「文」とは何か:語との境界、長すぎる文、言いさしから考える
ゆる言語学ラジオ「文って何ですか」。ゆる言語学ラジオで水野太貴がこう投げかけると、堀元見はまず「私は堀元です」のようなひとつながりが文だと答えた。では「犬」の一言はどうか。「この問題わかんないんですけど」のように言い終わっていない発話はどうか。問いを出した水野自身も、すぐには答えられなかった。
この回のゲストは韓国語を専門とする言語学者の黒島規史である。黒島は、誰もが当たり前に使っている「文」という単位が、実は言語学者にとっても定義の難しいものだと示していく。小さい単位である「語」から見ても、大きい単位である長い文から見ても、文の境界ははっきりしない。さらに話し言葉を見ると、「〜けど」「〜たら」で終わる「言いさし」が大量に現れる。この回はこうした論点を順にたどり、最後まで明確な定義を出さずに終わる。
第1回で残された問い
この話題には伏線がある。ゆる言語学ラジオの第1回で、水野は「みんなが思う基本的な言語の単位は文だろう」という趣旨の説明をしたが、文そのものの定義は語らなかった。今回、黒島はその「文とは何か」を正面から取り上げた。
水野がまず挙げたのは意味からの見方である。主語と述語、つまり「何かがこういう動作をする」「こういう状態である」というまとまりを文と捉えることはできそうだ、という考え方だ。これに対し堀元は「文っぽかったら文でよくないか」と言い、そんな研究に予算を使うなら半導体開発に回したほうがいい、と茶々を入れた。黒島は、最近は自然言語処理でも文の単位をうまく区切れたほうがよさそうな場面があり、注目されているテーマではあると応じつつ、定義は曖昧で難しいと話を進める。
ハスペルマートの定義「文とは最大の節である」
黒島が最初に紹介したのは、言語学者マーティン・ハスペルマートによる簡潔な定義である。ハスペルマートは「文とは最大の節である」とする。
では節とは何か。黒島によれば、これも定義は難しいが、英語で言えば主語と述語がそろったまとまりを節と考えてよい。名詞節や関係節のように、節は入れ子にできる。例として挙がったのは「太郎は、次郎が花子のことを好きだということを知っていた」という文だ。「次郎が花子のことを好きだ」という節が、より大きな節の中に埋め込まれている。ハスペルマートの定義では、いちばん外側の「〜を知っていた」までを含むまとまりが、最大の節つまり文になる。
黒島はこの定義を「すごくいい」と評価し、ハスペルマートが間違っていると言っているわけではないと断っている。そのうえで、いろいろなケースを考えていくと、これだけでは収まらない現象が出てくると述べる。ここから黒島は、文を「小さい単位」と「大きい単位」の両側から考えていく。
語なのに文のようなもの:エスキモー語の例
小さい側の単位は「語」である。文を細かく切っていくと語で構成されているように見えるが、黒島によれば、語と文の間には「文っぽい語」が存在する。
ここで紹介されたのが宮岡伯人の『「語」とはなにか:エスキモー語から日本語をみる』と、続編の『「語」とはなにか・再考:日本語文法と「文字の陥穽」』である。「語とは何か」だけで本が2冊あり、しかも再考のほうが厚いことに堀元は驚いていた。水野は、語をめぐっては類型論の立場から論じた本もあり、言語学者はさまざまな角度から語とは何かを考えてきたと補足している。
宮岡の本が扱うエスキモー語は、「複統合的」(ポリシンセティック)と呼ばれるタイプの言語である。黒島は宮岡の新書から例を引いた。ベースとなるのは舟を表す単語で、ここにさまざまなパーツを付けていくと、「俺はお前に大きい舟を作ってもらいたいのだけれど」に相当する内容を1語で表せる。
ポイントは、日本語訳では「俺は」「お前に」と分けて書けても、エスキモー語ではこれらを1つずつばらせないことだ。単独の単語として発音できるのは舟を表す部分だけで、そこに付いているのは単独では使えない小さなパーツである。水野は英語の三単現の -s のようなものだと言い換え、黒島も過去の -ed のように単独では使えないものが次々と付いているイメージだと応じた。単語未満の要素がくっついているだけなので、全体はあくまで1語ということになる。
意味の上では文に相当するのに、形の上では単語になっている。堀元は「確かにグラデーションだ」と納得した。水野が、エスキモー語では文のようなまとまりを作ることもあるのかと尋ねると、黒島は、語を組み合わせることはできるが、この程度のまとまりなら1語になってしまうと答えた。
「振り込め詐欺」と文の包摂
次に黒島が取り上げたのが、ゆる言語学ラジオでも何度か出てきた「文の包摂」である。典型例は「振り込め詐欺」だ。「振り込め」は命令形で、それだけで言い切っているので文とみなせる。ところが「振り込め詐欺」になると、全体で1つの単語になってしまう。
水野の補足によれば、日本語では名詞の前に修飾要素を置けるが、ふつう命令形は置けず、連体形などにする必要がある。堀元はこれを「文を形容詞みたいに使っちゃってる」とまとめ、黒島もいい例えだと認めた。
この現象を研究している泉大輔の発表タイトルとして、黒島は「ボックスティッシュ向けられたら特に必要じゃなくてもとりあえず1枚取っちゃう説」を紹介した。「〜説」の前に長い文をそのまま置いた例である。黒島はここで『水曜日のダウンタウン』の「おならとゲップ同時に出すのは至難説」も文の包摂ではないかと投げかけたが、この例は意外に判断が難しかった。「出すのは至難」までで一文らしく見える一方、「至難」で終わっているため、名詞と名詞をくっつけた形にも見えるからだ。
水野は判断の手がかりを挙げている。名詞を修飾する位置には、ふつう「ね」「よ」のようなモダリティを表す終助詞を入れられないとされるが、文の包摂なら入れられる。「おならとゲップ同時に出すのは至難だよ説」のように言える。伝統的な日本語文法では非文法的だが、文の包摂による逸脱的な造語としては許される。だから番組のタイトルに「ね」や「よ」があれば判断しやすかった、というのが水野の見方である。
長いと文らしく、短いと語らしい
では振り込め詐欺の「振り込め」は文なのか。堀元は、「振り込め詐欺」だけなら単語っぽいが、極端に長い説明を前に付ければ文っぽく感じると述べ、黒島も同意した。先の「ボックスティッシュ〜説」のように前の部分が長いと、その部分は文らしく感じられる。
逆に、なじみすぎて文の包摂だと気づかれない語もある。黒島が挙げたのは「置いてけ堀」だ。釣った魚を「置いてけ」と言われる怪談に由来し、「置いてけ」は命令形である。もう1つは「したり顔」で、「する」に「たり」が付いた形、つまり「やったった顔」という意味になる。どちらも文の包摂だが、「置いてけ」や「したり」の部分を文だと思う人はほとんどいないだろう、と黒島は言う。水野は、短いほうが語らしさが出るとまとめた。
黒島の専門の韓国語は、日本語とよく似ている言語だが、この文の包摂はあまりできないという。水ダウのタイトルを韓国語にするなら、最後の「説」を「仮説」などに変え、「〜という仮説」のように修飾関係をはっきりさせる必要がある。日本語のように文をいきなり放り込むことはできない。堀元はこれを受けて「水ダウの面白さは韓国に輸出すると減っちゃう説」と言い、黒島も「翻訳できない説」はあると応じた。
長すぎる文:伊勢物語と節連鎖
大きい側から見た問題は「どこまでを一文と言っていいのか」である。黒島はこれを節連鎖という現象として紹介した。節がどんどんつながっていくことを指す。
水野は古典の授業で『源氏物語』を読み、一文がなかなか終わらないと感じた記憶があるという。黒島が持ってきたのは『伊勢物語』の「行く先多く、夜も更けにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる倉に、女をば奥に押し入れて、男、弓・胡籙を負ひて戸口に居り」という一節である。堀元はここで切れる箇所が4つぐらいあると言い、「下手くそな文」と笑った。
黒島の数え方では、読点までを1つの節とするとこの一文には7つの節が入っている。ここで黒島は受験生向けのコツも紹介した。古文では「ば」のところで主語が変わることが多く、9割以上がそうだという。「て」でつながっていれば主語は同じだが、「ば」のところでは主語が変わっている、と見当をつけながら読めばよい。
黒島は学部時代に古典ギリシャ語を学んでいたが、ギリシャ語にもやたらと長い文が出てきて大変だったという。昔の人は同じ発想だったのかという堀元の問いに、黒島は、一文一文が簡潔なのはむしろ今の発想で、昔は話し言葉がベースにあったから文が長くなりがちだったのではないか、と推測を述べた。
水野は以前のゲスト回で出た、源氏物語は女房たちが口で語ったものがそのまま文になった、という話を思い出した。実際に語られたものを文字に起こすと、人はそれほど文ごとに区切って話していない。伊勢物語もその特徴を残していて、そのために現代の読者には一文が長くだらだらしているように感じられるのかもしれない、というのが水野の考えだ。黒島もその可能性を認め、実際に普通の会話を文字に起こすと「なんとかして、なんとかなんだけど」とずっと続くことがあると述べた。堀元は、水野がだらだら話し続けるせいで編集点が見つからずにいらいらした時期があったと明かしている。子どもの会話や作文も「〜して〜して」と長くなりがちだ。
書き言葉のレンズで話し言葉を見ると
ここから水野は一つの整理を出した。書き言葉から文を定義しようとすると短く典型的な文が見えてくるが、そのレンズで話し言葉を見るとうまくいかない。
黒島も、書き言葉なら句点で終わっていれば一文とカウントしてよいかもしれないが、それは書き言葉の基準で文法を見ていることになる、と同意した。冒頭の「〜んですけど」で終わる発話も、書き言葉ではまず見かけず、話し言葉だから成り立っている。研究ではどうしても書かれた言葉を基準にしがちだが、実際の会話をきちんと見れば「けど」や「ね」で終わる文はたくさん出てくる。水野は、「文とは何か」という問いには、話し言葉と書き言葉のどちらを対象にするのかというところから始めるべきだったのかもしれないと述べた。
3時のヒロインのコントと「言いさし」
黒島が次に紹介したのは、お笑いトリオ3時のヒロインのコントである。修理屋を訪れた福田が「これちょっと修理したいんですけど」と言うと、相方が「あなたのターンですよ」と返す。「修理したいんですけど、何ですか」というわけだ。黒島は、これは完全に日本語の「言いさし」のコントになっていると評した。
日本語の「けど」「のに」などは接続助詞と呼ばれる。名前の通り、本来は「〜したのに〜だった」のように後ろに接続するものだ。それが後ろに接続せずに終わっているものを言いさしと呼ぶ。
