれると、久保さんは、共著の論文はあまりコミットしていないこともあるが、単著でも「いい仕事をした」という感覚があるわけではないと答えた。書くのはどれも大変で、発表できてよかったという感覚に近いという。

今はサルではなく、学生と動物実験を考えるのが楽しい

今の所属先にサルの実験ができる設備ができたらやりたいか、という問いに、久保さんは、時間、体力、知識などいろいろな意味でもうやれないだろうと答えた。ただ、卒論ゼミでたまに動物実験をやりたいという学生がいると、一緒に実験を考えるのがとても楽しく、動物実験が好きなのだと実感するという。これまでに、猫がミュラー・リヤー錯視などの錯視を見るかを調べる実験や、ある動物の数量認知の実験があった。アカハライモリが道具的条件づけを学習できるかを調べた卒論もあった。

イモリの研究には特別な意味があったという。爬虫類と両生類の学習実験の間には差があり、爬虫類を扱う研究者は多いが両生類はなかなかない。学習を調べるなら普通は哺乳類や鳥類を選ぶ中で、学生がイモリの研究を動物心理学会で発表したところ、両生類・爬虫類の研究者が集まってきた。ただ、その界隈も3人ほどだったという。老齢ザルも両生類も、基本的には3人ほどの世界なのだと、聞き手は笑った。

「どフェチ論文」というフォーマットについて

最後に聞き手の二人は、この企画の手応えを語った。水野さんは、研究者に分野の概論を聞くと舗装された表面的な話しか出てこないが、一番好きな論文や博士課程の話を聞くと研究者のフェチが出てきて面白いと述べた。企画の直接のきっかけは、研究者19人が偏愛する論文についてエッセイを寄せたアンソロジー『博士が愛した論文』だったという。面白い本だが、執筆者が自然科学系に偏っていて、心理学、社会学、経済学、言語学、文学などの研究者がいないこと、1人10ページ程度という紙幅の制約があることを挙げた。そのうえで、今後もゲストの研究者を招く際にはこの形式で話を聞いていきたいと述べ、第1回を締めくくった。