言いさしは日常にあふれている。黒島が挙げたのは、人に何かを勧めるときの「ちょっと休んだら」である。この「たら」は「〜したら〜」とつなげるときの接続助詞だが、ほとんどの人は気づかない。黒島自身も修士1年のころまで意識していなかった。韓国語専門とはいえ日本語で研究していたのに気づかなかったので、かなり衝撃だったという。堀元は、「ちょっと休んだら」に「あなたのターンですよ」と返されることはないと言い、言いさしのたびにそう返せば、どれだけ日常に言いさしがあふれているかを周囲に意識させられる、と冗談を続けた。黒島の答えは「友達がいなくなりますね」だった。
英語論文で知った insubordination
黒島がこの現象を初めて知ったのは、人に教えてもらった英語の論文を通じてだった。英語ではこれを insubordination と呼ぶ。subordinate は何かの下にある、従属しているという意味で、in が付くことで「従属していない」ことを表す。本来は従属節の形なのに主節に従属していないもの、日本語でいえば言いさしのようなものを指す。
英語の例として挙がったのは "If you could give me a call, please" である。if で始まる従属節の後に本来は主節が来るはずだが、if 節だけで完結しており、「電話をくれたら嬉しいんですけどね」といった意味で言っている。ただし英語では、こういう言い方はあまり頻繁には使われないという。
ドイツ語の例が多い理由
その論文ではドイツ語の例が多く引用されていた。黒島はその理由をドイツ語の語順に求める。
ドイツ語の普通の文では、動詞は2番目に来る。堀元が冗談で水野に言った "Ich liebe dich" でいえば、主語の ich の次に動詞 liebe が来る。ところが weil や wenn のような従属接続詞で始まる従属節では、動詞がいちばん最後に来る。つまり従属節だけ見ると日本語のような語順になる。
大学でドイツ語を第2外国語として学んだ堀元は、この説明で当時習ったことを思い出していた。水野がまとめたように、明らかに動詞が最後に来る語順になっていれば、それは主文ではなく従属節だけで発話されている、つまり言いさしだと形から分かる。そのため、ドイツ語は例として扱いやすいのだという。
言いさしにもグラデーションがある
日本語に戻ると、言いさしにもグラデーションがある。何かが省略されていそうなものから、明らかに「けど」で終わっているものまで幅がある。
黒島は白川博之『「言いさし文」の研究』から、漫画『めぞん一刻』の例を2つ紹介した。1つ目は五代がこずえに「もう君とは付き合えない」「僕には好きな人がいるんだ。君には本当に申し訳ないけれど……」と告げる場面である。これは「君には本当に申し訳ないけれど、僕には好きな人がいるんだ」と前後をひっくり返せば文として成立する。語順が入れ替わっているだけのタイプだ。
2つ目は、響子に「なんで学生服なんて持ってるんです」と聞かれた五代が、「予備校の入学式に着てけって、ばあちゃんが送ってきたんですよね。結局着なかったけど」と答える場面である。こちらは「結局着なかったけど、ばあちゃんが送ってきたんですよね」と倒置してもうまくいかない。水野は、この「結局着なかったけど」は「結局着なかった」程度の意味だろうと言い、黒島も「結局着なかったんですよ」と普通の文で終わらせてもよさそうなところを「けど」で終わらせており、独立した文のようなものだと説明した。
堀元は、こういう独立したものに「あなたのターンですよ」と返すと、言いさしっぽいが言いさしではない、と逆に突っ込まれるのではないかと言った。しかし黒島によれば、白川はこれも言いさしと認定している。水野は、言いさしは文ではないものだと思っていたが、そうとは限らないのだと整理し、難しさを口にした。
「それ取って」「もう分かったから」
黒島はさらに身近な例を出した。「ちょっと休めば」も「ば」で終わっているが、相手に勧めるときに「あなたのターンですよ」とはならない。「それ取って」はどうか。「取れ」なら命令形だが、「取って」は「取って食べました」のように使える接続助詞の「て」である。
堀元は、「休みな」「休め」と言われるとかなり強く感じるが「ちょっと休んだら」は柔らかい、と指摘した。「取れ」も厳しく聞こえるので、文の途中のような言い方にすることで和らげているのではないか、というのが堀元の仮説だ。黒島は、動機についてまでは分からないとしつつ、仮説は合っているような気がすると答えた。
韓国語で同じことができるかと水野が尋ねると、黒島は、言いさしのような言い方はあるものの、日本語の「休んだら」「取って」にあたる使い方はしないと答えた。普通の命令形を使うが、それがきつく聞こえるわけではなく、きつい命令形は別にあるという。堀元が「韓国の人はちょっと失礼ということか」と言うと、黒島はそうではなく言語表現がそうなっているだけで、英語も普通の命令形で問題ないと訂正した。
「もう分かったから」も、後ろに何かを想定しようと思えばできるが、完全に独立して使われている言いさしの例である。堀元が「もう分かったので」だと間の抜けた感じになると言うと、話は「から」と「ので」の違いに移った。「そろそろ時間ですので」と言って帰るのは自然だが、反抗期の息子が「もう分かったので」と言ったら妙である。黒島の説明では、「ので」は丁寧な表現と一緒に使われやすい。「お金ないから金貸してくれ」は自然でも、「お金ないので金貸してくれ」は少し変で、「貸してください」のほうが合う。水野も、上司に向けて「そちらについてはもう分かりましたので」と言うなら不自然ではないと同意した。
ターンテイキングとイントネーション
ここで黒島は、水野の著書『会話の0.2秒を言語学する』で重要な概念だったターンテイキングに言及した。自分の発話が終わって相手が話し始める、発話権の交代のことである。言いさしで終わっても相手が話し始めれば、そこでターンは移っている。そこで、ターンが相手に移った時点までを文と認定する立場もありうるのではないか、と黒島は提案した。
堀元は、自分や水野は人が話している途中に割り込むことがあるが、それも文と認定するのかと尋ねた。黒島は、それは邪魔しているだけだと笑いつつ、水野の本にも書かれている通り、人は相手の発話が終わりかけていることが分かると指摘した。終わりかけを察して入るのであれば、相手は終わらせようとしているのだから、そこが一区切りになるかもしれない。水野は、終わりかけが分かるということは、人は振る舞いとしては何となく文とは何かを知っており、本能的に「文はここまでだろう」と予測しているのではないかと述べた。
黒島は、今回は触れなかったイントネーションも重要だと付け加えた。「取って食べます」の「取って」はあまり下がらないが、依頼の「取って」はかなり下がる。こうした音声的な特徴によって、「あなたのターンですよ」と返されないようになっているという。
堀元は自身の体験を語った。大学の部活でグライダーに乗るため、特殊な健康診断を受ける必要があった。先輩に「この病院に電話して、〇〇検診を受けたいんですけど、と言ってください」と教わり、「受けたいんですけど」の後に相手が黙ったらどうしようと不安になった。「受けたいんですが」と言い切るつもりだったのに、電話口では教わった通り「受けたいんですけど」と言ってしまった。マニアックな検診を受けることに引け目のようなものがあり、控えめな言い方になったのが不思議だったという。水野も、予約の電話で「予約お願いしたいんですけど」と言った後、相手がこちらの出方をうかがう気まずい時間があると共感した。この話は、無線の「オーバー」のように「ターンエンド」と付ければいいのではないか、という冗談で締めくくられた。
結論は「今後の課題」
ここまでの議論を水野が整理した。語という小さな単位から文を考えてもうまくいかず、節連鎖という大きな単位から考えてもうまくいかない。日本語では接続助詞で終わる言いさしがよく使われ、そこで相手がターンを取ることもある。そこから、文をターンテイキングの単位と捉える立場も、イントネーションのような音声的特徴で定義する立場もありうる。書き言葉だけで文を認定するのは一面的なので、話し言葉から文を認定する立場も必要だろう。そして「文とは何か」は今後の課題だ、という結論である。
堀元は「何も結論が出ない卒論みたいだ」と不満を述べた。黒島は最初に紹介したハスペルマートの「文とは最大の節である」を持ち出し、これで必要十分だと冗談めかして言ったが、堀元にはやはり分からないままだった。黒島は改めて、難しい問題ではあるが、文字に書かれた文ではなく会話をつぶさに観察することが重要だという示唆は得られたと述べた。文法というと書かれたものを思い浮かべがちだが、会話をきちんと観察するのが大事だという。
水野はさらに、手話言語ではどうなるのかが気になったと述べた。ターンテイキングやイントネーションの議論は結局音声中心の考え方なので、手話の方面からも考えなければならなさそうだという。水野は、普段は日本語や英語、ヨーロッパ系の言語ばかりを学ぶ機会が多いが、アフリカやアラスカ、中央アジアなどの言語を見ると常識が通用しないことが頻繁に起こると指摘する。英語中心で理論を組み立てるとこうした部分がこぼれてしまうという批判はよくあり、その意味でもいろいろな言語を自分が学ぶことを今後の課題としたい、と話した。黒島は、文の複雑さを見ることは言語の複雑さ、ひいては言語を操る人間の複雑さを知ることでもあり、いろいろな言語を見ながら文とは何かを考えているのが言語学者だと述べた。「文とは何か」という一見簡単そうな問いにも答えが出ていないこと自体が、この回での発見の一つだとまとめられた。
黒島の新刊と「ながら」「から」の謎
最後に黒島は自著を紹介した。『韓国語連結語尾のトリセツ』は、日本語の接続助詞にあたる韓国語の形式の使い方を、多くの会話例をもとに書いた本である。博士論文のテーマがこの韓国語の形式で、以前出演した際に書くと言っていたnoteの連載を書籍化したものだという。会話例の多くは韓国ドラマから引用されている。
本の特徴は、似た形式の使い分けや言いさし的な用法を一つの統一原理で説明している点だと黒島は言う。その一端として、日本語の例が出題された。「食べながら」と「食べるから」では、「食べる」の部分の意味は同じである。ところが「小さいながら」と「小さいから」になると、「小さいながら」は「小さいのに」という逆接の意味になり、「小さいから」は理由を表す。「から」の意味は変わらないのに「ながら」だけ振る舞いが変わる。しかも動詞では「食べ」という連用形に付くのに、形容詞では「小さい」という連体形のような形に付く。さらに「小さいながらも」とは言えるが「小さいからも」とは言えない。「もう分かったから」のように「から」は単独で文を終えられるが、「もう分かりながら」「食べながら」で終わることはない。
堀元と水野は理由を答えられず、「今後の課題」とかわした。黒島によれば、韓国語にも似た現象があり、本ではそれを一つの原理で説明しているという。黒島はもう一冊、初級者から取り組めるリスニング教材『究極の韓国語リスニング』も出しており、レベルの最上位はカップルの喧嘩の会話で、その会話は黒島自身が作ったものだと話した。
「文とは何か」という問いに、この回は答えを出していない。語と文の境界、どこまでを一文とみなすか、言いさしを文とみなすか、話し言葉と手話をどう扱うか。論点は整理されたが、定義そのものは言語学者にとってもまだ未解決の問題として残された。
ゆる言語学ラジオ。堀元さんは、と見せかけて水野さん。はいはいはい。何? 水野さん、文って何ですか? 答えたら答えたれ、そんなこと聞いたやろ。基本、言語学やってんだから。
それはその意味論的な話なんですか? 形態的な話? あ、そんな難しいわけ? 逆に文とは何かって、あれでしょ。「私は堀元です」みたいな、この一つの繋がりが文ですよね。
あ、なるほど。じゃあ「犬」とかどうですか? 「あ、犬!」みたいな。あれ、文でも文じゃなさそう。じゃない。「犬」でもですよ。それだって言い終わってんだから、それで。
あ、なるほど。あ、じゃあ「堀元さん、ちょっとこの問題わかんないんですけど」、どうですか? うわあ、言い終わってないね。はい。これ文ですか? うーん。まあでも文じゃないすか? それで一応ワンセンテンス終わってるから。定義はそんな感じで、今なんか文じゃないとか言ってるけど。そうですね。分かりません。
本日はですね、日本一面白い言語学者こと黒島先生にお越しいただいております。おはようございます。ゆる言語学ラジオ、言語学の黒島と、えっと、ラジオの水野と、え、俺はゆる……あ、そうです、そうです、ゆる。よろしくお願いします。全くない。はい。
でですね、今日はちょっと文の話をしていきたいと思うんですよ。こんなキャッチーなテーマで。いや、弱い弱いけどな、文。文の話って、これもう1話目からの大振りがあったんですよ。ゆる言語学ラジオ伝説の第1回ですね。はいはい。あの、クオリティが非常に低かったことと、収録中に水野さんが炭酸水を飲んでたことですよ。それでお馴染みの回です。語について。邪魔だったわ、あれ。
あの伝説の回でですね、水野さん言ってたんですよ。「みんなが思う基本的な言語の単位っていうと文だと思います」みたいな配慮をしたんですね。うん。じゃあ文って何ですかっていうことを聞きたかったということなんですよ。確かにあの回ではその定義喋ってなかったですもんね。そうなんですよね。実際どうですか、水野さん。さっきはちょっとボケちゃいましたけども。飲んでごまかす、1話以来の手法。
でもいくつかの多分観点で考えることはできそうで、一つはその意味的に見た時に主語と述語みたいなものがある。うん。つまり何か動作主体がこういう動作をするとか、こういう状態であるっていうまとまりを文と捉えることはできそうじゃないですか?
はい、できそうですし、話どうでも良くないです? 何でも良くない? え? 文っぽかったらもう文でよくない? 科研費はそこに注ぎ込むより……でも、いらないっすね。そこに注ぎ込まなくていいですよ。もっと国のために、国際競争力のための半導体開発とかに使った方がいい。半導体。半導体な。なんで知らねえんだよ。知ってはいるだろ。半導体の方がよくない? 間違いない。バカだな。
ちょっとバカ言われてしまいましたけど、でもね、最近自然言語処理とかありますから、文の単位とか区切れた方が良さそうな気もするので、だいぶ注目浴びてる感じはありますね。はいはい。で、この文っていう単位ですね、結構これがやっぱ曖昧なんですよ。難しいんですね、定義が。
で、あの、私が出た時に自動詞・他動詞の回やったんですけども、その時に出てきた有名な言語学者、ハスペルマートっていう人がいるんですけど、この人がですね、簡単な定義をしてくれてます。ありがたい。はい。文はですね、最大の節であると。あ、わからん、節がわからない。文の定義がわかんないって今話をしてるから、その定義の中にわかんないもの出てきたらダメなんですよ。え、節の定義いいですか? お願いします。難しいですよ。ああ、そっちも難しいんだ。
そうなんですけど、まあ英語だとですね、大体主語と述語が揃ってるようなもんを節だと思ってくれれば。名詞節とかね、関係節とかありますけど、thatとかwhichの後になんかそういうのがあるよね。はい。主語・述語のセットみたいなのが、まあ節だと思っといたらとりあえずいい。はい、そうですね。英語だとそれはミニマムな節という感じなんですけども。で、もう1回その文の定義聞いていいですか? はい。文とは最大の節である。うん、なるほど。
最大のがわかんないです。はい。うん。節っていうのは中に何個もつけられるんですけども、その一番外側。ああ。最大の節っていうのは……じゃないよ、納得感ないよ、別に。
とりあえずみんな頷きましたよね。それならいいか。節ってさ、入れ子構造にできるわけよ。まあでもそれは、彼が買ったという本という、え、彼が買ったという本……。えっと、時を戻そう。えっと、彼がついた嘘……。えっと、時を戻そう。下手だね。うまくならないですね。炭酸水飲んでた頃から何も進歩が見られない。そうすね。ちょっとあそこまで時戻して、あそこからやり直したいですけど。
「太郎は次郎が花子のことを好きだということを知っていた」。そっちがいいですね。うんうん。俺の方がうまかったな。やっぱ初学者はね、こういうバイアスがあんまなくてね、やっぱ考えること少なくていいですよね。すごいしょうもないマウントですね。虚しく響き……。
でもその一番外側、最大の節って言ってるから、その一番外側の「知っていた」の部分は少なくとも文であろうってハスペルマートが言ってるってことですよね。そうですね。まあそれぐらいがやっぱシンプルなんですけども、ちょっとですね、こっからが結構難しいんですよ。色々な場合考えてくと、これでちょっと収まらないなみたいなのが出てくると。ハスペルマート間違ってるんじゃないか。そんなことは言ってないです。今言ってないですよ。これはこれですごくいいと思います、僕は。熊本からもう一番、ハスペルマート。
でですね、文をちょっといろんな角度から考えてみたいんですよね。で、まず文を小さい単位とちょっと大きい方の単位から考えてみたいと思います。まず小さい方から考えたいんですけども、そうすると、まあ語っていうものがありますよね。語ってことですね。文を細かく切っていった時に、語で構成されてるってことですよね。そうですね。もっと細かく切ろうと思えば切れますね。単語以下のものもあるんですけども、とりあえずまとまった単位として語っていうものを考えたいと思います。
そうするとですね、語と文の間っていうのは、え、文っぽい語っていうのがあるんですよね。文っぽい語。はい。その、できるとできない、できるけれども……みたいなやつ。疲れるやつですね。そんなのがあるんですよ。
で、これがですね、言語学のかなり名著って言われてる『「語」とはなにか』という本があってですね。ちょっとつまんなそう。あ、水野さんさすが持ってますね。この『「語」とはなにか』っていうですね。直球すぎるの。つまんなそう。え、『エスキモー語から日本語をみる』っていうかなり刺激的なタイトルが。1冊いけないすよ、「語とはなにか」で。いや無理だと思うの。これで一冊持たないと思いますね。なんとですね、『「語」とはなにか・再考』もあります。あ、2冊。もしかしてこれ2冊いってる? しかも再考の方が厚い。厚いんですよ。へえ。そうそう。2冊いけんの? これで。かなり考えることありますよね。1回でいいよ。それもう考え終わったって、こっちで。再考しなくていいすよ。
考えないと、考えないと。だってほら、「日本語文法と『文字の陥穽』」ってサブタイトルもついてるから、やっぱ落とし穴あるんで。気をつけて再考しつつ、落とし穴に気をつけて考えないと。これ大変な問題なんですよ。ですね。
でですね、ここで扱ってる言語、エスキモー語という言語なんですけども、何が問題かって言うとですね、これがポリシンセティック・ランゲージと言われてるんですけども、これがですね、複統合的とか複統合型言語という風に言われてます。は、それ言われても何もわかんないな。過去回で1回多分このワード出しましたけどね。そうなんですよね。実はですね、これも伝説のサピア回で登場してるんですよね。あ、つまんなかったやつだ。堀元さん……。これ、あれ見返してないから知らない。覚えてない。なんで見返さなかった? 面白いから。水野さん、やめてやめて。
はい。これぜひ見直して欲しいんですけども、このサピア回の時にですね、文、実はこれは一つの語なんですよっていうものを紹介してたんですよね。あん時は確か、なんかナイフでヤギを切るとか、なんかそんなような文だったと思うんですけども。それ語でいけるんだっていうね。はい。これですね、『「語」とはなにか』、これ本難しいので、この宮岡伯人先生が書かれてる新書の方からちょっと例を引用したいと思います。はい。うん。
これですね、まずベースにカヤックっていう単語がありますと。舟ですね。うん。これにですね、色々なパーツをつけていくとですね、「俺はお前に大きいカヤックを作ってもらいたいのだけれど」みたいな語が作ることができます。で、はい。これが1語なんですよね。これ何がポイントかって言うと、過去のサピア回であんまり説明してくれなかったんですけれども。サピア説明して……お前だよ。お前がサピアの資料持ってき損ねてんだ。エドワード……か。
そうなんですよ。これですね、「俺は」とか「お前に」とか今日本語で言っちゃってるんですけど、これ1個1個ばらせないんですよね。ほう。カヤックだけは単語なんですけども、これに色々ついてるやつっていうのは一語として発音することができないような小っちゃいパーツなんですよ。うん。だから、イメージ英語の三単現のSみたいな感じですよね。うん、そうですね。過去のedみたいに、あの、それだけじゃ使えないようなものがポコポコポコついてるっていう感じですね。そんなにいっぱいくっつけられるんですね。そうなんですよ。これでいっぱい単語……単語未満のものがくっついてるので、最大これやっぱ語なんですよね。1語っていう感じになります。
うん。じゃあ文っぽいね、それ。そうなんですよ。我々からしたらこれ全然文相当のものを言ってんですけども、まあ定義上は語と言うしかないと。整理すると、意味的には文っぽく見えるんだけど、形的には単語っぽくなっているってことですよね。うん。はい。確かにグラデーションだわ。聞きたいですね。気になる。これわかんないな。これ「語とはなにか」だ。「語とはなにか」なんですよ。しかもサブタイトルがね、「エスキモー語から日本語をみる」でね。
はい、そう。しかもですね、こちらの再考になるとですね、あの北方ユカギール語のね、例とかも頂いてますんで。北方ユカギール語も。ありがたいですね。広いすね。聞いたこともない。広い。あとやっぱね、語と言うとね、この『類型論から見た語の本質』とか。いい本ですね。そんなにあんの? 語の。何笑ってるんですか? 語関連の本だけでこんなにあるんだ。語はもうね、ありますよね。ええ、すげえ。
だから色々な角度から語って何だろうって言語学者やっぱ考えてるから、ここに研究費を是非集中的に。半導体ぐらい重要ですよね。そうは思えないけど。高市さんもね、その危機管理投資とか言ってね、半導体とかAIとか軍事系に投資してる暇があったらね。国家の安全に関係ないから。語が何かわかんなくても国家潰れないんです。国語が日本をやっぱり防衛してません。そんな状況ないす。一生起こらないです。そこ、日本語に誇りを持ってね、行きたいですよね。やっぱそれはそうですけど。是非ね、「語とはなにか」ももっと考えてほしいですけどね。
でもさ、水野さんさ、本のことをフリップだと思ってるよね。フリップ芸だと思って今出してるよね。なんてこと言うんですか? このタイミングでこれ出したら受けるなと思って出してたよね。違います、完全に違う。そんなはずがないです。考えたこともない。はい。ボケてないです。ボケてたよ、絶対。うん。
で、こんな風にですね、エスキモー語だと文っぽいものを語で表せると。これ結構問題になってくるんですね、文の定義にとって。ちなみにエスキモー語って、それで言うと文みたいなのを発することがそもそもないんですか? 今のは語で表せたけれども、文を使うこともあるんですかね? 何か組み合わせてやることはできると思うんですけども、今ぐらいのまとまりであったら1語になってしまうということですね。あ、なるほどなるほど。エスキモー語回が待たれるね、さすがにね。でも確かにちょっと気になってきた。そんな語でかなり意味をフォローするって、日本語からほど遠すぎるから。そうですね。我々が習う日本語とか英語とは全然違うんで面白いですね。うん、ですよね。
で、こういう風に文の定義っていうのが、こう語から考えても結構難しいということになってくるわけですよね。これもゆる言語学ラジオで何度か出てるんですけども、「文の包摂」っていうキーワードがありました。あ、あるわ。覚えてますよね。例えば「振り込め詐欺」とかがそうなんですけども、「詐欺」っていう単語に「振り込め」ですね。これもう文なんですよ。命令形なんでね。命令形っていうのはもうこれ、それで終わってるので、まあ文と見なしていいと思うんですけども、これが「振り込め詐欺」になると、これでやっぱり単語になってしまうということですね。うんうん。
一応確認しておくと、日本語はその名詞の前に修飾する要素は前にもちろん置けるんだけど、命令形置けないんですよね。連体形とかにしなきゃいけないんで、命令形で置けないわけですね。文を形容詞みたいに使っちゃってる。
そうですね。それいい例えですね。で、「何々しようキャンペーン」とか、まあ色々あるんですけども、これをですね、研究されてる泉大輔先生っていう先生がいらっしゃいまして、最近ですね、面白い研究をいっぱいされてるんですよ。うん。例えばですね、発表されてたタイトルなんですけども、「ボックスティッシュ向けられたら特に必要じゃなくてもとりあえず1枚取っちゃう説」みたいなのをやってました。
あ、それは説の前に長い文入れちゃってるってこと。そうですね。なんとか説の前に「取っちゃう」っていうですね、まあ文を持ってきているということですね。こういう風に「振り込め詐欺」みたいに、まあ語にしてしまっているということなんですよ。この間ね、『水曜日のダウンタウン』で「おならとゲップ同時に出すのは至難説」やってましたけど、あれも多分文の包摂ですよね。
これ難しい。文の包摂って言っちゃっていいの? これ違うの? これ難しいですよね。「出すのは至難」、ここまでで一文っていう感じなんですけど、これが名詞で終わってるんで、名詞と名詞をくっつけてるみたいな感じになってますかね。文であるとは認定しづらいんですかね。名詞って言っちゃっていいんですか? でもそれ。こんなくだらない例でこんなに悩ませてしまうとは、まさか。
あ、でもね、あの、重要な情報言っときますと、かもめんたるのう大さんは4回連続でできてます。違う違う違う。おならとゲップ同時に出し続けてたあの人……4回連続いけるんだって感動しましたね。じゃあ全然この文の定義の方が至難ですよね。文の包摂の話の方が至難ですね。そうですね。これちょっとやっぱ泉先生に認定していただくとかかもしれないですけども。
わざわざ呼びつけて「おならとゲップ同時に出すの至難説ってどうですか」って聞くんですか? いや、大好物だと思いますよ。そしたら泉先生、「うーん」って言ってまた考え始めたりするかもしれないし。そんなに考えがいあるテーマだったんだね、これね。そうですね。
なんかあの、典型的には名詞の前につけられるものって、モダリティを表す終助詞とかをつけられないと言われていて、例えば「なんとかだよね」とか「なんとかだよ」とかの「ね」とか「よ」ってのを修飾する場所には入れられないって言われてるんですけど、文の包摂だったら入れられるんですよね。まあだから「おならとゲップ同時に出すのは至難だよ説」。あ、そうそう、問題なく。これ伝統的な日本語文法だと不適格なんですけど、文の包摂として逸脱的な造語としては許されると言われるので、「ね」とか「よ」とかがあってくれたらすごく判断しやすかったです。なんでそういうもの持ってきてくれなかったのかとは思いますね。そうですね。ちょっとかもめんたるのう大さんが4回連続で成功してるのが面白すぎて、ついこの話してしまいました。
え、で、結局この文の包摂っていう現象は、今黒島先生が言いたい文とは何かって話とどう関わってるんですか? これも結局ですね、振り込め詐欺の場合は詐欺の中に文っぽいものが入っちゃってるわけですよね。なので、じゃあ「振り込め詐欺」で1語ですかとかですね、じゃあ「振り込め」のとこは文なんですかみたいな問題が起こってくるわけです。振り込め詐欺の「振り込め」の部分を文だって思う?
なんかさ、振り込め詐欺だけだったら単語っぽい気するんだけど、極端な話、「悪人がおばあちゃんに電話をかけて息子だと偽って振り込め詐欺」だとしたら、それは文っぽいなって思うね。うんうん。鋭い、鋭い。そうだと思います。僕もそう思います。確かにね、さっきの「1枚取っちゃう説」のやつも、かなり前が長かったですもんね。
そうすると、やっぱちょっとここ文っぽいかなみたいな感じしてきますよね。それこそ馴染みすぎて文の包摂だと気づいていない語ってのはあって、まあ典型的なのは「置いてけ堀」ですね。これ置いてけ堀の「置いてけ」の部分って本当に実際に、釣ったものを置いてけという怪談ですね。そういう堀があって、そこからその「置いてけ堀」っていう言葉ができてるんで。はい。怖い話由来なわけですね。そうですね。だから命令形なんですよね、この「置いてけ」の部分。つまり文の包摂であると。とか「したり顔」とかね。うん。したり顔もそうか。はい。「したり」って「する」に「たり」がついて「したり」、やったってことですよね。やったった顔ってこと。やったった顔ってことですから、これも文の包摂ですけど、もう「したり」の部分を文だってあんまり思わないですよね。
みたいなものがあるわけで、水曜日のダウンタウンの説のタイトルみたいな長いものだったら確かに文っぽいけど、したり顔とか置いてけ堀の「置いてけ」「したり」部分って文ですかって言われたら、まあほとんどの人は文と認定したくないでしょうね。うん。短い方がね、やっぱ語っぽさ出ちゃいますよね。ですよね。
うん。で、僕の専門、韓国語なんですけれども、以前私が出演した時にですね、まあ韓国語と日本語すごく似てるよって話したんですけども、この文の包摂、韓国語はですね、そんなにできないんですよ。あ、そうなんだ。水ダウみたいなことやれないんですか? ちょっと難しいですね、韓国語だと。え、どういう感じになるんですか? じゃあ水ダウのタイトルを韓国語にそのまま直訳すると、話者はどういう感覚になるんですか? だから最後の「説」ですね。これを「なんとか説」じゃなくて「仮説」とかにして、「何々という仮説」みたいにするか、ちょっとそういう感じを取らないとですね。ちゃんと修飾関係を明確にしないと。
はい。日本語みたいに文をドーンっていきなり放り込むみたいなことはできない。水ダウの面白さは、だから韓国に輸出するとちょっと減っちゃう説。翻訳確かにできない説。うん。できない説ありますね、確かにね。だね。その「ゲップとおなら同時に出すのは至難説」もさ、僕録画して飯食いながら見てたんだけど、大音量でゲップとおならが同時かどうかを検証するスロー再生が何回も行われて、あまりに気持ち悪すぎて俺飯食えなくなっちゃって、1回消したりしたんですよ。だからあれ、なんか韓国に翻訳して持っていくとね、韓国人に「飯食ってる時になんてもの見せるんだ」って怒られたりしてそうですよね。
堀元さん、マーボーにしますよ。どういうこと? ナスだからってこと? そ。何その悪口、新しいやつ用意してきました。黒島先生。思いついた時にメモとかしたんでしょうね。次、堀元さんいたら、ってメモしたんだと思います。メモリの無駄遣いだな。
で、先ほど文を考えるにですね、小さい方からと大きい方から考えたいと言ったんですね。で、小さい方が、語から見てうまくいかないよって話したね。はい。そうね。これ語なの文なの、ちょっと文っぽいけど実は語っていう定義になりますってものを、小さい方という感じで見てきました。あ、そっか。だから語から見ていったら文っぽくなってしまったっていう話ですね。はい、そうですね。
で、今度文なんですけども、これ長げえなっていう、これ本当に文って言っちゃっていいかなみたいな。どこまで一文なのかなっていうのもあります。あ、長すぎて一文だと認定しづらい。そうですね。それが大きい視点で見たっていう話ですかね。はい、そういうことになります。はい。これがですね、現象としては節連鎖という風に言われています。連鎖っていうのはどんどん繋がってくっていうことですね。連鎖ですね。はい。
古典やった時ですね、日本語の古典やった時に、文長げえなとか思ったことってないんですか? お、源氏物語とかで一文長くね?って思った記憶あります。ですよね。ちょっと今日は伊勢物語持ってきたんですけども、こんな感じのがあります。「行く先多く、夜も更けにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥に押し入れて、男、弓胡簶を負ひて戸口に居り」。長いね。はい。
添削するなら、ここで切りましょうっていうところ、今4箇所ぐらいありますね。そうだ。下手くそな文だったね。めっちゃ下手。うん。このライターさんちょっとね、クビです。もう無理です、この人、伊勢物語。下手、下手すぎる。おいおいおい。いや、でもマジでそうと思うんだよな。なんか古文って、もっと切った方が読みやすい文章になるの。それ分かります。これ難しさの一つっすよね。
これ今7個節が入ってたわけですね。ほうほう。ここでいう節っていうのは、点が打たれるまでの場所ってことです。最初「行く先多く」だったんですけど、ここで1個で、次「夜も更けにければ」で、ここで1個っていう風に数えていくと7個入ってました。で、こういう風にですね、どんどんどんどん長い文が出てくるんですけども、これですね、是非あの受験生に覚えといて欲しいんですけども、あの「ば」ですね、主語が変わるんですよ、大体。へえ。あ、そうなんだ。はい。9割以上、あの「ば」のとこで主語が変わってるんですね。今こう全然主語言ってなかったんですけども、ちゃんと見てもらうとですね、「ば」のとこで主語変わってるんですよ。へえ。こういうよくわかんない長い文章を読む時ですね、「て」で繋がってれば主語同じなんだけども、「ば」のとこは主語変わってるなみたいな。あれ、これ有益なテク。受験生に有用なハックだ。うん。これだけ覚えて帰ってください、今日はそれだけ。
で、こういう風にですね、長い文、僕ですね、学部の時に古典ギリシャ語勉強してたんですけども、古典ギリシャ語とかもそうなんですよ。あ、そうなんだ。やたら長い文が出てきてですね、結構大変なんですよね。え、昔の人って同じ発想だったんですか? ギリシャでも日本でも。だから今の発想ですよね、その一文一文が結構簡潔になってるのって。昔って多分話し言葉みたいなのがベースにあるから、それを元にすると文やっぱちょっと長くなりがちだったんでしょうね。そう、人って喋る時だらだら喋りますもんね。そうなんですよ。
それこそ監州の津先生がお越しになった時にさ、文学研究のお話されてたと思うんですけど、確かそこで「源氏物語音読論」っていう話出てきましたよね。だから女房たちが口で喋ってたものがそのまま文になったのが源氏物語なんだみたいな。そうそうそう。そういう物語って本当に実際に物語る、つまり音声で喋ってたものをそのままテキストに起こすと、人ってそんなに文ごとに切ってないわけで、まあ伊勢物語ももしかしたらそういう特徴を残している。だからこそ一文が長くて、我々からするとダラダラしてるように感じられるってことなんじゃないですかね。
まあそうかもしんないですね。だからこれ実際普通の会話を取って文字起こしてみると、かなり文切ってないんですよね。うんうん。「なんとかして、なんとかなんだけど」みたいな感じで、ずっとダラダラダラダラ長くってことは実際あるんですよね。そうですよ。ゆる言語学ラジオの編集してても、水野さんがずっとダラダラダラダラ喋ってるせいで、くそ編集点ねえなって言ってイライラしてた時期すごいありましたからね。確かに僕はそうやってダラダラ喋ったりして、それが良くなかったのかもしれないけど、ところで愛知県には……。無理しなくていいですよ。無理して下手に喋んなくても大丈夫です。
あ、そうですか。子供の会話とかそうですよね、今。子供の会話はそうですよね。で、子供の作文も結構ね、すっごい文長くなる。「何々して」を連続するイメージありますね。そうそう。なんで、まあこれが我々の普通の会話のスタイルなのかもしんないですね。つまり書き言葉から文を定義しようとすると、なんだか短い典型的な文らしいものっていうのが見えてくるんだけど、そのレンズで話し言葉を見ると全然うまくいかないっていう話ですよね。そう、そうですね。文書くんだったら丸とかで終わってれば、それで1文ってカウントしていいかもしんないですけれども、これあくまでちょっと書き言葉の基準で文法を見てるような感じになりますよね。うんうんうん。
だから最初に黒島先生が言ってた「何々したんですけど」って言って終わっちゃってるやつとかも、書き言葉だとまず滅多にないじゃないですか。そうですね。話し言葉だから成立してるわけで。話し言葉にすると文の定義うまくいかなくなるんですね。そうですね。だから研究する時、どうしてもなんか書かれた言葉を基準にして研究とかしちゃいがちなんですけれども、まあ実際の会話をちゃんと見れば、「こう言ったけど」とか「ね」とかで終わってる文っていうのはいっぱい出てきますよね。なるほどね。だから文とは何かっていう問いに対して、最初、話し言葉なのか書き言葉なのかっていうところから本当は始めなきゃいけなかったのかもしんないですね。
うんうんうん。じゃあ結局、小さな単位、語から見て文を定義しようと思っても難しくて、大きい単位、節連鎖、長い文から見ても文の定義は難しいっていう話でしたけど。うん。けど、何ですか? けど。はい。すなわち……だしな。なんでそんな漢文調の喋り方になったんだ。硬い。思えらく。
これ面白いコント見てですね。3時のヒロインさん分かりますかね。芸人さんですね、3人組の。はい、そうですね。の2人がやってたコントなんです。修理屋さんに訪れたっていうコントで、福田さんの方がですね、「これちょっと修理したいんですけど」「すみません」というわけですね。かなでさんの方が「あなたのターンですよ」っていう風に返すんですね。あの、最初「修理したいんですけど」なんで、「あなたのターンですよ」と。あ、まだお前のターンは終わってないと。はい。で、「あなた待ちでしょ。修理したいんですけど、何ですか」みたいな。これ完全に日本語の言いさしコントになってるんですよ。ああ。素晴らしい観点だなと思って。なるほど。
でですね、この「けど」みたいなので終わるやつをですね、日本語ではあの「言いさし」という風によく言っています。うん。え、日本語のですね、この「けど」とか「のに」とかいうのを接続助詞と言うんですけども、まあ名前の通り接続助詞だから、なんか後ろに接続するのが普通なわけですよね。そう。「なんとかしたのに、なんとかだった」みたいな形です。はい。それなんですけども、接続せずに終わってるやつのことを言いさしですね。まあ言いさして途中で終わってしまうっていう風に言っています。
でですね、日本語にこの言いさしっていう現象がたくさんあるんですけども、例えばですね、「ちょっと休んだら」とかいう風に人になんか勧める時あるじゃないですか。うん。この「たら」って、「何々したら何々」って繋がる時の接続助詞の「たら」だって知ってましたか? え、全く気づいてなかったです。そうなんですよ。これ僕も全然気づいてなくて。「ちょっと休んだら」って普通に言うもんな。ですよね。「ちょっと休んだら何?」って思わないもんね。うん。はい。さっきの僕みたいなことにはならないですよね。うんうん。
で、これ僕もですね、修士1年ぐらいの時まで全然意識してなくて。うん。一応その時ですね、韓国語専門であるものの、まあ日本語で研究してたのに、その時までずっと気づかなくてですね、かなり衝撃だったんですよね。うん。だって「ちょっと休んだら」に対して「あなたのターンですよ」って言われることないすもんね。そうですよね。普通それないんで。いや、でもあれだね。みんなにそれ気づかせるために言ってた方がいいかもしれない。言いさし言われるたびに「あなたのターンですよ」って毎回言ってったら、言いさしがどれだけ日常に溢れているかを意識させることができるよね。そうですね。そして友達がいなくなりますよね、きっと。まあでも言いさしを広めることができたら本望ですよね。友達がいなくなっても「言いさしなんだぞ、それは」って強く言っていきたい。文とは何か考えたいもんね。確かに。考えたいです、俺。なんでそっち派に回ったんだ。考えたくない派だったのに。はい。文とは何か、してもらってですね。うん。再考もしていいと思いますよ、全然。考えることいっぱいありますから。あります、あります。
で、全然気づいてなかったんですけども、ある時ですね、面白い論文あるよって教えてもらってですね、英語の論文を教えてもらったんですよ。英語の論文で初めて知りました、この現象。おお。「休んだら」が言いさしだって話を。はい、そうなんですよ。英語だとですね、これをinsubordinationとか言ったりするんですけども、まあsubordinateってなんかの下にあるとか、あるいは何かに従属しているみたいな意味ですよね。うんうん。で、これinなんで、そうしてないってことですね。従属してない文みたいなのをinsubordinationという風に言っています。うん。それは言いさしのことですか? まあ日本語で言ったら言いさしみたいなやつですね。あ、従属してない、なんだ、それが。
そうなんですよ。まあ英語で、あの従属文とか言ったりするじゃないですか。従属節とかさ。はい。何なんだっけ? 従属節。主節っていうのがいわばメインの文みたいなところで、条件とか時とか、ifとかがくっついてる部分が従属節ね。はい、はい、そうですね。関係節とかいうのは、あの従属節に含まれますよね。うん。つまりその「ちょっと休んだら」って英語に直したら、ifとかwhenとかを使って書くんだけど、(主節が)ないわけ。あ、なるほど。従属してそうなのにしてないってこと。多分。はい、そうなんですよ。これで日本語の例も紹介されていて、あれ言いさしだったんやっていうのを初めて聞いてですね。うん。なのに、と思いました。
そうだね。これ結構でもわかんないですよね。黒島先生、今後「ちょっと休んだら」って言われるたびに「あなたのターンですよ」ってやってた方がいいですよね。友達を減らしていきましょう。友達欲しいんで。え、友達欲しいんすか? ただでさえ少ないんで、友達が。1人減る代わりに文とは何かが分かるんだったらどうしたいですか? あ、分かりたい。友達が1人減りました。減りましたね。
一応この論文、英語も紹介されてはいるんですよ。うん。で、英語だとですね、こんな例が一応載っていて、「If you could give me a call, please.」みたいなのが載ってます。これifっていうですね、従属から始まってるんですけども、「If you could give me a call」、ここで(続きが)欲しいですよね、本当は。はい。if節だけで完結してると。まあ「もし私に電話くれたら嬉しいんですけどね」みたいな感じで言ってるってことですね。で、こういうのは一応あるっちゃあるんですけども、英語はそんなに頻繁にやらないんですね、こういうことを。うん。
でですね、この英語論文なんですけども、ドイツ語の例がですね、たくさん引用されてるんですよ。で、まあお2人ドイツ語当然分かると思うので、まあ簡単な問題だと思うんですけども。僕は大学の第2外国語がね、ドイツ語でしたから。ですよね。で、水野さんも言語学を愛し、言語学に愛された男なんで、まあドイツ語を知らないってことは、まあそんなメジャー言語ね、いくらなんでもね。え、ダンケシェーン、グーテンターク。うん。イッヒ・リーベ・ディッヒよ。I love youがよし。ちょっと2人でやってもらっていいですか?
これドイツ語がたくさん引用されてるんですけど、これドイツ語のですね、ある特徴によるもんだと考えられます。これですね、ドイツ語だと、まあ文っぽいんですけども、従属節、まあ他のやつにくっついてるやつですね、え、のみで発話されてるってことが分かりやすいんですよ。ほう。これドイツ語のどういう特徴によるものだか分かりますよね。僕は知ってます。やべ、全くわかんない。これ多分いけると思う、俺。はい。なんかあれじゃないですか。ドイツの人って割と真面目でカチッと喋るイメージあるから、そのカチッとした発音でドンってその単語を、becauseみたいなのを言うから目立つ。これちょっとドイツ語でやってもらってもいいですか? 全くわかんねえよ。ドイツ語でbecause言ってみましょう。ドイツ語のbecauseが何かわかんねえわ。
水野さん、ドイツ語って確か主節と従属節で語順違うんじゃなかった? ドイツ語ってSVO語順ですけど、僕の記憶が正しければ、従属節だとSOVとかそういう感じじゃなかったっけ? あれ、そうだっけ? そうなんですよ。さっきあの堀元さんが水野さんに告白しながらですね、「Ich liebe dich」と言ったんですけども、liebeが動詞ですね。ichが私、主語なんですけども、2番目に来るんですよね。普通の文っていうのは2番目に動詞が来るんですけども、ifとかwhenみたいな従属節の場合はですね、動詞1番最後に来るんですよね。ああ、懐かしい。今急に……。やった、やった。大学生の時に、そうだわ。こういう時変わりますって言われて難しいって思った記憶あるわ。
そうですね。これ従属節の方だけ見ると日本語っぽい語順になってるんですね。1番最後に動詞が来るので。なのでですね、これもあの私が前出演した時に語順の話をしたと思うんですけども、英語とかはまあSVOでいいんですけども、ドイツ語はですね、SVOと、最後に動詞が来るっていう従属節の語順があるので、これ語順も決めがたいんですよね、ドイツ語の場合。で、こういうことがあってですね、ドイツ語の例がたくさん引用されていてですね。うん。明らかにSOVの順になってたら言いさしだって分かるわけですもんね。そうですね。これまあ主文じゃないだろうっていうことが分かるので、結構ドイツ語の例がたくさん引用されていたりします。うん。うん。
こっからちょっと日本語の例でまた考えてみたいと思うんですけども、このさっきあのね、「あなたのターンですよ」と言ったんですけども、これ色々あるわけなんですよね。なんか省略されてそうなものから、まあこれは明らかに「けど」で終わってるだろうみたいなものまで、色々やっぱりここもグラデーションになってるんですよね。明らかに「けど」で終わってるケースなんてあります? あるんですよ。これですね、白川先生っていう言いさしの研究で有名な本があるんですけど、これもですね、大変素晴らしい言いさし文の研究本です。それで1冊です。これは面白い本なんですけど。面白いね、これ。
実際ですね、これ漫画から例が引用されてます。はい。『めぞん一刻』から引用されてるんですけど、漫画。これですね、ある、え、五代っていう人がですね、「もう君とは付き合えない」という風に言います。こずえっていう人がですね、点点点と沈黙するんですけども、そしてまた五代っていう人がですね、「僕には好きな人がいるんだ。君には本当に申し訳ないけれど……」といきます。これは、まあ「君には申し訳ないけれど好きな人がいるんだ」みたいにですね、あの、ひっくり返せば、まあ文として成立するかなっていうようなもんですね。はい。順番変わってるだけだと。
まあこういうパターンもあるんですけども、またですね、『めぞん一刻』から引用されていて、響子っていう人がですね、「なんで学生服なんて持ってるんです」と聞いて、で、五代っていう人がですね、「はあ、予備校の入学式に着てけってばあちゃんが送ってきたんですよね。結局着なかったけど」みたいなのを出してます。これは「結局着なかったけどばあちゃんが送ってきたんですよね」みたいに、あんまりですね、倒置してもうまくいかないというようなのがありますと。え、これですね、「けど」っていうのが、まあ独立してるようなパターンもあるだろうという風に言ってるんですね。なるほど。この場合の「着なかったけど」っていうのって、結局「着なかったな」程度の意味ですよね、多分。そうですよね。なんか最後は「結局着なかったんですよ」とか普通の文で終わらせてもいいよなと思うんですけども、「けど」で終わらせていると。まあこういうのはちょっと独立した文っぽいっていうことですね。ちょっと変わってるな。
本当はこの時にもまだ「あなたのターンですよ」って堀元さん言わないとだめです。そうだね。いや、これでも見極めて「あなたのターンですよ」って言わないと。やっぱり独立してるようなやつはもう終わってるからね。そう。これはだから言いさしっていう感じじゃないから、そこで「あなたのターンですよ」って言ったら「かかったな」ってトラップカード発動。言いさしっぽいけど言いさしじゃない文だって言って叩かれますよね。あ、じゃあ堀元さんはこの「結局着なかったけど」は言いさしだと認定しない側の人間ってことですか? えっと、白川先生は認定してますよね。ん、あ、これは言いさしなのか。だから言いさしではあるんだが、そこで終わってる文っぽいやつってことですかね。難しい。言いさしイコール文じゃなさそうだと僕思ってたんですけど、そうとは限らないってことですね。だから難しいんですよ。難しい、複雑。
あと例えが全部『めぞん一刻』のせいで、「ああ、こずえちゃんを正式に振るシーンだ。あそこいいシーンなんだよな」とか、その後の「こずえちゃん、僕の好きな人はね、意地っ張りで泣き虫で」みたいなところが浮かんできちゃって、話が入ってこなかったです。はい。『めぞん一刻』にしないで欲しいですね、例えば。マーボーにしますよ。それ定着させようとするのやめて。美味しく。これもただでさえ喉マーボーみたいになってんだ。喉マーボーなんだから、俺今日。確かに。
で、まあ「けど」の場合は色々グラデーションであったんですけども、最初に出した「ちょっと休んだら」もそうですし、「ちょっと休めば」、これもそうですよね。「ば」で終わってるんだけども、これで相手に勧める時に「あなたのターンですよ」とはならない。あと、まあ「それ取って」とかどうですか? え、それは命令形だよね。ね、言いさしじゃないでしょ。でも「取って食べました」とか全然いいじゃないですか。「て」って接続助詞ですよ。確かに。「取る」の命令形って「取れ」か。そうだね。はい。あれ? どういうことですか? どういうことですか? いや、なんで、なんでお前役に立てないよ。同じこと聞こえてるから、俺。先生の……、あ、そう。……になってます。横流しにね。はい。仲介業者いらない。確かに。「それ取って」、何?
でもさ、休んだらもう一緒でさ、休みなとか休めとか言われたらだいぶ強いなっていう気するじゃないですか。でもちょっと休んだらってだいぶ柔らかいから同じシステムな気しましたね。それ取れとか言われるとめっちゃ厳しい感じに聞こえるから、それ取ってっていうなんか言いさしっぽい、文の途中っぽく言うことで和らげてんだろうなっていう気しますね。
うん。確かにそうですよね。なんか2つ似たようなのありますけども、明らかに命令形で取れって言われたらちょっとぶっきらぼうな感じしますけど、取ってだったらいいですよね。こんな感じで2つ存在してるのかもしれないですよね。ちょっと動機に関してまではわかんないんですけれども、多分堀元さんの仮説合ってるような気がします。
あ、ちなみにそれ取ってとかちょっと休めばって韓国語でも同じように直訳で行けますか?
これですね。やっぱりできないんですよ。言いさしっぽい言い方あるんですけども、日本語のこの休んだらとかですね、取ってみたいなのは取ってないんですよね。ここもあんまり似てないとこですね。
え、じゃあ韓国語っぽく言うと取れになっちゃうんですか?
ま、そんな感じになります。
それがそのきつい感じにならないってことですか?
そうですね。なんか別にきつい方の命令形みたいなのはあるんですけども、普通の命令形で韓国語だったり上がれみたいなのもあるですか?ま、そんな感じはあります。
ああ、なるほどね。面白いですね。
そうなんですよ。ここら辺やっぱりですね、日本と韓国似ててもちょっと違うんですよね。
うん。だから韓国の人はちょっと失礼っていうことですよ。
あ、おいおいおい。堀元さんぬか漬けにしますよ。いろんな調理法出てくるの何なんだよ。そんなこと言っちゃだめですよ。そうでない。言語表現がそうなってる。
そうなってるってことですね。はい。英語だって全然普通の命令形でいいですからね。ここら辺はもうこれ使わないとっていう感じですけども、もう分かったからとかいう時の「から」とかですね。
あ、それもそうだね。
ま、これも「から」っていうのは言いさしで、なんか後ろにくっつける時に、ま、なんとかしたからみたいにつける時もあれば、もう分かったからとかいうのはもう完全に独立したような感じで使われてますよね。で、こういう風にですね、後ろになんか想定しようと思えばできるんだけど、ま、独立して使われてるような日本語の言いさしっていうのが色々あるわけですね。
うん。今何やってるか忘れちゃったんですけど、文っぽいんだけど文じゃないものの話をしてるんでしたっけ?
はい。そうですね。接続助詞で終わってるもんですね。終助詞かい話になるわけですね。
なるほど。ですか?ちょっとわかんないんですけど。
あなたのターンですよ。
あ、これいいの?使い勝手いいですね。生活で。
そう。あとあの、もう分かったからっていうのを言おうとして、もう分かったのでって言ったらなんかすごい間抜けで面白いなと思って。
もう分かったのでだとなんか成立しないですね。それなんでですかね。なんでだろう。「から」の方がもうやめてくれ感出るのかな?「から」と「ので」がどう違うのかを考えなきゃいけなさそうなんで。
なんかさ、でもさ、もう分かったのでも成立するシーンある気がする。
そうですね。例えばそろそろ時間ですのでって言って帰るとかはできると思うんですよ。でもそろそろ時間ですからもいける。でももう分かったので……
そうね。反抗期の息子が言ってたらなんか間違えてるなと思うね。もう分かったからだよなそれってなるね。あれ不思議だ。あれもしかして予算が必要になるこれ。
そんなね、国防に関わることじゃないっす。国家安全保障に関わってこないすよ、それ。
経済安全保障とか重要な一家の中に、分かったのではなんで変なのかってこれ入んないですか?
絶対入んないすね。
入んないですか?
これ僕解決してもいいですか?じゃあお願いします。
ま、「から」と「ので」の場合ですね、「ので」の方がちょっと丁寧な時に使いやすいんですよね。例えばお金ないから金貸してくれみたいな場合だったら「から」でいいと思うんですけども、お金ないので金貸してくれだとちょっとなんか変だね。金貸してくださいの方がいい気しますね。ですよね。こんな感じで「ので」の方がどっちかっていうと丁寧なやつと一緒に使われやすいので、ま、多分もう分かったのでは不自然なんじゃないですかね。
分かります。わかります。そうだから上司に言ってる分にはあんまり変じゃない気するんですよ。そちらについてはもう分かりましたのでみたいな感じならいけそう。
確かにそうだね。だから反抗期の息子はちゃんと正しく「から」を使ってほしいです。そうですね。ぶっきらぼうに。
反抗期の息子がもう分かったのでって言ったら、なんだその言い方はって言うだろう。正しいツッコミなのかそれ。それ反抗期なるわ。
これ水野さんの著書『会話の0.2秒を言語学する』。これターンっていうのがすごく重要になってましたよね。これ相手にターンが渡る。自分の会話が終わって相手が発し始めるっていうこれの交代のことをターンテイキングとか言ってましたけども、ま、この言いさし考えたらですね、なんとかで終わって相手が発したんだったらもうそこでターンが移ってるわけですよね。なんでそれを基準に、ま、文と言ってもいいかもしれないですね。
ああ、つまり発言権を相手に渡した段階でそこまでのものを文と認定するっていう立場もあるんじゃないかと。
はい。そういうことですね。会話の流れ見たらそういう考え方もできますよね。
でも僕とか水野さんってお喋りだから、人が喋ってる途中に無理やり入ってっちゃうことあるんですけど、それで文と認定していいんですか?
それはもう邪魔してます。
あ、俺たちのマナーがなってないだけか、それは。
でも水野さんの本でも言及されてましたけど、日本語の場合相手が喋ってる時にも入ってきちゃうようなことってあるわけですよね。だ、これ結構難しいんだけども、やっぱりそれも水野さんの本に書いてあった通り、ま、相手が大体終わりかけてるなっていうのも分かるわけですよね。なんで、ま、相手が終わりかけてるってことを察して途中で入る分には、ま、相手は終わらせようとしてるんだから、ま、それが一区切りになるかもしんないですよね。
うん。確かに終わりかけが分かるということはなんとなく文とは何か知ってそうだよな。その振る舞いとしてはさ。終わるって思うということは。これ不思議だよね。本能的に文ここまでだなっていうのをなんとなく予想立ててるってことだもんね。
そう、そう、そう、そう。今日イントネーションの話全然しなかったんですけども、ま、最後の方かなり下がっていったりですね。命令形の場合急に下げる。さっきの取ってってあったんですけども、これを取って食べますとかだったら取ってのとこそんな下がんないんですけど、取っての場合は結構下がるんですよね。ここら辺であなたのターンですよってなるようになってるということですね。なので音声もかなり重要であります。
うん。僕昔牙の山……違う違う。あ、それじゃない文系です。今髪のが僕それじゃないやつだから。違う違うこともある。
グライダーっていうちっちゃい飛行機に乗る免許を取るための検診みたいの受けなきゃいけなかったんですよ。なんかマニアックなその飛行機乗っても危なくないですよっていうお墨付きをお医者さんから受けなきゃいけなくて。
なんで乗ろうとしたんですか?
いや、大学の部活でやろうと思って。でもそれマニアックな検診すぎて受けに行き方わかんないから先輩が教えてくれるんですよ。ここの病院でしか都内だとやってないから。この病院に電話をかけて、このなんとかかんとか検診を受けたいんですけどって言ってください。言いさししましたね、今。
受けたいんですけどって俺が言った後に係の人が待ったらどうしようって思ったんですよ。そう。え、すごい変な感じになるじゃないですか。だから受けたいですって言った方がいいだろうなって思って電話をかけたんだけど、なんか電話で僕どうしてもなんとかの検診受けたいんですけどって、その先輩から送られたままの文面のやつ言っちゃって、なんかこれ言いたくなるんだなっていう。このマニアックな検診を受けるということになんかどこかちょっと引け目みたいなものがあって、なんかついちょっと控えた言い方になっちゃって不思議だなって思ったことあります。
え、めっちゃ分かりますよ。予約の電話で僕思いますもん。予約お願いしたいんですけどって言って、向こうがこっちの出方を伺ってる時間みたいのありますよね。あれ気まずい。
気まずいす。あれだからちゃんとターン取ってほしいなっていう。あ、でもそれあれだね。店の人があなたのターンですよだ、実質。
あ、そっか。実質それやってたんだ。チャンス。多分向こうが今武器持ってないから空いてただけで、その武器さえあれば向こうの人今度から言えるようになる。言われるってこと。
言われる言われる。今度まずなんて言えばいいんだそしたら。予約したいんですけど、あなたのターンですけど。ターン終了って言ったらいいんじゃないですか。
あ、エンドターンで。変なやつから電話かかってきちゃった、最悪だよ。ああそれだ。予約したいんですけど、ターンエンド。
まあね、無線とかだったらオーバーとか言ったりするじゃないですか。
そうだ、無線のやり取りの時オーバーって言うわ。
はい。それ行きましょう。あれじゃおかしくない?何のおかしくない?何にもおかしくないです。そうだね。じゃあ今日の打ち上げの店取る時それで行きましょう。そうだね。予約したいんですけど。ターンエンド。
向こうも俺のターンって。ドローっつって。そうそうそうそうそう。遊戯王じゃないんす。素晴らしいね。
ということでここまで韓国語の黒島先生にお越しいただいて、文を認定するのは難しいという話をしていただきました。
うん。結論はだからわかんない。
大丈夫。まとめますから僕。お願いします。お願いします。
まず小さな単位で見ていこうと、語っていうのから文を考えようと思うとうまくいかないって話でしたね。で、連鎖っていう大きい単位から見ていくとうまくいかないっていう話でしたね。で、その後に言いさしという、接続助詞でね、本来何か続きそうなもので終わるという形式が日本語だと結構使われておる。さらにこれが発話のターンテイキングとかでも言いさしの段階で向こうが発話が終了したと思って向こうがターンを取るってこともあるという事実から、文っての例えばターンテイキングをする単位という風に捉えるという立場も可能であるし、イントネーションの効果みたいな音声的な特徴で定義することも可能であるし、書き言葉だけで文の認定をしていても一面的になるので、話し言葉から文を認定するという立場も必要であろうという示唆を得られました。
はい。あの、ちょ、違う、違う、違う。はっきりした結論教えて。
で、え、文とは何かというのは今後の課題でした。
うわあ、つまんねえ。卒論。何にも結論出ないやつ。今後の課題としたいってとりあえず書いとくやつな。そう、そう、そう、そう、そう。いや、俺今でも今後の課題にしてますもん。そのレポートの時に書いたやつとか。何も進歩がないすね。まだないです。まだない。これからあるかもしれないです。
うん。定義言ったじゃないですか、最初に。あ、言ったんですか。はい。文の定義っていうのは最大の節であると。
あ、それやめて。最大の節の話すのやめて。全然わかんないから、それ。
ハスペルマートのやつね。そうですよ。必要にして十分ですよね。
そうかな。結局わかんなかったけどな。
ま、やっぱり難しいっちゃ難しいんですよね。でもこれやっぱり文字に書かれた文じゃなくって、我々の会話をつぶさに観察するのが重要だっていう示唆は、ま、得られますよね。どうしてもやっぱなんか文法とか言うとなんか書かれたものをイメージしちゃうと思うんですけども、会話をね、ちゃんと観察するってのが大事ですよね。
うん。やっぱあと聞いてて思うのは、手話だとどうだろうとか考えちゃいますよね。例えば手話言語でイントネーションとかターンテイキングどうなってんのと。結局音声中心で考えちゃってるんで、そっち方面でも考えてみないといけなさそうだなとか思いましたね。
視点をいっぱい提出して終わるってことです。でもね、この手話言語については今後の課題なんかやめますよね。
そのさ、今後の課題とするとか示唆が得られたとか言って終わろうとするの、え、みんながYouTubeに求めてるものってもっとファスト教養だから、もっとなんかそれっぽいことズバって言って終わ……
いや、今後の研究の方向性に先鞭をつけました。今僕が。
それやめろよ。先鞭つけたよっつうのやめて。何にも言ってないから。それこれ単体で何も言えてないから。
考えさせられましたよね。
さ、それ考えられてないやつだから。それ何も考えてないやつが言うことだから。
水野さんの方めっちゃ考えさせられました。すごい示唆に富んでました。
ま、でもあれですね、文とは何かっていうあまりに簡単そうな問題でも答え出てないんだっていう発見は1つあったかもしれないですね。そうですよね。もっと語もわかんないですから。
そうだね。そう。わかんないな。むず。
うん。皆さんがね、所与のものとして語とか文ってのは簡単に認定できるっていうところから言語学者がやってるってのは1つね。意外なとこでしたね。
ま、今日ですね、文の複雑さ見てきたんですけども、こういった言語の複雑さ、ま、ひいてはですね、我々言語を操ってる人間の複雑さを知るっていうことでもありますよね。いろんな言語見なくちゃいけないっていうことですし、ま、いろんな言語見ながら文って何なんだろうっていう風に考えてるのが、ま、我々ということですね。
そっか。さっきの語から文を定義するやつ。エスキモー語の例全く僕想像の範疇外でしたから。
ま、喋りましたけどね。サピアの回でがっつり。その想像の範疇外であるはずがないんですけどね。
ごめんなさい。つまんなすぎて記憶から消してください。僕だって記憶から消してるんだから。
いや、だから結局その日本語だけ見てたらダメですよね。いろんな言語を見てくことで文の定義1つ取っても考えなきゃいけないっていう、まさに人間の複雑さ、数がいっぱいあることによる複雑さだなって思いましたね。
結局僕ら普通に生活してると日本語と英語、ま、もっと言うとヨーロッパ系の言語ばかり、ま、学ぶ機会が多いですけど、アフリカとかアラスカとか、ま、それから例えば中央アジアとかの言語とかを見ていくと、そこの常識が全然通用しないって頻繁に起こるんですよね。よくある批判ですけど、その英語中心で理論を組み立てていくとこういうところがこぼれちゃうよねみたいな話はあるわけで、その意味でもやっぱり色々な言語を僕自身が勉強するってことも今後の課題としたいですね。
あ、もう気に入っちゃったな、それ。今後の課題としたい。
そう、今後の課題を今後の課題としたいですよね。
でもね、その水野さんの意見にうむと思って。あ、本当ですか?すごい考えさせられました。めっちゃ考えさせられた。この回いい回だわ。ありがとうございます。素晴らしい回ですね。
本当かよ。ちなみに黒島先生の今後の課題は何ですか?
大変ですね。あの、本に課題を書いておりまして、私ですね、本を出します。
おお、おめでとうございます。おめでとうございます。
ありがとうございます。韓国語の本ですね。韓国語の言いさし含めですね、韓国語にも接続助詞みたいなものがたくさんあるんですけども、この接続助詞っぽいやつの使い方をですね、徹底的にいろんな会話の例を見ながらですね、え、書いた本になります。
うん。接続助詞だけ。あ、そうです。え、広いね。
狭い、狭い。全然韓国語のちょっとの接続……狭い狭い狭い、そこが狭い。韓国語全体やったら良くないですか?
いや、びっくりした。僕なんか間違ったのかと思いました。間違った。ええ、狭くないの?それ。いけるんすか?1冊。
かなりもう言いさしだけで1冊なってますから。
ま、確かに。まあ、そうか。「語」とは何か再考までしてますもんね。確かに全然いけるわ。
はい。僕の博士論文のテーマが韓国語の接続助詞だったんですよね。
あ、だからあれだ。たまにありますよね。博士論文がそのまま本になってるみたいなやつ。なるほど。博士論文ライト版ってこと。良さそう。
本はい。ありがとうございます。これですね、前にゆる言語学ラジオ出してもらった時に韓国語に関するnoteを書きますと言ったんですけども、そのnoteでずっと書き貯めてたものを本にしたという感じですね。
うん。今風の出版方法。
言いさしだけじゃなくて韓国語の接続助詞のいろんな使い方をですね、書いてるので、是非韓国語勉強してる人、あるいはですね、ちょっと韓国語知ってるよっていう言語学者の人も読んでもらえたらいいかなと思ってます。
うん。それ読むと韓流ドラマがより面白くなったりとかします?
そうなんですよ。これですね。実はほとんどドラマの会話を引用してます。
なんか面白そう。素晴らしい。ドンピシャ来ましたね。
そうですね。最近韓国のドラマすごく人気ありますけど。
そうですね。冬のソナタとかすごい人気です。
古いな。めっちゃ古い。俺らが小学生の頃だし。今ヨン様ではしゃいでる人1人しかいない。お前しかいない。ブームに踊ってない。踊ってない。
全員忘れてます。サピアの回ぐらい忘れてます。
おいやめろ。やめろ、お前。
堀元さんなんかたまにNetflixで韓国ドラマ見てますもんね。
見てる。最近だとね2人の将棋師の物語、寸を見ましたね。
フィクションですか?
割と史実です。あ、ノンフィクションなんだ。そう。ノンフィクションを元に改めて俳優さんが演じたみたいなやつだと思う。
ちなみにその視聴して1番気になった接続助詞ってどこでした?
あ、ごめん、ないっす、ないっす。ないないす。いや、俺字幕で見てるから。
何話分見たんですか?
丸2時間ぐらいですかね。映画1本かな。
そんなに見たのに1個も引っかかんなかった。
うん。ない。ないですね。
あれ見てないのだって。だから接続助詞じゃなくて字幕とかの方を見て、助詞を見てないんですよ、僕。あ、てかなんなら韓国語1つも見てないですよ。日本語字幕で見てるから。
そうなんすか。でも耳で聞いてるもんね。
韓国語聞いてはいますけど、全部聞き流してますね、今。
あらららら。黒島先生の本読んでれば引っかかりが多分あっただろうと。
あ、じゃあそうですね。読んでください。是非。ちょっと僕に足りなかったのそれでした。それ読んでからまた見ますわ。
はい。この動画公開される頃には発売されてると思いますので、是非皆さんお買い求めください。
うん。ちなみにその本の内容で1番キャッチーな内容で言うとどんなことが書いてあるんですか?
いいよ。これですね、韓国語の接続助詞っぽいやつですね。この使い方色々あるんですけども、似たようなやつの使い分けとかですね。あるいは言いさしっぽいやつの用法とか色々あるんですけども、これをですね、1つの統一原理で説明しています。
なんか面白そう。俺らの好きなやつだ。うん。来た、来た、来た。
そうなんですよ。これいいポイントだと思います。日本語でちょっと説明してみると、例えば日本語の「ながら」と「から」ってありますよね。食べながらとか食べるから。これ比較した時に食べるからと食べながら、この食べるのところは一緒ですよね。で、これを小さいに変えるとどうですか?
小さいながらと小さいから。あ、違うわ。小さいながらだと、小さいながら彼は強いみたいな逆接みたいな意味になります。
はい。小さいのにみたいな意味になりますね。なんでですか?
うん。あれ本当だ。
で、小さいからだと順接みたいな、理由を言ってる感じになる。
そう。「から」の意味はさっきの食べるからとあんまり変わってないような感じがしますよね。急に挙動変わった。
本当だ。「から」と「ながら」同じ例なのに違う振る舞いしますね。
そうですね。しかも食べながらの時は連用形に接続しますけど、小さいながらはさ、小さながらじゃないもんね。本当だ。連体形に接続してますもんね。
これ全然振る舞い違うんですよ。しかもですね、その小さいながらの後ろに「も」くっつけることできますよね。小さいながらも彼は健闘したみたいな。はい。「から」の方はどうですか?小さいからもって言えないですね。
あれ、なんでですか?
えっと、今後の課題としたいですね。示唆に……
つまんねえ2人が聞き役やってる番組来ちゃったね。全然わかんないですね。
はい。こういうのは韓国語でも同じような現象があるんですけども、これを説明してるんですよ。で、さらにさっき色々例出してたんですけど、もう分かったからみたいに「から」はそれだけで終わること結構あるんですけど、「ながら」ってどうですか?
小さいながら。もう分かりながら。食べながら。ないね。ないね。ないね。
なんでですか。「ので」とか「けど」とか色々終わるのあるのに、なんで「ながら」……小さいながらもで終わってもいいもんな。本当だ。
こういうのもやっぱり韓国語にもあるんですけど、1個の原理で説明するっていう本になってます。
へえ。エキサイティングやん。でしょ。博論でもうなんか面白いこと書いて先生やってたんだね。すご。
あと唯一小さいながらもって言いそうな人探したら、ウエストランド井口さん。ツッコミの流れで言いそうじゃない?お前誰がそんななんとかだよ。何々なのによ。何々で頑張ってんだよ、こっちも小さいながらも。
あ、絶対言うよね。だな。でもそれはな。まあそうか。頑張ってんだよ。小さいながらもですもんね。
でも黒島先生の本に書いてある可能性もありますよね。そのウエストランド井口の精神が韓国語に根付いているのだ。博論に。そういう結論の可能性ありますけどね。
それが統一原理。そうそう。ウエストランド井口に説明してくれてるんじゃないですか。で、井口さんのネタを韓国語訳して例文とかつけて。
その本ダメですね。売れなそうです。
これではないんだ。これは言語好きにとっても面白いだろうし、当然韓国語勉強してる方、結構ねリスナーの方にもいますけど、にとっても必読じゃないですか。うん。是非ね、じゃあ気になった方は買っていただければと思います。概要欄、固定コメントにリンクがございます。
よろしくお願いします。そしてですね、最近韓国語のですね、リスニングの本も出しました。
ああ、なんかいっぱい出してるっていう。普通にね、手数が増えてますね。
『究極の韓国語リスニング』というですね、本を出しました。え、こちらはですね、結構初級の方から取り組める内容になってるので、こちらも是非韓国語勉強してる方ですね、あるいはちょっと最近始めたよっていう方ぴったりだと思うので、見てみてください。
うん。これね、究極のとか書いてるのってね、大体フェイク野郎と相場が……堀元さん。いや、違う、違う。
だから安心だよねっていう。黒島先生が書いてるんだと分かるから。最近こういう本ってなんか適当な怪しいセミナー講師みたいな人が書いてますけど、そういうわけじゃないってこと。究極の理由はですね、そこに書いてあるので是非。
そう、あそこも安心できます。よかったよ。じゃあこちらも一緒にリンク貼っときますので、皆さん是非概要欄からお買い上げください。よろしくお願いします。
ちなみに帯にですね、ゆっくりから始めて徐々にレベルアップって言って、1番上が韓国での食事なんですけど、レベルアップした先がカップルの喧嘩に。
聞き取れるようになるかもしれないですね。これで。
でも確かにドラマとか見てたらさ、英語でも喧嘩って聞き取れないもんね。聞き取れない。韓国語初級者なんて絶対聞き取れなさそうだけど、これやったらいつか聞き取れるようになるかもしれないですね。
この会話は僕が作ったやつです。
あ、黒島先生が作ったカップルの喧嘩の作例も見られます。楽しいですね。
じゃ、そんなわけで皆さん是非本買ってください。それからこの回聞いて思ったこと皆さん色々あると思いますので、そちら感想のコメントもお待ちしております。
考えさせられたは禁止でお願いします。
そうですね。示唆に富むも禁止でお願いします。以上終わりにしましょう。ありがとうございました。ありがとうございました。
堀元さん、うまく話せなくて悩むことってありません?
よくあります。
そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。タイトルは『会話の0.2秒を言語学する』。会話のわずかな間にフォーカスした1冊です。是非皆さん買ってください。
うん。
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